2020年01月08日

井口和基: アングロサクソン・ミッション再考

井口和基: アングロサクソン・ミッション再考
【A Happy New Nostradamus Prediction!】ノストラダムスの予言はまだ生きている!?「アイムレディー!」
2020-01-08 10:43
【閲覧注意】以下には結構怖い内容が含まれていますゾ!良い子のみなさんや心の弱い人やドラエモンには見せられないよ!
みなさん、こんにちは。
さて、キタ〜〜〜〜〜〜!
いよいよ歴史が動きつつあり面白そうになってきた!平和すぎてつまらないと思っていた輩にはうってつけの激動の10年が来そうである。
先日、をメモしたが、5年前に私はこんなものをメモしていた。この中で、物理学者ビル・ライアンの「アングロサクソン・ミッション」の話をメモしていた。いまそこで私がメモした内容を読み返すと、非常に正確に私が予測(予言ではない!)していたことがわかる。

みなさん、こんにちは。
風雲急を告げてしまったこの世界、この日本。あまりのことが起きすぎてETの手も借りたいほどである。そんな昨今だが、ついに「第3次世界大戦」勃発かを思い知らされるような出来事も矢継ぎ早に起こってきた。というわけで、今回はまただいぶまえにメモした「第三次世界大戦」にまつわる預言や予言のいくつかをメモしておこう。
(あ)ビル・ライアンの「アングロサクソン・ミッション」
いまから6年ほど前元歌手のケリーさんといっしょにキャメロット・インタビューを運営していたビル・ライアンは、こんなことを警告していた。
(動画)
以下次々と見ることができる。
ビル・ライアンの”預言”:「ザ・アングロサクソン・ミッション」は失敗する!
これをまとめると、以下の様なシナリオだった。
1.イスラエルがイランを攻撃。
2.イランまたは中国がそれに報復攻撃。
3.さまざまな偽旗作戦が実施される。
4.欧米で戒厳令が敷かれる。←おそらく今ここ
5.中東で限定的核攻撃が行われる。
6.中国で殺人ウィルスが撒かれる。
7.本当の第三次世界大戦が勃発。
このシナリオに対して、シティーオブロンドンのレプ系のリーダーたちは
計画実行が遅い
と地団駄を踏んでいるらしい。というわけで、遅かれ早かれ、連中は金を使ってこの計画をなんとか実現したいと奔走しているわけですナ。
ところで、これらのシナリオが1年の内で一気に起こるということはないはずだろう。だから、1年毎に次に進むと仮定すると、やはりここでこれまでずっと私がメモしてきたように、本当の第3次世界大戦は、数年後という計算になる。
来年2016年に欧米全体に戒厳令が敷かれ、2017年に中東で限定的核戦争が起こり、2018年に停戦。2019年に中国でパンデミックが生じ、2020年の東京五輪以降に全面的な第3次世界大戦が起こる。つまり、2020年以降だということになる。
だから、いまの中東の戦争は、その前兆、予兆にすぎず、ウォーミングアップの練習でしかない。だから、必死でロシアが攻撃練習訓練をしているわけである。もちろん、これまで戦後一度も攻撃したことがなかったフランス軍も実施練習するわけである。今やっているのはあくまで練習にすぎない。私はそう見ている。
また最後の方でこんなこともメモしていた。

というわけで、もはやアングロサクソン・ミッションは、アングロサクソンだけの問題ではない。地球人全体の問題となってしまったのである。すでに「地球人ミッション」とすら化したのである。
こうなると、地球人口の9割を消滅させるというアングロサクソン・ミッションは人々から支持されることがあっても、反対されることはない。だれもが反対できない時代となれば、その想念はいつか成就する時が来る。それは、たぶん2020年の秋頃だ。東京五輪の終わった後。

とまあ、俺にはそんな気がずっと前からしているんですナア。杞憂に終わることを祈るのみだが。しかしながら、着実に中東状勢はその方向へ行く。やはり、支那人と朝鮮人が心を入れ替えて神に感謝する。日本人に感謝する。そういう心構えにならないとまずは地球は地獄の火に焼かれるのだろうナア。
おそらく、アングロサクソン・ミッションを行おうとしている欧米の300人委員会の連中は、それぞれ自分の逃げ場、避難場所を作っている。一番有名なのは、欧州ロスチャイルド家である。彼らはヒマラヤの麓の地下に豪邸を作っているらしい。アメリカの軍部はペンタゴンおよびCIAは表向きの飾りに過ぎず、だいぶ前にデンバー空港の地下に本拠地を移動しているのだ。
Rawhide ローハイド!:いよいよ米人エリートたちが地下基地へ移動中か!?
アメリカには、あのロズウェル事件時代から、ずっと地下都市建設を行い、地下都市にはリニアモーターカーの電車網ができている。合衆国は、地上には電車網は作らなかったが、地下にはだいぶ前にできているのである。ラスベガスからデンバーまで一気に地下鉄で移動できる。
この動きに敏感な米国の平民は自分でなんとかしようと地下シェルタービジネスを発展させている。最近生まれて、最近物心がついたばかりの子どもたちは知る由もないだろう。
ところで、我が国で育った在日コリアンの孫正義も都内に自分の地下基地を作った。それを当時告発したのが、あのイーホームズの社長だった。いまや発展途上国の鉄道ビジネスでトンネル掘ったり、地下鉄を作ったりしてやっている大成建設は、アメリカの掘削会社の技術を転用したものである。戦後、アメリカが地下都市を作るときに開発した軍事技術をいっしょに学ばせてもらい、それを我が国に持ち込んだのである。
おもしろいのは、東海岸の方の地下にはそういう地下都市がないということである。一説では、米東海岸が何らかの理由で水没する運命にあるからだという話だ。ちょうど我が国では、千葉が水没するだろうというあの「天気の子」の話を彷彿させる。しかしながら、これは地球製UFOの建造者の一人の、あのスタン・デヨ博士もずっと前から主張しているシナリオである。いま見直したら、東海岸ではなく、西海岸だった。すまん!
ところで、最近イスラエルやアメリカのDNAビジネスの会社が、
「あなたのDNAを全解読します」
「あなたのご先祖さまのネットワークを解析致します」
「あなたの病気のなりやすさを分析いたします」
などと謳い文句にDNAビジネスを開始した。が、私個人の見方は、これはおそらく
「全面核戦争になった場合に地下都市に住まわせるべき人を探している」
のだろうということになる。アメリカなら、ユダヤ人を見つけようとしている。要するに、「ノアの箱舟計画の一貫だ」ということになる。
おそらく、我が国でも、すでに似たものが始まっているだろう。岐阜のカミオカンデ、スーパーカミオカンデ、かぐやのあたりに巨大な地下実験所を建設したというのは、全面核戦争になった場合に、そこへだれが逃げ延びるかという選別が必要になる。天皇家、財界、天才、美女、。。。こういう日本人がそこに入ることができる。しかし我々庶民は地上で核爆弾の餌食になる。そして、それでも生き残ったやつが、グレイ化する。
さて、最初のアングロサクソン・ミッションの話の戻ると、実際は欧米は表向きは「戒厳令」を敷いてはいないが、実質上は「戒厳令」が敷かれっぱなしになっている。だいぶ前からすぐにフル装備の機動隊や警察官が出動できる形になっている。だから、4はクリアされた。
イギリスとアメリカ合衆国とイスラエルは、一心同体、一蓮托生の関係にあるから、イギリスやアメリカが攻撃すること=イスラエルが攻撃すること、である。だから、1もクリア。
偽旗作戦はだいぶ前から行なわれてきて、いまや中東で無傷なのはイランだけである。だから、3もクリア。
イランが報復すれば、2がクリアされる。
すると、6の「中国が風邪を引く」というやつになる。が、いま香港デモで大変だった香港が風邪を引いている。最近、香港で謎の風邪が大流行になる気配であるというだ。かつてのSARSに似ているが、それではない。別の新種の風邪だ。我が国ではまったく報道しないが、いま香港へ行ってはいけない。なんと徳島阿波おどり空港はその香港と直接便を作ってしまった。ホンマにアホである。昨今の運輸省のバカ官僚が、チャイナマネーとチャイナ女につられてどんどんキチガイ政策をした結果である。国際線と国内線の区別があやふやになってしまったっわけだ。旅客船で上陸するかもしれないし、良いことはなにもない。やはり、昔に戻して、国内線と国際線は、検疫上も明確に区別すべきである。
インターネットでも、外部とつながるインターネットと、内部だけつながるイントラネットの区別がないと、外部からマルウェアやウィルスが侵入しやすい。あるいは、ハッキングされやすい。人の通行の場合もまったく同じである。殺人ウィルスに感染した旅行者やビジネスマンが、国内に簡単に入り込む危険性があるわけだ。田舎の田舎の人ほど長生きだ。というのには、そういう理由があるのである。
さて、そうなると、いよいよ限定的核戦争ということになる。イランか中国かロシアか、どこかに核爆弾が落とされるか、(すでに仕掛けられている核爆弾が)炸裂する。
というわけで、実際には
1.イスラエルがイランを攻撃。
2.イランまたは中国がそれに報復攻撃。
3.さまざまな偽旗作戦が実施される。
4.欧米で戒厳令が敷かれる。←おそらく今ここ
5.中東で限定的核攻撃が行われる。
6.中国で殺人ウィルスが撒かれる。
7.本当の第三次世界大戦が勃発。
ではなかったが、だいたいこんな感じになっている。
1.さまざまな偽旗作戦が実施される。→クリア
2.アメリカがイランを攻撃。→クリア
3.中国(香港)で殺人ウィルスが撒かれる。→クリア
4.イランまたは中国がそれに報復攻撃。→クリア
5.欧米で戒厳令が敷かれる。←おそらく今ここ
6.中東で限定的核攻撃が行われる。→2020年五輪以降の後半
7.本当の第三次世界大戦が勃発。→2021年
いや〜〜、痛い。
地球人類大ピンチ!
ところで、一説では、すでに地球に訪れてずっと地球人を観察してきたエイリアン種族は、我が地球は滅びることが決定しているらしいから、それぞれのエイリアンが、自分の種族に利用価値の高い地球人を適当に保護したり拉致して本国の惑星へ持ち帰って良いことになっているらしい。だから、もし全面核戦争後も生き残りたいと思う輩は、天に向かって、ユンユンユンユン。。。と叫び、UFOを呼んで、
自分を連れて行ってください!
アイムレディー!
とお願いすればよろしいんだとか。そして運が良ければ、地球の核戦争のほとぼりが冷めた後に、再び地球に連れて返ってもらうのである。ユダヤ人のいうところのメシア再臨とは、本当はこういう意味らしいぞ。みなさまのご幸運をお祈りいたします。
弥栄!

井口和基の公式ブログ 3
http://quasimoto3.exblog.jp/239950186/




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玉蔵: 黙示録・第四の騎士


玉蔵: 黙示録・第四の騎士
今年から戦争の年? WW3スタート その2
陰謀
2020.01.07
ヒャッハー!
さて、ワタスは最近はリフォーム等々。とーっても忙しい。
今年から大きく列車が別れる。今後、違う列車に乗った人は姿さえ見えなくなる。
2020年がまさに分れ目の年。
だから、今年から徹底して楽しいことにフォーカスしなければならないのです。とかなんとか。
以下のバシャールさんの話。ワタスは確かにそうだな〜と思って読んでますた。現時点では、ポジティブの世界とネガティブの世界がお互いに交差している状況にあるとバシャールは話しています。ポジティブ地球行きの列車はポジティブの世界へ出発し、ネガティブ地球行きの列車はネガティブの世界へと向かっていますが、相反する世界はまだお互いに姿を見ることができる位置に存在しています。
多くの人達は『我々の住むリアリティは2つの世界へ分離する』を、何か特別なアイデアやコンセプトとして捉えてきているようです。しかし物質的にリアリティ(平行世界)は分離し、物質的にリアリティはいくつものポジティブの世界、いくつものネガティブな世界を作り出しています。お互い相反する世界が交差していますので、テレビをつければ酷いニュースが舞い込んで来る事もあるでしょう。
電車の窓から喧嘩を見る事もあるかもしれません。でもポジティブな世界に向かう貴方は、以前のように意識が引っ張られる事はなく、ニュートラルな視点からポジティブなエネルギーに変換する選択をしています。また気分を害する出来事や、望みに反する事柄に振り回される事もなくなり、逆に大きな流れで捉える事ができるようになります。貴方の心は以前よりも軽やかで、以前に増して愛と光を感じるようになっています。そして以前に増して、貴方はありのままの自分でいたい、という強い欲求(ワクワク)を持っています。
まだお互いに姿が見える位置にいる。
ワタスはイランのニュースを聞いても。支配者層は、アジェンダ通り律義にやってますなぁ。頑張ってますなぁ。くほほほほ。大して心を動かされず、ニュートラルな位置から眺めて笑ってます。
さて、昨日の続きです。
絵は『黙示録の騎士』。ヴィクトル・ヴァスネツォフ作(1887年)。この絵に書かれているのがヨハネの黙示録第四の騎士です。
wikiヨハネの黙示録の第四の騎士
ヨハネの黙示録の四騎士(ヨハネのもくしろくのよんきし)は、『ヨハネの黙示録』に記される四人の騎士。小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、始めの四つの封印が解かれた時に現れるという。四騎士はそれぞれが、地上の四分の 一の支配、そして剣と飢饉と死・獣により、地上の人間を殺す権威を与えられているとされる。
第一の騎士
『ヨハネの黙示録』第6章第2節に記される、第一の封印が解かれた時に現れる騎士。白い馬に乗っており、手には弓を、また頭に冠を被っている。勝利の上 の勝利(支配)を得る役目を担っているとされる。
第二の騎士
『ヨハネの黙示録』第6章第4節に記される、第二の封印が解かれた時に現れる騎士。赤い馬に乗っており、手に大きな剣を握っている。地上の人 間に戦争を起こさせる役目を担っているとされる。
第三の騎士
『ヨハネの黙示録』第6章第6節に記される、第三の封印が解かれた時に現れる騎士。黒い馬に乗っており、手には食料を制限するための天秤を 持っている。地上に飢饉をもたらす役目を担っているとされる。
第四の騎士
『ヨハネの黙示録』第6章第8節に記される、第四の封印が解かれた時に現れる騎士。青白い馬(蒼ざめた馬)に乗った「死」で、側に黄泉(ハデス)を連れている。疫病や野獣をもちいて、地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる。
で、一番左の騎士。見た目はほぼ死神さん。この青ざめた馬に乗ってる人は、別名ペイルライダーと言います。映画にもなってます。アガサクリスティーの小説にもなってます。この青ざめた馬は、なぜかアメリカ コロラド州デンバーにあるデンバー空港のモニュメントにもなってます。ひひ〜〜〜ん。ひじょーに気持ち悪い。
で、知ってるかもしれませんが。たった今。現在が青ざめた馬の期間なのですね。2020年までは青ざめた馬期間(ペイルライダー)期間です。これは、海外の掲示板に載ってたヨハネの黙示録を元にした奴らの行動計画書(アジェンダ)です。
(1)白い馬  1993年〜1999年
(2)赤い馬  2000年〜2006年
(3)黒い馬  2007年〜2013年
(4)青ざめた馬  2014年〜2020年
(5)殉教者の苦しみ  2021年〜2027年
(6)神の怒り  2028年〜2034年
(7)獣の刻印  2035年〜2041年

イエスの復活
支配者層のアジェンダでは、ヨハネの黙示録の7つの封印を順に解いていき、最終的にイエスの復活につながる。
というよく分からない計画になってるのです。で、来年から、いよいよ殉教者の苦しみ期間になるのですた。
ワタスの見る所、今年しょっぱなから始まったのは、来年の準備。1年かけて、米vsイランを徐々に煽って行く。局地戦だと人口はそこまで減らない。なので来年の核戦争。本命を引っ張り出す準備と見てます。
日月神事にはこんな記述が多いですよね。しきりに北から来ると言ってます。
北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり
おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどう)気つけてありた事近ふなりたぞ。
アルバートパイクさん。ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。
ワタスは人口の85%削減はロシアが出て来た時だと見てます。今のところロシアのカニヨンが良い線行ってると見てます。
ん?カニヨン?
名前はとっても可愛らしいですが、ロシアのカニヨンは地上最悪の兵器。以前、やりすぎ都市伝説にロシアのツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝)が出たことがありますが。ツァーリ・ボンバは広島原爆の3万8千倍。で、カニヨンとは核魚雷なのですね。カニヨンの存在は以前から作り話と言われていますた。最近、本当に存在することが判明した。敵国の沿岸都市を丸ごと消し去る威力があるそうですた。
https://www.esquire.com/jp/lifestyle/tech/g25623409/russia-nuclear-tsunami-poseidon/
ロシアの恐るべき核魚雷は敵国の沿岸都市を葬り去り、しかも、津波を引き起こすために開発された兵器なのです。そして海中でのテストも、現在まで何度も目撃されてきました。この兵器について、作り話と考えられたこともありました。ですが、インターネット上の研究者たちによれば、「このシステムの開発が始まった時期は、2008年にまで遡る」と言います。カニヨンは、ツァーリ・ボンバの2倍の威力だそうですた。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/03/post-9680_2.php
巨大核魚雷カニヨンは、18年2月に米国防総省が概要を明らかにした核戦略見直し(NPR)において、「世界を破滅させる兵器」と名指しされていた。
2015年にこの資料が誤って公開された際のBBCニュースの報道によると、この兵器は100メガトン級の核爆弾を搭載可能で、水中では最深1000mの軌道を経由し、射程距離は1万kmに達するという。カニヨンの100メガトンという威力は、これまで実際に製造された中で最も強力な核兵器である「ツァーリ・ボンバ」(「爆弾の皇帝」の意)の2倍に相当する。
2021年。
ロシア産、カニヨン襲来。
北から来る。
つぁぁあ。
つぁぁ。
カニぃ。
カニ美味しいけど怖いぃぃ。
とにかく支配者層は、カニを使おうがロブスターを使おうが。人口削減したい。その期間こそ来年からの殉教者の苦しみ期間なのです。その期間は一日一握りの米に泣くような食料危機もあって人口の85%が削減される。アジェンダ21そして最近言われだしたSDGs(エスディージーズ)もここから来てるのです。この詳細は、別途書きましょう。
本当にありがとうございますた。

黄金の金玉を知らないか?
https://golden-tamatama.com/blog-entry-ww3-start-iran2.html
https://golden-tamatama.com/blog-entry-world-war3-start.html










封印を解く者
2020年01月07日 (火) 17:45
カテゴリ : 未分類
1946年生まれの第45代アメリカ大統領、ドナルド・トランプが2017年初頭に登場したとき、TPPを排除し、アメリカの利益のためだけに行動すると自称するトランプを「反グローバリスト」と位置づけて拍手喝采した者が多かった。だが私は、トランプの共和党リバタリアニズム丸出しの利己主義人生観と、金儲けだけの、優しさの欠落した強欲な発想に、強い不快感を抱いた。
「もしかしたら、この男が人類を破滅に導くのかもしれない」
という小さくない不安な印象を抱いた。その後、トランプが、2017年5月に、エルサレムの「嘆きの壁」を参拝したことで、私の危惧は確かなものに変わった。
https://www.cnn.co.jp/world/35101577.html
このとき、アメリカ福音派の支持を受けて当選したトランプは、共和党リバタリアンではなく、ヤムルカという、ユダヤ教徒だけに許された聖帽を被り、明確にユダヤ教徒としての姿で、ユダヤ教最大の聖地を参拝したのである。このことは、ユダヤ教を少しでも知る者なら、「ユダヤ教徒の一員としてイスラエルとユダヤ人に奉仕する」と宣言した、と受け止めるのである。
これまで何度も、このブログに書いてきたとおり、ユダヤ教徒は、基本的に旧約聖書とタルムードの世界観のなかで生きている。ユダヤ教徒にとって、もっとも大切なものは、旧約聖書、創世記15章に記されている、「約束の地」を実現することであり、次に大切なことは、タルムードに描かれている、「ユダヤ教徒だけが人間で、他のすべての人々は、ユダヤ教徒に奉仕するための家畜(ゴイム)である」という世界を実現することである。これは「神に選ばれた人々」なのだから、当然なのである。このもの凄い選民主義と独善、そして抜きん出た金儲けの才覚ゆえに、ユダヤ人は世界中で嫌われ、迫害されてきた。欧州の多くの土地で「ボグロム」と呼ばれるジェノサイドに遭ってきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0
どうして、こうなってしまったか? といえば、諸説あるが、ユダヤ人たちが、キリスト教徒の子供たちを生け贄の儀式で殺してしまう習慣を持っていたとの解説が多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%82%B7
「こんな事実があったはずがない」と誰もが虚構だと信じるのだが、欧州には、子供たちの虐殺遺体が大量に発見されている場所があって、何者か(カトリック?)が、子供の虐殺を繰り返したのは間違いない歴史的事実である。
https://matome.naver.jp/odai/2148855831728187001
欧州のユダヤ人は、ヒトラーナチズムによいるホローコストに遭って、600万人という凄まじい大虐殺が行われ、証拠もはっきりしている。これが、欧州で経済的に高い地位にあって安住していたユダヤ人たちを、殺戮の恐怖によってイスラエルに帰還させるシオニストの陰謀であることは、すでに何度も解説している。
この証拠を示すサイトは、10年前まで、ネット上にたくさんあったのだが、なぜか今はほとんど削除されている。ユダヤ系団体の情報操作によるものだろう。こんな真説が流布されたなら、これまでナチズムを糾弾してきたユダヤ人社会の立場がなくなってしまうからだ。ユダヤ人社会=ユダヤ教徒は、「約束の地」=シオンに帰還する宗教的義務を負っている。
約束の地
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%84%E6%9D%9F%E3%81%AE%E5%9C%B0
ナイル川とユーフラテス川に挟まれた広大な「約束の地」は旧約聖書によって、「ユダヤ人が神から与えられた土地である」との認識がユダヤ教徒の行動原理であり、この土地の中心がエルサレム=シオンであることから、これをシオニズムと呼んでいる。
シオニズムを宗教的原理に置いているのは、ユダヤ教徒と、アメリカの福音派キリスト教徒(右派)であり、彼らをクリスチャンシオニストと呼んでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
https://synodos.jp/international/21819/2
2017年、トランプを大統領に押し上げた勢力こそ、この福音派であり、すなわちシオニズムであった。福音派は、アメリカ人の23%を占めるといわれ、アメリカ最大の宗教勢力であり、かつ共和党最大の支持母体である。このグループから、最近、トランプは批判されるようになっていたのだが、今回、イランの革命防衛隊司令官を殺害した理由は、大統領選における福音派の支持を呼びかけるためだったといわれる。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200104/k10012235181000.html
福音派は、中東におけるハルマゲドンの引き金を引いて、「約束の地」を領有することを熱望しているといわれる。このため、トランプに対し、事実上の対イラン戦争に踏み切るよう圧力をかけ続けてきたのである。
https://www.mag2.com/p/news/433749
上のリンクから引用
【ソレイマニ司令官殺害は、トランプ大統領の指示によると国防総省は発表しているので、何かの意図を感じ取る。トランプ大統領は、「ソレイマニ司令官は過去20年間に1,000名をこえる市民を拷問し殺害してきた世界ナンバーワンのテロリストだ。彼を殺害する行動を米国はもっと早い時期に取るべきだった」と、また「米国人を死傷する攻撃を計画した」と米国市民の殺害計画を述べて、トランプ大統領は、行動を正当化しているが、違う理由がある。トランプ再選には、福音派の支持が必要であり、福音派は聖書の予言の実現を望んでいる。もし、トランプ大統領がヨハネの黙示録の最後の第7の封印を解くなら、絶大な支持が期待できる。ということで、再選するために中東戦争をするしかないのだ。】
**************************************
引用以上
ここに書かれている「第七の封印」とは、ヨハネ黙示録のことである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%91%E5%90%B9%E3%81%8D
【第七のラッパ=世界に最終的な終末が訪れる。この終末において、悪魔は神との戦いに敗れ、神に選ばれなかったすべての人々が死ぬことになる】
福音派は、自分たちが「神に選ばれた民であり、中東先住民は、悪魔の手先だ」と本気で信じているのである。だから、トランプに対し「第七の封印を解け!」と迫っていたのだ。もちろん、アブラハムの子、ユダヤ教やキリスト教の先祖であるイサクと、その兄でイスラム=モスリムの先祖であるイスマエルの、子孫どうしの最終戦争のことである。
トランプは、先に述べた「嘆きの壁」にユダヤ教徒として参拝しているのだが、このときエルサレム第三神殿の再建にも言及している。第三神殿を再建するためには、イスラム最大の聖地であるアルアクサモスク(岩のドーム)を破壊しなければならない。すなわち、世界20億人のモスリムを真正面から敵に回し、ジハードをはじめさせることになるわけだ。つまり、トランプも、ハルマゲドンをやる気満々と考えてもよいかもしれない。そこに、今回の世界中の度肝を抜いて、「第三次世界大戦勃発!」を指し示すような、イラン革命防衛隊司令官の殺害が起きた。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200107/k10012237171000.html
殺害は、突如、予告や警告も、裁判もプロパガンダもないまま、国際法を踏みにじって実行された。こんなことをすれば、トランプ自身が、やがて「世界のお尋ね者」になることが避けられないのだが、大統領選への福音派の支持を求めて強行された。こうなると、もう喧嘩両成敗とか、国際社会の仲裁とかのレベルではなく「やるかやられるか」という国家のメンツの世界に突入したのである。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-986.html
トランプは、イランの報復に対し、「52カ所の軍事攻撃を実施する、その中にはイランの歴史的文化も含む」と恫喝した。もちろん、こんな愚かな恫喝は、イランの怒りに大量のガソリンを注ぐようなものであり、今やイランは凄まじい報復の世論に燃えている。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/01/52300.php
まったく、我が目を疑うほど愚かなトランプの言動だが、もう絶対に確実なイランの軍事報復に対して、福音派=共和党は、ますます猛り狂って、「核ミサイルを撃ち込め」と扇動するのは火を見るより明らかであり、イラン側が米本土でトランプ暗殺に成功したりすれば、間違いなく第三次世界大戦に発展するだろう。理由は、中国とロシアが、イランを支持することを表明したからである。
https://www.sankei.com/world/news/200105/wor2001050012-n1.html
つまり、イランに核ミサイルが撃ち込まれれば、中ロは、間違いなく米本土に報復ミサイルを撃ち込むことだろう。ちょうど、米中経済戦争で、中国側の敗色が濃厚ななかで、これほど中国共産党のメンツが立つ話もないからだ。彼らは、自国民の命を守る気持ちなどさらさらない。守るのは中国共産党の利権体制だけなのだ。
こんなわけで、今は、世界経済崩壊を前にして、第三次世界大戦が目の前に迫っていることを、我々は理解すべきである。悪いことに、史上最悪のアホ宰相が、米国側に加担することが明らかであり、代理戦争として、中国やロシアからの軍事攻撃も考える必要があるのだ。
 
東海アマ
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-989.html









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オカ: 世界はいよいよ最終戦争に突入するのか


オカ: 世界はいよいよ最終戦争に突入するのか
「終末の最終戦争」を意味する赤い旗がイランのイスラム教シーア派の復讐の聖地に掲げられた
投稿日:2020年1月6日
2020年1月5日 「フサインの流血に対して復讐したい者たちへ」と書かれた赤い旗が掲げられる
・A Symbol Of Severe Battle To Come
Iran Raises Red Flag Over ‘Messianic Mosque’ Declaring ‘End-of-Days’ War’ for First Time Ever
Breaking Israel News 2020/01/05
「イスラム教の救世主を讃えるモスク」において、イランは赤旗を掲げ「終末の最終戦争」を史上初めて宣言した
1月5日、イランの都市コムにあるジャムカラン・モスク聖堂で、ぞっとするような光景が展開された。このモスクの上に、イスラム教において復讐の呼びかけを象徴する赤い旗が掲揚されたのだ。赤い旗が掲げられたジャムカラン・モスクは、シーア派のイスラム教徒にとって終末論的な救世主であり「最後のイマーム(宗教的指導者)」と呼ばれるマーディ(ムハンマド・ムンタザル)に捧げられたモスクだ。マーディは、この世界からすべての異教徒たちを殺すイスラム最後の救世主だと信じられていることから、今回のこの呼びかけは、「終末の日の最終戦争」を象徴する呼びかけと判断できる。1月3日に、イラクの首都バクダッドで、イランの革命防衛隊幹部だったスレイマニ司令官がアメリカ軍の無人機の攻撃により殺害されたが、モスクに掲げられた赤旗は、このスレイマニ司令官殺害に対しての復讐の呼びかけを意味し、また、この旗には「フサインの流血に対して復讐したい者たち」と書かれていることが読める。シーア派イスラム教徒の伝統では、旗は喪の儀式の重要な部分だ。シーア派の伝統における赤い旗は、不当に流出した血を象徴し、殺人に対しての復讐をするための呼びかけとして機能する。イスラエルのバル=イラン大学アラビア語学科の上級講師であるモルデチャイ・ケダール(Mordechai Kedar)博士は、この赤旗のシンボルを買いかぶるわけにはいかないと強調する。
ケダール博士は、以下のように言う。
「赤い旗は、敵が血の海に沈むことを意味します」
旗に書かれてある「フサイン」とは、イスラム・シーア派第 3代の指導者フサイン・イブン・アリーのことだ。彼は、イスラム教の教祖であり預言者ムハンマドムの孫にあたる。フサインは、西暦 680年のカルバラの戦いで虐殺されたが、このフサインの死亡した10月10日は、イスラム教徒の特別な日となっている。シーア派のイスラム教徒にとってはそれは喪の日だが、スンニ派のイスラム教徒は勝利を祝うお祝いの日としてそれを認識している。シーア派はこの日を、刃または剣の鎖を使った自己鞭打ちの行為で認識する。
ケダール博士は以下のように言う。
「これは、フサインを殺し、斬首したことによりシーア派を辱めたスンニ派とウマイヤ派に焦点を当てた復讐の呼びかけですが、しかし、同時にこれはシーア派に対するすべての敵へのメッセージです。フサインは、すべての抑圧されたシーア派のシンボルなのです」
「この赤い旗は、シーア派イスラム教に反対するすべての人に死をもたらす呼びかけでもあり、今日の誰もが西暦 680年のフサインを殺した人たちと同一視されるのです。これは、シーア派のすべてが永遠の対立と見なしているものに対する世界的な呼びかけといえます」
「シーア派はこの対立を永遠の観点から考えています。コーランには、アッラーが忍耐を持っている人たちと共にいると言っている節があります。シーア派イスラム教徒には強い忍耐の歴史があります。彼らは 1979年にイラン革命で最終的に立ち上がるまで、13世紀ものあいだ待ち続けました」
ケダール博士は、やはり先週の出来事(スレイマニ司令官の暗殺)があまりにも大きいと述べる。かつてのオサマ・ビン・ラディン師やバグダディ師(IS指導者)の暗殺よりも影響が大きいという。
この大規模な流血への呼びかけは、イラン革命警備隊の外国作戦部隊の長であるスレイマニ司令官を引き継いだエスメール・ガーニ少将によって復唱された。ガーニ少将は、司令官への任命の声明で以下のように述べた。
「耐えて下さい。じきに、あなたはすべての中東地域で、アメリカ人たちの死体を見ることになるでしょう」
ジャムカラン・モスクは、西暦 984年以降、イスラム教徒にとって聖地と考えられている。この建物は、指導者ムハンマド・ムンタザルの記念堂でもある。「最終イマーム(指導者)」と呼ばれ、シーア派において人類の最終的な救世主として現れるとされる者でもある。ムハンマド・ムンタザルは、イスラム教徒の支配を確立し、救世主の到来のための世界を準備するために、すべての異教徒たちを殺し、イスラム教徒にとってのナザレのイエスであるイーサーと共に現れる救世主と考えられている。

 In Deep
https://indeep.jp/iran-raises-red-flag-as-declaring-end-of-days-war

 




イスラム教救世主とイエスが共に終末戦争を戦う場所で
イランのイスラム革命防衛軍の司令官だったガセム・ソレイマニ将軍が、1月3日に、アメリカ軍の無人機からのミサイル攻撃で暗殺されるという出来事があって以来、いろいろと非常に危うい状態となっています。そのような中で、1月5日、イスラム教シーア派の「最終救世主」とされる 10世紀のイスラム教指導者ムハンマド・ムンタザルという人を記念する聖堂の屋上に、
「復讐の戦争を呼びかける赤い旗が掲げられた」
ということが、欧米や、中東などで一斉に報じられていました。イスラム教の事情に疎い私などは、欧米の記事を読んだだけでは、意味がよくわからなかったのですが、イスラエルの報道に、イスラム教シーア派の歴史の解説などと共に、今回の「赤い旗」の件を報じていた記事がありまして、それをご紹介したいと思います。そして、朧気ではありますが、今回の赤い旗の意味が少しだけわかりました。なお、イスラム教には、シーア派やスンニ派などがありますが、その具体的な違いはともかく、イランはその多くがシーア派です。
キリスト教でのイエスが、イスラム教では、イーサーと呼ばれることも初めて知りましたが、Wikipedia によると、以下のようなことになっています。
■イスラームにおけるイーサー
イスラームにおけるイーサーは、ナザレのイエスのイスラム教における呼称である。キリスト教においてキリスト(救世主)として信仰の対象とされるイエスは、イスラム教ではイーサーと呼ばれ、イスラエルの子らを新しい啓示インジールのもと導くために送られた預言者と位置付けられる。
ムスリム(イスラム教徒)はクルアーンを神からの最終啓示だと信じているが、これによればイーサーは、神アッラーの命じた奇跡すなわち処女懐胎の結果、マルヤム(聖母マリア)を母として生まれた。イスラームの伝承では、イーサーは最後の審判が近づけば地上に戻り、司法を復活させて偽のメシア(反キリスト)を打ち負かすと考えられている。イスラームは、「イーサーは人の姿をした神である、あるいは神の子である」といった考え方を拒絶しており、「イーサーは常人であって、他の預言者同様、神の言葉を広めるために選ばれた人間である」と主張する。「へえ」と思いましたが、イスラム教では、「イエスは普通の人間」なんですね。
そして、続けて、この項目を読んでいましたら、今回のイランの「赤い旗」とか「最終戦争」と関係ある部分が出てきます。イスラム教でのイエスは、「正義の戦争の渦中に再臨する」ようです。
イスラームにおけるイーサー / 再臨より
ムスリムは、イーサーがこの世の終わりに近い時期に再臨すると信じている。イスラームの伝承によれば、イーサーはマフディー(正義の導き)による戦の最中に降臨すると考えられている。マフディーとは、イスラームの終末論ではイスラームの救世主として知られており、反キリストとその支持者に対抗する者である。イーサーは、ダマスカスの白い拱廊に、黄色いローブをまとい頭に油を塗って降臨し、マフディーに加わって偽メシアと戦う。
この部分ですね。ここに出てくるマフディー(救世主)が、先ほどのイスラエルの記事の最後のほうに出てくるムハンマド・ムンタザルという人で、
> マフディーに加わって偽メシアと戦う。
とありますので、ムハンマド・ムンタザルとイエス・キリストが共に、偽救世主と戦うという図式のようです。そして今回、「赤い旗」が掲げられた聖堂こそが、この「終末の時に、イエスと共に偽メシアと戦う救世主」であるムハンマド・ムンタザルを讃える場所だったと。それで、報道で「最終戦争」という言葉が使われていたと理解しました。
それにしても、キリスト教もイスラム教も、どちらも同じ人(イエス)のことを述べているにも関わらず、歴史的にこのように争い続けてきたというのは、もう……何だかよくわからないですね。そして、世界はいよいよ最終戦争に突入するのでしょうかねえ。

In Deep
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2020年01月07日

ザアカイ: 時代はマタイ24章・ルカ21章の世界に突入している

ザアカイ: 時代はマタイ24章・ルカ21章の世界に突入している
正月早々、中東が緊張状態、ヤバイことになっている
2020/01/03 18:45:38
 経済・政治・国際
2020年も幕を明けました。正月名物、箱根駅伝をまるで自分が走っているかのように(2位東海大と僅差の接戦だったので)緊張しながらテレビを見ていました。優勝を狙えるとなると、さすがに愛校心にも火が点ると言うもの。昨年の屈辱をバネに見事にリベンジ!思わずガッツポーズ! 自分もこうしちゃいられない、頑張らねば・・・と、母校の後輩達の活躍に酔いしれていたのも束の間 −−;
正月早々、さっそくきな臭い記事が2連発で入って来ました(涙;)早くも気持ちを通常モードに切り替え −−;・・・
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200103/k10012234631000.html
イスラエルなど3国 ガスパイプライン建設で合意 トルコは反発
2020年1月3日 13時10分
イスラエルは、沖合で採掘した天然ガスをヨーロッパに送るため、東地中海を横断するパイプラインを建設することで、ギリシャなどと合意しました。ただ、同じ海域での天然ガスの開発に意欲を示しているトルコが反発を強めていて新たな火種となることが懸念されます。イスラエル、ギリシャ、そしてキプロスの3か国の首脳は、2日ギリシャの首都アテネで会談し、イスラエルの沖合とギリシャを結ぶ、東地中海を横断するガスパイプラインの建設について合意しました。イスラエルが採掘した天然ガスをヨーロッパ向けに輸出するのがねらいで、ロシア産天然ガスへの高い依存度が課題となっているヨーロッパ諸国はエネルギー調達の多角化に役立つと期待しています。ネタニヤフ首相は「イスラエルはエネルギーの輸出大国になろうとしており、きょうは歴史的な日だ」と述べました。
一方、同じく東地中海に面するトルコはこの海域でのガス田開発に強い意欲を示していて今回の計画に反発しています。トルコは去年11月、地中海の対岸に位置するリビアの暫定政府との間で、このパイプラインのルートを塞ぐように互いの排他的経済水域を設定していて、東地中海のガス田をめぐる開発がこの地域の新たな火種となることが懸念されます。
■イスラエルのガス戦略
イスラエルは東地中海の沖合で開発した豊富な天然ガス資源を使って今後は周辺国への輸出に乗り出し、アラブ諸国とは関係改善を図り、ロシア産ガスへの高い依存度が課題になっているヨーロッパ諸国には売り込みを強化し、エネルギー外交を活発化させる構えです。イスラエルは2009年以降、東地中海の沖合で大規模なガス田を相次いで発見し、アメリカ企業と連携して開発を進めた結果、イスラエル国内のガス消費はほぼ自給できるようになり、ぜい弱だったエネルギー安全保障の強化に成功しました。そのうえでイスラエルは去年1月、エジプト、ヨルダンという隣接するアラブ諸国のほか、ギリシャ、イタリア、キプロスという南ヨーロッパの国々とともに「東地中海ガスフォーラム」を立ち上げ、同盟国のアメリカと連携して周辺地域の開発協力を推し進めています。
具体的にはエジプトとヨルダンに対してはすでにあるパイプラインを通じてイスラエル産ガスを供給し冷え込んだ関係の改善を図ろうとしています。またヨーロッパ諸国に対しては今回合意した全長およそ1900キロのパイプラインの建設を推し進めてヨーロッパ市場への足がかりを得たい考えです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イスラエルとトルコ+リビアの確執、ロシアにとっても面白くない事は明らかでしょう。
次です。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200103-00010011-abema-int
■米空爆による司令官殺害にイラン反発「犯罪者には厳しい報復が待っている」 中東緊迫
1/3(金) 16:26配信
イランの革命防衛隊の司令官が、アメリカ軍の攻撃を受け殺害された。イランは反発しており、対立がさらに激しくなる恐れがある。
【速報】イラン司令官殺害 トランプ氏指示
アメリカ国防総省は2日、トランプ大統領の指示を受けてイラン革命防衛隊「コッズ部隊」のソレイマニ司令官を殺害したと発表した。国防総省は、ソレイマニ司令官が先月31日にイラクの首都バグダッドでアメリカ大使館が襲撃された事件に関わったとしている。イラクの地元メディアは、ソレイマニ司令官の乗った車がバグダッドの空港で空爆を受けたと伝えている。イランの最高指導者ハメネイ師は「司令官を殺害した犯罪者には厳しい報復が待っている」とアメリカに警告した。
(AbemaTV/『AbemaNews』より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アメリカとイラン、お互い挑発し合い、相手の出方を慎重に見極めようとしている。エゼキエルの預言によると、ロシア、トルコ、リビア、イランがイスラエルに侵略する時、アメリカは軍事支援をしない、というかおそらく「出来ない」のかもしれない。アメリカが内戦、もしくは他国からの攻撃を受けるという予測、予想は前々から存在します。オカルトマニア向け雑誌??「ムー」の編集者の発言によると、「米中核戦争が勃発し、東京オリンピック中止」などという今年の予言?もあるようだし・・・私的にはあるとしたら、米中ではなく、米露だと思うが・・・ロシアには核弾頭搭載可の極超音速ミサイル「アヴァンガルド」他、アメリカの防衛網では対処できない最新兵器がわんさかありそうです。その口火を切るのは、その突撃先兵部隊となりそうなイランか?
イスラエル+(欧米=おそらくは米英)+サウジ VS ロシア、トルコ、イラン、(リビア+スーダン)
もしかしたら、聖書には具体的に書かれてはいないが、米英に対する攻撃がロシア、トルコ、イラン側から(リビアはまだ機が熟してはいないと私は見ます)イスラエル侵攻前、あるいは同時進行で?あるかもしれない。今年はひょっとしたら?マジで?金融テロを含め、トンでもない年になる可能性が高いかもしれない?
ザアカイ(取税人ザアカイ)

