2019年08月04日

高木善之霊視: 2021年の世界大戦〜臨死体験で見たビジョン,崩壊の11年サイクル

高木善之霊視: 2021年の世界大戦〜臨死体験で見たビジョン,崩壊の11年サイクル
2021年の世界大戦 高木善之氏の見たビジョン
予知・予言
2016.08.29
さて、この秋何かある。。多くの人がそう言う中。昨日ダーチャ参加者さんから以下の興味深い話を聞きました。
高木善之さんという方の話です。
高木善之さんと言う方はワタス全然知らなかったのですがこんな方のようです。
wiki 高木善之 より
大阪府立三国丘高等学校、大阪大学基礎工学部物性物理学コースを経て、松下電器(現パナソニック)に就職、半導体関係の技術者となる。その後、本社技術企画室副参事として28年間勤務。パナソニック合唱団の常任指揮者として活躍。元大阪府合唱連盟理事。
1991年、『地球村』を設立。1992年リオ地球サミット参加。1997年退社。2002年ヨハネスブルグ環境サミット参加。「美しい地球を子供たちに」と呼びかけ、地球環境や生き方について講演や著書を通して提言を続けている。
ネットワーク地球村という8千人のかなり大きなNPOをやってる方のようです。
高木善之さんを代表とする”ネットワーク「地球村」”の活動が感動的!
http://matome.naver.jp/odai/2140495950471271501
環境と平和のNPOネットワーク『地球村』は、1991年、高木善之によって設立された。主として地球環境、社会の問題について現状を知らせ、その問題の解決、改善について提唱活動をしている。国内では二酸化炭素の削減、省エネ、省資源、「脱原発」など。海外では飢餓貧困、森林破壊、大規模災害の救済、人道支援など。会員数は約8千人で、環境と平和のための国際NGO(国連ECOSOC特別協議資格NGO、国連DPI登録NGO)となっている。
で、何が興味深いかというと。
この高木さんは33歳の時に事故で死にかけて臨死体験をした。
それで、2021年の未来のビジョンを見たと著書に書いてるんですね。
この高木氏の見た未来。
1991年 ソ連崩壊
2001年 9.11テロ
2011年 3.11原発事故
2021年 世界崩壊
これは非常に興味深い。
確かに11年毎に世界的異変が起きている。
ネットに一部、載ってたので張っときます。
高木善之氏の臨死体験
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/NDE/takagi.html
オートバイ事故
ここに取り上げるのは、高木善之氏の臨死体験の場合である。松下電器産業の研究員であり、松下中央合唱団の常任指揮者でもあった彼は、1981年、33歳のときに交通事故に遭い、瀕死の重傷を負った。
その日、オートバイで国道一号線を走っていた高木氏は、突如として対向車線からUターンしようとして進入してきた自動車を目にする。とっさにブレーキをかけたが間に合うはずもなく、その車に激突。その時車は、時間感覚が変化したのか、急にスローモーションのようにゆっくりと接近したという。
「自分の身体が飛んでいく、オートバイが転がっていく‥‥。人々の叫び、救急車のサイレン‥‥。」 交差点はUターン禁止。運転手は19歳の少年で、事故の責任は全面的に相手にあった。
が、結果は惨憺たるものだった。首の骨の損傷。骨盤がばらばらに割れ、右足が付け根からはずれ、右足の骨動脈は4本とも切断されていたという。さらに手首の粉砕骨折、他に肩関節、膝関節など骨折多数‥‥。担当の救急医師が「死んでもなんの不思議もない」といったほどの重体で、意識不明が続いた。
その間に彼は臨死体験をした。
彼は、その内容を簡潔な表現で語っている。いくつかの著作から拾ってみよう。
事故の後、彼は自分が担架で病院の中に運ばれていくのを「天井の高さでテレビカメラのように」追ったという。そして、自分が手術されるのを、やはり天井から逐一見ていたという。
その後、ベッドに横たわる自分に妻が絶叫しているのを見て、「大丈夫、僕はここにいる、心配いらない‥‥」と呼びかけるが、もちろん伝わらない。 やがて彼の意識は愛媛県松山市の郊外、重信川という大きな川の河原に飛んだらしい。その河原は、彼の父親の仕事の関係で三歳から六歳の頃を過ごした土地のすぐ近くにあった。川面に石を投げたり、水遊びをしたりした美しい思い出の河原だった。しかしその緑濃い自然は大きく変わっていた。土手も河川敷もコンクリートで固められ見る影もない。自分が住んでいた一画のどこにも住居はなく一面の草地に変わり、父が勤めていた近くの病院や、彼が通った小学校はすっかり立派になっていた。
「地球は生きていたんだ・」
その後彼は、ひばりのように上へ上へと上昇し始めた。彼は子供の頃、ひばりは泣きながら天に舞い上がって死に、そして二度と帰ってこないのだと信じていた。そして今、自分がひばりになって空に舞い上がっていると思った時、自分の死を自覚し、強烈なショックが襲った。しかしやがて自分の死という事実を受け入れると、苦しみが去り、楽な気持ちになって、またなめらかに上昇を始めたという。彼はさらに高く上昇を続け、山々が小さくなり、やがて四国が視野に入って小さくなり、そして日本が小さくなり、ついに目の前に地球が現れる。その強烈な映像、その美しさ、大きさ、厳粛さ、偉大さに満ち足り、至福の感動を覚えたという。彼はその感動をつぎのように表現している。
今、目の前に巨大な地球。 本物の地球、三次元の地球、立体の地球が圧倒的な迫力で語りかけてくる。 それを見たとたん、激しい衝撃。“生きている・ 地球は生きていたんだ・ 魂が揺すぶられる‥‥‥
感動の涙がこみ上げる‥‥‥今、自分が変わりつつあることがはっきり分かる‥‥‥自分が地球と宇宙とつながっていくような感覚‥‥‥‥
・・
自分は死んだのだ。そしてあの世(光の世界)に来たのだ。 痛くもないし、苦しくもない。とても自由で幸せな感じ。  ここには何も無い。 お花畑も河原も、天国も地獄も無い。ここには物質的なものは何も無い。 宇宙のように何も無いのかと言えばそうではなく空間も無いのだ。ちょうど目をつむって何かを考えているような感じ。 意識やイメージはあるが物質的なものは何も無い。・・
地球の未来を見た
さて高木氏は、その時間の無い「光の世界」で過去現在未来のさまざまな映像を見たという。それらの映像は、きわめて簡潔な語句でしか語られていないが、そのいくつかを拾ってみる。
・・高木氏は、別の箇所で次のようにも言う。
私は光に包まれ、至福の長い時間をすごしたのです。そして意識が戻った時には、未来の記憶を持って帰ってきたのです。
たとえば、10年後(1991年=筆者注)にソ連が崩壊し、20年後(2001年)にアメリカ が崩壊し、40年後(2021年)に世界が崩壊することを知っていたのです。そし てその通り歴史は進んでいます、今も‥‥。
この高木氏の言う2021年の世界崩壊。
ワタスは以下を思い出しますた。
1923年関東大震災
1925年治安維持法
1940年東京オリンピック(中止)
1941年太平洋戦争
2011年東日本大震災
2013年秘密保護法案
2020年東京オリンピック
これはかなり前に1940年と2020年のオリンピックがシンクロしてると指摘されて流行ってました。
確かに見ると80年前の同じ歴史が繰り返されてるように見えますよね。
ってことは、現在2016年は80年前の1936年です。
1936年といえば2.26事件の年です。
で、来年2017年は1937年なので日中戦争の年です。
まさか来年中国と戦争になるのでしょうか。
近頃の尖閣諸島の様子を見ると普通にありそうですが。
で、その後、1941年、2021年に第三次世界大戦。
1945年敗戦、つまり2025年日本は焼け野原の敗戦をむかえる。
とかなんとか。
そういう未来が待ってるんでしょうか。
ワタスはアルザル人さんから何度も聞くのはこの世界は波でつくられてるという話です。
文明は800年周期隆盛と衰退を繰り返すなどと言われますが。
人の一生も波があるとは良く言います。
良いこともあれば悪いこともある。バイオリズムというか。
良く考えれば人の一生は70年〜80年です。
80年周期で、また過去と同じ過ちを繰り返す。
そういう何か不思議な宿命があるのかもしれません。
この秋から何かある。。と言う人は多いのですが、その先の2021年の世界大戦。
それはあり得るかもと思いますた。
ちなみに、金融崩壊でいうと日本のハイパーインフレの歴史は1945年あたりからが酷くなってるんですね。
つまり戦後、5年ぐらい酷いインフレ状態になってます。それで、その後デノミをして徐々に収まるんですね。
ということは今でいうと2025年〜30年あたりでハイパーインフレになるんでしょうか。
ちょっと興味深い未来のビジョンを載せときました。
本当にありがとうございますた。

