2020年10月19日

大摩邇: ひふみ神示第17巻 地震の巻


大摩邇: ひふみ神示第17巻 地震の巻
再掲載 ひふみ神示 第17巻 地震の巻 / (二曰んのキ) 全十九帖 
2020/10/18 10:27
■第一帖 (三七八)
われわれの一切は生れつつある。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。一定不変の神もなければ、宇宙もない。常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生れに生れつつあ る。生もなければ死もない。善も思わず真も考えず美も思わない。只自分自身のみの行為はない。只生れゆき栄えゆくのみである。
善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあ り得ない。何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからであ る。思うことは行為することである。生前、生後、死後は一連の存在であ って、そこには存在以外の何ものもないのである。存在は生命であり、生れつつあ るもの、そのものである。何ものも、それ自らは存在しない。弥栄しない。必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。しかし、その総ては神の中での存在であ るから、それ自体のものはない。善でもなく、悪でもなく、只生れつつあ るのみ。霊人に空間はない。それは、その内にある情動によって定まるが故であ る。また、その理によって一定せる方位もない。また時間もなく只情動の変化があ るのみである。地上人は、肉体を衣とするが故に、宇宙の総てを創られたものの如く考えるが、創造されたものではない。創造されたものならば、永遠性はあ り得ない。宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつあ る。その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのであ る。存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。それは  であり、  なるが故である。  は大歓喜の本体であり、  はその用である。それは、善でもなく悪でもない。真でもなく偽でもない。美でもなく醜でもない。また愛でもなく憎でもない。プラスでもなければマイナスでもない。しかし、善の因と真の因とが結合し、悪の因と偽の因とが結合し、美の因と愛の因とが結合し、醜の因と憎の因とが結合して、二義的には現われ、働き、存在として、またはたらく。善因は偽因と結合せず、悪因は真因と結合しない。これらの総ては、これ生みに生み、成りに成りて、とどまるところを知らない。それは、神そのものが絶えず、鳴り成り、成り鳴りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつあ るがためである。神が意志するということは、神が行為することである。そして、さらに神の行為は、弥栄であ り、大歓喜である。神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、また霊人として霊界に生命する。神の歓喜を内的にうけ入れる霊人の群は無数にあ り、これを日の霊人と云う。神の歓喜を外的にうけ入れる霊人の群も無数にあ り、これを月の霊人と云う。月の霊人の喜びが、地上人として地上に生れてくる場合が多い。日の霊人は、神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、そのままにして神に抱かれ、神にとけ入り、直接、地上人として生れ出ることは、極めてまれであ る。月の霊人は、神の歓喜をその智の中にうけ入れる。故に、神に接し得るのであ るが、全面的には解け入らない。地上人は、この月の霊人の性をそのままうけついでいる場合が多い。日の霊人は、神の歓喜を、そのまま自分の歓喜とするが故に、何等それについて疑いをもたない。月の霊人は、神の歓喜を歓喜として感じ、歓喜としてうけ入れるが故に、これを味わわんとし、批判的となる。ために二義的の歓喜となる。故に、日の霊人と月の霊人とは、同一線上には住み得ない。おのずから、別の世界を創り出すが故に、原則としては、互に交通し得ないのであ る。この二つの世界の中間に、その融和、円通をはかる霊人と、その世界が存在する。これによって、二つの世界、二つの生命集団が円通し、常に弥栄するのであ る。地上人と霊人との間も同様、直接、全面的な交流はあり得ない。それは、別の世界に住んでいるためであ って、その中間の半物、半霊の世界と、霊人がいて、常にその円通をはかっている。以上の如くであ るから、日と月、愛と信、善と美も、本質的なものではなく、二義的なものである。
■第二帖 (三七九)
天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。何故ならば、自らなる段階的秩序を破るからである。秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。しかし、同一線上に於ける横の交流は、可能である。それは丁度、地上に於ける各民族がお互に交流し、融和し得るのと同様である。総て分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。分類しては、生命の統一はなくなる。其処に、分離と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。一なるものは、平面的には分離し得ない。二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。 *については一なるも、*に於ては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。しかし、大歓喜にまします太神の  は、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である。生前の形式は、生後の形式であり、死後の形式である。即ち、死後は生前の形式による。形式は愛と現われ、真と現われ、善と現われ、美と現われる。而して、その根幹をなし、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式なく、存在は許されない。愛の善にして真の美と合一しなければ呼吸せず、現の現人にして霊の霊人と合一しなければ生命しない。これら二つが相関連せるを外の真と云う。外の愛も外の真も共に生命する。人間に偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。故に、外部的にまげられたる働きの許されてあるを知ることができるであろう。許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。浄化し弥栄しゆく悪は悪でなく、偽は偽でない。動かざる善は善でなく、進展せぬ真は真でない。更に善を善とし、悪を悪として、それぞれに生かし弥栄するのを歓喜と云う。歓喜は神であり、神は歓喜である。一から一を生み、二を生み、三を生み、無限を生みなすことも、みなこれ歓喜する歓喜の現われの一つである。生み出したものなればこそ、生んだものと同じ性をもって弥栄える。故に本質的には善悪のないことが知られるであろう。死後の世界に入った最初の状態は生存時と殆ど変化がない。先に霊人となっている親近者や知人と会し、共に生活することもできる。夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再びくりかえすことができるのである。霊界は、想念の世界であるから、時間なく、空間なく、想念のままになるのである。しかし、かくの如き死後の最初の状態は長くはつづかない。何故ならば、想念の相違は、その住む世界を相違させ、その世界以外は想念の対象とならないからである。而して、最初の状態は、生存時の想念、情動がそのままにつづいているから、外部的のもののみが強く打ち出される。故に、外部の自分に、ふさわしい環境におかれるが、次の段階に入っていくと、外部的のものは漸次うすれて、内分の状態に入っていくのである。内分と外分とは、互に相反するが、霊人の本態は内分にあるのであるから、この段階に入って始めて本来の自分にかえるのである。生存時に於ては、地上的な時、所、位に応じて語り、行為するが為に、限られたる範囲外には出られないが、内分の自分となれば、自由自在の状態におかれる。生存時に偽りのなかった霊人は、この状態に入って始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらくのである。偽りの生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かうのである。かくすることによって、生存時に於ける、あらゆる行為が清算されるのである。この状態に入ったならば、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮する。故に、同一の環境には住み得ないのである。かくして、諸霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、且つ行為することになる。そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。
■第三帖 (三八〇)
愛の影には真があり、真の影には愛がはたらく。地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在する。地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人は呼吸しない。地上人は常に霊界により弥栄する。
弥栄は順序、法則、形式によりて成る。故に、順序を追わず、法則なく、形式なき所に弥栄なく、生れ出て呼吸するものはあり得ない。個の弥栄は、全体の弥栄である。個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄する。個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合は益々強固となるのが神律である。霊界と物質界は、かくの如き関係におかれている。其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、栄えゆくのである。更に、極内世界と極外世界とが映像され、その間に中間世界がまた映像される。極内世界は生前、極外世界は死後、中間世界は地上世界である。極内は極外に通じて*を為す。すべて一にして二、二にして三であることを理解せねばならない。かくして、大神の大歓喜は、大いなる太陽と現われる。これによりて、新しく総てが生れ出る。太陽は、神の生み給えるものであるが、逆に、太陽から神が、更に新しく生れ給うのである。 *は絶えずくりかえされ、更に新しき総ては、神の中に歓喜として孕(はら)み、生れ出て、更に大完成に向って進みゆく。親によって子が生れ、子が生れることによって親が新しく生れ出ずるのであることを知らねばならない。されば、その用に於ては千変万化である。千変万化なるが故に、一である。一なるが故に、永遠である。愛は愛に属する総てを愛とし、善となさんとするが故に悪を生じ、憎を生じ、真は真に属する総てを真とし美となさんとする故に偽を生じ、醜を生ずるのである。悪あればこそ、善は善として使命し、醜あればこそ、美は美として生命するのである。悪は悪として悪を思い、御用の悪をなし、醜は醜として醜を思い、御用の醜を果たす。共に神の御旨の中に真実として生きるのである。真実が益々単にして益々充実し、円通する。されば、 *の中の*の中なる*の*の中なる一切万象、万物中の最も空にして無なるものの実態である。これが、大歓喜そのものであって、神は、この*に弥栄し給えるが故に、最外部の外にも弥栄し給うことを知覚し得るのである。始めなき始めの*の真中の真空にいますが故に、終りなき終りの*の外の無にいまし、中間に位する力の  の中に生命し給うのである。一物の中の  なるが故に一物であり、万象万物であることを知覚しなければならない。生前の様相であり、呼吸するが故に死後の呼吸とつづき、様相として弥栄ゆるのである。神が生み、神より出て、神の中に抱かれているが故に神と同一の歓喜を内蔵して歓喜となる。歓喜に向かうとは親に向かうことであり、根元に通ずることである。世をすて、外分的、肉体的諸欲をすてた生活でなければ、天国に通じ得ぬと考えるのは誤りである。何故ならば、地上人に於ける肉体は、逆に霊の守護をなす重大な役目をもっているからである。地上人が、その時の社会的、物質的生活をはなれて、霊的生活にのみ入ると云うのは大いなる誤りであって、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みであることを知らねばならない。天国をうごかす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒である。地獄は天国あるが故であり、暗黒は光明あるが故である。因が果にうつり、呼が吸となりゆく道程に於て、歓喜は更に歓喜を生ず。その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、また、強力に制しようとする。呼が強くなれば吸も強くなり吸が長くなれば呼もまた長くなる。故に地獄的なものも天国的なものも同様に、神の呼吸に属し、神の脈うつ一面の現われであることを知らねばならない。天国に限りなき段階と無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階と無数の集団がある。何故ならば、天国の如何なる状態にも対し得る同様のものが自らにして生み出されねばならぬからであって、それにより、大いなる平衡が保たれ、呼吸の整調が行なわれるからである。この平衡の上に立つ悪は悪ではなく、偽は偽でなく、醜は醜でなく、憎は憎でなく、また地獄は地獄でない。地獄は本来ないのである。また、この平衡の上におかれた場合は、善も善でなく、美も美でなく、愛も愛でなく、そこでは、天国も天国ではない。只ひたすらなる大歓喜が弥栄ゆるのみである。
■第四帖 (三八一)
同気同類の霊人は、同一の情態で、同じ所に和し、弥栄え、然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ。生前の世界は、地上人の世界の原因であり、主体であるが、また死後の世界に通ずる。同気同一線上にいる霊人たちは、且って一度も会せず語らざるも、百年の友であり、兄弟姉妹である如くに、お互いに、その総てを知ることができる。生前の世界に於ける、かかる霊人が肉体人として生れ出でた場合の多くは、同一の思想系をもつ。但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に相会し、相語られざる場合も生じてくる。また、生前の生活と同様のことを繰り返すこともある。霊人の同一線上にある場合は、その根本的容貌は非常に似ているが、部分的には相違し、同一のものは一つとしてない。そこに、存在の意義があり、真実の道が弥栄え、愛を生じ、真が湧き出てくるのである。生前の霊人の場合は、自分自身のもつ内の情動はそのままに、その霊体の中心をなす顔面に集約され、単的に現われていて、いささかも反する顔面をもつことは許されない。一時的に満たすことはできても、長くは続かない。この情態の原理は、地上人にも、反影している。生前の世界は、以上の如くであるから、同一状態にある霊人が多ければ、その団体の大きく、少なければ、その集団は小さい。数百万霊人の集団もあれば、数百、数十名で一つの社会をつくる団体もある。各々の団体の中には、また特に相似た情動の霊人の数人によって、一つの家族的小集団が自らにしてでき上がっている。そしてまた、各々の集団の中心には、その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占め、その周囲に幾重にも、内分の神に近い霊人の順に座をとりかこみ運営されている。若しそこに、一人の場所、位置、順序の間違いがあっても、その集団は呼吸しない。而して、それは一定の戒律によって定められたものではなく、惟神の流れ、則ち歓喜によって自ら定まっているのである。またこれら集団と集団との交流は、地上人の如く自由ではない。総ては  の  を中心として  の姿を形成しているのである。  と  とを、生前の世界に於て分離することは極めて至難ではあるが、或る段階に進むときは一時的に分離が生ずる。しかし、この場合も  は  であり  は  である。これが地上世界の行為に移りたる場合は、不自由不透明な物質の約束があるため、その分離、乱用の度が更に加わって、真偽混乱に及ぶものである。悪人が善を語り、善をなし、真を説くことが可能となるが如く写し出されるのである。生前界では、悪を意志して悪を行なうことは、御用の悪として自ら許されている。許されているから存在し行為し現われているのである。この場合の悪は、悪にあらずして  の  であることを知らねばならない。即ち、道を乱すが故である。地上人の悪人にも善人にも、それは強く移写される。愛は真により、真は愛により向上し、弥栄する。その根底力をなすは歓喜である。故に、歓喜なき所に真実の愛はない。歓喜の愛は、これを愛の善と云う、歓喜なき愛を、愛の悪と云うのである。その歓喜の中に、また歓喜があり、真があり、真の真と顕われ、  となり、  と集約され、その集約の  の中に  を生じ、更に尚  と弥栄ゆる。生前の世界、死後の世界を通じて、一貫せる大神の大歓喜の流れ行く姿がそれである。大神は常に流れ行きて、一定不変ではない。千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓喜である。完成より大完成へ向い進む大歓喜の呼吸である。されど、地上人に於ては、地上的物質に制限され、物質の約束に従わねばならぬ。其処に時間を生じ、距離を生じ、これを破ることはできない。故に同時に、善と悪との両面に通じ、両面に生活することとなるのである。其処に、地上人としての尊きかなしさが生じてくる。霊人に於ては、善悪の両面に住することは、原則として許されない。一時的には仮面をかむり得るが、それは長くつづかず、自分自身 耐え得ぬこととなる。地上人と雖(いえど)も、本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。しかし、悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。悪と偽に、同時にはいることは、一応の必要悪、必要偽として許される。何故ならば、それがあるために弥栄し、進展するからである。悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となるからである。霊物のみにて神は歓喜せず、物質あり、物質と霊物との調和ありて、始めて力し、歓喜し、弥栄するからである。霊は絶えず物を求め、物は絶えず霊を求めて止まぬ。生長、呼吸、弥栄は、そこに歓喜となり、神と現われ給うのである。霊人も子を生むが、その子は歓喜である。歓喜を生むのである。
■第五帖 (三八二)
全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している。故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。故に、歓喜が生ずる。本質的には、善と真は有であり、悪と偽は影である。故に、悪は悪に、偽は偽に働き得るのみ。影なるが故に悪は善に、偽は真に働き得ない。悪の働きかけ得る真は、真実の真ではない。悪は総てを自らつくり得、生み得るものと信じている。善は総てが神から流れ来たり、自らは何ものをも、つくり得ぬものと信じている。故に、悪には本来の力はなく、影にすぎない。善は無限の力をうけるが故に、益々弥栄する。生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様である。生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ている。生前の行為が生後審判され、酬いられているのではあるが、それは、悪因縁的には現われない。そこに、神の大いなる愛の現われがあり、喜びがある。悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に現われるのではない。何故ならば、大神は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現われなるが故にである。地上人的に制限されたる感覚の範囲に於ては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果を来す場合もあるが、それは何れもが弥栄である。これを死後の生活にうつされた場合もまた同様であって、そこには地獄的なものはあり得ない。川上で濁しても川下では澄んでいるのと同様である。要するに、生前には、地獄がなく、生後にも、死後にもまた地獄はないのである。この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠に生命する真相を知らねばならぬ。しかし、天国や極楽があると思念することは既に無き地獄を自らつくり出し、生み出す因である。本来なきものをつくり出し、一を二にわける。だが、分けることによって力を生み弥栄する。地獄なきところに天国はない。天国を思念する処に地獄を生ずるのである。善を思念するが故に、悪を生み出すのである。一あり二と分け、はなれてまた、三と栄ゆるが故に歓喜が生れる。即ち、一は二にして、二は三である。生前であり、生後であり、死後であり、尚それらの総ては  である。  は  であり  であり、  と集約される。故に、これらの総ては無にして有である。人の生後、即ち地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活に、そのままにして進み行く、立体となり、立々体と進み、弥栄する処につきざる歓喜があり、善悪美醜の呼吸が入り乱れつつ調和して、一の段階より二の段階へ、更に三の段階へと弥栄浄化する。浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となる。故に、神の中に神として総てが弥栄するのである。悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、以上述べた神の意志、行為、弥栄と離れたものである。歓喜に審判なく、神に戒律はない。戒律は弥栄進展を停止断絶し、審判は歓喜浄化を裁く。このことは神自らを切断することである。裁きはあり得ず戒律はつくり得ず、すべては これ湧き出づる歓喜のみの世界なることを知らねばならない。行為は結果である。思念は原因である。原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む。生前の霊人は、生後の地上人を生む。地上人は死後の霊人を生み、死後人たる結果は、更に原因となりて生前の霊人を生む。  は  となりて廻り、極まるところなくして弥栄える。以上述べた処によって、これら霊人、地上人、地上人の本体が歓喜と知られるであろう。されば、常に歓喜に向ってのみ進むのである。これは只、霊人や地上人のみではない。あらゆる動物、植物、鉱物的表現による森羅万象の悉くが同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至るのみ。故に地上世界の悉くは生前世界にあり、且つ死後の世界に存在し、これらの三は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一つである。生前の呼吸はそのまま生後、死後に通ずる。地上に於ける総ては、そのままにして生前なるが故に、生前の世界にも、家あり、土地あり、山あり、川あり、親あり、子あり、夫婦あり、兄弟姉妹あり、友人あり、また衣類あり、食物あり、地上そのままの生活がある。地上人、地上生活を中心とすれば、生前、死後は映像の如く感覚されるものである。しかし、生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎないことを知らねばならぬ。時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。
■第六帖 (三八三)
霊界人は、その向いている方向が北である。しかし、地上人の云う北ではなく、中心と云う意味である。中心は、歓喜の中の歓喜である。それを基として前後、左右、上下、その他に、無限立体方向が定まっているのである。霊界人は地上人が見て、何れの方向に向っていようと、その向っている方向が中心であることを理解しなければならない。故に、霊人たちは、常に前方から光を受け、歓喜を与えられているのである。それは絶えざる愛であり、真理と受け取られ、それを得ることによって霊人たちは生長し、生命しているのである。要するに、それは霊人たちの呼吸と脈拍の根元をなすものである。地上人から見て、その霊人たちが各々異なった方向にむかっていようとも、同じく、それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる。上下、左右、前後に折り重なっていると見えても、それは、決して、地上人のあり方の如く、霊人たちには障害とならない。各々が独立していて、他からの障害をうけない。しかし、その霊人たちは極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在ではない。各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である。地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。映像として真実であるが、第一義的真理ではない。故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない。内質に於ては同一であるが、現われ方や位置に於いては相違する。故に、霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである。霊人の中では太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長していると云う、地上人には理解するに困難なことが多い。要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、それ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。歓喜のうけ入れ方や、その厚薄の相違はあるが、歓喜することに於ては同様である。歓喜すればこそ、彼の霊人たちは太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、闇を光と感得していることを知らねばならぬ。この霊人たちを邪霊と呼び、邪鬼と云い、かかる霊人の住む所を地獄なりと、多くの地上人は呼び、且つ感じ、考えるのである。しかし、それは本質的には地獄でもなく、邪神、邪霊でもない。霊界に於ては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない。何故ならば、思念による思念の世界につながる故である。現実的にみては折り重なって、この霊人たちが生活するとも、全然その感覚外におかれるために、その対象とはならない。地上人に於ても原則としては同様であるが、地上的、物質的約束のもとにあるため、この二者が絶えず交叉混交する。交叉混交はしても、同一方向には向っていない。そこに地上人としての霊人に与えられていない特別の道があり、別の使命があり、別の自由が生じてくるのである。
■第七帖 (三八四)
地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり、法則がある。霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束を、そのまま霊界では行ない得ない。しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのである。これが、生命の本体であって、限られたる智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もある。しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かすのである。生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのである。本来 悪はなく闇はなく、地獄なきことを徹底的に知らねばならない。これは生前、生後、死後の区別なく、総てに通ずる歓喜である。一の天界に住む天人が、二の天界に上昇した時、一の天界は、極めて低い囚われの水の世界であったことを体得する。更に一段上昇、昇華して三の段階に達した時も同様である。地上人的感覚によれば、二の天界に進んだ時、一の天界は悪に感じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い。悪的感覚と悪的実態は自ら別であるが、この実状を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ない如く、地上人に到りては極めて稀であることを知らなくてはならない。悪を悪なりと定めてしまって、悪は総て祖先より、或いは原因の世界より伝えられたる一つの因果であると云う平面的、地上的考え方の誤っていることは、以上述べた処で明白となり、己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、その考えが悪的であることを知らねばならぬ。来るべき新天地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる。しかし、それが最高の理想郷ではない。更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、努力しなければならぬ。
■第八帖 (三八五)
生前の世界に、霊人が生活している。山があり、川があり、住宅、衣類、食物がある。しかし、それは最初からのものではない。それらの元をなす*が歓喜していた、その*が生後、地上世界にうつされて、地上的約束の下に生長し、秩序されたがため、その結果が、死後の世界につづき、死後の世界の様相は*の原理によって、生前世界に移行して、生前的に進展し、弥栄し、その*を幾度となく繰り返すうちに、漸次、内的*に向って弥栄する面と、外的、地上的に進む*と、その交叉融和することによって更に生み出され弥栄する  と、その各々が各々の立場に於て、すすみ、呼吸し、脈うち、生命していると同時に、全体的にも生命し、歓喜し、弥栄している。而して、その現われとしては、和せば和するほど相離れ、遠ざかりつつ生長する。また、生命の大歓喜として湧き出ている。故に、地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界は、霊人により生み、霊人により育てられると同時に、人々により生み、人々により育てられ、歓喜されるのである。かく弥栄進展するが故に、人類も霊人類も、各々その最後の審判的段階に入る迄は、真の三千世界の実相を十分に知り得ない。故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得し得ない。新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得ない。この新天新地は幾度となく繰り返されているのであるが、何れも  の形に於けるが如く同一形式のものではあるが、同一のものではない。より小なるものより、より大なるものが生れ、より大なるものより、より小なるものが生れ、より新しきものより、より古きものが生れ、より古きものより、より新しきものが生れ、弥栄し、一つの太陽が二つとなり、三つとなり、更には一つとなることを理解しない。月より地球が生れ、地球より太陽が生れると云うことを理解するに苦しむものであるが、最後の審判に至れば自ら体得し得るのである。これは外部的なる智によらず、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得る。新天新地新人はかくして、生れ、呼吸し、弥栄える。しかし、新人と生れ、新天新地に住むとも、その以前の自分の総ては失わない。只その位置を転換されるのみである。地上人が死後、物質的に濃厚なる部分をぬぎすてるが、その根本的なものは何一つとして失わず生活するのである。その状態よりも尚一層、そのままであって何等の変化もないと思える程である。蛆(ウジ)が蝶になる如く弥栄えるものであって、それは大いなる喜びである。何故ならば、大歓喜なる大神の中に於て、大神のその質と性とをうけつぎ呼吸しているからである。総てのものは歓喜に向かい、歓喜によって行為する。歓喜がその目的であるが故に、歓喜以外の何ものも意識し得ない。故に、歓喜よりはなれたる信仰はなく、真理はなく、生命はない。生前の霊人が地上人として生れてくるのも死ではなく、地上人が霊界に入るのもまた死ではなく、弥栄なる誕生であることを知らねばならぬ。歓喜は行為となる。行為せざる歓喜は、真実の歓喜ではない。只考えたり意志するのみでは萌え出でない。生命しない。只意志するだけで行為しないことは、まことに意志することではない。霊界に於ては意志することは直ちに行為となるのである。地上人にありては物質によりて物質の中に、その意志を行為することによって始めて歓喜となり、形体を為し弥栄えるのである。生前の霊界は、愛の歓喜、真の歓喜、善の歓喜、美の歓喜の四段階と、その中間の三段階を加えて七つの段階に先ず区別され、その段階に於て、その度の厚薄によりて幾区画にも区分され、霊人の各々は、自らの歓喜にふさわしい所に集まり、自ら一つの社会を形成する。自分のふさわしくない環境に住むことは許されない。否、苦しくて住み得ないのである。若しその苦に耐え得んとすれば、その環境は、その霊人の感覚の外に遠く去ってしまう。例えば、愛の歓喜に住む霊人は、その愛の内容如何によって同一方向の幾百人か幾千、幾万人かの集団の中に住み、同一愛を生み出す歓喜を中心とする社会を形成する。故に、生前の世界では、自分の周囲、自分の感覚し得るものの悉くが最もよく自分に似ており、自分と調和する。山も川も家も田畑も、そこに住む霊人たちも、動物も植物も鉱物も、総て自分自身と同一線上にあり、同一の呼吸、同一の脈拍の中にあり、それらの総てが、大きな自分自身と映像する場合が多い。自分は他であり、他は自分と感覚する。故に、その性質は生後にも続き、地上人もその周囲を自分化しようとする意志をもっているのである。しかし、地上世界は、物質的約束によって、想念のままには動かない。死後の世界もまた生前と同様であるが、一度 物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくるのである。だが、何れにしても物質世界との密接なる呼吸のつながりを断ちきることは出来ない。物質は物質的には永遠性をもたず、霊は永遠性をもつが、霊的角度から見れば永遠性はもたない。しかし、物質面より見れば永遠性をもつものであり、永遠から永遠に弥栄してゆくものである。而して、永遠性をもつ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめる働きを内蔵している。無は有を無化せんとし、有は無を有化せんとし、その融合の上に生命が歓喜するのである。無は有を生み、有は無を生み出す大歓喜の根本を知得しなければならない。
■第九帖 (三八六)