子羊通信
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2012年1月29日 (日)〜ジョン=コールマン著「第三次世界大戦」〜初版発行からもうすぐ7年〜再掲載
2020/01/04 21:36:53
 黙示録、聖書預言
正月早々、まるで第一テサロニケ5:1〜11節のような、中東を舞台とする世界情勢の大展開・・・もちろん当然ながら、今まで伏線はありましたがね。2020年の今となっては約15年前の情報ですが、昨日のエントリー記事の補足、貴重な参考資料となるかもしれない?と思ったので今また、再掲載しようと思い立ちました。
古い記事なので探すのが大変でした −−;・・・ブログ管理画面で検索かけてもヒットせず・・・検索キーワード:子羊通信 ジョン=コールマン 第三次世界大戦 イラン でググってみたら、あらま!上の方にありました^^;
時代は明らかにマタイ24章、ルカ21章の世界に突入しているでしょう。エゼキエルの大預言の舞台設定も、ここに来て一気に、早いペースで進んでいるかのようです。今年はひょっとしたら??心してかからないと、また、今まで以上に霊的備えをしないといけなくなるかもしれません。
トマスがヨハネ伝で復活のイエスに再会した時に言った言葉・・・「我が神、我が主よ」、来るべきメシヤ、King of kings なるキリストに連ならねば、明日はないような状況になる可能性だってあるかもしれない。イエス=キリストだけが、道であり、命であり、真理だと私は信じます。この方以上の弁護人は誰一人として存在しない事でしょう。
では転載を開始しましょうか。
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さて、中東ウォッチング・ブログと化している今日この頃 −−;IAEAがイランの核査察に入っています。明日29日にはイランが先制攻撃とも言えるEUへの原油輸出禁止法案の審議に入るようで、事態はますます悪化する様相を呈しています。
そんな中でふと?2005年5月5日に初版が発行されたジョン=コールマン氏が書いた「第三次世界大戦」という“おどろおどろしい本”をなぜか?もうすぐ7年が経とうとする折り、再び拾い読みしたところ、興味深い箇所を発見しました。
初めに断っておきますが、私はコールマン氏の言うことすべてに賛同し、鵜呑みにしているわけではありません。聖書預言と矛盾する箇所も多々見受けられます。それでも方向性は的外れではありませんし、十分参考にはなります。今は亡き太田龍氏が監訳してます。温故知新とはまさしくこれに似たようなことでしょうかね?
氏の発言で興味深かったのは、共産主義ソ連は、NWOユダ金陣営によって造られた。これはわがブログの読者にとっては自明の理でしょう。そんな中で興味深かった点を二つピックアップするならば
1. ロシア人民には自分達を亡き者にしようとする環境の中を生き抜いてきた歴史がある。
2. 1960年代末、ソ連の軍部を中心に、反ユダヤ、反フリーメーソン、反シオニズムの旗印を掲げたロシア民族主義運動が生まれ、1980年代にはそれは数百万人を影響下に置く、非常に重要な勢力に成長した。その動きを、「300人委員会」は阻止できなかった。
この歴史的過程をほとんどの人は気づいてないが、コールマン氏は「ロシアの第二革命」と名づけている。ゴルバチョフ、エリツィンというユダ金陣営の忠実なるエージェント=売国奴が登場したことはあったが。
・・・なるほど。これで今あるプーチン・シロビキ体制が理解できるというものです。この見方は正しいような気がする。机の下で握手している茶番劇などではない、米ロはお互い不倶戴天の敵同士なのだと。ユダヤ世界帝国に対する、神がその創造の時から用意されたヤコブの末裔を悔い改めに導くための「ゴグ、マゴグ」という鉄の杖なのだろうと。この事を前提に太田龍氏の監訳者解説部分より、今現在において重要だと思われる箇所を抜粋引用してみましょう。
引用開始〜P307〜313より(注釈は管理人個人によるもの)
本書によれば、反ユダヤ反フリーメーソン反シオニズム思想に目覚めたロシアが、このようなイルミナティ300人委員会の構想に対抗する勢力として登場した。ここのところは、本書の最も重要な論点であり、また、今の日本人には最も理解しがたい内容であろう。しかし、我々はその難問を解かなければならない。レーニンはイルミナティの完全なエージェントである。しかしレーニン死後、スターリンとトロツキーの権力闘争に際して、イルミナティがスターリンを支持したにもかかわらず、スターリンは、イルミナティの忠実な傀儡とはならず、両者のあいだに深刻な対立が発生した。最晩年のスターリンが大規模なユダヤ人追放政策をまさに実行に移そうとしたその直前に、ユダヤ人ベリアを首謀者とするスターリン暗殺クーデターが発生した。しかもそのあと、第二次大戦の国民的英雄ジューコフを長とするソ連軍は、ベリアを逮捕銃殺して逆クーデターを敢行するのである。
(注;スターリンはグルジア系ユダヤ人だとする説もありますが、私はこの手の分析、「ロシア皇帝の密偵説」を支持しております。)
ロシア帝国とその継承者ソ連の完全解体と、マッキンゼー地政学の言うところの世界島(ユーラシア大陸、アフリカ大陸、アラビア半島を含む)の心臓部をも直接武力による占領支配下に置く。これは、18世紀以来の大英帝国(の姿をかりたイルミナティ世界権力)の、一貫した大戦略であり、米国を使役してイルミナティ300人委員会が、なお追及し続けている目標である。そしてそのことを、現在のロシア軍部は十二分に認識しており、米英(300人委員会)の侵略攻撃がロシア民族の生存そのものを危機に瀕せしめる場合には、対米無制限世界全面戦争作戦を発動することを決定済みであると、コールマン博士は述べる。日本人にはそのような事態を正視する用意がないことはいうまでもない。
しかし、肝心の米英イルミナティ300人委員会中枢部は、情勢をどう評価しているのであろうか。英国の諜報機関専門家、ティム・ライファトは、ロスチャイルドを中核とするロンドン・シティ、島のクラブ(クラブオブアイルズ)など、いろいろな名称で呼ばれる国際金融寡頭権力は、2012年、第三次世界大戦発動の日程をたてている。そしてそれまでの間になすべきことは、(注;これは実現しなかった)
1. エルサレム、イスラムの聖地岩のドームを破壊して、その跡に、ソロモン第三神殿を建設する。
2. 2012年に予定される第三次核全面戦争によって、このソロモン神殿に生贄を捧げる
3. それまでにロシアを、チェチェンその他、南から攻撃して、その力を極力滅殺、消耗させる。
4. 第三次核世界大戦の陣形は、米英イスラエル陣営とロシア、イラン陣営を中核とする。この体制を作るために、イランの力を強化しなければならない。
(注; それにしても・・・サタンに魂を売った連中は精神異常者ばかりです・・・このうち成就しているのは4番だけですね。3番も2008年に北京オリンピックの開幕のどさくさに紛れて、グルジアのサーカシビリを使ってちょっかい出しましたが、哀れ、返り討ちに −−;
ソロモン第三神殿の建設は神が許さないかもしれないと私は考える時があります。聖書の言う「聖なるところ」とは、教会と解釈することは出来まいか?イランに関しては連中が強化したのか、ロシアがバックアップしたのかはわからない。)
追記;2020年現在、「聖なるところ」とは、置換神学を排斥して、文字通り解釈し、第三神殿でいいのではないかと考えるようになりました。ティム・ライファトは、このように述べている。彼の見方でも、イスラエルのユダヤ人はロシアの核攻撃によって皆殺しにされる。つまり、第三ソロモン神殿に捧げられる生贄となるべく予定されているわけである。コールマン博士の記述もこれと同じ。
(注;この見方は聖書的ではないし、個人的には実現しないと思う。確かにイスラエルは攻撃されるだろうが、イスラエルが地図上から消滅することはないと思う。キリストが再臨する地が核で汚染されるということがあるのだろうか?と考える。以下、私のオリジナルですが、エゼキエル書39章の戦後処理、エゼキエルの神殿の記述が、千年王国初期の段階の出来事であると解釈するのは異端だろうか −−;?・・・あくまで数ある可能性の一つとして。)
ここで、第三次世界大戦とは、米国とロシアが保有する戦略核ミサイルが標的に向かって無制限に発射されることを意味する。しかし日本人は、旧ソ連=ロシアは、米国との冷戦に完敗惨敗して、いまや息も絶え絶え、かつてのソ連の核戦力はもはや存在しないと信じ込まされている。つまり、全面核世界戦争の危機は完全に消滅したと、無条件で前提するのである。
(注;個人的にはこれこそが黙示録の第7の封印が解かれ、第一のラッパが鳴り響く時であると思うのだがさて?)
追記;↑の注;はどうやら間違いの可能性が高いかも −−;?
英国ロスチャイルド(そしてロンドン・シティ)は、第三次世界大戦、つまり全面核世界戦争を2012年と設定していると言う。
中略〜
シリアを片付け、レバノンも占領し、そしていよいよ本番はイランとサウジアラビア攻略である。ロシアがここでイランを本気で守ると言うことであれば、一方に米英イスラエル、他方にロシアとイランという第三次世界大戦の二つの陣営の最初の核が形成されるであろう。2004年5月の石油ピークに関する国際会議において、イラン国営石油会社副総裁は、「第三次世界大戦はすでに始った。そのことを、我々イラン人は痛切に感じている。やがてそれは、全世界の人々の生活に影響を及ぼすであろう。」と言う趣旨のことを述べたと言う。まさしくその通り、イランこそ、第一次大戦のセルビア、第二次大戦のポーランドの役回りを振られてしまっているのである。(注;ここ大事!)
しかし今の米国には、通常兵器による大陸上陸部隊をイランに展開する余裕はない。米英イスラエルにとっての唯一可能内乱殲滅策は、全面核攻撃しかない。
(注;この分析は今でも変わらないと感じます。
以下、中国は米国と組んでロシアと戦うと言うことを書いており、これは今となっては、聖書預言的にもあり得ないので、再び中略〜 −−;)
コールマン博士の予測によれば、米国とロシアの全面戦争の結末は、ロシアに対する米国の一方的勝利とはならず、双方とも深刻な打撃を受けるけれども、ロシアはかろうじて生き残り、米国は全滅となるという。もちろん、イスラエルが真っ先にロシアの核攻撃によって全滅し、消滅させられることは言うまでもない。
(注;くどいようだが、イスラエルは消滅しないと思う。アメリカとロシアは双方かなりの打撃を受け、その後、EUと中国が代って台頭するのではないかな?それからハルマゲドンへと突き進むような?聖書予言的にはそう読めるのだが −−;?)
日本に対するロシアの核攻撃の程度は、その時点で、日本がどこまで米国の第三次世界大戦の作戦に深入りしているか、その程度によって決定されるであろう事は間違いない。
引用終了〜
こうして見てみると、日本としては極力中立を保つのがベストでしょう、難しいと思いますが。フクイチ原発事故が、結果「塞翁が馬」となるのかどうか? あとタイムスケジュールの問題がありますが、こればかりはわからない・・・
私としては
「主よ、イエス様・・・平安が与えられますように、あなた様にある知恵と勇気に満ちた強き心をお与えになってください。どうぞこの身になりますように。一切をあなた様に委ねます。どのような結果になろうとも、あなた様に従います。再臨に立ち会えるならばこれ以上の幸いはありませんが、どうぞ、御心のままに。」と、これで行こうかと・・・
追記;今は、大艱難時代を生き抜くのは不可能に近いと思うようになったので、携挙に与りたく・・・大艱難期前、遅くとも第四の封印=青白い馬、通称ペール・ホース・マンが解かれる前には(これが中川健一師が鼻で笑う、御怒り前携挙説になるのかーー;?
欲を言うならば、「私としてはこの世にはもうなんの未練もありません。十分生きました。その時は、どうせならミサイルが近くに着弾し、死に損なって、血を流して苦しむよりは、いっそうのこと寝ている時にでも、我が家の真上に着弾し、苦しまずに逝く事が出来ますよう楽にやってください。」でしょうか(笑)歴史を紐解く限り、体制の転換期、行き詰った時は必ずといっていいほど、人類が取ってきた方法と言えば、破壊で解決し、新体制でもってやってきました。いわゆるガラガラポン、ご破算です。ケインズも市場原理もダメだと証明された今、資本主義もあとは崩壊を待つのみ、時間の問題です。このコールマン氏の分析をバカにすべきではありません。先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
伝道の書 1:9
まさしくこの通りです。そしてそろそろ、我々人類が統治していたのでは、幸せを掴むことは永遠に不可能だと悟り、神に大政奉還すべきでしょう。
わたしは、その角の語る大いなる言葉の声がするので見ていたが、わたしが見ている間にその獣は殺され、そのからだはそこなわれて、燃える火に投げ入れられた。 その他の獣はその主権を奪われたが、その命は、時と季節の来るまで延ばされた。
わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。 彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。
ダニエル 7:11〜14
このような世界が実現するのであれば、真綿で首を絞められ生かさず殺さずの生活で一生を終わるより、私はたとえ肉の命が失われようと、こちらを選び賭けます。どうせ一度は死ぬわけだし(ただし、苦しまずに楽に願いたい^^;)、死んでも霊は生き復活するという希望があるなら恐れる理由はないはず。
まさしく大艱難よ、来るなら来たれ〜、私は恐れない。と・・・口で言うのは簡単、強がっていられるのも今のうちかもしれませんがね −−;
PS;一部、加筆追記をし、以前と考えが変わったり、置換神学を必要以上に使うべきではない箇所などは、訂正させていただきました。
ザアカイ(取税人ザアカイ)

子羊通信
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2019年11月23日

Revelation13.net: 黙示録と天体配置から考える2020年〜2030年の未来予測

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Revelation13.net
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Revelation13.net: 黙示録と天体配置から考える2020年〜2030年の未来予測
Revelation13.net: 予言カレンダー,2020年〜2022年-ニューエイジ,ノストラダムス,聖書予言,ジェームズ聖書コード,世界の出来事の占星術予測
過去と未来の重要な日付リスト:
4713 BC 〜 1997
1998〜2002
2003〜2018
■概観
2019年以降の予言予測-
2020年〜2022年,THE END TIMESイベントや災害が生じ得る。
2019年〜2022年: 反ロシア主義のPutin大統領が世界とNATOを破壊しようとする。ロシアあるいは北朝鮮は2019年〜2022年に核戦争を開始し,2021年〜2022年にエイリアンUFOの侵略,黙示録の四騎士がうごく。
黙示録には「黙示録の四騎士」がいる。白馬の騎士(反キリスト,征服者)・赤馬の騎士(戦争)・黒馬の騎士(経済不況)・青馬の騎士(死)。
黙示録8章の記述。ノストラダムスは3人の反キリストの台頭を予測した。最初の2人はNapoleonとHitler。3人目はPutinだろう。
2019年〜2022年にかけて黙示録の四騎士: 反キリスト主義者は世界征服・経済カオス・戦争・病気を試みるだろう。反キリストのPutinはウクライナとその他諸国に侵攻する。そしてロシアか北朝鮮は2020年〜2022年に核戦争を開始する。
ヨーロッパでのISISテロ攻撃の増加?ロシアは核戦争開始?2020年〜2022年のUFO出現・アルマゲドン・敵対者の敗北・キリストの帰還。
このウェブサイトには,聖書の最終章である黙示録についての議論が含まれている。これには2020年〜2022年に発生しうる壊滅的な一連の出来事の説明が含まれている。
■わたしの黙示録的未来解析
反キリストと呼ばれる邪悪な独裁者の台頭。彼は番号666で識別される。黙示録には「黙示録の四騎士」がいる。白馬の騎士(反キリスト,征服者)・赤馬の騎士(戦争)・黒馬の騎士(経済不況)・青馬の騎士(死)。黙示録の四騎士は、反キリストが権力を握るようになると現れると言われる。また黙示録には天使の記述があるが,そこにある天使はペストを運んでいる死の天使である可能性がある。ヨハネの黙示録8章には,小惑星・彗星が地球に衝突して地球上の生命の多くを破壊するように解釈できる記述もある。
ヨハネはヨハネ黙示録第1章で,キリストの死後にギリシャ近くのパトモス島に流され,そこでキリストを見たと書いている。キリストは7つの黄金の燭台の中に現れた。これはキリストの弟子であるヨハネかもしれないし別のヨハネかもしれない。キリストは、遠い未来に起こる出来事についてのJohnのビジョンを示している。キリストはJohnに「アルファとオメガ」として自分自身を示し,そして私のビジョンではUFOと天使を背景に7つの黄金の燭台の中でキリストを示した。キリストが宇宙人である場合,キリストとUFOのつながりがあると思う。
1999年8月にロシアで力を発揮したPutinが最初に大統領になったとき,珍しい惑星グランドクロスがおき,ヨーロッパ全域で日食がおきた。これはPutinが黙示録13章の666の「悪の反逆者」であることを示す。 
2019-2020年
2017年9月,カッシーニ土星宇宙探査機が土星/サタンに衝突。カッシーニのPutinとのつながり:Putinは1999年8月9日に最初に権力を握った。占星術グランドクロスの日:1999年8月18日はプルトニウムを搭載したカッシーニが地球付近を通過した翌日でヨーロッパで日食がおきた日。1999年は「666」を逆さまにした形。「666」は黙示録13の反キリストの数。
この1999年8月のグランドクロスは,これまでに見られた最も驚くべき占星術配置の一つ。獅子座エリアに太陽・金星・水星,射手座エリアに火星・月,牡牛座エリアに土星・木星,水瓶座エリアに海王星・天王星が並んだ。さそり座をワシ・水瓶座を人間と考えると,各惑星が並ぶエリアは,天国の玉座に座る黙示録4章の「4匹の獣」,ワシ・人間・ライオン・子牛を意味する。これは人類にとって重要な時期を示しているようだ。2000年にプーチンはロシア大統領になったが,この配置は反キリストの力の上昇にも関係していると思う。
プーチンは1999年8月にロシアで最初に政権を握り,その後ロシアでNo2の指揮権を握った。1999年8月のグランドクロスの重要性に留意されたい。
また1999年8月9日はチャールズ・マンソン・グループのロサンゼルスでのシャロン・テイトおよびその他の大量殺害事件から30年にあたり,チャールズ・マンソン・グループの悪魔的なカルトのために重要であったことに注意。また1999年8月13日は,500年前のメキシコのアステカ太陽暦の重要な将来の日付で,1999年8月13日は,アステカ人によって人類にとって重要な変化の日であると予測された。
書籍「運命の日〜1999年8月13日にあなたはどこにいるか?」ジョンミニ/1998年刊,トランスハイパーボリアン科学研究所発行。
土星に向かうカッシーニを考える。惑星土星に関して。土星はおそらく「サタン」を表す。「反キリスト」は,実際にはサタンの息子であるキリストの悪魔の模倣であると言われる。したがって土星への旅は、実際には人類の「サタン」への旅かもしれない。またアナグラム的にはギリシャ語で「タイタン」の合計が666であることに注意。これは、カッシーニがタイタンに上陸し反キリストと結びついていることを示す。タイタン(反キリストを表す?)は土星/サタンを中心に展開していることに注意。
今日の世界の混沌は,黙示録の四騎士,特に第三の騎士の経済的混沌によって引き起こされていると思う。
第二の騎士/赤馬の騎士・「戦争」の懸念は,2019〜2022年にかけておきるロシアのウクライナ侵略。ロシアは中東・ISISのテロリスト・イラク・シリア・中国に介入する「悪の独裁者」と呼ばれる。ヨハネ黙示録13章に記された「反キリスト」は私の考えでは「 ロシア」。その長たるプーチン。
(黙示録13章:反キリストはライオンの口・クマの足を持ちドラゴンから力を得る)。世界を引き継ぐためにドラゴン・ライオン・熊の悪の同盟はある。赤い中国-香港(香港はかつてイギリスの植民地だったためライオンのシンボルを持つ)-ロシア・中国・その他(旧ソ連)諸国からなる同盟が米国に対峙する同盟の一部としてされている。
ライオンの第二の意味はイラン。
ロシアはイランが核開発計画とそれを支援することで、原爆の構築を支援し、ロシア・中国・イランの軍事同盟を示し,イランはその国旗にライオンのシンボルがある。ロシアは軍事装備をイランに販売している。
オサマビンラディンはヨハネ黙示録9:11に書かれた
「地獄から来た邪悪な悪魔」「破壊者」。
反キリストの赤い獣とアルカイダとISISのテロリストのドラゴンという2つの悪獣が形成されている 。NATOと米国を脅かす新しいロシアの潜水艦とミサイル。
黙示録の第四の騎士/青馬の騎士は「死の騎士」。エボラ・鳥インフルエンザ・SARS・ZIKAウイルス流行は2019年〜2020年に発生する可能性。H3N2FLUパンデミックは2019年〜2020年に発生の可能性。2019年〜2022年にかけて世界中の火山噴火と巨大地震に注意。エイリアンは火山噴火を遅らせ地球温暖化の温度上昇を遅らせることができる。2013年2月15日ロシアに小惑星が落下した。カリーナエは巨大な超新星になる可能性がある。
2004年12月のインドネシア巨大地震/津波・2011年の日本の東北大震災・戦争・病気(鳥インフルエンザ,豚インフルエンザなど)・経済的混乱・天気の変化(地球温暖化、ハリケーンカトリーナのようなスーパーストーム)。
南カリフォルニアの大地震が発生しなかった理由の1つは,ロサンゼルス(LA)の沖にエイリアンUFO基地が存在する可能性があり,エイリアンが水中を損傷する可能性のある南カリフォルニアサンアンドレアス断層地震を防止している可能性があるため。彼らは地震を防ぐために地球のストレスをゆっくりと解放しているかもしれない。多くのUFOがLA沖の深海に出入りしているのが見られたため水中に基地がある可能性が高い。したがって将来南カリフォルニアで大規模な地震が発生する可能性は低い。これらのエイリアンにとって地震の制御は簡単だろう。
■バイブル・コード解析
King James版英語聖書のバイブル・コード:
James版バイブル・コードのソフトウェアを使用して,私は自分のコンピュータ上で生成された行列にJames版聖書のコードパターンを組み込んで解析した。結果「小惑星落下」が7件,「巨大津波」が7件あった。
■31年の666サイクル
31年の666サイクル
要約すると,
666日x17サイクル= 31年。
最初の31年間は1914年8月の第一次世界大戦の開始から始まり,1945年8月の第二次世界大戦が終わって終了。ファシズムの台頭〜敗北がおきたことに注意。
2回目の31年間は1976年に終了。一連の災害と毛沢東議長の死により共産主義は衰退。
3回目の31年間は2007年に終了。この期間に反キリスト・プーチンが権力を握った。
4回目の31年間は、反キリストプーチンの盛衰の後、恐らく地球へのエイリアン侵略で2038年8月に終了。
2007年に始まる31年の666サイクルは2038年8月1日に終了。この31年のフェーズは反キリストの台頭であり,地球のエイリアンの侵略完了。
■詩扁による未来予測
詩扁(the Psalms)に隠された予言: J.R. Church著「詩編の隠された予言(Hidden Prophecies in the Psalms)」(Prophecy Publications刊, 1990) 。
JRは,詩扁の番号と20世紀におきたイスラエルと中東の出来事の年が一致する事を発見した。たとえば詩扁48章が1948年に対応。詩扁67章がイスラエル国の誕生した1967年に対応する。
このパターンで考えると2001年9月11日は
詩扁101章に対応し,詩扁101章8節「...すべての邪悪な行いを主の都市から断ち切る」。ニューヨークの街は宗教的な街で、2つの大聖堂がある。
2019年は詩扁119章に対応し詩扁150章までに2050年までの未来が記述されているとも考えうる。
詩扁113章(2013年)「主はすべての国よりも高く、その栄光は天よりも高い。」「...天と地にあるものを見よ」。2013年3月と2013年11月に明るい彗星があったことに注意。
詩扁117章(2017年) 短い2行の詩。
詩扁118章(2018年)「主の名によって来られる者に祝福を」。
詩扁119章(2019年) ヘブライ語のアルファベットの文字に関連する長い詩。これは反キリストを打ち負かすためのキリストの帰還を伴うハルマゲドンの戦いに関連しているのか。UFO?2021年?
詩扁120章(2020年) 詩扁120章4節「鋭い矢」,詩扁120章7節「それらは戦争のため」。2020年はハルマゲドン?キリストは反キリスト打倒のためにUFOエイリアン軍と共にUFOにやって来る。2021年,黙示録19章11節参照。
詩扁121章(2021年) 詩編121章1節「天と地を作った」地球のエイリアンの侵略?これは2021年がエイリアン侵略の年であることを示している可能性。
詩扁121章(2021年)には,2021年がエイリアン侵略の年であることを示している可能性がある。キリストは、ヨハネの黙示録19章で説明されているように,地球でUFO侵攻を始める。黙示録19章11節James版定訳「そして天国が開かれ白い馬を見た」(UFO)。19章14節「そして天国にいた軍隊が白い馬に乗って彼を追った」(UFO),19章15節「そして口から鋭い剣を持ち,それで彼は国家を打つ」(強力なUFO兵器は地球の国々を打つ)。
ヨハネの黙示録16章の第3次世界大戦のハルマゲドンでは,中東を中心とした大規模な核戦争がある。プーチンは2020年〜2022年に核ミサイル攻撃を開始するのか?第三次世界大戦を始めるのか?
黙示録19章に記述されているように,反キリストはキリストによって打ち負かされる。帰還したキリスト(2021〜2022年に帰還する可能性)の軍隊(エイリアンUFO)は,実際には2021〜2022年のUFOエイリアンによる地球侵入である可能性。
詩扁121章(2021年)に記述された「新しいエルサレム」は2021〜2022年のエイリアン侵略後に地球に降りてくる巨大なエイリアンの都市である可能性がある。ヨハネ黙示録21:10「そして偉大な都市・聖なるエルサレムが神から天から下って行くことを私に示した」。
詩扁121章(2021年)と詩扁122章(2022年)はエイリアンによる地球の再編成を説明しているようだ。詩扁121章1節「そして私は新しい天と新しい地を見た」。キリスト/エイリアン政府下での地球の再編成がおきて,地球が別次元に移行すると解釈できる。
詩扁122章8節(2022年) 詩編122章3節「エルサレムは都市として建設された」。この記述は2022年の黙示録21章2節・10章26節にもある。「新しいエルサレムが宇宙から地球に降りてくる」。エイリアンUFOの侵略の目的は,この巨大都市を新しい世界の本部として地球上に設置し,帰還したキリストをエイリアンの主役にするためのようだ。
詩扁123章(2023年) 詩扁123章1節「天に住むあなたよ,わたしの目を上げてください」エイリアンの侵略?
詩扁127章(2027年) 詩扁127章1節「家を建てる」2027年に新しいエルサレムを建てる?エイリアンの侵略後の新しい再編成された世界?
詩扁128章(2028年) 詩扁128章5節にエルサレムの記述。新エルサレムの建設は2028年まで続く?
詩扁150章(2050年) 詩扁150章「彼の力により大空へ」地球のエイリアン支配が2050年に完了?
黙示録7章14節で説明されているように144,000人の選ばれた者がキリストと共に集ま​​り,これらの144,000人は,「新しいエルサレム」の都市が宇宙から地球に降りてくるときにキリストが地球を引き継ぐのを助ける。
「新しいエルサレム」は,帰還したキリストの世界本部と,地球の統制を引き継いだエイリアンの侵略軍の拠点になる。
侵略の理由は,エイリアンが地球温暖化と地球環境の破壊を懸念しているためかもしれない。黙示録11章18節「地球を破壊する彼らを破壊するべき」。侵入するUFOとエイリアンはW56エイリアンである可能性。またおそらく地球上の何百万人もの人々が消える「The Rapture」は、エイリアンに関連している可能性。地球へのエイリアンの侵攻中にエイリアンにアブダクトされた何百万もの人々。
黙示録22章1節「そして彼は私に生命の水の純粋な川を見せてくれた。クリスタルのように澄んだ...」
22章2節「通りの真ん中,川の両岸に生命の木があった...」
「生命の水の川」はDNA。「生命の木」は生命の進化。黙示録22にあるこのDNAの言及は、エイリアンが人間のDNAを改変することを意味するかもしれない。DNAを修正して人間をより平和にし,エイリアンによって運営されている世界政府をもたらす可能性。22章2節「そして木の葉は国家の癒しのためであった」。

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[占星術イベント]
■2019年
2019年1月6日,東アジアで部分日食。
2019年1月21日,北米および南米で皆既月食。
2019年1月22日,明方の空に金星と木星が2度以内の接近。反キリストまたはキリストに関連。
2019年2月18日,小惑星がシリウスの前を数秒間通過。これは暗黒エネルギーとのつながりがある。シリウスはドッグスター、ヘルハウンド。
2019年2月19日,満月・スーパームーン。地球に最接近。
2019年3月21日,満月・スーパームーン。
2019年4月7日,反キリスト・プーチンの誕生日。1952年に生まれてから66年6ヶ月(666)。
2019年6月10日,地球に最も近い反対側の木星。
2019年6月14日,グランドウォータートライン。火星-蟹座18度,海王星-魚座18度,月-山羊座18度。また水星-蟹座15度。18 = 6 + 6 + 6。
2019年7月2日,チリ・アルゼンチン・南太平洋で皆既日食。
2019年7月16日,部分月食。
2019年8月1日,アフリカでエボラ出血熱の発生が続きコンゴからルワンダに広がる。
2019年8月10〜18日,1999年8月のグランドクロス配置・日食からちょうど20年。1999年8月にロシアで反キリストプーチンが大統領再選。2期目の指揮権。ロサンゼルスでは殺人鬼マンソン誕生50周年。
2019年11月11日,水星食。太陽を横切り通過。次の通過は2039年。反キリスト・プーチンに関連する重要な世界の出来事に関連する可能性。
2019年11月24日,金星と木星が見かけ接近。2度未満。
2019年12月26日,クリスマスにインド・インドネシアで環状日食(月の周りに光の輪)。水瓶座射手座・山羊座惑星の占星術クラスター。反キリストプーチンに関連。
■2020年
2020年1月12日,山羊座9度の木星,山羊座22度の土星・水星・冥王星,山羊座21度の太陽が接近。注:土星-サタン,冥王星-死。
2020年10月7日,反キリスト・プーチン大統領が68歳。黙示録6:8[ 青白い馬に乗った男の死。その時世界的に致命的な病気の流行?]
2020年12月14日,皆既日食。
2020年12月21日,夕方の空で木星と土星が見かけ上接近。重なるように見えるため,これは木星-土星の占星術コンジャンクションでもある。非常に不吉な兆候。大規模災害の可能性。
■2021年
2021年,詩編121は2021年がエイリアン侵略の年であることを示している可能性。
■2022年
2022年, Amazon.com Companyで2008年に出版されたMaximillien de Lafayette氏著「Anunnaki:UFOs、Extraterrestials」〜2022年はAnunnakiの地球への侵入の年。アヌンナキが地球を引き継ぎ,反物質を使って地球と人間を「浄化」。キリストもその時に地球に戻る。
2022年11月4日,ツタンカーメン王の墓が1922年11月4日にイギリスの考古学者ハワード・カーターによってエジプトで発見されてから100年。ツタンカーメン王の呪いが解かれる。ツタンカーメン王の呪いが解けて,反キリスト・プーチンとして再度黙示録の4人の騎手が解き放たれる。小惑星・太陽フレア・地震・核戦争?1922年11月4日の占星術チャートはグランドウォータートラインの配置。3つの三角形からなる強力な占星術パターンだった2022年11月4日の占星術チャートも水瓶座と魚座に惑星が集まった配置で似た配置。
■2024年
2024年4月8日,米国全体で日食。2017年・2024年・2045年に米国での3つの日食がある。
■2029年
 2029年,Astrology Earth Signsで惑星が大三角形形成,魚座エリアに集まった惑星群を一角に持つ大三角形(Grand Earth Trine)の強力な占星術パターン。
2029年2月3日,UFOコンタクティBilly Mier(ビリー・マイヤー)によると,水瓶座の時代は2029年2月3日に始まり3999年2月3日に終わる。Billyは,魚座の時代は1844年2月3日に終わり,以降移行期間。移行期間の後半は1937年2月3日から始まる。
■2032年
2032年5月28日,双子座エリアに惑星集合: 太陽・金星・水星・火星・土星・天王星。

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2018.05.01(第51回)
ロシアとシリアの未来
早くも5月になりました。季節は初夏になり気持ちのよい風が吹いていますが、シリア情勢を中心に世界情勢はさらに危険な方向に進みつつあるようです。今回はこの状況を見ながら、久しぶりにこれからどのようなことが起こるのか、いくつか予言を参照してみることにしましょう。
■実施された空爆
すでに半月も前になりましたが、アメリカ軍は4月13日、イギリス、フランス両軍とともにシリアを攻撃しました。シリアをめぐっては4月7日、アサド政権軍が反体制派が潜伏するダマスカス近郊の東グータ地区にある町、デューマを空爆した際、民間人ら約50人が呼吸困難などの症状で死亡したとされ、アサド政権軍が化学兵器を使った疑いが持たれています。トランプ大統領は政権側が化学兵器を使ったと断定し、軍に攻撃命令を下しました。トランプはツィッターでシリアへの攻撃を示唆するとともに、アサド政権を支援しているロシアを牽制しました。
このように、今回のシリア空爆の理由になったのは、ロシアに支援されたアサド政権が行ったとされる化学兵器の使用です。塩素が使われたとされています。しかし、化学兵器の使用が疑われているダマスカス近郊、東グータ地区にある町、デューマをロシア軍が調査したところ、化学兵器が使われた証拠が見つかりませんでした。さらに、ロシアのニュースメディア、「スプートニク」は、化学兵器攻撃がなかったとする証拠を掲載しました。欧米の主要メディアでは、化学兵器の攻撃を受け治療されている市民を撮影したビデオが放映されていますが、このビデオに登場する医者と医学生にインタビューしました。要約すると次のような証言を得ました。
・4月7日、近隣の3階建の建物が崩壊した。3階と地下にいた住民が病院に運び込まれた。
・地下から救出された住民は爆煙のなかで呼吸困難な状況だった。その治療を実施していた。またなかには喘息の患者もいたので、治療を受けていた。
・そのとき、撮影機材を持った集団が治療室に入ってきた。見たこともない集団だ。彼らは「化学兵器の攻撃だ」と怒鳴って、その場にいた患者に水をかけ始めた。人々はあっけにとられて見ていた。
・彼らは撮影が終わるとすぐに出て行った。この日、化学兵器の攻撃があったという事実はまったくないし、その治療を受けた患者もいない。
このような内容でした。
さらに、4月13日のアメリカ、イギリス、フランスの空爆の終了後、欧米のジャーナリストも実際に化学兵器による攻撃が行われたのかどうか確認するため、東グータのデューマに入り始めました。そうしたジャーナリストからの取材報告が出てきています。最初は、英「インデペンデンス紙」の著名な記者、ロバート・フィスクの報道です。中東の調査報道ではもっとも著名なジャーナリストです。これまでも数々のスクープをものにしています。4月16日、フィスクはデューマに入り、化学兵器攻撃の犠牲者の治療を行った病院で取材をしました。
 すると、「スプートニク」のビデオでも証言した医者と医学生から同じ証言を得ることができました。フィスクも化学兵器の攻撃があったとする証拠は皆無であるとしたのです。
次に、アメリカのCNNやFOXニュースに次ぐ大手ケーブルテレビの「ワン・アメリカン・ネットワーク(OAN)」の取材報告です。4月17日、フィスクに続き「OAN」もデューマに取材チームを送り、原地の状況を報道しました。それは、以下のような内容でした。
・デューマに入り、当局による証言内容の操作が疑われないように、街に出て無作為に40名ほどの市民や兵士にインタビューした。するとどの人も化学兵器の攻撃などはまったくなかったと証言した。
・市民によると、これはシリア政府軍との戦闘に負けている反政府勢力の「イスラム軍」が行った自作自演のプロパガンダではないのかということだ。国際世論を味方につけ、状況を挽回しようとしたではないかという。
・また、化学兵器攻撃の犠牲者を治療したとされる病院にも行ってみたが、そのような攻撃はなかったと皆証言した。彼らは、その日は呼吸困難になっている患者の治療を行っていたといっている。この日はひとりの死者も出ていないということだった。
・最後に、アサド大統領についてどう思うか聞いて見たところ、ほぼ全員がアサドこそ救世主なので、心から愛しているという返答だった。反政府勢力の「イスラム軍」の支配はまさに地獄のようだったという。
このような証言でした。これらの証言を見ると、先の「スプートニク」が報道した証言内容とぴったりと一致しています。やはりアメリカやイギリスが主張するような化学兵器の攻撃はなかったと結論づけてよいでしょう。これはアメリカに支援された反政府勢力のプロパガンダに過ぎない可能性が極めて高いのです。
では、なぜアメリカを中心とした欧米諸国は、化学兵器の攻撃をでっち上げるのでしょうか? その答えは明白です。シリアのアサド政権を打倒し、親欧米派の政権に置き換えることです。しかし、ロシアとイランに支援されたアサド政権が崩壊する予兆はまったくありません。むしろ、シリア政府軍はシリアの大部分の地域を平定し、シリア全土を支配下にしつつあります。そのような状況ですから、欧米による攻撃はこれから何度も起こるとみてよいでしょう。シリア国内にはアメリカ軍とロシア軍の両方が展開しています。下手をすると、アメリカ軍とロシア軍の戦闘機が交戦するという最悪な事態にさえなる可能性もあります。これからいったいどうなるでしょうか?
■クレイグ・ハミルトン・パーカーとジョン・ホーグ
そのようなとき、驚異的な的中率のサイキック、クレイグ・ハミルトン・パーカーと、アメリカの占星術師で非常に鋭い社会分析家でもあるジョン・ホーグが、シリアの未来を中心に、実に興味深い予言をしています。
クレイグ・ハミルトン・パーカー
周知かもしれませんが、クレイグ・ハミルトン・パーカーはイギリスの著名なサイキックです。前年の9月に翌年の大きな出来事の予言を行い、ユーチューブなどで公表しています。イギリスのEU離脱やトランプの大統領選勝利など数々の出来事を見事に予言し、その的中率は年によっては70%を越えるのではないかとも言われている人物です。パーカーは一般企業の宣伝部長だった異色の経歴を持つサイキックです。また、予言だけではなく人間が精神的に進化するためには善意で生きなければならないとし、慈善活動や啓蒙活動を熱心に行っています。非常に親しみやすく気さくな人柄で、大変人気があります。予言を公表するときも、前年の予言を自分ですべて検証し、的中しなかったものは正直に認めています。
そのようなパーカーですが、4月11日にロシアとシリアに関する予言を緊急にアップしました。それは、ロシアのテレビチャンネルの取材を受けたので、その内容を公表したものです。4月11日といえばシリア攻撃が行われる2日前です。次のように予言しています。
シリアに関して
・残念ながらシリア攻撃は行われる。ただし、ロシアと全面的に対決するような大きなものにはならない。相当に限定された攻撃になるはずだ。
・最終的にシリアは3分割される。それというのも、トランプがプーチンに取引を申し出るからだ。まず、シリアの北部にはクルド人の自治国家ができる。そして中央部はロシアとイランに支援されたアサド政権の支配地域となる。また南部はアメリカおよびその同盟国が支配する地域となる。
・アサド政権は存続するものの、アサドは最終的には暗殺される可能性がかなり高い。
ロシアについて
・興味深いことに、ロシアでは近い将来精神的な覚醒が起こる。それは現在のロシアの国教であるロシア正教と関連した現象ではない。キリスト教が入ってくる前のロシアの伝統的なスピリチュアリズムが息を吹き返すのだ。この運動は世界的な影響力を持つ。
以上です。
■ジョン・ホーグの予言
次はジョン・ホーグです。ホーグはアメリカを代表するノストラダムスの研究者で、占星術師でもあります。しかし、社会の集合意識の変化を深層心理学から的確に読み取り、世界の変化を予測するという手法では群を抜いており、非常に的確な情勢分析を行っている社会分析の専門家でもあります。
トランプが立候補し、まだ泡沫候補のひとりにすぎなかった2015年8月の時点で、ホーグはトランプの勝利を予想していました。その数ヵ月後に出版した『トランプを大統領に』という本は、トランプの勝利のみならず、トランプ政権の性格まで予想し的中させています。そうしたホーグですが、4月10日、聴視者が300万人もいるといわれるアメリカの深夜ラジオ番組、「コースト・ツー・コーストAM」に出演し、次のように予言しました。
シリアとロシアに関して
・シリア攻撃は実施されるだろうが、大きな戦争にはならない。しかし、いまの欧米は悪の枢軸と呼ばれてもおかしくないような勢力に支配されているため、ロシアとの核戦争は避けられない。
・ロシアとの核戦争が起こるとすれば、やはりその原因となるのは中東で、2021年の10月がもっとも危険な時期となる。もしこのとき危機が回避されたとしても、次の核戦争の危機は2031年にやってくるはずだ。
アンチキリストに関して
・ところでノストラダムスの予言では、アンチキリストが出現するとある。アンチキリストは「MABUS」と標記されている。これはアナグラムというノストラダムス独特のコードによって暗号化されているため、これに当たる人物がだれであるのかノストラダムスの研究者の間でも議論が続いていた。
・私は「MABUS」はサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子(通称MBS)ではないかと考えている。彼が世界の破壊者になるのだ。
以上です。
これが彼らが予言する未来です。どうなるでしょうか?

