2019年10月22日

令和天皇即位礼>>雨雲の空が晴れて虹がかかる

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令和天皇即位礼>>雨雲の空が晴れて虹がかかる
土佐郷士(ワタナベワタル)
@442Goforbroke
「即位礼正殿の儀 」が始まったとたん晴れて虹がかかったという! 天皇陛下は「天照大御神」の後子孫であることが証明された!
#天照大御神
#即位礼正殿の儀

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【 日本はやっぱり神さまの国やった! 】
私はあくまで科学の立場に立つけれど、こういうものを見せられるとやっぱりビビりますよ。
「即位礼正殿の儀」が始まった途端、雨がやみ皇居をまたぐように低い虹がかかり、日が差し青空が見え始め富士山も姿を現して祝砲がとどろく。
胡散臭い新興宗教の教祖さまとか、このようなことをどうしてもやりたくて、いつもしょぼいウソになってしまうのに対し、さすがに本物は次元が違いますね。
日本中が見守るなか、公然堂々と、何の嘘偽りもなく、こういうことをやってくださるのですからね。
まさに天照大神さまのご降臨ですよ。
そして日本につめかけている世界の要人、マスコミも、これを自分たちの目で確かめた。それが大事。
「どや?これが日本という国やで?」
さすがにちょっとビビったんとちゃう?(笑)
「保守速報」より
【天照大神】「即位礼正殿の儀」が始まった途端、雨がやみ、虹がかかり、日が差し青空が見え始め富士山も姿を現して祝砲がとどろく

保守速報
https://hosyusokuhou.jp/archives/48863177.html

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日本の時代がやってきた
即位の礼で、式直前まで雨が降っていたが、直前に一転晴れて虹が 出た。これは令和の時代に対する吉兆の印である。なぜ、日本の時 代になるのか検討しよう。           
■米国株価 NYダウは、利下げ期待で、7月16日27,398ドルと最高値を更新したが 、その後下落して、製造業ISMが50割れ、かつ米欧貿易戦争も始まり 大きく下落したが、ステルスQE4で上昇。しかし、NYダウは割高で横 バイで10月25日に26,958ドルになったが、SP500は最高値を更新した。 このような株価が最高値になっても10月FOMCでは利下げを行う可能 性が高い。米国の金融経済システムの何かが変になっている。 米FRBがPOMOというステルスQE4で、月600億ドルの短期国債を買うと いうことと、米中貿易摩擦が一服したことで、FANGは上昇したが、 キャタピラやジョンソン&ジョンソン、ボーイング、アマゾンなどの 業績の下方修正が多数出て、株価は横ばいになっている。 NBA(米国バスケット協会)なども中国での試合の売り上げが大きい が、中国は、香港問題で香港を支持するNBAの放送を中止した。この ため、NBAの売り上げは大きく落ち込むことが確実である。これと同 じことが、他の米国企業でも起こっているようだ。 バブル崩壊の兆候も出て、WEWORKSのIPO失敗と評価額の 大幅な下方修正で資金繰りの問題が出て、IPO市場が混乱して、ベン チャー投資がおかしくなってきた。特にソフトバンクのビジョンフ ァンドのパートナーが辞任したことで、ソフトバンクGの借金と資産 の両建経営が行き詰まった印象を与えている。 この兆候と同時に、FRBがPOMOで短期市場を買い支えているが、短期 金利が上昇している。この影響でジャンク債の金利も上がり、シェ ール企業の倒産も増えてきた。倒産でジャンク債金利が上昇して、 市場もおかしくなってきている。必死にFRBが金利上昇を止めている が、地銀が大量に保有するCLO債に飛び火する可能性あり、日銀は警 戒感を強めている。 為替は、1ドル108円台から動かない。ペンス副大統領の対中国非難 の演説が10月24日にあったが、株価や為替の反応はほとんどなかっ た。 このため、資金がジャブジャブにあるために、米国の投資家は、出 遅れの日本株を買い始めている。その他の投資先を探している状態 でもある。しかし、ここ数カ月、新興国など世界中で抗議行動が激 化。発端となった事情は、それぞれ異なるが、経済的格差への不満 など根底にあり、世界的な景気後退が背景にあるので、投資できる 感じではないようだ。
■日本株価
以後は、有料版を見てください。

