2019年11月04日

雑誌ムー: オペラ座の怪人〜米テキサス州の劇場に棲む霊


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雑誌ムー: オペラ座の怪人〜米テキサス州の劇場に棲む霊
KVUE News
2019.9.16
9月15日夜,米国のピアニストChad Lawsonさんは米国テキサス州オースチンの劇場で
明日のコンサートのためのサウンド・チェックを行なっていた。
チェックが終わり,いつものように無人の観客席を背景にステージのピアノを3枚撮影。
2枚目の画像をFaceBookに投稿した。
しかし何か違和感がある。
ホテルに帰り部屋で画像をよくみて理由がわかった。
劇場の2階席の左の出入り口に人影が映っていた。
ほかの画像を確認すると他のほうには映っていない。
幽霊かもしれないとい感じたLawsonさんはネット検索。
するとこの劇場には2階席の通路をあるく白いドレスの幽霊が古くから目撃されているという。
Lawsonさんは画僧の霊がその幽霊であると確信した。
―雑誌ムー,2019.10号,

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2019年09月28日

[芸能メモ] マイケルジャクソン生存説

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[芸能メモ] マイケルジャクソン生存説
あの人は今?
マイケルジャクソンが生きてる生存説は本当か?肌の色の変化にも関係がある?
あの人は今?
マイケルジャクソンが生きてる生存説は本当か?肌の色の変化にも関係がある?
2019年4月26日 2019年4月27日
マイケルジャクソンって本当に世界的なスーパースターでしたよね。
歌も踊りも本当に素晴らしく、
地球上のすべての人を圧倒してくれたと思います。
特にSMOOTH CRIMINALのダンスは圧倒的でしたね。あれを生で見たら、失神する女性が出るのも納得できます。適切な言葉が見つからないくらい素晴らしい人でした。ということで今日は、マイケルジャクソンの生存説について見ていきましょう。
マイケル・ジョセフ・ジャクソン
Michael Joseph Jackson
1958年8月29日 - 2009年6月25日
ニックネームは「キング・オブ・ポッkプ」
マイケルジャクソンは元々兄弟で組まれたバンド、ジャクソン5に所属していたのです。
ジャクソン5は凄いバンドでした。
1969年10月発売の「I Want You Back」というデビュー曲で、
いきなり全米チャート1位を記録してしまったのです。
そして2曲目の「ABC」ではまた1位になったのです。しかもこの曲は前週まで1位だったビートルズの「Let It Be」を押しのけての1位だったのです。
このあたりが凄いですね!!
続く「The Love You Save」も「I'll Be There」も全米チャートを制し、
デビューから4曲連続で全米チャート1位という信じられない偉業を成し遂げたのです。その後ジャクソン5の活動は減少していき、ソロで音楽制作を行うようになっていったのです。
そして1979年にはあの大プロデューサーのクインシージョーンズと出会い、素晴らしい作品を世に送り出していったのです。その後はもう説明がいらないくらいの大活躍で世界中を席巻していったのです。
■マイケルジャクソンがこの世を去って
マイケルジャクソンは本当に素晴らしいエンターテイナーでした。しかし、2009年6月25日に心肺停止により、50歳という若さでこの世を去っています。このスーパースターの死に、世界中の人が悲しみをあらわにしました。実は2009年3月5日にマイケル・ジャクソンはロンドンで、コンサート公演『THIS IS IT』を行うことを発表していたのです。
しかし、その直前に彼が急死してしまったのです。
そこで『THIS IS IT』のリハーサル映像を中心に構成された、ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』が公開されました。
この映画は当初の公開予定日は10月30日というものでしたが、あまりの人気に2日繰り上げられ、「2週間限定」で10月28日に全世界同時公開されたのでした。公開後もこの映画の人気はとどまらず、11月27日までの4週間に延長されたのです。そして、日本では12月19日からアンコール上映が行なわれた。とにかくものすごい人気だったのです。
さすがはマイケルジャクソンといった感じですね!!
■マイケルジャクソン生存説
確かにマイケルジャクソンは2009年に亡くなっています。しかし、生存説が出てきたのです。
というのも、1980年代からマイケルジャクソンの容姿が急激に変化し始めたので、その理由はもしかしたら不老不死の肉体を手に入れたためだったのではないかと考える一部の人間がいるのです。
そして彼の突然すぎる死も、それ自体がフェイクなのではと考える人が存在するのも事実です。そのうえ、マイケルジャクソンの棺が、亡くなったとされる日から埋葬までの間、一度も開けられていなかったというのもこの憶測に拍車をかける要因となったのです。
言い換えると何らかの理由で、自らの死を偽装する必要性があり、本人は人知れずどこかで生きている可能性も噂されているのです。
写真は映画館のような場所で、撮影されたものです。眉もきっちりと描かれ、とても中性的な顔立ちと、あのマイケルジャクソンの顔にとても似ています。
この写真を見た人々の反応は様々です。これは単に似た人が映っているのではという人もいますし、きっとこれは本人に違いない、本人であって欲しいと考えるファンも多いのです。
確かにマイケルジャクソンはこれまで、ずっとマスコミに追い回されて疲れてきました。どこに行っても追いかけられて、プライバシーなんてないも同然だったのです。そこからくる精神的な疲労は、我々の想像を絶するものだったのではないでしょうか?
■まとめ
マイケルジャクソンは本当に素晴らしい、偉大過ぎる存在でした。歌も踊りも世界中に革命を起こした人です。だからこそみんな彼に生きていて欲しいと願っているのです。また彼の圧倒的なダンスが見たいという人がたくさんいるのです。そしていつの日か、マイケルジャクソンがまたステージに立ち、私たちの前に姿を現して、あのダンスを披露してくれたらこんなに嬉しいことはありません。そんな日が来ることを祈って、今日はマイケルジャクソンの映像を見たいと思いいます。

ときめきとぴっく
https://newsnachricht.net/reminiscing/michaeljackson
































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2019年09月15日

東海アマ: 笠置山をさまよう霊

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東海アマ: 笠置山をさまよう霊      
霊との遭遇
2019年09月14日 (土) 18:45 
カテゴリ : 未分類 
私の家から車で30分程度で、恵那市笠置山の8合目駐車場(海抜950m)に行くことができる。 
山頂は1120mくらいだから、駐車場から標高差170m、およそ45分程度で、山頂まで歩いてゆくことができて、帰路も30分程度だ。 登山道を使えば、往復15分は短縮できるが、夏場はアブやブヨが多くて鬱陶しいので、9合目まで作られている車道を利用するほうがよい。 きれいなトイレも二つあって、用足しには心強い。ときどき内緒でトイレの掃除もしている。
大分前から肺機能に深刻な障害が出て、呼吸トレーニングのために、このルートを、年間、数百回は歩いている。
朝、5時過ぎに自宅を出て、8時には帰宅する。 昨年は、高峰湖遊歩道を歩くことの方が多かったのだが、棘草の藪がひどくなり、マムシとの遭遇が増えたので、今年は笠置山に行くことの方が多くなった。 
ここは標高が1000m前後と高いので、夏場は涼しくて歩きやすいのだ。ただし、全身にハッカ油スプレーをたっぷりかけないと、アブ・ブヨにひどい目に遭う。 
こちらに移住したのが2003年で、通算では、たぶん1000回以上は、笠置山のさまざまなルートを歩いている。 
 10年以上前までは、笠置山のようなパッとしない低山に来る人は少なくて、山頂近くまで車道が整備されているし、あんまり面白い山ではなかったのだが、その後、ボルダリングに最適な岩がたくさんあることが知られ、最近では、休日にボルダークライマーが数十台も車を連ねてやってくるようになった。 
私も若い頃は、屏風山Pや御在所、南山などに通い詰める日曜クライマーの端くれだったのだが、交通事故で鎖骨が偽関節になってから登れなくなって、とても残念な思いをしている。 もし体が正常なら、笠置山の岩場に詳しい私が、たくさんの新ルートを開拓するのだが。 
移住前に、初めて登ったのは30年以上前だが、このときは姫栗登山口から3時間以上かけて登ったように思う。このときは、まさか、この山を千回以上も歩き回るなど予想もしていなかった。 登山口は、姫栗の他、蛭川口、中野方ダム口、廃道になっている中野方口、月光寺ルートなどがあり、バリエーションもそこそこ多い。 中野方ダムルートは、長い尾根道で、ところどころ熊の糞が落ちていて、いつ出会うかと薄気味悪い。カモシカや鹿との遭遇など、全然珍しくない。 この数年、9合目駐車場のすぐ上にも、しょっちゅう熊の糞が現れるようになり、鈴をつけないと怖い思いをする。 熊糞は、熊が昔、肉食動物だった時代の痕跡で、消化管が短いため、内容物が未消化で残ることが多く、べちゃ糞になっているのが特徴だ。二日もすると、酵母が含まれていて発酵し、真っ白のカビだらけになってしまう。 新鮮な熊糞を見つけると、登山道に近寄らないように、念のため爆竹を鳴らしておく。すると半月くらいは新しい糞が姿を消すのだ。 笠置山周辺では、熊の目撃情報が、年間数十回もあって、今年は、蛭川口JT別荘地のイノシシ罠檻に小熊がかかった。 親熊が心配されたが、結局発見できず、小熊は、そのまま笠置山に放された。 糞の大きさから、山頂付近に出没する熊は、20K前後の小熊のもので、たぶん、この熊だろうと予想している。 
山頂には立派な笠木神社の奥社が作られていて、そこから向こう側に降りると、ヒカリゴケの洞窟がある。 30年前に来たときは、洞窟の全部が光り輝いて荘厳な光景だったが、十数年前から盗掘者が増えて、ヒカリゴケが盗まれるようになった。一時は光ってる苔が存在しない絶滅状態にさえなった。 ヒカリゴケは、洞窟の特殊な環境条件でしか生育しないので、持ち帰っても枯れてしまうだけだが、増殖させて一儲けを企むアホがあとを絶たない。 最近、少しずつ復活しているのが救いだ。 
もう十数年も登り続けているので、たくさんの参拝者や登山者を見てきた。 そのなかで、本当に奇妙な人と遭遇したことが今日の主題だ。 
実は、私には弱いながらも霊感があって、山頂のベンチで休んでいると、ときどき、頭のなかの霊視スクリーンに、鮮明な人物が写ることがある。 霊視スクリーンを説明するのは難しいが、仏壇の前で手を合わせているとき、亡くなった親族の顔が浮かんできたり、墓の前で死者が見えたりする類いのものだ。 私の場合は、例えば事故の数ヶ月前に、自分が事故にあって骨折する姿が見えていた。 
神社の前で、何回か人間の顔が鮮明に見えて、「あなたは死んだのですか?」と問いかけると、泣きそうな顔で頷く姿を確認したことがある。 そのときは30歳前後の若い男だった。もちろん、すぐに消えてしまう。 笠木神社のような由緒のある古い社には、自分が死んだことを理解できない死者が救いを求めて寄ってくるのだろうと思った。 
なかには、新興宗教団体だろうか、ドラや鐘を鳴らしながら、どんちゃか山頂まで行進してくる集団もいた。全員が無表情なのが奇妙だった。 それから、いったい何を目的にして登ってくるのだろうかと訝るような、不思議な姿の人も少なくない。 
あるとき、小柄で小太りの、暴走族風の若者が登山道を歩いていた。荷物は何も持っていなくて、てっきり車で来たのだろうと思った。 その姿が不思議なのは、なぜか印象が希薄なのだ。とても話しかけたい雰囲気ではない。 
「こんにちは……」と、ちゃんと挨拶するのだが、私が先に下山してみると、9合目にも8合目にも、そのほか、車が止められそうなスペースの、どこにもバイクも車もなく、いったい、彼は、どうやって笠置山に登ってきたのか不思議だった。 また、いつまで待っても、彼は下山せず、忽然と姿が消えた。 他の登山ルートは、数時間もかかるので、飲料や食料、防寒具などの荷物を持参しなければ無理だ。 それに、全体の雰囲気が、どうみても参拝者や登山者ではないのだ。まるで暴走族の青年(少年?)が、バイクを捨てて歩いてきたように見えた。 彼を見たのは一度だけではない。同じ場所で、少なくとも2回以上は出会っていると思う。 そこで、私は江原啓之の動画を見ていて、「ああ、彼は霊なのかもしれない」と思うようになった。  https://www.youtube.com/watch?v=IQRkCpEyXvk 
そう思うと、辻褄の合うことが多かった。そもそも、車がなく、手ぶらで来られるような山ではないし、出会ったときの印象が、あまりにも奇妙で希薄だった。生きた人間らしいオーラが出ていなかった。 
江原に言わせると、生前の自分に未練を持っていると、死後も、例えばサラリーマンだったなら、雑踏を歩いたり、通勤電車に揺られたりという状態を求めて霊が人に見えるように姿を現すのだという。 人に見られることで、自分が、この世につながっていると満足したいのだという。 通勤電車には、そんな霊が、数十名も乗っている。彼らを追いかけていると、忽然と姿が消えるのが特徴だという。 
雑踏にも霊がたくさん歩いているという。霊も人恋しいのだろう。神社にはとくに多い。 昔、タクシーの運転手をやっているとき、客から、この種の話をたくさん聞いた。 
名古屋市内で、よく霊が出ると評判の神社は、柳橋交差点から南に少し歩いた白龍神社、そして、中村区では環状線沿いの中島八幡社、ここは、鳥居の下に、いつでも霊が座っているのだという。 目の前の環状線で自転車に乗っていてトラックに轢かれて死んだ老人がいて、彼が、自分を殺したトラックが通りかかるのを待っているのだと客が言った。 
江原によれば、霊は日常的に普通に姿を現しているが、誰も気づかないらしい。 この世への未練の断ちきれない死者が大部分で、死後に、自分がかつて行った場所に現れて、生きている人に見てもらいたいらしい。 その後は、満足して消えてしまうが、ときには、強烈な怨念を持った霊が、生きている人に憑依して悪さをすることもある。 このとき、憑依する相手は、必ず「波動の合う霊」である。 
取り憑くのはオーラなのだという。死者に取り憑かれた人は、オーラが変わる。どのように変わるのかは、今のところ情報がない。 
私は、絞首刑で殺された凶悪犯が霊憑依したことに気づいたことがある。  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-354.html 
宅間守は、池田小学校で8名の児童を殺害して、志願して短期間の待機で絞首刑になった。しかし、死後、「これは宅間だ!」と思った事件が、いくつも続いた。 宅間の霊は、「児童=8名殺害」というワードで、自分がやったと誇らしげに示しているのだ。 書いているうちに、波動が合ってきて気分が悪くなった。 今日はこの程度にしておく。 
なお、明日から数日間、所要が多く、更新が困難になるかもしれません。 

