2022年07月16日

吾亞風: ナマズの神

吾亞風: ナマズの神
白なまず…ナマスは「礼拝をする,敬う」…
投稿者:吾亞風
投稿日:2022年 2月22日(火)10時04分20秒
白斑(尋常性白斑,白なまず). 皮膚の一部が脱色されたように白くなってしまう疾患です。
https://ohshima-hifuka.jp/medical/vitiligo/
原因には諸説あり,大きく分けて『自己免疫説』と『神経説』がありますが,詳細は明らかになっておりません。
現在分かっている事は,表皮の基底層や毛母に存在するメラノサイトが破壊されるか,機能が停止することによってメラニンをつくれなくなっていることです。
徐々に白斑が広がることも多く,手のひら,足の裏をのぞき,全身どこにでも発症しえます。
よくある病気のひとつです。
うつる病気でもありません。
…裂田溝の先には那珂川があり,その取水口の側に「伏見神社」があります。
https://ameblo.jp/153535769/entry-12719111847.html
岩戸神楽や磯羅舞が奉舞される社。
御祭神は「淀姫」また,豊姫。
神功皇后の妹ともされています。
ここには白なまずの絵が掲げられています。
なまずが「神功皇后が三韓征伐の折りに,船を先導した」と伝わっているからです。
…また,磯羅舞の中では,豊姫が「二つの玉」を海神から授かります。
この時,海の底には白なまずに乗っていったという話や,淀姫が白なまずの姿をしていたとか,白なまずが神の使いとも言われています。
船を先導した…
安曇氏は,宗像氏と同じく「地祇(国つ神)」とされ,どちらも日本古来の縄文海人(あま)族とされます。
ヒスイを運ぶ縄文の海の民 安曇氏 
https://kodaishi.net/person/clan/azumishi
◆住吉…
住吉大社の祭神は,三韓遠征の神話に出てくる神功皇后と海の三神です。そのため,西の方角に位置する朝鮮半島を向いています。
北を向く本殿は,妙見を祭る神社の特徴です。
北の守護神である妙見が北極星を仰ぎ見るという配置になっています。
もし境内や周辺に7に関する伝説があったり,祠が柄杓形に点在していたら,妙見を祭る神社です。
古代の摂津国内には,難波長柄豊碕宮・難波宮(難波京)等,度々天皇の住居(宮)が構えられているhttps://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%91%82%E6%B4%A5%E5%9B%BD_%E6%91%82%E6%B4%A5%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
古代
瀬戸内海航路の起点で,淀川・大和川水系との結節点でもある住吉津や難波津,中世には渡辺津があり津国(つのくに)と呼ばれ,港湾都市であり,国内流通の中心であった。
初代天皇である神武天皇は即位前,上町台地の先端,難波埼 (なにわさき) に生国魂神社を創建。第14代仲哀天皇9年,神功皇后が三韓征伐より七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道,南海本線七道駅一帯) (当時は住吉郡) に帰還した時,
神功皇后への神託により天火明命の流れを汲む一族で摂津国住吉郡の豪族の田裳見宿禰が,住吉三神を祀る(住吉大社の始まり)。
弥生時代後期〜古墳時代,応神天皇の行宮として難波大隅宮 (なにわのおおすみのみや) ,仁徳天皇は難波に都を定め宮居を難波高津宮 (なにわのたかつのみや) とし,
欽明天皇の難波祝津宮 (なにわのはふりつのみや) も営まれ,当時における国内流通の中心であり港湾都市である住吉津や難波津が開港される。
593年,推古天皇の摂政聖徳太子が難波の荒陵(あらはか)に四天王寺を造立した。
645年に孝徳天皇は再び難波に遷都し,大化の改新と呼ばれる新政はこの地で行なわれた。
淀川・大和川水系との結節点…
◆淀…
佐賀県の東西は弥生と縄文,北馬系と南船系,半島と江南の対抗が認められると言われるが,印象だけで言えば,このことが淀姫の分布に多少は関係しているかも知れない。http://chimei.sakura.ne.jp/f-32yodohime.htm
淀姫…
淀姫神社地点(長崎県佐世保市)https://www.isan-no-sekai.jp/column/1879
淀姫神社地点は,佐世保市の南約5.5qにあり,針尾島の産地から北約7qにあります。標高は約32m。
淀姫神社境内において,親指大の黒曜石の亜角礫が極たまに見つけられます。
一説にナマズは淀姫の使いと言われているそうです。
淀姫神社なのですか!淀姫神社といえば佐賀市大和町,川上峡にある有名な神社。佐賀一宮です。
思わぬ神様と出会いました。http://saga-port.com/2017/07/8035/
古い表記は「熊代」。
熊代 クマシロ 参照。武内 タケウチ 参照。A長崎県 雲仙市国見町神代発祥。平安時代に記録のある地名。地名はコウジロで「髪白」,「高代」とも表記した。
「神の代わり」https://name-power.net/fn/%E7%A5%9E%E4%BB%A3.html
「クマ」が付くのは二つの地に関連があるからではないか,と。https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/3be190efbbc8db2d05ebbe7bad1800b9
それで,公州(コンジュ)・高千穂峰・熊野本宮大社が特殊な三角形になるのではないか,と推測したわけです。
しかし,そうはならず,任那(想定)となら直角三角形になりそうだとなりました。
それが前回。
〔日本書紀では,この任那の「熊川」と熊津(久麻那利・公州)とが混同されたということのようです。それで,関連付けられたことにしたのですが,いかがなものでしょうか
伊吹山と高千穂峰の線・・わかりにくいでしょうが 
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/39/d0bac684bdda53997fb3d4dd1fd82b12.jpg
◆高千穂…
高良大社:当初タカミムスビを祀っていて,宇佐神宮を除けば九州で最も格が高い神社です。
https://ameblo.jp/kazue-fgeewara/entry-12162660272.html
軍隊を集結させて高千穂峡を防衛する基地として最も適した位置はどこかということですが,これは明らかに高良大社周辺です。
高良大社は,兵を集めやすい筑紫平野の中心に位置していて,背後は高い山になっています。
すなわち,この地を防御線とすれば,効果的に高千穂峡を防衛することができるわけです。
ちなみに,高良大社に祀られていたタカミムスビの神は,天孫降臨時にアマテラスの参謀として軍事を指揮した神であり,神話との整合性も高いと言えます。
◆高良大社…
…社殿の裏には我が国の修験道の開祖役行者像が祀られております。
高良大社「下の神は武内宿禰 上の神は高良玉垂命」伝わる。
https://kouratamadare.com/%e9%ab%98%e8%89%af%e5%a4%a7%e7%a4%be%e4%b8%8b%e5%ae%ae-%e9%ab%98%e6%a8%b9%e7%a5%9e%e7%a4%be
そして祇園山古墳とは卑弥呼の墓なのか?
下の高樹神社の神は造化三神の高皇産霊神なのか?
◆武内宿禰…
神代氏 は, 武内宿禰 の後裔とされ, 高良大社 の大宮司である物部氏から分かれた,かつては熊代と書いたのを神代に改め,高良大社の大宮司を務めた名族。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E5%8B%9D%E5%88%A9#:~:text=%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%B0%8F%20%E3%81%AF%E3%80%81%20%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0%20%E3%81%AE%E5%BE%8C%E8%A3%94%E3%81%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%80%81%20%E9%AB%98%E8%89%AF%E5%A4%A7%E7%A4%BE%20%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E7%89%A9%E9%83%A8%E6%B0%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E5%88%86%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%81%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%A6%E3%81%AF%E7%86%8A%E4%BB%A3%E3%81%A8%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%92%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E3%81%AB%E6%94%B9%E3%82%81%E3%80%81%E9%AB%98%E8%89%AF%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%8F%B8%E3%82%92%E5%8B%99%E3%82%81%E3%81%9F%E5%90%8D%E6%97%8F%E3%80%82,%E7%88%B6%E3%81%AE%E4%BB%A3%E3%81%AB%E6%B2%A1%E8%90%BD%E3%81%97%E3%80%81%E8%82%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%20%E5%8D%83%E5%B8%83%E6%9D%91%20%E3%81%AB%E6%B5%81%E3%82%8C%E7%9D%80%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82%20%E5%B9%BC%E3%81%84%E9%A0%83%E3%81%AF%E3%80%81%20%E5%8D%83%E8%91%89%E8%88%88%E5%B8%B8%20%E3%81%AB%E9%A4%8A%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82
父の代に没落し,肥前の 千布村 に流れ着いた。
NAMAS(ナマス)=礼拝する https://yogahidamari.com/namaste/
NAMAS(ナマス)=礼拝する,敬う,大いなる流れに従う,身を任せる
TE(テ)=あなた,あなたに存在する内なる光
※内なる光とは,人間一人一人が皆持っている本来の輝き,内側からにじみ出る美しさのこと。
この二つの言葉が合わさったものです。
神にささげる言葉 http://chaichai.campur.com/indozatugaku/namaskar.html
ナマス,つまり南無阿弥陀仏の南無を行う,という意味らしい。
南無はまた,オームのことでもある。意味は深遠だ。
意味は深遠だ。
◆南無…
「帰依(きえ)」とは信じる心。意味と使い方,関連用語も 
https://www.famille-kazokusou.com/magazine/manner/417
帰依の意味は大きく分けて2つ
帰依は一般的な意味と,仏教における意味の2種類があります。一般的な意味は「神や仏,高僧などすぐれた人物を信じて従い,全面的に頼ること」です。
一方の仏教における意味は「仏を信仰し,教えを乞うて仏教の教えのまま生きること」です。お釈迦様と同じ修行をすることで,悟りを開き,成仏を目指すのが仏教における帰依とされます。
一般用語よりもかなり強く仏にすがる様が受け取れます。帰依の他にも「帰命(きみょう)」や「南無(なむ)」と表現されることもあります。
由来は帰命や南無にある
帰依と似た意味を持つ「帰命」の由来は,サンスクリット語の「namas(ナマス)」です。
ナマスは「礼拝をする,敬う」といった意味を持ち,仏教語では「南無」と表すようになりました。
…宗教別にみる,帰依の類義語・対義語
仏教やキリスト教において,帰依と似た意味を持つ言葉はいくつか存在します。
ただし,言葉によって若干の違いがあるので,使う前にそれぞれの意味を理解しておくと良いかもしれません。
ここでは仏教とキリスト教における帰依の類義語と,対義語について紹介します。
       
日本古代史掲示板(荊の紀氏)
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=10&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=5&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=2&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs









あきる(=畔切) 蘇我氏は,縄文人系のD系統…
投稿者:吾亞風
投稿日:2022年 2月22日(火)08時41分52秒
祭神:天之御中主神…
星宮神社 N35度51分52.64 E139度13分23.49
星宮神社<毛呂山町下川原二四八(下川原字久保裏)>
下川原は高麗川と葛川に挟まれ,台地から低地に移る所にある。縄文中期・弥生・古墳・奈良・平安の遺跡が地内にあり,成立の古さを物語っている。また,当地は両墓制の行われる所として著名である。
当地方には,流星に対する信仰を源としたと思われる,星を祀る社があり,飯能長沢の借宿神社,飯能南の我野神社,名栗の星宮神社,毛呂山の出雲伊波比神社(飛来大明神)などである。当社もこれらと同様の信仰を持つ社である。
社記に「往昔星宮と称したが,元和年間妙見社と改称する。慶安二年妙見社領七石を賜う,明治五年旧号に復し星宮神社と称す」とある。
『風土記稿』には,妙見社の名は見えず,「浅間社村の鎮守にて社領七石は慶安二年に賜へり,延命寺の領」がある。
『郡村誌』もこれをうけて「慶安二年己丑浅間社に領七石を付す。
明治四年辛未浅間社領韮山県に合す」と載せている。
これは『風土記稿』において妙けんと浅けんを誤ったためと考えられる。
◆天之御中主神…
古事記にはたくさんの神が登場しますが,その一番はじめに現れる神は,天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。
…天之御中主神は,古事記にはその後一度も登場しないので,その姿,ことば,行動などは何一つ知られていません。神秘のベールに包まれた神様だといえます。
生活に直接かかわる神ではないためか,天之御中主神は長いあいだ民間で祀られてきませんでした。
ところが,近世になって,北極星や北斗七星を信仰する妙見信仰(みょうけんしんこう)と合わさり,「妙見さん」と呼ばれる妙見菩薩(みょうけんぼさつ)と同一視されるようになって,民間で信仰されるようになったのです。
現在では福島県原野町(こうやまち)市の太田神社,埼玉県秩父市の秩父神社などに祀られています。
また,創造神(そうぞうしん)であるという性格から,天之御中主神をキリスト教の「ゴッド」や,ヒンズー教の「ブラフマン」と同一視する考えかたもあります。
◆妙見信仰と合わさり…
妙見信仰は,バビロニアが起源!
アラ族の王族は,オリエントやインドを統治していた時代,タージ(ターイ)と呼ばれていた
タージとは,王冠という意味で王権を象徴していた
タージの子孫が多治比(タジヒ)と名乗り,そのまた子孫が平(タイラ)と名乗った
つまり,坂東平氏はアラ族の阿波忌部氏の流れをくんでいるということ。https://www.pt-jepun.com/history/kiji2020.html
◆忌部氏…
大伴氏,物部氏,中臣氏,忌部氏,土師氏は,渡来した弥生人で O系統の染色体をもつ一族です。https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/ea20cea071f1a737d2c088c75c9d098e
2,古墳時代
  魏の国が滅び大陸が乱れる,朝鮮半島を高句麗が支配します。
  大陸との交易が途切れてしまい,日本の諸国で豪族の国が力を付けます。
  弥生人の農耕,建物,食料の保管などに加えて,古墳と言う先祖供養,権力の象徴が始まります。
  この時代
  玄界灘湾岸の国々,山陰の出雲・・朝鮮半島(百済,新羅)支配に力を入れる。鉄製品を入手して 武力を蓄える。
  瀬戸内海の吉備など,近畿地方の豪族・・・農耕が進みが武器が少なく人口が増える。
…後に,神道派 物部氏 VS 仏教派 蘇我氏 で有名な蘇我氏ですが,天皇家へ姫様を送り天皇家と血統を結びます。
蘇我氏は,縄文人系のD系統で,天皇家と顔,体形が似ていたのではないでしょうか。
阿伎留神社N35度43分31.20 E139度13分21.83
初代神主の土師連男塩の氏神…
阿伎留神社(あきるじんじゃ)は,東京都あきる野市五日市にある神社。式内社で,旧社格は郷社。
社名は「阿伎留」「阿伎瑠」「秋留」「畔切」などとも書かれたが,いずれも「あきる」と読んだ。「あきる」は「畔切」を意味し,当地が開拓され始めた頃に祀られた神社とする説もある。また現在の宮司家は創立以来70余代目とされ,初代神主の土師連男塩が氏神を祀ったことに始まるとも考えられている。
祭神は次の4柱。
大物主神 (おおものぬしのかみ)
味耜高彦根神 (あじすきたかひこねのかみ)
建夷鳥神 (たけひなとりのかみ)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
『新編武蔵風土記稿』では味耜高彦根神のみを挙げており[2],味耜高彦根神が元来の祭神とされる[3]。
…阿伎留神社は秋川の段丘上に鎮座し眼下には水田が広がるが,この一帯の開発を進めた人々によって祭祀が始まったと考えられている[3]。その由来は
「あきる(=畔切)」という社名にも指摘される。
…延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には武蔵国多磨郡に「阿伎留神社」と記載され,式内社に列している。
◆阿伎留…
アヒル草文字 史郎体 A 伊那谷は,古代から「風の谷」だった。 https://kodaimoji.blogspot.com/
「伊勢津彦」は風の神であり,むかし信濃国へ渡ったという話があります。
…『百家系図稿』に,その「小町谷」系図,があります。
…「小町谷」系図には「建御名方命 諏訪に到り給いとき 大草に到座 大久延建男命と云う者あり」
阿比留文字(あひるもじ[2][3][4])は,神代文字の一種である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AF%94%E7%95%99%E6%96%87%E5%AD%97
対馬国の卜部氏・阿比留氏に伝わったといわれる文字で,阿比留家の文書に阿比留草文字や対馬文字と共に書かれている。
…阿比留文字と,朝鮮半島で使われるハングルは形が似ており,関連が指摘されている。
…太古から日本と朝鮮半島には交流があった事から,阿比留文字はハングルとは何らかの関係があるのだろうとしている者もおり,国学者伴信友の『仮字本末』や,国語学者の山田孝雄の『所謂神代文字の論』においてハングルとの類似が指摘された[7]。
また,成立を538年以前とする説に従うと訓民正音の公布(1446年)より前となることから,ハングルの基になったという見解を持つ人々もいるが[5]
その根拠は定かではなく韓国では否定されている(そして,ハングルの基の文字はモンゴルのパスパ文字とする説の方が有力[8][9][10][11])。
…,また長野県安曇野市の道祖神にも刻まれている(本村の神代文字碑)。
徳島県阿波市阿波町にある岩津橋の東のたもとに阿比留文字で彫られた「鯰の歌碑」がある。
碑には阿波町教育委員会の解説が設置されており,読み方は上段「スキノヲノミヤノミマヘニ ナマツノウタヨミテシロイ シニヱラシテタテマツレル」
下段「ナミノマニイテテミエナム ツヌサハフイハツノフチノ ソコノナマツハ」となっている。
下段の最後には他の字と異なり完全に彫り込まれていない字で「イワクモノハナカ」とある。
◆「鯰の歌碑」…
不思議の宮の物語 「鯰(なまず)の宮の女神たち」. 九州には,「鯰」を崇める地域がある。.
…「鯰」の伝承といえば,阿蘇の大鯰の逸話がよく知られる。
阿蘇の開拓神,健磐龍命の「蹴破り神話」と呼ばれる伝承。http://faithjp.com/2015/10/16/189/
 昔,阿蘇は外輪山に囲まれた大きな湖であったという。
健磐龍命は湖の水を流して田畑を拓くため,満身の力で湖の壁を蹴り壊す。
湖の水は流れ出したが,大鯰が横たわり水をせき止める。
健磐龍命はこの大鯰を退治して湖の水を流したという。
そのバックグラウンドにあったのは海人族である,安曇・宗像・出雲・海部の氏族そして製鉄の民・賀茂氏縄文弥生にまでさかのぼる古代九州王朝の記憶でした。
…福岡・早良の賀茂神社のご由緒書きには『当社は京都賀茂神社の分霊社として創設され,その建立年は詳ではないが,境内より平安時代の瓦を出土したことにより,その以前の建立であると認めることができる。
尚,昔から身体に白い斑点のでるナマズの平癒祈願の神様として遠近よりの参拝者が多い。』
つまり,こう読めます。この神社は京都の上賀茂神社の福岡支社である。
「なお,」ナマズの神も (御祭神として正式に祀られてはいないが) 信仰されている。
つまり,上賀茂神社からこられた正式なご祭神と,土着のナマズ神には,同じ土地で祀られているという事実以外,つながりは見いだせないようです。
【賀茂のナマズ神は,どういう神さま?】https://ameblo.jp/marline358/entry-12360223587.html
…樋井郷における「鯰」の信仰や,隈(くま)地名の存在は,古く早良の基層に阿蘇由来の氏族が在ったことを思わせる。
◆モンゴルのパスパ文字…
ハングルは世宗大王が独自に発明したものではなかった?https://www.recordchina.co.jp/b151847-s0-c30-d0052.html
…チョン教授は,朝鮮を開国した太祖・李成桂の家系とパスパ文字のつながりについても指摘している。
彼の父親である李子春は元に帰属しており,一時期は千戸の官職も務めたとされている。
このことから,李子春のひ孫である世宗が文字を制定するにあたり,パスパ文字の影響が大きかったことが推論できるとしている。
…「何も李成桂の家系のことまで言わなくても…日本の植民地時代を生き抜いた大人たちが日本語を自由に操るように,世宗の時代も知識人たちはモンゴル語を自由に操っていたのでは?」
◆李成桂の家系…
…李氏とロスチャイルド家は世界の支配層の13 血流であるので,もし滝川クリステルの子供が日本の総理になると,ロスチャイルド家と李氏王朝に日本は乗っ取られる訳です。 …
衝撃過ぎる事実! 日本乗っ取り計画は進んでいる
李方子妃 https://ameblo.jp/ba5603/entry-12568477920.html
彼女は李氏の子供を二人産みますが,その内の一人が安部家の養子に送られて安部を名乗り,岸信介元総理の娘と結婚します。
ですから,安部晋太郎が李氏朝鮮王朝の血を引いているので,安部晋三総理は朝鮮王朝の血が流れています。
そして滝川クリステルさんのお父さんは,
フランスのロスチャイルド家ダビット.ルネ.ロチルド(世界ユダヤ人協会のドン)との血縁者なので,クリステルさんの子供は李氏朝鮮王朝とフランスロスチャイルド家との子供になるのです。
李氏とロスチャイルド家は世界の支配層の13血流であるので,もし滝川クリステルの子供が日本の総理になると,ロスチャイルド家と李氏王朝に日本は乗っ取られる訳です。
長い時間を掛けてユダヤ人の支配層は日本を意のままにしようと計画していたのです。

?…ロスチャイルドがアヒル草文字の変換ソフトを買い占めたということは, 解読の必要のある何かを発見したのか?
…法隆寺,三輪神社,鹿島神宮に秘蔵され,現在確確認されているだけでも13種類の書体が存在するという。
「神代文字総覧より」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~choreki/sinmoji.htm#f
阿比留家 伝来
鶴岡八幡宮秘蔵
出雲大社秘蔵
法隆寺秘蔵
このアヒルクサ文字,どうやら日本だけに通用するものではないらしい。
ブラジルで発見されたペドラ・ピンタダ巨石の碑文は,アヒルクサ文字で解読でき,「イサクとヨセフに船を降ろせる神を見よ。イサク,ヨセフとともにこれを手厚く守れ」という意味を表すという。
…アヒルクサ文字が,九州・対馬の阿比留家に伝わる神代文字ということは,対馬周辺,沖ノ島や隠岐の島の海底遺跡として眠る古代文明とも何か関連があるのだろうか?
また,日本の周辺には沖縄の与那国海底遺跡の他にも,青森県津軽半島沖合いに青森海底遺跡,和歌山県串本沖にも海底遺跡が存在する。
青森 与那国 なんと,熱海海底にもあった!?
http://www.izu.co.jp/~pro-tecs/kaitei-iseki1.htm
串本沖には,2000年ほど前まで高度な文明を持つ先住民がいた?
…ヲシテ(Woshi-te)とは
( 縄文文字・日本固有文字・及びその文献 )
「愛しみ教える」の「ヲシ」と,為しゆく手段の意味の「テ」です。
近世の言葉の「押し手」の意味とは,全く違う言葉の意味です。
濁音のヲシデではありません。清音のヲシテです。
  縄文時代の前期から日本で使用されていた文字,これを,ヲシテといいます。
ヲシテで記された,ヲシテ文献は,「ミカサフミ」・「カクのフミ(フトマニなど)」・「ホツマツタヱ」 の三文献が,
現在までに発見されています。
縄文時代からの優れた哲学を現代に再認識できる,これが,ヲシテ( 縄文文字 )です。
そして,ヲシテ文献には,縄文時代からの,膨大な物語が記されています。
【日本ヲシテ研究所】
http://woshite.com/page1.html
dreamlandさんのブログで記号のヒントを見つけた。
口から発した言葉が図形になって見える?
言葉によって図形が決まっているのだろうか?
「ありがとう」の「あ」は,そういえばこの正12面体と同じ形をしていたことを思い出した。
そして記憶をたどると,
「ありがとう」という音声は,正12面体―正8面体―正12面体―正6面体―正4面体の順番に並んでいたはずだ。
それはエレメントに変換すると,空―風―空―地―火の順番になる。
例えば,これを参考にして「ありがとう」を記号で表すと
あ  り   が   と   う
となる。
…ロス茶が買い占めるほど重要な意味を持つこの日本古来の文字・言霊のエネルギーは実は想像以上に強力なものなのかもしれません。
ドラコニアン(龍蛇族?)のDNAを持つ大和民族の発する言霊の周波数(母音)には,古代ムー(レムリア)の叡智を復活させる何かが隠されているのでしょうか?
…世界共通言語は,旧約聖書では,バベルの塔が破壊される以前まで存在していたことになっている…
ロスチャイルド財閥が日本の~代文宇に異常な関心を示している!?https://ameblo.jp/kissy-seed/entry-11962533281.html
アダムの時代の~のヘ會(かい)は「アダムメーソン」と呼べます。…
日本と古代フリーメーソンhttps://ameblo.jp/kissy-seed/entry-11922937933.html
(注意)近代フリーメーソンとは別物です
日ユ同祖論 No,3 失われたアーク https://ameblo.jp/kissy-seed/entry-11559466779.html
・・・・
       