黄金の金玉を知らないか?
https://golden-tamatama.com/blog-entry-2511.html


posted by datasea at 14:00| Comment(0) | + 墓地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月06日

木内鶴彦霊視: 月の誕生,ノアの大洪水 (>>祇園祭)

木内鶴彦霊視: 月の誕生,ノアの大洪水 (>>祇園祭)
超古代の宇宙を飛ぶ
時空を自由自在に生まれるのならば,古代の宇宙を確かめたいという衝動に駆られました。
三途の川や故人との出会いは私の中では第一臨死体験として,未来や古代宇宙等の体験は第二次臨死体験として私の中では記憶しています。
■臨死体験で見た古代地球の歴史
私が第二臨死体験で見てきた地球の歴史は,現在の常識では考えられないものでした。
月が誕生する前,地上では高度な文明社会が築かれていました。
その世界は今の歴史学の常識からすれば,信じられないような姿だと思います。
この古代都市は当初地球の地下に作られました。
人間が自分たちの生活空間を地下に求めた理由は実にシンプルなものでした。
地上に街を作ると自然を破壊しなければならないからです。
当時の文明は,地球の生態系の主役は植物だと言う認識に立脚していたんです。
都市と同じ理由から道路や線路も作られませんでした。
道を作らなくてもいいように,彼らは空を移動する乗物を開発しました。
それは今で言えば飛行機というよりもUFOに近いものでした。
緑に覆われた大地,そこには数々の動物が循環を繰り返していました。地下に住む人間も巨大な恐竜も共存して生きていました。
そうです,月が誕生するまで前まで人間と距離は1つの生態系の中で生きていたのです。
人間は文明の進化とともにその生息圏を拡げていきました。
それは草しか生えないような山岳地帯に植物を育てたり,砂漠地帯を緑に変えるための移住です。
当時の科学力はある意味では現在よりも進んでいたのかもしれませんが,価値観が今とは異なるので,比べるのが難しいところもあります。
でも天文に関しては今と同程度位まで発展していました。
だからこそ,臨死体験から戻ったときに月の年代を割り出すための正確なデータが得られたんです。
残念なことにこの超古代文明は月が地球にもたらした大洪水によって失われました。
■月の誕生
第二臨死体験の中で,私の意識は,その当時の天体観測をしていた人の体に入り込むことによって当時の星空の詳細を観察しました。
そして臨死体験から生還。3ヶ月近い入院生活を終えた私は,しばらく実家に戻って休養しました。退院したとはいえ,職場に復帰できるほどに体力はまだまだなかったからです。
臨死体験で見てきた親戚や友人の様子など,様々なものを後からアルバムで確かめました。
その結果はどれも私の見てきたものを事実だと思わせるものばかりでした。臨死体験で見てきたものが事実であるならば,そこで見た地球の歴史もまた正しいはずです。
そこで私は確かめられそうなものから色々と検証してみることにしました。
最初に確かめたのは月でした。
月は私たちにとって大変身近な存在ですが,まだわかっていないことも多い天体です。いつどのようにして誕生したのかといったについても,まだ定説はありません。
地球の一部がちぎれてできたと言う説もあれば,太陽系を漂っていた小惑星が地球の引力に取り込まれたと言う説もあります。
地球から見た月はいつも同じ顔をしています。そのために地球から見える側が表,見えない側が裏といわれています。
これは月の一公転に対して一回の自転しかしていないからです。
そして月の一定面を常に地球に向けているのは,表側の方が裏側よりも質量が重いからです。
私は月のクレーターの数から月が地球の衛星となってからの年数を割り出すことを考えました。
星の歳差運動は一定の周期に基づいているので,計算すれば何年の北極星がどの星かということがわかります。それと星の固有の運動から割り出した数字を合わせれば,かなり正確な年代が確定できるというわけです。
そうして私が導き出した,月が誕生した年代は,約15,000年前というものでした。
巨大彗星が地球に接近して地球環境を大きく変化させたのは意外にもそれほど古い時代のことではありませんでした。すでに人類が誕生して,文化的な生活を営んでいたんです。
月がもともと巨大な彗星であったならば,月のクレーターは水分が蒸発して地球に吸い取られた後にできたと考えることができます。クレーターというのは隕石の地表にぶつかったときの衝撃でできる凹みのようなものだからです。
月には暗い部分と明るい部分があって,暗い部分は「海」,明るい部分は「陸」と呼んでいます。
私の幼い頃にウサギだと信じていたのは,この海と呼ばれる体の部分でした。
なぜ「海」が暗く見えるのかというと,ここは「陸」と呼ばれる部分よりも少し低くて,光の反射率が悪いからです。「海」はクレーターの数が少なくて,比較的楽に観察することができます。
そこで一定期間この海の部分にできる新しいクレーターの数を観察して,平均値を出します。
そして現在あるクレーターの総数をその平均値で割れば,月の誕生したおおよその年代を特定することができます。
こうしたクレーターの観察結果をもとに月の年代を測定したところ,やはりここでも約15,000年前と言う,私の臨死体験から導き出した答えと一致する数字が出たのです。
15000年前,地球は今とだいぶ違う状態にありました。
現在の地球の陸と海の割合は約1:2ですが,当時は海は地表の3分の1しかありませんでした。そして月が存在していなかったのです。
今よりも水が極端に少なかった地球は,質量が少ないために重力も少なかったようです。
地球が緑におおわれるのに伴い,様々な動物も海から陸に上陸して, 水圧から解放された動物は重力の弱い陸上で巨大化していきました。
現在恐竜の化石を復元すると,体の割に足が小さいためにうまく歩くことができなかったのではないかという説を唱える人がいますが,私の臨死体験で見た光景はこの疑問を解決してくれます。
私は臨死体験の中で,約15,000年前に大量の水分を含んだ巨大彗星が地球に大接近したのを見ました。
巨大彗星は火星の付近まで到達したときに,水分が蒸発して太陽よりも巨大なガス状の天体に変化しました。
そのガスは地球にまで達しました。
そしてガスの部分は地球の引力に引き寄せられて行きました。ガスは地表に近づくに従って冷えて,雨になって地上に降り注ぎます。こうして大地の3分の1が海底に沈むほどの大雨が地球に注いだんです。
その頃すでに文明を持っていた人類は天文についての知識もあったので,巨大彗星接近による被害を予想していました。少しでもその被害から生まれるために人々は高い山の頂上などに避難していましたが,それでも大多数の命が失われてしまいました。恐竜が絶滅したのもこの天変地異によってです。
その洪水から生き延びたのは,高い山の山頂に避難できたごくわずかの人でした。
巨大彗星が持っていた水が地球に降り注いだことによって地球上の水分量は
旧約聖書のノアの方舟の物語を始め,世界各地には洪水の伝説が広く残っています。
7日7晩降り続いた大雨によって高い山までが水の下に沈んだという伝承の全てが想像の産物であるとは私には思えません。
これらの伝説は月が誕生したときに地球におきた異変を伝えるものなのかもしれません。
私は臨死体験での自分の記憶を頼りに地球上の陸地と海の割合の変化から,増えたと考えられる水分の量を計算して,それを現在の月と合わせてみたんです。するとそれは見事にバランスが取れたんです。
ー生き方は星空が教えてくれる,木内鶴彦,サンマーク文庫, 2015年8月刊,

