2020年01月02日

瀬川拓男: 私の民話論〜アイヌ古代民話, 日本の原始民主共和制を支えた言霊信仰

瀬川拓男: 私の民話論〜アイヌ古代民話, 日本の原始民主共和制を支えた言霊信仰
私の民話論
瀬川拓男, 1981
中国大陸に並行して弓状に存在する日本。火山列島日本には暖流と寒流がめぐり流れているために,四季折々の微妙な季節変化によって優れた景観と季節の魚菜に恵まれている。日本は自然の恩恵豊かな「母なる地」であるが,その反面,台風・洪水・地震といった自然の猛威にさらされている。
欧米文化は自然に抵抗することによって生まれたが,日本文化は自然に随順であることによって生まれた。
■地域社会を規正した民話
古代日本人は地域生活において生じた善悪・吉凶の全てを神々の倫理に,あるいは適い,あるいは適わぬことをした結果であると信じていた。神々の論理とは一体何かと言うと,それは
天ツ罪
国ツ罪
であると考えていた。
農村の共同生活を破壊することは,神々の倫理に反するという思想であった。
田の畦を壊したり,田の溝を壊して水を通さなくしたり,田に水を入れる樋を壊したりするのは当然天ツ罪を犯したことになった。その他,他人の田へ棒を立てて自分の占有を主張したり,生きたまま馬の皮を剥いだり,糞のような汚いものを撒き散らしたりするのも犯罪としていた。予測できない自然の猛威が突然前触れもなく農村を襲うのは,この罪を犯した者が同一地域内にいるために神々の祟りを受けたと考えた。
天上界におけるスサノオ神話のように,どの地域でも因果応報の物語が生まれ,語り部たちによって語り継がれていくうちに歴史意識が生じてきて,大叙事詩となっていった。そうした物語は古代ばかりではなく中世でも近世でも農村社会には生まれやすく,今でも語り継がれて地域社会の生活秩序を規正させてきた。
■夜明けの叙事詩ー神話的叙事詩
太古,天地は混沌と溶け合って,無限に広がる泥海にギラギラと漂うものがあった。何万年とすぎて,立ち上る陽気は空になって,濁るものは岩や石になった。
岩や石は日に日に大きくなって泥海に黒く光る頭角を現した。空に昇った陽気は炎と燃えて 巨大な火の玉 になって,そこに太陽の女神が誕生した。七色に輝く光は天空に満ちて,暗い地上をバラ色に染めた。
古事記編纂のはるか昔。日本列島に割拠する各部族は,「夜明けの叙事詩」を競って詠んだ。
北海道で漁業に従事する部族は,この地上が巨大な魚「アメマス」の上に作られたとして大地と地震の因果関係を理解した。鳥の霊魂を唯一と信じる部族は,この世の始まりが神の鳥によるものと説いた。湿地帯を切り開いた種族は,泥と植物からできた人間の創造と,恐るべき悪魔の誕生を想像したのであった。
狩猟と採集の採取の時代が何十世紀も続いて,トーテミズムを基盤とする動物民話のうちで,動物の霊力による天地創造神話が準備された。それに続いて初期的栽培段階から複雑な農耕時代へ進むにつれて,
太陽