東海アマブログ

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2019年08月26日

FBミステリーUMA: 立川山中の幽霊盆踊り

FBミステリーUMA: 立川山中の幽霊盆踊り
不思議な話を一席。
20年程前、所属するバンドが東京都下・立川にある某スタジオでリハをやってました。
で、終了後、ドラマー君の車で陣馬山へドライブ(肝試し)に行きました。
深夜1時頃の陣馬山頂付近、ガードレールも無い対向すれ違いも無理そうな山の中。
ふと開けた広場で【盆踊り】をやってました。
やぐら組んでちょうちんがいっぱいで。
我々一同、横を通りながら「あ、盆踊り。そんな時期だねぇ」とか言ってたんですが・・・
私が、しばらくして気が付いた。
「あのさ、広場いっぱい使って100人くらい集まってたけど、駐車場無かったぢゃん?
一体全体こんな山ん中、あの連中どこからどうやって来たんだ?
それに、アカアカとちょうちん灯してたけど、電源どこから引いてんだ?
この山道、かれこれ10分以上民家見てないし電柱も無いし、電気来てないぜ」
山を下りたら(マニュアル)車のクラッチが焼けてシャカりました。

Facebook-ミステリーUMA
https://www.facebook.com/groups/501535436672325/permalink/1285058914986636/



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2019年08月12日

fumitakakarasu読書メモ: 伝説のスープのおばあさん

fumitakakarasu読書メモ: 伝説のスープのおばあさん
■「生まれ変わりの村 1」  
森田健,河出書房新社,2008/6/24
中国奥地、前世を記憶する村があった
死んで、生まれ変わって、再び家族とめぐりあった84人の証言
死は別れではなかった。 意外な前世記憶法
<前世を記憶する村の「スープの伝説」とは?>
<あの世で忘却のスープを飲まなかった女性(2001年10月4日取材)>
<前世での服飾の技が、今世でも使えた>
1969年生まれの32歳の女性です。
生まれ変わりの話をすると病気になると言い、最初は逃げ腰でしたが、それでも少しずつ話してくれました。
前世(女)も女性で結婚していて、男の子一人と女の子二人の三人の子供がいました。
ある日、何か幽霊のような存在に取り憑かれ、それらに連れられるようにして、魂が体から離れ、そのまま肉体は死んでしまいました。1967年1月8日、27歳の時のことです。
<あの世>
・死んでから2年ほど、経ったある日、生まれ出る寸前にあの世で、橋のたもとにおばあさんがスープを持って立っているのが見えました。
そこにはたくさんの行列ができていました。
馬や牛やロバなどの行列も人間とは別にできていました。
私は、おばあさんの差し出すスープは飲まず、そこを逃げ出しました。
これがある「伝説のスープ」(後述)だと思ったからです。
そして、次の瞬間、私は今の肉体に生まれ変わっていたのです。

UFOパラレル・ワールド 日本は津波による大きな被害を受ける
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/57016520.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/56883974.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/56883970.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/56883975.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/folder/1612209.html?m=lc&p=9
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/57034012.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/57034012.html






■「超入門 アカシックレコード」 
ゲリー・ボーネル  徳間書店   2009/8/6
<生まれ変わらない魂、肉体をもたない魂>
<“ガイド”あるいは“光の存在”について>
・ここまで、魂の転生のお話をしておきましたが、実は肉体をもって転生できる魂は本当に少ないのです。魂の全体の数を見ると、実際に肉体を持って生まれ変わることのできる魂の数の割合は、非常に少なくて、残りの魂たちは、人間となった存在たちをサポートしているのです。
地球の周りには、いろいろな次元の層があって、そこには菩薩といわれる存在たちもいます。さらに興味深いのは、生まれ変わらない肉体を持たない魂たちです。
この魂たちは、自分が惹かれる肉体を持った人間を通して、この地球次元を観察します。これがいわゆるガイドといわれる存在です。
もし、自分の魂が見える鏡があるとしたら、そこにはあなたの周りに何千もの魂がびっしりといるのが見えるはずです。
肉体を持たない、あるいは肉体をもったことのない魂たちが数えきれない程、たくさんいて、あなたがやっていること全てを、ものすごい興味をもって見ています。
・肉体を持っている私達はみんながそういう魂たちの応援を受け、観察もされています。
本当に、あなたが、一呼吸するたびに、彼らは、話し合い、すべてを観察しているのです。
ひとりひとり、人間そのものが奇跡です。深遠なる奇跡です。
魂のような永遠の存在が、こういう臨時的な存在に宿るということそのものが、本当に奇跡です。
創造と言われる全体の中で、地球のようにこういうことが起きている場所は、ほとんどありません。
また、魂の中では、ほかのシステムで転生を終えてしまった存在たちもいます。彼らは、今この地球のシステムでは“光の存在”として存在しています。ほかのシステムを経験し終わった人たちは、もうあえて地球で肉体をえようとは思いません。
・“光の存在”にとっては地球に転生することは、どろどろの沼の中に入るようなものだからです。もう二度と物質の世界に宿ろうなんて思いもかけないという感じで、頭にそういう考えさえ浮かばないんです。

UFOパラレル・ワールド 日本は津波による大きな被害を受ける
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/57016520.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/56883974.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/56883970.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/56883975.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/folder/1612209.html?m=lc&p=9
https://blogs.yahoo.co.jp/fumitakakarasu/57034012.html
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2019年08月04日