霊、力、体の三つがよりよく調和する処に真実が生れ、生命する。これは根元からの存在であり用であるが、動き弥栄する道程に於て、復霊、復力、復体の*(うごき)をなす。霊の立場よりすれば、霊は善であって、体は悪、体の立場よりすれば、体は善であって、霊は悪である。悪あればこそ善が善として救われ弥栄する。善あればこそ悪は悪の御用を為し得るのである。悪は悪善として神の中に、善は善悪として神の中に弥栄える。力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命する。故に生前の霊人は、生前界のみにては善なく、生命なく、地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命してゆく。地上人は地上物質界のみの立場では悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄してゆく。而して、尚地上人は死後の世界に通じなければならぬ。死後の世界との関連により複数的悪善におかれる。善悪善の立場におかれる場合が多いために、地上に於ける司宰神としての力を自ら与えられるのである。善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。善のみにては力として進展せず無と同じこととなり、悪のみにても また同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の悪善となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる。地上人のもつ想念の本は霊人そのものであり、霊人のもつ想念の本は神であり、神のもつ想念の本は大歓喜である。故に、地上人は霊人によって総ての行為の本をなし、霊人は神により、神は大歓喜によりて総ての行為の本とする。故に、地上人そのもののみの行為なるものはない。何れも、神よりの内流による歓喜の現われであることを知らねばならぬ。歓喜の内奥より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。霊に属するものは常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない。しかし、差のない立場に於て差をつくり出さねば、力を生み出すことは出来ず、弥栄はあり得ない。すなわち善をつくり力を生み出すところに悪の御用がある。動きがあるが故に、反動があり、そこに力が生れてくる。霊にのみ傾いてもならぬが、強く動かなければならない。体のみに傾いてもならぬが、強く力しなければならない。悪があってもならぬが、悪が働かねばならない。常に、動き栄えゆく、大和の  を中心とする上下、左右、前後に円を描き、中心を  とする立体的うごきの中に呼吸しなければならない。それが正しき惟神の歓喜である。惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。故に、永遠の大歓喜となり、大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝くのである。
■第十帖 (三八七)
地上人は、内的に生前の霊人と通じ、また死後の霊人と通ずる。地上人が、生前を知得するのは、この霊人を通ずるが故であり、死後を知得するのも、また同様に通ずるからである。生前と死後は同一線上におかれているが同一ではない。地上には、物質的形式があり、霊界には霊的形式がある。その形式は歓喜の交叉し、発する処によって自ら成るものである。形式なくしては合一なく、力なく、形式あるが故にものが総てに合一し、弥栄し、力し、大弥栄するのである。形式の中に和することは、その個々が、差別されているからである。差別し、区分せられることは、その各々に、各々が共通する内質をもつからである。共通性なきものは、差別し、区分することができない。霊界と現実界との関係はかかるものであるが故に、常に相応し、力し、力を生じ、また常に、相通じて力を生みゆく。これは、平面的頭脳では、中々に理解しがたいのであるが、この根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じ、永遠に弥栄する大歓喜に住するのである。されば差別は、平等と合一することによって立体の差別となり、平等は差別と合一することによって立体平等となり得る。霊人が地上人と和合し、また地上人が霊人と和合し、弥栄するのは、この立体平等と立体差別との弥栄ゆるが為であることを知らねばならぬ。この二つの相反するものを統一し、常に差別しつつ平等に導き、立体していく力こそ、神そのものの力であり、歓喜である。この二つの力と神の歓喜なくしては、地上人なく、また霊人もあり得ないのである。生成発展もなく神も歓喜し得ない。この力なくしては、地上人は霊人と和し、神に和し奉ることはできない。故に、生命しないのである。
■第十一帖 (三八八)
霊人は、遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。同一線上にいる霊人の言葉は、何れも同一であって共通する。霊人の言葉は、霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通ずるのである。しかし、相手がきくことを欲しない時には聞こえない。それは丁度テレビやラジオの如きものであると考えたらよい。またその語ること、その語音によって、その相手の如何なるものなるかを知り得るのである。即ち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人の如何なるものなるかは、直ちに判明する。霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、その何れかでなくてはならない。しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである。原因と結果とを一つにし、更に結果より生ずる新しい原因も、新しい結果をも同時に表現し、なお言葉そのものが一つの独立せる行為となり、且つ一つの独立せる生きものとなって現われ、行為し、生命するからである。言葉そのものが弥栄であり、生命である。また総てであるということは、地上人には理解できぬであろう。それは、過去が現在であり、未来もまた現在であり、更に生前も、生後の立場においては生後であり、死後の立場においては死後である。また一里先も、百里先もまた千万里はなれていても、同一の場所であるのと同様であって理解するに極めて困難である。だが、地上人に於ても それを知り得る内的な生命をもっているのであるから、理解することは困難であるが不可能ではない。霊人の言葉は歓喜より発するが故に歓喜そのものであり、神の言葉でもあるが、その霊人のおかれている位置によって二つのものに大別し得る。歓喜の現われとしての愛に位置している霊人の言葉は、善的内容を多分に蔵している。故に、柔らかくして連続的であり、太陽の  (ひかり)と  (熱)とに譬えることができる。また、歓喜の現われとして真に位置する霊人の言葉は、智的内容を多分に蔵している。故に、清く流れ出でて連続的ではなく、或る種の固さを感じさせる。そしてそれは月の光と、水の如き清さとを感じさせる。また前者は曲線的であって消極面を表に出し、後者は直線的であって積極面を表に出している。また前者は愛に住するが故に、主としてOとUの音が多く発せられ、後者は智に住するが故に主としてEとIの音が多く発せられている。そして、その何れもがA音によって統一要約する神密極まる表現をなし、またそれを感得し得る能力をもっている。しかし、これらOU、EI及びAの母音は想念の🔍をなすものであって、地上人よりすれば、言葉そのものとしては、感得し得ないことを知らねばならないのである。霊界に於ける音楽もまた同様であって、愛を主とした音楽はO及びUを多分に含み、曲線的であり、真を伝える音楽はI及びEの音が多く、直線的である。それは、言葉そのものが かかる内質をもっており、各々が霊界に於ける生命の歓喜の表現なるが為である。またこれら霊人の言葉は、天的の韻律をもっている。即ち愛を主とするものは、五七七律を、真を主とするものは、三五七律を主としているが、その補助律としては、千変万化である。言葉の韻律は、地上人が肉体の立体をもっている如く、その完全、弥栄を示すものであって、律の不安定、不完全なものは、正しき力を発揮し得ず、生命力がないのである。
■第十二帖 (三八九)
霊人が地上人に語る時は、その想念が同一線上に融和するが為である。霊人が地上人に来る時は、その人の知る総てを知ることとなるのであるが、その語るのは霊人自身でなくて、霊人と和合して体的の自分に語るので、自分と自分が談話しているのである。霊人は現実界と直接には接し得ない。また地上人は霊界と直接には接し得ないのが原則である。しかし、それぞれの仲介を通じていっても、直接行なうのと同様の結果となるのである。為に地上人は直接なし得るものと考えるのである。地上人の想念の中には霊界が映像されており、霊人の想念の中には現実界が内蔵されている。故に、この二つの世界が一つに見えることもあり得るのである。しかし、映像と実相のへだたりは かなり遠いものである。霊人と地上人との交流において、この間の真相を知らねばならぬし、その互に交わされる談話に於ても前記の如くであることを知らねばならない。霊人も地上人も、自分自身と語り、自分自身の中に見、且つ聞いているのである。霊人が地上人に憑依したり、動物霊が人間に憑依したりすることは、前記の如き原則によってあり得ないのである。しかし、外部からの感応であり、仲介された二次的交流であっても、その度の強くなった場合、地上人から見れば憑依せると同様の結果を現わすものである。故に、神が直接、人間を通じて人語を発し、または書記するのではなくして、それぞれの順序を経て地上人に感応し、その地上人のもつそれぞれの人語を使用して語り、その地上人のもつそれぞれの文字を使用して神意を伝達することとなるのである。しかし、神の言葉は、如何に地上人を通じて人語としても、その神に通ずる想念を内蔵せぬ地上人には、伝え得ないのである。語れども聞き得ず、読むとも その真意は通じ得ないのである。霊人の中には、自分達の住む霊界の他に、別の世界が限りなく存在することを知らず、また、その世界に住む霊人を知らず、また物質世界と地上人を知らない場合もある。それは丁度、地上人の多くが、生前及び死後の世界を信じないのと同様である。
■第十三帖 (三九〇)
地上人が、限りなき程の想念的段階をもち、各々の世界をつくり出している如く、霊界にも無限の段階があり、その各々に、同一想念をもつ霊人が住んでおり、常に弥栄しつつある。下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。美も醜となり、愛も憎となり、善も真も そのままにして善となり、真と現われ得ない場合がある。其処に偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意がある。と同時に、 *(真善) *(真善美愛) *(歓喜)  (大歓喜)と現われる神秘なる弥栄があり、悪の存在、偽の必然性などが判明するのである。故に、下級霊人との交流は、地上人にとっても、霊人にとっても、極めて危険極まりないものではあるが、半面に於ては、極めて尊いものとなるのである。下級霊人自身が *(善)なりと信じて行為することが、地上人には * (悪)と現われることが多いのである。何故ならば、かかる下級霊と相通じ、感応し合う内的波調をもつ地上人は、それと同一線上にある空想家であり、極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ性をもち、他の世界を知らないからである。それがため、感応してくる下級霊の感応を、全面的に信じ、唯一絶対の大神の御旨なるが如くに独断し、遂には、自身自らが神の代行者なり、と信ずるようになるからである。所謂(いわゆる)、無き地獄をつくり出すからである。地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばならない。かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。浄化し、改心し得ないものである。また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。総て戒律的の何ものによっても、霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、半面に於て同様の退歩が必然的に起ってくる。それは強(シ)いるが為である。神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ない。戒律あるところ必ず影生じ、闇を生み出し、カスが残るものである。それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、影の世界である。中心に座す太神のお言葉は、順を経て霊人に至り、地上人に伝えられるのであるが、それはまた霊界の文字となって伝えられる。霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成る。直線的なものは、月の霊人が用い、曲線的な文字は、太陽の霊人が使用している。但し、高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなす  と  と  があるのみ。また高度の霊界人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。しかし これは不変のものではなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、地上人の文字に似てくるのである。
■第十四帖 (三九一)
霊界には、時間がない。故に、霊人は時間ということを知らない。其処には、霊的事物の連続とその弥栄があり、歓喜によって生命している。即ち、時間はないが状態の変化はある。故に、霊人たちは時間の考えはなく、永遠の概念をもっている。この永遠とは、時間的なものは意味せず、永遠なる状態を意味するのである。永遠と云うことは、時間より考えるものではなく、状態より考えるべきである。故に、霊人が地上人に接し、地上人に語る時は、地上的固有的な一切をはなれて、状態とその変化による霊的なものによって語るのである。しかし、この霊人の語る所を地上人がうけ入れる時は、対応の理により、それが固有的地上的なものと映像されてくるのである。また、地上人に感応して語る時は、その霊媒の思念を霊人の思念として語るが故に、固有的表現となり、地上人にも十分に理解しうるのである。多くの地上人は、霊人を知らない。霊人には、地上世界に顕現する総てのものの霊体が存在すると云うことを中々理解しないし、霊人は反対に、霊界を物質的に表現した物質地上世界のあることを中々に理解しない。但し、死後の霊人は、相当に長い間 地上世界のことを記憶しているものである。地上人が、何故 霊界のことを理解し難いかと言うと、それは、地上的物質的感覚と、地上的光明の世界のみが、常にその対象となっているからである。例えば霊人とは、地上人の心に通じ、或いは、心そのものであると考えるためである。つまり、霊人は、心であるから、目も、鼻も、口もなく、また、手足などもない、と考えるからである。所が実際は、霊人そのものが手をもつが故に地上人に手があり、指をもっているが故に、地上人に指が生ずることを知らなければならない。しかも、霊人は、地上人より遥かに精巧にできていることは、それを構成するものが精巧であることによって立証されるであろう。霊人は、地上人にまして一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた霊体を有している。霊界に於ける事物は総て霊界における太陽と、太陰とによりて生れてくる。それは、地上に於ける場合と同じである。太陽と、太陰との交叉により生ずる歓喜によって、その生れたるものは更に一層の光輝を放ち、弥栄となる。また、霊界には物質世界の如く空間はない。このことを地上人は中々に理解しないのである。霊界に於ける場所の変化は、その内分の変化に他ならない。霊界に距離はない。空間もない。只、あるものはその状態の変化のみである。故に、離れるとか、分れるとか云うことは、内分が遠くはなれていて、同一線上にないことを物語る。物質的約束に於ける同一場所にあっても、その内分が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっているのである。故に、地上的には、同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万かの世界、及びあらゆる集団も、内分の相違によって、感覚の対象とならないから、無いのと同様であることを知り得るのである。
■第十五帖 (三九二)
霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。故に、其処には霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ。住宅は、その住む霊人の生命の高下によって変化する。霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、また、食堂もあり、風呂場もあり、物置もあり、玄関もあり、庭園もある、と云ったふうに、現実世界と殆ど変りがない。と云うことは、霊人の生活様式なり、思想なりが、ことごとく同様であると云うことを意味する。
また、内分を同じくする霊人たちは、相集まり、住宅は互に並び建てられており、地上に於ける都会や村落とよく似ている。その中心点には多くの場合、神殿や役所や学校等あらゆる公共の建物が、ほどよく並んでいる。そして、これらの総てが霊界に存在するが故に、地上世界に、それの写しがあるのである。霊界を主とし、霊界に従って、地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。地上人は、物質を中心として感覚し、且つ考えるから、真相が中々につかめない。これら総ての建物は、神の歓喜を生命として建てられたものであって、霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る。また天人の衣類も、その各々がもつ内分に正比例している。高い内分にいる霊人は高い衣を、低いものは低い衣を自らにして着することとなる。彼等の衣類は、彼らの理智に対応しているのである。理智に対応すると云うことは、真理に対応すると云うことになる。但し、最も中心に近く、太神の歓喜に直面する霊人たちは衣類を着していないのである。この境地に到れば、総てが歓喜であり、他は自己であり、自己は他であるが故である。しかし、他よりこれを見る時は、見る霊人の心の高低によって、千変万化の衣類を着せる如く見ゆるのである。また、衣類は総て霊人の状態の変化によって変化して行くものである。霊人はまた、いろいろな食物を食している。云う迄もなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。食べられる霊食そのものも、食べる霊人も何れも、食べると云うことによって歓喜しているのである。地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。そして、食べると云うことは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。これらの行為は、本質的には、地上人と相通ずる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合および表現には大きな差がある。食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判らない程である。また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである。そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。すべての善は  より起り、  にかえるのと同様、総ての悪もまた  より起り  にかえる。故に、神をはなれた善はなく、また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。殊に地上人はこの善悪の平衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、悪をとり去るならば、地上人としての生命はなく、また善は無くなるのである。この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だ、と思ってはならない。この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである。地上人は、霊人との和合によって神と通ずる。地上人の肉体は悪的な事物に属し、その心は善的霊物に属する。その平衡するところに力を生じ、生命する。しかし、地上人と、霊人と一体化したる場合は、神より直接に地上人にすべてが通じ、すべてのものの  が与えられると見えるものである。これを、直接内流と称し、この神よりの流入するものが、意志からするときは理解力となり、真理となる。また、愛より入るときは善となり、信仰力となって現われる。そして、神と通ずる一大歓喜として永遠に生命する。故に、永遠する生命は愛と離れ、真と離れ、また信仰とはなれてはあり得ないのである。神そのものも神の法則、秩序に逆らうことは出来ない。法則とは歓喜の法則である。神は歓喜によって地上人を弥栄せんとしている。これは、地上人として生れ出ずる生前から、また、死後に至るも止まざるものである。神は、左手にて  の動きをなし、右手にて  の動きを為す。そこに、地上人としては割り切れない程の、神の大愛が秘められていることを知らねばならぬ。地上人は、絶えず、善、真に導かれると共に、また、悪、偽に導かれる。この場合、その平衡を破るようなことになってはならない。その平衡が、神の御旨である。平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、超平衡より超大平衡にと進み行くことを弥栄と云うのである。左手は右手によりて生き動き、栄える。左手なき右手はなく、右手なき左手はない。善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。神は善、真、悪、偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生れ、神の中に育てられつつある。始めなき始めより、終りなき終りに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである。
■第十六帖 (三九三)
考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。霊的な内奥の自分からである。この内奥の自分は、神につながっている。故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである。其処に、人が地上に於ける司宰者たる、また、たり得る本質がある。地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、地上にあった時と同様に意識があり、同様の感覚がある。これによって、人の本体たる霊は、生前同様に、霊界でも見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、生活することが出来るのである。しかし肉体をすてて、霊体のみとなり、霊界で活動するのであるから、物質は衣にすぎないことが判明する。肉体をもっている地上人の場合は、その肺臓が想念の現われとなって呼吸する。霊界に入った時は、霊体の肺臓が同様の役目を果たすようになっている。また、心臓は、その情動の現われとなって脈打つ。霊体となってもまた同様であることを知らねばならぬ。この二つのうごきが、一貫せる生命の現われであって、生前も、生存中も、死後も、また同様である。肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、死の直後に霊体が完全するまでは、肉体のそれは停止されないのである。かくて、霊界に入った霊人たちは、総て生存時と同じ想念をもっている。為に死後の最初の生活は生存時と殆ど同一であることが判明するであろう。故に、其処には地上と同様、あらゆる集団と、限りなき段階とが生じている。而して、霊界に於ては、先に述べた如き状態であるが故に、各人の歓喜は、死後の世界に於ても、生前の世界に於ても、これに対応する霊的の事物と変じて現われるものである。この霊的事物は、地上の物質的事物に対応する。人間が、物質界にいる時は、それに対応した物質の衣、即ち肉体をもち、霊界に入った時はそれに相応した霊体をもつ。そして、それはまた完全なる人間の形であり、人間の形は、霊人の形であり、神の形であり、更に大宇宙そのものの形である。大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、目も、鼻も、口も、耳もあり、又内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があって、常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない。大歓喜は無限であり、且つ永遠に進展して行くのである。変化、進展、弥栄せぬものは歓喜ではない。歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し発展する。故に、歓喜は肺臓と心臓とを有する。この二つは、あらゆるものに共通であって、植物にもあり、鉱物にすら存在するものである。人間の場合は、その最も高度にして精妙なる根本の心臓と肺臓に通ずる最奥の組織を有する。これはもはや心臓と表現するには あまりにも精妙にして、且つ深い広い愛であり、肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理である。而して、この二者は一体にして同時に、同位のものとなっていることを知らねばならない。それは心臓としての脈拍でもなく、肺臓としての呼吸でもない。表現極めて困難なる神秘的二つのものが一体であり、二つであり、三つの現われである。其処に人間としての、他の動物に比して異なるもの、即ち、大神より直流し来るものを感得し、それを行為し得る独特のものを有しているのである。人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのである。第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は新しき霊的生活への準備的状態である。七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである。
■第十七帖 (三九四)
地獄はないのであるが、地獄的現われは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない。大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長しているためである。死後、一先ずおかれる所は、霊、現の中間の世界であり、其処では中間物としての中間体をもっている。意志のみでは力を生まない。理解のみでも進展しない。意志と、理解との結合によって弥栄する。このことは、中間の状態、即ち、死後の最初の世界に於て、何人もはっきりと知り得る。しかし、生存時に於て、既に過去を精算している霊人は、この中間世界にとどまる必要はなく、その結果に対応した状態の霊界に、直ちに入るのである。精算されていないものは、精算が終るまで、この中間世界にとどまって努力し、精進、教育される。その期間は五十日前後と見てよいが、最も長いものは十五、六年から二十年位を要する。この中間世界から天国的世界をのぞむ時は、光明にみたされている。故に、何人も、この世界へ進み易いのである。また、地獄的な世界は暗黒に満たされている故に、この世界に行く扉は閉ざされているのと同様であって、極めて進みにくいのである。天国には昇り易く、地獄にはおち難いのが実状であり、神の御意志である。しかし、この暗黒世界を暗黒と感ぜずして進みゆくものもあるのであって、そのものたちには、それがふさわしい世界なのである。其所(そこ)に、はかり知れない程の大きく広い、神の世界が展かれている。この地獄的暗黒世界は、暗黒ではあるが、それは比較から来る感じ方であって、本質的に暗黒の世界はなく、神の歓喜は限りないのである。以上の如く、中間世界からは、無数の道が無数の世界に通じており、生前から生後を通じて、思想し、行為したことの総決算の結果に現われた状態によって、それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前にひらかれてくるのである。否、その各々によって自分自身が進むべき道をひらき、他の道、他の扉は一切感覚し得ないのである。故に、迷うことなく、自分の道を自分で進み、その与えられた最もふさわしい世界に落ち付くのである。他から見て、それが苦の世界、不純な世界に見えようとも、当の本人には楽天地なのである。何故ならば、一の世界に住むものには、二の世界は苦の世界となり、二の世界に住むものには、一の世界は また苦の世界と感覚するからであって、何れも自ら求むる歓喜にふさわしい世界に住するようになっているのである。また一の世界における善は、二の世界では善でなく、二の世界の真が一の世界に於ては真でない場合も生じてくる。しかし、その総ての世界を通じ、更に高き  に向って進むことが、彼等の善となるのである。  は中心であり、大歓喜であり、神である。死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない。生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である。霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである。しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている。現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動しているのである。
■第十八帖 (三九五)
神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜である。故に、霊界における霊人たちの職業は、その各々の有する内分により、段階によって自ら定まる。為にその用は無数であり、且つ千変万化する。歓喜第一、神第一の奉仕が霊人の職業である。故に、自分自身の我が表に出た時は、力を失い、仕事を失い、苦悩する。霊人の仕事は限りなく、地上人の仕事以上に多様であるが、より良さ、より高さ、より神に近い霊人生活に入るための精進であり、喜びであることが知られる。そして、その何れもが神の秩序、即ち大歓喜の秩序、法則によって相和し、相通じ、全般的には一つの大きな神の用をなしているのである。故に、何れの面の用をなすとも、自己というものはなく、弥栄あるのみ、神あるのみとなる。なお注意すべきことは、霊界において、権利なるものは一切感ぜず、義務のみを感じているということである。即ち、義務することが霊人の大いなる歓喜となるのである。為に、命令的なものはない。只、ひたすら奉仕があるのみである。その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがある。何故ならば、霊と物とは対応しているからである。生前は生後であり、死後はまた生前であって、春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えている。従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。陽人と、陰人とである。陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。故に、二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。新しき生命とは新しき歓喜である。歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われるものである。霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る。また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである。
■第十九帖 (三九六)
天国の政治は、歓喜の政治である。故に、戒律はない。戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。天国の政治は、愛の政治である。政治する政治ではない。より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。故に、与える政治として現われる。天国は、限りなき団体によって形成されている。そして、その政治は、各々の団体に於ける最中心、最内奥の歓喜によりなされるのである。統治するものは一人であるが、二人であり、三人として現われる。三人が元となり、その中心の一人は、  によって現わされ、他の二人は、  によって現わされる。  は、左右上下 二つの動きの  を為すところの立体*からなっている。統治者の心奥の*は、更に高度にして、更に内奥に位する*の中の*によって統一され、統治され、立体*をなしている。天国では、この*を、スの神と敬称し、歓喜の根元をなしている。スの神は、アの神と現われ給い、オとウとひらき給い、続いて、エとイと動き現われ給うのである。これが総体の統治神である。三神であり、二神である。ア、オ、ウは愛であり、エ、イは真である。これら天国の組織は、人体の組織と対応し、天国の一切の事象と運行とは、人体のそれに対応している。オ、ウなる愛は曲線であり、心臓である。エ、イなる真は、直線であり、肺臓に対応して三五七と脈うち、呼吸しているのである。これらの統治者は権力を奪することなく、また指令することもない。よりよく奉仕するのみである。奉仕するとは、如何にしてよりよく融和し、善と、真との浄化と共に、悪と偽の調和をなし、これらの総てを神の力として生かし、更に高度なる大歓喜に到らんかと努力することである。また統治者自身は、自分達を他の者より大なる者とはせず、他の善と真とを先とし、その歓喜を先ずよろこび、己はその中にとけ入る。故にこそ、統治者は常にその団体の中心となり、団体の歓喜となるのである。指令することは、戒律をつくることであり、戒律することが神の意志に反することを、これらの統治者は、よく知っている。天国に於ける政治の基本は、以上の如くであるが、更に各家庭に於ては、同一の形体をもつ政治が行なわれている。一家には、一家の中心たる主人、即ち統治者がおり、前記の如き原則を体している。またその家族たちは、主人の働きを助け、主人の意を意として働く。その働くことは、彼等にとって最大の歓喜であり、弥栄である。即ち、歓喜の政治であり、経済であり、生活であり、信仰である。天国に於ける天人、霊人たちは、常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。歓喜を礼拝することは、歓喜の流入を受け、より高き歓喜に進んで行くことである。けれども、天国における礼拝は、地上人のそれの如き礼拝ではない。礼拝生活である。総てと拝み合い、且つ歓喜し合うことである。与えられたる仕事を礼拝し、仕事に仕えまつる奉仕こそ、天国の礼拝の基本である。故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している。しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している。地上人的礼拝は、形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方であるが、天国に於ける礼拝は、千変万化で、無限と永遠に対するものである。無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずるものであり、その弥栄が神の用である。森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、この無限と永遠を知り、あらゆる形において変化繁殖するを見て、無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ。天国の政治は、光の政治である。天国にも地上の如く太陽があり、その太陽より、光と、熱とを発しているが、天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。一は月球の如き現われ方である。一は火の現われ、火の政治であり、一は水の現われ、水の政治である。愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、各々その天人、天使の情動の如何によるのであって、神は常に光と熱として接し給うのである。またそれは、大いなる歓喜として現われ給う。光と熱とは、太陽そのものではない。太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、その内奥はいずれも大歓喜である。光と熱とは、そこより出ずる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。このことをよく理解するが故に、天国の政治は、常に光の中にあり、また熱の中に育ち栄え、歓喜するのである。天国の太陽よりは、真と愛とが常に流れ出ているが、その真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく、現われ出たものが真と見え、愛と感じられるのみである。太陽の内奥は大歓喜が存在する。故に高度の天人の場合は、愛も真もなく、遥かにそれらを超越した歓喜の  が感じられるのみである。この歓喜の  が、真、善、美、愛となって、多くの天人、天使たちには感じられるのである。歓喜は、そのうけ入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ内質の如何によって、千変万化し、また歓喜によって統一されるのであるということを知らねばならぬ。
参考文献
岡本天明・筆 『ひふみ神示』