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臨死体験
22歳当時,事件は突然起こりました。
当時私は茨城の百里基地で飛行管理という仕事についていました。
この仕事はただでさえハードなのですが,ちょうどその頃はミグ25と言う当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったために連日普段以上の仕事量とプレッシャーを強いられていたのです。
そんなハードな業務にいた1976年3月,私は倒れ,搬送され臨死体験をする事になります。
。。。
朦朧とした意識の中でただ聴覚だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。
そんな私に,廊下で両親に病状を説明している医師の声がまるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえてきました。
「残念ですがお宅の息子さんは持ってあと1週間でしょう。腸閉塞を起こしている事は確かですが,このようなケースはこれまでに症例もなく,検査も十分にできない状態なので,病名は分かりません。ただ言えるのは,今の状態で検査をすれば確実に済むと言う事だけです。」
。。。
私が一命を取り留めることができたのはレントゲン撮影のおかげでした。右側を下にして「く」の字に曲げた体勢なら背骨と動脈との間にわずかですが隙間ができて,十二指腸の完全閉塞を逃れることがわかったからでした。体を曲げた状態で思いをさせることができたのもこのためです。
ー生き方は星空が教えてくれる,木内鶴彦,サンマーク文庫, 2015年8月刊,

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木内鶴彦
チュニス・木内・中村彗星
土屋・木内彗星
メトカーフ・ブルーミントン彗星
スウィフト・タトル彗星(1992年再発見)
4つの彗星を発見した世界的に有名なコメットハンター(彗星捜索家)。
1976年,突然襲った病魔と臨死体験で宇宙の仕組みと地球がたどる未来を垣間見る。
ベストセラーの単行本「生き方は星空が教えてくれる」は2015年に文庫化。

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2004/08/07(土)
祇園祭の大いなる秘密
読書
『祇園祭の大いなる秘密−日本神仏祭祀の謎を読み解く』(久慈力、批評社、1,890)、読了。
前から読みたいと思っていたが、ブックオフでたまたま見つけて買った。
いわゆる日猶同祖論的な説で、祇園はシオンの転訛だという主張がある。
これだけだったらゴロ合わせで終わってしまっていて、まともな人ならば誰も見向きはしないだろうが、
この本では祇園祭とシオン祭を徹底的に比較・検証している。
シオン祭とは何か?
紀元前1000年頃、古代イスラエル統一王国のソロモン王の時代に神殿があった場所がシオンの丘と呼ばれた。
そのソロモンが王として即位したことを祝う祭が、シオンの祭だった。
京都の八坂神社の祭礼である祇園祭は、その古代イスラエルのシオンの祭を模倣したものだというのが著者の主張だ。
いわゆるイスラエルの失われた十部族が古代の日本を訪れていたという説があり、そのような主張をよく知らない人にとっては、
祇園祭=シオン祭
説は、「トンデモ」以外の何物でもないと考えても無理はないだろう。
だが、著者は祇園祭の神事の内容を詳細に調べ上げ、古代イスラエルの神事との類似点を、さまざまな視点からとらえている。
特に私が説得力があると感じた部分は以下のとおりだ。
1. 仮庵祭と祇園祭の神幸祭は七日間行われる。
2. どちらも七月中旬に行われる。
3. どちらも水と火と光の祭であり、神霊が降臨し、宮清めが行われる。
4. 仮庵や山鉾を花、木の枝、植物の房、幕などで飾り立てる。
5. どちらも水を汲み、水を注ぐ儀式が行われる。
6. 榊とヒソプ(ユダヤ教の清めの儀式で使用する植物)は同じ役割を果たす。
7. 祇園祭は、ノアの箱舟がアララテ山の山頂に達した日である7月17日にピークを迎える
以上は著者の主張するところのごく一部にすぎない。
これだけのことが一致するとなると、これは偶然とするのは
無理があるだろう。
この本では、重要な事実をあっさりと書きすぎている部分があるのと、後半ちょっと論旨が強引な部分があるのが残念だ。
だが、これまでの類似の本では書かれていなかったことが多く、それなりの価値がある本だろう。

●探求三昧 by N.Momose● 何でも探求するブログ
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20040807/1396008494





