2020年09月17日

中島梓: 小説『1984年』の虚構と真実〜1984年に小説『1984年』を考える(1984)

中島梓: 小説『1984年』の虚構と真実〜1984年に小説『1984年』を考える
中島梓
かくて1984年は開けた。かつて我々はベルン,ウェルズに我々が「追いついた」ことを知ったものであった....今度はオーウェルだ。なんだか恐ろしく先にあるように思われていた1984年。その途端に今や我々は足を踏み入れたのである。後はただ残こされているものは2001年しかない。
それは確かに極めて刺激的な体験であった。あるいは大多数の人々はそう言うだろう。1984年は特別な年である。オーウェルが『1984年』というタイトルの小説を書いたからである。別に彼は1987年を選んでも2018年を選んでも良かった。しかし彼が選んだのは1984年であった。それには別に深い意味はないと私は感じる。なぜならオーウェルがこの小説を書いた1946年〜1948年から見れば1984年と1999年とのあいだにはさしたる違いはなかった。 オーウェルが「84」を「48」を逆さにする事でつけたということ自体にもさして意味はない。
要するにそれはどんな付け方をされてもよい「未来」,ただ単に未来でしかなかった。「追いついた」のは我々の方なのである。そしてまさに今我々をわくわくとさせているの実はそのことなのである。

このように見ていくとアンチユートピア小説の位置というものが明らかになっていく。オーウェルにはハクスリーのサヴェジのシェイクスピアに当たるいわば「溺れる者の藁」が存在しない。サヴェジは『華氏451』のごとく書物の中身を口ずさむ人と出会いはせずに孤独に首をくくっていくのだが,しかしそれはハクスリーにとってシェイクスピアに象徴されるいわば人間の精神文化というものそのものの敗北ではなかったはずである。シェイクスピアを読むムスタファモンド,そしてダメな男であるところのマルクスの存在は,サヴェジが正しいことへの心ひそかな共感であり,この共感をもっとSFのオプチミスティックな伝統に従って突き詰めていくとそれはヴァンヴォークトの『スラン』で新人類スランを駆り立て追い詰める旧人類のボスでありながら実は彼自身も新人類であるところのキアグレイの存在までつながっているのである。
しかしオーウェルの厳しい認識はこのようなおオプチミズム/楽観性を許さない。ムスタファモンドと同じく『1984年』には初めウエストに理解者として現れるオブライエンがいる。しかしそのオブライエンはウィンストンの拷問者であり,そして「私もずっと前から捕まっているのだ」という男であって ,そして彼は拷問者,告発者,洗脳者でありながら父のような存在でもあるのであった。
ひと一人一人の固有の決定的な弱点を見抜いてそれを苛み続けているオブライエンの前でウィンストンもジューリアもモンターグやサヴェジのように体制に反逆するヒーローたることを許されない。それはあまりにも徹底したアンチヒーローぶりであり,ウィンストンはサヴェジのようには言わばシェイクスピアに殉じる事も許されない。彼はビッグブラザーを愛することを知って,そしてその瞬間に死んでいくのである。それは仮借ないアンチの構造であって,それこそはおそらくオーウェルの根源的な絶望の実体なのだが,人間は救われないー体制によっても,革命によっても,殉教によってすら救われない存在なのであるーという。その意味でオーウェルほどいわばアンチ SF的な作家も実はいないのである。
オーウェルとはひとつの大きな「アンチ」だったのであって,その行き着くところは東洋人であれば無常観というものはまだ存在してるのだが,オーウェルは英国人であって,それ故に彼にとっては絶望の最も深い形とは結局アナーキズムでしかなかったったのである。そうしたオーウェルの絶望を1984年にある我々が未来予測,予言,あるいはスターリニズムへの風刺ーまたはレーガン体制へのーと見る事それ自体が言ってみれば一つのジョークのようなものだ。『1984年』のウインストンスミスはオセアニアにも,イースタシアにも,ユーラシアにも間違いなく存在したはずなのである。
ーSFマガジン, 1984.3号

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2020年09月14日

筒井康隆: 2020年は様々な周期の曲線が 大底で一致する「大当たり( Jackpot )」の年かもしれないなあ......







筒井康隆: 2020年は様々な周期の曲線が 大底で一致する「大当たり( Jackpot )」の年かもしれないなあ......
ー本日はよろしくお願いいたします。まず雑誌 『WIRED』 がアメリカで創刊したのは1993年なのですが,1993年というと筒井先生の近未来小説『パプリカ』発売の年であって,また小説『朝のガスパール』連載のスタートがさらに遡って1991年になりますが,筒井先生の先見性に驚きました。
筒井: いや..それはどうも。
ーその『朝のガスパール』の副読本的な『電脳筒井線』はパソコン通信による読者との交流の記録でした。2008年からウェブサイト『笑犬楼大通り』で『偽文士目録』を更新されていますが,良い意味でも悪い意味でもオープンなインターネットと比べて,当時のパソコン通信のクローズな環境がちょっと懐かしくなったりすることはありますか?
筒井: 『笑犬楼大通り』はまさにクローズな環境。 で作ってもらいましたので,今でも当時のようにファンとの交流はできています。Twitter のアカウントを持っていますが見ている時間がないといいますか,見たらキリがないのでほとんど見ないですね....インターネット自体あまり見ていません。
ーさてここからは新型コロナ禍についてお聞きできればと思います。
■本が売れている
筒井: コロナといえば昔「コロナ」というタバコがあったんです。昭和21年から昭和22年にかけてほんの1年ほど発売されただけなんですけれども...あるあのタバコは箱を見たらやっぱり金環蝕のデザインでした。ただ吸ったことはありません。当時私まだ13歳でタバコを吸い始めるのはその3〜4年後のことですから......吸っていたらいい免疫になっていたのかもしれない。とにかく長年の喫煙習慣のせいでちょっと肺気腫の傾向がありまして。今回の新型コロナウイルスは怖いんですよ...だからずっと家にいます。
ーコロナの流れで書籍が売れていますね。
筒井: 昔から不況になると本が売れると言われていましたが。だいぶ前から不況になっても本が売れなくなりました。構造不況というやつです。好況不況関係なく本は売れなくなってしまいました。ところが今回は皆使用なしに家にいなければならないので本を読み始めました。ありがたいことだと思います。
最近カミュの『ペスト』が売れているようですがそれと別にロビンソンクルーソーの作者ダニエルデフォーも『ペスト』という作品も書いています。それによりますと,ペストが流行った時も,都市を脱出するか食料品を買い込んで家にこもるかで,結局金持ちが生き延びたそうです。なんだか今回と似ていますね....示唆的ですね。
売れているといえば小松左京の『復活の日』も再び脚光を浴びているようです。今回は『復活の日』で描かれるような人類滅亡の危機にはならなさそうですが。小松さんだってまさか現実にこうなるとは想像してなかったと思います。小松さんが生きていたら今の状況についてどう言うでしょう?

ー平時ではなくてや現在のような有事における物語の役割についてお考えを聞かせてください。
筒井: 段々社会生活や労働というものが今までと同様には捉えられないことが分かってきました。それが分かったところですでに遅いのかもしれませんが.....少なくても小説には「現状」と「これからの参考になる」 点があります。カミュの小説『ペスト』に「それは自宅への流刑であった」という一節がありますが。これは今のステイホームに通じる感覚ですね。小説は何で今まで他の伝染病に対してこういう予測ができなかったのか?とは思います。
■大当たりの年
ー先生がコロナに触発されて物語書くとしたらどんなアイデアがトリガーになりそうですか ?
筒井: 思い出したのは『大当たりの年( The Year of Jackpot )』というロバートハインラインの短編です。統計分析が得意な主人公が様々な周期の曲線が 大底で一致する「大当たり( Jackpot )」の年がやってくることに気がつくという,統計学的な架空の理論を基にしたペシミスティックな SF小説なんですが。それと同じで,コロナがどんどん悪くなるわ,北朝鮮は不安定になるわ,アフリカでバッタが大量発生してアジアにまで飛んでくるわ,指導者までがおかしくなって,トランプさんが「消毒液を注射したらいいんじゃないか?」と言いだすわ......といったこと考えると,今年は大底で一致する「大当たり( Jackpot )」の年ではないか?と思っています。だからもし自分が感染した場合85歳の後期高齢者で85歳の後期高齢者でしかも肺気腫の傾向もあるので,一番先にトリアージという(笑)
ー笑い事じゃないです.......(苦笑) ジャックポットにあたる年として,その様相を筒井先生がお書きになるとしたら,やはり小ネタを積み上げながら編んでいくイメージでしょうか?
筒井: この騒ぎのことを小説家の誰かが書かなければいけないと思いますね。ただ一人の主人公が出てきてどうのこうのという物語ではなくて,この騒ぎそのものを半ば記録として,半ば小説として書かれた作品があってもいいのではないかと思います。それは私が書こうと思います。この騒ぎのつまらないディテールまで覚えている人があまりいないのは困るので,そういうことを誰でも読める小説にして書き残しておきたいという気持ちはあります。遺言という意味合いでもね。〜
ー最後にこの質問を。過去にタイムリープできるとしたらどの時代を選びますか?
筒井: 私はやっぱり昭和初期。浅草の喜劇が全盛の頃でしょうね。関東大震災の直後になるのかな。エノケン一座にいた高清子さんを生で見てみたいな。戦争は二度と嫌だから戦争が始まる前にはこっちへ帰って来たいけれども....
ーもう一つ。ご自身の作品に登場した様々なガジェットや設定の中で「これが実現したら嬉しい」というものはありますか?
筒井: なんでしょうね....面白いものばかり書いているわけだから。周りにしてみたらありがたくないものばかりでしょうね.....それこそ『パプリカ』の 「DCミニ」とか実現したら騒ぎが起こるものばかりですから。
ー雑誌『WIRED』2020年9月号

