2019年06月30日

FB古代史研究会: 偽書「旧事紀(くじき)」にみるべきものはないか


FB古代史研究会: 偽書「旧事紀(くじき)」にみるべきものはないか
古荘秀雄
【先代旧事記を復権させよう】
先代旧事記は偽書ということになっていて、資料的価値なしというのがいわゆる通説です。
ウイキペディアにはこう記されています。
*****************
「  先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の史書であり、神道における神典である。
『旧事紀』(くじき)、
『旧事本紀』(くじほんぎ)
ともいう。全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。
序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したとあるが、江戸時代の国学者である多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らによって偽書とされた。
現在では大同年間(806年〜810年)以後、延喜書紀講筵(904年〜906年)以前に成立したとみられている。
物部氏の氏族伝承など部分的に資料価値があると評価する立場の者もいる」
******************
偽書にあるとされる最大の理由は序文を聖徳太子、蘇我馬子が著したとあるからで、これは成立年の想定からすると明らかに間違いであり、そもそも、その時点で二人はとっくに生きてはいません。
内容についても古事記、日本書記の二番煎じの箇所も多く、総合的に見て後代の作り話であるということになりました。
しかし
です。
聖徳太子らが序文を書いたというのは、ある書物に箔をつけようと後代のものがしただけ。ということは十分考えられるでしょう。
そして記紀とかぶるところはあれども、それでは被らないところはどういうことになるのか?
物部氏という古代最大豪族の一族の記録という視点も必要ではないのか。
******************
Wikipediaより
「 序文には推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著したもの(『日本書紀』推古28年(620年)に相当する記述がある)とある。
このことなどから、平安中期から江戸中期にかけては日本最古の歴史書として
『古事記』・『日本書紀』
より尊重されることもあった。
しかし、江戸時代に入って偽書ではないかという疑いがかけられるようになり、多田義俊や伊勢貞丈らの研究によって偽書であることが明らかにされた[4]。
本書の実際の成立年代については
『古語拾遺』(807年成立)
からの引用があること、藤原春海による『先代旧事本紀』論が承平(931年〜938年)の日本紀講筵私紀に引用されていることから、『先代旧事本紀』は藤原春海による延喜の『日本書紀』講書の際(904年〜906年)には存在したと推定され、従って、『先代旧事本紀』の成立は
大同年間(806年〜810年)以後、
延喜書紀講筵(904年〜906年)以前
と推定されている。  」
******************
つまり先代旧事記が偽書というのは
成立年代だけが問題になっているという構造のようなのですね。
十種の神宝(とぐさのかんだから)
などの独自の表現についても一緒くたに作り話になるのはやや乱暴ではないかと思いますし、
饒速日の河内への天孫降臨なども独自のものです。
(記紀よりかなり詳しい)まさに物部に伝わる物語なのだと思うのです。

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2019年06月25日

2019年06月24日

FB古代史研究会: 迦具土(カグツチ,香久)と邪馬土(ヤウマト,大和)

FB古代史研究会: 迦具土(カグツチ,香久)と邪馬土(ヤウマト,大和)
坂本成事
火の国(メソポタミア)の神、迦具土の首長は切られ、誰が首長かわからなくなったその分けた血は、世界人類の文明の血へと流れます。
毎日投稿しております、
お伽話は、逆に、世界人類に分けた血を集めた
百々人(桃人、五色人統合の錦織り成す人)
であります伽耶人の昔話です。
ですから、お伽話という事です。
なぜ、天之伽那(香久)人が、血を集める事ができたのかは、邪馬土(ヤウマトの神民)の馬門(ウマヤド、厩、イエスは厩で生まれたわけでなく馬門の血という事)の御門(帝)だったからです。
大和で、邪馬土(宇土)の馬門石が大王の墓石として使われますのも、オウスが、熊襲(邪馬土)タケルの名を襲名して、ヤマトタケルと名乗りましたのも、御門の血を受け継ぐためです。
ところで、景教(迦那安の原始キリスト教と釈迦の原始仏教の融合)の暗示の景行天皇と迦具(香久)漏姫も、その四世代間に、神伝での無理がありますのは、九州王朝(芳三山)と大和王朝(香久山などの大和三山)が重なる時代があって、それが重なっていないかのように、辻褄を合わせた一面もあったと考えています。
景行天皇ほどではありませんが、
仲哀天皇の皇子の香坂皇子、忍熊皇子と、応神天皇の世代差も同じです。
熊襲を滅ぼしたとしながら名を襲名し、香坂皇子、忍熊皇子を滅ぼした事にしなければならなかったのは、世界皇統の熊襲の歴史や祀りを継承しながら、二重の王朝は避けなければならなかったからだと推察いたします。
現に、景行天皇は熊襲を滅ぼしたとしながら、熊襲の地で、呑気な凱旋パレードをされていますし、滅ぼしに行く熊襲の地、火の国を、日本(ヤマト)だとおっしゃった背景もおかしな事ですし、敵であれば、河内芳野の斎園殿の東の東門寺の拝ヶ石巨石群で、景行天皇が祈られる必要もありませんでしたし、現に、私の祖先からも、滅ぼされた話など伝わってもいませんし、拝ヶ石を下った岩戸山の歌詠みは、古今伝授として、御所に受け継がれてきたわけです。
私は、後世に、その九州王朝の血を守ったのも、大伴氏が鍵をにぎる人物であり、封印したのも、大伴氏が鍵をにぎる人物であったとみています。
因みに、なぜ織田信長が、天皇をお守りする五摂家筆頭の、近衛前久に疎んじられたのかは、隠しておかねばならなかった、香坂皇子、忍熊皇子の末裔を名乗っていたからです。
細川幽斎から智仁親王への古今伝授を支えた近衛家にとりまして、サ迦具土の古今伝授は、日本人の祖先から受け継がれたものであると同時に、決して、公にしてはならぬ秘密でありました。
また、織田信長の天下人の城、安土城は、迦那安と釈迦族を統合した、香久城(迦具土)の天主という事です。
天主は、キリスト教で使われる神の呼び名です。
さらには、拝ヶ石の麓の那古井と名古屋の名は、とても似ています。
また、愛知の犬山の犬は、太郎の曲玉から丶曲と生まれ出た犬神(八百万神)を示しますが、それは、球磨人の犬神の伝承であり、滝沢馬琴の南総里見八犬伝のモチーフでもあります。
そして、玉名和水(なごみ)のトンカラリンは、地下の内部構造の寸法までが、ピラミッドと同じで、このピラミッドの布石工法は、古代半島の伽耶地方の石垣でもみられます。
また、玉名や芳山周辺の、この地に生息するはずもない獅子は、いつも載せていますタタラ水の獅子も含めまして、馬門の迦具土の首長を示すトーテムです。
そのトンカラリンにとって、星の観測などで繋がる、カムロ山と高葉山の双羽の写真は、お借りしています。

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古代史研究会: 夏至の日,夫婦岩の真ん中に太陽が沈む


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古代史研究会: 夏至の日,夫婦岩の真ん中に太陽が沈む
古代史研究会・中島
夏至の桜井二見ヶ浦(福岡県糸島市志摩桜井)
夫婦岩の真ん中に、太陽が沈みます!
ここは、櫻井神社の宇良宮。
伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀り、二人が生んだ初めの島、オノゴロ島(小呂島)が、夫婦岩の間から見えるのです。
この後、7月には櫻井神社の岩戸宮の,年に二度の岩戸開きが控えています。
石室を拝むことのできる貴重な一日となります。
この海岸の西に
「ニギの浜」
という海岸があり、三国志烏丸鮮卑東夷伝倭人条、いわゆる「魏志倭人伝」に書かれた伊都の長官
爾支(ニキ)
にもつながります。この伊都斯馬半島の先端には、ケヤの大門 という国内最大の玄武洞があり、岩窟そのものが御神体。
伊弉諾尊の御祓いの地との伝承があり、この地に、伊弉諾尊を祀る大祖神社が鎮座するのです。
#ご来福しよう
#fukuokadeeps
#welcomekyushu
#糸島ドライ部ノゴロ島(小呂島)が、夫婦岩の間から見えるのです。
#ご来福しよう
#fukuokadeeps
#welcomekyushu
#糸島ドライ部

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(-.-)
この地は韓国に向い、
笠沙(かささ)の御崎(みさき)を眞來(まきた)通りて朝日の直(ただ)刺す國(東=早良=奴国)、 夕日の日照國(西=伊都国)なり。
故に、此地は甚だ吉き地である、ということですね😊。
「怡土志摩」と同じような夫婦岩が「伊勢志摩」にあって持統天皇も驚き、安堵されたことでしょう👏。
(-.-)
素晴らしい写真の数々。
さらに加えて、恐らく、元祖オノゴロ島である小呂島を祀ったであろう聖地‼️
ここの二見が浦は、夏至の夕日が沈むことで有名ですが、鳥居と岩を結ぶ方位は、北北西を向いています。
つまり、夕日の方位ではない。むしろ小呂島の方位に近い。
(-.-)
そしてその
小呂島=オノゴロ島
の形こそ、前方後円墳のモデルとなったと、私は確信しています!

