2019年04月10日

秋田市北部墓地に安価な合葬墓完成

秋田市北部墓地に安価な合葬墓完成
安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」
5/6(月) 17:13配信 朝日新聞デジタル
安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」
秋田市北部墓地に完成した合葬墓=2019年4月10日午後0時23分、同市飯島
秋田市が市北部墓地(飯島)に整備していた1500体分の合葬墓が完成した。
7月には、自宅などに遺骨がある人や市営墓地から改葬する人を対象にした1次募集を行う。
使用料が安価なことから人気が予想されるが、寺院からは疑問の声も聞かれる。
【写真】墓地の一角にオープンした「樹木葬霊園」。
中央付近に3本のサクラの木が立つ。
お骨を入れた後の管理は不要=2018年10月13日、松江市堂形町の天倫寺
合葬墓は、血縁関係などがない複数の人の遺骨を一緒に供養する施設。
少子高齢化による「墓じまい」の流れもあり、都市部などで急速に増えている。
秋田市営の合葬墓は、平和公園(泉)に続いて2カ所目。北部墓地内の一角、約100平方メートルに総事業費約1100万円をかけて整備された。
永代使用料は、平和公園と同じく1体1万7千円。毎年の管理料などは不要だ。
公営のため、必要経費から算出した額となっている。
これに対し、市内のある寺院の住職は「人生の価値を考えるとひどい」と疑問を示す。
この寺は10年以上前に合葬墓を設け、20万円から供養を受け付けている。
檀家(だんか)の墓じまいは「時代の要請」と受けとめているが、「管理の方法などが(公営合葬墓は)お粗末過ぎる」とこぼす。
別の寺院の住職も「『一度埋葬したらおしまい』という感じがして釈然としない」と漏らす。

Yahoo!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190506-00000024-asahi-soci

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2019年03月14日

海洋奇譚: 6年前に遭難した船

海洋奇譚:6年前に遭難した船
ロビンソンは貨物船コスロウ号に航海士として乗り込んだことを後悔し始めていた。
この船はインドの沿岸貿易の仕事であった。
彼の後悔の原因は何だったのか。
ロビンソンにもこの船で感じている不安がどこから起こってくるのかはっきりはしなかった。
エンジンも状態は良かったし,乗員も資格のある船乗りで編成されているわけではないが,自分の仕事はよく理解しているように思えた。
それなのにロビンソンはこの船を信頼できなかった。
多分船長のせいであろう。全長は風変わりな男で,口数も少なくて,感情を自分の中で押し込めているような感じで,表情を変えることない人であった。
命令する時もぶっきらぼうで,手短な言い方をして,突然行動で示しながら言いつけるのであった。
航海士たちとも仕事上の話しかしなかった。
1936年12月22日,ロビンソンは真夜中の当直であった。その時間には,空は晴れていた。
ロビンソンは時々舵に近づいて,船首の方向を確かめては,ブリッジの角で見張りを続けていた。
午前1時を少し回ったころ,ロビンソンは船とセイロンの東海岸の間に1つ弱い光が見えたように思った。
双眼鏡を当ててゆっくりと水平線を追うようにしてその灯の見えた方向へ視界をはしらせていた。
11キロ先だと見当をつけてから何の光なのか確かめようとした。
灯台だろうか,海図ではこの海域には灯台はなかった。
船の灯なのだろう,それにしても遠くでやっと見える位であった。
30分ほど過ぎた,
ロビンソンはずっとその光を見つめていた。
その光が船から出ているとすればその風にはとてもゆっくりと走っているはずであった。
なぜなら,その光は今やコスロウ号の後ろの方になってしまっていた。
ロビンソンはもうその光に注意を向けるのはやめた。
光は次第に消えかかっていた。当直の仕事はまた単調なものになった。
午後5時。
船長がブリッジに登ってきた。少し怖いような気持ちでロビンソンは船長を見つめた。
「エンジンを全部止めろ」。
船長が言った。
ロビンソンはまさかと思った。
しかしあの口数の少ないあの船長がそう命令しているのである。
透視能力を持っているのだろうか。
海の真っ只中でエンジンを全部止めるとは一体どういうことなのだろうか。
ロビンソンは命令を実行するのをためらって船長を見つめていた。
船長は待ちきれずに急いで機械室に行って,装置を動かした。
そして指示標を停止の位置に固定した。
エンジンの回転が止まった。
硬直の男たちは唖然として,不安そうに顔を見合わせていた。
コスロウ号は流れに乗って動いていたが,突然動かなくなった。
すると全く動かずにいる事,周りの静けさなどが船員たちに何か得体の知れない怖さ・不安を感じさせ始めた。
船長は不意にブリッジの中央に走りよって舵の近くに行って汽笛を鳴らす装置をひいた。
装置が作動して,汽笛が長く鳴り響いた。もう一度汽笛が鳴り響いた。
なるような汽笛が消えて静けさが海にのしかかるようにして戻りかけた時であった。答えるように別の船の汽笛が響いてきた。
うなるように響く汽笛は霧の中で反響して広がって,どの方向で鳴らしているのかはっきりしなかった。
船長はさらにコスロウ号の汽笛を鳴らして,二隻の目の見えない船は霧の中で話し合うかのように呼びかけを交わした。
2隻の船の汽笛による対応はしばらくの間続いた。少なくとも皆がそう思った。
向こうの方には見えずに右のほうに,あるいは左のほうにいるように思われた。
ロビンソンは船長の様子を見つめていた。
船長はじっとしたまま,きっとした顔つきで何かを待っているように見えた。
「あそこだ」。
大声を出したのは水夫であった。
塊のようなその際一,身体の各部は避けることができなかった。
傷つき傷つけられて, 一部がもぎとられた漂流船だろうと思われた。
その後,船の周りの霧が薄くなった時に,甲板の上の部分がひくく煙突も短いことがわかった。
長さ100メートルもある大物の貨物船であった。
その後にはコスロウ号から400メートル位のところを通過していった。
もしもこちらが航行をつづけていれば,確実にその大型船と衝突するところであった。
船長は望遠鏡を握り締めて
「トリコロール号だ」
とつぶやくように言った。
船長以外のものにはその貨物の名前は読み取ることができなかった。
その船は甲板に人影はなかったし,霧のせいで幻想的の実態のわからない姿しか見えなかった。
もう汽笛も鳴らさずにエンジンの音も聞こえてこなかった。
「ゆっくり前進だ」
と船長は命令した。機械室の操作機が操作されて,音を立てた。エンジンが始動する響きが伝わってきた。
コスロウ号は再び走り始めた。
海は軽くうねり,いくら荒れていた。
風が出てきた。
霧は風に追われて大きな裂け目を作り所々視界が開けた。水平線が見えてきた。
左側に遠く黒っぽい筋のようなものが現れた。
セイロンであった。
船長は針路を修正して,それからブリッジを出ていたが,その前にロビンソンのところに来てまるで言葉を惜しむように早口で
「トリコロール号だったよ」
とだけ言った。
ロビンソンは機械的にこう答えた
「はい,うまく切り抜けることができました」。
船長の目は奇怪な炎が燃えたっているようにギラギラしていた。
キッと向きを変えると船長は自分の部屋に向かっていった。
ロビンソンは舵の修正された針路をとっているかどうか確かめてから,双眼鏡で水平線をぐるりと見ました。
「信じられない」
とロビンソンはつぶやいた。
今はすっかり霧が晴れていた。
しかし海上には一隻の船も見ることができなかった。
コスロウ号と衝突しそうだった貨物船,あのトリコロール号の姿は消えてしまっていた。
1931年,同じ1月5日,グリシングリニッジ標準時間15時,セイロンの西海岸,ドンドラ崎の沖で海上黒煙が巨大な柱となって噴き上げていた。
海は穏やかで風もわずかであった。
煙の柱はまっすぐに立ち上って200メートルに達した。
その根元には煙が熱くうずまく渦巻き状になっていた。それが次第に大きくなっていった。
マルセイユ〜横浜航路の定期船ボルトス号の船上では,航海士がこの事故の様子を見つめていた。
火災を起こしたのであろう。
引火材の資材を運んでいたのに違いない。
ボルトス号は煙の方角に向かって進んだ。
事故のあった船の乗組員が甲板看板から脱出できていればいいが,と思っていた。
火災が原因で爆発が起きたのかどうか気しなかった。
先方の船までもう5キロばかりであった。
煙がものすごくて罹災した船を見つけることができなかった。
その船の周りを霧のようなものが取り囲んで,海上に停滞していた。
その霧の中から黒い点が2つ抜け出してきた。
救命ボートである。
ボートはボルトス号に近づいてきた。
30分後,ボートは定期船に接触して,遭難者たちが痛ましい姿で次々に登ってきた。
彼らの顔はつい今し方体験してきた惨劇の跡が残って残っていた。
39人であった。
船長, 航海士,水夫,機関係,乗客1人が欠けていた。
その人たちは突発した事件に,不意に船の中に閉じ込められてしまったんだろう。
何度も爆発音が響いたということであった。
そしてそのすぐ後に炎が船内に入って船は沈没したのであった。
水夫たちは救命ボートを海におろすのがやっとであった。
シンガポールで生存者たちは船を降りて,遭難したときの状況について聞かれた。
乗組員の証言では爆発はごく短い間を置いて起こった。
そのすぐ後に火災の炎と浸水とに同時に襲われて,機関室から逃げ出す時間しかなかった。
次々に質問が続けられた。
6200トンのノルウェーの貨物船の遭難は何が原因でどうなったのかよくわからなかった。
そして,この貨物船の名前が
トリコロール号
であった。
この名前はご存じのはずだ。
この船が遭難したのは,先に記したように1931年1月5日だった。
つまりこの船がコスロウ号の前に現れた6年前の同じ日に当たる。
ー海洋奇譚集,知恵の森文庫,ロベル・ド・ラクロワ,

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これは伝説でもないし噂話でもない。
コスロウ号の航海士ロビンソンが1958年にアメリカ合衆国の船舶協会の会報に載せた偽りのない事実なのである。
どういうことなのだろうか。
1つの説明を考えてみることにしよう。
船が現れたと思ったの幻覚だったのだろうか。
いやそうでは無い。
コスロウ号の乗組員全員がその船を見たのだ。
彼らの言ったことは一致している。
しかしその船は本当にトリコロール号だったのか?
その貨物船が現れていた短い時間に名前を双眼鏡を使って読み取ったのはコスロウ号の船長だけだった。
船長が読み違えてのだろうか?
思い違いはいつも起こりうることだ。
しかしなぜハッキリと「トリコロール号」という名前を口にしたのだろうか?
コスロウ号の航海室にはいってみることにしよう。
机の上に地図を広げてあり,鉛筆で船の航路が書き込まれている。
この航路の近く3キロほどのところに漂流中の船の方位が記入されている。
そして地図のまわりの白い部分に,
「この航路は漂流船M.S.トリコロール号,1934年1月5日の航路と一致する」。
と書かれている
だから船長は彼の船が漂流中の貨物船のいたすぐ近くを通ることも,またその貨物船のことも知っていたのである。
それに,船長は何度もインド洋を航行していたから,その名前も,遭難したときのこともよく覚えていた。
コスロウ号の船長の人柄と性格はすでに話したように,彼は大型帆船の船長たちの血を引く人間であった。
つまり,何かが起こる兆候,前触れに敏感になって,人間を支配している目に見えない力,あるいは現象によって生じる力の動きをとらえる能力を持っていたのである。
船長は夢想,あるいは事件の前に起こる動きによって何か察知して,彼の船を座礁,あるいは衝突から救ったのである。
そして近くのあまりの鋭く,分ごろに思われていたこの人の場合もそうが実際に目に見えていたようである。
危うく衝突するところであった相手の船が,その時コスロウ号の通っていた近くで沈没したトリコロール号となって海底から浮かび上がってきたのである。
海で起こった異常な出来事は1つとして単純なものはない。
このように説明してみても納得のいくものではないし,すでに食い違いを見せている。
トリコロール号らしい船が少しの間だけ現れた後で,急に霧が晴れたのであった。
その時見渡せた範囲は11キロから12キロはあった。
その船が普通の速度で下進んでいたとすれば,通過後45分間位はコスロウ号から見えたはずであった。
それなのにロビンソンによれば海には1隻の船も見つけることができなかったのである。
この謎はどのように説明したらよいのだろうか。
あの風変わりな船長の人格について謎はどうだろうか。
海に出て行く人について考えなければならない。
時代からも世間からも離れて,不安定なものに囲まれて,空に向かって自分の針路を尋ねる海の男は,文明生活が鈍らせてしまった感受性を取り戻す。
私たちの場合,大抵その力が鈍くなってしまっているのである。
海の男は風が知らせてくることを読み取って,水平線の彼方にこれから何が起こってくるのか,その前兆を見る。
海賊デュゲイ・トルバンは,幸運にも不運にも,やがて起こる事件の日付も,その場の状況も,わかっていると豪語していた。
三本マストの帆船アスク号の船長は次のように話している。
「つまり,幽霊が現れてホーン崎を通ってはいけない,そうしなければお前の船は燃えてしまうぞ,と言った」。
彼は声に従い迂回して進んだ。
そして偶然の一致だろうか。
アスク号は次の航海の途中,バルパライソでまさしく火災を起こしたのであった。
1907年,ブーゲンビル号の船長はホーン崎を廻り込むことができないだろうという知らせの声を聞いた。
彼はこの声に従って太平洋航路をとってサンフランシスコについたが,その時までにこの三本マストの帆船はどこかで沈んでしまったものと思われていた。
ただ1人で航海した人たちーヒュー・レベル,フランツ・ロメールは目に見えないものの声に導かれて危険な海岸の岩礁の間を通り抜けた。
他の男と海の男たちも何か起こる前の動きによって彼らの未来に気づいていた。
帆船アメリー号の見習い航海士は,
「今まで誰も見たことない光景を見ることになるだろう」
,と彼の友人にこっそり話していた。
そしてアメリー号からは何の連絡もなくなってしまった
これら海の男たちの人格や能力の謎のような部分は,何世紀にもわたって人類に恐怖と魅力を感じさせてきたものが,海そのものの謎と混じり合っているのである。
ー海洋奇譚集,知恵の森文庫,ロベル・ド・ラクロワ,

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2019年03月05日

ヘティ・グリーン(Hetty Green)の人生

ヘティ・グリーヘティ・グリーン(Hetty Green)研究
『The Witch of Wall Street Hetty Green』翻訳
第1章ヘティ・グリーン、ウォール街に来る(2010.8.15追加)
第20章 アメリカに帰る(前半)(2011.5.15追加)
第20章 アメリカに帰る(後半)(2012.3.18追加)
第22章 ヘティ、夫を蹴落とす(前半)(2014.3.9追加)
第22章 ヘティ、夫を蹴落とす(後半)(2017.1.9追加)
第24章 ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株買占め(前半)(2017.4.28追加)
第24章 ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株買占め(後半)(2017.9.20追加)
第26章 ヘティ、テキサスの鉄道を買う(前半)(2018.1.24追加)
第26章 ヘティ、テキサスの鉄道を買う(後半)(2018.4.6追加)
第31章 1907年恐慌:見知らぬ人へ100万ドル貸付(前半)(2018.6.8追加)
第31章 1907年恐慌:見知らぬ人へ100万ドル貸付(後半)(2018.9.19追加)
第36章(最終章) ウォール街の魔女の死(2018.11.1追加)

題名省略
https://daimeisyouryaku.web.fc2.com/sgt144.html
https://daimeisyouryaku.web.fc2.com/sgt145.html
https://daimeisyouryaku.web.fc2.com/sgt146.html
https://daimeisyouryaku.web.fc2.com/sgt147.html
https://daimeisyouryaku.web.fc2.com/sgt148.html
https://daimeisyouryaku.web.fc2.com/sgt149.html
https://daimeisyouryaku.web.fc2.com/sgt150.html
https://daimeisyouryaku.web.fc2.com/sgt164.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/4449/sgt114.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/4449/index2.html