ヤスのちょっとスピリチュアルな世界情勢予測
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ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ
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未来を見る!『ヤスの備忘録』連動メルマガ
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2019年10月10日

sayufm_musiclabo解析: 黙示録

黙示録、それは単なる文学的所産なのか?
黙示録にはグローバルに世界、あるいは人類史を捉えるところの独特な世界観(歴史観)がその文面内容の底流にあることが抽出的に読み取られうる。
過去、現在、未来、永遠
とグローバルに 表示できる世界観を一個人の人間(ヨハネ)が、はたして持ちうるであろうか。
それはまた、古代ユダヤ民族における旧約聖書のヘブライ思想から、まさにそれに根ざして発展、結実された世界観に過ぎないものと言い切ることができるであろうか。神(世界の創造者)と世界、人類(被造物) との関係的構図という現実から、神の目(神の立場にある視点)理解(その把握と予見)から表現されえた預言の言葉だとも云えないであろうか。  
そこには象徴と比喩表現を用いて世界史的な状況を“<天景の時代>、<海景の時代>、<地景の時代>、そして前三者を踏まえた<全体総景的な時代>”といった具合に仕分けられえたものとして、ある種の具象的“ 場 ”様式の適応展開を見るものであり、キリストの千年王国の後、  永遠の神の国が顕示預言されているかの如くである。  
これらの所見を解き明かす前に、同じ<黙示文学的啓示の書>と目されている、旧約聖書の預言書である<ダニエル書>における預言の言葉を参考に見てみよう。
それによって大いなる見識が  得られるはずだ。(但しこのダニエル書は、その歴史的時代背景を前提、立脚しつつも、その預  言内容は、種々の<ドラマ的エピソード事蹟>が記述された、その流れの過程にある事に注意す  べきだ。)   
まずダニエル書の構成内容を預言の流れから捉えてみよう。確かにダニエル書本来の預言の記述を成立せしめているのは、その背景的な礎定として物語的な出来事(事件)を巧みに織り込んでいるからである。そういった観点を踏まえつつ、あえて預言内容の方向性、あるいは集中性を個々の預言の相互関連的な流れの中で浮き彫りに出来るのではなかろうか。  
来るべき未来事象の預言として、その同一方向性の過程での各々の遠近的な呈示様式にあって、それぞれ時代的に関連して重複、あるいは接点的に関係したものを取り上げると、以下の章区  分のものとなる。   
・ネブカデネザル王の夢:第2章31〜45節(バビロン王ネブカデネザル治世第二年、ダニエルによる夢の解き証し、2章1節〜のその経緯)
*ネブカデネザル治世元年は、BC605年である(その治世:605−562年、約44年の在位期間)
*ダニエルらがバビロンに連れ移されたのはBC607年で、二十歳前後の若者の頃であった。
*ダニエルの夢の解き明かし対して、ネブカデネザル王はダニエルの信奉する神を讃えながらも、その夢の真意に対抗的意識でもって、リアクションの政策行動に走る。
史実的エピソードは全体が金づくめの 金の像を建立、それでもって史的ドラマの記述展開は、第3章へと関連的に続いてゆく。   
・ダニエルの夢&脳中の幻:第7章1〜28節(バビロン王ベルシャザルの元年のもの)
*この時は、まだダニエルはバビロン州に留まっていた。
*ベルシャザルの治世元年は、BC562年である。   
・ダニエルの霊感幻示:第8章1〜27節(バビロンの王ベルシャザルの第3年のもの)*その第3年に王は暗殺されたが、バビロンでは政情不安が生じており、それを避けてダニエルらはエラム州の首都スサに移った。    
その時に見た預言のもので、その時の王権を簒奪した者の元号を採示するに、何一つ有益な啓示叙述の道理を見い出しえなかったとは見られる。
*ベルシャザルの第3年は、BC560年 ⇒ その5年後当たりにメデアびとダリヨス王(=アハシュエロス)の時世が来る。
この王は、エステル記のスサ王と同一人物である。 (新改訳の聖書ではない聖書文言に依る。)    
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   
・ダニエルへの<70週>に関わる御つげ:第9章24〜27節(御使いガブリエルによる)
*エルサレムと宮の復興には<7週と62週>が定められているが、この週数字の間の区分けには、妨害による<工事の中断期間>が生じる事が予見、嘉されての、週区分をあえて意図したものである。
70週x7=490年
となるが、、
(<7週=49年>+<中断期間>+<62週=434年>+<1週=7年/2>)
*これを単純にまとめて単に70週のみと見なすと、その歴史的年代設定に間違いが生じ、それに関わる文面に矛盾した無理なあてがい解釈となる。
*この70週の御つげは、メディアびとアハシュエロスの子ダリヨス2世(父王との共同統治)元年、バビロンでその治世第1年の時であった。
これは、BC555(6)年にあたる。*ダニエルは、エラム・スサから、かって長い間住み慣れたバビロンに戻っていたとも思われる。   
・ダニエルへの<天の人の子>からの言葉預言:第11章2節〜12章13の終節まで(第10章のペルシャ王キュロスの第3年1月24日の幻視、神の側からの目的指標の表明を暗示した経緯内容から続いている展開だが)
*キュロスの元年は、BC538年である。
このクロス王から数えて第4番目のクセルクセス王(ペルシャびとのダリヨス大王)の事も預言として記されている。(11章2節)クセルクセス在位:BC486〜465年
*ダニエルはすでに90才前後の高齢になっていたので、ユダヤ・エルサレムに帰還することはしなかった。
だが、530年代BC末までにまとめ上げて自著(ダニエル書)を同族後継の者に託した。  
以上に挙げた5つの関連預言を踏まえて、 先ずはじめに個々の預言の全てを2つの流れに分類し、外観的に把握しておこう。
ちなみにこの分類方法は、古代イスラエル(ユダヤ)民族に関わる旧約聖書から自ずと派生してくる見方に拠るものである。
一つ目の流れは一般史的(世界史的)な範疇に入れられるべき預言で、この部類にはマクロ的(全体的)なものとミクロ的(部分的展開事象的)なものとがある。  
それらは以下の如くである。  
<マクロ的なもの> その1  
=============   
★ネブカデネザル王の見た夢とその解き明かしの預言:【ダニエル書第2章1〜45】 これは彼の治世のはじめの第2年、今や世界に輝くバビロンの王を介して起こされた預言であり、彼の世からローマ時代以降にまで及ぶその世界史的な未来の範囲を全体的に捉えたものである。(王はその夢を見て、そうとう思い悩み、ノイローゼ気味となって、夜も眠れなかったと、、、、
しかし彼は、バビロン全州の諸々知者たち前で、その慎重さを失うほど馬鹿な王ではなかった。 
彼の見た夢の内容、どんな夢だったかという事とそれの解き明かし(夢が意味するメッセージ)の両方を求めたからである。
その時捕囚のユダヤの民の一人で、つい最近、王宮で王の前に仕えるようになったダニエル以外は誰一人として王の要求に応えうる者はいなかった。)
※光り輝いて恐ろしい外観をした巨大な像とその結末:← ← ← ←王の見た夢