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2022年06月21日

坂口成事: 古代巨石遺跡と夏至




坂口成事: 古代巨石遺跡と夏至
>>坂口成事
冬至の日のマチュピチュのインティワタナ(太陽を繋ぎ留める)の太陽の影は、三角形(△イクムスビ)と成ります。こちらでは夏至ですけれど、まるで拝ヶ石巨石群のようです。日本史は世界史。世界の古代の謎は、日本で解決。
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アンは中身でありandで共に在ります。
裏がすべてであり浦島であり、夏でもあります。
冬至から始まった一年は夏至が真中ですが、最も離れたように錯覚して秘密になった蜜であり巳津です。最中(私たちからみえない三味の中心)で中津国です。
ところで、盂蘭盆は慰霊であり供養の意味もあると思いますが、盂蘭盆会は、仏性会と同じで、裏面のアンである私に出会う事ではないでしょうか。
アンは安であり案内です。この案内に気づいていただけたら幸いです。
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昔は兄弟姉妹が多かったため、戸籍謄本原本をとるとなりますと、五千円近くかかる方もおいでだと思います。我が家が五千円越えとなりますのは、祖父が三度死んだためです。
ところで、人体蘇生と申しますと、何か胡散臭い話ですが、筑紫(熊本の宇土)から来た火の君(姫氏)が、その術式を使って生き返らせた話は、播磨国(姫路)風土記にあります。その土地の地名は継となったとの事。また、蘇りの術式は、継体でもあります。神武天皇の蘇りなど、東征前の九州での古の天皇、もしくは斎王は、この継体の王であったのかも知れません。
ところが、熊襲タケルから継(火の君)を襲名した大和タケルは、草火をコントロールする、蘇りの剣である、草薙ぎの剣を使いきれず火に倒れます。草薙とは、那岐と分けた曜玉です。人体では、五臓六腑一性殖(五組連玉と二独玉で七岐)です。それを真釣り合わし直すという事です。それで、古代の真剣は真釣る木と申すのです。ムラムラと湧き上かる叢雲の生命の木でもあります。草叢から飛び立つ雉(霊)を、もう一度草(人体)に納める薙ぎの剣でもあります。八咫烏で申せば、三本足を挙げて飛鳥と成ってしまった足を、再び二本を戻すという事です。
泡沫(歌方土)の淡(気流柔剛の火と水)と固まる淡路の秘め路は、ア行からワ行の、敷島に磯辺(五十音鈴)と幸拾う国(日本)の言霊でもあります。祖母継乙女は亡くなりましたが、私のプロフィール写真では、古代、海へ入水した斎王の真似事をしております。ちょうど、ミミズが入れものとなって土を通しますように、水瓶(魄)と成って、足比日口縄から手比日囗縄の握り(ニニギ)により、水(令)を通すのが人の生き宮です。禊ぎの方法もそれに習います。草薙の示しの写真は、お借りしています。
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夏至の日に拝ヶ石へ登山される方もおいでかも知れません。
以前、NHKの聖地巡礼の旅番組の中で、拝ヶ石の頂上石を、ウルトラマンの石という表現があったのを記憶していますが、実は、ウルの石である事には間違いありません。偶然の星取りのような7、8の本場所のM78星雲。日本の火山活動から脱出した人々は、再び、メソポタミアのウルの地から旅立ち、神日のウガヤ(宇留という地名もあります)の地にたどり着いたのです。まさに、帰って来たウルトラマンですね。
世界中の巨石文明の多くは、太陽である日を拝し、暮らしに生かしてきたものが興した文明です。いつも載せていますメソポタミアのジッグラトだけでなく、マヤやエジプトのピラミッドも同じものです。世界中偶然に、同じ比日密土があるはずはありません。どこかのものが、世界中に広めたとした方が無理はありません。それで、巨石の石工がいて、海の航海ができるものは、海人である縄文日本人しかいなかったのです。まさに国名の通り、日の本です。写真は、有名な、ギザのクフ王、カフラ一王、メンカウラ一王の三大ピラミッドの夏至の日の様子です。もうーつは、いつものカラ族の拝ヶ石の、夏至の日の様子です。全く同じ観察です。
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見つけました❗️❗️😊
坂口さんのお話しによく出てくる、トンカラリン(和水町)と不動岩(山鹿市)のレイライン(夏至)☀️🌄古代遺跡の何か繋がりがありそうですね😍更に、4枚目写真の不動岩の裏山(蒲生山)に磐座らしきもの(写真右下◯)もレイラインを通ってます👍写真右上◯の岩の割れ目は、冬至の日のレイラインのような気がします!日向山も名前から関係ありそうですね!
一年前に子どもたちと行ってました😊裏山も行けるのなら探索にチャレンジしたいと思います!
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平成から令和へ変わりますのも、一つの季節の移り変わりでありますが、私たち日本人は、折々に季節を感じとり、その節目を大事に暮らしてきました。それは、日本に自然豊かな情景があるというだけでなく、一時的に日本を離れになられて、四季のない所の、外国に住まわれた方は実感があると思いますが、自らのリズムに、体の節々に、元々、季節が宿っているためです。
ところで、縄文人の暦による季節は、四季ではなく、三季である事はご存じでしょうか。金芳山、拝ヶ石の季節は、冬至から穀雨、穀雨から処暑、処暑から冬至の三季であります。それは冬至が太陽と自らの復活の基点であり、そこから正月も始まるわけです。迦那(金、迦那安人、フキア人、紫貝を好むフェニキア人、筑紫人)の同系の岐阜の金山(妙見宮)の三季は、夏至から霜降、霜降から雨水、雨水から夏至と、夏至が基点と変化しましたのは、冬の厳しさがあるから、夏が復活の基点になったのではと考えております。
季節が私たちの体と同根でありますのは、私たちの体も頭、胴、手足であり、節々の御祓の体であるからです。剣道では、面、胴、小手すねですが、日の本の武の道には、御祓の技が生きています。縄文螺旋回転の天の岩戸を開く手力(神日手力)は、いつも私たちの心体の季節を通り抜けて行くのです。
ところで、平成を見送り、令和の時代の今、観光旅行に行かれている方々もおいでですが、ご自身の出自、息の根元の謎解きをなされる観光に、是非挑戦なされてみてください。これまでのFBの投稿の中に、多くのヒントと仕掛けをしています。金山、拝ヶ石、押戸の観測光(観光)の写真はお借りしています。
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球磨の相良のFBの友に、日頃から、私の叔父叔母が、お世話になっている事を、後になって知る事となります。そのような身近な縁に疎い私ですが、その方とFBで出会った時は、ピラミッドがみえた驚きと申しますより、古の縁が動き始めたという、身が引き締まる思いでした。
ところで、大和の三輪、桜井にこだわりますのは、聖書の予言にあります、十四万四千人が、12氏族×12単の000三輪での集結という暗示だけでなく、古代エジプトのギザの三大ピラミッドと、芳三山、宇佐神宮の前の、元の豊国一の宮の香春三山と、世界でも、日本でも、そのおむすび山△△△の教えが繋がるからです。おむすび山とは、この世界が、神の実在と私の実在、私の現れの三津(おむすびコロリンコロころりん)だけから成るという示しです。それは、大和の大神氏(三輪氏、大海人族)が継承していたわけですが、それを復活させたのが、祖母山の大蛇の子の伝説があります、大神惟基です。大神氏の元々の姓は、君、で、しかも、惟基の基は、周王朝(句呉も含む)の国姓の姫(キ)が変化したものです。また、九州では、大神氏は緒方氏でもあります。建速スサノヲ、大国主と繋がり、宇佐神宮とは、源平の時に反目とはなるのですが、高千穂の天孫降臨の天岩戸神社、人吉青井阿蘇神社は、大神氏の青井の血なくして、今に到らなかったと考えています。
また、人吉青井阿蘇神社は、エルサレムの第一神殿と同じ、火水一体型の禊ぎ池が、神社の参門です。写真は、大神氏(三輪氏)の家紋と、カラ(クル、クフ)族の、芳三山の拝ヶ石の、夏至の日の観察と、ギザの三大ピラミッド(メンカウラー、カフラ一、クフ)の、夏至の日の観察です。その、夏から始まった中国は、神日族の日本文明を継承し、そこで農業従事者として働いていましたのが今の漢民族で、今の中国の方々が夏(華)を誇りとされておいでなのは、そのまま神日(花曰)である、日本を誇りとされている事となります。現代の中国での漢字も、すでに半分以上は、近代の日本からの輸入漢字ですが、真の漢人の子孫も、度重なる戦争のため、中国では少なく、元々の漢字も、神日字の夏日字の、蒼(青)井の流れだと考えています。(蒼は漢字の発明者の蒼頡にも暗示、白神を示す柏の木が蒼頡の印) 写真は、お借りしています。
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二十四節気(にじゅうしせっき)
二十四節気とは、太陽年を日数あるいは太陽の黄道上の視位置によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。二十四気(にじゅうしき)ともいいます。
二十四節気は中国の戦国時代の頃、太陰暦の季節からのずれとは無関係に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案された区分手法のひとつで、一年を12の「節気」(正節とも)と12の「中気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられています。
重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分は併せて二至二分(にしにぶん)と言い、重要な節気である立春・立夏・立秋・立冬を四立(しりゅう)、二至二分と四立を併せて八節(はっせつ)という。太陰太陽暦では、暦と季節のずれを正すために用いられます。
中国・山東省文化と旅游庁ホームページ(日本語)https://www.visitshandongjp.com

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夏至の二見ヶ浦(福岡県糸島市)
桜井神社の宇良宮の夫婦岩
祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊
この夫婦岩の間から、小呂島(オノゴロ島)が見えます。
伊都よき地かな
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私は佐渡の二見七浦地方の出身ですが同じく夫婦岩があります。形もそっくりです。伊勢の志摩にも同じ地名と夫婦岩があります。不思議です。
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小生の妄想の類いですが、伊都国は卑弥呼の出身地。倭国大乱の後、連合国の女王に担がれ、連合国内で最も豊かな筑後川流域の穀倉地帯甘木・朝倉を領域とする邪馬台国に拠点を移し連合国の祀り(まつり)を司り、弟が政(まつり)を司る一大卒として伊都国の地に残り外交・交易・監察を担い連合国を差配した。
魏の使者はじめ交易国は伊都国で外交・交易の要件は完結していたのではないか。甘木朝倉迄赴く必要はなかった。卑弥呼の墓は死後、故郷伊都国平原に造られ、後継の台与も引き続き伊都国の卑弥呼の同族の中から選ばれた。地神五代、神武から十一代後である垂仁天皇の頃迄は自分たちの先祖が何処から来たか十分分かっていたのではないですか。
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今日は夏至ですね。これまで私は長年に亘り夏至や冬至、春分秋分といった太陽の動きと共に自分の動きも合わせて生きてきました。この3年は日々の営みの中で、その日を迎えていますが、やはり祈りの時であることに違いはなく、特別な思いがあります。
熊本にある押戸岩に行ったのは、ちょうど今から20年前の夏至の日でした。朝日が登る時間に合わせて、この岩まで登って行ったら、多分縄文時代から先祖代々この日に祈りを捧げている、という方と一緒になり、貴重な時間を過ごさせていただきました。
ホピでは、夏至になると各村でホームダンスが行われカチーナがサンフランシスコピークスという山に帰るのです。6月の夏至の日に合わせるのではなく、概ね7月に行われますが、チャコキャニオンという、ホピの遺跡では、マチュピチュ遺跡と同様に夏至や冬至に太陽を迎える場所があったようです。そして、夏至の太陽を私の手で受けている写真。これは、岐阜の金山巨石群の中の中で、夏至の日に差し込んだ太陽を掌で受け止めたものです。およそ8,000年も前の土器がここから出土していたそうで…やはり太古から人間は太陽の動き、月の動きと共に生きているのだなぁと実感します。
今日は、ハミングバードcaféは定休日。なので誰もいないキッチンの中で、朝から料理の仕込みをしています。皆さんに、美味しいものを食べていただき、幸せな気持ちになってもらいたい。それも私の祈りなのだなぁと思います💕


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中国の夏至の風習
1.先祖や神を祭る
夏至は麦の収穫時期にあたり、古来この日に豊作を祝い、先祖を祭る風習があったので、節句として取り上げられました。夏至の日は麦の収穫が終わり、農民達が天から豊作を賜った感謝の意を表するとともに、秋の豊作も祈って祭りを行います。
2. 夏至の日にラーメンを食べる
古くから民間に「冬至は餃子、夏至は麺」の言い伝えがあります。夏至の日にラーメンを食べるのは多くの地域の風習です。この日は、新麦が収穫され、旬の麦で麺を作ることので、新たな始まりである意味もあります。
3.夏至の節句
夏至の日は昔から大切な一日でした。清の時代まで、この日は休みでした。夏至になると、朝廷までも休みで、官僚なども全部家に帰り、家族と一緒に過ごし、暑気を払います。
 今の陕西省のあたりに、夏至に粽を食べる風習がまだ残っています。
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世界文明の「起源は日本」だった ⁈
日本人はシュメール人?
イスラエルの「元つ国日本」にユダヤ人が戻ってくる 世界の聖地?
縄文時代の遺構には、日常生活に関わるもの(住居跡や墓など)とは別に、ちょっと現代人には理解不能な、長い時間と労力を注いでムダなものを造ったとしか思えないものがあります。それらは苦し紛れに「モニュメント(記念碑)」と呼ばれていますが、決して何かの記念に建てられたことがわかっているわけではありません。わかっているのは、それらがどうも、実利を目的として造られたのではないこと、しかもその規模たるや、途方もない年月と人員、労力を要する大層なものばかりであること、それ故に縄文人にとってはとてつもなく大切なものであったらしいということだけ。モニュメントには、環状列石(かんじょうれっせき)や配石遺構と呼ばれる石を並べたもの、木柱列(もくちゅうれつ)と呼ばれる木を並べたもの、そして盛土(もりど)と呼ばれる土を盛ったものがあります。日本の歴史上もっとも長く平和な時代が続いたと言われる縄文時代、戦争やお金儲けを尻目に、人々が大真面目に取り組んでいたらしい「モニュメント」とは一体なんなのか。縄文人の傑作といえば、土器と土偶が注目されがちですが、今回はあえて、普段あまり語られない謎のモニュメントシリーズをご紹介いたします。
「東北の縄文銀座」こと、三内丸山(さんないまるやま)遺跡をご存知ですか。数ある縄文遺跡の中でも圧倒的な遺構と出土品の数を誇る、まさに「銀座」と呼ぶにふさわしい大規模な集落跡です。三内丸山遺跡を一躍世に知らしめることになったのは、集落で見つかった6基の巨大な柱跡。穴の大きさは最大で直径2m、深さも2m近くに及びます。それがこちら。各穴の底から腐食を免れたクリの木が見つかったことから、6基の穴には巨木が建っていたと見られています。まず、これだけの巨木を6本も伐り出すだけでも大変なのに、それを所定の場所へ運び、加工して、2mの深い穴を掘った上でまっすぐ立てる、という作業をすべて人の手で行うのです。青森の縄文人、いったい何を考えて・・・いや、尋常じゃない数の人手、労力、時間をかけるに値する彼らなりの言い分があるはずです。
真脇遺跡木柱列(石川県能登町HPより)何も青森県の縄文人だけがエキセントリックだったわけではありません。三内丸山の木柱列は全国でも最大規模ですが、前期の阿久尻遺跡(長野県)、晩期の真脇遺跡(石川県)などでも見ることができます。縄文人の言い分を知る手がかりは、木柱列の建てられた場所と、その配列にあります。柱の間隔は等間隔(4.2m)で、極めて几帳面に3本ずつ2列に並んでいます。考古学者の小林達雄氏によると、なんとこれらの配列は、二至二分(春分・夏至・秋分・冬至)を知るための日時計として作用する仕組みになっているといいます。驚くべきことに、3本ずつ並んだ柱の延長線上に立つと、夏至の日には柱のちょうど真ん中に日が昇り、反対側に立つと、今度は冬至の日に柱のちょうど真ん中に日が沈むのだそうです。それだけではありません。縄文人は春分と秋分も意識していたといいます。6本柱のどこに立つかによって、夏至、冬至、春分、秋分の時、柱と柱の間にちょうど日が昇ったり沈んだりするように設計されているのです。
二至二分がわかるかどうかは死活問題
生活のすべてを自然の恵みに頼っていた縄文時代、二至二分がわかるというのはとても重要なことでした。季節を少しでも間違えれば穫れるはずの獲物が穫れなくなったり、採集できるはずの木の実類が採集できなくなったりするからです。しかし、木柱列がただの日時計ならば、こんなに巨大な木を時間をかけてわざわざ伐りだしてくる必要はなかったのではないでしょうか。造設に多くの時間と労力を要する壮大な木柱列には、実利以上の何か大きな意味があったに違いありません。野中堂環状列石 日時計状組石(秋田県大湯ストーンサークル館)実際に、日時計としての役割を持っていたと思われるモニュメントも、より小規模な形で見つかっています。ここで多くの研究者が指摘するのは、縄文人の太陽信仰です。洋の東西を問わず、人類は有史以来、「生」の象徴として太陽を神聖視してきました。太陽は毎日東の空に「生まれ」、西の空に「死んで」いきます。また一年のうち最も日の長い夏至は、最も「生」の力が強い時であり、反対に冬至は、最も「死」の力が強い時、春分・秋分はそのバランスが調和する日です。自然の循環サイクルをよく知っていた縄文人は、太陽の循環に生命の循環を見いだしていたのかもしれません。
世界の太陽神。左からエジプト神話のラー、ヒンデゥー教のスーリヤ、ギリシャ神話のアポロン、そしてインカ神話のインティです。富士山に太陽が昇ったり沈んだりする時、その光が山頂にかぶり放射線状の光が現れる様を通称「ダイヤモンド富士」と呼びますが、実は三内丸山遺跡でも、同じような現象を見ることができます。2列に並んだ巨大な3本柱のど真ん中に、ダイヤモンドのように美しい光が突如現れる瞬間を想像してみてください。さぞ、神々しいことでしょう。三内丸山の縄文人はこれを夏至の日出、また冬至の日没に拝んだに違いありません。巨大な木柱列は、太陽を「ただ」拝むのではなく、もっともドラマチックかつ神々しい形で拝むことができる傑作なのです。太陽の力が最も強くなる夏至、また最も弱くなる冬至には、世界中の民族がそうするように、縄文人も祭を行ったかもしれません。写真は、縄文人のマツリの道具(だと思われる)「土面」です。縄文人が、二至二分を意識して作った装置は木柱列だけではありません。むしろ、より多くの遺跡で見つかるのは、ストーンサークル(環状列石)です。世界で最も有名なストーンサークルは、世界遺産にもなっているイギリスのストーン・ヘンジでしょうが、ストーン・ヘンジの造設とちょうど同じ頃、縄文人もまた、同じようなものを造っていました。イギリスのストーン・ヘンジ。ストーンヘンジもまた、夏至の日の出と冬至の日没を観測する装置であったことが指摘されています。いつまで経っても完成しない! まるでサグラダファミリアな環状列石日本で最も規模の大きい環状列石は、円周の直径が50mにも及ぶ大湯(おおゆ)遺跡(秋田県)です。野中堂(のなかどう)環状列石・万座(まんざ)環状列石の2つから成り、その中心点の延長線上には、それぞれ日時計状の組石も造られています。万座環状列石(秋田県大湯ストーンサーク館)環状に並んだ石が二重丸を作っています。使用されている石の数は、全部で7200あまりに及ぶといいます。それもそこら辺の石ではダメなのです。わざわざ7kmも離れた川の上流から、腰を痛めそうなほど大きな石を運んできて(中には150kgを超す石も!)並べているのです。おそらく長い時間をかけて、それも10年とか20年ではなく100年とか200年という途方もない時間をかけて、せっせと石を並べていたのです。何世代にも渡って引き継がれていく、サグラダファミリアもびっくりの「長期」計画です。野中堂環状列石(秋田県大湯ストーンサークル館)熱心に石を並べているところもあれば、ほとんど手つかずの部分もあります。完全な円を作ることに興味がなかったのか、「完全性」をわざと避けていたのか・・・縄文哲学、深すぎます。
木柱列同様、環状列石もまた、太陽の動きを確実に意識して造られています。大湯環状列石では、2つに並んだ万座・野中堂環状列石の中心点、およびそれぞれのそばに設けられた日時計状組石の延長線上に夏至の日没を臨むことができます。しかしやはり、作りたかったのが「ただの」日時計ならば、何百年もかけて、7kmも離れた遠くから大きな石を運び続ける必要はなかったはずです。彼らが石をただただ並べ続けるモチベーションには、何か壮大な理由があったに違いありません。日本各地でみつかる環状列石の多くが、太陽と山の関係を計算してデザインされているといいます。環状列石のある地点から、近くの山にちょうど太陽が落ちたり昇ったりするのです。たとえば群馬県の野村遺跡からは、冬至の日にぴったり妙義山へ落ちていく太陽を見ることができます。あるいは山梨県の牛石(うしいし)環状列石では、春分の日の日没を、ちょうど三ツ峠山の峠に臨むことができます。縄文ランドスケープでは、二至二分の特別な日、太陽は山から生まれたり、山に還っていったりするのです。ありとあらゆる動植物が生まれ、鉱物が育まれる山は、生命の故郷です。縄文人は山に対して並々ならぬ思い入れがあったようで、環状列石に限らず、モニュメントの多くが山を見渡せる場所に造られています。それもただの山ではなく、現代でも聖地とされるような、均整のとれた美しい山を選んでいるのです。生命の循環の象徴としての太陽が、命の故郷である山から生まれ、山へ還っていくー。縄文モニュメントは、そういった縄文人の世界観を可視化する装置だったのかもしれません。
縄文土器の破片60点が出土した神奈川県の大山。この他にも、長野県の蓼科山、岩手県の八幡平など、人が生活できないような山奥で黒曜石や土器、石器などが見つかることから、縄文人も山に登っていたと考えられています。一説によると、縄文時代の労働時間は1日平均4時間だったといいます。もし縄文人がもっと実利主義だったら、もっとずっと早くに水田稲作を始めていたかもしれないし、もしかしたら国を作って隣国まで領土を広げる、なんてこともしていたかもしれません。しかし、縄文人が1万2000年の間に大真面目に取り組んでいたのは、こともあろうか、実利には直接結びつかないクリエイティビティでした。しかし「ヒマならもっと働けばいいのに・・・」というのはヤボというものです。縄文人の創造性が遺憾なく発揮されたそれら奇想天外な遺物は、土器や土偶にしても、モニュメントにしても、3000年以上たった現代においても傑作と称されるものばかりなのです。
さて、2021年の世界文化遺産登録を目指す候補として、北海道・北東北の縄文遺跡が(ついに!)正式に選定されたことをご存知でしょうか。登録を目指す縄文遺跡群の中には、ご紹介した青森県の三内丸山遺跡も、秋田県の大湯環状列石も含まれます。縄文人こだわりの傑作を、ぜひ一度ご自分の目でお確かめください。何かと実用的なことばかりにこだわりがちな現代ですが、縄文人の壮大な世界観を閉じ込めた「非実用的な」クリエイティビティに、心が奪われること間違いなしです。
特別史跡 三内丸山遺跡
住所: 〒038-0031 青森県青森市三内字丸山305
営業時間:9時〜17時(GW、6/1〜9/30は〜18時)
定休日:毎月第4月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/30〜1/1)
公式webサイト: https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp
秋田県大湯ストーンサークル館
住所:〒018-5421 秋田県鹿角市十和田大湯字万座45番地
営業時間:
4/1〜10/31 9時〜18時 無休
11/1〜3/31 9時〜16時 月曜日(祝日の場合は翌日) 、年末年始(12/29〜1/3)休館
公式webサイト: https://www.city.kazuno.akita.jp/kanko_bunka_sports/bunkazai/7/5593.html
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■名神大社ネットワークと星座の地上投影
名神大社は古代の官社であり、とりわけフロンティアの東国においては大和朝廷が立地や社殿の造営にまで深く関わったのではないか?と考えています。
立地としては峠を越えた開けた場所や港になる入り江など陸・海交通の要衝で、地理的なランドマークの意味合いもあったでしょう。ネットワーク構築の時代としては大化の改新〜天智朝〜天武朝か?ネットワーク図からは道教の影響を強く感じます。
北斗七星のアルカイド・破軍星が鹿島神宮にあたるのも偶然には思えないのです。また、延喜式神名帳には筑波山神社が二座(名神大・式内小)とあり、ミザールと伴星アルコルの関係と見るのは深読みでしょうか。さらに酒列磯崎神社は、相模国一之宮寒川神社から方位角45°で鬼門にあたり、武蔵国一之宮氷川神社からは方位角60°で夏至の日の出方向に位置していることがわかります。古の海人族の測量特殊能力が必要不可欠だったと想像しています。
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本日から二十四節気は「夏至(げし)」に入ります。夏至は北半球で昼が最も長く、夜が最も短くなる日であります。「立夏」と「立秋」のちょうど真ん中、つまり、暦の上では夏の真ん中となります。境内の新緑がとても清々しいです。
今月末の6月30日には、半年間の過ち、穢れを祓い清める「夏越の大祓式」を斎行いたします。これに伴い境内には「茅の輪」を設置しております。ご参拝の折には、8の字にくぐり抜けることでご自身をお清めください。皆様のご来社をお待ちしております。
*今年の夏越の大祓式は神職のみでご奉仕いたします。参列はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。
#赤坂氷川神社
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夏至!!
今日の18:40分ごろから、季節は「陰」に傾いていくんだそうです。体調や気分が揺らいでる方、多いみたい…
そんな時には、ひとりで頑張らずに、エネルギーチャージに来てください!ビーマーライトペンやレイキヒーリングで、心も身体も元気になります。原因不明の痛みや、体調不良は「未病」といって、西洋医学ではなかなか解決しない事もあります。ココロの不調が、身体に出ている場合もあります。毎日頑張っているあなたの、お役に立てると思います。
ご予約は