ヘティ・グリーン(Hetty Green)の人生
ヘティ・グリーン(Hetty Green)研究
『The Witch of Wall Street Hetty Green』翻訳
1885年1月、ウォール街59番地にジョン・J・シスコ・アンド・ サン銀行があり、人々から尊敬を受けていた。
ジョン・J・シスコは、 南北戦争の間、政府の財政を助け、国債を ウォール街に売り込んだ。
その後、ジョン・J・シスコは死んで、彼の息子と、1人のパートナーが 銀行を経営していた。
当時、預金業がゆっくりと発展していたが、大部分の金融機関は、証券を保管する空間を顧客 に提供する必要があった。
ジョン・J・シスコ・アンド・ サンの預金者の中には、金持ちが何人かいたが、エドワード・H・グリーン夫妻はずば抜けて 金持ちだった。
エドワード・H・グリーンの妻の有価証券は特に多く、証券の束は 大きな金庫の棚を、 いくつも埋め尽くした。
彼女の父、エドワード・マット・ロビンソンは 南北戦争の間、ジョン・J・シスコ・アンド・サン銀行の得意先であり続け、 500万ドルを超える有価証券を銀行の金庫に貯め込んだ。
ロビンソンが死んでからの20年間、彼の娘は、銀行に証券 を預け続けた。
その証券は、鋼鉄の部屋をぎゅうぎゅう詰めにし、少なくとも 父が所有していた証券の5倍のスペースを占めた。
事務員と客を分けるガラスの仕切りが、建物の端から端まで及んでいる。
その仕切り越しに、会社の金庫が見える。金庫は、普通の部屋のように大きく、 長方形のドアを持つ。
そのドアは夜に閉められる。
ドアには、白鳥が 池にいる風景が半分ずつ描かれ、ドアを閉めると1つの風景画になる。
ドアの開き目が、いつも絵に境界線を作った。
それは、その芸術作品の 欠点の中の1つだ。しかし、そんなことは重要ではない。
ドアの後ろに 置かれているものの方が重要だ。
暗い宝箱の中に、多くの貴重な紙があった。
シカゴの不動産ローンの 証書、ニューヨークの6階建ての建物と8階建ての建物の権利書、国債、 工場、倉庫、鉄道の所有権の証書、借金の証書があった。
未亡人が 住んでいるような5番街の不動産信託が入ったマニラ紙の重い封筒に寄り添い 、より豊かな醸造業者が住んでいるような3番街の不動産信託の束がある。
そのすぐそばには、紙幣、金貨、原料の状態の銀がある。
証券の利子は、街に住む多くの家族への支払いに充てられる。
その街の大通りのそばに、 つりあいのとれた一組の馬が尾をつながれている。銀の馬具が騒音をたて、 馬車を引く短い手綱が、馬のつやつやした首を残酷に曲げる。馬車に乗る女性は、 レースのついたきついコルセットのせいで、泡を吹く馬と同じぐらい激しく苦しんでいる。
グリーン夫人は、数十の借家人に不動産を貸していることを証明する証券の束 を、シスコ銀行の大金庫に置いているにもかかわらず、馬車を持っていなかった。
証券取引所の取引終了の鐘が鳴った後、ウォール街に群がった仲買人は、 グリーン夫人が最も優れた投資家だとうわさした。
二人の取引員が、ウォール街の 建物の前面の大理石の壁にもたれて、うわさ話をした。取引所での売りと買いの 衝突ですり減ってしまった靴を人に磨かせている間、彼らはグリーン夫人の名を挙げた。
ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株とエリー株の不可解な上昇と下落は、 しばしば間違ってこの女性投資家の謎めいた力のせいにされた。グリーン夫人は、 まだ多くの人に知られていなかった。
弁護士ジョセフ・チョエイトは、時々、グリーン夫人のケチ、貪欲、 悪賢さについての面白い小話を語った。
ニューベッドフォード の鯨漁船団からお金が来たと彼は言った。
チョエイトは、グリーン夫人が 初めて社交界に出たときからずっと知っていると言った。
2代目シスコはもちろん、 グリーン夫人を知っていたが、グリーン夫人のことを話題にしたとき、 それほど注意を払わず、グリーン夫人の奇行をほのめかされても取りあわなかった。
しかし、ウォール街の取引員のほとんどは、グリーン夫人の夫を知っていた。 彼はワインを嗜む大男だ。グリーンの体重は約250ポンド(112kg)。 身長は群を抜いて高い。彼は、ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル鉄道 の社長を1期3ヶ月つとめたことがあった。その前に、ルイスヴィル・アンド・ ナッシュヴィル鉄道の副社長だったこともあった。グリーンは東洋で20年 近く貿易業に携り、1865年にアメリカに帰ったとき、百万長者として 知られていた。すでにグリーンの妻は、多くのうわさ話の種になっていた。 ある者は彼女をウォール街の女王と呼んだ。その称号をめぐって彼女と 争えるほど、ウォール街で十分な結果を残した女性はいなかった。そしてこれが グリーン夫人に関する伝説の一部になった。
1885年の初めの経済見通しは、前年ほど悲観的ではなかった、景気対策 が行われないことに人々が失望したことを除けば。大統領選挙に当選したグロバー・ クリーブランドは、1885年1月7日までニューヨーク州知事を辞職 しなかった。悲惨な年―1884年の後、経済不況は社会不安の原因となり、 その社会不安は、大統領選挙でクリーブランドの勝利をもたらした。 ニューイングランドの町は、まだ、工場労働者の賃金の10%削減を 郵便で発表していた。ホッキングバレー(鉄道会社)は、炭鉱労働者の ストライキを恐れていた。小麦価格は、数ヶ月の間、生産者をがっかり させるような水準だった。ストライキと賃金切り下げの情報が、ニューヨーク から、アメリカの多くの地域に電信で伝えられた。鉄道会社は少ししか 収入を得られなかった。ピッツバーグから、アメリカ最大の製鉄会社が、 債務不履行に陥ったとの情報が届いた。オリヴァーブラザーズ・アンド・ フィリップスは、労働者の賃金を1日あたり98セントにして操業しようと 試みた後、債務不履行に陥った。同時に、オリヴァーブラザーズ・アンド・ フィリップスの子会社のオリヴァー・アンド・ロバーツ針金会社は、 工場を閉鎖した。

題名省略
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第1章ヘティ・グリーン、ウォール街に来る
1885年1月、ウォール街59番地にジョン・J・シスコ・アンド・ サン銀行があり、人々から尊敬を受けていた。ジョン・J・シスコは、 南北戦争の間、政府の財政を助け、国債を ウォール街に売り込んだ。その後、ジョン・J・シスコは死んで、彼の息子と、1人のパートナーが 銀行を経営していた。
当時、預金業がゆっくりと発展していたが、大部分の金融機関は、証券を保管する空間を顧客 に提供する必要があった。ジョン・J・シスコ・アンド・ サンの預金者の中には、金持ちが何人かいたが、エドワード・H・グリーン夫妻はずば抜けて 金持ちだった。
エドワード・H・グリーンの妻の有価証券は特に多く、証券の束は 大きな金庫の棚を、 いくつも埋め尽くした。彼女の父、エドワード・マット・ロビンソンは 南北戦争の間、ジョン・J・シスコ・アンド・サン銀行の得意先であり続け、 500万ドルを超える有価証券を銀行の金庫に貯め込んだ。 ロビンソンが死んでからの20年間、彼の娘は、銀行に証券 を預け続けた。その証券は、鋼鉄の部屋をぎゅうぎゅう詰めにし、少なくとも 父が所有していた証券の5倍のスペースを占めた。
事務員と客を分けるガラスの仕切りが、建物の端から端まで及んでいる。 その仕切り越しに、会社の金庫が見える。金庫は、普通の部屋のように大きく、 長方形のドアを持つ。そのドアは夜に閉められる。ドアには、白鳥が 池にいる風景が半分ずつ描かれ、ドアを閉めると1つの風景画になる。 ドアの開き目が、いつも絵に境界線を作った。それは、その芸術作品の 欠点の中の1つだ。しかし、そんなことは重要ではない。ドアの後ろに 置かれているものの方が重要だ。
暗い宝箱の中に、多くの貴重な紙があった。シカゴの不動産ローンの 証書、ニューヨークの6階建ての建物と8階建ての建物の権利書、国債、 工場、倉庫、鉄道の所有権の証書、借金の証書があった。未亡人が 住んでいるような5番街の不動産信託が入ったマニラ紙の重い封筒に寄り添い 、より豊かな醸造業者が住んでいるような3番街の不動産信託の束がある。 そのすぐそばには、紙幣、金貨、原料の状態の銀がある。
証券の利子は、街に住む多くの家族への支払いに充てられる。その街の大通りのそばに、 つりあいのとれた一組の馬が尾をつながれている。銀の馬具が騒音をたて、 馬車を引く短い手綱が、馬のつやつやした首を残酷に曲げる。馬車に乗る女性は、 レースのついたきついコルセットのせいで、泡を吹く馬と同じぐらい激しく苦しんでいる。 グリーン夫人は、数十の借家人に不動産を貸していることを証明する証券の束 を、シスコ銀行の大金庫に置いているにもかかわらず、馬車を持っていなかった。
証券取引所の取引終了の鐘が鳴った後、ウォール街に群がった仲買人は、 グリーン夫人が最も優れた投資家だとうわさした。二人の取引員が、ウォール街の 建物の前面の大理石の壁にもたれて、うわさ話をした。取引所での売りと買いの 衝突ですり減ってしまった靴を人に磨かせている間、彼らはグリーン夫人の名を挙げた。 ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株とエリー株の不可解な上昇と下落は、 しばしば間違ってこの女性投資家の謎めいた力のせいにされた。グリーン夫人は、 まだ多くの人に知られていなかった。
弁護士ジョセフ・チョエイトは、時々、グリーン夫人のケチ、貪欲、 悪賢さについての面白い小話を語った。ニューベッドフォード の鯨漁船団からお金が来たと彼は言った。チョエイトは、グリーン夫人が 初めて社交界に出たときからずっと知っていると言った。2代目シスコはもちろん、 グリーン夫人を知っていたが、グリーン夫人のことを話題にしたとき、 それほど注意を払わず、グリーン夫人の奇行をほのめかされても取りあわなかった。
しかし、ウォール街の取引員のほとんどは、グリーン夫人の夫を知っていた。 彼はワインを嗜む大男だ。グリーンの体重は約250ポンド(112kg)。 身長は群を抜いて高い。彼は、ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル鉄道 の社長を1期3ヶ月つとめたことがあった。その前に、ルイスヴィル・アンド・ ナッシュヴィル鉄道の副社長だったこともあった。グリーンは東洋で20年 近く貿易業に携り、1865年にアメリカに帰ったとき、百万長者として 知られていた。すでにグリーンの妻は、多くのうわさ話の種になっていた。 ある者は彼女をウォール街の女王と呼んだ。その称号をめぐって彼女と 争えるほど、ウォール街で十分な結果を残した女性はいなかった。そしてこれが グリーン夫人に関する伝説の一部になった。
1885年の初めの経済見通しは、前年ほど悲観的ではなかった、景気対策 が行われないことに人々が失望したことを除けば。大統領選挙に当選したグロバー・ クリーブランドは、1885年1月7日までニューヨーク州知事を辞職 しなかった。悲惨な年―1884年の後、経済不況は社会不安の原因となり、 その社会不安は、大統領選挙でクリーブランドの勝利をもたらした。 ニューイングランドの町は、まだ、工場労働者の賃金の10%削減を 郵便で発表していた。ホッキングバレー(鉄道会社)は、炭鉱労働者の ストライキを恐れていた。小麦価格は、数ヶ月の間、生産者をがっかり させるような水準だった。ストライキと賃金切り下げの情報が、ニューヨーク から、アメリカの多くの地域に電信で伝えられた。鉄道会社は少ししか 収入を得られなかった。ピッツバーグから、アメリカ最大の製鉄会社が、 債務不履行に陥ったとの情報が届いた。オリヴァーブラザーズ・アンド・ フィリップスは、労働者の賃金を1日あたり98セントにして操業しようと 試みた後、債務不履行に陥った。同時に、オリヴァーブラザーズ・アンド・ フィリップスの子会社のオリヴァー・アンド・ロバーツ針金会社は、 工場を閉鎖した。
ウォール街の取引員は神経質だった。恐慌が再び起こる条件が整っていた。 そして、そのとき、老舗の銀行であるジョン・J・シスコ・アンド・サンは 債権者に利益を譲渡した。
この行動は、ウォール街の営業日の終わりと同時になるよう注意深く時間設定 されていた。20分後、3人のジョン・J・シスコ・アンド・サンの事務員が、 郡の役所に姿を現し、譲渡の証書を提出した。証書によると、譲渡された 相手の名は、ルイス・メイだった。彼は、ニューヨークの有力なユダヤ人の うちの一人だった。
。。。

題名省略
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第24章ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株買占め
ニューヨーク証券取引所の古い建物の構造は、まるで、才能ある菓子職人が贅を尽くして作ったかのようだ。
外部装飾の汚れは、1865年の竣工から、1901年に現存の建物の用地の一部にするために取り壊すまで積み重なった。
しかし、そこで起こった出来事についての伝説の方が、建物についたスス汚れよりも黒かった。
この古い建物は、ブロード・ストリートとウォール街の角にはなかったが、L字型だった。
ニュー・ストリート4番地、ブロード・ストリート10・12番地、又は第三の地番で呼ばれたが、いずれも間違いではなかった。
この場所の向かい側は、政治屋、労働組合活動家、牧師など国中の扇動家に好まれた。
なぜなら、彼らは、聴衆の煮え立った感情に火をつけるには、この場所が適していることに気付いたからだ。
ウォール街13番地には、いつも演説する人がいた。
そこで活動する多くの投機家は、実際のところ、13という数字の呪いに取りつかれているようだった。
しかし、もっと不運なのは、ウォール街13番地と電線でつながった厄介な自動電信機が、人間の理解の枠組みをはるかに超えた悲惨な情報をもたらすことだ。コネチカットの工場主、テキサスの鉄道会社の株主たち、コロラドの金鉱の労働者たちは皆、合理的に説明し難い、非難されるべき一日の激しい値動きで犠牲になっただろう。これは、農業者が温度計を見て早霜を非難するように無意味なことだ。しかし、自動電信機が時々、カチカチと音を立てて、陰謀家たちの経済的不正を記録していたことは否定できない。取引規則の量が増え、表面上の厳しさが増したが、新しい規則はどれも、投機家の陰謀を抑え、取引を本当の経済状況に対応させることを意図したものだった。取引所が新しい規則を公布すると同時に、抜け目のない人が、少数の者が得をして、多数が損するような方法を考案した。それでも、取引所会員組織の中で、株の買占めが非難されるべきと信じた者はわずかだった。もし、証券取引所で売ることができる量を上回る株を買うほど機敏な投機家がいたなら、売り方を打ち負かすことができただろう。このような状況に対応する法のすべては、しばしば語られる1つの句に要約された。
「空売り屋買い戻さねば 牢屋行き」
ヘティ・グリーンのお金が、ウォール街の金融機関に流れたとき、しばしば、ヘティが何らかの株を売買しているとのうわさが流れた。フィラデルフィア・アンド・リーディングはヘティのお気に入りの株の一つだと言われていた。しかし、このような時、ヘティは表に出ようとしなかったので、誰も確かなことは知らなかった。ヘティは、株式市場の混乱を招いたとして何度も非難された。ヘティとは何の関わりもなかった時でさえもだ。ジェイ・グールドその他数人は、ドレイク・ブラザーズがグリーン夫人の仲買人だと思っていた。従って、ドレイク・ブラザーズの場立ちが、何らかの鉄道株を大量に買ったとき、一般にその注文は、ヘティ・グリーンの口座でなされたと報告された。
アディソン・カマックという名の南部人は、株式市場の一貫した売り方だった。
彼は南北戦争後にニューヨークに現れたおびただしい数の同類のうちの一人だった。
アトランタのジョン・インマンのような多くの元南軍兵士たちが、綿花の知識を使って商売を始めた。
しかし、彼らのほとんどは失敗し、綿花関係の仕事から離れていった。
大多数の者が南軍と共に崩壊していった一方で、ごくわずかの者がなんとか財産を増やすことができた。ケンタッキー生まれのアディソン・カマックは、南北戦争後に南部を離れた裕福な移住者のうちの一人だった。ウォール街のうわさで彼の経歴を知ることができる。カマックは、南北戦争中に投機的な事業で100万ドルを稼いだと言われている。ハバナの司令部で北軍の海上封鎖をかいくぐっていた、あるいは、1863年に自身はロンドンにいて、封鎖破り船団に出資していたとも言われているが、カマックはウォール街で歓迎された。行儀のいい億万長者はどこでも歓迎されたのだ。カマックは、1876年に証券取引所の会員権を買い、1897年まで持ち続けた。
ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル鉄道の幹部は、会社の利益が過去数年間の平均に比べ減少したことをカマックに打ち明けた。
カマックは、ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル鉄道が配当を減らそうとしていることに気付いた。
蹄鉄のような髭を生やし、刺しゅうのある亜麻の服を着たカマックは、ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株を大量に空売りした。
カマックが仕掛けた売りの圧力で、ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株は30ポイント下落した。
ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株はたやすく下がるので、株価が底値に達したとき、カマックは当初の2倍の額の空売りをしていた。
そのため、さらなる値下がりを予測しているカマックの含み益は数百万ドルに達したように思われた。
後日、カマックは語った。
「全て俺の言った通りになった。公報は全て悲観的だった。取締役会は配当を取りやめた。これを喜ばずにいられようか。」
「その時、その時だ。ちくしょう!俺は、もう借りる株がどこにもないことに気付いた。
俺は屠殺場の中にいたんだ。俺はどのみち、俺自身の血しぶきを見ることになった。」
カマックはこの冒険の詳細を金融街の記者、ハリー・アロウェイに打ち明けた。
取り乱したカマックは、翌日の株式市場が開く前に、手練の仲買人アル・コームズをグリーン夫人のもとに差し向け、空売りを決済するのに必要な数の株を貸してくれないか、または売ってくれないか頼ませた。コームズはケミカル・ナショナル銀行に行き、戻ってから報告した、グリーン夫人は、今日は忙し過ぎて商売の話ができないと言い張ったと。ヘティは、コームズに翌朝、会うことを約束した。そして、翌朝、コームズは、次のような皮肉を聞かされた。
「前に、カマックさんは、ルイスヴィルは持っているのが恥ずかしいような株だと言ってなかったかしら。」
コームズはもう一つ伝言を持ち帰った。その内容は「明日の早朝、カマック自身がヘティの家に来るように」だった。カマックは約束の時間に遅れまいとするあまり、夜も寝なかった。ヘティ・グリーンの鋭い視線の下、カマックは花嫁のように神経質になった。
ヘティは切り出した
「そういえば、私はルイスヴィル株を持っている。必要なら譲ってもいい。
この紙に、4万株の高値と底値の差額を計算して書いている。
お急ぎなら、1株あたり10ドル上乗せしていただけるとありがたい。いかがかな、カマックさん。」
カマックは多くを語らなかった。
カマックは、ヘティにちょうど40万ドルの利益をもたらす小切手を手渡した。
カマックは少なくとも100万ドルを失うとみられていたため、この事件の後、カマックの前でヘティ・グリーンのことを冷酷だと言う者はいなかった。ヘティは、ルイスヴィル株を買い占めた。したがって、ヘティが望むなら、カマックを身ぐるみ剥いでしまうことができた。もしも、カマックがコリス・P・ハンティントンだったなら、話は違っていただろう。ハンティントンはヘティの敵だった。
ヘティは、アディソン・カマックに情けをかけたことが、ウォール街での彼女の性格に関する評判からかけ離れていたことをよく知っていた。
ある時、ヘティは、ケミカル・ナショナル銀行の事務室で訪問者を応対して語った。
。。。
グリーン夫人に関するスティルウェルの小話は、ベロウズフォールズの歴史家ヘイズによって注意深く記録された。
ヘティがよくホテルの一室で自分の服を洗い、洗濯物の束を窓の外に投げた後、1階に降りて、ホテルの窓ガラスに洗濯物を広げて乾かしていたことについて、スティルウェルは事実だと保証した。しかし、ヘティに洗濯係として雇われた女性が流行らせた次の小話のほうがずっと公平だ。グリーン夫人が、洗濯係の賃金を彼女が仕事をやめる準備をするまで値切ったというものだ。グリーン夫人は最後の譲歩として、ペチコートの全部を洗う必要はなく、床や道に触れて汚れる裾の部分だけでよいと断言した。
ヘイズ氏の記録によると、スティルウェルがよく語っていた別の小話がある。それはヘティが、夜遅く馬預かり所に行った時のことだ。ヘティは非常に興奮し、スティルウェルに馬を手配させ、郵便切手を落としたと思われる所に戻った。ヘティが探していたのは、2セントの切手だった。切手は見つからず、グリーン夫人は鬱々として家に帰った。数時間後、ヘティは馬預かり所のドアをたたいて、スティルウェルを起こし、翌朝の捜索の指示を取り消した。ヘティは幸せそうに微笑んでいた。なぜなら、着替えの時、服の中から切手を見つけたからだ。
スティルウェルは、村で評判の有名人だ。
スティルウェルは自分自身のことを才能ある話し手だと思っていた。そして、スティルウェルは聞き手の興味を引くため、ヘティに関する話を脚色した可能性がある。確かにスティルウェルは、雇い主のヘティのために多くの仕事をした。ヘティが都会に行った時の馬の世話、ヘティの飼い犬の世話、そして、その他ヘティが留守の自宅に放置しておけない所有物の管理をした。
以前、ヘティがニューヨークに行った時、デービッドの馬小屋使用料をぐんと値切った。
ヘティが不在の間にベロウズフォールズでエピゾーティックと呼ばれる謎めいた馬の疫病が流行した。スティルウェルは馬の治療のため88セントを使い、グリーン夫人が戻った時、治療行為のおかげで老馬デービッドの命が助かったと説明した。しかし、ヘティは請求の支払いをしようとしなかった。ヘティは、デービッドがやせたのは、スティルウェルがエサを十分やらなかったからだと言った。
ある年の春、スティルウェルは、ヘティが飼っていたニューファンドランド犬の世話を放棄したためヘティとけんかになった。ヘティは旅行で村を立つ前、ジュノーという名の犬を注意深く世話するようスティルウェルに言い含めた。村のお節介屋が、スティルウェルが犬の世話を怠けているとの手紙をヘティに送った。それはジュノーではなく、村の雑種犬のことだった。
ヘティは、スティルウェルに悪意のある手紙を送り、ジュノーをニューヨークにいるヘティの許へ送り届けるよう指令した。 ジュノーは4匹の子犬を産み、それぞれが25ドルで売れた。そしてヘティが態度をやわらげたとき、スティルウェルはジュノーをヘティの許に送り届けた。スティルウェルは、ヘティが、子犬を産ませるために素晴らしい血統の犬を仕入れ、犬の相場が上がった時にジュノーも売却したとの印象を受けた。
ヘティの子供たちが人格形成期を過ごした村、ベロウズフォールズの人々が、ヘティについて覚えている事柄はこういったものだ。 にもかかわらず、ヘティは村人から好かれていた。ヘティが村を出るたび、村人たちはヘティがウォール街とかいう場所に行っていると思い込んだ。ヘティが戻ってくるたび、村人たちは、当然のようにヘティがさらに金持ちになったと思い込んだ。しかし村人たちは、ヘティの富または権力の大きさについて正当に評価していなかった。40万ドル以上のお金をアディソン・カマックからもぎ取る冒険を終えて家に帰った後、ヘティは、スティルウェルに小言を言うようになった。それは、スティルウェルが長い馬屋の列の外に馬糞を熊手で投げ捨てることに対して、デービッドの売値が下がるとの内容だった。村人たちは、ヘティは変わった人だと思った。
ヘティは、村のある貯蔵庫に途方もない数の宝石を蓄えた。
ベロウズフォールズに蓄えられた宝石については、あらゆる種類の伝説がささやかれた。
その量は1ブッシェルのかごを満たすといわれた。
快晴の日の海のように青いサファイア、
望遠鏡で見た星々のように輝くダイヤモンド、
鯨の鮮血よりも赤いルビー、
バーモント州の村々と世界を隔てる急勾配の草深い丘のように緑のエメラルド
があった。真珠もあった。
ヘティは、後年ロッキングハムの判事になったT・E・オブライエンに宝石を全部見せた。
オブライエンはヘティがどこで宝石を手に入れたのか知りたがった。
「いくつかは相続で、多くのものは取引で」とヘティは説明した。
盗難防止のため宝石の隠し場所の鍵穴をパテで埋め、その上に封印紙を貼るのがヘティの習慣だったとオブライエン氏は言った。