国際戦略こらむ
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天皇即位礼の歴史〜鳥見の霊畤,古代正月

天皇即位礼の歴史〜鳥見の霊畤,古代正月
冬至の翌日,新しい太陽誕生の日
古代の天皇の即位の礼は、冬至の翌日、すなわち、古代の正月でした。
イエスが、ペテロ(岩屋戸)に申しました、一番鳥が鳴くまでに、三度私を知らないというだろう、という話は、冬至前までの三日間であり、冬至そのものは、一番鳥の鳴き声、宇宙開闢の産声です。
イエスが、死(冬至前の最も暗い太陽)の三日後復活したと申しますのは、真理の誕生(ククリ・トマス)であり、天皇の即位の礼からの大嘗祭の、一連の御大典の事です。
写真は、即位の礼の高御座ですが、一番鳥(冬至)が、日本人にとりまして、大事でありました事は、これまでの巨石や神社の、冬至の日入れの投稿の通りです。
いつも載せています、曾祖父が、阿蘇で、見知らぬ方から無償でいただきました、復活(蘇り)の火鳥には、日本人特有の鯨面の彫りがあります。
また、突如現れ、消えていきました文明でありますが、5000年前のアイルランドの、冬至の日を引き込むニューグレンジの巨石は、熊本の宇土一帯の巨石や古墳にも似ています。
即位の礼の高御座、ニューグレンジの写真は、お借りしています。

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神武天皇が日本ではじめて天皇に即位したとき、その就任式である大嘗祭が「鳥見の霊畤(とみのれいじ)」で行われたと伝えられる。霊畤とは「まつりのにわ」の意。現在、桜井市と宇陀市、2つの候補地がある。桜井の鳥見山(とみさん)は、麓の等彌神社(とみじんじゃ)の御神体山。ヤマト王権のあった飛鳥・奈良盆地から見て、神仙世界の吉野に続く道の「ゲート」を、三輪山と形成する。

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初代 神武天皇から第十六代 仁徳天皇まで、一世一代、すなわち親から子へと皇位が継承され、しかも多くの場合、末子相続であったため、天皇の在位期間が長く、しかも多くの皇子の中から最も優れた方を天皇自らがお選びになられていました。
神武天皇の在位期間は80年、
孝安天皇は102年、
最も短い綏靖天皇でも33年です。
しかし、応神天皇の御代に百済を経て伝わった儒教の教えにより、「長幼の序」という観念が皇位継承にも入ってきました。応神天皇に命じられていたにもかかわらず、ウジノワキイラツコが最後まで天皇に即位なされず、兄皇子に譲ろうとなされたのがこれです。
兄弟で上になるほど、即位する年齢が高くなりますので、必然的に在位期間は短くなります。そして、葛城氏に始まる外戚氏族の登場で、兄弟に皇位を継承させる、すなわち一世で数代にわたる天皇が即位される状態を新たに発生させたのです。こうして第十七代 履中天皇からは、在位期間が極端に短くなっていきます。
履中天皇の在位期間は6年、反正天皇は5年、允恭天皇で42年、安康天皇が3年、雄略天皇が23年です。

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★活動紹介★
「倉吉は天皇家ゆかりの地」 根鈴輝雄さん
令和天皇の御即位を記念して倉吉博物館は「光格天皇の事績と、その生母大江磐代君展」(10月22日〜11月4日)を開きますが、それを前に10月14日、大江磐代君ゆかりの地めぐりがあり、根鈴輝雄さん(倉吉博物館長)の案内で約50人が打吹山のふもとの大江神社などを訪ねました。
大江磐代君(1744〜1812年)は天皇の母となった倉吉の女性です。令和天皇の7代前、江戸時代末期の第119代光格天皇の生母です。
伝記によると、磐代君(幼名つる)は倉吉の田町(現在の湊町)生まれ。父は鳥取藩の侍・岩室常右衛門、母はりん。つる9歳の時、父親に連れられて京都に上り、礼儀作法などを学びます。縁あって宮中の女官に仕え、その働きぶりが認められて閑院宮家に入り、側室となって5人の王子をもうけました。その第1子が後の光格天皇です。光格天皇は「新嘗祭」を再興したほか、朝廷の権威回復に努め、その志は孫の孝明天皇やひ孫の明治天皇に受け継がれ、明治維新につながっていったといいます。
身分制度が厳しかった昔のことです。磐代君が光格天皇の生母だと系図に載ったのは、磐代君没後65年、明治10年のことでした。母親のりんに至っては、家柄・身分などは不明のままです。田町で焼き餅を売って生計を立てていたとか、鉄問屋の娘だったともいわれています。一説には、その鉄問屋は松江城主・堀尾吉晴の末裔で、琴浦町の大庄屋・河本家や倉吉淀屋(大阪淀屋)などと親しい関係があったとも伝わっています。
さて、磐代君ゆかりの地めぐりは、大正天皇が皇太子時代に宿泊された飛龍閣―磐代君をまつる大江神社―賀茂神社―磐代君の生誕地・湊町公園−母りんの墓所・大岳院を回りました。根鈴さんによると、打吹公園は東京・日比谷公園に次いで、全国2番目にできた風格のある都市公園だったそうです。かつての倉吉は財力があり、山陰を代表する産業都市でした。ゆかりの地めぐりのこの日は、ちょうど大江神社の月例祭(大正2年4月14日創建)が執り行われ、吉田武章宮司が神事で出迎えました。「磐代君は倉吉の誇りです。倉吉は天皇家とゆかりがあります。胸を張っていきましょう」と話していました。