樹木
穀物の種子
などに対する関心が高まって,ここにも神の雷の誕生を見ることになった。今や万物に霊は宿り,草木石までまでが物言う時代になって,天地創生神話も次第に複雑になった。
神話的叙事詩の発達は生産関係の進化とも対応していた。古代国家成立までの長い陣痛の時期,生産力の著しい発展によって人間相互の共同共産体制に加えて,分業化もまた進んで,その結果部族連合の波状的な拡大をもたらした。言語の発達に合わせて神話的叙事詩も長編詩化の傾向をたどり始めた。
古代国家誕生前夜,「夜明けの叙事詩」が翼を得て羽ばたく時に,原始時代の後の黄金文化は花開いた。その時期を特徴づけるものは雄大な長編叙事詩の成立である。革命的民主文芸の到来であった。
アイヌの神話的叙事詩に象徴されるサケ(繰り返しの節)には「夜明けの時代」の溢れるばかりの希望が込められて,その美しい旋律から人間の歓喜が光の躍動になって伝わってくる。
シロカニペ ランラン ピシカン
シロカニペ ランラン ピシカン
銀の滴 降れ降れ まわりに
金の滴 降れ降れ まわりに
トーヌペ カント カント
トーヌペ カント カント
乳房の光 きらめき きらめき
乳房の光 きらめき きらめき
ユーカラ棒を叩いて,天に向かって地に向かって歌い踊る神々の宴会は,大地に根を張って生き始めた人間たちの凱歌でもあった。豊饒の秋。余剰生産物を手にした彼らは,爆発的な熱狂に身をまかせ,歌い踊って革命的なロマンティシズムを謳歌した。
この時期に天地創生神話について大地開拓神話が叙事詩の主流を形成する。人間の代行者である神の英雄的業績によって,悪霊は駆逐されて原野は開かれる。開拓精神に満ち溢れた物語には,男神と女神のロマンスがつきまとって,男女の対の幻想によって大地の豊饒が約束されるのである。古事記に収録されたスサノオのオロチ退治とクシナダ姫との婚姻物語はその典型であろう。「雷神と女神」「日の女神を救う」「赤神と黒神と十和田の女神」などの民話にもそうした古い時期の叙事詩的残像を認めることができる。
■言霊と民主主義
いうまでもなく「夜明けの叙事詩」には特定の詩人によって創造されたものではなくて,多くは演劇性を伴った原始的儀礼のうちに組み込まれていた。当時の神話的叙事詩には部族の運命を左右するほどの言霊の力が宿っていた。アイヌ民族にしばしば登場する「神々のチャランケ(談判)」には偉大な言霊の力が象徴されている。
ここで強調したいのは,草木ものいう時代に成立した言霊信仰が原始民主主義の思想的支柱になったばかりか,雄大な神話的叙事詩を産む創造的原動力になった点についてである。華麗な響きとともにたくましい力を獲得した祝詞の謎は,言霊信仰との関係ではじめて解くことができる。
アイヌの神話的叙事詩「エゾイタチの女神」は原始的共和制社会の生の姿を鮮やかに映してくれる。
人間の国が大飢饉に見舞われた時に低い空を治めるエゾイタチの女神のもとへ,ミソサザイやミヤマカケスの若い神,カラスの老神,トガリネズミの小さい神,あらゆる動物の神が集まった。人間の国はどうして救うか?どうすれば飢饉を終わらせることができるのか?晩餐の席で神々がありあれこれと討論したが,こともあろうに水辺に住む渡り鳥のシギ神を招くのを忘れていた。重大な討議の時に一人の神でも欠席とあっては大変である。トガリネズミの神は慌てて表へと駆け出した。草の下を転がるように走って,ようやくシギ神のもとへたどり着いた。さてシギ神の参加によって会議は再開した。