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第26章ヘティ、テキサスの鉄道を買う
グリーン夫人は、かつて祖父や父が船を海に送り出したのと同じ気持ちで息子を事業に送り出した。
ヘティは、息子を信頼できると感じられるようになって初めて息子に鉄道事業家になる道を歩ませた。
ヘティが知るところでは、グールドは7年で鉄道事業界での地位を築き上げた。
ヘティの支持のもと、息子はどこまでも遠くに行けそうだった。
全ての母親は息子に幻想を抱くが、ヘティは息子が巨大な富を手に入れると約束されていると思った。
グールドは鉄道業で財産を増やした。
ウィリアム・ヴァンダービルトは同じ分野でより多くの財産を築いた。
総延長6486マイルのサザン・パシフィック鉄道は、1892年の1年間で、4900万ドルの利益を上げた。
ヘティは、ペンシルヴァニア鉄道によって運ばれる無煙炭と瀝青炭の利益も知っていた。
ヘティは、シカゴのミルウォーキー・アンド・セントポール鉄道沿線の小麦と材木の産地が鉄道の所有者に利益をもたらしていることを、完全に理解していた。グリーン夫人は、鉄道会社を所有・経営する機会を徹底的に活用した。
ヘティは、ネッドのためにオハイオ・アンド・ミシシッピ鉄道の機会を見つけた。その鉄道は単線で、ケンタッキー州シンシナティとルイスヴィルから東セントルイスまで、そして、イリノイ州ベアーズタウンからイリノイ州ショーニータウンに伸びていた。1887年、ヘティは、発行済株式20万株のうちの2200株と7万6千ドル相当の社債を持っていた。2つの集団が鉄道の支配権をめぐって争っていた。ボルチモア・アンド・オハイオ・サウスウェスタン鉄道は、オハイオ・アンド・ミシシッピ鉄道を必要としていた。東部の金融界で「沈黙スミス」として知られるジェイムズ・H・スミスは、その意図に気付いていたが、ボルチモア・アンド・オハイオ・サウスウェスタン鉄道が、もっと高い代価を支払わざるを得ないようになるまで売り渋ろうと思った。グリーン夫人は、スミスを代表とする株主の集団に味方した。
争いの決着は、シンシナティで開かれた1891年の年次株主総会に持ち込まれた。3人の取締役が選ばれることになっていた。ある候補者の集団は、ボルチモア・アンド・オハイオ・サウスウェスタン鉄道との連結を望む関係者を代表していた。別の集団は、連結に反対する株主の代表だった。連結反対派の候補者は、沈黙スミス、セントルイスのエドワード・ウィテカー、ヘティの息子グリーン氏だったが敗北した。しかし、彼らは争いを最高裁判所に持ち込むことを決めた。J・F・バーナード社長は、ボルチモア・アンド・オハイオ・サウスウェスタン鉄道との合併から、自身の仕事を守ることにグリーン夫人が協力してくれることを期待し、ネッドに取締役優待乗車証を送った。
現在、ある東部の鉄道会社の副社長を務めている紳士が、当時、バーナード社長の秘書だった。彼は、ある日、帽子のつばと顔がススで汚れた、片足が不自由で背の高い若い男がシンシナティの事務所に来たことを覚えている。それは、グリーン夫人の息子で、彼の取締役優待乗車証は、ちょうどイリノイ州ベアーズタウンからシンシナティへの旅で欄が埋められていた。ネッドは全区間通して貨物列車の乗務員車に乗った。
それ以来、ネッド・グリーンは時々、シンシナティの事務所に顔を見せるようになった。ネッドは専務取締役を自称した。1893年、グリーン夫人とその同盟者たちはボルティモア・アンド・オハイオ株を全部売った。
しかし、その時までに、ネッドはシカゴ・テキサス間の旅行に多くの時間を費やしていた。成功の見込みが薄く、長年、ヘティの悩みの種となった事業案件が、ネッドのために作り出されようとしていた。もし、誰かが、アメリカ国内の町と町をでたらめに結ぶ無数の短い路線をまとめて大陸横断鉄道を作ろうとすれば、どこを起点にするかが重要になる。そして、テキサスは、他のどのような場所よりも起点にふさわしかった。たった1年前に、グールドとハンティントンは、互いにテキサスに手を出さない一種の休戦状態に入った。それはあたかも、中国の群雄が州の支配をめぐって争うかのようだった。ネッドの機会の一つは、ヒューストン・アンド・テキサス・セントラル鉄道の支線だった。コリス・P・ハンティントンもそれを必要としていた。
1892年12月のある日、テキサス州ワコのマクレノン郡裁判所の階段は人ごみであふれていた。最上段には、合衆国巡回裁判所の事務員、クリストファー・ダートが立っていた。彼は、ワコその他のテキサス州の自治体に重大な結果をもたらす鉄道資産競売の委員長だった。しかし、その大群衆の中に買値を提示した者は4人しかいなかった。供託金2万5千ドルを預けることができない者は買値を提示できなかった。
4人のうち2人は早くも沈黙した。残りの2人は競りを続けた。競りを続けている者のうちの1人はジュリアス・クラットシュニットで、当時、コリス・P・ハンティントンの助手だった。クラットシュニットは後日、ハリマンの補佐役になる。この時、クラットシュニット氏はヘティ・グリーンの息子の競争相手だった。結局、ネッドは、クラットシュニットが付けることを許された値よりも高い買値を提示し、鉄道資産は、137万5千ドルでグリーン夫人の代理人ネッドが落札した。ヘティが買ったものは、ワコ・アンド・ノースウェスタン鉄道として知られるヒューストン・アンド・テキサスセントラル鉄道の58マイルの区間だった。それは、ブレモンドからロスまで走り、27万7230エーカーの土地(鉄道建設を奨励するための補助金の一部)とテキサス州の北の境界であるレッド川まで鉄道を建設する特許権が付属していた。
ハンティントンは、自分の代理人がその支線を落札できないとは全く思っていなかった。加えて、ハンティントン本人はカリフォルニアに行っていた。クラットシュニットは自ら競売に出席せず、弁護士を代理人として競売に行かせていた。にもかかわらず、グリーン夫人の息子が、ハンティントンが代理人に許した金額のはるか上まで買値をつり上げ始めた時、ハンティントンの代理人たちは、ハンティントンに電報を送ろうとしたが、無駄に終わった。その日はグリーン親子の勝利だった。しかし、それは、ただの前哨戦に過ぎなかった。コリス・P・ハンティントンは敗北の味を極端に嫌った。
グリーン夫人が新たな鉄道区間を買うまでに2ヶ月もかからなかった。ヘティには疑いなく、以前の投資を守ること以上の深い動機があった。それは息子のためだった。新たに買収したのは、テキサス・セントラル鉄道の北東支線でギャレットとロバーツという52マイル離れた2つの自治体を結んでいた。ギャロットとロバーツは、鉄道が操業を開始した1882年には、町というよりむしろ村と呼ばれていた。
テキサス・セントラル鉄道には75万ドルの債務があったが、ヘティは、買収するにあたって75万ドルも支払わなかった。
その時、鉄道は極度の財政難に陥り、裁判所の命令によって競売にかけられた。
債券保有者を代表する委員会が買値を提示した。この買付委託者の団体として組織された委員会は、グリーン夫人を除く全員が会社の清算を強く望んでいることに気付いた。売却価格に対するヘティの取り分は11万3537ドル50セントになるはずだった。グリーン夫人は、その取り分を受け取るよりも、北東支線と呼ばれる鉄道区間およびその付属地からなる資産を買う方がいいと言った。ヘティは時価11万3537ドル50セント相当の債券と現金7万5千ドルを代価として支線の資産を手に入れるつもりだった。ヘティの提案は受け入れられた。
その後まもなく、グリーン夫人の鉄道会社は合併してテキサス・ミッドランド鉄道となった。
それは、1892年12月のことだった。
ヘティは何人かの取締役を指名した。彼らには見識がなく、会社にとって必要なのは若者だと考えた。結局、取締役会でエドワード・ヘンリー・ロビンソン・グリーン氏(ネッド)が社長に選ばれた。彼は27歳だった。ネッドの後ろのどこかで、ヘティは新聞記者から取材を受け、取締役が息子の能力を認めたことについて喜びを表現していた。
テキサス州テレルは、1928年までに人口1万人に達し、主な収入源は周囲の綿花畑だ。
しかし、グリーン若社長が母親の52マイルの鉄道会社の事務所に落ち着いた時、テレルの人口はごくわずかで、新参者は住民と知り合うことなく、2日と持たずに去っていくだろうと思われた。
町の女性たちは、その若者が大学卒業後12年間独身でいる誓約を交わしていることを知らなかった。その結果、ネッドは彼女たちの人気者になった。町の男たちは、ネッドが鉄道を拡張しようとしていたことを知っていた。その結果、ネッドは彼らの人気者になった。ネッドはつばが自分の肩幅ぐらい広いテキサス帽をかぶった。暑いときは(だいたい暑いのだが)コートなしで行動し、町の一員であることを示した。ネッドは郵便切手と珍しい硬貨を収集した。日曜日には教会の奉仕活動に参加した。ネッドは疑いなく、遠く離れた人口の少ないこの地で、他のどの新住民よりも歓迎された。人の話を聞いたとき、ネッドの巨体は深い笑い声でふるえた。
明らかに、ネッド・グリーン氏はテキサス州テレルの住人に好かれた。ネッドはうわさ話の種となり、その驚異的な人気は町の自慢になった。全米一金持ちの女性の息子!大げさな住民は、ヘティは世界一金持ちの女性だと旅人に自慢した。他のテキサスの町々は嫉妬に狂った。
グリーン社長の鉄道拡張計画は野心的だったが、実現する見込みはなかった。当時、彼はエニスからグリーンヴィルまでの73マイルの鉄道を持っていた。その列車は、綿花地帯の線路を14マイル走り、そして、パリスからコマースまでの37マイルの新しい線路を走った。世界大戦中にグリーン氏は綿花地帯に平行に走る路線を敷設して2つの路線をつなげたため、結局、グリーン氏は125マイルの鉄道に加えて、引込み線と操車場を含む148マイルの鉄道を所有することになった。
テレルの人々と線路沿いの町に住む人々は、当初、大きな成長を期待した。
1897年にオクラホマ準州のガスリーから、重要な鉄道建設計画が進行中との至急電が届いた。
ニューヨークのヘティ・グリーン夫人は、オクラホマ州に通じる鉄道を建設すると述べている。提案された路線はロックアイランドのメドフォードからテキサス州シャーマンに伸び、そこでE.R.グリーン(ネッド)の路線につながる。この路線は、カンザス州ハッチンソンからオクラホマ州ハッチソンとガルベストンにつながり、湾岸への交通の便となる。その路線は、1898年に建設されると言われている。
それは、決して実現しなかった、少なくともグリーン夫人のお金によっては。
ヘティはネッドに最高のエンジン、最も重いレール、その他の良い設備を買うことを許可したが、ネッドが鉄道事業家として路線を拡大することは、あまり奨励していなかった。これは、ヒューストン・アンド・テキサス鉄道の区間を裁判所の手続きで買った時、コリス・P・ハンティントンと争った経験によるのだろう。
この路線は、元々ガルベストン・アンド・テキサス・セントラル鉄道として知られていた。
それは、テキサス州で最初の鉄道企業の一つであり、州の中心部をデニソンまで直進した。その蒸気機関は、南北戦争以前は長年、メスキート木を燃料にしていた。1880年代初めには、利益とスポーツのために貨物列車の一つを襲撃して壊滅させることを考える人もいた。彼らは時刻表に関して十分に知らされておらず、彼らが線路上に置いた障害物に旅客列車が衝突した。死傷者は多数にのぼり、裁判所は損害賠償のためその鉄道会社を管財人の管理下に置いた。
列車が壊れたことが、鉄道会社が債務不履行に陥った真の原因だった。
そして、その結果、ニューヨークのジョン・J・シスコ・アンド・サン銀行で、あの悲惨な事件が起こった。グリーン夫人がウォール街に出向き、夫を追放した。時は流れ、列車を取り巻く状況が魅力的になった今でも、食べ物その他の物を狙って列車を前へ後ろへと追跡する解体業者がいるのは面白い。
グリーン夫人は、全部ハンティントンのせいだと何度も何度も言ったが、彼に対し列車事故の責任を問うことは難しい。他の事故に対してどんなに責任を問えたとしてもだ。再編委員会は、1885年以降、ニューヨークでヒューストン・アンド・テキサス・セントラル鉄道を建て直し不動産賃貸料を支払えるようにするため奮闘した。農業金融信託会社は一番抵当に対し貸し付けしてきたが、資金調達のため債券保有者を募集するようになった。その債券は不動産担保を裏づけとして発行された。農業金融信託会社はヘティ・グリーン夫人に宛てられた古い封筒を受け取った。ヘティの名前の上には「25万ドル」と鉛筆で書かれていた。職員はそれを見ただけでグリーン夫人が額面1000ドルの債券を250通、所有していることがわかった。一日ほどたってから、ヘティは農業金融信託会社の利子を独立して扱うことを提案したと債券保有者委員会に通知した。
1892年3月にワコの裁判所は54マイルの鉄道区間を競売にかけ、12月にネッドはハンティントンの代理人クラットシュニットより高い値を付け落札した。
この時からハンティントンは戦いを始めた。ハンティントンはその鉄道区間を手に入れたがっていた。グリーン夫人は単にハンティントンの進路に足を踏み入れただけだった。ハンティントンの最初の行動は、合衆国巡回裁判所への請願の提起だった。それは鉄道の管財人(ハンティントンの速記者の一人)が鉄道不動産について96313ドル87セントの抵当権を保有していたという内容であり、それらの抵当権は売却資産として記載されていなかった。
グリーン氏、というよりむしろテキサス・ミッドランド鉄道のグリーン社長は、入札した資産に抵当権は記載されていたと返答した。ネッドは、もし抵当権の記載がない場合は入札を撤回したいと言い、そうするために裁判所の許可を求めた。
ハンティントンはグリーンが撤退することは許されないと強く主張し、第二の訴訟を提起した。そこで、グリーン親子が入手した鉄道に対して(表向きは)様々な告訴人から訴訟の洪水が提出された。ワコの議会に国から会社に供与された州内の鉄道付属地を全部没収することを許可する法案が提出された。新しい所有者は、明らかに絶望的な訴訟の激流に巻き込まれた。それはヘティ・グリーンとその息子にはあまりにも大きかった。ハンティントンは事件を酷くもつれさせたので、新しい所有者は、掘り出し物に関する疑惑をはっきりさせることを望んだ。
ハンティントン氏はテキサス州に強い影響力を持っていると思われた。1893年3月14日、裁判所は売却を承認し、ネッドが買った資産には抵当権の記載がなかったと判決した。
ヘティ・グリーン夫人は、生涯でたった一度の不注意な買い物をしてしまったかに見えた。テキサスの鉄道は、1マイル当たり1万240エーカーの気前のよい土地供与に助けられ建設された。当時、土地は鉄道会社の資産のかなりの部分を占めていると思われた。グリーン氏は、支線と一緒に買った土地の権利はひどく混乱しているので、所有しているとは言い難いと報告した。謎の人物がわざと混乱させているように思われた。1人の相手どころではなく、テキサス州の2、3の郡の中に千人の敵がいるようだった。ネッドは助言を求めるため、母に電報を送った。
ネッドは契約した金額の支払いを渋ることにした。それは、多分、へティの指図だった。ヘティはネッドにお金を渡さなかったのだろう。とにかく、裁判記録によると、ハンティントンが裁判所に提出した書類はE・H・R・グリーンに軽蔑の念を抱かせた。しかし、ネッドは、安すぎる買値を提示したために発生した損害は全て負担するという条件で鉄道の売却を依頼した。
サザン・パシフィック鉄道を邪悪なタコと見なすカリフォルニアの人々は、ハンティントンと戦うグリーン夫人を英雄視した。グリーンとハンティントンの戦いの最中、グリーン夫人がケミカル・ナショナル銀行で玉ねぎをかじり気炎を上げていたある日、カリフォルニアから1個の小包が届いた。その中には、44口径の回転式連発拳銃と革袋が入っていた。それは、西海岸に住む熱心な支持者からの贈り物で、もしサンフランシスコに来ることがあれば盛大な歓迎を約束するとの手紙が添えてあった。その約束についてヘティは「もし、私がサンフランシスコに行ったら、1万人以上の人が駅に集まり、ハンティントンに対する勝利に向かって共に行進し、太平洋岸の人々に対する彼の極悪非道な仕打ちを罰しただろう。」と何度か語った。グリーン夫人がその強敵とあいまみえた日、手に取ろうとした拳銃は、その時贈られたものだっただろう。
期日到来によって、ひどく困難な状況にある息子を助ける気がグリーン夫人にあるかどうか確かめるため、ハンティントンは、ケミカル・ナショナル銀行に行った。グリーン夫人は友人のチャールズ・W・オグデン夫人に語った。彼女の夫は、ダラスの弁護士で、テキサスでのネッドの法律顧問だった。
。。。