いきいきシニアバンク
http://tottori-ikiiki.jp/

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古代日本は外国に侵略されていた?!
初代天皇である神武天皇が日本国を建国したのが前660年2月11日(皇紀元年)であり、神武天皇の御名は、カムヤマトイワレビコノミコトでヘブライ語で「神の民であるユダヤ人が集まり建国した最初の栄光ある主」と言う意味。
なぜ日本にユダヤの王がいるのだろうか?
前722年に北イスラエル王国が滅亡し南ユダ王国にいた預言者イザヤは、国家滅亡を悟り神のお告げにより南ユダ王国のヒゼキヤ王の子をダビデ王の王系を継ぐ後継者として選び、契約の棺と神宝、祭司を司るレビ族らを引き連れ、新しいエルサレムを求め、日本に向かったのだ。その後南ユダ王国は滅亡する。(イザヤ記)
ウガヤフキアエズ朝71代の時、白人国の国王ユグトブブルが大船に乗って紀伊のミキ港に碇泊し、宇陀を支配する長髄彦を口説き落とし、天皇に交戦を挑ませた。
この戦いは32年にも及び、皇太子の五瀬王命が流れ矢に当たって殉死し、二皇子と三皇子は白人国の千人の軍兵を乗せた五十隻の大船と海戦を戦い全滅した。ウガヤ朝は存亡の危機にあった。
四皇子ヒダカサヌが皇太子になり陸戦で熊野口から入り、劣勢をしいられたが、熊野で八咫烏を皇軍の指導者とした。毒ガスなどを受け全滅しかけたが、金鵄が皇太子の弓に止まり、雷光の如く光を放ち敵軍は戦意を失い逃げ出した。ここから戦況が変わり勝利することとなる。そしてヒダカサヌが橿原にて即位し、神武天皇になった。(ウエツフミ、富士古文書)
ここで、第73代サヌを神武に付け替えが行なわれた。
根拠@ サヌ即位時実際には50歳に達していなかったが、神武の歳に合すため無理やり3歳足して51歳即位としている。
根拠A 大和遷都後、サヌからカムヤマト イワレヒコ ホホデミと御改名されたとある。つまり、別人だから。
根拠B 神武が入れ替わったためウガヤ朝が終わり、神武から初代天皇で皇紀元年と言う。記・紀でウガヤ朝が消された理由。
どこで神武が入れ替わったのだろうか?
八咫烏は、レビ族の末裔で漢波羅(カバラ)秘密組織で下鴨神社が本拠地。レビ族である八咫烏が皇軍の指導者となり、ダビデ王の王系を継ぐ後継者であるイワレビコが金鵄としてヒダカサヌと入れ替わったのだ。つまり、サヌは毒ガスで死んでいて、金鵄(イワレビコ)がその後勝利へと導き、大和の橿原の宮において、前660年2月1日即位した。

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天孫降臨の謎を解く! そのD
ウガヤフキアエズ王朝との合体
天孫ニニギの子、ホホデミが豊玉姫と結婚して生まれたのがウガヤフキアエズノミコト。ここで天皇家は幻のウガヤ王朝とつながることになる。
ウガヤフキアエズの母が豊玉姫ということは、この女性はウガヤ王家の血統を引く人だったに違いない。が、記紀の皇室系図には「海神の子」とあるだけで、その出自についてはほとんどなにも触れられていない。
・・・おそらく、「天皇家より古い家柄などあってはならない」とする記紀の編集方針により、意図的に情報が入れられなかったのであろう。ご丁寧なことに、記紀はこのウガヤフキアエズの行跡もきれいに消してある。ただ、その名前と、産屋の屋根が葺き終わる前に生まれた、というエピソードのみを残して、記紀の物語は次の神武天皇に入る。
 豊玉姫は謎の多い姫様だが、海人族の出生でもあり、ウガヤ王朝の血も引いていたのであろう。この時期、ウガヤ王朝はすでに70世代もの王を輩出する倭国最大の名家であった。臼杵という良港を擁し、綿花をはじめ様々な産品を輸出していたから、古くから海人族たちも集まり、交易の安定のために海人族とウガヤ族の間の政略結婚も頻繁に行われたはずだ。・・・数百年経つとウガヤ族=海人族のようになり、ウガヤ国一帯はのちに「海部郡」と呼ばれるほど、海人族の一大拠点となっていた。だから豊玉姫がウガヤ王朝の血を引いているのは自然なことである。・・・そもそも、その名前からして「豊の国に生まれた玉のようにきれいなお姫様」と読み下せるではないか・・。
先代ウガヤ国王は、ニニギがやってきたときからずっと、自分の娘を嫁がせたかったに違いない。だが、ニニギは熊襲のコノハナノサクヤヒメと恋に落ちて結婚してしまった・・。
「なんで熊襲なんかと!どうしてわしの娘をもらわんのかい!」と、ウガヤ王は怒ったに違いない。ニニギはそれを聞いて、「すいません。では、私とサクヤの息子には、必ずウガヤ国の姫をもらいましょう。」と約束したのではないか?・・・。
で、仲直りしたニニギはウガヤ国のすぐ近く、宮崎県高千穂に宮殿を構える。が、高千穂はいかんせん山の中で、暮らしてゆくにはなにかと不便だったので、息子のホホデミの頃にはウガヤ国の方にいることが多くなっていたかもしれない。そして、豊玉姫とホホデミの結婚を機に、本格的にウガヤ国に移った・・。
・・・ちなみに、豊玉姫がウガヤを出産した土地としてウエツフミに記されている「黒の浜」とは、現在の大分県臼杵市佐志生の沖にある「黒島」のことではないかと私は思っている。この小島は陸地から手漕ぎの船でも10分程度の距離にあり、出産を覗かれたくない妊婦が安心してお産をするには最適の場所である。・・・(ホホデミが豊玉姫の出産を覗いたら、豊玉姫は竜だったとかワニだったとか記紀に書いてあるから、そのような身体的特徴があったのかもしれない。だったら、絶対覗かれたくなかったに決まっている)。
そして後年、成長したウガヤフキアエズと豊玉姫の妹・玉依姫が結婚し、神武天皇が誕生する。この神武天皇は生まれながらにして、伽耶国、熊襲族、ウガヤ族、海人族の血を引くという、当時の倭国連合の中でも際立って「顔の利く」存在であった。神武が動けば、これらの国々も動く。これらの国々と親密な関係であった伊都国や吉備国も動くであろう・・・。倭国連合の重鎮たちが集まってナガスネヒコを討伐するための総大将として神武を選んだのは、この人のスーパー混血児としての出生の尊さによるところが大きいのである。
・・・ところで、ウガヤ王朝は74代続いたといわれる。天皇家は現在125代。初代ウガヤ王から数えると実に199代続いていることになる。・・・そして、来年即位される皇太子殿下は、ウガヤ王朝から数えると実に第二百代めの天皇陛下ということになる。なんというめでたい話ではないか!・・・。
(なお、この文章は、記紀の解釈を中心に歴史の真相を明らかにしようと試みながらも、大部分は私の想像で書いております。)

