2020年08月28日

カラパイア: 英バーミンガムの建設現場を徘徊する花嫁姿の幽霊





カラパイア: 英バーミンガムの建設現場を徘徊する花嫁姿の幽霊
建設現場を徘徊していたのは花嫁姿の幽霊!?監視カメラにその姿がとらえられる(イギリス)
花嫁姿の幽霊が作業現場を徘徊?image credit:Twitter@_meglittle
イギリスのロンドンに次ぐ大都市バーミンガムは、昔から怪奇現象の噂が絶えないという。そんな都心部の建設現場に、不気味な女性の幽霊が出没したことが報じられた。
この建設現場の警備を担う警備会社が設置したセキュリティシステムが、真夜中の現場をうろつく不審な女性のを検知したという。
その画像を見ると、まるで白いウエディングドレスを着た花嫁のようだ。『Birmingham Live』などが伝えている。
■真夜中の建築現場に現れた花嫁姿の幽霊
イギリスのウエスト・ミッドランズにある大都市バーミンガムの都心に建設中の建物敷地内で、8月18日の真夜中、奇妙な光景がセキュリティカメラに捉えられた。
午前1時53分、敷地内を白いロングドレスのような衣服を着て徘徊している女性の姿を「不審者」として検知したセキュリティカメラは、すぐさま警備会社へ警告を出した。
現場の総警備を担うLimitless Securityの代表取締役アダム・リースさん(47歳)は、自身のラップトップが受けた警告画像を見て、恐怖に慄いた。
アダムさんは、直ちに現場セキュリティーシステムに全敷地内をパトロールするよう設定したが、現場には何も発見されなかったという報告が届いた。
この1件は、アダムさんの娘のTwitterシェアによって拡散。本物の幽霊なのかデマなのかという物議を醸したようだ。
so my dads building site in birmingham has a CCTV camera alert which flashes when there’s movement, and this morning it took this photo. 10 mins later security went to check and found NOTHING. weird as fuck 😕 pic.twitter.com/8AWSx8odrE
− megs (@_meglittle) August 18, 2020
アダムさんは、後のメディアの取材でこのように話している。
私は、幽霊を信じたことなどありませんが、これは奇妙だと思いました。デマという人もいるようですが、私は100%本物の幽霊だと思います。
前かがみになって、手に何かを持ち、足を浮かせるような感じで歩いているようです。ウエディングドレスを着ているように見えます。(アダムさん)
■バーミンガムに存在する無数の怪奇現象報告
アダムさんは、その後この建設中の建物があるシャーボーンストリートについて調べてみたそうだ。
画像に映し出されていた女性が、どうにもウエディング姿の花嫁の幽霊に見えたアダムさんは、昔この近くに教会がなかったか知りたいと思ったのだ。
結局、教会があったのか否かは不明だったが、シャーボーンストリートは何百年も前から存在していた古い通りだったことはわかったという。
バーミンガムは、超常現象の多い都市として知られている。
アストンホールは、現在はミュージアムとして一般公開されているが、最も有名な超常現象のホットスポットとして知られている。
また、市内にあるアレクサンドラシアターには、少なくとも5人の幽霊が出没するという噂がある。
Aston Hall Ghost Stories - Haunted Places in Birmingham UK
更に、ウォーストーンレーン墓地には、1930年代の服装をした女性や、トレンチコートを着た若い男性が、壁や車の中を通り抜ける姿が目撃されたり、バーミンガム市庁舎にはチャールズ・ディケンズの亡霊が現れると言われている。
その他、建設現場で死亡した作業員の幽霊や、カウンシルハウスに出没する僧侶や前市長の幽霊など、超常現象についての噂は絶えることがない。
特に、ニューストリート駅は、建設時にユダヤ人墓地を発掘して行われたということで、多くの幽霊がさ迷っていると言われている。この駅のプラットフォーム4番では、なぜか最も多くの自殺者記録もあるそうだ。
そんな大都市バーミンガムの建設現場に現れた花嫁姿の幽霊。超常現象の噂に慣れている住民たちにとっては、あまり驚くことではないのかもしれないが、アダムさんは「画像を見て石化しました。真夜中の2時頃に、このような警告画像で起こされた時のことを想像してみて下さい。それからは、怖くて眠れませんでしたよ」と素直に恐怖を語っている。
written by Scarlet / edited by parumo