https://smart.reservestock.jp/reserve_form/courses/40130?selected_service_provider_id=
今日は、巳の日なので江ノ島に行きたいと思っていたのですが、なんと!両国に江ノ島神社発見!!! 銭洗いもできましたwww
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今日6月21日は「夏至」🌻🍉
太陽が出ている時間が一年で最も長い日☀️
国立天文台によるとこの日の東京は
日の出が4時25分
日の入りは19時00分
とのことで、太陽は14時間35分も出ています☺️💡
先日晴れている時に太陽を感じられるところを探しながら撮影してみました📷✨
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【二十四節気:夏至】
夏至。
一年でいちばん昼が長く、夜が短い日です。梅雨のムシムシした感覚も強い時期。こんな時はさわやかな茗荷を料理に使うと良いですね。薬味に使うことが多いですが、ツトムは炊き立てのご飯と混ぜておにぎりにします。おいしそう〜😋 
ツトムの山荘の横には、茗荷が植えてあります。
なんと、撮影が始まる2年前に植えたそうです。実際に料理で使う為には、それだけ時間がかかります。本作のこだわりですね。3枚目の写真は茗荷畑。根元のところに茗荷の実が出てくるんですよ。
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本日6月21日は二十四節気の「夏至」です。夏至は、北半球で太陽が最も高い位置にあり、1年で昼間がいちばん長い日。この夏至の日に、日本や世界各地では、なるべく電気を使わずにキャンドルを灯して過ごそうという呼びかけが行われることもあるのだそう。
今日はそんな夏至のキャンドルナイトにおすすめのブレンドレシピをご紹介します。初夏の太陽のような明るく弾けるきらめきを、マンダリンやカルダモンの香りで表現。梅雨の湿り気を感じさせるベチバーの香りに、海のようなみずみずしさをライムとパチュリの香りで印象づけました。お気に入りのアロマとキャンドルでスローな夜を過ごしてみませんか?
マンダリン…………5
カルダモン…………1
ライム………………1
パチュリ……………1
ベチバー……………1
#環境カオリスタ検定チャレンジ宣言
#夏至 #二十四節気
#キャンドルナイト

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2022年05月13日

吾亞風: 因幡の白兎と中国の禹

吾亞風: 因幡の白兎と中国の禹
因幡の白兎は中国の禹?
投稿者:吾亞風
投稿日:2022年 3月 2日(水)15時07分30秒
◆「禹」は因幡の白兎であり,ウサギではなく竜。
また,白兎をだました鰐(古事記では和邇)もまたワニでなく「禹」だ。 
もう一度言います。あの一般的なワニではなく,学者らが良く言うフカでもなく,「八尋鰐」です。
兎と鰐は「禹」https://feelwind.com/rekishizuki/%e5%8f%a4%e4%bb%a3%e5%8f%b2/post-617/
海神の娘,豊玉姫が本来の姿になって子を産む姿を見られたくないからと夫山幸彦に念押しした後,産屋に入るも,あまりに苦しそうな声に山幸彦は心配になって産屋の中をのぞく。
そこには,八丈の長さの鰐がのたくっていた,というものです。
兎=禹なのか?
禹は土木事業や治水事業に長けた集団であることも分かっている。
もう一つ,禹が因幡の兎であることの証明をしてみようか。ウィキから「禹」の治水事業の部分を抜粋する。
禹は「身体が半身不随になり,手足はひび・あかぎれだらけになった」とあります。
もう一度,大国主と素兎との邂逅部分を確認します。
海水で痛みに苦しんでいたウサギの体に風が吹くと皮膚がひび割れたとありますね。
そこで気になるのは,禹の伝説は後世作られた恣意的なものだという部分ですが,これは禹という人物がそういうイメージを持たれていたと解釈すればいいわけで,うがった見方をすれば,因幡の白兎伝説の中国への逆輸入だとも考えられるわけです。
◆禹ウ…
随 ズイ・したがう 之部 解字 旧字は隨で,「之(ゆく)+隋(だらりとする)」
「?(おか)+土土(多くの土)+又又(多くの手)」の会意。丘から多くの人々が手で多くの土を下に落とし,丘をくずすこと。
金文は伝説上の聖王・禹ウが「?山ダサン」(山をこぼつ)として用いられている。
随…
アイヌ語説も 笠間市随分附(なむさんづけ)
https://www.sankei.com/article/20160618-QUERP6QIZNJJZEKRQ357XW3EZQ/
友部ジャンクション付近,田畑やキクのビニールハウスが広がる一帯は「随分附」と書いて「なむさんづけ」と読む。
36度19分30.85秒 140度20分19.76秒
随分(なむさん)
すいぶん…https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%9A%8F%E5%88%86/
「分ける」と「別ける」の違い!https://g2015graman.top/archives/16673.html
花びらの数は5枚です
ウツギは,関東では畑の境木(さかいぎ,境界樹)http://yazawa-nursery.com/2016/05/23/deutzia-crenata/
(無題)
投稿者:吾亞風
投稿日:2022年 3月 3日(木)08時59分31秒
五芒星 測量?https://www.kk-bestsellers.com/wp-content/uploads/mwimgs/b/d/-/img_bdd4c04acfb9e999f1fc5473ca5a429f124580.jpg
但馬
「丹波山にはたぬきがおってさ 」https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1713158.html
◆狸(リ)
狸(リ)は狸(たぬき)ではない 以前,日経新聞の文化欄,「美術になった猫(十選)」というコラムに,宋代の画家,李迪の「狸奴小影図→」が紹介されていた。
「本草綱目」には,「よくニワトリ,鴨を盗む」,「狸,形は猫に類す。その文(模様)二あり。https://www.eonet.ne.jp/~temb/9/Ri/Ri.htm
一は連銭の如し。一は虎文の如し。」とか,「斑ありて猫の如し。」とされているから, 豹のような斑点模様と,虎のような縞模様の二種がいた。
…「?」というのがタヌキのことらしく,狗?とか天狗とかも呼ばれている。
帰化人の真実 https://www.eonet.ne.jp/~temb/5/index3.htm
西ー東
距離 47.085113q
方位角 88.135056°
八木町市街地から西方の山麓に築造された古墳群
坊田古墳群(ぼうでんこふんぐん)は,京都府南丹市八木町柴山にある古墳群。
度分秒 35° 4′ 3.66″ N, 135° 30′ 54.47″ E
十進数 35.067683, 135.515131
1号墳(方墳)
播磨
大岩山古墳群(おおいわやまこふんぐん)は,滋賀県野洲市小篠原(こしのはら)にある古墳群。8基が国の史跡に指定されている。
3世紀後半…
冨波古墳(とばこふん)は,滋賀県野洲市冨波甲にある古墳。形状は前方後方墳。大岩山古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。
前方後方墳
度分秒 35° 4′ 49.27″ N, 136° 1′ 54.2″ E
十進数 35.080353, 136.031722
若狭
若狭は,古代から「御食国」として塩や海産物など豊富な食材を都に運び,都の食文化を支えてきた地である。https://www1.city.obama.fukui.jp/japan_heritage/story/index.php?id=2&course=1
街道の起点である湊町・小浜は,海外や日本海沿岸各地とつながる「海の道」と,都とつながる「陸の道」の結節点として,様々な物資や人,文化が集まる一大港湾都市であった。
西 −東南
坊田古墳群ー禁野車塚古墳
距離 31.378207q
方位角 155.602079°
禁野車塚古墳(きんやくるまづかこふん)は,大阪府枚方市宮之阪にある古墳。形状は前方後円墳。
度分秒 34° 48′ 39.23″ N, 135° 39′ 25″ E
十進数 34.810897, 135.656944
方墳または八角墳
岩屋山古墳(いわややまこふん)は奈良県高市郡明日香村大字越小字岩屋山に所在する古墳時代終末期の古墳。
度分秒
十進数
34.465722, 135.797639
周辺には牽牛子塚古墳や真弓鑵子塚古墳,マルコ山古墳等,多くの後・終末期古墳が
https://asukamura.jp/chosa_hokoku/iwaya/iwaya.html
県下最大級全長142mの前方後円墳です。墳丘の周りには環濠も残っており墳丘に登ることもできるので,古代の古墳を体感できる貴重な史跡です。周辺は美旗古墳群として5基の前方後円墳を中心に7つの古墳が残っていて,歴史の散策にも貴重な地域だと思います。
馬塚古墳  三重県名張市 http://inoues.net/club3/nabari1.html
5世紀 後半
三重県名張市新田
北緯 34°39′51″東経 136°7′29″
緯度:34.66422476 経度:136.12487566
古墳時代の前期から後期にかけて,地域を支配した有力者によって築造され,伊賀地方で最大規模の古墳群である。現存している主な古墳は,5基の前方後円墳と横穴式石室を持つ円墳1基,方墳1基で,方墳(カブト塚・矢羽塚・玉塚)や円墳の中には消滅したものもある[1]。
美旗古墳群 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%97%97%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4
4世紀末〜5世紀初頭
三重県名張市・殿塚古墳
34°40'15.5"N 136°08'32.1"E
34.670796 136.142226
冨波古墳ー殿塚古墳
距離 46.695248q
方位角 167.486993°
宝来山古墳(ほうらいさんこふん /ほうらいやまこふん ,蓬莱山古墳)は,奈良県奈良市尼ヶ辻町(尼辻町)にある古墳。形状は前方後円墳。
4世紀後半頃(古墳時代前期)
度分秒 34° 40′ 47.86″ N, 135° 46′ 52.39″ E
十進数 34.679961, 135.781219
冨波古墳ー宝来山古墳
距離 50.099165q
方位角 207.240753°(27.240753
「岩倉」の名は古代の磐座信仰(天から降臨した神が巨石に安座するというもの)に基づくものであり,現在の山住神社(岩倉西河原町)にある巨石が神体となり「石座(いわくら)神社」(もしくは石座大明神)と称されたのが地名の由来である。
(なお石座神社は971(天禄2)年,大雲寺創建の際,その鎮守社として現在地に遷座された。元の石座神社は,新しい石座神社の御旅所として山住神社となった)。
また平安京造営時に都の守護のため,京の四方の山上に一切経を納め東西南北の名を冠する4つの岩蔵が設けられた際,この地にもその岩蔵の一つが置かれたことに由来するともいう。
平安時代の文献には「石蔵」として現れ,「岩倉」となったのは鎌倉時代以降である。
他には「岩蔵」「石倉」「石座」などの表記もあった。
地域の歴史
前近代(山城国愛宕郡下)
5世紀後半以降に開拓が始まった岩倉盆地では,幡枝などで早い時期から集落が形成されており,律令制のもとで幡枝の集落は山城国愛宕郡栗野(くるすの)郷,岩倉の集落は小野郷に属した(『和名抄』)。
平安時代以降,岩倉は貴人の別荘地・隠棲地や病者のための静養地とされるとともに,大雲寺・実相院・聖護院(のち現在の左京区聖護院に移転し現在に至る)など
多くの寺院・神社が創設,これら寺社の所領地となった(なかでも岩倉は実相院,長谷は聖護院の所領地として幕末に至った)。
…岩倉木野町( - きのちょう)
町名の「木野」はかつての村名および小字名に由来する。
木野の住民は,古くは山城国葛野郡嵯峨村の深草に住んでいて,愛宕神社,野々宮社の神職につき,その傍ら土器(かわらけ)を製造し,朝廷に納めていた「土器師」であった。
中街道遺跡 https://www.city.iwakura.aichi.jp/0000000351.html
古墳時代から中世(鎌倉時代)の遺物・遺構が出土しています。古墳時代の竪穴式住居が数基出土しており,大山寺町で発見された西出古墳(にしでこふん)(出土の埴輪は市指定文化財になっています)を築造した人々が生活していた可能性などがあります。古墳時代の井戸跡からは,斎串(いぐし)・?(かせ)が出土しており,祭祀に使用されたと考えられます。
中海道遺跡(なかかいどういせき)京都府向日市
北緯 34°57′34″東経 135°41′51″
34.96212447323217, 135.69481069084202
3世紀前半の祭殿遺構で,祭殿は東西8m,南北8.6mの掘立柱の建物で周囲には溝がめぐらされている。
溝から発見された土器から3世紀中頃の卑弥呼の時代のものと判明している。
同市内の寺戸町芝山にある五塚原古墳(いつかはらこふん) との関連も注目される。
ナムサン?…菟う道じ…菟道(うじ)…ツルは葛とも表される…漢人…ユダヤ…
投稿者:吾亞風 投稿日:2022年 3月 2日(水)15時08分21秒
漢人の勢力はあまりにも全国に行き渡っていましたから,最大の元締めである九州の漢人の征伐に取り掛かりました。
その最たるものが,佐賀県の吉野ヶ里です
神武東征に力を貸したユダヤ人 http://o-mino.la.coocan.jp/page611.html
高天原は蒜山高原にありました。ここに最高峰の1218mの毛無山があります。
この毛無山の真北に宮内(神武の御所)があり,真南に高島と神島があり高島神社と神島神社に神武が祀られています。
又,神島は淡路島の伊弉諾(イザナギ)神社と御所市の本馬丘と同一緯度にあります。
このような位置関係にある場所を設定するということは,緯度の測定ができ,地図を持たなかった古代人の知恵だと思います。
菟う道じ河(宇治川)をさかのぼり,近江国の吾名(あな)の邑(むら)(滋賀県米原市)にしばらく棲みついた。
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/4929/
その後,近江から若狭国(福井県西部)をへて,西の但馬国にいたり,ここに居を構えたとある。
◆菟 ト  艸部 
https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/d/20181216
「菟糸トシ」は,ねなしかずら。寄生するつる草で,種子は菟糸子トシシといい漢方薬になる。
寄生するつる草で,種子は菟糸子トシシといい漢方薬になる。
兔トに通じ,うさぎ。
「於菟オト」(虎。楚の方言)「木菟ずく」とはミミズクの古名。フクロウ科の鳥のうち,頭に耳のような羽毛をもつものの総称。
菟道稚朗子(うじのわきいらつこ)https://yaoyoro.net/nintoku.html
記では 「宇遅能和紀郎子(菟道稚朗子)は,早く崩りましき」 という一文のみで済まされているが,紀では,太子は大鷦鷯尊に位を譲るために自害したとされている。
長兎路(ながとろ)
36°18'13.9"N 140°20'04.1"E
茨城県笠間市長兎路
 https://memorva.jp/zipcode/map.php?pref=%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C&city=%E7%AC%A0%E9%96%93%E5%B8%82&area=%E9%95%B7%E5%85%8E%E8%B7%AF&zipcode=3091712
兎…
「二つに分ける」イメージがある…
投稿者:吾亞風
投稿日:2022年 3月 2日(水)15時06分31秒
卯ボウ・う卩部解字甲骨文は犠牲にする生贄(いけにえ)の動物を切り裂いた形を表した象形。甲骨文では犠牲の動物を殺す意で使われていた[甲骨文字辞典]。
◆「卯の花」(ウツギの花。旧暦四月の頃に花が咲く)…
…卯(ボウ)」の形声。
ボウは旄ボウ(ヤクの毛を竿頭につけた旗)に通じる。
旄ボウはヤクの毛をまとめて丸くした飾りを旗竿の上から5つほど連続して吊りさげた旗。
皇帝の使節に任命の印として与えられた。
この連続した丸い飾りを星になぞらえ,連続して数個がまとまる星であるスバルに当て,中国で旄頭星ボウトウセイともよばれた。
日本語の「すばる」は,統る(すばる:集まって一つになる)からきており,肉眼で人によって5〜7つの星が集まって一つにかたまって見える星の意。日本では通常6個の星が見えるので,六連星(むつらぼし)ともいった。
日本では通常6個の星が見えるので,六連星(むつらぼし)ともいった。
意味 すばる(昴)。
星の名前。
おうし座にあるプレアデス星団を昴すばるという。
28宿のひとつ。通常5〜7つの星がまとまって見える。
「昴宿ボウシュク」(すばるの漢名)
「劉」の字の頭の「卯」…
劉 禹錫(りゅう うしゃく,772年 - 842年)は,中国 唐代中期の詩人・政治家。 字は夢得(ぼうとく)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E7%A6%B9%E9%8C%AB
河南府洛陽県(現在の河南省 洛陽市)の人だが,自身は中山(現在の河北省 定州市)出身と称したが,彭城(現在の江蘇省 徐州市)出身とも伝えられるが,匈奴の末裔である [1]。
大和6年(832年)蘇州刺史にされた。このように劉禹錫は,狭量な性格ゆえにその地位が安定しなかった。
その後も太子賓客となったり刺史となったりを繰り返した。
晩年は白居易と親交が深まり,元?亡き後も詩を唱和し,その神妙さを讃えられた。最終的には検校礼部尚書・太子賓客で生涯を終えた。
禹は黄帝の雲孫(八世の孫)にあたる(禹は舜の族父)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9
禹歩 である。どうも 「ふしぎ発見」 は,この手の雑学力不足が目立つ。
どだい, 兎 音読み=ト であって,「ウ」 という音はない。十二支の 「う」 はウサギだからよかろう,https://open.mixi.jp/user/809109/diary/1294750096
「禹歩」 と 「冤罪」。
… 冂+兔  である。
つまり,「冂」 は 「囲い,オリ,網」 のようなものを示す。
ウサギが捕らえられたようすをいう会意文字…
◆禹は黄帝の雲孫(八世の孫)…
投稿者:吾亞風
投稿日:2022年 3月 2日(水)15時05分38秒
<八尽くし>…
古代からの暗号 筑紫と出雲の接点<菅之八耳>とは https://blog.goo.ne.jp/kotodama2009/e/9ff1e6f0edb5c2c8f94f9d20ada6f84f
<原出雲は九州である>と視点を変えた事によって前回のブログに述べた原出雲王家の末裔・富家に伝えられた出雲臣(神門臣家)の系譜から大国主命の始祖は<菅之八耳>とする伝承を知りました。
しかもその系図は古事記の<須佐之男命の神裔>と対応していました。
一方九州では綿津見神(安曇磯良)を祖と仰ぐ安曇族の社・志賀海神社に関わる伝承の中に<菅之八耳>をあちらこちらにちりばめて伝える努力をしていました。
 * 志賀島の枕詞 「八の耳」
 * 謡曲「綿津見(わたつみ)」の一節
       「八の耳きく 志賀の海 磯良の崎に 着きにけり」
 * 志賀海神社の武射祭にみる<八尽くし>
特に志賀海神社で1月15日に行なわれる祭事・武射祭には<菅之八耳>を伝えようとする強い思いがあふれており異常とも思われる<八尽くし>です。
以下は北九州大学文学部 石橋利恵さんの論文『志賀海神社の八乙女について。第三章二節 聖なる数字<八>』から
武射祭の<八尽くし>を紹介します。
 武射祭は弓の神事ですがその準備,進行の式次第に込められた<八尽くし>です。
*的は新ワラを束ねて作る。8束を4組 計32束
*締める縄8本の半分 4本を1束に
*的の直径 8寸(鯨尺) 8つの耳(飾り)をつける
*射手 8人 矢取りの少年 8人
*矢の数 6本×8 計48本
*祭りの世話役 8人
*矢篠を切る日 1月8日
*射手の潔斎食の吸い物の具
豆腐1丁を8の3倍 24にきりわけた1切れとブリ ブリのエラで8本の剣を作ってお守りに
*1月14日に沖津宮での禊ぎの後に供えるダイダイが8個
しかし考えてみれば出雲の側も<八尽くし>である。
*八岐大蛇 八頭八尾 八稚女 谿八谷 峡八尾 八塩折の酒
*出雲大社の八足門 八足机
*須佐之男命の和歌 八雲立つ 出雲八重垣
上記の<八尽くし>は<八>を聖数とみなして問題視されてはいないが,これだけの<八尽くし>は注目して欲しい
という意図が隠されていると考えるべきであろう。
伝承の中で伝えられている<菅之八耳>は出雲と原出雲(九州)を繋ぐキーワードとして設定されており,明確な意図
が込められているはずです。
…「草薙の剣」が尾張の熱田神宮のに祀られている事は,尾張氏と同族で丹波の籠神社の海部氏勘注系図の系譜から国譲りの実体は天下りして来た火明命が率いた軍団が安曇系の国を奪ったとの推理も的を射ていたようです。
尾張氏は火明命の子・天香具山命の直系の子孫ですから。
…出雲では<須賀>,九州では<菅>を用いた理由はなぜでしょうか?
<菅>の漢字を分解すると<くさの官>ですが,草薙の草(すが)と同様に先住民を見下した表現と思われます。
では<菅之八耳>の<八耳>に込められたメッセージは何でしょうか?
 出雲の王家の末裔という富氏の伝承では菅之八耳に続く代々の王と思われる名前が続いており,六番目に出雲の
国引き神話で有名な,八束水臣津野命がおり,八番目に国譲りした大国主命の名が見られます。
国譲り神話での主役は<大国主命>ですからこの系図上で<八耳>と共通する<八代目>というのが重要なメッセージ
かも知れないと思っていた所,<耳>を学研の『新漢和大字典』で調べている時に,身体の耳以外に<耳孫(じそん)>
という項目があり,意味は<自分から数えて八代目の孫>とあり,同じ意味の言葉として<仍孫(じょうそん)>と
記されていました。<仍孫(じょうそん)>の項には<子孫の世代の一つで,子,孫,曾孫,玄孫,来孫,昆孫,仍孫,
雲孫となる>とありました。自分を初代とし八代目が大国主命,八耳とは大国主命を導く暗号ではと思いました。
国譲り後の九代目が<雲孫>。出雲と繋がるように仕組まれています。
何の予備知識も無かった<菅之八耳>でしたが,暗号を仕掛けた側の思惑通りに謎解きが出来たようです。
       
日本古代史掲示板(荊の紀氏)
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=10&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=5&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=2&
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2022年01月05日