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FB古代史研究会: 宮下文書に記録されたニニギ〜ウガヤフキアエズ朝治世


FB古代史研究会: 宮下文書に記録されたニニギ〜ウガヤフキアエズ朝治世
『宮下文書』によるイザナギの治世
私が研究している『ウエツフミ』は、ニニギの命からウガヤフキアエズ王朝74代までについてはかなり詳しく書かれているのですが、それ以前のこととなると、古事記・日本書紀とほぼ同じ内容であり、サラリと書かれているだけです。
そこで、天照大神以前の歴史については、『宮下文書』という古文書が参考となりそうです。
『宮下文書』の特徴を一言で説明すると、まず徐福自身が書いたということ(そうあの秦の始皇帝が蓬莱国に派遣した徐福です)、そして高天原のあった場所を富士山としていることなのですが、「富士山」が現在の富士山のことを指しているのか、それとも飛騨高山あたりなのかについては、説が分かれているようです。
今回は、イザナギの治世にスポットを当てて、現代語訳を試みましたので、ぜひ参考にしてください。あなたの知らなかった新事実が満載ですよ!
なんといっても、その活躍の舞台が加賀の国(現在の石川県)の白山であったこと、そして白山信仰がイザナギ・イザナミ信仰を指すこと、さらには豊受大神とは国常立のことを指していたことの3点は、大きな驚きでした。
さらに、興味のある方は、こちらからどうぞ。
https://ugaya.jimdo.com/2018/01/22/%E5%AE%AE%E4%B8%8B%E6%96%87%E6%9B%B8-%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%81%AE%E6%B2%BB%E4%B8%96/

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ウガヤ38代の御陵か? 消滅した75mの巨大古墳!
大分市木ノ上【御陵古墳/木ノ上古墳/稙田古墳】
ウガヤフキアエズ王朝の痕跡は、やはり消されていた!
昭和38年に、宅地造成により破壊された「御陵古墳」(別名:木ノ上古墳、または稙田古墳)は、大分県最大級の規模で、全長75m以上ありました。
【説明】http://www.isekiwalker.com/iseki/181573/
つまり25mプールをタテに三つ並べた大きさで、しかも石棺、勾玉、管玉、ガラス玉、鏃、剣など、多くの副葬品も出土しています。
なぜこんな重要な史跡が破壊されたのでしょうか?
当時の大分県の役人たちは、テロリスト集団だったのでしょうか?しかも、複数の名前を付けて混乱させる作戦も、彼らの常套手段。ウエツフミの研究者は、みんな怒っています。
吾郷清彦氏、吉田八郎氏は、ここを第38代ウガヤフキアエズ天皇(幼名:天津祝詞子、アマツノリトコ)の御陵であると推定しています。
その根拠が不明なのですが、ここに「古皇之御陵」という石碑が建てられていたという証拠写真もあります。
「皇」という文字は、地方豪族には使われないでしょう?
ウエツフミに書かれた第38代の軌跡をメモしておきます。
◆生まれたときから霊感が強く巫女のように神の言葉を伝えたので「天津祝詞子」と命名された。
◆幼少の頃、新潟の頚城にオロシ(ロシア)の船団が来襲し、穀物を強奪したので、高千穂軍と交戦になるが、このときカマエタチという謎の刃物が地中から噴出してオロシ軍を破る。
◆すべての天皇に必ずある「即位した」という記述が無いことから、一部の原文が散逸している可能性大。
◆大土国幸(オオツチクニサキ)の命を派遣して「神津島」や「八丈島」を開拓。
この島に大土狭咋(オオツチサクイ)の命夫妻が残って初代の国司となる。
◆臼杵の宮を居所とする。
◆病死したので、大分の「御宝山」に埋葬される。
【原典】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=32&sno=1
この古墳の南側には、霊山、障子岳(宇曽岳)、本宮山の「三宝山」が鎮座し、オオキタの宮を今も見守っています。