高木善之霊視: 2021年の世界大戦〜臨死体験で見たビジョン,崩壊の11年サイクル

高木善之霊視: 2021年の世界大戦〜臨死体験で見たビジョン,崩壊の11年サイクル
2021年の世界大戦 高木善之氏の見たビジョン
予知・予言
2016.08.29
さて、この秋何かある。。多くの人がそう言う中。昨日ダーチャ参加者さんから以下の興味深い話を聞きました。
高木善之さんという方の話です。
高木善之さんと言う方はワタス全然知らなかったのですがこんな方のようです。
wiki 高木善之 より
大阪府立三国丘高等学校、大阪大学基礎工学部物性物理学コースを経て、松下電器(現パナソニック)に就職、半導体関係の技術者となる。その後、本社技術企画室副参事として28年間勤務。パナソニック合唱団の常任指揮者として活躍。元大阪府合唱連盟理事。
1991年、『地球村』を設立。1992年リオ地球サミット参加。1997年退社。2002年ヨハネスブルグ環境サミット参加。「美しい地球を子供たちに」と呼びかけ、地球環境や生き方について講演や著書を通して提言を続けている。
ネットワーク地球村という8千人のかなり大きなNPOをやってる方のようです。
高木善之さんを代表とする”ネットワーク「地球村」”の活動が感動的!
http://matome.naver.jp/odai/2140495950471271501
環境と平和のNPOネットワーク『地球村』は、1991年、高木善之によって設立された。主として地球環境、社会の問題について現状を知らせ、その問題の解決、改善について提唱活動をしている。国内では二酸化炭素の削減、省エネ、省資源、「脱原発」など。海外では飢餓貧困、森林破壊、大規模災害の救済、人道支援など。会員数は約8千人で、環境と平和のための国際NGO(国連ECOSOC特別協議資格NGO、国連DPI登録NGO)となっている。
で、何が興味深いかというと。
この高木さんは33歳の時に事故で死にかけて臨死体験をした。
それで、2021年の未来のビジョンを見たと著書に書いてるんですね。
この高木氏の見た未来。
1991年 ソ連崩壊
2001年 9.11テロ
2011年 3.11原発事故
2021年 世界崩壊
これは非常に興味深い。
確かに11年毎に世界的異変が起きている。
ネットに一部、載ってたので張っときます。
高木善之氏の臨死体験
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/NDE/takagi.html
オートバイ事故
ここに取り上げるのは、高木善之氏の臨死体験の場合である。松下電器産業の研究員であり、松下中央合唱団の常任指揮者でもあった彼は、1981年、33歳のときに交通事故に遭い、瀕死の重傷を負った。
その日、オートバイで国道一号線を走っていた高木氏は、突如として対向車線からUターンしようとして進入してきた自動車を目にする。とっさにブレーキをかけたが間に合うはずもなく、その車に激突。その時車は、時間感覚が変化したのか、急にスローモーションのようにゆっくりと接近したという。
「自分の身体が飛んでいく、オートバイが転がっていく‥‥。人々の叫び、救急車のサイレン‥‥。」 交差点はUターン禁止。運転手は19歳の少年で、事故の責任は全面的に相手にあった。
が、結果は惨憺たるものだった。首の骨の損傷。骨盤がばらばらに割れ、右足が付け根からはずれ、右足の骨動脈は4本とも切断されていたという。さらに手首の粉砕骨折、他に肩関節、膝関節など骨折多数‥‥。担当の救急医師が「死んでもなんの不思議もない」といったほどの重体で、意識不明が続いた。
その間に彼は臨死体験をした。
彼は、その内容を簡潔な表現で語っている。いくつかの著作から拾ってみよう。
事故の後、彼は自分が担架で病院の中に運ばれていくのを「天井の高さでテレビカメラのように」追ったという。そして、自分が手術されるのを、やはり天井から逐一見ていたという。
その後、ベッドに横たわる自分に妻が絶叫しているのを見て、「大丈夫、僕はここにいる、心配いらない‥‥」と呼びかけるが、もちろん伝わらない。 やがて彼の意識は愛媛県松山市の郊外、重信川という大きな川の河原に飛んだらしい。その河原は、彼の父親の仕事の関係で三歳から六歳の頃を過ごした土地のすぐ近くにあった。川面に石を投げたり、水遊びをしたりした美しい思い出の河原だった。しかしその緑濃い自然は大きく変わっていた。土手も河川敷もコンクリートで固められ見る影もない。自分が住んでいた一画のどこにも住居はなく一面の草地に変わり、父が勤めていた近くの病院や、彼が通った小学校はすっかり立派になっていた。
「地球は生きていたんだ・」
その後彼は、ひばりのように上へ上へと上昇し始めた。彼は子供の頃、ひばりは泣きながら天に舞い上がって死に、そして二度と帰ってこないのだと信じていた。そして今、自分がひばりになって空に舞い上がっていると思った時、自分の死を自覚し、強烈なショックが襲った。しかしやがて自分の死という事実を受け入れると、苦しみが去り、楽な気持ちになって、またなめらかに上昇を始めたという。彼はさらに高く上昇を続け、山々が小さくなり、やがて四国が視野に入って小さくなり、そして日本が小さくなり、ついに目の前に地球が現れる。その強烈な映像、その美しさ、大きさ、厳粛さ、偉大さに満ち足り、至福の感動を覚えたという。彼はその感動をつぎのように表現している。
今、目の前に巨大な地球。 本物の地球、三次元の地球、立体の地球が圧倒的な迫力で語りかけてくる。 それを見たとたん、激しい衝撃。“生きている・ 地球は生きていたんだ・ 魂が揺すぶられる‥‥‥
感動の涙がこみ上げる‥‥‥今、自分が変わりつつあることがはっきり分かる‥‥‥自分が地球と宇宙とつながっていくような感覚‥‥‥‥
・・
自分は死んだのだ。そしてあの世(光の世界)に来たのだ。 痛くもないし、苦しくもない。とても自由で幸せな感じ。  ここには何も無い。 お花畑も河原も、天国も地獄も無い。ここには物質的なものは何も無い。 宇宙のように何も無いのかと言えばそうではなく空間も無いのだ。ちょうど目をつむって何かを考えているような感じ。 意識やイメージはあるが物質的なものは何も無い。・・
地球の未来を見た
さて高木氏は、その時間の無い「光の世界」で過去現在未来のさまざまな映像を見たという。それらの映像は、きわめて簡潔な語句でしか語られていないが、そのいくつかを拾ってみる。
・・高木氏は、別の箇所で次のようにも言う。
私は光に包まれ、至福の長い時間をすごしたのです。そして意識が戻った時には、未来の記憶を持って帰ってきたのです。
たとえば、10年後(1991年=筆者注)にソ連が崩壊し、20年後(2001年)にアメリカ が崩壊し、40年後(2021年)に世界が崩壊することを知っていたのです。そし てその通り歴史は進んでいます、今も‥‥。
この高木氏の言う2021年の世界崩壊。
ワタスは以下を思い出しますた。
1923年関東大震災
1925年治安維持法
1940年東京オリンピック(中止)
1941年太平洋戦争
2011年東日本大震災
2013年秘密保護法案
2020年東京オリンピック
これはかなり前に1940年と2020年のオリンピックがシンクロしてると指摘されて流行ってました。
確かに見ると80年前の同じ歴史が繰り返されてるように見えますよね。
ってことは、現在2016年は80年前の1936年です。
1936年といえば2.26事件の年です。
で、来年2017年は1937年なので日中戦争の年です。
まさか来年中国と戦争になるのでしょうか。
近頃の尖閣諸島の様子を見ると普通にありそうですが。
で、その後、1941年、2021年に第三次世界大戦。
1945年敗戦、つまり2025年日本は焼け野原の敗戦をむかえる。
とかなんとか。
そういう未来が待ってるんでしょうか。
ワタスはアルザル人さんから何度も聞くのはこの世界は波でつくられてるという話です。
文明は800年周期隆盛と衰退を繰り返すなどと言われますが。
人の一生も波があるとは良く言います。
良いこともあれば悪いこともある。バイオリズムというか。
良く考えれば人の一生は70年〜80年です。
80年周期で、また過去と同じ過ちを繰り返す。
そういう何か不思議な宿命があるのかもしれません。
この秋から何かある。。と言う人は多いのですが、その先の2021年の世界大戦。
それはあり得るかもと思いますた。
ちなみに、金融崩壊でいうと日本のハイパーインフレの歴史は1945年あたりからが酷くなってるんですね。
つまり戦後、5年ぐらい酷いインフレ状態になってます。それで、その後デノミをして徐々に収まるんですね。
ということは今でいうと2025年〜30年あたりでハイパーインフレになるんでしょうか。
ちょっと興味深い未来のビジョンを載せときました。
本当にありがとうございますた。

黄金の金玉を知らないか?
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2019年07月06日

木内鶴彦霊視: 月の誕生,ノアの大洪水 (>>祇園祭)

木内鶴彦霊視: 月の誕生,ノアの大洪水 (>>祇園祭)
超古代の宇宙を飛ぶ
時空を自由自在に生まれるのならば,古代の宇宙を確かめたいという衝動に駆られました。
三途の川や故人との出会いは私の中では第一臨死体験として,未来や古代宇宙等の体験は第二次臨死体験として私の中では記憶しています。
■臨死体験で見た古代地球の歴史
私が第二臨死体験で見てきた地球の歴史は,現在の常識では考えられないものでした。
月が誕生する前,地上では高度な文明社会が築かれていました。
その世界は今の歴史学の常識からすれば,信じられないような姿だと思います。
この古代都市は当初地球の地下に作られました。
人間が自分たちの生活空間を地下に求めた理由は実にシンプルなものでした。
地上に街を作ると自然を破壊しなければならないからです。
当時の文明は,地球の生態系の主役は植物だと言う認識に立脚していたんです。
都市と同じ理由から道路や線路も作られませんでした。
道を作らなくてもいいように,彼らは空を移動する乗物を開発しました。
それは今で言えば飛行機というよりもUFOに近いものでした。
緑に覆われた大地,そこには数々の動物が循環を繰り返していました。地下に住む人間も巨大な恐竜も共存して生きていました。
そうです,月が誕生するまで前まで人間と距離は1つの生態系の中で生きていたのです。
人間は文明の進化とともにその生息圏を拡げていきました。
それは草しか生えないような山岳地帯に植物を育てたり,砂漠地帯を緑に変えるための移住です。
当時の科学力はある意味では現在よりも進んでいたのかもしれませんが,価値観が今とは異なるので,比べるのが難しいところもあります。
でも天文に関しては今と同程度位まで発展していました。
だからこそ,臨死体験から戻ったときに月の年代を割り出すための正確なデータが得られたんです。
残念なことにこの超古代文明は月が地球にもたらした大洪水によって失われました。
■月の誕生
第二臨死体験の中で,私の意識は,その当時の天体観測をしていた人の体に入り込むことによって当時の星空の詳細を観察しました。
そして臨死体験から生還。3ヶ月近い入院生活を終えた私は,しばらく実家に戻って休養しました。退院したとはいえ,職場に復帰できるほどに体力はまだまだなかったからです。
臨死体験で見てきた親戚や友人の様子など,様々なものを後からアルバムで確かめました。
その結果はどれも私の見てきたものを事実だと思わせるものばかりでした。臨死体験で見てきたものが事実であるならば,そこで見た地球の歴史もまた正しいはずです。
そこで私は確かめられそうなものから色々と検証してみることにしました。
最初に確かめたのは月でした。
月は私たちにとって大変身近な存在ですが,まだわかっていないことも多い天体です。いつどのようにして誕生したのかといったについても,まだ定説はありません。
地球の一部がちぎれてできたと言う説もあれば,太陽系を漂っていた小惑星が地球の引力に取り込まれたと言う説もあります。
地球から見た月はいつも同じ顔をしています。そのために地球から見える側が表,見えない側が裏といわれています。
これは月の一公転に対して一回の自転しかしていないからです。
そして月の一定面を常に地球に向けているのは,表側の方が裏側よりも質量が重いからです。
私は月のクレーターの数から月が地球の衛星となってからの年数を割り出すことを考えました。
星の歳差運動は一定の周期に基づいているので,計算すれば何年の北極星がどの星かということがわかります。それと星の固有の運動から割り出した数字を合わせれば,かなり正確な年代が確定できるというわけです。
そうして私が導き出した,月が誕生した年代は,約15,000年前というものでした。
巨大彗星が地球に接近して地球環境を大きく変化させたのは意外にもそれほど古い時代のことではありませんでした。すでに人類が誕生して,文化的な生活を営んでいたんです。
月がもともと巨大な彗星であったならば,月のクレーターは水分が蒸発して地球に吸い取られた後にできたと考えることができます。クレーターというのは隕石の地表にぶつかったときの衝撃でできる凹みのようなものだからです。
月には暗い部分と明るい部分があって,暗い部分は「海」,明るい部分は「陸」と呼んでいます。
私の幼い頃にウサギだと信じていたのは,この海と呼ばれる体の部分でした。
なぜ「海」が暗く見えるのかというと,ここは「陸」と呼ばれる部分よりも少し低くて,光の反射率が悪いからです。「海」はクレーターの数が少なくて,比較的楽に観察することができます。
そこで一定期間この海の部分にできる新しいクレーターの数を観察して,平均値を出します。
そして現在あるクレーターの総数をその平均値で割れば,月の誕生したおおよその年代を特定することができます。
こうしたクレーターの観察結果をもとに月の年代を測定したところ,やはりここでも約15,000年前と言う,私の臨死体験から導き出した答えと一致する数字が出たのです。
15000年前,地球は今とだいぶ違う状態にありました。
現在の地球の陸と海の割合は約1:2ですが,当時は海は地表の3分の1しかありませんでした。そして月が存在していなかったのです。
今よりも水が極端に少なかった地球は,質量が少ないために重力も少なかったようです。
地球が緑におおわれるのに伴い,様々な動物も海から陸に上陸して, 水圧から解放された動物は重力の弱い陸上で巨大化していきました。
現在恐竜の化石を復元すると,体の割に足が小さいためにうまく歩くことができなかったのではないかという説を唱える人がいますが,私の臨死体験で見た光景はこの疑問を解決してくれます。
私は臨死体験の中で,約15,000年前に大量の水分を含んだ巨大彗星が地球に大接近したのを見ました。
巨大彗星は火星の付近まで到達したときに,水分が蒸発して太陽よりも巨大なガス状の天体に変化しました。
そのガスは地球にまで達しました。
そしてガスの部分は地球の引力に引き寄せられて行きました。ガスは地表に近づくに従って冷えて,雨になって地上に降り注ぎます。こうして大地の3分の1が海底に沈むほどの大雨が地球に注いだんです。
その頃すでに文明を持っていた人類は天文についての知識もあったので,巨大彗星接近による被害を予想していました。少しでもその被害から生まれるために人々は高い山の頂上などに避難していましたが,それでも大多数の命が失われてしまいました。恐竜が絶滅したのもこの天変地異によってです。
その洪水から生き延びたのは,高い山の山頂に避難できたごくわずかの人でした。
巨大彗星が持っていた水が地球に降り注いだことによって地球上の水分量は
旧約聖書のノアの方舟の物語を始め,世界各地には洪水の伝説が広く残っています。
7日7晩降り続いた大雨によって高い山までが水の下に沈んだという伝承の全てが想像の産物であるとは私には思えません。
これらの伝説は月が誕生したときに地球におきた異変を伝えるものなのかもしれません。
私は臨死体験での自分の記憶を頼りに地球上の陸地と海の割合の変化から,増えたと考えられる水分の量を計算して,それを現在の月と合わせてみたんです。するとそれは見事にバランスが取れたんです。
ー生き方は星空が教えてくれる,木内鶴彦,サンマーク文庫, 2015年8月刊,