祇園祭とイスラエルの祭との類似
日本では毎年、7月17日に、「夏祭」と称する「祇園祭」、別名「天王祭」が全国一斉に行なわれます。
とくに総社である京都・祇園神社の祭は、大規模に7月17日から1週間にわたって行なわれます。
じつはこの7月17日という日は、イスラエルにおいても、非常に重要な日でした。かつてノアの箱舟がアララテ山に着いたのが、まさにこの日なのです。
「箱舟は第7の月の17日に、アララテの山の上にとどまった」 (創世8:4)
と聖書に記されています。
そのため古代ヘブル人は、この日に謝恩祭を行なっていたようです。
しかしモーセ以後は、ちょうどこの時期に収穫祭 (仮庵の祭ともいう)が行なわれるようになりました (第7の月の15日から1週間)。
京都で行なわれている祇園祭は、こうしたノアの箱舟の記憶や、イスラエルの収穫祭を思い起こさせるものがあります。
祇園祭では、「舟車」といって舟の形をした山車が、町内をめぐります。
また神輿には、鳩に似た小鳥の彫刻や、榊の小枝をくわえた鳥の模型がついています。
これらのことは、ノアの箱舟や、箱舟にオリーブの小枝をくわえて戻ってきた鳩の話を、思い起こさせるものであるわけです(創世8:11) 。
明治維新の頃、日本に来た商人で、N.マクレオドという人がいます。
彼も京都で祇園祭を見たとき、ひじょうに強い印象を受けました。
たとえば祇園祭の中で、人々は木の枝を持ち歩いていました。
古代イスラエルの収穫祭でも、人々はたくさんの木の枝を持ち、また農業の収穫物を持って行列に参加しました。
またマクレオドは、祇園祭で使われる香炉が、イスラエル神殿で用いられていた香炉に非常によく似ている、と観察しました。
さらに祇園祭の行列の中に、「7つの腕のある道具」を持ち歩いている人たちを見ました。
これはイスラエル神殿で用いられていた7つの腕を持つ燭台(メノラ)に非常によく似ている、と彼は考えたのです
また日本文化において12という数字が、いろいろな場面において用いられていることをも、発見しました。
天皇は12人のお妃を持ち、京都の御所には12の門がありました。
宮城には12の飾り付けがあり、神社の祭では12本の棒がゆわえつけられていました。
こうしたことは、イスラエルで神の民や神殿に関するものに12という数字がよく用いられていたことを、ただちに連想させるものでした。
祇園祭について、ユダヤ人ラビ・トケィヤー氏はこう言っています。
「いずれにせよ、ユダヤ人がこの祇園祭を見たときに感じることは、「ギオン」という名前はエルサレムの別名である「シオン」ではないか、ということである。 
・・・その祭自体が、古代イスラエルの歴史を、ドラマ化したものであるように感じるのである」。
このように、イスラエルの習慣に精通している人々にとって京都の祇園祭は、イスラエルの祭を連想させるものであるようです。
しかしこれはイスラエルの正統的な宗教行事の場合ですが、そうでない場合もあります。
たとえば、日本の神社の中には、牛を祭神としているところが多くあります。
さきに、神道は基本的には偶像崇拝ではないと述べましたが、一部には偶像崇拝も事実入っているわけです。
この風習は、古代イスラエル民族が行なった異教の偶像崇拝の名残りではないか、とマクレオドは考えました
聖書にも、古代イスラエル人は唯一の神を信じながらも、しばしば「子牛礼拝」などの偶像崇拝に陥ったことが記されています。
とくに失われた10部族は、そうした偶像崇拝に陥っていましたから、偶像崇拝が一緒に日本に持ち込まれたと、考えられるわけです。
また、「山伏」に関する様々のことが、古代イスラエルの習慣に非常に良く似ていると、指摘されています。
山伏――頭につけているのが兜巾。
たとえば山伏は、額に「兜巾」(ときん)と呼ばれる黒いものをつけます。
これは古代イスラエルの祭司が額につけた黒い聖なる箱「ヒラクティリー」にそっくりだ、と指摘されているのです。
今日もユダヤ教徒は、祈りのとき、ヒラクティリーを額につけます。こうした習慣は、ユダヤ教徒と日本の山伏にだけ見られるものです。
山伏が吹く「法螺貝」も、イスラエル人が祭のときに吹く「ショーファー」という笛に、よく似ていると言われています。 
イスラエル人のショーファーは、ふつう雄羊の角で作られますが、必ずしも雄羊の角である必要はありません。
実際には、手に入る材料で作ってかまわないのです。
日本は羊は少なく、海洋国家なので、法螺貝が用いられたのではないかと言われています。
両方とも同じような音をたてるのです。そのほかにも、山伏の習慣には古代イスラエルの習慣を思わせるものが多々あり、両者には、
「偶然とは言えないほどの一致点が存在している」
と、トケィヤー氏は述べています。

古代日本とユダヤ・キリスト教
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm













3800年くらい前(BC1800年ころ)、シナイ半島の遊牧民であったセム人、アブラハムの子孫が増えてユダヤ民族となった。
(当時のセム人はバスク人・パレスチナ人などに似た黒毛で、モンゴロイド要素の強い人種、地中海系人とは異なる)
3000年前(BC1000年ころ)、ダビデ王の下、ユダヤ民族国家イスラエルは黄金時代を迎えたが、
その後、南北に分裂し、北イスラエルが滅亡後、南ユダ国も2600年前(BC600年ころ)にバビロニアに征服され、人々は奴隷としてバビロンに連れ去られた。
これが「バビロン捕囚」である。
バビロン捕囚のときバビロンにあって石造建築を扱わされたことで石工組合のようなものが成立し、これがフリーメーソンの原形になったと思われる。
2500年前、バビロンを征服したペルシャ帝国によって、ユダヤはシオンの地に戻ることを許されイスラエルを再建する。
2000年前、ローマ帝国によって滅ぼされるまでの時代に、タルムードが発展し、明確なユダヤ教が成立した。
ユダヤ教の根幹教義は、旧約聖書モーゼ五書(トーラー)とタルムードである。
旧約聖書がいつの時代に編纂されたのか諸説あってはっきりしないが、ユダヤ教はこれをユダヤ人に教える教師をラビと呼び、
とりわけタルムードを元に生活規律を求める者を律法学者と呼んだ。
イエスが忌み嫌ったパリサイ人、律法学者は、バビロニア・タルムードの定めを人々に強要していた者たちのことである。
ユダヤ教徒という定義は、タルムード律法を守る者とされていた。

youtube.com
http://www.youtube.com/watch?v=zf9FdnlFKSY&hd=1 
http://www.youtube.com/watch?v=irKv6C_t1xA&playnext=1&list=PLADB418BA17E5C440&index=5