山蔭基央: 古来日本「お正月様/山の神」信仰〜日本の慣習



山蔭基央: 古来日本「お正月様/山の神」信仰〜日本の慣習
新春(正月・丑の月・睦月)
◆元旦
元旦とは一年の元始の日のことをいう。「旦」という漢字は,地平線から昇る太陽(日)の象形である。日本の海岸線では東方海上の水平線であり,山間では「山の端」に昇る太陽であり,富士山の八合目なら雲海の彼方から昇る太陽を「旦」という。
毎年,東京標準時で「午前6時51分」が「日の出」となる。もちろん,その前6時頃から「水平線」は白みかけてくる。これを「暁」という。1年のはじめを元日という。
◆四方拝・若水汲み
四方拝とは元旦の明け方(暁の白み明けの時刻)に「天を拝し地を拝して,四方八方の主要神社を遥拝」する行事をいう。昔から「正装(紋付き羽織袴)」して四方の神々を拝してから「井戸や泉」に行って若水を汲んだものである。今は都会生活が多くなって「元旦らしい けじめ」がなくなって神社詣でごまかしている。これもひとつの「けじめ」だが,一家の主人が四方を拝して若水を汲んで,まず神棚に供え仏さまに供え,「雑煮(餅を煮る)の湯」を沸かすことが 元旦の仕事始であった。こうして「一家の主人の権威」が定まるのである。
◆お正月様
「お正月様」とは歳神様のことである。
「門松」はお正月様を迎える標である。その昔は,山の頂近くの若松を根引きにして持ち帰り,家の門に掲げたものである。また床の間に山の柴(榊・椿・松・栃(とち)・朴(ほお)など)を伐ってきて立てた。これを「正月様の迎木」とも「ひもろぎ」とも言い,この迎木=憑付(よりつき)には正月の飾注連(かざりしめ)がかけられ,その前に「お鏡餅」が飾られたのである。
正月迎えの準備として,台所の荒神(こうじん)さま(竈神,かまどがみ),井戸神,便所神,農耕具,牛小屋,女の鏡台,家の大黒柱などに略式の飾注連と鏡餅を供えた。
「お正月様」とは「 山の神」である。「山の神」とは古代の祖先神のことで,子孫と共に働の手を止めない神であるところに,日本の神 の特徴がある。
それに「陰陽道」での「歳星」が習合して,民衆の中にある「お正月様」はややこしくなった。この「歳星」とは「木星の精」というわけで,日本の「歳神」と習合して「歳星」を「お正月様」と思わせられてしまった。
そのよき例がある。「山の神の娘・木花咲耶姫神(このはさくやひめのかみ)」は「桜花の精」として有名だが,春弥生(旧暦三月)・桜の花の咲く頃は「籾蒔(もみまき)される苗代田(なわしろた)」を見守る神として「ウツギの花」が咲く頃(陰暦四月)は早苗を育成する神として,黄金の波打つ頃には稔の神(としのかみ)として台風の被害を見守る「実稔の神(田中の神,みのりのかみ)となり,正月には「お正月様」として我が家に帰ってくる。それが「木花の精(このはなのせい)」である。
◆宮中の天皇の四方拝
宮中,新嘉殿(しんかでん)の南廷(昔は清涼感の東廷) に束帯を着けられて出御し,皇太神宮・豊受大神宮(とようけだいじんぐう)・天神地祇(てんじんじぎ)・四方の山陵(歴代天皇陵)を拝し,宝詐(あまひつぎ)の無窮・天下太平・万民安楽を祈る儀式」を行われる。
清涼殿とは,平安京内裏にある「天皇の常御殿で四方拝・小朝拝・叙位・叙目・官奏などの公事が行われた御殿で,紫宸殿の西北にあり,東面した九間四面の入母屋造で,東五間を昼御座所(ひるのみましどころ)とし,東南隅には,石灰壇があり,毎朝,神宮・内侍所(ないしどころ)を御拝される処とされる。
◆屠蘇酒(とそざけ)
「お屠蘇」といって漢方薬の屠蘇散(山椒・細辛・風防(ぼうふう)・桔梗・乾姜(かんきょう)・桂肉(にっけい)・白朮(おけら)は,悪鬼・邪鬼を屠り,人の生気を蘇生させる薬とされている。
薬効としては,風邪の熱を去らせて気脈を通して温めることができる。漢方店や酒屋で売っている。
蘇酒は「みりん酒」に屠蘇散を漬けるので,作るのに2日ほど要するが,清酒なら1日でよくおいしい。
お正月は「全てを改める」事をしなければいけないわけで,常の事でないことをするのがよい。もちろん「年始の客」には,必ず差し上げるもので漆塗りのめでたづくし(松竹梅の絵が描かれた)銚子に朱塗りの盃をもってすすめるのが礼儀である。デパートなどにプラスチック製のものがあるので整えておくのもよい。
◆晴れの御膳
どの民族にも「晴れの日」と「袈(け)の日」があるもので,「袈(け)の日」とは平常・ふだんの日で,「晴れの日」とは,公式・祭日・祝日・公衆の前に出る日・表彰を受ける日などがある。
.....
―日本人なら知っておきたい季節の慣習と伝統,山蔭基央

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2021年09月11日

cocorofeel: 古市一族

cocorofeel: 古市一族
謎の?「古市一族」
過去に何度もぶっ飛び「古市」を書きました。
古市→フル(ニギハヤヒ)→朝鮮半島→モンゴル→ヘブライ、ヘブル→・・・シュメール
ざっと書けばこんな感じで。
今日は日本家系協会から出ている「古市一族」から抜粋してみます。
他の古市の方も参考になさってください。
全部は書けないので、しっかり読みたい方は直接取り寄せて読むと面白いですよ。
日本家系協会からは色んな一族が出されているようです。
■古市の氏号と古氏伝
古市の苗字は他と同じように地名から由来しているが
ただし、かなり古い時代にもみえる
原野を開拓しその土地に古市氏の名を残した例もある
古市は故市とも書き、読みは同じで当時の郷や村の名前に多い
(*有名なのは伊勢神宮と河内の古市古墳群など。
本ではずらっと地名が載っていて関西から南が多い。)
読み方はフルイチだが、フルチとも読む地名があったり、
二つの読み方で呼ぶ地名もある
新撰姓氏録に河内國在住の渡来系氏族として古市村主がある
百済國の虎王の後との注記があるが、虎王は古記になく誤記の可能性あり
日本書紀の天武天皇の即位前紀に古市黒麻呂の名前あり
(百済から渡来した一族が河内国古市郡に居を構えたその族人)
奈良時代の古文書に古市村主寸食の名
古記「撰解文書」に古市男女丸と写経所勤務の古市氏
平安時代前期の文献に摂津国東生郡の古市乃大戸麻呂あり
この地を古市郡古市村というのは河内国からやってきたためか、近江國も同じか?
平安時代以後、河内の古市氏の事歴は不明
南北朝から室町幕府にかけたころに畠山氏に内紛があり同族が共に戦う
■大和武士の古市一族
大和武士とは古き時代より大和國に存在し、
春日神社、興福寺を中核として勢力を持ち続けた在國武士の総称
鎌倉幕府の時代になってもこの国には守護職は置かれず、
大和武士の大半は興福寺の僧兵大衆を指導する立場にあった
興福寺には二つの院家があり、
室町時代に大乗院管轄の福島市の代官の古市氏がある
古市氏の経緯については奈良県史代十一巻に詳細あり
古市氏の本姓は清原氏、天武天皇の皇子、舎人親王の子孫
興福寺の衆徒、大乗院方の坊人の古市胤賢→胤憲(丹後公)
胤憲→胤仙(播磨公)→宣胤(禅実公)と胤次(中務)
      ↓
胤栄(丹後公、始め春藤丸、連歌と茶道の人)→澄胤
澄胤(叔父、宣胤の養子となり初心院に入り倫官坊という)
文明十年正月に興福寺の官符衆徒となり、播磨公と称す
越智党に属し筒井氏と戦うこと多く、その後破れ多くの記録が失われる
武芸の他、能楽、連歌と茶道の有名人
 ↓
胤盛(丹後公)父と同じく多くの合戦に参加
戦国時代後期の天文年中にも古市氏
和州国民郷土記に郡ごとに数多くの家名、人名あり
例えば、古市城主 馬乗百七人、雑兵九百七十人など…
■大和古市氏の後孫伝
国民郷土記に古市五左衛門(胤家)の名あり
左近胤重は古市五左衛門の子か弟であるといわれる
胤重の子か弟であるといわれる胤宗は
藤堂大学高次に仕え、その後前田利常に仕え共に殉死
周防から長門地方に移る一族もあり、萩地方の古市氏もこの流れか?
”古市西之坊、三井寺円満院殿の内”という記もある
近世の後期、円満院門跡の侍臣に清原姓の古市在胤あり
播磨公澄胤は有名な武人で茶人
これにつぐ茶人の古市利庵は澄胤の兄の胤栄ともいわれる
古市利庵(足利義昭に仕え茶人珠光の弟子)→
勝澄(詔意と号し、円乗坊という)→宗円(円乗坊)
 ↓
了和(名は勝元、源上ヱ門、号は円覚)医師となり小笠原家に仕官→
宗也(養子で名は勝悦、源上ヱ門)古市流茶道の祖・・・・・・宗理
幕末には宗理改め宗也(猛勝)あり
宗円(円乗坊)は千利休の婿となる(元本能寺の僧)
播磨公澄胤の子の説もあるが年代が合わない
古市左馬助も千利休の門弟
宗円の系統
古市宗円→宗屋(勝澄)
   ↓
宗庵(養子、京都の横川理安の子)→宗庵(宗庵二世、船津玄智の子、始め宗佐)
→宗円(始め堤盛嘉といい、熊本藩))→宗佐(円乗坊系の4世となる)
宗佐→宗佐(細川家の茶道の人)→三悦(養子、大野九朗右ェ門の子)
      ↓                ↓
宗薗(細川家の茶道頭)        宗安
  ↓
宗庵(茶道頭はじめ三悦)→宗安(始め理安)→宗栄(養子)→
宗安(名は斬、周佐、明治維新を向かえ藩の茶道は廃止)
■南九州の源姓古市氏
薩摩島津藩に清和源氏の系統、古市氏があり、以後代々古市氏
(古市氏の先系は足利氏の分かれの大族最上氏の系統)
出羽の大国最上氏の族人が遠い地の南九州に移った経緯は不明
最上氏の初期の系統
清和天皇→貞純親王→源経基→満仲・・・頼義→義家・・・義兼・・・
秦氏→家氏・・・家貞・・・家兼→直家・・・
(古市氏の系はこの何れにつながるが、詳細は不明)
京都近衛関白家とも関係あり
関が原戦後に最上氏に改める古市もあり
日向記にも古市氏の名あり
■諸国諸流の古市一族
平安時代末期の伊勢國に故市(フルイチ)伊藤者景綱あり
藤原基景→基信→故市伊藤者景綱(平忠盛、清盛に仕える、伊勢守)・・・
東国の小野姓横山党に古市氏
中興武家諸系図にも小野姓・・・・古市の名あり
ただしその本國を河内國古市とするのは誤り
河内の古市氏が古くから有名なための影響
豪族佐野成綱の三男船越増綱の系統に行藤(丹波守、後に古市右京)あり
松平藩にも古市あり
上野国藩主酒井忠世に仕える古市氏は後に播磨国姫路の藩士に
幕末の古市孝の子で日本で最初の工学博士になった人もいる
小野妹子の十九世孫に古市親泰(小野妹子は小野氏の上祖)
江戸の儒学者に古市東之進など・・・
以上。

つながっているこころ
https://cocorofeel.exblog.jp/10498006/










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2021年09月05日

神奈備: 物部氏ゆかりの神社〜物部氏の歴史

神奈備: 物部氏ゆかりの神社〜物部氏の歴史
物部氏の七転び八起き物語
■一世紀初頭東遷神話北九州での敗退と東遷
縄文晩期、遠賀川流域で稲作が始まる。
饒速日命が天つ神の命により天磐船に乗って河内国河上哮峯(いかるがのみね)に天降り、 更に大和の鳥見白庭山に遷ったとされている。
九州遠賀川流域に比定されている不弥国にいた物部氏の一部が奴国との軋轢の中、より広い耕地を求めての旅立ちの言い伝えとされている。邪馬台国の建国である。*1
四国の北岸を通っていったのは、どうやら吉備の勢力を避けていったからと思われる。
堺に上陸、生駒の西の日下から大和川流域に展開した。須波摩神社や石切劔箭神社のある日下は先土器時代から縄文弥生の遺跡の多い所である。
弓削神社など饒速日命を祀る神社が大和川流域に多く分布している。また、摂津の三島に落ち着いたとの説もある。新屋坐天照御魂神社が鎮座している。*4
草香の日下が日本となり、饒速日命は我が国の名付け親と言える。
饒速日命が河内の河上哮峯以外に降臨したとする伝承の地がいくつかある。
日向二子山速日峯宮崎県東臼杵郡北方町巳259早日渡神社「主神饒速日命」、宮崎県東臼杵郡諸塚村大字七ツ山7190諸塚神社「合神天饒速日命」和漢三才図絵に瓊瓊杵と誤解した記事。*4
筑前笠木(笠置)山福岡県鞍手郡宮田町大字磯光267天照神社「饒速日尊」垂仁16年社伝による。*4
筑後福岡県小郡市大崎1 媛社(磐船)神社「媛社神、織女神」佐賀県鳥栖市姫方町189姫古曽神社「市杵嶋姫命」*4
筑後高良山福岡県久留米市御井町1高良大社「高良玉垂命」太田亮著高良山史 *4
丹波田庭の真名井京都府宮津市字大垣430篭神社「彦火明命」但馬故事記
河内大阪府堺市大浜大阪市八尾市恩智中町5-1恩智神社「御食津神」大いなる邪馬台国鳥越憲三郎
紀伊神倉山和歌山県新宮市神倉神社「高倉下」旧事本紀に高倉下は父君と共に天降った。
常陸信太郡茨城県常陸太田市天神林町 3228稲村神社「饒速日命」→下総千葉県佐原市香取1697香取神宮「經津主大神」常陸国風土記
出羽鳥海山秋田県仙北郡協和町境唐松神社・日天宮「饒速日命」唐松山御縁起大略・秋田物部文書
饒速日命伝承については、畿内に渡来して半島系倭人集団の国作りの営みの中から、それぞれの集団毎の始祖神話が統合され、さらに海人族の海を渡り来る祖神伝承が習合して、饒速日命神話が整えられていったのではないかと推定されている。*5
伝承の発生地域を畿内に限定する必要はなく、九州の遠賀川流域からも、石見からも、丹波丹後からも、始祖伝承が各地から大和に持ち込まれて、形成されていったのであろう。 巻向遺跡から各地の土器が出ているが、大和は古来より各地から人々が集まる所であったようである。
饒速日命は霊に他ならないと言われる。*5石上の伝承を物部神話に取り込み、フツノミタマ→銅刃の雷光→ニギハヤヒ→と集団の鍛冶神に昇華させていった。 一度、遠祖神となると、鍛冶神以外に武神、豊穣神、太陽神などいろいろな機能が付加されてくるのは、神々の本来の役割である。
■二世紀後半神武東遷葛城王朝の伝え
日向でくすぶっていた磐余彦は、先に饒速日命が大和に天降った事を承知の上で、大和攻略を開始した。 生駒の西の日下の地で物部の一族である長髄彦の抗戦により、皇兄の五瀬命は傷つき、紀ノ川付近で落命した。後に竈山神社に祀られた。
しかしながら、磐余彦の新しい武器の前に物部一族は自ら長髄彦を葬り磐余彦に従い、十種の瑞宝を捧げざるをえなかった。
これを大和の国魂であった饒速日命の魂が長髄彦から離れた故とする折口信夫説がある。大和神社の祭神を饒速日命とする説につながる。
以降「内物部」として大和の大王に仕えるのである。
古事記は宇麻志麻遅命が長髄彦を誅したと書く。この神を日本書記は可美真手命と言う。剣はケンと読むがこれがカミであり、可美と記される。 真手は槌である。奇稲田姫の親神の脚摩乳手摩乳の槌である。鍛冶道具である。饒速日命を構成した鍛冶神の祖神の一つである。物部連、穂積臣等の祖とされる。*5 いつのころからか、可美→甘(カミ)→甘(ウマシ)→宇麻志、味と変わっていった。新しき神が親神となる神話の世界で、饒速日命の子に位置づけられていった。
いづれにしろ、神武東征は初代皇統から蘇我氏までを含む葛城系と物部・中臣等の物部系の争いの由縁となり、以降の歴史を血で彩ることになる。
大和の古代の勢力圏を西の葛城と東の磯城との対立と共立で見ていく史観がある。これに高句麗の勢力をからめて日本の古代を見ると比較的説けやすい。妥当な仮設と言える。葛城−紀伊−難波−吉備−筑紫−百済の系列と磯城−山城−近江−越・若狭−出雲−新羅の系列の関係史から見ていくのである。 持統天皇は天智天皇の娘として、皇統を葛城系とするべく女帝として君臨し、自らを天照皇大神とし、大神の託宣として天譲無窮の理を神話に入れたのである。
百済・新羅の対立関係は日本の覇権闘争に持ち込まれ、互いに陰謀、暗殺、内乱などを繰り返した。 百済側が最終勝利し天孫族を名乗り、新羅側と新羅を蔑む事になった。近世の日本人に朝鮮人を蔑視する風潮が残っていたのは、根はこの辺にまで遡る。半島内の対立を半島人が日本に持ち込んだと言うことである。
銅鐸祭祀は物部系が行ったものと伝わる。末期の銅鐸は静岡の浜松市付近から発見されている。 物部氏の勢力範囲の東限である。その東の静岡市阿倍は蝦夷の領域であった。
一部の物部氏は蝦夷とともに東国へ落ち延び「外物部」となり、蝦夷と共に大和政権に抵抗するのである。長髄彦の兄の安日彦が落ち延び、東北の安東氏のち安倍氏となり、秋田氏につながると言う物語*3もある。
物部は「内物部」と「外物部」に別れ、双方が相争う事になるのである。
日本書紀の伝える所では神武東征以前から、天津神の子である饒速日命の王国が大和に存在していた。これは根強い言い伝えであったようだ。従って、新たに大和の支配者となった王を饒速日命の同族として記述しなければならなかった。
古事記では、嫡流神武天皇が天降ったので、後を追ってきたとしている。古事記が書かれた時には、物部氏の先行王朝を無視できるほど天孫系の力が物部系を圧倒していたのであろう。 文中に引用されている歌謡を比較すると、古事記は日本書紀に比べて新しいのである。書かれたのも新しいと考えられる。古事記は邇芸速日命を物部氏の祖とは書いていない。
■孝元天皇の皇后を出す。
孝元天皇は鬱色謎命をたてて皇后とした。また伊香色謎命をも妃とした。物部一族の屈服であり、外戚化でもある。 孝元天皇と鬱色謎命の子が開化天皇である。開化天皇と伊香色謎命の間の子が崇神天皇とされている。孝元天皇の妃が次代の開化天皇の妃にもなっている。 葛城系の男王に磯城系の王妃という調和が記紀の言いたい皇統の姿である。
しかし高句麗系の侵入者ともされる崇神天皇の三輪王朝に追われ、開化天皇の王子の日子坐王が亡命近江王朝をたてた。*2
鬱色謎命は穂積臣の遠祖の鬱色雄命の妹である。鬱(内)醜雄は雷神を祀る鍛冶王である。固有名詞ではない。 雷神系鍛冶王の鬱色雄命の娘の伊香色謎命と、崇神天皇を生んだとする命を別人として厳香(銅)醜女と見て、銅鐸祭祀系蛇神信仰種族の女と見る見方がある。*5 開化天皇までを葛城系、崇神・垂仁天皇を磯城系とできよう。
開化天皇は率川(奈良市)で崩御、日子坐王が山城・近江に逃れた。後に、開化天皇の異母弟、武埴安彦の王権奪回の試み、日子坐王の娘である垂仁天皇皇后狭穂姫と兄の狭穂彦王の王権奪回の試みがあった。
日子坐王は近江の三上の息長水依比売を妻とし、近江を統一していき、大きい力を持っていった。日子坐王こそ、応神天皇、継体天皇を生み出した、天皇家の始祖である。
■四世紀半ば崇神天皇大物主大神を祀る。物部氏石上神宮を祀る。
崇神天皇は物部氏の伊香色雄を神班物者(かみのものあかつひと)とした。物部連の祖とされる伊香色雄は厳香(銅)醜男であって、やはり固有名詞ではない。
次の垂仁天皇の時代、物部の十千根大連(とうちねのおおむらじ)に出雲の神宝を調べさせたとある。 物部氏は既に軍事を司ると共に、石上神宮を治める立場にいる。物部氏は石上氏の十種の瑞宝等の伝承を受け継いだとの説がある。
崇神・垂仁天皇は五十瓊殖・五十狭茅である。「五十」は「厳」「伊香」である。*6記紀は崇神王家のシンボルを「五十」とし、筑紫の伊都国の五十跡手を新羅系の天日鉾の苗裔と記して、崇神王家をイリ王家とし、本来の大和王権と区別をしている様である。 ところが、大和平野に本格的政権を樹立した崇神王家の伝承は根深く残っていたので、崇神天皇の前半の英雄物語を、神武天皇を創作して肇国の名誉を葛城系に横取りしたのであろう。
*6では「五十」は朝鮮語の「O-SI(P)」で、「押」「忍」と同義としている。
■五世紀初頭応神・仁徳の河内王朝
近江王朝の勢いは大和の三輪王朝を一地方政権とした。近江の景行天皇と倭建命が国内統合を進めていたが、 九州を統一した狗奴国の後裔との戦いの中で仲哀天皇が敗死した。敗れた側の常として、息長帯比売が狗奴国王にさしだされた。 その子息が品陀和気の命(応神天皇)である。東遷し、近江王朝の残党を征し、三輪王朝を組み入れて河内王朝を設立した。 物部氏、蘇我氏等が政治を担当した。
紀伊国の荒川戸辺の娘「遠津年魚眼眼妙媛」は崇神天皇の皇妃となり、豊城入彦命を生んだ。しかし次代の皇位は弟の活目尊(垂仁天皇)に行き、紀伊国の豪族の中央への夢は砕かれた。 また垂仁天皇の正当な後嗣ぎの五十瓊敷命は皇位につけず、近江系の大足彦(景行天皇)が継いだと記紀は語っている。これらの事は、やはり荒川戸辺の娘「中大女」を妻とした物部の大新河命と十千根兄弟の大連の政権の下でのことである。 荒川戸辺としては、血を分けた豊城入彦命の皇位継承を断念さされ、あまつさえ、皇妃を入れた崇神天皇の正当な流れさえ切られてしまった。
崇神天皇の妃は、阿倍臣の祖の大彦王家の媛、紀伊の媛、尾張の大海媛である。五十猛命と異名同神と推定される、大屋毘古、天香山命を連想させる妃達である。
五十瓊敷命が石上神宮に泉南日野で製造した刀剣を捧げたのは紀の国の屈服であった。同じ頃、紀の国の五十猛命を祀る伊太祁曽神社が社地を明け渡している。これも国譲りの一つである。
物部は八十連とされる、幅広い部族を統合する名であり、凝り固まった一族ではない。
応神、仁徳王朝のキイマンは武内宿禰である。出自は開化天皇の父の孝元天皇と伊香色謎命の子の彦太忍信命の子の、屋主忍男武雄心命が紀伊の宇治彦の女の山下影姫を娶って生まれたとしている。物部の血が流れている。 紀の国に武内宿禰誕生の地などの伝承が残るが、母とされる山下影姫の姿が見えない。福岡県小郡市の竃門神社、八女郡水田村の玉垂神社に祭神として祀られている。神社は少ないが存在する事は、紀伊の宇治彦の女の山下影姫は、実は九州の女であったのかも知れない事を示している。 東征した神功皇后のモデルの女性かもしれない。
■六世紀初頭袁本杼(おほど)の命の登場越前王朝
雄略天皇以後、この王朝の血が絶え、播磨に近江の流れを引く王朝が誕生したが武烈天皇は一族ともども滅亡した。 物部氏、蘇我氏、大伴氏は越前の王を日本の支配者として迎えた。九州に残った狗奴国の後裔の王である磐井は、越前王朝に反旗をひるがえしたが、528年、敗死した。 現在の天皇家は越前王朝につながっている。物部氏・蘇我氏は、真の支配者として政治の実権を握るべく、権力争いを繰り広げる。
磯城の倭と葛城との共同王権であった大和王権であったが、雄略天皇と葛城一言主神との説話が語るように、葛城の地位が低下した行った。 雄略の死後、当然の如く、葛城氏の巻き返しがあった。近江王朝の流れをひく応神・仁徳朝は允恭天皇系に簒奪されていたが、再び日子坐王を祖とする葛城王権の復活の物語である。 億計王、弘計王は履中天皇系の復活であるし、日子坐王の王妃の意祁都比売、袁祁都比売の名はここから創作されたようである。
この王家も没落した。いよいよ袁本杼命の登場である。日子坐王の亡命ルートの逆を進軍し、大和を完全包囲し、また大和内の大伴氏や物部氏と呼応して、ここに一度は九州勢に屈服した日子坐王を祖とする王権が復活した。 物部麁鹿火の出自に、信濃諏訪氏の女を母とする伝えがある。袁本杼命の軍事的中核の東国となった物部兵団の将師である。外物部の中央復帰であった。
狗奴国の後裔である磐井君は、吾こそは日本国の支配者である、と決起したのである。許勢・物部氏の連合軍によって、九州の磐井王朝は滅びる。
この時、物部氏は自らの発祥の地である九州の統治権を手に入れている。故郷に錦を飾ったのである。なおこの時からの九州での物部の重複が、物部の本貫の地を、遠賀川流域か筑後川流域かを分かりにくくしている。
■安閑・宣化朝の没落と欽明朝の興隆
欽明天皇をこの国の最初の統一王とする見方がある。大連として物部尾輿が登場する。
尾輿は凝竈で物具生産に携わる鍛冶王である。*5尾輿は弓削連の祖で、石上坐布留御魂神社の本来の奉仕者であった倭古連の女阿佐姫と、剣の神香春神に仕える巫女加波流姫を妻にしている。 ここに物部諸族が石上神宮の祭祀権を入手した。また弓削物部尾輿は、九州の物部の支持をも得た、新たな物部の統率者となった。 尾輿の子が守屋である。
■587年物部氏・蘇我氏の仏教をめぐる争い
鹿児島県揖宿郡頴娃町別府6827射楯兵主神社「素盞嗚命、宇氣母知命」
新興勢力蘇我氏は仏教を掲げ、それに物部氏、三輪氏、中臣氏(物部一族)が対抗した。大臣の蘇我馬子は聖徳太子らとはかり 大連の物部守屋を滅ぼした。各地の物部氏が守屋のために戦った訳ではない。それでも以降の、 蘇我氏の物部狩りは厳しかったようであるが、名を変えたり、落ち延びたりして生き延びた。 東北の安倍一族も物部氏の後裔ではないかとの説もある。(長髄彦が落ち延びアラバキ王国を築いたとの説もある *3)
蘇我氏の急激な台頭は、百済からの大挙の移民の力であろう。蘇我氏は百済王家に出自を持っている。ここに葛城氏の血を継承し、大王家に妃を入れる貴種の仲間入りを果たした。
この戦争は宗教戦争の様相があるが、皇位継承争いにかこつけた蘇我氏の国家権力簒奪の試みである。蘇我側に、紀、巨勢、葛城、大伴、阿倍、平群、春日などの諸豪族を味方に引き入れ、物部守屋大連を攻めたのである。 守屋にまつわる伝承は多い。生きて近江に逃れたと、近江浅井(滋賀県浅井郡)の波久奴神社に伝わっている。他に、物部守屋大連命を祭神とする神社が、大和磯城(奈良県田原本町)村屋坐彌冨都比賣神社の村屋神社、 飛騨大野(岐阜県高山市)錦山神社、信濃伊那(長野県高遠町)守屋社、甲斐巨摩(山梨県中巨摩郡)大輿神社、福島県に守屋神社三座と点々と連なっている。秋田の唐松神社を目指した物部守屋の一子那加世の足跡であろうか。
守屋の一族の財産は、摂津荒陵の四天王寺の建立に使われた。四天王寺内に守屋祠がある。ほかに守屋の妹が蘇我馬子に嫁いでいるが、この妹が半分を取り、孫の入鹿の権勢の基礎となったとの味方がある。
■645年大化の改新、672年壬申の乱
中臣鎌子は中大兄皇子らとはかり、蘇我入鹿を皇極天皇の目前で殺傷し、親の蝦夷をも殺した。ここに蘇我本家は滅び、 分家筋の山田石川氏が蘇我氏を嗣いだ。物部本家を滅ぼされた中臣氏の復讐戦との見方もある。
天孫本紀には、守屋の家は、守屋の子で大海人皇子の舎人物部朴井連雄君によって復活したとある。日本書紀でも吉野決起の件では舎人筆頭にあり、東国に入り大功有るを以て、大紫位・氏上を賜ったと記されている。天武5年没。朴井連家は物部朝臣麻呂が後継し、石上姓を賜った。天武天皇の崩に際して誄[しのびごと]をした石上朝臣麻呂である。
よく似た名の物部連麻呂は、大友皇子に最後まで従った武将であるが、天武天皇にも起用され、持統即位に際して大盾を樹てるという栄誉を担ったのである。
伊勢神宮の成立、石上坐布留御魂神社から石上神宮への止揚、神宝還付などが行われた。律令による国家支配体制へ向かったのである。
旧事本紀には、饒速日命の降臨に際し、防衛[ふせぎまもり]として天降り供へ奉る神々の中に天児屋命を入れている。中臣連等の祖である。 物部氏の嫌がらせとの説もある。中臣氏(後の藤原氏)は蘇我氏の資産を継承し、王権の再生産を補助する立場に立った。
■7世紀後半律令制確立、記紀の編集
梅原猛氏は藤原不比等を日本歴史上の最大の政治家とする。物部・中臣・藤原と連綿と続く自らの氏族を、 天皇家とともに永久にこの国の支配者とする企て行い、律令制の導入による古来からの他の豪族の力を削ぎ、 また日本書紀の編集・普及により天譲無窮の神話で天皇家を不倒のものとした。 武士の登場により、天皇家とともに政治権力からは離れ、また奥州藤原氏は源頼朝に滅ぼされたが、 基本的には天皇家と藤原氏の流れが、まさに不比等の計画通り、今日まで続いており、我々日本人の血と精神に流れているのである。
*1大いなる邪馬台国(鳥越憲三郎)講談社
*2 日本史探訪2(林屋辰三郎)角川書店
*3東日流外三郡誌
*4白鳥伝説(谷川健一)小学館
*5物部氏の伝承(畑井弘)三一書房
*6古代倭王朝論(畑井弘)三一書房