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2019年06月12日

クララ: 明治天皇は乃木希典

クララ: 明治天皇は乃木希典
◆クララの霊視|明治天皇の正体は『乃木希典』
霊視鑑定を通して人々の苦しみに接していると、どうしても悪魔たちのクーデターの明治維新を避けることは出来ません。
このクーデターのメンバーは、アダムとイヴである私たちをエデンの園に返さないように働く悪魔に魂を売った人たちです。
彼らは、綿密にこの計画を練り上げ、今の天皇官僚制度をつくりました。
そのために明治天皇がすり替えられたのは、すでに多くの人が知っているところですが、皆が気づいてないことがあります。
それは、偽明治天皇が、よく言われる“大室寅之助”ということではなく、真の偽明治天皇は、”乃木希典”だということです。
偽明治天皇は、そもそもが虚構なので、複数の人が成りすましていたと思いますが、それは、藤子・F・不二雄のパーマンの身代わりロボットのようなもので 乃木希典が外に出る時は、身代わりに明治天皇を演じる者が複数いたはずです。
私がなぜ、このことに気付いたのかというと、昨年、ある方のルーツを辿るために御殿場に行った時に、その地になぜか、乃木希典の石碑があり、私は、そこでレディーガガや多くのスターや成功者たちが出会って魂を売ったとされている悪魔に出会ったからです。
レディーガガは、無名時代に悪魔に出会った時のことを告白していますね。
私が、悪魔の誘惑にのらないとわかると、悪魔は、私の体から一瞬で逃げ出しましたが、それから、ずっと乃木希典のただならぬ霊気についてずっと思い巡らせていました。
そして、乃木希典こそ、縄文からの直系の日本人にたかるノミ・ダニ制度をつくりあげた張本人だと気づくと、あの時のただならぬ霊気の理由が解けました。
とはいっても乃木希典も悪魔の手先の一人にすぎませんが、正体がわかればこっちもんです。
真実を知ることは、人を強くし、そして悪魔は居場所をなくしていきます。
まあ、郵政民営化にしろ、天皇制にしろ、純粋な日本人をよくもだましてくれたもんだ!私もすっかりだまされました。
日本は、全然、民主主義の国ではありませんでした。
私の曾祖父は、三井三越よりも財を持っていましたが、終戦後、はめられて無一文にされたのは、曾祖父は、イルミナティへの加入を拒んだからだと、今になってわかりましたが、たとえ無一文になろうとも悪魔のささやきになびかなかった曾祖父を私はほこりに思います。
そして曾祖父のカタキ、そしてたくさんの人の幸せを奪ってきたカタキは、曾孫の私クララが曾じっちゃんの名にかけて、そして、イエス・キリストの聖名によって、霊的方面の私のお得意分野からとらせて頂きます。
神様は、この地球をエデンの園として創造されました。
そして私たちは幸せになるために生まれました。
次は、聖書では菊のカーテンについてどう書かれているか、お伝えしたいと思います。
もう、ノートルダム大聖堂も寺院もあんな豪華なもんいらない!
一人一人の心に復活の白いエネルギーである十字架を立てる!
皆のエネルギーが集まれば、凄いエネルギーになるよ!
その日は、近い!
ちなみに、明治天皇だけでなく、日銀総裁もなりすましだよ。
最後の時、正義は勝つ!

預言者クララ
https://shionoyama.com/sengen-gengou/

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2019年06月10日

FB寺内: 鳥見山の祀神はウガヤフキアワセズ

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FB寺内: 鳥見山の祀神はウガヤフキアワセズ
勾玉 の発見からまた発見‼️《うがや勾玉説😆》
寺内
うがやさん を祀る所は
もしかしたら 勾玉型 ?(o_o)?
・鳥見社の鳥見山公園
・蚕ノ社(元糺すの池)
・吾平山上陵(うがや陵)

この3つは、はっきりと勾玉型です。
・下鴨神社(賀茂御祖神社)

下鴨神社は 勾玉では無い。。。
でも、こじつけかも知れませんが、区画整理など無ければ、勾玉型だった可能性も十分あり得る形状だと思えます。
※ちなみに下鴨神社の本当の御祭神はウガヤさんです。下鴨神社の名称は "賀茂御祖神社" と言いまして、ウガヤの本名はカモヒトです。
御祖神 は みおやかみ=ウガヤの事です💞
これは、ウガヤフキアワセズを祀る所は勾玉の形をしている!
と、言っても過言ではないと思います💕
もしかしたらうがやさん、
どなたよりも 【トの教ゑ】 を大事にされてたのカモ?知れません。
御人柄も素晴らしく、平和な時代だったようです。

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【ホツマツタヱ = 古事記日本書紀の元書】
ホツマツタヱから歴史的大発見😊
(ちゃんと書きました!)
神武天皇が父ウガヤさんを祀った社 と 勾玉の上で大嘗祭! の巻
【とりみやま】(奈良 宇陀)
〈@神武天皇 が 父ウガヤフキアワセズ を 祀った社 鳥見社(鳥見神社)〉
ホツマツタヱ 30あや
〜かもおうつさせ みをやかみまつるはりはら とりみやま〜
ここでの "みをやかみ" は 父ウガヤさん。
祀る 榛原(はいばら) 鳥見山
神武天皇 は 父ウガヤフキアワセズ(かもひと)をここへ歓請し祀った
宇陀市榛原萩原の鳥見山
鳥見山公園の真ん中に 勾玉池
人けの無い、知られてない社
御祭神を調べてみる
皇祖天神(みおやのあまつかみ)
大山祇御祖命(おおやまつみ)
神日本磐余彦尊(神武天皇)
とのネット情報を見つけましたが、いずれも個人の発言でしたので、宇陀市に電話で確認。
よくわからない様子。
近所の墨坂神社が管理してるかもしれない、との情報から、墨坂神社に電話で問い合わせる。
墨坂神社の説明では、
「もうはっきりとした御祭神はわかりません。
"神武天皇にまつわるお社"
ということで(管理者が無いので)私共が年に一度 お祀りさせてもらってます」
との事。
全国にウガヤさんを祀ったところはあると思いますが、ここは神武天皇 自らが(アメトミに命じ) 父を祀った社。
最重要だと思います。
今は良いけど、この先 朽ちていくのか心配です。
〈A神武天皇が大嘗祭を行った 鳥見霊時(まつりのにわ)伝承地〉
日本書紀に
〜霊時(まつりのにわ)を鳥見山の中に立てて、そこをなずけて、上榛原 下榛原と曰ふ。持て皇祖天神(みおやのあまつかみ)を祭りたまふ〜
と、
記載されているようです。
まつりのにわ とは、(神武天皇が)大嘗祭を行った場所とされ、ここはその候補地。他にも候補地はあるようで、はっきりとはされていません。
日本書紀にも みおやかみ を祀ったとの記載 & ホツマツタヱからも この社の御祭神は父ウガヤさんだとわかる。
とても山の上です(公園の標高600m)
「こんな山の上で大嘗祭を行っただなんて、お付きの方々は大変だっただろうな。。。たしかに見晴らしは良いけどわざわざこんな所で、、、」
と、思いました。
しかし、家に帰り、気付きました。
この鳥見山公園の地形をグーグルマップで見て驚きました。
この 公園の地形自体が、
なんと‼️ 勾玉‼️‼️‼️
この形、単なる偶然とは思えないのです。
三種の神器 の 勾玉
勾玉が意味する事は何なのか?
本当の意味はホツマツタヱから 知ることができました。
勾玉 は "トの教ゑ"の象徴。
それは 日本人の道徳 教訓。
人への思いやり。私利私欲を持たないヲヲヤケ。
その証の象徴が 勾玉 だということ。
神武天皇は 勾玉の地
トの地の上で、父を祀り即位した。
父からの ミヤコドリの教ゑ
この勾玉の鳥見山
そう考えると鳥肌がたち、涙がとまらなくなりました。
日本は かみ の国
素晴らしい天皇というリーダー
天皇は 支配者ではなく、総てを包み守り、祈る存在。
歴史的に語り継いで行きたいと思いました。
私はここが まつりのにわ だと感じますが、みなさんは どう思われますか?
鳥見山からは、素晴らしい大和を見晴らせました。