カラパイア
http://karapaia.com/archives/52293981.html


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2020年08月27日

東海アマ: 高齢死の現実


東海アマ: 高齢死の現実
高齢死の現実
耐えられる極限まで……
2020年08月20日 (木) 17:06
動物たちは、地球上に生きる生命体を食べて、最期には、自分を食べさせて終わる命の循環がある。これは究極の利他主義といえるかもしれない。だが、これこそが、宇宙生命の本質なのだ。 生涯、他の生物を食べながら、自分だけは食べられずに、静かに埋められたいなんて自分勝手な人生観を持っているのは人間くらいだ。 動物たちは、衰え、弱ったことを自覚して死期を悟ると、自ら死を迎えるための地に赴くと、私は信じている。 私は、若い頃から数千回も山を歩き回ってきたが、あれほどたくさんいる動物たちの死骸を目にしたことはごくわずかで、それも交通事故とか、滝や土石流で落ちたカモシカとか、事故死の現場くらいで、老衰で死を迎えた動物を見たことがないのだ。 だから、人知れない、誰も見ることのできない動物たちの静かな死地があると、若い頃から確信してきた。
動物の死の現場といえば、例えば日光皇海山の登山道には、至る所に鹿の骨が転がっていて、「お花摘み」に藪に入ると、大きな頭蓋骨を目にすることも珍しくない。 羅臼岳の登山道では、50mくらい下でヒグマが鹿を食べている光景を目撃したことがある。 おそらく、このような死地では、驚くほど短時間で、他の生命体による「命の循環」が行われるのだろうと考えている。
深沢七郎の「楢山節考」では、主人公のおりんが、70歳の死を迎えるべき年齢に達すると、自ら健全な歯を折って、息子に、老人たちのために用意された死地=「楢山まいり」に連れて行くよう促す。 孝行息子の辰平は、泣きながらおりんを背負って七谷と呼ぶ死の地に向かい、おりんを山に置く。 そのとき雪が降ってきた。決して口をきいてはならない掟を破って、辰平は「おっかあ、雪が降ってきた……」と言った。 それは、簡単に凍死できるから、運がいいという意味だった。 楢山節考が世に出たときは、私はやっと歩きだした幼児だったが、やがて、この小説の意味を知るところとなったときは、小学生くらいだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B1%B1%E7%AF%80%E8%80%83
以来、映画も見たが、本当にこの小説が示唆している哲学が、身に染み入ってくるようになったのは、自分が死を迎えること約束された数年前からのことだ。 子供の頃から若い頃までは、「科学技術が発達すれば、こんな悲劇もなくなるだろう」なんて軽薄な感想しかなかったが、自分が年を越えるごとに衰え、肉体も脳も劣化して、まともな仕事もできなくなってきたことを自覚すると、自分にも、おりんのいる七谷が近づいてきたことを思い知らされるようになった。 おりんはイワナ取りの名人で、健全な歯も肉体もあったが、孫のけさ吉の嫁が孕んで、集落全体の食料のゆとりがないことが分かると、自ら歯を折って、この世から消える決心をした。
私の祖母は、100歳で死んだのだが、最期は骨粗鬆症で、大腿骨を骨折し、実父は延命治療を拒否し、餓死させる最期を選んだ。 今、実母が96歳で、同じ事情のなかにいる。誤嚥性肺炎で長期入院していたのだが、姉妹は、延命治療を断る署名をしている。 そうして考えると、おりんの運命は、決して人ごとではなく。我々全員に突きつけられている選択だったのだ。 雪降る七谷は、終末を迎えた老人たちが寝る病院だった。
私自身も、自分が、この社会で生産的な人生を送れないと自覚していて、今の貯金や年金で生活できなくなれば、例え表面上、余力があるように見えても消えてゆかねばならないと覚悟するようになった。 誰もが、最期は自らの意思で死を選ばねばならないのだ。山で最期を迎える動物たちと、病院で最期を迎える人間たちに、いかほどの違いがあろうか?
私は幸い(本当に)、家族がいないので、後顧の憂いもなく、最期は、力尽きて朽ちる前に、なるべく他人に迷惑をかけないような死に方をしたいと願っている。 しかし、自分のゴミ屋敷を、どう始末すべきか、今でも頭を悩ませている。まあ、死の運命の数日前に、まとめて始末するかと調子のいいことを考えている。
生に大きな執着を持つ理由のない動物たちに対して、天は苦痛の少ない最期を与えている。 昭和天皇のように、死を迎えても周囲から死なせてもらえず、何十万人分もの他人の血を無理矢理注がれて、死ぬと分かっているのに、極限の延命をさせたことで、裕仁氏は、人類で最も激しい苦痛を与えられた残酷な死だったといえよう。 https://dot.asahi.com/wa/2016042100212.html?page=1
動物たちは、ときに自分の肉体を上位の猛獣の餌として提供する運命なので、実に容易に苦痛を感じずに死に至るようにプログラムされているといわれる。 https://news.goo.ne.jp/article/magazinesummit/entertainment/magazinesummit-http_editor.magazinesummit.jp_p_48122.html
動物たちの死は、自然界の掟であり、生態系循環のプログラムに組み込まれているから、何百万年の種の進化の過程で、簡単に死ねるように設計されているのだ。 裕仁氏は死の床で、動物たちの自然な死を羨んだことだろう。 人間は、肉体と生に執着するがゆえに、死を迎えるにあたって、執着の分だけ苦痛を味わうことになる。 執着を捨ててしまった究極の老人たちは、ごく自然な無理のない死に様が多いと私は、これまで身内の死を見てきて感じた。 私も死ぬべき時は、執着を捨てて、夜のとばりが降りるように朽ちてゆきたいものだと思っている。 「執着を捨てる」これが人生の極意なのかもしれない。 日本には、死と紙一重の、生命の極限を生きるような、とんでもなく苛酷な修行が存在する。それは比叡山と、大峰山で、もう1000年も前から続いていて、この行に挑戦して命を失った者も多数いると聞く。 https://www.youtube.com/watch?v=SBczUgzi5uI
https://www.youtube.com/watch?v=y7UKACmylZk
酒井雄哉は、毎日、山野を40Km歩く行を700日行い、9日間の断食、断水、不眠、不臥の堂入行を行い、最後の仕上げが、京都大回り、毎日84Kmを歩く通算1000日の行を二回続けて行った。 こんな凄まじい行は、一般人が挑戦しても、一日でも不可能に近い。 行に失敗して歩けなくなれば自決する掟なので、もう生に対して一毛の執着を持つこともできない。言い換えれば、これは死を決意して生者の価値観を完全に捨て、死者になりきってしまわなければ不可能だ。 千日回峰の行者は生者ではない、死者なのだ。だから、死者の装束を着ている。たまたま、運良く生還できれば大阿闍梨」という称号が与えられるが、それだけの話だ。
酒井雄哉は、学徒動員で鹿児島の鹿屋基地に配属された。言わずと知れた特攻基地だ。 それは生を捨てることを要求され、この世への未練は微塵も許されない。しかし雄哉は生き残った。 その後、いろいろな事情で、新妻を自殺させてしまい、後悔の念から比叡山に入った。 そうして生を捨てなければ絶対に不可能な千日回峰を二回こなした。 私は、千日回峰の行者たちの姿と、堂入成就、開扉のとき、京都中の善男善女が周囲を取り囲み、泣きながら無事を祝っている姿を見て、京都が1000年の間、京都らしさを失わず、守られてきた本当の秘密を知らされた気がした。 https://www.youtube.com/watch?v=JtHfT4B4QJk
これが京都の根源にある命そのものなのだと。もし、京都に千日回峰がなければ、今の京都はなかったような気がする。
「生への執着を捨てる」
この姿を、行者の超絶的苦行と生身の姿を通して、京都の人々は見せつけられてきたのだ。 動物たちは、みな死の運命を素直に受け入れる。人々もまた、執着を捨てて死を受け入れる。これが本当の「浄土」の姿なのかもしれない。
私はといえば、間質性肺炎になり、呼吸が困難になって、少しでも命にしがみつこうとして、毎朝5Km標高差170mの道を歩いて、必死に呼吸トレーニングしているが、それでも迫り来る死の恐怖に怯えて、いらぬ心配ばかりして、みっともないことこの上ないのだが、守るべきものを持たない気楽さには大いに助かっている。 最期の最期は、呼吸ができなくなることになっているのだが、このとき、救急車を呼んだり、病院の医療にしがみつこうと思わないと、意志薄弱の私が偉そうに言ってみても、そのときになってみなければ分からない。 数年前から、楽に死ねる方法を模索していて、テントの中で七輪で木炭を焚くか。石灰硫黄合剤にサンポールを混ぜるか、などと、あれこれ思案しているが、結局、中津川は高所橋梁天国なので、ドボンもいいなとか、楽しい想像が尽きない。
こんな妄想をしていて、自殺に関するツイートをしたら、5年も前のツイートを、作りたてのルールによって裁かれ、私はツイッターを永久追放になった。 「だったら、麻生太郎の優生保護、老人安楽死発言を裁け!」 と言いたいが、ツイッター社は自民党と同体ではないかと思うほど仲良しなので相手にしてくれない。 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-331.html
まあ、今は、死の極限まで生きていようと思っている。食べ物がなくとも、水だけで人間は一ヶ月くらいは生きてゆける。食べ物を入手できなくなれば、とりあえず死ぬまで、自分の姿、遷移を見つめていたい。 最期はカクンと、薬の力を借りなくとも力尽きて朽ちてゆきたい。 おりんに比べれば、私はずいぶんいくじなしだ。 今でも、楢山節考は強烈に私の記憶に残っていて、辰平がおりんを置いて去り、おりんの体に冷たい雪が積もって、意識を失ってゆく姿を想像するだけで、なんともいえない人生の侘しさ、残酷さに打ちのめされるのだ。 

東海アマブログ
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1223.html
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2020年08月09日

柳田國男「遠野物語」津波で死んだ妻の霊


柳田國男「遠野物語」津波で死んだ妻の霊 
柳田國男「遠野物語」第99話に、津波で失った妻の霊に渚で出遭う話がある。
大津波で妻も子も家も失い、元あった屋敷に小屋を掛けていた。一年が経ち、夏の初めの月夜のこと。
霧が立ち込めるなか、海辺に向うと二人の男女がいた。近寄ると、女はまさしく亡くなった妻だった。名を呼ぶと、振り返りにこと笑った。聞くと、今は夫婦でいると言う。その男は同じく大津波で死んだ者で、昔互いに深く心を通わせた仲だった。
「子供は可愛くないのか」と言うと、顔色を変え急に泣き出した。そして、二人は足早に立ち去り見えなくなってしまった。茫然と一人そこに立ちすくみ、気がついたら夜が明けていた。
その後、長らく煩ったと云う。