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臨死体験
22歳当時,事件は突然起こりました。
当時私は茨城の百里基地で飛行管理という仕事についていました。
この仕事はただでさえハードなのですが,ちょうどその頃はミグ25と言う当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったために連日普段以上の仕事量とプレッシャーを強いられていたのです。
そんなハードな業務にいた1976年3月,私は倒れ,搬送され臨死体験をする事になります。
。。。
朦朧とした意識の中でただ聴覚だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。
そんな私に,廊下で両親に病状を説明している医師の声がまるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえてきました。
「残念ですがお宅の息子さんは持ってあと1週間でしょう。腸閉塞を起こしている事は確かですが,このようなケースはこれまでに症例もなく,検査も十分にできない状態なので,病名は分かりません。ただ言えるのは,今の状態で検査をすれば確実に済むと言う事だけです。」
。。。
私が一命を取り留めることができたのはレントゲン撮影のおかげでした。右側を下にして「く」の字に曲げた体勢なら背骨と動脈との間にわずかですが隙間ができて,十二指腸の完全閉塞を逃れることがわかったからでした。体を曲げた状態で思いをさせることができたのもこのためです。
ー生き方は星空が教えてくれる,木内鶴彦,サンマーク文庫, 2015年8月刊,

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木内鶴彦
チュニス・木内・中村彗星
土屋・木内彗星
メトカーフ・ブルーミントン彗星
スウィフト・タトル彗星(1992年再発見)
4つの彗星を発見した世界的に有名なコメットハンター(彗星捜索家)。
1976年,突然襲った病魔と臨死体験で宇宙の仕組みと地球がたどる未来を垣間見る。
ベストセラーの単行本「生き方は星空が教えてくれる」は2015年に文庫化。

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2004/08/07(土)
祇園祭の大いなる秘密
読書
『祇園祭の大いなる秘密−日本神仏祭祀の謎を読み解く』(久慈力、批評社、1,890)、読了。
前から読みたいと思っていたが、ブックオフでたまたま見つけて買った。
いわゆる日猶同祖論的な説で、祇園はシオンの転訛だという主張がある。
これだけだったらゴロ合わせで終わってしまっていて、まともな人ならば誰も見向きはしないだろうが、
この本では祇園祭とシオン祭を徹底的に比較・検証している。
シオン祭とは何か?
紀元前1000年頃、古代イスラエル統一王国のソロモン王の時代に神殿があった場所がシオンの丘と呼ばれた。
そのソロモンが王として即位したことを祝う祭が、シオンの祭だった。
京都の八坂神社の祭礼である祇園祭は、その古代イスラエルのシオンの祭を模倣したものだというのが著者の主張だ。
いわゆるイスラエルの失われた十部族が古代の日本を訪れていたという説があり、そのような主張をよく知らない人にとっては、
祇園祭=シオン祭
説は、「トンデモ」以外の何物でもないと考えても無理はないだろう。
だが、著者は祇園祭の神事の内容を詳細に調べ上げ、古代イスラエルの神事との類似点を、さまざまな視点からとらえている。
特に私が説得力があると感じた部分は以下のとおりだ。
1. 仮庵祭と祇園祭の神幸祭は七日間行われる。
2. どちらも七月中旬に行われる。
3. どちらも水と火と光の祭であり、神霊が降臨し、宮清めが行われる。
4. 仮庵や山鉾を花、木の枝、植物の房、幕などで飾り立てる。
5. どちらも水を汲み、水を注ぐ儀式が行われる。
6. 榊とヒソプ(ユダヤ教の清めの儀式で使用する植物)は同じ役割を果たす。
7. 祇園祭は、ノアの箱舟がアララテ山の山頂に達した日である7月17日にピークを迎える
以上は著者の主張するところのごく一部にすぎない。
これだけのことが一致するとなると、これは偶然とするのは
無理があるだろう。
この本では、重要な事実をあっさりと書きすぎている部分があるのと、後半ちょっと論旨が強引な部分があるのが残念だ。
だが、これまでの類似の本では書かれていなかったことが多く、それなりの価値がある本だろう。

●探求三昧 by N.Momose● 何でも探求するブログ
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20040807/1396008494





祇園祭とイスラエルの祭との類似
日本では毎年、7月17日に、「夏祭」と称する「祇園祭」、別名「天王祭」が全国一斉に行なわれます。
とくに総社である京都・祇園神社の祭は、大規模に7月17日から1週間にわたって行なわれます。
じつはこの7月17日という日は、イスラエルにおいても、非常に重要な日でした。かつてノアの箱舟がアララテ山に着いたのが、まさにこの日なのです。
「箱舟は第7の月の17日に、アララテの山の上にとどまった」 (創世8:4)
と聖書に記されています。
そのため古代ヘブル人は、この日に謝恩祭を行なっていたようです。
しかしモーセ以後は、ちょうどこの時期に収穫祭 (仮庵の祭ともいう)が行なわれるようになりました (第7の月の15日から1週間)。
京都で行なわれている祇園祭は、こうしたノアの箱舟の記憶や、イスラエルの収穫祭を思い起こさせるものがあります。
祇園祭では、「舟車」といって舟の形をした山車が、町内をめぐります。
また神輿には、鳩に似た小鳥の彫刻や、榊の小枝をくわえた鳥の模型がついています。
これらのことは、ノアの箱舟や、箱舟にオリーブの小枝をくわえて戻ってきた鳩の話を、思い起こさせるものであるわけです(創世8:11) 。
明治維新の頃、日本に来た商人で、N.マクレオドという人がいます。
彼も京都で祇園祭を見たとき、ひじょうに強い印象を受けました。
たとえば祇園祭の中で、人々は木の枝を持ち歩いていました。
古代イスラエルの収穫祭でも、人々はたくさんの木の枝を持ち、また農業の収穫物を持って行列に参加しました。
またマクレオドは、祇園祭で使われる香炉が、イスラエル神殿で用いられていた香炉に非常によく似ている、と観察しました。
さらに祇園祭の行列の中に、「7つの腕のある道具」を持ち歩いている人たちを見ました。
これはイスラエル神殿で用いられていた7つの腕を持つ燭台(メノラ)に非常によく似ている、と彼は考えたのです
また日本文化において12という数字が、いろいろな場面において用いられていることをも、発見しました。
天皇は12人のお妃を持ち、京都の御所には12の門がありました。
宮城には12の飾り付けがあり、神社の祭では12本の棒がゆわえつけられていました。
こうしたことは、イスラエルで神の民や神殿に関するものに12という数字がよく用いられていたことを、ただちに連想させるものでした。
祇園祭について、ユダヤ人ラビ・トケィヤー氏はこう言っています。
「いずれにせよ、ユダヤ人がこの祇園祭を見たときに感じることは、「ギオン」という名前はエルサレムの別名である「シオン」ではないか、ということである。 
・・・その祭自体が、古代イスラエルの歴史を、ドラマ化したものであるように感じるのである」。
このように、イスラエルの習慣に精通している人々にとって京都の祇園祭は、イスラエルの祭を連想させるものであるようです。
しかしこれはイスラエルの正統的な宗教行事の場合ですが、そうでない場合もあります。
たとえば、日本の神社の中には、牛を祭神としているところが多くあります。
さきに、神道は基本的には偶像崇拝ではないと述べましたが、一部には偶像崇拝も事実入っているわけです。
この風習は、古代イスラエル民族が行なった異教の偶像崇拝の名残りではないか、とマクレオドは考えました
聖書にも、古代イスラエル人は唯一の神を信じながらも、しばしば「子牛礼拝」などの偶像崇拝に陥ったことが記されています。
とくに失われた10部族は、そうした偶像崇拝に陥っていましたから、偶像崇拝が一緒に日本に持ち込まれたと、考えられるわけです。
また、「山伏」に関する様々のことが、古代イスラエルの習慣に非常に良く似ていると、指摘されています。
山伏――頭につけているのが兜巾。
たとえば山伏は、額に「兜巾」(ときん)と呼ばれる黒いものをつけます。
これは古代イスラエルの祭司が額につけた黒い聖なる箱「ヒラクティリー」にそっくりだ、と指摘されているのです。
今日もユダヤ教徒は、祈りのとき、ヒラクティリーを額につけます。こうした習慣は、ユダヤ教徒と日本の山伏にだけ見られるものです。
山伏が吹く「法螺貝」も、イスラエル人が祭のときに吹く「ショーファー」という笛に、よく似ていると言われています。 
イスラエル人のショーファーは、ふつう雄羊の角で作られますが、必ずしも雄羊の角である必要はありません。
実際には、手に入る材料で作ってかまわないのです。
日本は羊は少なく、海洋国家なので、法螺貝が用いられたのではないかと言われています。
両方とも同じような音をたてるのです。そのほかにも、山伏の習慣には古代イスラエルの習慣を思わせるものが多々あり、両者には、
「偶然とは言えないほどの一致点が存在している」
と、トケィヤー氏は述べています。