本題に入って,エゾイタチの神が,シカの神・サケの神に向かって,山にはシカを出し,川にサケを出すように依頼すると,シカの神とサケの神は堂々と反対論を述べる。この頃の人間はやたらにシカを殺してサケを殺して乱獲も目に余るものがある。これでは自然の富もかりつくすに違いない。何としても人間どもに反省を求めねばならぬ。そこでエゾイタチの女神は人間たちの夢に現れて,生き物を殺す作法・ 魚を殺す作法を教えて乱獲を厳しく戒めた。結果,再び国土は蘇って,山にも川にもいいものが溢れ,神も人も共に幸福な日を過ごすことができたという。。。
非常に親和的叙事詩を目の当たりにすると,皮肉にも現代人が風刺されているかのように見える。公害の空の下にあえぐ人々が国会に嘆願しようと,公害垂れ流しの会社に迫ろうと,エゾイタチの女神ほどのものは見当たらず事態の解決は容易ではない。議会民主主義を唱える国会の場所でも多数党の言論の暴力で少数意見は抹殺されて,野党欠席のまま決議がなされる。シギ神を招くのにキリキリ歯を食いしばって駆け回るトガリネズミ神の努力などどこ吹く風だ。民主主義の世の中に民主主義は空洞化する。
原始共和制を支えたのは他ならぬ言霊信仰による「ことば」への恐れと崇拝であった。生命尊重というほどの重い意味を込めて「ことば」の一つ一つに深く耳を傾けて「ことば」の背後に根ざす魂のありようが求められた時代である。したがって一人の発言意見に対しても,例えばシギ神の参加を求めて討議するといった形で言葉の尊重が徹底化されていたのであった。
原始民主主義はいわば徹底民主主義というものであった。こうしたモラルは実は長い伝統の上に定着したのであった。それは単に人間と人間の横の連帯を意味するだけではない。古くは動物との血縁によって,更には自然との共存元素によって,動物・自然・人間の総力を挙げてこの大いなる世界に挑んで,より良い社会を築こうとした結果,相互連帯意識は進化したのであった。現代人に定着した孤立化された自我ではなく,動物・自然・人間を包み込む巨大な共同体的自我がおそらく当時の民衆の心を揺さぶり続けたのであろう。この大いなる自我が確立する上で言霊の力が大きな役割を果たしたのは事実であった。
連帯意識の前提になるのは,何よりも対象を具体的に把握する認識力であって,その認識によって状況を変革する実践的な力を養成することであった。
エゾイタチの神が優れていたのは,対象認識の深さの上に民主的討論においても卓越した言葉の技術を持って言霊の力を制御して駆使した点にあった。そこで初めてシカの神・サケの神も真実を告白し,飢饉の要因そのものが明らかになって,それを克服する手立ても発見されたのであった。
言霊の計り知れない力を宿す者。それを自在にこなす者。すなわち雄弁なる者は当時にあっては徹底的な民主主義者であって,状況変革への革命的な資源を身につけたものであった。
数千年の昔にさかのぼる神話的がなお現代人の心に鋭く迫って詩情豊かに胸を打つのは偶然ではない。言霊の力が満ち溢れる時に詩章もまた簡潔な表現のうちに重い意味を伝えて,単純な旋律の繰り返しのうちにも様々な心理的欲求や行動への力強い意志を響かせることができた。
饒舌に馴らされた現代人は色あせた言葉の羅列や乱用によって,言霊の力は「罰」としての苦悩を人間に与えた。今では民主主義という「ことば」はあってもそれを守る思想やモラルが衰退して,マスコミ的饒舌の日常の中で人々は分裂した言葉の洪水に押し流されていく。
ー日本の民話,角川文庫,瀬川拓男/松谷みよ子,