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2020年09月05日

山田風太郎『戦中派不戦日記』〜第二次世界大戦終戦期(1945年)の風景


山田風太郎『戦中派不戦日記』〜第二次世界大戦終戦期(1945年)の風景
1945年9月1日(土)雨
新聞がそろそろ軍閥を叩き始めた。
「公然たる闇の傀儡」
「権力を以って専制政治を行い,軍刀を以って言論を統制せしめた」
「天皇陛下を盾として神がかり信念を強要した」
と書く。そして
「我々言論人はこの威圧に盲従していたことを恥じる。過去の10年は日本言論史上未曾有の恥辱時代であった」
などとぬけぬけと書く。この糾弾は一面確かに事実だ。不具合が神がかり的信念に対して,僕などは幾度懐疑し,周囲の狂信者どもをあるいはバカバカしく思って,あるいは不思議に思ったかしれない。そして結局皆よりも比較的狂信度は薄いままに今日に至った。
とはいえ実はなお僕は皆のこの信念を恐れていた。それは狂信者の濁流の中にあってもわずかながら真実を見ているものの心細さ不安ではない。戦争などという狂気じみた事態においては「日本は神国であって,かかるがゆえに絶対不敗」とか「科学を制するは精神力なり」とかいう非論理的な信仰に憑かれている人間のほうが結局勝利の原動力 なるのではないか....とも考えていたためだ。自分の合理的な考え方が動物的と言ってもいい今の人間世界ではあるいは間違っているのではないか?という恐ろしい疑いのためだ。しかし非論理はついに非論理であって,不合理は最後まで不合理であった。
さてこの新聞論調は,やがてみな日本人の戦争観・世界観を一変してしまうだろう。今まで神がかり的信念を抱いていた者ほど心情的に素質があるわけだから,この新しい波にまた溺れて夢中になるだろう。ー敵を悪魔と思って,血みどりになりこれを殺すことに狂奔していた同じ人間が,1年もたたないうちに自分を世界の罪人と思い,平和とか文化とかを盲信しはじめるであろう!
人間の思想などというものは何という根拠の薄い馬鹿馬鹿しいものだろうか?もっとも新聞人だって,こういうことは承知の上で今の運命を生き延びていくために,こういうことをぬけぬけと書いたのだろう。そして国民はそれに溺れる。....それで良いのだ。それが日本を救う一つの道だ。
しかし過去において完全には溺れなかった自分である。将来においても決して溺れ尽くすことはないだろう。しかしこの事は渦中にあっては案外難しいことだ。
午後,飯田橋駅に行って切符を買う。布団をチッキで送り出す。
剣なき兵士が窓口に顔を出し
「兵隊だがねぇ。切符一枚売ってくれい」
と今まで通りやり,駅員に散々怒鳴りつけられる。
「兵隊?兵隊か何か知らんが,まさかもう公用じゃあるまい?じゃなければ一般と一緒に並んでもらいたい」
見ているのに,兵を侮するにあらず。駅員も運命に対して腹立ちを抑え兼ねるといった表情なり。
兵隊赤くなり青くなり,果ては泣きそうな顔になり,それでも切符を投げ出してもらい,ニヤニヤ恥ずかしげに笑いながら去る。
増田隹茂『心理学概論』読了。
ー山田風太郎『戦中派不戦日記』講談社文庫

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2020年08月15日

野坂昭如『1945年,神戸』〜終戦まぎわの神戸






野坂昭如『1945年,神戸』〜終戦まぎわの神戸
1945
六甲道駅を降りると常夫は昔が懐かしくなったか永手町の方へ向かう。常夫がかつて住んでいた辺りを歩いて,「みんなでよく一本松へ遊びに行ったな。良夫さんなんかと」とつぶやく。良夫というのは湊川神社の傍で洋服屋を営む,征夫たちの従兄だが,中国に転戦中に焼夷弾の爆発によって片足を失って現在陸軍病院に入院していた。「一本松は高射砲陣地になっている。軍用犬が見張りしていて,知らんと近づいた子供が噛み殺されてん。でも神戸は帯のように細長い町やから高射砲を並べておけばよく当たるだろうな」常夫と同じような事を征夫も考えたことがある。
去年までは大晦日近くになると紙に描いた門松を 門に貼って年賀状も書いたのだが,いかに哲子の気働きが良くてもハガキの買占めまでに至らず,その代わりに正月を迎えるにふさわしい食べ物の数はこの何年来かで最も豪勢に整えられていた。
厳しい統制の網が緩みはじめ,闇が半ば大ぴらになって金さえ出せば何でも手に入った。
米一升18円
牛肉一貫80円
砂糖一貫100円
玉子10個8円
メリケン粉1 kg 12円
天ぷら油1合11円
さつまいも一貫45円
塩鮭一尾60円
配給ルートからの横流しで,ほぼ公式に売買されているに等しい。
「ないないって言ってるけど,結構日本も大したものじゃない」あまりあっさり入手できるので,哲子などは張り合い抜けの状態で,しかしこれは出征軍人の留守家族や大黒柱を徴用に取られた商人の家が,物よりも金が欲しさに公定価格で買った食料をすぐ数倍の値段で配給所に売ったためであった。
食べ物はいくらか楽になったが衣料切符は全く有名無実の存在で,闇値はうなぎのぼり,防空頭巾は着物を解いて作って,帯芯で鞄を作るくらいは教えられずとも知恵を働かせたが,もともとが下着で破れやすいその継ぎ切れに皆困っていた。
上に着るのは男の9割までが国民服。女のすべてはもんぺで,なんとか形はついていても,その下は惨めなもので,しかもこの冬は30年ぶりとも50年ぶりともいわれる寒さであった。古い下着を潰して継ぎに当てて,その継ぎの糸はまた浴衣を解いて回収する始末である。白い布地に黒や赤の糸が 縦横に走り,破れやすい靴下などもまるでサーカスのピエロの衣装のように色とりどりの有様であった。これはもっともこれはゲートルで隠れたからいいようなものであるが。
1945年12月30日元旦になって,元旦に大規模な空襲が行われるかもしれないというデマが飛び,「アメ公は戦争いうても日曜日には休む。そやからそんな正月早々にやらんやろ」「いやいやアメリカの正月はクリスマスやんか。正月関係ないで。それよりも仕事始めのつもりで来るのちゃうか」誰かが言うとその方が真実らしく聞こえて,もういつ空襲されても不思議はなかった。
阪神地方こそ未だ単機による高度からの偵察に止まっていたが,東京名古屋では被害が相次いで鬼火のごとく連なり降ってくるという焼夷弾についても,体験談が密かに伝わっていた。それはまず親爆弾とでもいう筒が投下されて,地上300mの上空で割れると,中から20〜30本の焼夷弾が現れて,その一本の大きさは直径3cm長さ20cm ほど。上部にリボンがついていて,割れると同時にこれに火がつく。「なんや綺麗なものらしいですわ。ふわふわと落ちて来るらしいで」爆弾の壮絶なイメージからは程遠いだけに却って不気味であった。〜
中国の要衝を爆撃する荒鷲の雄姿はニュース映画でよく見たが,あの爆弾は全て橋や駅に向かって正確に落ちていったはずだ。省電(国鉄)の六甲道駅,阪神の石屋川駅,阪急の御影駅とどこからもほとんど変わりのない距離にあるN町,およびその周辺の街並みを駅から眺めて,連造がこの一面に火が降り注ぐとはどうも考えにくい。めぼしい建物は公会堂と国民学校ぐらいのものだった。「町のこんなところに爆弾落としたって無駄なだけじゃないかね」という言葉につい賛成したくなる気持ちが強いのである。
しかし東京の浅草,蔵前,柳橋,本庄東,両国,日本橋,浜町など何の変哲もない下町が被災していた。
「下町には町工場が多いから,あるいは狙ったのかもしれないけれど,わざわざ 2100kmもの海を越えて町工場を狙うのもおかしいやろ。 アメリカはもう日本を占領した後のことを考えている。日本の優秀な工場施設をそのまま本国に持ち帰りたいために,飛行機工場は避けて住宅地を目標にされる。町工場なんか来なくてももう原料がないんだから,それよりも住むところを焼き払ったほうがよほど効果的ってわけだよな」
したり顔に言うに磨いてそうきてもその説ももっともらしく思えるのであった。
ー野坂昭如,「1945年,神戸」,中公文庫,

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2020年06月24日

[動画][映画] 機動戦士ガンダムIIー哀戦士(1981)















【機動戦士ガンダムより 哀戦士】
81年 井上大輔さんの曲。
ガンダムを代表する曲の一つ。
井上大輔さんはこの曲でザ・ベストテンにも出演されてましたねd( ̄  ̄)

