2020年01月16日

[動画][TV] バックトゥザフューチャー2〜2015年への旅


















posted by datasea at 13:13| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月06日

成馬零一: "ぼっちドラマ"と"マルチヒーロー長編ドラマ"〜極小化と極大化へ〜2020年のドラマ流行予想

成馬零一: "ぼっちドラマ"と"マルチヒーロー長編ドラマ"〜極小化と極大化へ〜2020年のドラマ流行予想
極大化と極小化 -2020年のドラマ予想-
成馬零一  | ライター、ドラマ評論家
1/2(木) 12:30
新年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。さて、今回のドラマジャーナルは、新年第一回目の記事ということで、2020年のドラマ予想を語ってみたいと思います。
■2010年代ドラマ
まず、10年代のドラマについて総括します。簡単に言うと、10年代のドラマは極大化と極小化という正反対の方向に進化してきたと言えるでしょう。
まず、極大化。
代表は、NHKが誇る二大コンテンツである朝ドラこと「連続テレビ小説」と大河ドラマです。特に前者の勢いは凄まじく、現在、日本人の共通言語として機能していると言える唯一の存在が朝ドラと言っても過言ではないでしょう。EXILE TRIBEが企画・制作をする総合エンターテインメント『HiGH&LOW』(以下、『ハイロー』)シリーズもそうです。つまり巨大な世界観や年代記の中で、膨大な登場人物が登場する他視点群像劇を展開する作品です。
海外ドラマでは『ゲーム・オブ・スローンズ』が筆頭ですが、映画では『スターウォーズ』や『アベンジャーズ』を中心としたマーベル・シネマティックユニバースもそうです。こういった極大プロジェクトが席巻したのが2010年代でした。 
■グルメドラマが席巻した2010年代
一方、極小化とは、個人の行動を淡々と撮るようなドラマのことです。代表作はテレビ東京系で放送されている深夜ドラマ『孤独のグルメ』でしょう。大晦日にもスペシャルドラマが放送された本作ですが、実はSeason1がはじまったのは2012年でした。その後、同年の10月にSeason2が放送。以降はほぼ一年おきのペースで新しいシリーズが放送され、2019年の時点でSeason8まで作られました。その意味で2010年代を代表する作品だと言えます。物語は個人で輸入雑貨商を営む井之頭五郎(松重豊)が仕事の合間に立ち寄った飲食店で食事する様子を描いたもの。元々は月刊PANJAやSPA!(それぞれ扶桑社)で連載されていたグルメ漫画(原作:久住昌之、作画:谷口ジロー)だったのですが、本作が漫画としてユニークだったのは、いわゆる『ミスター味っ子』(講談社)や『美味しんぼ』(小学館)と違って勝負モノではなかったことです。厳密に言うならば、五郎が料理を美味いか不味いかをジャッジしているという意味においては、料理店と客(五郎)の対決を描いているとも言えなくはないですが、そういった料理をめぐる葛藤はすべて五郎のモノローグを通してのみ描かれます。つまり、そこで繰り広げられているのは徹底的に自己完結した世界であり、この“ぼっち感”を楽しく描いたことこそが『孤独のグルメ』の最大の功績だったのではないかと思います。『孤独のグルメ』のヒット以降、深夜ドラマを中心にグルメドラマは次々と作られました。1995年にドラマ化された『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)がミステリードラマのフォーマットを作り、一ジャンルとして定着させたとすれば、間違えなく、『孤独のグルメ』はグルメドラマのフォーマットを作り、一ジャンルとして定着させたと言えます。グルメドラマは、主人公がおっさんの時もあれば女子高生の時もありますが、基本的には楽しそうにご飯を食べている場面さえ描ければ成立します。撮影の規模が小さく役者の数も少なくてすむため、低予算で量産できるのでしょう。突然、テレビを付けたら、深夜に美味しいそうな料理が映って思わず何か食べたくなるため「飯テロ」と言う言葉まで生まれました。昨年話題になった『きのう何食べた?』(テレビ東京系)も『孤独のグルメ』の手法を発展させた作品だと言って間違えないでしょう。
■グルメドラマから“ぼっちドラマ”へ
また昨年は、サウナを舞台にした『サ道』や『一人キャンプで食って寝る』(ともにテレビ東京系)といったグルメドラマのフォーマットを他ジャンルに応用したドラマも生まれました。今後はアニメの『ダンベル何キロ持てる?』のような筋トレブームを取り入れたスポーツジムを舞台にした筋トレドラマも生まれるのではないかと思います。とは言え、ジャンルは変わっても作品の基本精神にあるのは、一人でそのジャンルを楽しむという自己完結した快楽の追求です。ここでアニメの『けいおん!』のように仲間とわいわいやる楽しさを全面に打ち出すと、いわゆる部活モノの延長になってしまいます。 それはそれで一つの方向性ですが、結局は仲間とのコミュニケーションが大事というところに着地してしまうのであれば既存のドラマと同じです。その意味で、これらの作品は、グルメドラマを経由して個人の自己充足した姿を描く“ぼっちドラマ”とでも言うようなジャンルへと進化しつつあるのではないかと思います。その意味で、YouTubeで個人が配信している動画に近いのではないかと思います。実際、『放課後ソーダ日和』のようなYouTubeで配信されるドラマもポツポツと生まれていますが、それよりは深夜ドラマのYouTube化と言った方が近いのではないかと思います。元・女優のりりかが「inliving.」名義でライフスタイルを淡々と見せる配信や、芸人のヒロシがキャンプする様子を配信する「ヒロシちゃんねる」をみていると、テレビ東京の深夜ドラマのようだと感じますが、これは実際は逆で、深夜ドラマが、YouTubeの作法を取り込みつつあるという方が正解でしょう。その結果として生まれつつあるのが“ぼっちドラマ”ではないかと思います。結論としましては、朝ドラ、大河、『ハイロー』 のような極大化と、『孤独のグルメ』のような極小化が同時に進んだのが2010年代だったということですが、実はこの2つは同じ現象だったのではないかと思います。たとえば『ハイロー』は全員主役を売りにしていましたが、これは一つ一つの要素を分解していくと、個人々々の集合体の話だったということです。
■卵と壁
2009年に小説家の村上春樹がエルサレム賞を受賞した時に式典で語った「卵と壁」のスピー-チを思い出してください。春樹は、ガザ地区で起きた激しい戦闘について触れ
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵がある時には、私は常に卵の側に立つ」
と語りました。この比喩に対して、春樹は、爆弾、戦車、ミサイル、白リン弾が高くて硬い壁、それらに撃たれ、焼かれ、つぶされた非戦闘員市民が卵だと説明しています。つまり、国家のような巨大なシステムが壁で、それらに潰される卵が個人。この比喩をもちいるならば、2010年代のドラマ(あるいはフィクション)は、卵と壁に二極化していったのだと言えます。ですが、その壁とは無数の卵の集合体なのではないかと、『進撃の巨人』(講談社)を愛読する私は思います。
■中規模の物語の衰退
極大化と極小化が同時に進み、実はこのふたつは同じ現象だった。つまり極大化した物語は小さな個人の物語の集合体として描かれていたというのが私の結論です。この方向性は2020年代に入り、より進行していくのではないかと思います。その時に考えるべき課題はふたつあります。一つは、極大化と極小化の間で引き裂かれつつある“中間の物語”はどうなっていくのか?そして、もう一つは、ドラマはどこまで小さくできるのか? 
まず中間の物語ですが、これは、今まで民放のプライムタイムに放送されていたような連続ドラマです。つまり、学園ドラマや社会人を主人公に仕事と恋愛を描いたような作品で、一昔前の月9のドラマがその代表です。こういった1クールかけて個人の恋愛事情を追うような作品はまだ定期的に作られていますが、かつてのように視聴者を引きつけることができなくなってきています。これはもちろん週一回一話決まった時間に放送するという放送形態が時代に合わなくなってきているという問題もあるのですが、 それと同時に他人の恋愛を追うこと自体を面白いと思える人が減ってきているのではないか。もしくは、『テラスハウス』のような恋愛リアリティーショーに負けつつあるのではないかと思います。
(ここでドラマ(虚構)はノンフィクション(現実)に勝てるのか? という別の問いが出てきますが、今回はあえてスルーします)実際、最近の仕事と恋愛を描いたドラマ、たとえば2019年に放送されたドラマでいうと『私、定時で帰ります』(TBS系)や『同期のサクラ』(日本テレビ系)は様々な立場の人々を描くクロニクル(年代記)を志向するという、物語の極大化に舵をきっているように思います。一見、恋愛要素が強そうにみえる『G線上のあなたと私』(TBS系)にしても、恋愛は登場人物の中にある様々な要素の一つに過ぎず、(仕事と恋愛と趣味のつながりを並列的に描いた)日常モノと言った方が正解だったように思います。このあたりは過去のトレンディドラマとくらべるとどんどん多角化しています。それと同時にかつて存在した“テレビドラマ”らしさみたいなものがどんどん消えつつあり、その意味で、中間領域に属した、かつてのドラマはどんどん極小化へと向かっていると言えます。
それでも”ぼっち化”しきれないとすれば
そしてもう一つの問いです。
果たして、ドラマはどこまで極小化できるのか? さきほど、『孤独のグルメ』から派生した
『サ道』や
『一人キャンプで食って寝る』
をぼっちドラマと言いましたが、実は完全に“ぼっち化”は、できていません。特に『一人キャンプで食って寝る』を見ていて思うのは、個人の自己充足を一人キャンプを通して自己完結的に描いているように見えながら、劇中の人々は、なんだかんだで他人と接し、そこにドラマらしきものが発生してしまいます。これを、他人を出さないと物語が作れないという作り手の限界と捉えるのか? そもそも、物語は人と人の対話を通してしか成立しない。と捉えるべきかは、評価に迷うのですが、この“ぼっち化”しきれないことに、個人が配信するYouTubeの動画と、なんだかんだ言って他人との対話を求めてしまうドラマの違いが大きく現れています。ここに、2020年代のドラマを考える上での、大きなヒントがあるのだと思います。

Yahoo!ニュース
https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/bylines/all/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9uZXdzLnlhaG9vLmNvLmpwL2J5bGluZS9uYXJpbWFyZWlpY2hpLzIwMjAwMTAyLTAwMTU3NDM4Lw--





成馬零一
ライター、ドラマ評論家
1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。
単著に「TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!」(宝島社新書)、「キャラクタード...ほか。

Yahoo!ニュース
https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/bylines/all/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9uZXdzLnlhaG9vLmNvLmpwL2J5bGluZS9uYXJpbWFyZWlpY2hpLzIwMjAwMTAyLTAwMTU3NDM4Lw--















posted by datasea at 06:48| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月04日