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2019年3月15日
アイヌは何故文字を持たなかったのか
縄文人は文字を持ちませんでした。 現在も残存するアイヌも文字を持たない民族です。
アイヌ語で「神」のことを「カムイ」と言います。 アイヌの人々は、自分たちに生きる糧や恵みをもたらし、時に恐ろしい災いをもたらす大自然を神として万物への祈りを捧げ、祭礼を行ってきました。 また、文字を持たないアイヌは、神話や伝説などを口伝えで受け継いできました。 代表的なアイヌの口承文芸として「ユカラ」が知られています。
アイヌの人々が使うアイヌ語は、子音の数が極端に少ないなど、日本語とはまったく異なる言語です。 しかし、「ニセコ(切り立った崖)」や「知床(地の果て)」など、北海道の地名にはアイヌ語が元になったものが多く、「トナカイ」「ラッコ」「シシャモ」などもアイヌ語です。 現在、アイヌ語を母語として話すことのできる人はわずか数人とされ、ユネスコによって「極めて深刻」な消滅の危機にある言語と認定されています。
では、アイヌとはどういう民族なのか?何故アイヌは文字を持たなかったのか?
追求してみたいと想います。
何故アイヌは文字を持たなかったのでしょうか。 それは、持つ必要が無かったからだと推測できます。
以下興味深い記事がありましたので紹介します。
アイヌはなぜ国家を作らなかったかの話 
http://shidoyuuichi.hatenablog.com/entry/2016/02/01/004708
文字を必要とする民族は、管理することを目的として始めます。 簡単に言えば、税金の取り立て記録や、人員への命令の記録や、支配の正当性の記録や、貢ぎ物の記録がなければ口頭だけでは確実ではないからです。特に、命令が、伝達ゲームでは管理できません。 支配者一人の言葉は、同等に被支配者に伝わらなければ間違いや誤解によって違う結果とならないようにするために共通の合図が複雑化する中で、文字として発達していくのです。逆に言うと、管理社会でない民族には文字は必要性はないのです。ですから、文字を持たない民族や文化が劣っていて、文字を持つ文化が優秀なのではありません。統一国家のような集団を集合させるような構造を持たない民族には文字は必要ではありませんでした。
アイヌには、文字はありません。では、食料の生産能力かと言えば、それも一概に言えません。例えば、沖縄は、稲作が出来ても、大きな国家を作ることをしませんでしたし、武力も大きくなく、薩摩に征服されてしまいます。縄文後期に稲作を初めて止めてしまった縄文人もいます。稲作という視点で見る場合には、人工の増加と言うことは重要です。アイヌ民族は、どうやら3万人程度で推移したようで、人口の大きな増加はなかったようです。ですから、国家も作らなかっただけでなく、武闘集団を作るには人工的に困難でした。
では、なぜ大和は国家を必要としたかというと人口に対して貧しかったからと言えます。つまり、生活的に困らなければ、民族は国家を必要とせず、独自の生活を維持します。困窮する民族は、略奪を求めて強い武闘集団を形成するために国家が必要です。
アイヌの生活が貧しかったというのは間違いで、物が豊富で有ると言うことと生活が豊かであると言う事は一致しません。何故なら、アイヌ民族は、他の民族から孤立していたのではありません。接していながら、見習いたいと思わなかったのです。憧れなかったのです。
大和朝廷は、遣隋使も遣唐使も使って、中国に憧れ、中国の文字を真似、律令制度を真似ることに最大の力を尽くしました。貧しい地域ほど武闘は強かったのです。確かではありませんが古事記で言えば、九州の阿蘇山の噴火で、九州の北部・中部は痩せた土地で大変だったので豊かな土地を求めて征服の旅に出て、ついにたどり着いたのが大和朝廷の前身と言う事と読めます。征服することによって、貢ぎ物を頂く。それが国の豊かさだったのです。朝貢という貢ぎ物を古代の国家は中国にしています。同様に、国内では同じ方式で、国家は地域から貢ぎ物をさせることで成立していました。
都会に憧れる人も、憧れない人もいます。必ずしもものの豊かさが、憧れとはなりません。ものの豊かさに憧れなかったアイヌは、国家も作らず、文字も必要としませんでした。