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先日のガンダムプラモネタにたくさんのコメントありがとうございました。
ガンダムプラモ大ブーム時代の逸話です。全て噂レベルと思ってください(^_^;)
予想外なガンダムプラモ人気にメーカーには注文が山の様に殺到!特に「1/144スケールRX-78ガンダム」は最も人気で24時間フル稼働体制で生産するも全く追い付きません。そんな中、お隣の韓国でガンダムプラモのコピー商品が出回っている事をメーカーは知ります。
普通なら「けしからん!」と抗議し販売を止めさせるがスジです。
そのコピー商品を製造した企業に連絡がとれたので、メーカーはこう言いました・・・
「手直しすれば充分、商品として使える!違法コピーの件はとがめ無いから、引き続き生産して日本へ送れ!」
そうして供給不足を補うべく韓国生産のガンダムが突然市場に現れます。
その期間は短くも「コリアンガンダム」と呼ばれ、完全日本製とは違うパッケージで販売され今では「幻のガンダムプラモ」として完全品は1万円くらいのプレミア価格(定価は300円)でマニアに取引されてます。
画像のオレンジバックのガンダムがそれ!
made in KOREAの刻印がプラモに入っています。箱と説明図は日本で印刷しました。
そしてこのコピー商品を製造した企業は現在メーカーの韓国での正規代理店となったそうな。
プラモの存在は事実ですが、その内情はあくまでも噂ですよ!w

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2020年06月10日

川村康之「図解雑学クラウゼヴィッツの戦争論」

川村康之「図解雑学クラウゼヴィッツの戦争論」
------------おきらく軍事研究会,2017.2.3
『図解雑学クラウゼヴィッツの戦争論』(川村康之著)書評<「FSM」
『戦争論レクラム版』(カール・フォン・クラウゼヴィッツ著,芙蓉書房出版,2001/07)
恵比寿の友隣堂に平積みで入ってました.
早速購入して,腕の筋肉の鍛錬も兼ねて,出勤電車の中で読んでますが,なかなかいいですね.
海の人的には,現代仮名遣いでの訳出は徳間版で読んでいたので,新鮮ではなかったのですが,今ひとつループしていたところとかが,きれいに刈り込まれて良い感じです.
内容的には,まだ1章をやっつけたところですので,全体としてはいえないのですが,今まで読んで理解していた(と思っている)篠田訳も,それほど大意として外しているようではないので,一安心(笑)しました.
少なくとも全訳という意味では,インデックス的な価値のあるものですし,今後も使えるようであればなぁ,と腹黒い企みを抱いていたので,ありがたや.
なにしろ,警句とか寸評とかに都合のよい語句がたくさんあるんですよね,篠田訳って.
そういえば,抄訳ということでどう処理するかなと興味津々だった,序文の防災組合(消防組合だったかな?)の「言痛い」話が,ばっさり「(略)」になっててわらっちゃいました.
それにしても,クラウゼウィッツの慨嘆のように,純粋な金属塊は,いつになったら人類に与えられることですやら.
-------------海の人:軍事板,2001/08/03(金)
【質問】
『戦争論』って何?
【回答】
プロイセンの将軍,カール・フォン・クラウゼヴィッツによって書かれた軍事書.
ナポレオン戦争の経験から得られた教訓を元に,戦争という現象を体系化しようとした論述書といわれる.
内容については,毀誉褒貶が相半ばしている.
しかし,プロの軍人に一番読まれている本だろう.
よくも悪くも必読の本であり,軍人の常識の一部か.
軍事板,2001/02/16(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
Clausewitzの戦争論読んでいこうと思ってるんだけど,どこの出版がおすすめ?
できるだけ原著に忠実なのがいいんだけど.
【回答】
クラウゼヴィッツの戦争論は,邦訳されたものでは岩波文庫版が比較的無難に訳しているようです.
原著初版本に近いのは扶桑書房のレクラム版ですが,抄訳です.
クラウゼヴィッツの訳でどれがいいかという議論がよくあるけれど,断然,清水多吉訳(中公版)を推薦したいと思います.
ドイツ語の原文で読んでも意味をとりにくいところも,きちんと文意を生かして訳しているし,訳文も流麗で読みやすい.
何よりパレット版のように勝手に解釈をしていないのは大きいと思う.
確かに最近議論されている論点については,訳文が対応していない点はあるけれど(「摩擦」→清水訳では「障害」),全体的に言って,岩波版や芙蓉版よりいいですよ.
たとえばクラウゼヴィッツが,
「最高の将帥を内閣に入れて,内閣が軍事に関与出来る様にしなければならない」
と書いたのが初版(清水版)ですが,岩波が元にした後の版だと,
「軍事が内閣に関与出来る様にしなければならない」
と正反対.
ちなみに中公の清水訳では,該当の部分は
「最高司令官を内閣の一員として,主要な評議や決議に参加させることである」
となっています.
扶桑書房のレクラム版では,
「最高司令官を内閣の一員に加え・・・内閣は,彼の最も重要な決定に関与・・・」
です.
Howard&Paretの"On War"では,注で初版と第2版の相違に触れつつ,
... to make the commander-in-chief a member of the cabinet, so that the cabinet can share in the major aspect of his activities.
としています.
ただしここの英訳は必ずしも正確とは言えない.
ドイツ語(レクラム版,S.335)だと,以下の文章になる.
括弧のところはパレットの英語版の注釈では省略されているところ.
so bleibt, (wo der Staatsmann und der Soldat nicht in einer Person vereinigt sind,)
nur ein gutes Mittel uebrig, naemlich den obersten Feldherrn zum Mitglied des Kabinetts zu machen, damit dasselbe Teil an den Hauptmomenten seines Handelns nehme.
政治家と軍人とが同一人のうちに体現されていない限り,とるべき手段はただ一つしかない.
すなわち,最高司令官を内閣の一員として,主要な評議や決議に参加させることである.(清水訳)
英訳版は,so that the cabinet can share in the major aspect of his activitiesだが,副文の主語を勝手に the cabinetとしているので,日本語訳をするときに誤訳が生じている.
清水訳は,ここの部分の主語をzum Mitglied des Kabinetts(内閣の一員→das Mitglied des Kabinetts=daselbe)でとっているので,原文を照らし合わせてみると清水訳の方が正しい.
どうも芙蓉書房のレクラム版は,英訳の影響を受けすぎている気がする.
軍事板,2009/08/17(月)〜08/19(水)
青文字:加筆改修部分
▼なお,戦略論大系シリーズには,けっこうな分量の解説論文がついてます.
ちなみに,レクラム版自体もクラウゼヴィッツ「戦争論」の抄訳です.
軍事板,2002/02/25
青文字:加筆改修部分

▼96 :名無し三等兵:2012/02/08(水) 00:25:24.02 ID:???
ドイツ語を学んで独語版を読むのが一番忠実だよ!だよ!
軍事板,2012/02/08(水)
青文字:加筆改修部分