古今東西いつの世も、男は夢を求め過去を引きずる。一方、女はあの世でも現実的かつ打算的で、即座に転身を計れる生き物のようでございます。どちらがと正邪の判断はつきかねるが、概ね男は弱く女は強い(精神的に)。
男の立場からすると、津波のみならずあの世でも他の男にさらわれ、切なく胸の詰まるような話だが、女から見れば「あらよかったわね、幸せそう♪」みたいな・・・。昔は遠野の地に限らず、婚姻は親同士が決め、子はそれに抗うことは出来なかった。士農工商それぞれの身分同士をはじめ、政略及び商売上の打算が中心だった。さらに、狭い村となると血が濃くなるのを防がなければならない。時代背景と幻想が生んだ、ひとつの悲恋物語だったのかも知れません。
(原文) 土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院と云ひ、学者にて著作多く、村のために尽くしたる人なり。清の弟に福二と云ふ人は海岸の田ノ浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯(おほつなみ)遭ひて妻と子を失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。 夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遥遥と船越村のほうへ行く崎の?ある所まで追ひ行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑ひたり。男はと見れば此も同じ里の者にて大海嘯(おほつなみ)の難に死せる者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてありと云ふに、子供は可愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。死したる人と物言ふとは思はれずして、悲しく情なくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考へ、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。

これは実話であり、福二のお孫さん(80歳の女性)も東北大震災の津波の犠牲となり、今も行方不明だそうです。
[ 2011/09 ] 不思議な話 | CM(0)

Rokujizouの『宇宙に想いを馳せて』
http://rokujizou3.blog60.fc2.com/blog-entry-2202.html
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2020年06月21日

小島美羽: 「孤独死」の風景〜情報時代の世界で孤独死がふえている

小島美羽: 「孤独死」の風景〜情報時代の世界で孤独死がふえている
「孤独死」は悪いことではない…27歳の遺品整理人に密着Dが見た“正義感”
マイナビニュース
2020年06月21日 08:53 (配信日時 06月21日 06:00)
ベテラン遺品整理人が嗚咽する理由
誰にもみとられることなく自宅で亡くなり、死後、長らく発見されない「孤独死」。その人の部屋を清掃し、残された遺品の中から、思い出の品を遺族に引き渡す「遺品整理人」…。
フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00〜 ※関東ローカル)では、27歳の遺品整理人・小島美羽さんに密着した『孤独死の向こう側 〜27歳の遺品整理人〜』を、21日に放送する。
孤独死の現場を“ミニチュア”で再現し、なぜ孤独死が起こるのかの本質を伝える活動で注目を集める小島さん。社長の増田裕次さんと二人三脚で、日々向き合っている彼女から感じた“強さ”とは。密着したオルタスジャパンの木村実咲ディレクターに話を聞いた――。
孤独死の現場に立つ遺品整理人・小島美羽さん (C)フジテレビ
■孤独死の現場で感じた「生々しさ」
「私はもともとミニチュアが好きなんですが、そのことについて調べていく中で、本業が遺品整理人の方がいるという形で小島さんの存在を知ったんです」という木村氏。
さらに、「今、リアルタイムで誰とでも連絡を取れたり、何をしているのかをシェアできたりする時代なのに、昔よりも1人で亡くなる方が増えているというデータがあって、それがすごく寂しいなと思ったんです。私は田舎出身なのですが、地元だと隣のおばさんが『野菜たくさん採れたから!』と袋いっぱいに持ってきてくれるようなことが頻繁にある環境で22年間育ちました。それが東京に出てきたら、隣に住んでいる人が男性なのか女性なのか、おじさんなのか大学生なのかも分からない状況にいきなり変わって、これは“孤独死”になってしまう人もいるだろうなと常々感じていたんです」という。
こうして、「ミニチュア」と「孤独死」という従来から関心を持っていたテーマを兼ね備える小島さんに自然と興味を持つようになり、密着することになった。
密着取材は、もちろん“孤独死の現場”にもおよぶ。
「最初に部屋に入る前は、果たして自分が受け入れられる光景なのか不安だったんですが、実際に入ってみると普通の部屋だと思ったんです。
でも、それから遺品の探索が始まると、故人が亡くなる2〜3日前にコンビニで買ったレシートが床に落ちてたりしていて、『あぁ、ここに住んでいて亡くなった方は、本当に数日前まで自分と同じように生活してきた人なんだろうな…』というのを目の当たりにして、一気に想像していたのとは違う生々しい感じがしました。この空間で1人で息絶えたんだというのを実感して、自分の中に何かグッとくるものがありました」
■「自分の家族だと思って清掃する」
遺品整理人は防毒マスクをつけ、靴もビニールで覆うという装備で作業を行うが、意外だったのはベテランの増田さんが、現場で嗚咽(おえつ)していたことだ。
「実は、増田さんは遺品整理人になった時は大丈夫だったそうなんですけど、現場を重ねていくうちに“人の死”というのを強く意識するようになって嗚咽するようになったとおっしゃっていたんです。私はてっきり逆で、慣れていくものだと思っていたんですが、自分にとって“人が死んだ部屋に入って清掃する”ということがリアルになったときにそういう症状が出てきたという話を聞いて、驚きましたね」
つまり、その嗚咽の要因は現場の悪臭ではなく、仕事に臨む姿勢から来ているものだったのだ。一方の小島さんにはそうした場面がなく、「キャリアのある増田さんさえ滅入ってしまうようなところでも、小島さんは『私がやります』と淡々と部屋に入っていったりするんです」。そんな彼女からは、持って生まれた精神的な“強さ”を感じたという。
「17歳で父親と死別したときに『何もしてあげられなかった』という後悔の経験が大きかったそうなんですが、『どの現場も自分の家族だと思って清掃するんです』とおっしゃっていて、それが実際の遺族の方への対応や雰囲気でも感じられたので、やっぱり正義感が強い方なんだなと思いました。20代なかばの女性が『遺品整理人になって良かったと思う』と断言して誇りを持っていることも、同年代の女性としてすごく尊敬できます」
今回の密着を通して、「孤独死」という言葉へのイメージが大きく変わったそう。
「今までは、一人暮らしの高齢者の方が孤独死してしまう印象が強かったのですが、小島さんから、22歳の大学生が1人で首を吊って死んでいたとか、岩手から上京してキャバクラで働いていた女性がこのご時世に餓死していたという同世代の例を聞いて、自分にもあり得る問題だなというのを感じました」
と無関係ではない事象に。
同時に、自身の家族をあらためて大事にしようという思いも強くしたといい、
「二世帯住宅でおばあさんが孤独死していた現場もあったというので、家族と同じ家に住んでいると言っても、やっぱりコミュニケーションがないと孤独死が起きてしまうんです。私の実家は7人家族なんですが、祖父と祖母がいる部屋と、父・母・弟たちが生活している空間が若干分かれている部分があるので、コミュニケーションをずっととってほしいと思いますし、家族に会いたいなと素直に思いました」
と心境を吐露した。
■負のイメージを払拭するために
もう1つのイメージの変化は、すべての「孤独死」が“寂しくてかわいそう”や“悪いこと”ではないということ。「亡くなる前日まで家族と会っている場合もあるわけですし、『孤独死』とひと括りに言われても、いろんな事例があるんです。小島さんは『最期の場所というのは自分で選べるもの』と言っているんですが、病院で死ぬか自宅で死ぬかを選ぶのと同じように、たまたま自宅で亡くなっただけの話で、“いけないこと”ではないんですよね」
この負のイメージを払拭するため、小島さんと増田さんが「孤独死」という言葉自体を変えたいと訴えているのが、特に印象に残っているという。
「ここまでマイナスなイメージが付いてしまったので、例えば『自宅死』という候補もあるんです。
小島さんが講演などでそのことについて話すと、『そもそも“死”という言葉を使わないほうがいいんじゃないか』という意見も出てきたそうです。こうやって言葉まで変えたいというところに、すごくエネルギーを感じました」
密着したオルタスジャパンの木村実咲ディレクター
入社2年目の木村氏にとって、今回はディレクターデビュー作品だ。「チーフディレクターの今野(利彦)さんの力を借りて取材したんですが、1人でカメラを持って『こんにちは』って取材先にお邪魔するのも初めての経験で、つたない質問など反省点はたくさんあります」と振り返りながら、「それでも、今回取材を受けてくださった皆さんは、真摯(しんし)に質問に答えてくれる温かい人たちだったので、自分が初めてディレクターという立場で携わる番組がそうした方々を取り上げる作品で、良かったなと思いました」と感謝。
衰退していく伝統芸能など、跡取りがいなくてピンチを迎えている事象に「他人事ながらすごく危機感を感じる性格」だといい、今後そうしたテーマを取材し、番組として伝えることで、少しでも再興の力になりたいと意欲を示す。
今回取り上げた「遺品整理人」も、なかなかなり手の少ない職業だが、完成した番組はそのイメージが大きく変わる内容に仕上がっており、「そう言っていただけると、私のやりたかったことに、わずかでも一歩前進できたような気がします」と笑顔。
「遺品整理人というのは、最初は、現場で遺品をどんどん処分していく仕事だと思っていたんですが、小島さんと増田さんは『これは捨てていいのだろうか』『遺族の人に相談しようか』と、結構悩むんです。処分する物もちゃんと供養するので、その現場だけじゃなくて、本当に最後まで故人のことを思って仕事をしているんですよ。その姿を何度も目の当たりにして、最初に思っていたよりもずっと温かい仕事だと思いました。私もイメージを変えられた人間の1人です」と打ち明けつつ、「本当に信頼できる方々なので、もし自分が1人で亡くなる状況になったら、ぜひあの2人に遺品を整理してもらいたいです」とまで語っている。