縄文と古代文化
http://web.joumon.jp.net/blog/2019/03/3437.html?g=131202f













Kaimotu_Hatuji: アイヌ民話とカナダ古代民話の烏・八咫烏
2019-09-02
神話と導きのトリックスター ワタリガラス・ヤタガラス 雑考
 ヤタカラス ワタリガラス 古代史 アイヌ史考察
ファースト・ネーション(カナダ先住民)神話のRaven(ワタリガラス)
ワタリガラス(Raven)はトーテムポールで羽根をひろげる「海を渡る」カラスだ。先住民の神話では、世界に光をもたらした創造主、最も重要な文化的なヒーロー、何事をも可能にする、いたずら好きで、ずる賢さも兼ね備えた手品師のような存在として位置づけられている。マジックを使い天地創造に関係したと云われており、太陽・月・星を空へ、魚を海に、鮭を川へ、食べ物を陸へ導いたとされる(Haida族伝承)
■アイヌ伝説のカラス
アイヌ民族は、北海道、サハリン(樺太)、クリル(千島)に広がって生活していた。
カラスにまつわる言い伝えは多数あり、神の名(カムイ)のついた「カララクカムイ」、年老いた賢者のカラス「オンネパシクル」、人を化かす妖怪的な「ペンタチコロオヤシ」などのバージョンがある。いずれにしても、道に迷った人間が遭遇するというシチュエーションで、正しく導くか(正)、誤った方向に導くか(邪)の存在だ。
アイヌ学者の知里真志保(アイヌ民譚集)は「オンネパシクル」(賢者のカラス)をワタリガラスとした。
■千島列島を渡るワタリガラス
北千島(クリル)〜カムチャツカ半島で繁殖するワタリガラスのグループは、今でも、知床半島にわたり、襟裳岬まで生息する。70センチの大型で目立ち「カポ〜カポ〜」という独特の啼き声は、アイヌや先祖の縄文の人々が島伝いに海をわたるのに、たよりになる「先導者」だったことだろう。
クリルの先にカムチャツカ半島、その先にアリューシャン列島、さらにその先にはアラスカ、北米大陸。オレゴン州では縄文とよく似た遺跡が多数発掘されている。
■知床のワタリガラスとカナダのRavenのつながり(海の道)が、科学的に明らかになる日が来ることを楽しみに妄想している。
旧約聖書の「ノアの方舟」で大洪水をおこした大雨が終わった後、ノアがワタリガラスを放ち、陸地を探した。北欧の神話ではオーディンの先駆け、フギンとムニンの2羽のワタリガラスがよく知られている。世界共通で、目的地を知らせ、「導く者」としてのイメージ。日本神話にも導きの「ヤタカラス、八咫烏」がいる。
トリックスター (trickster)
象徴心理学の草分け・ユングが提唱した「ストーリーの展開を変える者、物語を導く者」
静かな水面に石を投げるがごとく、安定を崩し、新たなストーリーを展開させる。スサノオがそうであるし、中国では孫悟空、欧米ではピーターパンが有名どころ。ネズミ男もそんな感じ。話の筋道を変えるキーパーソンであるがゆえに「善と悪」「創造と破壊」「賢さと愚かさ」「誠実と気まま」・・・二面性が特徴でたいていイタズラ好き(最後は許されるキャラ)。ファースト・ネーションズのワタリガラスはトリックスターそのものだ。
■ヤタカラス神話
熊野本宮大社では「ヤタガラス」はスサノオのお仕えとされる。下鴨社・上賀茂社では「ヤタカラス」は太陽と云われた賀茂建角身命(かもつぬみのみこと)であると伝承されている。繋いでみるとトリックスター(スサノオ)が送り出したトリックスター(ヤタカラス)が「神武東征」神話を展開させる。