神奈備
http://www.kamnavi.net/mn/monohst.htm
http://www.kamnavi.net/mn/monomap.htm
http://www.kamnavi.net/mn/monomap-higasi.htm














物部氏ゆかりの神社
◆北海道
北海道 留辺蕊るべし神社「石上大神 ほか」常呂郡留辺蕊町字宮下町115 
北海道 弥彦神社「天之香兒命」札幌市中央区中島公園1番8号
北海道 篠路神社「天香山命」札幌市北区篠路4条7丁目2番3
北海道 篠路神社摂社中沼神社「天香山命 ほか」
北海道 新篠津神社「天香具山命 ほか」石狩郡新篠津村第47線北13番
北海道 船魂神社摂社弥彦神社「天香語山命」函館市元町7番2号
北海道 潮見ケ岡神社「配 天香語山大神」小樽市若竹町1番10号
北海道 晩生内神社「天香山命」樺戸郡浦臼町字晩生内31番地
北海道 上川神社「合 天乃香久山神」旭川市神楽岡公園2番地
北海道 美深神社摂社山社神社「天香山神」中川郡美深町字南町59番地
◆東北
◇福島
陸奥磐城田村 田村神社「饒速日命 ほか」郡山市阿久津字続195
陸奥磐城行方 高座神社「伊志許理度賣命 高倉下ともする。」福島県原町市押釜字前田277 白鳥下149
陸奥磐城行方 御刀神社「經津主神」福島県相馬郡鹿島町北右田字剣宮112 白鳥下149
陸奥磐城行方 押雄神社「押雲根命」福島県原町市北新田字諏訪137 饒速日命3世孫「天忍男命」を祀るとされる。白鳥下149
陸奥岩代白河 飯豊比賣神社[いいとよひめ]「飯豐比賣神」 福島県西白河郡大信村大字豊地字鰻谷地19 飯豐比賣を祖神とする物部臣が奉斎 白鳥下154 
陸奥岩代安積 岩上神社「布都御魂大神 ほか」郡山市湖南町舘字宮ノ前1278
陸奥岩代岩瀬 石上神社「石上布留御魂神」岩瀬郡長沼町大字江花字屋敷
陸奥岩代石川 石上神社「布都御魂」石川郡石川町大字塩沢字二斗斗蒔108
陸奥岩代耶麻 伊夜日子神社「天香具山命」耶麻郡猪苗代町大字千代田字打越乙13
陸奥岩代大沼 伊夜比古神社「天香語山命」河沼郡柳津町大字湯八木沢字居平1324
陸奥岩代大沼 禰彦神社「天香語山命 ほか」河沼郡柳津町大字久保田字居平甲606
陸奥岩代大沼 伊夜比古神社「天香語山命」河沼郡柳津町大字四ツ谷字家廻1426
陸奥岩代大沼 禰彦神社「天香語山命 ほか」河沼郡柳津町大字久保田字居平乙20
陸奥岩代大沼 伊夜比古神社「天香語山命 ほか」河沼郡柳津町大字牧沢字勝負平1742
陸奥岩代大沼 伊夜比古神社「天香語山命」河沼郡柳津町大字四ツ谷字伊家ノ上62
陸奥岩代大沼 伊夜比古神社「天香語山命」河沼郡柳津町大字牧沢字居平493
陸奥岩代大沼 稲荷神社「倉稻魂命、天香護山命」大沼郡三島町大字西方字上原3456
陸奥岩代大沼 伊夜彦神社「天香語山命 ほか」大沼郡金山町大字横田字中丸164
◇山形
出羽羽前最上 伊屋彦神社「天香久山命」最上郡真室川町大字川ノ内字栗谷沢211-4
出羽羽前最上 伊夜彦神社「天香具山命」最上郡金山町大字中田字上中田22
出羽羽前最上 伊夜比古神社「天香護山命」最上郡金山町大字飛森字上春木171
出羽羽前田川 六所神社「天加護山命 ほか」東田川郡羽黒町大字町屋字宮前22
◇秋田
出羽羽後仙北 唐松神・唐松山天日宮「饒速日命、玉鉾神、愛子神」仙北郡協和町境字下台86
出羽羽後仙北 熊野神社「配 天香語山命」仙北郡六郷町六郷字米町27
出羽羽後由利 薬師神社「大己貴神、少彦名神 合 饒速日命、經津主神」由利郡仁賀保町三森字御堂森1
出羽羽後山本 金鑄神社「天香語山命、金山比古命、金山比賣命」山本郡峰浜村坂形字強坂235
出羽羽後秋田 経津主神社「彌加布都之神」男鹿市脇本富永字毘沙門沢7
◇宮城
陸奥陸前桃生 賀茂小鋭神社[かもおとの]「小田神、賀茂別雷神、玉依姫命、賀茂健角身命」淤ど山津見神[カグツチの胸に生まれる神]が本来の神。 
宮城県桃生郡河北町福地字加茂崎72
陸奥陸前栗原 雄鋭神社[おどの]「速須佐之男命」淤ど山津見神[カグツチの胸に生まれる神]が本来の神 宮城県栗原郡栗駒町稲屋敷高松51
陸奥陸前登米 石神社「合 布都御魂神」登米郡南方町西郷下字高石30
◇岩手
陸奥陸前気仙 天照御祖神社摂社鎮魂殿神社「布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯御魂大神」釜石市唐丹町字片岸50番地
陸奥陸中胆沢 止止井神社「天湯河棚命」 胆沢郡前沢町字古城字野中51番地 谷川健一日本の地名岩波新書192
◇青森
陸奥陸奥津軽 高倉神社「高皇産靈命、高倉下命」西津軽郡鰺ケ沢町北浮田町字今須16
陸奥陸奥津軽 石上神社「古留御魂命」西津軽郡鰺ケ沢町七ツ石町140
◆関東
◇神奈川
相模三浦 御嶽神社「天香語山命」横須賀市不入斗町3ー4
相模三浦 平作神社「天香語山命 ほか」横須賀市平作町6ー7ー1
◇東京
武蔵橘樹 六所神社「布留大神 ほか」大田区下丸子4丁目
武蔵荏原 六所神社「大國魂命 配 布留大神 ほか」世田谷区赤提2-25-2
武蔵多摩 御嶽神社「合 布都御魂神 ほか」西多摩郡五日市町小和田531
◇千葉
下総千葉 六所神社「大己貴命 配 布留大神」千葉市若葉区野呂町405
上総天羽 六所神社「布留魂命 ほか」富津市寺尾50
下総相馬 香取鳥見神社「經津主命、饒速日命」東葛飾郡沼南町布瀬1377
下総相馬 鳥見神社「饒速日命」東葛飾郡沼南町金山489
下総相馬 鳥見神社「饒速日命」東葛飾郡沼南町泉1358
下総印旛 鳥見神社「饒速日命 配 御炊屋姫命、宇麻志麻治命」印旛郡印旛村萩原1424
下総印旛 鳥見神社「饒速日命」印旛郡白井町白井391ー7
下総印旛 鳥見神社「饒速日命 ほか」印旛郡白井町神々廻1408
下総印旛 鳥見神社「饒速日命」印旛郡白井町富塚694
下総印旛 鳥見神社「饒速日命」印旛郡白井町名内408
下総印旛 鳥見神社「饒速日命」印旛郡白井町平塚962
下総印旛 鳥見神社「饒速日命、宇摩志眞知命、御炊屋姫命」印旛郡印西町大森1943
下総印旛 鳥見神社「饒速日命、登美屋比賣命、宇摩志摩遲命」印旛郡印西町浦部2125
下総印旛 鳥見神社「饒速日命、登美屋比賣命、宇摩志摩遲命」印旛郡印西町平岡1476
下総印旛 鳥見神社「邇藝速日命、御炊屋姫命、宇摩志麻遲命」印旛郡印西町小林2712
下総印旛 鳥見神社「饒速日命」印旛郡印西町小倉956
下総印旛 鳥見神社「饒速日命」印旛郡印西町和泉622
下総印旛 鳥見神社「饒速日命」印旛郡本埜村萩原17
下総印旛 鳥見神社「饒速日命 配 宇摩志眞知命、御炊屋姫命」印旛郡本埜村中根1339
下総印旛 鳥見神社「饒速日命、宇摩志眞知命、御炊屋姫命」印旛郡本埜村長門屋8ー1
下総印旛 鳥見愛宕神社「饒速日命、火産靈命」 印旛郡本埜村笠神402
◇埼玉
武蔵入間 物部天神社国渭地祇神社天満天神社(北野天神社)「櫛玉饒速日命、八千矛命 ほか」所沢市北野703
武蔵入間 石上神社「布留御魂神」坂戸市北大塚138
武蔵比企 日枝神社「合 天香山命」比企郡川島町正直1
武蔵比企 四津山神社「軻遇突智命 合 布留大神 ほか」比企郡小川町高見1125
武蔵埼玉 伊夜彦神社「天香山命」蓮田市下閏戸99
武蔵足立 氷川神社摂社石上神社「布都御魂命」大宮市高鼻町1-407
武蔵足立 日進神社「布津御靈命 ほか」大宮市日進町2-1194
武蔵児玉 阿保神社「布留大神 ほか」児玉郡神川町元阿保1
武蔵葛飾 天神社「合 布留御魂大神 ほか」北葛飾郡栗橋町北広島923
武蔵幡羅 豊布都神社「武甕槌神」熊谷市上奈良1286
◇群馬
上野緑野 抜鉾神社「經津主命」多野郡鬼石町保美濃山399
上野群馬 石上神社「布都御魂大神」群馬郡倉淵村三ノ倉1925
上野群馬 諏訪神社「建御名方命 合 布都御魂神 ほか」群馬郡箕郷町東明屋511
上野甘楽 石上神社「布都御魂」甘楽郡甘楽町国峰2250
上野勢多 六所神社「布留大神 ほか」前橋市江木町9-1
栃木
下野塩谷 熊野神社「饒速日命 はか」矢板市高塩807
下野塩谷 石上神社「布都御魂大神 ほか」矢板市大槻1,706
下野都賀 東矢神社「天御中主神 ほか 配祀 饒速日命」小山市大本1791
◇茨城
常陸那珂 磐舟神社「饒速日命」那珂郡東海村亀下51
常陸那珂 鷹巣神社「饒速日命 ほか」那珂郡大宮町鷹巣1878
常陸那珂 諏訪見目神社「建御名方命、高倉下命」那珂郡大宮町若林1031,1030
常陸久慈 岩船神社「饒速日尊」久慈郡水府村西染245
常陸久慈 稲村神社「饒速日命」常陸太田市天神林町 3228 白鳥下148
常陸久慈 高座神社「高倉下命」日立市大甕には大甕神社「武葉槌命」が鎮座。白鳥下148
常陸久慈 見目神社「高倉目命」常陸太田市粟原町853-1
常陸久慈 王子神社「天香權山命」久慈郡大子町南田気1
常陸行方 羽黒神社 「倉稻魂命 配 饒速日命 ほか」行方郡麻生町富田1536
常陸鹿島 鹿島神宮摂社潮社「高倉下神」鹿島郡鹿島町宮中2306-1
常陸茨木 潮宮神社「高倉下命」東茨城郡小川町倉数1
常陸新治 總社神社「布留大神 ほか」石岡市總社2-8-1
◆中部
◇愛知
尾張愛知  熱田神宮・摂社 高座結御子(たかくらむすびみこ)神社「高倉下命」名古屋市
尾張愛知  洲崎神社「素盞嗚尊、布都御魂」名古屋市中区栄1−31−25
尾張愛知  熱田神宮・摂社孫若御子(ひこわかみこ)神社「天火明命」名古屋市
尾張愛知  七所社「高倉下命 ほか」名古屋市中村区岩塚町字上小
尾張愛知  物部神社「宇麻志麻遲命」 名古屋市東区筒井3-31-21
尾張愛知  味鋺(あじま)神社名古屋市北区
尾張中嶋  真清田神社「天火明命」 一宮市真清田1-2-1
尾張中嶋  久多神社「天背男命、茜部天神」愛知県稲沢市稲島町石畑136
尾張中嶋  石作神社「建真利根命」石作連火明命六世孫。愛知県海部郡甚目寺町大字石作字郷61・62
尾張葉栗  小塞神社「天火明命」一宮市浅井町尾関字同者6
尾張丹羽  立野天神社「配 天火明命」一宮市大字浅野字天神2
尾張丹羽  大明神社「天火明命」一宮市大字北小渕字南切1356
尾張丹羽  比良賀神社「天香語山命 ほか」犬山市羽黒摺墨101
尾張丹羽  栗栖神社「宇麻志麻知命」犬山市大字栗栖字大平840
尾張春日井 八劔神社「天之火明命 ほか」名古屋市守山区大森2
尾張春日井 三社大明神社「天香山命 配 天火明命、建稻種命」瀬戸市中水野町1−579
尾張春日井 尾張戸神社「天火明命、天香語山命、建稻種命」瀬戸市十軒町913
尾張春日井 白山神社「可美真手命」(物部神社を合祀)春日井市二子町
尾張春日井 白山神社摂社天神社「味饒田命」(物部神社を合祀)春日井市二子町
尾張春日井 八所社「宇麻志麻治命」 西春日井郡豊山町大字豊場字字木戸69
尾張春日井 尾張神社「香山命 ほか」小牧市大字小針字中宮107
尾張海西  星大明社「饒速日命」海部郡佐屋町大字西保字宮西
尾張知多  壬生神社「天火明命」 知多郡美浜町河和字岡脇15
尾張知多  野間神社「宇麻志麻遲命」知多郡美浜町大字野間字高川16
尾張知多  尾張三社「天火明命 ほか」半田市亀崎町10
尾張碧海  八劔神社摂社社口社「饒速日命」安城市和泉町宮ノ腰63
三河碧海  暮戸神社「合 石上神」岡崎市暮戸町字宮岸4・5
三河碧海  社宮神社「石上神 ほか」岡崎市富永町字社本48
三河碧海  和志取神社摂社社口社「布都御魂神」岡崎市西本郷町字御立4
三河碧海  社口社「布都御魂神」豊田市畝部東町長乱43
三河碧海  二本木八幡社「天照國照日子火明命」安城市緑町1−27−4
三河碧海  春日神社摂社諏訪社「建御名方命 配 饒速日命」安城市木戸町東屋敷66
三河碧海  山神社摂社住吉社「合 饒速日命」碧南市山神町7−26
三河碧海  天満神社摂社斎宮社「饒速日命」刈谷市半城土町本郷1
三河碧海  八幡社「合 石上神」刈谷市重原字一色1
三河額田  石座神社「天照國照日子火明命 ほか」 額田郡額田町大字石原字宮ノ
三河額田  七所神社「饒速日命、可美眞手命、味饒田命、彦湯伎命、大禰命、出雲醜大臣命、出石心大臣命」岡崎市百々町字池の入28
三河渥美  鞍掛神社摂社若一王子社「饒速日命 ほか」豊橋市岩崎町字森下77
三河渥美  八所神社「合 饒速日命 ほか」渥美郡田原町大字神戸字極楽
三河設楽  中山神社「布留太神 ほか」南設楽郡鳳来町豊岡字南平34
◇静岡
遠江榛原 水川神社「饒速日命」榛原郡中川根町水川540
遠江周智 山名神社「物部山無媛連公 or 饒速日命」山梨村 白鳥下21
論社 山名神社「素盞嗚命 配 應神天皇、菊理姫命」静岡県周智郡森町飯田2950
論社 山名神社「素盞嗚尊、伊弉冉尊、豐受大神」静岡県袋井市上山梨389
遠江佐野 己等乃麻知(ことのまち)神社「美麻知命」現在の社名と祭神は事任八幡宮[ことのままはちまんぐう]「應神天皇、玉依姫命、神功皇后」静岡県掛川市八坂642
遠江磐田 入見神社「印岐美命:イカガシコオの子」白鳥下30
        論社 岩田神社「大國主命 配 武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、姫大神」静岡県磐田市勾坂中425
        論社 府八幡宮「足仲彦命、祭神不詳」静岡県磐田市中泉112-1
遠江引田 須倍神社「合 宇麻志麻治命」浜松市都田町
駿河駿東 見目神社「高倉下命」裾野市麦塚120
◇岐阜
飛騨大野 二之宮神社「天照國照火明命 ほか」高山市漆垣内町963番地
飛騨大野 四天王神社「配 天照國照彦火明命」高山市漆垣内町505番地2
飛騨大野 飛騨一宮水無神「御歳神 配 天火明命 ほか」大野郡宮村字石原5323番地
美濃各務 村国真墨田神社「天之火明命 ほか」 各務原市鵜沼山崎町1丁目108
美濃各務 村国神社「天火明命 ほか」各務原市各務おがせ町3丁目4
美濃各務 八幡神社「伊香我色乎命 ほか」各務原市各務山の前町1丁目199番地
美濃石津 十劔神社「素盞嗚尊、邇藝速日命」養老郡上石津町細野407番地
美濃不破 南宮大社摂社南大神社「天火明命」不破郡垂井町宮代字峯1734-1
美濃不破 伊富岐神社「天火明命」不破郡垂井町岩手字伊吹
美濃安八 伊富神社「天火明命」安八郡安八町牧905番地
美濃武儀 南宮神社「金山彦神、天火明神」武儀郡武儀町下之保字諏訪前2669
美濃本巣 物部神社「物部古千根命」(本巣郡真正町本郷)散歩97
美濃厚見 伊奈波神社(式内物部神社を合祀)岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目1 岐阜市加納、多芸、石津、安八、大野、方県 にも物部神社があった。 白鳥下30
美濃方懸 物部神社「宇麻志麻遲命」岐阜市中西郷2丁目35番地
美濃羽栗 物見神社「宇麻志麻治命」羽島郡岐南町平島中屋敷538
尾張葉栗 石作神社「建眞利根命」岐阜県羽島郡岐南町三宅木瀬25
◇長野
信濃高井 越智神社「饒速日命」須坂市大字幸高字屋敷添389
信濃高井 小内神社「宇麻志麻遲命 ほか」 長野市若穂棉内字森5908
信濃伊那 宇治社「宇麻志麻遲命 ほか」下伊那郡喬木村字氏乗10192
信濃伊那 矢彦神社「天香語山命 ほか」上伊那郡辰野町大字小野3267
信濃筑摩 伊夜彦神社「天香護山命」塩尻市大字宗賀1003
信濃筑摩 平田神社末社「天香山命 ほか」松本市芳川平田301
信濃筑摩 神明宮摂社五城社「天香語山命」東筑摩郡明科町大字東川手字
信濃筑摩 五社神社「天香山命 ほか」東筑摩郡朝日村大字西洗馬17
信濃安曇 伊夜比古神社「天香久山命」南安曇郡穂高町大字有明字宮
信濃安曇 住吉神社摂社布留社「振魂命」南安曇郡三郷村大字温字大原
信濃小県 安曽神社摂社布留社「布都神魂劒」上田市大字古安曽1500
◇山梨
甲斐八代 物部神社「饒速日命、宇麻志麻治命、可美眞手命、彦湯支命」東八代郡石和町松本615
甲斐巨摩 神明石動社「可美眞手命 ほか」中巨摩郡若草町十日市場1959
◆北陸
◇福井
越前今立 八幡神社「天万栲幡比売命、誉田別命、饒速日命」今立郡今立町朽21-33
越前南条 麻気神社「奇玉饒速日命」南条郡南条町牧谷19字堂村町
若狭大飯 香山神社「天香山命」大飯郡高浜町下車持ち44高森7-1
◇石川
加賀石川 神田神社「饒速日命」松任市吉田町110
加賀石川 神田神社「饒速日命、菊理姫命」金沢市神田町1-15-20
加賀河北 小坂神社「配 饒速日命」金沢市山ノ上町42-1
能登鳳至 菅原神社「配 饒速日命」鳳至郡能都町鵜川18-155
能登鹿島 日吉神社「配 布留御魂命」鹿島郡能登島町八ケ崎9-35
◇富山
越中新川 天神社「配 饒速日命」富山市日方江1405-1
越中新川 弥彦神社「天香語山命」富山市掛尾町595
越中砺波 火宮社「火饒速日命 ほか」西砺波郡福光町川西378
越中射水 物部神社「宇麻志摩遲命」高岡市東海老坂字川田1068
越中婦負 布尻神社「饒速日命」上新川郡大沢野町
◇新潟
越後岩船 石船神社「饒速日命 ほか」村上市岩船字三日市9-29
佐渡雑太 物部神社「宇麻志麻治命」佐渡郡畑野町小倉乙618
佐渡雑太 引田部神社「大己貴命」佐渡郡真野町大字金丸488番地丙 白鳥下104
越後蒲原 熊野若宮神社「饒速日命 ほか」蒲原郡中条町東本町1447番
越後蒲原 熊野若宮「饒速日命 ほか」北蒲原郡中条町大字飯岡218
越後蒲原 石上神社「布都御魂大神」五泉市大字菅出1078番地1
越後蒲原 神明宮「高倉下命 ほか」中蒲原郡村松町大字別所1079番地子
越後蒲原 七所神社「天香語山命」新発田市西園町1丁目11番5号
越後蒲原 神明宮「配 天香語山命」新発田市大手町1丁目5番6号
越後蒲原 伊夜日子神社「天香山命 ほか」新発田市大字飯島甲751番地
越後蒲原 神明社「天香語山命 ほか」新発田市大字曽根315番地
越後蒲原 神明宮「配 天香山命」北蒲原郡笹神村大字川岡69
越後蒲原 熊野神社「合 天香具山命」北蒲原郡豊浦町大字岡屋敷535
越後蒲原 弥彦神社「天香兒山命」北蒲原郡中条町大字大塚字家ノ腰30番地
越後蒲原 弥彦神社「天香兒山命」北蒲原郡中条町大字築地1460
越後蒲原 堀出神社摂社伊夜日子琴平神社合殿「天香護山神 配 大物主神」新津市本町3丁目14番6号
越後蒲原 八幡宮「合 天香語山命、天津麻良命 ほか」五泉市宮町5番46号
越後蒲原 伊夜日子社「天香具山神」中蒲原郡亀田町袋津1丁目4番44