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見えない力
それを、人はいろんな呼び方をして、神様 とか呼んだり も するんやけど、、、最近 自分に、不思議な力が作用しまくってる気がする。🚙
昨日、偶然にもトある人から すごい御社を教えてもらって 行ってきた⛩
それも、雨やと行けなかったのに、土砂降り予報も跳ね飛ばす程の晴天やった!
そこは、とんでもないすごい御社で、後でもっとちゃんと詳しく投稿するけど。。。
おそらく神武天皇 が 父ウガヤさん を祀り、さらに神武天皇が自身の即位で大嘗祭を行なったであろう場所‼️
日本書紀にも書かれてて、石碑もあるから、
ばくぜんと 歴史の中で言い伝えられてきただろうけど、他にも候補地は あるし、
はっきりした事はもう何もわからなくなってる。
でも。
ホツマツタヱを読み、ここへ来てみたら、間違いなく ここ とわかる。
場所は 鳥見山公園
勾玉池のほとり。
そんな場所があることすら知らんかったし。
確認で、今、グーグルマップで見て鳥肌が立った
ぼーっと見てたら きっと 気づかなかった
勾玉池 は なんとなく 勾玉型
それよりも、鳥見山公園 はまさに勾玉そのもの!!!
鳥肌!!!
三種の神器 の 勾玉
それは、トのヲシテ と、云って。
日本人がみんな持つべき道徳心と愛の事。それを形にしたものが勾玉。
この勾玉の場所で、神武天皇は即位したんやなぁ
どんな 想い と 決意 を持ったのだろう?
いや、それも ヲヲヤケ で、何もかも判断されたんだろうなぁ。

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2019年06月06日

古代史研究会: 芳三山はオリオンの三星の配置

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古代史研究会: 芳三山はオリオンの三星の配置
坂口
現在噴火している桜島や阿蘇山は、目立っておりますけれど、だいたいの香具山は、周囲の山より低く、そして目立ちにくい山です。
なぜ低いのかは、火山活動により、光と雷を伴い、天に噴石が吹き上がったからですが、その天と地に土を分ける事が、霊(私の中の宇宙)
と令(宇宙の中の私)に喩えられるからです。
香具耶は、光と共に生まれ天に召します。
また、咲耶の場合は、666の蕾が369と開らく、その蕾が、光と雷(ラィエデン、神成、神の子の種、三種神器、十種神宝)を秘めているという事です。
ところで芳三山は、
665m、685m、681m
の三ツ子の山ですが、もちろん、最後に噴火したのは一の岳の金峰山ではありますが、芳三山の12の斎石の中心は、斎園殿(エデン)の東の芳野東門寺という事になります。
その小さな山の頂上が、拝ヶ石巨石群となります。
超古代の火山爆発によりカルデラ湖が形成されて、湖の上に顔を出した山でした。
芳野拝ヶ石の亀石は、海の島の火山といわれる、真の東勝神州芳来の山であり、イエスが、私は雲に乗ってくると申した
耶蘇島(邪馬土を示す八十(逆さで666)、
熊襲タケルの本名のヤソタケル)、
角力斗雲に乗ってくる孫悟空(猿田彦)が生まれた花果(369の花から666の実に気づく)
山でもあります。
また、ギリシャ神話では、オリオン(三ツ星)は、東の国で、みえなくなった目が観えるようになります(籠目→龍目の竹取り、竹は生長の比喩で、龍目は決して生まれも死にもしない何か)。
写真は、ギザの三大ピラミッドと芳三山と、イエスが一番鳥が泣くまでにと申した朱鶏の鶏冠(ト坂)の比較と、想像でしかない中国の仙石と、拝ヶ石の本物の仙石(亀石)です。
そして、孫悟空のきんと雲の形をご覧になりますと、亀そのものです。
雲に乗るは、亀に祈るという示しです。
天水を掬う雨宮柄杓星の、北斗七星と北極星の鶴と亀(天神)が統べるでもあります。
龍宮へ行くという生宮(龍目)への挑戦は、亀に意乗る、拝ヶ石(お亀意志)という事です。
縄文渦巻き雲の石は、火山湖を切った岩戸山のものです。
古今の歌詠みの修行の場こそ、その切り口です。
写真は、お借りしています。

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2019年06月03日

古代史研究会: 八咫烏はユダヤ支族ダン族の末裔ではないか

古代史研究会: 八咫烏はユダヤ支族ダン族の末裔ではないか
神武東征の謎を斬る!そのM 
八咫烏は空を飛んだか?!
Chiaki Matsumotoさんが言われるには
「ヤタガラスは絶対空を飛んでいた!」。
・・・そう言われれば、熊野の道なき道を進んで無事に神武軍を案内したり、敵の本陣の真ん中に飛び込んで行ったり、敵の大将の家に忍び込んだりと、ヤタガラスの動きはどれも人間離れしている。
まるで後世の忍者のようだ。
・・・空でも飛ばないとできそうもないことをやったのがヤタガラスたちだった。
では、彼らはほんとうに空を飛んだのか?・・。
人が空を飛ぶ、ということが可能かどうか考えてみると、歴史上、空を飛んだ人物が一人思い浮かぶ。修験道の開祖・役小角だ。
役小角には、流刑になって流された伊豆の大島から毎晩富士山まで飛んできていたという逸話が「日本霊異記」に伝わる。
・・・では、ヤタガラスと役小角になにか関係があるかというと、これが、ある!
役小角の出生した役家という家は、三輪系賀茂氏の出身であり、先祖をたどるとヤタガラスにまで行き着くのだ・・。
ヤタガラスがすでに神武東征時に空中飛行術を身に着けていたとしたら、役小角は先祖の秘術を受け継いだだけ、ということになる・・・。
さらに言えば、役小角の出生地は大和国葛城郡茅原郷。
神武東征時にヤタガラスが大活躍していた古戦場である。その上、役小角が若いころ修行していた場所はなんと熊野山中・・・。
・・役小角以外にもヤタガラスは、陰陽道の大成者である安倍晴明の先祖でもあるようだ。安倍晴明の師匠の名前は賀茂忠行と言い、この人も安倍氏もまた賀茂氏の一族である。
つまり、日本において一大開花した修験道も陰陽道も、もとをたどればそのルーツはヤタガラスにある。
では、ヤタガラスとはいったい何者だったのか?
ヤタガラスの本名は賀茂建角身命。
秦氏と並んで神武東征の戦いを勝利に導いた立役者であり、両者ともにその正体は北イスラエルから来たユダヤの10支族のひとつではないかという説がある。
私の推測だが、賀茂氏は10支族のうち、ダン族の末裔ではないだろうか・・・。
この賀茂氏という氏族、秦氏に比べると、かなりブラックな要素が見て取れる。
金鵄である秦氏に対して、ヤタガラス・賀茂氏。
これだけでも陽と陰、光と影、正と邪を対比させているような名前なのだが、それぞれの性質や言行を見ても、この対比は一層鮮明になって行く・・。
ヤタガラスは東征の戦いにおいて、
シキ兄弟、
ウカシ兄弟
と言う敵の大勢力を打ち破るために、誘降による内部攪乱という高度な心理占術を仕掛けている。
いずれの場合も内密理に弟に近づて説得し、寝返らせることに成功、敵の作戦や布陣まで詳細に聞き出したうえで対策を練り、見事勝利している。
ヤタガラスはオトシキやオトウカシに向かって、こんな風に言っていただろう。
「わが君の一族は末子相続なので、本来ならあなたのような弟君が家長の座に座るのです。
今のまま兄者に使われているより、わが君に仕えてこの地域の王になりませんか? 
それに、ナガスネヒコはどうしようもない乱暴者。
わが君の戦いは正義の戦いなのです。
勝ったときの恩賞は欲しいままですぞ。」・・・ 
正義を建前に名分を与え、本音のところは実利で誘う。こうして人の心を掴んでゆくヤタガラスのやり方のあざとさ、狡猾さ、人間というものの心の奥の奥まで知り抜いたような抜け目のなさは、なんとなく、現在のユダヤ商人にも繋がるものに思えるのだ。
神武やニニギといった天孫一家の人々が、人を疑うことすら知らず、ひたすら世の中のために奉仕するような善良無垢な一族であったのと好対照である。
実際、東征の戦いにおいてもヤタガラスの活躍する部分だけが巧妙で狡猾なスパイ活動であり、神武自身は仁徳の人で、そういう方面とは正反対の志向がある・・。
ヤタガラスのこういう性質はどこから来ているのか?
安倍晴明が大成した陰陽道という巫術は、どちらかというと、神様に祈念して世の中に恵みをもたらすというよりは、人を呪い殺すような目的のときに効果を表す、黒魔術的な巫術である。
・・・失われたユダヤ10支族は、それぞれ紋章を持ち、それぞれはっきりとした役割と特性を備えた部族であったという。
ダン族の紋章は「蛇」である。
また、ダン族の特性は、
「己の民を裁く。マムシのような狡猾さ。」・・・
・・・日本には蛇を祭神とした神社も多い。
特に九州には多く見られる。
蛇は邪神のように思われるが実は日本では金銭的な富貴をかなえる神であり、また、転生の象徴でもある。
もしも、ダン族が古代にイスラエルからインド経由で朝鮮半島にやってきて居住し、神武東征の頃、日本にやってきたのだとしたら、どうだろうか?
蛇を進化させた形が「龍」である。
龍神信仰もまた日本に多く残っている。
龍神は水を操る神として、古代から海人族の信仰する神であった。
神武の時代よりかなり前、南インドから塩土族というドラヴィダ系の民族が南九州に渡来し、勢力を持っていたという。
神武の曽祖父である天孫ニニギが降臨した際、彼はまずこの塩土族の本拠であった笠沙の岬を目指している。
そのあたりから西日本一帯、そして朝鮮半島の南半分までは、倭人が勢力を張っていた。
塩土族は倭人と戦うことなく交流し、交易などを通じて仲が良かった。
この一族の中から塩土老翁という大物が出て、神武に東征を決断させている。
…塩土族が南インドから九州を目指した時、ダン族の人々も同行していたとしたらどうだろうか?・・・白蛇信仰や龍神信仰がもたらされた経緯が見えてくるような気がする・・。
(写真は京都市にある晴明神社の鳥居。
五芒星が描かれている。
六芒星がユダヤ民族の象徴であり、精神と肉体の調和、現実世界と霊的世界の調和を表すのに対して、五芒星は現世での理想の実現を表し、時に悪魔の象徴にもなるという。
・・・どちらもユダヤの紋章である。)