1.その頭部は.....純金
・・・・・・彼ネブカデネザル王の時代、大バビロン帝国の世を現わす。
2. 胸と両腕は.....銀 
・・・・・・彼バビロンの世の後に起こる国を意味し、それはペルシャ帝国時代をさす。
3. 腹とももは.....青銅
・・・・・・第3番目に世界を治めるものとして起こるもので、ギリシャの国、つまりヘレニズム時代をもたらす国をさす。
4.すねと足..........・・・・・・これらの部分をなす材質は少々複雑なもので、種族民族多様化、文化的気質の多様性、また生活文化の格差、強弱を包摂した形での成り立ちを現わすものとなっている。 
すねは.......鉄足とその指......ともに一部は鉄で、一部は粘土から成っている。.........
これは第4番目に世界を治める国をさすもので、ローマ帝国時代とその時代の結末以降までをさす。
これら1〜4から成る巨像は、ネブカデネザル王にとっては、極めて集約的(時代短縮的) なものとして、その解き明かしが受けとめられている。
(だから彼は、頭から足の指先まで ”金”づくめの、どデカイ金の像を建立して、自らの王国の繁栄を願い且つ維持せんとしたわけだ。
(<<第3章1節以降の記述参照>>)
この奇怪な恐ろしい巨像に対して、別個のある一つの物が夢に登場する: 5. 一つの石
...上の像のような世の権勢的なしがらみの関わりからは起こってはこないもので、単独的なものをさす。......
..............人の手によらずに切り出された石....この石は、石であるからこそ、極めて自然的で、その大地に属するものであることを示唆している。
すなわち、これによって起こる国もまた、地上に属するもので(霊的な意味合いにおいて)、ある質を異にした人の主権(巨像の権力とは質を事にしたもの)から成り立つ国を示している。そのようであるにもかかわらず、   その起源は.........人の手で切り出された石ではなく........神の手、すなわち神の特別な導きに起源して、やがて起こってくる大きな国であり、その様相は全地に満ちる大きな山のようなものと表現され、いつまでも滅びることなく、永遠の時に至るまで続くと預言されている。
この石でもって象徴された国の特質をまとめて列記してみよう。
@ 勢力的な活動面からは、
”鉄と粘土から成る足”
を打ち砕いたという事、それでかっての金、銀、青銅から培われてきたその一切(政治的仕組み、社会的な風習、文化的なもの、その他諸々)のものまでもが 
”もみがらのようになり、風に吹き払われて、あとかたもなく”
一掃されるという結果をもたらしているという点大いに注目すべき特質を現わしているといえよう。
、、、、、、、
<<第2章34〜35節>>
A 本来的(に保証された)な特質面:神によって起こされた国であり、その主権は剥脱されず、いつまでも滅びることがなく、ついには永遠に至るという点。、、 <<第2章44節>>  
B 発展的な特質面からは、精神的なものと物質的なものとがひとつに調和融合した ような大きな文化を形成して、その当時の世界の”全地”と言われ得る地理的領域に満ちるようになるという点。
、、、、、、、
<<第2章35節>>
**ダニエルはここで“その像を撃った石は、大きな山となって全地に満ちる ”
<<35節>>
という象徴的文言に関しては、何一つその解き明かしを記していないが、この
<大きな山となって>
の ”山 ”とはまさしく文明文化の発展、その繁栄を象徴していると云えよう。
ネブカデネザル王の見た別の夢が第4章でも記されているが、その”どでかい木”も、彼とその王国の繁栄を象徴したもので、同類的表現のものだと読み取れる。
がしかし“山となる” というような表現での繁栄の仕方は、やはり“ 木 ”でもって象徴されたそれとは、種々にその異なりを示す意味合いを意図するものであろう。
さて、問題はこの”石 ”でもって表された< 国 >とはどんな国を指すものなのかという点が大きな課題となってくる。
これに関しては、今日にいたるまで、キリスト教界ではカトリック、プロテスタントを問わず、疑う余地のない自明の定説がある。それは聖書全体からの他の個所 と照らし合わせることによって、さらに一層確信されうるという。
(古代ローマ帝国の終焉期以降、併存的にその初展をなし、アウグスチヌスの著書『神の国』でもって指標された方向付け等、キリスト教思想(神学)により、新たなるヨーロッパ・キリスト教文化圏での国、精神的には、ローマ教皇が核(キリストの代理権)となり、諸国がそれに習合した体制をとって起生発展してきた世界を指す。
<King of kings>という考えのon Word も彼アウグスチヌスの時代以降の思想的世界観から成立したと思われる。注:AD354−430年没)
=その定説とは、やがて来るべきメシア、すなわちローマ帝国時代のイエスキリストこそが、 人の手によらずに切り出された“石”だと主張するものである。
=これは確かにダニエル書の<<44節>>での
“それらの(又はその)王たちの世(時代)に” という文節が指し示す古代ローマ帝国時代以降の時と、全く一致しており、さらに決定的 な点では、主イエスご自身が語っておられる言葉が、新約聖書のマタイ、マルコ、ルカの 3つの福音書に記されており、そこでは御自身を、ある ”石 ”に譬えてお示しなさっ ている。
<<マタイ21:42、マルコ12:10、ルカ20:17、そして使徒行伝4:11、 エペソ人への手紙2:20、さらにはペテロ第1の手紙2:6−7に引用されている。>>
“家造りらの捨てた石が、隅のかしら石となった。これは主のなされた事で、わたしたちの目には不思議に見える 
”主イエスは、この言葉を旧約聖書(詩篇118:22−23)から引用して語っておられる。 また、べつの旧約の聖句では、イザヤ書28章16節で: 
”見よ、わたしはシオンに一つの石をすえて基とした。これは試みを経た石、堅く据えた尊い隅の石である。
信ずる者はあわてることはない、、、、”(この句のシオンとは、エルサレムにある神殿の丘周辺をさすイスラエル民族独自の象徴的な地名である。)
さらに主イエスは、ご自身を 
”躓きの石 ”
に譬えておられるが、とにかくこの<石> に逆らう者、敵対する者、無用、無価値なものとして捨てる者は、人であれ、国であれ、すべていつかは、必ず滅び去ると見られている。
以上のごとく、この伝統ある説は絶対的なものとして、キリスト教界において支持され続けてきている。
だがこの説は、本当に真実なる真理であり、事実たりえるのか、ネブカデネザル王の見た”夢の石 ”と 主イエスご自身に譬えられた“ 石 ”とは、その両者を完全に同一視することにおいて、本当に間違いを犯してはいないのか、大いなる誤謬に陥っているのではないか、どうか、ここでもう一度、あらためて検証し直してみるべきではないか。、、、、 先ず第1に検証すべきは、主イエスを王に戴く”神の国 ”は、ダニエルが解き明かした、かの“ 石 ”による国に、本当にそっくりそのまま該当するものなのかという点である。    
[主イエスの”神の国 ”に関わる特徴]イ.) 主イエスが譬えでもって教示し、力(奇跡を起こす神の霊)でもってその一面をあらわされた神の国.....知性的、感覚的(視覚的)な提示となり、外的、身体的(命)な面に力点がある。ロ.) そして、ご自身の存在そのもの(十字架の死と甦り)による”救いの福音 ”でもって 始められることになった神の国......内的精神的に働くもので、精神的な命(魂)を甦らせ、外的、身体的なものすべてを、この自己のうちから包摂、理解するものとなるから、いわば人の内的な精神の根底を起生点として、外的なものが取り込まれるという精神面にその力点が置かれている。**上述した事をまとめて簡単に云うと、外面的なもののすべてがどんなに理想の状態に整っていても、人は精神的な存在だから<内面的な>ものが、未完、不良あるいは不完全で理想の域になければ、結局どちらもダメになるよと云う結果となり、さらにこれを有神論的に云えば、唯一、真の神様が外的にこの上なき理想のパラダイスをお創りなさり、備えておられても、人がその知、情、意の働きをなす魂のあらゆる面で、神と、その共有一致したる真理において、”成仏 ”(仏教用語を借用)していなければ、神の国に相応しくないということとなる。それ故、神の国は、人(人類)と共に常にその完成を目ざして発展途上にある。もし、キリスト教国家という国があって、神の愛と真理によって諸制度、組織、機関を動かし、愛と真理に基づいて政治を行うならば、それは理想的な国と云えよう。
しかし、 現今に至る過去の歴史すべてを概望探査しても、このような国が存在していたと言えるようなことは一度たりともない。
信仰と愛と真理による共同体とも云えるキリスト教社会、及び教会の過去の歴史においても、いつもその理想国家への発展途上にあるということでもって位置付けられている。 以上のことからその結論として、神がご自身のひとり子イエスキリストによって意図し 啓示し、始められた“ 神の国 ”は、この世の国々と同類の地上ベースに属するものと は、未だまったく云いがたいものであるからして、ダニエルの解き明かした”石 ”の 国には該当しえないし、またそれへの預言をなしたものではないと云わざるを得ない。    つぎに第2の検証としては、キリストイエスの時代に至る古代世界を、どう捉えるかという点    に関わる立場を考慮してなされるべきであろう。    [古代世界という地理的版図の終点とその範囲への限定性] イ.) 人類最古の文明は、ナイル河のエジプトとチグリス、ユフラテス両河に栄えたメソポタミアで、これらを総括してオリエント文明として世界史に位置づけられている。  この古代文明に関わる地理的版図は、アレキサンドロス大王の東征以来(BC336)ギリシャによるヘレニズム文明圏を形成するという注目すべき転換期を迎えるに至った。このヘレナイズされた旧来のオリエント文明圏は、あらたに登場するローマによる世界帝国とその領域内で発展し、次第にそのローマ古代文明を造り替えていくキリスト教による新来のヨーロッパ文明圏と対峙するような世界史の構図を現実化してゆくものとなる。このように新旧二つの文明の地理的版図において、古代ローマ帝国を撃ちそぎ、その東ローマ帝国を最終的に滅亡させ、さらに旧来のオリエント文明圏自体を刷新することが出来たと云える、かの”石 ”による国とは、はたしてキリスト教の国だと断定できるであろうか。それは目に見えて不適合な読みであり、まったく否と、云わざるを得ない。 **さらに別の視点から結論づけると、人手によらずに切り出されたかの“石”は、旧約聖書におけるその純聖書的、啓示的解釈から捉えると、それは“モーセによる十戒の石”の延長線上にあるものとして、それへの類比が象徴的に可能となるからである。
ロ.) 文明発祥の地、古オリエント世界の数千年ともいえる文明的繁栄の主導権は、まさにギリシャ・ヘレニズムの文化時代と共にローマ・ヨーロッパ文明へと移らんとした。
この旧オリエント文明圏の地は、旧約正典(旧約聖書)を出生せしめたという由緒ある歴史の足跡を残した地でもある。
”四海を鎮護する者”
を意味する言葉を自らの名するネブカデネザルは、まさしくこのオリエント文明圏にその名を轟かしたバビロンの大王であった。
彼は、ユダヤ人が信奉する唯一、真の神のレヴェレーショナルアットモスフィアー (Revelational Atmosphere)の領域からは、はみ出た例外的な人で、多神教を奉じる異邦人である。
この異邦の王を介して神による
“ 夢の啓示 ”
が与えられたということには、それなりの事情(起り始めたエルサレムの荒廃と民の離散捕囚の現状運命)があり、そのユダヤの歴史的転換期に合わせて、神から啓示されるべきその内容が、いまや妥当なものとして絞り込まれてきた。 つまり、世界史的な預言と、来るべきメシアの預言、そして捕囚後の民(ユダヤ人)と復興エルサレムに関わるその終末的預言、これらの三大内容が実現されるべきターゲ ットとして、【人類の時】を支配する神の、その“時の範疇”に置かれることとなる。
それ故、ネブカデネザル王を介してのその“ 夢 ”による預言は、その世界史的なレベルにあって、彼自らが、その展開的な頂点に立つ人物その人であるからして、彼においてなされ、そしてユダヤ人のダニエルが、それを解き明かすという最も妥当な仕方を執った訳である。
したがってその<夢>預言が、異邦の諸王に関わる世界史的次元を主眼点とする限り、いかなる形といえども“ メシア預言 ”は、その中には含み得ないものとなる。 
つまり、多神教を奉ずる異邦の王を介しては、いかなる方式であろうとも、
“ 聖なるメシア ”預言
がなされるということは決してあり得ないことで、これは旧約の民イスラエルに限定された、神の啓示活動における神自らの鉄則である。
ゆえにかの“ 石 ”は、メシアなるキリスト・イエスを指すものではありえない。
そして、その石は、旧約聖書時代以後の、キリストイエスの時代以降に出現する人物として時間的にも特定限定された象徴預言なのである。  
<マクロ的なもの> その2  
============
★ダニエル自身が見た夢の預言:聖書テキスト【第7章1節〜28節参照】前述したネブカデネザル大王の夢の預言は、BC604年(彼の治世第2年)のことであったが、それから下ることおよそ42年後、ベルシャザル王の元年にダニエル自身が夢の預言を得たとある。
ベルシャザルという王の名は、バビロンに住むユダヤ人が好んで呼称した名であり、ダニエル自身が最初に名づけ、用いた名であった。
バビロン名ではエピルメロダクがその王に相当する。(列王紀下25章27&エレミヤ書52−31参照)この王はその治世の第3年に暗殺されているが、その時のいきさつについては、前後反目した記述としてダニエル書の第5章の全体にわたって記されている。
その約2年前にダニエルは夢による預言を得たわけである。
この預言の内容は、ヨハネ黙示録に記されている内容と重なり関連しているか、あるいは連続的にそれへとつながっているかに見られうるようであるが、黙示録よりはかなり平易で、その意味内容は、すんなりと理解できよう。
けだし、途方もなく超マクロ的に広汎な概略内容の為、人類史全体からの個々の歴史的な特定は容易ではないと云えよう。
言葉を換えていえば、全く信じがたいことであるが、それはとてつもない【神の超マクロ的な展望視】であり、神の子キリスト在世以後、現在に至る世界史全体において、中世から近世、近代に至る時点を念頭目捉したるかたちで、その展望を集約的に象徴化した預言として、ダニエルに与え、啓示したものといえる。
したがって、ヨハネ黙示録のヨハネ時点との相対関係にあっては、あくまでもダニエルが在世したその旧約時代に立った処からどこまでも展開一望されたるもの、という特質性を有した預言内容だとみるべきものである。
(あくまでもダニエルによる<旧約次元ベース>のものであるを意味し、そのように捉え預言しているものなんだと、、、
これに対して<ヨハネ黙示録>のあるべき立場は、、、
使徒ヨハネのAD1世紀末次元でのそれとして、
<キリストの予見眼識、及びその視点を源>    
とした別の見方、別の様式で、その全時代からの時の諸特徴が啓明化されるものとなるという具合に、新たな<新約次元ベース>でのもの、といった認知感覚を生じさせうるものとなる。)  
この第7章の預言内容の解釈について、キリスト教徒の教会などではきわめて正統的、且つ事実だと信じられ、支持されてきた定説がある。 
その意味解釈をかい摘んで要約すると、以下の如くである。
彼は4つの大きな獣が海から上がってくる夢の異象をみたが、従来からの定説では、時代的な流れとして、
<ししのような第一の獣は、ダニエル当世にある “ 新バビロニア ”>、
<第二の獣、熊のような存在は、“ ペルシャ・メディア ”>、
<第三のひょうのような獣は、“ ギリシャ ”> 
<第四の、他の獣にさえ例えられないほど恐ろしい獣は、“ ローマ ”>
の帝国としている。
この解釈が、世々代々支持されてきた、まさに確定的な正統説である。
だが、この従来説は、はたして疑問の余地がないものだろうか、、、
本当に正しいもの、真に的を射たものだろうか。確かに時代的な流れの区切りとして、そのように捉え、解釈することが可能である。
しかし、もっと世界史的に視野をひろげて、世界史全体を見つめ直し、その四つ獣の真意を再考すべきであろうとも。
ここでその再考された真に新しき秘蔵の解釈を解き    
明して見よう。   
@:ネブカデネザル王の夢預言の項で、前述した[古代世界という地理的版図の終点と、、云々] で、
旧来のオリエント文明圏、
ローマ到来後に来る新来のヨーロッパ文明圏
等々について述べ たように、”第一のししのような獣は、
”その旧来のオリエント文明圏にあたる帝国であり、 それは
バビロニア+メディア
から
ペルシャ+メディア
への移行隆盛を示すものである。
4節の記事本文を見ると、
”わしの翼をもっていた、”がしかし 
”その翼は抜き取られ、人のように、、、立たせられ、人の心が与えられた。”
と記している。この言葉の意味する状況は、一体どういうことを指しているのだろうか。 
しし、つまりライオンという獣は、地理的分布としては熱帯から亜熱帯のブッシュや草原(岩場)に生息する動物である。
エジプトからメソポタミアの領域は、まさにその範囲である。
<翼をもっていたしし>
とは、何を意味するのか、しかも<わし>の翼とは、どんな場合を云うのか、、、
翼は天空を天かけるものであり、わしは、その当時をして最強の強さを象徴した意味を表している。
この古代バビロニヤからの”飛翔の力の翼 ”は、単なる軍事的な力を表わすものではない。 
これは、古代の神殿宗教的な力を象徴した天的(神権的)な体制を併せ持った力を意味するものである。    
<その翼が抜きとられ、人のように立ち、人の心が与えられた、、、>
これは、ペルシャの時代へといたり、その終焉の段階までの過程で、その初期から半ばにかけては、ユダヤ人の学問、その聖典(旧約聖書)的思潮などによって教化され、ゾロアスター教なども興隆してくるわけであるが、その後、ギリシャからのヘレニズム文化の勢いによって、また、アレキサンドロス大王のペルシャ制覇によって教化され、
”人のように立たせられ、かつ人の心が与えられた”    
という歴史の時代状況となったことを言い表している。
A:それでは”熊のよう”だという第二の獣は、どのような国、情勢を言い表したものであろうか、、、
<熊>
は寒冷地などの森林、河川に生息する生き物であり、あまり暑い亜熱帯や熱帯地方には適さない動物であり、そのような所では、まったくその活発な活動が鈍り、ややもするとその体を半ば横たえてしまう。
5節の記事本文では、そのような熊の状況を前提にして象徴表示している。
”これに向かって『起き上がって、多くの肉を食らえ』という声があった”
と記されているが、この意味するところは、
<さらなる征服をなせ>
とうながし、進めている様を表わしている。 
<三本の肋骨をくわえた>半ば横たえた熊の状況の意味するところは、ギリシャ、マケドニヤの森林地帯から制覇の出現をなしたアレキサンドロス大王の趨勢は、今や<三本の肋骨>、すなわち、それは、当時の史観的(旧約聖書的)な意味合いで、まったく“セム、ハム、ヤペテ”の子孫系列からの全種族を言い表わした言葉であり、これをまさに口にくわえたままの状態情勢のままになっていることを意味している。
彼、アレキサンドロスは、<起き上がって>さらなる遠征、インダス河畔流域までもその勢力    をのばすが、その遠征からの帰還直後、首都バビロンで病死するに至る。(BC323) 
その後の後継者たち(サトラップ=総督たち)においても、新たな地域への<さらなる遠征>もなく、
『起き上がって、多くの肉を食らえ』
というその<声>だけがあるのみで、時代は過ぎ去ってゆく。
その時代の流れ行く時の経過の先には、ローマの台頭があり、ローマ帝国形成の趨勢が横たわっている。   
B: それでは第三のヒョウのような獣とはいったい何ものなのか、、、、
この獣も旧来のオリエント文明圏に主要位置を占めているわけであるが、世々代々にかけて支持された<従来定説> では、これをアレキサンドロス大王が制覇建設したギリシャ帝国としている。
連続的に
第一のものを ”バビロニヤ ”
第二を ”メドーペルシャ ”
とし、それらに後継する歴史は、もはや ”ギリシャ ”しかあり得ないからである。
この場合、6節の記事本文
<この獣には四つの頭があり、主権があたえられた。>
の文面に完全に捉われる向きになっている。
大王の死後、確かにその初め帝国は、4分された向きがある。
エジプト・アレキサンドリアのプトレマオス朝、
シリア・バビロン方面のセリュコス朝(セルキア)、
アカヤ・マケドニア本国、
小アジアの王朝
をその四つだと断定する。
しかし、それらは、きわめて不安定で互いに争い、ほとんど3王朝に帰する時期の方が多かっ    たことを史実は現に物語っている。
これに関してダニエル書の別の章、第8章での別記事(8節)では、大王の死の直後、その数年の分轄継承時期を捉えて預言表示しているわけだが、、このように定説では、
<四つという数>
にひどくこだわり、次章(8)の文言(8節と22節)との数字の一致をなしていることによって、その定説が間違いないと思い込んだところに、何かもっと大きな視野による的確性を満たし得たものを見落とし、その誤謬に落ち入ったのではないかとの断言ができるのです。ここで、少し次章の8章に関して説明しなければならないが、その章の記事本体の性格は、    まったくの近未来の史的状況を物語るもので、マクロ的眺望ではなく、むしろミクロマイナー的な傾向の預言である。    したがって比較同一視は妥当性を欠いたものとなり、解釈的には前7章での超マクロメジャー的預言の構成の一部分要素としては組み込めないから、別個扱いにてのマイナー的な詳細として、その近未来的史状預言を新たにダニエル自身が受けていると思われる。    
彼はその7章で、超マクロ的メジャー預言を幻受したわけだが、それに関しその内容からして非常に悩み、理解に苦しむばかりで、その不可解さと、謎解きがたき思いに満たされるばかりの心境で、この預言内容に心に留め、(28節)先に見た幻視預言からはすでに2年半あまりが過ぎていったと見られる。    
第7章の記事は、バビロンの王ベルシャザルの治世第一年で、ダニエルがバビロンでの自分の館にいた時の事であった。
ところが第8章は、その王の治世第3年に当たるとして、エラム州の首都スサにいた時、しかも川の名もはっきりと明記している。この川は、大河チグリスの幾多もある支流のひとつで、彼ダニエルが現地に滞在せずしては、その川の名(ウライ川)を知るよしもないものである。    彼は、先に視たかの預言の事で悩みぬいたすえ、スーシア(ペルシャ)の首都スサに出かけたか、それとも、ベルシャザル王の暗殺後の事で、後にバビロン王国を領有したスサの王ダリヨ    ス(第5章31節)    
(この王は、エステル記でのアハシュエロス王と同一人物)方から、その身の安全指示により、 そちらバビロンからエラム州に招聘されたかの、いずれかに違いない。
いずれにせよ、彼はその川のほとりで、近未来的な幻の啓示を見たのである。この預言記事は、超マクロの7章での第一の”しし ”
バビロニア+メディア
に対して、そのポスト後の
メディア+ペルシャ
として、”雄羊 ”をあてがっており、猛獣ライオンに比べたら、家畜に等しい羊の類であり、
<人のように立ち、人の心が与えられる>
と、7章4節で言われた内容に俄然継承的に隣接するようなものである。
そして、ギリシャ=アレキサンドロス王にたいしては、なお荒々しい野性の”雄やぎ ”で表わしている。
この王の初期は、まさに大地を駆け回るほどに勇猛果敢であるが、彼の末期は幾分寒いところの育ちであった故に、まさに“ 横たえる熊 ”のようであったといえよう。
また、旧来のオリエント=メディア・ペルシャに依拠した8章の預言に対しては、
“雄羊”対“雄やぎ”
を用い、来るべきローマの新来のヨーロッパ文明圏に関わる7章、この章は、全くもって、その内容の重点を、ローマとその後に置いているからして、それに相当したバランスを考慮して、あえてギリシャ=アレキサンドロスをば ”熊 ”のような獣として表示していると云える。
このように7章と8章を関連づけて捉えると、7章での第3の獣 ”ヒョウ ”は、頭が四つあろうとも、それはギリシャ帝国ではない。
そもそも古代ギリシャ帝国なるものは、成立しな    かったに等しい史実を歴史に刻んでいるからだ。“ 古代ギリシャ帝国 ”なる名称は、キリスト教徒の学者らが、便宜上に用いた、いわゆる“ 単なる造語 ”に過ぎないと思われる。
このように定説は、きわめて単純に第8章のミクロ近未来の
ギリシャ=4つの国
の預言を第7章での第3の獣“ ヒョウ ”に結び付けて解釈するを正解と見なしている。
しかしながら第7章での本筋の重点、内容の重みは、第4の獣に置かれている。つまり、超マクロ的なこの7章の預言は、第1の獣から第2の獣へと続き、さらに第3ではなく、第4の獣へと続く歴史を超マクロ的に展望したような意図が秘められており、その結果、来るべき新来のヨーロッパ文明圏との間の大変な長き歴史的空隙を、旧来のオリエント文明圏をして、それをバランス良く充てん穴埋めするために、第3の獣をローマ以後の新来の文明圏に対峙させたものとして、その預言設定を行っている。
ちなみに古代世界史での旧来のオリエント文明圏の終息時期は、ギリシャのヘレナイズによるそれであるが、その地理史的版図上での国々、諸族の興亡は、とみに激しく複雑で捉えがたい。    
アレキサンドロス大王後の四つに分かれた国々とは、本国マケドニア、エジプト、シリア(小 アジア、ユフラテ河西岸地域を含む)、そしてパルティア王国(メディア、ペルシャ地域)と    なって行くを示すことになろう。
したがって、新来のヨーロッパ文明圏に対峙する形で、世界史の史実に登場する第3の獣とは、旧来のオリエントの地理的版図にあっては、パルティア(BC247〜AD226、この国は、ローマと対立する=トラヤヌス帝の遠征AD113〜 117)、ササン朝ペルシャ(AD226〜651)と続いた後、出てくるもので、延々と十数世紀にわたってその王朝の変遷史を書き留めるものとなり、イスラム文化という固有な文明を形成発展させた、主要な4王朝のこととなろう。
その最初は、サラセン・ウマイヤ王朝、次はアッツバース朝、三番目はセルジューク王朝(トルコ系)、最後はオスマントルコ王朝であり、この4王朝が、第7章6節での第3の獣 ” ひょう”に指摘される4つの頭なのである。もちろんそのような長き時代の流れの間には北アフリカおよびエジプト、又イラン高原やホラーサン(現アフガン地方)等に地方的な小イスラム王朝が興っていたのは確かであるが、それらは<頭>とは云えないようなローカル規模のもので、何はさておき、ユダヤ人の聖都エルサレムや新来のローマ=ヨーロッパ文明圏に対して、多大な影響力、抗争衝突の種を撒き散らすような関わり方もほとんどなく、ひとえにイスラム文明の維持発展の体毛色の意味あいを維持していたといったところとなろう。元来、ヒョウという動物の最大の特徴は、その体色が美しい斑紋であることにあろう。その体毛が毎年抜け替わるらしく、その度に斑紋にはつやがあってきれいに保たれるという。イス    ラム文化の王朝も、そのように交代する度に一新され続けたことであろうか。、、、、また本文6節には<背には鳥の翼が四つあった。>とも記しているが、これは何を意味するのか。    
第1の獣での ”しし ”では、同じ鳥でも鳥の王者ともいえる<わしの翼>であった。この場合は、古代オリエント世界での成熟最高の力を表わすシンボルとしての<わしの翼>を意味するものであった。
しかし、第3のこの”ヒョウ ”の時点では、同じ地理的領域ではあるが、もはや王者としての<わし>のそれではなく、かと云えば、ほかの特命の名をもって当てることも不適切のようで、したがって単に<鳥の翼>としている。
だが、その<翼が四つ> とは異なことである。
わしに匹敵するような強い鳥のいないこと、そのことへの補足強調とも云えようが、しかし、その<四つ>という数の意味する本来的な趣旨は、強力な宗教と文化とという二重両翼の翼(その建営的なノウハウ)をもってその軍事力を展開していく、その4つの頭の諸王朝の情勢を言い表すものであったと見られる。
このように第3の獣“ ひょう ”を正しく理解受容できると、近未来的なミクロ預言として与えられた第8章の内容は、第2の獣(熊)と、第4の獣(えたいの知れない生き物)との架け橋となるべき役割を秘めたものだという事をあらためて感じさせられるのではないか。
第7章のすぐあとに第8章の近未来的ミクロの概要が付随してきたその存拠理由が、かの第四の知られざる獣の預言への<架け橋的な役目>を果たしているという処にあるのではないか。しかして、その8章の内容と云えば、ギリシャのアレキサンドロス大王以後、四つの王朝時代 の初期へと至る過程の背後から、著しい台頭をなしてきた
ポリス(都市国家)、
ローマの帝政最初期への隆盛時代、
ポンペイウスのエルサレム占領から、
カイザルなき後を引き継いだアウグスト帝(オクタヴィアヌス)、
そのあとの皇帝らからネロ帝(8章23〜25節)
まで を概略一見の預言表示をなしていると、表面的に結論づけることが可能となろう。 この8章の幻について、ダニエル本人は、<これもまた、悟ることができなかった>が、悩むという心境よりも、むしろ驚いた、その内容に仰天したと告示している(8:27節)
彼はこの時期、ベルシャザル王の第3年に当たる頃だが、“自分らの民が解放され、ユダヤに帰還することになり、町や神殿が復興され、<常供の燔祭>も行われるようになる。”との、そんな事態が訪れようとは夢想だに思ってもみなかった。
また、そのような知らせ、あるいは確実な預言や、み告げなりを得てはいなかった。
だからこそ、ひどく驚いた気持ちにもなったというのだ。
このこと(民が帰還出来る事)に関しては、それに関わる文書情報を広く探索、調べるべく、後になってようやく知るものとなる。
これにはエレミヤの預言による言葉文書の入手があり、 第9章1節〜2節で、以下のように表明するかたちで記されている。
”メデアびとアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤびとの王となったその元年、即ち、 その治世の第一年に、われダニエルは、主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉 により、エルサレムの荒廃の終わるまでに経ねばならぬ年の数は、七十年であることを、 文書によって悟った。”   
C:次にこの第7章での最重心的なテーマとなる第四の獣に関わる詳述に着目してみよう。これは、先の3つの獣ように該当適用すべき現存の生き物が見当たらない様相を呈しているようである。それだけ内容ファクトの版図ベースが超巨視化状況に置かれているということを意味しているものであろう。また、従来までの文化圏の主舞台が、エジプトからメソポタミアなど、オリエント世界を版図としていたが、<第四の獣>で表示された世界の主舞台は、いまだ未知なる、新たに起こらんとする文明圏をその地理的版図となしつつ、その新旧相互の関わりのな    かで、さらに地球全体規模へと文明の接触交流が広がってゆく、そんな方向性を暗示するものとなる。ダニエルにこの幻黙示を与え視させた方、その方(主なる神)の目は、まさに2千年3千年の先までも、人類史の全体を見通し、その過程の予見眺望ができている。
また、その進展過程での<摂理的な方向付けの御業>をなさる。あたかも<原内容のプラン>があって、それに準じた現展開過程史への<予見と摂理>の確認介在作業があるかのようだ。   
本題をダニエル書のテキスト第7章7節以降にスポットを当ててみよう。
内容の構成は、ダニエルの幻視したそのものについての表示:十の角をもった獣の動的な様子、容貌と将来的な角に関する変遷様相、そして、表現できない不可視的な事柄事象に対する<象徴的な幻示>でのいわゆる何か<神の審判>を思わせるような状景と、<人の子・メシア>の来臨とその存在の様想を表すもの、ここまでが7節以降14節までの前半部分となる。    
後半はその真意の解説表示部分:15節以降28節までが、解き明かしを受けるダニエルの様子と、内容の<解き明かし真意>    の開示、そして終節のダニエル自身の心的反応描写でもってその第7章の区切りとしている。この部分の<審判>とか<人の子・メシア>に関わる表示ファクトは、後のユダヤ時代史でのユダヤ教徒や心あるパレスチナの住民にとっての<メシア待望><終末論的な救い=ユダヤ王    国の復興>思潮の源泉となったことは歴史の知るところである。さて、この第四の獣の前半、後半の全体を踏まえて、主要な部分の詳細語句となるものを一つひとつ取り上げてみよう。
先ずは十の角等以外の部分のものから見ると、頭の数についての言及規定は一切なされていないが、明らかに
<一つの頭としての進展的存在ベース>
を示しているものと見られる。
その特徴は、先の三つの獣などと比べて、比較にならぬほど<恐ろしい    
・ものすごい・非常に強い>との一点張りである。この<格差>は一体何を意味するものだろう。
端的に言えば、これらの表現は、その獣の全面総合的な<闘争力>を示しているようだ。    
しかも格段の差が見られる如くに、、当時の古代王権国家をその例にとれば、これは、その国の国力の要のひとつともなる軍事力をそんなふうに表現できると云えようか。
この場合、古代人の目線(視点)に立って見れば、古代ペルシャ帝国が都市国家群のギリシャと戦争をした場合 (BC480年代)やアレキサンドロス大王が長い道程をかけバビロンまでの勝戦をやり抜いた時代(BC330年頃)など、その兵力武具の基本的な装備物といえば、槍、弓、剣類に盾などの防具類、そして騎兵に欠かせない馬等であったわけで、あとは1日、あるいは長時間勝負での会戦時の体力と精神力での戦闘能力、さらに戦いの兵法・戦術とかの作戦知力や将軍ら    の勇猛な指揮統率力の良し悪しで勝敗が決まる。そんな程度のもので、
<怖い、恐ろしい、ものすごい、非常に強い>
といった様相の感じは現れてこないわけだ。したがって、そういった軍事力の面での格差がかなり明瞭になった時代、その起点的ベースとなって発展して行ったのが、古代ローマ帝国であり、これが<第四の獣>としての【出現母体】ベースということなのだ。ちなみにかのローマの将軍ポンペイウスがエルサレムを包囲して攻め入る際、(これは、ユリウス・シーザーがガリヤへの征討を試みる10年ほど前の事:BC65年頃だが。)機械的な応用力を生かした<石投げの装置>が頑丈な城壁などを破壊してしまうほどの威力を発揮した状況、また見えない所では、戦争のための土木技術や大型機械のようなものを造る能力、また優れた戦闘力となりうる大型の<軍船>を建造する能力や、優れた武器、武具をより多く造る<兵器工廠>を営むようになった組織的な技術経営力など、、ローマの軍事力は、他をはるかに凌いで<恐ろしい、すごい、強い>というパターンの始まりだったと云えよう。    
さて、<大きな鉄の歯があり、云々、、>(7節)の表現を前提とする、<第四の獣としての【出現母体】>を<古代ローマ帝国>となしているわけだが、これもまた、背景的に云えば、主流青銅器文明との微弱併行期の長き過程を経て、その後ようやく顕著になってきた<鉄器文    明>を大いにローマが発展せしめ、いち早くその工、産業的な国力の基盤にまで成長させた様子、またその国力の勢いが、当時の全ての他民族に向かって伸張していった、その<帝国拡張の強大さ=鉄の歯>、製鉄技術でもって帝国を存続させうるという姿を捉え見たものである。    ローマ帝国の都、ローマのかっての前身は、ギリシャの都市国家の市を真似た<植民市>であったが、これは、前7世紀以降エトルリア人の支配下にあった先住諸種族(古ラテン人)が先進文化のギリシャ人を招来して築いていった都市であった。そのかなり平穏な<共和制社会の    形成期:前5世紀〜4世紀>の頃に北イタリアのエトルリア・ケルト人の南下侵入、ローマ市占領に遭遇し、その力を見せ付けられる。(BC387年頃)このような外来部族の侵入の経験が契機となり、そのローマ市は新たなる発展をなしていったとみられる。    
ケルト人といえば、中部ヨーロッパライン川上流とドナウ川の最上流域(イタリヤからアルプス山脈越えした地域方面)間の広範囲を中心として、イタリア半島を南下したばかりでなく、西部ヨーロッパ(ガリア、イベリア)、北部ヨーロッパ(ゲルマン族の故地方面)およびイン    グランド島にまで、またその一派は、小アジアでの古名ガラテア(ガラタイの地)にまで広がった、かのゲルマン民族以前にヨーロッパの古文明を担った人種であり、その鉄器文化は、初期ではハルシュタット、後期ではラ・テーヌ文化で、その名が知られている。したがって、古ローマ市はそのすぐれた鉄器文化に大いに影響され、その初歩、基礎的な製鉄技術を身に付けるものとなっていたと思われる。処でこのことは当然、異な事のように思われよう。なぜならば鉄文化は先進のギリシャ諸都市(東方エーゲ海イオニア伝来)から伝えられて良いというものだが、農耕器具や生活用具としての鉄製品は、少なからずその貴重な商品としてギリシャからもたらされたであろうが、鋭利な品や製鉄全般にわたる製造技術等は、ギリシャはこれを外交上、囲っていたであろう。東方オリエントには強大なペルシャ帝国の伸張があり、つねに相対していたから、これ以上、北や西方からの外敵を作るような発展的施策を執るというような愚をしなかったからであろう。   
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ところで、ちょっと余談になるが、現代の製鉄、製鋼技術は、大変な超大規模工場プラント方式で、その諸設備の制御などがエレクトロニクス化されている。このように機械化されてきたその発展過程には、18世紀中葉前後からのイギリスを始めとした産業革命時代への流れの中で、近代化への工場生産体制の大いなる体系的基盤の構築がなされきたことがうかがえる。用いられる動力源も工力的機械仕掛けから新しい蒸気機関へ、そしてやがては蒸気機関などからさらに電力系のものへと置き換えられてきたという過程が見られる。産業革命もいよいよその盛況の最中、早くもその19世紀初頭には<蒸気船>が出現、しかも鉄材がかなり使用され大量の鉄生産が必要となった。このさき鉄材の需要は、益々伸びるばかりとなっていった。さらに<鉄時代>を象徴するかのように1825年代になると<蒸気機関車>の鉄道の発展がイギリスから始まった。やがて軍船もその船体は、大々的に鉄製となり、大型の蒸気機関エンジン推進力のものとなり、幾門もの砲台を備えた大型の<戦艦>ともなった。このようにいまや現代においてもアイアン・エイジ=<鉄の時代>であることには変わりはなく、もっか存続中といったところだ。種々の特殊鋼を含め、多様な鉄材なくしては、そのあらゆる面での現代文明は存立し得ないということになろうか。その意味でも製鉄工房・工廠が顕著になりだした古代ローマ時代から現代までの製鉄技術の流れは、<鉄文明時代>の到来を物語るものだと云えよう。しかも現代に至っては、大量の<鉄鉱石>や、<石炭(コークス)>などの資源採取の必要べからざる状況を想定することができる。このような状況への意味合いにおいて<鉄の歯>いう表現をあえてそれに転用解釈するとすれば、まさに地球を喰い尽くす<鉄文化の歯>だとも言えるようなものともなろうか。  人類史からその製鉄技術を振り返れば、古代ローマ時代までに至るその発展には約1500年前後まで遡る長い歴史が横たわっている。この頃の技術は<錬鉄>を木炭火炎で何度も熱し、 鍛造して、その表面組織を硬くする鋼の冶金技術、<浸炭法>まで進歩してきたということだが、それ以前の起源初歩の時代はと言えば、そのまた1000年(BC2500年頃)までも遡り、その時代ではただ単に<鉄鉱石>を地面掘りの炉の中や、窯炉風の炉の中で、燃料と一緒に焼くことで、<海綿状鉱鉄粒塊>を取り出し、それを打ちたたいて鉱くずの不純物を取り除き、ごく少量の<錬鉄>を得ていた状況であった。そんな素朴な処置、鍛造処理であったことが、考古学上、発掘出土された数少ない古代遺物から推測されている。 古代ローマ最初期時代に至って<溶鉄>を型に流し込む<鋳型>工法で<鋳鉄>にするという技術が果たしてなされていたか、ごく小さな物で始まっていたか、定かでないが、<青銅器>の生産においては、遥かな古代(BC2000年頃までには始まっている)から<鋳型>による生産技術が主流となっていたから、その応用として幾度となく試験的に試みられ、僅少な試作品程度のものに留まっていたのではないかと思われる。 とにかく帝政ローマ時代には<鉄鉱石>からの<錬鉄>製法→<浸炭法>処理→<焼き入れ>→<焼きなまし>鍛造処理法としての<銑鉄、鋼鉄>の一貫製造法が、その基礎的生産体系の一連の流れ・工程として確立されていたと見られる。分業の鍛冶工房と、別個に溶鉱炉が陶土 の物を焼く窯炉のような形式、或いはかなりの耐火性を考慮して炉内外の構造の造りが工夫されたものとして、その溶鉱作業が営まれていたと思われる。すぐれた溶鉱炉、特に地上常設の高炉の出現などに関しては、14世紀以降、ルネサンスから近代に至ってのことで、さらに高熱と不純物処理、微炭素化に最適な燃料として、コークスが最良だとして利用される<コークス高炉>が登場するのは実の18世紀後半以降の事だ。このように<鉄製成の工法文化>は、人類における途方もなく長い断続・連続の繰り返し的発    展史として今に横たわっている。 さらに今一つ、<大きな炉>に関することで見逃せない<古代の資料記事>がある。それは、何といま問題としている、この<ダニエル書>第3章の記述の内にあるもので、<ネブカデネザル王に関わる叙事物語(全体が3幕的に区切られている)>の流れの中(第2幕目)に見出されるから、案に面白いことだ。このバビロン王の設けた炉がどんな様式の炉であったのか、何の用に利用されたものか定かでないが、高さが20メートル(60キュビト)以上もある、 <金の像>(1節)を造るためにも利用され、大量の<金鉱石・金塊>を溶かすのに用いたとも云えるかもしれない。 とにかく耐火煉瓦によって作られたものだと推定されようか、、金以外の金属類、銅や青銅な    どの溶解や精錬に、あるいは自然資源の<銅鉱石>や<錫鉱石>を溶融して銅や青銅を産出するために用いたものだったかも知れない。    鉄の産出に関しては、その製造技術が、銅や青銅を生産するような容易さのレベルのものではなかったから、そのような常設の炉は、その頃(BC600年前後)では、未だ利用されうる段階には達していなかったというわけだ。(しかし鉄鉱石を950度℃前後で燃やして<海綿鉱塊>にして炉から取り出し、鍛造・錬鉄処理を行うこと等が考えられるが、これだけでは実用物となる品を多く造り出す事はできない。)   
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さて、問題のテキスト本論に戻って、7節の<鉄の歯>の表現に加えて、19節では、その両手、両足のつめが<青銅>だと表示しているから、一層その怖さが倍加する様相だ。絵で以ってこの獣を具象画できるとすれば、まさに奇怪、怪奇の極まりないものとなろう。 <青銅のつめ>も<鉄の歯>との相乗効果で、尋常でない<強さ>、尋常でない<恐ろしさ> のイメージをその獣に付していると言える。その<脅威の極み>を表す<青銅のつめ>の意味する、さらなる真意は、その両手両足を思いのまま振り回すこと、自由にその腕力=武力を行使できるということであろう。過去従来からの<青銅器文明>は、いまやそのピークを過ぎ、 やがてはすたれ行く中、その文明のあらゆる所産が今や最大限に活かされ、<大いなる国力> としてフルに使いこなされているという意味合いも込められているのだ。
このような様相の<第四の獣>、その<母体>としての<ローマ帝国>の覇権遂行にあって、それを被る側の諸族諸民族の<尋常でないその大いなる脅威>とは、ローマが有する<ある種の大型機工兵器団、重装備歩兵団、すぐれた騎兵団>、そして地中海を掌握する<優れた軍団>であったということは言うまでもない。    
ローマの軍制は世紀前後から2世紀(AD)中が最もしっかりと整っていた時期と思われる。  
24軍団(24レギオン:1レギオン当たり1万から1万2千の軍勢か?)の正規軍と、さらにいつでも予備兵から成るもの、その組織化された兵制は、他の諸部族諸民族のような農奴、農民や、市民、傭兵らの寄せ集めから成る大集群団の軍勢とは、まさに比べものにならないほど質的レベルですぐれたもの、強いものであったという他ない。(だがその強固さは2世紀中 のいわゆる<5賢帝時代>までのことで、そのハドリアヌス帝の時には、各属州諸市のローマ市民らからの徴募による、<属州軍団制度>を制定することで、ローマ24軍団の正規レギオンを維持するものとなり、以後その制度が慣行されてゆき、強い属州軍団から皇帝が擁立されるという勢力的機会が訪れるものとなる。)  
いよいよ次は核心の文節、この第四の獣の<頭にある10の角とあと出の1つの角>の真相にその解き明かしのスポットを当てて見よう。だが、実の処この試みは容易なことではない。いうなれば不可能に近いほど、難題となるようなものだ。はじめに言説した如く、超遠大なマクロ預言の幻示ということ、<神の超遠大な展望を超凝縮して、一つのまとまった表象>として表現され、神の立場、深慮を考慮するという事になれば、その意図的な相は実に捉えがたいものとなるからである。    
よって先ず、より正しい立場に立って理解すべく、その視点的前提として念頭にしなければならないとした<概呈・コンセプション>を、しかと有さなければならない。これは、獣及びその頭と角(10と1つ)の関係の法理のようなもので: 以下のような<コンセプ概呈>を持て、ということだ。(人知を超えた、超遠大な展望であるというコンセプトと共に)
◇獣の体と頭・・・・・・→体はその大きな帝国(ローマの最大限の版図としてのもの)頭はどこまでもその帝国の王(皇帝)であり、その皇帝には歴史の流れの中で、色々な性格タイプの王として変遷して行くこと。(10の角などはその後の事。)
◇10の角と 1つの角・・・・・・・→角は<王>を表し(文言テキストどうり)、かつ<王>が、王である以上、その<国>を表すということ。(その民、国無くしては、王とは云えないから。)そして、、この10と1つの角の王は、広大なローマ帝国の領土版図の内外縁から出現してくる<王であり、国である>ということ。(一つだけ例外圏に見られるものもあるかも、、。)   
*10の角は、その10の定数を表わすが、また同時に全体を表わす数の全体数の象標(象徴)をも意図するものである。 
◇予型と本型・・・・・・→あと出の<一つの角>には、予型をもって本型(本物)を示すような一見、二重的な可能性を秘めているかのように、かなり巧妙、不可知的にその事が知られ得ないようにベール被閉されているとも。(しかも予型も本型もこの<一つの角>でもって共用アプライされた預言であり、その成就とするものである。)
[注]:ここでの獣預言の展開はあくまでも旧約次元(選民イスラレル史的)ベースから 延長進展した側面を一望、展望した象徴預言であり、視点的にそのベース枠から はずれることはない。 
AD70年前後にユダヤの旧約の民は、離散の憂き身にさらされた。離散境遇に ついては、かって、失われた10部族民やバビロン捕囚などで、その民族的な経 験をなしているが、このユダヤ人の離散によるその後の長い彼らの生存活動は、 まさにその旧約次元ベースにて予見、予知されていた事象の事柄であり、その預言内容、その動向での要の一つとして、将来的に大いにその役目、働きをすると いった向きのものとなるつまり、後に大いに発展したキリスト教世界、その教会や国社会、俗世的な国々 においても、国を有しない彼らの優れた生存活動の主要な係わりは浸透してゆくものとなり、その旧約ベース的な預言に直接間接、大いに寄与するものとなる。 (日本の戦国時代でさえ、イエズス会の活動で、ルイス・フロイスやルイス・デ・アルメイダといった2人の有能な会士は、キリスト教徒会士である事の以前に、 自分らがユダヤ系の者であるを意識して活動をしたという、その例証を見る。)
◇人民主権による民主 主義社会の成立・・・・→最終的には10の角及び、あと出の一つの角の主権は奪われ、その権力主権は、永遠に絶やされるものとなる。 <国と主権と全ての国々の権威>とが、いと高き存在者の聖徒である民に委ね与えられる事が成就するからである。(ここでの預言ももちろん旧約次元ベースからの一望概容の顕われとなっている。)*ここでの文言(7章27節)では、イギリスからの清教徒たちが   新大陸に向け(1620年9月)メイフラワー号で海を渡り、困難   極まりない入植生活確立の歩みを辿り、その後、アメリカ合衆   国独立建国の時(1776年7月)へと、、そういった時代以降の   <民主主義を出発点>とした、新生アメリカの国の姿を最も良   く指し示し、その典型としているかの如くである。(先住民インディアンとの折り合いが険悪となり、血で血を洗う紛争、報復が繰り返され、収拾できないまでになった一時代を辿り抜けてはいるが、、、)    
以上の<コンセプション=着眼>は、ある種の先入観だと評されること、明々白々だが、このダニエルの夢・幻示がこういったコンセプトを得ずしては、正しく理解できないという仕組み    を元々、本来的にそれ自体が秘め前提としているしろ物だから、あえて先に表明するわけだ。
彼、ダニエルは、若い時から王宮に入り、必要に応じて王の前にはべる者として務め、いわゆる宮廷人としてその国に係わる高官の任にあり、<公の国びと>だったわけだが、その反面、    王との人となりにあっては、かなりプライベートでラフな関係にあり、普段は王から打っ遣られても良い、気遣い無用な存在でもあった。そんな王宮国びとのダニエルではあったが、自分を含め、捕囚となりし<ユダの民>の行く末、そして<祖国の都エルサレム>の事を思い気遣    う日々が無かったなって事はあり得ないことだった。いやむしろ切実なる思いをもって、日々神に祈り求めた何よりの事柄であったろうか、その将来について、。    バビロンに移され、はや3年目にしてネブカデネザル王の夢の啓示に係わり、それらの事を自らをして語り記す事となったからには、そういった気持ち、意識の流れとして、自民族ユダの行く末の事、都エルサレムの将来について、神からの何らかの夢・幻の啓示がきっとあるであ    ろうとの、ある種の願望のような期待感が最初期の内には無意識のうちに培われていたのでは ないかとの推察もあわせて、、、    しかも王宮仕えの国びとカラーのステイタスが、今やダニエル自身のアイデンティティーともなったわけで、そんな身分階層にあったからこそ、<神の視えざる霊の働き>により捉えられた<彼の脳>における夢・幻示は、そのかくたる如きもの、すなわち、第7章における内容の    ものとなったであろうか。ところが実の処、彼にとってそれは、自ら予想だにしなかった、思いもよらない内容の幻示を受けたという向きのものだったのだ。最初にかようなものがドカーンと来てしまい、当惑、思いあえぐのは当然だ。しかも、それには自分の民の事、祖国エルサレムについて、何かを告げ 知らせる言葉の一つも、その象表すらもない。彼にとって、ただ理解に苦しむ、恐れ悩む、こころ憂うばかりのものだった。それに彼自身、 自分は何んで<自民族ユダやエルサレム>の事だけに捉われた、小さな<殻の中>でもがいていたんだろうかと、気づかされた向きもあったかと思われるとにかく彼にとって、超絶したる内容のものがその最初に来たのだった。その内容は余りにもスケールが大きすぎる、いわば全世界的な状況におけるもののような、また天的な表象の幻も    含めて、非常にグローバルな一面を醸し出している内容のもののようだった。    こんなわけで、ダニエルにとって、まったく意外なものだったその第7章は、やがて世界に起る<現世王たちの行く末>やその国々、そして<国とか主権とか>に関わるところ、帰すると    ころは如何に、といった事柄(いと高き者、聖徒)、そして<人の子のような者>と<日の老い    たる方>との係わりにおけるシンボリックな表象、それらすべてが極めて<政治色>の強い思想の何かを感じさせてくれる、そんな<未来を見すえた預言>内容のものだったと云えよう。    第四の獣なる<古代ローマ帝国>の発展・変容の過程は、全体的に見れば、捉えがたいほど多    様で複雑さに富んだものであり、それ故ここではごく概略的に時代の流れのキーポイントを見据え、その特質などやターニング時勢となる契機的特徴を考慮しつつ、その謎への解明にスポ    ットを当ててみたい。 《初期古代ローマ帝政期:その隆盛と繁栄、そしてその古典古代の終末》    この時代は、ユリウス・シーザーによって基礎付けられ、アウグスト帝で磐石なものとなり、その隆盛はまさに上昇気流の盛んなりし時期といえる。その勢いの権勢は、<5賢帝>のマル    クス・アウレリウス帝の代までつづく。アウグストや6代皇帝となったウェスパシアヌスは、    大ゲルマニア(現ドイツのエルベ川沿いまで)やブリタニカ(イングランド)の属州化の経営に赴踏尽力している。(BC20年頃〜AD40年代〜まで)    5代ネロ帝の後継者となったのがウェスパシアヌスで、彼は、他の僭称皇帝で名乗りあげた3    人の将軍らの帝位争奪の内紛と、そのイタリア・ローマの様子を一時の間、見守るような立場にあった。この内紛・内乱はネロ帝の死(68年6/9日)後、およそ1年余の間続き、翌年12月20、    22日に相次いでローマ入城したウェスパシアヌスを支持する2手の軍団によって市は征せら    れ、平穏を回復することができた。その間、イスパニアの総督将軍のガルバが帝位権をとっていたが、69年1月15日ローマの公共広場で暗殺された。    次には彼に対抗反目していたオットーが帝位権を執ったが、ゲルマニアからその大勢軍団を引き連れてきた総督ウィテルリウスとの、北イタリアのクレモナ方面での一戦で敗退し、その年    4月17日に自害の憂き身にて没する。 ローマはゲルマニア軍団とその同盟支援の大軍で溢れ、混乱の内にその年の12月を迎えた。    その月の19日に再び内争、ローマの神殿カペトゥリオンを占拠した反対派勢力との衝突、神殿の丘は騒然とした戦火にさらされ、ゲルマニア兵に制圧されるが、翌20日には、ローマに進軍してきたウェスパシアヌス支持の属州パンノニア(現セルビア、ブルガリア)とミュシア    (現オーストリアハンガリー地域)の合流軍団(第7軍団と第3軍団)によって、ウィテルリウスの軍団は一掃鎮圧されることとなる。    すでにその年の7月以来、皇帝に擁立され、大いにその栄誉と威信を高めていたウェスパシアヌスは、配下の軍団(第5、10、15軍団)だけでなく、続々と諸州の軍団が支持と忠誠を表明するものとなり、この時点でウェスパシアヌスの帝位は決まったも同然であった。    
ところで、ネロ帝の死と、68年〜69年の帝都ローマでの内乱が起らなければ、その年の内にユダヤ・エルサレムは、このウェスパシアヌスを総指揮官としたローマの軍団によって壊滅されるに至るはずだった。が、その内乱の間だけ一時延ばされることとなる。エルサレム以外のパレスチナ(ガリラヤ、サマリア、イドマヤ、ペレアなど)のすべての町々村々のユダヤ人らは全て制圧され、68年にはエルサレムは、四方八方にローマ駐留軍、監視兵が配備されて、まさに孤立状態の憂き身にさらされた。東海岸の大きな港湾都市カイザリアの本営では、いよいよエルサレム総攻撃包囲作戦に出る準備が整いつつあった。そんな矢先寸前にネロ帝の急変の知らせを受けたのだった。そんなローマの急変により、その作戦は延期され、その変更を余儀なくされた。 エルサレムのその時は70年の年に、今の暦で云えば、その8月末には遂に神殿聖所に火の手があがり、さらに各所に火が放たれ、その一ヵ月後9月26日に陥落征圧されるものとなる。 この時、指揮を執ったのがウェスパシアヌスに同行し、ユダヤ制圧のため、終始その第15軍団を指揮していた、彼の息子ティトスであった。 彼は、神殿の焼け落ちるのを望んではいなかった、むしろ彼には、この大神殿をローマ風にリフォームし、大ローマの栄光となさんとする思惑を抱き始めていたのだったが。、、、、 この頃の最大の悲劇は、ユダヤ人の反乱に対するローマ軍による惨憺たる撲滅征討とエルサレムの滅亡であったが、その惨劇の起因するところは、ローマのユダヤ民族に対する支配のあり方にあった。彼らユダヤ人はその宗教的選民意識をもって、どんなに被支配の立場にあっても民族的主権意識を内に秘めた、他に類無き頑強な人種であったので、ローマの属州化政策は、思いどうりにはいかなかった。そのあげく、ネロ帝の時代になって、その総督ら、特に60年代の二人の総督アルピヌス(62−64年)とフロールス(64−66年)が悪辣非道の私欲をもってユダヤを治めたので、その叛旗の思いはピークに達し、又ユダヤ側の質の悪い過激な血気集団の先導も手伝って、その反乱へと走るものとなった。    この二人の総督らの悪道によりユダヤパレスチナ全土は、無法のやから、盗賊どもの暗躍するところともなり、犯罪が多発、あたかも無法地帯化したような風を呈するものとなった。反乱分子や暴徒が各地で出没し、気勢を上げた。遂にシリヤの知事で上官だったケスティウスが、ローマの正規軍団第12軍を率いて、ユダヤに乗り出し、一時エルサレムを包囲するが、士気の上がらぬ自軍の雰囲気を見てとったのか、何故か分からぬまま、生半可な攻撃とその包囲を解いて退却してしまう。その帰途に乗じてユダヤの反乱部隊に隙を衝かれ、打ち破られ敗走するという惨敗をする結果となった。これは66年11月ネロの治世の第12年の事であった。
ユダヤ全土に反乱分子の叛旗が揚がるのを予期したネロ帝は、最善の処慮をもって、数々の戦    歴軍功では今やこの人物を置いて他にないといえる、ウェスパシアヌスをかつぎ挙げ、ユダヤ    征討に使わすものとなるというのが、諸々のローマ史の伝える一般的な見方なのである。 しかし、実際の真相は、闇に隠されたものだったかも知れない。いやむしろ、それは当代の史    家らでさえ知りえない、書き記すに至り得なかったものがあったかも知れない。このネットページの著者はまた、本論からわきにそれてしまうが、このあたりのところを一説、    述べないではいられないようだ。 かの《夜の幻のうちに、わたしは見た》というが如くに、    なんてと、いうわけではないが、、。”ネロよ、お前の母は、お前の祖父にあたる父(ゲルマニクス)を、その幼少のときに 亡くし、一族姻戚の中でどんなに辛い思い、低落失意のうちにあったことだろうか。 その折、祖母からも、時の帝によって母は、その下を引き離されたからだ。お前の母 の父、祖父は、本当ならば、当初の取り決めにより、帝位を継ぐものとされていた。 母にそのような過去がなければ、ネロよ、今頃お前は帝位にはなかったであろうに、 それでも母の兄カリグラ(この名は愛称)が曲がりなりにも祖父(ゲルマニクス)の 代わりに継いだのだが、まがい物の捨てるように消されてしまった。丁度、お前が、 生まれる時の頃だったから、お前の母の失念の思いが再び燃え上がるごとくに、より 一層心に刻み留められたことであろう、、、、そして、母の思いはどんどん過去へと 引きずり込まれてゆき、燃え上がる女の執念となって、彼女の叔父、クラウディウス に向けられたのだ。ここからもう一度始めようとの思いをこめて、、、自分の思いと   夢を、ネロよ、お前に託し、お前を立てて叶えようとしたのだ。 お前は幼少より本当に良く学んだものだった。他の学び仲間よりも、、、、ギリシャ の色々な事から、また自国の知識、言語も、、15、16才頃には、はやすっかりギ リシャの演劇物語、悲劇などの虜になってしまっていた、そうだ、そんなお前であっ たからこそ、母の叔父殺しの惨劇も許せたとも、、同情の念さえ覚えて、、、それ故 また、母の思いと一つとなって、お前も続けて、<ギリシャ悲劇>の復讐劇をやって しまったのだ、義兄弟・いとこのブリタニクスを、、、、、、また、お前は、セネカ の下、そのご教導により帝王学を学びて、すっかり権力とこの帝国の偉容な富の力の 虜になってしまったのだが、ここに来て、なお母の癒されない異様な失念から来る、 おぞましい力の影を感じて、、、お前は、遂に母さえも殺ってしまったのだ。さらに は讒言がざん言をよび、それに乗せられ嫌疑し、あらぬ罪を着せて妻オクタウィアま でも、、、いっ時の乱心か、それとも久遠の狂気か、自らの権力に支障あるもの、害 あるもの全てを取り除き滅せんとするその心は、、、さらなる野望とその陰謀への狂 気の悦楽となって羽ばたくというものか、、『全世界に知れ渡っている、あのユダヤ の大神殿を潰さなければ、ローマの本当の偉大さは、これ以上進まないのだ、あの神 殿があるから、われわれローマの神殿は、栄えないのだ、、大いなる大ローマの繁栄 の為に、あのユダヤを!』、、、、 お前の側近、あの解放奴隷の下僕の高官らに言われた言葉が耳にひびく、、、、遂に 新たなる帝国の一大国策のゲームを始動させることとなる。その密謀を秘めて、、、 もはや、お前の師、助言者なるセネカのあずかり知らぬところの事、そして今や最も 頼もしくも、信頼できるウェスパシアヌス大将軍を切り札として留めおき、その詰め の最終を見事に演出し、後始末するのだとの目論見を秘めて、、ただ者ではないお前 の現実、、、、、 こうしてただならぬお前の狂気の策謀は始まったのだ。ユダヤへの総督は、代わる代 わるにあの<アルビヌス>と<フローロス>を遣わし、シリアへは知事として、<ケ スティウス>送り出して、、、そして、ローマの大火もその新しい大ローマの為に! ただ者ではなくなったお前の、その大それた仕業、その結末は如何に、、、それは、 このわたしが、この<日老いたる者>が決めるものとなったのだ。 天下の将軍ウェスパシアヌスを伴ってのアカヤ(ギリシャ)への巡幸も、その周辺、 東方地域、特にユダヤの状況、様子をいち早くつかむためのものであったろうに、、 ネロよ、お前の狂気と野望についてのわたしの秘言はこれで閉じようか。、、ことの 発端は、アウグストがティベリウスにタネ蒔いた非業の策が、、娘ユリア(Julia) 再婚のため、また血筋の後継者を得んとする執着心のために、無理やりティベリウス の最愛の妻を彼から引き離したことが、、、ネロよ、お前の祖父ゲルマニクスの身に ティベリウスの妬みとなって、降りかかったのだ。、、、、”” さてこの時期の時代の動向で注目すべきことは、皇帝帝位権が軍団の熱声推挙により、その擁    立実現が可能となるという体勢を公にしたことである。元々そのような皇帝権のパターンは、
