紋次郎・ほっつきある記
壱拾壱
主筆生田淳一郎
■アイヌ語ohontoki(肛門)の語源
ひたい中央上部には,外見では「そこに目みたいなものがある」とは思えないのだが,多くの人はここで「本来見えないもの」を見ることができる。「心眼」でもある。
アイヌ語で肛門のことを ohontoki という。この語源があらかた解ったので,ここに記し残しおきたい。
toki は「片目神」と直訳していい。tok が片目で-i は「○○の神」である。
前半分の ohon は,今の時点では二つの意味がでてくる。
一つは n を発生の助音としての infix と見る視点。これでは oho はフクロウと「古い古い大陸〜極東規模の神・オボ」。
二つめは「 o(尻にある) hon (ほんとうの)」という意味を吐きだす。もしかしたら50文化から派生した ho(秀)かもしれないが,ここはアイヌ語,外して考えるべきだろう。
表現がヘタクソなので,上は3〜5度讀み返していただきたい。そして下記項目のoho honなどを再び当てはめて頂きたい。
※日本語に曾てあった tok は,今は失われた。だが,徳川,徳山などの toku は間違いなくこれだと思える。
恐らく「床屋」とか「ごとく(神・tok)」の語源にもなっているのだろう。
香春丘〜宇佐に入った秦氏の動きにも tok が絡んでいた(サラセッセご教授)。
tok(片目)はウイルタ語に残っている。
「ウイルタ語ならアイヌ語ではないじゃないか」という反論が聞こえてきそうだが,ここはあっしが到達した「潜在モザイク語彙観」を説明せねばならない。
紙面を喰うにで後日に譲る。
ただここでは,tok はカニシの狂執であり,文化語であることに注目されたい。
tok は「天目一箇神」に通じる。後世に「片目」となったが,その前は「ひとつ目」であり,謂わんとしていたことは額中央の目だったにちがいない。
だから,「そんなもんじゃないんだ」という必要から“隻眼”という用語もできた。……が,大衆のわかり易いところで“隻眼”は再び「片目」になっちまった。
ひたい中央の心眼の目はいつのまにか片目,ひとつ目におきかえられて,片目は無条件に尊敬されるようになった。
伊達政宗は隻眼ゆえに金属製錬士たちの底力をひき出すことができた。
「めくら」も無条件に尊敬されたが,この理由は似ていて非なるものがある。
アイヌ語 tokkoni(蛇)や台湾ブヌン語の tokkon(松)なども金属製錬の狂執が生んだ派生として捕捉できよう。
※フクロウはウインクするのだろうか。
ついさいきんも豊島(本人さんたちは知らなかったが,豊島はフクロウという意味)の私立博物館が売り出したフクロウの置き物にもウインクしたスタイルがあったので,問い合わせたがわからなかった。
フクロウがウインクするかどうかは,ここ数年,あっしの宿題になっている。
もし,フクロウがウインクするのなら,フクロウが金属製錬の守り神に選ばれた理由がハッキリするのだが,いまのところファジーである。フクロウがなぜ金属製錬の鳥となったかがわからなくては,ここの解釈もふやけてくるのだ。
台湾ブヌン語 ; poht(木菟)が津軽に上陸して「モホ」となった。恐らくは気仙沼か宮古(市)が出港地だろうが,このモホの訛りのオホ(遠野方言 ; フクロウ)はアイヌに持ち込まれた。アイヌではフクロウの心として縫い箔を「オホ」と呼んだ。縫箔の模様はフクロウを形どったものを感じさせる。
※遠野方言は九州や出雲の方言を多分に写している。もしかしたら「オホ」は九州とかほかの方言を写しているのかもしれない。出雲でのフクロウはフルツクで ネパール語のbhulka(フクロウ)の語形をとどめている。
オホはオボに似ている。オボは蒙古の低い石垣で囲まれた神社で,この形式は福岡県嘉穂郡の高倉山の頂上にもある。takat(権力)kra(座)。