越後蒲原 諏訪神社「健御名方命、天香語山命」中蒲原郡横越村大字木津167
越後蒲原 内野大神宮「配 天香護山命」新潟市内野618番地
越後蒲原 伊夜日子神社「天香山命」新潟市田潟165番地
越後蒲原 六社神社「天香語山命 ほか」燕市大字関崎164番地
越後蒲原 彌彦神社「天香山命」西蒲原郡弥彦村大字弥彦2898
越後蒲原 彌彦神社摂社櫻井神社「天香山命」
越後蒲原 彌彦神社摂社船山神社「天忍人命」
越後蒲原 彌彦神社摂社勝神社「建田背命」
越後蒲原 彌彦神社摂社乙子神社「建諸隅命」
越後蒲原 彌彦神社摂社二十二所神社「石上神」
越後蒲原 彌彦神社摂社御神廟「天香山命」
越後蒲原 矢作神社「天香語山命 はか」西蒲原郡弥彦村大字矢作1836
越後蒲原 伊夜日子神社「天香護山命」見附市堀溝町955番地
越後蒲原 伊夜日子神社「天乃香具山命」南蒲原郡下田村大字蝶名林163
越後蒲原 弥彦神社「天香山尊」三島郡出雲崎町大字山谷184
越後三島 岩舩神社「饒速日命」三島郡出雲崎町大字尼瀬1593
越後三島 六座神社「宇麻志麻手命 ほか」長岡市高頭町甲1058番地
越後三島 弥彦神社「天香山命」三島郡寺泊町大字野積275
越後三島 大宮神社「天香山命」三島郡寺泊町大字野積10147番地ノ乙
越後古志 白山神社「天之香具山命 ほか」見附市栃窪町194番地
越後古志 彌彦社「天香兒山命」長岡市滝谷町1173番地2
越後古志 寒澤神社「天香具山命、建御名方富命」栃尾市大字寒沢字我満堂74
越後古志 巣守神社「天香久山命」栃尾市大字吹谷489番地
越後古志 巣守神社「刈谷田媛命、天香久山命」栃尾市大字栃堀2768番地
越後古志 巣守神社「合 天香久山命」栃尾市大字北荷頃2485番地
越後古志 伊夜日子神社「天香護山命」栃尾市大字西之俣1239番地
越後魚沼 石上神社「饒速日命 ほか」南魚沼郡六日町大字下出浦53
越後魚沼 八幡宮「宇麻志摩遲命 ほか」十日町市大字高山346番地
越後魚沼 石上神社「布都御魂」南魚沼郡塩沢町大字舞子1563
越後魚沼 守門神社 「高倉下命」 北魚沼郡守門村大字高倉109
越後魚沼 守門神社 「高倉下命」 北魚沼郡守門村大字高倉2168
越後魚沼 魚沼神社「天香語山命」小千谷市土川2丁目12番22号
越後魚沼 伊米神社「天香語山命」小千谷市大字桜町1314番地
越後魚沼 伊夜日子神社「天香山命」南魚沼郡六日町大字大月788
越後魚沼 伊夜彦神社「天香護山命」南魚沼郡大和町大字黒土253
越後魚沼 辨戝社「合 天香山命」十日町市大字尾崎230番地
越後魚沼 伊夜日子神社「天香山命」十日町市大字下組1684番地ノ子
越後刈羽 物部神社「二田物部命一座、宇摩志麻治命との説もある。 合 物部稚櫻命 ほか」刈羽郡西山町二田字入ノ沢602 白鳥下104
越後刈羽 物部神社「天物部命」柏崎市大字久米1634番地
越後刈羽 物部神社「天物部命」柏崎市大字下田尻1451番地
越後刈羽 善根神社「天火明命」柏崎市大字善根7997番地
越後刈羽 石上神社「布都御魂神」柏崎市大字椎谷字机立1626
越後刈羽 大崎神社「布都御魂神」刈羽郡西山町大字大崎字石上737
越後刈羽 弥彦神社「天香語山命」柏崎市大字石曽根5666番地
越後刈羽 十二神社「合 天香語山命」刈羽郡西山町大字内方字宮ノ下221番地
越後頸城 日吉社「于摩志摩治命」中頚城郡清里村大字南田中 式内物部神社を合祀 白鳥下102
越後頸城 五十君神社「印岐美連公 現在は 五十日足彦命」中頚城郡三和村大字所山田550番地 白鳥下102
越後頸城 大崎神社「天香具山命 ほか」新井市大字大崎町2番29号
越後頸城 斐太神社「合 天之香具山命 ほか」新井市大字宮内239番地
◆近畿
◇大阪府
・豊能郡
摂津能勢 野間神社 能勢町 地黄
箕面茨木方面地図
摂津豊島 式内 細川神社 池田市 吉田町
摂津豊島 式内 為那都比古神社 箕面市石丸
摂津豊島 式内 阿比太神社 箕面市桜ヶ丘
摂津島下 式内 新屋坐天照御魂神社(三座)、磯良神社 茨木市西河原、上河原、福井
摂津島下 皇大神宮「天照皇大神、宇賀御魂神、布留魂神」茨木市大字車作619-1
・枚方交野方面
河内交野 式内 片埜神社 枚方市牧野
河内交野 岩所神社(磐船神社) 交野市私市
河内交野 星田神社 交野市星田
・生駒西(石切・枚岡神社)方面
摂津東成 (元)磐船神社「大阪城地(石山本願寺跡、元四天王寺跡か)」 坐摩神社行宮と推定 大阪市中央区
河内/大和   饒速日山(草香山) 生駒山北部
河内茨田 式内 石切劔箭神社東大阪市中石切町
河内茨田 式内 枚岡神社 東大阪市出雲井町
河内河内 式内   津原神社 東大阪市花園本町
摂津東成 都島神社「石上大神」大阪市都島区都島本通1-5-5
摂津東成 四天王寺願成就宮 天王寺区四天王寺
摂津住吉 楯原神社 大阪市平野区喜連4
・八尾方面
河内高安 式内 恩地神社、(岩戸神社、鐸比古鐸比売神社) 八尾市
河内若江 式内 弓削神社 八尾市弓削町
河内若江 式内 弓削神社 八尾市東弓削町
河内若江 弥加布都命神社 東弓削町の弓削神社に「彌加布都命」「比古佐自彦命」が合祀されている。白鳥上109
河内若江 比古佐自布都命神社 同上
河内若江 式内栗栖神社 八尾神社 八尾市本町
河内志紀 式内 樟本神社 八尾市木の本
河内志紀 式内 樟本神社 八尾市南木の本
河内志紀 式内 樟本神社 八尾市北木の本
河内渋川 式内 跡部神社 八尾市
河内若江 式内 渋川神社 八尾市
河内若江 式内 矢作神社 八尾市
河内若江 式内 御野県主神社 八尾市
河内高安 式内 玉祖神社「櫛明玉命 または 玉祖神、イザナギ命、イザナミ命、宇麻志麻治命、ほか」八尾市神立443番地
河内高安 式内 都夫久美神社「宇摩志摩治命」大阪府八尾市大字水越575 古代王権p100
・古市古墳群方面 
河内志紀 式内 辛国神社 藤井寺市
河内古市 式内 高屋神社 羽曳野市
河内丹南 式内 丹比神社 南河内郡美原町
河内石川 磐船大神社 南河内郡河南町
河内古市 式内 白鳥神社 羽曳野市
河内石川 式内 利雁神社 美具久留御魂神社摂社 富田林市
河内安宿 式内 杜本神社羽曳野市
河内石川 式内 鴨習太神社 南河内郡河南町
河内大縣 式内 天湯川田神社「天湯川田奈」柏原市高井田 白鳥上248
河内大縣 式内 宿奈川田神社「少彦根命」 柏原市高井田 白鳥上248
・大阪市長居から堺へ
摂津西成 大阪物部神社 大阪市西区江戸堀
摂津住吉 式内 楯原神社 大阪市平野区
摂津住吉 式内 住吉大社「底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命」 大阪市住吉区
摂津住吉 式内 神須牟地神社 大阪市住吉区
摂津住吉 式内 中臣須牟地神社 大阪市住吉区
和泉大鳥 華表神社(須牟地曾根神社) 堺市
和泉大鳥 長曽根神社 堺市
和泉大鳥 春日神社 和泉市春木町615番地
和泉国内神名帳による「従五位物部布留社在春木村俗称布留堂風景幽絶」とある如く本貫を有せし物部氏族氏神として物部布留神社を創社し地主の神として古来松尾庄内の氏神なり。境内に神宮寺あり、役の小角の開基による宗福寺なり、後これを布留堂と称し大同年間弘法大師一冬安居されし後は冬堂と称す(泉州誌)
和泉大鳥 式内 大鳥大社「日本武尊、大鳥連祖神」堺市鳳北町
和泉和泉 式内 曽禰神社 泉大津市
・大阪府貝塚市以南
和泉和泉 式内 阿理莫(ありまか)神社「饒速日命 or 物部十千根命」貝塚市久保
和泉日根 式内 神前神社(高おかみ神社に合祀)「たかおかみ神、事代主命、市杵島比売命、天櫛玉命 他」貝塚市脇浜
和泉日根 式内 日根神社「鵜葺草葺不合尊、玉依比賣命 または 饒速日命」泉佐野市日根野631番地1
和泉日根 式内 波太神社「角凝魂命」阪南市石田 白鳥上250
◇奈良
式上 他田坐天照御魂神社
式上 志貴御県坐神社
式上 等弥神社(桜井市)
式上 秉田(ひきた)神社(曳田神社:城上)(桜井市初瀬白河)
式下 富都神社「武雷神、登美屋彦命、登美屋比売命」(田原本町 大字富本)
式下 鏡作麻気神社(田原本町)
式下 鏡作坐天照御魂神社(田原本町)
式下 石見鏡作神社(田原本町)
式下 倭恩智神社(海知町)
式下 村屋坐彌冨都比賣神社「彌富都比賣神」磯城郡 田原本町 蔵堂 426
式下 岐多志太神社「天香山命」磯城郡 田原本町 伊与戸 143
十市 宇間志麻遅神社(鏡作伊多神社「石許利止売命」の摂社)田原本町保津字南垣内
十市 鏡作伊多神社「石許利止売命」田原本町宮古字補屋
十市 竹田神社「天香久山命 」橿原市 東竹田町 495
高市 櫛玉命神社(明日香村)
高市 気都和既神社(明日香村)
山辺 白提神社(天理市長柄町)
山辺 石上神宮
山辺 三島神社「布留御魂神」天理市 三島町 92-1
山辺 熊野神社摂社石上神社「石上神」天理市 平等坊町 125
山辺 石上神社「石上大神」天理市 瀧本町 483
添上 住吉神社(岩船社) 生駒市南田原
添上 水口神社「大水口宿彌命」(天理市渋谷町)白鳥上226
添上 伊弉諾神社「元登弥神社(生駒市上町長弓寺内大宮牛頭天王)」白鳥上233
添上 八幡神社「応神天皇、宇麻志間遅命」(水間町字ミヤ)
添上 長尾神社 阪原町 1625 字林光山
添上 春日大社「布津之靈」奈良市春日野町160
添下 登弥神社 奈良市 石木町 648-1
添下 矢田坐久志玉比古神社
平群 平群石床神社
広瀬 饒速日命社「櫛玉饒速日命」は広瀬大社「若宇賀能売命、櫛玉命」の末社)川合字久保田99
広瀬 櫛玉姫命神社(広陵町)
葛下 当麻山口神社(元の当麻都比古神社が合祀されている)
葛下 厨神社「御饌津大神」香芝市尼寺2022
忍海 葛木坐火雷神社「天香山命」北葛城 郡新庄町 笛吹 448
忍海 笛吹若宮神社「天香山命」北葛城郡 新庄町 薑95
忍海 笛吹若宮神社「天香山命」北葛城郡 新庄町 新町58
忍海 笛吹若宮神社「天香山命」北葛城郡 新庄町 南花内24
葛上 春日神社「天香山命」御所市 柳原 973
吉野 久須斯神社 吉野郡 吉野町 三茶屋 143
吉野 玉置神社「十種神寶」吉野郡 十津川村 玉置川1
吉野 竹筒神社 「高倉下命」吉野郡 十津川村 竹筒 210
宇陀 高角神社「高倉下命」宇陀郡 大宇陀町 守道 776
宇陀 椋下神社「高倉下命」宇陀郡 榛原町 福地 1
◇京都
丹後加佐 天藏神社 「天香語山命」舞鶴市多門院材木奥303-1
丹後加佐 老人島神社 舞鶴市 成生冠島 953
丹後与佐 石部神社「石上乃大神」宮津市 小寺石神 771
丹後与佐 物部神社「宇麻志麻治命」 与謝郡 野田川町 石川物部 201 散歩238、白鳥上286
丹後与佐 矢田部神社「伊香色雄命」与謝郡 野田川町 石川矢田 4626 散歩2381
丹後与佐 籠神社「彦火明命またの名を天照国照彦火明命、饒速日命、別雷神」宮津市字大垣430
丹波何鹿 阿須須伎神社(綾部市河内町東谷1)道主貴神 ほか 往古物部氏の創立と伝う。
丹後竹野 石久久里神社「天香山命」 竹野郡丹後町力石右ヤシキ695
丹後竹野 石上神社 竹野郡 弥栄町 芋野長尾28-1
丹後熊野 深谷神社「高倉下命」 熊野郡 久美浜町 栃谷岩手
丹波天田 天照玉命神社 福知山市 今安 961
丹後天田 渋谷神社 大田郡 三和町 山平宮ノ腰
丹波天田 宇麻谷神社 天田郡 三和町 下河合上ケ山
丹後中  矢田神社「伊加賀色許命」 中郡 峰山町 矢田谷山 なかやま322
丹波船井 荒井神社「旧の嶋物部神社」(船井郡八木町美里小字荒井1)散歩下135
山城葛野 木島坐天照御魂神社 京都市 右京区 太秦 森ケ東町
山城京中 中山神社「布留魂大神」京都市 中京区 岩上通 六角下ル 岩上町 748
山城綴喜 朱智神社「配祀 天照國照彦火明命」(綴喜郡田辺町天王高ケ峰25)
山城綴喜 石船神社 綴喜郡 田辺町 高船里 111
山城綴喜 棚倉孫神社 綴喜郡 田辺町 田辺棚倉 49
山城久世 荒見神社 城陽市 富野荒見田 165
山城久世 荒見神社 久世郡 久御山町 大字田井 小字荒見 49
山城久世 水主神社「天照國照彦火明命饒速日命、天香語山命、他八座」城陽市水主宮馬場1
山城久世 水度神社「天照御魂神」城陽市寺田水度坂87
山城宇治 岩屋神社 京都市東山区山科
◇兵庫
摂津菟原 鷺宮八幡神社「高倉下命」神戸市 東灘区 本山北町 6-2-28
摂津川辺 売布神社「大布命 現在は高比賣神」宝塚市 売布山手町 1-1
摂津川辺 高売布神社「大布命 現在は下照比賣命」三田市 酒井 字宮の脇 50
摂津川辺 桑津神社「火明命」伊丹市 西桑津 字流作 529
播磨明石 可美真手命神社「可美真手命」神戸市 西区 押部谷町 細田1323
播磨明石 惣社神社「大己貴尊、素盞嗚尊、經津主尊、武甕槌尊」神戸市 西区 伊川谷町 上脇 1005 式内物部神社に比定
播磨揖西 粒坐天照神社「天照國照彦火明命」龍野市 龍野町 日山 463
播磨揖西 天津津祀神社 龍野市 龍野町 的場山 中腹
播磨揖西 古宮神社「天照國照彦火明命」龍野市 龍野町 小神 542
播磨揖西 井関三神社「天照國照彦火明櫛玉饒速日命」龍野市 揖西町 中垣内 甲799-1
播磨宍粟 明神社「天火明命」宍粟 郡波賀町 上野 1295
播磨多可 石上神社「布都御魂神」西脇市 板波町 4
播磨印南 生石神社(石乃寳殿)「大穴牟遲命、少毘古那命」高砂市阿弥陀町生石171
但馬朝来 稲荷神社 境内 天満神社「宇麻志麻知命」朝来郡 朝来町 佐嚢 字高栃 166-2
但馬城崎 久々比神社「天湯川田奈命」豊岡市 下宮 谷口 318-2 白鳥上255
但馬城崎 絹巻神社「天火明命」豊岡市 気比 字絹巻 2585-1
但馬城崎 韓國神社「物部韓國連命」城崎郡 城崎町 飯谷 字落シケ谷 50-1
但馬城崎 椋橋神社「伊香色乎命」城崎郡 香住町 小原 827-1
但馬城崎 物部神社 城崎郡 城崎町 白鳥上256
但馬出石 阿牟加神社「天湯川田奈命」豊岡市 森尾 485 白鳥上255
但馬出石 伊福部神社「天香山命」出石郡 出石町 中村 809
但馬出石 三柱神社「天香山命」出石郡 出石町 暮坂 457
但馬養父 和那美神社「天湯川田奈命」養父郡 八鹿町 下網場 156 白鳥上255
但馬気多 三野神社「師木津日子命 また天湯川田奈命」城崎郡 日高町 野々庄 字下小屋 782 白鳥上290
但馬気多 岩船神社「磐船長命」城崎郡 日高町 道場 字山田 10-2 白鳥上290
丹波氷上 高座神社「高倉下命 配 天火明命」氷上郡 山南町 谷川 3557
丹波氷上 岩上神社「布都御魂神」氷上郡 山南町 池谷 字神ノ下 24
丹波氷上 兵主神社「天香山神」氷上郡 春日町 黒井 2967
丹波氷上 大歳神社 「天香具山命」氷上郡 山南町 太田 字五反田 59
淡路津名 岩上神社「布都御靈大神」津名郡 一宮町 柳沢 乙614
淡路津名 平見神社「布都御魂大神」津名郡 一宮町 江井 2586
淡路三原 石上神社「布都御魂命」三原郡 南淡町 賀集八幡 南462
◇和歌山 
・紀ノ川下流域
紀伊名草 竈山神社「高倉下命、可美眞手命」和歌山市和田438
紀伊名草 藤白神社「饒速日命」海南市藤白448
紀伊名草 高橋神社「饒速日命」和歌山市岩橋1112
紀伊名草 丹生神社(田井ノ瀬)「宇摩志摩治命」和歌山市栗栖1
紀伊名草 射矢止神社「天香山命」和歌山市六十谷381
紀伊伊都 小田神社「物之部武彦命」伊都郡高野口町小田
紀伊日高 天寶神社「高倉目命」日高郡南部川村高野244
紀伊牟婁 発心門王子社 「饒速日命」熊野古道中辺路 祭神は紀伊国名所図会による
紀伊牟婁 王子神社 「高倉下命」西牟婁郡すさみ町和深川258
紀伊牟婁 八幡神社「高倉下命」西牟婁郡すさみ町防己556
紀伊牟婁 矢倉神社「高倉下命」西牟婁郡串本町高富429
紀伊牟婁 熊野速玉大社 摂社神倉神社「高倉下命」新宮市新宮1
紀伊牟婁 高倉神社「高倉下命」新宮市高田568
紀伊牟婁 地主神社「高倉下大神」東牟婁郡古座町古田
紀伊牟婁 若宮八幡神社「高倉下命」東牟婁郡古座川町平井1175
紀伊牟婁 熊野本宮大社境内別社「高倉下命」東牟婁郡本宮町本宮1110
紀伊牟婁 高倉神社「高倉下命」東牟婁郡熊野川町 3座(日足625、赤城466、小口381)
紀伊伊都 信太神社「饒早日尊」伊都郡高野口町
紀伊牟婁 住吉神社 摂社権現神社「櫛玉饒速日命」西牟婁郡大塔村鮎川1512
◇滋賀
近江栗田 治田神社 草津市 南笠町 925
近江高島 熊野神社「味饒田命」高島郡 安曇川町 上古賀 1391 神々371
近江高島 布留神社「布留大神」高島郡 安曇川町 横江 413
近江浅井 波久奴神社「物部守屋大連」東浅井郡 浅井町 高畑 296
近江浅井 弓削神社「可美眞手命」東浅井郡 びわ町 弓削 168
近江野洲 勝部神社 守山市 勝部町 39
近江野洲 住吉神社 守山市 浮気町 152
近江野洲 日吉神社「香具山姫大神」野洲郡 夜須町 小篠原 140
近江野洲 勝長神社 蒲生郡 日野町 松尾 506
近江甲賀 油日神社「川枯首」甲賀郡 甲賀町 油日 1042 白鳥上257
近江甲賀 川田神社「天湯川田奈命」 甲賀郡 水口町 北内貴 490 白鳥上257
近江甲賀 水口神社「大水口宿禰」甲賀郡 水口町 宮の前 3-14
近江愛智 川桁(かわたな)神社「天湯河板擧命」彦根市 出路町 40 
近江愛智 川桁(かわたな)神社「天湯河板擧命」彦根市 甲崎町 139 
近江神埼 川桁(かわたな)神社「天湯川田奈命」(神埼郡)白鳥上257
近江神埼 河桁御河辺(かわたなみかわべ)神社「天湯川田奈命」八日市市 神田町 381 白鳥上257
近江神埼 若宮神社 摂社 岩上神社「布都御魂劍大神」神崎郡 五個荘町 新堂 289
近江神埼 牛王神社 摂社 石上神社「布都魂大神」八日市市 建部 下野町 454
近江伊香 乃伎多神社「味饒田命」伊香郡 高月町 物部 850 谷川健一日本の地名岩波183
近江伊香 乃伎多神社「譽田別命、天造日女命」伊香郡 高月町 東阿閉 1094
近江伊香 石作玉作神社 伊香郡 木之本町 千田 793
◇三重
伊賀阿拝 高倉神社「高倉下命」上野市西高倉1046
伊賀阿拝 都美恵神社「配 布都御魂命」阿山郡伊賀町大字柘植町2280
伊賀阿拝 神明神社「合 布都御魂神」阿山郡伊賀町大字新堂1192-2
伊賀阿拝 陽夫多神社「素盞嗚尊 合 天之火明命」阿山郡阿山町大字馬場951 宣化天皇三年勧請。明治四十一年火明神社ほか24社を合祀。