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2019年05月30日

知識の小部屋: 平原大鏡が記紀の八咫鏡である

知識の小部屋: 平原大鏡が記紀の八咫鏡である
二部第10回
前回、少々細かい点ですが、周尺は18cmであり、その長さが許慎のいた漢代には、咫と言われる長さであると考えられていたことを確認しました。
平原大鏡は、銅鏡の本場、中国大陸にも類例がない大きさであることなどから、倣製鏡(日本製)であると考えられていますが、果たして弥生時代の日本人に中国でもあまり使われた形跡の乏しい「咫」なる長さの単位を認識していたと考えて問題ないのでしょうか?
既に伊都国での漢字への理解の形跡は、何度か指摘してきましたが、私は、この問題についても、当時の伊都国人が、「咫」の意味を認識していたと考えて全く問題ないと思います。
それは平原大鏡自体が示しています。
即ち、平原大鏡は、その単に大きいだけで特別というわけではなく、その文様も他の内行花文鏡に全くない、八葉座であることと、そして、その内寸が漢尺の2尺に相当する46.5cmであるからです。
つまり、
「漢尺の2尺で銅鏡を作ると円周8咫の鏡になる」
ということを理解していることを主張する意味が込められたからこそ、平原大鏡は、類例が皆無の八葉座を持っているです。
八弧文、
八葉座、
八咫、
こうして意図的に八という数字に合わせこんで作られた特別な銅鏡、それが平原大鏡なのです。
またこうしてみると、それが記紀の
「八咫鏡」
であったとすると、八咫鏡が伊勢神宮とそして皇居の賢所はその形代(レプリカ)が有るとされていることも、いとも無造作に理由が想像されます。
即ち、平原ではすでに5枚の大鏡がありますが、恐らくは当時は8枚作られ、その鋳上がりが一番良いものが伊勢にあり、皇居の賢所にもお形代として残ったのではないでしょうか? 
これでは、合計7枚で一枚残るわけですが、私は最後の一枚が箸墓から出てくるのではと期待しています。
箸墓の主、モモソヒメは国譲りの調和の精神の体現者として、彼女個人の所有物として八咫鏡の内一枚を副葬される権利を十分に持っていると思います。
箸墓主体部の発掘・考古学的な調査は何時になるのかも知りませんが、何とか長生きして、この推論が当たったかどうか見てみたいです。
また記紀や伝承に残る「八咫鏡」という単語ですが、これが大きい鏡を意味することは、これを円周長を表したと捉えないと、途端に不自然になります。
何故ならば、咫という単位は、尺よりも更に小さい長さの単位であり、基本的に中国の文献では、「咫尺」と熟して、小さいものの例えに用いられるからです。
既に一部の13回で、述べたとおり、身体尺としての長さ15cmの拇人指咫では、ヤマトの2枚の大型内行花文鏡が八咫鏡にあたり、18cmの拇中指咫では、平原大鏡が当たります。
もし記紀が単に後世の創作に過ぎないなら、その編者は、大きい鏡を表現したい場合には、
「八尋の鏡」でも
「八丈の鏡」でも、
もっと相応しい言葉を選ぶことをしたはずではないでしょうか。(「尋」は、両手を広げた長さ、「丈」は背丈の長さを示す身体尺です)
弥生末期の巫女王であった平原王墓から、古墳時代の始まりを告げるモモソヒメの箸墓、そして元伊勢伝承の始まりのトヨスキイリヒメから、最後に伊勢にたどり着いたヤマトヒメへ、銅鏡を憑代として太陽を奉斎する巫女の系譜が、倣製の大型内行花文鏡に注目することで自ずから立ち現れてきます。
「伊都から大和を経て伊勢へ、日本古代史を一つの継続的事象として捉える」
平原大鏡が八咫鏡に他ならないという結論が我々に示す意義は、この点にこそあります。
このことは極めて重大ですので、慎重に考えなければなりませんが、もし、俄かには肯定しかねるとして、これら事実を単に「わからないこと」として、あっさりと我々の「歴史」の範疇から蹴り出してしまうことは、余りにも勿体ないことだと思います。
この事実を否定的に捉えたい方には、平原鏡はなぜその面径が丁度、漢2尺なのか、なぜ前例・類例のない八葉座なのか、そして、なぜ記紀では、小さいものの形容に使われる
「咫」
なる特殊な字を使って大きな鏡を表現しようとしたのか、その全てを整合的に説明する対案を期待したいと思います。
平原の銅鏡については、まだまだ語るべきことは多いですが、ここでは一旦先を急ぐことにして、次から平原にある3種の神器の残り2つ(剣と玉)を見てみたいとおもいます。

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2019年05月23日

古代の人体蘇生術ー神武蘇生伝説とユダヤ神器


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古代の人体蘇生術ー神武蘇生伝説とユダヤ神器
人体蘇生と申しますと、何か胡散臭い話ですが、筑紫(熊本の宇土)から来た火の君(姫氏)が、その術式を使って生き返らせた話は、播磨国(姫路)風土記にあります。
その土地の地名は継となったとの事。
また、蘇りの術式は、継体でもあります。
神武天皇の蘇りなど、東征前の九州での古の天皇、もしくは斎王は、この継体の王であったのかも知れません。
ところが、熊襲タケルから継(火の君)を襲名した大和タケルは、草火をコントロールする、蘇りの剣である、草薙ぎの剣を使いきれず火に倒れます。
草薙とは、那岐と分けた曜玉です。
人体では、五臓六腑一性殖(五組連玉と二独玉で七岐)です。
それを真釣り合わし直すという事です。
それで、古代の真剣は真釣る木と申すのです。
ムラムラと湧き上かる叢雲の生命の木でもあります。
草叢から飛び立つ雉(霊)を、もう一度草(人体)に納める薙ぎの剣でもあります。
八咫烏で申せば、三本足を挙げて飛鳥と成ってしまった足を、再び二本を戻すという事です。
泡沫(歌方土)の淡(気流柔剛の火と水)と固まる淡路の秘め路は、ア行からワ行の、敷島に磯辺(五十音鈴)と幸拾う国(日本)の言霊でもあります。
祖母継乙女は亡くなりましたが、私のプロフィール写真では、古代、海へ入水した斎王の真似事をしております。
ちょうど、ミミズが入れものとなって土を通しますように、水瓶(魄)と成って、足比日口縄から手比日囗縄の握り(ニニギ)により、水(令)を通すのが人の生き宮です。
禊ぎの方法もそれに習います。
草薙の示しの写真は、お借りしています。