【質問】
「戦争論」って岩波と中公,どっちのほうがいいんでしょうか?
【回答】
岩波の,今いち分からん表現のところを,徳間と芙蓉ので確認しながら読み進むというのが,海の人的には分かり易かったれす.
翻訳に難があったとしても,全訳という価値を考えると,やはり軸は岩波ですなぁ.
(別に谷沢さん罵倒するところの,明治の衒学者のごとく,全訳を礼賛するわけじゃないけれど)
海の人●海の砒素:軍事板,2002/07/16
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦争論の完全版って,どこの出版社から出ていますか?
【回答】
ドイツのレクラム社
日本では,
・日本クラウゼヴィッツ学会訳,「戦争論レクラム版」,芙蓉書房出版,省略あり
・篠田英雄訳,「戦争論」上中下,岩波書店
・完訳だったら,中公文庫版
【質問】
これから『戦争論』を読もうと思うのですが,留意しておくべきことはありますか?
【回答】
経験者からのおせっかいをひとつ.
まず,がんばって全部読みましょう.
一度で読めなくても,繰り返し,
ちょっとずつでも消化して,全文読破をするべきだと思います.
戦史や当時の人物など,「知らない」「興味が湧かない」記述にぶつかったら,読むのをやめ,戦史を勉強しましょう.
ビジネスマン向けの解説書や,抄訳にうかつに手を出さない方が賢明と思います.
(その意味では,中公文庫版の解説もどうかと思います.
そういえば,解説書いている是元信義って,「戦史の名言」(PHP文庫)も書いてましたね.
世界の艦船の書評に載っていたんで買ってみたんですが,「広く浅く」って感じでした)
また,本書は研究書であり,ハウツー本ではないので,文中の「すべきである」といった記述を,術としてではなく理論として読むと,全体の思想を理解し易いかもしれません.
ともあれ,かつてのクラウゼヴィッツの後輩や,後世の批判者などのような誤解をしないよう,じっくり読むことが重要かと思います.
えらそうなことを書きまして,申し訳ありませんが,なにかのお役に立てば.
軍事板,2002/01/13
青文字:加筆改修部分
【質問】
『クラウゼヴィッツ「戦争論」入門』ってのが復刊するみたいだが,どういう内容?
【回答】
井門満明『クラウゼヴィッツ「戦争論」入門』(原書房,2010.7)は,クラウゼヴィッツ『戦争論』の内容を丹念に読み込み,要点を無駄なくまとめた名著.
ナポレオン戦争中の戦史なんかは,巻末にまとめられているけど,ほとんど余計な言及なんかがないから,戦争論をきちんと読んでいこうとするにはいい本.
ある種,戦争論を読まなくても,読み解かなくてはいけないポイントは,原文に沿って全部おさえている.
正統派の入門だから,マンガ入りの入門と違って,いつまでも古びなくていい本だと思う.
軍事板,2010/07/06(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
クラウゼヴィッツは主力決戦主義者なの?
【回答】
No.
クラウゼヴィッツは「戦争に勝利するためには決戦をせねばならない」とは書いておりません.
戦争の勝利=敵国の交戦能力の消滅=敵国の戦闘力の消滅=敵野戦軍の撃滅といっているだけです.
そして,敵野戦軍を完全に撃滅できなくても戦争に勝利する場合もある,と書いております.
この記述は,戦争の勝利が敵国の戦闘力を叩くことをまったく考慮せずとも達成できる,という当時の一部の兵法に対する批判を含めているので,それをふまえる必要があります.
つまり,戦争の勝利は敵国が交戦意欲を失えば得られるわけですが,たとえ敵国の首都や欲しい領土を奪取したとしても,敵国が停戦に応じず,そのうえ敵の戦闘力が保持されたままであれば,戦争が終わらない可能性がある,ということを指摘しているわけです.
さらに敵野戦軍の撃滅には,主力同士の決戦が必ずしも必要でない場合があります.
要するに敵野戦軍が戦闘能力を喪失すればよいわけですから,敵の弱い部分を攻め,突破し,分断し,混乱させ,各個撃破する,という戦術が生まれることにもなります.
つまり,敵野戦軍の撃滅を達成するために必要なのが敵戦闘力の無力化で,弱いところを攻める,というのはそのための手段,ということになります.
ちなみに,クラウゼヴィッツは主力同士の決戦を主張した,と誤読したひとは多く,後のプロイセン参謀本部の一部にもそのような空気があったようです.
【質問】
ご多忙のところ恐縮ですが,質問させていただきます.
杉之尾宜生『戦略論体系1孫子』におきまして,クラウゼヴィッツは戦争の定義に関し,
「この定義はあくまでも観念上のもので,『現実の戦争』では,理論の上では取り除いた不純物がまといつき,すっかりその様相・形態を変貌させると述べてはいる.
しかし,クラウゼヴィッツの後継者達は,彼の注意喚起を気づかずにか,あるいは無視してか,その後の軍事科学技術の驚異的な発展との相乗効果の上に,彼が述べた『概念の戦争』である『絶対的戦争』を,現実の世界に顕現させようと,ひたすらに努力したのであった」(p.194-195)
とありますが,そのような「努力」は本当にあったのでしょうか?
消印所沢 in twitter,2012.2.22
【回答】
「努力」かどうかはわかりませんが,勘違いしていた面はあるかと.
クラウゼヴィッツは2人おりまして,1827年以前の人格である「観念主義者」と,それ以降の人格である「現実主義者」です.
それで,後継者たちが必死に習おうとしたのが,前者の「観念主義者」のクラウゼヴィッツのほうということは言えます.
つまり「努力」していたというよりは,「戦争論」の複雑性をわからずに,勝手に解釈したというほうが正確かと.
奥山真司 in twitter,2012.2.23
https://twitter.com/#!/masatheman/status/172408473525567488
https://twitter.com/#!/masatheman/status/172410758389444608
横槍失礼.
政治に対する軍事の優越の主張.
攻勢主義.
兵力の空間的・時間的集中.
とくに1つ目.
自分たちが好き勝手に行動するための「努力」はあったと思います.
山田洋行 in twitter, 2012.2.23
【質問】
『戦争論』は,
「クラウゼヴィッツによって全てがうまく行く!」
というような「ハウツー本」なのか?
【回答】
ブログ『地政学を英国で学ぶ』,2005-05-19-03:52付によれば,それは大きな間違いなのだという.
なぜなら,クラウゼヴィッツ自身が『戦争論』をハウツー本として書いておらず,戦争を知らない人(?)に向けて,「戦争とはこういう性質のものだ」という説明を意図して書いたものなのだからだという.
同ブログによれば,「こうすれば勝てる」というハウツー本の典型的なものは,むしろジョミニのほうだとしている.
同ブログによれば,クラウゼヴィッツの主張は,3つに要約できるという.
1,戦争には政策的,機能的な目的(instrumental purpose)がある,ということ.
2,すべての戦争はエスカレートする傾向があること.
3,戦争には三つの要素(人民,軍隊,政府)がうまくかみ合わないと勝てない.
また,この「戦争論」全体に貫かれているものには
1,歴史主義
2,ロマン主義
3,ドイツ観念論
4,戦争は科学で割り切れない.むしろアートである.
5,とにかく戦争には予測不可能な事態が起こる.
6,人間的な面を絶対に忘れてはならない.
7,絶対的な戦争(absolute war)というのはありえない=フィクション
などの特徴があると指摘されている.
詳しくは同ブログを参照されたし.
【質問】
クラウゼヴィッツは,テロの起こる現代においてはすでに時代遅れになった考えなのでは?
【回答】
ブログ『地政学を英国で学』,2005-05-20-04:46付によれば,それはちょっと厄介な間違いなのだという.
そのような主張をしている人に,マーティン・ヴァン・クレヴェルドというユダヤ系の戦略家や,ロンドン大学(LSE)の正教授,メアリー・カルドーがいるが,クラウゼヴィッツは戦争の性質というものを理論化していただけなのであって,結局どういう形であれ,「政治の継続としての暴力的な手段の行使」というのは変化しない,ということを説明しているのだという.
また同ブログは,たしかに「戦争論」の第1章28節において,クラウゼヴィッツは三位一体を「国民」「軍隊」「政府」になぞらえるとは言っているのですが,実はこれは本来の三位一体の基本三要素ではなく,本当の基本三要素は「暴力行為」「偶然性」「知性」なのであると述べる.
よって,「国民」「軍隊」「政府」というのは,実は「暴力行為」「偶然性」「知性」という基本三要素が発展した,いわゆる二次的なものであり,二次的な部分である「政府」という部分だけを取り上げて,
「ホラ見たことかいな,クラウゼヴィッツは国家間戦争だけを考えてる!間違っとるわいな!」
としているヴァン・クレヴェルドの指摘こそ,間違いなのだという.
[quote]
ちなみに冷戦後の世界ではクラウゼヴィッツの理論が時代遅れになったという批判が欧米の学界ではかなり噴出したのですが,どっこいテロの時代でもクラウゼヴィッツの理論は生きている,というのがうちの先生らの意見です.
[/quote]
???「地政学を英国で学ぶ」,2005-05-08-06:13
【質問】
現代において『戦争論』の持つ意味なんて,シビリアン・コントロールの権威付けぐらいでは?
【回答】
それは古い解釈だね.
クレフェルトとか,マーレーとか,ホーニヒの論文を読むと考えが変わるよ.
たとえば,クレフェルトはクラウゼヴィッツの視点が,国家間戦争,合理性の中の営みに限定されているという点に注目して,非対称戦争の問題点をえぐり出すための土台にしている.
マーレーなんかは,現代アメリカのテクノロジー優先を批判するため,クラウゼヴィッツの「摩擦」なんかをよく使っている.
ホーニヒなんかは,まさに『戦争論』が政治のみに限定して,議論されてきた問題点を批判してるね.
ハワードとかパレットなんかは,まさに政治に関する議論を過度に強調しすぎた嫌いがあったから.
出版から200年経っても,多角的な視野を提供してくれる文献として,今でも古典の位置を占めるのだから,表現についても議論されるのは別に不思議でもないんじゃない?
現代に至るまでの変遷を正しく認知していないと,今の現状を正しく理解はできないし,未来のことを正しく予測なんてできないよ.
クラウゼヴィッツの全てがそのまま現代で通用しないのは当たり前の前提なんだから.
古いの一言で切り捨てられるなら,歴史なんて学ぶ必要はない.
過去を遠くまで見渡すことができれば,未来もより遠く見通せるやら,って誰か言ってたね.
若いならもっと視野を広く持たないと駄目だよ.
軍事板,2009/08/19(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
御三方とも,啓蒙の残滓でしかない『戦争論』についての議論なしに,無条件にありがたがってるっていうことには変わりないんじゃないの?
【回答】
本を読んでもらった方がいいと思う.
清水・石津『クラウゼヴィッツと「戦争論」』に該当の論文があるから,既にそういう段階を遙かに越えて議論が進んでいることが分かるはず.
現状進んでいるクラウゼヴィッツ・ルネサンスの方向性は,『戦争論』の卓越性は共通の前提としつつも,その成立過程,戦争の本質をめぐる議論,現状の戦争への適用の問題なんかが議論されているね.
クレフェルトもまさにその立場,
でもクレフェルトとのクラウゼヴィッツ批判は批判も多いし,そもそもナポレオン戦争以降の国民戦争を批判した文献に,21世紀の非対称戦争のことが書かれていないじゃないかと言ってもしょうがないんじゃないかと思うけどね.
でも,『戦争論』は非対称戦争についても有意義な指摘を残しているし,クレフェルトの批判はその点を無視しているね.
軍事板,2009/08/20(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
クラウゼヴィッツは政治以外の視点を主張してたっけ?
【回答】
戦争の「三位一体」とか,「摩擦」とか,「重心」とか.
政治だけじゃないよ.
多角的な視野という意味では,「重心」も重要な視野ではあるよ.
軍事戦略の面においては今でもよく使われるね.
ちなみにクラウゼヴィッツは,かなり広い社会的背景をも含めて議論しているから,文化や嫌悪(感情として認識)など,かなりいろいろな領域について触れている.
もちろん時代的制約から,経済や兵站の分野に関する議論は少ないけど,ナポレオン戦争以降の国民戦争を分析する根本的な視点という意味では,いまでも一流の研究だよ.
軍事板,2009/08/20(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「戦争論」を買って今後読もうと思っています.
絶対に読んでおくべき章(逆にあまり読む必要の無い章)があるなら,教えて頂きたいのですが・・・
【回答】
我々軍ヲタであれば,序文から第3編まで読めば,結構なボリュームになるのではないかと.
その中でも,序文の覚え書きと,第1編第1章は,戦争論全てを規範する文章であって,何度でも繰り返し読んだ方がよいのではないかと思います.
第4編以降に関しては,作戦・戦術に関する技術的な解説が多くなってきますので,本職でない限りは,そんなにリキ入れて読む必要は無いと思います.
何かのおりにでも,ちょこちょこ読んで,また第1編を読み返す,というようなペースで十分ではないかと.
海の人:軍事板,2001/12/11
青文字:加筆改修部分
海の人さんもおっしゃっていますが,第1〜3編は必読.
あとは第8編でしょうか.
そこまでいったら,あとは第4編を.
5〜7は後回しでもいいかと思います.
ただし,クラウゼヴィッツは4〜7を前提として,1〜3編を理論づけていますので,最終的には目を通す必要はあるかもしれません.