BLOGOS
https://blogos.com/article/466097/
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2020年03月17日

幽霊を信じない幽霊

幽霊を信じない幽霊
イギリス人Mathew Moningは1971年,16歳の時に300歳の幽霊に遭遇した。
幽霊との出会いは英国ケンブリッジャーのリントン村にある17世紀建造の家であった。
古い家の階段に人影が見える。Mathewは最初それが泥棒かと思った。
しかしやがてそれが幽霊であるとわかった。
Mathewが話しかけると幽霊は答えた。
幽霊はMathewがスケッチできるほど,長い間消えずにそこにいた。
これはMathewが久しく付き合う事になる幽霊との出会いであった。
■17世紀の幽霊との交信
質問の答えによれば,幽霊の名前はRobert Webb。1678年にこの家で生まれたという。
Webbは家の前部を1730年に増築してその3年後にそこで死んだ。
Webbは1720年代風の衣服とかつらを身に着けて,二本のステッキをついて歩き,「やっかいな脚ども」の愚痴をこぼす。
Mathew
「はじめて会った時は驚いたよ。生身の人間にしか見えなかった。フリルつきの袖のついたクリーム色のフロックコートを着て,クリーム色のクラヴァット(ネクタイ)をしていた。彼は
『貴公を驚かせてしまった事を謹んでお詫びいたしたい。しかしわしはこの罰あたりなこの脚のために歩かねばならんのでね』と言ったんだ」
Webbとの交流によってMathewは独自の霊的能力が身についていた。自動筆記能力もその一つだった。
自動筆記能力とは筆記者が自分の手とペンを別の心の命ずるままに動かせる能力だ。
Mathewはこの方法でWebbと交信したが,Webbが伝える情報は歴史的にも正確である事が確認できた。
Webbはその後にMathewの寝室の壁に落書きをはじめた。
1971年7月の6日間に500以上の名前と地名を壁に書いている。
多くはWebbの家族や近所の知人のそれであったが,中には1355年〜1959年にわたる年代のものもあり,いろいろな筆跡で書かれていた。
ある時Mathewは両親の寝室でWebbに遭遇した。
MathewはWebbと握手しようとしたがMathewの手はWebbの手をつきぬけてしまった。
それでもMathewは努力して妹のものであった木靴をWebbにプレゼントしようとした。
Mathewはそれを友情のしるしとして渡し,時間を超えた奇妙な感覚に遭遇した。
幽霊は木靴をつかむと,それを上着のポケットにしまった。
つぎにおきた事は奇妙な出来事に慣れているMathewをも驚かせた。
幽霊は灰色に変わり,木靴とともに消えてしまったのだ。
■わしは幽霊など信じない
幽霊になったRobert Webbとは何者なのか?
なぜしつこくこの家に出現するのか?
Mathewによれば
「Webbは17世紀の穀物商人で,お金をかけて増築した家をとても自慢していた。
ところが増築後まもなく,家をまだ楽しまないうちに死んでしまった。
Webbは自分の家をあの世までもっていきたかったのだ。
そういうわけでWebbは自分の意志で無間地獄にはいり,別種の不可思議な時間回路をぐるぐる廻っている。
そして後世でこの家に住む事になった僕ら家族がこの家で霊的エネルギーを発生した時,Webbはそれに反応してこの世に接触するんだと思う」
という。
MathewはかつてWebbに自分が調べた土地の由来をWebbに質問した事がある。Webbはそれに対してこう答えた。
「わしは幽霊の存在など信じない。この家にはそんなものはいない」
―教養文庫-ワールドグレーティストシリーズ,怪奇実話集,

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2020年01月15日

ロバート・モンロー〜平行宇宙に行った男

ロバート・モンロー〜平行宇宙に行った男
2009/11/7(土) 午後 2:33
並行宇宙 練習用
幽体離脱の研究で有名なアメリカのモンロー研究所は、ロバート・モンローによって創設された。
あまり知られていないのだが、このロバート・モンローは幽体離脱して平行宇宙に行った人なのである。
私達の住んでいる宇宙の他に、ドラえもんの「もしもボックス」の様に少しづつ違った宇宙が沢山同時に存在しているというのが、平行宇宙である。近年の物理学でも、「量子力学の多次元解釈」という説で平行宇宙は存在するとされ、その説を支持する物理学者が増えてきているらしい。
ロバート・モンローがある時、いつもと違うやり方で幽体離脱した。
体を捻りながら、肉体から抜け出したのだ。
すると、目の前に暗くて深い穴がある。
数回目に勇気を出して、彼は穴の中に飛び込んだ。
穴の中はどこまでも続いており、気の遠くなるような距離を移動してモンローは地球によく似た星へと抜け出た。
そこには別のロバート・モンローが別の職業で生活していたのだ。
モンローはその世界を探索に度々訪れるようになり、別世界のモンローの肉体に取り付いて行動したりしてみた。
だが、別世界のモンローは取り付かれる度に、その間の記憶を失くしそのせいでガールフレンドに気味悪がられ、可哀想に振られてしまったという。
平行宇宙へ行ったというのは、この話以外に聞いた事がない。幽体離脱を訓練すれば、いつか行けるのかも知れない。
    