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神武東征の謎を斬る! そのL 高倉下はいかにして神武を蘇生させたのか?
神武東征の戦いの中でも最大の危機は、戦いに敗れて熊野に迂回しようとした神武が敵の放った毒気によって倒れ、全軍が昏倒、あとは全滅を待つばかりとなった時だった。
この時、謎の武将・高倉下(タカクラジ)が忽然として現れ、神剣・布都御魂を使い、神武を蘇らせたということになっている。
・・・しかし、剣を振り回しただけで死にかけている人を蘇らせることができるのか?
今回は、タカクラジが行った神武蘇生の秘儀に迫ってみたい。
写真は、右がタカクラジが使用したとされる布都御魂であり、左がユダヤの祭祀で使用される、メノラーと呼ばれる燭台である。
布都御魂は別名、七星剣とも呼ばれ、メノラーは別名、七星台とも呼ばれる。
名前も似ているが、その形も似ている。
(画像が見つからなかったのだが、メノラーの中には布都御魂のように互い違いに枝分かれしたデザインのものもある。)
古代ユダヤ地方では、人が死にそうになると祭司が祭壇にメノラーを設置して、それに七つの炎をともして生命力復活の儀式を行ったという。
この祭祀法は今でも残り、ユダヤ教のみならずカソリックの人々の中でも行われている。ただしこの蘇生法は祭司以外はだれも見てはならないという秘儀であり、現在でも秘儀として伝えられているため、その様子を見ることはできない。
記紀によれば、高天原にいた天照大神と高木神から神武救済の依頼を受けた健御雷神が、
「私が行かずともこの剣を降せば良い」
と言ってタカクラジに授けたのが布都御魂であるという。
高天原は現在の南朝鮮にあって、当時、ガド族、ダン族といったユダヤ10支族の末裔が流れてきていたらしい。
彼らは古代ユダヤの蘇生法を熟知していた。
ユダヤ人が死者蘇生を行う黄金のメノラーを作るときは、鋳型で作ることは許されず、鍛治者が槌で打って作る必要があったという。そして、一回一回の槌の打撃に祈念を込め、祈りの力を込めてメノラーを作っていった。そうして出来上がったメノラーは神秘的な力を持ち、しばしば死者を蘇らせることができたという・・・。
古代日本にはロウソクというものがなく、燭台もなかったが、その代わりに剣というものが神秘的な力を持つ霊器であるとされ、三種の神器の中にも入れられている。
半島に流れてきたユダヤ族たちは、その地にあった宗教儀礼と自らの伝統的な宗教様式を合わせることで、神剣・布都御魂を作ったのではないだろうか?・・・。
鍛冶者たちは祈りながら、魂を込めて、メノラーの形をした剣を鋳造した。
出来上がった剣は聖なる力を持ち、ユダヤの蘇生法の秘術を持つ特別な祭司の手によってそれが使われるとき、その力を発揮した・・・。
その祭司の名は、健御雷命であり、タカクラジであった。
剣だけに霊力があっても、祭祀を行う者と、その祭祀法にも霊力を伴わないと蘇生は成功しない。
タカクラジはどうやって布都御魂を使い、祭祀を行ったのか?・・。
この時タカクラジが行ったのは、現代で言えば「祈祷」だったのではないかと思われる。
神道、
加持祈祷法、
修験道
などは日本独特の宗教としてその後発展して行くのだが、これらはすべて神武東征の時、歴史上はじめて出現しているようだ。
その意味でも神武東征の歴史的意義は深い。
祈祷には「祝詞」と呼ばれる、一種の呪文のような文章がある。
祝詞は神様の力を引き出すために考え抜かれ、選び抜かれた言葉によって構成され、これを人々が誠心誠意を込めて心からの祈りを声に出して読み上げるとき、神力が発動する。
・・とある祝詞の一節に
「〜布都神の神剣を遣ひて。ふるべゆらゆらと〜」
という一節がある。
私はこの祝詞こそがタカクラジの唱えた祝詞ではなかったかと思うのだが、祝詞そのものが神聖なものであり、無断転載を禁じられているのでここではごく一部分を掲載させていただく。
・・・この一節の中の
「布都(フツ)」
という言葉は、泉の湧き出る音、もしくは心臓の鼓動を表し、生命力の発現を表す。また、
「ゆらゆら」
という言葉は「魂を揺り動かす」転じて、
「消えそうになった魂を呼び戻す」
という意味があるのではないか?・・・。
布都御魂は別名、布留御魂とも書くほか、いくつかの別名を持っているが、この「フル」という言葉は、生命力が天空から神力によって降り注ぐさまを表しているのではないか?・・・。 
霊力を持った者が、霊力を持つ神器を使い、定められた様式に沿って、赤ん坊が母を呼ぶような赤心を持って神に祈るとき、なにかが発動し、死にそうな人が蘇ることもある。
タカクラジが神武のために祈祷を行ったとき、神武は仮死状態だったと思われるが、この神剣と神への言霊の力によって神武は生命力を取り戻し、蘇生するに至った・・・。
このことを鑑みるとき、なぜその人の諡号が「神武」であったのか?という意味もわかるような気がする。神によって武力を与えられた人、あるいは神の力で武力を行使した人、という意味に受け取れるからである。

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8世紀の天皇名の和風諡号
Facebook古代史研究会/古荘氏
2019.5
「2人のハツクニシラスは鎌倉幕府の陰謀か? 天皇」
漢風諡号が現在私たちが言うところの天皇名ですね。
しかしこれは大まかに言うと、8世紀に淡海三船がそれ以前の天皇名の漢風諡号をつけたのであって和風諡号がそれとは別にあります。
『日本書紀』における
神武天皇の和風諡号『始馭天下之天皇』と、
10代崇神天皇の諡号『御肇國天皇』を
両方とも
「ハツクニシラススメラミコト」
と読むようになったのは鎌倉・室町時代(あるいは平安末期)からであるとの説があります。
『書紀』編纂時は異なっていた可能性があるのです。
同じ読み方だから崇神が実際の初代でそれ以前は神話であるというような説もあります。かなり根強く。
しかし神武が神話であるなら、わざわざ
崇神とハツクニシラス
の漢字の綴りを変える理由が解らない。
神武天皇の和風諡号『始馭天下之天皇』
10代崇神天皇の諡号『御肇國天皇』
と思ったのでここからはちょこっと調べての想像です。
神武の称号内にある「天下」は高天原である天上は天照大御神が治めて、地上である天下は天皇が治めるというニュアンスであろう、と言われています。
日本書記に
「始馭天下之天皇」
と登場する寸前の記述は
高天原まで届くくらい高い宮殿の建物を作ろう
というようなことが書かれています。
「畝傍(ウネビ)の橿原(カシハラ)に宮柱(ミヤハシラ=宮殿の柱)を底磐(シタツイワ=柱を支える岩)の根元にしっかりと立てて、高天原(タカマガハラ)に峻峙(チギ=宮殿の屋根で木材が交差する部分)が届くくらいに高くしよう」
これに続いて
「始馭天下之天皇(ハジメテ アメノシタ シラシメシシ スメラミコト / ハツクニシラススメラミコト)である私は、神日本磐余彦火々出見天皇(カムヤマトイワレビコホホデミノスメラミコト)と名乗ることにしよう」
となっています。
天上の高天原に対して
「始馭天下」   
と言ってるから天上と天下の対比で
天は高天原を神々が 天下はスメラミコトが統治する
という意味合いを感じます。すなわち神武の『始馭天下之天皇』はハツクニシラススメラミコトというニュアンスとは違って明らかに
「ハジメテ  アマノシタ  シラシメシシ(シラス)  スメラミコト」
と読んで天の下の世界を治める王朝の創始者というニュアンスになる方が自然だと思うのです。
漢字に意味をもたせて当て字にしているならば
始馭天下之天皇の馭天下は天下を馭す。
馬を制御するように天下制御するということですから、シラスは治らすでしょう。この
「アマの下 治ラス スメラミコト」
という言い方はのちの世に頻繁に現れます。
同じく8世紀成立の万葉集には(写真参考)
仁徳天皇のことを
「難波高津宮御宇天皇」
と表記しこれを
「難波の高津宮にアメノシタ シラシメシシ スメラミコト」
と読んでいます。
またすぐあとに万葉集は天智天皇のことを
「近江大津宮御宇天皇」
と書いて
「近江の大津宮にアマの下 シラシメシシ スメラミコト」
と読んでいます。このあたりの事情から日本書記成立のころ天皇のことを
「アマノ下 シラシメシシ スメラミコト」
と表現していたようでありつまり
「天下を統治する王」
というのが天皇の称号だったようです。
神武は初代天皇であるから
「始めて アマノ下 治らしメシシ スメラミコト」
と読んでいたとするのが自然に思うわけです。
それに対して崇神の『御肇國天皇』はその治世にヤマト王権の支配が初めて全国規模にまで広まったことを称讃したものなのでハツクニシラススメラミコトは
「はじめて大和と言う国を全国に知らしめた天皇」
というニュアンスだったのではないか。
現に古事記の表記では
「所知初国之御真木天皇」
これは普通に読めば
初国を知らしめるところのミマキスメラミコト
ではないか?
初国とは、周辺国がその国を初めて知るという意味であったと古田武彦さんが書いていました。
だから実はハツクニシラス天皇が二人いたわけではない。
まったく異なる意味合いでつけられた二人である。
神武は
「初めて アマの下 シラシメシシ スメラミコト」
シラスは統治の意ですね。
崇神は
「初国を 知らす スメラミコト」
シラスは知らせる
であった。
などなど、
半分は想像の産物として一筆したためました。