軍事板,2001/12/11
青文字:加筆改修部分
【質問】
クラウゼヴィッツの戦争論を分かり易く解説した本てないですかね?
今まで岩波版レクラム版徳間の淡版大橋の解説柘植の解説!を読んだけれど,あまり理解できないんです.
こんな俺は文書読解能力がないんでしょうか?
今,手元に中公文庫版があるけれど,これを読んで理解できなかったらと思うと,怖くて読めない.
【回答】
「戦争論」を分かりやすく,とのことですが,ハイデガー,カント,スピノザ,ドゥルーズなどを分かりやすく読むことが難しいのと同様,クラウゼヴィッツも,その重要な部分を落とさず解説すれば,分かり易くはならず,あまりにも簡単に説明すれば,重要な部分が削がれるというように思います.
結局,ゆっくり時間をかけ,戦史に親しみ,何度も読んでは自分の中でかみ砕くという作業が必要だと思います.
「戦争論」は,もともと一般の人向けに書かれたものではなく,ひらたく読んで,そく理解,というのは無理ではないかと思います.
生意気なことをいわせていただければ,それこそ読書の楽しみなのだと感じるところです.
私は岩波文庫版を20年前(中学時代)に購入し,それこそすり切れるまで読みましたが,最近中公文庫版を改めて読み直し,いまだ勉強中と感じています.
ただ,わかりにくい部分は,掲示板などで質問すれば,詳しい方の,それぞれの解釈や解説を得ることはできるかもしれません.
軍事板,2002/02/05
青文字:加筆改修部分
【質問】
知り合いからの質問で
「クラゼヴィッツの『戦争論』が読みたいんだけど,原著は難解過ぎるから何か読みやすいのはないか?」
というものがあったんです.
軍事学への入門というより,とりあえず『戦争論』自体を読み解きたいということらしいです.
良い本があればお教え願えませんでしょうか.
VF-22 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
【回答】
どうでしょうねえ.
以下のようなものがあることはあるのですが,当方は未読ゆえ,評価は控えます.
『図解クラウゼヴィッツ「戦争論」入門』 (是本信義著,中経出版,2006.10)
『クラウゼヴィッツの戦争論のことがマンガで3時間でマスターできる本』(杉之尾宜生著,明日香出版社,2003.2)
ただ一般的に申しまして,分かり易いとか,すぐ分かるといった本は,要するに「ごく大雑把にはしょって書いてある」ということとほぼ同義ですので.
それに当時のナポレオン戦役の知識があったほうがいいと思いますので,いきなり戦争論に行かずに,ナポレオン戦役の娯楽的な読本を読むという,ワン・クッションを置いたほうがいいかもしれません.
それこそ
『ナポレオン 獅子の時代』(長谷川哲也著,少年画報社)
でも,
『ナポレオンの生涯』(ロジェ・デュフレス著,白水社,2004.2)
でも,
『ナポレオン秘話』(ジョルジュ・ルノートル著,白水社,1991.8)
でも,
『勇将ジェラールの冒険』(コナン・ドイル著,創元推理文庫,1971)
でも.
消印所沢 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
そう言えば,早川文庫に『ナポレオン戦争の勇者たち』シリーズ(海のホーンブロワーものみたいな感じの)がありましたけど,2冊で打ち止めなんですよねぇ.
Italy戦役の後,Egyptに進出するところで終わりで,その後の美味しいとこは未だ出てないんですよねぇ.
再開してくれないかなぁ.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
>・図解クラウゼヴィッツ「戦争論」入門 (是本 信義/ 出版:中経出版)
コレ持ってた.「2時間でわかる図解」シリーズ.
軍事学入門な内容で,クラウゼヴィッツや彼の生きた時代に関する記述は少なく,ワーテルロー会戦くらい.
むしろ実例であげられたポエニ戦争・第二次世界大戦・日本の戦国時代の話がページも多く,面白かったです.
CRACKER(・x・) in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
・クラウゼヴィッツの戦争論のことがマンガで3時間でマスターできる本
を自分で読んでみました.
大雑把な「戦争論」解説が十数ページ(半分は漫画).
クラウゼヴィッツの人となりが十数ページ(半分は漫画).
残る半分以上のページが,ビジネスと軍事のかかわり,ビジネスにおける戦争論の応用……(半分は漫画).
要するにビジネス書でした.
「戦争論」の中身に関する突っ込んだ話は殆どありません.
初心者でしたら本書は読む意味がありません.
▼……と思いましたが,考えてみれば軍事のみに関心がある層より,ビジネスに関心がある層のほうが厚そうなので,商業的には「あり」なんでしょう.▲
消印所沢 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
『クラウゼウィッツ兵法ナポレオンに勝った名参謀の戦略』(大橋武夫著,マネジメント社,1980.4)
が割と使える.
自分が使ってる本.
内容は,文字ばかりで,ところどころに図がつく程度.
文章は硬いし,高校以上の教科書に似てる感じ.読書慣れしていないと,読むのはきついかも.
しかし,中古が安く手に入るのと,前半部の戦争論からの名言抜粋と,実際の戦場を例にした解説が,面白いと思う.
値段のわりに使える.
極東の名無し三等兵 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
【関連リンク】
「Flying Spaghetti Monster」:戦争論のススメ
【質問】
クラウゼヴィッツは,「ナポレオン戦争で幾多の経験を積んで昇進を重ね,陸軍士官学校の校長まで務めた(林信吾著『戦争に強くなる本』 p,22)
というのは本当ですか?
【回答】
……それ,閑職なんですが.
クラさんは,ナポレオンへの抵抗運動に参加するため,プロイセン軍を離脱してロシア軍に入ったんですが,プロイセンはロシアとも敵対していたため,帰国後に彼は非難され,プロイセン軍にはなかなか復帰できず,ロシア軍の連絡将校扱いされるわ,そういう閑職に回されるわという羽目に.
ホホイの記述は,大きな誤解を招きかねません.
▼クラウゼヴィッツについてですが,私は米国防省がやっている以下のサイトを参考にしております.
http://www.clausewitz.com/CWZHOME/CWZSUMM/CWORKHOL.htm#AShortBiography
この中で以下の箇所があります.
=====
n the Russian service, Clausewitz was somewhat hobbled by his ignorance of the Russian language. He nonetheless participated in the drawn-out Russian retreat, fought in the slaughterhouse battle at Borodino, and witnessed the disastrous French retreat from Moscow, including the catastrophic crossing of the Beresina river. Slipping through the French lines, he played a key role in negotiating the "Convention of Tauroggen," which infuriated the King, brought about the defection of General H.D.L. Yorck von Wartenburg's Prussian corps from the French army, and eventually forced Prussia into the anti-French coalition.
None of this won him any affection at court in Berlin, where he was referred to on at least one occasion as "Louse-witz."*14 Still, Prussia's change of sides led, after some delay, to his reinstatement as a colonel in the Prussian army. Clausewitz participated in many key events of the War of Liberation (1813-1814), but bad luck and the lingering resentment of the King prevented him from obtaining any significant command. He served instead as an aide to General August von Gneisenau, Field Marshal G.L. von Blucher's chief of staff 1813-1815 and one of the principal leaders of Prussia's military rebirth. He sometimes found himself in the thick of combat, as at Lutzen (Grossgorschen) in 1813, where he led several cavalry charges and was wounded. (Scharnhorst died of wounds received in the same battle.)
During the campaign of 1815, Clausewitz served as chief of staff to Prussia's 3rd Corps commander, General J.A. von Thielmann. The corps fought at Ligny, successfully extricating itself from the Prussian defeat there. Then, outnumbered two to one, it played a crucial if often uncelebrated rear-guard action at Wavre. This action prevented Marshal Grouchy's detached forces from rejoining Napoleon at Waterloo.*15
In 1818, Clausewitz was promoted to general and became administrative head of the General War College in Berlin. Perhaps because of the conservative reaction in Prussia after 1819, during which many of the liberal reforms of the war years were weakened or rescinded, this position offered him little opportunity to try out his educational theories or to influence national policy. He had nothing to do with actual instruction at the school. Clausewitz therefore spent his abundant leisure time quietly, writing studies of various campaigns and preparing the theoretical work which eventually became On War.
Clausewitz returned to active duty with the army in 1830, when he was appointed commander of a group of artillery brigades stationed in eastern Prussia. When revolutions in Paris and Poland seemed to presage a new general European war, he was appointed chief of staff to Field Marshal Gneisenau and the Army of Observation sent to the Polish border.
====
これから見ると,回答の中にある「帰国後,非難され,プロイセン軍にはなかなか復帰できずにロシア軍の連絡将校扱いされるわ,そういう閑職に回されるわという羽目に」というのはちょっと微妙ですね.
王様に嫌われていたことは確かですが.
むしろここでハッキリしているのは,プロイセン軍の中の保守的な雰囲気があったために,改革派と見られていたクラウゼヴィッツは嫌われた,という国内的な事情ですよね.
同じような記述はピーター・パレの「戦争論」の英訳版の解説(p.19)の中にもありました.
ということで,私が確認できるのは,
1,閑職だったことはおそらく本当
2,ロシアの連絡将校と見られていたかどうかは微妙
3,改革派と見られていたために嫌われていたというのは本当.
コバケン by mail