ローマ帝政のさきがけとなった初元ユリウス・シーザーの権力執建に見られようが、これにより四氏族(オクタビアヌス、アグリッパ、アントニウス、ティベリウス・クラウディウス・ネロの四家)系による帝室一族の皇帝権の世襲制というものは実親から実子という直系の形では現実化しなかったし、また慣例的法制化もされることはなかった。今だ他の有力元老院貴族による<共和制>の制度が遵守されていたからである。この四氏族系による姻戚血族間での<養子世襲>の維持は対元老院など外に対しても、帝室内のうちわにおいても、帝位をめぐるその継争護持の様には、し烈な厳しさ、修羅の場があったのは確かだ。 ネロ帝後のウェスパシアヌスの帝位継承は、その後のローマ帝国の発展に大いなる幸運の平和と繁栄をもたらすものとなるわけだが、皇帝権継承に関わる元老院議員の主体的意思決定はほぼ完全に喪失されるものとなる。ウェスパシアヌス自身はたまたまその時、最有力な、まさに元首的な元老院議員であったゆえ、元老院からの支持もその議事にかけられる事もなく、歓迎黙認の内に表されるものとなった。このようなウェスパシアヌスの時以来、帝都ローマの議場を離れて、<皇帝権>は、諸州有力軍隊からの推挙擁立を以って、そして、その帝位の<世襲化>もきわめて一般的な慣例の諸事と見なされるものとなる。皇帝権存続のセキュリティーは、何はともあれ、その善政の執行と、帝国のより良き繁栄に根ざしたものであったわけだから、それが満たされれば、国乱れずして<皇帝権の世襲>は、すべての社会層から支持、了承を得られたものとなった。元老院の政治的な力も、世代々々の流れにおいて、その議員層の出身構成が異なり変化してゆくゆえ、その過程での皇帝権との間には、協調同和、反目対決、あるいは主導服属とかの力のバランスがあり、そういった状況で、時代を生き抜き対処するものであった。ローマの平和と繁栄を最大限に謳歌した<5賢帝>の時代をその例に挙げれば、賢帝最後の皇帝マークス・アウレリウス(161−180)は、かなり哲学的素養の人であったが、それゆえにその明晰さによって、ローマの内情と諸州の発展繁栄の時代的流れをよく読みとり、帝都ローマに在住すること久しくすることなく、自ら属州での任務遂行に当たるのが常    であった。つまり再び元老院の議員勢力が衰退傾向にあり、皇帝権が諸属州から擁立されるような時代に向かっていたからである。この事はまた、ローマ中央の政治的求心力が、諸州の経済的自立に根ざした主都的自治権の強化発揚により、無力化されかねない可能性をより一層懸    念させるものであった。とりわけこの場合、諸属州の総督が中央元老院系に属する人的組織である限りは、中央からの体制力は、その広大な帝国をまとめうるものとして保持されるものとなっていた。そんな危機的状況と隣り合わせの彼、アウレリウスには、自分のドラ息子・コモ    ドスへの皇帝権世襲の大事を全面的安堵の思いでもってなし得るとは思えない処があった。その後継問題では憂慮すべきところ多く、悩みを抱えるものとなった。そんな心中状態の最中、彼は属州パンノニア(現ウィーン東方辺、ドナウ河畔)の陣中で病没するものとなる。    結局、彼の息子コモドスが帝位を継ぐものとなる(180−192)が、国庫は乱用浪費、善政はなおざりにされ、その後は、再び諸属州軍団による<皇帝帝位>の擁立や併立、あるいは争奪の混乱期にいたる時代を迎えることとなる。
やがて古典古代のローマ帝政期は、ほんの2世紀足らずの時を経る変遷過程で、ゲルマン諸民族の進出、同化、対抗的な動勢発展を見るうちに終末的な時代への変遷を向かえる。新たな皇帝の登場、コンスタンチヌス大帝がその時代の流れを変えてゆく契機となる。やがて    ゲルマン諸民族を含め、旧来の諸衆族からのキリスト教的ヨーロッパの初期形成期が中世の時    代を形づくってゆく。超展望的マクロな<10の角と、あと出の一つの角の予言時代>が、この世界史的状況の先に見据えられたものと見られる。  以上にて、詮方ないが第7章での<マクロ的なもの>、その2は、長くなるのでここまでに留めおき、   
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次は、最後にミクロ的で、しかも長展望性を有した、ダニエル預言終盤にいたる<第11章2節〜 12章13の終節>における幻視預言の叙述から、その部分的符合個所の幾つかを垣間見る如くに検証しておきたい。
ところが、その照合符合の確かさを得心できるほどに進めることは容易な事ではない。ここでの記述預言は、ダニエル自身が、ペルシャの王キュロスの第3年(536BC)時点において、ほぼキリスト・イエスの時代、AD70年エルサレムの滅亡にまで及ぶ、長期な範囲を対象的に見据えたものだからである。  したがって、その言示内容は、凝縮ポイント的に特定時期を把捉アップしたものとして、その当該性は、実際の歴史にあって容易ならざる複雑重複性を漂わせるごとくである。それに加えて、文章を普通の理解の仕方、つまり、主語などに係わる文の前後関係を考慮して読み解くといったかたちではまったく理解不能とした文言個所があったりもする。これは文から文へと進むなかで、まった  く気づきえない普通ふう形式であるのに、そこでの文が、実に個々独個な事柄を言示するものであ  るとして、その凝縮ポイントを、まさに個々並列文言となっているというものである。(それは言葉の預言が成就する時までは、如何なる人によっても容易に解き知られてはならないか  らである。つまり、ダニエル書の12章4節の結びの言葉にある如く、“秘して、封じておくよう  に”と、ダニエル自身に命じておられる事と同義であり、かの亜麻布を着て<人の形をした者>、その方自身が、<わたし>と表現して語られる言葉、ここでは10章の20節から長々と語ってい  る言葉となるが、それらに向けて、深慮、入念なる予測ゆえに、非常に思慮深く対応されていると  いうものとなっているからである。)   ★ミクロ的で、長展望を前提としている重点的スポットなもの: 聖書テキスト【第11章1節以降45節参照】   @、キュロス王の後にペルシャには3人の王が立つ。カンビュセス、ダリヨス、クセルクセスであり、その四番目クセルクセスが、ギリシャへの大規模な遠征をなす。(480年BC)そして、その後のペルシャの時代の150年ほどの時は過ぎ去り・・・・預言省略ギリシャの領域から新たに“ひとりの勇ましい王が起る”、これはスパルタ以外のギリシャのすべての都市国家に覇権を制していたマケドニア王国の王、アレクサンドロス3世であり、ペルシャを征服して、その大いなる権力をもって今や世を治めるものとなる。(ダニエル書の他の章、8章の<二本の角の雄羊に向かって行く、猛々しい一本の大きな角の雄やぎ>の記述内容も参照にて)だが、その彼が権勢はなばなしく強くなった時、彼の国体勢は破れ断たれるものとなる。これは大王アレクサンドロスが323年BC、バビロンで死去する事を予見したもので、思いがけない突然の彼の死で、<後継者問題が大変な事態となり、まさに即、致命的な“彼の国の破れ”となって、それを顕わにした>という訳である。彼の死が、熱病によるものか、それとも彼の政策処遇に危機感や不満を抱いて、毒をもって の暗殺をなしたものであったのか、まったく特定することが出来ないが、とにかく彼は、自分の築いた国と共に破たれたわけである。そして、その国全域が“天の四方に分かたれ、、、彼の血筋、子孫には属することなく、他の者たちに分裂、帰するところのものとなる。”との預言がなされている。
ここまでが、第11章の<2節から4節までの文言>となるが、323年BCの大王死後の後継者(ディアドコイ)争い(数々の戦争と抗争的政略)は、終わる事無く断続的に繰り返されて、世代交代の時代まで続いたと見て取れる。306年にアンティゴノス(382-301年)が、その子デメトオス(337-283年)と共に王位を宣言(小アジアを拠点にして)したので、それに対抗して翌年には、プトレマイオス(エジプト)、セレウコス(メソポタミヤ)、カッサンドロス(マケドニア)が王国王位宣言をなした。これにより一時的(305-301年)ではあるが、大王制覇の遺領地が4つの国に分かたれると、ダニエル書の8章21〜22節で云う文言が、それに相当するとしてその成就に至るを見る事になる。これは大王の遺領地が何時ともなく3つ、或いは4つのいづれかに分かたれて継承されゆく時代の在ることを考慮してのものである。
BC280年代の終わり頃には、大王アレクサンドロス側近のディアドコイ(後継者)達は皆いなくなるものとなる。(セレウコス、プトレマイオス、リュシマコスらは281年、デメトリオス283年、カッサンドロス297年没)4つの著しく目立つ角(8章8節)は、セレウコス、プトレマイオス、アンティゴノス(デメトリオス)、アンティパトロス(カッサンドロス)を指標したもので、マケドニア兼ギリシャ領域圏は、子の代のカッサンドロス、デメトリオス、それにリュシマコスやエペイロス王が係わって、まだ小さな都市国家でしかないローマがその領域圏に加わり、その行く末が特定されるものとなる。
8章での預言は、560年頃(ベルシャザル治世第3年)とあり、この11章ではキュロス王の第3年、536年BC頃だから、20数年過ぎた隔たりがあって、ペルシャ後のギリシャに根ざしたその行く末に関わる11章での内容はより具体的に、歴史度のある記述様相を呈している。この11章では、8章で特徴的に表示された<4つの角、および4つの国>にこだわるような、同様な表示はなされていないが、その内容を踏まえて、大いに先々への予見表示がなされ得る様な意図が込められており、留意すべき点となろう。
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*大王アレクサンドロス3世の死後の歴史、いわゆる現在、一般史として知られている限りでは、大王の血縁関係は、
316年に異母兄ピリッポス3世とその妃が、また同母妹クレオパトラがその頃以降、プトレマイオスとアンティゴノスとの政争の犠牲となり、消されている。
大王直系では、310年に正妃ロクサネとその子アレクサンドロス4世が、翌9年には庶子のヘラクレスが、いずれもカッサンドロスの関与、手引きで消されている。
最終唯一残った大王の血縁は、異母妹のテサロニカで、カッサンドロスがマケドニア王位継承権を正当化するため彼女をとどめ、これと結び、305年王位を宣して王国を継ぐ。
生まれた3人の息子(ピリッポス4世、アンティパトロス2世、アレクサンドロス5世)の代(297−294年)に、後者2人が王位を独占する争いで、デメトリオスとリュシマコスの介入を招き、その結果は、双方とも消される。その間に母のテサロニカも、295年に息子のアンティパトロス2世に消され、大王アレクサンドロスの血縁、直系子孫は完全に絶たれたものとなった。ギリシャ側マケドニア王国は、その折りに一時デメトリオスが治めるが、さらにこの領域での継承抗争は270年代まで続き、ようやく、276年にデメトリオスの子・アンティゴノス2世が祖父アンティゴノスの名で示す<アンティゴノス朝>王国への時代をむかえる。その頃はまたプトレマイオス王朝、セレウコス王朝の最も盛んなる状勢時であり、三つどもえの3王国がが継争、割拠する。 *大王アレクサンドロスが当該標榜せんとした国は、いよいよこれからという処であったと思われる。果たして何らかの理想的な国づくり構想を思い描いていたであろうか、問われるところでもある。10年余でペルシャの体制を一掃し、自らの意としてその最初の大成、ペルシャからすべての人民の解放をなしえたと、少なからず、或いは大いに自負するものだったろうか。ペルシャの属州トップを次々と自分の臣下にすげ替えて、事をなしていったと見られるわけだが、その大成のなるや、12年でアレクサンドロスは世を去る破目となった。彼が意図した最後のしるしとさえなったのは、スサでの兵士らを含めた大規模な集団結婚式であったと、歴史的伝記類から知りうるわけで、自分の立場を堅め表すると共に、東西融合政策の手始めともなり、且つ、新たな国としての門出のシンボルでもあったようだ。この東西融和を込めた如き集団結婚式は、その結実結果としてみれば、ダニエル書の第7章5節での言示、<三本の肋骨を口にくわえた熊>を象徴した事象結果に通じたものとなる。この場合、<口にくわえた状態のまま>に言示の意味がある。つまり、“噛み砕いて飲み込んだ”腹、胃袋に入った=消化されたといった表現が付け加わっていれば、<東西融和>のうまくなされて、先々の状況が良好となろうとの見方がとれるものとなる。だが、現実は様々な点で、アレクサンドロスが死ぬ直前までにさえ、<破れ>をもたらすものとなった。アレクサンドロスが、もしアリストテレスを師として、その学園生活をなしていなかったら、そのような大業をなした彼とはなり得なかったであろう。その学業期間は、342〜340年BCのほんの3年足らずであったが、14才前後からの多感な精神的成長期にあるものであったから、王宮でのある特異な環境下で育ってきた彼の立場も作用してか、その精神素養の影響の強さは、彼の人生を左右、決定付けるほどのものであったと言える。彼の父フィリップス2世王は、王都ペラから離れたミエザの学園に、かのアリストテレスを招来して、息子の教育にあたらせた。父王フィリップスは、かねてより母親オリンピアスの教育、影響下から息子アレクを早く引き離したいと願っていたとみられる。その頃、王と有 力貴族、王族らとの関係がしっくりいかないのは、オリンピアスにその原因があるのに気づいていたようで、息子アレクを世継ぎ、王位につけることさえ、皆ひどく嫌うようになっていた。父王でさえ王族、貴族らの軋轢を感じる事があるほどで、息子アレクは、母親の背中を見て、母親がひどく軋轢を受けているのをしばしば感じるものとなったが、それは自分が居るからだと子供ながらに思うようになった。また自分への風当たりも良くないものとなってきていた。彼の宮廷での生活の重苦しさからの解放は、母の下から離れ、かのミエザの学園生活が始まってからであった。ここでの学友仲間との交わり、学びと訓練を共にする事の喜び、味わいは、深く心に刻み込まれ、自分のこれからの未来と、世界が開かれ行くのを感じ入るものとなった。また自分を取り巻く学友との友愛の情をひどく感じるものとなった。   こうして、精神素養豊かに第一級の若者にふさわしく、勇猛心、冒険心、探究心に溢れ、友情の心、厚き王子となっていった。だが、現実は様々な障害、試練の連続であり、それらを乗り越え、マケドニア王国から仲間と共に、自分の理想をめざして、雄飛する自分を思い描いて憚らないものとなっていった。彼にとっては今や、神々から授かった大志ゆえのそれとして邁進してゆくほか無かったと思われる。(大王アレクサンドロスに関する古代の幾多の歴史的伝記類から、その人物形姿キャラを辿り見る限り、BC336&334からの遠征、その12年間、323年時点へのプロセスで、東方ペルシャ的王権の大王へと変貌を余儀なくされてゆく、そんな感じの着色、粉飾がなされているかも知れない。   [注]:アレクサンドロス3世については、その名声と共に不滅の歴史事蹟となったわけだが、実 際の処、その史実的実像となるパースンキャラを、第一次史料となるものだけのベースか ら捉え知ることが出来るというものではない。同時代の古代史家とか、大王侍従の史官や 書記官によって、情報となる史料が幾ばくかは残存していたであろう。BC3世紀末頃以 降には一時なりとも、アレキサンドリアや、小アジアのペルガモの図書館などに<大王伝 書>の類として所蔵されていただろうとの推定もなされえよう。 ただ紀元前後のローマ時代にはアレクサンドロス大王に関する文書が非常に豊富になって その関心度の高さが窺がえるものとなる。ローマが世界第一等のものとなり、今やローマ が世界となりつつあるという自負心があって、大王アレクサンドロスの事蹟を自分たちロ ーマ人のアイデンティティーのうちに取り込み融和させて、より一層自分たちの存在を高 め、ローマ文明、その大いなるを讃えんとするかのようである。
その代表例として、二人の対照的な歴史家、伝記作家を以下に挙げておこう。
・ディオドロス・シケリオテス:(BC80年代頃生〜BC20年頃没=正確な生没不詳)
作品:『歴史叢書』・・3部40巻からなる当時の世界史、第一部:神話時代及びオリエント古史からトロイ陥落まで。第二部:アレクサンドロス大王の死まで。第三部:ローマ・カイサルによるガリア征服まで。 
*アレクサンドロスに関しては、アレキサンドリア図書館史料、クレイタルコスの「アレクサンドロス伝」(BC3世紀中頃著出)、ペルガモン図書館などから大王死後のディアドコイ戦争時代を扱ったヒエロニモスの「後継史」等からその内容の引用、または参考引見されたと見られる。(ヒエロニモスは、最初に大王の側近書記官、兼のち部将のエウメネスに仕え、その後、アンティゴノス、デメトリオス、アンティゴノス2世と仕えた文官(書記)で、大王の後継者の同時代史を著わした。原著、写本などは、失われて残存しない。)   
*ディオドロスはシチリア出身で、前67〜50年頃にかけエジプトに滞在、その他ギリシャ、地中海世界各地、イオニア方面を旅している。ローマでの滞在も度々、何らの確証もないが、最後はローマで没しただろうと推定される。彼の大王伝記事には、アッリアノスやプルタルコスなどの伝書とは異なる、その著述部分が幾多あることが知られている。
・クイントス・クルティウス・ルフス:(AD1世紀の人物、アウグスト帝末頃の出生、生没不詳)
作品:『Histories of Alexander the Great=アレクサンドロス大王伝 』10巻から成るが、1、2巻目は消失、*内容は物語風の伝記で、歴史史料価値には欠けているが、大衆向けの読み物といった感じで、それなりの良さがあると見られる。だが、この作品からの他への引用関連は見られず、孤立的な古書となる。   
*この人物は、生涯素性などほとんど不明で、知られうる残存古記録は皆無に等しい。推察され得たある一説では、かってティベリウス帝の後見人だったとする見方があり、クラウディウス帝のAD43年時に、何らかの欠職補充として10月から12月までの執政官として、皇帝に選出され、仕えたとして、ローマ・コンスルの年代記録リストにあったとされる。(かって共和政期の最高位権力を有したようなコンスルではなかったが。)この説は、半世紀近くあと、ほぼ同時代人と云える歴史家であり、元老院議員でもあったタキトゥスが調索、解しえた見識から出たものらしく、証拠立てとなる史料は何も残っていない。
A、上記のごとく、4節までは、きわめて簡略冒頭的に、的確に捉え示したあと、主内容的な流れの預言に移行展開するものとなる。ここで注意すべきは、ダニエル自身は、キュロス大王の第3年目にあって、しかもペルシャの中心地(バビロン<チグリス河>スサ)に居ながら<預言内容そのものの視点>は、バビロン捕囚帰還後のユダヤの民がエルサレムを再建するという成り行きでの、エルサレムに視点が置かれ、そこからの目線に基づくものとなっているということである。それにより<南の王勢と北の王勢>という大枠レーアウトが定まり、以後の預言内容が順次ポイントアップ的にみたされるものとなる。
<5節の文言>は、”南の王が強くなる、、”で始まる。
四方に領版域が分割されてゆく段階で、、、305年BC以降、エジプト・アレクサンドリアに拠るプトレマイオス(一世)はその勢力範囲を拡大してゆく。その過程で遡る事、316-15年の事とだが、バビロニアの太守に初めて任職(これは帝国再編成会議、遺将、遺臣らにより321年BCに北シリアのトリパラディソスで、取り決められた分割協定による)されていたセレウコスが、当時の最高総司令官職にあったアンティゴノスの後継者野心による勢力拡大の為、バビロニア太守を追われ、エジプトのプトレマイオスの処に落ちのび留まる事となる。そのおりに、9才ほど年上のプトレマイオスの下に客食将軍として仕えるものとなり、2、3年の間、軍事、政治に関わる事だけでなく、色々な面で、先輩プトレマイオスの手腕の良し悪しを学び吸収して、さらに実力アップへの素養を付けるものとなる。
その頃、すでに320年にプトレマイオスがシリア太守(ラオメドン)を追い出し、領土拡大を兼ねた挙に出ており、それ以降急速にアンティゴノスとの対決姿勢が現実化していった。それ故すでに、エジプト(南)から、北シリア・小アジア方面(北)での初期預言形勢版図がその歴史的現出をなすに至った状況であった。アンティゴノスもプトレマイオスの進出後、すぐに南シリア、パレスチナ方面への進出を計り、プトレマイオスの将軍ニカトール勢を追い払うなどして、316年頃には、シリア方面に息子のデメトリオスを太守職に据える如くに担当派遣するものとなっていた。312年になり、エジプト・プトレマイオスの反撃のチャンスが到来した。その頃アンティゴノス自らが北シリアから海路伝いにギリシャへの勢力拡張遠征に出ており、シリアの全域は、子のデメトリオス勢だけの守りとなった。この機会を逃さずエジプトはシリアへの進出を試みるわけである。そのプトレマイオスの反撃に客将セレウコスも加わり、大いに一役買うに至る。迎え撃つデメトリオスは、<ガザでの戦い>で敗走する。知らせを受けていた父アンティゴノスは、急遽シリアに戻るが、その隙の間にセレウコスは、プトレマイオスの支援によりバビロニアへの帰還(311年)を果たす。その後、アンティゴノス側の大勢力による再三の征討戦にも、巧みな夜襲、奇襲により討ち堪えて、自領バビロニアを守り抜き、かって元の太守職に返り咲く以上に大いなる存在となってゆく。
やがて306-5年〜301年にかけて、4王国分立時代に至るが、小アジアを拠点とするアンティゴノスとその勢力は、301年に、反アンティゴノス派の同盟勢力により、フリュギアのイプソスの会戦で、セレウコス、リュシマコス連合軍に敗滅する。これによりセレウコスは、中北部シリアから小アジア中南部に領有を拡大する。小アジア中北部から海峡を渡ってのトラキア地方は、リュシュマコスの王国となり、なおしばし4分王国時代が続く。かって、エジプト・プトレマイオスの配下に客将として仕えたセレウコスは、大きな存在となり、翌300年BCには北部シリアのオロンテス河畔に新都の建設に着手、これが父祖アンティオコスの名を冠した<アンティオキア>として、後世まで残る。5節での<強くなる、その将軍のひとり>とは、まさにセレウコス以外に見当たらない。  
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以上にて、ダニエル書11章5節の言文は、南の王、プトレマイオス、その将軍の一人が、セレウコスとして、照合特定されるものとなる。このような込み入った史実的事情におけるものから、そうしたかたちでの預言的中を成らしめているという事は、神から賜った預言の驚異的な権威性をいかんなく高めるものと言える。
B、続いて、6節以下だが、いよいよ<南の王と北の王>を軸にその勢力事情の展開となる。
だがこの6節として仕切られた部分はかなり長い文脈から成り、その関連内容が一つにまとめられているのが判る。(元々古原典には節の符割りはなく、後世に節別けされたが、)ここで言示されたひと纏りの関連内容が内包示唆している歴史事蹟は、一般史的に取り扱う立場からすれば、その詳細な記述が可能とすればかなりの分量のものとなろう。
キーワード的に要点を順にたどると、
<縁組和親=南王の娘が北へ>⇒<女は政威力、立場を保ちえず>⇒<その王も子も失墜>⇒<結果は、侍従者も含め、死にわたされる>=他の英訳、邦訳では<女を招いた支持者も、女に子をもうけた者(王)も、女をその所有利権と共に強く支えた者も、など>がある。
さて、この文言内容に関する照合比定ということになるが、この6節は、“年を経て後、”或いは他の訳文では“何年かの後、”とかの言葉で始まり、以下続き文が来るものとなる。“、、〜縁組をなし、、〜和親を計ります。”この言葉の裏には、南と北との戦いの終結の直接的な和議が現場宿営からか、或いは宮廷特使の派遣によりなされた事情が隠れている。しかもここでの文言段落の予言主役は、<嫁いた女>であり、そこにスポットが当てられているということ自体に、預言特有の高度な秀一性が潜んでいると見られ得る。これは、南の王と北の王の関係がほんのしばらくの間、一応の併存、共立関係が続いた後、両者の間に勢力伸張の衝突、紛争が起きてきた状況経緯の事後を前提とした予見表示であると言える。その歴史的背景は、少々溯って概略的に説明すると、以下のようである。、、南のプトレマイオス朝の創始者・プトレマイオス1世と北のセレウコス朝の創始者・セレウコス1世との代には、その両者の間に、さしたる紛争は生じていなかった。セレウコスにはバビロニア州復位に関わる大変な恩義があった。また、二人の間に密約(後継者として共に最後まで残り、ゆえに、お互いは争わない)を誓ったとも、、、それがあったからこそ、セレウコスは、後事を気にする事なく、むしろ守られて東方バクトリア、ソグディアナ、インド方面への大王以来の再度の遠征を成し得たといえる。それにはお互いの通商経路、つまりインド方面からアレキサンドリアまでの通商利権に関わる協益意向も含まれていたかも知れない。)彼らは、BC281年の同じ年、又はプトレミーの方が数年先、285−82年頃に亡くる。その没し方は異なるが、、(没年は、古史料類とその史学研究により異なるようだ。)彼ら両者の子の代になって、その当初から、すでに険悪な空気が漂い始めた。つまりセレウコスがトラキアとの海峡近くの小アジアで、プトレマイオス・ケラウノスにより暗殺されたことが、両王朝の間に暗雲をもたらした。セレウコスの長子アンティオコス1世は、父を殺し、マケド・トラキア王に登位したケラウノス、そしてリュシマコスの王妃で、未亡人になったアルシノエ(2世)と結んだ事の振舞いに、2人ともエジプト・プトレミー家出であったから、何はともあれ不信に思い、一時、怒りと疑心暗鬼がその頂点にまで達した。そんな訳あり状況の中、その後それらの事が遂に第一次シリア戦争(274-271BC)への導火線ともなった。(プトレマイオス・ケラウノスは、エジプトのプトレマイオス1世の長子であったが、父王との意見対立で追放、その王位の継承から外された流浪の身で、トラキアのリュシマコス王の下に身を寄せていた。リュシマコスの後継者問題に絡み、ケウラノスの援助手引きにセレウコスが応えてリュシマコスと戦う事に、それでリュシマコスは敗死する。その後、同行していた当のプトレマイオス・ケウラノスの手に掛かり、セレウコスが暗殺される。)第一次となる戦争は、北の王・セレウコス朝アンティオコス1世が、南シリア(コイレーシリア)に向けて侵攻してゆくことで始まり、エジプト・プトレマイオス2世(南の王)が受けて立った。これの詳しい事は、古史料記録を残さなかったか、残らなかったかで詳細は知られないが、274年に始まり、1、2度かの会戦がなされたかどうか判明しないが、271年に終息した。北の王・アンティオコス1世がアナトリア(小アジア)や北部シリアの諸都市、領地を失うほどの敗北を帰した。(おそらくプトレマイオスの艦隊からの挟撃を警戒してか、思い通りに軍行進撃が出来なかったと見られる。また、キュレネ王メガス(現リビア地方)との協約的な目算が途中で外れてしまった。エジプト・プトレミー王朝からの独立のためのそれ。)<6節>の“年を経て後”は、何年かが経っての状況となるが、これは、上記の第一次戦争の時代、及びその後の経過を含めての表示で、つぎの第二次となる北と南との戦争の直後、その<終結和約に係わった時点>から生起する事象を特定、ポイントアップした予見である。第二次となる戦争の概略:BC260年に始まり〜253年の期間における戦いとするもの。 
・北の王はアンティオコス2世テオス(287-246、在位:261-246年) 
・南の王はプトレマイオス2世フィラデルフォス 英語でプトレミーとも記される。(308-246、在位:285-246年)
*285共同統治、281年単即位とも   
*南のプトレマイオスはすでに先の第一次戦で、北に勝っており、この戦いでは、48才を過ぎた熟年ベテランの年令の頃となる。  
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*北のアンティオコス2世は、即位後すぐの構えであり、先の父王1世の敗軍の将としての姿、有様を10年ほど前とかに、少年期過ぎに見て過ごしている。27才頃の事。状況の経緯は、時代の変転いちじるしい中、アンティゴノス2世ゴナタスが、マケドニア王国の所領に成功する。
(リュシマコス⇒プトレ・ケラウノスら⇒ソステネスら⇒本人[276-274]⇒エピロス王ピュロス[273-272]年、後に再び、復在位:272-239年)そのころ、彼のギリシャ全域、及びエーゲ海への支配権伸張に対して、アテナイ、スパルタそれぞれに与する諸市とエジプト・プトレミー王国とが同盟共闘するかたちで、対アンティゴノスの進出拡大を阻む軍事対抗をとるものとなる。262年頃からギリシャ本土で戦いが始まる。その直後、それに合せたように、北の王アンティオコス2世テオスは、マケドニアの王となったアンティゴノス2世ゴナタスとの同盟関係を得る事で、南の王プトレマイオスに対し、シリアへの支配権確保を見据えて、進攻に乗り出すものとなる。その手始めとして、小アジアのエジプトが、先に奪った所領地を奪回すべく軍勢を差向けていった。この両者の戦いの戦況模様を伝えるような古記録は残されていない。ギリシャ本土、エーゲ海側でのアンティゴノス2世ゴナタスの優勢を伝えた記事が古史料に散見されているようである。それによると、、262年以降の状況進展で、アンティゴノスが一応、先にスパルタ、アテナイに勝利し、その後、258年にエジプト・プトレミー2世の海将パトロクルス率いる艦隊をコス島湾近辺で打ち破る。エジプト側にとっては、アンティオコスとの対戦も継続中であり、不利とみたプトレミー2世は、255年アンティゴノスとの和議を結ぶ。それからしばらくして、アンティオコス2世とのいくさが好転しないまま、小アジアの所領地、パンフリア、イオニア、キリキアなどの、また幾つかの諸都市(エペソス、サルゴス、ミレトス等々)を奪い返されたまま、253年、敗北模様での状況のまま、和議にこぎつける結果となった。(和約取り決めの主導は、負けたアンティオコス2世の方であったと見られ、とにかく、アレクサンドロス大王からの時代、娘らの取り扱いが結婚に係わるかたちで、一種の慣習として継承されている。集団結婚というの論外だが、)その和約の取り決め内容により、プトレマイオス2世(南の王)は、娘ベレニケを北の王アンティオコス2世に嫁がせるかたちで差し出す。252年の頃である。この縁組和親は、初めの数年は、良好に推移したようで、新王妃ベレニケとアンティオコスとの仲も良かったとみられる。ところが、離縁された前妻のラオディケ(かってより女王の如きであったが、)は、エペソスに移り住んでいたが、そのまま引き下がるものではなかった。好機が来たならば、元女王への復帰をと、その下準備、勢力付けの策を講じる事に心ひるむことがなかった。旧王族派は、ラオディケの下に結束を一層強め、親エジプト派を凌ぐ勢力をたくわえつつあり、まさに水面下では朝廷の勢力は二分されているかの如き状況となっていった。アンティオコス2世がそれに薄々気づき始めた頃、折り悪く時の定めか、エジプトからの内命特使により、南の王プトレマイオス2世逝去の訃報を受けた。246年になって間もない月の頃であったが、ラオディケにとっては、好機到来と強く自覚したに違いない。(彼女には元々、勢威があり、その名も曾祖母や祖叔母から受け継ぐ血統で、父は、王アンティオコス1世との同母兄弟の次男(アカエウス)であり、娘が離婚状態とはいえ、王家にあっては最有力に結びついた王族の一員であった。そして、その第二次となった戦争でも、兄アンティオコス王を助けてその時期を掻いくぐり、娘の不本意な離婚が結果したが、裏方での手堅い支援者となったであろうとの見方もできる。だが、父アカエウス[Achaeus]の去就などは、古記録史料には見い出されず、実のところ定かではない。アナトリア=小アジアで、ガラティア種族と戦い、ギリシャ諸市を守った事で、支持が厚く、後々の記念祭事に捧げの礼がなされたとの記録がある。孫に同名の王族がおり、アナトリア領地の総督太守となっている。)  南の王プトレマイオス2世は、246年の初めの月、1月28日の逝去だと、一般史では知られている。その数ヶ月後、7月には、何故かアンティオコス2世テオスが、急死するという予期せぬ事態が生じた。前妻ラオディケと寄りを戻したかのように、彼女のいるエペソスへ出向き、その宮館に滞在中に起きた事だという事から、如何なる方法であれ、ラオディケが、王を死に追いやった、至らしめたと、、、一般史的には推察されている。いまや、表面化、、アンティオケの王宮にいる王妃ベレニケとの女の戦い、ラオディケは、その勢威をもって自分の息子らを王位に即けると、強い決意をおもてに示したに違いない。それに対して現王アンティオコス2世テオスは、エジプト王義父に拠り過ぎて、今や自らの立場をもち堪えることができない状況に至ったと見られる。アンティオケの宮廷では、王死去の知らせで大変な状況となったが、ともかく、しめやかな葬儀が済まされ、(コレハ古史料記録ニナイ。)一息ついた王妃ベレニケは、8月に入って後、気を取り戻して、自分の幼子を王位に据えるべく、摂政となるとの宣言をした。だが、それを支持する者らの数も多数を占めることなく、エジプトの新王で、兄弟でもあるプトレマイオス3世に援助の手を差し伸べる。その危急の使者を密かに立てるやいなや、ベレニケとその子らは、反対勢力の手により暗殺されるものとなった。   
C、次に7節となるが、ここでの“その頃、この女の根から、〜、、”の表現からして、前節6の、上記した歴史事象に直接結び付いている事象と見るほかない。つまり、南の王プトレマイオスの新たな動きに言及したもので、一般史的には、第3次の戦争を引き起こし、その遂行をなしたところの軍事模様を予見したものと言える。(この戦争はエジプト側から見て、通称、<ラオディケ戦争>として歴史に名を残す。エジプト王プトレマイオス3世は、拭い切れない疑惑と憤激の思いに駆られて、シリア王国を攻めに攻め込んだと歴史は書き記している。アンティオケの城塞占拠だけでなく、メソポタミヤの主都セレウキヤ、バビロンにまでも、、(アナトリアへも進攻する勢いだったが、厄介なことがエーゲ海キクラデスの島で起こり、それまでに進攻を止めたとされている。)8節の文言にある如く、できる限りの戦利品を収奪して運び去り、エジプトに帰ったと。その時代期間は、246年9月前後に始まり、241年に終息しているとの一般史的な見方における内容に照応していると見てよい。(第3次シリア戦争=ラオディケ戦争)9節で、“その後、〜、、、”と断り書きの表現があるが、北も南も、その頃以降、内紛や、政情不安、経済的沈下などで苦境に晒されるが、その後という時点として、<北の王>が、幾分か余裕ができ、優位となって、<南の王の国>の領域に攻め込む事があったというものである。ここでの特明的ポイントは、<そのころ>と<一つの芽が起って、、>が同じ時として結び ついており、しかも<この女の根から、>の表現が、<彼に代り、>での<彼>を<根>としており、<根=彼>は、Bで前記したプトレマイオス2世をさしており、その根は、同根としての<女の根>であり、したがって、女・ベレニケの兄でもある<プトレマイオス3世エウエルゲテス>を<一つの芽>として、スポット予見したものである。 
D、つぎに<その子らは〜>から始まる10節から12節までの文言が新たな進展を示すものだが、前節のパラグラフの歴史事象との関連において、異なる点は、<時期や時の表示に係わる>直接表現を取り止めて、王位継承の<代から代に替わる継承者ら>を示す言葉、“その子らは、〜、、”の文言から進めて、その事象内容を予見開示していることである。このパラグラフでの北と南とによる軍事模様は、一般史的次元からの照合を見て取るならば、第4次の戦争(古代ヘレニズム時代のシリア戦争と明記されたもの)に同定されうる。これは、いわゆるセレウコス朝を衰微から立ち直らせ、再興、隆盛させたアンティオコス3世(在位223-187BC:241生)を主眼とした事蹟を主内容としている。だが“その子らは、”としているから、複数人であり、暗に3世王の子ら、セレウコス4世、特にアンティオコス4世(エピハネス)をもターゲットとして含み入れたかに思われる向きとなる。
ここで、その頃の時代の北の王・セレウコス朝と南の王・プトレマイオス朝、それぞれの王の在位継承順の王たちを列記しておこう。
・北・セレウコス朝:アンティオコス3世メガス(223-187年BC)⇒子・セレウコス4世フィロパトル(187-175)⇒弟アンティオコス4世エピファネス(175-163)⇒子の幼少アンティオコス5世エウパトル(163-161)⇒セレウコス4世の子であるデメトリオス1世ソテル(161-150、生:185)⇒152年前者と並立したアレクサンデル1世バラス(150-146BC)⇒ その後は、デメトリオスとアレクサンデルの双方の子らの間での継承紛争を軸とした状況過程が続いた。・南・プトレマイオス朝:プトレマイオス4世フィロパトル(221-204年BC)⇒幼年の同5世エピファネス(204-181)⇒エピファネスの妻・摂政女王クレオパトラ1世(193-176)プトレマイオス6世フィロメトル(180-145)⇒6世の子で同7世ネオス・フィロパトル(145/144)⇒前王暗殺後 同8世エウエルゲテス(145-131)⇒夫に対するクレオパトラ2世の反乱、宮廷での紛争期(131-124)⇒プトレマイオス8世エウエルゲテスの復位(127-116) ⇒プトレマイオス9世ソテル2・ラテュロス(116-110、109-107、88-81)この王は、弟・同名10世アレクサンドロスとの間、母クレオパトラ3世の権力介入により、交互に王位の廃・復位を繰り返した。[注]:王朝・王家の娘たちについて、その嫁ぎ先は、父王らも強く望むほど奨めたごとく、かっての大王の下、その後継者らの血筋の王家か、或いは関連の王国かが、その共通の対象フィールドであった。後継者らは、暗黙のうちに大王下後継血筋の王家であるべくの徳価にこだわって、互いに戦争をし合っても、その王家の起点べースを忘れることなく、それを維持せんとした。ところが、時代が下るにつれ、むずかしい状況事態になってゆく。その先がけとも、兆候ともなったのが、その初期エジプト・プトレミー朝の娘らからはや起ってくる。プトレマイオス1世と2番目の妻ベレニケ1世との娘アルシノエ、彼女はマケドニア・トラキア王リュシマコスに嫁ぐが、子への王家相続問題、王国継承問題やらの紛争で、命からがらエジプトに逃れ、舞い戻ってしまう。戻るはいいが、彼女は、同母弟であり、いまや王となったプトレマイオス2世の王妃アルシノエ1世(トラキア・リュシマ王の娘であったが故か)をひどい困難な目にあった腹いせをも込めてか、追い落して王妃の座を奪ってしまう。同母(異母)婚の最初の例であり、女王アルシノエ2世の共同統治の始まりであった。(婚儀は公けの形式儀礼であったが、、)もう一つの例は、生みの親でなく、幼児途中からアルシノエ2世を母として育てられたプトレマイオス2世の娘ベレニケ・フェルノホラスである。
この娘は、先に上記した予言での注目渦中の女で、セレウコス王家・アンティオコス2世王に嫁いだ娘である。彼女はひどい災難どころか、生きのびる事ができず、殺されてしまう。
こういった事件事例がもとで、王朝王家の娘らは、つまずき以上に、大きな歴史的トラウマを抱えてしまう。他王家に嫁いでもどうなるものかと、先の分からない現実に、、もはや、嫁ぎ出てゆくのをためらうものとさえなり、将来の生き方を早くから目視する。、、、、このような訳で、かっての大王後継者系王家対象フィールドの共通規定枠は消沈してゆくものとなる。エジプト・プトレマイオス王家では、公然、慣習化したかのように、兄弟姉妹婚による王家の維持が計られ、守られるものとなる。この傾向は、シリア・セレウコス王家にも飛び火して行なわれたケースを見る。その最初の同母出結婚は、ラオディケ4世の一度目は長子と、2度目(セレウコス4世との)3度目は4世エピファネス。196年と192−190年と175年頃。彼らは、アンティオコス3世メガスとラオディケ3世の子らであった。特にエジプト、シリア両王家の間には深刻なわだかまりが出来て、互いに嫁がせるような状況を心情的にも完全に喪失してしまっていた。この状況は、193年、アンティオコス3世メガスが、無理やりにでも娘・クレオパトラ1世をエジプト王家に嫁がせる事で切れたかに見えたが、、これは、対ローマへの両家の同盟体勢が取れうるならの願いの策が込められたものであった。だが外的環境は、ローマのアジア、東方への進出により、一層深刻な問題となる。彼らの時勢、時節は、13節、及び15節以降、19節まで該当すると見なせるが、順次追っての後述となるが、これらの文節範囲は、従来的見かた解釈を考慮しつつ、再度の検証、照合をすべきところであり、秘潜儀的、妙理暗明的な処、秘められたる何がしかの内象をあらわし示す事になるであろう。  
*この10節以降のパラグラフからは、厳密にして正確なる検証の試みが必要、求められる事になるが、実際の一般史が示すところは複雑、広範囲的な記述内容であるので、その照応立証には困難極まりない難しさが伴う。10節での<その城にまで攻め寄せる〜、、>とは、北のアンティオコス3世がBC219年に数多の大軍を率いてエジプト・アレキサンドリアの玄関口、ペルシュウムの要塞ペルシオンまで攻め込んできた事を示している(第4次シリア戦争BC219年〜217年までの始まり)この進攻には、222-221年でのアンティオコス3世のメディア、ペルシスなど、その総督らによる反乱を鎮圧する時期に合せて、南のエジプト・プトレマイオス4世の軍勢が、シリア北部、港湾都市セレウキア・ピリエのなどへの進攻がなされた背景があった。この時、南のプトレマイオスも大軍をもって対応しますが、北のアンティオコスは、何らかの理由で不利と見て、ペルシオン城砦の攻略をあきらめ撤退を余儀なくされます。しかし、その途中、ガザの近辺、パレスチナで両者は対峙し、激戦ともなり、<11節>で記されているように、南の王は大軍を起こすけれども、その軍勢の多くを失います。つまり、この折は双方共にあいこで、多くの軍勢を失い、218年には一時撤収します。
翌217年6月、アンティコス3世は、再び南シリアに侵攻、ここでガザ近郊のラフィアでの戦いとなり、これはヘレニズム時代有数の大会戦として知られていますが、<12節>では、南のプトレミー4世が、北のアンティオコス軍を打ち砕きます。この大会戦には勝利しますが、“勝つことはありません。”との表現で、状況を伝えていますが、、確かにこれで和議を結び、終結の線引きをしたわけではないからです。そして、つぎの13節の文言に繋がってゆく状況を示しているからです。    
E、<13節の文言>および<15節から19節の文言まで> この13節文言は、再び北のアンティオコス3世が、その機に乗じて南シリア(コエレ・シリア)に進攻して来ることを示します。(第5次シリア戦争BC202−195年に比定)これにはプトレマイオス4世の204年の死、幼少のプトレミー5世の継位に絡む宮廷内紛という状況を見てのものでその好機を捉えての進出であったと見られる。南のエジプトも内紛のさなか、有力な傭将の将軍スコパスに大軍を率いさせて進出します。この時、199年にスコパスは一足さきにパレスチナの各地を占拠、奪回したかに見えたが、198年での<パニアスの戦い>で敗北、一挙に逆転されて、これが事の成り行きを決める最終的な決戦結果となり、アンティオコス3世の完全勝利を導き出します。(パニアスは、ヨルダン川の源流点、ヘルモン山系の南西麓の、のちに改名されたピリポ・カイザリア付近に当たります。)このイクサ模様は、15節以降の内容との照応となりますが、この北の王は、アンティオコス3世であり、その勢威そのものです。彼はその勢いで、アレクサンドリア本国を占取し、自国に併合せんとの思いに駆られますが、<17節>では、それを取りやめ、和睦して自分の娘を与えて、先々の事を計らんとします。これは、193年BC頃にクレオパトラ1世(当時12才ほど)が、南の王プトレマイオス5世エピファネス(17才ほど)に嫁ぐことに照応しています。
<18節>の“その後、”では、北の王アンティオコスは、アナトリア(小アジア)の海沿いの国々(ヘブル原典、70人訳ギリシャ語では、島々ともなっているが、これらを含めて、)を征取して、マケドニア、ギリシャ方面にも進出して行きます。ところが、彼のこの進攻に対して、ローマからの大将(将軍)のひとり、二人が率いる軍勢により、彼アンティオコスがその進攻により与えた恥辱を、今度は自分の上に返されるものとなります。(原典、70人訳では、敗北という“彼自身の恥辱の<他に>”と訳すことができ、その恥辱を彼の上に返した。ともなります。これは、191年BCのテルモピュライの戦い、190年のマグネシアの戦いでの彼の敗北でその和約、アパメイアの和約も非常に手厳しい内容で、他国との同盟禁止、捕虜獲得の禁止、軍船数の最小な制限、戦象の放棄と禁止、膨大な賠償金を課せられるという、大変な恥辱を返されるものとなる。(アナトリアの領有地すべてを失う、タウロス山系以西、以北での領地を失ったあげくでの状況下で、、)<19節>では、これらの履行、賠償金の支払い財源に困窮し、アンティオコス3世は、遂につまづき倒れるものとなる。(187年、自国領地内の要塞を含め、金品となるものはないかと隈なく顔を向けるなか、スサの神殿で金品となるものに手をつけ、収奪せんとしたが、地元民の猛反対に遭い、暗殺されてしまう。)
*ここで、注意すべきところは、上記した文節文の間にある、<14節>の文言の照合である。“そのころ多くの者が起こって、〜、、、”“南の王に敵する”のは、北の王(セレウコス王朝)だけではなかったようです。ヨルダン川以東のモアブ、アンモン、ナバテア、南のエドム、アフリカでは、北のリビア、南のエチオピアなどから、、、この<14節の文言>が的確に表示している特徴は、二つの点に絞れます。一つは、<南の王>に対しての敵意を示している事。二つ目は、ダニエルの自民族、ユダヤの民からも、敵意反抗を発揚顕示して、かねてより印象付けられ、その思い描いた<幻を実現>しようとしたが、<失敗する>というもの。この二点から注意すべきは、どうやらこの予言は、アンティオコス3世の治世時代の事柄で、その子の代、アンティオコス4世エピファネスがエルサレムを暴虐的に占領した時勢さ中での事柄ではないということです。(ユダヤの民・マッカバイオス一家から始まる民族的な自主独立への戦争、最終的にはアサモナイオス・マカベアのユダヤ王国ハスモン朝の確立と、それに合した直後のシリア・セレウコス朝の支配から独立した前141年に至る事情のものに該当せず。)その文言(14節)の歴史的背景には、プトレマイオス1世当時からのシリア占有(320年)、失退、奪回(312年以降)の繰り返しの時代があり、プトレマイオス2世フィラデルフォスの治世時代には、ユダヤとの関係は友好関係になって来ていた。(ヨセフスの古代史によれば、エジプトでのユダヤ人奴隷約12万人の解放と、王国図書館及び、学書研究センターのための蔵書収集行政の一環として、ユダヤ人の保有する<モーセ5書>の翻訳が許される時代、時に至ったと見え、ギリシャ語への翻訳事業が着手される(旧約聖書70人訳の初段階の試みBC258年)等々で、良好な関係を見せているかのごとくであった。だが、このような経過の一面があるなか、北のアンティオコス朝と南のプトレマイオス朝との双方には、すでに第2次となる戦争抗争の継続(260-253年)状況を辿るさ中にあった。
そして、先に上記したように第3次(246-241年)、及びアンティオコス3世メガスの王国低落からの大躍進への第4次の戦争(219−217年)、第5次(202-195年)の戦争へと繰り返されてきた事を見たが、その第3次の戦争後の状況下で、ユダヤ・エルサレム内外では、エジプト支配下からの離脱を望み、自主独立の気運が目覚めてきていた。このような気運のさ中、プトレマイオス4世フィロパトルが、217年6月頃のラフィアの一大会戦で、セレウコス朝アンティオコス3世を降したわけであったが、その直後、彼は、エルサレムに入都し、かの神殿で戦勝への拝儀礼をするつもりで、供犠、及び至聖所への入拝をなさんとするも、(律法によるユダヤ側のしきたりにより、)不名誉な反対妨害を被るものとなる。(第4次戦の終息直後)他国の宗教儀礼の掟など何一つ知らなかったプトレマイオスであったが、王としての体面をひどく傷つけられたとして、怒りをあらわにし、サレクサンドリアに帰った暁には、そこに在住のユダヤ人をすべて追放、さもなくば処刑殺害するとの目論み意向を申し渡して、エルサレムを去るという思わぬトラブルの一件があり、この事件により、ユダヤ・エルサレムのエジプトからの離脱を大いに叫び、事を起こさんとする猛者連中が発揚したわけであった。だが、民衆はこのさわぎに際し、2分されることなく、親エジプト派(大祭司門下衆、及び代表議員衆)の内外対応処置により、彼らの試みは失敗するものとなった。<14節の文言だ。>だが、彼ら一派は、アンティオコス3世メガスとの結び付きを強くし、これが彼のエルサレム来都への意識付けを濃くし、その水先アピールとなった。その頃までの戦場となる所域は、地中海の海岸寄りの平地方面がおもであり、ヨルダン川方面に至る丘陵地や、内陸の山々の織り成す平地地域などは、さほど戦火にさらされることはなかった。<16節>で、この<麗しい地に>彼は初めて立ちます。そして、<その地は荒らされます。>と表示されています。先に上記した199年から198年中の、南の王が送り出した傭将軍・スコパスと、来攻してきた北の王アンティオコス3世メガスとの内陸地での、ユダヤ、パレスチナを含めたコエレー・シリア(広範囲シリア)の争奪戦となったものです。アンティオコスは、ナバテア王国と手を組み、その主力をヨルダン川の東側から回り込ませて上ガリラヤの麗しき地への進攻を自らが軍勢を率いて行なってきたと見られます。    
*ここで、アンティオコス3世メガスの子・アンティオコス4世エピファネスについては、いまだ何も記していませんので、言及すべきかと思われる。4世エピファネスは、父・3世メガスの末っ子(三男)として生まれた。不幸にして父のローマに対する敗北(上記したが191、190年の両戦役にて)し、その戦後処理の<アパメイアの和約>の締結条項により、189年からローマへの人質となった。彼は、定かでないが、215年頃の生まれであったから、その時は、丁度、青年期盛りの25、6才だったと見られる。しかし、父・アンティオコス3世が187年に亡くなり、兄(次男)のセレウコス4世が王位を継いだ関係で、その息子・デメトリオス1世ソテルが彼と交換に人質となり、エピファネスは、3年余ほどで解放された。しかし、その後、しばらくは自由人として、ローマに留まり、あるいはローマに拠点をおいてローマの状況ばかりでなく、ギリシャの諸都市の文化、伝統の空気を思う存分に吸い込んだと見られる。特にローマの実力、共和政の体勢、元老院での政治あり方、その権力など、かなり自分なりの把握して熟知したものと見られる。彼のこの情報知識との兼ね合いの性向は、対ローマへの基底的位置付けとなって、やがてのち強く表面化するものとなる。(アナトリア、エジプトを含め、わが東方のギリシャ文化領域を再統一して、ローマに対しなければならないという思いつき考想が心のうちに根ざして)彼の政治的ポリシーなど、その立場は、それゆえ、彼の父・アンティオコス3世とは、対照的なものとさえなったと云える。父のアンティオコスは、スサの近隣生まれで、スサ、バビロンでの育ちである。そこではヘレニズム化の趨勢が見られるとはいえ、いまだペルシャの文化、伝統色が息づいているところであったが、そのヘレナイズ以前に、この方面での知識の源泉的なカルティベイトは、ヘブライ的なものを兼ね備えていた。
(アレクサンドリア学派ができる前に、バビロン学派があったほどに。)父・3世アンティオコスは、バビロン、及びメソポタミアに在住していたユダヤ人家族2000世帯ほどを小アジアのリュディア、フリュギアに難なく移住させるほどの実力者、彼のユダヤ人への信頼また、かの地域に住むユダヤ人の彼への支持、信頼度は意外なほどあったと見られる。彼は、ユダヤ・エルサレムに対しては、そのユダヤ人らにはそれ相応に慎重に対処したと見られる。(ヨセフスの「ユダヤ古代史Ⅻ」でも記している。)彼は、まさにかってのペルシャ大王キュロス路線を継承するようなものとなっていた。したがって、ユダヤ人、及びその宗教的伝統に対しても、一応の理解を示していた。当時の公用語は、ギリシャ語が主であったが、庶民レベルでは、アラム語が広く常用されており、宮中の書記官、史官クラスの者らのうちには、バイリンガルなユダヤ系の者が幾人かは仕えていたと見られる。(ダニエル書が、第2章4節から7章の終わり28節まで、アラム語で記され、他はすべてヘブル語で記されているという<言葉の使用構成>となっている。これは非常に注目に値する事であり、秘すべきところ、開放黙認よろしきところ等々で、その当時での対応、反応など、興味深々といったところである。いつ頃、ダニエル書、その封印の巻物の巻が解かれるものとなったであろうか。モーセ5書がアレキサンドリアでギリシャ語に翻訳<70人訳>された、その初期段階のBC250年代頃には、すっかり開封されていたというものであったろうか、、、、。)その父に対して、子のエピファネス4世は、175年、王位を確保したが、ローマの重いくびき(賠償金支払い・アパメイヤの和約)に苦しめられて、王国の支配運営は、ほとほと思わしくなかった。父の偉業とその健全なる王国を継承できなかったエピファネス4世は、エルサレムへの破滅的荒廃をなすような所業を自ら行なうような結果を自分に継ぐものとなった。これは、ダニエル書の第8章9節以下、14節での内容における、彼の所業の見かけ上の外観の様子を描いているものでり、エピファネス4世の予言である。これは、父3世アンティオコスの代わりに、その悪い暴虐な所業予言を全部、自らをして自分に科したというかたちで、その予言史事情が成就しているというものである。そのダニエル8章の予言記事も、後半15節以下、その明説予言で、何か二重的な予言性を示している。それ故、そこでは、キーワードとなる<言葉>を取り出す事ができる。(大王アレクサンドロスとその後の4つの国への変遷事蹟で、8章と11章以降には史的同事性の深い係わりがある事から、、、) 
・18節<深い眠りに> 
⇒これは、11章が10章から連続して続く文章記事として、その10章9節の<深い眠りに>の言葉との、いわゆる“共通項”をなしている。なんでもない表示文のように思われるが、実は非常に注目すべき事象的形相、及びその深層的な啓示想式が秘められている。(これを論示するだけで、大変な文章量になるので、割愛するが、簡単に、)非常に重要な<共通項>である。  
*ダニエルが実際にこの<深い眠りに>陥ったという状態で、啓示内容の展開が始まる。
これは、“深い眠り”という起点的様態形式を暗に表現する事で、本書でのダニエルの他の啓示受容の様式とは異なることを示している。(<深い眠り>そのものの事象的表現に類似したものは、聖書中、アダムの創2:21、アブラハムの15:12節ほか数点見られる)  
*現代科学的な<夢心理学>の分析上では、眠りの科学分析の認識としては、深い眠り状態では、夢を見る事のない熟睡状態と同一視できるということになるが、、ダニエルの場合はこれとどう違うものかの論点があり、立場、意見の違いも出てくる。  
*ダニエルは、心の計り知れない深層心理を知的に自覚、意識して<深い眠り>状態をそれに当てて示そうとした。神からの啓示内容をまさに深層ぶかいものとなし、そのような次   元からでないと、その啓示そのものの本意が成立しない、啓示内容の真意が欠け、充足する事無く表現できず、伝えられないと。ダニエルの他の啓示内容とは異なり、この二箇所の内容は、その<共通項>でもって、重厚なるものとしている。   ダニエルは、ほんの一時<深い眠り>の状態に陥った。が、彼の脳中での眠りの(心理)状態には、普通の人と比べ、深さと広さとかで、量的に富んでいたとも、、、それで、実際に   <深い眠り>の時点において、神により掌握された状態から、神の啓示手行によりその占有、浮上的な彼の意層に啓示内容が印映   移植されるものとなったということが起りえたと、、、。或いはまた、その啓示授受の心理的程度の状態差があるとして、   それがどのようであれ、意識的にその啓示内容を文書化するにあたり、<深い眠り>という状態形式を内容表現のための重要な欠   くことの出来ない手段として、その表現中に取り入れたという見方も可能となる。この場合では、彼の意識的文書著述の能力は、まさに天才を越えた天才とも言えようか。、、  
*ここでの<共通項>の“深い眠り”の啓示内容の真相にあって、二重複相的に予見された対象事象があり、一方が表立った形で、   他方を被い秘めたものとして表示されているという啓示的仕組みが見られる。(啓示幻の授受言示のエリアは、<深い眠り>の領   域外であり、それへの説き明かしのアプローチで、<深い眠り>を入り口に、その規定内へと展開。そこからまた規定外の幻内容   を見直すと、そこに新たな事相が表化し得るという可能性の余地が見い出される。)
・17節<終わりの時> 
⇒この言葉には、二つの使い分けがあり、それを示す事柄、意味するところが異なっている。@、19節の“憤りの<終りの時>”:この表現は、23節の“彼らの国の<終りの時>”と、同次元的であり、この二つは、同じ時、同じ時期を示すものである。しかも、<定められた終りの時>にかかわるものという、次の時代への継続的性向関係を示しているものとなる。  
A、同じ19節の“定められた<終りの時>”:この表現は、17節の“この幻は<終わりの時>にかかわるものです。
”の<終わりの時>と、同次元的で、その<時>を限定特定して用いた言葉となっている。そして、この<終わりの時>は、ユダヤ・イスラエルの旧約民族としての<終わりの時>を暗示するものである。(エルサレムの滅亡)これはまた、ダニエル書内のテキスト上では、@での二つから続くかたちで、対照できるもので、この<終わりの時>は、11章27節の“定まった時”の来るまで、或いは同29節の“定まった時なって”の、その時に至る事により、現前してくる“終わり”という表現のニュアンスの時と同義である。“定められた<終りの時>”という時の範疇の内にあって<定まった時になって、>を経由併展直後して、⇒その<終わりの時>へ、である。そして、また、11章40節の<終わりの時になって、>のそれそのものと同じであり、それを予め指し示すものである。   
*史実的事蹟ではその8章9節〜14節内の事柄は<アンティオコス4世エピファネス>の悪業を予見したものとして、あえて表示されているかの如くであるが、これを事象的兆例とし、また、<終わりの時>の事として、“悟りなさい”というものです。つまり、<終わりの時>にも同じようなことが起るが、それは、なし崩し的で、断続的で、幻などで一つに表示説明できないほど、複雑、多混様な事象ものとなるからである。(ローマのポンペイウスのエルサレム占領BC63年からウェスパシアヌス、ティトスの占領AD70年それ以後にまでかかわるからである。、、)・23節<ひとりの王> 
⇒ヘブル語{メレク}、ギリシャ語{バシレウス}
で、共に英語のような冠詞(a)は付されていない。(両語には(a)に比すべき不定冠詞はなく(the)に比定する冠詞だけがあり、それぞれ常用されている。)文法的訳上により、{a king}となる訳だ。邦訳では、英訳に準じて、{一人の}となるが、日本語の修飾性が高いから、さらに   その修飾の規定が強く印象付けられてくるわけだ。   
@ここでの王、メレク、バシレウスは<ひとりの>という観念規定に捉われてはならないということだが、しかし、同時的に一度に何人もの王が起こり成立することはないから、その継承上での代々の王を含めた意味で、ひとつに纏めたところの代表者的表現の<王>と見なすべきとの点も考慮しなければならない。   
Aこの王の起る時期(時代)は、本文テキストでははっきりと明示されている。
前節(23節)の<4つの国が起った>事を受けて、その後の、
“彼らの国の終わりの<時に>なり、”
と表示され、しかも彼ら共々その国々の罪業が、もう許しがたくその限界を超えて満ちてきた状態の時に、という形相的に示された条件も付随しているその時期に、という事になる。   前項で記した<終わりの時>に関して、<彼らの国の終わりの時>という表現もあると、すでに指摘したわけだが、これのギリシャ語訳:“エプ エスカトーン テース バシレイアース アウトーン”はその<4つの王国の終わりの時に、>を示すもので、8章9節以下の文言との関係においては、それらと結びつけられる時代時期的次元のものではないということである。つまりアンティオコス3世メガス、及びその子のアンティオコス4世エピファネスを示す事象として解釈するならば、その彼らの事蹟は、彼らの王国の後半の時期に入っていまだ間もないもので、<終りの時>には該当しないということになる。(彼らセレウコス朝はBC310年頃から64年までと見られ、彼らの在世時期は、BC200年前後から160年代までの時であり、250年の全存続期間の、それは、110年〜150年過ぎた中後半への過渡期に当たる時となる。確かにこの後半への彼らの時期は、もはや衰退してゆくばかりの始まりの時で、再び隆盛することなく、残り100年ほど世代を重ねて、その終りの時に至るというものである。)  B23節の<王>の起こりの言及から25節までは、その王の特徴とか、所業の様相を象徴表示したものとなっている。これらについては、つぎの項目で記すが、<日本聖書協会訳>での本文テキストから、  “その顔は猛悪で”と邦訳された観点について分析しておこう。   原典ヘブル語では“メレク”(王)に続いて“アズ⁻パーニーム”とある。ギリシャ語訳は、“バシレウス”のあと“アナイデース プロソーポィ,”   ・アズ{-עז }= アナイデース{αναιδης} ⇒ 邦訳:猛悪で、   ・パーニーム{פנים }= プロソーポィ,{προσωπω,} ⇒   邦訳:その顔はこれら言葉は、王に直接かかる説明的修飾語である。邦訳では、この部分を一つの文節でもって意訳して、日本語の文章形式での表現を巧みなものとしている。しかし、“顔は猛悪で”という訳文は、一見、ひどく印象付けられるが、ただ単に顔面、つらがまえが猛悪??という事であるに過ぎないとすれば、また何か一見、子供じみた感じのもの、、ともなり兼ねない。   英訳ではどうか、見てみると、  
・a king of bold countenance,(Ame'canRevised-Sd版)  
・a king of fierce countenance,(KingJames版)  
・a king bold in counterance,(70人訳ギリシャ語対訳版)
などがある。
countenance は、“顔つき、表情”などで、容貌、外貌、外見、風貌などに通じる。顔の表情でその人物の性格の一面が少なからず感じられるという考えがあるが、、、   
bold は、一般に“大胆な”“無遠慮な”と辞書に出ているが、 それだけでの邦訳適用では、今一しっくりしない。 この語にはもっと幅のある意味深長な多様的、概念 的ニュアンスがあるようだ。(太っ腹な、臆する事のない気心、豪胆な、等々)   
fierce は、“荒々しい、猛烈な、険悪な”などがあるが、。この語の意味にかの日本語の“猛悪な”が介在しているようである。結論として、英語のboldとfierceの両方をあわせたような存在性と捉えるのが妥当と見られる。だが、それだけではない、続いて記事原典テキストは、接辞接続字でもって、特記すべき特徴を付け加えているから、、ゆえにつぎの項目の分析へ、、、・23節<なぞを解き> 
⇒ヘブル語{ゥメービーン ヒィードォーッ} <:ומבין חידות >   
ギリシャ語{カイ スニオーン プロブレーマタ.} <και συνιων προβηματα.>
・25節<君の君たる者>⇒(注:翻訳のギリシャ語旧約聖書は、古代ローマ時代、AD2世紀140年代頃までに3種類のものが世に出ている。これらより古いものは、良く知られている<70人訳セプティアギンタ>で、BC256年頃アレクサンドリアで、まず“モーセ5書”が、72日間かけて、72人のエルサレムからのユダヤ人翻訳者らによって完結している。その後、ほかの預言書、史書、詩文書、他などが、逐次翻訳追加されて、BC200年〜150年前後までに完成したと見られている。ほかの3種類もユダヤ人によるものだが、以下の人々による。
・アキラ<Aquila>キリスト教の発展に70人訳書が大いに貢献し、そのお株を奪われたことで、ユダヤ教に転向したアキラが、ユダヤ教及びユダヤ人のために翻訳、しかしヘブル語底本からの遂字訳を意図したものとなっている。(abt.AD126年)
・テオドティオン<Theodotion>彼は、セミ・キリスト教とも別称されるエビオン派からの転向者で、70人訳を全面的なベースとしており、まさにそれの改訳をなしたものである。もちろんヘブル本だけでなくアキラ訳を参照使用したが。
・シンマコス<Symmachus>
彼もエビオン派に属する人で、上記アキラ訳の粗野的な 逐語訳を嫌って、優美さのこもった意味訳の翻訳をしている。
このダニエル書の言及分析では、70人訳ギリシャ語のものを用いているが、その訳巻がヘレニズム時代の200年〜 遅くとも 150年頃までに、或いは封印の遵守の定めを守り、それ以後、100年頃までに一般的な公開としてその翻訳が完了したという、見方
により、あえて、その時代との同時代性における訳者の時代感覚の妙映痕跡を探る意味も込めて使用するものとしている。)密接に関連した8章の後半部分に係わる上記解述で、ひどく本論に戻るのが遅れましたが、ここで再び、第11章の続き部分に移ります。