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ヘティ・グリーンと1907年恐慌
1901年、J.Pモルガンは約2億5000万ドルでカーネギースチールを買収しUSスチールを設立した。
モルガンは、繊維産業などでも企業買収によって巨大企業を作っていった。
その中のいくつかでは、関係企業の株価がつり上げられた後、買収資金をまかなうための新株が発行された。
その結果、株式ブームが起こった。好景気はやがてバブル化した。
その間、ヘティが批判めいた発言をしても、古臭く退屈な考え方としか受け取られなかった。
1907年、ニッカーボッカー信託銀行の破綻をきっかけにして、恐慌が起こった。
好景気の時には気前よくお金を貸していた銀行が、不景気になると急に 貸し出しを渋るようになった。
ニューヨーク市は資金繰りに窮し、市の清掃部門にさえ給料を支払えなくなった。
そのときヘティが現れ、ニューヨーク市にお金を貸し付けたため、ニューヨーク市は急場をしのぐことができた。
さらにヘティは、ラカワナ鉄道が、いち早く燃料に無煙炭を使って乗客にすすが付かないようにした こと(参考)に注目して、
恐慌下にもかかわらずラカワナ鉄道への貸付を増やした。
話は前後するが、 1905年11月ヘティは、ニューヨークタイムズの記者に次のように語った。
「安値で誰も欲しがらないときに品物を買う、
そして、それが値上がりして、人々が買いたいと強く望むようになるまで、相当な数のダイヤモンドを持つように、持ち続ける。
これが、事業で成功する一般的な秘訣だ。」

題名省略
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ヘティ・グリーン死後の話
現在、アメリカにはヘティ・グリーン系の財閥は残っていない。
ヘティ・グリーンの子孫も残っていない。
ヘティ・グリーンの死後、巨大な遺産はどうなったのだろうか。
ヘティの死後、遺産は息子のネッドと娘のシルビアに半分ずつ相続された。
ネッドは、ヘティの死後、無茶苦茶にお金を使った。
豪邸を建て、豪華客船を買った。
また、ネッドは新奇なものには何でも手を出した。
自動車、飛行機開発に熱中し、自分のラジオ局、テレビ局を作った。
そこまでは、一般人でも理解できるのだが、極めつけは、マサチューセッツ工科大学の教授を呼び寄せて粒子加速器(参考、ネッドが作らせたものはもっと小さかったと 思う。) を作らせたことだ。
自動車や飛行機やテレビ、ラジオは日常生活で使うかもしれないが、粒子加速器を日常生活で 使うことはない。
ネッドはよほどお金の使い道に困ったようだ。
それでもネッドは世界大恐慌の直前に鉄道会社を売却し、世界大恐慌直後に買い戻したりして儲けていたので、財産は減らなかった。
やがて、ネッドが子供なしで死んで、遺産は全てシルビアのものとなった。シルビアにも子供がなかった。
ネッドにもシルビアにも子供がいなかったのには原因がある。
ヘティはネッドの恋人が金遣いが荒いことを嫌った。
そのため、ヘティが死ぬまでネッドはその恋人と結婚できなかった。
一方、シルビアに求婚する 社交界の男性も多かったが、ヘティは
「そういう男は、金儲けをしたこともなければ、お金の価値も知らない。」
と言って認めなかった。
そして、シルビアは38歳で結婚した。
だから、ネッドにもシルビアにも 子供がいなかったのは偶然ではない。
シルビアの死後、遺産は遺言により140に分割され、大学、病院、図書館、シルビアの知人などに 分け与えられ社会に還元された。
2006.6.10
ヘティ・グリーンの死亡記事
アメリカの一部の教会関係者は、今だに日曜日の説教で信者に向かって、ヘティ・グリーンは不幸な人で、 苦しみながら死んだ、と中傷しているらしい。
しかし、余り信用できない。
『Hetty:The Genius And Madness of America's First Female Tycoon』
の記述では、 ヘティは普通に脳卒中で倒れて衰弱して、息子と娘に看取られて81歳で死んでいる。
1916年のことである。
僕の印象に残ったのは、
「ヘティは毎日、息子のネッドに会った。ネッドは、ちょうど数十年前 ヘティが父と祖父にしたように、その日の経済ニュースを詳しく話した。」
という記述だ。 普通の人なら、死ぬ前にお金を 使ってしまおうと考えると思うが、ヘティはそういう考えを超越してしまっている。
一種のさわやかさを感じる。生活を派手にすることと結びつかない金銭欲は、無欲に等しいのではないか。
ヘティ・グリーンの死亡記事に関しては
「もし、ヘティが男性だったなら・・・ 莫大な財産を増やすために身も心も費やしたとしても、 人は特にそれを変わっているとは思わないであろう。」
が有名だが、 他にも何種類かある。
「ほとんど全ての町、小さい町にさえ、ヘティ・グリーンに 似た女性がいる。
ヘティがお金を貯めこむために払った犠牲は平均的なものである。
ただ、他の女性が数千ドル貯めこんだのに対して、ヘティが数千万ドル貯めこんだことが違うだけだ。」
「たぶんへティは幸せだっただろう。 ヘティは勇気を持って自分の生き方を選び、好きなだけケチな生活をした。
彼女にとって正しく 役に立つと思えるような世の中の慣習に従い、その他の全てを冷たく、または穏やかに無視した。」
2006.5.13
ヘティ・グリーン対宗教
ヘティ・グリーンは政府や企業にお金を貸していたが、善意で多くの教会にお金を低利で貸していた。
あるとき、シカゴの第5長老教会は、借金を返せなくなってしまった。
その教会の牧師は、他の教会の牧師 にまで呼びかけて、信者に向かって、ヘティは情け容赦ない金貸しだと中傷させた。
さらに、その牧師は、 ヘティに手紙を出して、担保物件を売りさばくと、天国へ行けなくなると脅した。
(まったく、ひどい宗教もあったものだ。)
この手紙に対して、ヘティはこう返事した。「脅すつもりなら、新しい教会の礎石の 上で祈ったほうがいいですよ。担保物件は売りさばきますので。」また、多くの教会関係者がヘティを弁護する側に回ったらしい。
2006.3.18
ある日、ヘティは仕事上の用事で不動産会社に行った。
ある社員は、ヘティの質素な服装を見て、雑用の仕事を求めて来たに違いないと思った。
その社員は「お手伝いさんは雇わないよ。」 と言ってヘティを追い出そうとした。
仕方が無いので、ヘティは「私はヘティ・グリーン。あなたの会社が私から50万ドル借りたいと言うので、商談のために来た。」
と言った。お金を借りようとする相手を追い出そうとするのだから、失礼極まりない社員だ。
その後の記述は無いが、きっと社長が出てきて社員に怒りつつヘティに謝るという 具合になったのではないか。
2005.12.4
へティ・グリーン対コリス・ハンティントン
『バブルの歴史』にヘティ・グリーンが鉄道事業家のコリス・ハンティントンをピストルで脅したという 謎めいた記述がある。コリス・ハンティトンは、スタンフォード(スタンフォード大学設立で有名)とともに 大陸横断鉄道の建設に関わった超大物である。 この事件には次のような背景がある。 1892年、ヘティはアメリカ西部の小さな鉄道を競りで買収した。 ハンティントンもその鉄道を 狙っていたが、提示額が少なく買えなかった。ハンティントンは何としてもその鉄道 を手に入れようとしてヘティに嫌がらせをした。 ハンティントンは裁判所を操作してヘティが買収した鉄道には土地が付属していないということにしてしまった。 当時の鉄道会社には沿線の土地が政府から無償で与えられ、その土地を売って会社の利益にすることができた。 そのため、買収した鉄道に土地が付属していないことはヘティにとって大損だった。 嫌がらせはさらにエスカレートして、ハンティントンはヘティの事務所に押しかけ、 鉄道を手放さなければヘティの息子( へティの事務を代行するためアメリカ西部に 派遣されていた。) を警察に逮捕させると脅した(無茶苦茶だ)。その時、ヘティは机からピストルを取り出しハンティントンに 向けて
「Up to now ,Huntington,you have dealt with Hetty Green,the business woman.Now you are fighting Hetty Green,the mother.
Harm one hair of Ned's head and I'll put a bullet through your heart!」
と言ったとされる。
日本語に訳すと
「ハンティントン、あんたは今まで実業家としての私と取引してきたけど、今、あんたは母親としての私と戦っているんだよ。
ネッドの髪の毛一本でも傷つけたら、 あんたの心臓を撃ち抜くよ!」
といったところだろうか。ハンティントンは叫び声をあげて逃げ去ったらしい。
その後、ヘティは自分の買値より高い値段で鉄道をハンティントンに売却して利益を上げた。
2005.8.14
1886年初夏、ヘティ・グリーンは、ジョージア・セントラル鉄道の株を1株あたり70ドルで 6700株買った。近いうちに、ジョージア・セントラル鉄道株をめぐる買収合戦が起こるという情報を聞きつけたからだ。 ジョージア・セントラル鉄道は多数の鉄道路線の寄せ集めで、非効率経営が行われていた。 ニューヨークの投資家グループはジョージア・セントラル鉄道を買収して利益が出る会社に作り変えようと画策した。 ヘティ・グリーンがジョージア・セントラル鉄道株を買った後、買収合戦は過熱化した。 ニューヨークの投資家グループは、ジョージア・セントラル鉄道の経営者を、非効率で株主に報いていないと批判した。 これに対して、ジョージア州民は、ニューヨークの投資家グループは短期間の利益しか考えてないと批判した。 (現代日本に外資が入ってくるときの論争そっくりだ。)さらに、約20年前の南北戦争の 記憶が両陣営の対立をいっそう激しくした。「南北戦争研究室」によると、南北戦争時、 北軍は、ジョージア州で、 大都市から農村・田畑に至るまで進撃路の南部人資産をことごとく収奪・焼却したといわれる。 ジョージア・セントラル鉄道株の買収合戦が過熱化した結果、株価は1886年11月に100ドルまで上がった。
株主総会の時期が近づいたとき、ニューヨークの投資家グループは取締役選挙に勝つために、 ヘティ・グリーンが持っているジョージア・セントラル鉄道株を買い取ろうと考えた。 ニューヨークの投資家グループの一員で、取締役選挙に勝った場合、 ジョージア・セントラル鉄道の社長になる予定のE・P・アレクサンダーがヘティ・グリーンとの交渉にあたった。 アレクサンダーは、ヘティ・グリーンに1株あたり115ドルで ジョージア・セントラル鉄道株を買い取ると提案した。ヘティ・グリーンは1株あたり125ドルを要求した。 アレクサンダーは、1株あたり125ドルで買い取る現金が無いので、いったん断ったが、後に、取締役選挙で自分の陣営に投票してくれたら、 選挙に買っても負けても1株あたり125ドルで買い取ると妥協案を示した。 アレクサンダーにとっては信じられないぐらい寛大な妥協案だったらしい。 しかし、ヘティ・グリーンは、現金が手に入るまで時間がかかる料金として1株あたり5ドルを加算して1株あたり130ドルを要求した。 結局、1株あたり127.5ドルで合意に達した。 1887年1月株主総会が開かれ、アレクサンダーは選挙に勝った。 この取引でヘティ・グリーンは、 38万5200ドルの利益を手に入れた。
2005.6.19
2005.4.24の補足
「南北戦争研究室」の「南北戦争時の貨幣価値について」 に、 グリーンバックス(アメリカ紙幣)の値動きの資料がある。 グリーンバックスは1864年に底値をつけた後、 値上がりし続け、1879年に金との兌換が再開された(つまり、1ドル紙幣を銀行に持っていけば、 1ドルの金貨と交換できるようになった)。 『Hetty:The Genius And Madness Of America's First Female Tycoon』 によると、ヘティ・グリーンは、 南北戦争終結後、1865年から1867年にかけてグリーンバックスを買っているので、どの時点 で売ったとしても、かなりの利益を得たと思われる。
2005.6.5
ある日、ヘティが雑誌記者に、なぜケチな生活をするのか、と聞かれた。ヘティは 、自分の家は5世代にわたって金持ちなので、富を見せびらかして社会的地位を上げる必要がない、 と答えた。この発言のため、ヘティは当時のマスコミに、金持ちは金持ちでない人より偉いのか、と批判された。たぶん、 へティは、金持ちは金持ちでない人より偉いと言いたかったのではなく、 『バブルの歴史』に出てくるような、富を誇示するにわか金持ちと自分は違うと言いたかったのだと僕は思う。
2005.5.8
ヘティ・グリーンが、銀行で大量の預金を一度に引き出せと要求して、 銀行を潰したというエピソードがある。 また、ヘティの夫、エドワードが事業で破産したが、 ヘティは結婚の条件として、夫婦の財産を別管理にしていたので無事だったというエピソードがある。 実は、この二つのエピソードは関連していた。1884年、ヘティの取引先の銀行が鉄道投資に失敗して、 経営危機に陥った。それを知ったヘティは、銀行から預金を引き出そうとした。 しかし、エドワードはその銀行から大量の借金をしていた。 ちょうど、ヘティはその銀行の最大の預金者で、エドワードは最大の借り手だった。 銀行側はヘティにエドワードの借金を払うよう頼んだが、ヘティは聞き入れず、 銀行から預金を全て引き出した。こうして銀行は潰れ、エドワードは破産した。 何の落ち度もないのに、ヘティはこの事件でずいぶんマスコミに叩かれたらしい。
2005.4.24
「J_Coffeeの株式投資日記」では、南北戦争中にヘティ・グリーンがアメリカ国債を買ったとされているが、 『Hetty:The Genius And Madness Of America's First Female Tycoon』によると、 ヘティは南北戦争後にアメリカ紙幣を買ったことになっている。 南北戦争中に北軍は戦費をまかなうために大量の紙幣を発行した。 南北戦争後、経済の先行き不安から、アメリカの紙幣の価値が下がり、 1ドル紙幣が50セントの金貨と交換されるようになった。 ヘティは、このアメリカ紙幣を大量に買った。 鉄、石炭、石油などの資源開発が押し進められ、 アメリカの戦後復興が順調に進んでいるとヘティは考えたからだ。 この本では、その後、アメリカ紙幣がどうなったかの記述がない、 アメリカ史の常識なのだろう。アメリカ史の基礎知識を身につけようと思った。
これまでの研究
2005.1.30
『Hetty:The Genius And Madness Of America's First Female Tycoon』購入。 ヘティ・グリーンの生涯を扱った洋書である。『Witch Of Wallstreet』がどうしても手に入らなくて困っていたが、 2004年11月に新しいヘティ・グリーンの伝記が出版された。早速、Amazonで注文して取り寄せた。 いちいち辞書を引くと、全く先に進まなくてつまらないので、小学生が大人向けの歴史の本を読むような感じで読んでいる。 まだ投資手法のところまで読み進んでいないが、ヘティの幼年期のエピソードで面白いものがあった。 ヘティが6歳か7歳のころ、歯医者に行かされた。普通の子供にもよくあることだが、ヘティは歯医者を怖がって泣き叫んで治療を受けようとしなかった。 歯医者が困っていたところ、召し使いがヘティの母から渡された50セント硬貨をヘティに見せた。そうするとヘティは泣き止んで、おとなしく歯の治療を受けたという。 しかも、ヘティはそのとき受け取った50セント硬貨を全く使わず貯金箱に入れたらしい。素晴らしい。
2004.3.21
大学4年の夏の話になるのだが、株式投資の研究のため「バブルの歴史」を図書館で借りて読んだ。オランダのチューリップ投機から日本のバブル経済まで世界史上のバブルを紹介するという内容の本である。ほとんどの登場人物が、バブルの発生ともに大金持ちになって贅沢な生活をするようになり、バブルの崩壊とともに破滅した。その中で、一人だけ違うタイプの人物がいた。ウォール街の魔女と呼ばれたヘティ・グリーンである。何が違うかというと、まず徹底的なケチ(ギネスブック公認らしい)。どんなに金を儲けても浪費することがなかった。そして、投資手法。ほとんどの人は暴落時に破滅するのに、ヘティ・グリーンは逆に暴落時に買うことが得意だったようだ。彼女は死ぬまでに1億ドルの財産を築いたらしい。このヘティ・グリーンの生涯と投資手法についてもっと詳しく知りたいと思っていたが、適当な本がなかった。今年の3月になって、洋書を買うことにした。
アマゾンで
「Witch of Wall Street Hetty Green」
を注文した。英語が読めるかどうか分からないが、時間をかけて読もうと思う。
到着は3月末か4月初らしい。またホームページで
「Witch of Wall Street Hetty Green」
の紹介をする予定。