スピリチュアル野郎の超常的日常
https://blogs.yahoo.co.jp/matrix80811
     
    
    




体外離脱者が見た異次元世界
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2010/1/13(水) 午前 7:30
自然現象 幽霊、心霊
●体外離脱者ロバート・モンローが見た異次元の世界
世界的に著名な体外離脱研究者であるアメリカのロバート・モンローによれば、異次元世界には意識体(霊体)の進歩レペルによって、様々な次元の世界が無限に続いているという。生前の強固な信念体系(思い込みや偏見)が意識に刻み込まれた人々は、死後、並行世界のなかに自分の信念を忠実に再現した「世界」を創りだしてしまい、そこから抜け出せなくなってしまうという。そしてこの抜け出せない「こだわり」が「地獄」の正体だというのだ。
スウェデンボルグは、地獄的な意識を持った者は、「類は類を呼ぶ」という法則で、自分から好んで霊界に地獄を創りだしていると断言するが、これはモンローの考えとまったく同じだ。スウェデンボルグは、地獄界に棲む魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが、並行して存在する我我人間世界に魔の手を伸ばして、地上の人間に災いを及ぼしていると言う。これらの悪霊は、無意識の世界を通して地上の人間の心に取り憑くと、悪しき思いを心の中に生じさせて、ありとあらゆる悪の感情や憎悪を引き起こさせるのである。憑かれた人間は、それが自分の考えや感情であると思い込んでいて、その通りに行動するのだが、争いや紛争、事件が起こり、世の中が乱れてゆくのである。小さな諍(いさか)いから始まって、最終的には戦争にまで発展する場合もあるのである。しかし当事者は自分の行動が「正しいこと」と信じて疑わないのだ。だから人間は、常にそうした災いの元となっている異次元世界の住人たちよりも高い次元に、意識を保っていなくてはならないのだ。
ところでスウェデンボルグの語る悪しき霊たちが神隠しの犯人である可能性もあり得るが、ことUFOが絡む失踪事件を見る限り、肉体ごと異次元へと連れ去ってしまう異次元の生命体は、地球人の平均的な魂が滞留している異次元空間(精霊界)とは、まったく共通点のない、異質な異次元空間(宇宙系)の存在のようである。だからこのパターンの神隠しについて、スウェデンボルグが具体的な事例をほとんど挙げていないのも頷ける。彼は主に地球人類と、地球が所属している太陽系、そして地球人類と似通った他の宇宙系の異次元存在(霊界存在)と接触しているからだ。
スウェデンボルグによれば、地球人の魂は、地球人に合った異次元空間に霊界や天界、そして地獄界を創りだして、地球を取り巻いているという(これはモンローも同意見)。そして地球とはまったく異質で異なった生命系の宇宙には、地球とは別系列の、天界・精霊界・地獄界が存在しているのだ。むろん基本的な宇宙構造は全宇宙すべて同じだが、「類は類を呼ぶ」という法則が働いて、似ている世界の霊体は互いに遭遇しやすいが、あまりにかけ離れた性質の霊体同士は、ほとんど交流することはないのである。
スウェデンボルグもモンローも、意識進化レベルの高い意識体(霊体)は、高次元の世界から、地球人の無意識を通して働きかけてサポートしているというが、これは悪しき者たちが地上に災いを引き起こそうとしてるのとは、正反対の活動だ。
高次元世界の意識体は、物質世界に一番近い並行世界(死後人間の霊体が行く精霊界)にいる意識体が地上の人間と寸分違わない姿で生活しているのとは対照的で、レベルが上がれば上がるほど、人間としての外観を持たなくなる。意識体が地球という枠を超えて、外宇宙の生命系にまで理解を届かせるようになると、人間的な外観にこだわらなくなっていくのだ。そして他の宇宙系の高次生命体とも交流するようになり、その意識レベルをさらに外宇宙へと高めてゆくのだ。こうした高次の生命体は、人間の枠組みにとらわれたままの意識体には、「まばゆいばかりの光」とか、「高貴な声」のごとき存在となって受け止められる。太古の時代、異次元を行き来できる神官たちが見た神々とは、こうした存在だったのかもしれない。
http://www.asyura2.com/09/bd57/index.html

徹底検索、堀進
https://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/31349879.html






死後の世界
2009/5/14(木) 午後 1:21 無題 練習用
死後の世界がわかってくると、生き方が見えてきます。
死後の世界を説明するのに、ロバート・モンロー氏が唱える「フォーカスレベル」を使うのがよいでしょう。とても分かりやすいですから。
ロバート・モンロー氏は体外離脱、つまり、魂を体内から離して、自由に死後の世界へ旅ができた人物です。
そして、数千回もの体外離脱を繰り返し「フォーカスレベル」を唱えたのです。
詳しくは後で説明しますね。
彼は、電気会社の経営者で事業はアロマ コース料金でした。
そんな42歳のある日、突然カラダから魂が抜け出したのです。
そして、自由に肉体へ戻ることもできました。
でも、周りの人に言っても馬鹿にされて信じてもらえません。
そこで、だれでも体外離脱できるテクニックを開発しました。それが、ヘミシンクというものです。
右の耳と左の耳から違う周波数の音を聞かせる方法です。
左右が4ヘルツ違うと突然魂が抜け出すそうです。
日本人は体外離脱しやすく、半分くらいは抜け出すそうです。
アメリカ人は4分の1だそうです。

ラッキーザウス
https://blogs.yahoo.co.jp/uplifting_game/1126399.html
https://blogs.yahoo.co.jp/uplifting_game





≪平面的時間について≫補足
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2009/4/8(水) 午後 2:55
幸せの条件 その他人文科学
ロバート・A・モンロー(英: Robert Monroe, 1915年10月30日 - 1995年3月17日) はアメリカ合衆国の超心理学者、変性意識状態(体外離脱体験)の研究におけるパイオニアで、モンロー研究所の創設者。
ヘミシンクと呼ばれる音響技術を開発する。
ヘミシンクとは左右耳から波長がわずかに異なる音を聞くと右脳と左脳の脳波が同調することである。
ヘッドフォンから聞こえてくる音と瞑想の指示を使い、脳波を変更することで達成される。
原理はバイノーラルビートという音響技術(うなりの技術)に基づいている。
バージニア州シャーロッツビル郊外にあるモンロー研究所に滞在すれば、守護霊と対話したり、死者の魂を救出したり、透視やスプーン曲げなどの超能力を使ったり、宇宙旅行にいったりするなど超常現象体験を目的とした各種の滞在型プログラムに参加することができると主張する。
体外離脱(たいがいりだつ)あるいは体外離脱体験(英: Out of Body Experience、略称英: OBEまたは英: OOBE)とは、自分の肉体から抜け出す感覚の体験のことである。国籍・文化圏にかかわらず、このような感覚は見られ、10人に1人程度は生涯に一度は経験はしているとも言われている。
世界最高の体脱能力者モンローが「最後の旅」で知った、死後の世界の構造、生まれ変わりのメカニズム、そして人間として生きることの究極の目的とは。過去のいかなる書物にも記されなかった、時空を超えた生命の宇宙からの驚異的な報告書
モンロー研究所
超心理学者ロバート・モンローが開設したモンロー研究所では音によるヘミシンクによって、その領域の記憶の開発、あるいは体外離脱などの様々な領域を開拓している。
ブルース・モーエン(Bruce A. Moen)は、アメリカの死後の人間意識の研究家。
非物質的な世界への好奇心からモンロー研究所におけるヘミシンクを使った体外離脱による死後の世界の探索を行ってきた。
その経験を「死後探索」シリーズとして出版した。
米国では5冊が刊行され、日本語版は第4作が2008年1月に出版された。
コロラド州デンバーで技術コンサルタントとして働いている。
その一方で、現在、ヘミシンクを用いないでモンロー研究所でいうフォーカス27のレベルまで到達できる独自の手法を開発しワークショップを行っている。
2007年には二度来日して、ワークショップが開催され、2008年も開催される予定。
上記の体外離脱研究で詳しく書かれている本は『究極の旅』ロバート・A・モンロー著
をお読みになるか、ファン登録して記事をお読みになるか。。。
常識的に捉えることが難しい表現がありますのでお許し下さい。