A.E.Van Vogt: 非Aの世界〜「ゲーム機械」が司る社会

P_20191202_055530.jpg



A.E.Van Vogt: 非Aの世界〜「ゲーム機械」が司る社会
時は2650年。宇宙はいくつもの帝国から構成されて「銀河系連盟」が結成されている。
地球には「ゲーム機械」があってそれが司るゲームに合格した人が政府の要職についている。あるいは金星行きの資格を獲得する。
「非A(ナルA)人」 Gilbert Gothen( ギルバート・ゴッセン)はこのゲームに参加すべく機械市にやってくるが,彼の記憶は全てチグハグである。この間違った記憶は 誰に植え付けられたか?そもそも彼自身は誰なのだろうか?
自分の素性をつきとめようとする彼の探索はいつのまにか銀河系規模の陰謀の最中に彼を巻き込み多くの奇想天外な冒険に突入することになる。
ー非Aの世界, A.E.Van Vogt,創元推理文庫,1966,

yyfr68ur45y pc





Gothenは回れ右をして機械の基部の周りを大股で歩いて都会の中心部へと向かった。
近くの小さいレストランで昼食をとって,それから電話帳の黄色いページをめくり始めた。自分の探している名前は彼を知っていて,ほとんど即時にその名前を見つけた。
David Rester Enlight 精神科医
医術ビル709号室
Enlightはゲームで10日目より先まで勝ち残りたいという人のための必読書を何冊か書いていた。この男の著作の水晶のような 明晰さ。使われているあらゆる多面的な単語に向けられた慎重なセマンティック的な考慮。そして知能の広がりと人間の心身全体に対する理解力ーそれは思い出すのも楽しいものであった。
Gothenは電話帳を閉じて街路に出た。気分がゆったりしている。神経も穏やかである。彼の心には希望が波打っていた。自分がEnlightの著作をこれほど詳しく覚えているということは,彼の記憶の上に被せられた健忘症がいかに軽いものであるかを示している。あの有名なEnlightに一度診てもらえればたちどころにわかるだろう。
診察室の受付係が言う。
「Enlight先生は時間を約束したな人だけを診察します。今日から 3日後なら 1時間診てさしあげられます。つまり木曜日の午後2時です。しかし内金として25ドルいただきます」
Gothenはその金額を払って領収書を受け取って外に出た。失望はしたもののそれほど激しくは失望しなかった。医者というものはまだ完璧な非Aを達成していない世界ではどうしてどうしても忙しい身になるだろう 。。
再び街路に出たGothenは今まで見たうちで最も長くもっとも強力な車が傍らを走りすぎて,ちょっと先の木陰の歩道の脇に止まるのを見守った。
車は午後の日差しを受けてテカテカ光っている。出てきたのはTeresa Clerk(テレサ・クラーク)。
濃い色の豪華な布地でできた アフタヌーンドレスを着ている。
Gothenは自分のすぐ横で立ち止まった男に訊いた。見知らぬ男はびっくりして彼を一瞥してそれからGothenがすでに憶測していた名前を言ったー「あれはPatricia Hardy。Hardy大統領の娘さんです。相当なノイローゼですね。あの車ごらんなさい。まるで超大型の宝石だ。明らかにあれはー」
Gothenは車とさっきまで車に乗っていた人から顔を背けて立ち去りかけた 。
Patriciaが他でもない今夜,見知らぬ男と2人きりになるために空き地に来るなどということはいかにも馬鹿げている。
ところが彼女はそこに来ていた。Gothenは影のような娘の姿を思案深げに凝視していた。彼女はこの落ち合わない場所に極めて巧妙にやってきたのだった。ほとんど真っ暗闇の中で彼はそのまま彼女を見守り続けた。10分もすると彼女は立ち上がって伸びをしてまた座り込んだ。今度は靴を脱いでGothenの方にごろりと転がって草の上に横になった。そして彼女はGothenを見た 。Gothenは娘を眺めた。
それからもの柔らかにしゃべりだした。自分の窮状の説明をしたのである。つまりホテルから追い出されたこと。記憶を隠していること。健忘症のこと。Patricia Hardyと結婚していたのだという妙な錯覚のこと。を話した。
「そしたらね」と彼は物悲しそうに話を結んだ。
「彼女は大統領の娘でちゃんと生きてるということはわかったんだ」
Hardyは言った。
「あなたが診てもらうことになっているような精神科の医者たちは皆ゲームに勝って金星行きの旅行をして,それから開業するために地球に帰ってきた人達なんだって言うけど,本当かしら?それ以外の人は精神科やそれに関連した仕事に携わることができないっていうのも本当?」
Gothenはまだこれを考えていたことがなかった。
「うんそうだよ。他の人は精神医学には訓練を受けることはできてもー」

ー非Aの世界, A.E.Van Vogt,創元推理文庫,1966,

yyfr68ur45y pc





西田幾多郎氏の「絶対矛盾的自己同一」について 〜 我々の世界は、人々が未来を創造する“逆算の思考”抜きには成り立たない
2020/01/03 10:00 PM
哲学・宗教 / *生き方, 日本国内, 生き方, 竹下氏からの情報
竹下雅敏氏からの情報です。
西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一を、とてもわかりやすく説明した文章です。記事の中で興味深いのは、我々の世界は、過去の出来事の総計として現在があるという見方です。現代人には馴染み深いもので、古典物理学はこの考え方に基づいて世界を解明しようとしています。しかし、我々が日常生活で行動する場合には、むしろそうではなく、未来の計画、あるいはヴィジョンに基づいて、この計画を実現するためには何が必要かを考える逆算の思考で、現在の行動を定めるのではないでしょうか。
要するに、創造的な生き方をしている人は、むしろこの逆算の思考を日常的に用いているはずなのです。
人間は小さな創造主です。未来を創造的に設計しようと思えば、このような逆算の思考は、必然のものであり、古典物理学の世界観の方が異常だと感じられるのではないでしょうか。事実はといえば、古典物理学の世界観と、この逆算の思考の両方から、世界は成り立っていると考えるのが自然だと思います。
(竹下雅敏)
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
絶対矛盾的自己同一
引用元)
西尾泰和のScrapbox 
(前略)
西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一を読んで(中略)… 「[Aは非Aであって、それによってA]」ってのは何もおかしくなくて、まさにその通りのことを言ってるのだけど、ただものすごく圧縮表現されてるってだけのことなんだなぁと腑に落ちた。
(中略)
「Xでもnot Xでもなくて、その合体だ」ということを彼は言おうとしているのだけど、大部分の人にとっての素朴な世界観はXなんで混乱するのである。ちなみにこの素朴な世界観Xってのは「現在が過去によって決まる世界」「不変的原子のような[個物]が相互作用してる世界」だ。この世界観Xは、物理的にはしっくりくるものだと思うけど「でも人間が意図とか目的とか持って行動するのとうまく合わないよね」って言ってる。
それのアンチテーゼとしてのnot Xの世界観は何かって言うと「現在が未来から決まる」「未来にこうであるという目的から逆算で現在が決まっている」という世界観。
(中略)
そういう矛盾的なものが同一である、しかも自己と同一である、というわけで「絶対矛盾的自己同一」なのだ。
(以下略)

シャンティ・フーラ
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=224592

posted by datasea at 13:51| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月14日