題名省略
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2019年02月23日

遠野物語

明治42年8月、彼は遠野を訪れた。
花巻より40キロほどの路上には町場が三箇所ほどあれど、その他はただ青い山と原野ばかりであった。
民家の煙も少なく、北海道の石狩の平野よりも少ないのではと思えるほど。
国男は、駅亭の主人から馬を借り、一人で遠野を巡ることに。
そして柳田国男の遠野の旅ははじまりました。
遠野物語の中にはおもしろおかしいような物語も含まれてはいるようですが、
当サイトの性格上”怪談”としての遠野物語をお送りしたいと思います。
暑い夏の夜をどうぞ涼しくお過ごしください。

shinrei.com
http://www.shinrei.com/special/tohno/index.html






☆「土淵村の山口のトヨという女が気が狂って死んだが、埋葬された翌日、何ものかにその棺から屍を奪い去られた。」
「後日、篠竹を刈るため、この沢(六角牛山の 阿留沢オトメガサワ)近くに野宿した村人が、白衣に笠をかぶって歩いているトヨに出会ったが、トヨはわたしを見たということは誰にも話さないで、と言って姿を消した、と言う。」
☆「山人」が、埋葬した棺から死体を奪い、その死体が息を吹き返し、生き返ったトヨは自分を奪った「山人」の妻にされている。
何年か後に、岩の上で、長く伸びきった黒髪を梳いていた この女が猟師におもしろ半分に撃たれ死んだ。
これが「曾祖母」が「この世に執着を残し」心配していた「娘」の最後であったのだ。

はね駒草紙
http://home.cilas.net/yunami/monogatari/monogatarimisima.html







第五章 『遠野物語』番外編
「炭取りの廻る話」の巻
三島由紀夫『遠野物語』を語る『小説とは何か』から
<民話の舞台>
カッパ淵カッパ淵とカッパ犬カッパこま犬 
☆天才的作家三島由紀夫はまた、優れた文学鑑賞家でもあった。
『小説とは何か』は文字芸術としての小説が創り出す超現実の世界の魅力を伝えてあますところがない。
『遠野物語二十二』を紹介して彼自身の創作の秘密をも暗示してしまう。
私は最近、自分の楽しみのためだけの読書として、柳田国男氏の名著『遠野物語』を再読した。
これ は明治四十三年に初版の出た本で、陸中(現在の岩手県をさす旧国名)上閉伊郡の山中の一集落遠野郷 (現在の遠野市)の民俗採訪の成果であるが、全文自由な文語体で書かれ、わけても序文は名文中の名 文であるが、いま私の挙げたいのは、第二十二節の次のような小話である。
佐々木氏(本書の語り手喜善氏)の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族の者集まり来てそ の夜は一同座敷にて寝たり。
死者の娘にて離縁せられたる婦人もまたその中にありき。
喪の間は火の気 を絶やすことを忌むが所の風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裏の両側に座り、母人は傍 らに炭籠を置き、折々炭を継ぎてありしに、ふと裏口より足音して来るものあるを見れば、亡くなり し老女なり。平生腰かがみて着物の裾の引きずるを、三角に取り上げて前に縫い付けてありしが、まざ まざとその通りにて、縞目にも見覚えあり。あなやと思う間も無く、二人の女の座れる囲炉裏の脇を 通り行くとて、裾にて炭取(炭籠に同じ)にさわりしに、丸き炭取なればくるくると回りたり。母人 は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親類の人々のうち臥したる座敷の方へ近寄り行くと思 うほどに、かの女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。その余の人々はこの声に眠り を覚まし、ただうち驚くばかりなりしと言えり。
この中で私が、「あ、ここに小説があった」と三嘆これ久しうしたのは、
「裾にて炭取にさわりしに 、丸き炭取なればくるくると回りたり」
という件である。ここがこの短い怪異譚の焦点であり、日常性 と怪異との疑いようのない接点である。
この一行のおかげで、わずか一ページの物語が、百枚二百枚の 似非小説よりも、はるかに見事な小説になっており、
人の心に永久に忘れがたい印象を残すのである。
こんな効果は分析し説明しても詮ないことであるが、一応現代的習慣に従って分析を試みることにしよ う。
通夜の晩あらわれた幽霊は、あくまでも日常性を身につけており、ふだん腰がかがんで、引きずる裾 を三角に縫い付けてあったまま、
縞目も見覚えのある着物で出現するので、その同一性が直ちに確認せ られる。
ここまではよくある幽霊談である。人々は死の事実を知っているから、その時すでに、あり得 べからざることが起こったということは認識されている。すなわち棺内に動かぬ死体があるという事実 と、裏口から同一人が入って来たという事実とは、完全に矛盾するからである。二種の相容れぬ現実が 併存するわけはないから、一方が現実であれば、他方は超現実あるいは非現実でなければならない。そ の時人々は、目前に見ているものが幽霊だという認識に戦慄しながら、同時に超現実が現実を犯すわけ はないという別の認識を保持している。これはわれわれの夢の体験と似ており、一つの超現実を受容す る時に、逆に自己防衛の機能が働いて、こちら側の現実を確保しておきたいという欲求が高まるのであ る。目の前を行くのはたしかに曾祖母の亡霊であった。認めたくないことだが、現れた以上はもう仕方 がない。せめてはそれが幻であってくれればいい。幻覚は必ずしも認識にとっての侮辱ではないからだ 。われわれは酒を飲むことによって、好んでそれをおびき寄せさえするからだ。しかし「裾にて炭取に さわりしに、丸き炭取なればくるくると回りたり」と来ると、もういけない。この瞬間に、われわ れの現実そのものが完全に震撼されたのである。
すなわち物語は、この時第二段階に入る。
亡霊の出現の段階では、現実と超現実とは併存している。
しかし炭取の回転によって、超現実が現実を犯し、幻覚と考える可能性は根絶され、ここに認識世界は 逆転して、幽霊の方が「現実」になってしまったからである。
幽霊がわれわれの現実世界の物理法則に 従い、単なる無機物にすぎぬ炭取に物理的力を及ぼしてしまったからには、すべてが主観から生じたと いう気休めはもはや許されない。かくて幽霊の実在は証明されたのである。
その原因はあくまでも炭取の回転にある。
炭取が「くるくる」と回らなければ、こんなことにはなら なかったのだ。
炭取はいわば現実の転位の蝶番(つなぎ目の金具)のようなもので、この蝶番がなけれ ば、われわれはせいぜい
「現実と超現実の併存状態」
までしか到達することができない。
それから先へ もう一歩進むには、(この一歩こそ本質的なものであるが)、どうしても炭取が回らなければならない のである。
しかもこの効果が一にかかって「言葉」にあるとは、驚くべきことである。
舞台の小道具の 炭取では、たといその仕掛けがいかに巧妙に仕組まれようとも、この小話における炭取のような確固た る日常性を持つことができない。短い叙述のうちにも浸透している日常性が、このつまらない什器の回 転を真に意味あらしめ、しかも『遠野物語』においては、「言葉」以外のいかなる資料も使われていな いのだ。
私が「小説」と呼ぶのはこのようなものである。
小説が元来「まことらしさ」の要請に発したジャン ルである以上、そこにはこのような、現実を震撼させることによって幽霊を現実化するところの根源的 な力が備わっていなければならない。しかもその力は、長たらしい叙述から生まれるものでなくて、こ んな一行に圧縮されていれば十分なのである。しかし凡百の小説では、小説と名がついているばかりで 、何百枚読み進んでも決して炭取の回らない作品がいかに多いことであろう。炭取が回らない限り、そ れを小説と呼ぶことは実はできない。小説の厳密な定義は、実にこの炭取が回るか回らぬかにあると言 っても過言ではない。そして、柳田国男氏が採録したこの小話は、まさに小説なのである。
(三島由紀夫『小説とは何か』より)
(本文は関西大学社会学部入試問題から採録した)
手をつなぐ二人の文学青年
☆三島は「自分の楽しみのためだけの読書として」という。
仕事として小説を書くうえで、読まねばならない書物が山積していて、 それはそれで発見の喜びもあるわけだが、
どこかで、本来の読書の喜びから、かけ離れていくむなしさを感じる。
そうしたとき、純粋に、 「自分の楽しみのための読書」を求める、その気持ちが痛いほど分かる。
毎日の授業のために、「工場の哲学」や「脳の話」「紫式部日記」など、 切り読み(?)していると
、「自分のための読書」
に飢えてくる。
この出だしの一言で、いままで疎遠だった三島との距離が縮まった。
☆『遠野物語』を紹介する三島の文章。見事である。
あるものを100字以内で紹介しろと課題が出されたとき、 そのものに関して何を言い、何を言わないかの取捨選択に執筆者の価値判断とものを見る能力の全てが出る。柳田国男の独特の文体をたった一言で、 「全文自由な文語体」と定義した。”その通りである”と納得させられてしまう。「口語自由詩」があり「文語定型詩」があるが、柳田の文体は「自由な文語体」なのだ。 その「自由な」の部分で、柳田が佐々木の語った遠野の昔話を、一つの独立した世界に 創り上げ定着したのであった。それを三島が喝破した。文学青年柳田と三島がにっこり微笑みあっている。
遠野昔話村に立つ柳田像と柳翁宿柳田像と柳翁宿 
幽霊はここにいるー現実と非現実との共存する世界ー
☆佐々木氏の曾祖母が死んだその通夜の晩に、現れた幽霊。
その幽霊は隣の座敷で、白布をかぶせられている曾祖母その人。
腰が曲がり、 前に引きずる着物の裾を三角に折りあげ縫いつけている。
「個」的印をはっきりと附けている。このリアリズム。
「幽霊」というものが見失われた現代の都会人にとっては、「幽霊みたい」という形容は、ぼんやりと輪郭がはっきりしないという意味であるが、 「幽霊」の実在する世界では、「幽霊」は具体的・個的なのである。
☆その「幽霊」の通過をじっと見つめる佐々木氏の「母」と「祖母」。「幽霊」に声はかけない。
それは別世界の存在であるから。 しかし、「幽霊」は引きづりながら歩くその着物の裾で、「炭取」に触れた。
くるくるまわる「炭取」。三島は言う。
「単なる無機物にすぎぬ炭取に 物理的力を及ぼしてしまったからには、すべてが主観から生じたと いう気休めはもはや許されない。かくて幽霊の実在は証明されたのである。」と。
☆「裾にて炭取にさわりしに、丸き炭取なればくるくると回りたり。」この一行の言葉が書かれることによって、第二十二話はその冒頭から、我々の住む日常世界を超えて 非日常の世界へ転換していく。
「不思議の国のアリス」の「洞穴」や「鏡」、「ナルニア物語」の「洋服ダンス」など、 超現実世界へいく入り口は、数々あるが、それらはいずれも、「現実世界」と隔絶した「超現実世界」への通路であり、 それらはその通過者として「選ばれた」特別の「子供」以外は入り込むことは出来ないし、 その子もこちらの世界へ戻るときはその世界を振り払ってこなければいけない。
☆しかし、この「第二十二話」は、「母」と「祖母」共々、読者である「我々」も「幽霊」の支配する世界にワープしたのである。 まるで「メビウスの輪」のように、「現実」と思っていた世界はそのまま「超現実」の世界に繋がり 、「超現実」の世界は地続きで、この世界なのである。
江戸時代の南部曲り家を千葉家の曲り家今に伝える千葉家 
死者の娘の末路は
☆隣の座敷に寝ていた「娘」だけが叫ぶ。「おばあさんが来た!」 彼女は婚家から離縁されてきていた娘である。佐々木氏の大叔母、「曾祖母」の娘の一人。 佐々木氏の家は「曾祖母」「祖母」「母」と三代の女が血でつながる家だったのか。 そうではなくて、「曾祖母」にとっては「祖母」は「嫁」、「祖母」にとって「母」は「嫁」であったろう。
そうであれば、なくなった「曾祖母」の「娘」はこの離縁されて戻った「娘」一人であったろう。
「曾祖母」の「幽霊」は「祖母」にも「母」にも目をくれず、まっすぐ「娘」の寝ている座敷に入っていった。
それに気付いて声を立てたのも「娘」。
☆この「娘」はなぜ離縁されたか。
さきに三島の文として引用してあった『遠野物語』の本文は実は一部省略があった。
大学入試問題になったとき出題者がカットしたものである。
今『遠野物語』の本文で補うと、この「娘」は「死者の娘にて乱心の為離縁せられたる婦人」であったのだ。
☆遠野常民大学編集による『注釈遠野物語』(筑摩書房1997年刊)によると、この「婦人」は
「佐々木喜善の祖父万蔵の妹、トヨ。弘化(1844〜48)ころのうまれ。
栃内村の古屋敷長兵衛に嫁ぐが、狂気のためということで離縁されて実家に帰っていたという。」
とある。
☆この話につづく「第二十三話」に、
「この同じ人の二七の対夜(たいや)に、知音(ちいん)の者集まりて、夜更くるまで念仏を唱へ 立ち帰らんとする時、
門口の石に腰掛けてあちらを向ける老女あり。其うしろ付き正しく亡くなりし人の通りなりき。
此は数多の人見たる故に誰も疑はず。如何なる執着のありしにや、終に知る人はなかりし也。」
とある。
☆この「老女」が死後十四日たっても、あの世への道をたどれず、この世に執着を残していたのは、
「乱心のため離縁された娘」以外のなにがあろう。
自分が死んだ後はこの「狂気の婦人」をかばう人がもう居ないと思うと、この世を去りがたい執着がこの「老女」を二度もこの世に連れ戻してしまったのである。
「門口の石に腰掛け」むこうむきに座っている。
「門口」から中へ入らず、顔をこちらに向けないのはあの世へ旅立った者がこの世の人に遠慮しているのであろう。
☆「娘」はなぜ、婚家で「乱心」したか。佐々木氏の家の三代も続く嫁の存在が、かつて婚家での嫁であった「娘」の位置を暗示している。
大家族制、家父長制のもとでの「女」たちが「嫁」としてじっと忍従している中で、耐えきれずに発狂した「女」がいったいどれほどの数いたであろうか。
発狂した女が帰る家は「実家」。そこはもう自分の家ではない。
母親が生きている間はそこは「離縁された婦人」にとって実家であろう。
しかし、そのかげで、 その家の「嫁」は、「出戻った娘」にまで仕えなければならない「嫁」の位置に、ますます自分を当てはめていかなければならない。「出戻った娘」と「その家の嫁」と。苦しむ女が幾重にも存在する。
☆さて、『遠野物語』は「佐々木」姓の人物が大勢登場している。
その一つ「第二話」は「山々の奥には山人住めり。」
と書き出す「山人譚」の最初のものであるが
猟師佐々木嘉兵衛が山奥で遙かな岩の上にいる黒髪を梳(す)く美しい女を銃で撃ち殺した話である。
その黒髪を懐に入れて帰ろうとすると、急に眠気を催し居眠りするところに、 背丈の高い男が来て黒髪を取り返して去ったという。
この背丈の高い男が、柳田の呼ぶところの「山人」であろう。
☆この猟師に撃たれた女こそ誰あろう。
上記『注釈遠野物語』によれば「第二十二話」の「出戻った娘」その人だという説を紹介している。
その意見を出すのは菊池照雄『山深き遠野の里の物語せよ』(梟社1989年刊)
☆「土淵村の山口のトヨという女が気が狂って死んだが、埋葬された翌日、何ものかにその棺から屍を奪い去られた。」
「後日、篠竹を刈るため、この沢(六角牛山の 阿留沢オトメガサワ)近くに野宿した村人が、白衣に笠をかぶって歩いているトヨに出会ったが、トヨはわたしを見たということは誰にも話さないで、と言って姿を消した、と言う。」
☆「山人」が、埋葬した棺から死体を奪い、その死体が息を吹き返し、生き返ったトヨは自分を奪った「山人」の妻にされている。何年か後に、岩の上で、長く伸びきった黒髪を梳いていた この女が猟師におもしろ半分に撃たれ死んだ。
これが「曾祖母」が「この世に執着を残し」心配していた「娘」の最後であったのだ。
☆話題は「山人」に移ってしまった。
『遠野物語』を読んでいて、一番興味を引かれるのは、「山人」が登場するところである。
「顔が赤く」
「目の色が薄い」
「背の高い」
という属性を持つ「山人」とはなにか。
柳田は稲を携えて北上してきた「大和人」以前に、此の地に住んでいた先住異民族の存在を考えていたようである。
「白人種」のイメージか。
近年、東北各地で盛んに発掘調査が進んでいく「縄文人」との関係はどうなるか、アイヌ人との関わりはどうか、興味深い点である。