予知情報
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm






歴史情報 農業の起源
農業の起源
農業の起源は近代考古学においてもっとも難題とされてきた分野である。
紀元前9600年頃に起きた気候の大変化の直後、世界各地で突如として農業が始まったという事実を説明するため、これまでにたくさんの学説が浮かんでは消えてきた。
1886年、アルフォンス・デ・カンドル(1806〜1893)が植物学的見地からこの問題に取り組んだ。
「栽培植物の地理的起源を知るための最も直接的な方法は、その植物はどこの国で人の手を借りることなく自生しているかということを調べれば良い。」
ソビエトの著名な植物学者ニコライ・イワノビッチ・バビロフ(1887〜1941)は、
カンドルの方法論に可能性を見出していた。
バビロフは長い間かけて世界中から5万種類以上の野草を集め、この作業を通じて主な栽培植物の発生源として8つの場所を特定することに成功した。
なんと、これらの全ての場所には地球上で最も高い山脈との直接的な相関関係がはっきり認められたのだ。
今日不可欠とされている栽培植物が最初に生えていた場所は、ヒマラヤ、ヒンドゥークシ、中近東、バルカン半島、アペニン山脈など、
世界に冠たる山脈が集まる、北緯20度から45度の地域に集中している。
ヨーロッパ、アジア、アフリカにおいてはこれらの地域は緯度に沿って伸び、南北アメリカにおいては経度に沿って伸びている。
どちらの場合も、大きな山脈がある地域と一致しているのだ。
バビロフは、また、今日世界中で栽培されている植物が元々は海面よりはるかに高い位置にある山岳部に生えていた植物を源としていることを証明した。
アトランティスの伝説をエジプトの文献で知ったプラトンは、地球上を大洪水が襲った直後からの復興の最初の日々について、
その最後の著作「法律」の中で記している。
アテネ人「大昔の話には真実が少しでも含まれていると思いますか?」
クリニア人「何の話に?」
アテネ人「人類がしばしば大洪水や疫病、その他の災害によって滅亡させられた結果、僅かの生存者しか残らなかったという話です。」
クリニア人「みんなが真実であると信じていることでしょう。」
アテネ人「それでは多くの災害を思い描いてみましょう。特にノアの洪水の時に起こった災害のことです。」
クリニア人「それについて何を思い描くのでしょうか?」
アテネ人「破滅を逃れた人々の多くは丘の上に住んでいた牧夫であり、人類のほんのわずかな生き残りがどこかの山の上に落ち着いたということです。」
クリニア人「明らかに」
アテネ人「平野や海の近くにあった街はその時全て壊滅してしまったと仮定しましょうか?」
クリニア人「いや、こう仮定しましょう」
アテネ人「それでは破壊が起こった時に、人類はどのような状態にあったとしましょう。陸地には無人地帯が広範囲にわたって存在していて、動物はほとんど死滅してしまった。ほんの少しだけ生き残った牛や山羊が、牧夫の手に渡っていったとしたら?」
プラトンのこうした記述は、家畜の出現に関して初めて理にかなう説明をつけたものである。
彼の理論は、農業の起源や動物の家畜化の始まりが、アトランティス文明でかなり昔から実践されていた手段を再現したものだということを仮定している。
史上最古の農業的実験が行われた時代は、アトランティスの滅亡した時代とぴったり一致するのである。
−MU BOOKS/アトランティスは南極大陸だった!! 1996年刊

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気象情報:約12,240年の地球温暖化は急速にすすんだ
2013年12月5日
The Extinction Protocol
Volcanic ash reveals rapid Ice Age climate change
Posted on December 5, 2013
by The Extinction Protocol
December 5, 2013
Climate Science
http://www.reportingclimatescience.com/news-stories/article/volcanic-ash-reveals-abrupt-climate-change-during-last-ice-age.html
The Extinction Protocol
http://theextinctionprotocol.wordpress.com/
http://theextinctionprotocol.wordpress.com/2013/12/05/volcanic-ash-reveals-rapid-ice-age-climate-change/
オックスフォード大学/クリスティーン・レーン (Christine Lane、Oxford University)
とGFZ独地質調査センター(the GFZ German Research Centre for Geosciences) /アキム・ブラウア (Achim Brauer) による独英合同地質学研究チームの調査によれば、氷河期の気候変動は地域により約120年の時間差はあるものの、地球の各地方で訪れる。気候変動ははやいスピードでおこりうるという。
約12,240年におきた前回の氷河期の終わり、氷河期終期に約1100年続いた寒冷期/ヤンガードレアス期(the younger Dryas)のおわり、アイスランドのカトラ火山(the Katla volcano)で大噴火がおき、
火山灰は偏西風にのって北ヨーロッパ、中央ヨーロッパの大部分のエリアにおちたが、
独英合同地質学研究チームの最新の研究書/「Geology」の記事によれば、西ドイツ/アイフェル地域(the West German Eifel region)/マーフェルダーマール湖(the Meerfelder Maar lake)の沈殿物の堆積パターンと南ノルウェーのクラケネス湖(Lake Krakenes)のそれには約120年の時間のずれがみられた。
つまり、アイフェル地域で最初に温暖化が起き、その約120年後にノルウェー南部で温暖化が起きたが、両エリアで起きた温暖化はどちらも等しく急速だった。
Achim Brauer
「湖底に沈んだ火山灰沈殿物から正確に火山灰の年齢を測定することが出来る。
これにより時間を正確に特定できる。」。