▼アレクサンドル1世は,見た目こそ玉葱頭の薄らハゲだが,人を見る目はあったかもしれんな.
クトゥーゾフやバクラチオン,バルクライ・ドゥ・トーリーのみならず,一時はジョミニやクラウゼヴィッツも召し抱えてた.
そこ行くとルイ14世って,人を見る目がなかったんだなあ.
プリンツ・オイゲン(のちの神聖ローマ帝国随一の名将)を用いなかったんだから.
プリンツ・オイゲンは見栄えが悪いうえに,同性愛疑惑もあるから,気持ちも分からないではないが.
395 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/04/21(火) 14:06:21 ID:???
アレクサンドル1世というと,どうしても長谷川哲也のあれしか思い浮かばない…
あの髪型が,そこそこ史実に忠実だと知って驚いたもんだ.
396 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/04/21(火) 18:14:34 ID:???
なんの事だろうと思って,ググって見てびっくり.
軍事板,2009/04/21(火)
青文字:加筆改修部分

【質問】
『戦争論』の出版は奥様の仕事だったってホント?
【回答】
そうだったよな.
と思いつつ序文を読み返すと,
??????
われわれの幸福な結婚生活を知り,また,どんなに私たちが,喜びや悲しみばかりでなく,日常生活のいかなる仕事も関心事も”すべて”共に分かち合ってきたかを知っている人は,私の愛する夫が私に知らせずにこの仕事を行えないことを知っています.
ですから私以外には誰も,夫が著作に捧げた情熱と愛情,この著作につないだ希望,さらにこの著書の成立の過程や時期について証言することはできません.
??????
・・・やっぱり良い夫婦だったようだ.
クラウゼヴィッツ家と奥さんの家系とは,結構差があったらしい(奥さんの方が上)
奥さん(マリー本人)は気にしなかったようだが,そうはいかないのが当時の社会で・・・
そうこうしている間に,クラウゼヴィッツはフランスの捕虜になるわ,帰国してからは「ジャコバン (プロイセン社会の改革派)」として国王から嫌われるわ・・・
こういう難局を経て,ようやく結婚できた二人だ.
男から見ると「良く出来た嫁」だが,クラウゼヴィッツ本人としては,奥さんには頭が上がらないところが多かったんじゃなかろうか.
軍事板,2009/04/21(火)

総記別館
http://www.geocities.jp/p_tokorozawa/faq12e02c.html






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2020年05月16日

Boccacio「デカメロン」〜中世ペスト終焉後の世界はどうなったか

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Boccacio「デカメロン」〜中世ペスト終焉後の世界はどうなったか
人類と感染症の歴史 克服した文明のみが生き残る
5/15(金) 7:05配信
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は5月1日、「多くの市民の協力により爆発的な感染拡大(オーバーシュート)は免れたものの、長丁場に備え、感染拡大を予防する『新しい生活様式』に移行していく必要がある」と提言した。世の関心は「いつになれば元通りの生活ができるのか」という一点に集中するが、もう“元通りの生活”は戻ってこないと覚悟するべきなのだ。つまり、私たちはこれからも、この新しいウイルスと生きていかなければならないにほかならない。ひとまず4日には緊急事態宣言が延長され、子供たちの休校や外出自粛期間は継続されることになった。社会生活や経済活動が大きく制限され、レジャーはもちろん、職場に行くことや買い物さえままならない。新たな収録を行えないため、テレビをつけても「総集編」や「再放送」ばかり──「こんな異常事態は経験したことがない」。誰もがそう感じているはずだが、実は有史以来の人類の歴史を振り返ると、そこには常に感染症との闘いがあったといっても過言ではない。
古くは14世紀に流行したペスト。「黒死病」と呼ばれヨーロッパで猛威をふるい、人口の約半数が死亡したとも伝えられる。そんな折に書かれたのが中世イタリアを代表する文学作品『デカメロン』だ。
このタイトルはギリシャ語で「10日間」という意味を持つ。都市部のフィレンツェからペストを避けて田園へと疎開した富裕な男女10人が、10日間を使って1日1話ずつ語るという設定で、エロスもふんだんに盛り込まれる同作だが、現代に至るまで傑作であると評価されるのは、彼らの語る物語の背景に「ペストへの恐怖」「死からの心理的逃避」があるからだといわれる。
ペストによってヨーロッパは人口激減に見舞われ、社会は大きな変革を迎える。それまで農民は封建領主に奴隷のように扱われてきたが、ペストで農民の数が激減したことで、そうした荘園制が崩壊。キリスト教の厳格な支配も、「こんなに無慈悲に人が死んでいくのだから、神なんているはずがない」という庶民の“気づき”によって崩れていく。疫病は結果的に、封建的身分制度を解体させ、中世という暗い時代が終わりを告げる。ペスト流行が落ち着いたとき、ヨーロッパでは華やかで人間的なルネサンス期が始まり、近代へ続く扉が開いた。
このように感染症は世界史にも大きく関与し続けてきた。
時は大航海時代の16世紀。スペインの軍人フランシスコ・ピサロは、金銀を産出する南米のインカ帝国を征服しようと侵攻する。当時、皇位継承をめぐり内戦状態にあったインカ帝国の混乱に乗じ、たった170人の兵で8万の兵を擁するインカ帝国を征服したと伝わる。
なぜそんなことができたのか。教科書のうえでは「馬と鉄器」を持つスペインと持たないインカの「軍事力の差」として説明される。しかし実はその背後には伝染病の「天然痘」があった。すでに免疫を獲得していたスペイン人が天然痘ウイルスを持ち込み、免疫を持たないインカ側は人口の6〜9割もの人たちが天然痘によって命を落としたとされる。先住民らは、病に屈しない侵略者と自分たちの違いは「信仰」にあると考え、キリスト教を信仰するようになった。
■石川啄木、樋口一葉、竹久夢二、中原中也も
東京外国語大学大学院教授で国際政治学者の篠田英朗さんが解説する。
「スペインによるインカ帝国征服では、武器で殺された先住民よりも天然痘の感染によって死んだ人の方が多かった。一方で、第一次世界大戦時には、アメリカで生まれ、アメリカの軍人が持ち込んだウイルスが原因である『スペイン風邪』によりヨーロッパの没落が加速。ウイルスを持ち込んだアメリカは一層の覇権を獲得しました。すなわち、感染症を克服した文明は生き残り、そうでない方が淘汰されるということが、人類の歴史では繰り返されてきたのです」
新型コロナの感染拡大とともに再び脚光を浴び、この4月、国内での累計発行部数が100万部を超えた小説がある。ノーベル文学賞受賞作家、アルベール・カミュの小説『ペスト』(1947年発表)。突然降り注ぐ感染症という不条理な災厄に対して人々がどう立ち向かうかを描いた物語で、現代の新型コロナに苦しむ私たちと符合する点があまりにも多い。
日本でも、明治期に活躍した歌人の正岡子規もやはり感染症である結核に苦しみ、そして死に至った。この病気で落命した文化人は石川啄木、樋口一葉、竹久夢二、中原中也など枚挙にいとまがない。
このように、周期的に見舞われる感染症は、これまでも人類の持つ文明や生活に大きなインパクトを与えてきた。その影響を受けるのは、われわれ人間だけにとどまらない。
『ざんねんないきもの事典』(高橋書店)の監修を務める動物学者で日本動物科学研究所所長の今泉忠明さんが話す。
「1億4000万年もの長い間、地球上に生息し、陸上で最も繁栄していた生物だったとされる恐竜も、一説にはウイルスによる伝染病で絶滅したといわれています」
感染症の原因となる病原体には細菌やウイルスなどがあり、今回の感染症「COVID-19」は、「新型コロナウイルス」と呼ばれるウイルスが“犯人”だ。ウイルスの起源には諸説あるが、少なくとも30億年前には存在したと考えられている。それに比べ、最も古い猿人の登場はおよそ700万年前といわれ、人類の方がウイルスよりもはるかに“新参者”というわけだ。つまり、「コロナウイルスさえなければ」という恨み節は、地球上の生物の歴史から見直すと筋違いといえる。ウイルスのように私たちも変化し、共存していく姿勢が求められているのだ。
※女性セブン2020年5月21・28日号