頭が混乱するが「ダブル・トリックスター・キャスト」で展開するストーリーが意味するものは何だろうか?とにかく、日本の神話や古代史にも鳥がよく登場する。
開物発事 (id:Kaimotu_Hatuji) 95日前

 ものづくりとことだまの国
https://www.zero-position.com/entry/2019/09/02/050603
 





縄文海人集団の超人的なパワーとハンパない渡海能力
古代史 アイヌ史考察 youtube 縄文スタイル
www.zero-position.com
ワタリガラスは海を島伝いにわたるカラスで、Ravenとしてアラスカ原住民族の神(トリックスター)だ。
はるか古代、縄文海人はワタリガラス・Ravenの導きで「北の海の道」
北海道−千島列島−アリューシャン列島−アラスカー北米(アメリカ)大陸
を移動(場合によっては往来)していたと考えても、まったく不思議ではない。なぜなら、彼らの行き先を妨げるものは、大自然(海原)のほかに何もないからだ。
■北海道と北米大陸 海の道
縄文海人のパワーは、現代人基準で超人的
先日(2019年10月24日)の記事で「超人的な」とあえて書いたが、国立科学博物館・海部陽介さんの研究(日本一マッチョな縄文人集団)がそれを証明していると思う。ここは開物の考えだが、縄文海人の骨格の太さ(容積比)を、例えば現代人の約1.1倍と考えると、そのパワーは1.1倍以上になる。なぜなら、それだけの上腕骨格と筋量があるということは、対応して、背筋・大臀筋(おしりのきんにく)・股関節周辺の筋量も多く、骨格もしっかりしていたはずだ。結果としての「総合的なパワー出力」は現代人とは比べ物にならないレベルにあったのは間違いないだろう。
日本一マッチョな縄文人集団より
readyfor.jp
プラス、豊富な航海の技量と海の知識
このような基礎体力にプラスして、季節ごと・時間ごとの潮の流れを読み、また沿岸や島の地形を読み、海を渡り超える。海に命を懸けるプロフェッショナル集団、古代には彼らの行き先を妨げるものはなかった、つまり、無敵の自由移動集団といってもよかっただろう。そして日本海に関していえば、縄文海人(とその伝統集団)でなければ海域の長い移動は困難。たとえば渡来系の人々にとって、列島への道行きは海人たちの協力がなければ「一方通行」ということ。
海人の日本海周辺への拡がりという視点での「渡来民族」の考察があってもいいんじゃないかと考えている。海を渡った縄文人・ケルプハイウェー、ワタリガラス、フォートロックサンダル(Youtube)
最近、北米・アイダホ州で縄文に似た遺跡(石器)が発見されて話題になっていた。あらためて情報を整理している。ところでアイダホ州の西隣が「海の道」にあたるオレゴン州。同州でも、すでに縄文の可能性がある遺跡が、複数、発見されている。これらの遺跡の時代(約一万年前)は今よりも温暖であったことが前提だ(縄文海進期)
ご存知の方も多いと思うが、2年前、佐々木蔵之介さん出演の面白い番組があったのでリンク(42分)
*生物大絶滅と縄文人の謎(BS-TBSより)
www.youtube.com
開物発事 (id:Kaimotu_Hatuji) 40日前