伊賀山田 葦神社「布都御魂神」阿山郡大山田村大字上阿波26
伊賀名張 積田神社「天火明命」名張市夏見2162
伊勢度会 八柱神社「邇藝速日命」度会郡南勢町田曽浦4720-1
伊勢多気 畠田神社「饒速日命、宇麻志麻治命」多気郡明和町大字中村1029
伊勢多気 西外城田神社「布留御魂」多気郡多気町大字野中289
伊勢多気 丹生神社「埴山姫命、彌都波能賣神 ほか」多気郡勢和村大字丹生3999
伊勢飯高 式内 物部神社 伊勢寺神社に合祀「天火明命」 松阪市伊勢寺町972
伊勢一志 式内 物部神社「宇麻志摩遲命」久居市新家町563 山辺の行宮式内物部神社と往昔より言い伝えがあったが、寛保元年の大洪水により巻物などが消失した。
伊勢安濃 置染神社「神饒速日命」津市大字産品84
伊勢安濃 大市神社「配 布都御魂神」津市岩田6-24
伊勢安芸 明神社「饒速日命」安芸郡芸濃町楠原303  式内社志婆加支神社の論社
伊勢安芸 多爲神社「合 天火明命」津市大里睦合町1525
伊勢安芸 黒田神社「合 布留御魂命」安芸郡河芸町大字南黒田1649
伊勢安芸 事忌神社「合 布留御魂命」安芸郡河芸町大字高佐579-1
伊勢三重 式内 穂積神社の論社 福王神社「合 天火明饒速日命」三重郡菰野町大字田口2404
伊勢三重 式内 加富神社「天饒速日命」四日市市波木町821 成務天皇三十八年加富郷の産土神として采女の祖神を奉斎し、俗に「火宮明神」とも称す。
伊勢三重 式内 加富神社「天饒速日命」四日市市山田町2187 往古当地は吉田ヶ原と称し、そこに十丁四方松彬の生茂れる地を加富森と称し、神籠を立てて奉祀した。
伊勢三重 福王神社「天火明饒速日命」三重郡菰野町大字田口2404 大字田口の穂積神社を合祀
伊勢朝明 穂積神社「饒速日命 配 伊香我色雄命」四日市市広永町1553、朝明郡)
伊勢員弁 猪名部神社「伊香我色男命」 員弁郡大安町大字高柳988 天津赤星命(伊勢式内神躰考)、素盞嗚尊、伊香我色男命、誉田別命(員弁郡郷土資料)
伊勢員弁 式内 猪名部神社の論社 猪名部神社「伊香我色男命」 員弁郡藤原町大字長尾244 天津赤星命(伊勢式内神躰考)、饒速日命(布留屋草紙)とする。
伊勢員弁 式内 猪名部神社の論社 猪名部神社「伊香我色男之命」 員弁郡東員町大字北大社797
伊勢員弁 式内 猪名部神社の論社 鳥取山田神社「角凝魂命」員弁郡東員町大字山田1010
伊勢員弁 猪毛利谷神社「伊香我色男命」員弁郡北勢町大字瀬木310 北勢町風土記に「猪名部神社」とする文書がある。 当地は員弁神社御旧跡と伝わり、往古洪水時猪名部神社流れだし今の地ち止まったとの伝説が紹介されている。
伊勢員弁 鳥取神社「天湯河桁命」員弁郡東員町大字鳥取1457 祭神を角凝魂命(北勢古志)とする。
伊勢員弁 鳥取山田神社「角凝魂命」員弁郡東員町大字山田10101 祭神を天湯河桁命(布留屋草紙)や少彦根命(伊勢式内神躰考)とする。
伊勢員弁 鳥取神社「天湯河板擧命」員弁郡大安町大字門前603
伊勢員弁 土生神社「天湯河板挙命」員弁郡大安町大字梅戸2344
伊勢鈴鹿 忍山神社「合 饒速日命、伊香我色男命」亀山市野村町4-4-65
伊勢鈴鹿 忍山神社境内穂積社「饒速日命」 女王アマテラスP345
志摩英虞 八雲神社「合 饒速日神」志摩郡志摩町片田2392
紀伊牟婁 八重垣神社「伊邪那岐命 合 邇藝速日命」北牟婁郡海山町大字中里412 創始不明。元は中里神社という地域の産土神。明治45年周辺神社を合祀。
紀伊牟婁 牛鼻神社「高倉下命」南牟婁郡紀宝町鮒田1509
紀伊牟婁 牛鼻神社境外摂社宇田神社「饒速日命」南牟婁郡紀宝町
紀伊牟婁 相野谷神社「高◆中国
◇鳥取
因幡八東 意非おい神社「天饒日尊」八頭郡若桜町大字屋堂羅1
因幡日野 江美神社「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊 ほか 合 稻背脛命 ほか」日野郡江府町大字江尾1894
伯耆日野 金持神社「天常立尊、八束水臣津野命、意美豆努命 配 天香語山命」日野郡日野町金持74
伯耆日野 高圀神社「合 天香山命 ほか」日野郡日野町秋縄915
伯耆会見 廣見神社「布都御魂神」境港市中野町928
因幡八上 都波奈彌神社「素盞嗚尊、櫛名田比賣命」八頭郡河原町大字和奈見字村ノ内475 白鳥上259
◇島根
石見安濃 物部神社「宇摩志麻遲命 配 饒速日命 ほか」大田市川合町川合1545
石見安濃 物部神社摂社伊夜彦神社「天香具山命」
石見安濃 物部神社摂社中原若宮神社「味饒田命」
石見安濃 物部神社摂社新屋若宮神社「彦湯支命」
石見安濃 物部神社摂社川合神社「武諸隅命」
石見安濃 物部神社摂社石上布留神社「竹子命」
石見安濃 物部神社摂社熊野神社「十種神寳」
石見安濃 物部神社摂社児守社「高倉下命、少彦名命」
石見邑智 八幡宮摂社熊野神社「伊弉册命、饒速日命」邑智郡川本町川本647-1
石見那賀 八幡宮「饒速日命 ほか」 江津市跡市町352-甲
石見那賀 八幡宮摂社山邊神社「布都御魂神」那賀郡旭町和田1739
石見那賀 山邊神社「都都御魂」江津市江津町郷田113 石見那賀 王子神社「天照國照彦火明櫛玉饒速日命」江津市松川町八神4
石見鹿足 大岡神社「宇摩志摩遲命、饒速日命」鹿足郡六日市町大字広石960
石見美濃 新宮神社末社「宇麻志摩遲命 ほか」美濃郡美都町大字宇津川ロ355-乙
出雲仁多 高尾神社「五十猛命 合 大國主命、布留魂神」仁多郡仁多町大字高尾780
出雲大原 加茂神社「別雷命 配 布留魂命 ほか」大原郡木次町大字湯村263
出雲出雲 御碕神社「神須戔嗚尊 配 布都御魂神 ほか」簸川郡斐川町大字上荘原526
出雲楯縫 宇美神社「布都御魂神」平田市平田町688-1
出雲楯縫 石上神社「經都魂命」平田市東郷町188
出雲楯縫 石上神社「經津魂命」平田市小津町259
◇岡山
備前赤坂   石上布都之魂神社「素盞嗚尊」赤磐郡吉井町石上1448 白鳥上255
備前御野   高蔵神社「天照國照彦火命、天香山命、建御名方命」岡山市牟佐2803
備前御野   尾針神社「天火明命」 岡山市京山2-2-2
美作東南条  栃畑神社「饒速日命 ほか」津山市籾保755
美作真島   高田神社摂社速日神社「經津主命、饒速日命、武甕槌命」 真庭郡勝山町大字勝山775
美作真島   延風神社摂社御崎神社「饒速日命」真庭郡美甘村大字延風1
美作久米北条 真島八幡神社「合 饒速日命 ほか」久米郡旭町西垪和1・東垪和
美作久米北条 貴布禰神社「伊香賀色雄命、天棚機姫命 ほか」久米郡久米町桑上190
◇広島
備後品治 天神社摂社王子神社「饒速日命」福山市駅家町新山字大迫城山
備後神石 石神社「天照國照日子火明命 ほか」神石郡油木町新免1060
備後三次 八幡神社「布留御魂神 ほか」三次市清河町1124 安芸沼田 山ノ御所阿刀明神社「可美眞手命、天照皇大神、宗像三柱神」広島市安佐南区沼田町阿戸
◇山口
周防大島 鳴門神社摂社石上神社「石上布留御魂神」玖珂郡大畠町大字神代4426
周防玖珂 河内神社「配 布都御魂神」玖珂郡美和町大字下畑2619
◆四国
◇徳島
阿波麻殖 伊加加志神社「伊加賀色許売命、伊加賀色許男命、天照大神」麻植郡川島町桑村字大明神1635
阿波阿波 建布都神社「建布都神」阿波郡市場町大字香美郷社本18 白鳥上109
阿波阿波 山崎八幡宮「伊香我色雄命 ほか」麻植郡山川町字宮島89 阿波那賀 富留戸神社「饒速日命、布都御魂大神、布留御魂大神」那賀郡鷲敷町和食郷字田野103
阿波那賀 羽浦神社「合 淡夜別命、宇摩志麻遲命 ほか」 那賀郡羽ノ浦町中庄千田池32
阿波美馬 八幡神社「合 饒速日命 ほか」 美馬郡穴吹町三島字小島2297
阿波三好 藤原神社「合 天村雲命、宇摩志麻治命 ほか」 三好郡池田町大字大利字大西316
阿波三好 四所神社「合 天香護山命」三好郡山城町大字大月70
◇香川
讃岐山田  拝師神社「天火明命」高松市上林町572
讃岐山田  三宮神社「天火明命 ほか」 高松市六条町1187ー1
讃岐鵜足  天川神社摂社須賀神社「饒速日命」 仲多度郡琴南町造田3431
讃岐鵜足  亀山神社摂社金神社「天香山命」綾歌郡飯山町東坂元1372
讃岐塩飽島 三所神社「配 天香山神 ほか」丸亀市本島町生の浜635
讃岐多度  大麻神社「主 天太玉命 配 天津彦彦火瓊瓊杵尊、天香語山命、天櫛玉命、天糠戸命、天御陰命、天神立命、天三降命、天伊佐布魂命、 天事湯彦命、天神玉命、天村雲命、天世手命、天湯津彦命、天神魂命、天乳速日命、天活玉命、天下春命、天鈿女命、天道根命、天明玉命、 天造日女命、天玉櫛彦命、天日神命、天伊岐志迩保命、天表春命、天兒屋根命、天椹野命、天背男命、天斗麻彌命、天八坂彦命、天少彦根命、天月神命」善通寺市大麻町上ノ村山241
讃岐阿野  城山神社摂社横関神社「天香語山命」摂社長谷神社「天太玉命、天道根命」綾歌郡綾上町羽床上1697ー2
讃岐大内  石神神社「布都御魂神 ほか」大川郡引田町川股1060-2
讃岐大内  石上神社「布都御魂神 ほか」大川郡引田町中山1825
◇愛媛
伊予越智 伊加奈志神社「伊迦賀色許男命」今治市五十嵐 白鳥上130
伊予風早 国津比古神社「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊 配 宇麻志麻治命、物部阿佐利命 ほか」北条市八反地
伊予風早 櫛玉比売命神社「天道姫命、御炊屋姫命」北条市高田北宮崎
伊予伊予 三島神社中津宮「饒速日神」伊予郡双海町上灘
伊予伊予 廣田神社「配 饒速日命、天道日女命 ほか」 伊予市上三谷
伊予伊予 吉井神社「配 天道日女命 ほか」温泉郡川内町井内
伊予桑村 布都神社「布都主神 配 高倉下神 ほか」東伊予市石延 白鳥上109
伊予新居 宗像神社「宗像三女神、饒速日命、天道姫命 ほか」新居浜市宮ノ西
伊予新居 新高神社「天乃種子命、竟伊古乃別命 合 饒速日命 ほか」新居浜市種子川山
伊予新居 荷内神社「大鷦鷯尊 配 饒速日命」 新居浜市阿島
伊予周布 鶴岡八幡神社「合 饒速日命、天道日命」 東予市北条
伊予越智 天神社「合 饒速日命 ほか 配 天道日賣命 ほか」越智郡玉川町大字龍岡下
伊予越智 王子神社「天照皇大神 配 饒速日神、大新川命」越智郡玉川町松ノ本
伊予越智 大浜八幡大神社「乎致命 ほか 配 饒速日命、天道日女命 ほか」今治市大浜
伊予越智 大浜八幡大神社摂社潮富貴神社「配 饒速日命、天道日女命」今治市大浜
伊予越智 弓削神社「饒速日命 ほか」 越智郡弓削町下弓削
伊予野間 長津神社「合 天照國照比古火明玉饒速日命 ほか」越智郡菊間町長坂
伊予野間 素鵞神社「合 布都御魂神、饒速日命 ほか」 越智郡菊間町河之内
伊予野間 尾形八幡大神「饒速日命、經津主命、饒速日命」 越智郡宮窪町宮窪
伊予喜多 柿森神社「配 可美麻知命 ほか」 喜多郡五十崎町平岡
伊予和気 湊三嶋大明神「配 饒速日神」松山市港山町
伊予久米 日尾八幡神社「饒速日命、天道日女命 ほか」松山市鷹ノ子町
伊予久米 野田神社「建速須佐之男命、饒速日命」 松山市北梅本町
伊予久米 龍神社「饒速日命 ほか」 温泉郡重信町山之内
伊予浮穴 葛城神社「一言主命 配 饒速日命 ほか」上浮穴郡久万町二名
伊予浮穴 太森神社「饒速日命 ほか」 上浮穴郡小田町上川
◇高知
土佐吾川 八所河内神社「饒速日命 ほか」吾川郡伊野町(近くの小村神社)
土佐吾川 河内神社「饒速日命 ほか」吾川郡伊野町槙641 土佐香美 天忍穂別神社「天忍穂別命 配 饒速日命」石船様と呼ばれる。香美郡香我美町山川
土佐香美 延清神社「天忍穂別命 配 饒速日命」香美郡香我美町
土佐安芸 御林神社「天忍穂別命、饒速日命」安芸郡安西村馬丘茶畑
土佐安芸 星神社「天御中主命 配 彦火火出見命、天火明命」 安芸市井の口岩佐
土佐高岡 刈谷神社「石上布留御魂命、大物主神」須崎市浦ノ内
土佐高岡 岩佐神社「布都之御魂神」高岡郡佐川町
◆九州
◇福岡
筑前糟谷 熊野神社「饒速日命、速玉男命、伊弉冉命、事解男命、宇麻志麻智命」糟屋郡 古賀町 大字筵内 1575
筑前鞍手 剣神社「倉師大明神」(直方市下新入字亀岡)倉師は高倉下のくらじ 白108 白鳥上140
筑前鞍手 古物神社「布留御魂神社、剣神社」八幡宮 鞍手郡 鞍手町 大字古門 1237 白鳥上138
筑前鞍手 熱田神社(元剣神社)「天照大神ほか」鞍手郡 鞍手町 大字 新北 1565 白鳥上138
筑前鞍手 八剣神社「日本武尊」鞍手郡 鞍手町 大字中山 1558(字尾山)白鳥上138
筑前鞍手 八剣神社「日本武尊」鞍手郡 鞍手町 大字小牧 1324 白鳥上138
筑前鞍手 八剣神社(鞍手郡 鞍手町 大字木月)白鳥上138
筑前鞍手 鞍橋神社(鞍手町長谷)白鳥上144
筑前鞍手 天照御魂神社「天照国照彦火明櫛玉饒速日尊」鞍手郡 宮田町 大字磯光 267 笠置山に饒速日命の降臨伝説
筑前鞍手 天照御魂神社上宮 笠城神社「饒速日命」鞍手郡 宮田町 大字宮田 1903
筑前鞍手 笠城権現神社「饒速日命」鞍手郡 宮田町 大字宮田 1853
筑前鞍手 天照御魂神社中宮 穂掛神社「饒速日命」鞍手郡 宮田町 大字宮田 2016
筑前遠賀 高倉神社「大倉主神、莵夫羅姫命」遠賀郡 岡垣町 大字高倉 1113 大倉主神は高倉下のこと 白115
筑前遠賀 岡湊神社(高倉神社の下宮)「大倉主命」遠賀郡 芦屋町 船頭町 12-48 白鳥上148
筑前遠賀 八剣神社(遠賀町今古賀)白鳥上148
筑前遠賀 埴生神社「布津御魂神合祀」中間市 大字垣生 字八広 426
筑前遠賀 十五社神社「布留大神」中間市 大字下大隈 字村前 1175
筑前夜須 白木神社「天照國照彦」甘木市 上秋月 2408
筑前嘉穂 馬見神社(嘉穂町大隈)白鳥上151 嘉穂町大字馬見1594?
筑後御井 赤星神社「天津赤星=筑紫弦田物部の祖」久留米市 高良内町 759(坂口)、妙見社 白210 白鳥上150
筑後御井 高良大社「高良玉垂命、物部胆咋連?」久留米市 御井町 1 白鳥上107 高良玉垂命は饒速日命との説によりここに入れた。しかしこの地域の高良神社の祭神は武内宿彌が多い。
筑後三瀦 石上神社「十種神寶」大川市 大字下牟田口 1
筑後三瀦 高良玉垂神社「高良玉垂命」三潴郡 三潴町 大字田川 417
筑後三瀦 高良玉垂命神社「高良大神」三潴郡 城島町 大字楢津 943
筑後三瀦 高良玉垂神社「高良玉垂命」三潴郡 三潴町 大字田川 417
筑後三瀦 高良玉垂命神社「高良玉垂命」大川市 大字郷原 158-1
筑後三瀦 伊勢天照御祖神社「天火明命」久留米市 大石町 132 (速水)神々210 白鳥上150
筑後御原 媛社神社「媛社神=饒速日命、織女神」(磐船神社、棚機神社)小郡市 大崎 1 白鳥上104
筑後御原 福童神社「天照国照彦火明命」福岡県 小郡市 福童 846
筑後御原 福童神社「天照国照彦火明命」福岡県 小郡市 大崎字東 白213
豊前京都 大原八幡神社「大原足尼命、饒速日命、誉田別命」京都郡 苅田町 大字新津 字恩塚 1427
豊前京都 白庭神社「天照國照彦天火明櫛玉饒速日命」 京都郡 苅田町 大字与原 字御所山 868
豊前京都 若宮八幡神社 京都郡 勝山町 大字宮原 字上原 285
豊前京都 大原八幡神社 京都郡 勝山町 大字大久保 字宮畑 3015
豊前京都 八雷神社 行橋市 大字長木 字宮ノエン 758
豊前京都 大原八幡神社「饒速日命」 京都郡 苅田町 大字新津 字恩塚 1427
豊前田川 英彦山神宮「天火明命」 田川郡 添田町 大字英彦山 1
豊前田川 高住神社 「天火明命」 田川郡 添田町 大字英彦山 27
豊前田川 八幡神社 田川郡 大任町 大字今任原 3124
◇佐賀
肥前三根 物部神社「經津主神」三養基郡北茂安町大字中津隈2725の5 白鳥107,CD
肥前佐嘉 本庄神社「香語山命」佐賀市本庄町大字本庄1156
肥前佐嘉 養父神社「香具山命」佐賀市兵庫町大字渕3019
肥前基肄 姫古曽神社「市杵嶋姫命、八幡大神、住吉大神、武内大神」鳥栖市姫方町189 白鳥上104 物部珂是古が祀る。
◇長崎(対島、壱岐)
対馬上県 天諸羽神社「宇麻志麻治命」上県郡上県町大字佐護北里93番地1
対馬上県 鹿見本神社「宇麻志麻治命」上県郡上県町大字鹿見字奥ノ採126番地
対馬上県 能理刀神社「宇麻志麻治命 ほか」 上県郡上対馬町大字西泊字横道218番地
対馬上県 内園神社「宇麻志麻治命 ほか」 上県郡上対馬町大字玖須字在所陽553番地
対馬下県 能理刀神社「宇麻志麻治命 ほか」 下県郡美津島町大字船越字古里176番地2
対馬下県 能理刀神社「宇麻志麻治命 ほか」 下県郡豊玉町大字横浦字元横浦239番地
壱岐石田 物部布都神社 壱岐郡郷ノ浦町(旧渡良村) 白鳥上107
壱岐壱岐 左肆布津神社「武甕槌命、經津主命ほか」壱岐郡芦辺町箱崎大左右触1146番地
肥前彼杵 長崎大神宮神社「配 饒速日命 ほか」長崎市栄町6番地12号
肥前高来 川上神社「合 天香久山命 ほか」北高来郡高来町宇良汲水名388
◇熊本
肥後山本 古閑神社「布都御魂神」鹿本郡植木町鞍掛784
肥後山本 滴水神社「布都之御魂神」鹿本郡植木町滴水1971
◇大分
豊後直入 籾山八幡社「直入物部神 配 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、饒速日命」直入郡直入町大字長湯6731番地
豊後速見 天満社「菅原道真公、可美真手命」速見郡山香町 3社あるが不明
豊後大野 石神社「布都御魂命」 大分郡野津原町今市字摺3293
◇宮崎
日向   二子山速日峯 白鳥上237
日向   山村神社 臼杵郡高千穂七ツ村 白鳥上237
日向臼杵 早日渡神社「饒速日命 ほか」 東臼杵郡北方町巳259
日向臼杵 諸塚神社「天之御中主命 合 天饒速日命 ほか」東臼杵郡諸塚村大字七ツ山7190
日向臼杵 南川神社「天香山命 ほか」東臼杵郡諸塚村大字家代5691
日向那珂 南神社「天香語山命 ほか」串間市大字奈留7588
日向児湯 細神社「饒速日命 ほか」 児湯郡川南町大字川南5608
◇鹿児島
薩摩日置 伊多神社「饒速日命、天香山命」串木野市上名4558
薩摩日置 藤之尾神社「宇麻志麻知命 ほか」日置郡東市来町長里2730
倉下命」南牟婁郡紀宝町大里1672
紀伊牟婁 烏止野神社「饒速日命」南牟婁郡鵜殿村打野