Yahoo!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200515-00000003-pseven-soci&p=3






ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』〜168人のスペイン軍が8万人のインカに勝利できた理由
外出自粛中に『銃・病原菌・鉄』を読んで分かった 人類史における「新型コロナ」の異様な恐ろしさ
5/2(土) 11:00配信
ジャレド・ダイアモンドによる異色の歴史書『 銃・病原菌・鉄 』。新型コロナウイルスの感染拡大を前に、この世界的ベストセラーを再び手に取る人が増えているという。本書に綴られた「人類とウイルスの歴史」から、“コロナ時代”を生きる私たちが学べるものとは――。大阪大学医学部教授で病理学の専門家、仲野徹氏が紹介する!
■『銃・病原菌・鉄』
『銃・病原菌・鉄』、いわずとしれた、ピューリッツァー賞に輝いたジャレド・ダイアモンドの名著である。
ニューギニア人であるヤリの「なぜヨーロッパ人がニューギニア人を征服し、ニューギニア人がヨーロッパ人を征服することにならなかったのか?」という問いに答えるべく書かれたこの本。人類1万3000年の歴史について、人類学、地理学、遺伝学だけでなく、植物学や言語学も駆使して、文字通り縦横無尽に論が展開されていく。
畢生の名著が快刀乱麻を断つがごとく導き出す結論は極めて明快である。世界における文明発祥の違いや現代世界における富と権力の不均衡を生み出したのは、「人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」ということだ。
さらに、「人類社会を形成したのは、征服と疫病と殺戮の歴史」であったとする。そのことを説明する顕著な例としてあげられているのが、スペイン人フランシスコ・ピサロによるインカ帝国の征服だ。文字を読むことすらできなかったピサロが、ならず者の部下といっしょに、いかにしてそのような「偉業」を成し遂げることができたのか、その答えが、タイトルの『銃・病原菌・鉄』である。
■168人の軍勢で8万人に勝利できた理由
1532年、ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会った時、一瞬といっていいほどの時間で、その勝負に決着がついた。何百万の臣民を抱える皇帝アタワルパの率いる兵士は8万人。それに対するピサロの軍勢はわずか168人にすぎなかったにも関わらず、あっという間にアタワルパが捕らえられてしまったのだ。
インカの人びとがそれまでに見たこともなかった動物である馬の突撃、銃による攻撃のインパクトが大きすぎて、驚きのあまり逃げ惑うしかなかったのだ。そして、武器を作り出す素材の違い。インカには石や青銅で作られた棍棒のような武器しかなかったが、ピサロ軍団は鉄製の武器を持っていた。勝負にならなかったのは当然だ。ちなみに、鉄や銃は、ユーラシア大陸において、その地の利から発明され伝播されたものである。
しかし、インカ帝国を滅亡に導いた最大の要因は、もうひとつ別のものであった。
■「人口の95パーセントを葬り去ってしまった」
それは天然痘。
「ヨーロッパからの移住者たちが持ち込んだ疫病は、彼らが移住地域を拡大するより速い速度で南北アメリカ大陸の先住民部族のあいだに広まり、コロンブスの大陸発見以前の人口の95パーセントを葬り去ってしまった」
のであるから、そのすさまじさがわかろうというものだ。
これで、銃、病原菌、鉄が出そろった。こまかいことをいうと、天然痘はウイルスによるものだから、病原「菌」ではない。原題は、「Guns, Germs, and Steel」で、Germsに「病原菌」という訳語があてられている。germというのは、日本語でいうとバイ菌といったところなので概念としては細菌とウイルスの両方を含んでいるということを、ダイアモンドの名誉のため(?)に言っておきたい。
ことほどさように、人類は新規の病原体に弱いのだ。天然痘のように病原性の強いウイルスならばなおさらだ。ただ、インカ帝国は天然痘ウイルスのせいで滅亡してしまったが、最終的に人類は天然痘ウイルスに打ち勝った。これまでに、地球上から撲滅された唯一の感染症が天然痘だ。いまやそのウイルスは、ロシアと米国の研究所の冷凍庫の中にしか存在しない。
■感染症を撲滅するには“三つの条件”が必要 
天然痘を撲滅できた最大の理由は、言うまでもなく種痘(=天然痘ワクチン)の開発である。18世紀の終わりに英国のエドワード・ジェンナーが開発した種痘は世界中に広まった。そして、1977年のソマリア人青年アリ・マオ・マーランを最後の自然感染の天然痘患者にして、世界保健機関(WHO)が3年後の1980年に撲滅を宣言した。
ある感染症を撲滅するには、三つの条件が必要である。ひとつはもちろんワクチンの存在。あとのふたつは、不顕性感染(症状を呈さない感染)がないことと、ヒト以外に宿主がない、すなわち、ヒト以外には感染しないことだ。逆に考えると、この三つの条件を満たさない場合は、やっつけるのに骨がおれる、ということになる。
なぜ新型コロナウイルスは厄介なのか?
新型コロナウイルス、本名SARS-CoV-2という。CoVはコロナウイルスの略で、SARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルス(SARS-CoV)に似たウイルスという意味である。その新型コロナウイルスは、いまのところワクチンはない。不顕性感染はおそらくかなり多い。そして、これも確証はないが、コウモリのウイルスが起源ではないかとされている。三拍子そろって厄介なウイルスなのだ。
知らない間に、そのウイルスに対する免疫能を獲得できるのだから、一般論としては不顕性感染が多いというのは、決して悪いことではない。しかし、新型コロナウイルスのように、死に至る重症化率が高い場合は大きな問題になる。不顕性感染の患者が、知らない間にウイルスをばらまいている可能性が出てくるためだ。だから、“三つの密”の回避が必要になる。
■最も恐ろしいのは「情報の欠如」だ
インカ帝国の滅亡には、もうひとつ大きな理由があった。それは、情報不足である。インカ帝国には文字がなく、紐の結び目で記録するキープという方法しかなかった。なので、ピサロたちについての正確な情報が、アタワルパに伝わっていなかった。馬、鉄の武器、銃について、前もって情報を得ていたら、恐怖のためにひたすら逃げ惑うようなことはなかっただろう。一方のピサロは文字が読めなかったが、読み書きのできる部下たちからインカ帝国の状況について適切な情報を得ていた。
新型コロナウイルスの最も恐ろしいところは、その情報の少なさである。いまだに、どこからやってきたのか、不顕性感染がどれくらいの率なのか、ちゃんと免疫能が獲得できるのか、など、不確定なことが多すぎる。情報の欠如と、それによる人心の惑いがいかに恐ろしい結末をもたらしてしまうか。我々はアタワルパの悲劇から学んでおいたほうがよさそうだ。
天然痘は新大陸に新しい「秩序」をもたらした。新型コロナウイルスが恐ろしいとはいえ、天然痘の爆発的な感染力と病原性の強さには比ぶべくもないし、時代も違う。それでも、新型コロナウイルス後の世界秩序は大きく違ったものになるだろう。その時、すこしでも良い世界が訪れるように、個人としてできることを考えておきたい。この緊急事態宣言で外出ができない退屈な毎日に。