大摩邇(おおまに)
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2157284.html

Hifumi
http://hifumi.uresi.org/jisinnnomakiimg/page_thumb1.html


















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2020年09月24日

玉蔵: 子の年99代菅新総理誕生と日月神事の9月


玉蔵: 子の年99代菅新総理誕生と日月神事の9月
99代新総理誕生と日月神事の9月
雑談2020.09.16
ヒャッハー!
さて、今日から新政権発足。
新総理誕生いいね!
コスプレ
令和おじさん。
逆だ逆!
うp許可済み#C96#C96コスプレ #C96cos pic.twitter.com/xrAqdkkBeE
− つよっさん★河内のガルパンおじさん (@orzpanther) August 9, 2019
いや、あの令和おじさんが総理になるとは。
先日の占星術講座で、次の総理は短期で終わると出てたのですがどれだけ持つか。まぁ、令和時代を背負って頑張って欲しいと思います。
で、ワタスの注目したのはその数字です。菅さんは数えて歴代の第99代の総理大臣ですよね。99代総理が9月に選出される。。何かある。。とかなんとか。
さて、日月神事に、こんな記述があります。
子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ
磐戸の巻 第十六帖
前にも書きますたが、今年はねずみ年で、子(ネ)の年が今年とすると、前が2010年、後ろが2030年。とすると今の流れは2030年まで続く可能性がある。日月神事は旧暦で書かれていて、コロナ騒動は、確かに2020年の旧暦の正月。覚えているでしょう。
確かにコロナ騒動は、春節(旧暦正月)から始まりますたよね。で、ワタスが気になるのは日月神示には9月というキーワードが多く出てくるところです。
上つ巻15帖
今度は末代動かぬ世にするのざから、
今までのような宗教や教えの集団にしてはならんぞ
〜省略〜
今のうちにこの神示よく読んでいてくれよ。
九月になったら用意してくれよ。
上つ巻18帖
この道はスメルが道ざ、
スメル御民の道ぞ。
〜省略〜
とことんまで落ちて行くぞ。
九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。
地つ巻27帖
天地には天地の、国には国の、
ビックリ箱開くのざぞ。
〜省略〜
旧九月になればこの神示に代わりて
天のひつくの神の御神示出すぞ。
地つ巻29帖
天明は神示書かす御役ぞ、陰の役ぞ、
この神示はアとヤとワのつく役員から出すのざぞ、表ぞ。
旧九月までにはその御方お揃いぞ。
地つ巻31帖
この神示読ますのが役員の務めではないか、
〜省略〜
旧九月になったら忙しくなるから、
それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。
いや、まさか。。調べると、旧暦9月1日は、来月の10月17日ですた。そこまで何かと準備はすませとかなきゃならない。占星術でも水瓶座にもうすぐ入るタイミングです。とかなんとか、いつものワタスの妄想ですた。多分、そこらへんから楽しくてしょうがない世界に移行するのでしょう。本当にありがとうございますた。

黄金の金玉を知らないか?
https://golden-tamatama.com/blog-entry-99th-prime-minister.html









菅内閣、ふたを開けてみると「安倍シーズン2」…安倍の弟や側近で構成=韓国の反応
2020/09/16 11:35
コメント586
菅内閣、ふたを開けてみると…安倍の弟・側近で構成
2020.09.15|午後9:12
日本で菅内閣が明日(16日)発足します。ところが、安倍首相の弟が防衛相を務めるなど、安倍内閣の閣僚の多くが再び起用される模様です。安倍内閣「シーズン2」になるという指摘がすぐに現実になる格好です。
東京からユン・ソルヨン特派員がお伝えします。
(記者)
菅内閣の顔ぶれが徐々に明らかになっています。防衛相に安倍首相の弟、岸信夫議員が内定しました。幼い頃、母方の家に養子として入り、母方の祖父である岸信介元首相の性を継承しました。岸は2004年の参議院選挙で政界に入門し、防衛大臣政務官、外務副大臣などを務め、今年8月に靖国神社を参拝しました。耳目が集中した内閣ナンバー2の官房長官の席には加藤勝信厚生労働相が内定しました。コロナ19の初期対応に失敗した主役ですが、むしろ昇進しました。2年間、菅の下で官房副長官を過ごし、安倍内閣の閣僚を二度務めた安倍の側近に分類されます。その他、麻生太郎副総理、茂木敏充外相などは留任し、安倍と親友の萩生田光一文部科学相も留任が予想されます。
菅内閣の蓋を開けてみると、安倍首相の影が濃く垂れ込めています。自分を支持してくれた各派閥出身者を配分したのを見ると、結局、「回転ドア人事」になった格好です。東京オリンピック組織委員長である森喜朗元首相は「安倍首相は、退任してもオリンピック組織委員会の名誉最高顧問になってほしい」としました。
ソース:http://naver.me/5cZnaNRu
1. 韓国人
自分たちはあんな状態なのに、韓国は民主主義なのかとあざ笑うとか…議員を3代受け継ぐ世襲国家が、他国の民主主義を論じることが笑わせるわ
土着倭寇と本土倭寇の共通点は恥知らずなところか?
共感:404|非共感:4
2. 韓国人
>>1
我々も同じだが朴正煕大統領の娘、朴槿恵大統領
金大中大統領の息子、金弘一議員、金弘業議員、金弘傑議員....盧武鉉大統領の友達、文在寅など
共感:9|非共感:39
3. 韓国人
>>1
安倍の弟に友達に側近に…
本当にすごい国だね
安倍が退いたのは朝三暮四に過ぎなかった
むしろ、親安倍政権を構成し、菅という代役を立てたんだね
共感:5|非共感:0
4. 韓国人
>>1
良いことだろ?
亡国への近道である
5. 韓国人
>>1
日本政府は本当に腐りきっているようだ
6. 韓国人
>>1
失われた10年がわけもなく来たのではないね
共感:2|非共感:0
7. 韓国人
>>1
それを言ったら文在寅の方が深刻ではないか?
隅から隅まで報恩人事なのに
8. 韓国人
>>1
私が言いたかったこと
日本は分かるようで分からない国だ
日本国民は韓国人よりも政治に関心が少ないというが、そのようなことを問題視する世論はないのか?不思議である
9. 韓国人
日本は民主主義国家ではない
国の首長を選出するのに、国民投票は皆無で、既得権の利害関係の中で権力が続く独裁国家である
北韓と何が違うというのか?
共感:314|非共感:5
10. 韓国人
>>9
北韓というよりも中国共産党体制
共感:2|非共感:0
11. 韓国人
>>9
今の韓国は、北韓や中国と何が違うというのかwwww
12. 韓国人
>>9
日本はアジアで言論統制が激しい国だということを知らないのか?言論の自由指数がアジアで最も高い国で暮らしていることに感謝しよう
共感:2|非共感:0
13. 韓国人
幸いである
日本がますます地獄に落ちるね
共感:134|非共感:2
14. 韓国人
安倍がチェ・スンシルの役割をするのねwwww
共感:118|非共感:4
15. 韓国人
>>14
菅は雇われ社長
国民の力党の親分は依然として安倍だ
共感:3|非共感:0
16. 韓国人
安倍ファイティン!菅ファイティン!
すべての韓国人があなたたちを応援しています
日本は永遠に安倍と菅の側近が仲良く分け合うように
共感:99|非共感:5
17. 韓国人
当然そうなるだろ
アフリカの部族長選挙にも劣る未開な国、日本ww
共感:15|非共感:0
18. 韓国人
世界の様々な国を見ても、国家が発展し、国民が自由を享受して豊かに暮らすことにおいて、政治は極めて重要である
日本は触れられない巨大な力が国家と国民を支配している
大韓民国よ、さらにがんばれ
日本に踏みにじられ、苦しめられた歴史が繰り返される日も遠くなさそうだ
腐った日本ファイティン
さらに腐って崩壊しろ
共感:14|非共感:0
19. 韓国人
安倍の妹、ナ倍も連れて行け
共感:10|非共感:0
カイカイ補足:ナ倍とは
韓国の保守政党、自由韓国党(現・国民の力党)の元院内代表、ナ・ギョンウォンのこと。韓国の左派勢力の間で主にそう呼ばれている。意味はナ・ギョンウォンの「ナ」と安倍晋三の「倍」を組み合わせた言葉。要するにナ氏を親日派ないし土着倭寇とする蔑称。こうした批判の発端は、議員なりたての2004年に自衛隊の記念行事に参加したことで、それ以降、ナ・ギョンウォン=親日と認識されるようになり、現在もこのことをもって頻繁に叩かれている。
20. 韓国人
>>19
自衛隊の創設式に行かないといけないので今度行きますwwww
21. 韓国人
縁故政治?
日本の政治が腐った理由は、議院内閣制に従う国会議員を含む、官職相続だ
日本国民の目には、腐った政治家が見えないようだ
共感:8|非共感:0
22. 韓国人
第二次世界大戦後、日王を廃位させるべきだったのにそのままにしたことが、

Naver
http://naver.me/5cZnaNRu

カイカイ反応通信
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/57191536.html
@kaikaihanno





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2020年08月02日

劉基のコロナ予言(1370)

劉基のコロナ予言(1370)
2020.07
劉基(りゅうき)の予言
「劉基(りゅうき)の予言」というのが話題になっているそうです。
※「中国の“ノストラダムス”劉基が650年前にコロナ蔓延予言していた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/67c9978f30e256b83fe8c81150fefb84cb2fd7fb
新型コロナを予言していたのではとマニアの間で騒がれているのが、劉基(1375年没)だ。日本での知名度こそ低いが、中国では超有名。「三国志」に登場する諸葛孔明の生まれ変わりとも言われている。
(中略)
「天有眼、地有眼、人人都有一雙眼(天に眼あり、地に眼あり。そして人はふたつの眼を持つ)」の一節から始まる“予言詩”は、
「天也翻、地也翻(天地がひっくり返る)」「貧者一萬留一千、富者一萬留二三(貧乏人は1万人のうち1000人、金持ちは1万人のうち2〜3人が生き残る)」
「平地無有五穀種、謹防四野絶人煙(野に種まく人なく、人家の煙も絶えた)」と、大災害の暗示が続く。
そして注目が「若問瘟疫何時現、但看九冬十月間(その疫病は九冬から10月に現れる)」という箇所。「九冬」とは中国の暦で冬至から81日間のことで、12月22日から3月12日あたりを指す。10月は、予言詩が書かれた時代の旧暦だと11月ごろ。
さらに「難過豬鼠年(猪年と鼠年を無事に過ごすのは難しい)」とあり、まさしく昨年の干支がイノシシで今年がネズミだ。つまり、その冬に疫病が蔓延すると解釈できる。しかも「湖廣遭大難(湖廣が大きな災難に遭う)」という予言に記された当時の省「湖廣」は、今で言う湖北省や湖南省辺りで、その省都がなんと“コロナ震源地”武漢。
「有飯無人食(食事はあれど食べる人なし)」「天下亂紛紛、東西餓死人(天下が乱れ、争いが起き死者が出る)」という一節もある。
この予言だと、混乱は「天番龍蛇年(龍年と蛇年)」つまり辰年と巳年の2024年と2025年まで続くとされる。』
(一部改変)
辰年が良い年になるというのは「日月神示」にもあります。
「新しき御代の始めの辰の年、あれ出でましぬ隠れいし神」
「辰の年は よき年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ」
ただ、この「辰年」、2024年ではなく2036年ではないかと思っています。
つまり「15年の区切り(2021年〜2035年)」説から、2020年代に第三次大戦が始まり2035年に終結するとも考えられます。