climb a door 幸せは, まず家庭から
https://blogs.yahoo.co.jp/banecyun/14405253.html



ロカールV(反転イメージ)
ケータイ投稿記事
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2009/11/6(金) 午後 7:13 無題 練習用
体外離脱の詳細な記録が書かれたロバート・モンローさんの本によれば、彼がロカールVと呼ぶ世界があり、我々の世界と似ているが何か違う世界である。
まるでSF映画のように見えるのだが、そこには電気はなく、蒸気エンジンで動く機関車があり、車のようなものが道路を走っているが、形、内装、大きさ、速度などすべて違うといった具合である。彼は、自分の肉体を抜け出し何度かその世界に行くことができたが、ある時、その世界での自分と認識される人の体と彼の意識が合体することになり、つかの間の別世界での生活を何度か繰り返すのですが…。世の中には奇妙な話があるものですね。

音楽隊&読み隊
https://blogs.yahoo.co.jp/muz051/30322398.html





やっと「究極の旅」を。。。
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2009/10/29(木) 午前 10:34 Se busca 練習用遅ればせながら、やっと、ロバート・A・モンロー「究極の旅」を読み終えた。
フツー、ヘミシンク始める前にこっちでしょ!と思うのだが、まるの日さんやjazzさんのブログに興奮して、ゲートウェイを手に入れてしまったので、とにかく聴かなきゃの一心で、ロバート・モンローさんの本は後回しにしていた。
いくつか発見があったのは、まず、本のデザインを見て、私が選んだブログの背景とすごく似ているではないか〜、ということである。
コレは知ってたでしょ?有名な本なんだから。。。と思われても仕方が無いが、本当に知らなかったので「へぇ〜!」と感動してしまった。
それから、後半の辺りのライフラインプログラムの参加者がF27の「案内役」の表現として、「光を放つ白いもの」、「サム」という名の人。。。と書いてあり、
え?サム?!私のSPのジャグジーにいつもいるのも「サム」よ〜〜!
とビックリ。。。
ヘミシンクをしながら、色々感じたり、考えたり、記事にしていたことと重なり合う部分があったり、など、大きく外れていなくて安心し、よりクリアになった。
実はもうひとつ、これは大変おこがましいのだけど。。。。^_^;
森田健さんの「あの世はどこにあるのか」という本の中で、初めてローリー・モンローさんの写真を拝見した。
その時の印象が、「え?キャサリン?」というもので、よく似ていてびっくりしたのである。
後から、ローリーさんは若くしてすでに亡くなっている、
というのを知って、さらにキャサリンと重なってしまった。
知ってる上で意識に上がると、潜在意識にあるからと思うのだが、こうして後から同じようなことであったりすると、嬉しくなりドキドキしてしまう。
全くたわいのないことであるが、やはり惹き込まれるべくして惹き込まれたのだな、と感じる。
読み終わって、モンローさんとサムに会ってお礼を言いたくなったので、F21のフリーフローをすることにした。
F21に着くと、いつもより色が豊かに思える。。。
F27の公園のレセプションセンターへ行こうと思ったのに、パレットベースに来てしまったようだ。
わたしが置いた白いベンチにモンローさんが座っている。
「ここの景色はいいね〜」という会話から始まって、少し話しをした。
いつもモンローさんに言われるのは、「継続することが大切だよ」ということ。。。。
今回もしっかりそう言われて、その後、F27の私のSPへ行くことにした。
白い漆喰の階段を上っていくと日に照らされたブーゲンビリアと大きく葉を広げた観葉植物がある。
奥のジャグジーを覗くと、ちゃんとサムがいた。
「C1とフォーカスレベルでの意識の差が大きくならないようにすることだ。
C1もできるだけフォーカスの世界に近い意識を保てば、思いは早く形となってゆく。
どちらかが良くて、どちらかが悪い状態などあり得ないのだ」
たしかに現実がいまいちのときはヘミシンクも少し重いものなるときがある。
ところで、SPでちょっと楽しい感覚になれることを発見した。
鳥になってSPの周りを飛ぶイメージをするとフォーカスレベルがぐぅ〜〜んと上がった気分になる。
(べつに鳥にならなくても、飛べるはずなのだが。。。。^_^;)
なんといっても、私のSPは崖山の頂上に創っているので、飛ぶイメージがしやすい♪

Se Busca
https://blogs.yahoo.co.jp/junobynewmoon623/8791818.html
https://blogs.yahoo.co.jp/junobynewmoon623













「無条件の愛」という「牛乳」を生産する牛(人類)
2009/7/25(土) 午前 1:54 For Heart's Sake その他趣味
Loshという風にロバート・モンロー氏が表現していたのが、「至高のエネルギーである愛」で、別のエネルギーシステムの存在に「牛乳」として消費されるもの、だったと思います。
ロバート氏のアイデアの中で、アイデアの枠組みが他とは異なる点で印象的だったので覚えてます、それ以外は忘れました、というのもモンロー・ワールドを究めようという意思もありませんし。
***
人類至高の価値である「無条件の愛」とやらが、単なる一つの消費されるエネルギーになり、また、そのエネルギーを人類に生産させるために飼育している存在が別にいるというわけです。
さしあたり、「無条件の愛」を唱道する人、体現する人は、「善玉菌」といったところで飼育者には喜ばれていることになるんでしょうか。
***
つまり、飼育されている限りは人は自由ではないということです。

Flow
https://blogs.yahoo.co.jp/dyadmerkaba/54957285.html




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2019年11月04日

雑誌ムー: オペラ座の怪人〜米テキサス州の劇場に棲む霊


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雑誌ムー: オペラ座の怪人〜米テキサス州の劇場に棲む霊
KVUE News
2019.9.16
9月15日夜,米国のピアニストChad Lawsonさんは米国テキサス州オースチンの劇場で
明日のコンサートのためのサウンド・チェックを行なっていた。
チェックが終わり,いつものように無人の観客席を背景にステージのピアノを3枚撮影。
2枚目の画像をFaceBookに投稿した。
しかし何か違和感がある。
ホテルに帰り部屋で画像をよくみて理由がわかった。
劇場の2階席の左の出入り口に人影が映っていた。
ほかの画像を確認すると他のほうには映っていない。
幽霊かもしれないとい感じたLawsonさんはネット検索。
するとこの劇場には2階席の通路をあるく白いドレスの幽霊が古くから目撃されているという。
Lawsonさんは画僧の霊がその幽霊であると確信した。
―雑誌ムー,2019.10号,