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2020年05月13日

アルベール・カミュ「ペスト」〜ペスト感染で封鎖された1940年代フランスの町

アルベール・カミュ「ペスト」〜ペスト感染で封鎖された1940年代フランスの町
コロナ禍の現在と酷似、日常を取り戻す道は 災厄の時代に読む『ペスト』(上)
5/13(水) 7:02配信
アルベール・カミュ著『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮文庫)の発行が累計120万部を突破、さらに部数を伸ばしている。450ページ超の長編で、決して楽に読める小説ではない。それでも売れているのは、小説が描きだす世界が、新型コロナウイルスの猛威に苦しむ私たちの「いま」に酷似しているからだろう。
ではその小説は、私たちが直面する困難を生き延びるための羅針盤となり得るのか。なり得るとすれば、それは社会や個人に対して、何を指し示しているのか。
2人の女性作家とビデオ会議アプリ「Zoom(ズーム)」を使った読書会を開き、小説『ペスト』の世界と現在の社会状況を重ね合わせた。2人の助けを借りて、2回にわたって考察する。(共同通信=田村文)
■孤立した町オランが舞台の群像劇
読書会に参加してもらったのは「雪子さんの足音」などで知られる木村紅美さんと、「自画像」「君たちは今が世界(すべて)」などの作品がある朝比奈あすかさん。木村さんは学生時代、この小説を読んで作家を志した。朝比奈さんは東日本大震災直後に読んだという。私を含め3人とも再読して議論に臨んだ。
物語の舞台は1940年代、フランス領アルジェリアの港町オラン。ネズミの死骸が予兆だった。死骸の数が増えていく。やがて人が次々に亡くなる。ペストの感染が始まったのだ。歴史上何度も発生し、人々を混乱の渦に巻き込んだ恐ろしい病。オランは遮断され、孤立する。感染者は隔離され、埋葬場所が足りなくなる。人々は噂に踊らされ、偏見による差別や分断も起きる。
主な登場人物は医師のリウー、外部の町からたまたまオランを訪れていたタルー、やはり偶然、町に来ていた新聞記者のランベール、作家志望の真面目な役人グラン、神父のパヌルー、ペストのおかげで逮捕を免れているらしい犯罪者のコタールら。物語は彼らの群像劇として進行してゆく。
病気の妻を山の療養所に送り出したリウーは、母の援助を受けながらペストと闘う。敗北(患者の死)の連続だが諦めない。タルーやグランらは保健隊を組織し、地道な努力を続ける。しかし、ペストはなかなか去ってゆかない。
『ペスト』には、災厄に襲われたときの人間たちの姿が活写されている。人々は初め、なかなか現実を直視できない。戸惑い、混乱、脅え、いら立ち、疑心暗鬼…。やがて絶望が社会を覆う。
私たちのことが書かれている。そんな錯覚を起こしそうな描写がいくつも出てくる。
「ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった」
「市門の閉鎖の最も顕著な結果の一つは、事実、そんなつもりのまったくなかった人々が突如別離の状態に置かれたことであった」
「ペストの日ざしは、あらゆる色彩を消し、あらゆる喜びを追い払ってしまった」
「ハッカのドロップが薬屋から姿を消してしまったが、それは多くの人々が、不測の感染を予防するために、それをしゃぶるようになったからである」
「ペストは観光旅行の破滅であった」
「ペストはすべての者から、恋愛と、さらに友情の能力さえも奪ってしまった」
木村紅美さん
「絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである」
■われわれはペストの中にいる
木村さんは、初めてこの作品を読んだ大学時代からずっと、登場人物の一人であるタルーへの思い入れが強いという。
タルーは町の外から来ていた「よそ者」だ。運悪くペストに巻き込まれてしまったのだが、その彼が保健隊を組織し、町を救うために命懸けでペストと闘い始める。そのタルーと、やはりペストと格闘する医師のリウーが、物語の後半で対話する。クライマックスの一つだ。
タルーはリウーにこんな告白をする。
「僕はこの町や今度の疫病に出くわすずっと前から、すでにペストに苦しめられていたんだ」。タルーがここで言う「ペスト」とは、比喩である。何を指しているのか。
タルーの父は検事だった。17歳のとき、その父に論告を聴きに来るように言われ、裁判所へ出向く。父が被告人に死刑を求刑するのを見て、衝撃を受ける。死刑とは国家・社会による殺人だと気づいたのだ。
その後、政治運動に身を投じる。しかし、その運動の中でも処刑が行われていた。タルーは思い知る。「自分が何千という人間の死に間接に同意していた」と。こうも言う。「自分が殺害者の側にまわっていたということが、死ぬほど恥ずかしかった」「われわれはみんなペストの中にいる」  タルーの言う「ペスト」とは、戦争や死刑、革命など、大義の下に社会や集団が行う殺人のことだ。殺害する側に与しないために、彼は常に犠牲者の側に立ち「なすべきことをなさねばならぬ」と決意する。それこそが、災厄の際の彼の信条なのだ。
■ささやかな仕事で役立ちたい
「ペストの中にいる」という感覚は、木村さんにもあるという。沖縄の米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する抗議活動に何度か参加し、「自分を含めたほとんどの日本人は、沖縄を犠牲にする側に加担している」と感じているからだ。
朝比奈さんは、タルーが組織した保健隊を巡るエピソードに感動したという。役人のグランがこの保健隊に誘われたときの場面だ。
「彼はいつもの彼そのままの善き意志をもって、躊躇なく、『うん』といった。ただ、彼が望んだのは、ささやかな仕事で役に立ちたいということだけであった」
朝比奈さんは「グランのようなヒーロー的ではない人物に光を当てるところが、この作品の特徴だと思う。コロナ禍にある現在も、医療関係者や生活の基盤を支えてくれる人たちによって社会が支えられていることに重ね合わせて読んだ」という。
私自身が最も感銘を受けたのは医師リウーの言葉だった。
「今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。(中略)ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」「つまり自分の職務を果すことだと心得ています」
タルーもグランもリウーも、危機に踊らされたり、自失したりすることなく、目の前にある課題や仕事に取り組む。命懸けといってもいい仕事だが、ヒロイズムは存在しない。日常を失わない誠実さこそが、災厄を乗り越え、日常を回復する道なのだ。
彼らは連帯してペストに立ち向かう。それが淡々と記される。連帯と共感の持つ底力が、静かに語られてゆく。(続く)

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2020年05月10日

宇野常弘「遅いインターネット」〜吉本隆明「共同幻想論」で今のSNSネット社会を解く

宇野常弘「遅いインターネット」〜吉本隆明「共同幻想論」で今のSNSネット社会を解く
評論家,雑誌Planet編集長,宇野常弘
ー幻冬舎から「遅いインターネット」を出版した氏がラジオ/TokyoFM,茂木健一郎-Dream Heartに出演。
■遅いインターネット
デビュー以来どちらかと言うとサブカル評論をテーマに書いてきました。この「遅いインターネット」はいわば僕が初めて書いた社会評論です。
ずっとサブカルチャーの批評を書いてきて,そこで培った理論や世界観というものを使って,今のメディア論を中心に,今の世の中っていうのの見取り図を書くと。見取り図を書くと問題がわかる。問題をえぐり出す。その問題への解答を探る。そういう全く別の事に応用したのがこの本です。
今のインターネットは速すぎると思いませんか?
タイムラインをハックして時代に乗る。そして物事を呼び起こし一気呵成に成し遂げるという世の中の流れになってきている。でもそうじゃない。これからは違う流れにしなくちゃいけない。「遅いインターネット」。タイムラインの潮目なんかから距離を取らなきゃいけないんだ。っていうボールをぶつける事で(幻冬舎の作者レーベルを)広げるという意味で仕掛けた本です。
キーコンセプトは「タイムラインの潮目」です。
例えばある芸能人が不倫をした。すると「コイツはとんでもない」という事で皆が一斉に石を投げる。その時に皆こう考えると思う。「あ,このタイミングなら今こいつにダメ出しできるよね。ダメ出しすることによって自分はマトモな多数派であると思って安心できる」そう思ってTwitterやFacebookで今叩いてもいいということになっている目立ち過ぎた人,失敗した人に石を投げる。そうするとちょっとすっきりして安心できる。その楽しみをわるい意味で覚えてしまった人が一杯いる。それが「タイムラインの潮目」を読むという表現です。
ひとつのニュースとか関連情報をまさぐったりとか,ちょっと資料批判的な感じでソースを探してみたりとか,そんな事する人はほとんどいないと思います。特にTwitterやソーシャルブックマークに投稿する事が好きな人っていうのは,ひとつの話題に対してYesかNoか,どちらに荷担するほうが良いのかっていう「タイムラインの潮目」を読む事しか考えていないと思う。上手く潮目を読んで,今叩いても良いことになってる相手に上手く石を投げる。そして相手に上手く石が当たれば座布団が沢山もらえてフォロワー数が増える。そんな「いじめ大喜利」みたいな事が今のインターネットジャーナリストの中心に居座ってしまった。
本来インターネットは好きな時に好きなテーマを発信できる自由なメディアである事が売りのはずだった。しかしいつの間にか「タイムラインの潮目」を読んで,皆と同じ行動をとることによって安心する道具になっちゃってる。それがいわば「速いインターネット」です。
■吉本「共同幻想論」で今のSNSネット社会を解く
ーこの本で「共同幻想」っていう考えが重要な役割を果たしているように思います。
「共同幻想」っていう言葉は年配の方はよく聞いた言葉だと思います。
1960年代の学生運動でのカリスマ的存在であった思想家・吉本隆明さんの思想ですよね。全共闘時代に刊行された「共同幻想論」。
人間が社会をイメージする時に,三つの幻想を用いている。
自己幻想
対人幻想
共同幻想
の三つですね。わかりやすく言えば,
自己幻想とは「俺ってこういう人間だよね」
対人幻想とは「俺とアイツの関係ってこうだよね」
共同幻想(社会幻想)とは「社会のイメージ」
当時は若者の自分探しにとって政治イデオロギーが大きかった。大き過ぎる存在だった。その大きすぎる「共同幻想」に取り込まれると自分を見失うぞっていう問題提起をしたのがこの本です。
で,彼の当時の議論っていうものを50年後の今に応用すると,意外と今のSNSのインターネット社会を読み解く手掛かりになるのではないかという事を「遅いインターネット」で書いてます。〜
TokyoFM,茂木健一郎-Dream Heart,2020.5

tyuyyuuuu pc


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