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2010.12.4
宇宙的な厄災は過去に何度もあったのにも関わらず、それは単なる作り話だと思ってきた。
そのツケが回ってくるかのようだ。
こうして「宇宙的な災厄」が再び巡ってくるのである。
「ノアの大洪水」を地球上の起こした巨大彗星ヤハウェは、水星にも接近したことで水星が収縮させた。
その上、ヤハウェに破壊された惑星フェイトンの残骸を水星にも叩きつけたので、水星も月と同様なクレーターが多数ある。
一般的に、天体に落下しなかった小惑星や隕石が惑星の重力圏に捕まったときに、その惑星にリングが出来ることがある。数が少ないと火星の衛星のような存在となるが、形が小さいもので数が多いとリングになる。これらは全て巨大彗星だったヤハウェが引力で引き連れていたフェイトンの残骸で、これらを木星や土星、それに天王星や海王星にあるリングの一部は小惑星の残骸によって形成された可能性が高い。その他にも特に土星のリングはその大きさから、土星の衛星が破壊された残骸も混じっているのではないかと思われる。その中で天王星は巨大彗星ヤハウェとニアミスしているようで、地軸が97.9度という横倒し以上の角度で自転するようになっている。
土星の衛星イアペタスは赤道をなぞるように高さが19キロもある突起構造があり、他の天体と接触したときに出来たと思われる表面に削られた跡がある。これはデススターに似た形状で、もしかするとスターウォーズの製作者は、公表されていなかった宇宙情報を予め知る立場にあったのだろうか。それに人工構造物も存在しているという。
天王星の衛星であるミランダも表面のアチコチに引っかき傷のようなものが存在していることから、巨大彗星ヤハウェとの接触で出来た可能性もある。そして海王星にも多数の衛星があるがその中のトリトンも海王星の他の衛星とは異なり公転方向が逆になっているばかりか公転角度が大きく傾斜している。その表面の様子は北半球と南半球とでは全く異なっているのだ。北半球は起伏が無いのに何故か南半球は地表が変化するほどの引っかき傷がありデコボコして荒れている。特に最下部近くはデコボコが酷い。これも巨大彗星ヤハウェとの接触によって出来たものだと思われ、そのままビリヤードのように弾き飛ばされ現在のような異様な公転方向と公転角度になってしまったのだろう。そして、このときに海王星の衛星が弾き飛ばされたのが冥王星と、その同一軌道上を冥王星を追いかける形で太陽を公転しているヘメラである。それに冥王星の衛星であるカロンを含めて3つとも海王星の他の衛星と似ていることから、おそらく海王星の衛星だった可能性が高いだろう。
冥王星にはカロンの他にもニクスとヒドラという衛星があるが、これは火星の衛星であるフォボスとダイモスのようにフェイトンの残骸のような歪な形をしている。
実は冥王星の大きさは直径が約2300キロで月よりも小さいことがわかったことと、冥王星の外側を公転する惑星エリスが発見され、そのエリスは冥王星よりも大きかったために冥王星は矮惑星に降格した。冥王星の軌道は異質で楕円軌道である。
太陽系の惑星は正確には真円軌道ではなく楕円軌道なのであるが、その誤差が極めて少なく地球の離心率は0.02であるが、冥王星は0.25であり楕円軌道を描いている。その影響で海王星の軌道と一部で交差しており、1999年までは海王星の方が冥王星よりも外側を公転していた。
他の惑星は地軸の傾きは様々だが公転面は横道面とほぼ同じである。しかし冥王星の軌道は約17度も傾いており、海王星の公転面と比較しても約15.4度傾斜している。このことは全く斉一論では説明がつかない。これは明らかに太陽系の調和が乱されて宇宙規模の大激変があったと思われるのである。現在、海王星にもリングが存在することがわかっている。これも他の大きな惑星と同様に巨大惑星ヤハウェが引き連れていた破壊された惑星フェイトンの残骸が海王星の引力に捕まったからだと思われるが、その他にも衛星が破壊された可能性も高い。どうやら、現在では小惑星帯になっている破壊された惑星フェイトンの他にも木星・土星・天王星・海王星の衛星も幾つか破壊されているようだ。それに小惑星帯の中に1つの球体をした惑星が発見された。他の小惑星帯にあるような小さく歪な形とは明らかに異なることから、破壊された惑星フェイトンの衛星だった可能性が指摘されている。その他にも太陽を公転している小惑星は12個存在していることがわかっている。そうなると大小あわせて合計する20以上の惑星が公転していることになる。だから月よりも小さな惑星である冥王星が降格したのだ。それにマダ正式には公表されていない「惑星X」と呼ばれる惑星の存在も明らかになっている。
これは惑星ヤハウェと同様に大衆に知られては困る惑星である。ナント他の惑星と比較しても異常とも思えるような垂直に公転しているのである。
横道面から87.2度の角度で、冥王星よりも比べ物にならないので、斉一論による
「ガス円盤が回転して太陽系が形成された」
という説明では全く解明できない現実であり、太陽系に大激変が起ったことを物語っている。
この惑星の公転周期は冥王星の248年よりも遥かに長いことは確かなようだが、弾き飛ばされた影響なのか、
冥王星の外側から土星の内側を通る公転軌道なのである。
太陽系の中でも異質な存在である、この「惑星ノクス」は今のところはハッキリと公転周期がつかめていない。
それもエハン・デラヴィ氏が主張しているような約3600年周期で公転している太陽の伴星ではなく、キチンとした惑星であり大気も存在しており、
主成分は窒素で少量だが酸素も存在しているようで地球に似ている惑星ということだったのだ。
だが、太陽から遠いためか全域が氷で覆われている。
しかし、その氷はメタンではなく普通の水が凍ったものだという。
衛星の数は7個で全てが火星の衛星と似た小惑星のような歪な形をしている。
一方で、ある天体が必要以上に接近したとき、その天体が地球の大きさに近いほど重力による「潮汐作用」を大きく受けることになり、
地球に世界規模の地殻変動をもたらし地球上は大変な状態に陥る。
ノアの時代に、エノクのいた町が人々を乗せたまま空中高く浮遊して何処かへ消え去ったという伝承があるが、
これを牧師だったスウィフトに「ラピュタ」物語の構想を思いつかせたのである。
そして「聖書外典」にはエノク自身が空中を浮遊したという記述もあり、これもプラズマ領域が関与したことが十分に考えられる。
地上から消えたエノクの町は太陽に向かったとする伝承が残されている。
その直後に「ノアの大洪水」が起きていることから、この現象も天体の超接近によって重力が変化してプラズマ領域が至る所で引き起こされたことだろう。
当時、世界各地で様々な温度の自然プラズマが発生していたことは、インド北部とパキスタン南部のモヘンジョダロ一帯に散在しているガラス状地形は、摂氏数千度の超高熱プラズマで大地が焼かれたことを意味していと思う。イギリスの考古学者であるジョン・マーシャルは、古代に大規模な自然災害が発生したと考えた。だが、それをに異を唱える古代史研究家のデーヴッド・ダヴェンポートとE・ヴェンセンティは、その大災害こそが古代文明同士で核兵器による戦争が起きた跡であると発表して世界中で驚きと共に支持された。確かに既存の核兵器の爆発による高熱現象はプラズマによるものであるが、古代においての核戦争は突飛過ぎるのである。核兵器を製造するような文明は長い歴史的積み重ねによって出来るものなのである。それを造る設備や工場や人材と様々な化学的環境が無ければならないので、イキナリ核兵器を造れるような文明が発生したとは思えない。世界中探しても原子炉施設があった形跡すら存在していないのである。
だから、古代に核戦争が起きたことことは極めて無理がある。
要するに、これだけの超高熱を生むようなことは科学的兵器でなければ出来ないという前提の下で考え出されたものであり、超高熱を生むことは自然現象では起きるはずがないというのも現代科学が抱える傲慢さである。こうした現象が自然に発生するということを大衆に知られたくないという思惑も一部には存在したのだろう。実はモヘンジョダロが位置する緯度と近い場所に多くの天変地異が集中して起きていたのである。それは北緯28度近辺であり、世界各地で天変地異が頻発していたころに、インド北部で大発展していたモヘンジョダロが一夜にして廃墟となった。果たして、古代の地球に超高熱を発するような自然災害が起きていたのだろうか。
続く・・・