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2019年09月28日

[芸能メモ] マイケルジャクソン生存説

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[芸能メモ] マイケルジャクソン生存説
あの人は今?
マイケルジャクソンが生きてる生存説は本当か?肌の色の変化にも関係がある?
あの人は今?
マイケルジャクソンが生きてる生存説は本当か?肌の色の変化にも関係がある?
2019年4月26日 2019年4月27日
マイケルジャクソンって本当に世界的なスーパースターでしたよね。
歌も踊りも本当に素晴らしく、
地球上のすべての人を圧倒してくれたと思います。
特にSMOOTH CRIMINALのダンスは圧倒的でしたね。あれを生で見たら、失神する女性が出るのも納得できます。適切な言葉が見つからないくらい素晴らしい人でした。ということで今日は、マイケルジャクソンの生存説について見ていきましょう。
マイケル・ジョセフ・ジャクソン
Michael Joseph Jackson
1958年8月29日 - 2009年6月25日
ニックネームは「キング・オブ・ポッkプ」
マイケルジャクソンは元々兄弟で組まれたバンド、ジャクソン5に所属していたのです。
ジャクソン5は凄いバンドでした。
1969年10月発売の「I Want You Back」というデビュー曲で、
いきなり全米チャート1位を記録してしまったのです。
そして2曲目の「ABC」ではまた1位になったのです。しかもこの曲は前週まで1位だったビートルズの「Let It Be」を押しのけての1位だったのです。
このあたりが凄いですね!!
続く「The Love You Save」も「I'll Be There」も全米チャートを制し、
デビューから4曲連続で全米チャート1位という信じられない偉業を成し遂げたのです。その後ジャクソン5の活動は減少していき、ソロで音楽制作を行うようになっていったのです。
そして1979年にはあの大プロデューサーのクインシージョーンズと出会い、素晴らしい作品を世に送り出していったのです。その後はもう説明がいらないくらいの大活躍で世界中を席巻していったのです。
■マイケルジャクソンがこの世を去って
マイケルジャクソンは本当に素晴らしいエンターテイナーでした。しかし、2009年6月25日に心肺停止により、50歳という若さでこの世を去っています。このスーパースターの死に、世界中の人が悲しみをあらわにしました。実は2009年3月5日にマイケル・ジャクソンはロンドンで、コンサート公演『THIS IS IT』を行うことを発表していたのです。
しかし、その直前に彼が急死してしまったのです。
そこで『THIS IS IT』のリハーサル映像を中心に構成された、ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』が公開されました。
この映画は当初の公開予定日は10月30日というものでしたが、あまりの人気に2日繰り上げられ、「2週間限定」で10月28日に全世界同時公開されたのでした。公開後もこの映画の人気はとどまらず、11月27日までの4週間に延長されたのです。そして、日本では12月19日からアンコール上映が行なわれた。とにかくものすごい人気だったのです。
さすがはマイケルジャクソンといった感じですね!!
■マイケルジャクソン生存説
確かにマイケルジャクソンは2009年に亡くなっています。しかし、生存説が出てきたのです。
というのも、1980年代からマイケルジャクソンの容姿が急激に変化し始めたので、その理由はもしかしたら不老不死の肉体を手に入れたためだったのではないかと考える一部の人間がいるのです。
そして彼の突然すぎる死も、それ自体がフェイクなのではと考える人が存在するのも事実です。そのうえ、マイケルジャクソンの棺が、亡くなったとされる日から埋葬までの間、一度も開けられていなかったというのもこの憶測に拍車をかける要因となったのです。
言い換えると何らかの理由で、自らの死を偽装する必要性があり、本人は人知れずどこかで生きている可能性も噂されているのです。
写真は映画館のような場所で、撮影されたものです。眉もきっちりと描かれ、とても中性的な顔立ちと、あのマイケルジャクソンの顔にとても似ています。
この写真を見た人々の反応は様々です。これは単に似た人が映っているのではという人もいますし、きっとこれは本人に違いない、本人であって欲しいと考えるファンも多いのです。
確かにマイケルジャクソンはこれまで、ずっとマスコミに追い回されて疲れてきました。どこに行っても追いかけられて、プライバシーなんてないも同然だったのです。そこからくる精神的な疲労は、我々の想像を絶するものだったのではないでしょうか?
■まとめ
マイケルジャクソンは本当に素晴らしい、偉大過ぎる存在でした。歌も踊りも世界中に革命を起こした人です。だからこそみんな彼に生きていて欲しいと願っているのです。また彼の圧倒的なダンスが見たいという人がたくさんいるのです。そしていつの日か、マイケルジャクソンがまたステージに立ち、私たちの前に姿を現して、あのダンスを披露してくれたらこんなに嬉しいことはありません。そんな日が来ることを祈って、今日はマイケルジャクソンの映像を見たいと思いいます。