 ものづくりとことだまの国
https://www.zero-position.com/entry/2019/10/26/130000
https://www.zero-position.com/entry/2019/09/02/050603

YouTube
https://youtu.be/lJCLD7g7OvM


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2019年08月01日

性器崇拝

○性器崇拝
多摩市の落合地区にあった神社に、男性の性器を模(かたど)った柱があった。
神のことを「柱」と数えるのは、このことに関係があるのかもしれない。と、私(黒田康太)は思う。
なぜならば、『古事記』の冒頭に
 <独神(ひとりがみ)と成り坐(ま)して、身を隠しき。>
というくだりがあるからである。
つまり、そもそも最初の神はイザナギとイザナミのようなカップルではなく独身の神であったらしい。
そこで、手っ取り早く性器で数え「柱」という日本語学者チェンバレンの命名による名付け数詞を用いたのではないかと私(黒田康太)は思う。
また、男神と女神が出てきても
「天(あま)の御柱(みはしら)」
などがさらにあるのは、もしかしたら性器崇拝がすでに太古からあったようにも、思えるのだが、……。
しかし、上の記述は間違っているかもしれない。
いろいろなところに、性器崇拝の面影が残っている。例えば、
擬宝珠(ぎぼし)
である。橋の欄干に付いている柱の上端。
そこには、宝珠形の装飾がしてある。
おそらく、そのデザインのルーツは男性のもの(オチンチン)であろう。と、私はいつも個人的に思う。
さらに前の時代である。それが恥ずかしいことなどと思ったりすることはなく、神聖なことだと考えたのである。
例えば川崎市多摩区にある川崎市教育委員会が立てた「五所塚と権現台遺跡」。
そこには、
「男根を模した二本の石棒が据えられ、狩猟にまつわる祭りを行ったと思われる」
などと記述されている。私も、まったくその通りだと思う。
○性器の暗喩
実際に言ってはいけないことを差し障りなく言ったり、書いたり、作ったりすることがある。
そのような例は、宮武外骨の著作や国芳の浮世絵にある。伏字(ふせじ)やだまし絵などにすることも多い。
(注) 宮武外骨(みやたけがいこつ 1867〜1955)は、作家・文化史家。大阪で「滑稽新聞」を発行。著作は、『筆禍史』など。
歌川国芳(うたがわくによし 1798(寛政9)〜1861(文久元))は、江戸時代末期の浮世絵師。
葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、「奇想の絵師」として注目される。
『水滸伝』のシリーズが評判となり、30歳を過ぎて人気絵師になった。多くの門弟がいて河鍋暁斎も、その一人。
布田駅北にある常性寺の境内におられる像。
日本では七福神と言い、神の一人。
しかし、もしかして布袋さまだったら実在した人物かも。
七柱の中に一人だけ、歴史上の人物がいるらしい。
それはともかく、ここでは弥勒菩薩の化身と考えておこう。でも、何に座っているのか? 
大黒さまだと、米俵に乗っていることが多い。また、寿老人や福禄寿だと鹿や鶴に乗ることもある。
私は、非常に不遜なことを考えている。この神さまの下にある袋状のものについて。
つつじヶ丘駅北口前にある金竜寺。その境内。
いったい何で下のような像が、由緒のある寺の境内にあるのだろうか。
おそらく、前に突き出ている二つのフグリ、つまりキンタマに意味があるのであろう。
この狸では、大きさがあまり誇張されていない。
それでも、手足と比べて大きいことは事実。
また、境内に多くの狸を祀っている寺が、千歳烏山駅北にあった。常福寺である。
その謂(いわ)れなどについても住職に聞くなどして、調べてみたいとも思う。
野川の又住橋の左岸(東)側にある石龍本店にあった。いわゆる狸である。
腹が出ているところは、上の神さまと同じ。しかし、狸だけあってオチンチンの袋も大きい。
俗に言う「狸のキンタマ八畳敷き」である。後ろには、観音様がましますのに、左側の手水(ちょうず)の前には桃。それが、何を表わすかは狸の向きからも自ずと明らか。
言うか言わないかで、世の中のものは露骨なことを暗喩していることが多い。
日本の神さまが、「○おおらかなセックス問答」で述べたように、はっきりと言わなくなってしまったのは、かなり後のことである。と、私は思う。
さらに、詳細は「布田駅周辺」の「○野川沿岸」をどうぞ。
なお、たぬきのキンタマが実際に大きいのかどうかを私は調べたわけではないのでわからない。
歌に、
<たんたん狸のキンタマは、風もないのにブーラブラ。……>
とあるくらいだがら、少なくとも目立つことは事実かもしれない。
○摩羅・金玉・ペニス
摩羅と金玉とペニスは、間違いやすい。
確認のために、蛇足ながらまとめておこう。
「摩羅」(まら・マラ)
は、「摩」の字を「魔」として「魔羅」と書くこともある。
サンスクリット語の「マーラ」の音写で、そもそも「障害」の意味。
それが、仏教の言葉として
「修行や善事を妨げる悪神」
「魔王、つまり欲界第六天の王」
「悟りの妨げとなる煩悩」
などを意味するようになった。
後に転じて、排泄する意味の「まる」までを含むようになった。
「おまる」などという言葉は、いまだに用いられる。
それが、なぜか男性の「陰茎」「男根」「ペニス」にまで及んだ。
もしかしたら、「悟りの妨げとなる煩悩」と関係があるのかもしれない。
金玉(きんたま・キンタマ)
は、文字通り「金色の玉」。しかし、俗称として「睾丸」(こうがん)を意味する。
つまり、男子の金の玉である。ふぐりということもあるようだ。
ペニス(penis)は「陰茎」「男根」のラテン語で、医学分野で用いられる言葉。
しかし、ここではあまり厳密な意味で区別をしない。
金玉(キンタマ)は、実際にはペニスと一体(または対(つい))にして考えたほうがよいのかもしれない。
狸(たぬき・タヌキ)の像や図では、棒状(男根・ペニス)の部分は小さく、むしろ金玉(ふぐり)の部分が非常に大きくなっている。
ペニスの部分に限って言うならば、哺乳類の場合身体に対していちばん大きなのは、どうやら人間みたい。
また、「体のサイズに対して、ペニスがいちばんでかいのはフジツボ」。
ただし、これはテレビドラマの中でドクターHOUSEが言った会話なので、私には真偽のほどはわからない。