オカルト通信
http://clairvaux939.blog.fc2.com/blog-entry-1661.html









李真実: 武漢市火葬場の実情, 夾西太白山の予言
李真実
最近中国のメディア・大紀元のオンライン記事に 中国政府の調査員が武漢市内の火葬場の責任者に質問した内容が掲載された。その録音した火葬場の責任者のコメントの内容から,ある程度状況が確認できたのでその情報を中心に 話したいと思います。
録音データの中で,火葬場の責任者は中国国内での肺炎による死者の数は国家機密なのでそれは公開できないとしているが,オンラインで得た情報から私個人が計算した死者数も皆さんとシェアしたいと思います。
もう一つ,現在武漢市で発生している肺炎に関して,中国には預言があり,それもお伝えしたいと思います。その予言には中国内で発生したパンデミックでどれだけの人が死亡するのかということに関して,その数字が予言されているのでそのことも伝えたい。
■武漢市火葬場の実情
政府調査員が火葬場の責任者に状況を聞いた時に火葬場の職員はまずこのように職員に訊いた。
「あなたは真実の話を聞きたいのか?それとも嘘を聞きたいのか ?」
調査員がそれに対して
「私はもちろん真実の話を聞きたい」
と答えると、責任者は
「私は爆発寸前の状態だ。ストレスのピーク状態にある」
と答えた。火葬場に運ばれてくる死体の数は,通常の4〜5倍,火葬場のスタッフは110人いるが,二交代制で2〜3時間の睡眠で働いている。霊柩車は9台あり,1回あたり運搬できるのは2人分。 それでも足りないので、自分の演奏用のバンの改造車を使って毎回7〜8人の遺体を運搬している。
遺体の焼却炉は全部で18台あるが,実際に焼却に使えるのは1台のみ。他の17台は政府の入札をパスするために作ったニセの焼却炉なので実際に使うことはできない。
■推計2021人が1日に死亡
遺体一体を焼却するのに必要な時間は 50分。
遺体が運ばれてくるのは病院からが38%で自宅からが61%。
武漢市内全体では火葬場は7つある。そして他の火葬場の状況もほぼ同じ状況。
火葬場に運ばれてくる遺体数が増加し始めたのは今年の1月10日頃から。そして1月22日頃に急に増えた。そして昨日の2月19日は 過去最大になった。
私が中国メディアのオンライン記事を読んだのは1月16日だった。だから政府の調査員が武漢市内の責任者に電話で取材したのはおそらく1月15日であっただろうと推測する。
火葬場に遺体が堆積することはないが,病院に遺体は堆積する。
調査員の電話インタビューの中で,調査員が責任者に「政府に要求するものがあるか」という質問に対して,責任者は
「火葬場のスタッフがあと40〜50人必要で,運搬用の車がさらに2台から3台必要だ」
と答えた。このこれらの情報から武漢市内の死者数を私なりに計算してみる。
その前に武漢市内の火葬場の状況について,実際に私が調べたところ,武漢市内にある火葬場の数は7軒であった。
そのうちの一つU火葬場がどれだけの遺体を焼却できるかについて調べてみたところ,この火葬場の年間焼却数は約7000。 この火葬場と同規模の火葬場が市内に他に2件ある。
13000人クラスの火葬場が市内に1軒。7000人クラスの火葬場が3軒。6000人クラスの火葬場が1軒。3800人クラスの火葬場が1軒。市内全体で平均すると年間焼却遺体数は約7000人ということになる。
この政府調査委員が電話調査した火葬場の1日の平均焼却数は19体で市内全体では1日平均135人の焼却が行われている。
この数値を基に計算してみる。武漢市内の火葬場は毎日24時間稼働している。遺体一体を焼却するのに必要な時間が50分と考えると24時で焼却できる遺体数は28体。焼却炉が11台ある。そう考えるとこの火葬場で1日に償却できる遺体数は308。武漢市内でこの日一日で焼却した遺体数は2150体という事になる。
武漢市の普段の焼却遺体数は1日135体。2月15日の遺体数を2156体とすると,この数から普段の遺体数135体を差し引いた2021体が肺炎による死者数ということになる 。
また火葬場の責任者は質問に対して仕事の量が普段の4倍から5倍に増えたと答えていた。
武漢市では葬式を行うのは午前中。つまり一日に運ばれてくる遺体はその日の12時正午前に亡くなった遺体であるということになる。
武漢市の火葬場では通常1日に焼却する遺体数が19体。火葬場では朝6時から正午までの午前中に火葬を行う。その後の午後には火葬はしない。この火葬場では普段は1日19体の火葬が行われる。
午前中に9台の霊柩車が2回往復すると18体。現在も普段通り午前中のみ霊柩車が2回往復するとするならば,9台の霊柩車と自家用の改造バンが2回往復すると一回で25体。 午前中に2回往復するならば50体運ぶことができ,10回往復するならば250体運搬できる。この計算値は先ほどの市内の統計から計算した計算値とほぼ近い数字になる。
■累計死者数は約36000人
では武漢市内では1月10日〜2月15日の間にどれだけの遺体が焼却されたのだろうか?
先ほどの火葬場の責任者の話によれば,1月10日から運び込まれる遺体の数が増え始め,1月22日に急増したと言っていた。どれだけのペースで増えたのかということについては調べることができないので大雑把に直線的に増加したと近似する。そうするとグラフの三角形の面積が 1月10日〜2月15日に償却された遺体の数ということになる。1月10日〜2月15日の36日間に2月15日の焼却数2021人掛けて2で割った数がこの期間内で焼却されていたということになり,
36x2021÷2=36378体
36378体が焼却されたという計算になる。
この数字はあくまで火葬場で焼却した遺体の数から計算した数値であるが,実際は病院に遺体がかなり残っているという話があるので実際の数値はさらに大きな数であると推定できる。また新たに火葬場が増設されたので,実際はさらにこの数よりも大きい数であろう。
中国政府は新型肺炎による死者数をどのように報道しているのだろうか?中国メディア新華社通信の報道を見てみる。国家衛生健康委員会ウェブサイトのデータによれば,武漢市市内の死亡者数は110人,中国国内の死亡者数は1213人と報道されていた。私の計算がまったく正しいとは言えないが私の推定値2021人をいくらか差し引いても政府の発表した値よりも10倍以上の死者数にのぼっているのではないだろうか?
■夾西太白山の予言
それではこれから武漢市内でどれだけの人が死亡するのだろうか?
新型肺炎についての予言に「夾西太白山の予言」がある。
予言の中でパンデミックによる死亡者数が語られている。それによれば
貧者一万留一千
(貧しい者は10000人中1000人生き残り)
富者一万留二三
(富める者は10000人中2〜3人生き残った)
という。

夢日記
http://datasea.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%83R%83%8D%83i+%97%5C%8C%BE





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2020年05月13日

並木良和: ゲートが閉じる2020年は大激変と立直しの年

並木良和: ゲートが閉じる2020年は大激変と立直しの年
2020年01月26日18:42
並木良和さんが語る2020年代
先日、東京の日本橋で行われた並木良和さんのWS(ワークショップ)に参加してきました。
並木さんが語るアセンションの話に惹きつけられた私としては、本やDVDではなく、並木さん本人を身近で見てみたいという思いがありました。相変わらずの人気で、おそらく申込みが予定オーバーになったのだと思いますが、当初の会場が変更になり、300名収容の大きな会場でした。凄いなと思ったのは、その300名がびっちり入っていて、私が見渡した限りでは、空席が一つもなかったことです。
これだけの人気となると、スピリチュアル業界の中から並木さんに対する誹謗、中傷が起こるのは無理もないのかもしれません。お客を奪われまいとする業界内の反発もあるでしょうし、ひょっとすると並木さんを潰してしまいたいディープ・ステートによる工作もあるのかもしれません。並木さんを否定する(最近はディスるというそうですが)YouTubeを見て私が気づいたことがあります。それは、並木さんが訴えているアセンションや統合といった一番大事な内容には一切触れずに、並木さんのセミナーの参加費が高いと主張してディスっていることです。
今回の参加費ですが、1日のセミナーで2万5千円でした。安いとは言いませんが、一般的なスピリチュアルのセミナーの平均的な値段です。この値段が高額だという主張は、私には理解できません。よほど誹謗中傷する材料がなかったので、苦し紛れにこういう言い方をしたのだろうと推察します。
ちなみに先月、私はクンルンネイゴンのkanさんのWSに参加しました。2日で5万600円でした。これをみても並木さんの1日で2万5千円という値段は、最近のスピリチュアルのセミナーの料金として、妥当なものだと思います。
その並木さんのセミナーですが、冒頭で、やはりアセンションの締め切りの話がでました。
並木さんは、アセンションしたいのであれば、今決断しないと、今年の春分の日からゲートが閉じはじめ、夏のオリンピック頃にはほぼ閉じてしまう。最終的には、2021年の冬至に完全に閉じると言っています。もちろん今回アセンションするかしないかは、良い悪いではなく、全くの個人の選択だといいます。
並木さんは、会場に来た参加者に対し、このタイミング(ゲートが閉じはじめる直前)でここに来た人は、今回アセンションすることを決断した人たちだと言っていました。となると、私もまた決断した一人なのでしょう、おそらく。というのも、並木さんのアセンションの話を聞いているうちに、ふと頭に、私はこの体験がしたくて、この時期に生まれてきたのかもしれないという思いが湧いてきているのです。
怪しげな話で恐縮ですが、私には生まれる前に人生の計画をしていたという記憶の断片が残っているかもしれません。生まれる前に、物凄くワクワクしていたという記憶があるのです。これまでの平々凡々の人生を考えると、本当にエキサイティングな体験は、これからするのかもしれないなどと(自分勝手に)考えています。
そのアセンションの時期ですが、並木さんは去年のDVDでは2032〜33年頃と言っていたと記憶していますが、最近は2037〜38年頃と言っているようです。
2020年代に人類社会は劇的な変化を体験し、それが落ち着くのが2032年頃だといいます。そこから5次元地球のスタートラインに立つそうです。今回は、そうした並木さんが語る2020年代を、「anemone(アネモネ)」2020年2月号から抜粋して紹介したいと思います。
では、並木さんが語る2020年代の話です。
■2020年は大激変の立て直しの年
・・・<「anemone」2020年2月号、p20〜p23から抜粋開始>・・・
目醒めにエントリーする卒業式の期間
2020年、僕たちがこの先、目醒めていくのか、それとも眠ったままでいくのかを分岐する、大きなタイミングを迎えます。地球が周波数をどんどん上げてくるので、目を醒ましていこうとする人は、卒業式の最終試験に合格するべく、本来の自分にはない周波数をどんどん手放していくでしょう。
でも、古い周波数が出てきたときに、それを手放さずにもったまま、ただ体験するためだけに使うと、苦しくなったり、感情が乱れたりします。その乱れは現実に投影され、世の中にも反映することになります。
そうして、古い価値基準、価値体系をゆるがすようなことが、ますます起きていくわけですね。政治も、経済もです。自然災害のような形でも起きます。いまも起きていますが、これからはもっと明確になるでしょう。すると、自分の内側と向きあわざるをえなくなるわけです。
ひと言でいうと、2020年は大激変の立て直しの年です。
ここで、これから本格化する目醒め、そしてその後のアセンションまでの大まかな流れを、おさらいしましょう。いまのタイムラインの流れでいうと、2020年3月の春分から目醒めのゲートが閉まり始め、8月にかけて大きく閉まっていきます。そのゲー卜が完全に閉まるのが、2021年の冬至の日。この間が、卒業式の期間、目醒めへのエントリー期間です。エントリーをするとは、「目醒めることを決める」ということ。エントリーしない人は、アセンションは今回のタイミングではない、ということですが、これは、いい悪いではなく、選択です。目醒めのエントリーをした人たちもゲートを無事に通過したからといって、いきなり皆が聖人君子になるわけではありません。じつは、卒業式を超えた後が本番なんです。
人は社会に出てからが本番で、それまでは一人前ではないですよね。それと同じように、2020年から30年までの10年間で、人によっては急速に、あるいはゆっくりとしたペースで、目を醒ましていきます。それに伴い、技術的な進歩がもたらされ、僕たちの生活レベルが大きく変化していくんです。そのベースになるのは、いままでのような自我やエゴ、頭の知識ではなく、ハイアーセルフと呼ばれる大きな宇宙意識。そこからのアイデアや情報を、科学や建築、経済、政治など、あらゆる分野に使い始めるので、いままでとはまったく違うものが生み出されてくるんですね。それらが、5次元シフトへの準備となっていくわけです。そして、2032年を境に安定し始め、そこでやっと5次元地球のスタートラインに立つわけです。そこから、オープンコンタクトの流れも視野に入ってきます。宇宙には僕たち以外の種族も存在しているという情報が、公に開示され、彼らも一緒にアセンションに入っていくんですね。
アセンションとは次元上昇のことなので、いまもそのプロセスの真っただ中ではありますが、アセンションをひとつの現象、ポイントとしてとらえたとき、それは2037、38年頃に起こる、と上(アセンデッドマスターなど高次の存在)から聞いています。今回は宇宙中のアセンションで、この規模で行われるのは、宇宙始まって以来、初めてのこと。誰も体験したことがありません。だから、詳細なことや具体的な説明が、高次の存在たちも難しいわけですね。
闇も光だったと気づけば攻防は終わる
2020年、21年が大激変の時期になるというのは、光と闇の攻防が最終段階に入る、ということでもあります。いまこの地球は、宇宙存在たちの加勢もあって、光のほうが優勢になっています。なので、今後は、闇側の計画が成し崩しになる可能性が高いんです。でも、だからこそ、ダークサイドのETや、それに動かされている世界のエリートたちが、最後の抗戦をしてくるでしょう。911のようなことが起こるわけではありませんが、たとえば、多くの人が命を落として大混乱に陥るような映像が出てきたときに、どうしても感情が動きますよね? そういうときに、僕たちは波動をガクンと落とすことを知っていて、彼らは計画的に仕掛けてきます。
さまざまな情勢や動向を探りながら、僕たちの意識がどのレベルにあるのか、どこまで気づき始めているのかウォッチしていて、いいところまで上がってくると、一気に落とすようなことをしてくるわけです。天候や地震の操作は実際に存在していて、いまも起きています。311が人工地震であったことは、いまや多くの人が知るに至っていますが、天然と人工の掛けあわせもあって、たとえば、天然の台風が発生したときに、その中心に細工をすると、ものすごい巨大台風になるんですね。でも多くの人は、「これは天災、自然災害なんだから仕方がない」と思うでしょう。そのような攻撃は、2020年も引き続き起こります。
そこで大切なのは、高い視点で見たら「○○のせい」とか「○○が悪い」というのはない、ということです。僕たちが体験する出来事はすべて、人類と地球の集合意識が決めています。いわば、集合意識が許可しているわけです。でなければ体験はしません。言葉を変えると、深いところで僕たち一人ひとりが、そして集合意識が選んでいる、ということです。
表面意識では、「そんなこと選ぶわけないじゃない、どれだけの被害を受けたと思っているの!?」と思うかもしまれませんが、実際、311のとき、その後の人生の流れや生き方が変わった人たちがいっぱい出てきましたよね。たとえ闇側の所業であったとしても、火事場のバカ力というように、本来の僕たちのパワフルな能力を思い出し、引き出すためのカンフル剤にもなる。高い視点から見れば、闇も光の役割をしている、ということなのです。そのことに皆が気づけば、流れはガラガラと変わっていきます。多くの人が早く気づくほど、目を醒ますための派手なゆざぶりは、起こす必要がないんですね。痛みや苦しみを体験しなくても、変わっていくことができる。そういう在り方を選ぶこともできるわけです。
「高い視点から見たって、それが何になるのよ?」と思う人もいるかもしれません。が、高い視点から見るのは、意識をポジティブに引き上げないとできないこと。視点がポジティブになれば、ポジティブな意識の集合体ができて、それが、ポジティブな現実を創ることになるんですね。ですから、まやかしにとらわれないことが大事です。起きた現象に心をゆらすのは、彼らにとって思うツボです。僕たちの不安や恐れを使って、彼らの思うとおりの闇の流れをつくろうとしますから。
具体的に何が起きるの?と聞かれますが、高次の存在たちは伝えてこないんですね。そこにフォーカスすると、本来のポジティブの流れが歪められてしまうことがあるからです。それだけ、意識したものを現実化させる僕たちの力というのは、とてつもなく大きいんです。
じゃあ、どうすればいいかというと、何が起こっても、「これは最善のために起きている」とワクワクしていればいいんですね。実際そのとおりなんです。すると、彼らは僕たちをコントロールできずに、ますます計画倒れになり、ますます失敗に終わるでしょう。
イエスの時代と同じことが起きつつある
また、世の中が大きく変わっていこうとするときには、ジャッジや非難、バッシングが始まります。このジャッジ、非難、バッシングのエネルギーは闇側のエネルギーです。どう大義名分を並べたてても、このエネルギーで動いている限り、世の中は決してよくはならず、争いしか生みません。そのことを、彼らはよく知っているので、その火付け役をつくって、あえて声を挙げさせたりもします。
一人が声を挙げると、みんな「そうだそうだそうだ……!!」とやるのは、2千年前と変わっていません。イエスが教えを説くと、大衆が目を醒ましてしまうことを恐れ、体制側がやったことは、歴史を見れば明らかですよね。教えを聞いた人も、最初はわーっとなるんですが、そこからいろいろな摩擦が出てくるんです。そのまま開いていけば、高い意識へと戻れるのに、自分の中から出てくる低い周波数に取りこまれて、外れていった人たちもたくさんいます。これと同じことが、いま起こり始めているんです。今回は、地球の波動もこれだけ高まり、多くの魂が目を醒まそうとしているので、当時と同じ流れにはなりませんが、(イエスの弟子ヤコブであった)僕は、その時代を知っているので、よく見えます。
世を正すため、という正義感からそうする人たちもいるでしょう。でも、正義というのがまさに分離で、眠りなんです。この眠りの意識で、僕たちは殺人や戦争まで起こしてきましたよね。正義のものさしにかなえばOK、かなわなければノー。ものさしをもっている限り、戦いでしかなく、平和は絶対に訪れません。外の世界は幻想ですから、すべては、自分自身の中にある同じものを、その人や出来事に投影しているにすぎません。非難、批判、ジャッジしている人は、自分を攻撃しているのと同じで、いちばん波動を落とすことになるんですね。
この、非難、批判、ジャッジを乗り越えることが、目を醒ましていくうえでの登竜門なんです。自我やエゴの壁にぶち当たり、それを抜けて目醒めようとするとき、非難、批判、ジャッジが最も強く出てきます。ここで引っかかってしまっている人が、いまたくさん出てきているんですが、そのからくりに気づき、非難や批判、ジャッジの周波数を手放していけば、まもなく意識の反転を体験することになるでしょう。
自分の中のエゴや自我は、僕たちが目を醒ますと支配権がなくなるため、恐れているんです。必死なんです。「違うよ」「それは間違っているよ」と。それに耳を傾けるのではなく、「これこそが手放すべきもので、その先には、目醒めの意識が視界に入ってくるのだ」と、気づいてください。起きた出来事を、全部自分を見るために使って、淡々と喜びをもって手放していきましょう。
■縄文、レムリアよりも前に日本には高度な文明があった
真の平和をもたらすには、外の世界へのジャッジやものさしを手放し、本当の自分自身と一致していくことです。すべてとつながり、すべてと調和したワンネスは、自分とつながることでしか成し得ないんですね。
日本は、このワンネスの大調和のエネルギーを世界に発信し、真の平和をもたらす役目があります。
日本人のルーツは縄文、レムリアですが、じつは、レムリアやアトランティス時代よりもはるか前、もっと高度に栄えた文明が日本に存在していたんですね。それからすると、地球における叡智の発祥は、日本から始まった、ともいえるんです。宇宙人が地球に人類創造の実験をするために訪れた主だった場所が、日本だったんですね。そのときから当然、この惑星アセンションのことは計画の中に入っていました。日本は世界のひな型として、真実の情報やエネルギーの発信ポイントとして創られ、世界に先立ち、アセンションが始動する国なんです。
日本の地場−−”意識場”といったほうが正確でしょう−−は、高い魂たちを惹きつける磁力になっていて、現在の日本には、賢者の魂が38%も集まっています。それも、アセンションを先導するためです。だからこそ、アセンションを起こさせまいとする闇側から日本が狙われもするわけですが、すべては最善のために起きている、という高い視点、強い精神力をもち、幻想に惑わされずに、真実を見抜く目をもつ人たちが、多く日本から誕生していってほしいと思っています。それが、ひいては世界に、地球に、そして宇宙中に、かつてないほど大きな祝福と喜びをもたらすことになるのですから。
 ・・・<抜粋終了>・・・
並木さんは、闇側(ディープ・ステート)は、「多くの人が命を落として大混乱に陥るような映像」が私たちの波動をガクンと落とすと言っていますが、今の中国の新型コロナウイルスの流行などはそうかもしれません。また並木さんは、「2020年、21年が大激変の時期」と言っていますが、これは世界大恐慌を予感させます。クレイグ・ハミルトン・パーカー氏は、今年は意外にも景気は良いと言っていますが、2021年以降はわからないと言っています。今年が無事であったら、いよいよ2021年は厳しい年になる可能性は高そうです。
アセンションですが、私は2037〜38年という時期を、他のサイキックで言っている人はいないか知りたいと思ったのですが、同じアネモネにシリウスの存在をチャネリングしているブラッド・ジョンソンさんの記事が出ていました。そこでシリウスの存在が、第3密度の地球が2037年に第3密度の状態と第4密度の状態に分裂するという話が出ていました。その話も紹介させていただこうと思います。
・・・<「anemone」2020年2月号、p44〜p45から抜粋開始>・・・
国の代わりに「同盟」が生まれ、天皇が変革のリーダーに
2020年は、今後、地球に起こる惑星シフトのための基礎を作っていく年になることを、まず理解してください。そして、まだ、光のフォトンに現れていない、隠されたアジェンダ(計画)があり、それが公開される年になるでしょう。人々の目に触れないところで崩壊が起きていきます。そして、物事がクリーンになった結果、国という形ではなく、同盟を結んでいくような力が表に出てくるでしょう。日本は、物事がクリーンになったあと、同盟のメンバーになっていくとみられます。(地球の)西側・東側という言い方をするなら、両者がともに手をとって協力していくようになります。惑星全体で”統合”していく動きがますます盛んになり、それは、結果的に豊かさをもたらすことになるでしょう。
政治では、人々の支持を得るリーダーたちが、選挙で選ばれるようになります。そして、より女性が力を得ていき、男女の平等性への動きにさらに拍車がかかるでしょう。これから数年間は、女性たちが政府で力をもっていく流れになります。日本では、天皇が政治の変革のリーダーになっていくでしょう。天皇が政府に関与するという意味ではなく、皇室の在り方によって影響を及ぼしていく、ということです。そして日本は、イノベーション(革新)の国として、さらに世界から注目されます。各分野で、革新的な技術のリーダーシップをとっていくようになるでしょう。それは、クリーンテクノロジーを使った技術です。エネルギー問題も、原子力発電が、よリクリーンなエネルギーに変わっていきます。2022年頃には、福島の土壌の問題にも変化が起きるでしょう。
また、移動手段に関するテクノロジーも、2020年〜23年にかけて変化が起こるでしょう。
■地球はいずれ太陽のような恒星になる
地球上には、よりハーモニーをもたらすエネルギーが降り注ぎます。非常に濃度の高かった重たいエネルギーが地球から解離し、宇宙に放出されていくでしょう。惑星そのものも、エネルギーです。惑星の配列は磁力によって起きていますが、重たいエネルギー同士が引きあい、フレッシュなエネルギー同士が引きあっていきます。いま地球は、さまざまな星が関与しながら、デトックスしていっているプロセスにあります。そして、太陽と月と地球の配列によって、エネルギーが変換されている最中です。これは、知性(インテリジェンス)によって行われています。それは、地球の両親にあたる存在から、アップデートされているような状態です。別の言い方をすると、太陽は地球のハイアーセルフといえます。太陽はただの燃える火の塊ではなく、水もあり、非常に純粋な光で、調和の周波数をもち、愛の幾何学を体現しています。地球もいずれは、同じレベルの星へ−−惑星から恒星へと、進化していくことになります。遠い先の話ではありません。彼女(地球)自身が、アセンションの道をたどっているのです。
その過程で、地球はいま、第3密度の状態と、第4密度の状態に分裂しようとしています。そのポイントは、2037年になるでしょう。第4密度の世界に移行する人たちにとっては、移行は瞬時に起きます。この時期を、「収穫期」と呼んでいます。地球が2つに分裂すると、第4密度に移行する人と第3密度に残る人は別れることになりますが、どちらも同時に存在します。マスターの中でも「アバター(化身)」と呼ばれる存在がいますね。それは、ほかの密度にも存在している存在のことをいうのです。これから、地球がより発展していくために、宇宙的なエネルギーと、地球にいる皆さんのエネルギーとが相互作用しながら、必要な変化が起きていくでしょう。皆さんの集合意識も、こうした星の動きに大きな影響を受けて変化していきます。
 ・・・<抜粋終了>・・・
「地球が2つに分裂すると、第4密度に移行する人と第3密度に残る人は別れることになりますが、どちらも同時に存在します」とは、どう解釈したらいいのか悩んでいます。第3密度に残る人は、第4密度に移行した地球には住めないので、別の第3密度の惑星に転生することになるというのはわかります。しかし、第4密度に移行する人は、アバターのように第3密度にも存在できるということでしょうか。本人が意図すれば、第3密度に肉体を具現化して、第3密度の世界を体験できるということであれば、理解できそうな気がします。
まだまだ、色々勉強しなければならないことが多そうです。