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2019年09月09日

FB古代史研究会: 八咫鏡と八咫烏は相関関係

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FB古代史研究会: 八咫鏡と八咫烏は相関関係
坂口成事
八咫鏡と八咫烏は相関関係です。
鏡の外に反射して映る世界が、顕界の八咫烏の日足(影延び)で、内に反射して映る世界が、神界の八咫烏の日足で、鏡面に映る世界が、幽界の八咫烏の日足という事です。
八咫烏や日足、旭日が大事でありますのは、影延び(日足)があるという事が、私に日が当たっている、何よりの証拠だからです。
そして、その日が当たるあなたがおられる事が、そのまま、日を当てているものを証ししているのです。
それは、言霊でも突いて出ています。
皆さんは、何々いたしますとおっしゃるでしょう。
いたしますは、八咫しますです。
あなたに、意志という、神の子の尊厳があられるので、言葉もあるのです。
ですから、ご立派な教祖様であろうと、隷属しましては、恥ずかしいですね。
写真は、熊本地震から、まだ復興途上の、健軍八咫烏神社です。

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2019年09月02日

預言者クララ: 大正元年9月9日の預言

預言者クララ: 大正元年9月9日の預言
大正元年9月9日の預言
2019.04.21
九芒星が人類を新たにする!大正元年9月9日の預言
九の次は、十(ジュウ)、十とは完全、十とはイエス・キリストのことですが、九芒星の時代を迎えた今、私たちは、神の子になるためのプログラムの中にいます。
そんな一日一日が大切な中での昨日(2019.4.20)、甲府盆地の西側にある甲斐駒ヶ岳神社に呼ばれて行ってきました。
きのう、甲斐駒ヶ岳神社に行って、改めて日本人としての誇りを取り戻し、
やはり、生前退位前に朝鮮人とレプタリアンのハイブリッドである偽物天皇皇后が、堂々と朝鮮人になりきって参拝に行った高句麗神社は、キムチとは関係のない純粋なヘブライである日本人の神社だと確信しましたが、そのことはまた、別の機会に書くとして、昨日は、その甲斐駒ヶ岳神社の社殿の中でこんな絵を見つけました。
これは、大正元年9月9日に甲斐駒ヶ岳神社に奉納されたもので、摩利支天よりご加護を賜わる様子だと、説明を受けましたが、
私クララの解釈は、違います。
イノシシ年の9月9日に、イルミナティにイエス・キリストの神矢が放たれる、という預言の絵だと感じました。
今年2019年は、その12年に一度のチャンスの年です。
ピンチはチャンス!
汚職や不正にまみれ、今や人類と地球の破壊の危機まで私たちは追い詰められていますが、タコの足が、その生命危機によって、足の数を増やしていくように 私たちは、こん危機の波動に飲み込まれてイルミナティたちと共に沈んでいくのか、それとも、この危機のネガティブ波動をはねのけ、神の波動に自分の周波を合わていくことで新人類へと進化していくか?
面白いぜ!やってやろうじゃないか(^^)
2019年9月9日
〜新人類のリセット!覚醒チャンスの到来の日!

預言者クララ
https://shionoyama.com/sengen-gengou/
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2019年07月18日