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神武天皇の血流を追って ニンキジッタ(トート)神の血流を辿る
投稿者 そこちょっとつんつく
日時 2018 年 1 月 05 日 03:20:04: 8EItFG7yGzQIA gruCsYK_guWCwYLGgsKC8YLCgq0
大和をエッタ(穢多)に落としたシラギ神崇拝教|古代被差別部落とは、その3〔裏古事記 日本人のルーツ飛騨〕
http://roots-hida.info/nigihayahi/
実は、崇神天皇こそが神武天皇であり、また、大彦命の事でもあるのです。↓
ニギハヤヒの後継者問題〔 天の王朝〕
https://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/diary/201704010000/
「...そしてこのとき、ニギハヤヒが天磐船からこの地を見て「虚空見日本国(そらみつやまとのくに)」と名付けたと、『日本書紀』と『先代旧事本紀』に書かれています。
ニギハヤヒが「日本国」の命名者であったことになりますね。
それは彼が統一大和王朝初代の王であるから、当然と言えば当然ですね。...
もし出雲族と日向族の双方が納得のいく統一王朝を作ろうとした場合、誰をどう立てればいいか、という問題に突き当たります。...
ニギハヤヒは悩むわけです。...
ニギハヤヒはその後のことも考えていたと思います。..
たとえば、...一族の血が混ざって、名実ともに統一王朝が生まれると考えたのではないかと思います。
実際、その後の系図を見ると、そうなりました。
ただし、完全に軌道に乗せるには、崇神天皇の時代まで待たなくてはなりませんでしたけどね。
というのも、崇神天皇自身が開化天皇とともに、アマテラス、スサノオ、アヂスキタカヒコネ、オオトシ、オオナムヂ、ナガスネヒコ一族の直系だからです。...」
アマテラス〔何から話そうか〜龍の部屋〕
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099221.html
「『日本神話と史実(上)』(「新世紀の古代史5」)著者石渡信一郎・信和書房(2012)より、抜粋して転載します。
...三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の霊はオホヒコ(王日子)・アマテルオホヒコ(天照大日子)・アマテルヒコ(天照日子)・アマテルオホヒ(天照大日)などの神名で呼ばれていたと考えられる。
崇神(旨・首露・脱解)は、稲荷山古墳(埼玉県)出土の有銘鉄剣には「意富比〇」と刻まれているが、
※〇は「土」に「危」で、「おほひこ」です。
「崇神紀」にみえる
大彦命(おおひこのみこと)
は崇神(旨・首露・脱解)の分身であり、「大彦」は「大日子」と同義である。
そして、三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の霊
アマテル=オホヒコ
は、ヤマトの日神・建国神であるとともに、加羅系氏族の祖神とされて、諸国の要地に分祀されるようになった。...」
また、
神武天皇=崇神天皇=大彦命血流
は、難波吉士でもありました。
藤原不比等によって、分からなくされてしまっていたのです。↓
「稲荷山鉄剣銘」が明かすワニノ臣(後の春日臣)の実像(7) 日本古代史の謎シリーズ 102 稲荷山鉄剣銘 5代タサキワケ〔 ナミオのブログ〕
http://ameblo.jp/egami-namio/entry-12074278240.html
「...(5)477年に応神(昆支・武)の即位に反対して反乱を起こした時、敗れたオシクマ王とともに自殺した「吉師(きし)の祖五十狭 (いさち)宿禰」(日本書紀)=「吉師部(きしべ)の祖伊佐比(いさひ)宿禰」(古事記)は、
(イ)吉師・吉師部が『新撰姓氏録』に大彦命を祖とする難波吉士・吉志などがみえることと、
(ロ)イサチ=イサヒが「イ(大)・サキ(城・城邑)」と同義とみられることから、
タサキワケと同一人物とみられる。
藤原不比等がタサキワケ=イサチノ宿禰の実像を隠すために、同一人物を敵・味方に分かれて戦うことにしたと考えられる。
(6)『先代旧事本紀』国造本紀によれば、
@无邪志(むさし。武蔵)国造条には、
志賀高穴穂朝世、出雲臣の祖、名は二井之宇迦諸忍之神狭命十世の孫、兄多毛比命(えたもひのみこと)を国造に定め賜ふ。とあり、
A胸刺(むなさし。武蔵)国造条には、
岐閉国造の祖、兄多毛比命(えたもひのみこと)の児、伊佐知直(いさちのあたい)を国造に定め賜ふ。とある。
「兄多毛比」は、
『高橋氏文』に「无邪志(むさし)国造の上祖大多毛比(おほたもひ。大伴部)」とあり、
「伊佐知直」は、
五十狭 宿禰=タサキワケと同一人物で、父「兄多毛比命」と同じく「武蔵国造の上祖」とみられるので、
「伊佐知直=タサキワケ」の父「兄多毛比」が
「无邪志国造の上祖大多毛比(おほたもひ。大伴部)」=タカハシワケ
であることが分かる。
 (7)タサキワケのワケの尊称が無くなり伊佐知直(いさちのあたい)とされている理由の一つは、442年に珍(ワカキニイリヒコ)が死亡した直後、珍(ワカキニイリヒコ)の王子和訶奴気(わかぬけ)王(『古事記』)=大江王(『古事記』)=彦人大兄(『日本書紀』)が、既に珍(ワカキニイリヒコ)の後継者と決まっていた済(ホムダマワカ)と争った時、「杖刀人首(軍総司令官)」タサキワケが済(ホムダマワカ)に味方して彦人大兄を殺したが、彦人大兄が中臣(藤原)氏・物部氏の祖オシクマ王の祖父であるところから、藤原不比等に恨まれていたためとみられる。...」
当投稿上方の「ニギハヤヒの後継者問題」〔 天の王朝〕というリンク先にもありましたが、
崇神天皇と開化天皇こそは、日本国の命名神の饒速日尊が、日本国の平和安寧と幸福のために待ち望んだ全ての神々や日本の王たち(大国主命の長男の事代主血流含む)の統合した血流であると。
大彦命は孝元天皇の皇子であり、雀部臣伝承と合致しています。↓
孝元天皇・開化天皇(古代史の復元)
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-19-1kougen.html
「...そこで名前が挙がったのが神武天皇の長男で日子八井耳命の系統の雀部臣の子である 国牽尊(クニクル)が以前より,素盞嗚尊祭祀に理解を示していた関係で第八代天皇(孝元天皇)に推挙された。
 孝元天皇は孝霊天皇と細姫の子となっているが、雀部家に伝わる伝承では、神八井耳命の子孫である武恵賀前命の御子が第八代の孝元天 皇だという。
原田氏は実際にこの子孫に面接して聞き出している。
雀部家の記録は、持統天皇が記紀を編纂するに当たって没収されたそうである。
他に春日臣、安部氏、穂積氏等十六家の系図が没収の憂き目にあっているらしい。
記紀編纂時、不都合な事は隠蔽してしまおうとしたのであろ う。...」
しかし、大彦命族というと安倍氏ですが、実際には大彦命血流にも関わらず拾われた捨て子の大彦命擬姓氏族だの、新羅渡来人だのとされた難波吉士とあべこべで、
安倍氏の祖先の長脛彦(安日彦)は、大彦命(神武・崇神)と戦って軟禁され、皆が長脛彦を処刑しろときかない中を、大彦命(神武・崇神)は処刑した事にして、何れ大和朝廷のために役立ってくれれば良いからと、こっそり逃がし、
痛く感謝した長脛彦(安日彦)が、後に大彦命(神武・崇神)末裔の難波吉士を厚く保護して、安倍氏は大彦命(神武・崇神)擬姓氏族となったようです。↓
阿部姓の大彦命(神武・崇神)血流族は、阿拝臣末裔などで、居ても少ないようです。
ウエツフミによる神武天皇の正しい系図〔ウガヤフキアエズ王朝実在論〕
https://ugaya.jimdo.com/2015/10/03/%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%84%E3%83%95%E3%83%9F%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%AD%A3%E3%81%97%E3%81%84%E7%B3%BB%E5%9B%B3/
「...◆玉島姫(のちに亘理姫)・・・・・「陸奥の国の覇精高の上・亘理彦の夫人となった」とありますので、ナガスネヒコ一族のもとに嫁いだようです。ウエツフミはナガスネヒコのルーツを「亘理の覇精高の上であったが、追い払われて奈良に辿り着いた」と伝えています。
...」
倭と中央アジアに確認できる長脛と安日〔たっちゃんの古代史とか〕
http://tacchan.hatenablog.com/entry/2016/02/23/073231
大彦命こと神武天皇(崇神天皇)は、須佐之男尊出雲王国の家督相続者であり大和王国姫(長臑彦の妹)に入り婿した饒速日尊様から、正しく家督相続権を与えられ、また、飛騨王国アマテラス様からも正しく家督相続権を与えられた邇邇芸尊(ニニギノミコト= 金首露王)の孫であり、
その金首露王は、フェニキア人たちのタルシュシュ船のオーナーでもあり、「オフル(プント)人」を率いて、シバの女王の国のあったところ辺りの、黄金都市と謎の石造建築物都市の国から来たといいます。
金首露王は「オフル(プント)」の王様であり、「オフル(プント)」とは、旧約聖書に登場する黄金の国であり、それは古代ユダヤ王のダビデ王とカナン人(フェニキア人)姫との間に生まれた王子であるソロモンの子メネリケを産んだシバの女王の国、或いはソロモンが黄金を調達した国であったといい、また、
オフル(プント)とは、「羽毛ある蛇」だとか「翼ある蛇」
という意味であるという。↓
【クルタシロス】~金官加羅の首露王〔新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth〕
http://trakl.exblog.jp/17794166/
国東 オッフルは東表国 エルダーソロモンの霊統〔新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth〕
http://trakl.exblog.jp/18360229/
同和関係資料でも、神武天皇はジンバブエ辺りから来たと伝えられているらしい。↓
『日本の歴史と同和問題の始まり』【ことらの日記】
http://kotora888.art-studio.cc/douwa/HTML/index.html
ジンバブエは遺跡が見つかり、シバの女王の国だったとか、ソロモンの黄金採掘都市だったとか発表されたが、
それから次第に欧米人にとっては都合の悪い遺跡物が多数見つかってしまい、
それらは隠匿されたあとで、やっぱり比較的最近の遺跡という事にされたと思える。
ギリシャの遺物 大英博物館に返還迫る 独の大学は「返します」〔日付のある紙片(インポート)〕