※ネパール語 honehar は「ひじょうに」という意味。この場合の har は表情なので,差し引くと hon(-ai )に,「ほんに,ほんに」とシナの「本」が残る。
そこで,ohontoki を再構築してみる。
出てくるものは『尻の・本筋の・心眼神』しかないのではなかろうか。
では,なぜ「真の心眼神」なのか,このままではイマイチ中間説話に欠けていよう。
神のマークは世界一様に「*(ディンギル)」である……といえば完全なご理解がいただけようか。
天上界からおりてくる「いのちの光の子や神は」,直立した人間だけに,人間の背骨を柱(神のヨリシロ)として頭上から背骨に降りてくる。
子種は三本足のうちのまん中からカミナリとなって迸り出る。柱の基底部にはディンギルの神の目が(神から)つけられていたのだ。
シリから睨まれたという落語……由縁なしとしないのである。
■キセルとスセリ姫
日本語と音韻(発音グセ)が似ているよその言語で日本の地名人名を解釈すれば, いくらでも意味をつけることができる。アイヌ語などはそのいい例である。だから,第三言語と日本語の親疎を知る手がかりは普通名詞や動詞での「意味が明瞭な語彙のあいだで」類似語彙の絶対数がまず調べられ,例挙されねばならない。
ネパール語と日本語とのあいだには,似ている語彙が次々と出てきている。それは日本語の中の「意味が確定してない地名や人名の領域で」ネパール語で解釈できるというのではない。
あっしが書ぇた『衝撃のネパール語』での「普通名詞・動詞などでの類似」は原稿〆きり時点で960だったが,その後の追跡で去年のいまごらぁ1015に達していた。このごらぁサボってるハンデ数えていねぇが,総計1050にはなっている筈である。
そういう類似語摘出作業をやっていると「こいつら,何かの関連がないわきゃねぇんだが,決め手がない……」という一種の類似に遭遇すること屡々である。そーゆーコングラの一つにきざみ莨(タバコ)のときに使う道具の“キセル”がある。
二個あるいは数個一度の語彙比較での結果の信ぴょう性が問われるとき,その対比作業に携わっている人間が,それまで何個の言語との対比作業をやった経験があるのか……もモンダイとなる。
物ごとは極端に考えるとわかりが早い。人間がサルだったころからの氏族語のすべてを知ってる人が言語比較をやったのなら,親疎関係が掌(たなごころ)「「を指すように峻別されながら,すべての「国語」は親戚関係となる。
あっしゃ20ヶ未満しかやっていねぇ。
だが,「セル」などという音を聞いて浮かぶ内意は,1,人絹みたいな生地2,押す,競うという日本語3,キセルのセルしかない。
そこへネパール語の*sel(火をつける,火がつく)が呈示される。
キセルの「キ」がなにか道具を示すものなら,ネパール語は古代では“強い言語”だったので,形容詞後置形のクセをもった別の言語から“キセル”が日本語に流入したことが推測される。
喫煙……といえば,世界中でいま一種類の葉っぱが吸われている。しかし,一定の草を燃やしてその煙を吸ったり噛んだりする習慣は,今の葉っぱが普及される以前にも,かなりあちこちで,見られた現象だと思える。シャーマンは必ずといってよいほど,そのような麻薬じみた草を持っている。
麻薬にやられてふらふらになることを日本語でも「ラリっちゃって」というが,ネパール語には「途方に暮れる・ぼんやりしている」の意味で ralli- がある。たばこを「ふかす」というが,ネパール語 hukka に「水ぎせる」の意味がある。
火を燃やし,蒸溜して得られるショーチュー arakki が世界語であることは,既にのべた。
睨みつけた*sel の傍らに suseli-(口笛を吹く)がある。そして日本古代にはスセリ姫がいた。音価は全く同じである。紀記に出て来るククリヒメはスサノオに禊のやりかたを教えてkhukuri は「刀」なので,ククリヒメがネパール語で名づけられたことはまちがいない。
だが,スセリ姫と口笛とは何のつながりがあるのか……ワカラン!あっしは放っておいた。