明治期「神仏分離/廃仏毀釈」の嵐〜明治維新の光と影,南方熊楠

明治期「神仏分離/廃仏毀釈」の嵐〜明治維新の光と影,南方熊楠
「八百万の神」を潰そうとした明治政府に立ち向かった男
神社が神社を弾圧した歴史があった
真鍋厚
⬛「国のお墨付き」がある神社だけ生き残る
地方の衰退が叫ばれて久しい。
近年「地方創生」をスローガンに掲げる政府は、2014年9月に人口減少対策や地方経済活性化を主軸とする「まち・ひと・しごと創生本部」を立ち上げ、同12月に5カ年にわたる総合戦略を閣議決定した。今年度(2017年度)はちょうどその中間年に当たる。
長期ビジョンの概要には、「人口拡大期の全国一律のキャッチアップ型の取組ではなく、地方自らが地域資源を掘り起こし、それらを活用する取組が必要。また、地方分権の確立が基盤となる」とあり、地方の主体性を前面に打ち出していることがよく分かる。
だが、今この「地方の再生」に血眼にならざるを得ない「地方の衰退」には、150年前の明治政府の強行策に起因している一面があるとしたら……。今回はそのうちの一つを取り上げようと思う。
前回、空前絶後の「ヴァンダリズム(文化破壊運動)」である明治政府の神仏分離令に端を発する「廃仏毀釈」の実態を見たが、神道国教化政策によって切り捨てられたのは、「仏教」と名が付くものだけではなかった。意外なことに地域の人々が信仰する「神道」や、その他の民間宗教も、ほとんど例外なく排除の対象とされたのである。
これが「神仏分離」と双璧をなす「神社合祀」(神社整理)と呼ばれる政策であった。
明治政府は、実質的な権力者である薩長土肥という「人による統治」を、「神による統治」という超越性によって担保することを意図して、民衆に「正当な権威としての天皇のイメージ」を浸透させるための「六大巡幸」(明治5年〜18年)に乗り出した。
この時期とほぼ並行する形で、明治9年頃から「神社合祀」が開始された。
全国各地で「神仏分離/廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れる中で、すべての神社が天皇との関連度合いによって「格付け」されていったのであるが、最終的には「一村一社の神道式の氏神の成立が目標とされたのであった」(*1)。
これはシンプルにいえば、民衆の素朴な信仰心を涵養しているモノ(信仰の対象物)と情報(教義)を、国家がお墨付きを与えたものだけに制限することを狙った「人心収攬」(じんしんしゅうらん)の試みであった。
⬛地方行政の「イデオロギー拠点」へ
明治39年、明治政府は、一町村一社を原則に統廃合を行う「神社合祀令」を出した。
そこには、荒廃した小祠(しょうし)や淫祠(いんし=いかがわしい神を祀った社・祠)を廃止・統合して国家の祭祀として神社の尊厳を高め、神社を拠点に地方行政への影響力を確保するという明確な目的があった。
宗教学者の村上重良は、明治末期から昭和初期にかけてを国家神道の制度的完成期と捉え、
「内務省による神社行政が確立して神社の整理が行われ、官国幣社へ国庫共進金制度がつくられるとともに、祭式等の神社制度が完成した」
とする。
そして以後、民主主義や社会主義思想を弾圧し、思想的に対抗するために
「神社と氏子組織を、地方行政のイデオロギー的拠点として強化した」
とも指摘している(*2)。
最初の3年間で全国各地で4万社もの神社が取り壊され、事業完了を迎える大正2年頃には、19万社から12万社にまで激減したという。
前回取り上げた「神仏分離/廃仏毀釈」では、あえて宗教対立の構図に当てはめた場合、神道が仏教に対して事実上の弾圧を行なったわけだが、「神社合祀」は、いわば「神道による神道の弾圧」として姿を現したのである。
なぜなら、「現実に廃滅の対象となったのは、国家によって権威づけられない神仏すべて」(*3原文は神仏に傍点)だったからだ。つまり、今日では「日本人の精神性」とニアリーイコールで結ばれる「八百万の神」が「廃滅の対象」となったのである。
⬛立ち上がった、ひとりの学者
このため、明治政府の政策に反発する人々が後を絶たず、一部の民衆だけではなく知識人などからも反対運動が澎湃と湧き起ることになった。
反対運動の急先鋒に立ったのは、民俗学者・博物学者の南方熊楠であった。
「神社合祀令」に真っ向から反論した『神社合祀に関する意見』の中で、南方はまず「一村一社」方式への転換について、
「さて一町村に一社と指定さるる神社とては、なるべく郡役所、町村役場に接近せる社、もしくは伐るべき樹木少なき神社を選定せるものにて、由緒も地勢も民情も信仰も一切問わず、玉石混淆、人心恐々たり」
と、地域の実情をまったく考慮しない乱暴なやり方に懸念を表明した。
さらに、和歌山県で三千七百社ほどあった神社が六百社、つまり従来の6分の1に激減したことなどを取り上げ、
「かかる無法の合祀励行によって、果たして当局が言明するごとき好結果を日本国体に及ぼし得たるかと問うに、熊楠らは実際全くこれに反せる悪結果のみを睹るなり」
と断じている(*4)。
南方は「悪結果」の理由について、神社が社交の場、儀礼の場であるにもかかわらず、廃止や合併によって身近なところに神社がなくなり、むしろ敬神の念を減殺すると主張。
和歌山県日高郡の漁村にある「近傍の漁夫が命より貴ぶ」蛭子(えびす)社を合併したことで漁師たちが激怒し、夏祭日に大乱闘が起こり、警察による逮捕者までが出たこと、また、合併によって氏子が費用を負担して数百年も経過してきた「神社を潰して自分の俸給を上げんことのみ」努める神職などが続々と現れる状況にも大いに憤慨している。
後半のくだりでは、「悪結果」を8つに分類し、「神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害することおびただし」「神社合祀は愛国心を損ずることおびただし」「神社合祀は土地の治安と利益に大害あり」などと再三強調した。
事実、村によっては由緒ある神社が姿を消し、祭りが中止となり、それゆえ若者が帰省せず、憩いの場がなくなったことなどを例示している。