古代日本とユダヤ・キリスト教
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm













3800年くらい前(BC1800年ころ)、シナイ半島の遊牧民であったセム人、アブラハムの子孫が増えてユダヤ民族となった。
(当時のセム人はバスク人・パレスチナ人などに似た黒毛で、モンゴロイド要素の強い人種、地中海系人とは異なる)
3000年前(BC1000年ころ)、ダビデ王の下、ユダヤ民族国家イスラエルは黄金時代を迎えたが、
その後、南北に分裂し、北イスラエルが滅亡後、南ユダ国も2600年前(BC600年ころ)にバビロニアに征服され、人々は奴隷としてバビロンに連れ去られた。
これが「バビロン捕囚」である。
バビロン捕囚のときバビロンにあって石造建築を扱わされたことで石工組合のようなものが成立し、これがフリーメーソンの原形になったと思われる。
2500年前、バビロンを征服したペルシャ帝国によって、ユダヤはシオンの地に戻ることを許されイスラエルを再建する。
2000年前、ローマ帝国によって滅ぼされるまでの時代に、タルムードが発展し、明確なユダヤ教が成立した。
ユダヤ教の根幹教義は、旧約聖書モーゼ五書(トーラー)とタルムードである。
旧約聖書がいつの時代に編纂されたのか諸説あってはっきりしないが、ユダヤ教はこれをユダヤ人に教える教師をラビと呼び、
とりわけタルムードを元に生活規律を求める者を律法学者と呼んだ。
イエスが忌み嫌ったパリサイ人、律法学者は、バビロニア・タルムードの定めを人々に強要していた者たちのことである。
ユダヤ教徒という定義は、タルムード律法を守る者とされていた。

youtube.com
http://www.youtube.com/watch?v=zf9FdnlFKSY&hd=1 
http://www.youtube.com/watch?v=irKv6C_t1xA&playnext=1&list=PLADB418BA17E5C440&index=5

予知情報
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm






歴史情報 農業の起源
農業の起源
農業の起源は近代考古学においてもっとも難題とされてきた分野である。
紀元前9600年頃に起きた気候の大変化の直後、世界各地で突如として農業が始まったという事実を説明するため、これまでにたくさんの学説が浮かんでは消えてきた。
1886年、アルフォンス・デ・カンドル(1806〜1893)が植物学的見地からこの問題に取り組んだ。
「栽培植物の地理的起源を知るための最も直接的な方法は、その植物はどこの国で人の手を借りることなく自生しているかということを調べれば良い。」
ソビエトの著名な植物学者ニコライ・イワノビッチ・バビロフ(1887〜1941)は、
カンドルの方法論に可能性を見出していた。
バビロフは長い間かけて世界中から5万種類以上の野草を集め、この作業を通じて主な栽培植物の発生源として8つの場所を特定することに成功した。
なんと、これらの全ての場所には地球上で最も高い山脈との直接的な相関関係がはっきり認められたのだ。
今日不可欠とされている栽培植物が最初に生えていた場所は、ヒマラヤ、ヒンドゥークシ、中近東、バルカン半島、アペニン山脈など、
世界に冠たる山脈が集まる、北緯20度から45度の地域に集中している。
ヨーロッパ、アジア、アフリカにおいてはこれらの地域は緯度に沿って伸び、南北アメリカにおいては経度に沿って伸びている。
どちらの場合も、大きな山脈がある地域と一致しているのだ。
バビロフは、また、今日世界中で栽培されている植物が元々は海面よりはるかに高い位置にある山岳部に生えていた植物を源としていることを証明した。
アトランティスの伝説をエジプトの文献で知ったプラトンは、地球上を大洪水が襲った直後からの復興の最初の日々について、
その最後の著作「法律」の中で記している。
アテネ人「大昔の話には真実が少しでも含まれていると思いますか?」
クリニア人「何の話に?」
アテネ人「人類がしばしば大洪水や疫病、その他の災害によって滅亡させられた結果、僅かの生存者しか残らなかったという話です。」
クリニア人「みんなが真実であると信じていることでしょう。」
アテネ人「それでは多くの災害を思い描いてみましょう。特にノアの洪水の時に起こった災害のことです。」
クリニア人「それについて何を思い描くのでしょうか?」
アテネ人「破滅を逃れた人々の多くは丘の上に住んでいた牧夫であり、人類のほんのわずかな生き残りがどこかの山の上に落ち着いたということです。」
クリニア人「明らかに」
アテネ人「平野や海の近くにあった街はその時全て壊滅してしまったと仮定しましょうか?」
クリニア人「いや、こう仮定しましょう」
アテネ人「それでは破壊が起こった時に、人類はどのような状態にあったとしましょう。陸地には無人地帯が広範囲にわたって存在していて、動物はほとんど死滅してしまった。ほんの少しだけ生き残った牛や山羊が、牧夫の手に渡っていったとしたら?」
プラトンのこうした記述は、家畜の出現に関して初めて理にかなう説明をつけたものである。
彼の理論は、農業の起源や動物の家畜化の始まりが、アトランティス文明でかなり昔から実践されていた手段を再現したものだということを仮定している。
史上最古の農業的実験が行われた時代は、アトランティスの滅亡した時代とぴったり一致するのである。
−MU BOOKS/アトランティスは南極大陸だった!! 1996年刊

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気象情報:約12,240年の地球温暖化は急速にすすんだ
2013年12月5日
The Extinction Protocol
Volcanic ash reveals rapid Ice Age climate change
Posted on December 5, 2013
by The Extinction Protocol
December 5, 2013
Climate Science
http://www.reportingclimatescience.com/news-stories/article/volcanic-ash-reveals-abrupt-climate-change-during-last-ice-age.html
The Extinction Protocol
http://theextinctionprotocol.wordpress.com/
http://theextinctionprotocol.wordpress.com/2013/12/05/volcanic-ash-reveals-rapid-ice-age-climate-change/
オックスフォード大学/クリスティーン・レーン (Christine Lane、Oxford University)
とGFZ独地質調査センター(the GFZ German Research Centre for Geosciences) /アキム・ブラウア (Achim Brauer) による独英合同地質学研究チームの調査によれば、氷河期の気候変動は地域により約120年の時間差はあるものの、地球の各地方で訪れる。気候変動ははやいスピードでおこりうるという。
約12,240年におきた前回の氷河期の終わり、氷河期終期に約1100年続いた寒冷期/ヤンガードレアス期(the younger Dryas)のおわり、アイスランドのカトラ火山(the Katla volcano)で大噴火がおき、
火山灰は偏西風にのって北ヨーロッパ、中央ヨーロッパの大部分のエリアにおちたが、
独英合同地質学研究チームの最新の研究書/「Geology」の記事によれば、西ドイツ/アイフェル地域(the West German Eifel region)/マーフェルダーマール湖(the Meerfelder Maar lake)の沈殿物の堆積パターンと南ノルウェーのクラケネス湖(Lake Krakenes)のそれには約120年の時間のずれがみられた。
つまり、アイフェル地域で最初に温暖化が起き、その約120年後にノルウェー南部で温暖化が起きたが、両エリアで起きた温暖化はどちらも等しく急速だった。
Achim Brauer
「湖底に沈んだ火山灰沈殿物から正確に火山灰の年齢を測定することが出来る。
これにより時間を正確に特定できる。」。