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アポロ計画の謎と月空洞論
2008/11/25(火) 午後 4:19
宇宙関連 その他自然科学
人類は本当に月へ行ったのか!?
人類は月には行っていないのか!?アポロ疑惑の裏に隠された恐るべきエイリアン情報とは何か。
NASAの極秘情報をもとに、かつてソ連もまた月面に人類を送り込んでいた事実を暴露するとともに、月が空洞であることを証明する。
方向が違う影や明るい陰、同じ背景なのに違う場所…、次々と指摘されるアポロ映像の疑惑に対し、NASAは必死に反論するが、いったい真相はどこにあるのか!
当局が企む陰謀の裏の裏まで知り尽くした男、ジェームズ・J・ジェファーソンが今、すべてを暴露する!月面で巨大UFOと遭遇していたのは、アポロ宇宙飛行士だけではなかった。
飛鳥氏が書かれた過去の本を数多く読んだ方には、新鮮味が薄いかも知れませんが自分にとっては驚愕の情報が満載です。
55億円の予算で「月」に行った日本の「かぐや」…
未だに思っていたほど月面の詳細な情報は入ってきておりません。
故障したという情報もあるが、はたして真実なのか。アメリカの圧力なのか、自主的に公表できないのか。
本書は月の内部写真とアポロ11号が遭遇したとされる巨大葉巻型UFOとデルタ型子機UFOの写真から始まります。
綿密に隠蔽されたアポロ計画の謎が解明されている。アポロ飛行士が言う「サンタクロース」とはUFOの隠語でした!
オルドリンがわがままで希望し、アームストロングと入れ替わって最初に着陸していて、おまけにロシア人もルナ15号で同じころ月に着陸していたという。放送上都合の悪い映像のときはシャットダウンしていたようだ。
予めエリア51で夜間撮影していた映像も巧妙に混じっているという。
だからチグハグな影が指摘されて「アポロ11号の月面着陸捏造説」がまことしやかに言われるのだ。
本当にアポロ11号は月に到達していた。
地球が空洞であるというので、興味を引かれて月が空洞の謎を知りたくなった。
月の内部にあった膨大な水が「ノアの大洪水」を引き起こしたということには驚いた。
地球空洞論はプラズマで覆われた亜空間で「アルザル」と呼ばれる地球内天体と地球の金属核が同時に存在しているが、月空洞論の場合は実際に単なる「がらんどう」なのだ。
しかし、月が空洞であるならば、どうして月の地殻よりも深いところで月震の震源があるのかという疑問がある。
それは、地殻の裏側に溶解した核がある程度の厚さでへばりついているのが「月の海」と呼ばれている場所だという。
その内部の核が非常に歪な形になっているというデータが判明したことは、これまでの推論を裏付けるのみならず、月震そのものの原因も明らかにしたのだ。
何を隠そう、月震の原因はエイリアンが巨大掘削機で「月の海」と呼ばれる浅黒い地域において、元は月の核だったレアメタルを採掘している為に起きている。
本当のエイリアンは「グレイ」などではなく我々地球人と同じ姿をしており、人種的にも日本人に近い"兄弟"のような存在なのだという。
彼らは絶対的な平和主義者であることをいいことに、アメリカ政府とアメリカ軍は露骨なまでの宇宙開発を進め、月を軍事的な支配下に置こうとしている。
近い将来、アメリカ軍はHAARPや軍事衛星などと連動したプラズマ兵器をより高度なものとし、本格的にエイリアンと戦うつもりでいる。
月面及び月内部に住んでいるエイリアンを叩き潰すことに成功した暁には、いよいよプラズマで覆われた地球内天体「アルザル」へと攻撃を進めるに違いない。
しかも、アメリカはテロ対策や中東戦争の費用の他に対エイリアン攻撃のための軍事費の多くも、エイリアンの同属国家である日本から出させようとしている。
アメリカにとって日本は属国であって年次改革要望書を毎年送りつけており、まるで51番目の州と同様な位置としてみているかのようだ。
また、日本人は敵対するエイリアンに対する人質でもある。
特に天皇は最後の切り札といってもいい。