だが,気になる……。su は朝鮮語で「鉄」がでる。末尾のli は「人・神」。語頭の S は強調接頭辞。ならば,use には「大・男」がいえるではないか……。
しかし,しかし,そう解釈すると li は「婦人」にしかならない。li = 女性という断わりはムリである。……やっぱ,抛りだしたほうがいい。
ところが,「これ讀んだら?」と言ってK氏が持ってきてくれた西宮紘著『縄文の地霊』工作社刊に,古代で口笛を吹くという行為は「いいよ」という合図であるという。そういえば,子供のとき夜に口笛を吹いたら,おふくろから「どろぼーを呼び込む」と注意された。
ネパール語の susil には「やさしい・おとなしい・礼儀正しい」がある。これなら女性らしい名前になる。
ネパール語があまり喋られなくなった環境で,suseli と susil の区別が失われていくうちに金属製錬の狂執「スセル……鉄・イフキ」を懸けてこの命名がなされたのであろう。
先の分析……S は強調接頭辞,-li は人……のとき,“use”が出てきた。この use は us-ai(e)までいける。uso , oso は古代日本語で「くちをつぼめて物言う」であり,この基底部で両語の一致がみられる。
太宰府天満宮で売られている土笛のウソはこれだろうと思う。ウソ=口笛の方言も多い。善知鳥のウトまでこれが言えるかどうか……は,オラシラン(いや,知っちょる)。
オサルさんは機嫌のいいときには,くちびるを細めて突き出して「うれしさ」を訴える。
イヌが吠えるのも「ウソブキ」のひとつである。
紋次郎はやりきれなさをくち先こめて,長ぇ楊子をフッと飛ばす。
紋次郎・ほっつきある記
http://www.kamnavi.net/you-i/hottuki2.html
ズボラ言語学者とネパール語
紋次郎・ほっつきある記
ズボラ言語学者とネパール語
主筆生田淳一郎
■……1……H12.11.27
古代日本語の秘密を解いてくれるネパール語とは次のようなものです。小生はこれに拠って楽しんでいます。
大野晋教授が日本語の起源地はタミル語だという新説を発表されたとき,日本の言語学者たちは,寄ってたかって,ヤッカミ200%のどぎたねぇ言葉を使って同教授をふくろ叩きにしました。
このため,人間どうしとしての話し合いの場が失われ,学会としてのタミル語の位置も据えられないばかりか,日本語の源流さがしも火が消えたままで放置されるという,野蛮国家ぶりを露呈して現在に至っています。
大野晋教授が日本語とタミル語の間に挙げられた類似語彙は 350 でした。それも日本・タミル両言語に精通した二人のスタッフを雇い入れ,10万余語が載っている辞典を精査してのことでした。ところが小生は5800語彙が載っている『基礎ネパール語事典』から1080 の類似語を得,アイヌ語とのあいだにも 440 の語彙を拾えたのでした。関連語彙がありますので「ネパール語(カトマンズ・公用語)の約半分近くが極東に類似語がある」……ということになります。
なぜこれまで,そんな“大それた”言語がみつからなかったのかといえば,答えはカンタンです。ネパール語やその兄妹語のヒンディー語は西洋言語学者の権威で“西洋語”の系統樹に収められ,そのうえ,日本の言語学者が「音韻対応」という足枷を設定して自縄自縛の愚をやらかしたからでした。
音韻とはその氏族特有の発音グセです。ですから,この現象は高地にいた農業主体のドイツ人が北へ,或いは西北(英国)へ次第々々に移動したあとでは,よその民族との混血もなければ,きれいにその発音グセの推移のあとをたどれましょう。これ理のとうぜんです。
バカといわんかアホウと謂わんか,日本の言語学者はここに見られる言語現象の法則(らしきもの)を,金科玉条として,この極東・日本に適用させてきたのでした。
■……2……H12.11.27
ことばこそ文化の中核です。ことばが同じであり続けるなら,同一言語が広がっているかぎりに於て,習慣・遺伝形質はしだいに均一化されてゆきます。