ゲンダイ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53571

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2019年06月30日

FB古代史研究会: 偽書「旧事紀(くじき)」にみるべきものはないか


FB古代史研究会: 偽書「旧事紀(くじき)」にみるべきものはないか
古荘秀雄
【先代旧事記を復権させよう】
先代旧事記は偽書ということになっていて、資料的価値なしというのがいわゆる通説です。
ウイキペディアにはこう記されています。
*****************
「  先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の史書であり、神道における神典である。
『旧事紀』(くじき)、
『旧事本紀』(くじほんぎ)
ともいう。全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。
序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したとあるが、江戸時代の国学者である多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らによって偽書とされた。
現在では大同年間(806年〜810年)以後、延喜書紀講筵(904年〜906年)以前に成立したとみられている。
物部氏の氏族伝承など部分的に資料価値があると評価する立場の者もいる」
******************
偽書にあるとされる最大の理由は序文を聖徳太子、蘇我馬子が著したとあるからで、これは成立年の想定からすると明らかに間違いであり、そもそも、その時点で二人はとっくに生きてはいません。
内容についても古事記、日本書記の二番煎じの箇所も多く、総合的に見て後代の作り話であるということになりました。
しかし
です。
聖徳太子らが序文を書いたというのは、ある書物に箔をつけようと後代のものがしただけ。ということは十分考えられるでしょう。
そして記紀とかぶるところはあれども、それでは被らないところはどういうことになるのか?
物部氏という古代最大豪族の一族の記録という視点も必要ではないのか。
******************
Wikipediaより
「 序文には推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著したもの(『日本書紀』推古28年(620年)に相当する記述がある)とある。
このことなどから、平安中期から江戸中期にかけては日本最古の歴史書として
『古事記』・『日本書紀』
より尊重されることもあった。
しかし、江戸時代に入って偽書ではないかという疑いがかけられるようになり、多田義俊や伊勢貞丈らの研究によって偽書であることが明らかにされた[4]。
本書の実際の成立年代については
『古語拾遺』(807年成立)
からの引用があること、藤原春海による『先代旧事本紀』論が承平(931年〜938年)の日本紀講筵私紀に引用されていることから、『先代旧事本紀』は藤原春海による延喜の『日本書紀』講書の際(904年〜906年)には存在したと推定され、従って、『先代旧事本紀』の成立は
大同年間(806年〜810年)以後、
延喜書紀講筵(904年〜906年)以前
と推定されている。  」
******************
つまり先代旧事記が偽書というのは
成立年代だけが問題になっているという構造のようなのですね。
十種の神宝(とぐさのかんだから)
などの独自の表現についても一緒くたに作り話になるのはやや乱暴ではないかと思いますし、
饒速日の河内への天孫降臨なども独自のものです。
(記紀よりかなり詳しい)まさに物部に伝わる物語なのだと思うのです。

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2019年06月25日

2019年06月24日

FB古代史研究会: 迦具土(カグツチ,香久)と邪馬土(ヤウマト,大和)