ときめきとぴっく
https://newsnachricht.net/reminiscing/michaeljackson
































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2019年09月15日

東海アマ: 笠置山をさまよう霊

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東海アマ: 笠置山をさまよう霊      
霊との遭遇
2019年09月14日 (土) 18:45 
カテゴリ : 未分類 
私の家から車で30分程度で、恵那市笠置山の8合目駐車場(海抜950m)に行くことができる。 
山頂は1120mくらいだから、駐車場から標高差170m、およそ45分程度で、山頂まで歩いてゆくことができて、帰路も30分程度だ。 登山道を使えば、往復15分は短縮できるが、夏場はアブやブヨが多くて鬱陶しいので、9合目まで作られている車道を利用するほうがよい。 きれいなトイレも二つあって、用足しには心強い。ときどき内緒でトイレの掃除もしている。
大分前から肺機能に深刻な障害が出て、呼吸トレーニングのために、このルートを、年間、数百回は歩いている。
朝、5時過ぎに自宅を出て、8時には帰宅する。 昨年は、高峰湖遊歩道を歩くことの方が多かったのだが、棘草の藪がひどくなり、マムシとの遭遇が増えたので、今年は笠置山に行くことの方が多くなった。 
ここは標高が1000m前後と高いので、夏場は涼しくて歩きやすいのだ。ただし、全身にハッカ油スプレーをたっぷりかけないと、アブ・ブヨにひどい目に遭う。 
こちらに移住したのが2003年で、通算では、たぶん1000回以上は、笠置山のさまざまなルートを歩いている。 
 10年以上前までは、笠置山のようなパッとしない低山に来る人は少なくて、山頂近くまで車道が整備されているし、あんまり面白い山ではなかったのだが、その後、ボルダリングに最適な岩がたくさんあることが知られ、最近では、休日にボルダークライマーが数十台も車を連ねてやってくるようになった。 
私も若い頃は、屏風山Pや御在所、南山などに通い詰める日曜クライマーの端くれだったのだが、交通事故で鎖骨が偽関節になってから登れなくなって、とても残念な思いをしている。 もし体が正常なら、笠置山の岩場に詳しい私が、たくさんの新ルートを開拓するのだが。 
移住前に、初めて登ったのは30年以上前だが、このときは姫栗登山口から3時間以上かけて登ったように思う。このときは、まさか、この山を千回以上も歩き回るなど予想もしていなかった。 登山口は、姫栗の他、蛭川口、中野方ダム口、廃道になっている中野方口、月光寺ルートなどがあり、バリエーションもそこそこ多い。 中野方ダムルートは、長い尾根道で、ところどころ熊の糞が落ちていて、いつ出会うかと薄気味悪い。カモシカや鹿との遭遇など、全然珍しくない。 この数年、9合目駐車場のすぐ上にも、しょっちゅう熊の糞が現れるようになり、鈴をつけないと怖い思いをする。 熊糞は、熊が昔、肉食動物だった時代の痕跡で、消化管が短いため、内容物が未消化で残ることが多く、べちゃ糞になっているのが特徴だ。二日もすると、酵母が含まれていて発酵し、真っ白のカビだらけになってしまう。 新鮮な熊糞を見つけると、登山道に近寄らないように、念のため爆竹を鳴らしておく。すると半月くらいは新しい糞が姿を消すのだ。 笠置山周辺では、熊の目撃情報が、年間数十回もあって、今年は、蛭川口JT別荘地のイノシシ罠檻に小熊がかかった。 親熊が心配されたが、結局発見できず、小熊は、そのまま笠置山に放された。 糞の大きさから、山頂付近に出没する熊は、20K前後の小熊のもので、たぶん、この熊だろうと予想している。 
山頂には立派な笠木神社の奥社が作られていて、そこから向こう側に降りると、ヒカリゴケの洞窟がある。 30年前に来たときは、洞窟の全部が光り輝いて荘厳な光景だったが、十数年前から盗掘者が増えて、ヒカリゴケが盗まれるようになった。一時は光ってる苔が存在しない絶滅状態にさえなった。 ヒカリゴケは、洞窟の特殊な環境条件でしか生育しないので、持ち帰っても枯れてしまうだけだが、増殖させて一儲けを企むアホがあとを絶たない。 最近、少しずつ復活しているのが救いだ。 
もう十数年も登り続けているので、たくさんの参拝者や登山者を見てきた。 そのなかで、本当に奇妙な人と遭遇したことが今日の主題だ。 
実は、私には弱いながらも霊感があって、山頂のベンチで休んでいると、ときどき、頭のなかの霊視スクリーンに、鮮明な人物が写ることがある。 霊視スクリーンを説明するのは難しいが、仏壇の前で手を合わせているとき、亡くなった親族の顔が浮かんできたり、墓の前で死者が見えたりする類いのものだ。 私の場合は、例えば事故の数ヶ月前に、自分が事故にあって骨折する姿が見えていた。 
神社の前で、何回か人間の顔が鮮明に見えて、「あなたは死んだのですか?」と問いかけると、泣きそうな顔で頷く姿を確認したことがある。 そのときは30歳前後の若い男だった。もちろん、すぐに消えてしまう。 笠木神社のような由緒のある古い社には、自分が死んだことを理解できない死者が救いを求めて寄ってくるのだろうと思った。 
なかには、新興宗教団体だろうか、ドラや鐘を鳴らしながら、どんちゃか山頂まで行進してくる集団もいた。全員が無表情なのが奇妙だった。 それから、いったい何を目的にして登ってくるのだろうかと訝るような、不思議な姿の人も少なくない。 
あるとき、小柄で小太りの、暴走族風の若者が登山道を歩いていた。荷物は何も持っていなくて、てっきり車で来たのだろうと思った。 その姿が不思議なのは、なぜか印象が希薄なのだ。とても話しかけたい雰囲気ではない。 
「こんにちは……」と、ちゃんと挨拶するのだが、私が先に下山してみると、9合目にも8合目にも、そのほか、車が止められそうなスペースの、どこにもバイクも車もなく、いったい、彼は、どうやって笠置山に登ってきたのか不思議だった。 また、いつまで待っても、彼は下山せず、忽然と姿が消えた。 他の登山ルートは、数時間もかかるので、飲料や食料、防寒具などの荷物を持参しなければ無理だ。 それに、全体の雰囲気が、どうみても参拝者や登山者ではないのだ。まるで暴走族の青年(少年?)が、バイクを捨てて歩いてきたように見えた。 彼を見たのは一度だけではない。同じ場所で、少なくとも2回以上は出会っていると思う。 そこで、私は江原啓之の動画を見ていて、「ああ、彼は霊なのかもしれない」と思うようになった。  https://www.youtube.com/watch?v=IQRkCpEyXvk 
そう思うと、辻褄の合うことが多かった。そもそも、車がなく、手ぶらで来られるような山ではないし、出会ったときの印象が、あまりにも奇妙で希薄だった。生きた人間らしいオーラが出ていなかった。 
江原に言わせると、生前の自分に未練を持っていると、死後も、例えばサラリーマンだったなら、雑踏を歩いたり、通勤電車に揺られたりという状態を求めて霊が人に見えるように姿を現すのだという。 人に見られることで、自分が、この世につながっていると満足したいのだという。 通勤電車には、そんな霊が、数十名も乗っている。彼らを追いかけていると、忽然と姿が消えるのが特徴だという。 
雑踏にも霊がたくさん歩いているという。霊も人恋しいのだろう。神社にはとくに多い。 昔、タクシーの運転手をやっているとき、客から、この種の話をたくさん聞いた。 
名古屋市内で、よく霊が出ると評判の神社は、柳橋交差点から南に少し歩いた白龍神社、そして、中村区では環状線沿いの中島八幡社、ここは、鳥居の下に、いつでも霊が座っているのだという。 目の前の環状線で自転車に乗っていてトラックに轢かれて死んだ老人がいて、彼が、自分を殺したトラックが通りかかるのを待っているのだと客が言った。 
江原によれば、霊は日常的に普通に姿を現しているが、誰も気づかないらしい。 この世への未練の断ちきれない死者が大部分で、死後に、自分がかつて行った場所に現れて、生きている人に見てもらいたいらしい。 その後は、満足して消えてしまうが、ときには、強烈な怨念を持った霊が、生きている人に憑依して悪さをすることもある。 このとき、憑依する相手は、必ず「波動の合う霊」である。 
取り憑くのはオーラなのだという。死者に取り憑かれた人は、オーラが変わる。どのように変わるのかは、今のところ情報がない。 
私は、絞首刑で殺された凶悪犯が霊憑依したことに気づいたことがある。  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-354.html 
宅間守は、池田小学校で8名の児童を殺害して、志願して短期間の待機で絞首刑になった。しかし、死後、「これは宅間だ!」と思った事件が、いくつも続いた。 宅間の霊は、「児童=8名殺害」というワードで、自分がやったと誇らしげに示しているのだ。 書いているうちに、波動が合ってきて気分が悪くなった。 今日はこの程度にしておく。 
なお、明日から数日間、所要が多く、更新が困難になるかもしれません。 

東海アマブログ

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2019年08月26日

FBミステリーUMA: 立川山中の幽霊盆踊り

FBミステリーUMA: 立川山中の幽霊盆踊り
不思議な話を一席。
20年程前、所属するバンドが東京都下・立川にある某スタジオでリハをやってました。
で、終了後、ドラマー君の車で陣馬山へドライブ(肝試し)に行きました。
深夜1時頃の陣馬山頂付近、ガードレールも無い対向すれ違いも無理そうな山の中。
ふと開けた広場で【盆踊り】をやってました。
やぐら組んでちょうちんがいっぱいで。
我々一同、横を通りながら「あ、盆踊り。そんな時期だねぇ」とか言ってたんですが・・・
私が、しばらくして気が付いた。
「あのさ、広場いっぱい使って100人くらい集まってたけど、駐車場無かったぢゃん?
一体全体こんな山ん中、あの連中どこからどうやって来たんだ?
それに、アカアカとちょうちん灯してたけど、電源どこから引いてんだ?
この山道、かれこれ10分以上民家見てないし電柱も無いし、電気来てないぜ」
山を下りたら(マニュアル)車のクラッチが焼けてシャカりました。

Facebook-ミステリーUMA
https://www.facebook.com/groups/501535436672325/permalink/1285058914986636/



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