Unknown Future
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/micoHP/indexb.html





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2019年09月16日

[暦メモ] ティシュレの月/ユダヤ暦新年〜ユダヤ教の祭祀まとめ


ユダヤ教の暦と祭祀
2014/8/22(金) 午前 6:44
歴史のための基礎知識 ブログバトン
■ティシュレ
ティシュレの月が一年の始まりに当り、その1日と2日は新年(ローシュ・ハッシャーナー)に当ります。
この日に神が「生命の本」という帳面を開くとされていて、そこには天国もしくは最後の審判の後に現れる世界に招かれる運命にある総ての人間の名前が記されている、と信じられています。
ティシュレの月の10日が贖罪(しょくざい)の日(ヨーム・キップール)で、神に罪の許しを請う日とされ、水さえも飲まない厳しい断食を25時間続け、人によっては一日シナゴーグで祈りを捧げます。ユダヤ教徒にとって最も神聖な日で、彼らは神に大目に見てもらうため日頃の行いを反省し、正します。

Rain On Green
https://blogs.yahoo.co.jp/rintamom/







9月4日 良いお年を
2013/9/6(金) 午前 5:53 ユダヤのこと 練習用
ユダヤ暦では明日が新年、ということで午後からお店は閉まり始め、年末のそわそわした感じだけが街に残っています。
このところ「シャナトバ!」とよく人々が言い合っているのをよく耳にしており、
きっと「良いお年を」みたいな意味だろうなと実際に調べてみると、まさにその意味。
早速使ってみたくなり、カフェの店員さんに言ってみたら「シャナトバ!」と返ってきました。
年末のため人々が浮足立っているのもわかるのですが、久しぶりに腸が煮えくり返る思いをしました。
先週の金曜日に薬局でいくつか薬を注文したところ、
「日曜日にはそろっていると思う。届いたら電話をするから」と言われました。
そうは言っても、電話はなかなか来ないだろうし、予定通りに薬も届かないだろうと見越した私。
このような約束の多くがきちんと守られないということを、もうすでに知っています。
そして日曜日。電話も来ず、こちらからかけてみると
「まだ来てないの!」とのこと。案の定だ・・・。
翌日月曜日。
お店が早朝から開いているため、朝7時に電話すると
「まだ来ていないの!多分、午前中のうちにはくるから来たら連絡するね!」
近くで用事があり、店に顔をだすと
「まだなの!13時くらいには届くはず・・・」
でも、13時をすぎても一向に電話がこない。しびれを切らして、13時半に店にいくと、
ハッとした様子で店員が薬を注文する電話をかけ始めました。
「ドライバーが遅れてて・・・10分でくるはずだけど、どこか外で待ってる?来たら電話かけるから」
これには私も頭にきて、
「ずっと、ずっと待ってるんだけど!もうこの店内で待つことにする!!」
と伝え、腕組みをして待ちました。途中、店員が気を遣って、
「イスをどうぞ・・・」と差し出してくれたので、それに座って待ちました。
きっと、他のお客さんからは「感じの悪い客がいるなあ」と思われたことでしょう。
そして、担当の店員が
「このナディアに引き継ぐから。あとは彼女が対応するわね。シャナトバ!」と言って退社。
なんて責任感ないんだろう!とまた私は内心怒りました。40分ほど待ったものの、受け取ったのは注文した薬の一部で
結局全て受け取ることができたのが、今日、水曜日、年末ギリギリでした。
日本の薬局は絶対こんなことないなあ、日本を基準に考えたらやっぱりだめだなと、私もまだまだ読みが甘いなと感じた、年末の出来事。
シャナトバ!

ブジブログ
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9月10日 新聞より
2012/9/12(水) 午後 9:56
新聞記事より 練習用
本日のエルサレム・ポストより面白かった記事をいくつか。
「新年の準備を眺める少年たち」
嘆きの壁(ユダヤ教の聖地)では、訪れた人たちが壁のすきまにお祈りを書いた紙をねじ込むのですが、新年を迎えるにあたって、全て取り除いているのだとか。
私も4月に来た時に願を書いてねじこみました。この紙の処分方法が気になるところです。そのまま一般ごみとして処分されていたらどうしよう。
せめて、燃やしたりしてもらえれば願いが届きそうな気がするのですが。
ユダヤ教の新年は9月18日なので、今がちょうど年末。
ユダヤ暦、イスラム暦、西暦とここではそれぞれの暦で1年が回っています。
エルサレムは不思議。
エルサレム:最高気温28度、最低気温18度。
どうりで朝晩涼しいわけです。
ちなみに
死海地方:最高気温39度、最低気温28度。
暑すぎます。

ブジブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/kanako_fonbuena/

Yahoo!
https://blogs.yahoo.co.jp/SEARCH/index.html?pt=c&p=%A5%E6%A5%C0%A5%E4%CE%F1&page=33&so=&tflg=







GBCラジオ〜ヘブルカレンダー ティシュレの月
2017-09-25 05:59:04
テーマ:ラジオ番組
ー今日のGBCラジオ
聖書暦5778年 ティシュレの月
2017年9月21日〜10月20日
ティシュレの祝福
1. エフライム族の月です。
実り豊かな者となり、増加しましょう。
祝福が多くくる月です
創世記49:22に
ヨセフは実を結ぶ若枝、
泉のほとりの実を結ぶ若枝、
その枝は垣を越える。
創世記49:26
あなたの父の祝福は、
私の親たちの祝福にまさり、
永遠の丘のきわみにまで及ぶ。
これらがヨセフのかしらの上にあり、
その兄弟たちから選び出された者の
頭上にあるように。
2. 7月目です。
最も「愛しい」月です。
3.神の摂理が「始まり」を作り出す月。
4. 6ヶ月間の「反映する光」の期間の始まり。
イザヤ60:1-3
起きよ。光を放て。
あなたの光が来て、
主の栄光があなたの上に
輝いているからだ。
見よ。やみが地をおおい、
暗やみが諸国の民をおおっている。
しかし、あなたの上には主が輝き、
その栄光があなたの上に現れる。
国々はあなたの光のうちに歩み、
王たちはあなたの輝きに
照らされて歩む。
ヨハネ8:12
イエスはまた彼らに語って言われた。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
5. ヘブル文字のlamed [ל]の月
6. リターンの月です。
7. てんびん座の月です。
8. 「タッチ」の月。
9. 胆嚢の月。
10. 苦々しさに注意しましょう。
ヘブル12:15
そのためには、
あなたがたはよく監督して、
だれも神の恵みから
落ちる者がないように、
また、苦い根が芽を出して
悩ましたり、これによって
多くの人が汚されたりすることの
ないように、
11. バランスが良い支配の月。
12. 今月はヨセフと関係しています。

まきの今日のみことば
https://soundcloud.com/god-blessings-church/9-25-517a

RIEのみことばパラダイス
https://soundcloud.com/god-blessings-church/9-25-pastor-rie

まなちぇるの祈り
https://soundcloud.com/god-blessings-church/9-25a





2013年9月3日 23時51分
5774年秋の例祭
9月5日(厳密には4日の日没)から、ユダヤ暦5774年が始まる。
この新年にの始まりには、重要な例祭が続く。

シオンの城壁
http://cavazion.seesaa.net
http://judahephraim.seesaa.net/
http://cavazion.seesaa.net/article/464634466.html

あなたが生まれてきた理由
https://blogs.yahoo.co.jp/pikacudesu





ユダヤ教の暦と祭祀
2014/8/22(金) 午前 6:44
歴史のための基礎知識 ブログバトン
■ティシュレ
ティシュレの月がユダヤ暦一年の始まりに当り、その1日と2日は新年(ローシュ・ハッシャーナー)に当ります。
この日に神が「生命の本」という帳面を開くとされていて、そこには天国もしくは最後の審判の後に現れる世界に招かれる運命にある総ての人間の名前が記されている、と信じられています。
ティシュレの月の10日が贖罪(しょくざい)の日(ヨーム・キップール)で、神に罪の許しを請う日とされ、水さえも飲まない厳しい断食を25時間続け、人によっては一日シナゴーグで祈りを捧げます。ユダヤ教徒にとって最も神聖な日で、彼らは神に大目に見てもらうため日頃の行いを反省し、正します。
■仮庵の祭り(スッコート)
ティシュレの月の15日からは仮庵(かりいお)の祭り(スッコート)で、モーセのエジプト脱出の後、荒野をさまよっていた頃雨露をしのいだ仮の住まい(スッカー)を記念するための祭りです。ナツメヤシやハコヤナギの枝で屋根を葺いた小屋のようなものを作り、7日間この中で食事をします。男性は寝泊まりもします。神殿があった頃は犠牲が捧げられましたが、現在シナゴーグではラビがルラヴと呼ぶナツメヤシの葉、エトログというレモンに似たシトロンの実、アラヴァーという柳の葉やハダスというテンニンカの枝を振りながら祈りを捧げる特別な儀式を行います。
■律法の喜び祭り(シムハット・トーラー)
仮庵の祭のすぐ後の22日は律法の喜び祭り(シムハット・トーラー)で、シナゴーグで一年かけて読まれてきたトーラーの最後の書、申命記の最終章を読み終え、直ちに創世記の第一章を読み始めるのを祝う日です。これは律法には初めも終わりもないことを示すためだそうです。イスラエルでは22日に祝われるこの祭りは、イスラエル以外の正統派、保守派のコミュニティでは23日に行われ、22日は仮庵の祭の最終日として先祖への追悼儀礼と雨乞いが行われるシェミニ・アツェレス(集合の8日目の意)というお祭りになっています。
■宮潔めの祭り(ハヌカー)
キスレヴの月の25日からテヴェットの月の2日は宮潔めの祭り(ハヌカー)で、起源は外典のマカバイ記にあります。
紀元前164年にセレウコス朝シリアのアンティオコス4世エピファネスの軍隊を、ハスモン家のユダとその兄弟がエルサレムから追い出し、神殿を清めたことを記念して行われるようになったものです。戦闘の間、神殿の小さなオイルランプの火が奇跡的に8日間消えずにいたことを讃えて、8日間かけてろうそくをひとつひとつ灯し、油を使った料理(アシュケナージはポテトパンケーキ、スファラディはドーナツやフリッター)を食べ、子供達は「素晴らしい奇跡がそこで起こった」とヘブライ語で書かれたドレイデルという四角い独楽(こま)で遊び、プレゼントももらえます。
アーダルの月の14、15日はくじ祭り(プリム)で、諸書のエステル記に起源があります。ペルシア帝国の皇帝アハシュエロスの大臣ハマンが、自分に敬意を払わないユダヤ人のモルデカイに腹を立て、国中のユダヤ人を皆殺しにしようと目論みますが、王の妃でモルデカイの養女エステルがその禁止を皇帝に訴えてユダヤ人を救い、逆にハマンとその子供など多くの敵を倒した、という話ですが、これは歴史的事実ではなく、エステル記自体が物語だと考えられています。
くじ祭りの名は、ハマンが計画実行の日をプルというくじ(プリムは複数形)を投げて、アーダルの月の13日に決めたことからつきました。この日シナゴーグでは、メギッラーという巻物に書かれたエステル記が読み上げられ、貧しい人々への施しや友人、知人、隣人たちとの食べ物や飲み物の交換、ダンスや仮装など楽しい催しもあるそうで、子供達が心待ちにするお祭りの一つだそうです。
■過ぎ越しの祭(ペサハ)
ニサンの月の14日から21日(イスラエル以外では22日まで)が過ぎ越しの祭(ペサハ)で、これも出エジプト記に起源をもちます。エジプトで奴隷のように扱われていた頃、神がモーセとその兄アロンに子羊一頭を殺し、その血を同胞の家の入り口の二本の柱と鴨居に塗って目印にするよう命じていいます。
「その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との総ての初子(ういご)を討ち、またエジプトの総ての神々とに審判を行うであろう。私は主である。その血はあなた方のおる家々で、あなた方のために印となり、私はその血を見て、あなた方のところを過ぎ越すであろう。私がエジプトの国を撃つ時、災いが臨んで、あなた方を滅ぼすことはないであろう。」
この祭りの2日目からは種入れぬパンの祭りとも呼ばれ、
急いでエジプトを離れた先祖がパンに種(イースト)を入れる暇もなかった苦労を忍ぶ意味でマッツァーという種なしパン、奴隷の生活を象徴するマーロールという苦い草(ロメインレタス、パセリ、セロリの葉、ホースラディッシュの根など)を生のまま添え、
更に涙の象徴の塩水に漬けたセロリやゆでたジャガイモなどをカルパスと呼び、奴隷としてピラミッド建設などに携わったことの証しとしてモルタルに似せた砕いたナッツ、おろした林檎にシナモンと蜂蜜を混ぜたハロセットを加え、
ゼロアーと呼ぶ焼いた子羊や山羊、鳥の手羽、神殿の犠牲の象徴であるベイツァーと呼ぶ硬ゆで卵、といった中から6つを磁器や銀の皿に盛り、4杯のワインとともに食されます。
マーロール、ゼロアー、ハロセット、ホースラディッシュをおろしたもう一つのマーロール、カルパス(ここではセロリの茎)、ベイツァー
セデルでは3枚重ねたうちの2枚目を割り、アフィコマン(ギリシア語でデザートの意味するエピコメン、エピコミオンからきた)といって別にとっておき、食事の後に食べる
これは単なる会食ではなくキドゥーシュという祈祷に始まり、ヘレルという祈祷で終わる祭りの最初の夜の儀式でセデルと呼ばれ、食べる順番も決まっていて、4杯のワインもその進行に従って飲まれます。子供達にも大切な役割があり、なぜ今夜は特別なの? といった4つの決まった質問を決まった言い回しで発し、セデルの主催者がハガダーの出エジプトに関する箇所を引用しながら答えます。こうして次の世代に先祖の苦労と遺徳を教え込み、普段の日常がいかに恵まれているか気づかせるのです。
ペサハはユダヤの祭りでも最も古く、最も盛大に祝うもので、前の日からハメイズと呼ぶ種入りのパンなどを燃やしたり、発酵を止めたりして準備し、祭りの期間中食べるのはもちろん、自分の所有地に種入りパンを持ち込むのさえ控え、イーストのついた器具を封印します。
イヤルの月の18日はラグ・バ・オーメルというお祭りで、オーメルは麦の束、ラグは33という意味で、過ぎ越しの祭から33日目に行われます。13世紀に始まった比較的新しいお祭りで、盛大なたき火で祝います。
いわれは、バル・コクバの最初の勝利の祝いとも、ラビ・アキヴァの弟子が疫病で24000人もの犠牲者を出した後、猖獗(しょうけつ)が収まったことの祝いとも言われています。
シヴァンの月の6日は7週祭(シャヴオート)、五旬祭(ペンテコステ)とも言われるお祭りで、出エジプトから7週目(50日目)にモーセがシナイ山で十戒を授けられたことを祝います。これはその年の最初に収穫した果物を神殿に捧げる日でもありました。
古代では、農民が金や銀の籠に盛った初物の葡萄、イチジク、ザクロなどの果物を、角に金メッキして花やレースで飾り立てた牛の背中に乗せてエルサレム目指して歩き、楽隊の音楽と一緒に華やかなパレードをしながら神殿につくと、収穫を奉納して祝いました。
この時期は大麦の季節の始まりと小麦の季節の終わりが重なるので、参加者に2斤のパンが振る舞われたといいます。
現在は、家やシナゴーグを花や緑の葉が沢山ついた木の枝で飾り付け、朝からシナゴーグに集まって神を讃える詩を朗読し、諸書のルツ記を読み上げ、家ではチーズケーキやチーズ入りのパンケーキやサモサなどのスナックを食べ、夜はシナゴーグに戻って徹夜でトーラーを勉強します。そのため、前の晩は普段より早く休みます。この徹夜の勉強は16世紀から続く習慣だそうです。
花や緑で飾るのは、ミドラーシュというタナハの注釈書の中で、律法が授けられようとする時、シナイ山の頂上が突然花や緑で覆われた、と書かれていることに由来するとも、生後3ヶ月のモーセを乗せた籠が、ナイル川のパピルスの茂る岸辺に着いたことに由来するともいいます。
最後はアーヴの月の9日という祭りの日付がそのまま名前になった、ティシュア・ベ・アーヴです。これは第一神殿と第二神殿が同じ日に破壊された、との伝承からきたお祭りです。またモーセに率いられたユダヤ人達が約束の地カナンに偵察隊を潜り込ませたところ、カナンは豊穣が約束された土地だが軍隊が強く攻略困難だ、との報告にみんなが動揺して統率が乱れたために神に罰せられカナンに入れなくなった日とも言われています。さらに135年にバル・コクバの反乱軍がこもった最後の砦、ベータールが落ちた日、ともされています。同じ日にエルサレムでは神殿とその周りの土地が、ローマの指令官ルフスによって平らにならされてしまったとも言われます。
この日は25時間断食し、入浴や洗濯を控え、クリームやオイルを身体に塗るのも禁じられ、靴(特に皮靴)もはかず、夫婦は禁欲します。この日に限ってトーラーの勉強も、いくつかの部分を除いて許されていません。それはこの日は精神的な喜びにつながることも控えるべき、と考えるからです。この日読むことが出来るのは、哀歌、ヨブ記、エレミア書の一部などで、床の上や低いストゥールに座って読みます。仕事はできるだけ休み、挨拶や贈り物のやり取りも慎み、電気も消すか暗くして、睡眠も床の上に枕もなしで普段より短い時間で我慢します。
第一神殿が2日間燃え続けたことから、断食が終わった後も肉やワインを控え、入浴や洗濯、散髪や音楽を聴くのも善しとされません。シナゴーグではキノットと呼ばれる詩が詠唱されますが、これは神殿の崩壊はもちろんのこと、ホロコーストなどこれまで民族が経験した様々な悲劇を嘆いたものですが、スファラディはヨブ記を読むことになっています。
仮庵の祭、過ぎ越しの祭とシャヴオートはユダヤの3大巡礼祭りとされ、特に大事なものです。
彼らは2千年、3千年前の祖先の記憶を忘れないために、戦時においても出来るだけこれらの祭りを続けようと努力してきました。
その情熱と意思の固さは我々日本人にはやや常軌を逸しているようにも見え、理解し難い部分もありますが、
彼らはこうした儀礼を実行するからこそユダヤ人なのであって、どこにいても、見た目が違っていても、文化によって同胞としてつながっている、と考えているのでしょう。
バル・ミツヴァーでの様子 右の男性の額にあるのがテフィリン、トーラーを読み上げている男の子の腕と頭にもテフリンのひもが見え、後頭部に被ってるのがキッパという帽子
儀式の後は家族、友人、隣人などを招いてのパーティーとなりますが、近年はホテルの大広間などを借りて大々的に行われることもよくあり、百人単位の招待客があることも珍しくないようです。ユダヤ教に関する本や文房具、ギフト券や学資保険、現金などのプレゼントが用意され、その数や金額の合計は縁起の良いとされる18の倍数になるようにします。またタリットも、この日から初めて身に付けるようになるので、頻繁に贈られます。女の子にはアクセサリーもプレゼントされますが、女性にとって特に名誉とされる蝋燭に灯をともす役目に就くようになることから、蝋燭のプレゼントもしばしば見られます。
バル(バト)・ミツヴァーについてはトーラーには記述がなく、14世紀まではこの用語が使われた形跡はないようです。ただタルムードでは男の子は13歳になるとその誓いは拘束力を持つとされ、中世も末期になって行われるようになったと考えられています。
参考文献 
「ユダヤ人」 上田和夫 著 講談社現代新書
「ユダヤ古代誌 1」 フラフィウス・ヨセフス 著 ちくま学芸文庫
参考資料 Wikipedia 「ユダヤ暦」「ヨム・キプル」「仮庵の祭り」「過越」「シャブオット」
「ラグ・バオメル」「ティシュアー・ベ=アーブ」「仮庵の祭(英語)」「過越(英語)」
「ハヌカー(英語)「シャブオット(英語)」「ラグ・バオメル(英語)」
「ティシュアー・ベ=アーブ(英語)」その他
図版   Wikipedia 「仮庵の祭(英語)」
「過越(英語)」「シャブオット(英語)」

Rain On Green
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神のキングダムのブログ
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ユダヤ教の暦と祭祀
2014/8/22(金) 午前 6:44
歴史のための基礎知識 ブログバトン
■ユダヤ教の暦と祭祀
ここではユダヤ教の暦と主な祭祀について書いていきます。
その前に、まずユダヤ暦と西暦との対照表を記しておきます。
ティシュレ(エタニム)       9〜10月
ヘシュヴァン(ブル)        10〜11月
キスレヴ              11〜12月
テヴェット             12〜1月
シュヴァット            T〜2月
アーダル              2〜3月
ニサン(アビブ)          3〜4月
イヤル(ジブ)           4〜5月
シヴァン              5〜6月
タンムズ              6〜7月
アーヴ               7〜8月
エルール              8〜9月
かっこの中の別名はバビロニア暦の影響を受ける前の名前で、タナハの中で未だに使われているので併記しました。
秋に新年が始まるのは、元々政治歴という古代ユダ王国で使われていた暦で、現在のイスラエルでもこの歴が採用されています。
もうひとつバビロニア、ペルシアなどオリエントで広く見られた春分に新年が始まる宗教歴と併用されていました。
これらはいずれも太陰暦ですから、4年に一度閏月(うるうづき)がアーダルの月の後に挿入されます。

Rain On Green
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ユダヤの暦と祝祭日
2013/7/31(水) 午後 5:46

世界で共通に使われている年号は、西暦です。
実はこれはキリスト教徒のものです。
西暦を略してAD××年などといいますが、Anno Domini(「アノ・ドミニ」主の年に)の略号ですから、
明らかにキリストの生誕日からの計算の意味です。
ユダヤ教徒は使いません。使わざるを得ない場合も、CE(Common Era「コモン・イアラ」共通暦)の何年という言い方をします。
紀元前も西暦では、BC(Before Christ)ですが、ユダヤ人はBCE(Before Common Era)といった略号を使います。
ユダヤ暦の年は、西暦に3760年を足した年数に等しいですが、これはラビたちが聖書に基づいて天地創造から計算したという年数を採用したものです。日本人は、戦前には神武紀元(皇紀)を用いていましたが、神話に基づいていて、科学的でないという非難がありました。ユダヤ人の場合、堂々と神話に基づく天地創造、あるいはアダムの時代からの年号を、民族としてまたイスラエル国家として採用しているのは、興味深いと思われます。
ユダヤ暦の新年は、西暦では9月から始まります。
そのわけは後でお話しします。暦の単位である「月」は、聖書では、新月から次の新月までの29日か30日の時間を1カ月とする太陰暦です。
地球が太陽を1周する時間を1年とするのが太陽暦ですが、太陰暦12カ月は、太陽暦との間に約11日間の誤差が出てきます。
春の月がいつの間にか季節を外れてしまい、大変不都合をきたします。
それで、それをうまく調節する工夫が考案されて、ユダヤ暦が出来上がりました。
タルムード時代に作られたものが基本的に現在でもユダヤ教で用いられ、イスラエル国も公式にはこの暦で行事が執り行なわれています。
具体的には、太陽暦とのバランスは、19年に7回閏年を設けて、閏年は1年13カ月として調節されます。
つまり、閏月を加えるわけです。それで、大体春の祭り、過越しの祭り(ペサハ)は西暦の3月か4月に来ることになりました。
キリスト教徒のお祭り、例えば、復活節(イースター)は実は、ユダヤ暦のペサハの日なのですが、4世紀ごろ、キリスト教の宗教会議でユダヤ人の暦を使うのは沽券にかかわるというわけで、計算式をつくってその日(ほとんど同じ日)を決めることにしたそうです。実質的には、教会の大事な行事の幾つかもユダヤ暦に沿っています。
それでは、イスラエルでは西暦は通用しないのかと言うと、もちろん、そんなことはありません。
国際時代ですから、2008年セプテンバー(9月)何日と言います。
と同時に、イスラエルの英字新聞でも日付が5769年エルール月の何日と併記されています。
しかも、イスラム暦の日付も載っているのも面白いですね。
ただし、国の公式行事はユダヤ暦でします。
1948年5月14日にイスラエルは独立しましたが、その日はユダヤ暦でイヤールの月5日でした。
このように独立記念日などは毎年、西暦によれば異なった日付になります。
日常生活では通常西暦で通しています。現代ヘブライ語の月の名前は、英語の月名の翻訳に近いですね。
一般市民の間では「今日はアヴの15日です」という言い方はしません。ヤヌアル(1月)、フェブルアル(2月)などと呼んでいます。
■祭りの種類
ユダヤ人が今も歴史と伝統を大事に守っているのが、1年間の祝祭日の行事からもうかがえます。
行事が多様ですので、まずざっと総括的にお話しして、次にそれぞれを各章に分けて説明しましょう。
大きくは3つに分類されます。第1のグループは、旧約聖書に守るべく規定されているもの。第2のグループは、旧約聖書に記された出来事、または古代の民族史に由来するもの。第3のグループは、近代の歴史の出来事に由来する記念日。
第1グループには、聖書に3大祭りとして記されているお祭りがあります。もともと遊牧民だったユダヤ民族ですが、カナンの地といわれたパレスチナに定住して農業を生活の糧にした時代が長く続きました。農業や自然と関連して生まれた祭りで、季節の節目に祝われたものです。
春の過越し祭(ペサハ)、夏の七週の祭り(シャブオット)、秋の仮庵の祭り(スコット)がそれです。これらの祭りの日には、「年に3度、男子はすべて、主なる神の御前に出ねばならない」(出エジプト記23:17)と定められていますので、3大巡礼祭とも呼ばれています。これは、エルサレム神殿への巡礼のおきてになりますが、実際にすべての人が実行したわけではないようです。
その他、新年と贖罪日(ヨム・キプール)が第1グループにあたります。もっとも厳粛な、宗教的な祝祭日です。このグループは、安息日と同様に労働を禁じられた日で、「聖日」として扱われます。
第2グループは聖書に祭りとして守るように規定されていませんが、長い年月を経てユダヤ民族の伝統の中に生きているものです。モーセの律法とは関係がありませんし、また会社や銀行、官庁が休みにもなりません。いわば、半分聖なる日です。そのような祝日を「小さな祝祭日」と呼んだりします。
小さな祝祭日というとき、通常、ハヌカ、プリム、ティシャ・ベアヴ(神殿崩壊日)という祭日あるいは記念日のことを指します。さらに、ローシュ・ホデシュ(毎月の1日、ユダヤ暦で新月の日に当たる)、ラグ・バオメル(オメルの33日)、トゥ・ビ・シュバット(樹木の新年)などを含めることもあります。
第3グループには、ホロコースト記念日、イスラエル独立記念日、戦没者追悼日、エルサレムの日などがあります。ユダヤ人全体の記念日というより、イスラエル国内の行事です。しかし、世界各地のユダヤ人が全く無関心というわけでもありません。

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■新年「ローシュ・ハシャナ」
新年のことを、ヘブライ語で「ローシュ・ハシャナ」(年の頭の意)といいます。
以下ではローシュ・ハシャナと呼びます。
旧約聖書のレビ記23章には、神からモーセが命じられた祝祭日の一覧が載っています。
実はレビ記のその箇所には、新年という言葉で出てきません。
何と言っているかというと、
「第7の月1日をあなたの安息の日とし、角笛(ショファール)を吹き鳴らして記念する聖なる集会の日としなさい」
とあります。
この第7の月1日がいま、ローシュ・ハシャナとして祝われる日です。
週の7日目が安息日で聖なる日であるように、月の第7番目は1年のうちで聖なる月だとされるわけです。同様に、年についても7年目は安息年であり聖なる年と見なされます。
ここで、聖書に言う第1の月は過越し祭のあるニサンの月で、4月頃に当たります。
上掲の表にあるユダヤ暦の月の名称は、聖書時代以後、バビロン捕囚の間に現地から借用したものです。
第7の月は、ティシュレーといいます。
レビ記23章には、「第7の月の10日は贖罪日である」とあります。
ローシュ・ハシャナから10日目に贖罪日(ヨム・キプール)が来ます。
聖書には、1日と10日を特に結び付けていませんが、ユダヤ教では暦のうえで、この10日間を特別な日々と見なしてこの期間を一体に考えています。そして「畏れの日々(ヤミーム・ノライーム)」とか「裁きの日」とか言われます。
この祝祭日は、他の祭日と違って、歴史の出来事や農業の祭日とは関係のないのが特徴です。例えば、過越し祭(ぺサハ)は、出エジプトの出来事を記念しますし、また春の祭りとして大麦の収穫を祝います。秋の仮庵の祭り(スコット)は、出エジプトの荒野の天幕生活をしのび、また収穫感謝の歓喜の祭りでもあるわけです。ところが、新年から始まる10日間は、自己を点検して内省し、神の前に悔い改めの時を過ごすという、純粋に宗教的な祝祭日なのです。
■贖罪日「ヨム・キプール」
ユダヤ新年の後、10日目に来る贖罪日(ヨム・キプール)は、10日間の悔い改めの期間の最後を締めくくる、ユダヤ人にとってもっとも聖なる日です。常日頃はシナゴーグに行ったこともない人も、仕事を休み、シナゴーグに祈りに行ったり、家で静かに過ごします。イスラエルでは日本の元旦以上にあらゆる公の活動は停止します。バスも空港も休日です。旅行者はご注意のほどを。
この祭日は、旧約聖書に由来しますが、民数記19:7に「その7月の10日に聖会を開き、かつあなたがたの身を悩まさなければならない」とある箇所の「身を悩ます」は断食を意味すると、ユダヤ教の伝承は解釈しているのです。
そのほかに、「身を悩ます」はレビ記の16:29、23:27にも出てきます。この日には、24時間飲食を断つほか、夫婦の交わり、体を洗ったり、油を塗ったり、革靴を履いたりすることも控えます。
■仮庵の祭り「スコット」
ヨム・キプールに続いて、その5日後、仮庵の祭りがやって来ます。
ちょうど秋の収穫の季節にあたりますから、春の過越し祭(ペサハ)、七週の祭り(シャブオット)と並んで、農業祭の一面があります。イスラエルの民が農耕民となって、神の恵みを感謝したことに由来したのかもしれません。と同時に、ユダヤ人の祭りは必ず民族の歴史と結び付けられて祝われます。
仮庵の祭りは、ヘブライ語で「スコット」と言いますが、1週間続き、シェミニ・アツェレット、シムハット・トーラーなどの歓喜と愉悦に満ちたお祭りがやって来ます。
この祭りは農業祭が起源でしょうが、旧約聖書は次のように述べています。
「あなたがたは7日の間、仮庵に住まなければならない……これはわたしがイスラエルでの人々をエジプトの国から導き出したとき、かれらを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの子孫に知らせるためである。私はあなたがたの神、主である」(レビ記23:42-43)
仮庵のことをヘブライ語でスカー(その複数形がスコット)と言いますが、仮庵を建てるのは、約束の地に行く途中で荒野に40年間流浪したことを記憶するためだというわけです。
仮庵の祭りの名称については、出エジプト記の23:16では、「取り入れの祭り(ハグ・ハアシーフ)」と呼んでいます。
また、タルムードでは単に「祭り(ハグ)」と言えば、このスコットを指します。
こんな使い方が生まれたのは、スコットがもっとも楽しく、華やかに祝われたからなのかもしれません。
ミシュナーに次のような格言が載っています。「ベート・ハショエヴァの儀式を見たことのない者は、本当の歓喜というものを知らない」(スカー5:1)。このベート・ハショエヴァとは、スコットの2日目の夕べ、シロアムの池から汲んだ水をエルサレム神殿に運び、それを祭壇に注ぐ儀式のことです。スコットは乾季の終わる時期にあたるので、雨乞いの象徴でしょう。歌い、踊り、手に手にたいまつを持って進む行列は、さぞ見事なものだったと想像されます。
新約聖書(ヨハネ7:38)に、イエス・キリストが、仮庵の祭りに「私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と叫んだとあります。このイエスの言葉は、神殿に水を注ぐベート・ハショエヴァの祭りを意識して、その儀式をよく知っているユダヤ人に語りかけたことが分かります。
スコットは、「巡礼の祭り」とも言われます。
ペサハやシャブオットも同様です。