http://blog.livedoor.jp/ali_bin_ibrahim/archives/51719906.html
「...イギリス人による遺跡蔵匿隠秘
19世紀末、イギリス人が「ローデシア」と名づけたジンバブエで、アクロポリス、神殿などからなる巨大な石造建造物群が発見されたが、白人はそれをどうしても黒人が作ったものと認めたがらなかった。
それで彼らはそれを旧約聖書「列王記」にあるオフェール(オフルOphir)の遺跡だと発表した。
しかし、ジンバブエ遺跡から発見された遺物の中にはそれが黒人文化の所産であることを示す像などがあり、アラブや中国との交易を示すものも見つかった。
それでもイギリス人はそれを認めず、都合の悪い遺品を隠蔽して公にしないという暴挙に出た。
それらの多くは現在なお公表されていないのである。(文春新書「民族の世界地図」より)
白人の教える歴史によれば、古代エジプトも西洋史も組み入れられる。
遺品が正当に公開される場合でも、それが大英博物館で公開される限り、西洋の遺物であれ東洋の遺物であれ、白人文明を中心とした歴史の文脈の中に位置づけられることになる。
この点は注意を要する。
大英博物館の展示を見る人は、何を見ても、「唯一の文明」の精華を見たような錯覚に陥り、イギリスの偉大さに感服するだろう。...」
『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第5章1 近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦 (第5章1)フェニキア人〔木村書店WEB文庫無料公開〕
http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-42.html
「...1920年代、フェニキア人の植民都市として有名なカルタゴの神殿遺跡の発掘が行なわれた。  タニットの神殿とよばれるフェニキア(カルタゴ)人の聖所には、ひとつの石棺があった。フランス人のピッタールは、1924年に、この石棺から発見された遺体について、つぎのように書いている。
 「カルタゴの……タニットの女神像のあの驚くべき石棺……外形は恐らく女神自身を表わしているこの石棺こそは、宗教上の最も高貴な人物の墳墓であったに違いない。ところで、そこに埋葬されていた女は類黒人の特徴を持っていたのである。人種的には、1人のアフリカ女であったのだ」(『人種学的に見たる民族発達史』、4分冊、p.50)
このピッタールの本は、当時抬頭しつつあったファシズムとのたたかいの一環として書かれたものであった。しかし、この「類黒人」(ネグロイド)の特徴をもつ女性について、その後の人類学者、歴史学者は何も語っていない。これはどういうことであろうか。
また、フェニキア人とは、本来、どういう人種を中心にしていたのであろうか。 ...」
大彦命(神武・崇神)の先祖の金首露王は、オフル人(プント人)の王ですが、オフル人(プント人)の王の事を、ケツァルコアトルやククルカンとも言います。↓
プント人の謎F〔むろまっち〕
http://majinnnn.jugem.jp/?eid=1078
「... この地に「羽毛を持った蛇に囲まれたオルメク人の姿」という浮き彫りがある。 
羽の生えた蛇はククルカンといって、オッフルもまた「羽のある蛇」の意で、オッフルは現ソマリア
(現在の住民は古代住民(セム系)とは全く異なる)
古名プントのことである。
このオルメク遺跡の南端に、高さ四メートル二十センチ、幅二メートルの石碑に二人の人物が彫られていて、今から三千年前の物と言われている。
他にも同じ風体の二人の人物を彫った石碑があり、これ等は地中海から来たフェニキア人だという。
白人たちはフェニキア人を白人と思っているが、フェニキア人はセム人で、セム人は黒髪・黒い目・褐色の肌を持つ東洋人なのだ。
フェニキア人は、
遊牧民族のベドウィン、
紅海・アラビア海の海人のプント人、
カナンのエプス人等、
いろいろの民族の混じった航海人種で 謎の人種と言われ、前史生き残り人種で、三千年前に中南米に現れたのも不思議はない。...」
『黄金の国プント −ハトシェプストのプント遠征 その1 』【オルタナティブを考えるブログ】
https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26535969.html
『700年にわたってアフリカで造られた不可思議な石造建築』【世界遺産の不思議な謎】
http://www.merryquiffmas.com/index.php?UID=1420815101
また、ケツァルコアトルとは、ニンキジッダの事であり、ニンキジッダとは、天のアヌンナキ王アヌの血流で、人類の創造者エンキ神の助手として、科学者として共に地球人類を創造したエンキの王子の一人の事でもあります。
同じくエンキの王子で、覇気旺盛なマルドゥクとの争いを避けるように言われて、
南米などに身を引き、ケツァルコアトル等と呼ばれ、プレ・アメリカ文明の神となりました。
のちにエジプトに戻る事が許されてトート神と呼ばれ古代エジプト文明の神となりました。
プレ・アメリカ文明と古代エジプト文明の神であるニンギジッダはアヌンナキなので、巨人の白人男性ですが、
これらの文明の担い手は黒人の特徴を持っていたようです。
これら黒人の特徴を持つ人達は、フェニキア人や日本人の先祖かも知れません。↓
トートと饒速日大神 3/14太陽神アン|心の物語 『シャングリラへの道』
https://ameblo.jp/0-580/entry-12265136877.html
「...私なりに調べたことを補足しておきます。
※1.
地球人はなぜ人類に地球を与えたのか(ゼカリア・シッチン 著、竹内慧 訳)
[地球の主]エンキの失われた聖書 二ビルから飛来せし神々の記録(ゼカリア・シッチン 著、エハン・デヴィ 序文、竹内慧 訳)
※2.
本によれば、トートはエンキの長男(異母兄弟の兄)マルドゥク(後のエジプトの太陽神アモン(アメン※3)/ラー)の嫉妬により、父エンキに「平和のために他の土地へ行け」と言われたようです。マルドゥク=太陽神とトート=月神の暦のアツレキ…によるのか、トートは職務として追放。
トートは心棒者の一団を連れて海の向こうの土地へと向かいました。
トートは南米(ナワトル族、マヤ族の土地が主な領地)ではケツァルコアトル(羽飾りの蛇)とかククルカンと呼ばれていたようです。
そこで、今までにない暦を新しくつくったとあります。それがマヤの暦だと。
『蛇』はエンキと彼の血縁者、特に「羽飾りの蛇」として知られた神の紋章。...」
ケツァルコアトルでありトートであるニンキジッダは、また、預言者「エノク」であり、
オリュンポス12神の「ヘルメス」であり、アラブの「イドリス」であるともされます。↓
これが、大彦命(神武・崇神)難波吉士らの男系血流です。
聖書における神の臨在場所〔月の光 - 岩戸開き〕
http://www.tukinohikari.jp/tanpounote/12-kami-rinzai/index.html
銀河のタイムライン/シュメールの粘土板の話 - 7つ目の超宇宙
http://7thsu.blog.fc2.com/blog-entry-61.html?sp
第3章 レムリアとアトランティス @人類の起源〔アセンションへの道 PartT その理論と技法〕
http://blog.goo.ne.jp/wyatt999/e/84c83bbaa2472cb66445b16a03a41d3f
しかし、一方で、ケツァルコアトルはシリウスから来たという話もありますので、大彦命(神武・崇神)難波吉士らの男系血流は、シリウスから来た神という事になるのかも知れません。↓
シリウス・ミステリー「イルミナティ」とスメラミコトの故郷〔神仙組T【ハルマゲドン編】光と闇の黙示録〕
http://mujaki666.seesaa.net/article/169405966.html
大彦命(神武・崇神)難波吉士らは、以上の神々とされる男系血流に加えて、大物主(饒速日尊)に入り婿してから、大物主(饒速日尊)のメネリケ(ダビデ王の孫。イスラム教では聖人とされているソロモンの息子。)血流も併さりました。↓
これが、被差別部落やサンカの人達のご先祖がたが、命懸けで守ろうとした血流です。
世界最古の王朝〔セレンディピティ〕
https://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/201306120001/
「...日本の天皇家は世界最古の輝かしい歴史を持つ王朝です。
オリエントでアッシリア帝国と覇を争い、キンメリ人と連合して
シルクロードを東遷したウラルトゥ王朝の末裔であり、後に扶余王となって満州の地に君臨し、
ソロモンとシバの女王の子、メネリケの子孫である大物主一族(公孫氏)と同盟して邪馬壱国を建て、さらに百済国を建てました。
...」
__________________________________________
(参考付記リンク)
絶対に明かしてはいけない天皇家の正体 世界が騙された〔阿修羅〕
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/319.html
(当投稿裏話になりますが、水戸の創価学会被害者氏が難波吉士ご末裔で霊能力があり、何年か前に、
北斗七星の破軍星〜豊受星
に、地球の何十倍の巨大宇宙船による啓示があり、その後に、複数の虹を纏い何市町村にも及ぶ大きさの美しい霊鳥
「籠の中の鳥」
が頭上に出現し、
それが片側三枚ずつ合計六枚の翼で、熾天使を表し、まさにニンキジッダを表すシンボルと後に知ったという事で、果たして宇宙船による現象か、ご先祖筋の饒速日尊によってか、それともご先祖のニンキジッダ様によるものか分からないとの事ですが、
この事実は既に、水戸の同被害者を狙う闇組織の一部にも知られているようですが、
打ち明け話として、そういった、人知を超えた神々の啓示に本投稿は導かれています。
(ニンキジッダ→ニニギ・シッダ→ニニギ尊。)↓
「我は天帝龍神シリウスなり」徴の星の証/2008年北斗七星-c
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/699.html
直属の霊能者によると、饒速日尊が、アニメ監督の意識に働きかけて作らせたアニメ。↓
【劇場版予告】千と千尋の神隠し -Spirited Away Trailer- 〔YouTube〕
https://www.youtube.com/watch?v=xvKw3CJKQXg
神隠しされた神、ニギハヤミ→ニギハヤヒ。
天照国照天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまに ぎはやひのみこと)。