本山よろず屋本舗
http://motoyama.world.coocan.jp/

大摩邇(おおまに)
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/





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2020年04月12日

fukutyaipuku: 分かれ道〜建て替えが進んでいる

fukutyaipuku: 分かれ道〜建て替えが進んでいる
分かれ道
今、日本を含め世界では、急速な勢いで、「建て替え」(立て直しのための破壊)が進んでいます。
創造、維持、破壊の宇宙神 ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ
ブラフマー(創造の神)、
ビシュヌ(維持の神)、
シヴァ(破壊の神)
今まさに、ブラフマーが活躍するために、シヴァの破壊が行われています。
でもそれは、夜明けが近い証拠。
今日は丁度1年前(2019/2/21)に書いた記事ですが、今の時代をまさに言い当てていますので、加筆修正して掲載します。但し、不思議系のお話です。眉唾ものですので、興味のない方はスルーなさってください。
■王仁三郎予言
霊的な巨人であった出口王仁三郎は、数々の予言を残しましたが、それらがことごとく的中しています。
私たち人間は、変化の渦中で生活していると、世の中の変化には、少しは気付くかもしれませんが、その裏にある、神々の意図まで考えをめぐらすことはできないものです。ですが世の中は、着実に神々の計画通り動いています。
神々の方法は、下記の2つで成り立っています。
・立替え そして 
・立直し です。
立替えは、神々による破壊
立直しは、破壊しつくされた世界を人間の力で作り直していく作業です。
そして神々の計画は、概ね30年を区切りとして行われています。王仁三郎が予言を残してから、神々の区切りである30年刻みで、様々に世界・日本は変化してきましたが、2010年からの30年は、人間の精神性に関する立替え・立直しと言われています。
2011年の東北大震災。それがスタートでした。
神々による「人間の精神性の復活」のための破壊(建て替え)が始まりました。
精神性の復活とは心の美しさ、愛や思いやり、やさしさを大切にする社会のことです。嫉妬や妬みなど、憎しみとは、真逆の世界です。
■弥勒の世
まず123(ひふみ)の段階で、中心に最高霊
ここで、先日発表された一つの論文の一部をご紹介します。船瀬図書館の記事に載った池田整治さんの記事です。かなり飛んでいるお話です。私は真偽のほどはわかりません。ですが池田さんは、尊敬しています。詳しくは、元記事にあたってください。
<引用開始> 引用元
伝説によれば、宇宙文明の仲間入りをする「弥勒の世」は3段階で達成されます。
まず123(ひふみ)の段階で、中心に最高霊の「スメラミコト」が降臨。具体的には1945年8月15日、敗戦で天皇陛下が軍服を脱いだ時。
次に345(みよいず)の段階で、国造り。
今は、まさにミロクの世に相応しい社会、組織作りの時なのです。にもかかわらず、植民地体制で日本人の覚醒が封印されています。
そして、最期の567(みろく) = コロナ の10年間でいっきにミロクの世が完成する。その始まりが実は、2020年。だから、新たな天皇陛下の御代となるとも言えます。
問題は、2020年からのミロクの時代には、それに相応しい霊格を持った人でないと住めないという現実です。
具体的には、愛の度数が800以上のひと(霊人)。ちなみに、キリストや仏陀で1000ぐらいと言われています。では、それ以下の人はどうなるのか?ズバリ、大峠で淘汰されます。要は、地球自体が5次元の星になるので、もう地球に転生して生まれ変わりはできない、とのことです。
要は、これから始まる地震、噴火、あるいはポールシフト等は、800以下の人々を淘汰するための、ガイア自身の最期の「決断」とも言えます。
つまり、このままエゴの増大する世界金融支配体制などに任せていたら、ガイアのシステム自身が終焉を迎えてしまうから…。状況によれば、全人類が一度「泥」に覆われるかも知れない。その時に、高次元の宇宙の仲間が、使える魂を拾い上げる「宇宙艦隊」も既に地球の周りで待機している…
逆に、皆が高いレベルなら、自然現象の天変地異も最小限の被害で終わる、ということも言えます。
ここに書かれている
>全人類が一度「泥」に覆われるかも知れない。
とは、今まさに起こっている、コロナウイルスのパンデミックかもしれませんね。
あまり不思議系の派手なものは、私のブログでは、載せないようにしているのですが、今日は、愛する母のために「往生要集」 おうじょうようしゅう をまとめあげた平安中期の天台宗の僧、源信(げんしん)の願いと同じ気持ちで載せました。綺麗ごとばかりでなく、清濁併せ飲んだうえで、泥にまみれても、それでも本当の幸せを得るため、実利の道を進むためです。
池田さんは「淘汰」という厳しい言葉を使っていらっしゃいますが、要するに、各自の魂の嗜好性によって類は友を呼ぶの法則通り地球の波動が上がれば、波動の合わなくなった人は、別の星に移動して行く、生まれ変わっていく。自分の好み、波長に合った世界(星)に移動して行く。そういう意味だと思います。
神様の目から見れば、上も下も良いも悪いもないからです。
皆さん、心の準備はできていますか?
優しさや、愛は与えれば与えるほど、自分の中に溢れてくるものです。決して与えることで枯渇してしまい自分が損をすることではありません。その行為は、美しいエネルギーの循環を起こし、人々を幸せにしながら、再び自分に、何倍にもなって戻ってきます。どうか今目の前に居らっしゃる方に、笑顔と優しさと、愛を向けてみて下さい。きっとブッダの言った、3千年王国の到来に私たちも貢献できるはずですから。

いっぷくからのありがとう
https://ameblo.jp/fukutyaipuku/entry-12588131113.html
 

 


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2020年03月27日

煩悩くん: 2025年位置の「転換」開始

煩悩くん: 2025年位置の「転換」開始
オコツトが示すタイムスケジュールでは,,,
2013年・・・位置の「変換」開始
2025年・・・位置の「転換」開始
2037年・・・入神
オイラはこのスケジュールだけは鉄板だと思っている。数あるスピ情報のなかでもダントツの信頼性だろう。2013年の伊勢・出雲の同時式年遷宮もこの2013年の「変換」にリンク(シンクロ)したイベント。ちなみに「入神」とはアセンションのこと。ですから,一般人のアセンションはまだまだ先の未来。
2013年から新たな変換人の時代(第8太陽系次元)の顕現化が始まり,それまでの人間次元(第7太陽系次元)は壊滅していくというが,これが「変換」が意味する内容。現在,2013年も中盤に差し掛かかろうとしていますが,「変換」が明確に認知される程ではありませんが,実際には世界は,放射性物質の海洋汚染及び海洋生物言うの生体濃縮,地震,津波,洪水,酷暑,ハリケーン,地殻陥没,土砂崩れ...等が以前に比べ多く起きており,少し前にデトロイト市が破綻しましたが破綻一歩手前の国や自治体がゴロゴロとある。今,世の中は壊滅前夜祭的な状態。これらはベロ-ンと世界が裏返りが起き始め「変換人世界」が顕現し始めているからだと睨む。太陽がチョー暑いのもそういうことだすな。うんうん。
で,その変換開始の時期は,前記事で日月神示で「旧9月8日」として示される「怒涛のイベントが【待ち行列】で並んでいる切替の為の一定期間」=新暦9月8日-旧暦9月8日(10月12日)の期間=「Q(急)」の時だと,オイラのマン毛狂写輪眼からは洞察している。この時は悪神のQ(九)尾妖狐や八岐大蛇が大きく世に解き放たれる時でもあり,「旧9月8日」は「九尾(9)八岐(8)始動のキュー(始動合図)の時」でもある。
※「白面金毛九尾の狐」は野狐の悪狐の中でも人に危害を与える妖狐として知られる。
これで変換開始の大規模なキューが下される。
※TV局で使う「キュー」は出来事の始まりや取るべき行動を喚起する合図,信号。英語で「手がかり」「合図」を意味するCueは,元はラテン語のquando(何時?)から派生した言葉。ここでも「Q」の一致がある。
ちなみに,オイラの洞察がズバリ当たった試しはないが,,,(爆)
しかし,不気味なことに9.6前後に近畿でM8級の大地震の兆候があると天文学者で地震観測家のクッシーこと串田嘉男氏がレポートで発表している。9月に地震が起きず収束してしまうと,次は10月頃に移行するだろうと予測している。
2013-09-03

煩悩くんフルスロットル
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長期前兆
http://www.jishin-yohou.com/1778_zokuhouz_041.pdf