はね駒草紙
http://home.cilas.net/yunami/monogatari/monogatarimisima.html



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2019年01月15日

スウエーデンボルグ:未来予知はあなたにもできる

未来予知はあなたにもできる
私はこの記録の最後に1772年3月29日にこの世を捨て霊界へと住処を変えることになっている。
人々は私はこのように自分が死ぬ日(私から言えば単にこの世の肉体を捨てて霊の世界へ移ることに過ぎないが)それを何年も前から知っている事は不思議で仕方が無いだろうし,中には私の言うことを信じない人々も少なくないだろう。
私は, 人には誰にでも本当は自分の一生の運命をあらかじめ知ることができるのだと言うことを記録しよう。
私は例によって自分の生涯を20歳の時に予言していたある男の例を挙げてこのことを説明してみよう。
彼はフランスの農夫であった。
彼は20歳の時すでに次のように自分の将来の運命を語っていた。
彼には1年後の7月20日,ある友人が西から現れて,そのものは彼の52歳の6月まで彼と一緒にいるだろう。小さな友人がこれに続いて3人現れるが,そのうち1人は彼の35歳の半ば彼に涙を与えるであろう。また彼は29歳の秋に水の底に彼の家が沈むのを見るに違いない。彼は32歳の春には南十字星がよく光るのを見ることになるであろう。
彼は自分自身の予言通り22歳の7月に彼の村から西にある村の同じ農村の娘を妻にして,妻は彼の52歳の時に死ぬまで一緒に暮らした。子供(小さい友人)が3人生まれて,そのうち1人は彼の35歳のときに病気で死んで彼に涙を与えた。彼の村は彼の29歳のときに大きな洪水に見舞われた。彼の家は予言通り水の底に沈む事はなかったが農作物は水の底に沈んで全滅の被害を受けた。また,彼はこの洪水の3年後の32歳の時,遺産相続人のない親類の土地を相続したが,この土地は小高い丘の南向きの傾斜の土地だったのだ。
私は彼も私のようにある程度の「死の技術」を持っていたのだと思う。
死ぬ技術によって彼も時には霊界に入ることができたのである。
霊界の霊同士の間では想念の交換中にその霊が人間だったときの一生やその後にその霊が霊界で送るべき永遠の未来の霊の一生のことが全て細かく描かれた絵巻として相手の目に見えることがあると言う事は,私はすでに前に記録した。
この絵巻には霊でも自分の絵巻を自分で見る事は不可能なのであるが,相手の霊が見た絵巻の内容を言葉で教えてもらうとか,あるいはその霊に目に見える形の表像によって教えてもらう事はいたって簡単にできる。
そこでもし人がある程度の「死の技術」を身に付けて霊界に入り他の霊と自由に想念の交換を行えるとすれば,死んで霊となる以前に自分の人間としての一生の未来を知る事は,たやすくできることになるわけである。
私は彼もこの方法で自分の未来を知って,それを予言として人々に語っていたのだと思う。
ー私は霊界を見てきた,エマニュエル・スウェーデンボルグ,今村幸一訳,業文社,

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スウエーデンボルグ:霊界の街の記録

スウエーデンボルグ:無数にある霊界の団体
彼は私を5つ6つの町や村(これが霊界の団体であるのは後で知った)に連れて行った。
街はこの世の街のように見えたが,違っていたのは1つの街なり村なりはそれぞれ全部の住居が街中または村中,石造なら石造,木造や土造なら木造や土造といったように同じ材料で,しかも同じような建て方で作られていたことである。
同じ街や村の霊の顔つきや性格には,たとえ顔つきの外形が異なっていても,どこか共通した性質を持っており,その相似はこの世の人間の親子・兄弟・姉妹よりもっと濃く,親密さもそれ以上だったこと。
それから,もう一つ特に眼に付いたのは,どの街も村も円形に作られており,その中心には最も権威と格が高いらしい霊がいて,次第に外側に向かっていくにつれ少しずつ中心のものよりも劣っていくらしいことだった。
私は街や村を連れ歩かれた時のちょっとした小さな事件を2つほど記すことにする。
ある街を訪ねたときである。
この時私は街に入る前から何か不思議にこの街は自分の街だと言う気持ちがしていた。
街に入ると霊たちが家の中や街角から飛び出してきて私たちを取り囲んだ。
この霊の顔つきや様子に私は実に驚いた。
なぜならどの顔も私がすでに何千年も前から知っていた親しい間のような気がしたからである。
また,彼らも私をさも親しい者の様に迎えた。
どの顔にも歓迎の喜びが溢れていた。
私はなぜか心の和むのを憶えないわけにはいかなかった。
それはまさに長年生まれ育った故郷に何万年かぶりかで帰ったような気持ちであった。
もう一つは別の村の中でのことである。
彼は私を連れて村の中を歩いていたが,見知った顔にあったらしく,その霊と話を交わし始めた。
私はその霊の後ろに回ってその霊の肩越しに村の様子を見回そうとした。するとその時彼の視線が強く光って,私を見据えたように思った。次の瞬間私は何故かわからないうちに地面に投げ飛ばされていた。彼は私の手を取って起こしながら言った。
「人の背後に回るは霊界では最も非礼の行為なり。何時,以後気をつくべし」。
霊界の街や村を連れてだって歩いた後,彼は再び私を先の山頂に連れてきた。
そして眼下に開ける街や村の様子を指差しながら霊界の団体のことを説明した。
彼はおおよそ次のように話した。
「霊界には無数の団体があって,これが一つ一つ街や村を形作って一緒に住んでいる。霊界の団体の数はおそらく数千億いやもっとになるかもしれない。
霊界にこんなに多くの団体があるのは霊となって肉体の束縛を出した後は,人間がその本質本来の姿に帰り本当の霊的性格を取り戻す結果なのである。
これは永遠の生命を送る霊界では心霊は自分を偽ったりせずに本来の性格に戻らなければ生き続けられないからだし,本来の性格の合うものだけが一緒に集まって団体を作って生活を送るのだから性格の多様さに応じて無数の団体ができることになる。
1つの街や村が同じ住居だったり同じ雰囲気を持っているのはそこに住む霊の性格が全く同じだからである」。
この後彼は私の疑問に答えるように次のように語り続けた。
「村や街が円形をなして霊たちが住んでいるのは霊界の秩序の1つを表している。
中心に住んでいる霊はその団体の秩序を維持するための役目と権力と力を持っている」。
また,私は団体で加入されて,私自身も故郷に帰るような懐かしさを感じたのは全然不思議ではなく,私はその団体に続すべき霊として既に決められているかいるからだと言った。
それから, 霊の背後に立つことが非礼なのだという霊界の不思議な礼儀については,そのようなことをすると前の霊が霊界の太陽から受ける霊流を乱して,それに苦痛を与えるからである。
なぜなら霊流はそれぞれの霊の顔から流れ入り後から流れ出ていくものだからだと言った。
ここまで話すと彼は霊流のことで思い出したのだろう。次のように言った。
「汝, 霊界で知るべきことを,まだ多くあり。先の中心霊の力,今の流の話など全て理解の太陽のことを知らざる限り正しくは理解できぬ事なり。我いずれ霊界の太陽のことについて話そう,しかれども,その前に我,まだ汝に見せるべきものあり。そのことを先に見せん」。
「あれに汝,水平の如きものが見えるか?」
彼は遠くの空を指差して私に言った。私は言われた方向に方向を見たが,そこには何もない空があるだけで文字通り空であった。
「汝の霊的視力未だ開けておらず我表層にて見せん」。
彼がそう言うとその空の一角にごく薄い空気の膜のようなものが水辺に浮かんでいて,その上に私たちがいる世界と同じような世界がもう一つあるのが見えてきた。まさにそのそれは中空に浮かんだ世界でしか見えなかった。私の驚きをよそに彼は続いて指差しながら語った。
「かの世界に汝,この世界と同じものを見ゆるべし,また多くの霊の姿も街も道も山も見るべし,下の世界もまた霊界である。
実は光の世界があり,我ここにこれよりそれを汝に教える」。
彼の言葉に従ってその世界はいろいろなものを私の目の前に表してきた。
だが,私の驚きはこれに止まれなかった。彼はまたその世界のさらに上の方を指差していたからである。
「この世界の宿にも汝薄空の枠を見るべし,その幕の上の方を指差してその幕の上の方をさらによく見るべし」。
驚いたことに中空の世界のさらに上つまり,その中空の世界の中空には同じような空気の幕が水平にどこまでも続いていて,その上にまた世界が,つまり山や川や夢や町や村,そして霊たちの姿が見えているのであった。
彼はここにまで見せてから説明を始めた。
「霊界には3つの世界があって,それを
上,中,下の3世界
という。
光の世界は霊界であると言う点ではいずれも同じで性質もよく似ているが,光の世界に住む霊の性質には主にその霊の人格の高さという点に違いがある。
上の世界に住む霊は心の窓もよく開けて,中の世界はこれに続き,下の世界は中の世界よりも劣るということになっている。この霊の性質の違いに応じて光の世界の有り様にはいろいろなものにも程度の違いがある。しかし詳しいことを自分の目で見るのが一番良い」。
ー私は霊界を見てきた,エマニュエル・スウェーデンボルグ,今村幸一訳,

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あの世
2014/2/2(日) 午後 11:09
死後の先輩たちは光り輝く天使にもなっていないし、呪われた小悪魔にもなっていない。
人相や容貌だけでなく、強さも弱さも、賢さも愚かさも、たずさえた生前のその人のままである。
コナン・ドイル、なわ
人が死ぬと、その魂は、目の前に横たわっている死体とは別に、まったく同じ姿をした光り輝く肉体をまとっていることに気づいてびっくりする。
ただし、この肉体は、物質からできているものではないらしい。
家具や壁はもちろん、山のなかでさえ、何の抵抗もなく通り抜けてしまう。
どこかへ移動しようと考えると、一瞬のうちにそこへ行ってしまう。
知覚がひじょうに明晰になり、感覚はより鋭く、完璧になっていて、より自由な行動ができるようになっている。
なわ
あの世では、思ったことがすぐに具体的な形になって現れる。
悪い人は悪い事を想像するから、おどろおどろした所になる。
思えば何でも創れるが、霊魂だけは創れない。
なわ
あの世で安楽に暮らすための方法とは何か。
少しでも上の階層に行くこと。ひと言で言えば、人の喜ぶことをしてやる、人の喜ばないことをしない、というのが大原則である。
子供のような人間、ひとにだまされやすい人間が、あの世ではいちばん好まれるのである。
この世の地位、財産や学歴が無い者ほど好まれる。
丹波哲郎、なわ
転生している時より霊界にいる時の方が、現実をずっと良く自覚しているのだ。
一種の混乱期を経るとは言え、魂は霊界で真の生を見い出し、色々な事を自覚するのだ。
霊界は君たちの世界以上に実体のあるところ。君たちの世界というものは、霊界の実像が歪められて投影されたものに過ぎないのだ。
ギリェム
霊界では太陽は動かず、天の一点に留まっており、その明るさには変化がない。
地上のような四季もない。霊界では空間の感覚もない。
どんな遠くでも思っただけで瞬時に移動できるし、意識も瞬時に通じ合える。
なわ
死後の世界は何をやっても自由だが、だんだんと自分を縛っていた欲望が薄れていく。
食べなくても生きていけるので食べることが少なくなる。
替って出てくるのが霊性を高めたい成長したいという意欲。
死後の世界の生活のパターンは地上生活とよく似ています。
違うところといえば、地上生活は地球の自転をはじめとする環境の力によって制約されますが、こちらでは当人の精神的欲求によって決まるという点です。
人間でいたとき、社交界の花形だとか、自分が善く思われようとばかり思っていた人は、霊の世界では悪霊となる。
その霊の本質がそのまま現れる。
名声が欲しいために慈善家になっているような人も悪霊。
アセンションしたいために善人ぶっている人も悪霊。
なわ、大摩邇
霊の世界は、その人間のもっとも内部にある本質が明らかにされる。
だから、人間だったときの外面は、霊界ではまったく役に立たない。
それをもっとも典型的に示す例は、学者だった者などの外面的知識とか、宗教家たちの偽の信仰などが、霊界でまるで役に立たなくなるケースである。
なわ、大摩邇
「赤ん坊は無垢なのだから、死後、すぐ最上の天国に招き入れられるのか」
これに対し、その霊は答えた。
「彼らは無垢とはいえ、それは悪に接する機会や、悪を自分で発揮する機会がなかったということにすぎない。
だから、それだけでは最上の天国に入る資格はない」
なわ、大摩邇
地獄の霊は、人間のときの悪業に対する刑罰として地獄に落とされ、そこで刑罰を受けているわけではない。
地獄の霊は、地獄が自分に合っているがゆえに、自分で自由に地獄を選んでそこに行くということだ。
なわ、大摩邇
死んだ人間は、死後の第1状態から第2、第3状態への変化を経験しつつ、本物の霊になっていく。
この変化は、霊界における一時的な居留地である精霊界で行なわれる。
第3状態に進めば、はじめて本物の霊になるわけだが、その前の第1、第2状態では、まだ人間と霊の中間の存在に留まっている。なわ
幽界は、地上で蒔いた種が芽を出すところでもある。
疑い深い人、自殺者、発狂者などは、幽界でも人里離れたうす暗い谷間のような場所に住む。
地獄的な心を持っていれば、地獄のような世界が現われる。
これに対し、天界的な心を持っていれば天界のような世界が現われる。
なわ、大摩邇
現界が物質分子でできているように、幽界の自然や事物は、幽質分子で構成されている。
幽体をもって幽界の大地を歩けば、肉体をもって現界の大地を歩くのと同じ感じがする。
空行く雲、流れる水、野辺の花、森の木、すべては現界と変わりがない。
なわ、大摩邇
この世は物質の世界である。
この物質界に比べて、見えない死後の世界・幽界は物質になりきらない半分だけの物質(これを半物質、または霊物質という)の世界である。
霊魂も幽体もオーラなども半物質である。
なわ、大摩邇
木内鶴彦さんは死亡後に幽体離脱し、1000年前の四国へ行き、当時の人の体を借りて、土佐神社の神木に「つる」というひらがなを書きつけた。
生き返った木内さんは土佐神社の神木に「つる」の字を発見した。
新科学と健康と雑学
死んだら、大ていの人は目が醒めると大人の人に連れられて、地上と同じ家のたくさんあるところへ行くのです。
いま家があると言ったけど、本当は無いんです。
でも地上の家と同じように、そこに住むことが出来るんです。
あたしが心の中で家のことを考えるとそこに家が出来るんです。
あたしたちのお友だち同士が子供に見えるのも、お互いが心の中に子供のイメージを画いているからなのです。
おばさんたちだって、お互いが子供の気持になって付き合ったら、次第に子供に見えてくるはずよ」
あたしの身体は地上の人が固いと言ってるもので出来ているのではありません。
空気よりもずっと軽くてキメの細かいもので出来ています。
その身体には自分が思う通りの形や色を付けることが出来ます。
大摩邇
霊の世界では思念が具体化するようである。
それで“物”が存在するように思える。
進化するとその一種の創造力が別の形で活用されることになる。
なわ
金日成は意識の世界(死後の世界)ではかなり責められているようです。
金正日も責められることでしょう。
現世で崇められる存在になると、死後は悲惨であるようです。
ひふみ神示、日月神示☆
そして、来世は前世と正反対の立場になって、凶暴な国の奴隷的存在になることでしょう。
死後の世界は現世とあまり変わらない世界だが、欲望を満たすことをやめようと思えばやめられる。
食べることをやめようと思えばやめても生きていける。
そして、向上しようと思う意欲ができてきて、何かを学び始める。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1002-1.html
霊界における年の取り方は、たとえば70歳で死んだとすると、人間界とは逆にだんだん若返っていき、「20歳」までさかのぼると、そこで年齢がストップする。
また、幼くして死んだとすると、これはだんだん成長していって、やはり「20歳」でストップすることになるのだ。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/osanami-toshie.html
死後の世界では、似た者同士が集まり異質の者は反撥し合う。
かくして美しい界層はますます美しくなり、醜い界層はますます醜くなっていく。
そして邪心に満ちた者ばかりが集まってその邪心をむき出しにし合いながら生活している。
そこを地獄という。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse0911-2.html#30
人間が肉体の衣を脱いで“心と魂”があの世へ行くと、心を肉体とした霊人になるのです。
心も魂も霊界ではこの世の肉体と同じく形のある“身体”なのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/apocalypse-bbs1107.html
“死”は1つの部屋から別の部屋へ移る通路でしかありません。
2つの部屋は装飾も家具の配置も非常によく似通っています。そこが大事な点です。
皆さんにもぜひ理解していただきたいことです。
この世もあの世も、同じ神の支配下にあるのです。
同じ神が、全界層を経綸しておられるのです。

徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/









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スウエーデンボルグの霊界記録:地獄


霊界記録:地獄
現世で悪いことや不道徳な生涯を送ったものは,死後は地獄へ投げ入れられ,そこで永遠の罰を受ける。
これは西洋・東洋とわずに世界中の宗教が説いている地獄の教え。
だから私がわざわざ取り上げて紹介するまでもないことであろう。
しかし,これは私に言わせれば宗教の上での必要から作った作り話であって,少しも根拠は無い架空の話だ。
私は記録する地獄は,これとは全く違った地獄であって,その地獄は別に現世の悪業の報いとして投げ込まれる地獄でもなければ,地獄に住むというサタンやデビルなどにより永遠の苦しみを与えられると言う地獄でもない。
私の記録する地獄はさっきも少し触れたように霊界の中の1つの世界として現実に存在する地獄であるからである。
人間が死んだ後に精霊となったもののうちで,どんなものが地獄行くか,一口で言うと,つまり霊に目覚めないで,霊界の存在が見えない精霊達だと言うことになる。
しかし彼らとしても,宗教の言うように現世で悪行を重ねたために,神のようなものによって罰として地獄に行くわけではない。
彼らは彼らの欲するところによって自ら地獄行くに過ぎない。
ただ,これら霊に真に目覚めることのできない精霊の中には,確かに現世で悪行を行っていたものは全て含まれるから,その点では結果的,表面的には宗教の教えと同じことになるように見えるが,実際の理由は,いろいろな宗教の言う所とは全く違うのである。
地獄へ行く精霊は,現世にいたときに,例えば物質的欲望,色欲,世間的名誉欲とか支配欲などといった人間の外面的,表面的感覚を喜ばすことばかりに心を用いて,本当の霊的な事柄を極端にないがしろにしたものである。
これらのものは霊的事物には全く目が開かれていなかったために,聖霊界に入ってもやはり開かれないものが多い。
このようなわけで彼らの精霊としての心は霊界の太陽の光や霊流を自分の内部に吸収することができない。
そして霊界にどんなに長い期間いても彼らは霊界の太陽の光や熱の与える幸福や霊的理性の輝きを感じるようにはならないで,逆に彼らは霊界よりも地獄界の火に心惹かれて, 地獄界の凶霊たちに親しみを感じるようになる。
この結果として彼らは自分の希望するところに従って,その自然の凶霊的な心の命ずるままに地獄界に入っていくのである。
これは人間でも似たもの同士が集まるのと理由は全く同じなのである。
地獄の世界の凶霊は霊界の光や霊流から霊としての喜びや幸福を感じることができない代わりに,自分の欲望を満足させることを喜ぶ。
これらの欲望は,他の凶霊を支配したり,他の霊に悪行を働いており,あるいは他の霊の賞賛を得たりしたいといった,人間で言えば外面的・物質界的な低級な欲望ばかりであるが,それにしてもいくら欲望とは言え,これを満足させる事は彼らには喜びであることは間違いない。
そこで彼らはこれらを彼らの光として永遠の生命を送ることになる。
霊界の霊は自分たちの生命の源も幸福の源も全て霊界の太陽であることを知っている。
そこで彼らは自分は本当は自分の主ではなくて,太陽が主であって,その太陽が霊界に行き渡っている霊界の秩序に従って生を送ることこそが最も正しい生だと知っている。
これに対して, 地獄界の霊の生の源は彼ら自身の欲望であって,この欲望は彼らの光である。
そこで彼らにとっては主は自分自身であって,他に何の主の存在も認めないことになる。
地獄の世界が争いの場であって苦しみと汚れに満ちた場になるのは,彼らのひとりひとりが自分を最上の主だと考えているからに他ならない。
ー私は霊界を見てきた,エマニュエル・スウェーデンボルグ,今村幸一訳,業文社,

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2019年01月08日

MAHAO:からだも場,ひとつの場,木さん植物さんのおしえ(・・;)

MAHAO:からだも場,ひとつの場,木さん植物さんのおしえ(・・;)
からだも場,ひとつの場
今日は身体のお話です
木さん 
植物さんに
身体について
こんな事を教えてもらいました
「生命力の気がつけかえ磁場や術で奪われにくい理由
それは
生命力の気が宿る場は体の中だから 」
体の中?(・・;)
「すべては場
気は想いに呼応して宿る場は変わる
身体はひとつの場」(・・;)
「超若くなりたい
超長生きしたい
超健康になりたい
若返り
寿命を飛躍的に延ばしたい 
その想いに呼応する気は
身体の外ではなく内に宿る
身体の中にその気がないと若返りや寿命は具現化しない 」(・・;)
「身体の内に宿った気は外に運びだしづらい
体内にあるから見た目の雰囲気や錯覚やイメージでは持ち出しづらく運ぶ想念にもわかりづらい  
それが生命力の気が術やつけかえで運びづらい理由 」(・・;)
「でも 
お金持ちになる
有名になる
というエネルギーは身体の内ではなく身体の外の現実
だから
その気は 
身体の表面
周囲に宿る
気が身体の外を場としてるから目に触れやすくわかりやすい
だから狙われ 
ちょっとの錯覚や術で奪われやすい 」(・・;)
「権力者たちが身なりを気にするのは
自分の周囲の気が自分の外の現実を作ってくれることを知っているから
服と雰囲気は違うが錯覚される
鳥や虫たち
運ぶ想念には服の概念がなく
服の色をオーラとおもって 
服の色の組み合わせに似たオーラを運ぶ 」(・・;)
「権力者たちが囚人や奴隷などに特定の服しか着せないのはその服の色の気をのせたいから
着せられる色によっては富や自由をはく奪するような気をのせられたりする
着せられる色で想いを判断される 
運ぶ想念は勝手にそう解釈する
だから 
奴隷や虐げられてる人々が様々な現実を望んでも
着せられる制服の色で望んでる現実と別な現実がもたらされたりもする」(・・;)!
「身体の外の現実を作る気は移ろいやすく運ばれやすい
そしてそのことを知っているものは自分の身体のまわりではなく 
自分の所有地 
自分の場に
冨や名声がもたらされるようにした 
建物の中にその気を置けば人体と同じ
外の者たちに吸いづらくなる
彼らはそのために願い方を変えた
宗教という場を作り国という場を作った 
組織に属する人々の現実の気も組織の建物や場に宿される場合が多い
そして組織に属した人々の気は場の管理者の意向で現象の出先を変えられたりする」(木さんのことば)
ということを教えてもらいました
なんでも生命力や寿命の気が吸われづらいのはその気が人体の中を場として集まるからだそうで(・・;)
逆に
自分の身体の周囲の現実を作る気
例えば お金持ちになるとか 
有名になるとか 
これが欲しい
などの気は自分の身体の周囲にまとわれ集う気になるのでそう言う気は運ばれたり吸われやすくなると言っていました
また自分が何かの組織に属していると(または属しているとみられると)
自分の身体の外の気は組織の場の管理者に自由に使われたり現象の出先を曲げられたりするとも教えてもらいました 
「体内の気は術や錯覚で吸いづらい
だから昔の支配層は生命力ある者を見つけると快楽漬けにした 
歓びを感じさせれば
満足感を与えれば 
自発的に生命力の気は吐きだされるから」(・・;)
「生命力は快楽で放出させるしかない
不快感を与えれば生命力を与えることになってしまう
どんな強い組織でも 
組織の管理者に喜びや快楽を感じさせれば
組織の場に宿されてる気は放出させられてしまう
盤石を誇った帝国がたった一人の女性に滅ぼされてしまうのもそれが理由
快楽を与える事が運気を吸う最も簡単な方法
そして取り返されづらいもっとも確実な手段 」(・・;) 
「元々現代の支配者層は寿命はあまりなかった
彼らの寿命がのびたのも傍でサポートしている者たちの深層意識が優越感を感じたから 
その代わりサポートしてる者たちの寿命は減った 
現代の支配者層を持ちあげてる者たちはおびただしく老化していってる 」(・・;)・
「雰囲気は雲のようなもの
雲行きを見て天気を占うように
雰囲気を見てその者の現実の先行きをある程度は推測できる
でも雰囲気はあくまで雲のようなもの 
雲が一瞬で晴れるように
雰囲気にあらわれた現実も一瞬で変わる
むしろ確実な未来を知りたいのなら身体そのもの
実体を見た方が確実に掴める」(木さん植物さんのことば)
そしてこんなあめも見ました
あめに饒速日があらわれこんな事を教えてくれました
「魂がのる器(肉体)は実は死者が作っている 」
死者?(・・;)
「肉体 骨 身体
魂が宿る場は実は死者の魂が作っていることが多い
器(人体)は死者の想いから作られる 」(・・;)
「生き続けたい死者の魂はまた現実に肉体を持って 
様々な体験や想いをかなえようとする
その死者の生き返りたいの想いが生者を動かし 
死者の魂が宿れる身体を作っている」(・・;)・
「意識は生者の緩衝を受けるが
身体は死者に動かされる
身体が死者の想いで作られたから
だから 
死者の想いを叶えるのは生者が現実を守りたい想いの裏返し 」(にぎはやひのことば)
ということを
にぎはやひに教えてもらいまちた
\(-o-) 
身体は実は生者ではなく死者たちの想いから作られていて
だから
意識は生きてる人に誘導されても身体は死者たちに誘導されたり 
動かされたりすることが多いということも教えてもらいました
ですが
ここで一つ疑問点も生まれました(・・;)
疑問を感じたのはある政治家の記事を見てからのことでした 
その政治家は日本に原発を作らせるきっかけを作った政治家で
首相もしていて 
風見鶏とも言われていて
コシコシしながら権力者の座を築いた人物の様でした
そして 
彼の画像を見てみると
若い時には顔に鳥族のリーダーさんの気が  
現在は顔に神官のような雰囲気がついていて
それで風見鶏と言われたんだなと想いました 
でも
彼の身体を見ると
本性は鳥族ではなく犬族に近く
犬族の中でも小悪党の性質であることがわかりました
このタイプは鳥族と違い情に欠けています 
ご褒美
序列と引き換えに 
苦しんでる人達を簡単に見捨てられる性質です
そして 
彼が進めた政策のせいでたくさんの人が家を失い
結果としてたくさんの人たちが命を失いました 
そんな彼が首相経験者でベスト2に入るくらい長寿を生きている 
彼の身体に今現在取り返しが来ている様子はない
そういえば
彼だけでなく多くの権力者たちがたくさんの人を犠牲にしているけれど
犠牲にされた人々より寿命を謳歌していることも多い
死者の想いが身体をコントロールするのなら 
どうして彼らには取り返しが起らないのだろう?
このまま寿命を遂げれば権力者たちは逃げ得になるんじゃないだろうか?(・・;)?
そんな疑問を抱きました??(・・;)?
そしたら
木さん植物さんは教えてくれました 
「自分の繁栄と引き換えにたくさんの犠牲を作ったもの
だが繁栄と引き換えに犠牲を作った系譜はそれ以降衰退する 
それが
彼らに与えられる対価 」(植物さん木さんのことば)
木さん植物さんは
搾取をしたり 犠牲をたくさん作った搾取者は寿命を全うできても
その後その系譜は確実に衰退すると言ってました
でも
不思議に想いました
もし 搾取者の系譜が衰退したとしても
搾取者自身が繁栄を遂げ寿命を全うしたら
搾取者自身は逃げ切れたことにならないのだろうか?(・・;)?
ですが木さん植物さんは言いました 
「系譜が衰退すれば搾取者と同じ骨型が絶えていく
逃げた搾取者の魂がのる器が少なくなる
逃げた搾取者の魂は 
生き返ろうとしても次に宿せる魂の器に困るはず
生きてる時 たくさんの魂の家や器を奪った魂が宿す器がなくなる
意志を強く持てなければそのまま魂は記憶を失って系譜全体が消えていく
これが対価
大きな月の緩衝の後それは発動する」(植物さん 木さんのことば)
権力者や権力者に搾取をさせてた人たちは 
その生涯において逃げきれたとしても 
その後器が少なくなるようで
よほどの意志がないとその器を作ることは困難になるようでした
その後にぎはやひがこんな事を教えてくれました 
「死者は死んだあと様々な事に気づくようになる
本当に奪っていたものが誰だったのか
争わせて漁夫の利を得てたものが誰だったのか
奪わせていたものが誰だったのか
意識で惑わされて気づかなかった真実に気づくようになる  
そして 死者の想いは器(肉体)を作る 
死者たちの取り返しの想いが膨らむと
来世に宿れる肉体は作りづらくなる 
特に搾取した系譜程 
神経質なぐらい病的で宿せる器も限定される
宿せる器が作れなければ生き続けたいという意志がない限り
自分の記憶 意識は保てなくなる
消える 
それが取り返しの緩衝
月の緩衝後
大きく起こりはじめていく 」(にぎはやひのことば)

幻の桜
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お水の飲み方
最近
MAHAOは以前にもまして
水をごくごく飲むようにしはじめてるのですが(・・;)
ですが
イマイチ水だけだと飲みづらくて
一日6リットルから7リットルぐらいの水を飲むくまちゃんに比べると 
余り量多く飲めません
(・・;)ショビビーン
一体どうしたらそれだけ多く飲めるのだろう?(>ω<)?
そんなことを疑問に想っているとくまちゃんがこんなことを教えてくれました
「あのね 
MAHAOちゃん
水を量多く飲むなら
何か食べる時一口食べたごとにすぐに飲むといいよ 」
一口ごとに飲む?(・・;)?
「ほら
水だけだと味もなくて飲みづらいでしょ?
特に空腹時多量の水を飲むと具合を悪くするでしょ?
でも何か一口食べて直後に飲むと水が飲みやすくなるんだ
一口お菓子を食べたらすぐに水を飲んで
お弁当を一口食べたらすぐにまたお水を飲んで 
そうすると
一日に摂取する水の量が自然と増えると想うよ 」(くまちゃんのことば)
と言う感じの事をくまちゃんに教えてもらいました
確かにくまちゃんの水を飲んでる姿を見ると
ごはんを食べる時
お菓子を食べる時
食べると
すぐにそれを流し込むようにごくごく飲むのが特徴的でした(― ― )ゴクゴク (・・;)
そこでMAHAOもやってみると確かに一口づつ水を飲むと
水だけ飲んでる状態よりもスムーズに水を飲める感じでした(>ω<)/
なので
夏の間にお茶や ジュースなどとは別に一日2リットル
水を飲めるようになりたいなあーと想っている現在です(>ω<)ノシ))パタパタパ
以上
今日は
からだについての記事でした