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木内鶴彦霊視: 臨死体験,あの夏の日にかえる

木内鶴彦霊視: 臨死体験,あの夏の日にかえる
臨死体験
22歳当時,事件は突然起こりました。
当時私は茨城の百里基地で飛行管理という仕事についていました。
この仕事はただでさえハードなのですが,ちょうどその頃はミグ25と言う当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったために連日普段以上の仕事量とプレッシャーを強いられていたのです。
そんなハードな業務にいた1976年3月,私の体は突然悲鳴をあげました。
■余命1週間
その日夜勤についていた私は勤務終了時間が近づく夜明けの空を眺めていました。駐機場に並べられた戦闘機もその奥に見える筑波の山並みもすべてのものが一斉に朝焼けに染まり美しい景色でした。
「美しい」。。
そう思っていた刹那に今まで経験したことのない激痛が体を襲ったのです。体中の血が一気に引いて私はその場に倒れました。意識を奮い立たせて,状況が全く理解できないながらも私はそばにあったソファーに這い上がって,身を横たえました。助けを呼びたくてもあまりの痛さに声も出せません。
幸い隣の部屋で仕事をしていた別のクルーが異音に気づいてすぐに衛生班に連絡してくれました。
病院に運ばれ診察を受けましたが,私の様子を見た医者はもっと設備の整った大きな病院で手術をしなければ手遅れになると,その夜のうちに東京医科大学病院へと私を移しました。
私の病気はストレスなどから背骨と動脈の間に十二指腸が挟まれて腸閉塞を起こすという世界でも120例しか報告されていない非常に珍しい病気でした。
しかも、病気になって一命をとりとめた人がいないという大変恐ろしい病気だったんです。
日本では病名もなかったために私のカルテには担当医によって「上間肋骨動脈十二指腸閉塞」というちょっと長い病名が記されることになりました。
。。。
嘔吐した意識の中でただ聴覚だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。
そんな私に,廊下で両親に病状を説明している医師の声がまるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえてきました。
「残念ですがお宅の息子さんは持ってあと1週間でしょう。腸閉塞を起こしている事は確かですが,このようなケースはこれまでに症例もなく,検査も十分にできない状態なので,病名は分かりません。ただ言えるのは,今の状態で検査をすれば確実に済むと言う事だけです。」
。。。
■臨死体験
そして迎えた1週間目の朝。
その時の私は傍目には意識不明で昏睡状態に見えるのですが,実は意識もはっきりしていて,父と医師が話している内容も全て理解していました。父の言葉を聞いた私の正直な感想は,そうか,そういえば自分は何の病気かわかっていなかったんだというものでした
どれほどの時がたったのでしょうか,次に意識が戻った時,なぜか私は真っ暗な場所でぬかるみを這っていました。ここはどこだ。なぜ俺がこんなところにいるんだ。ベッドに横たわっていたはずの自分が暗闇を這っている。。
私の頭は混乱するばかりでした。
混乱した頭ではいずり回って,疲れ果てて,ぐったりと横たわっているときに,遠くのほうにかすかな一点の光が見えました。それはまるで暗い夜空でやってみることができ6等星ほどの明るさの光でした。
真っ暗闇の中で光を目指して進んでいくと,光は面積を広げてその光が洞窟の出口であるらしいことがわかりました。
私は洞窟から外に出ました。
外は一面の草原で後ろを振り返ると土手に大きな穴が開いていました。
暗闇から解放されましたがその草原も決して明るい場所ではありませんでした。
家の照明を小さい電球だけにした時よりももう少し暗い位の明るさです。
その暗い空の彼方に一点だけ輝いている場所がありました。その光源が全体を照らしている,そんな印象でした。
私はその光へ進みました。
しばらく歩いていくと,中国の揚子江を思わせるほどの大きな河が左から右の方へゆっくりと流れているのを見ました。
これが「三途の川」というものなのかな,と思って私は昔お年寄りから聞いた話など思い出しながら船頭を探し始めました。
探しても船頭は見つかりません。
それでも光のある対岸に何とかして渡らなければ,と思って,川べりを調べながら歩いていると,木造の小さい舟を見つけました。幸いなことに水は漏れていません。
乗って手で水をかきながら私は対岸を目指すことにしました。
ところが水を掻いても掻いてもなかなか対岸につきません。
腕が疲れて,棒のようになっています。
しかし戻る戻るに戻れない微妙な距離にあり,やはり進むしかないと,また生ぬるい川の水に腕をつっこみます。なんとか休みながらやっとの思いで対岸にたどり着いた私は舟から這い出して疲れ切った体を岸辺に横たえました。
ふと頭を見上げると15メートルほど離れたところに焚き火のような光のひらめきのみました。
そこには喪服の女性が立っています。
女性は私のところまで来ると私に向かって話しかけてきたんです。
「鶴彦,お前は何をしに来たんだ?」
何をしに来たと言われても,来たくて来たわけではないので答えようがありません。
黙っているとその女性は「ついておいで」と言って私を連れて行きました。
3人の年寄りと1人の青年が立っていました。
青年の顔をよく見てみるとその人はなんと私の中学生の時に亡くなった仲のよい従兄弟だったんです。
従兄弟は亡くなった当時の姿そのままの姿でした。私と従兄弟は,しばらく振りに会った親戚よろしく,家族の消息などを私に訪ねて,私たちはしばしば世間話に花を咲かせたんです。
。。。
■あの夏の日に帰る
私はどうすることもできない自分の肉体の事よりも,不思議な今の現象のほうに興味をそそられるようになっていきました。強く思うだけで空間を自由に飛びことができる。それも瞬間的に移動できるのです。
私は自分が6歳の時のある夏の日をイメージしました。
6歳の時に起きた事故。
私と姉は川に水遊びに行き,ちょっと危ない斜面を降りていました。
その時誰か上の方から「危ない!」という声が耳に響いて,その声の方を見ると大きな石が斜面の上から落ちてきたのです。私は大きな石が今にも姉の上にあるのを見てびっくりして,前を歩く姉の背中を強く押しました。
姉を押した反動で私は後ろにひっくり返り,その間を大きな石が転がっていきました。危ないところで姉は石の直撃を逃れました。しかし私の背中を押された姉は岩場を滑り落ちてさらに落石の辺が当たって足の指の爪を剥がしてしまいました。
私は必死になって「危ない!」という声がしたから姉を助けるために背中を押したのだと説明しましたが,付近を探しても声の主はなく,私の訴えを信じてもらえずに,結局,私のいたずらということになってしまい,ずっと悔しい思いを引きずっていたのです。
だからあの時の声の話を確かめたいと思ったのです。
「あの夏の日に行きたい」
そう思った瞬間に,私は幼い自分と姉の姿を上から見下ろしていました。
幼い日の記憶を頼りに私は声をした方を探していました。
確かにこの辺に誰かがいたはずだ。そう思っていたんですが,誰の姿もありません。
そのうちにあの瞬間が近づいてきました。
石が転げ落ち,姉がまさにその場所に足を乗せようとしたときに私は思わず叫んでしまったんです。
「危ない!」
幼い自分が私の方をぱっと見て姉の背中を押しました。
あの時の声の主は自分だったんです。
■未来に行く
1976年の病室に戻って,冷静を取り戻取り戻したところで私は再び考えました。
過去に行くことができたのだから未来へも行くことができるのではないだろうか?
そこでとりあえず「未来」と言うことだけを強く思っていました。
私は畳が敷き詰められた大広間にいました。
そこでは中年の男性が30人ほどの若者相手に何やら話をしています。
広間はとても風格ある造りで,広い床の間には幅1メートル高さ1.5メートルほどの掛け軸がかけられていました。それは何か見取図のように見えました。
人々はコの字型に座って,灰色のシャツを着た中年の男性の話を熱心に聴いていました。
私は中年の男を覗き込みました。老いていましたがそれは確かに私でした。私は朝の話を中心に地球環境の大切さをテスト大答えていました。
それを見た私は漠然とした希望を抱いたんです。
未来の自分が存在しているという事はもしかしたら生き延びられるかもしれないと思ったんです。
さらにもっと未来をと強く思うと,次に現れたのは初老の私でした。
しかし目の前にある世界は息を鮮明なものではありませんでした。それは2つの条件がまるで二重露出のフィルムのように重なるダブついた景色でした。
強く見えたのは,廃墟のように荒れ果てた大地で廃墟の石に手をかけて呆然としている私でした。
そのビジョンに重なるように見えていたもう一つの情景は,背景のビジョンよりもさらに不鮮明なものでしたが,緑の多い場所で星を見ている私でした。
二つのビジョンが同時刻の同じ場所だという事は,私の容貌と空の星の輝きが教えてくれました。
私は臨死体験の中で,宇宙の始まりから生命の発生,そして人類の歴史までを見てきました。
私の心臓が停止して蘇生するまでの時間はわずか30分です。
そのわずかな時間の間に私は膨大な時を経験したのです。
。。。
■生還
私が一命を取り留めることができたのはレントゲン撮影のおかげでした。右側を下にして「く」の字に曲げた体勢なら背骨と動脈との間にわずかですが隙間ができて,十二指腸の完全閉塞を逃れることがわかったからでした。体を曲げた状態で思いをさせることができたのもこのためです。
ー生き方は星空が教えてくれる,木内鶴彦,サンマーク文庫, 2015年8月刊,

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木内鶴彦
チュニス・木内・中村彗星
土屋・木内彗星
メトカーフ・ブルーミントン彗星
スウィフト・タトル彗星(1992年再発見)
4つの彗星を発見した世界的に有名なコメットハンター(彗星捜索家)。
1976年,突然襲った病魔と臨死体験で宇宙の仕組みと地球がたどる未来を垣間見る。
ベストセラーの単行本「生き方は星空が教えてくれる」は2015年に文庫化。

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