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ユダヤ教の主な儀礼その1
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2014/8/27(水) 午前 7:37 歴史のための基礎知識 ブログバトン
ユダヤ教の主な儀礼その1
ここではユダヤ教徒が人生の節目に行う主な儀礼について書いていきます。
■安息日(シャバト)
まず取り上げるのは、安息日(シャバト)です。
これは創世記で、神が6日かけて世界を作った後7日目に休んだことに由来しますが、ここから現在世界中で使われるカレンダーが週で区切られ、特定の日を休みとする習慣が広まったのですが、元々の起源はバビロニアの暦にあり、かの地で7の倍数の日に祭祀が行われた名残です。現在もイスラエルでは一日の区切りは日没から次の日没までなので、正確には金曜の日没から安息日が始まります。
さて、よく誤解されるのは安息日とは「休んでいい日」というものですが、ユダヤ教においては「休まなくてはいけない日」であり、労働はもちろんのこと長距離の移動、火をおこすことなども禁じられており、金曜日の日没直前に蝋燭を点けたらそのまま点けっぱなしにしておかなくてはなりません。料理などの家事も労働と見なされるので、その前に丸一日分の食事を用意しなければならず、準備のための掃除や入浴などで金曜日の主婦はなかなか忙しいようです。現在のイスラエルでも、学校や職場は金曜は午前中までで、日没後は商店なども店を閉め、公共の交通機関も止まってしまいます。
この夜は夕食の前に2つの歌を歌います。
一つはこの日に現れる天使の訪れを歓迎する歌で、もう一つは一日働き通しだった主婦を讃える歌です。
それが済むとハラーと呼ぶヒモ状にした生地を6つ編みにして焼いたパンを祝福し、肉か魚、もしくは両方を食べます。
3回の食事を終える度にシナゴーグに盛装して出かけ、祈りを捧げます。
土曜の日没後、夜空に3つの星が見えると安息日は終わります。区切りを意味するハヴダラーという儀式で安息日の終わりと、新しい週の初めを祝います。一杯のワインと香りの良いスパイス、ねじったり編んだりした専用の蝋燭の灯りとともに祈祷を唱えます。
専用のカバーに入れられたハラーは必ず2斤用意するのが決まりとされる
■割礼(ブリット・ミラー)
ハヴダラーで使う蝋燭とスパイス入れ(左)、ワインのためのカップ
生後8日目の男子に施されるのが割礼(ブリット・ミラー)ですが、これはヘブライ名の命名式も兼ねていて、
家族、親戚、友人などを沢山招いた中で盛大に祝い、儀式が終わるとパーティーになります。
女の子はゼヴェド・ハバットあるいはシムハット・バットという命名式をしますが、これはごく内輪で祝います。
元々女の子の命名式についてはミシュナーにもタルムードにも明確な記述がなく、20世紀になって伝統の復活と男女同権への意識の高まりから行われるようになったものです。アシュケナージの間では、中世までは男の子も女の子も同じようにホレクレイシュという儀式で命名されましたが、ドイツ語圏では後述するようにユダヤ人の立場は非常に不安定でしたので、女の子の儀式はいつの間にか廃れて行ったと思われます。
割礼は、そもそもアブラハムと妻サラとの間に息子イサクが生まれようとする際、神との契約の証しとして施すよう命じられた行為です。
そのときアブラハムには、侍女ハガルとの間に13歳になるイシマエルという息子がいて、父アブラハムともども割礼をし、神との契約を守ります。
具体的には、包茎の治療と同じで男性器の包皮を環状に切り取るというもので、
トーラーでは父親の役目とされていますが、進んでやりたがる人がほとんどいないため、
一般にモヘルというラビか医師もしくは両方の資格を持ち割礼の訓練を受けた人が行います。
モヘルは元々男性しかなれませんでしたが、現在では正統派以外の宗派には女性のモヘルもいます。
儀式はシナゴーグか自宅で行い、クヴァター(女性ならクヴァテリン)と呼ばれる人が、両親から赤ちゃんを受け取り、モヘルのところへ連れてきます。これは名誉ある役目で、元は古いドイツ語でキリスト教の洗礼式の名付け親を意味するゲヴァッターがなまったともいわれています。招待された人々の見守る中、決まった道具で決まった手順により、麻酔も鎮静剤も使わず、儀式は簡単な説明の後にほんの数分で終わります。
現在割礼を受けたユダヤ人男性は信者全体の9割ほどだそうですが、日頃それほど信心深くない人も息子の割礼だけは行う傾向がある一方、異教徒との結婚で生まれた子にはしないことも多いようです。
割礼自体の起源ははっきりしませんが、ヘロドトスによればエジプトやエチオピアにも見られた習慣で、オリエントではそれほど珍しくなかったようです。理由としては、清潔に保つためともいわれますがそれほど説得力はありません。性病感染の予防には効果が認められるようですが、神への犠牲あるいは通過儀礼としての意味合いが強いようです。いずれにしても、この習慣はイスラム教徒にも受け継がれ、全世界の男性の3分のTが割礼を受けているといわれています。
男の子が13歳、女の子が12歳(改革派は13歳)になると、それぞれバル・ミツヴァー、バト・ミツヴァー(ヘブライ語でバルは息子、バトは娘の意)という成人式を行います。この儀式を経るとユダヤ社会では大人として認められ、それまで免除されていた断食を初めとする613の戒律(ミツヴァー)すべての順守、倫理観に基づいた生活習慣の実践、責任ある行動などが要求される一方、コミュニティの一員として儀式や礼拝への参加も正式に認められ、昔、つまり近代国家の一員としてそれぞれの国法に縛られる以前は、ユダヤ法(ハラハー)に基づいてユダヤ法廷で証人として証言すること、個人的な資産を持つこと、結婚の権利なども認められていました。
男の子達はこの年齢になるまでに、ヘデルという寺子屋のような学校でヘブライ語やトーラーに関する初等教育を受け、各儀式での祈祷の朗誦が出来るようになっていなければなりません。女の子への教育は近代までは重視されず、ヘデルに通うのはもっぱら男の子だけでしたし、シナゴーグでの儀式や礼拝に出席することもありませんが、結婚すると男性と隔てられた席での出席が出来るようになります。近代になると男女同権の意識により、保守派や正統派以外の宗派では女性が礼拝で祈祷文を朗誦することも出来るようになりました。
男の子は儀式のT〜3ヶ月前からテフィリンという律法の一節を書いた羊皮紙が入った小さな箱をひもで腕と頭に巻き付け、多くは13歳の誕生日から最初の安息日の日に、たまに月曜から木曜の朝の礼拝の際、タリットという儀式用の白いショールを羽織り、その週に読む分のトーラーの一節を読み上げ、儀式を進行し、トーラーの問題点についての議論を行ったりします。

Rain On Green
https://blogs.yahoo.co.jp/rintamom/19333432.html





参考文献
「ユダヤ人ゲットー」 大澤武男 著 講談社現代新書
「ユダヤ古代誌 1」 フラウィウス・ヨセフス 著 ちくま学芸文庫
参考資料 
Wikipedia 
「ユダヤ教」「ユダヤ暦」「バビロニア暦」「安息日」「割礼」「バル・ミツワー」「安息日(英語)」「割礼(英語)」「モヘル(英語)」「バル・ミツワー(英語)」
「バト・ミツワー(英語)」
図版   
Wikipedia 「ハラー(英語)」「ハヴダラー(英語)」「割礼(英語)」「バル・ミツワー(英語)」
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つこづく思うに,祇園祭はイスラエルの過ぎ越しの祭りに似ていますよね。
古代ユダヤ教(イスラエル10支族)と古神道(原日本人)の深い繋がりが見え隠れしていますね。
そして,ノアの一族が箱船で救われたのが,7月17日。
ヘリアカル・ライジング(シリウスと太陽が同時に東の空に昇る現象)が起こるのが,7月26日。
マヤ暦の新年の始まりも,7月26日。
さらに7月22日には,太陽系惑星による六芒星が描かれるという珍しい現象も起こります。
http://stat.ameba.jp/user_images/20130611/08/amezisto0214/88/ed/j/t02200192_0575050112571759704.jpg
7月26日にはポータルが開いて,宇宙から新たなるエネルギーが流入して覚醒が進む・・・
この流れは,もう誰にも止められない・・・まさに天の配剤ですね。
ちなみにヘリアカル・ライジングの「ヘリアカル(Heliacl)」は「太陽に近い」・「ライジング(Rising)」は「昇る」の意味で,シリウスのスピリットを受け継ぐ古代マヤ人たちが,ヘリアカル・ライジングという儀式をやっていたそうです。
太陽とシリウスが一緒に手を携えて昇ってくるさまは,天照大神(男神)と妻の瀬織津姫(縄文女神)が和合して,この時代に現れる象徴のようにも見えますね。
以下の記事が,とても面白くてためになりました。
『シリウス文明がやって来る』−「ヘリアカル・ライジングは,シリウス星系と繋がるための儀式」
http://mihoh.seesaa.net/article/157516022.html
八坂神社と茅の輪くぐり
http://ameblo.jp/kazue-fujiwara/entry-10289082202.html
平安京の災害と怨霊と祇園祭

プレシャンブルーの風に抱かれて
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「夏越の祓から祇園祭・ヘリアカル・ライジングへ」
2013/6/30(日) 午後 10:27
日記 幽霊,心霊
「アメジストの紫峰の輝き」さんから
「夏越の祓から祇園祭・ヘリアカル・ライジングへ」
今日6月30日は  夏越の祓(なつごしのはらえ)で,神社では「茅の輪くぐり」が行われ,一年の真ん中での穢れを祓い,禊(みそぎ)を行おうと,大勢の方が茅で作った大きな輪(茅の輪)をくぐります。
私も先日,初夏の海を楽しみながら,早々と江ノ島神社で済ませてきました。
http://stat.ameba.jp/user_images/20130630/15/amezisto0214/85/30/j/o0220025312593584471.jpg
この「茅の輪くぐり」の正式の仕方は
(1) 輪の正面に位置し
(2) 輪をくぐり,輪の左側を通って正面に戻る。
(3) 輪をくぐり,輪の右側を通って正面に戻る。
(4) 輪をくぐり,輪の左側を通って正面に戻る。
・・・で,くぐるときに次のような言葉を唱えます。
http://stat.ameba.jp/user_images/20130630/09/amezisto0214/3e/54/j/o0390029312593258281.jpg
(二回目の,右の輪を右回りにくぐるときに唱える言葉には,やはり「麻」が出てきますね!神聖なる植物です。)
左螺旋が男性性,右螺旋が女性性を表わし,∞は宇宙の創造エネルギーであり,DNAが右巻き螺旋だから,まさにこのくぐる図は,森羅万象の生成エネルギー構造を表わしているのでしょう。
禊(みそぎ)によりゼロポイントフィールドに戻り,新たなる創造のプロセスに上昇することを示しているようにも見えます。
本来の意味は,特にこの梅雨の時期から夏にかけては,天然痘などの疫病がはやることが多く,そういった「疫病除けに茅の輪が有効と考えられていた」といわれますが,それは表の意味で,実は・・・
大和朝廷が日本を統治するプロセスで,憤死させてしまった王族や公家の怨念がこもった霊は,平安京に災害をもたらす怨霊とみなされていたので,そのひとりとしての出雲族のスサノオの怨霊を鎮めるため。。。
あるいはスサノオの怨霊をもって,厄病神を鎮圧する=毒をもって毒を制する・・・という裏の意味があったのではないか?ということです。
スサノオの出雲族や縄文王族に思いを馳せながら,茅の輪をくぐるのもまたよいかもしれませんね。。
ちなみにそれ続いて,7月1日から1ヶ月間にわたって行われる京都の祇園祭も,これらの怨霊を安全な御霊に変えるべく行った宗教的儀式であるそうです。
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もう少し具体的に言えば,日本神話の最大の暴れ者であるスサノオノミコトに,災害をもたらす怨霊から平安京を守ってもらうと言う祭りです。
平安京の穢れ(ケガレ)を山鉾巡行で取り除いた後に
平安京外の国中神社(綾戸国中神社)にあるスサノオの荒魂と
平安京外の祇園社(八坂神社)にあるスサノオの和魂を祇園社で合体させ,
その合体によって復活したスサノオを平安京の御旅所へ神輿で運び,
一週間の間,怨霊からの厄祓(ヤクバライ)をします。
一般に祇園祭のメインと考えられている山鉾巡行は,実はスサノオを平安京に呼ぶにあたっての下準備なのです。
(平安京の災害と怨霊と祇園祭 より)
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さて,この茅の輪くぐりの,左→右→左の順番というのは,深い意味があるようです。
例えばこの左→右→左の順番の原型はあちこちに見られ
(1) 神社を参拝する前に左→右→左の順番に手を洗う。
(2) 清めの塩を左→右→左の順番にまく。
(3) 神職が大麻(おおぬさ)を左→右→左の順番に振る。
(4) 切麻(きりぬさ)を左→右→左の順番に体にかける。
これは
黄泉の国から逃げ出してきたイザナギが,水の中に入って,黄泉の国で身についた穢れを洗い流すときに
○左目を洗うと天照大神(あまてらすおおみかみ)が
○右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が
○鼻を洗うと建速須佐之男命(すさのおのみこと)が,それぞれ生まれた。
イザナギが,左目→右目→鼻の順番で洗ったことに由来するようです。
左→右→左の順番で茅の輪をくぐるのも,つまりはごく自然なお祓いの流儀です。
どうして「茅の輪」をくぐるのかということですが,次のような話に由来するそうです。
旅の途中,疫病神(やくびょうがみ)の牛頭天王(ごずてんのう)は,その土地に在住する兄弟に宿を乞うた。
このとき,リッチな弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は泊めてくれなかったが,貧乏な兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は泊めてくれた。
牛頭天王は,旅の帰りに再びこの地を訪れ,蘇民将来の一族に茅の輪をつけさせた上で,茅の輪をつけていない巨旦将来の一族を疫病で皆殺しにした。
そして牛頭天王は,今後も疫病神として現われることがあっても,蘇民将来の一族だけは助けると約束した。
牛頭天王は,インドの祇園精舎の守護神であり,牛の頭をした疫病神でもある。
その疫病神が,疫病を感染させるかどうかの判定に使ったのが,茅の輪だったということ。
この厄病神の牛頭天王を祀っているのが京都の八坂神社で,牛頭天王が暴れないようご機嫌をとるお祭りが,祇園祭なんだそうです。
祇園祭では「蘇民将来子孫也」(蘇民将来の子孫です)と書かれたお札が売られ,このお札を家の玄関に貼ると疫病にかからないそうです。
http://stat.ameba.jp/user_images/20130630/11/amezisto0214/f7/e9/j/t02200440_0300060012593348033.jpg
ちなみに京都で茅の輪くぐりが行われている神社は,スサノオの系譜と怨霊に関係する神社が中心となっているそうです。
つこづく思うに,祇園祭はイスラエルの過ぎ越しの祭りに似ていますよね。
古代ユダヤ教(イスラエル10支族)と古神道(原日本人)の深い繋がりが見え隠れしていますね。
そして,ノアの一族が箱船で救われたのが,7月17日。
ヘリアカル・ライジング(シリウスと太陽が同時に東の空に昇る現象)が起こるのが,7月26日。
マヤ暦の新年の始まりも,7月26日。
さらに7月22日には,太陽系惑星による六芒星が描かれるという珍しい現象も起こります。
http://stat.ameba.jp/user_images/20130611/08/amezisto0214/88/ed/j/t02200192_0575050112571759704.jpg
7月26日にはポータルが開いて,宇宙から新たなるエネルギーが流入して覚醒が進む・・・
この流れは,もう誰にも止められない・・・まさに天の配剤ですね。
ちなみにヘリアカル・ライジングの「ヘリアカル(Heliacl)」は「太陽に近い」・「ライジング(Rising)」は「昇る」の意味で,シリウスのスピリットを受け継ぐ古代マヤ人たちが,ヘリアカル・ライジングという儀式をやっていたそうです。
太陽とシリウスが一緒に手を携えて昇ってくるさまは,天照大神(男神)と妻の瀬織津姫(縄文女神)が和合して,この時代に現れる象徴のようにも見えますね。
以下の記事が,とても面白くてためになりました。
『シリウス文明がやって来る』−「ヘリアカル・ライジングは,シリウス星系と繋がるための儀式」
http://mihoh.seesaa.net/article/157516022.html
八坂神社と茅の輪くぐり
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平安京の災害と怨霊と祇園祭

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エフライム工房: 奈良・酒船石遺跡の暗号〜イスラエル民族の歴史年表としての酒船石,2029年の予言

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イスラエルの歴史としての酒船石
■前1292年出エジプト
東端の窪みと中央にはしる溝との交点
■前997〜998年ダビデがイスラエルの王となった
酒船石の頭部の内寸幅=630mm
頭部〜北側の凹みの長さ=245mm
北側の最初の枝分かれの長さ=120mm
630+245+120=995
(前997〜998年ダビデがイスラエルの王となった)
■前928年イスラエル分裂
酒船石の頭部の内寸幅=630mm
東端の窪み〜南側の溝の最初の長さ285mm
南側の溝の最初の凹みへの枝分かれの幅=80mm
1292-630-285-80=927
(前928年イスラエル分裂)
■前701年 エルサレム包囲
中央の溝の最初の長さ=590mm
1292-590=702
(前701年 エルサレム包囲)

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■前967年ソロモン王即位
東端の窪みと中央にはしる溝との交点
■前597年 第一回バビロン虜囚
東端の窪み〜南側の溝の最初の長さ285mm
南側の溝の最初の凹みへの枝分かれの幅=80mm
967-285-80=602
(前597年 第一回バビロン虜囚)
■前63年 ローマ・ポンペイウスの支配
東端の窪み〜南側の溝の最初の長さ285mm
南側の溝の最初の凹みへの枝分かれの幅=80mm
南側の2番目の溝の長さ540mm
967-285-80-540=62
(前63年 ローマの支配)

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『私だけの古代史・第一部 酒船石編』
■酒船石の時間軸の真相
「先生、ということは、エジプトには430年間もいなかったということですか?」
「石井さん、ソロモンは知恵で有名ですが、知恵ゆえに間違ったということもあるのです。確かに、出エジプト記を正しいものとすると、間違っているのは430年間という期間です。でも、歴代志上7章20には別の記録もあります。それは、ヨセフの子エフライムから、モーセの次の預言者ヨシュアまでの500年間の系統です。それによると、エフライムを含めて11代でヨシュアに至りますから一代平均は約45年になります。これでは、モーセまでの4代では180年ということになります。レビがエジプトに住み始めた頃は、コハテはすでに生まれていたので、実質は3代という計算になるのですね」
 私は少し考えてから質問した。
「では、レビからモーセまでの四代は明らかにおかしいということになりますね」
「そうです。でも、ソロモンはこれを正しいとして出エジプトの年を計算したのです」
「それはどうしてですか?」
「その理由は、古代イスラエルに独特の世界観にソロモンも従ったからではないでしょうか。バーバラ・スィーリングの『イエスのミステリー』には、エノク書に見出される世界史の最初の体系というものが紹介されています。難解な聖書学的な暦の算出法なのですが、この中に、世界年、世界週という490年単位の暦があります。天地創造から490年ごとに1週と数え、10週で最後の審判に至るとする考え方です。これによると、アブラハムから出エジプトまでが490年で、次のサイクルがソロモンの治世に遭遇するわけです。そこでソロモンは、工期が10年とする神殿建設の着工を480年目に置いたわけです。
 ところが、実際には480年ではなく、出エジプトから340年しか経っていなかったわけです。
まあ、490年サイクルの年表という考え方に無理があるのだから、ソロモンも確信犯的に年表を利用したというのが真相ではないでしょうか。
あるいは、ソロモンが、自分の統治時代に節目が来る暦を創作したとも考えられます。
いずれにしても、ソロモンは、神殿建設の正当な理由が欲しかったのだと思います。
何しろ、難事業は目に見えていましたからね。
イスラエルの民にとっての記念碑である出エジプト記念事業ならば、民意を得られると愚かにも判断したのでしょう」
「先生は、ソロモン神殿を評価していないわけですね」
「それは当然です。サムエル記7章によると、神自らが神殿は必要ないとソロモンの父ダビデに忠告しているほどですから。
ソロモンは、自分の誉れのために神殿を建てたかったのでしょう。
だから、神殿建設からイスラエルの崩壊が始まったのです。
さて、ソロモン神殿の時代には、モーセの兄であるアロンの子孫が祭司になっていました。
彼はアロンから14代目に当たりますから、一代平均は24歳くらいになります。
ここからも、レビからモーセへのエジプト時代の系図には疑問が出てくるわけです」
 先生は、レビからモーセまでの系図に疑問を投げかけているのだ。
でもこの材料からは、私でも、ソロモンのようにエジプト奴隷時代を短縮して考えるかもしれない。
ところが、先生はここでも、あっと驚くウルトラCを用意していたのだ。
「では、この系図は無意味なのでしょうか?僕も随分悩みましたが、聖書に無意味なことが書かれているわけがないと考えることにしたのです。
そこで、発想を転換し、文学的な解釈を試みたのです。
イスラエルの民は文学的な方法論(レトリック=修辞学)として、文の前後を鏡のように構成する交差配列法を用います。
これを先の系図に応用すると、次のようになります。
すなわち、レビ80歳、コハテ133歳、アムラム137歳、モーセ80歳。
これらの年齢を全部足すと430歳になります。分かりやすいように、書き出してみましょう」
  レビ137歳〜コハテ133歳〜アムラム137歳〜モーセ80歳
  レビ 80歳〜コハテ133歳⇔アムラム137歳〜モーセ80歳
  レビ 80歳〜コハテとアムラムを足した270歳〜モーセ80歳
「石井さん、もう分かりましたね。レビとアムラムが137歳だったのは、コハテを境に対称形に配置することにより、彼らの年齢を鏡のように見なさいというメッセージだったのです。ヤコブと共にエジプトへ来たときのレビの年齢が80歳位と気が付けば、エジプト王の前に立ったモーセの年齢と同じであることから、四代の年齢が鏡のように見えて来るのです。さらに、コハテとアムラムの年齢を足したものが切りの良い270歳になることから、生命(いのち)の樹のような中央と左右という構成になります。ここからは、430年という数字に行き着くのは簡単です」
「ということは、大事なのは系図ではなくて、430年という期間ということになりますか?」私は尋ねた。
「おそらく、出エジプト記の年齢表記の目的は、430年間という数字を忘れないようにするためにあったのだと思います。
年表の記憶術として、系図や年齢が使われたということですね。
でも、酒船石に関しては、出エジプトまでの暦を解き明かしたに過ぎません。
次は、頭部から出ている三本の溝について、聖書学的に説明が可能かどうか確かめてみましょう」
 私は、ソロモンや聖書学者が解き明かすことのできなかった年齢表記の謎を、先生が文学的な手法で解き明かすのに驚嘆した。そして、聖書の謎というのは、いたずらに虚実や真贋を追い求めたり、数字に振り回されては解く事ができないものと理解できた。先生が良く使う言葉である象徴というものを、ただの図形的な解釈においてのみ用いてはいけなかったのだ。象徴には文学的なものもあるし、それが鏡像のような手法を必要とする場合もある。レビからモーセへの系図は、わずかに完全な鏡像を構成しないが、それが、酒船石の左右(南北)がわずかに非対称な形であることに共通するように思える。もしかして、これもフラクタルなのかもしれない。
「さて、酒船石の頭部はエジプトという囲いを意味していました。
では、頭部から出ている三本の溝は何を意味するのでしょうか?
酒船石が時間軸を有している以上、この謎を解くには、出エジプト後のイスラエルの歴史を知らなくてはなりません。
そこで簡単ですが年表を用意してみました。
ただし、出エジプトまでは聖書学的な年代解釈ですが、イスラエル建国後は定説としての年代となります。
出エジプトが実際に紀元前何年のできごとかは分からないのです。
モーセとラムセス二世が兄弟として育てられたとする説にもおかしなところがあるし、ヨセフの年齢も二通り考えられるのです。
ですから、これからも聖書学的な年代解釈で謎解きをすることになるので、それを基本と心得てください。
またそれが、聖書の存在を尊重するスタンスなのです。では瞳ちゃん、いいですか」
「はーい」瞳は、プリントした年表を渡してくれた。↓参照
出エジプト後の古代イスラエルの年表 
前1292年 出エジプト
前1252年 カナンへ定住
前998年 ダビデ王となる
前967年 ソロモン王となる
前964年 ソロモン神殿の着工
前928年 イスラエルの分裂
前721年 北イスラエル王国の滅亡、アッシリアの虜囚となる
前701年 エルサレム、アッシリアに包囲される
前603年 七倍罰の始まり?
前597年 第一回バビロンの虜囚となる
前586年 第一神殿破壊、南ユダ王国の滅亡(第二回バビロンの虜囚)
前582年 第三回バビロンの虜囚
前538年 バビロンからの帰還
前515年 第二神殿完成
前445年 第三回目の帰還
前332年 アレクサンドロス大王の統治
前311年 エジプト・プトレマイオス王朝の支配
前198年 シリア・セレウコス朝の支配
前164年 マカベアのユダ、エルサレム奪還
前140年 ハスモン家による国家の復興
前63年 ローマ・ポンペイウスの支配
前37年 ヘロデ、エルサレム奪還、王国を確立
前7年 イエスの誕生
後33年 イエスの磔刑
後70年 エルサレムの陥落
後73年 マサダの悲劇
後135年 古代ユダヤ国家の滅亡
■イスラエルの暦の謎
聖書の年齢表記は問題が多く、ヨセフの年齢にしても異なる算出方法があります。
ヤコブのエジプト寄留も、ヨセフが呼んでからすぐと考えるか、ヨセフとの年齢差から算出するかで大分異なるのです。
僕は、ヤコブがエジプトに来た時の130歳を基準にし、ヨセフが生まれたのがヤコブが60歳頃と判断し、
イスラエル12部族の独自の年表を作成しました。
旧約聖書の物語としての側面からは、ヤコブはヨセフが若い宰相の時にエジプトへ来たとする方がタイムラグを感じさせないようです。
しかし、ヤコブがエジプトへ来たときが130歳ならば、ヨセフは老人に近い年齢であり、
孫のエフライムが後継ぎになっていてもおかしくないのです。
リアリストの僕は、物語性よりも年齢表記に託されたメッセージを読み取ろうとしました。
その結果、見過ごしてはならない様々なものが発見できたのです。 
1.南北朝分裂先生は年表を見ながら
「年表の数字については,研究者によって細部で違いますが,基本的にはこんなものでしょう」
と言った。私は年表をしばらく見つめていたが,前928年のイスラエルの分裂が酒船石に刻まれていないわけがないと思えた。
「先生、この年表で重要なのはイスラエルの分裂と滅亡ですよね」
「そうですね。イスラエルが南北朝に分裂し,その後,アッシリアやバビロンの虜囚となって滅亡に至ります」
「ということは,イスラエルの分裂と,酒船石の溝の枝分かれが関係しているわけですね?」
「では,それを確かめて見ましょうか。瞳ちゃん、今度は三本の溝の枝分かれと,それに続く凹みを,溝の数だけイラストにしてください」
「はーい,ちょっと待っててくださいね」
と言って,瞳はIllustrator(イラストレーター)を開いた。
「先生、今度はイラストレーターですか?」
「うん,今度の作業は,酒船石の図から必要な線を選択してトレースすることになるから,曲線の修正がしやすいイラストレーターがいいんだよね。
でも基本的に,作業手順の感覚を理解していない人のプログラムだと思う。
下絵の濃度を決める準備や,直線を引くだけならばPhoto studio 2000が使いやすい。
マニュアルを読まなくては操作できないツールは,絵を描く感覚からずれていると思う。
ポスター製作用のいろんなツールやフィルターよりも,トレースで線情報だけを取り込むとかの,基本的な機能を強化して欲しいね」
「先生は,読む前にいじくり回すタイプですからね」瞳がマウスを動かしながら口を挟んだ。
でも,日本画というのは、下絵の作成から始まり,トレース、墨入れ(線描の事),下塗り,などという手順を,色の重ねによる発色を計算しながら行うものである。だから、基本的には,試行錯誤を画面上で行うことには向いていない。色が濁ってしまうからだ。画像編集ソフトに付き物のレイヤーという機能は,アニメの原画のセルにたとえて解説されているが、実は日本画の製作過程は,十層以上の仮想レイヤーの上に成り立っているのである。だが,昨今の才能のない作家は,油絵のように岩絵の具を使って発色を台無しにしてしまっている。彼らには,コンピュータグラフィックスの訓練が必要なことだろう。それはともかくとして,先生のような仮想レイヤーの達人が画像編集ソフトの開発に加われば、そのソフトは格段に使い良くなるに違いない。
 瞳は悪戦苦闘しながらも,ようやく作業を終えた。
デッサンで,線を引くという基本的なことが一番難しいと教わったことがあったが、コンピュータグラフィックスとの比較で、本当に難しいということが実感される。もしかして,今の世代のコンピュータでは,先生の望むような機能は無理なのかもしれない。それほど,絵を描くという行為は,複雑で高度な脳の働きを必要としているのだろう。図−30参照
 図−30 酒船石のパーツ(左上A.全体図,左下B.南ユダ,C.北イスラエル、右D.中央の暦)
「では,図を見ながらイスラエルの歴史に沿うかどうか見て行きましょうか。
最初に,前928年のイスラエルの分裂が刻まれているかどうかでしたね」
「はい」
「酒船石の頭部がエジプトという囲いを表し,前1292年の出エジプトが,中央の溝との交点で示されていた。
ここで,頭部の形を良く見ると,楕円の片方(図では下側)が直線的になっている。
この理由を考えると、次のように推理できる。すなわち,三本の溝が接している部分は,基本的に同じであることを暗示すると。
この場合の同じは,時間軸としての同じ暦を意味する。
だから,三本の溝は,前1292年という同じ年を起点とする別々の暦を形成する。
石井さん,この考えで良いでしょうか」
「では瞳ちゃん,酒船石の南北の溝に,南ユダと北イスラエルの年表を書き込んで見ましょう。
寸法の1cmが暦の10年となる換算率です。
1mmが1年ですね」
「はい」
「最初は,前1292年の出エジプトを南北の起点に。
次は、それぞれの溝の最初の長さ285mmと245mmを。
次は、南側の溝の最初の凹みへの枝分かれの幅80mmを。
そうすると,南側は前927年と計算されます。
次は,北側の最初の枝分かれの長さの120mmを。
こちらも同じように前927年が凹みへの入り口となります。
実際のイスラエルの分裂は前928年ですが,酒船石の寸法では1mmの誤差なので、無視できるでしょう。
というか,僕が採寸したときは,このようなミリ単位の精度は必要ないと思っていたこともあるし,石の磨耗もひどいので,これで良しとしたいと思います。石井さん,どうでしょう」図−31参照
図−31 南北の溝のイスラエル分裂の暦
「はい,精度については無視できると思いますが,酒船石の南北の溝からの凹みが,南北へ分裂したイスラエルを表していたとは驚きです。
やはり凹みは,囲いを表していたのですね」
「そうなりますね。でもこの段階では,イスラエルの分裂に関しての説明ができたに過ぎません。
実際、この年表から先は,寸法を辿って行っても実際の歴史とは合致しないのです」
「先生、それでは,北イスラエルのアッシリアの虜囚とか,南ユダのバビロンの虜囚とかは,どうなってしまうのでしょう?」
2.アッシリアの虜囚
私は,イスラエルの分裂の暦を酒船石に発見できたのに,その先が説明できないとの先生の答えに戸惑った。
南北の溝と凹みの謎解きは,イスラエルの分裂という大きな節目を説明しただけで終わるのだろうか?
だが,先生の次の言葉で、私は酒船石の恐ろしいまでの奥深さに驚嘆したのである。
「石井さん、酒船石はフラクタルですよね。そのことを忘れてやいませんか?
フラクタルとは自己相似です。
だから,イスラエルの暦も,自己相似として展開されるのです。
一つの凹みが一つの囲いだけを意味するのではなく,別の時代の別の囲いを意味することができる。
それが象徴の極意であり,奥義なのです。
例えば,分裂後の北イスラエルの囲いを,エジプト時代の囲いとして見てみましょう。
すると,囲いから先は570cmの直線になっていますから,出エジプトから570年後を表します。
さてその年代はと言うと,前722年のアッシリアの虜囚ということになります。
さらに,酒船石の頭部から南北へ開く溝は57度でした。
一度を十年として換算すると,やはり570年が算出され出エジプトから570年後の前722年が現れます。
ここでも一年のずれはありますがね」
先生はニヤリと笑いながら,私の顔を覗き込んだ。
私は,もう一年のずれなどはどうでも良かった。
先生の謎解きの腕の冴えに,本当に感動していた。
酒船石に謎を刻み込んだ方も凄いが,その謎を解き明かす先生も本当に凄い。
私は窓を開けて,大きな声で凄いよーと言いたい気分だった。
だが,アッシリアに関しては,まだ続きがあったのだ。
図−32 
a.アッシリアの虜囚の暦 
b.ダビデ王の即位の暦 
c.ソロモン神殿の暦
「さて,アッシリアの虜囚は,イスラエル分裂に端を発しています。
では,イスラエルの分裂が起こった原因はというと,直接的にはソロモンの息子のレハベアムが父以上の重税を課したからとなります。
ソロモン治世の重税にあえいでいた民は,レハベアムに対抗してヤラベアムを立てて王としました。
これが北イスラエル王国の始まりです。
しかし,イスラエル分裂の種は,実はダビデの時代に蒔かれていたのです。というのも,ダビデは自分の出身部族であるユダ族を,徴税と徴兵から免除し,他部族の反感を買っていたからです。僕は,個人的にはダビデもソロモンも尊敬してはいませんが,彼ら程度でも王または預言者になれたのか,それとも古代の人の霊性はそれほどひどかったのか,正直理解に苦しむものです。
ともあれ,イスラエルの歴史の中で,ダビデとソロモンは抜きにして語ることはできません」
「ということは,酒船石にダビデもソロモンも刻まれているということですか?」
「それは,考え方次第ですね。
酒船石の頭部の内寸幅の630mmに,北側の凹みまでの245mmと120mmを足すと995mmとなります。
995という数字は,ダビデがイスラエルの王となった前997〜998年に極めて近いものです。
また,北側の凹みをアッシリアの囲いと見なすと,枝分かれの溝の幅70ミリが,虜囚期間の70年を意味すると捉えることができます。
この枝分かれの始まりを前721年の虜囚の年として,頭部の凹みまでを逆算すると,前966年のソロモン神殿の建設開始に至ります。
実際に何年だったかは,前965〜967年と定説が分かれていますから,ちょうど真中になります。
さあ,これらの数字を偶然と考えるべきでしょうか?」図−32−b〜c参照
先生の質問は,偶然かどうかではなく,偶然という摂理に対して向けられていた。
先生が偶然を神による必然と受け止めるのは目に見えている。
その上で,歴史的な出来事も,フラクタルとして展開されていることを暗示しているのである。
自己相似とは,科学的な性質だけではなく,歴史の繰り返しや,年表の数字に至るまで,ありとあらゆる物に及んでいる摂理なのだ。
偶然というのは,その摂理の一部分でしかなく,偶然性にとらわれていては摂理の本質を見失う。
「先生,問題は,偶然かどうかよりも,説明が可能かどうかですよね」
「そうですね。酒船石のパターンがフラクタルとして展開されている以上,そこには無限の事象が当てはまる可能性があります。
もしかして,瞳ちゃんの個人的予言が記されているかもしれないのです」
「先生,私の予言は,晩御飯は先生のおごりでお寿司です」
「あっ,やっぱりおぼえていた?」
「当たり前です!ドロミちゃんと言った口を呪うんですね」
「じゃ,回転寿司でいい?」
「おまけしておきましょ。じゃ,行きますか?」
瞳は私にお出かけを催促した。
そう言えば,今日は講義の時間が随分と長かった。
瞳も,イラストレーターで疲れたのだろう。続きは晩御飯を食べてからがんばろう。

エフライム工房
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■前967年ソロモン王即位
東端の窪みと中央にはしる溝との交点
■前603年七倍罰のはじまり
東端の窪み〜南側の溝の最初の長さ285mm
南側の溝の最初の凹みへの枝分かれの幅=80mm
967-285-80=602
(前603年七倍罰のはじまり)
■1917年エルサレム解放
-603+360x7=-603+2520=1917
■(2029年ハルマゲドン)
中央の楕円1380mm
中央西端の長い直線1350mm
1350+678=2028

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■酒船石の預言
4.七倍罰
「ということは,前701年,前597年,前5年,前582年,前538年を酒船石に見つければ良いのですね」
「そういうことになりますね。確認してみましょう。瞳ちゃん,中央の溝の暦を出してください」
「はーい,酒船石の首のところですね」
瞳が先生の指示通りに出した暦は,エルサレム包囲が,出エジプトから590年後の前702年になっていた。
やはりここでも一年の誤差だが,きわめて正確である。
でもどうして,南ユダの象徴である南の溝と凹みではなくて,中央の溝と凹みなのだろう?
私の疑問を確かめるかのように時間を置いてから,先生は質問した。
「さて,この暦を見て,何か疑問に思いませんか?」
「それは,南ユダの暦なのに,どうして中央の溝なのかということですか?」
「それもありますが,もう少し基本的なことです。でも,南ユダの暦を見ながら考えたほうが良いかもしれませんね。
瞳ちゃん,今度は南ユダの暦を出して下さい」
「先生,七倍罰の方ですね?」瞳は,返事を待たずに次の図−34↓を出した。
「先生,この暦にはバビロンの虜囚が載っていますね。
しかも,バビロンにたとえられるローマも次の囲いに予定されています。
それに興味深いのは,ソロモンが王位に就いたのは前967年だから一年ずれていますが,この暦では,ソロモンからイスラエルの悲劇が始まったと見ることができます。とても暗示的です。でも,前603年の七倍罰の始まりとは何ですか?」先生は,一つ頷(うなず)いてから言葉を切り出した。
「石井さん,七倍罰というのは『レビ記26章』にある預言です。
イスラエルの民が神に背いた場合,民の罰を七倍重くするというものです。
この場合,七倍という概念が問題とされますが,聖書学上は,一日を一年とする計算で七年とされています。
だから,一年が360日の暦では,七倍の2520日が罰の期間となり,一日が一年なので2520年間が七倍罰の期間となります」
 先生はそこで言葉を切った。私に考えろと促(うなが)しているのだ。
前603年からの七倍罰は,2520年を足せばよいから,終わりは1917年。
もしかして1948年のイスラエル建国につながるエルサレム解放の年?
「先生,この暦には,未来が含まれているのですか?
もしも未来が含まれているとすると,七倍罰の終わりは1917年のエルサレム解放の年となります。
ということは,酒船石は預言を刻んだ神聖なオブジェということになります!」
 私は,事の重大さに初めて気がついた。
今までは,酒船石や益田岩船は,聖書の民が残した,神を証しする石造物くらいにしか思っていなかったからだ。
それが,未来を預言するともなれば,その存在意義は途方もないものになる。
私は,これ以上知ってよいものだろうか?
 その時,私は,怖れと驚きと興奮が交差した中で,一瞬のうちに理解した。
先生が南ユダの暦を中央の溝で示した訳を。それは,前701年のエルサレムの包囲から起算すると,中央の長楕円の凹みと,それに続く溝との長さを加えれば,2700年も先の世界,すなわち七倍罰の終わった時代を指し示すのではないかと。そして,その時代とは,概算でも西暦2000年となる。まさに,リアルタイムで私はその渦中にある。
 私が呆然としていると,瞳が「だから,私の個人的な予言が刻まれてると言ったでしょう」と笑いながら囁(ささや)いた。なるほど,ちゃんと伏線が張られていたのか。あの時は冗談かと思って気にも留めなかったが。うーん,なんかくやしい。自分だけが分かっていなかったなんて!そう思ったら,猛然と知りたい気分になってきた。「先生,もう驚かないから,何でも教えてください」
「では,中央の凹みの残りの部分について,暦として見てみましょう。
長楕円の始まりが前702年でしたから,138pの楕円の終わりは,単純計算で1380年後の西暦678年となります。
でも,紀元前ゼロ年は西暦元年ですから,マイナス1年,ゼロ年,プラス1年ではなく,マイナス1年,プラス1年という一足飛びの計算になります。従って,先の計算に1年足した西暦679年が正しい暦となります。
次に,長楕円の終わりから135pの長い直線の終わりまでを計算すると,679年プラス1350年で西暦2029年となります。
石井さんも瞳ちゃんも生きて迎える時ですが,この年に何が起こるのでしょう」
私は,とっさにハルマゲドンという言葉を思い出した。
世界最終戦争の舞台と言われるメギドの平原。
そこに立つ不気味な予言の言葉を書いた看板。
それが,西暦2029年に始まるのではないか。
酒船石に,ハルマゲドンの開始時期のメッセージが込められていたのだとしたら,余りに救いがない。
私は,絶望するために講義を聴きに来ていたのだろうか。
いいや,そんなはずはない。先生も瞳も,絶望の淵には立ってはいないからだ。
 先生はかって絶望の淵にいたという。でもそれは,私の絶望とは異質の,聴く耳を持たざる者たちへの諦めなのだ。
今の先生は,瞳によって救われている。
とすれば,先生は,決して絶望を教えるために講義してはいないことになる。
ならば,酒船石の暦の終点はハルマゲドンではないのだろうか。
先生は,そんな私の表情を知りながら,あえて無視するように言葉を続けた。
「酒船石が聖書の預言を刻んだものだとしても,単純に末の日を指し示しているのではありません。
1センチを10年に換算するとしても,聖書の知識無しに暦を再構成することは不可能なのです。
でもその知識は,読んだだけでは得ることができません。
というのも,聖書の預言の性質上,象徴を読み解く必要性がありますが,それは技術ではなく,直感あるいは神の霊によってもたらされるものだからです。ですから,コンピューターで酒船石の寸法を解析しても,一番大事な部分は解読不可能ということになります。
同じ事は,人間による解読作業にも言えます。
数学のあらゆる方程式や古代尺を暗記して計算する能力がある人でも,古代尺の本質を見極める目がなくては,酒船石にアプローチすることは不可能なのです。
だから,ここから先は,ある意味で非論理的な作業でアプローチすることになります。
とは言っても,非論理的に書かれた聖書にチャレンジするわけですから,聖書を書いた人と同じスタンスに立つということなのです。
預言者と同じスタンスに立つのですから,多くの人には畏れ多いとか傲慢と映るかもしれません。
でもそれは間違いです。
なぜならば,神は預言者を,地位としてや,社会的な規範として備えたのではないからです。
モーセは,神の召しを辞退しようとしました。でも,できませんでした。
神はふさわしくない人は召さないし,試練も与えないからです。
もしも,酒船石の謎に迫る資格がないと神が判断するのなら,僕には何も解明できなかったでしょう。
怖れはいりません。
必要なのは,真理を受け入れる心の強さと純粋さだけなのですから」
先生はそう語って,私に,真理を受け入れるための心の準備をするように時間を作った。
酒船石の最後の謎は,覚悟を必要とするだけの内容なのだろうか。
私は,すでに覚悟はできていたつもりだった。
でも,あらためて心の準備をしたい気持ちになってきた。
先生がすべてを賭して解明した謎を,私は全身全霊で受け止めたいのだ。
それは,近未来に自分が体験する聖書の奥義なのかもしれない。
第11章 終わり
検索で訪れた方へ。このページはエフライム工房の『私だけの古代史』第一部・酒船石編です。
他の章へはトップページから入り直して下さい。全部で12章あります。
また,引き続き第二部のエジプト編もご覧下さい。

エフライム工房
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エフライム工房: 奈良・酒船石遺跡の暗号〜ゲマトリア数秘術,ダニエル書黙示録