幻の桜
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2018年11月15日

予知情報:ロバート・A・モンロー



ロバート・A・モンローとモンロー研究所(The Monroe Institute、略称TMI)
ロバート・モンローについて今更ここで説明する必要はないだろう。
知らない人はTMIのオフィッシャル・サイト(リンクページ参照)を訪問されることをお薦めする。このサイトは日本語で読むこともできる。
OBEのGuru的存在である。
彼のこの分野における一番の貢献は、モンロー研を設立したことと、ヘミ・シンク(Hemi Sync)と呼ばれる音響技法を開発し、誰でも自宅でテープまたはCDを用いて変性意識状態を体験できるようにしたことである。
もっともモンロー研で聞くのと自宅で聞くのとではその効果に大きな差があるのも事実ではある。
モンローは40年間にわたる数千回に及ぶ体脱体験から人間の意識状態について次の知見を得るに至った。
まず体外離脱という言葉は不適切で、意識の状態をずらしていくと空間的移動を伴わなくても種々の異なる世界(次元)へ行くことができる。
さらにこういった世界は三次元物質世界に非常に近い世界からそうでない世界まで何十も存在している。
人間の意識の状態をどこにフォーカスするかに応じて異なる世界に行ける。ちょうどラジオの周波数を変えていくと、周波数に応じた局が選局されるように。
これは言い換えれば白色光がプリズムで分光すると波長(振動数)に応じて七色のスペクトルを呈するように、意識もスペクトル状であるということだ。意識は低い振動数に相当する状態(物質界の肉体内に局在している状態)から振動数の高い状態まで取りうる。
これらのいくつもの意識状態を表すのにモンローはフォーカス・レベルという言葉を便宜的に使った。
たとえばフォーカス10とか、フォーカス21など。日常起きているときの意識状態に近いほど番号が小さい。
代表的なものは以下である。ここで23以降は死後の世界(死者が取る意識状態)である。
なお、以下の記述はモンローの3部作だけでなく、TMIで受けた説明とブルース・モーエン(Bruce Moen)の著作も参考にしている。Bruce MoenはTMIでの自らの体験を4冊の本に著している[Exploring the Afterlife Series (Hampton Roads Publishing Company]。
邦訳が出ていないのが残念だが、各フォーカス・レベルでの体験が詳述されている。
特に死後の世界や高いフォーカス・レベルについては「向こうの世界」にいるモンローに導かれて探索し、
生前のモンローも記述し得なかった多くの発見をしている。
体脱探索者の必読書である。

体外離脱の世界
http://www.geocities.jp/taidatsu/tmi.htm
http://www.geocities.jp/taidatsu/kanren_007.htm














フォーカス10
体は眠っているが意識は明らかな状態
フォーカス12
意識が拡大した状態。自分のガイド、守護霊、ハイヤーセルフなどと呼ばれる知的存在とのコミュニケーションが可能になる。
これができるかどうかでその人の霊的成長に大きな差が生まれる。
フォーカス15
無時間の状態(過去世の情報にアクセスできる)。人によっては奥行きのある三次元的暗闇を見る。
フォーカス21
他のエネルギー・システムへの架け橋
フォーカス22
夢、精神撹乱状態
フォーカス23
各人が自分の想念の創り出した世界の中に囚われている状態。
死ぬときの恐怖心のままの状態に囚われた者、
死んだことがわからず体の傷の激痛に何百年も苦しんでいる者、
瓦礫の下敷きになったまま助けが来るの待っている者、
戦場を友軍を求めてあてどなくさまよい続ける者、
最後の審判のラッパの音が鳴るのをただひたすら待ち続けている者など。
俗に言う幽霊もこの層にいる。
自分の住んでいた家にいつまでも住み続け新しい住人を驚かす幽霊など。
フォーカス25(信念体系)
似たようなことを信じている人が集まってその想念が生み出した世界。
たとえば、キリスト教の天国の存在を信じている人たちの思いが造り出した世界。
他人をだますのを喜びとしている者が集まって互いにだましあい続けている世界。
フォーカス27
モンローが公園(Park)と呼んだ場所。
暖かく迎え入れる人達が待っている世界。
次の輪廻転生先に行く準備をする。
霊的に進化した人達によって造られ維持運営されている。
以下のセンターがある。
Reception Center(受け入れセンター:死者の受け入れ場)、
Rehabilitation Center(再生センター:死のショックを癒す場)、
Education Center(教育センター:過去世データの貯蔵場、新しいアイデアが生み出される場)、
Planning Center(計画立案センター:次の生について計画する場)
それぞれ知的存在(Intelligences)によって運営されている。
人は死後、フォーカス23〜26の世界へ行く場合が多い。
27のヘルパーと呼ばれる存在達はフォーカス23〜26の住人を何とか27まで連れてこようと努めているが、23〜26の住人は自分の思いの中にどっぷり漬かっていて、ヘルパーの声が聞こえない。
モンロー研でのライフライン・プログラムでは23に囚われている人たちをガイドやヘルパー達の手助けを借りてフォーカス27まで救出する活動を行う。
我々のようにまだ肉体を保有する人は23に囚われている人とコミュニケートしやすい。23の住人にヘルパーの姿は見えなくても我々の姿は見える。だから我々がまずコンタクトし、その後27まで連れて行くのだ。
フォーカス34・35(ギャザリング)
モンローはこれを「魂の体外旅行」の第16章で大集合と記述している。
このレベルに多くの異エネルギー生命体が集まり、これから地球生命系で起こる大きな変化(Earth Change)を目撃しようとしている。
地球生命系が人間を含め次の段階へ進化するらしい。
こういった変化は数百万年に一度しか起こらないということで、
宇宙中の生命体の興味を集めている。
人類が次の進化を遂げた後は地球生命系から卒業する。
モンローの著作に若干の記述があるが、詳細は今TMIで探索中。

体外離脱の世界
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2018年11月01日

スウェーデンボルグ,霊界の記録

スウェーデンボルグ
Emanuel Swedenborg (1688-1772)
(スウェーデン):鉱山技師
生涯の前半は科学者及び発明家として活躍したが、後半は霊的な世界に没頭する。
霊界を自由に行き来でき、死者とも交信可能であった。

興味アル世界
http://www.geocities.jp/hebisumo1999/Swedenborg/Swedenborg.html
http://www.geocities.jp/hebisumo1999/Cayce/Cacy3-1.html
http://www.geocities.jp/hebisumo1999/Cayce/Cacy.html
http://www.geocities.jp/hebisumo1999/index.html






地獄の住民
だが、この霊たちの姿・形・顔つきは、先ほどの話で記したようにいずれも醜悪を極め、とても同じ霊だとは思えないものであった。
ある者の顔は黒色で醜く、またある者は顔一面にアバタが吹き出しており、ある者は恐ろしげな歯だけをむき出している・・・・・・といったようなものであった。この世界にもやはり、霊たちの住居や街、植木等々・・・・・・霊界にあるものはすべてにあるようだったが、それらのものは正視できないほど怪奇な姿をしており、また世界全体に鼻をさす気持ちの悪い異臭がただよっていた。
この世界の様子は、どこまでいっても同じように気味の悪いものばかりだった。
ある街角のようなところへ出たとき、突然ひとりの霊(凶霊)が飛び出してきた。
彼はなにかわけのわからないことを大声で口走っている。
すると、彼を追いかけるように、ほかの凶霊がひとり飛び出してきて、これも同じようにわめいた。
私が驚いて見ている間もなく、町のあちこちから、いずれも醜怪な顔つきの姿の凶霊たちが何百・何千と集まってきた。
かれらは、いずれもその醜い顔つきを一層醜くゆがめて大声で何かを口走り、ののしりあっている。
わたしには、彼らの口走っていることの意味が分からなかった。
しかし、彼らの言葉の底にあるのは全てが怒り・憎しみ・報仇の念・虚偽といったものばかりであった。
また、その口調もとても聞くにたえないものであることが、私の全身をぞっとする思いで凍り付けてしまった。
だが、続いて私の目の前で起こった事件は、さらに一層私を耐え難い気持ちにさせるに十分だった。
彼らの全員が、一番初めに街角へ飛び出してきた凶霊に打ってかかった。
ある者は彼をたたき、ある者は石をぶつけ、ある者はこずき、また眼や歯に棒きれや指を突っこんで彼をいじめる者さえあった。
彼の苦痛の叫びと瀕死の表情は、私の心臓を突き通す痛みを感じさせた。
しかし、大勢の凶霊たちには、これはかえって彼らをより一層かきたてるだけで、彼に対する残虐な行為はそのたびによりひどさを加えていった。
私は、あまりの惨状に目をおおいながら、そこを去って、また小さな明かりのほうへ向けて歩き出した。
しかし、いくらもいかないうちに、そこでも同じような事件が起きていた。
私は落ち着いて、この世界全体を見渡した。
するとそこに私が見たものは、この広大な世界のいたるところで、同じようなことが何千何万と起きているのが見えてきたのだ。
私は、これが地獄の責め苦というものなのだと、このときになって初めてわかった。
星新一のショートショートに、軍隊の目の前に突然現れた集団に対して指揮官は無条件に攻撃命令を下し、
相手は苦しがるモノの消滅はせず、それでも彼らを見ると無条件に怒りと憎しみが込み上がるので攻撃してしまい、ふと冷静になったときに
「もしかすると俺たちは地獄の鬼の役割を与えられたのかもしれないなぁ」
と思うものの、目の前に現れた人間を見ると攻撃しないわけにはいかないという作品がありました。
多くの宗教が、地獄が存在するのではなく自分自身で作り上げるといっていますが、まさにそうなのでしょう。
相手が悪いからと残虐な気持ちを満足させていると地獄に行って仲間が待っています。
そうならないためにも、死ぬまでに善行と悪行をプラスマイナスゼロぐらいには挽回しておきたいところです。
 
興味アル世界
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憎しみあった夫婦
1718年に死んだスウェーデン国王カール12世は、激しい性格の人間で生前も自分に従わない者には苛酷なやり方で臨んだ人物だった。
この国王の結婚はまさに地獄的な結婚であった。
彼は地獄でも(同じ)妻を選んだ。
しかし、この女の霊は国王に負けない激しい性格の霊だった。
初め彼と霊界の妻との憎しみ合いは、国王がナイフを自分の口に飲むビジョンになって見えてきた。
それは実は国王が妻の背中にナイフを突き立ててやろうと考えていることを示していた。
激しい口論を二人がしたあとだった。
しかし、妻のほうも国王に負けていなかった。
同じような激しさを見せ、やがて彼を屈服させてしまった。
そして、国王は妻の前にひざを屈してその足をなめさせられていた。
ふたりの間の憎しみはこれほど強く、これはまさに地獄的結婚の典型としかいいようのないものであった。
霊たちの話では、国王の妻になった女の霊は彼女自身が悪魔的な女の悪霊にそそのかされているのだということであった。
 それはともかく、こんなに憎み合いながらも地獄の夫婦は一緒にいるのだから普通に考えれば納得ができない。
しかし、これは彼らが「天の理」を自らねじ曲げる者たちなのだから、これで話のつじつまは合う。
また「天の理」をねじ曲げた彼らは相手を屈服させ、自分が支配者になることを喜ぶものなので、
双方が結婚の相手を屈服させようと、いつも争いながらもその中にねじくれて、邪悪な喜びを感じているものなのだ。
憎しみあう夫婦が死後も一緒にいることなんて想像できないのですが、憎しみあうことによって互いを引き寄せているのかもしれませんね。
相手に自分の足を舐めさせるというような屈服のさせ方が、いかにも西洋的です。
 
興味アル世界
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天国の住民に対する誤解
高いレベルのひとりの霊の例だけ簡単に紹介しておこう。
この霊に私は、天国の生活についてどう彼が考えているかといったことをいくつか質問してみた。
「天国ではなにもしないでのんびり暮らせるのが楽しみか」
などともたずねてみた。
しかしこれには彼はこう答えた。
「そんな怠惰な生活にはなんの喜びもない。それでは喜びも消えてしまい、生は嫌悪すべきものになってしまう」
彼の答えは多分読者が予期していたところと変わらないはずである。
彼は行動に裏づけられる本当の「信」の世界に生きている霊なので、こんな答えをしたわけであった。
そして、彼のような「天の理」への「信」から発する行動こそが、私がこのときに執筆中だったテーマ「善行」にほかならなかった。
天国での生活は、いつもおだやかでゆったりのんびり何もしなくてもよいかのようなイメージを持ちますが、そこの住民は忙しく働き続けるようです。

興味アル世界
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その人
「夢日記」を書き始めるまでにこの人物がし遂げてきた業績たるや驚嘆すべきものだった。
幾つかの新しい科学を創始した他、彼は当時の全ての科学をことごとくマスターしていた。
脳に関する新しい発見や星雲の存在を示唆した彼の学説だけでも彼の名を高からしめるに十分であった。
だが彼は56歳になるとこれらの学問はみな捨て、代わって心理学や宗教の世界に没頭していった。
批評家は彼の最も驚嘆すべき幾つかの点を挙げて、この男は狂人だったと言っている。
父親はルーテル派の牧師でスウェーデンの宮廷に関係していた。
9人の子供のうちの三番目だった。8歳の時に母親が亡くなった。
父親は宗教の真実性を単純に信じていたが、息子はそれを検証しようとし、それに疑問を持ったり思索したりする人間だった。
スウェーデンボルグ家は裕福なうちに入れてよかろう。
若い大学生だった彼は、きわめて実際的な人間になり、ものごとを行ったり、新しい科学の勉強をする上での一番いい方法を工夫したりした。
彼は知識を実際の役に立てることに関心を持っていた。
ヨーロッパ諸国を旅行しては鉱業の最新技術を集め、それを母国に導入した。
彼が31歳の時、彼の家は貴族に叙せられた。
後には男爵としてスウェーデン貴族院の議員にも任命された。
話すことは苦手だったが、書くことは得意だった。
重要法案のいくつかも起草したし、停戦問題、国家経済、アルコール規制その他の問題に関する覚え書きも書いている。
しかし、スウェーデンの鉱業の指導者だったことや貴族院議員として政治に参加したことは、彼にとっては単に一つのバック・グラウンドだったに過ぎない。
彼はあたかも全ての知識に通じなければならない人物であったかの如くであった。
九カ国語を自由にこなし、趣味として製本、時計づくり、彫金、機械づくり、レンズ磨きなどいろいろなことも学んだ。
そしてどれも素人の域は脱していた。望遠鏡などは自分でレンズからつくって組み立てた。その他、数え切れない発明もしている。
彼がたずさわった学問としては、化学、工学、物理学、数学、鉱物学、解剖学、医学、天文学、宇宙学、心理学などがあげられる。
これら、偉大な業績が数多くあるにもかかわらず話題にもされなかったのは、人生の後半に花開いた心霊的な領域の活躍があまりにも大きかったためである。
56歳のスウェーデンボルグは、鉱山局からは在任当時の給料の半額に当る年金を受け取り、鉱山への投資や著作の出版による収入もあり、質素な性格の彼にとっては十分な境遇だった。
ストックホルムの郊外に地所を手に入れ、ここに邸をつくった。
敷地は石を投げて届くぐらいで、当人は小さくて簡素な家に住んでいた。
庭は庭園になっており、惜しまず金をかけていた。
日夜の区別なく仕事をしていて、働く時間と休む時間は別に決まっていないのだった。
「眠くなればベッドに入るのさ」
と言っていた。
彼が召使い(庭師の妻)に要求したことは、ベッドの用意をすることと、彼の部屋の大きな壺に水をちゃんと入れておくことだけだった。
彼の家は諸事きちんとしていたので、自分でコーヒーを書斎で入れて飲んでいた。
日夜をたがわず砂糖をたくさん入れてコーヒーをがぶがぶ飲んでいた。
外に招かれて出かけるとき以外は、夕食はいつもわかしたミルクにロールパンを浸して食べるだけだった。
夕食にワインや強い酒は飲まず、他のものも食べなかった。
だが他人と同席すれば結構何でも食べ、つき合い酒も嫌がるわけではなかった。 
書斎のストーブの火は秋から春までけっして絶やすことがなかった。
ミルクやクリームを入れないコーヒーをいつも自分でつくっていたが、彼には昼と夜の区別はなかったので、どんな時間でも火が必要だった。
しかし寝室にはいつも火はなかった。
寒中には毛布を3、4枚かけて寝るのだった。
あまりに寒い日にはベッドを書斎に移動させていたこともあった。
起きるとすぐ書斎に入るのがつねで、そこにはいつも火の燃え残りがあり、その上に木やかばの木の皮をくべて火をおこすと机にむかって筆を執り始めるのだった。かばの木の皮を彼はいつも沢山の束で買い込んでおくのだった。
スウェーデンボルグは長い間自分の内なる豊かな世界のことは隠していた。
しかしいまや自分が身につけることになった超常的な能力の印が偶然に公衆の面前で披露されるようなこともしばしば起こり始めた。
そして世間は彼こそが霊的世界を扱った衝撃的な著書を匿名で発表している人物だということに次第に気づくようになった。
後に自分の霊的体験を隠さず語るようになると、どんな会合でも彼は人々の注視の的にされることになった。
貴重な著書は殆ど自費出版の形でごく安い価格で売られたが、それでもなかなか世間には認められなかった。
非難や攻撃の方がより目立った。
スウェーデンの宗教界の指導者たちが彼の著書のスウェーデンへの輸入を禁じ(著書は最初イギリスで発刊された)、
著者を狂人として断罪しようとしたことさえあった。
彼らの目には国教を犯す、狂った異教徒としか思われなかったからだ。
神とか天国や地獄のことを、自分の直接体験で語った人物は今までなかったのだし、ましてやそれが公認の教義に反する内容のものとすればなおさらだった。だが、軍配は彼のほうに上がり、国家の指導者を含めて多くの人々に知られるようになった。
彼は、80代になっても元気で気のいい社交好きの紳士だったとされている。
歯痛の他に病気などしたことはなかった。
彼の教義の内容はきわめてシンプルなものだったが、それが生活ぶりにも現れていたようである。
彼はロンドンで没したが、その最後の日々は商人の家に下宿していた。
商人は子だくさんだったが、この時にも子供達には両親以上にこの老人は好かれていた。
ただ一つ変わっていたのは、この老人はロンドンの街の人にもよく天国や地獄やそこに住む霊たちのことを力をこめて語ったりすることであった。
これほど素晴らしい知性の持ち主で自分の人生の体験の内側を掘り起こして白日のもとにさらし、そうすることで天国と地獄へ踏み込んで行った人物もまれである。

興味アル世界
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