[動画][資料] 映画Star Wars(スター・ウォーズ) スカイウォーカーの夜明け〜SW完結編

sw_ep9_6.jpg

























迷えるスター・ウォーズ、ディズニーが乱すフォース
新作「スカイウォーカーの夜明け」は大ヒットが予想されるが、長年のファンの一部は「ディズニー色」に背を向けつつある
By Erich Schwartzel and 
R.T. Watson
2019 年 12 月 13 日 10:50 JST 更新
ルーク・スカイウォーカーが映画のスクリーンに戻ってくる。ウォルト・ディズニーの幹部はその計画に耳を傾けていた。2013年のことだ。ディズニーはその数カ月前、映画製作会社ルーカスフィルム買収に40億ドル(現在のレートで約4350億円)を支払っていた。映画製作担当者らはウォルト・ディズニー・スタジオのアラン・ホーン会長に対し、2年後に公開予定だった「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の筋書きを売り込み始めた。この作品で新たに登場するキャラクターのボール型ドロイド「BB-8」も紹介した。会議に同席していた関係者によると、ホーン氏は「BB-8」を気に入り、新キャラクターが生み出すグッズの売り上げの可能性についても気に入ったようだった。
しかし、ホーン氏からは注文もあった。ディズニーとしては玩具も多く売りたいが、キャラクターやストーリーがビジネス的な判断に左右されたとファンに思わせることがあってはならないと。スター・ウォーズのキャラクターやストーリーは、それまでディズニーが傘下に収めたどんな作品群とも違っていた。少しでもマーケティングの臭いがしたとたん、熱心なスターウォーズファンの目には、ディズニーは悪の帝国と映ることになるのだ。その危険地帯をうまくくぐり抜けることが結局、ディズニーが「スター・ウォーズ」シリーズを傘下に収めることの最も難しい部分となった。新世代のファンを取り込みつつ、作品の成否に大きく影響するコアなファンが離れて行くのをどう避けるのかだ。
ジョージ・ルーカスが作り出したスター・ウォーズの世界を買ったディズニーには、その投資をグッズ販売やテーマパーク、将来の売上高を約束してくれる映画作品につなげたい思惑があった。
ディズニーのキャラクターとポーズを取るルーカス氏(2010年8月) PHOTO: TODD ANDERSON/DISNEY/GETTY IMAGES
これまでのところ、ディズニーにとってスター・ウォーズ関連のビジネスは堅調だ。ディズニーによる買収後の新3部作の最初の作品「フォースの覚醒」は北米興行収入が史上最高の9億3700万ドル(約1017億円)となった。同社が11月に開始したストリーミングサービス「Disney+(ディズニープラス)」でも、スター・ウォーズのスピンオフ作品「マンダロリアン」が目玉となり、ファンが「ベビー・ヨーダ」と呼ぶ作中のキャラクターは一躍人気者となった。「Disney+」の契約者数は、サービス開始後1日で1000万人に達したという。またディズニーは今年、カリフォルニア州アナハイムとフロリダ州オーランドのテーマパークで「スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジ」のアトラクションを開始。自分だけのオリジナル「ライトセーバー」が作れることなどがファンの間で人気となり、同社テーマパーク部門の売り上げ拡大に寄与した。
しかし、懸念も生じている。新3部作の2作目「最後のジェダイ」は、北米興行収入が「フォースの覚醒」に比べて33%減となった。若き日のハン・ソロを描いたスピンオフ作品「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」は公開スケジュールのまずさもあって不調となった。テーマパークでは、予定されていた2つ目の乗り物の導入が遅れ、それが客足に響いた(フロリダのテーマパークでは12月第1週に開始、カリフォルニアのテーマパークでは来年1月開始予定)。また、有名な監督が相次いで解雇されたり、突然去ったりしており、スター・ウォーズ映画は次に公開される作品以降の製作計画がはっきりしていない。
新3部作の最後を飾る
「スカイウォーカーの夜明け」
は12月19日に公開される。ディズニーは同作品公開後、戦略を見直すために少し時間を取る必要があるとしている。ロバート・アイガー最高経営責任者(CEO)は11月、アナリストとの電話会議で「一時停止ボタンを押すだろう」と語った。
2012年のルーカスフィルム買収により、ディズニーはすでに完成された映画の世界を手に入れた。そこにはオリジナル作品の信者がおり、彼らは細部まで再現した衣装を身にまとってファンの集いに参加し、「フォース」やその他の詳細について果てしなく議論するのだ。ディズニーのコンサルタントによると、同社はルーカスフィルム買収後にようやく、いかに熱烈なファン層を抱え込んだかを理解し始めたという。筋金入りファンの間でどんな評価がまず交わされるか。それが作品のより一般的な受け止めを決め、公開初週の興行収入も左右することがある。ハリウッドの製作会社は予告編や各種プロモーションへの反応をソーシャルメディアで探り、その感触によって軌道修正が必要かどうかを判断する。
スター・ウォーズの場合、その神話にごくささいな調整を加えても、ファンの逆鱗(げきりん)に触れる可能性がある。「小さなことでも大騒ぎになる」。アイガー氏は5月の「ギャラクシーズ・エッジ」開業時に行われたインタビューでこう語った。
スター・ウォーズのファンが喜んで買うのは映画チケットだけではない。ブルーレイ(20ドル)のほか、ギャラクシーズ・エッジで販売されるダース・ベイダーの金の指輪(84ドル)、チューバッカのエプロン(32ドル)、ライトセーバー(199ドル)などのグッズにも出費を惜しまないだろう。こうしたコアなファンを満足させつつ若い映画ファンを取り込むことに、ディズニーは今のところ成功も失敗も味わっている。
ディズニーによる買収後の2作目「最後のジェダイ」は、歴代作品の根幹部分と矛盾すると受け止められた。古いファンの多くは、ストーリー展開が子どもの頃から慣れ親しんだ神話を無視または曲解したと感じ、サブプロットもくだらないと反発した。そのほか、新世代の若い登場人物に違和感を覚えるファンもいた。主要な役柄に女性やマイノリティーをキャスティングしたことで、ファンの一部からは、映画がポリティカル・コレクトネス(政治・社会・道徳的に公正とされること)に屈したとして批判された。
ルーカスフィルムは設立以来、熱烈なファンを生み出すことに力を注いできた。スター・ウォーズ第1作が封切られる前年の1976年、ルーカスフィルムはSFファンの集いに撮影中の映画の写真を携えた関係者を送り込んだ。1977年に映画が公開されると劇場に長蛇の列ができ、一躍社会現象となった。
「エピソード6/ジェダイの帰還」が公開された1983年のニューヨークの劇場前 PHOTO: DAVE PICKOFF/ASSOCIATED PRESS
その35年後、ルーカスフィルムを傘下に収めたディズニーは、新作を求めるファンの熱い思いをビジネスに活かし、40億ドルの買収に十分な価値があることを証明しようとした。かつては新作が出るまでファンは何年も待たされたが、ディズニーは製作スピードを上げ、毎年新しい作品をリリースしている。ディズニーはこの多作戦略を2006年に買収したピクサー・アニメーションや、2009年に買収したマーベル・スタジオに用いていた。ピクサーの公開作品は買収前の9年間では6作品だったが、ディズニーの傘下に入るとほぼ毎年作品を世に出し、1年で2作品を公開する年もあった。マーベルの場合、ディズニーによる買収以降、大抵は年に2作品を製作し、最近は年3作品のペースに加速している。
北米興行収入ディズニー傘下でスター・ウォーズ作品の興収は減少傾向にある出所:ボックス・オフィス・モジョ
$936.7 (単位:100万ドル)532.2620.2213.8「スター・ウォーズ / フォースの覚醒」(2015)「ローグ・ワン / スター・ウォーズ・ストーリー」(2016)「スター・ウォーズ / 最後のジェダイ」(2017)「ハン・ソロ / スター・ウォーズ・ストーリー」(2018)
ピクサーには複数のシリーズ作品があり、新作と続編が次々と生み出されている。マーベルはコミック数十年分の蓄積から大量のキャラクターを持っている。対照的にスター・ウォーズの作品群は1つの大きなストーリーに沿っており、登場するキャラクターもはるかに少ない。そうした状況でディズニーは2015年に「フォースの覚醒」を公開し、続く4年間で4作品を製作した。2017年12月公開の「最後のジェダイ」から2018年5月の「ハン・ソロ」までは5カ月しか空いていない。辛口な長年のファンの一部は、製作スケジュールを急ぎすぎたせいで物語に無理が生じたと非難する。
キャスリーン・ケネディー社長をはじめルーカスフィルムの幹部は、ディズニー上層部に「ソロ」公開を2018年のクリスマスシーズンまで延期するよう働きかけた。現・元同僚らによれば、市場が「過飽和状態」になるのを懸念したためだ。だがディズニー側はその主張を却下した。
「ソロ」は予定通り封切られたが、ファンの盛り上がりには欠けた。北米興収は2億1300万ドルと、スター・ウォーズ作品では最低だ。作品の公開を重ねるごとにグッズの売上高は減少し、テーマパークではスター・ウォーズのアトラクションの集客数が予想を下回った。アナリストの予想では過去最高を記録するはずだった。
ディズニーにルーカスフィルムを売却する数カ月前、ルーカス氏が社長に抜てきしたのがケネディー氏だった。同氏はこれまで、ディズニーによる買収前後で異なるカルチャーの橋渡し役になろうと苦心してきたと、友人や元同僚らは言う。
ケネディー氏はコメントを控えた。
ルーカスフィルムのケネディー社長(2018年) PHOTO: MARIO ANZUONI/REUTERS
ケネディー氏はハリウッド史上最も成功したプロデューサーの1人で、「E.T.」や「ジュラシック・パーク」などを手がけたことで知られる。スティーブン・スピルバーグ監督とは「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」以来、仕事を共にした。ルーカスフィルムに移ってからは、新進気鋭の監督を起用してきた。そうすることでシリーズ物を最近の観客の好みに合わせられるとの考えからだ。もしルーカスフィルムがこうした若い監督の手綱を握ろうとしていたら、大胆で明確なビジョンを持った人材は集まらなかっただろうと、「最後のジェダイ」のプロデューサーの1人は話す。そうした創作上の自由さは、ディズニー側の意向とたびたび衝突した。ディズニーが求めるのは、ストーリーに新展開を与え、同時に一部ファンの郷愁の念にも応える映画を作ることだ。新3部作で協力したことのある複数の関係者がこう指摘する。「フォースの覚醒」は1977年の第1作をあまりにも踏襲しすぎたと批判され、一方で「最後のジェダイ」は物語を一貫性のない方向に発展させたと批判を受けた。その結果、監督が何度も交代する事態となった。鳴り物入りで迎えられても、物語に対する野心がディズニー側のガイドラインを大きく踏み越えたり、製作費2億ドルの超大作を扱うには経験不足だと判断されたりすると突然降板させられた。
■編集部が選んだ10の記事
ディズニーが意欲を見せるのは、スター・ウォーズの新機軸を打ち出すことだ。アイガーCEOはテーマパークの新アトラクション「ギャラクシーズ・エッジ」の舞台を、ルーク・スカイウォーカーの故郷であり、コアなファンには懐かしい惑星「タトゥイーン」ではなく、新たな惑星「バトゥー」に設定するよう命じた。バトゥーであれば、新3部作でカイロ・レンが操縦していたコマンド・シャトルの隣に、ルーカス氏のオリジナル作品で活躍した宇宙船ミレニアム・ファルコンを並べることも可能だ。
「私は過去にとらわれたくない」。今年、カリフォルニア州アナハイムのディズニーランドでスター・ウォーズのアトラクション開業に立ち会った際、アイガー氏はこう語った。一方、「最後のジェダイ」では、新たな領域に進んだことが一部のファンの恨みを買った。彼らはライアン・ジョンソン監督が、わずか2年前に製作されたJ・J・エイブラムス監督の「フォースの覚醒」とほとんど関連性のない映画を作ったようだと嘆いた。
「最後のジェダイ」では、新3部作の主人公であるレイが歴代作品のヒーローとは異なり、強大な力を持つジェダイや選ばれた血統の子孫ではないことが暗示された。何より最悪なのは、一部ファンの目には、自分たちのヒーローであるルーク・スカイウォーカーを抹殺したように映ったことだ。
「最後のジェダイ」で主人公レイを演じたデイジー・リドリー PHOTO: EVERETT COLLECTION
コロラド州在住のジェイ・ウィルソンさん(45)は「最後のジェダイ」を見た夜、眠れなくなったという。そして、さらに3回映画館に通った。「諦めるわけにいかなかった。私のスター・ウォーズだという部分をこの作品に探さなくてはならなかった」からだ。ブルーレイ版が発売されるとウィルソンさんはそれも購入した。「スカイウォーカーの夜明け」は公開初日に見に行くつもりだ。
ルーカスフィルムの元幹部ハワード・ホフマン氏によると、スター・ウォーズは「歴史的な政治――独裁国家の台頭、民主主義の死など――を土台にしている点では政治的だが、現代の課題について何か立場を明確にしたことは一度もない」という。シリーズ作品の管理を担当していた同氏は1980年に入社し、約2年前に去った。しかし最近、新3部作の「コンテンツが現代的な動機に起因している」という見方もされていると同氏は話す。
ディズニー・スタジオを率いるホーン氏とルーカスフィルム幹部は、最近の観客の期待に応えるべくキャストを多様化し、興収の大半を海外で稼ぐグローバル市場の現実にも配慮した。
米国の政治的分断が作品の反応に飛び火し、一部の女性キャラクターに矛先が向けられたこともある。「最後のジェダイ」で主要キャストに起用されたケリー・マリー・トランはベトナム系だ。ネット上で容赦ない差別発言を浴びたトランは、映画公開から6カ月後にソーシャルメディアのアカウントを事実上閉鎖した。
新3部作や2016年公開のスピンオフ作品「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」のストーリーは、1人のヒロインを中心に、それを取り巻く複数の主要女性キャラクターで構成される。これは、レイア姫が唯一の目立つ女性キャラクターだったオリジナル作品からすれば大きな方向転換だ。
英リバプール在住のファン、アンソニー・アーゴさん(42)は「平等には大賛成だ」と話す。「だが映画はまるで女性キャラクターの宣伝のようで、男性キャラクターを犠牲にしている」
こうした論争はソーシャルメディア上で一段と熱を帯びる。ロサンゼルス在住のグラフィックデザイナー、ヴィト・ジェスアルディさんは「Why Star Wars: The Last Jedi is a Complete Cinematic Failure(『最後のジェダイ』はなぜ映画的に完全な失敗作なのか)」と題する動画をユーチューブに投稿。その中で物語構成上のミスと思われる点を詳細に分析した。この動画は800万回近く再生されている。ジェスアルディさんによると、痛烈批判を20分間繰り広げる同動画の広告収入で、1年分の家賃を超える金額を稼いだという。
あまりに険悪なムードとなった「最後のジェダイ」論争には、ロシアのネット荒らし(トロール)も目を付けた。不和の種をまく場所にぴったりだと注目したのだ。これはヒラリー・クリントン氏や黒人差別撤廃を訴える「ブラック・ライブズ・マター」をめぐるネット上の論争によく似た構図だ。南カリフォルニア大学の研究員、モートン・ベイ博士が公表した報告書はこのように指摘した。
ベイ博士は、ロシアのトロールがスター・ウォーズに関する扇動的なコメントをオンラインフォーラムに投稿した複数の例を挙げた。狙いは人々の神経を逆なですることにあり、「米国が分裂し、混乱状態にあるという意識を広めるのに役立つ」という。
アイガー氏が公開前に「フォースの覚醒」をルーカス氏に見せると、スター・ウォーズの生みの親である同氏は、この新作が旧作と酷似していることが信じられない様子だったとアイガー氏は振り返る。オリジナル作品と同様、2人の男性と1人の女性が反乱軍に加わり、巨大兵器を破壊する物語であり、ハリソン・フォードとキャリー・フィッシャーの共演も同じだった。
「慎重に紙一重のバランスを保っているのだ」。アイガー氏はルーカス氏にこう説明したという。「最も熱烈なファンを満足させなければ、われわれは殺されてしまう」
最新作「スカイウォーカーの夜明け」はそれでも大ヒットが予想されている。「最後のジェダイ」で遠ざかったファンも、エイブラムス監督には期待を寄せる。エイブラムス氏は常に長年のファンを念頭に置いていたと、一緒に仕事をしたある幹部は話す。ストーリー会議では、まるで目に見えないファンが監督に耳打ちしているようだったという。
今月、新3部作の完結編が公開されれば、それに続く新シリーズは、数十年来のスター・ウォーズの記憶から解き放たれ、普通の映画ファンに親しみやすいものになるだろうとアイガー氏は語る。だがそれで恐らく一部のファンが離れるであろうことも承知している。「全員を満足させることはできない」からだ。もし今持っているものを新しくしていかないのであれば、「博物館に保管し、古くなるのをただ見守るのと同じだ」と同氏は語った。