しし44
8月30日には日本列島では,,,
■午後4時36分頃,福島県で震度4の揺れを観測する地震
マグニチュード4・0
■午後5時32分頃,和歌山県南方沖で地震,同県太地町で震度4
マグニチュード4・4
まるでフォッサマグナを挟んだ東日本と西日本が呼応するかの如き今回の2つの地震にうちのカミさんが怖がっているだす。この共振は,多分,震源2地点近くを貫いている「中央構造線」が伝達媒体として関与しているだすな。
でも,何故こうも「4」が頻出するのか?
「4」「4」,,,「し」「し」
うっ,こ,これは,,,おしし様登場が近いという啓示なのかぁ!?
おしし様とは「青い星が現れると海が落ちてきて地球が腐る。でも,おしし様(国常立神)が来ると青い星が割れて地球は腐らない。」とある幼児に予言された存在。この「青い星」はホピ予言が云うサクソファーであり,ニビルなのか?逆に,おしし様が二ビルなのか?あるいは,おしし様は全く別の神的存在なのか?,,,いづれにせよ,このシンクロ地震はニビル来訪を暗示させる出来事であり,ニビラーのオイラにとってゾクゾクする内容ではある。
既に3.11から2年半が過ぎましたが,昨日の台湾落石事故や青森集中豪雨による非難指示...等,今も世界各地で異常事態が続いている。日本では3.11の被災が酷過ぎた為,日本はもうこれ以上の過酷状況となる被災はないだろうという認識が散見されるようですが,,,
「まだだ!まだ終わらんよ!」
(クアトロ・バジーナ)
Quattro Vageena
(ニビルや蚩尤旗を彷彿とさせる「赤い彗星」ことシャアの連邦での戸籍はクアトロ・バジーナ。「Q」の付くクアトロQuattroとはラテン系のスペイン語・イタリア語で「4」を意味する言葉。シャアが『キャスバル』から数えて4番目に名乗った名前ということに由来。英語版では綴りがQuattro Bajeenaと「V」が「B」になっていますが,これはバアル神Baalの体現者という意味があるのかもしれん。つまり,クアトロ・バジーナは「おしし様」の暗喩でもあった?)
確かに,福島の放射性物質の汚染拡散は東電の杜撰な対応と合わせ解決策なしで「取り敢えずやっている」という暗澹たる状況であり,この安易で杜撰な拡散防止処理は単にタンク製作コストだけの問題ではなく,東電が対処することが出来ない状態にして政府に肩代わりさせようと画策していることが背景にあると睨んでいる。それには福島原発の汚染レベルが高まって,作業できない状態にする必要があるというわけです。
それ以外にも,富士山噴火,東北アウターライズ地震,関東大震災,東海・東南海・南海三連動地震...等だけでなく,洪水,渇水,日照り,土砂崩れ,海水の放射能汚染...等の自然環境の変化も含め,日本はまだまだ過酷な状況に置かれる要因が盛りだくさんある。ただただ傍観するしかないという状況。日月神示が云うように,オイラは日本は国体崩壊(藤原官僚制の終焉)まで行くとみている。
まぁ,実際,杜撰な年金問題もそうですが,地震国に原発などという危険を過小評価して自らが推進した原発推進。その最悪結果の「過酷事故」を及び腰で事故処理をしている日本政府の対応を見ていれば,こんな政府は不要だという考えに日本臣民が思い至るのは時間の問題。今,伝家の宝刀「先送り」が出来ない状態に追い込まれてきているが,未だそれをしようとしている。次の過酷事故発生でそんなのは一発で吹っ飛ぶだろう。原発撤退で不良資産化した核燃料で経営が悪化する電力会社を一旦全て潰してしまい,一気に「送発電分離」にまで持っていく。これが正しい道筋になるだろうな。
オコツトが示すタイムスケジュールでは,,,
2013年・・・位置の「変換」開始
2025年・・・位置の「転換」開始
2037年・・・入神
オイラはこのスケジュールだけは鉄板だと思っている。数あるスピ情報のなかでもダントツの信頼性だろう。2013年の伊勢・出雲の同時式年遷宮もこの2013年の「変換」にリンク(シンクロ)したイベント。ちなみに「入神」とはアセンションのこと。ですから,一般人のアセンションはまだまだ先の未来。
2013年から新たな変換人の時代(第8太陽系次元)の顕現化が始まり,それまでの人間次元(第7太陽系次元)は壊滅していくというが,これが「変換」が意味する内容。現在,2013年も中盤に差し掛かかろうとしていますが,「変換」が明確に認知される程ではありませんが,実際には世界は,放射性物質の海洋汚染及び海洋生物言うの生体濃縮,地震,津波,洪水,酷暑,ハリケーン,地殻陥没,土砂崩れ...等が以前に比べ多く起きており,少し前にデトロイト市が破綻しましたが破綻一歩手前の国や自治体がゴロゴロとある。今,世の中は壊滅前夜祭的な状態。これらはベロ-ンと世界が裏返りが起き始め「変換人世界」が顕現し始めているからだと睨む。太陽がチョー暑いのもそういうことだすな。うんうん。
で,その変換開始の時期は,前記事で日月神示で「旧9月8日」として示される「怒涛のイベントが【待ち行列】で並んでいる切替の為の一定期間」=新暦9月8日-旧暦9月8日(10月12日)の期間=「Q(急)」の時だと,オイラのマン毛狂写輪眼からは洞察している。この時は悪神のQ(九)尾妖狐や八岐大蛇が大きく世に解き放たれる時でもあり,「旧9月8日」は「九尾(9)八岐(8)始動のキュー(始動合図)の時」でもある。
※「白面金毛九尾の狐」は野狐の悪狐の中でも人に危害を与える妖狐として知られる。
これで変換開始の大規模なキューが下される。
※TV局で使う「キュー」は出来事の始まりや取るべき行動を喚起する合図,信号。英語で「手がかり」「合図」を意味するCueは,元はラテン語のquando(何時?)から派生した言葉。ここでも「Q」の一致がある。
ちなみに,オイラの洞察がズバリ当たった試しはないが,,,(爆)
しかし,不気味なことに9.6前後に近畿でM8級の大地震の兆候があると天文学者で地震観測家のクッシーこと串田嘉男氏がレポートで発表している。9月に地震が起きず収束してしまうと,次は10月頃に移行するだろうと予測している。
■長期前兆No.1778続報No,0412013.9.2
http://www.jishin-yohou.com/1778_zokuhouz_041.pdf
これを受けて夕刊フジが一面にデカデカと掲載。
ロシアの地震学者アレクセイ・リュブーシン氏も2013年秋-2014年春に南海トラフでM9地震があると予測しているので,両地震学者の意見が一致している。そこに「戦争状態よりも酷い光景で,福島以上の災害が関西の都市で起きる。」というロンバートの予言がオーバーラップしてくる。
関西の都市とは一体どこなのだ???
ビリケン新世界の大阪か?賀茂氏や藤原氏の中枢の京都か?「身の終わり」を示す「美濃尾張」(名古屋・岐阜)か?福島と「クーパー対」の福井若狭のオバマ市か?卑弥呼が眠る奈良か?徐福の吉野熊野か?どこも有り得そうでそうでもなさそう。
※ 串田氏はロシア地震学者のいう南海トラフ震源とは異なり琵琶湖周辺の内陸型巨大地震を想定しているようです。確かに,現在,琵琶湖湖底からは熱水が出ていて非常に怪しげ。琵琶湖なら「薄墨桜」の近くだすな。まぁ,串田氏の予測は東海アマ程ではないがハズレもまた多いのも事実。
3.11と同様にプレート摩擦で隆起した地殻が地震で元に戻ってしまうならば,大阪,奈良,岐阜,名古屋はかつて海の底だったが,これが当時と同じ様に海になってしまうのかもしれない。まぁ,それには相当大きな変動がなければ有り得ないことなのだが,,,これは却下かな。
※地殻が隆起して平野が出来たのが「国生み神話」の元。
東大寺二月堂で3 月12日の深夜行われる「お水取り」の10日前の3月2日には小浜市の若狭神宮寺と鵜の瀬で「お水送り」の神事が行われるが,東大寺・二月堂の前の閼伽井屋(あかいや)と呼ばれる切妻造の覆屋がりますが,ここに「若狭井」という普段は枯れた井戸があり,若狭と地下水路でにつながっているといわれる。不思議な事に3月12日の深夜の「お水取り」の儀式が行われる時だけ,この井戸から若狭の遠敷川に注がれた香水が沸き出すという。
実際,京都盆地の地下には豊富な地下水脈があり,北東から南西方向に流れ,桂・宇治・木津の三川合流地点付近を通過して大阪平野に向かって流出している。電磁探査調査でも京都盆地には琵琶湖の2/3に匹敵する地底湖が存在していることが指摘されている。(京都大学防災研究所年報第52号B平成21年6月)。
南海トラフでの地震は近紀伊半島や四国沿岸部にのみに津波被害が想定されるが,近畿地方は熊野吉野の高い山々で遮られ内陸部に被害は及ばない。強いて言えば,大阪湾に面する地帯が最大5m程度の津波被害が起きるだけだろう。オイラはロンバートが言う「福島以上」という言葉からは原発関連の過酷事故を想定していたが,紀伊半島には原発施設がない。また,南海トラフと福井では全く反対側で全く影響は出ないと思われる。
あるとすれば,長周期地震で京都の地底湖が圧迫されオバマ市にまで伸びる地下水脈を逆流し水がプシュ-と飛び出して,土砂と水が混じった「陸津波」が極々一部の地域で起きるぐらい。よって,南海トラフを震源とした場合,原発関連の事故はないと思いたい。やはり,被害の多くは津波と地盤沈下と火事だろうな。
(若狭の原発がやられると関西は終焉。福井原発銀座の中心がオバマ市,そのオバマ市は京都経由で奈良と地下水脈で繋がっている。)
被災をいろいろと想定していますが,とどめの出来事がオイラにあったのだす。なんと,玄関上に貼って飾っていた大神神社(奈良県桜井市)の「赤御幣」が朝落ちていた。オイラはコレが一番怖かっただす-っ。ここから想定すると震源は○○なのか?3.11はトラフの内陸側で起きたが,南海トラフでも同様の地震が起きる場合,トラフからの距離が同じ程度ならば,紀伊半島沿岸部直前か内陸部が震源になるかもしれない。こう考えると,少し前に騒ぎになった奈良の地震警報誤報は非常に暗示的なものだったとなるが,,,果たして,,,,
2ちゃんには,こんな書き込みもありました。
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5 名前:♯地震は奈良[] 投稿日:2013/09/01(日) 22:56:01.80 ID:C+PhzmXd0 [1/2]
すまんあまりにはっきり見えたので書かせてもらう
9月8日13時奈良で大変な地震がおきる夢みた
ここまではっきり見えた事は初めてだから書いた
何もおこらなければいいが
253 名前: ◆1f6i.2r53Y [] 投稿日:2013/09/02(月) 20:10:33.64 ID:WlgfFrdv0
すまん
昨日も同じ夢がはっきり
9月8日13時これまじやばい
今迄こんな事は初めてだ出来るだけ沢山助かって欲しい
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9月8日13時かぁ,,,まぁ,オイラのシンクロと同じ結果なのがチト怖い。
さてさて,日月神示が述べる旧9月8日の内容は,,,
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「天災待つは悪の心,邪と知らしてあるがまだ判らんのか。旧9月8日の9の仕組み近づいたぞ。人間に判らんめずらしき事を出すぞ。皆この神の仕組みであるから,変わりたこと,判らん事が愈々となったら,神代近づいたのであるぞ。天地がひっくり返ると云うことはミタマがひっくり返ると云うことぞ。信仰の人,無信仰の人と,愈々立分けの時じゃぞ。空に変わりたこと現れたなれば地に変わりたことあると心得よ。いよいよとなりて来ているのぞ。天の異変気をつけて居れよ。神世近づいたぞ。海のつなみ気をつけて呉れ。石流れて,木の葉沈むと申してあろうが,今がその世ざぞ。旧9月8日までに何もかも始末しておけよ,心引かれる事残しておくと,詰まらんことで詰まらん事になるぞ。もう待たれんことにギリギリになっている事判るであろうがな。天災や地変は大きな肉体の応急処置の現れであるぞ。部分的に人間苦しめる様に思うてはならん。一日一度は便所へ行かなならんであろうがな。人間この世の50年をもととして考えるから判らなくなるのざ。永遠弥栄の生命体得結構」
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「天災待つは悪の心」,,,この煩フルのネガティブ内容満載のブログには非常に耳の痛い言葉だすが,この言葉の解釈には注意が必要。一見,この世の既存統治システムを天災によって破壊→再創造という流れを望むのは「悪の心持ち」のようにも聞こえるが,実はそうではない。もしそうなら「天災を心待ちする」「天災を望む」という表現になる筈です。「天災待つ」とは文字通り「天災を何もせずに座して待つ受身的な領受する態度」のことを言っているのであり,これを金神は非難している。その証拠に,神とケモノの立て分けの時期が迫っているから御魂を綺麗にしろと金神は何度もクドく言っているのです。
「22」の人類の集合的無意識は新たな枠組みに移行する際に抵抗勢力として前に立ちはだかる。この本質は現状維持とか保守本流とか云われるもの。これを打ち砕くのがQ(九)尾妖狐や八岐大蛇や使徒らの天災ですが,悪が善を為すと云われる所以。視点を変えると,ネガティブはポジティブであり,ポジティブがネガティブであったのだす。「9の仕組み」は「Q(急)の仕組」でもあるが,「Q」は日月神示の「丸にチョン」のマークと同じでもあるのだす。
丸にチョン
Mr.Q(蔵王権現=バアル=ルシファー)の本性は善悪を超えた存在ですが,Q(九)尾妖狐は蚩尤(しゆう)と同じくMr.Qの悪の面(ダークサイド)であり,その対極が金神だす。実際,戦いの神・蚩尤(しゆう)が作り出す武器・兵器は戦禍を巻き起こすが,同じ冶金や製鉄炉から生み出される日常使いの鉄製品は生活を便利なものにする。こちらは金神(金山彦)として祀られる。この2面を統御するのが22を超えた「23」次元。ここは人類の自我領域の最終領域である集団的無意識領域(22)を抜き出たスグのところ。「23」はNBAのジョーダンの番号でもあるが,これはシリウス・ナンバーでもある。つまり,これがイルミナティの崇めるプロビデンスの目の領域。しかし,これを超えるのがマジック・ジョンソンの番号「32」が暗喩するより深層の意識領域。これがMr.Qの本性のいる領域でオリオンの観察意識領域。このオリオン意識レベルで初めて三元性(光と我と闇)を等化でき,地球内生命意識が1つとしてまとまる意識領域。これ故,地球を作った国常立尊と呼ばれる。これで吉野蔵王堂の蔵王権現が何故3体なのかが理解できよう。
※蔵王三体はオリオンの3つ星の暗喩でもある。
(コメ指摘あったように,「Mr.Q」のPVに登場するクーパーは9月8日を暗示し,ストレッチリムジンは9月8日から始まる1ヶ月間の長いクォンタム期間を暗示しているか?)
モンローのヘミシングでの分類は,,,
Focus 01:通常の肉体と精神が完全な覚醒状態
Focus 03:物質としての「頭脳」と非物質である「意識」が同調した状態
Focus 10:肉体は眠り意識は覚醒した状態
Focus 12:意識を拡張した状態,五感を超えた世界
Focus 15:時間と空間が無制限,交信したりや過去世を見やすい
Focus 18:癒しの世界
Focus 21:物質的世界(現世)と非物質的(精神)世界の境界
Focus 23:人間的囚われの世界(膠着状態/孤独状態)
Focus 24-26:信念体系領域(共通の信念や価値観)
Focus 27:輪廻転生の中継点
Focus 35:地球生命系内の時間を超えた意識の広がり・つながり。地球外生命体が多数集結し,今後起こる地球生命系の一大変化を観察。
Focus 42:太陽系を超えた意識の広がり・つながり。
Focus 49:銀河系を超えた意識の広がり・つながり。
フォーカスレベル
(モリケンの分類)
「44」のおしし様は,「22」の2倍2倍であり,「32」の地球意識のさらに奥深い太陽系を超えた意識の広がり・つながり領域。喩えていえば,銀河意識の無意識領域からもたらされるものといえるのではなかろうか?
意識は33段のピラミッド状に分けられ,11段までが自我意識,22段までが人類の集合的無意識,33段までが宇宙意識とされている。メーソンの33階段はこれを模しているが,33段のプロビデンスの目は実は宇宙意識の最下部「23」に過ぎない。それを頂点として33段階の仮想ピラミッドを作ったに過ぎない。宇宙意識の最下部が「23」でその最上部は「32」です。
※「33」はと「32」はホルスの目のように付き離れているが,「33」こそがオリオンの観察意識。次元が変換・転換していくと,いったいどうなるかといえば,そのことを分かり易く説明したブログ記事がありましたので紹介します。
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その人類の数だけ存在する別々の世界だが,これから波長の合う世界が統合し,自分の波長以外の世界は認識できなくなるということなのだ。それが,「生きながら死後の世界に入っていく」プロセスでもある
(略)
バシャールは次のようにも言っている。
物理的な現実の全ては比喩であり,象徴,シンボルとして現れています。
そして,みなさんの個人的な現実の中でそのシンボルが
いったい何を意味するかは,みなさん自身が決めることができます。
そして,それによって,みなさん個人が受ける影響が決まるのです。
つまり,この世が投影の世界であることを理解した上で,内観(自問自答)することが大切だということである。パラレルワールドは無数の種類の未来という意味で使われるのが一般的だが,ここでは「一人ひとりが異なる世界に住んでいる」という意味である。それが今年の冬至から統合が始まる……。つまり,普通の人の世界観からすると,今は人類は同じ世界に住んでいるが,それが同じ周波数の世界ごとに分かれていくということである。それがバシャールのいう「パラレル・アースへの分化」で,それを大別すると,「ポジティブな世界」と「ネガティブな世界」に分かれていくという。『日月神示』には「神と獣に分かれる」と予言されているが,「神へと進化していく霊止(ヒト)」と「動物的・悪魔的な本性を顕す人間」に分かれるということだ。言わずもがな,前者が「ポジティブな世界」の住人で,後者が「ネガティブな世界」の住人である。もちろん,突然,世界が分裂するわけではなく,バシャールの話では,2025年頃までは共存するようである。オコツトの言葉で言えば,2013年から「変換人」と「人間」に分かれていくことになる。変換人とは,次元変換をしていくために現出してくる人間のことで,バシャールがいう「ポジティブな世界」に移行する人間である。
■マヤ暦の終わりと「2013年-2037年」の黙示録
http://new-mu.seesaa.net/article/304985453.html
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転換点というか,統合開始の暦上の時期が冬至の2012年12月21日だった。世間的には何事も起きませんでしたが,暦上ではそうなります。そして,それが地表世界にQuick(早急)に顕現して来るのが「Q(急)」の期間だと睨むのですが,これは人類最大のQuestion(謎問題)でもある。Queue(待ち行列)の状態で様々な出来事が起き,今までの延長線上の行動や仕組みはQuit(断念)され,資源を食い尽くしながら実体のないマネーを得るという愚かな行動が無くなることで,経済活動は著しく縮小され,ブラック企業は無くなり,やがて地表や人々はQuiet(穏やか)になる。「Q(急)」の時はQuantum(切替までの一定期間)なのだす。
ネガネガな内容に溢れる煩フルなので,一見ネガティブな人間に見えますが,その実,見通す未来は非常にポジティブ(能動)なのだす(爆)。富士山の姿ようなピラミッド型支配システム構造を持つ現世界を維持・保持することが,実はネガティブ(受動)なことだと考えている。ミロクの世でのあるべき姿は授与-受取の「利他」を基本ベースとしたカルデラ型のトーラス(ドーナツ)構造の社会だすな。日月神示の「丸にチョン」はそんな姿を描いているように見える。
2013-09-03

煩悩くんフルスロットル
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長期前兆
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2020年01月10日

on-linetrpgsite: 日本は世界の雛型・鎌倉時代は現代の雛型

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on-linetrpgsite: 日本は世界の雛型・鎌倉時代は現代の雛型
2012年2月18日
第三次世界大戦の勃発の時間と場所と原因を予測します
※あくまで、管理人の予測に過ぎないので、
外れる可能性も多分にあることを前提に見て頂ければ、幸いですm(__)m
最近、預言詩を使った予測記事ばかりで、すんません^^; まぁ、それだけ、時期的にひっ迫してきているんです。近いうちに、色々と好ましく無いことが起きそうな感じがあります。 政治情勢・経済動向・天文・歴史サイクル、色々な面で宜しく無い状況が見て取れます。本文を読む前に、できれば応援クリックにご協力下さいm(__)m ⇒ 人気ブログランキング管理人はFXや株などの投資をしているのですが、それらの相場チャートを見ていても、
時期的に間もなく、中期の天井を付け、後は下落まっさかさま・・・と言う状況が見て取れます。この辺は、超長期のエリオット波動を考えれば、誰でも分ります。(今、株を持たれている方は、3月前半までに処理されることをお勧めします)
まぁ、前置きは良いとして、、、
よくない事が起きる・・・その一つとして、
管理人は「アメリカの内乱」を予測しています。戦争というのも、色々ありますが、一つは、「アメリカの内乱」これは、もう何時起きてもおかしくない状態で、恐らく国を二分しての内乱になります。内乱と言えば、聞こえはいいですが、内戦と言っていいかもしれません。アメリカ内乱なんて起きるか?と懐疑的な方は、下記を見れば、そういう事も起こり得ることが分かるとともいます。
参考:米国・中国ともに内戦必至の様相
参考:アメリカ国民の半数が生活保護に頼っており、その数が増加しています
実は、このアメリカの国内が二分して争う状況になるというのは、聖ヒルデガルトの預言詩の中にも、しっかり記載されているんです。ただ、アメリカ内乱は、今回の主題と少しかけ離れるので、ここでは、述べないでおきます^^;
管理人が今回、問題にするのは、、、ずばり
「EU vs イスラム」の戦争(第三次世界大戦)がいつ起きるのか?
です。非常に、これは重要な予測になると思うので、ここで解説していきたいと思います。
■鎌倉時代の世界と現代との対応
管理人が将来予測をする上で、参考にしている一つが、聖徳太子の未来記です。聖徳太子の未来記には、鎌倉時代の世と現在社会とが、同じ歴史サイクルでなりたっており、鎌倉時代に日本で起きた事が、そのまま世界に反映されると言う事が書かれています。そういう事を勘案して、鎌倉時代の歴史を考えるとどのようになるでしょうか?
表は、鎌倉時代の世界と現代との対応、歴史年表です。見て頂くと分かりますが、歴史の出来事に対して、それぞれの地理的な状況や、現在の状況に踏まえて、それぞれ色付けしてあります。
日本で過去に、その土地土地で起きた出来事は、
下記の「日本は世界の縮図」を通して世界にも反映されます。(まさに、日本は世界のひな型なんです)
鎌倉時代には、鎌倉地震が起きていますが、現代では311東日本大震災が対応します。正中の変は、昨年5月のビンラディンの討伐報道に対応します。
その後、蝦夷大乱が起きていますが、昨年来から米国内で、オキュパイ運動などが起きている状況とも合致しています。そして、鎌倉時代では、この蝦夷大乱(アメリカ内乱)の後に、本格的に戦争状態へと突入していく訳です。
この鎌倉時代の戦争状態を、現代で例えるならば、それは、EUvsイスラムの戦争(第三次世界大戦)なのです。まぁ、このように、鎌倉時代を、そのまま現代に当てはめると将来予測が出来る訳です。
鎌倉時代で、戦争が起こる前、蝦夷大乱があったように、現代においては、EUvsイスラムの戦争が起こる前に、"アメリカ内乱"が起きるはずなので、それを判断材料にして頂ければよいと思います。
※ただし、オキュパイ運動やアニノマスの騒動などは、既に起きているので、
もう、内乱は既に起こってしまっている可能性も多分にありますので、ご注意下さい。
■EU vs イスラムの戦争のタイミングとは?
「EU vs イスラムの戦争」が、起こる前に、アメリカの内乱が起きる事は、
前述で述べた通りなのですが・・・
アメリカ内乱以外にメルクマール(判断材料・判断指標)となるものはないのでしょうか?
実は、あります。
しかも、ある程度、戦争の勃発タイミングの時期を限定することが出来ます。しかも、何処で最初に戦争が起きるのか?誰が攻められるのか?まで、
おおよその見当はつける事が出来るのです。
では、その、「EU vs イスラムの戦争」が実際に起るタイミングとして、
「何月に何処で起るのか?」、
「何処が誰を攻めるのか?」
これを詳しく見ていきます。その戦争のタイミングを知る鍵は、ずばり「ローマ法皇」にあります。
■EU vs イスラムの戦争の鍵を握るローマ法皇
ここで、もう一つの預言詩である、ノストラダムスの預言書を考慮します。EU vs イスラムの戦争のタイミングを、具体的に知るためには、ノストラダムスの預言詩を用い、さらに預言詩を複合的に考える必要があるのです。
先ほど、一つのメルクマールとして、"アメリカの内乱"を挙げましたが、もう一つ、判断材料にできるのが、"ローマ法皇の暗殺"です。これも、「そんなこと起こるのか?」と思われるかもしれませんが、実際に、下記のように、枢機卿が法皇暗殺の懸念を持ち、ローマ法皇に伝えた事が、既に明らかになっています。このローマ法皇の暗殺に関しては、下記の記事にて、詳しく述べていますが・・・
ローマ法皇の船が5、6月頃に沈む事を予測しておきますそのローマ法皇の暗殺の時期は、大よそ今年か来年の5月〜6月にかけてが、危ない時期です。(管理人は今年だと思っていますが)
以前も述べましたが、ノストラダムスの預言には、下記のように、ローマ法皇の船が沈没し殺される・・・思われるような記述が何か所もあります。
※ただし、船=教会の意味で使われている可能性もあるので注意
(百詩編T.4)
世界に出現するだろう
束の間の平和しか味わえぬみじかい王が
そのとき法王の舟は致命傷を被り、波間に没するだろう
(百詩編T.11)
感覚 心 足 手の動きは
ナポリとリヨンとシシリーとの一致に委ねられるだろう
剣 火 洪水 高貴なローマ人が溺れる
殺されるか自然死するか 脳が弱いからそうなるのだ
(百詩篇U.15)
王が殺される少し前に
カストールとポリュデウケースが船に乗って髭の星に宿る
公共の財宝が海と陸でからっぽになり
ピーサ アスティ フェルラーラ トリノは禁じられた土地
※カストールとポリュデウケースは双子座を示します
(百詩篇Y.6)
北方に向かって現れるだろう、
長髪の星(意訳するなら「彗星」)が巨蟹宮から遠くないところで。
スーザ、シエーナ、ボイオティア、エレトリア。
ローマの大物が死ぬだろう。夜が失せる。
上記を見て頂くと分かるんですが、、、、ローマ法皇の暗殺にも予兆があります。それは、「北の方角に、髭星(彗星)が見える」というのが、まず一つの予兆です。
もう一つの具体的な時期としては、王が殺される少し前に、カストールとポリュデウケースが船に乗って髭の星に宿る長髪の星が巨蟹宮から遠くないところで。・・・という部分から、ローマ法皇の暗殺の時期は、下記の時期に限定できます。
ふたご座(5月21日〜6月21日)〜かに座(6月21日から7月23日)
特に、蟹座に近い6月中旬あたりが、ローマ法皇の暗殺が危ないと予測してます。
ローマ法皇の暗殺とEU vs イスラムの戦争 の関係
前述までで、ローマ法皇の暗殺の時期を予測しましたが、、、実は、この時期を紐解くことで、EU vs イスラムの戦争の勃発時期まで、
おおよそ読み説く事が出きるのではないか?と、最近気付きました。
下記のノストラダムスの預言詩をご覧ください。
(百詩篇X.58)
哀悼の時 狡猾な国が
若きエマチア人に戦いを仕掛けるだろう
フランス震撼 船に危険がせまろう
マルセイユは試され 西側では対話
この預言詩、、、読みとり方次第なんですが、
「哀悼の時」というのが、ローマ法皇の暗殺で哀悼の時、とも読み取れます。すなわち、ローマ法皇が暗殺されて、「哀悼の時」に、戦争が始まる・・・と書かれている訳です。でも、哀悼期間なんて、時期があいまいではないか?と思われるかもしれません。人によっては、1年間くらい哀悼をする場合もありますので。。。でも、ローマ法皇は、ちょっと特別なんです。ローマ法皇が退位した場合、喪に服する期間が、きちんと決まっているのです。
Wikipediaには、こう書いてあります。
教皇の遺体はすぐ埋葬されず、数日間聖堂などに安置される。20世紀の教皇たちはみなサン・ピエトロ大聖堂に安置されてきた。教皇庁は埋葬後、九日間の喪に服すことになる。これをラテン語で「ノヴェム・ディアリス」という。
ここに書いてあるように、ローマ法皇は死んでも、すぐに埋葬されません。そして、埋葬後には、『九日間』喪に服すことが分かっています。哀悼の時 狡猾な国が、若きエマチア人に戦いを仕掛けるだろうしたがって、このローマ法皇が埋葬され、その後の喪に服す九日間内に、管理人は戦争が勃発するのではないか?・・・と予測しておきます。
まぁ、戦争勃発具体的な時期としては、6月下旬〜8月(特に7月前半が危ない!)あたりを予測しておきます。
3/25追記:
ディスティニーカード(トランプと一年の日付を組み合わせた考え方)の知識を用いて考えるならば、歴史的に、ジャック(J)とキング(K)の日付となる日に、破壊的事象が起き易い傾向にあります。
・第一次世界大戦の開戦日(1914年7月28日)=ハートのキングの日
・第二次世界大戦真珠湾攻撃(1941年12月7日)=クローバーのジャックの日
・NY911テロ(1941年12月7日)=クローバーのキングの日
それらを勘案すると、特に第三次世界大戦の開戦日で危ないのは、下記の日付です。
・2012年6月30日=ハートのキングの日
・2012年7月2日=ダイヤのキングの日
・2012年7月4日=ダイヤのジャックの日
上記に挙げた日付は、特に要注意日です!
具体的な戦争の相手や場所は?
次に、戦争の場所や状況等について詳しく見ていきましょう。大体分かると思いますが、下記の預言詩には、そのまま戦争勃発の状況が出ています。
(百詩篇X.58)
哀悼の時 狡猾な国が
若きエマチア人に戦いを仕掛けるだろう
フランス震撼 船に危険がせまろう
マルセイユは試され 西側では対話
ここで書いてある限り、EU側から戦争を仕掛けるということはなさそうで、狡猾な国が、エマチア人に戦いを仕掛けるようです。ここで、エマチア人というのは、マケドニア人と言う意味です。古代マケドニアンは、現在のギリシャ方面であり、厳密に現在の国で言えば、ギリシャの中央部と、マケドニア、ブルガリアの一部あたりです。
エマチア人というからには、戦いはギリシャに近い国で起るのではないか?・・・と管理人は予測しておきます。ギリシャに近い国というのは、ギリシャ以外にも周辺国も含まれています。
(後述しますが、キプロスも、その視野に入れておくべきだと思います)
若きエマチア人の「若き」の意味を読み解く!
次に、現在のギリシャの政治情勢について見ていきたいと思います。預言詩には、「狡猾な国が若きエマチア人に戦いを仕掛ける」と書かれています。
まず、「若きエマチア人」という語句について、考察してみたいと思いますが、
実は、奇しくも、ギリシャでは今年4月に総選挙があります。
4月に総選挙実施へ ギリシャ(2012年02月13日)
その4月の総選挙で、多分、現在のパパデモス首相(64歳)から、若い指導者に交代をするのであろうと予測しておきます。
なお、ここで注意したいのですが・・・
ギリシャの総選挙後の首相は、ギリシャ民主主義党のサマラス党首(60歳)が、現在最有力と言われていますが、この方は年齢が若くはありません。
したがって、管理人は、別の方が、首相に就任する?可能性があると見ています。これは、実は、大事な部分です。今まで、ギリシャの財政緊縮策に距離を置いていたサマラス党首が、つい最近になって、「緊縮策に従わない議員は党から除名する」という強い姿勢を示したので、ギリシャの財政緊縮策を受け入れるムードが、今までは醸し出されていた訳です。
ギリシャ:緊縮策承認へ 与党2党首、造反者に厳罰対応
しかし、そのけん引役のサマラス党首方が、首相でない可能性があると言う事は、ギリシャが、4月総選挙の後に、追加緊縮策の承認を覆し、反故にする可能性もある。・・・と言う事を、「若きエマチア人」の語句は示唆している訳です。その結果、財政支援は受けられず、ギリシャの国家破綻に繋がる可能性もある訳です。
では、次に、エマチア人に戦いを仕掛ける「狡猾な国」が何処の国か?を考察します。この狡猾な国はエマチア人に戦いを仕向ける訳ですから、ハッキリ言えば、これはギリシャの隣国の国でしょう。
そう言う意味で、ギリシャ周辺の国際関係を見ていきますと・・・火種を抱えている国と言うのが、浮かび上がって来る訳です。。。特に、「Wikipediaのギリシャの国際関係」を調べると、興味深いことが書かれています。
<ギリシャの国際関係>
周辺国との関係では、キプロスの帰属問題でトルコとは対立関係にある。ギリシャ民族の国家であったマケドニア王国やギリシャ国内のマケドニア地方と同じ名を名乗るスラヴ系のマケドニア共和国とも対立状態にある。
このトルコとマケドニア共和国の2国のどちらかが、戦争を仕掛ける可能性があるのではないかと管理人は睨んで居ます。特に管理人が疑っているのが、トルコです。トルコは、キプロスの問題で、ギリシャと対立関係にあります。
参考:「Wikipedia キプロス問題とは?」
このキプロス問題は、実に根っこの深い問題であり、現在、キプロスは、1974年以来、南北に分断されているのです。ギリシャの総選挙後の首相は、ギリシャ民主主義党のサマラス党首(60歳)が、
現在最有力と言われていますが、この方は年齢が若くはありません。
その結果、現在、キプロスは、ギリシャ系住民のキプロス共和国(南キプロス)と、トルコ系民族の北キプロス・トルコ共和国(北キプロス)とに分断されています。
これで、ギリシャとトルコが対立しているのが分かりましたでしょうか。
余談:キプロスというのは、日本は世界のひな型地図で見れば、淡路島になります。
この淡路島・キプロスは、非常に繋がりのある土地柄です。下記の記事も併せて、お読みになると良いと思います。
天地創造神話 ∞ 淡路島とキプロス島の符号
ニュースの裏を読み解け!戦争の準備は始まっている
さらに、気になる事に、近年、キプロスにおいて、
「まるで、戦争の準備では?」と疑うべきニュースも出つつあります。
それが下記のニュースです。
2011/07/11
キプロスで武器貯蔵庫が爆発、隣接の発電所にも被害で1万人規模のデモが発生
キプロス南部の海軍基地の武器貯蔵庫で11日、大きな爆発があり、消防士ら11人が死亡、30人以上が負傷した。フランス公共ラジオなどが伝えた。
同日未明に火災の報を受けた消防隊が出動、しばらくして爆発が起きた。基地内には、2009年に押収したイランからシリア向けの武器が保管されていたという。爆発原因は不明だが、火災が武器などに引火した可能性がある。付近の民家やレストランのほか、キプロス最大の発電所も爆発の被害を受けて送電が止まっており、復旧に数カ月かかるとの見方も出ている。
ここで、よーく考えて見て下さいね。なんで、南トルコにある海軍の武器貯蔵庫が爆発したのでしょうか?なぜ、爆発原因は、不明なのでしょうか?
この事件、、、なんだかプンプン陰謀の臭いがしませんでしょうか?予め南キプロスに攻め込む前に、敵の軍勢の武器庫を破壊した!そう考えると、素直に納得できるのは、管理人だけでは無いはずです。
このように既に状況証拠も上がって来ているんですが、それに、ノストラダムスの預言詩を組み合わせて考えて見て下さい・・・
STEP1
南キプロスにある海軍基地を、予め破壊しておく(達成済み)
STEP2
南キプロスの宗主国であるギリシャを経済破たんに追い込み、ギリシャに政治混乱を巻き起こすとともに、軍隊機能を停止させる
STEP3
EUにすぐに対応されると厄介なので、EUが対応できない期間ローマ法皇の暗殺の時期を狙って、キプロスに乗り込み攻め落とす!
こう考えると、トルコにとっては、キプロスを攻め込む絶好のタイミングが、この2012年中に生まれるのではないか?・・・管理人は、こう考えます。
まぁ、よく考えると、凄い作戦ですね。
よくできたシナリオだなぁと思います。
以上のことから、、、、
トルコがキプロスを制圧に乗り込むことが、EU vs イスラムの戦争の発端になるであろうと予測しておきます。
最後に(今のうちに準備をしておこう)
以上の通り、ローマ法皇が死去した直後くらいから、世界は色々と動乱に陥る可能性が高いと管理人は予測しています。なので、何か準備をしたり、買いたいもの等あるならば、6月前半までに買っておいた方が良い・・・と申し上げておきます。
予測が外れてくれれば良いのですが、もし、予測通りに戦争が起きれば、石油価格が高騰し、インフレに拍車がかかります。したがって、それまでの時期に準備をしておくことが非常に重要です。食糧備蓄やエネルギー製品の備蓄、当面の備えなど、念のためしておくと良いと思います。
※ここで述べたのは、あくまで管理人の予測に過ぎず、外れる可能性も多分にあります。したがって、予測を参考にされる場合は、自己責任で宜しくお願いします。
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2020年01月07日