日本語(沖縄語)がどこの言語と親縁が深いのか……の親戚探しが最高に盛り上がったのは昭和30〜32年の「マタヤス」と呼ばれた人々が活躍した頃です。
折しも朝鮮戦争が終わって,これからいよいよ日本というアイデンティティーに立ち帰る時期でした。
当時は海外各地に派遣されたあと,引き揚げてきた兵士も青壮年で,海外で経験した「日本語と似ている言語」のことをそれぞれ本にまとめて出版したのでした。
その著述のヤリクチは,類似している70前後の語彙を“散文調”で書いてガサを稼ぎ,習慣の類似を添えて「以て,○○語は日本語に近い」という論法ばかりでした。
しかも,このテアイが次から次に現れるという始末で,最初のうちは読者もジャーナリズムも興味を示していたのでしたが,ついに処理し切れなくなって,新しい原稿が持ち込まれるたびに「ああ,またまた件のヤスダのトクさんか……」という反応を示すようになったのです。
この「またまたヤスダのトクさんか」を縮めて「マタヤス」という用語が生まれたのでしたが,その元々の安田の徳さんこそ,この一連の社会現象の火付け役だったのです。
昭和30年を期に安田徳太郎が優秀な出版会社と組んで「レプチャ語起源説」を唱えて,一大ブームを巻き起こしたのでした。『万葉集の謎』,『人間の歴史』などは,今では考えられないほどのベスト・セラーとなりました。当時,これらの本を一冊も読まなかったひとは,ボケ老人か精神病患者ぐらいなものだったでしょう。
安田徳太郎がレプチャ語とのあいだに挙げた日本語との類似語は 200内外でした。
大野晋教授の提唱は,今から20年前ぐらいでしたが,ヤリクチが同じですので,発表の時期があと15 年早やかったら,完全に“マタヤス”として葬り去られていたところでした。
■……3……H12.11.27
金属製錬の風が吹く前では,どこの氏族語でも暮らしに必要な語彙は,“同義語をひとつと看做し”,“精細に区分化された狩猟・解剖の見地でできた語彙”を除外すれば,およそ2600語彙があれば十分でした。(ニンゲン,バカね)。あっしが言うエデン語は,この“絶対数2600”の中で醸し出されているのです。
そのような古代語絶対数・絡みのなかで……「安田徳太郎200・大野晋350の持っている意味と評価」は決定されることとなりましょう。
いろいろと,あちこちハナシを飛ばしてしました。←←← もどる。
安田徳太郎のベスト・セラーぶりは,なにしろキチガイじみた爆発でした。とにかく異状でした。
しかし,それは陰謀によるヤラセではなかったか……。ここに焦点を置いて考えてみると,その2年前の山中襄太先生の偉業が光彩を放つところとなります。山中襄太先生は信州松本での民俗学会で,800もの西洋語との類似語彙(日本語との)を発表しておられたのでした。しかし,この事実はなぜか一般解説書には登場しません。小生は6年前,アイヌ語研究者からの通報で知り,びっくりしたような次第だったのです。
そのとき小生はすでにネパール語をはじめ,15ヶ国語ばかりの言語辞書を読んでいたのでしたが,とにかく山中襄太先生の 『国語辞典』(校倉書房刊 ・\10,000.-)を読んでみました。
山中襄太先生はマタヤスを軽蔑することなく,日本語と関連のありそうな語彙についての,ほかの研究者の記事を刻明にメモし,整理しておられました。この辞典には約1600の語彙項目が掲げられ“読む辞典”としての解説が施されています。
ところが,不思議とヒンディー語,ネパール語が抜けているのです。ギリヤ−ク語,ウイルタ語も辞書がなかったからでしょうか,研究者の足跡がありません。
小生の“辞書読み”は,計らずも先哲の穴埋め作業をやっていたのでした。
■……4……H12.11.28
よその言語を次から次に辞書読みをしてゆけば,「日本語・アイヌ語」との類似語を普通に吐き出す言語と,僅かしか吐き出さない言語があることが判ります。