WSJ日本版
https://jp.wsj.com/articles/SB11472337774144154450204586068782102665982





posted by datasea at 12:54| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月19日

伊集院光: 「サザエさん50周年」に思う磯野家の気持ち悪さ


伊集院光: 「サザエさん50周年」に思う磯野家の気持ち悪さ
「サザエさん50周年」て昨日テレビで宣伝観て。
なんかエンジェルズの大谷の試合をサザエさん一家で観に行くっていう内容。
いろんなとこ行ってるじゃんか。サザエさん一家。「三保の松原に旅行に行きました」みたいな。
細かく正確にはわかんないけど行った回も当然あるよね。「初めてみんなで越後湯沢にスキーに行きました」とか。凄いペースで旅行行ってるよね。
オマケに越後湯沢にスキーに行った次の週に「冬の京都を観に行きました」とか。それってありえない旅行のペースでしょ?
放送1回30分で収録に大体1回50分ぐらい。
1週間7回放送で1週間に350分。
特別放送分があって

1500x50
で年間75000分やってる。75000分。サザエさん。
俺たちは礒野家の様子を1年に75000分観られるチャンスがあるわけだよね。
今リアルタイムで計算してんだけど,
年間放送時間の75000分を60で割ると1250時間。
年間1250時間の磯野家を観てるってことか。
それでこれを24で割ると52日か。50年間でまだ52日しか磯野家では経過してないのか。
寝てる時間もあるから。放送1回分まるまる一家が寝てる回は多分ないから(笑) でも52日か。
その。。一家が監視下に置かれてる感じの気持ち悪さや,俺が子供のころ三保の松原に旅行に行ったりしてる一家が今アメリカにエンジェルズの大谷を観に旅行に行ってる気持ち悪さ。カツオは5年生だっけ? 50年間で52日しか経ってない5年生の濃密な時間とか(笑)
なんかすごいことになってるね?すごいことになってて,今更な話だけど何かすごい気持ち悪さみたいのってある。
そんなサザエさん。まさかの国民的アニメをディスって始める「月曜JUNK ・伊集院光/深夜の馬鹿力」!
ーTBSラジオ,月曜JUNK ・伊集院光/深夜の馬鹿力,Android文字おこし(一部意訳)

y77t5567uy pc



























続きを読む
posted by datasea at 10:40| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[動画][資料] 映画「Joker」


