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『私だけの古代史 酒船石編』
第12章 イエスの再臨
1. ダニエル書
私だけの古代史も最後を迎えた。
酒船石と言う奇妙な石造物の謎が、今日、完全に明かされるのだ。
酒船石は、実に多くのファクターから成り立っている。
従って、それだけ多くのアプローチを可能にしているのだが、それが酒船石が謎に満ちている所以である。
けれど、謎解きの正解は一つしかない。酒船石に対して多くのアプローチは可能だが、それらが単独では謎解きの鍵とはならないのだ。
さらに、謎が封印されていたということから、そこに、この謎解きの難しさが理解されるだろう。
一人先生にのみ、酒船石の謎解きは可能だった。その理由は、先生には総合する能力があることと、封印を解く鍵を手にする資格があったということになる。その資格とは何かと言うと、自分が導かれていると素直に感じる心である。だから、先生は、本やテレビからのちょっとした情報を、自分のために備えられたヒントとして掘り下げ、深く追求する。その時の集中力は、凡人には絶対に真似のできない凄(すさ)まじさである。
さて、今日の講義は七倍罰の詳細ということで、『ダニエル書』に書かれている数字の謎に迫ることになる。
『ダニエル書』というのは、新バビロニア王国のネブカデネザル2世に仕えた、ユダ族の虜囚ダニエルのエピソードを綴ったものである。
第一章から第六章までのエピソードは、ダニエルがいかに神の霊と共にあったかを記している。
ダニエルはベルテシャザルと呼ばれ、ネブカデネザルの息子ベルシャザル王にも仕えたが、いずれも博士の長として、国の第三の司としての地位に挙げられた。新バビロニア王国がダニエルの預言のようにペルシャとメデアに分裂すると、ダニエルはメデア王のダリヨスに仕え、120人の総督の上に立つ3人の総監の一人に数えられた。ダニエルは事実上の長官として王の信任を得たが、他の総監や総督の謀(はかりごと)によって、無実の罪で獅子の穴に投げ入れられた。しかし、獅子はダニエルを害さなかったので、逆にダニエルを訴えた者たちが妻子と共に獅子の穴に投げ入れられた。
 このようなエピソードの後に、第七章からダニエルの見た幻が語られるのである。
幻は、後の時代に起こる国の興亡とエルサレムの荒廃が、さまざまな象徴によって示されたものである。
しかし、象徴によって示されたはずのものも、末の日に起こるものを象徴するという、言わば二重の象徴という形式を備えているのである。
従って、最初の象徴を読み解いても、その答えが象徴する第二の答えに窮することになる。
どうして難解な二重の象徴によっているのかというと、書の最後にあるように封じられているからである。
ダニエルは明らかに象徴の意味を知ることができた。
けれど、封じることを神に命じられていたので、二重の象徴という構成を取って書き記すことになったのである。
だから、ダニエル書の象徴が読み解かれたときは、末の日が迫っているということになる。
また、ダニエル書には意味不明の数字が登場する。
その数字の意味が理解されないとダニエル書を読み解いたことにはならないが、いたずらに数字の謎を追い求めても象徴を読み解くことにはならない。このように難解なダニエル書だが、読者と共に一部を読んでから、先生の謎解きを再現しよう。でも、できるなら、ダニエル書を全部読んでから謎解きに臨んで欲しいけどね。
■ダニエル書の謎解き
第七章から、ダニエルの見た幻の解き明かし
「第四の獣は地上の第四の国である。これは全ての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。十の角はこの国から起こる十人の王である。その後にまた一人の王が起こる。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。彼は、いと高きものに敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。しかし審判が行われ、彼の主権は奪われて、永遠に滅び絶やされ、国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。」
 第八章から、二人の聖者の会話
「常供(じょうく)の燔祭(はんさい)と、荒らすことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻に現れたことは、いつまでだろうか」「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」
 天使ガブリエルの言葉
「あなたが見た、あの二つの角のある雄羊は、メデアとペルシャの王です。また、かの雄山羊はギリシャの王です。その目の間の大きな角は、その第一の王です。またその角が折れて、その代わりに四つの角が生じたのは、その民から四つの国が起こるのです。しかし、第一の王のような勢力はない。彼らの国の終わりの時になり、罪びとの罪が満ちるに及んで、一人の王が起こるでしょう。その顔は猛悪で、彼は謎を解き、その勢力は盛んであって、恐ろしい破壊をなし、そのなすところ成功して、有力な人々と、聖徒である民を滅ぼすでしょう。彼は悪知恵をもって、偽りをその手に行い遂げ、自ら心に高ぶり、不意に多くの人を打ち滅ぼし、また君の君たる者に敵するでしょう。しかし、ついに彼は人手によらずに滅ぼされるでしょう。先に示された朝夕の幻は真実です。しかし、あなたはその幻を秘密にしておかなくてはならない。これは多くの日の後にかかわる事だから」
 第九章から、天使ガブリエルの言葉
「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。それゆえ、エルサレムを立て直せと言う命令が出てから、メシヤなる人の来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは絶たれるでしょう。ただし、自分のためにではありません。また来るべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終わりは洪水のように臨むでしょう。そしてその終わりまで戦争は続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒らす者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終わりが、その荒らす者の上に注がれるのです」
 第十二章から、ダニエルの質問と天使の言葉
 わたしは、かの亜麻布を着て川の水の上にいる人に向かって言った、「この異常なできごとは、いつになったら終わるでしょうか」と。かの亜麻布を着て、川の水の上にいる人が、天に向かって、その右の手と左の手を上げ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去るときに、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、私は聞いた。私はこれを聞いたけれど悟れなかった。私は言った、「わが主よ、これらの結末はどんなでしょうか」。彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終わりのときまで秘し、かつ封じておかれます。多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪いことを行い、一人も悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。常供の燔祭が取り除かれ、荒らす憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。しかし、終わりまであなたの道を行きなさい。
あなたは休みに入り、定められた日の終わりに立ってあなたの分を受けるでしょう」
「今日は、酒船石の謎解きに欠かすことのできない『ダニエル書』の解読から始めます。最初に、石井さんにダニエル書を読んだ感想を聞いておきましょうか」
「はい、ダニエルの見た幻のうち、実際の歴史に沿う形で、パレスティナの国々の興亡があったように思いました。特に、ギリシャが分裂して、ギリシャ、マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウス朝パレスティナの四つの国に分かれたことは幻の通りです。さらに、マケドニアのアレクサンダーやプトレマイオスのクレオパトラと推定できる人物が登場することで、後の時代の、ローマによる古代ユダヤ国家の滅亡が暗示されていることが分かります。しかも、メシアとしてのイエスの死も語られています。でも、全体としては抽象的な表現が多くて、特に数字に関してはまるで分かりません」
 先生はそう言うと、私に考えるように促した。けれど、私には何も分からなかった。先生は何を言いたいのだろう。そのように困っている様子を見て、先生は再び語り始めた。
「酒船石とダニエル書には同じ数字が出てきます。たとえば、7週と62週を足すと69週になります。石井さん、酒船石には69という数字が登場しましたね」
「あっ、そう言えば、酒船石には69度という角度と、二倍した138という数値が寸法として出てきます」
「三分の一の23という数字を忘れていませんか」
「23?ああ、2300の夕と朝の間の!」
「2300は69の33.3333…倍で、聖数の3がどこまでも続くことになるのです。それだけではありませんよ。酒船石の頭部の内寸幅は63センチでした。これを4倍してみて下さい」
「えーと、63掛ける4は252です。そうか、七倍罰の2520年ですね」
「そうです。でも、どうして同じ数字が登場するのか?その理由は、69の半分の34.5がエルサレムの冬至の南中高度だからでしょうか?それとも、63センチは1.2神聖キュビトだからでしょうか?実は、この答えにはイエス・キリストが関係しているのです。でも、その前にダニエル書の数字の謎を明らかにしておきましょう」
 先生はそこまで語ると、何かを飲みたそうに瞳の顔を覗いた。瞳は冷蔵庫から野菜ジュースを出してコップに注いだ。真っ赤なトマトの色は、イエス・キリストの血のように感じられた。そして先生は一気に飲み干すと、謎の核心を語り出した。
「ダニエル書の八章には、一人の偉大な王が登場します。そして、この王のときから2300の夕と朝の間、エルサレムの苦難が続くとあります。だから、この偉大な王が誰を指すのかを知らなくてはなりません。でもそれは簡単ですね。石井さんが言ったように、この王はアレクサンダーに違いありません。従って、紀元前332年のアレクサンダーのエルサレム入城から2300年間とカウントできるのです」
 私は、頭の中で素早く計算した。前332年に2300年を足すと何年になるのか。それは、1969年である。
「先生、1969年ですね」
「では、1969年にどのような意味があるのでしょう?そう、下二桁が69というイエス・キリストを象徴する数字になっていますね。従って、この年は末の日の基となるのです。そして、メシアが来る迄69週が定められているのです。でも、69週を単純に483日として計算するわけではありません。1週を1年として計算するか、1日を1年として計算するか迷いますね。従って、ここでもフラクタルの原理を応用するのです。すなわち、69週の場合もあり、69日の場合もあり、69年の場合もあるのです。ただし、ダニエル書では最後の1週を足して70週に数えられています。これはどうしてかというと、暦というのは数え年のような性格を有しているからです。70週の半ばとは、69週とプラスアルファであり、実質69で計算して構わないわけです」
「では、69年として見ると、1969+69=2038年ですか?」
「そうですね。単純に計算しても良いのですが、1969年が69年間の最初の1年目と数えると、2037年が正解となります」
「それはどうしてですか?」私は少しばかりムッとして質問した。
「それは、2037年にイエスの再臨が期待されるからです」
 私は、イエスの再臨が具体的な暦として提示されたことに戸惑った。世界中の聖書学者や、神学者や、教会関係者が血眼になって捜し求めているイエスの再臨の時期が、地位も名もない一人の日本人によって明らかにされたからだ。これが事実なら、確かに先生は天才である。先生の才能は、神が与えた賜物なのだから、私のような凡人には計り知ることができない。先生がイエスの再臨を2037年と断言するからには、先生には余程の根拠があるに違いない。
「先生、どうして2037年と分かるのですか?」
「それは、クフのピラミッドの解析や、聖書の数字の解読など、僕が体験した幾つもの謎解きの結末が、一致して2037年を指すからです。ただし、2037年は、巳年の西暦33年のイエスの磔刑から、2千年後の初めての巳年に当たります。ノアの洪水やイエスの磔刑など、ヤハウェに関わる重大事件は巳年に起こっています。だから、イエスの磔刑から2千年後の初めての巳年に、我々は関心を寄せるべきでしょう」
「先生、ヤハウェは蛇で象徴されているからですか?」
「その通りです。でも、巳年に最初から注目するのは邪道かも知れませんよ」
「先生、それって、蛇(じゃ)と邪(じゃ)をかけたんですか」瞳が突っ込みを入れた。
「邪道って、マムシに象徴される悪魔の方の蛇の道を指すからね。だから毒蛇の柄(がら)から取って、ヨコシマって読むんだよ」先生はすまして答えた。
「じゃ、休憩にしましょうか」瞳は笑いながら立ち上がった。
■鏡の法則
 休憩の間、私は七倍罰の起点について考えていた。前603年がエルサレム解放から逆算したものだとしたら、起点を何年に置くのが正しいのだろうか。先生がイエスの再臨の年とした2037年から逆算すると、単純計算で前558年となる。これは前586年の第一神殿の破壊と、前538年のエルサレム帰還の間に当たり、バビロンの虜囚の真っ最中である。やはり、起点とするにはインパクトが弱い。もしかして、2037年という暦の設定に無理があるのではないか。そのように悩んでいたとき、先生はそろそろ出番かなという調子で話し始めた。
「前にも言いましたが、ダニエル書の数字には相関関係があります。2300の夕と朝の間と、七倍罰の後半部分、1260年プラスアルファの1335年間は同じ物を指すのです。でも、石井さんが悩んでいる通り、単純な計算では絶対に関係付けることはできません。それが封印なのです。だから封印を解くための鍵が必要になります。でもその鍵は、誰でも手にすることは許されません。ある意味で、鍵を手にするための資質が問われるのです。けれど、資質とは才能ではありません。むしろ感性と言った類のものです。なぜならば、鍵は隠されておらず、誰の目にも触れているのですから。それが鍵と気が付く感性があれば、酒船石もダニエル書も容易に解き明かすことができるのです。例えば、酒船石は水が流れる構造でした。では、水から何を連想することができるでしょうか。そう、時間の流れですね。でも、それだけではありませんね。石井さん、古典文学的に何を連想しますか?」
「はい、古典で水と言うと、水鏡があります」
「そうですね、水鏡は天界を映す鏡ですね。この鏡をどのように用いるのかと言うと、まず、鏡という文字に注目します。鏡の旁(つくり)には、境という意味があります。鏡が接する境から、像は反対側に展開されます。では、鏡に映るものが像ではなく、時間だとしたらどうでしょう。古代に遡ると、鏡の世界では逆に未来となります。例えば、西暦元年に鏡を立てた場合、前3年は後4年に映し出されます。紀元後の方が1年多くなるわけです。これを鏡の法則と言います。従って、前701年のエルサレムの包囲は、紀元後何年に映し出されるでしょう。さあ、あとは簡単ですね」
 先生はそう言って、私に考えさせた。前701年のエルサレム包囲が鏡の法則では後702年となる。これは、紀元前ゼロ年が紀元元年になるからだ。紀元元年に鏡を立てたのだから、元年プラス701年と計算される。だから702年となるのだ。すると、702年に1260年、1290年、1335年を足して行けば良いから、答えは1962年、1992年、2037年となる。ああ、やっぱり2037年で良かったのだ。
「先生、1335日目は2037年です!」私は、先生を少しばかり疑ったことも忘れて感激していた。「鏡の法則かぁ、先生、やるじゃん!」私は心の中でそう叫んでいた。酒船石黙示録図参照(図をクリックすると別ウインドウで精細な画像が出ます)
   4. 荒らす憎むべきもの
「酒船石は、中央の凹みが138センチとなっていて、69の二倍になっていました。ということは、これは凹みの中央を境にして見ることを指し示しているのではないか。そこで、この位置に鏡を置いたとして年表を見ると、頭部側の端は前701年のエルサレムの包囲になります。酒船石の寸法に従えば、前702年として1年のずれが出てきます。実際、これが味噌だった訳ですね。前702年を線対称にすると、面倒な計算をしなくても後702年が出てきます。要するに、楕円の反対側の端が後702年となるわけです。あとは聖書の知識があれば、長楕円に続く135センチの溝が1335年を意味することに気が付く訳です。実際、寸法を正確に暦に直すと、長楕円の半分は690年、これに1350年を足すと2040年になります。2037年との差の3年は、3ミリしかないので誤差の範囲でしょう。それよりも、酒船石は聖書の知識がある人が解析するという前提で造られた物だと思います。だから、寸法を杓子定規に暦に換算するのではなく、聖書の奥深さを翻訳するという態度が好ましいのではないでしょうか」
「先生、私にも分かりました。聖書では、七倍罰とは言いながら、3.5倍罰プラスアルファの1290日とか、1335日とかの、七倍罰の後半部分だけを強調していた訳を。要するに、末の日に関わるものだから、起点からの単純計算では表現できなかったのですね。十字架を挟んで新約と旧約の神が同じという鏡の性質を見極めれば、七倍罰の起点も自ずと鏡に映し出される仕組みになっていた。そういう解釈で良いのでしょうか」
「そうですね、七倍罰が単純な2520年と算出されるのなら、封印も何もないわけです。封印しながらも、知恵のある人には読み解くことができるように仕組まれている。そういう意味では実に恐ろしいと思います。いたずらに数字の謎解きに走る人は、永遠に真理から遠ざけられたままで終わるからです。でも、ダニエル書にはまだ謎が残っていますね。それは、荒らす憎むべきものと表現されるものです」
「先生、それは立てられたものなんですね?」
「そう書いてありますね」
「ではそれは、異教徒の神殿や教会を指すのですか?」
「僕も最初はそう思いました。でも今は違います…」
 先生は言葉を切り、少しばかりの決断をする表情を見せて続きを語り出した。
「エルサレムの荒廃に目を向けると、必ずしも異教徒の侵略に原因を求める必要はありません。むしろ、神に背いたイスラエルの人々に原因があるのです。その典型がソロモンの背教であり、民への重税です。
民に過酷な税を課し、神殿と宮殿の建築に情熱を傾けたソロモンは、エルサレムの荒廃を招いた張本人なのです。
だから、荒らす憎むべきものとはソロモン神殿に他ならず、エルサレムに近い将来造られる第三神殿がソロモン神殿を雛型にしている以上、
ここから末の日の本当に最後のカウントダウンが始まるのです。
石井さん、前966年のソロモン神殿の建造開始に、七倍罰の2520年を足してみて下さい」
「えーと、西暦1555年です」
「では、69週の483日を483年として、さっきと同じように計算してください」
「1555年から483年目は、…あっ、又しても2037年です」
私は、2037年の三度目の出現に本当に驚いていた。
「483日から一年360日を差し引くと、123日が残ります。これは、藤ノ木古墳の副葬品の金銅製帯の幅123ミリに関係しているのかもしれません。金銅製帯とは、古代イスラエルの預言者が締めていた帯の象徴です。すると、藤ノ木古墳は、ダニエル書を証しするために封印を解かれて、この末の日に蘇った事になります。エルサレムに荒らす憎むべきものが立てられるとき、シバの女王を代表とする、諸国の王からソロモンに贈られた金666タラントの数字の意味が明らかになるのです。すなわち、ソロモン第三神殿に玉座を据える独裁者が、ヨハネの黙示録に666で象徴されている獣だということが。そして、この時から最後の一週が始まり、週の半ばの3.5日目に、イエスを雛型とした預言者は絶たれるのです。それから、イエスの再臨まで、ひと時とふた時と半時があるのです。その時が3.5のフラクタルとして展開されるとき、それが3日半なのか、3週間半なのか、3ヵ月半なのか、3年半なのか、人は知ることになるのです」
■ゲマトリア
 こうして、酒船石の謎は、聖書の封印された謎と共に明らかにされた。
残された謎は、酒船石に69という数字が刻まれている理由である。
先生はそれを、イエス・キリストに関わるものと暗示している。
イエスと69という数字の関係は、聖書学的な対象では有り得ない。
なぜならば、聖書を研究している人で、69という数字に特別な意味を見出しいているのは先生だけなのだから。
先生は一体どういう手法を用いて、この最後の謎を解明するのだろうか?
「酒船石の謎解きも、いよいよ最後を迎えました。
謎解きのフィナーレは、予告通りに、ゲマトリアという数秘術を用いて行います。ゲマトリアというのは、3×3の升目を1から9までの数字で埋めたもので、縦、横、斜めの数字を足したものが全て15になる配列です。瞳ちゃん、中央が5のゲマトリアを出して下さい」
「はい、七五三ですね」瞳はそう言って、次のような升目を示した。図−35−A〜C↓
「さて、これは中心が5で、縦、横、斜めの合計が15になるゲマトリアです。数字を全部足すと、中心の9倍となります。この場合は45ですね。中心を6、7と変えると、合計がそれぞれ54、63というゲマトリアが出来上がります。
 中心が5のゲマトリアの場合、左右を入れ替えても、上下を入れ替えても同じように思えますが、実はAのオリジナル形に深い意味が隠されています。石井さん、升目を縦に柱として見て、何か気が付きませんか」
「えーと、右の柱の276は、69の4倍です。あっ、ここでも69が出てきました」
「そうですね。69を半分にした34.5という数字は、エルサレムの冬至の南中高度だけではなく、ノアの洪水の起こった聖書紀元1656年に関係していましたね」
「はい、34.5×48(4世帯8人)=1656でした」
「では、今度は斜めの456に注目し、同じ48で割ってみましょう。答えは9.5ですが、この意味は何でしょう?」
「分かりました、ノアの950歳です」
「そうですね。このように見て行くと、もう一方の斜めの数852は71×12でウルの太陽角度が出てくる。まるで子孫のアブラハムがウルに住むことを予言しているみたいだね。さて、話を戻しましょう。69はアラビア数字ですが、その形から陰陽道における二つ巴(図36↓)を意味し、旧約と新約の神が同じであることを表しています。すなわち、イエス・キリストを指す数字ということになります。生命の樹において、三本の柱のうち、右の柱はイエス・キリストの柱でした。ということは、このゲマトリアも右の柱がイエス・キリストの柱ということになりませんか」
             図−36 二つ巴 飛鳥氏の著書より
「でも、左右を入れ替えることもできます。この配列の必然性が示されなくては納得できません」
「確かに、その通りでしょう。では、奇数の数字だけを見て下さい。どうなりますか?」
「はい、奇数だけを見ると…、あっ、十字架が構成されました」
「そうです。十字架が構成されるということは、ゲマトリアにイエス・キリストにかかわる奥義が隠されていることを意味します。例えば、十字の頭の部分は9ですが、9という数字は救世主のシンボルだと学びましたね」
「はい」
「ということは、このゲマトリアの配列は、救世主であるイエス・キリストを象徴していることになるのです。その証拠を示しましょう。石井さん、十字架の部分の数字を、大きいほうから順に見て行ってください」
私は、十字架の数字を大きいほうから見て行った。
すると、それは頭の部分からジグザグにつながっていた。
図−37 ↓
「先生、ジグザグというかアルファベットのZの字に見えます」
「分かりましたか。ジグザグはイエスの象徴である雷を、Zはイエス自身を指す最後の文字を意味するのです。
イエスは自らを『始めであり終わりである』と語ってます。
終わりを意味する言葉は、ギリシャ語の聖書ではオメガですが、アルファベットではZになるのです。
だから、この配列以外はイエス・キリストを象徴するとは言えない訳です。
さらに、このゲマトリアは隣同士を結ぶと、57、58、79、17、51という数字が見つかります。
これらの数字は、太陽角度として登場したものです。ここに、太陽神としてのイエス・キリストが数字で象徴されていることになるのです。だからこそ、太陽の直径は6957000kmと、69と57というエルサレムの太陽角度で説明が付いてしまうのです」
「先生、分かりました。私は、何かとても感動しています。このゲマトリアがイエス・キリストに関わるからこそ、右の柱に象徴されるイエス、すなわちヤハウェの起こしたノアの洪水に関わる数字や、聖都エルサレムの太陽角度が右の柱に現れるのですね」
「そうです。でも、ゲマトリアの奥深さは、まだまだこんなものではありませんよ」
先生はそう言うと、少しばかり遠くを見る目になった。
中心数7のゲマトリア
「ゲマトリアというのは、中心の数字を変えると、別のゲマトリアになります。
例えば、中心を6にすると、縦、横、斜めの数字の合計は18になります。
18というのは、6+6+6ですから、悪魔の象徴の666になるわけです。
この場合、偽キリストの十字架は偶数で構成され、頭の部分は10ということになります。
これが、ヨハネの黙示録に記される‘この世を滅ぼす獣’が持つ、10本の角として象徴されるものの正体なのです」↓ 図−38
図−38
「このゲマトリアをよく見てください。救世主の象徴である9が、何と左下にあります。これは、救世主を足下に踏みつけるという暴挙を表しているのです。偶数の十字架は、西暦の偶数年に‘世を滅ぼす獣’がしるしを見せる事をも意味します。悪魔が勝利する年が偶数年なのですね」
 そう言えば、今年(2002年)は冬季オリンピックやサッカーのワールドカップで、目に余る不正なジャッジが横行したり、発言力の強い国家がやたらに戦争をしたがったり、自分たちに都合のいいルールを作ったプロ野球チームが圧勝したり、まさにサタンが勝利した年だった。私も、先生に出会わなかったら、絶望的な日々を過ごしていたかもしれない。
「このように、中心が6のゲマトリアは偽キリストの象徴となりますが、中心が聖数7のゲマトリア(↓ 図−39)こそ、我が酒船石の最後の姿なのです。奇数の十字架部分を見てください。酒船石の三本の溝が構成する角度の57がありますね。そして同様に、益田岩船の穴が73度と79度に穿たれていた理由も、十字架から分かるでしょう。
図−39
さて、酒船石の頭部は左右(南北)対称ではなく、
内寸幅で北側35cm、南側28cmとなっていました。
僕が酒船石を解析し始めた頃、最初に疑問に思ったのは、実はこの寸法の意味です。35pも28pも7の倍数です。それは理解できました。でも、どうして7の倍数なのか、その必然性に苦しんだのです。まあ、そのお陰で、神聖キュビトが7.5cm×7だと分かったのですが、それでも頭部の非対称の理由が分かりませんでした。でも、今は完全に理解しています。それは、酒船石の頭部には、内寸幅の63cmで7×9を暗示し、中心が7で九つの枠の合計が63となるゲマトリアを連想させる目的があったということを。左右対称だと、誰も7cmの倍数で造られていると気が付きませんからね。実に、酒船石の九つの凹みは、ゲマトリアの九つの枠に対応していたわけです。もっとも、今は欠損して見えない凹みもありますが、それもちゃんとした理由があって欠損しているのです」
先生の話では、酒船石の欠損には、欠落させるべき理由があると言う。
一つには、『ゼカリヤ書』3章8〜10の記述である。
そこには、こうある。
「大祭司ヨシュアよ、あなたも、あなたの前に座っている同僚たちも聞きなさい。
彼らはよいしるしとなるべき人々だからである。見よ、私は私のしもべなる枝を生じさせよう。万軍の主は言われる、見よ、ヨシュアの前に私が置いた石の上に、すなわち七つの目を持っているこの一つの石の上に、私はみずから文字を彫刻する。そして私はこの地の罪を、一日の内に取り除く。万軍の主は言われる、その日には、あなた方はめいめいその隣人を招いて、ぶどうの木の下、いちじくの木の下に座すのである」
 大祭司ヨシュアとは、モーセの次の預言者でエフライムの子孫である。この記述は末の日に主がなさることを告げたもので、いちじくの木はエフライムの象徴となっている。要するに、酒船石は七つの目を持つ石として、エフライムの子孫が末の日に備えられることを証しているのである。あるいは、先生もその一人かもしれないが。
 それにしても、酒船石がゲマトリアを構成していたとは驚きである。でも、先生はどうやって、この不可思議な謎に満ちた石造物を、ゲマトリアで説明し得るのだろう?私は、期待と共に、固唾を飲んで次の言葉を待った。
「中心が7のゲマトリアは、奇数の十字架の部分の合計が35になります。残った偶数部分の合計は28。これらは酒船石の頭部の凹みの、内寸の幅に見られます。また、縦、横、斜めは、足すとそれぞれ21になりますが、これらを全部足すと168になり、高松塚の鏡などの16.8cmの説明となります。
 さて、酒船石の凹みは、欠損部を含めると九つで、7のゲマトリアに置き換えられます。7のゲマトリアは、十字架の頭の部分が11となっています。これを酒船石の頭部の凹みに当てはめて見ましょう。瞳ちゃん、酒船石のパターンとゲマトリアをミックスしてください」
「はい、最初は11が頭のやつですね」瞳は、要領良く酒船石ゲマトリアを展開した。図−40−A〜C ↓
図−40−A  
「さて石井さん、このゲマトリアを見て何か気が付きませんか?」
「はい、ノアの箱舟を象徴する凹みに、ノアの家族数と同じ8が入っています」
「そうですね。それから、イエスを象徴する9が欠損部に置かれることになりますね」
「先生、ということは、イエスが今現在はいないことを表しているのですか?」
「ご明察。一番下の3も天の三神を表しますから、やはり不在のため欠損部に置かれます。けれど、この配置はもっと深い意味が込められているのです。例えば、頭部の11という数字に注目しましょう。この数字は、ヨセフの亡くなった110歳を連想させます。従って、ヨセフの亡くなった前1722年からの暦として考えてみましょう。ここで大事なのは、十字架を構成する五つの数字のうち、欠損部に置かれる5と9です。イエスの磔刑のときの十字架は、頭の部分のないT字形のものでした。そこで、ここでもT字を構成する四つの数字を用います。これを縦、左右の順に3759と並べます。欠損部の数字が後になりますね。さて、十字架の頭が無いのですから、何かを足して十字架を完成する必要があります。この場合は、頭に関係する数字を足せばいいですね。具体的には、3759を年数と仮定して、先のヨセフの亡くなった前1722年を足してみてください」
 私は、3759年+(−1722年)と素早く計算した。そして、出てきた答えに四度驚くことになった。なぜならば、その答えこそ、あの2037年だったからである。
■預言されていた謎解き
 私は、ゲマトリアというものを、数字を使った占いやそれに類するオカルトと考えていた。
だから、余りの奥深さに畏怖すら感じ始めていた。
だが、7のゲマトリアに関して、先生はまだ言い足りないことがあったのだ。
「今まで説明した酒船石の7のゲマトリアは、頭部を上にしたものでした。
酒船石を人体にたとえて見るのだから、それは自然ですね。
でも、酒船石にはパレスティナの地図としての、頭部を下にした逆さまの姿もあります。
今度は、その逆さまに数字を当てはめて見ましょう。
瞳ちゃん、今度は逆さまのやつを出して下さい」そう言って、頭が3になっている酒船石のゲマトリアを説明し始めた。↓ 図−41 
図−41
「このゲマトリアも、ノアの箱舟に相当する凹みに、ノアの洪水時の年齢600歳を暗示する6が置かれています。
それから、イエスの不在を示すように、9の数字はやはり欠損部に置かれています。
 さて、酒船石は水が流れる構造でした。しかも三本の溝の中で、造られた時点から見て未来を指し示していたのは真中の溝だけでしたね。
そこで今度は真中の溝に注目し、水が流れる方向に沿って数字を並べて暦を作ります。
すると3711年となります。
これにまたヨセフの亡くなった前1722年を足します。
ヨセフから3711年後という計算ですね。石井さん、答えは何年ですか?」
「はい、3711年+(−1722年)は1989年ですが、この年はもう過去になります。先生、一体この年に何があったのですか?」
先生は、私の質問にすぐに答えないで、しばらく間を置いた。そしておもむろに口を開いた。
「西暦1989年。この年は、僕の古代史が始まった年であり、酒船石に興味を抱いた年でもあります。
僕の古代史は、酒船石に預言されていたのです。しかし何より、この年から平地をシンボルとする平成が始まりました。
実に、エフライムの奥義が明らかにされる基が、1989年に置かれたということになります。
思えば、上ナイルのSを頭文字とする昭和天皇が、酒船石の7のゲマトリアを暗示する一月七日に亡くなったのも、天の計らいだったことになります。昭和が63年で終わったのも、酒船石の頭部の63pに呼応しているように思えます。この年に注目された藤ノ木古墳の径48を、1989年に足しても2037年になります。時代は、下ナイルに象徴されるエフライムの時を迎えるのです。元号のように、あるいは生命の樹に見られる慈悲の柱(頭が平)のように、平らかに成すというイエス・キリストの預言の成就が待ち望まれるのです。高い山が崩れ去り、人々は上下関係による支配から解放されます。愛と自由の本質が明かされる時、僕の古代史も正しい評価を得られるでしょう。でもそれまでは、僕は僕の道を行くしかありません。僕は、自分が幸福な時をすごす事ができたことを感謝します。石井さん、そして瞳ちゃん、本当にありがとう」
 先生はそう言うと、涙をたたえて微笑んだ。私は、自分が受けた講義の重さに気が付き、心から先生と瞳と、初めて神に感謝した。そして、この私だけの古代史は、先生の最後の言葉で終わりを告げた。
「さて、酒船石の最後の謎は、中央の長楕円に斜めに突き刺さるように見える凹(くぼ)みです。なぜ、このようなデザインを施す必要があったのか。その理由は、ゲマトリアが明かしています。中心が7のゲマトリアは、斜めの凹みに10または4が置かれています。10は‘この世を滅ぼす獣’、4は‘死’を意味します。そして、斜めに突き刺さっているのは、イエスを貫いたロンギヌスの槍を象徴しているからに他なりません。
イエスは獣によって死を与えられましたが復活しました。
実に、復活がなかったら、この世は空しいだけでしょう。誰がこんな悲惨な世を造ったのだと文句の一つもいいたくなりますよね。
でも、復活があるからこそ、我々はこの世の苦しみを試しとして受け入れることができるのです。
やがて復活があるとすれば、人生は無駄にはできませんね。なぜならば、死によって全ては終わらないからです。死はつかの間の休息に過ぎず、その後の最後の審判によって住むべき世界が決められるのです。
だから、二人とも決しておばさんになってはいけません。オバタリアンなんてもってのほかです。年齢を重ねても純粋さを失わなかったならば、いつまでも美しいままでいられるでしょう。そして、できることなら、自分が正しいと思うことは、神に対しても取り成しを求めるような人であって欲しいと思います。神には、この世を造った責任があるのだから、どんなに小さな人の声でも、真実ならば無視できませんからね。いやむしろ、神と人との間に立って、取り成す人を待っているのかもしれませんよ。では、この講義を終わります」
私と瞳は心からの拍手を先生に贈った。先生は照れながらも満足そうに頷き、
「瞳ちゃん、モーツァルトのトルコ行進曲かけてね」と言った。
私は「クフのピラミッドの謎解きはいつするのですか?」と尋ねた。先生の答えはふるっていた。
「もう一人美人を連れてきたらいつでも」その瞬間、瞳がCDケースで先生の頭を引っ叩いた。カーン?(完)
     
エフライム工房
http://www.geocities.jp/his/atelier_efraym/saka11.htm
http://www.geocities.jp/his/atelier_efraym/saka12.htm




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2019年09月08日

飄平: 文在寅大統領 朝鮮労働党員疑惑〜北朝鮮による赤化統一戦略>>米韓同盟破棄

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狂気の文在寅大統領の外交姿勢は、その目的が韓国の破壊であり、米韓同盟の破壊であり、日韓の破壊であると共に、日本の破壊であるとすれば、狂気ではなく労働党秘密工作員である文在寅であると観れば、確信的思考行動であると言える。最大限の警戒を要する。

飄(つむじ風)
https://blog.goo.ne.jp/tumuzikaze2
http://tumuzikaze.net/
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/07/post_d9be.html
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白文鳥ピピme物語
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文在寅大統領 朝鮮労働党員疑惑が発覚!
2019-09-02 23:11:40 | 壮大なうそ
到底理解しがたい韓国文在寅政権の行動原理!
痴戯(ちぎ)と言うだけでは済まない事情があった…!
確信的行動である!
北朝鮮労働党の秘密党員であった…!
なら、分かる、腑に落ちる!
確信的な韓国破壊工作が進行中だったのである。
その証拠文書が見つかった。
篠原常一郎さんの「文在寅大統領に朝鮮労働党員疑惑」スクープ記事が月刊Hanada10月号に掲載された。
これは驚くべき情報である。
しかしさもありなんという情報である。
何しろこれまでの韓国情勢がこの文脈で観れば、総てが繋がるし合点できるからだ。
文在寅大統領 朝鮮労働党員疑惑が発覚!
北朝鮮はチュチェ(主体)思想のカルト国家である。
当然朝鮮労働党員はそのカルト成員である。
その秘密工作員が文在寅大統領であったとすればこれまでの行動原理が理解できる。
チュチェ(主体)思想が何たるかについて詳細は今回割愛するが、
要約すれば、共産主義の革命思想の変形版だ。
マルクスレーニン思想が毛沢東思想になり、チュチェ(主体)思想になったと考えることが出来る。
一つの教義である。
その教義に洗脳された国家が中共であり今般の北朝鮮であるとすれば、その文脈で理解することが可能である。
その秘密工作員が韓国に多数侵入していて、その頭目が文在寅であり韓国大統領となった。
その取り巻きも大多数が秘密工作員であった。
そしてその核心的目標が韓国の行政・司法・軍事の破壊であった。
北朝鮮による赤化統一戦略である。
レーダー照射事件から続く不可解な現象はこの文脈で理解できる。
GSOMIA破棄も下記情報も理解できる。
その中には、これから起きてくるであろう米韓同盟破棄まで予感できる。

飄(つむじ風)
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石井孝明(Ishii Takaaki)
@ishiitakaaki
いくら無能で有名な軍隊でもありえないだろう。領内に基地作られるなんて。
RT知らない間に占領されていた…韓国領の無人島に北朝鮮が軍事施設を作っていたことが発覚して衝撃走る=韓国の反応
- カイカイ反応通信 http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/55774558.html
知らない間に占領されていた…
韓国領の無人島に北朝鮮が軍事施設を作っていたことが発覚して衝撃走る=韓国の反応 : カイカイ反応通信
韓国のポータルサイトネイバーから、「(単独)西海”咸朴島”で北韓軍捕捉…穴の開いた安保」という記事を翻訳してご紹介。
blog.livedoor.jp
1,684
0:04 - 2019年9月2日
Twitter広告の情報とプライバシー
880人がこの話題について話しています
「文在寅大統領の朝鮮労働党員疑惑」の証拠文書と言うのは「誓詞文」の事である。
「誓詞文」と言うのは朝鮮労働党秘密党員たちが2014年に書かれた北朝鮮の頭領である金正恩に充てた文章である。
その署名に文在寅の署名がある。その他の要人の署名がある。
その多くの要人が現在の韓国の行政・司法・軍事の権力を支配している。
【転載開始】
https://ameblo.jp/yeosupampada/entry-12515913206.html
篠原常一郎という人は元共産党員という経歴から、日本共産党の実態などを具体的に伝える書籍などで評価されている。
取材の過程で、韓国内の左派活動家たちのグループから「誓詞文」の原本を入手した。
「誓詞文」は2014年6月15日の金大中、金正日「南北首脳会談14周年」を記念して、韓国内に秘密裏に存在する朝鮮労働党の党員たちが、北の最高指導者と朝鮮労働党に対して祝意と忠誠を示し、当面する活動課題の遂行を誓うために送ったものである。
この「誓詞文」は韓国メディアの左傾偏向と異論排除の動きの中で、韓国内では発表されていない。
「誓詞文」の最後には40の個人と団体の名前が添えられている。
そこには文在寅、朴元淳(現ソウル市長)、李石基(朴槿恵時代に逮捕された統合進歩党元党首)のほか、現・元職国会議員、大臣、外交官、ソウル市の元幹部などが名を連ねている。
彼らの名前は、韓国内の国家保安法による取り締まりを恐れて、名前のハングルの綴りを変えてある。
例えば、
文在寅(正 문재인 ⇒ 誓詞文では 문제임 )
朴元淳(正 박원순 ⇒ 誓詞文では 박원숨 )
李石基正 리석기 ⇒ 誓詞文では 리서기 )
誓詞文には10か条の遂行課題が書かれているが、その多くが2014年以降、この内容に従って進行してきている。
「誓詞文」の真贋について、北朝鮮から脱北してきた元高位の脱北者たちが本物である、と認めている。
文在寅はチュチェ思想や北朝鮮の国家運営方針に連なる『自力更生』という言葉をしばしば口にする。
『南北平和経済の実現時は一気に日本経済に追いつく』などもその表れである。
10か条の誓詞文には次のようなものがあった。
2.我々は今回のセウォル号沈没事件を朴槿恵傀儡徒党を審判するための絶好な機会として最後まで闘争するでしょう。そのためにセウォル号事件に興奮した国民情緒を汎国民的反米、反政府示威に発展させるでしょう。
5.我々は南側セイルの警察、検察など司法部と行政部に浸透し、政府の行政機能を麻痺させ、金正恩将軍様の指導と領導に従うようにいたします。
これはまるで何かの予言みたいに、韓国で起きてきたことであり、起きていることである。
ホントかよ?と、これもまた、韓国の中に多くある「嘘」の一つなのではないかと思ってしまう。
更に誓詞文には次のようなことが書かれている。
9.我々はいったん有事にはまず第一に軍および警察の武器庫を襲撃し、銃を奪って南朝鮮の韓国軍、警察、情報機関などを襲撃し、右翼反動勢力を射殺し、金正恩将軍の挙族的な南朝鮮革命と統一戦争に合勢します。
【転載終了】
さらに今回の韓国情勢から明らかになったことは、日本の反日左翼活動がそれに連なっていることが見えてきた。
日本の反政府批判や、知識人、沖縄反基地闘争までがそれに連なっている。
広く解釈すれば現在の野党行動原理までそれに連なっている。
その根幹にチュチェ(主体)思想研究会なるものがある。
その出所は朝鮮総連あるいは今では民団までも関与している可能性がある。
「関西生コン事件」はまさにその顕れであることが容易に推量できる。
常識的に考えてもカルトの洗脳思想は理解できない。
狂気の文在寅大統領の外交姿勢は、その目的が韓国の破壊であり、米韓同盟の破壊であり、日韓の破壊であると共に、日本の破壊であるとすれば、狂気ではなく労働党秘密工作員である文在寅であると観れば、確信的思考行動であると言える。最大限の警戒を要する。
【参考資料】
本日のつぶやき⇒https://twitter.com/hyouhei

飄(つむじ風)
https://blog.goo.ne.jp/tumuzikaze2
http://tumuzikaze.net/
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/07/post_d9be.html
https://twitter.com/hyouhei




韓国・現代自動車4千台載せた運搬船が転覆 米国沖
9/9(月) 10:51
配信朝日新聞デジタル
韓国・現代自動車4千台載せた運搬船が転覆 米国沖
米ジョージア州の沖合で8日、転覆した自動車運搬船=AP
 米南東部ジョージア州ブランズウィックの沖合で8日午前2時ごろ(日本時間8日午後3時ごろ)、
大型の自動車運搬船が転覆した。韓国政府によると、船は現代自動車グループの物流会社所属で、マーシャル諸島船籍の「ゴールデンレイ」(全長約200メートル、載貨重量約2万トン)。韓国メディアは4千台の新車が積まれていたとし、機関室にいた韓国人4人が行方不明になったと報じている。
事故原因は明らかになっていない。
船の運航状況を追跡するサイトによると、同船はブランズウィックに7日夜に到着し、9日夜にメリーランド州ボルティモアに着く予定だった。
(ニューヨーク=藤原学思、ソウル=武田肇)

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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190909-00000024-asahi-int

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