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2010.12.4
宇宙的な厄災は過去に何度もあったのにも関わらず、それは単なる作り話だと思ってきた。
そのツケが回ってくるかのようだ。
こうして「宇宙的な災厄」が再び巡ってくるのである。
「ノアの大洪水」を地球上の起こした巨大彗星ヤハウェは、水星にも接近したことで水星が収縮させた。
その上、ヤハウェに破壊された惑星フェイトンの残骸を水星にも叩きつけたので、水星も月と同様なクレーターが多数ある。
一般的に、天体に落下しなかった小惑星や隕石が惑星の重力圏に捕まったときに、その惑星にリングが出来ることがある。数が少ないと火星の衛星のような存在となるが、形が小さいもので数が多いとリングになる。これらは全て巨大彗星だったヤハウェが引力で引き連れていたフェイトンの残骸で、これらを木星や土星、それに天王星や海王星にあるリングの一部は小惑星の残骸によって形成された可能性が高い。その他にも特に土星のリングはその大きさから、土星の衛星が破壊された残骸も混じっているのではないかと思われる。その中で天王星は巨大彗星ヤハウェとニアミスしているようで、地軸が97.9度という横倒し以上の角度で自転するようになっている。
土星の衛星イアペタスは赤道をなぞるように高さが19キロもある突起構造があり、他の天体と接触したときに出来たと思われる表面に削られた跡がある。これはデススターに似た形状で、もしかするとスターウォーズの製作者は、公表されていなかった宇宙情報を予め知る立場にあったのだろうか。それに人工構造物も存在しているという。
天王星の衛星であるミランダも表面のアチコチに引っかき傷のようなものが存在していることから、巨大彗星ヤハウェとの接触で出来た可能性もある。そして海王星にも多数の衛星があるがその中のトリトンも海王星の他の衛星とは異なり公転方向が逆になっているばかりか公転角度が大きく傾斜している。その表面の様子は北半球と南半球とでは全く異なっているのだ。北半球は起伏が無いのに何故か南半球は地表が変化するほどの引っかき傷がありデコボコして荒れている。特に最下部近くはデコボコが酷い。これも巨大彗星ヤハウェとの接触によって出来たものだと思われ、そのままビリヤードのように弾き飛ばされ現在のような異様な公転方向と公転角度になってしまったのだろう。そして、このときに海王星の衛星が弾き飛ばされたのが冥王星と、その同一軌道上を冥王星を追いかける形で太陽を公転しているヘメラである。それに冥王星の衛星であるカロンを含めて3つとも海王星の他の衛星と似ていることから、おそらく海王星の衛星だった可能性が高いだろう。
冥王星にはカロンの他にもニクスとヒドラという衛星があるが、これは火星の衛星であるフォボスとダイモスのようにフェイトンの残骸のような歪な形をしている。
実は冥王星の大きさは直径が約2300キロで月よりも小さいことがわかったことと、冥王星の外側を公転する惑星エリスが発見され、そのエリスは冥王星よりも大きかったために冥王星は矮惑星に降格した。冥王星の軌道は異質で楕円軌道である。
太陽系の惑星は正確には真円軌道ではなく楕円軌道なのであるが、その誤差が極めて少なく地球の離心率は0.02であるが、冥王星は0.25であり楕円軌道を描いている。その影響で海王星の軌道と一部で交差しており、1999年までは海王星の方が冥王星よりも外側を公転していた。
他の惑星は地軸の傾きは様々だが公転面は横道面とほぼ同じである。しかし冥王星の軌道は約17度も傾いており、海王星の公転面と比較しても約15.4度傾斜している。このことは全く斉一論では説明がつかない。これは明らかに太陽系の調和が乱されて宇宙規模の大激変があったと思われるのである。現在、海王星にもリングが存在することがわかっている。これも他の大きな惑星と同様に巨大惑星ヤハウェが引き連れていた破壊された惑星フェイトンの残骸が海王星の引力に捕まったからだと思われるが、その他にも衛星が破壊された可能性も高い。どうやら、現在では小惑星帯になっている破壊された惑星フェイトンの他にも木星・土星・天王星・海王星の衛星も幾つか破壊されているようだ。それに小惑星帯の中に1つの球体をした惑星が発見された。他の小惑星帯にあるような小さく歪な形とは明らかに異なることから、破壊された惑星フェイトンの衛星だった可能性が指摘されている。その他にも太陽を公転している小惑星は12個存在していることがわかっている。そうなると大小あわせて合計する20以上の惑星が公転していることになる。だから月よりも小さな惑星である冥王星が降格したのだ。それにマダ正式には公表されていない「惑星X」と呼ばれる惑星の存在も明らかになっている。
これは惑星ヤハウェと同様に大衆に知られては困る惑星である。ナント他の惑星と比較しても異常とも思えるような垂直に公転しているのである。
横道面から87.2度の角度で、冥王星よりも比べ物にならないので、斉一論による
「ガス円盤が回転して太陽系が形成された」
という説明では全く解明できない現実であり、太陽系に大激変が起ったことを物語っている。
この惑星の公転周期は冥王星の248年よりも遥かに長いことは確かなようだが、弾き飛ばされた影響なのか、
冥王星の外側から土星の内側を通る公転軌道なのである。
太陽系の中でも異質な存在である、この「惑星ノクス」は今のところはハッキリと公転周期がつかめていない。
それもエハン・デラヴィ氏が主張しているような約3600年周期で公転している太陽の伴星ではなく、キチンとした惑星であり大気も存在しており、
主成分は窒素で少量だが酸素も存在しているようで地球に似ている惑星ということだったのだ。
だが、太陽から遠いためか全域が氷で覆われている。
しかし、その氷はメタンではなく普通の水が凍ったものだという。
衛星の数は7個で全てが火星の衛星と似た小惑星のような歪な形をしている。
一方で、ある天体が必要以上に接近したとき、その天体が地球の大きさに近いほど重力による「潮汐作用」を大きく受けることになり、
地球に世界規模の地殻変動をもたらし地球上は大変な状態に陥る。
ノアの時代に、エノクのいた町が人々を乗せたまま空中高く浮遊して何処かへ消え去ったという伝承があるが、
これを牧師だったスウィフトに「ラピュタ」物語の構想を思いつかせたのである。
そして「聖書外典」にはエノク自身が空中を浮遊したという記述もあり、これもプラズマ領域が関与したことが十分に考えられる。
地上から消えたエノクの町は太陽に向かったとする伝承が残されている。
その直後に「ノアの大洪水」が起きていることから、この現象も天体の超接近によって重力が変化してプラズマ領域が至る所で引き起こされたことだろう。
当時、世界各地で様々な温度の自然プラズマが発生していたことは、インド北部とパキスタン南部のモヘンジョダロ一帯に散在しているガラス状地形は、摂氏数千度の超高熱プラズマで大地が焼かれたことを意味していと思う。イギリスの考古学者であるジョン・マーシャルは、古代に大規模な自然災害が発生したと考えた。だが、それをに異を唱える古代史研究家のデーヴッド・ダヴェンポートとE・ヴェンセンティは、その大災害こそが古代文明同士で核兵器による戦争が起きた跡であると発表して世界中で驚きと共に支持された。確かに既存の核兵器の爆発による高熱現象はプラズマによるものであるが、古代においての核戦争は突飛過ぎるのである。核兵器を製造するような文明は長い歴史的積み重ねによって出来るものなのである。それを造る設備や工場や人材と様々な化学的環境が無ければならないので、イキナリ核兵器を造れるような文明が発生したとは思えない。世界中探しても原子炉施設があった形跡すら存在していないのである。
だから、古代に核戦争が起きたことことは極めて無理がある。
要するに、これだけの超高熱を生むようなことは科学的兵器でなければ出来ないという前提の下で考え出されたものであり、超高熱を生むことは自然現象では起きるはずがないというのも現代科学が抱える傲慢さである。こうした現象が自然に発生するということを大衆に知られたくないという思惑も一部には存在したのだろう。実はモヘンジョダロが位置する緯度と近い場所に多くの天変地異が集中して起きていたのである。それは北緯28度近辺であり、世界各地で天変地異が頻発していたころに、インド北部で大発展していたモヘンジョダロが一夜にして廃墟となった。果たして、古代の地球に超高熱を発するような自然災害が起きていたのだろうか。
続く・・・

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アポロ計画の謎と月空洞論
2008/11/25(火) 午後 4:19
宇宙関連 その他自然科学
人類は本当に月へ行ったのか!?
人類は月には行っていないのか!?アポロ疑惑の裏に隠された恐るべきエイリアン情報とは何か。
NASAの極秘情報をもとに、かつてソ連もまた月面に人類を送り込んでいた事実を暴露するとともに、月が空洞であることを証明する。
方向が違う影や明るい陰、同じ背景なのに違う場所…、次々と指摘されるアポロ映像の疑惑に対し、NASAは必死に反論するが、いったい真相はどこにあるのか!
当局が企む陰謀の裏の裏まで知り尽くした男、ジェームズ・J・ジェファーソンが今、すべてを暴露する!月面で巨大UFOと遭遇していたのは、アポロ宇宙飛行士だけではなかった。
飛鳥氏が書かれた過去の本を数多く読んだ方には、新鮮味が薄いかも知れませんが自分にとっては驚愕の情報が満載です。
55億円の予算で「月」に行った日本の「かぐや」…
未だに思っていたほど月面の詳細な情報は入ってきておりません。
故障したという情報もあるが、はたして真実なのか。アメリカの圧力なのか、自主的に公表できないのか。
本書は月の内部写真とアポロ11号が遭遇したとされる巨大葉巻型UFOとデルタ型子機UFOの写真から始まります。
綿密に隠蔽されたアポロ計画の謎が解明されている。アポロ飛行士が言う「サンタクロース」とはUFOの隠語でした!
オルドリンがわがままで希望し、アームストロングと入れ替わって最初に着陸していて、おまけにロシア人もルナ15号で同じころ月に着陸していたという。放送上都合の悪い映像のときはシャットダウンしていたようだ。
予めエリア51で夜間撮影していた映像も巧妙に混じっているという。
だからチグハグな影が指摘されて「アポロ11号の月面着陸捏造説」がまことしやかに言われるのだ。
本当にアポロ11号は月に到達していた。
地球が空洞であるというので、興味を引かれて月が空洞の謎を知りたくなった。
月の内部にあった膨大な水が「ノアの大洪水」を引き起こしたということには驚いた。
地球空洞論はプラズマで覆われた亜空間で「アルザル」と呼ばれる地球内天体と地球の金属核が同時に存在しているが、月空洞論の場合は実際に単なる「がらんどう」なのだ。
しかし、月が空洞であるならば、どうして月の地殻よりも深いところで月震の震源があるのかという疑問がある。
それは、地殻の裏側に溶解した核がある程度の厚さでへばりついているのが「月の海」と呼ばれている場所だという。
その内部の核が非常に歪な形になっているというデータが判明したことは、これまでの推論を裏付けるのみならず、月震そのものの原因も明らかにしたのだ。
何を隠そう、月震の原因はエイリアンが巨大掘削機で「月の海」と呼ばれる浅黒い地域において、元は月の核だったレアメタルを採掘している為に起きている。
本当のエイリアンは「グレイ」などではなく我々地球人と同じ姿をしており、人種的にも日本人に近い"兄弟"のような存在なのだという。
彼らは絶対的な平和主義者であることをいいことに、アメリカ政府とアメリカ軍は露骨なまでの宇宙開発を進め、月を軍事的な支配下に置こうとしている。
近い将来、アメリカ軍はHAARPや軍事衛星などと連動したプラズマ兵器をより高度なものとし、本格的にエイリアンと戦うつもりでいる。
月面及び月内部に住んでいるエイリアンを叩き潰すことに成功した暁には、いよいよプラズマで覆われた地球内天体「アルザル」へと攻撃を進めるに違いない。
しかも、アメリカはテロ対策や中東戦争の費用の他に対エイリアン攻撃のための軍事費の多くも、エイリアンの同属国家である日本から出させようとしている。
アメリカにとって日本は属国であって年次改革要望書を毎年送りつけており、まるで51番目の州と同様な位置としてみているかのようだ。
また、日本人は敵対するエイリアンに対する人質でもある。
特に天皇は最後の切り札といってもいい。