宇多丸、『ジョーカー』を語る!【映画評書き起こし 2019.10.18放送】
アフター6ジャンクション
TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は、『ジョーカー』(2019年10月4日公開)。
■観客の評価
宇多丸:
ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品。『ジョーカー』! アメリカンコミックを代表するヴィラン(悪役)、ジョーカーの誕生秘話をオリジナルストーリーで描く。後にジョーカーとなる主人公のアーサーをホアキン・フェニックスが熱演。監督は『ハングオーバー!』シリーズなどのトッド・フィリップス。第79回ヴェネチア国際映画祭でDCコミックスの映画化作品として史上初めて最高賞の金獅子賞を受賞……というか、アメコミ原作として初めてじゃないの? ですよね。だと思います。
ということで、この『ジョーカー』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。ダントツで今年最多ということでございます。なんていうんですかね? もちろんアメコミ映画として見に行く人もあり。そしてやっぱり単体の映画としての評価も高いですから、普通に映画ファンも行く……など諸々な感じで、全方位的に見に行くタイプの映画っていうことはあるかもしれませんよね。
賛否の比率は「褒め」が9割。
絶賛評多しということございます。
褒めている人の主な意見としては
「すごい映画を見た。いまもずっと余韻を引きずってる」
「どこまでが本当でどこまでが嘘かわからない。あるいは全部がジョークなのか。曖昧な描き方がとても上手い。ジョーカーのような存在を望む我々の願望もきちんと捉えてる。とても現代的な映画」
「ホアキン・フェニックスがすごすぎる」
などの意見がございました。
否定的な意見としては
「理解不能なところがジョーカーの良さだったのに、この映画ではジョーカーに感情移入できてしまう。こんなのジョーカーじゃない」
などがありました。
「今現在だからこそ作られるべき作品」(byリスナー)
ということで代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「深夜高速」さん。「『スーサイド・スクワッド』や『ヴェノム』といったフィクションがもう一歩な出来であったのとは対照的に、リアルでは世界一の権力者がトランプ氏という完成度の高いディストピアであり、現実が創作を追い越してしまっている2.5次元ワールドにおいて、どんな物語が提供できるのか楽しみにしていましたが、今作は予想以上でした。
主役であるジョーカーはトランプ政権を誕生させたラストベルトの白人を表しているようで、資本主義に異議を唱えるウォール街の選挙運動の象徴にも見え、また非モテをこじらせたインセル(involuntary celibate・不本意の禁欲主義者)の側面もあり、それらの怒りが銃によって発散されるというのも、もはや日常化してしまったアメリカにおける銃乱射事件を思い起こさせるものです。さらに現在進行中の香港での抗議活動に行政側が『マスク禁止』という手段を取ったことなどは、映画制作者の意図を超えて劇中においてピエロのお面をしてる大衆たちとも重なりました。
ジョーカーという悪がバットマンという善と同根であると示唆をしておきながら、それは妄想の産物にすぎないと否定し、見るものによっていくつにも解釈できてしまう多層的な意味を盛り込んでおきながら、決して破綻はしておらず、一貫性のある熱演と物語はまさしくこのディストピアな今現在だからこそ作られるべき作品だと思わされました」というね。ありがとうございました。
一方、イマイチだったという方。「オカヤドカリ」さん。
「『ジョーカー』、ウォッチしてまいりました。感想としては『求めていたものと違う』という感じです。私はバットマンシリーズは素人で、作品もノーラン三部作しか見ておりません。その素人としては、やはり『ダークナイト』のジョーカーが見たいという期待を込めて映画館に行ったのです。ですので、この『ジョーカー』という映画は物足りなく感じてしまいました。
これ作り手の意図したところでもあるでしょうが、ジョーカーが悪人に見えないという箇所が私にはやはり引っかかりました。1人の男がジョーカーというダークヒーローに変貌するまでを描きますが、ジョーカーになる前となった後でそれほど大きく変化したように見えないのです。私たちとしては『ジョーカーに堕ちた』という姿を見たかったのですが、ジョーカーとなってからもそれほど悪いことをしていないように見えるし……」。まあ、殺人とかをしているかもしれないけど、それにはちゃんと理由があるように見えるという。
で、「……カタルシスを感じさせてくれるような場面や展開がもっとほしかったです。正直、『ジョーカー、もっと悪いこと、美しいをことやってくれよ! 全然物足りないよ!』と思ってしまいました。やはりジョーカーという超越的な存在を人間的に描くことの食い合わせの悪さが目立ってしまう作品だったと思います」。まあ、これは要するにヒース・レジャーのジョーカー像が強烈過ぎて……というところはあるかもしれません。
■現在の娯楽アメコミ映画に対する反時代的な「映画らしい映画」
はい。ということろで『ジョーカー』、私もバルト9とTOHOシネマズ日比谷で見てまいりました。特にバルト9の方は、連休最終日だったっていうこともありますけど、深夜回だったにもかかわらず、とにかくお客が後から後から……要するに、あまり普段映画館に行きつけてないのかなっていう感じの(観客層で)、始まってからずっと15分ぐらいは入場が絶えないという。後から後から、とにかくすごく入ってましたね。アメコミの、しかもそれもヴィラン(悪役)の単独映画が一般層まで巻き込んで大ヒット、という、これは10年以上前だったらちょっと考えづらかった状況だと思うんですけども。
それを成り立たせている背景のひとつとして、これはやっぱりね、まず「ジョーカー」というブランド。で、その「ジョーカー」というブランドが何であるかといえば、それは間違いなく、ご存知2008年『ダークナイト』での、故ヒース・レジャーの、本当に歴史的な名演によって強烈に印象付けられたジョーカー像、というのが、まず前提としてあると思うんですね。やっぱり「『ダークナイト』のジョーカーがすごかったから、じゃあジョーカー単体でも見に行きたい」という気持ちがみなさん、普通の一般層にも浸透している、というのはあると思います。
で、それだけに、まあ誰もが認める圧倒的なヒース・レジャー版ジョーカーというのがあるわけですから、あまりにも高いハードルがあるわけですね。それを前に、改めてこのスーパーヴィランの誕生譚、バックストーリー……先ほどのメールにもあった通り、たしかにヒース・レジャー版のジョーカーは、なんていうかその向こうが全く見えないっていう感じ。理由なき存在である感じというかね、そこが本当に面白かったし、怖かったし、っていうところなので。そのバックストーリーを語り直すっていうのは、なかなかちょっとリスキーな試みでもあるように、僕個人も見る前は思ってました。
で、やっぱりヒース・レジャーの後のジョーカー役は難しい、というのは、『スーサイド・スクワッド』のね、ジャレッド・レト版が、もう無かったことにされつつある、というあたりからもわかるという感じだと思いますが……ですが、今回の『ジョーカー』。コミックの原典としてはですね、アラン・ムーア、そして絵はブライアン・ボランドさんという方が描いています、1988年の名作『バットマン:キリングジョーク』。これを明らかにベースにしている。
ただそれをベースにしつつも、あくまでも単独の映画作品として……つまりMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の成功以降の、いわゆるユニバース的な、他の作品とリンクしてますよ、とか、あとはドラマシリーズ的なリンク、「これは次につながっていく、全体像の中のひとつでもありますよ」みたいなリンクとか。あるいは、まあやっぱりファンムービー化、的な方向ですよね。『エンドゲーム』は本当にその色が強い作品でしたけども。まあ、ファンが喜ぶ、ファンへの目配せ。あるいはその、「原作のこの部分とこの部分とこの部分をうまくアレンジしてこうやって……ファンもオタクも納得!」みたいな。
そういうファンムービー化的な方向性とは異なる……むしろそういう意味で言えばですね、はっきりそこには、背を向けてる。一種、反時代的なと言いましょうか。言ってみれば、かつてあったような「映画らしい映画」として、今回の『ジョーカー』は作り上げられている。で、いろんな意見が出ているようですけど……先にちょっと僕個人の結論から言うならば、僕は、全・面・支・持! ですね。今回ね、ひとつにはちょっと、個人的な趣味嗜好の件も絡んでくるので、そのあたりもちゃんと切り分けながら話しますけども。
■1970年代後半〜1980年代初頭のNY
個人的にはですね、開幕数分間、デカい黄色い字でタイトル『JOKER』ってドーンと出るまでの数分で、完全にもう、抵抗不能! 状態です。「こんなの、抵抗できるわけがない!」という風になりました。というのもですね、これは完全に僕個人の好みの問題の話でもあるんですけども、僕は以前からですね、70年代半ばぐらい……70年代いっぱいぐらいから80年代初頭にかけての、超治安が悪かった頃のニューヨークが映っている映画が大好物!っていう風に公言しているわけです。これ、この時代感っていうのは、要はアメリカンニューシネマ後期から末期にかけて、であると同時に、完全にヒップホップ黎明期のニューヨーク、なんですね。
これ、後付けでもありますけど。やっぱりその時代のニューヨークの風景とか文化みたいなのがすごい好きだ、っていうのがあるんですけど。で、その「70年代から80年代初頭の、超治安が悪かった頃のニューヨークが映っている映画が大好物」っていう風に公言している私にとってはですね、今回の『ジョーカー』は、まさしくその時代そのものを描こうとしている……映画館でかかってる作品、ブライアン・デ・パルマの『ミッドナイトクロス』とか、あとはジョージ・ハミルトン主演の『ゾロ』とかがかかっていたんで、具体的には1981年です。
1981年のニューヨーク、という設定……まあ、(設定上はバットマン・シリーズの舞台である)ゴッサムなんだけども、明らかにニューヨークですよ。とにかく僕が言っているような、まさしくその時代、1981年のニューヨークを思わせるゴッサムシティ、および「その時代の映画たち」を再現しようとしてる作品である、ということがもう、開幕早々にわかるわけですね。要は、「オレと同じような映画が好きなやつが作った映画だ!」というのが、開幕数分でわかっちゃう。もう、ビンビンに来る!っていう感じですよね。
最初の、もういきなりワーナーのマークからしてね、70年代のワーナーのマークが出ますし。特にやはりね、マーティン・スコセッシの『タクシードライバー』(1976年)、さらには同じスコセッシで『キング・オブ・コメディ』(1982年)。『キング・オブ・コメディ』は非常に色が濃いと思います。ラストに向かうにつれて、だんだんその虚実と言いましょうか、なにが現実でなにが妄想か、だんだんその境目がわかんなくなってくる感じも、すごく『キング・オブ・コメディ』っぽいです。
ロバート・デ・ニーロのキャスティングからしても、これは露骨なほどスコセッシオマージュ、というのはありますし。あと、たとえば地下鉄内で、後にジョーカーとなる今回の主人公、アーサー・フレックさんが、最初の一線を越えてしまうあたり。これはもう完全に『狼よさらば』ですね。原題『Death Wish』、1974年、ですし。続く地下鉄のホームのところ。階段で、逃げる男を背中から撃つ。これはもう、フリードキンの『フレンチ・コネクション』(1971年)、これを連想してしまいますし。
あるいは、アーサーの家路の途中にある、あの印象的な長い階段。ずっと彼がそこを登ってくるショットっていうのが毎回あるんだけど、最後はジョーカーになりきったところで、今度はその階段を降りてくる、という印象的な階段、ありますね。長い階段。あれ、ブロンクスでロケをしてるらしいですけれども。あの階段は、やっぱり同じくフリードキンの『エクソシスト』を想起させるな、とかですね。他にも『カッコーの巣の上で』オマージュ、あるいは『ネットワーク』オマージュであるとかですね。個人的には、『ジャグラー ニューヨーク25時』的だなと思うところもあったり……まあ、『ジャグラー』までトッド・フィリップスが見ているかどうかはわかりませんが。
という感じで、とにかく70年代〜80年代初頭の、言ってみれば社会不適合者、社会からどうしてもはみ出してしまうものを抱えた人々の、逆ギレ的爆発を描いた映画たち。その存在、あり方や精神というのを、今回の『ジョーカー』は、アメコミ映画という、目下最も広く大衆の耳目を集めえるフォーマットを使って……これはちょうど、劇中のアーサーが世間の注目をようやく集めて、ようやく世間に自分の存在を認めさせた、というのと、ちょっと構造的に重なると思うんですけども。
アメコミというフォーマットを使って耳目を集めながら、あえていま、その70年代〜80年代初頭の、社会不適合者の逆ギレ爆発を描いた映画のイズムを再現してみせた一作、と言えると思いますね。
■コメディ作品の視点を客観から主観に
これ、共同脚本と監督・製作のトッド・フィリップスさん。もちろんご存知『ハングオーバー!』シリーズをはじめ、コメディで成功されてきた方ですけども。ただ、この方はそもそも……以前に僕、『ハングオーバー!』評の中でも言いましたけど、そもそも監督デビューとなるドキュメンタリー『全身ハードコア GGアリン』。
ハードコアパンクのアーティスト、GGアリンさん。亡くなってしまいましたけども。その1993年の『全身ハードコア GGアリン』からある種一貫して、まさに「社会からどうしてもはみ出してしまうものを抱えた人々の、逆ギレ的爆発」をずっと描いてきた。『ハングオーバー!』だってそうですし、『アダルト♂スクール』だってそうですし、っていう感じなんですよね。全部一貫している。
なので、今回はトーンとしてはシリアスなドラマものですけども、要はいわゆる「笑うしかないほどひどい現実」にあふれたこの世界の中で、痛み、悲しみ、そして怒りに対してこそ笑ってしまう、という体質の……つまり、最も正気だからこそ狂気に陥ってしまう、もしくは狂気に陥ったように見えてしまう、とも言える人物が主人公の今回の『ジョーカー』は、トッド・フィリップスさんがこれまでに作ってきたコメディ作品の視点を、客観から主観に移し替えただけだ、という風にも言える。
要するに、「寄りで見ると悲劇、離れて見ると喜劇」ってよく言いますよね? そういうことだとも言える。ゆえに今回、非常にシリアスなトーンの作品なんだけども、要所要所でですね、たとえば後半にある惨劇が起こるんですけども、その惨劇の現場から逃げ出そうとした、この主人公のピエロ業の同僚の、小人症の男性がいるわけです。その小人症の男性が陥る、ある困った事態、とかですね。要所要所でこの、凍りつくような笑いっていうんですかね? もう笑うに笑えない、でもなんか面白い、という場面が出てくるという。
あるいは前半ね、難病の子供たちの前でピエロ営業中に、「ゴトーン!」ってね、銃が落っこちて(笑)。「あ……ええと……こ、これはね、違うんですよね……」なんて。そういう風に、言わば「笑うに笑えない喜劇」であると同時に、「笑ってしまうほど悲惨な悲劇」でもあるような……ゆえに、たとえば主人公は大声で笑っているのに、同時に苦しんでいるように。あるいは泣いているようにも、怒っているようにも見える、というような感じで。常にその、複雑な感情が入り混じったグレイゾーンを、ずっと揺れ動くような感じの、非常に綱渡り的な緊張感がずっと続くと言いましょうか、そんな感じの役柄、アーサー・フレック。後にジョーカーとなるこの主人公の役柄。
■ホアキン・フェニックスのド迫力の演技
そもそもこれは、ホアキン・フェニックスに当て書きされた脚本なんですね。というのは、これは町山智浩さんも指摘されていましたけども、そもそもあの、『容疑者、ホアキン・フェニックス』という、ホアキン・フェニックスがいきなり「俳優業を辞めてラッパーになる!」と言い出すという作品。で、「ドッキリだよーん!」みたいなことを言うんですけど、「いやお前、ドッキリじゃねえだろ! 2年間棒に振っているんだから、全然ドッキリじゃねえだろ!」っていう(笑)。
あの、身体を張って笑いを取りにいった結果笑えない、っていうのはまさに、アーサー・フレック=ジョーカーそのもの。ホアキン・フェニックスの実像に重なるところもある。「ちょっとこいつ、ガチでヤベえんじゃねえか?」っていう感じがするという。なのでそのホアキン・フェニックスの当て書き、というのも納得。で、実際にそれを受けてのホアキン・フェニックス、今回の映画を見ると、あの、異様に肩から骨が突き出すまでに痩せ細って、基本的にずっと身体を強張らせている……なんだけど、時にコンテンポラリーダンサーのように、奇妙にしなやかにステップを踏んでみせたり、身体をしならせたりする。まさに、さっきの『全身ハードコア』ならぬ、「全身アーサー・フレック」状態のホアキン・フェニックス。
たとえば、最初の殺人シーンの後、トイレの中に逃げ込んだところで、彼が踊り始める、というくだりがありますけども。あそこ、音楽のヒドゥル・グドナドッティルさん。この方は、『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』の音楽とかをやっている。要は亡くなったヨハン・ヨハンソンの弟子のチェロ演奏者の方なんですけども、この方のチェロ演奏を流しながら、即興でホアキン・フェニックスが踊りだしたところを、「それ、いい!」っていうことで慌ててカメラを回した、という風に……これ、パンフの解説にも書いてありましたことですけども。
まあそんな感じで、ホアキン・フェニックスの完全なド迫力なりきり演技。これに引き込まれていくうちに……またこれは映像がものすごく美しくてね。ALEXA 65というカメラで撮った映像が本当に、被写界深度が深くて、非常に美しいんですが。それに引き込まれていくうちに、たとえばさっき言いました、オマージュを捧げられているスコセッシの『タクシードライバー』のトラヴィス・ビックルであるとか、あるいは『キング・オブ・コメディ』の主人公のルパート・パプキンとかと同様、同情・共感と、嫌悪と軽蔑の間を、観客も揺れ動くことになるわけですね。「ああ、かわいそうだな。こいつ」「なんてことしてんの、お前。ええっ?」っていうこともしたりする。その間を揺れ動くことになる。
非常にだからグレイゾーンを、演技も揺れ動くし、こっちの感情もずーっと揺さぶられ続ける。もちろんですね、描かれていること……メールにも多かったですけどね。広がる格差に不満、怒りを溜め込む社会。それが民衆の怒りとなって爆発する。非常に現代的なテーマを扱っている作品でもあるわけだけど。ただ僕ね、本作が非常に巧み、ちゃんと面白く、よくできているなって思うのは、主人公を単にその社会的弱者、同情すべき存在、単に「かわいそうな人」とだけ置かずにですね、つまり単純な善悪二元論に落とし込まないように、語り口にある仕掛けを盛り込んでいる、というところですね。
■善悪・強弱の二元論から逃れる存在「ジョーカー」
要は、いわゆる「信用できない語り手」というテクニックですよね。
映画を見終わると特にわりとはっきりするんですけど、実は全編にわたって、どこからどこまでが現実で妄想なのか、その境目が、意図的に曖昧にされたつくりになっている、ということが、さかのぼって強く感じられるようなつくりになっていて。終わってみると「あれ? ということは……?」みたいな。たとえばですね、終わってみると、ラストシーンですけど、冒頭と中盤にあるカウンセラーとの対話、これが最後に出てくるカウンセラーとの対話と、明らかに対になるように見せているわけですね。
「えっ? ということは……?」っていう読みもできるようになっているし。あるいは途中、ブルース・ウェインの親父――ブルース・ウェインっていうのはもちろん、のちのバットマンですよね――ブルース・ウェインの親父とトイレで会話するところ。ここ、ちょっと『シャイニング』風。妙に白く明るい照明。この照明も怪しいし、そのシーンの最後で彼、主人公がとっているポーズと、次の自室で上半身裸で立っているポーズが完全に同じで、(場面だけ)パッと変わるわけですね。
「あれ? ということは……?」っていうあたりとかですね。あるいは、お母さんの言い分。最初、お母さんが言っていること、「そんなことがあったのか! ひどい!」って(観客も思う)。でも、「いやいや、それは彼女の妄想だから」って……なるのか? つまり、お母さんの言い分が正しいのか、あるいはブルース・ウェイン親父の言い分が正しいのか、どっちが本当なのか。ちょっと揺さぶってきますよね。「(裏にサインが入った)写真もあるしな……」とか、揺さぶってくる。こんな感じで、とにかくほぼ全編が、振り返ってみれば、どこまでが現実でどこまでが妄想なのか、どっちが本当のことを言っていてどっちが違うのか、どちらとも取れる、絶妙なバランスで作られている。
最後の最後まで揺さぶりをかけてくる、という感じなんですね。「こうだと思っていたのに、あれ? 違うのかな?」っていうディテールも入れてくる。これによって、さっきから言っているように、単なる善悪とか単なる強者/弱者の二元論に陥ることも逃れているし、何より言うまでもなく、これこそがつまり、「ジョーカー的」なわけですよ。特にやはり、先ほどから言っているアラン・ムーア『キリングジョーク』で描かれたジョーカー・イズムに、実はこれ、非常に忠実なジョーカーの描き方なんです。なので「ヒース・レジャー版と違う!」って文句を言うのはいいんだけど、ちょっと『キリングジョーク』を読んでみてください。実はそこは非常に忠実に継承をしている作品だ、という風にも思います。もちろん、先ほど地下鉄のシーンが『狼よさらば』だっていう風に言いましたが、そもそもジョーカーがそうやって地下鉄内で一線を超えるシーン、要はビジランテ(自警団)的な行動を取っているわけですね。その「自警団的な行動を取った人が街のヒーローとして大衆に支持される」……これ、後のバットマンとやっていることと、なにが違うんですか? 完全に鏡像関係というか、変わらないじゃないかっていう感じにも言える。で、もちろん後のバットマンの誕生をそのジョーカーが予感して……「いやあ、最高に笑えるジョークだ」なんてことを言うわけですけども。
ただ、彼はですね、そのブルース・ウェイン少年が遭ったあの事件の、現場にはいないはずですし……とかね。あと、先ほどの、そのブルース・ウェイン親父との会話自体がそもそも怪しいぞっていう描写も含めると、ここもやはり現実/妄想、曖昧なあたりになってくる、ということですね。ということで、バットマンとジョーカーというものの鏡像関係っていうあたりは、まさしく『キリングジョーク』的な視点で、アメコミヒーロー物自体を批評する視点っていうものがある。それも面白いですし。
■「今の映画の在り方」を問い直す
あるいは、人々が自分の願望とか幻想を勝手に投影して騒ぐ、なんなら殉教者扱い、キリスト扱いして祭り上げる……つまりヒーローやヒーロー物をありがたがる我々観客というか、我々の心理、願望、欲望みたいなものっていうものへの批評にもなっている、ということですよね。しかも、僕はこの映画が見事だと思ったのは、いま僕が言ってきたようなその諸々……他にもいろんな読みができると思います。いろんな社会批評的な読みもできると思います。あるいは構造分析をしたりとか、あるいは共感、感情移入する、っていうこともあると思います。その「ジョーカーが同情すべき人物として描かれている。だから嫌だ」っていう風にメールでもおっしゃっていましたけども……みなさん最後のセリフ、覚えていますか? それら全てを、全部ばっさりと切って捨てるわけですよ。「はあ? お前らとは関係ない。(バサッ!)」って。決まったー!っていう感じですよね。完璧。あの最後の一言によって、完全にジョーカーとして完成した。そしてその後に続くエンディングショット。しっかり「コメディ」として幕を引く。スマートだな!っていう感じがいたしますね。
ということで、もちろん好き嫌いの問題はあるにしても、やろうとしたことの中では、最上の結果を出している一作だ、という風にも思います。私、個人的にはですね、以前この番組でも紹介しました、このMCU、アメコミ映画全盛期、映画のあり方そのものが変質しつつある今、マーティン・スコセッシが「MCU、あれは映画じゃない」なんて発言をして、非常に物議を醸したりしたこの今、まさにそのスコセッシ的な映画のあり方っていうのを……「本来、映画って……じゃあ映画って何? 映画のやれることって何?」っていう、まさにスコセッシ的な映画のあり方というのを使って、今に問い直して見せる。だから、やっぱり今でしか作られない、映画のあり方を問う、みたいな映画にもなっているというところで。あらゆる角度で僕は見事だなと思いました。ということでお見事、賞を獲ったりするのもこれは当然だなと思いますし。さらに賞レースに残ってくる作品なのは間違いないでしょう。もちろん好き嫌いがあるのはわかりますけどね。あと個人的には、いろんなゲストを迎える番組の司会者として、やはり、ゲストにナメた態度をとる、もしくはナメた態度でゲストを呼ぶ、これは本当に絶対に慎まなければいけないな、と思った次第でございます。あと逆恨みは本当にやめてください!(笑) 以上、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『ガリーボーイ』です)
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