玉蔵: WW3スタート〜シオニストの人口削減計画が本格化する


玉蔵: WW3スタート〜シオニストの人口削減計画が本格化する
今年から戦争の年? WW3スタート その1
陰謀2020.01.06
ヒャッハー!
さて、去年、そろそろ戦争だろうと書いたのですが。今年しょっぱなから来ますたね。北朝鮮の方かと思いきや中東ですた。海外では第三次世界大戦がトレンド入りとのことですた。
BIGLOBEニュース
✔@shunkannews
「第三次世界大戦」各国で相次ぎトレンド入り でも日本1位は「ムック」だった|BIGLOBEニュース https://news.biglobe.ne.jp/it/0104/jc_200104_0709372493.html 
20:15 - 2020年1月4日
今年はゴーンで始まる年のようですた。
にこそく(千里の道も一歩から)@nicosokufx
大発会「中東情勢緊迫化」あかーん!
日経平均-400円超
ゴーーーーーン!
9:14 - 2020年1月6日
ワタスが注目したのは金価格の方です。
何これ凄い。金が昇竜拳中。以下は田中貴金属さんのサイト。おほぉ。日本円で6千円超えて来ますたよ。やはりなにはなくとも有事の金。金を買ってた方はおめでとうございますた。多分、これからもっと上がることでしょう。
さて、前にも書きますたが。
日月神示によれば、子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場。前が2010年〜2020年、後ろが2020年〜2030年。
ワタスがこれで思い出すのは、あのアジェンダ21です。1992年ブラジル地球環境サミットで採択されたのがアジェンダ21。表向きは地球規模の環境問題を克服して人類が繁栄するための「行動計画」である。しかし事実上は以下のようなことが目的として記載されている。
▼大幅な人口削減
▼国家主権の崩壊
▼財産の平等化(没収)
▼私有財産の禁止
▼政府による子どもの養育
▼政府による職業供与
▼行動の規制
▼居住の限定
▼教育の低下……。
具体的に「人口を85%削減」することが記載されている(『国連(生物多様性)査定報告書』)。
つまり、現在70億人のうち60億人を減らし、10億人が“適正人口”という。米バラク・オバマ政権で、大統領補佐官(科学技術担当)を務めるジョン・P・ホルドリンは 「地球に最適な人口は10億人である」 と主張している。
ワタスはこの人口削減計画。支配者層の中で変わらず最優先事項だと見てます。一番人口を効率よく削減できるのはやはり戦争なのです。
以下は、ずーっと前にのっけましたが。フリーメーソン33階級のアルバートパイクさんの予言。もうすっかり飽きてしまってこのような話題は書かなくなってしまったのですが。
フリーメーソンの正装で写るアルバート・パイク氏(1809〜1891年)
弁護士、詩 人、多作な作家として活躍していた南部連邦の将軍、アルバート・パイクは、1857年に秘密結社イルミナティの最高幹部(最高位33階級)にまで登り詰 め、「黒い教皇」と呼ばれるようになった。(彼は「KKK」の創始者でもある)。彼が1871年に、イタリア建国の父であるジュゼッペ・マッチーニに送っ た書簡(手紙)には、予言ともいえる恐るべき「未来計画」が書かれていた。それによると、まず、「世界を統一するために今後3回の世界大戦が必要だ」と書 いてあり、「1回目はロシアを倒すために、2回目はドイツを倒すために。3回目はシオニストとイスラム教徒がお互いに滅し合い、いずれ世界の国々もこの戦 争に巻き込まれ、それが最終戦争に結びつくだろう」と書かれていた。
■アルバート・パイクの“予言” (未来計画)
この手紙の内容をもっと詳細に紹介すると、
次のような恐るべき“未来計画”が書かれていたのである。
「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。」
「第 二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』(パレスチナ地方にユダヤ人国家を建設しようとする人々)の間の圧倒的な意見の相違の操作 の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。」
「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」
「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……」
「予言は当たるものではなく、当てるものだ!」
この手紙が書かれたのは1871年8月15日。
この時、まだ第一次世界大戦(1914年勃発)も、第二次世界大戦(1939年勃発)も起こっていなかった。
この手紙の中に書かれている「ドイツの国家主義者」を「ナチス」に、「政治的シオニスト」を「ユダヤ人」に置き換えると、第二次世界大戦の構図をはっきりと捉えていることが分かる。
一番不気味なのは、中東での戦争を引き金にして「第三次世界大戦」の勃発を予想している点であろう。
この計画というのが、前にも書いたヨハネの黙示録から来てるんですね。以下の絵は、『黙示録の騎士』。ヴィクトル・ヴァスネツォフ作(1887年)という作品です。
今は、青い馬の期間。そして次が殉教者の苦しみ期間なのです。で、2030年までに人口の85%を削減する。アジェンダ21や日月神事の2030年は微妙に一致しているのですた。って、ちょっと書いてるうちに長くなってしまいますた。今日は忙しいのでまた明日詳しく書きましょう。
にしても以下は、第三次世界大戦のチーム分けが決まったというツィート。
かーる・あひる@ItoKazahiru
第三次世界大戦のチーム分けが決まった模様。
13:11 - 2020年1月4日
くほほほ。
まぁ、こんなところでしょう。一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて世界をワヤにする仕組み。2020年からいよいよスタート。とかなんとか。本当にありがとうございますた。
目指せYoutber:
祝!玉ちゃんねるスタート
メルマガ始めました:

黄金の金玉を知らないか?
https://golden-tamatama.com/blog-entry-world-war3-start.html








【自衛隊員の現状】
アカ停覚悟で書きます。
コピペ及び拡散希望します。
知人の自衛隊員の話。
現在、中東派遣が決まり、自衛隊の中でも拒否する隊員が相次いで居るが、上官は国の命令だと言い、一切聞く耳をもたず、辞職する事さえ許されないと言います。
若者隊員が数人で直訴するも認められず、更に派遣される隊員は何が起きても覚悟し一切の責任を自らが負う事という誓約書に署名を強要されると言います。家族が裁判を起こそうにも引き受ける弁護士も居ないと言う現状…。隊員の家族がこの現状をSNSで拡散するもアカウントごと停止にされると言われてます。
確実に人権剥奪であり、正に狂気です。今の政府のやってる事は完璧に違憲であり、国家による大量殺戮に等しい状況です。そして周知の通り、海外派遣どころではなく、国内は災害で未だにボロボロの状態です。経済を見ても、被災地を見ても防衛目的の派遣というのは全て詭弁です。
#兵役が居なくなれば徴兵待ったなし
#憲法はもはや完全無視
#いい加減沈黙やめろ
#いつまで他人事だ日本人は
#またバカな歴史を繰り返すつもりか
#クズ政権の暴挙を許すな
#ダメリカの戦争犯罪の片棒を担ぐ世界唯一の被爆国
#NoWar
#ImNotAbe
#StopIranSendingTroops

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2019年11月07日

わたなべこう: かごめ歌をヘブライ語で詠む

わたなべこう: かごめ歌をヘブライ語で詠む
かごめかごめ・君が代 の真実の意味
2015-03-04 09:04:30
今日も、私kouがいま思うこと、感じることを、つらつらと、書いていきたいなぁ〜と思います。
日本人は、古代イスラエル人(ユダヤ人)の末裔ではないかと言われており、いまから約2千年ほど前に、古代イスラエル人が、日本に渡来し、日本の文化形成に、大きな影響を与えたと言われております。調べていくと、イスラエルと共通する、言葉や、マーク、シンボル、神事や儀式が沢山あります。イスラエルのマークの六芒星(ダビデの星)が鞍馬寺にあります!
「かごめかごめ」や「君が代」なども、ヘブライ語と共通するものが多くあり、天皇家の有名な十六菊花紋は、一般的なユダヤ教会で使われる紋章であると同時に、シュメール王家の家紋でもあります。
天皇の尊称は「スメラミコト」であり、スメラは英語では、シュメールと発音し、ラテン語ではスメルと発音します。ミコトは王と言う意味であり、明治維新前までは天皇ではなく、スメラミコトと呼ばれていましたが、維新後はなぜか天皇と呼ぶようになりました。いわゆる「日本文化=ユダヤ起源論」とか、「日本・ユダヤ同祖論」と呼ばれる説です。(ただしこの場合の「ユダヤ」というのは、アシュケナージ・ユダヤ人ではなく、スファラディ・ユダヤ人のことです。)
⬛かごめ かごめ をヘブライ語で解釈する
日本語、「ヘブライ語」、(ヘブライ語の意味)
かごめかごめ 「カゴ・メー カゴ・メー」 (誰が守る)
かごの中の鳥は 「カグ・ノェ・ナカノ・トリー」(硬く安置された物を取り出せ)
いついつでやる 「イツィ・イツィ・ディ・ユゥー」(契約の箱に納められた)
夜明けの晩に 「ヤー・アカ・バユティー」(神譜を取り、代わるお守りを作った)
鶴と亀がすべった 「ツル・カメ・スーベシダ」(未開の地に水を沢山引いて)
後ろの正面だ〜れ 「ウシラツ・ショーメン・ダラー」(水を貯め、その地を統治せよ!)
『誰が守る? 誰が守る?
堅く安置された物を取り出せ
契約の箱に封じ納められた 神器を取り出せ
神譜をとり 代わるお守りを作った
未開の地に 水をたくさん引いて
水を貯め その地を統治せよ』
かごめかごめ、かごの中の鳥(居)は…かごめ=籠の目=かごめ紋=六芒星=ユダヤ
鳥(居)=神の国・日本
かごの中の鳥(居)=ユダヤに封印された日本
いついつである=いつになったら出てくるのであろう?
夜明けの晩…夜明け=新世界が始まる前、晩=夜明け前が最も暗い=現在の社会
鶴と亀がすべった…鶴=日本の象徴{=火(=五芒星)=火(山)の国・日本=}日本の象徴は天皇=スメラ、
亀=甲羅=六角形=六芒星=ユダヤ
すべった=すべる=統べる=統一する、一つになる
うしろの正面だあれ…うしろの正面=無意識、潜在意識の中の本当の自分
だあれ=無意識領域にある本当の自分とは=集合的無意識でつながった
全人類とは=無限の存在とつながった神人類
⬛君が代 をヘブライ語で解釈する
日本語、「ヘブライ語」、(ヘブライ語の意味)
君が代は  「クムガヨワ」 (立ち上がる)
千代に 「テヨニ」 (シオンの民)
八千代に 「ヤ・チヨニ」(神・選民)
細石の 「サッ・サリード」 (喜べ・人類を救う、残りの民として)
巌となりて  「イワ・オト・ナリァタ 」 (神・予言・成就する)
苔の生すまで 「コ(ル)カノ・ムーシュマッテ」 (全ての場所・語られる・鳴り響く)
『立ち上がれ、神を讃えよ
神の選民 シオンの民
選民として 喜べ
人類に救いが訪れ
神の予言が成就する
全地あまねく 宣べ伝えよ』
祇園祭り・剣山の謎
天狗とイスラエル
へブル語と日本語の類似 秦氏
「日本語とヘブライ語の関連」
日本語・意味 ヘブライ語・意味
ミカド (帝) − ミガドル (高貴なお方)
ミコト (尊) − マクト (王、王国)
ネギ (神職) − ナギット (長、司)
ミササギ(陵、墳墓) − ムトウサガ(死者を閉ざす) 
アスカ (飛鳥) − ハスカ (ご住所)
ミソギ (禊ぎ) − ミソグ (分別・性別) 
ヌシ (主) − ヌシ (長)
サムライ(サムライ) − シャムライ(守る者)
ヤリ (槍) − ヤリ (射る)
ホロブ (滅ぶ) − ホレブ (滅ぶ) 
イム (忌む) − イム (ひどい)
ダメ (駄目) − タメ (ダメ・汚れている) 
ハズカシメル(辱める) − ハデカシェム(名を踏みにじる)
ニクム (憎む) − ニクム (憎む)
カバウ (庇う) − カバア (隠す)
ユルス (許す) − ユルス (取らせる)
コマル (困る) − コマル (困る)
スム (住む) − スム (住む)
ツモル (積もる) − ツモル (積もる)
コオル (凍る) − コ−ル (寒さ、冷たさ) 
スワル (座る) − スワル (座る)
アルク (歩く) − ハラク (歩く)
ハカル (測る) − ハカル (測る)
トル (取る) − トル (取る)
カク (書く) − カク (書く)
ナマル (訛る) − ナマル (訛る)
アキナウ(商う) − アキナフ (買う) 
アリガトウ(有難う) − アリ・ガド(私にとって幸福です) 
ヤケド (火傷) − ヤケド (火傷) 
ニオイ (匂い) − ニホヒ (匂い)
カタ (肩) − カタフ (肩)
ワラベ (子供) − ワラッベン(子供)
アタリ (辺り) − アタリ (辺り)
オワリ (終わり) − アハリ (終わり)
相撲はユダヤの神事であったこと、「はっけよい」=ヘブライ語では、「組んで投げろ」と言う意味です。お祭りの神輿をかつぐ、「わっせ」=ヘブライ語では、「運ぶ」と言う意味です。日本語には、ヘブライ語が、4,000〜5,000語ほど入っているのではないかと言われています。面白いですね。
『浜本末造さんの著書「万世一系の原理と般若心経の謎」』より一部抜粋です。
「イスラエルとは数霊的に言えば六≠フ国であり(ダビデの星≠ヘ六光星)、六面体とは物質構成、社会構成の原理であり、経済、科学の原理であるが故に、イスラエルは経済、科学の国であり、万世を生み出す国であるから、母の国となる。一方、日本は五≠フ国であり、精神の国であり、父の国、すなわち男の国となる」「五はすべての中心であるが故に、中心である日本がなければ世界はなく、世界がなければ日本はないという、一体不離の関係にある。地球世界を構成している事実は、認識すると否とに関わらず、中心の日本と社会を構成しているイスラエルが結んでいる」
つまり、日本は気(キ)の国で、イスラエルは身(ミ)の国で、キとミが結んで「キミが代」となるのだ。これは聖書が予言するイスラエル2支族と10支族の再合体による千年王国であり、『日月神示』でも「身(○)」の中に「気(・)」が入った「Θ(マルチョン)」を神のマークとして用いており、これによってミロクの世になるとしている。
『君が代=千年王国=ミロクの世』
歴史をたどっていくと、いままでの真実の世界の流れと、これからの世界の流れが分かるかもしれません。真実が明らかになる日が近い〜♪
ブログを読んでいただいてありがとうございます。嬉しいです♡感謝いたします。みなさんに愛溢れる出来事が雪崩の如く起きます。