★阿修羅♪
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/321.html
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/319.html

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https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26535969.html

ことらの日記
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裏古事記 日本人のルーツ飛騨
http://roots-hida.info/nigihayahi/













■神武天皇,崇神天皇,大彦命,おおひこのみこと
神武天皇=崇神天皇=大彦命
神武天皇=大彦命,東征で九州から大和地方へと勢力を伸ばしていった,
神武天皇,西暦紀元前660年2月11日に橿原の宮で即位,
神武天皇,西暦紀元前660年2月大和を平定,
神武天皇,橿原の宮で初代・神武天皇として即位,
神武蘇生伝説,筑紫(熊本の宇土)から来た火の君(姫氏)が、その術式を使って生き返らせた話
神武蘇生伝説の土地の地名は継となった
神武蘇生伝説,播磨国(姫路)風土記にあります。
神武蘇生伝説,蘇りの術式は継体でもあります
神武蘇生伝説,草火をコントロールする蘇りの剣である草薙ぎの剣
神武蘇生伝説,草薙とは那岐と分けた曜玉
解析
崇神天皇こそが神武天皇であり,大彦命の事でもある
大彦命(神武・崇神)
神武天皇=崇神天皇=大彦命血流
アマテル=オホヒコは、ヤマトの日神・建国神
大彦命こと神武天皇(崇神天皇)は,須佐之男尊出雲王国の家督相続者
崇神天皇は,アマテラス,スサノオ,アヂスキタカヒコネ,オオトシ,オオナムヂ,ナガスネヒコ一族の直系
大物主(饒速日尊)に入り婿してから,大物主(饒速日尊)の血流も併さりました,
「崇神紀」にみえる大彦命(おおひこのみこと)は三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の分身
大彦命の先祖の金首露王はオフル人(プント人)の王
大彦命(神武・崇神)難波吉士らの男系血流は,シリウスから来た神という事になるのかも
加羅系氏族の祖神とされて、諸国の要地に分祀されるようになった
オフル人(プント人,大彦命の先祖の金首露王)の王の事を,ケツァルコアトルやククルカンとも言います
崇神天皇と開化天皇こそは,饒速日尊が待ち望んだ全ての神々や日本の王たちの統合した血流である
大彦命は孝元天皇の皇子であり、雀部臣伝承と合致しています
神武天皇はジンバブエ辺りから来た 同和関係資料
ジンバブエは遺跡が見つかり、シバの女王の国だったとか、ソロモンの黄金採掘都市だったとか発表された
大彦命こと神武天皇(崇神天皇)は、須佐之男尊出雲王国の家督相続者
「崇神紀」にみえる大彦命(おおひこのみこと)は三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の分身
大彦命の先祖の金首露王はオフル人(プント人)の王
大彦命(神武・崇神)難波吉士らの男系血流は,シリウスから来た神という事になるのかも
加羅系氏族の祖神とされて、諸国の要地に分祀されるようになった
オフル人(プント人,大彦命の先祖の金首露王)の王の事を,ケツァルコアトルやククルカンとも言います
崇神天皇と開化天皇こそは,饒速日尊が待ち望んだ全ての神々や日本の王たちの統合した血流である
大彦命は孝元天皇の皇子であり、雀部臣伝承と合致しています
『日本の歴史と同和問題の始まり』【ことらの日記】http://kotora888.art-studio.cc/douwa/HTML/index.html
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