TBSラジオ・アフター6ジャンクション
https://www.tbsradio.jp/421215
https://www.tbsradio.jp/a6j/
utamaru@tbs.co.jp
@after6junction 
Instagram:after6junction








(以下、ガチャパートにて)
宇多丸:あの地下鉄の中でね、証券マンが乗ってきて、その3人が狼藉を働いて、っていうところね。ちょっとあのウォルター・ヒルの『ウォリアーズ』っていう映画があって。それで地下鉄の中にやっぱり裕福な若者たちが乗ってきて……っていう、そこも思い出したりしたかな。
山本匠晃:証券マンなのか、広告マンなのか……。
宇多丸:いや、広告マンじゃないです。それ、勝手にいろんなものを投影する人が……自分の恨みを投影するんじゃない!っていうね(笑)。そのへんも戒めている映画だろうが!っていうね。まあ、『タクシードライバー』を見て、主人公トラヴィスの最後の行動に拍手喝采を観客がしていて、それに当時スコセッシがショックを受けた、というんですよ。そんなエピソードもありますけどね。だからそういう状況もちょっと重なる、そういう面もある、ということですかね。
++++++++++++++++++++++++++++++
◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!◆TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00〜21:00の生放送。
◆「週刊映画時評ムービーウォッチメン」は毎週金曜18:30から放送中。
◆FM90.5MHz/AM954kHz、PCやスマートフォンはradikoで。聴き逃しはradikoのタイムフリー機能で一週間前まで、それより過去はTBSラジオクラウドで。スマホの方はアプリを使うとより快適にお聞き頂けます。
映画の感想や評論映画のリクエストはutamaru@tbs.co.jp
HP:https://www.tbsradio.jp/a6j/
Twitter:@after6junction (日々のお知らせ)
Instagram:after6junction

TBSラジオ・アフター6ジャンクション
https://www.tbsradio.jp/421215
https://www.tbsradio.jp/a6j/
utamaru@tbs.co.jp
@after6junction 
Instagram:after6junction




posted by datasea at 09:16| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月16日

2019年11月13日

レイブラッドベリ: 火星年代記〜2005年の火星の孤独な砂金工(1950)