わたなべこうの自遊人ブログ『 Everything in life is linked to your happiness.』
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かごめ歌は、古いものと新しいものとありますが、そのどちらも繋がりがあるものです。
大津波が起きた伝承と、その対策の伝承とでも申しましょうか、要するに、二部作です。新しいものも、元々あったものという事です。
その最初の、鍋の底が抜けるという、江戸以前の古い歌詞は、大平洋の大津波の様子を現します。また、新しい歌詞は、その大津波を、いかにして起こさないかを秘めたものです。
ところで、皮肉な事に、愛する事が無ければ、戦いは単発的なものとなり、戦争には発展いたしません。愛するものを守るため、または、愛するものを奪われた復讐のため、私たちは戦うのです。
愛は、本来分けれないものを、文字通り、ここまでが自分と分けて、自分側が善、自分側と認めない側を悪と分けます。自分と突いて出る言葉が、その示しです。古代の日本人は、善は私のものと、器の中の水をかき寄せるという事が、津波(つ)が起きる原因と観ていました。つまづくとも、つこけるとも申しますが、それも、自分側が善と分けた表現です。
吉凶は、亀の甲羅のひび割れで占われてきたのですが、そのひび割れからの津波を留(止)めるのが、津留(鶴)です。戦争は、水瓶(亀蛇)の火蓋が切れる事でもあります。それで、水をかき寄せて分けた祟り、悪と認識したものを、再び真釣り合わすため、祟り神も、神と祀ってきたのです。身内を殺した敵の大将も、神と祀りました。
古代の日本人は、自分を善と分ける愛ではなく、善と、正義としない、相を良しとする相良としてきました。薙ぎの真剣(真釣る木、鶴木、ツリー)も、津波を凪にする剣という事です。また、臨兵闘者皆陣裂在前と九字で示されますように、戦いに臨むものは皆、善悪に自分と裂けて、必ず前に在るという事です。
影は交差いたしますが、自分と裂(分)けた影の前面ではなく、影からみた、交差しない後ろの正面は誰かを問いたのが、かごめ歌です。
FBを始めるに当たり示されました、景行天皇が祈られた、天水町を登った所の、拝ヶ石巨石群の亀石を巻く青龍(鶴)と、古代人が刻んだ天神(鶴と亀)は、いつも載せているものです。

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マコモ王子👑鏡観
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蔵王権現 艮 スサノヲ クニトコタチシリーズ6 
クニトコタチは蘇羽鷹神社にいった春🌱🌷🌱
とりあえずクニトコタチに巻物を渡したらしい 
僕の手に 光の玉が降りてきた 乙姫さんに確認したら もらったみたいだ。
さらにポラリスは水滴が上下して中央に金の玉が見えたらしく、コニタンもマーメイドも金の玉を見た。
さらに クニトコタチの本堂の横で 剣の神様からスサノヲにつなげると
「ざるめ」のキーワード。
調べたら 八戸市しかない海藻の名前。さらにヘブライ語再翻訳では
竹バスケット=竹籠
八戸市といえばイエスキリストの墓。
戸来村では 子供を竹籠に入れる風習がある。
籠には🔯ロクボウセイのマーク。
さらに籠は籠の目で 
ロクボウセイ  
クニトコタチ
エルサレム
と関係しているのがわかるがイエスとクニトコタチの関係はいまだに謎。
籠目の歌もヘブライ語らしい。
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つーかクニトコタチ極論から イエスキリストと🔯ロクボウセイがでたのは面白い。つーか このロクボウセイ タイムリーでさらに投稿。つーか幾何学シリーズも書いて損ではなかった。ここに エルサレムの秘密ロクボウセイがあった。
日本神界の神々が求めていたものが

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2019年08月28日

王仁三郎: 50世紀の世界〜小人たちのミロク超科学文明

王仁三郎: 50世紀の世界〜小人たちのミロク超科学文明
■『王仁三郎の霊界物語大預言』
富士山大爆発とミロク神人種誕生の神ドラマ
海野光彦,徳間書店,1995/11
<ミロク神人種だけが「黄金のそりはし」を渡る!>
・国祖、国常立命は、太古の昔、地球主宰神の位についていたが、悪魔の謀議によって艮(とどめ)の地である日本列島に押し込められた・・・。では元の地球主宰神・国常立命の本拠地はどこにあったのか。
実はそれを解くヒントが『霊界物語』冒頭にのっている。
次に紹介する黄金のそり橋だ。
・黄金のそり橋は、太古の昔、亜熱帯の中央アジア・ゴビ海に浮かぶ白島にかかっていた。造り上げたのは、太古の地球主宰神サナート=クメラだ。サナート=クメラは、国常立命の別名に違いない。
 黄金のそり橋のかかる白島には、地球主宰神の黄金宮殿が澄みわたった青空にひときわ美しく輝いていた。
・そうしてこの橋を渡ると直に自分は、エルサレムの聖地に着いた。この聖地には黄金と瑠璃(めのう)とかいう宝の珠玉をもって雄大な、とても形容できない大神の宮殿が造られている。(霊界物語第1巻より)
・この神都の現界への移写が、かってゴビ海に浮かぶ『白島』に現れていた。
地球主宰神・国常立命が納める黄金の神都から数多くの『ミロク神人種』が世界各地に旅立っていった。
・日月神示やヒマラヤのミロク神人種が示すように原水爆の高熱やマイナス数十度の酷寒でも耐える超人体を保有する神人が日本を始め、世界各地に渡り、万物調和の理想郷すなわち『ミロクの世』を築いていたのだ。
 それが世界各地で潜伏する悪神の決起で灰と帰し、世界が泥海になったことが『霊界物語』に書かれている。
・しかし、王仁三郎が死をかけて、大日本帝国政府と戦い、厳しい特高警察の目をかいくぐって口述筆記した『霊界物語』は、世紀末、各種の予言の中でひときわ異彩を放っている。
・核の炎、核の冬、恐るべき極反転に伴う大地殻変動に負けないミロク神人種が21世紀に日本を中心に誕生することが『霊界物語』には秘められていたのだ。
・彼らだけが鶴仙に乗り、輝く肉体を霊化させ、『黄金のそり橋』を渡り、国常立命の治める神界の大都に結集することができる。
<『霊界物語』はテレポートと魂の旅行で作られた>
・それにしても『霊界物語』はあらゆる点で人間の常識を超えている。
最初に脅かされることは、口述筆記の驚異はスピードである。一巻をわずか3日で書き上げている。81巻、83冊からなる『霊界物語』に集大成していくが、最初から最後まで口述のスピードは変わらなかった。
・原稿用紙にして約10万枚でひとまず完成するが、王仁三郎は全120巻を予定していた。だから3分の2で彼は口述を終わったことになる。しかも、筆記中に王仁三郎は一冊の参考書も見なかった。
・ゴロリと横になって少しイビキをかいたかと思うと、王仁三郎の口から真珠のきらめきのごとき不思議な物語が紡ぎ出される。
<50世紀まで見通す人類最大の「予言暗号書」>
<王仁三郎は50世紀の未来を見通した>
・「24世紀の今日は、天国浄土の完成時代だ。
中空をかける飛行機、飛行船はすでに廃物となり、天の羽衣という精巧無比の機械が発明され、汽車は宙を走って、1時間に5百マイルという速力だ。
蓮華の花は所狭きまで、咲き乱れ、何ともかとも知れない黄金世界が現出しているのだ」
(『霊界物語』第14巻8章より)
・王仁三郎はミロク浄土の完成を目指していたが、それは24世紀、今から約300年経なければ、本当のユートピアは生まれないと予言している。
ミロク超科学文明が生まれると、黄金のUFOが大空を飛び交い、世界中に美しい花が咲き乱れる。
これは彼の予言の中で最も楽観的なものである。
・さらに王仁三郎は、はるか50世紀頃の人類の様子をも透視している。
「何、神界ばかりか、現実もこの通りですよ。
一番図抜けて大男といわれるのが、3尺(90cm)内外、1尺8寸(54cm)あれば、一人前の人間だ・・・。
少しも手足を使わないものだから、身体はおいおい虚弱となってしまい、もはや50世紀の今日では、こんな弱々しい人間になってしまった・・・・。
それと反対に6尺(1.8m)以上の体を持ち、現幽神界において神の生宮として活動しているミロク人種もありますよ」
(『霊界物語』第3巻20章より)
・つまり50世紀の人類は、ほとんど小人で頭脳だけの存在になっている。
脳をある種の液体に入れて、スーパーコンピューターをつなぎ、あらゆる指令がコンピューターから出される。
一方、普通以上の体を自由自在にテレポートさせ、現界と霊界を行き来するミロク人種も少数存在する。
現代から見れば、完全なSFの世界である。
・50世紀の交通機関は奇妙なことに黄金の翼を人間に直接取り付けて、超高速で飛ぶようになっている。
・すなわち、松彦は、
「みな様、しばらくお待ちくださいませ。空中交通機を上げませう」
と又もや指先にて空中に、何事か記す其の刹那、金色燦然たる鳥の翼のごときもの四組、何処ともなくこの場に降り来たりぬ。
「サァー、これを御着けなされ」
と言ふより早く自然的に四人の肩の辺りに、金色の翼はピタリとくひつきたり、四人は一度に、
「アア、これは立派だなァ」
と羽ばたきを試むるや、身はますます高く空中に飛ぶ揚がり一瀉千里の勢をもって電波よりも早く、西の空を目がけて進み行く。        
(『霊界物語』第15巻21章)
・このように王仁三郎の世界はまことに幅が広い。
超古代から50世紀のはるかな未来まで見通した彼のような予言者は世界中どこにも存在しない。
だからある面では、シャカ、キリストさえも超えた予言を述べていたことになる。

UFOパラレル・ワールド日本は津波による大きな被害を受ける
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■『超常科学謎学事典』
―最新科学と秘教科学が謎と不思議を完全解明―
編者 秘教科学研究会   小学館  1993/1/10
<出口王仁三郎 大本教2代目教祖>
・1917年(大正6年)には、『大本神歌』とよばれる五七調の詩による予言を行なっているが、その中で明確に30年後の第2次世界大戦を予言している。
しかもその戦争が、泥沼化した日中戦争から始まり、そのうちに日本を守るためにつり鐘から折れ釘までが求められること、
米国の『迦具槌』(かぐつち=古事記に登場する日の神)で国土が焼かれること、
戦闘機や潜水艦による戦いがあることをはっきり予言しているのだ。
彼が『大本神歌』を著した頃には、まだ戦闘機や潜水艦などによる戦争は空想上のものだった。
さらに、1942年(昭和17年)には信者に対して、「戦争は日本の敗け。
最後に広島がいちばんひどい目にあうから、広島からは逃げたほうがいい」とも語っている。
・王仁三郎の予言として最も有名なものは、今世紀末に起こるという大変革だ。
彼は、これまで閉じ込められていた『艮(うしとら)の金神』が復活し、世の立て直しを行なうと断言する。
しかも「世の立て直しの大峠には日本に火の雨が降る」といい、その大峠の直前には、世の中は次のようになっているという。
“ボタン一つ押せば、江戸の芝居がどこでも見れるようになる。
電話も小さくなり持ち運べるようになる。
そして弾丸列車が地上に浮いて走るようになる……。
さらに王仁三郎は、世の立て直しの大峠には戦争も勃発し、世界の人口はわずか3パーセントになってしまうという。
王仁三郎の予言がどのレベルからもたらされたものなのかは明確には判断できない。
しかし、審神(さにわ)学まで学んだ彼の予言は確かに霊能者レベルを遥かに超越している。
アカシック・レコードに到達しないまでも、相当近づいたレベルにまで行ったのではないだろうか。
<岡本天明  1897〜1963>
・1944(昭和19年)、岡本天明は突如入神状態となり、その後数年間かけて『日月神示』とよばれる謎の予言詩を、自動書記によって書き上げた。
天明は出口王仁三郎のもとで審神(さにわ)学も学んでおり、この『日月神示』は、本来大本教に降りると予言されていた「最終予言」だといわれている。
また、岡本天明はノストラダムスの転生だという強い主張もあり、彼の予言の評価は高い。

UFOパラレル・ワールド日本は津波による大きな被害を受ける
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出口王仁三郎: 50世紀の世界
霊界物語 如意宝珠 第15巻 第20章 <五十世紀>
2019/8/27(火) 午後 2:40
日記 練習用
出口王仁三郎 大正11年4月4日 口述筆記
松彦の神に伴われた一行三人は、鏡の岩にピタリと行当たり、如何にこの関所を突破せんかと首を傾けて、胸に問い心に掛け、やや当惑の体にて幾ばくかの時間を費やすのであった。
玉彦 『我々は現界に於いても、心の鏡が曇っている為に、万事に付け往き当たり勝ちだ。神界へ来ても矢張往き当たる身魂の性来と見えるわい。アア、どうしたら宣かろうかな。見す見す引き返す訳にも往かず、本守護神も好い知恵を出して呉れそうなもんだなア』
松彦 『貴方はそれだからいけないのですよ。自分の垢を本守護神に塗付けるという事がありますか
玉彦 『我々は常に聞いて居ります。本守護神が善であれば、肉体もそれに連れて感化され、霊肉共に清浄潔白になり天国に救われると云う事を固く信じていました。こう九分九厘で最上天国に行けぬと云うことは我々の本守護神もどうやら怪しいものだ。コラコラ本守護神、臍下丹田から出て来て、この肉の宮を何故保護をせないのか、それでは本守護神の職責を盡せんではないか。肉体が天国へ行けば本守護神も行ける道理だ。別に玉彦さんの徳許りでない、矢張本守護神の徳になるのだ。何をグズグズして居るのかい』と握り拳を固めて臍の辺りをポンポン叩く。
松彦 『アハハハハ、面白い面白い』
玉彦 『これは怪しからん,千思万慮を盡し、如何にしてこの鉄壁を通過せんかと思案にくるのを見て、可笑しそうに我々を嘲笑なさるのか、貴方も余程吝な守護神が伏在して居ますな』
松彦 『天国には恨みも無ければ悲しみも無い。また嘲りもありません。私の笑ったのは貴方の守護神が私の体を籍って言われたのですよ』
=====  中略  =====
玉彦 『アハハハハ、余り好い景色で気分が良くなって何も彼も忘れて了った。さうすると、矢張り執着心も必要だ』
松彦 『それは決して執着心ではありません。貴方がたの身魂を守る生命の綱ですよ。ヤア急いで参りましょう』
向こうの方より、身の丈二尺許りの男女五人連れ、手を繋ぎながら、ヒョロヒョロと此方に向かって進み来るのであった。
玉彦 『ヤア小さいお方が御出でたぞ。此処は小人島の様だな。天国にはこんな小さい人間が住まって居るのですか。ナア松彦さん』
松彦 『何、神界許りか、現界も此の通りですよ。一番図抜けて大男と云われるのが三尺内外、一尺八寸もあれば一人前の人間だ。顕幽一致、現界に住まっている人間の霊体が、此の高天原に遊びに来ているのだ。ああやって手を繋いで歩かないと、鶴が出て来て、高い所へ持って上がるから、その難を防ぐ為、ああやって手を繋いで歩いて居るのだ』
玉彦 『ハテ益々合点が往かなくなって来た。我々三人は、常世の国を振り出しに、世界各国を股にかけ、現界は大抵跋渉した積りだが、何程小さき人間だと云っても五尺より低い男女は無かった。赤ん坊だってあれ位の背丈は、現界の人間なれば持っていますよ。貴方、何かの間違いではありませんか』
松彦 『五尺以上の人間の住まって居ったのは、昔の事だ。現界は二十世紀という、魂の小さい人間が住まって居た時代を超過し、既に三千年暮れている。現界で云えば、キリストが現れてから五十世紀の今日だ。世は漸次開けるに伴れて、地上の人間は労苦を厭い、歩くのにも電車だとか、自動車、飛行機等に乗って天地間を往来し、少しも手足を使わないもんだから、身体は追い追いと虚弱になって最早五十世紀の今日では、こんな弱々しい人間になって了ったのだ。併し乍ら、十九世紀の終わりから二十世紀にかけて芽を吹き出した、三五教の教えを信じ不言実行に勉め、労苦を楽しみとしている人間の系統に限って、夫れと反対に六尺以上の体躯を保ち、現幽神界に於いて、神の生き宮として活動しているミロク人種もありますよ』
松彦 『サアお話は聖地に到着の上ゆっくりと致しましょう。神様がお待ち兼ね、ぼつぼつ参りましょう』
=====  後略  =====
(五十世紀、続きの原文は愛善世界社刊 注釈付き文庫判をお読み下さい、アマゾン、ジュンク堂書店などで取り扱っております。)

大本 柏分苑
https://oomotomasumi.amebaownd.com/
https://blogs.yahoo.co.jp/makotoyamaguchi0903







■『ミロクの暗号』
日月神示と出雲・伊勢・シュメールで読み解く日本人の使命
中矢伸一   徳間書店  2012/1/19
・自分がオラクルであることを思い出すだけでいい
<オラクル(覚醒した者)>
・オラクルであるということは単に超能力がつかえたり預言したりできるということではありません。
それは宇宙の中心とつながる方法を知っていること。いつでもそこにいけるということです。
<日本人が3分の1に淘汰されるという衝撃予言>
・「いずれは日本人が3分の1になる時代が来る」と言っていたというのです。
その大淘汰の時は徐々ではなく突如としてやって来るそうです。そして、
「生き残った人たちが昨日までと打って変わって凄まじい光景を見て、自分が生き残ったことを後悔する日がある」
と、間違いなく聞いたそうです。
・日月神示には「何もかも3分の1になる」という警告が「たとえではないぞ」という言葉とともに、何度も出てきます。
比喩とかたとえ話ではなく突如として、それこそ1日か一晩くらいの短時間に大淘汰が行われ、完了する。
そんな凄まじい淘汰の原因は何なのか分かりません。

UFOパラレル・ワールド日本は津波による大きな被害を受ける
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■『姫神の本』  聖なるヒメと巫女の霊力
学研マーケティング,2007/8
<出口なお  大本教開祖>
<世界の立替え立直しを啓示した膨大な「お筆先」を残す>
・出口なおが、明治25年(1892)旧正月5日、京都府綾部の自宅で突然、激しい帰神状態となって発した神示(「初発の筆先」)のはじめである。
艮の金神(国常立尊)がなおに神憑り、世界の「立替え立直し」と、理想世界の実現を啓示した宣言というべきものであり、これによって大本教がはじまった。
 この年の元旦の夜から前兆はあった。霊夢が毎夜続いていた。初発の神示が降りてからは、昼夜を分かたず帰神状態となり、13日間、食事をとることもできなかった。
・明治26年、綾部で原因不明の火事が相次いだ。おりもおり、なおは神憑って、「今のうちに改心いたさねば、どこに飛び火がいたそうも知れんぞよ」と大声で叫んでいた。そのため、放火の疑いをかけられ、警察署に留置されて、40日も座敷牢に閉じ込められてしまったのである。
<大本教が国家に弾圧されたのは、なおの昇天後である>
・すると艮の金神は、「なおよ、筆で書かすから、筆をとれ」と伝えた。なおは困惑した。
文字を書けなかったからだ。しかし艮の金神は、「お前が書くのではない。神が書かすのである」と言う。
なおはなにかを書きたい衝動にかられた。そして、座敷牢の床に落ちていた古釘を手にすると、その柱に文字を書きつけていたのである。
・そのうちに放火犯が逮捕され、疑いが晴れたなおは、出牢後、堰を切ったようにお筆先をはじめるのである。
以後、神の言葉が原則として文字によって伝達されることになり、半紙で5万枚以上といわれる膨大なお筆先は、後年、娘婿の出口王仁三郎によってまとめられ、『大本神論』として発表された。

UFOパラレル・ワールド日本は津波による大きな被害を受ける
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