神奈備
http://www.kamnavi.net/mn/monohst.htm
http://www.kamnavi.net/mn/monomap.htm
http://www.kamnavi.net/mn/monomap-higasi.htm
http://www.kamnavi.net/mn/monomap-nisi.htm
















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神奈備: 兵主神と邪馬台国

神奈備: 兵主神と邪馬台国
兵主神と邪馬台国
銅鐸の時代から銅鏡の時代へ,倭国大乱の後,邪馬台国が倭国を代表する時代が到来した。
地霊信仰から天神信仰への変化でもあった。大国主の時代から天日槍の時代への変遷であった。
播磨国風土記,記紀が伝える葦原志挙乎命・伊和大神と天日槍との戦いは,魏志倭人伝に伝えられる倭国大乱を思わせる。
石窟に隠れた天照大神を誘い出すべく作った「日矛」は紀の国の日前国縣神宮に祀られていると言う。近くの太田黒田遺跡は銅鐸から銅鏡への祭祀の変遷を語る。また日前国縣神宮の地にはかっては素盞嗚尊の御子神を祀る伊太祁曽神社が鎮座しており,社地交代があったと言う。国譲りである。
大倭本紀には,天皇始めて天降り来ましし時,ともに斎鏡三面・子鈴一合を副え護らしめたもう。鏡の一つは伊勢神宮に,一つは紀の国の国懸神宮に,残る一つの鏡と子鈴は穴師社におさめたたとある。穴師社とは大和国城上郡に鎮座する穴師坐兵主神社である。ここは纏向遺跡を見おろす位置である。
穴師坐兵主神社の神体は日矛とされる。天日槍である。兵主神とは日本では日矛が神体であり,人格神としては天日槍命である。この神社は,国津神の頂点である三輪山の大神神社と,物部氏の斎祀る石上神宮の中央に鎮座する。往年の大和の支配者の斎祀る神であった。
邪馬台国の一大率の駐在地であった伊都国の県主に末裔に五十跡がおり,天日槍の末裔と名乗っている。ここには天日槍の妻を祀る高祖神社が鎮座している。
■式内の兵主神社,穴師神社一覧
大和城上 穴師坐兵主神社(名神大)「兵主神」上社奈良県桜井市穴師町1065
大和城上穴師大兵主神社「大兵主神」下社奈良県桜井市穴師町1065
和泉和泉 兵主神社「八千鉾大神」大阪府岸和田市西之内町蛇淵1
和泉和泉 泉穴師神社「摂社の兵主神社が本来,現在は天忍穗耳尊,梯幡千千姫命」大阪府泉大津市豊中町700
伊賀阿拝穴石神社「出雲建子命またの名を伊勢津彦,櫛玉命」三重県阿山郡阿山町石川2291
伊勢多気穴師神社「建速須佐之男命配穴織神,天忍穗耳命,大山祇命」三重県松阪市立田町550
参河賀茂兵主神社「大物主命,三穗津姫命」愛知県豊田市荒井町松嶋299-1
若狭遠敷阿奈志神社「大己貴命」福井県小浜市奈胡字宮の脇62-27
近江野洲 兵主神社(名神大)「八千矛神配手名椎神,足名椎神」滋賀県野洲郡中主町五条566
近江伊香兵主神社「大國主命」滋賀県東浅井郡湖北町高田203
丹波氷上兵主神社「大己貴大神,少名彦大神,天香山神」兵庫県氷上郡春日町黒井2967
但馬朝来兵主神社「大己貴命」兵庫県朝来郡山東町大字柿坪字棚田972
但馬養父兵主神社「大己貴命」兵庫県城崎郡日高町浅倉202
但馬更杵村大兵主神社「祭神不詳」兵庫県朝来郡和田山町寺内字宮谷
但馬十六柱神社「伝更杵村大兵主神社合祀」兵庫県朝来郡和田山町林垣
但馬出石大生部兵主神社「武速素盞嗚命」兵庫県出石郡但東町薬王寺848
但馬出石大生部兵主神社「大己貴命」兵庫県豊岡市奥野字宮1
但馬出石穴見郷戸主大生兵主神社「?」兵庫県豊岡市三宅47
但馬気多久刀寸兵主神社「素盞嗚尊,大己貴命」兵庫県城崎郡日高町久斗字クルビ491
但馬城崎兵主神社「速須佐男神」兵庫県豊岡市山本字鶴ケ城100-1
但馬城崎兵主神社「速須佐之男命」兵庫県豊岡市赤石字下谷1861
因幡巨濃佐彌乃兵主神社「天照大神」鳥取県岩美郡岩美町大字河崎字佐弥屋敷211
因幡巨濃許野乃兵主神社「大國主神,素盞嗚尊」鳥取県岩美郡岩美町大字浦富686
播磨飾磨 射楯兵主神社「射楯大神,兵主大神」兵庫県姫路市総社本町190
播磨多可兵主神社「大己貴命,八千戈命,葦原醜男,大物主命,清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠命」兵庫県多可郡黒田庄町岡372-2
壹岐嶋兵主神社「素盞嗚命,大己貴命,事代主命」長崎県壱岐郡芦辺町深江東1616
日矛神を祀る式内社
近江伊香鉛練比古神社「大山咋大神,天日桙命」山王宮は中世の勧請。滋賀県伊香郡余呉町中之郷108
■兵主神社一覧平成祭礼CDから
青森県むつ市大湊上町337兵主神社「伊弉諾命」
千葉県東葛飾郡沼南町手賀1418兵主八幡両神社「經津主命,譽田別命」
福井県丹生郡清水町山内兵主神
滋賀県野洲郡中主町下提下提神社
京都市伏見区中島鳥羽離宮町城南宮摂社兵主神社「大國主命」
奈良市春日野町春日大社摂社若宮社末社兵主社
兵庫県姫路市辻井4-4-3 行矢射楯兵主神社「射楯大神,兵主大神」
兵庫県姫路市飾磨区阿成早川神社「兵主神」
兵庫県飾磨郡夢前町山之内戊549兵主神社「大國主命」
兵庫県多可郡黒田庄町岡字二ノ門兵主神社「大穴貴命」
兵庫県城崎郡竹野町芦谷小字芦谷155兵主神社「須佐之男命,建御雷神,伊波比主命」
兵庫県城崎郡香住町隼人字宮前195-1兵主神社「須佐之男命,建御雷命,經津主命」
兵庫県城崎郡香住町九斗字九斗152-2兵主神社「須佐之男命,建御雷命,經津主命」
兵庫県美方郡浜坂町田井字村中448兵主神社「?」
兵庫県美方郡浜坂町指杭字御城338兵主神社「?」
兵庫県美方郡温泉町上岡八幡神社摂社兵主神社「大己貴尊」
兵庫県美方郡浜坂町久谷字宮谷八幡神社摂社兵主神社「須佐ノ男命」
兵庫県佐用郡佐用町奧海奧海神社摂社兵主神社「大名持命」
兵庫県穴栗郡安富町三森平谷安志姫神社「安志姫命」
島根県簸川郡斐川町大字学頭2830兵主神社「大國玉命」
岡山県岡山市阿津2783兵主神社「素盞嗚命」
鹿児島県姶良郡姶良町脇元1818兵主神社「素戔嗚尊」
兵庫県佐用郡佐用町奥海1281奥海神社の兵主神社「大名持命」
奈良市春日野町160春日大社の兵主神社「大己貴命,奇稻田姫命」
香川県大川郡大川町富田中114富田神社の兵主神社「大己貴命」
福岡県筑後市大字津島1117村上社の兵主神社「毘沙門天」
福岡県大川市大字北古賀字神前28天満宮の兵主社「大己貴命」
■天日槍,赤留比売の伝承
播磨国風土記から
韓国から来た天日槍命が宇頭の川底に来て,国の主の葦原志挙乎命に土地を求めたが,海上しか許されなかった。天日槍命は剣でこれをかき回して宿った。 葦原志挙乎命は盛んな活力におそれ,国の守りを固めるべく粒丘に上がった。
播磨揖保 粒坐天照神社「天照國照彦火明命」兵庫県龍野市竜野町日山463
播磨揖保 中臣印達神社「五十猛神」兵庫県竜野市揖保町中臣字宮ノ下1360
播磨飾東白國曽社「神吾田津比賣」兵庫県姫路市白国5-15-1新羅系神社中公文庫朝鮮と古代日本文化
葦原志挙乎命と天日槍命が奪いあったので,奪谷と云う。
穴禾郡比治里奪谷
葦原志挙乎命と天日槍命が国を奪い合った時,馬がいなないたので,伊奈加川と云う。
穴禾郡柏野里伊奈加川
伊和大神と天日槍命が国を争い,天日槍命が先に占拠した。「度[はか]らずに先に・・」と云ったので波加村と云う。
穴禾郡雲箇里波加村
播磨穴粟伊和坐大名持御魂神社「大己貴神」兵庫県宍粟郡一宮町須行名407
葦原志挙乎命と天日槍命が志爾蒿[しにだけ]に到り,各々が三条の黒葛を足に着けて投げた。その時葦原志挙乎命の黒葛は一条は但馬の気多郡,一条は夜夫郡,もう一条はこの村[御方里]に落ちたので三条と云う。天日槍命の黒葛は全て但馬の国に落ちた。それで但馬の伊都志[出石]の地を占領した。
穴禾郡雲御方里
播磨宍粟御形神社「葦原志挙乎命」兵庫県宍粟郡一宮町森添280
但馬出石出石神社伊豆志坐神社「出石八前大神,天日槍命」兵庫県出石郡出石町宮内字芝池
神前郡多駝里粳岡は伊和大神と天日槍命の二柱の神が各々軍を組織して,たがいに戦った。その時大神の軍は集まって稲をついた。その粳が集まって丘とな った。
神前郡多駝里粳岡
伊和の大神が安師比売と結婚しようとしたが,断固固持したので,大神が怒って川をせき止めてしまった。
穴禾郡安師里
安志姫神社「安志姫命」兵庫県宍粟郡安富町三森平谷13
■古事記応神天皇段
新羅国の阿具奴摩[あぐぬま]沼のほとりで女が昼寝をしていた。そこに虹のように輝いた日光がホトを射した。女は妊娠して赤玉を産んだ。様子を窺っていた男がその赤玉をもらい受け,腰につけていた。 男は谷間の田の小作人の食べ物を牛の背に積んで谷間に入るときに天之日矛命(以下天日槍命)に出会った。「 お前は牛を殺して食べてしまうであろう」と言って獄舎に入れようとしたので,男は赤玉を天日槍命に差し出し,許された。
天日槍命は赤玉を持ち帰り,置いておくと,うるわしい乙女になった。そして結婚して妻とした。色々な珍味をそろえ夫に食べさせた。ところが天日槍は心が奢り妻を罵るようになった。妻は「そもそも,私はあなたの妻となるような女ではありません。私の祖先の国に行きます。」と言って,ひそかに小舟にのって逃げ渡り,難波に留まった。
これが難波比売碁曾社に坐す阿加流比売神と言う。
筑前怡土高祖神社「天日槍の妻今は天津日高彦火火出見尊ほか」福岡県糸島郡前原町大字高祖1240
筑後御原媛社神社「媛社神」饒速日命と見る見方も有力福岡県小郡市大崎1
豊前田川香春神社「辛國息長大姫大目命,忍骨命,豐比賣命」福岡県田川郡香原町大字香春733
豊後国東比賣語曽社「比賣語曽大神」大分県東国東郡姫島村5118番地
豊後国東三宮八幡社「市杵嶋姫命,稻積大明神,比賣語曽神ほか」大分県豊後高田市大字上野1292番地
豊後速見稲荷神社「姫古曽神ほか」大分県速見郡日出町大字大神
安芸安芸亀山神社「帶中津日子命,息長帶日賣命,品陀和氣命なるも本来は比賣語曽大神」広島県呉市清水丁目9-36宇佐神宮鎮座の小倉山は亀山とも言う。宇佐嶋の比売神を勧請したと伝わる。さすれば,厳島神社は?宗像神社は?
備中下道姫社神社「比賣許曾神」岡山県総社市福谷1423祭神ひめこその神は鉄造りの神として浮上。ひめこそ神社は九州に二社,中国地方に一社,大阪に一社ありてアイアンロードとして取り上げられ古代吉備の国の製鉄の発祥と考えられる。ひめこその神は天文年間の古文書に現存す。
摂津西成姫嶋神社「阿迦留姫命,住吉大神」大阪市西淀川区姫島4-14-2
摂津東成比売許曽神社「下照比賣命」大阪市東成区東小橋3-8-14
摂津東成赤留比売命社 「赤留比売命」大阪市中央区高津1-1-29高津宮摂社
摂津住吉 赤留比売命神社 「赤留比売命」大阪市平野区平野東2-10杭全神社摂社
摂津住吉 楯原神社 「赤留比売命」大阪市平野区喜連6丁目
天日槍命は,その後を追って難波に渡来しようとしたが,渡しの神が遮ったため,引き返して但馬国に留まった。
摂津住吉 住吉大社 「底筒男命,中筒男命,表筒男命,息長足姫命」大阪市住吉区住吉2-9-89
天日槍命が将来した宝は珠二貫(玉津宝),浪振る比礼,浪切る比礼,風振る比礼,風切る比礼,奥津鏡,辺津鏡,の八種である。これは伊豆志の八前の神である。
但馬出石出石神社伊豆志坐神社
・日本書紀崇神天皇の条
都怒我阿羅斯等のエピソード。童女は白石から生じる。難波または豊国の国前郡の比売語曾社の神となる。
筑前志摩糸島郡前原町大字前原老松神社摂社現人神社「大己貴神」
豊後国東比賣語曽社
福岡県田川郡香春町大字香春現人神社「角鹿現人」
越前敦賀氣比神宮「伊奢沙別命」敦賀市曙町11-68
越前敦賀氣比神宮摂社角鹿神社「都怒我阿羅斯等命,松尾大神」
石見那賀島根県江津市松川町太田199大飯彦命神社「大背飯三熊大人 」*6
日本書紀垂仁天皇二年
御間城天皇の時代,額に角のある人が越国たけke飯浦に泊まる。地名を角鹿と言う。意富加羅国の王子,名は都怒我阿羅斯等,于斯岐阿利叱智干岐と言う。
ke 竹冠に司
・日本書紀垂仁天皇三年の条
はじめ天日槍命,播磨国穴栗村にいたが,天皇が大友主と長尾市を但馬に派遣した。天日槍命は「私は新羅の主の王子である。」と名乗った。天日槍は葉細の珠,足高の珠,鵜鹿鹿の赤石の珠,出石の刀子,出石の槍,日鏡,熊の神籬,胆狭浅の太刀の八物である。天皇は「播磨国穴栗村か淡路島の出浅邑に気の向くままにおっても良い」とされた。諸国を気ままにと願い,天皇はこれを許した。 天日槍は宇治川を遡り,近江国の吾名邑,若狭国を経て但馬国に住処を定めた。
近江栗太安羅神社「天日槍命」滋賀県草津市穴村町
近江蒲生鏡神社「天日槍命」滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289
近江蒲生苗村神社「那牟羅彦神,那牟羅姫神,國狹槌尊」滋賀県蒲生郡竜王町綾戸467
越前敦賀氣比神宮「伊奢沙別命」敦賀市曙町11-68
若狭大飯静志神社「天日槍命今は少彦名命」福井県大飯郡大飯町父 子46静志1
若狭三方須可麻神社「須可麻大神すなわち菅竈由良度美」福井県三方 郡美浜町菅浜98-3
若狭遠敷阿奈志神社「大己貴命」福井県小浜市奈胡字宮の脇62-27
出石神社伊豆志坐神社「出石八前大神,天日槍命」兵庫県出石郡出石町宮内字芝池
但馬城崎気比神社「五十狹沙別命」兵庫県豊岡市気比字宮代286
但馬美含伊伎佐神社「伊弉諾尊」兵庫県城崎郡香住町余部字宮内2746-2
大和国都祁村の南に桜井市の白木と言う地域がある。ここは新羅の王子天日矛が新羅城を築いたと言う伝承が残っている。
以下のような世系をなした。
天日槍と前津耳の女麻多烏の子但馬諸助−但馬日楢杵−清彦 −田島間守
但馬養父佐伎都比古阿流知命神社「佐伎都比古阿流知命」兵庫県朝来郡和田山町寺内435
但馬出石御出石神社「日矛神」兵庫県出石郡出石町桐野986
但馬出石諸杉神社「多遲摩母呂須玖神」兵庫県出石郡出石町内町28
但馬出石日出神社「多遲摩比泥神」兵庫県出石郡丹東町畑山329
但馬出石日出神社「多遲麻日多訶神,由良止美神」兵庫県出石郡丹東町南尾189
但馬出石須義神社「由良度美神」兵庫県出石郡出石町大字荒木字竹ヶ原273-1
但馬出石中嶋神社「田道間守命配天湯河棚神」兵庫県豊岡市三宅1
・日本書紀垂仁天皇八十八年の条
天日槍命が将来した宝ものは,羽太の玉一個,足高の玉一個,鵜鹿鹿の赤石の玉一個,出石の小刀一口,出石の鉾一枝,日鏡一面,熊の神籬一具の七物。これを但馬国に収めて神の物とした。
垂仁天皇は天日槍の曾孫の清彦に献上させたが,出石の小刀一口はなくなって淡路島へ行った。祠を建てて祀っている。
淡路津名洲本市由良生石崎出石神社「天日槍命」生石神社とも言う。
・日本書紀垂仁天皇九十年の条
天皇は田島間守に命じて,常世国から「非時の香果」を求めた。橘である。
但馬出石中嶋神社「田道間守命」
・日本書紀応神天皇十四年の条
百済王が縫衣工女を奉った。真毛津と言う。来目縫衣の先祖である。
弓月君が百済から来て,120県の人民を率いてやって来たが,新羅に邪魔をされて加羅国に留まっていると言った。
・日本書紀応神天皇三十七年の条
阿知使主・都加使主を呉に派遣,呉の王は縫女の兄媛,弟媛,呉織,穴織の四人を阿知使主・都加使主に与えた。
大和式下 糸井神社 奈良県磯城郡川西町結崎
大和式下 比売久波神社 奈良県磯城郡川西町大字唐院
参考文献
王権の海千田稔角川選書
鬼神への鎮魂歌千田稔学習研究社
古代の鉄と神々真弓忠常学生社
日本の神々谷川健一編白水社
近江兵主大社資料
天皇家と卑弥呼の系図(澤田洋太郎)六興出版

神奈備
http://www.kamnavi.net/ym/hiboko/index.htm
setoh@osaka.email.ne.jp

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2021年03月02日

坂口成事: 666の蕾と実

坂口成事: 666の蕾と実
飼い犬との散歩ですれ違い、ふと、後ろを振り返りますと、後ろ姿がそっくりな、飼い主さんと犬を見つけます。
夫婦でも、何十年と一緒に過ごしますと、似てくると申しますが、実は、人と人、人と犬だけでなく、植物にも、石にも、あなたがおられるのです。
八咫の鏡で、見るものが見られるものであるのが、666の蕾と実で、今、こうして、私と犬、私と石というように咲き離れている状態が、369(12の文字盤の下に咲く下生)という事です。
ですから、今の皆さんのお姿は、尊い弥勒の下生の姿という事になります。
咲き離れ散る事(生命の木の花咲耶、666→369→666)で、私が何であるかを知るのです。
それを夢で証しますと、夢見の中では、主人公の私と他人がいますが、夢から覚めてみますと、自他の差別など元々なく、全ては、私の想像の産物だったという事で、一人子の私こそ、全てを可能にする(掬い取る)もの(狗久理、菊理)だと知るのです。
写真は、全て、ー括り、日の丸を示します、大嘗祭の百子張の屋根材として使われるクバ(狗葉)です。
宮中の祭祀が、南国由来だという事がわかりますね。

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2020年10月26日

神谷伸: 神代文字の解析








神谷伸: 神代文字の解析
神代文字(神社のお札、奉納文、ペトログラフ等)を解読する際には通常は文字毎のコード表を使用します。
今回は参考までに手許にある阿比留草文字と阿比留文字のコード表をアップします。
【コード表の作成手順】
@神代文字のコード表が複数掲載されている本を入手する (参考:「神字日文解」吉田信啓)
A神代文字で書かれた文データをネット検索や関連図書でサーチする
Bコード表で見つけた文データの解読を試みる
C文字によっては筆跡の違いが大きいので、コード表に文字の複写を追加、修正して更新する
A〜Cを繰り返してコード表の精度を高める
FB各位が文データをお持ちならば、写真と解読した結果をシェアいただければ幸いに存じます。
大抵の場合、コード表を用いても1割〜2割は複数の文字候補があって悩みますので、他の人のアドバイスも得られるでしょう。

Facebook
https://www.facebook.com/groups/oomike/permalink/2804401809810538/

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2020年10月05日

Rokujizou: ウミガメの甲羅の文字

Rokujizou: ウミガメの甲羅の文字
「ウミガメと僧侶」 
「浦島太郎」伝説さながらの現代のおとぎ話が、実際にあった。
つい最近、小笠原諸島の浜辺に体重120kgのウミガメが辿り着いた。背中には、赤い文字で漢字が彫られていた。どうやら中国で書かれた漢字のようで、日本に留学中の中国人女性に問い合わせてもらったところ、興味深い事実が判明した。
なんと、ウミガメは遥か中国広東省からやってきたことがわかった。
今年一月、広東の中華レストランに商人が売ろうとしていたウミガメを見つけた僧侶は、カンパで集めたお金4500元(約72000円)でそのウミガメを買い取った。そして、一晩保護したうえ背中に日付、地名、寺院名を彫り込んで皆で海に放した。その時は、数百人の人だかりでお祭り騒ぎだったという。それが、3ヶ月かかって遥か3000kmも離れた日本の小笠原にやってきたことになる。翌日には、見守られるなか77個の卵を生んだらしい。
アオウミガメが、日本と中国本土沖を移動していることが今回初めて分かり、学術的にも大きな成果となったそうである。         
中国はウミガメの主要な消費国。食材や漢方薬の原料として利用されている。そして、それを助けた僧侶というのが82歳になる尼僧だという。中国には、『生き物を救って自然に帰すことは、徳を積む善行』という考え方があるそうです。
さて。。。
日本のおとぎ話では、亀を助けた「浦島太郎」は竜宮城に案内されこの世のものとは思えない酒池肉林の宴をもてなされた。もてなした乙姫様は、実は助けた亀だった。やがて、現実に戻ることになりパンドラの箱ならぬ、決して開けてはならないという玉手箱を渡される。絶対に開けてはならない箱をどうして渡したのか。決して、「開けてはならない!」「人に言っちゃダメ!」といわれて一生を過ごすのは、誰にとっても酷である。すっご〜く気になる。開けなかったら、死んでからも気になる。
現代では、心理学的に「人に言っちゃダメ!」というのは「みんなに言いふらして?」と解釈する。同じように、「開けないで?」といわれると・・・。「浦島太郎」が村に帰ると、そこは以前の面影もない。絶望のあまり、「浦島太郎」は「玉手箱」を開けた。途端に、白髪と白髭のおじいさんになった。竜宮城で乙姫様と暮らした酒池肉林の数日は、実はそれだけの年数が経っていたのだ。中国の昔話にも同じようなのがる。 
「爛柯」らんか 
そして時代は戻り、カメを助けた中国の僧侶(尼僧)。その僧侶に渡された「玉手箱」は何だったのだろう。中国新聞でその後騒がれ、寺も僧侶も有名になった。もちろん、信者や檀家も増えるだろう。もしかしたら「玉手箱」の中には、その「カメの恩返し」が入ってたのかも知れない。限りなく欲のない僧侶だから、「恩返し」だけしか入ってなかったのだろう。「パンドラの箱」には、「希望」と「絶望」が入っていた。
ダカラ、ドウシタ !?(笑)

Rokujizouの『宇宙に想いを馳せて』
http://rokujizou3.blog60.fc2.com/

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