603e748284fa81fbc9a5542ce86205c0.jpg







レイブラッドベリ: 火星年代記〜2005年の火星の孤独な砂金工(1950)
火星年代記について
小笠原豊樹
レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)の「火星年代記」は1950年4月に初版がダブルデイ社から出版されて,それ以降版を重ねるたびに多くの賞賛と愛着を集めて,既にアメリカ SF 界の古典的名作となった小説である。
著者ブラッドベリは1920年にイリノイ州で生まれて1940年頃から文筆の世界に入って,1947年にオーヘンリー賞を受賞してからは,アメリカ文学会の異色作家として広く国際的にも知られるようになった。その多くの短編・長編・児童文学などはイギリス・ヨーロッパ各国・ソビエトにまで翻訳紹介されて無数のブラッドベリ・ファンを生み出している。
「火星年代記」は13の短編をさらに短い詩的な散文でつないだ連鎖小説ともいうべき形をとっていて,それぞれの独立した短編が有機的に関連して一つの長編を形作っている,という点でシャーウッドアンダーソンの「ワインズバーグ・オハイオ」などに似ているけれども,ブラックベリーの舞台はアンダーソンよりもはるかに壮大であって,宇宙時代にふさわしいスケールと人間心理の飛躍を取り扱っている。
舞台は20世紀末1999年の冬。地球から初の火星探査隊が出発する。最初の探検隊は二人の男だけで,到着と同時に極度にテレパシーの発達した嫉妬深い火星人の男に殺される。
同年夏,第二の探検隊が派遣。四人の男からなる探検隊で,火星の精神病医師に狂人と判断されて射殺される。
翌年の春,さらに大規模な第三の探検隊が火星に派遣されて到着するが,この頃までに地球人の植民地政策を悟った火星人たちの巧妙な罠にかかってやはり全員死亡する。
そして翌年第四の探検隊が重い警戒体制を固めて乗り込んだ時に,思いがけなくも火星人たちは地球人が持ち込んだ水疱症が原因でほとんど絶滅してしまう。その時から地球人の移住が始まって,火星の至る所に植民地が建設される。パイオニアたちの喜びと自負。数少ない生き残りの火星人との奇妙な精神的な交流。
しかし問題はむしろ古い地球の機構やしきたりや文化的無知がそのまま火星に持ち込まれたことであった。
眉をひそめさせるようなバンダリズムが新しい植民地に蔓延していく。。
それがほとんど頂点に達した2005年,突如として地球に核戦争が勃発。地球人の植民者達は先を争って地球へ帰りそれから20年。地球と火星との接触が絶えた火星は無人の星に戻り植民地の残骸が虚しく風雨にさらされる。
そして2026年10月。地球の文明に愛想を尽かした大家族が改めて火星移住者の第一号となる。。
ーレイブラッドベリ「火星年代記」,ハヤカワ文庫NV,1950年初版

t7r45te45t pc










2005年11月
。。死んだ火星の海のへりに小さな白い沈黙した町があった。町は空っぽであった。動く人影もなかった。軒を並べた店々の中で一日中寂しい明かりが燃えていた。。
店のドアというドアはまるで鍵をかけずに人々が飛び出して行ってしまったようにあけっぱなしになっていた。
一月前に銀色のロケットに積んで地球から持って来られた雑誌類が,静まり返ったドラッグストアの店先の針金を張った売台の上で,茶色っぽく日に焼けてパタパタと風にはためいていた。
その町は死んでいた。家の中のベッドは空っぽで冷たくなっていた。聞こえる物音といえば未だに一人で勝手に動いている電線や発電機を流れる電気の唸りだけであった。
忘れられた浴槽に水が流れ込んで,居間やポーチに溢れ出て,そこから小さな庭に流れていって,手入れしてくれる人もない草花を養っていた。
暗い劇場の中ではたくさんの座席の下にくっついたガムが歯型を残したまま固まり始めていた。
町の向こうにロケット空港があった。
最後のロケットが地球に向けて飛び立っていった頃には,まだ激しい焦げたような匂いが漂っていた。
貸望遠鏡に20セント硬貨を入れて地球に向けてみたみたならば,そこに大戦争が起こっているのを見ることもできるだろう。
ちょっとしたら,ニューヨークが爆破されるところも見えるだろう。新しい種類の霧に覆われたロンドンも見えるかもしれない。そうすればなぜこの小さな火星の町が無人と化したかもわかってくるだろう。。
人々が引き上げた時。その引き上げ方はどれだけ早かっただろうか。試しにどの店でもいいから中に あるレジのキーを叩いてみればいい。現金の入った引き出しがピカピカ光った硬貨をジャラジャラ言わせてぴょこんと飛び出てくるだろう。。
地球のあの戦争はとても激しいに違いない。。
この街の人通りの絶えた街路を,低く口笛を吹きながら,一心不乱に空き瓶を蹴飛ばしながら,背の高い痩せぎすの男が歩いてきた。その瞳は暗い静かな孤独の色を輝かせていた。
男は骨ばった両手をポケットに突っ込んで,真新しい10セント硬貨をチャリンチャリン鳴らしていた。時おり10セント硬貨を地面に投げた。投げながら穏やかな笑い声を上げてまた歩き続けた。そしてところきらわずピカピカ光る硬貨を撒き散らしていた。
男の名前はWalter Grip。蒼い火星の 深い山奥に,砂金鉱山の丸太小屋を持っていて,2週間に1回,物静かで聡明な結婚相手を探しに町へ降りてくるのは習慣であった。しかしもう何年もの間,いつも一人ぼっちで,がっかりしながら丸太小屋に帰るのであった。
そして2週間前,町に来てみると今言ったような状態になっていたのである。町に降りてきたGripは本当にびっくり仰天してしまったが,ーとりあえず一軒の軽食堂に駆け寄って,開き戸を開け放つと,三つ重ねのビーフサンドイッチを注文した。「はい!只今お持ちします!」と自分で応えたGripはタオルを手にかけた。Gripは肉と前日焼いたばかりのパンを並べてテーブルの塵を払うと,自分自身を席に案内して食事を積み込んだ。
次にソーダ水売場を見つけ出して 炭酸ソーダを注文した。そこの主人もGripという名前で,びっくりするほど丁重ですぐさまソーダ水を作ってくれた。
Gripは自分の作業ズボンにお金を手当たり次第に詰め込んだ。
それから子供用の乳母車に20ドル紙幣を積み込んで街の中をすたこらさっさと走った。
Gripは不意に自分が何という阿呆であるかということに気がついた。お金なんか必要ないのである。
Gripは10ドル紙幣を元の場所まで持って帰ってサンドイッチの代金として自分の財布から10ドル出して,軽食堂のレジの金庫に入れて,25セント硬貨まで添えた。
その夜は熱いトルコ風呂に入って,美味しいキノコを下に敷いた脂の多いフィレ肉と輸入品の辛口のシェリー,ぶどう酢漬けのイチゴを食べた。
そして新しい青いフラノの揃いの背広を着込んで,ひょろ長い頭に高価な灰色のハンブルグ帽子を変な格好にちょいと乗せた。
Gripはジュークボックスに硬貨を入れて「私の古いお友達」という曲をかけた。町中の10〜20台のジュークボックスに全部,白い25セント銅貨を投げこんだ。
その夜,寂しい街路に「私の古いお友達」の悲しいメロディーが満ち溢れ,その中に,細長いひとりぼっちのGripは新しい靴を はいて冷たい両手をポケットに突っ込んで歩いたのであった。。
ーレイブラッドベリ「火星年代記」,ハヤカワ文庫NV,1950年初版

t7r45te45t pc






posted by datasea at 09:30| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月30日

princeofwales1941: 映画「天気の子」は東京水没の予言詩〜江戸川区水害ハザードマップ表紙「ここにいてはダメ」の意図は何か


princeofwales1941: 映画「天気の子」は東京水没の予言詩〜江戸川区水害ハザードマップ表紙「ここにいてはダメ」の意図は何か
■小説 天気の子のあらすじ!読んだ感想やネタバレまとめ! | カサレリア大通り
執拗に降り続く雨により関東平野は広く水没していて、東京都の面積の1/3が今では水の下
日本の首都は今でも東京
人々はより西方に移り住んでいた、
これほど気候が変わっても人々は、当然のようにこの土地に住み続けていた
大学は農学部、気候が変わってしまった今の時代に必要なことを学びたかった
<中略>
山手線は環状線ではなくなっていて水没地域を挟んで C字型に途切れている、それぞれの先端に当たる巣鴨駅と五反田駅からは各地への水上バスが出ていた

Oodoori
https://oodoori.com/5084

国際情勢の分析と予測
https://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/143753f716b03c8984448ec205026643?fm=rss







Screenshot_20191031-034608.jpg


Screenshot_20191031-034503.jpg


「天気の子」の東京水没や「ここにいてはダメ」との江東五区水害ハザードマップの意図は何か?
19/08/24
江東5区広域避難推進協議会の検討結果について|葛飾区公式サイト
東京東部低地帯に位置する江東5区(葛飾区・墨田区・江東区・足立区・江戸川区)は、平成27年10月に大規模水害時の避難対応を検討することを目的として「江東5区大規模水害対策協議会」を設置し、平成28年8月に「江東5区大規模水害避難等対応方針」としてとりまとめを行いました。さらに、広域避難の具体化に向けた課題への検討が不可欠であることから、平成28年8月に「江東5区広域避難推進協議会」を設置し、関係機関と連携して検討を進めてきました。このたび、大規模水害による犠牲者がゼロになることを目指し、現段階で江東5区が取り得る対策をまとめた「江東5区大規模水害ハザードマップ」及び「江東5区大規模水害広域避難計画」を策定しました。
委員葛飾区長、墨田区長、江東区長、足立区長、江戸川区長アドバイザー片田敏孝 東京大学大学院情報学環特任教授幹事会江東5区の部長級(危機管理担当・都市施設担当)、内閣府、東京都総務局
オブザーバー
国土交通省(関東地方整備局荒川下流河川事務所・東京国道事務所、関東運輸局)、気象庁東京管区気象台、東京都(建設局・港湾局・交通局・下水道局)、警視庁、東京消防庁、首都高速道路株式会社、東京地下鉄株式会社、
東武鉄道株式会社、京成電鉄株式会社、首都圏新都市鉄道株式会社、
北総鉄道株式会社、東日本旅客鉄道株式会社
http://www.city.katsushika.lg.jp/kurashi/1000063/1004031/1018693.html
江東5区大規模水害広域避難計画(パンフレット) (PDF 9.4MB)
http://www.city.katsushika.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/018/693/panfu.pdf
■東京都江戸川区(@edogawa_city)さん / Twitter
東京都江戸川区@edogawa_city 6月5日
江戸川区水害ハザードマップ◆
区内の全戸に配布をした江戸川区水害ハザードマップ。多くの方から反響をいただきました。自然災害に対しては、日ごろから家族で避難時の行動を話し合っておきましょう。
https://twitter.com/edogawa_city
■江戸川区水害ハザードマップ 江戸川区ホームページ
「ここにいてはダメです」と表紙に書かれ、反響を呼んだ江戸川区水害ハザードマップ
https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e007/bosaianzen/bosai/kojo/kanrenmap/n_hazardmap.html
「ここにいてはダメ」ハザードマップに困惑 異例の呼びかけ 危機感が - 特集ダイジェスト - ニュースウオッチ9 - NHK 2019年6月5日(水)
深川仁志リポーター
「今回、江戸川区が発表したハザードマップ。
住民の皆さんへの説明会が行われます。」
昨夜から始まった住民説明会。なぜ、「ここにいてはダメです」という異例の表現を使ったのか。
江戸川区の防災担当者が強調したのは、大規模水害時に区が置かれる厳しい状況でした。
江戸川区の防災担当者
「ひとたびとんでもない豪雨や台風に襲われたなら、とても深く水につかり、水も2週間もひかないなど、区民の命を脅かす事態となってしまう。」
ただ、住民からは戸惑いの声が。
住民
「『区外に逃げなさい』と言われてもどうしたらいいのか。」
住民
「『個人で逃げなさい』と(ハザードマップ)作りましたから、こうなるから『逃げなさい』と言っても、まずうまくいかないだろう。」
70万人が住む江戸川区。西に荒川、東に江戸川、南に東京湾と、水に囲まれています。しかも、区内の7割が海水面より低い「海抜ゼロメートル地帯」です。
今、心配されているのが、地球温暖化による台風の巨大化です。猛烈な台風が江戸川区を襲ったらどうなるのか。想定される最大規模の豪雨や高潮が発生した場合、江戸川区のほぼ全域が浸水。中には、建物の3階から4階にあたる5メートル以上の浸水が発生するとされた地域も。区内の広い範囲で1週間から2週間以上の浸水が続くとされています。
さらに、被害は周辺にも及びます。江戸川区を含む荒川流域の5つの区の被災者は、最大250万人にも上ると想定されているのです。
このハザードマップ。過去には、想定とほぼ同じ被害が発生したケースが多くあります。
去年(2018年)の西日本豪雨で51人が死亡した岡山県倉敷市真備町。市が豪雨の前に発表していたハザードマップでは、こちらの赤いエリアで浸水が想定されていました。実際の浸水範囲を重ねてみると、ほぼ一致していたことが分かります。
では、江戸川区に暮らす70万人はどのようにして区の外に避難すればいいのか。
区が打ち出しているのは、早期の避難です。
氾濫が予想される72時間前から、周辺の区とともに住民の避難についての検討を開始。
48時間前には、避難の呼びかけを開始します。
避難先は、神奈川県や茨城県なども想定。
その上で、避難場所は親戚や知人の家、宿泊施設、さらには勤め先など、それぞれ各自で確保してほしいというのです。
自治体が避難場所を設定せずに、他の自治体への避難を求めるのは異例のことです。
江戸川区 防災危機管理課 本多吉成統括課長
「行政が避難場所を指定していないことに、お叱りの言葉をいただくこともあるが、区民の命を守ることが優先される。
今から自身で避難場所について、家族で考えながら、検討してもらいたい。」
https://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2019/06/0605.html