青空のホームページ
http://www.geocities.jp/rikwhi/riko/bun_anritu/kami_gainen.html






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2011年02月03日

ウトナピシュティム

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地の果てのある島に、世界でただひとりの死をまぬがれた人間が住んでいるという事をギルガメシュは知った。かなりの老人で、名前はウトナピシュティムという。ギルガメシュはこの老人に会って永遠の命の秘密を教わろうとした。
ギルガメシュはただちに旅路についた。そして長く旅を続け、ついにその島にたどりついた。島は一対の峰が天にとどき、はるか地獄の奥底にまで裾野がとどく山があった。山の前には重々しい入口があった。そして入口には半分人間、半分サソリの怪物が大勢で番をしていた。
ギルガメシュは怪物たちに、老人に会いたいと言った。怪物たちはギルガメシュの体格、存在に感じ入って扉を開けた。
扉の中は暗く、進むごとにさらに暗さは増していった。闇に終わりがないと思われた刹那、一陣の風が吹いて一条の光が闇を縫って刺し入った。ギルガメシュは宝玉がたわわに実る木々にかこまれていた。地上の楽園だった。ギルガメシュはさらに老人のいる場所目指してすすんだ。やがてどこからみても旅の宿だと思われる一軒の家が目に入った。その家にはシドゥリという女が住んでいた。
シドゥリは言った。
「あなたの探していらっしゃるものは見つけ出す事が出来ないものですわ。だって、死というものは神様が人間をおつくりになった時、神様は人間の取り分として人間に死をお与えになったのです。ですから分け前分だけの命をお楽しみくださいませ。飲んだり食べたりして楽しく過す。それが生きる事の意味でしょう?でもどうしてもお行きになされるのなら大洋を渡っていく必要があります。この家にいる船頭ウルシャナビに案内させましょう。」。
ギルガメシュはウルシャナビが乗る舟に乗り老人のいる島に向かった。ウルシャナビはウトナピシュティムのおかかえの船頭だった。
その海の水は死の水だった。触れると人は死んでしまう。そのため、舟のオールは水に濡れるたびに捨てる必要があった。やがて2人はオールを使い果たし、舟はただよう他なかった。やがて舟はウトナピシュティムのいる島に打ち寄せられた。そこにウトナピシュティムが立っていた。
船頭ウルシャナビはウトナピシュティムに事情を伝えた。
老人の目に遠いものをみるような色が浮かんだ。そしてウトナピシュティムは面をあげてギルガメシュに微笑んだ。
「よろしい。秘密を教えよう。」。
こう言って、ウトナピシュティムは、昔神々がおこした大洪水の話、知恵の神エアが風をおこして警告をした話をはじめた。
「風の音で小屋の格子がカタカタ鳴った。エアの合図だと思った。わしはエアの合図に従い、一そうの方舟をこしらえた。松ヤニやアスファルトでしっかり表面を塗り固めてな。そして家族と家畜と一緒にその方舟に乗った。海の水かさが増してきた。嵐は猛り狂った。稲妻がはしった。嵐は七日七夜続いた。方舟は水の上をさまよった。
七日目、方舟は世界の果てにあるある山にのりあげた。わしは、水がひいたか調べるため1羽の鳩を舟から放った。鳩はすぐに戻ってきた。とまる場所がないという事じゃ。次に1羽のツバメを舟から放った。ツバメはすぐに戻ってきた。とまる場所がないという事じゃ。次に1羽のカラスを舟から放った。カラスは戻ってこなかった。わしは家族と家畜をうながし、神に祈りを捧げた。そこでふたたび風の神が風をひとふき吹いた。すると舟はまた流され、この島に流れついた。以来、わしはこの島に住んでおる。」。
ギルガメシュはこの話をきいて、不死を求めてのこの旅が無意味である事を悟った。ウトナピシュティムが永遠の命を得たというのは、神の特別の計らいによるものだった事がわかったからだ。
老人は英雄の疲れきった表情をながめ、眠るよう言った。
ギルガメシュは6日6晩眠った。そしてふるさとウルクへ向かった。
-H.ガスター著「世界最古の物語」

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エア(Ea):バビロニアの神で、天の神アヌの子。シュメール神話の水神エンキに相当する。
神々を滅ぼそうとしたアプスーを倒し、ダムキナとのあいだにマルドゥクを儲ける。
祖父アンシャルの許しを受け、息子の代わりとしてティアマトに立ち向かうが恐れをなして退却。のちにマルドゥクがティアマトを倒した際、息子に命じられて太陽の統治を任された。また、キングの骨と血から人間を創造した。
『ギルガメシュ物語』では知恵の神とされ、ウトナピシュティムに方舟を作るように命じる。

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http://blogs.yahoo.co.jp/hama0saya/9331477.html




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