日ユ(ユダヤ)同祖論は,かなり根づよい信仰をはびこらせましたが,そのユダヤ語(ヘブライ語)の辞書をヂカに読めば,それがどんなにウソっぱちであるかが理解できます。
安本美典著『日本語の誕生』などで紹介されている“ビルマ・ボド語群・ラールング語”での人体語の近似は,まさに人体語だけで,そのほかの潜在(あったかもしれない)類似語彙のほとんどはアンコール・ワット文明の出現によってかき消された事実を知ることができます。
そして多くのマタヤスさんたちが報告したとおり,よその言語には日本語・アイヌ語に似た語彙は普通60〜80を含んでいることが推測されます。また,実際に辞書を読んでみると大略その通りです。
マタヤスさんたちが活躍した昭和30年ごろ,もし2000の類似語を含む第三言語がみつかったとしたら,それはもう,大昔の日本との近似を示す絶対不動の証拠となっていたにちがいないのです。
ところでどうでしょう。ここに1000以上の類似語彙を吐き出す第三言語があって,その言語が日本の古代の制度,天皇名,神名,地名人名に就いて適宜な意味を吐き出すとなったら……?それがネパール語だったのです。
ネパール語はさきに言ったとおりヒンディー語とは兄妹語で,その近さは「日本語 / 沖縄語」の関係以上です。根本的にちがうところは「○○する」をヒンディー語は -na を用いるに対して,ネパール語は -nu を用いる……それくらいです。縄をなう,担う,賄う,あがなう,そこなう……これらはヒンディー語系です。この言葉グセを持った集団も日本列島に上陸したこともあったかもしれません。
しかし,ここにきて香具さんの協力で,傍系ともいうべきパーリ語(サンスクリット語)系の日本列島上陸の事実が浮上したのでした。“旗”はパーリ語系です。八幡・秦氏の素性もそろそろ割れてくる文化段階を迎えています。
かかわりええがござんしたH12.11.28
あっしの古代語追求が拠って立つ姿ァおしらせしやしたハンで,あっし流の言語考古学が神社とか神名とかにかかわる姿をいま少しラクガキさせちいただきやす。
あっしゃ,超古代とか縄文などのマジメな著作がでるたびに,その著者や出版社にA-4 で一枚にまとめた“意味の記事”を送っちいやす。そこに出ている名詞をまず披露しやしょう。希望者はおエメ頂ければお送りしやす。
ムラゲ・ムラジ・諏訪・出羽・熊野・愛宕・神田・ハムキ(鞴)・鹿島・道祖土・サイの神・くなど・三笠・芳賀・馬場・敦賀・駿河・エビス・大黒・ダンジリ・金毘羅・秩父・ウブスナ・イナリ・ナリタ・シンラ・新羅・アマ・佐賀・相模・マタギ・シカリ(マタギの頭領)・有馬・有明・カツマ・マガツ・イクマ・イクメ・イザナギ・イザナミ・アジスキタカヒコネ・イカガシコオ・ククリヒメ・スサノオ・オキクルミ・アイヌ・和気・タケル・高市・イラツコ・イラツメ・ヤマト・ヤマタイ・エカシ・エウカシ・安曇・安藤(安東)・エゾ・エミシ・八幡・ウネメ・ハツセ(長谷)・麿・タカ・花郎・ヘグリ・カツラギ・カスガ・ササキ・ササナミ・藤原・脱解・ヒョッコセ・伊達・草加・オサカベ・タタラ(以上はA-4 いちまいに纏めているもの)。
以上とその他の意味が判りはじめたとき,古代での神概念の発達が解り,童神が出て,ヒミコ・イヨに見られるクマリ信仰……続いてきのふ,インドのカースト制度がほとんどそのままの形でこの日本列島に上陸していた……を発見。
皆の衆がご執心の……タケミナカタトミ・阿波・安房・千葉・船橋・オオイ・ナガスネ・インベ・伊奈・ヒオキ・天の橋立・コノ・などなどの意味も大略のところでわかりやす。皆の衆,神様の名前の意味がワカランで,ようそんなに楽しいもんだと感心しやっせ。
ただ,あっしゃ幼稚園も出ていねぇ。漢字にゃメチャ弱いはで,神様の名前にゃフリガナを打ってくだせぇ。
紋次郎ほっつきある記
http://www.kamnavi.net/you-i/zubora.htm