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木内鶴彦霊視: 臨死体験,あの夏の日にかえる

木内鶴彦霊視: 臨死体験,あの夏の日にかえる
臨死体験
22歳当時,事件は突然起こりました。
当時私は茨城の百里基地で飛行管理という仕事についていました。
この仕事はただでさえハードなのですが,ちょうどその頃はミグ25と言う当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったために連日普段以上の仕事量とプレッシャーを強いられていたのです。
そんなハードな業務にいた1976年3月,私の体は突然悲鳴をあげました。
■余命1週間
その日夜勤についていた私は勤務終了時間が近づく夜明けの空を眺めていました。駐機場に並べられた戦闘機もその奥に見える筑波の山並みもすべてのものが一斉に朝焼けに染まり美しい景色でした。
「美しい」。。
そう思っていた刹那に今まで経験したことのない激痛が体を襲ったのです。体中の血が一気に引いて私はその場に倒れました。意識を奮い立たせて,状況が全く理解できないながらも私はそばにあったソファーに這い上がって,身を横たえました。助けを呼びたくてもあまりの痛さに声も出せません。
幸い隣の部屋で仕事をしていた別のクルーが異音に気づいてすぐに衛生班に連絡してくれました。
病院に運ばれ診察を受けましたが,私の様子を見た医者はもっと設備の整った大きな病院で手術をしなければ手遅れになると,その夜のうちに東京医科大学病院へと私を移しました。
私の病気はストレスなどから背骨と動脈の間に十二指腸が挟まれて腸閉塞を起こすという世界でも120例しか報告されていない非常に珍しい病気でした。
しかも、病気になって一命をとりとめた人がいないという大変恐ろしい病気だったんです。
日本では病名もなかったために私のカルテには担当医によって「上間肋骨動脈十二指腸閉塞」というちょっと長い病名が記されることになりました。
。。。
嘔吐した意識の中でただ聴覚だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。
そんな私に,廊下で両親に病状を説明している医師の声がまるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえてきました。
「残念ですがお宅の息子さんは持ってあと1週間でしょう。腸閉塞を起こしている事は確かですが,このようなケースはこれまでに症例もなく,検査も十分にできない状態なので,病名は分かりません。ただ言えるのは,今の状態で検査をすれば確実に済むと言う事だけです。」
。。。
■臨死体験
そして迎えた1週間目の朝。
その時の私は傍目には意識不明で昏睡状態に見えるのですが,実は意識もはっきりしていて,父と医師が話している内容も全て理解していました。父の言葉を聞いた私の正直な感想は,そうか,そういえば自分は何の病気かわかっていなかったんだというものでした
どれほどの時がたったのでしょうか,次に意識が戻った時,なぜか私は真っ暗な場所でぬかるみを這っていました。ここはどこだ。なぜ俺がこんなところにいるんだ。ベッドに横たわっていたはずの自分が暗闇を這っている。。
私の頭は混乱するばかりでした。
混乱した頭ではいずり回って,疲れ果てて,ぐったりと横たわっているときに,遠くのほうにかすかな一点の光が見えました。それはまるで暗い夜空でやってみることができ6等星ほどの明るさの光でした。
真っ暗闇の中で光を目指して進んでいくと,光は面積を広げてその光が洞窟の出口であるらしいことがわかりました。
私は洞窟から外に出ました。
外は一面の草原で後ろを振り返ると土手に大きな穴が開いていました。
暗闇から解放されましたがその草原も決して明るい場所ではありませんでした。
家の照明を小さい電球だけにした時よりももう少し暗い位の明るさです。
その暗い空の彼方に一点だけ輝いている場所がありました。その光源が全体を照らしている,そんな印象でした。
私はその光へ進みました。
しばらく歩いていくと,中国の揚子江を思わせるほどの大きな河が左から右の方へゆっくりと流れているのを見ました。
これが「三途の川」というものなのかな,と思って私は昔お年寄りから聞いた話など思い出しながら船頭を探し始めました。
探しても船頭は見つかりません。
それでも光のある対岸に何とかして渡らなければ,と思って,川べりを調べながら歩いていると,木造の小さい舟を見つけました。幸いなことに水は漏れていません。
乗って手で水をかきながら私は対岸を目指すことにしました。
ところが水を掻いても掻いてもなかなか対岸につきません。
腕が疲れて,棒のようになっています。
しかし戻る戻るに戻れない微妙な距離にあり,やはり進むしかないと,また生ぬるい川の水に腕をつっこみます。なんとか休みながらやっとの思いで対岸にたどり着いた私は舟から這い出して疲れ切った体を岸辺に横たえました。
ふと頭を見上げると15メートルほど離れたところに焚き火のような光のひらめきのみました。
そこには喪服の女性が立っています。
女性は私のところまで来ると私に向かって話しかけてきたんです。
「鶴彦,お前は何をしに来たんだ?」
何をしに来たと言われても,来たくて来たわけではないので答えようがありません。
黙っているとその女性は「ついておいで」と言って私を連れて行きました。
3人の年寄りと1人の青年が立っていました。
青年の顔をよく見てみるとその人はなんと私の中学生の時に亡くなった仲のよい従兄弟だったんです。
従兄弟は亡くなった当時の姿そのままの姿でした。私と従兄弟は,しばらく振りに会った親戚よろしく,家族の消息などを私に訪ねて,私たちはしばしば世間話に花を咲かせたんです。
。。。
■あの夏の日に帰る
私はどうすることもできない自分の肉体の事よりも,不思議な今の現象のほうに興味をそそられるようになっていきました。強く思うだけで空間を自由に飛びことができる。それも瞬間的に移動できるのです。
私は自分が6歳の時のある夏の日をイメージしました。
6歳の時に起きた事故。
私と姉は川に水遊びに行き,ちょっと危ない斜面を降りていました。
その時誰か上の方から「危ない!」という声が耳に響いて,その声の方を見ると大きな石が斜面の上から落ちてきたのです。私は大きな石が今にも姉の上にあるのを見てびっくりして,前を歩く姉の背中を強く押しました。
姉を押した反動で私は後ろにひっくり返り,その間を大きな石が転がっていきました。危ないところで姉は石の直撃を逃れました。しかし私の背中を押された姉は岩場を滑り落ちてさらに落石の辺が当たって足の指の爪を剥がしてしまいました。
私は必死になって「危ない!」という声がしたから姉を助けるために背中を押したのだと説明しましたが,付近を探しても声の主はなく,私の訴えを信じてもらえずに,結局,私のいたずらということになってしまい,ずっと悔しい思いを引きずっていたのです。
だからあの時の声の話を確かめたいと思ったのです。
「あの夏の日に行きたい」
そう思った瞬間に,私は幼い自分と姉の姿を上から見下ろしていました。
幼い日の記憶を頼りに私は声をした方を探していました。
確かにこの辺に誰かがいたはずだ。そう思っていたんですが,誰の姿もありません。
そのうちにあの瞬間が近づいてきました。
石が転げ落ち,姉がまさにその場所に足を乗せようとしたときに私は思わず叫んでしまったんです。
「危ない!」
幼い自分が私の方をぱっと見て姉の背中を押しました。
あの時の声の主は自分だったんです。
■未来に行く
1976年の病室に戻って,冷静を取り戻取り戻したところで私は再び考えました。
過去に行くことができたのだから未来へも行くことができるのではないだろうか?
そこでとりあえず「未来」と言うことだけを強く思っていました。
私は畳が敷き詰められた大広間にいました。
そこでは中年の男性が30人ほどの若者相手に何やら話をしています。
広間はとても風格ある造りで,広い床の間には幅1メートル高さ1.5メートルほどの掛け軸がかけられていました。それは何か見取図のように見えました。
人々はコの字型に座って,灰色のシャツを着た中年の男性の話を熱心に聴いていました。
私は中年の男を覗き込みました。老いていましたがそれは確かに私でした。私は朝の話を中心に地球環境の大切さをテスト大答えていました。
それを見た私は漠然とした希望を抱いたんです。
未来の自分が存在しているという事はもしかしたら生き延びられるかもしれないと思ったんです。
さらにもっと未来をと強く思うと,次に現れたのは初老の私でした。
しかし目の前にある世界は息を鮮明なものではありませんでした。それは2つの条件がまるで二重露出のフィルムのように重なるダブついた景色でした。
強く見えたのは,廃墟のように荒れ果てた大地で廃墟の石に手をかけて呆然としている私でした。
そのビジョンに重なるように見えていたもう一つの情景は,背景のビジョンよりもさらに不鮮明なものでしたが,緑の多い場所で星を見ている私でした。
二つのビジョンが同時刻の同じ場所だという事は,私の容貌と空の星の輝きが教えてくれました。
私は臨死体験の中で,宇宙の始まりから生命の発生,そして人類の歴史までを見てきました。
私の心臓が停止して蘇生するまでの時間はわずか30分です。
そのわずかな時間の間に私は膨大な時を経験したのです。
。。。
■生還
私が一命を取り留めることができたのはレントゲン撮影のおかげでした。右側を下にして「く」の字に曲げた体勢なら背骨と動脈との間にわずかですが隙間ができて,十二指腸の完全閉塞を逃れることがわかったからでした。体を曲げた状態で思いをさせることができたのもこのためです。
ー生き方は星空が教えてくれる,木内鶴彦,サンマーク文庫, 2015年8月刊,

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木内鶴彦
チュニス・木内・中村彗星
土屋・木内彗星
メトカーフ・ブルーミントン彗星
スウィフト・タトル彗星(1992年再発見)
4つの彗星を発見した世界的に有名なコメットハンター(彗星捜索家)。
1976年,突然襲った病魔と臨死体験で宇宙の仕組みと地球がたどる未来を垣間見る。
ベストセラーの単行本「生き方は星空が教えてくれる」は2015年に文庫化。

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2019年04月10日

秋田市北部墓地に安価な合葬墓完成

秋田市北部墓地に安価な合葬墓完成
安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」
5/6(月) 17:13配信 朝日新聞デジタル
安価な合葬墓、寺院は懸念「人生の価値考えるとひどい」
秋田市北部墓地に完成した合葬墓=2019年4月10日午後0時23分、同市飯島
秋田市が市北部墓地(飯島)に整備していた1500体分の合葬墓が完成した。
7月には、自宅などに遺骨がある人や市営墓地から改葬する人を対象にした1次募集を行う。
使用料が安価なことから人気が予想されるが、寺院からは疑問の声も聞かれる。
【写真】墓地の一角にオープンした「樹木葬霊園」。
中央付近に3本のサクラの木が立つ。
お骨を入れた後の管理は不要=2018年10月13日、松江市堂形町の天倫寺
合葬墓は、血縁関係などがない複数の人の遺骨を一緒に供養する施設。
少子高齢化による「墓じまい」の流れもあり、都市部などで急速に増えている。
秋田市営の合葬墓は、平和公園(泉)に続いて2カ所目。北部墓地内の一角、約100平方メートルに総事業費約1100万円をかけて整備された。
永代使用料は、平和公園と同じく1体1万7千円。毎年の管理料などは不要だ。
公営のため、必要経費から算出した額となっている。
これに対し、市内のある寺院の住職は「人生の価値を考えるとひどい」と疑問を示す。
この寺は10年以上前に合葬墓を設け、20万円から供養を受け付けている。
檀家(だんか)の墓じまいは「時代の要請」と受けとめているが、「管理の方法などが(公営合葬墓は)お粗末過ぎる」とこぼす。
別の寺院の住職も「『一度埋葬したらおしまい』という感じがして釈然としない」と漏らす。

Yahoo!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190506-00000024-asahi-soci