FB古代史研究会: 迦具土(カグツチ,香久)と邪馬土(ヤウマト,大和)
坂本成事
火の国(メソポタミア)の神、迦具土の首長は切られ、誰が首長かわからなくなったその分けた血は、世界人類の文明の血へと流れます。
毎日投稿しております、
お伽話は、逆に、世界人類に分けた血を集めた
百々人(桃人、五色人統合の錦織り成す人)
であります伽耶人の昔話です。
ですから、お伽話という事です。
なぜ、天之伽那(香久)人が、血を集める事ができたのかは、邪馬土(ヤウマトの神民)の馬門(ウマヤド、厩、イエスは厩で生まれたわけでなく馬門の血という事)の御門(帝)だったからです。
大和で、邪馬土(宇土)の馬門石が大王の墓石として使われますのも、オウスが、熊襲(邪馬土)タケルの名を襲名して、ヤマトタケルと名乗りましたのも、御門の血を受け継ぐためです。
ところで、景教(迦那安の原始キリスト教と釈迦の原始仏教の融合)の暗示の景行天皇と迦具(香久)漏姫も、その四世代間に、神伝での無理がありますのは、九州王朝(芳三山)と大和王朝(香久山などの大和三山)が重なる時代があって、それが重なっていないかのように、辻褄を合わせた一面もあったと考えています。
景行天皇ほどではありませんが、
仲哀天皇の皇子の香坂皇子、忍熊皇子と、応神天皇の世代差も同じです。
熊襲を滅ぼしたとしながら名を襲名し、香坂皇子、忍熊皇子を滅ぼした事にしなければならなかったのは、世界皇統の熊襲の歴史や祀りを継承しながら、二重の王朝は避けなければならなかったからだと推察いたします。
現に、景行天皇は熊襲を滅ぼしたとしながら、熊襲の地で、呑気な凱旋パレードをされていますし、滅ぼしに行く熊襲の地、火の国を、日本(ヤマト)だとおっしゃった背景もおかしな事ですし、敵であれば、河内芳野の斎園殿の東の東門寺の拝ヶ石巨石群で、景行天皇が祈られる必要もありませんでしたし、現に、私の祖先からも、滅ぼされた話など伝わってもいませんし、拝ヶ石を下った岩戸山の歌詠みは、古今伝授として、御所に受け継がれてきたわけです。
私は、後世に、その九州王朝の血を守ったのも、大伴氏が鍵をにぎる人物であり、封印したのも、大伴氏が鍵をにぎる人物であったとみています。
因みに、なぜ織田信長が、天皇をお守りする五摂家筆頭の、近衛前久に疎んじられたのかは、隠しておかねばならなかった、香坂皇子、忍熊皇子の末裔を名乗っていたからです。
細川幽斎から智仁親王への古今伝授を支えた近衛家にとりまして、サ迦具土の古今伝授は、日本人の祖先から受け継がれたものであると同時に、決して、公にしてはならぬ秘密でありました。
また、織田信長の天下人の城、安土城は、迦那安と釈迦族を統合した、香久城(迦具土)の天主という事です。
天主は、キリスト教で使われる神の呼び名です。
さらには、拝ヶ石の麓の那古井と名古屋の名は、とても似ています。
また、愛知の犬山の犬は、太郎の曲玉から丶曲と生まれ出た犬神(八百万神)を示しますが、それは、球磨人の犬神の伝承であり、滝沢馬琴の南総里見八犬伝のモチーフでもあります。
そして、玉名和水(なごみ)のトンカラリンは、地下の内部構造の寸法までが、ピラミッドと同じで、このピラミッドの布石工法は、古代半島の伽耶地方の石垣でもみられます。
また、玉名や芳山周辺の、この地に生息するはずもない獅子は、いつも載せていますタタラ水の獅子も含めまして、馬門の迦具土の首長を示すトーテムです。
そのトンカラリンにとって、星の観測などで繋がる、カムロ山と高葉山の双羽の写真は、お借りしています。

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古代史研究会: 夏至の日,夫婦岩の真ん中に太陽が沈む


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古代史研究会: 夏至の日,夫婦岩の真ん中に太陽が沈む
古代史研究会・中島
夏至の桜井二見ヶ浦(福岡県糸島市志摩桜井)
夫婦岩の真ん中に、太陽が沈みます!
ここは、櫻井神社の宇良宮。
伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀り、二人が生んだ初めの島、オノゴロ島(小呂島)が、夫婦岩の間から見えるのです。
この後、7月には櫻井神社の岩戸宮の,年に二度の岩戸開きが控えています。
石室を拝むことのできる貴重な一日となります。
この海岸の西に
「ニギの浜」
という海岸があり、三国志烏丸鮮卑東夷伝倭人条、いわゆる「魏志倭人伝」に書かれた伊都の長官
爾支(ニキ)
にもつながります。この伊都斯馬半島の先端には、ケヤの大門 という国内最大の玄武洞があり、岩窟そのものが御神体。
伊弉諾尊の御祓いの地との伝承があり、この地に、伊弉諾尊を祀る大祖神社が鎮座するのです。
#ご来福しよう
#fukuokadeeps
#welcomekyushu
#糸島ドライ部ノゴロ島(小呂島)が、夫婦岩の間から見えるのです。
#ご来福しよう
#fukuokadeeps
#welcomekyushu
#糸島ドライ部

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(-.-)
この地は韓国に向い、
笠沙(かささ)の御崎(みさき)を眞來(まきた)通りて朝日の直(ただ)刺す國(東=早良=奴国)、 夕日の日照國(西=伊都国)なり。
故に、此地は甚だ吉き地である、ということですね😊。
「怡土志摩」と同じような夫婦岩が「伊勢志摩」にあって持統天皇も驚き、安堵されたことでしょう👏。
(-.-)
素晴らしい写真の数々。
さらに加えて、恐らく、元祖オノゴロ島である小呂島を祀ったであろう聖地‼️
ここの二見が浦は、夏至の夕日が沈むことで有名ですが、鳥居と岩を結ぶ方位は、北北西を向いています。
つまり、夕日の方位ではない。むしろ小呂島の方位に近い。
(-.-)
そしてその
小呂島=オノゴロ島
の形こそ、前方後円墳のモデルとなったと、私は確信しています!

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