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2019年03月14日

海洋奇譚: 6年前に遭難した船

海洋奇譚:6年前に遭難した船
ロビンソンは貨物船コスロウ号に航海士として乗り込んだことを後悔し始めていた。
この船はインドの沿岸貿易の仕事であった。
彼の後悔の原因は何だったのか。
ロビンソンにもこの船で感じている不安がどこから起こってくるのかはっきりはしなかった。
エンジンも状態は良かったし,乗員も資格のある船乗りで編成されているわけではないが,自分の仕事はよく理解しているように思えた。
それなのにロビンソンはこの船を信頼できなかった。
多分船長のせいであろう。全長は風変わりな男で,口数も少なくて,感情を自分の中で押し込めているような感じで,表情を変えることない人であった。
命令する時もぶっきらぼうで,手短な言い方をして,突然行動で示しながら言いつけるのであった。
航海士たちとも仕事上の話しかしなかった。
1936年12月22日,ロビンソンは真夜中の当直であった。その時間には,空は晴れていた。
ロビンソンは時々舵に近づいて,船首の方向を確かめては,ブリッジの角で見張りを続けていた。
午前1時を少し回ったころ,ロビンソンは船とセイロンの東海岸の間に1つ弱い光が見えたように思った。
双眼鏡を当ててゆっくりと水平線を追うようにしてその灯の見えた方向へ視界をはしらせていた。
11キロ先だと見当をつけてから何の光なのか確かめようとした。
灯台だろうか,海図ではこの海域には灯台はなかった。
船の灯なのだろう,それにしても遠くでやっと見える位であった。
30分ほど過ぎた,
ロビンソンはずっとその光を見つめていた。
その光が船から出ているとすればその風にはとてもゆっくりと走っているはずであった。
なぜなら,その光は今やコスロウ号の後ろの方になってしまっていた。
ロビンソンはもうその光に注意を向けるのはやめた。
光は次第に消えかかっていた。当直の仕事はまた単調なものになった。
午後5時。
船長がブリッジに登ってきた。少し怖いような気持ちでロビンソンは船長を見つめた。
「エンジンを全部止めろ」。
船長が言った。
ロビンソンはまさかと思った。
しかしあの口数の少ないあの船長がそう命令しているのである。
透視能力を持っているのだろうか。
海の真っ只中でエンジンを全部止めるとは一体どういうことなのだろうか。
ロビンソンは命令を実行するのをためらって船長を見つめていた。
船長は待ちきれずに急いで機械室に行って,装置を動かした。
そして指示標を停止の位置に固定した。
エンジンの回転が止まった。
硬直の男たちは唖然として,不安そうに顔を見合わせていた。
コスロウ号は流れに乗って動いていたが,突然動かなくなった。
すると全く動かずにいる事,周りの静けさなどが船員たちに何か得体の知れない怖さ・不安を感じさせ始めた。
船長は不意にブリッジの中央に走りよって舵の近くに行って汽笛を鳴らす装置をひいた。
装置が作動して,汽笛が長く鳴り響いた。もう一度汽笛が鳴り響いた。
なるような汽笛が消えて静けさが海にのしかかるようにして戻りかけた時であった。答えるように別の船の汽笛が響いてきた。
うなるように響く汽笛は霧の中で反響して広がって,どの方向で鳴らしているのかはっきりしなかった。
船長はさらにコスロウ号の汽笛を鳴らして,二隻の目の見えない船は霧の中で話し合うかのように呼びかけを交わした。
2隻の船の汽笛による対応はしばらくの間続いた。少なくとも皆がそう思った。
向こうの方には見えずに右のほうに,あるいは左のほうにいるように思われた。
ロビンソンは船長の様子を見つめていた。
船長はじっとしたまま,きっとした顔つきで何かを待っているように見えた。
「あそこだ」。
大声を出したのは水夫であった。
塊のようなその際一,身体の各部は避けることができなかった。
傷つき傷つけられて, 一部がもぎとられた漂流船だろうと思われた。
その後,船の周りの霧が薄くなった時に,甲板の上の部分がひくく煙突も短いことがわかった。
長さ100メートルもある大物の貨物船であった。
その後にはコスロウ号から400メートル位のところを通過していった。
もしもこちらが航行をつづけていれば,確実にその大型船と衝突するところであった。
船長は望遠鏡を握り締めて
「トリコロール号だ」
とつぶやくように言った。
船長以外のものにはその貨物の名前は読み取ることができなかった。
その船は甲板に人影はなかったし,霧のせいで幻想的の実態のわからない姿しか見えなかった。
もう汽笛も鳴らさずにエンジンの音も聞こえてこなかった。
「ゆっくり前進だ」
と船長は命令した。機械室の操作機が操作されて,音を立てた。エンジンが始動する響きが伝わってきた。
コスロウ号は再び走り始めた。
海は軽くうねり,いくら荒れていた。
風が出てきた。
霧は風に追われて大きな裂け目を作り所々視界が開けた。水平線が見えてきた。
左側に遠く黒っぽい筋のようなものが現れた。
セイロンであった。
船長は針路を修正して,それからブリッジを出ていたが,その前にロビンソンのところに来てまるで言葉を惜しむように早口で
「トリコロール号だったよ」
とだけ言った。
ロビンソンは機械的にこう答えた
「はい,うまく切り抜けることができました」。
船長の目は奇怪な炎が燃えたっているようにギラギラしていた。
キッと向きを変えると船長は自分の部屋に向かっていった。
ロビンソンは舵の修正された針路をとっているかどうか確かめてから,双眼鏡で水平線をぐるりと見ました。
「信じられない」
とロビンソンはつぶやいた。
今はすっかり霧が晴れていた。
しかし海上には一隻の船も見ることができなかった。
コスロウ号と衝突しそうだった貨物船,あのトリコロール号の姿は消えてしまっていた。
1931年,同じ1月5日,グリシングリニッジ標準時間15時,セイロンの西海岸,ドンドラ崎の沖で海上黒煙が巨大な柱となって噴き上げていた。
海は穏やかで風もわずかであった。
煙の柱はまっすぐに立ち上って200メートルに達した。
その根元には煙が熱くうずまく渦巻き状になっていた。それが次第に大きくなっていった。
マルセイユ〜横浜航路の定期船ボルトス号の船上では,航海士がこの事故の様子を見つめていた。
火災を起こしたのであろう。
引火材の資材を運んでいたのに違いない。
ボルトス号は煙の方角に向かって進んだ。
事故のあった船の乗組員が甲板看板から脱出できていればいいが,と思っていた。
火災が原因で爆発が起きたのかどうか気しなかった。
先方の船までもう5キロばかりであった。
煙がものすごくて罹災した船を見つけることができなかった。
その船の周りを霧のようなものが取り囲んで,海上に停滞していた。
その霧の中から黒い点が2つ抜け出してきた。
救命ボートである。
ボートはボルトス号に近づいてきた。
30分後,ボートは定期船に接触して,遭難者たちが痛ましい姿で次々に登ってきた。
彼らの顔はつい今し方体験してきた惨劇の跡が残って残っていた。
39人であった。
船長, 航海士,水夫,機関係,乗客1人が欠けていた。
その人たちは突発した事件に,不意に船の中に閉じ込められてしまったんだろう。
何度も爆発音が響いたということであった。
そしてそのすぐ後に炎が船内に入って船は沈没したのであった。
水夫たちは救命ボートを海におろすのがやっとであった。
シンガポールで生存者たちは船を降りて,遭難したときの状況について聞かれた。
乗組員の証言では爆発はごく短い間を置いて起こった。
そのすぐ後に火災の炎と浸水とに同時に襲われて,機関室から逃げ出す時間しかなかった。
次々に質問が続けられた。
6200トンのノルウェーの貨物船の遭難は何が原因でどうなったのかよくわからなかった。
そして,この貨物船の名前が
トリコロール号
であった。
この名前はご存じのはずだ。
この船が遭難したのは,先に記したように1931年1月5日だった。
つまりこの船がコスロウ号の前に現れた6年前の同じ日に当たる。
ー海洋奇譚集,知恵の森文庫,ロベル・ド・ラクロワ,

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これは伝説でもないし噂話でもない。
コスロウ号の航海士ロビンソンが1958年にアメリカ合衆国の船舶協会の会報に載せた偽りのない事実なのである。
どういうことなのだろうか。
1つの説明を考えてみることにしよう。
船が現れたと思ったの幻覚だったのだろうか。
いやそうでは無い。
コスロウ号の乗組員全員がその船を見たのだ。
彼らの言ったことは一致している。
しかしその船は本当にトリコロール号だったのか?
その貨物船が現れていた短い時間に名前を双眼鏡を使って読み取ったのはコスロウ号の船長だけだった。
船長が読み違えてのだろうか?
思い違いはいつも起こりうることだ。
しかしなぜハッキリと「トリコロール号」という名前を口にしたのだろうか?
コスロウ号の航海室にはいってみることにしよう。
机の上に地図を広げてあり,鉛筆で船の航路が書き込まれている。
この航路の近く3キロほどのところに漂流中の船の方位が記入されている。
そして地図のまわりの白い部分に,
「この航路は漂流船M.S.トリコロール号,1934年1月5日の航路と一致する」。
と書かれている
だから船長は彼の船が漂流中の貨物船のいたすぐ近くを通ることも,またその貨物船のことも知っていたのである。
それに,船長は何度もインド洋を航行していたから,その名前も,遭難したときのこともよく覚えていた。
コスロウ号の船長の人柄と性格はすでに話したように,彼は大型帆船の船長たちの血を引く人間であった。
つまり,何かが起こる兆候,前触れに敏感になって,人間を支配している目に見えない力,あるいは現象によって生じる力の動きをとらえる能力を持っていたのである。
船長は夢想,あるいは事件の前に起こる動きによって何か察知して,彼の船を座礁,あるいは衝突から救ったのである。
そして近くのあまりの鋭く,分ごろに思われていたこの人の場合もそうが実際に目に見えていたようである。
危うく衝突するところであった相手の船が,その時コスロウ号の通っていた近くで沈没したトリコロール号となって海底から浮かび上がってきたのである。
海で起こった異常な出来事は1つとして単純なものはない。
このように説明してみても納得のいくものではないし,すでに食い違いを見せている。
トリコロール号らしい船が少しの間だけ現れた後で,急に霧が晴れたのであった。
その時見渡せた範囲は11キロから12キロはあった。
その船が普通の速度で下進んでいたとすれば,通過後45分間位はコスロウ号から見えたはずであった。
それなのにロビンソンによれば海には1隻の船も見つけることができなかったのである。
この謎はどのように説明したらよいのだろうか。
あの風変わりな船長の人格について謎はどうだろうか。
海に出て行く人について考えなければならない。
時代からも世間からも離れて,不安定なものに囲まれて,空に向かって自分の針路を尋ねる海の男は,文明生活が鈍らせてしまった感受性を取り戻す。
私たちの場合,大抵その力が鈍くなってしまっているのである。
海の男は風が知らせてくることを読み取って,水平線の彼方にこれから何が起こってくるのか,その前兆を見る。
海賊デュゲイ・トルバンは,幸運にも不運にも,やがて起こる事件の日付も,その場の状況も,わかっていると豪語していた。
三本マストの帆船アスク号の船長は次のように話している。
「つまり,幽霊が現れてホーン崎を通ってはいけない,そうしなければお前の船は燃えてしまうぞ,と言った」。
彼は声に従い迂回して進んだ。
そして偶然の一致だろうか。
アスク号は次の航海の途中,バルパライソでまさしく火災を起こしたのであった。
1907年,ブーゲンビル号の船長はホーン崎を廻り込むことができないだろうという知らせの声を聞いた。
彼はこの声に従って太平洋航路をとってサンフランシスコについたが,その時までにこの三本マストの帆船はどこかで沈んでしまったものと思われていた。
ただ1人で航海した人たちーヒュー・レベル,フランツ・ロメールは目に見えないものの声に導かれて危険な海岸の岩礁の間を通り抜けた。
他の男と海の男たちも何か起こる前の動きによって彼らの未来に気づいていた。
帆船アメリー号の見習い航海士は,
「今まで誰も見たことない光景を見ることになるだろう」
,と彼の友人にこっそり話していた。
そしてアメリー号からは何の連絡もなくなってしまった
これら海の男たちの人格や能力の謎のような部分は,何世紀にもわたって人類に恐怖と魅力を感じさせてきたものが,海そのものの謎と混じり合っているのである。
ー海洋奇譚集,知恵の森文庫,ロベル・ド・ラクロワ,

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