江東区
http://www.city.katsushika.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/018/693/panfu.pd

国際情勢の分析と予測
https://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/143753f716b03c8984448ec205026643?fm=rss



■やはり1位は東西線、首都圏の鉄道「最新混雑率」 | 通勤電車 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 2019/07/19 5:00
国土交通省は7月18日、2018年度の都市鉄道の混雑率調査結果を公表した。混雑率1位は2017年度と変わらず、東京メトロ東西線・木場→門前仲町間の199%。180%を上回る路線は11路線、東京圏主要区間の平均混雑率は163%で、いずれも前年度と同じだった。
結果を基に集計すると、今回のワースト5は
1位が東西線、
2位がJR横須賀線の武蔵小杉→西大井(197%)、
3位がJR総武線各駅停車の錦糸町→両国(196%)、
4位がJR東海道線の川崎→品川(191%)、
5位は日暮里・舎人ライナーの赤土小学校前→西日暮里(189%)
となった。
今回も1位は東西線
すっかり「日本一の混雑路線」として知られるようになってしまった東京メトロ東西線。2018年度も混雑率は前年度と変わらず199%でワースト1位となった。国交省の目安によると、混雑率200%は「体がふれあい相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める」レベルだが、実際にはそんな余裕はないと感じている人が多いのではないだろうか。東京メトロは同線の混雑率を180%以下に抑えることを目指し、駅や施設の大規模改良を進めている。列車増発を可能にする飯田橋―九段下間の折り返し設備の整備や、ホームと線路を1本ずつ増やして列車を交互に発着できるようにし、遅れと混雑の緩和を図る南砂町駅の改良工事などだ。ただ、2015年度の事業計画では飯田橋―九段下間の折返し設備の整備が2019年度、南砂町駅の改良は2020年度の完成予定だったが、今年発表した中期経営計画では供用開始の時期がそれぞれ2025年度、2027年度に延びた。
https://toyokeizai.net/articles/-/292868

国際情勢の分析と予測
https://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/143753f716b03c8984448ec205026643?fm=rss






私が今気になっているのはアニメ「天気の子」である。映画が2019年7月19日に封切りされ話題を呼んでいるらしい。私は時間が無く映画も見ていないし小説(7月18日発売)もコミック(7月25日発売)も児童文庫(8月9日発売)も読んでいないのだが、小説のあらすじが実に興味深い。執拗に降り続く雨により関東平野は広く水没していて、東京都の面積の1/3が今では水の下、山手線は環状線ではなくなっていて水没地域を挟んで C字型に途切れている、それぞれの先端に当たる巣鴨駅と五反田駅からは各地への水上バスが出ていたというのだ。地殻変動や海面上昇がない以上都下(多摩地区)が水没することは考えにくく、水没した3分の1というのは東京23区と思われる。五反田はよいとして、高台の巣鴨駅は港を作る場所が無いので、近隣だと駒込か田端〜上野間が適切な気がするが、この二つの地名に何か意味があるのだろうか?また、このような大規模な水没が起きると東京都心部のオフィスビルや上野・東京・品川の新幹線駅・リニア駅が全て利用不可能になってしまう。そのような危険な品川の大深度地下に日本政府がリニア駅を建設するとは思えない。水没の規模と期間は誇張されていると思われる。
日本の首都は今でも東京とのことだが、私が従来から予想している京阪奈京への還都や江戸の旧名への復帰という未来を公表するのは時期尚早ということだろうか。人々はより西方に移り住んでいた、これほど気候が変わっても人々は、当然のようにこの土地に住み続けていたというのは、水没した地域の住民が京阪奈京を含む西日本では無く武蔵野台地に移住したことを示唆している。
単なるアニメになぜそんなに真剣になるのかと笑う人もいるだろう。しかし、2018年8月22日に公表された江東5区大規模水害ハザードマップでは水害時の江東5区からの脱出による避難を住民に呼びかけているのは単なる偶然では無いだろう。そして、驚くべきことに、避難先の確保については行政は責任を持たないというのだ。これはあまりに無責任である。避難計画を立案することは不可能では無いはずだ。自衛隊を動員し、政府の権限で江東五区の企業を全て休業、公立学校も全て休校させ、江東五区の公務員と公共交通機関を政府命令でフル回転させることは可能と思われる。また、政府命令で南関東の国公私立の学校等の体育館を強制収用してそこに250万人の避難民を収容すれば良いのだ。それが出来ないのならば、江東五区は本来は市街化調整区域にして住宅の建設を阻止するべきだったのだ。しかしながら、戦後の日本政府は江東五区に鉄道新線建設や複々線化を行い、高層集合住宅を含む多数の住宅を建設することを推進して膨大な人口を居住させてきた。大江戸線環状部建設・つくばエクスプレス建設・半蔵門線押上延伸・日暮里舎人ライナー建設、千代田線綾瀬北綾瀬間支線の本線直通化など、西暦2000年以降も江東五区への居住誘導は継続されている。
江東5区大規模水害ハザードマップには謎が多い。板橋区・北区・荒川区・台東区・千代田区・中央区・港区などの隅田川以西地域にも広い低標高地域があり、洪水や高潮での重大な浸水被害が予想されているのにこれらは放置されている。荒川区などは浸水しない地域は道灌山などごく一部であり水害の危険性は江東五区と大差ない。千代田区や中央区、港区の浸水危険区域も恐らく百万人単位の昼間人口を有しており、水害時にはこれらの地域の職場を強制的に業務停止させたり昼間人口を脱出させたりする必要が出てくるのにそれは触れられていない。この矛盾した政策の目的は何だろうか?
そこで私が注目するのは、今年6月に江戸川区が公表したハザードマップである。江戸川区だけを取り上げて「ここにいてはダメです」と避難の必要性を警告している。「ここにいてはダメ」というのは、江戸川区に居住すること自体を否定している様にも聞こえる。江東五区大規模水害ハザードマップでも五区の区役所中で江戸川区役所が水没するイラストのみが提示されている。これは、江戸川区を特に狙って居住者に居住継続の再考を促す意図とも考えられる。今後は江戸川区に居住する学生や勤労者、江戸川区の病院に通院ないし入院する患者について、大規模水害時の避難先の確保と詳細な避難計画の役所への提出を義務づけるといった政策が実行される前兆かもしれない。
江東五区には西暦2000年以降に大江戸線環状部建設・つくばエクスプレス建設・半蔵門線押上延伸・日暮里舎人ライナー建設、千代田線綾瀬北綾瀬間支線の本線直通化などにより多くの新駅設置を含めた居住誘導が行われている。しかし、それらは全て荒川以西の墨田・江東両区と海から遠い上流寄りの足立区に属する。荒川以東では葛飾区の新駅は1991年開設の北総線新柴又駅が最後である。江戸川区に至っては、1986年の都営新宿線延伸による船堀、一之江、瑞江、篠崎駅開設、1988年の京葉線開業による葛西臨海公園駅開設が最後である。乗客増加にも関わらず鉄道輸送力の増強がないために、東京メトロ東西線やJR総武線快速、総武線緩行の混雑率は首都圏の上位10位前後に含まれる状態になっている。更に、川崎から汐留に至る東海道貨物支線の旅客化、つくばエクスプレスや東急目黒線の様な列車長編成化などの輸送力増強の可能性や計画もない。横田基地を封じ込めるためと思われるJR中央快速線の混雑や並行する京王本線・西武新宿線の複々線化見送りによる通勤時間帯の所要時間増加を除くと首都圏の主要鉄道路線は着実に線増による輸送力増加が行われているのに、江戸川区では30年間以上それが行われていないのだ。これは、水害の危険性を理由に住民の転出を推進する計画があるために鉄道の増強を見送ってきたことを示唆する。
江東五区の中でも墨田区や江東区は江戸時代からの市街地を有しており、江戸の文化を継承する地域として維持される必要があると思われる。また、足立区は上流に位置する為に高潮の危険は無く、洪水時にも予想浸水期間がやや短い。しかし、葛飾区や江戸川区には江戸時代の文化的遺産も無く、洪水時の予想浸水期間はやや長い。特に江戸川区は東京湾と江戸川と荒川に挟まれた事実上の川中島であり、洪水でも高潮でも大きな被害が予想される。江戸川区に標的を絞った住民の転出推進計画を住民の反感を増幅させないように注意しながら実行する意図と想像する。
原発立地道県では原発事故時の避難計画の必要性を県庁・道庁が認識している。これは実際に避難を行う目的では無く、原発事故により故郷が福島県のように大打撃を受けることを住民に理解させて原発の危険さを周知し将来の廃止につなげるための世論醸成が政策目的と思われる。同様に、東京都は江戸川区に特に焦点を当てて水害防止を目的に住民の転出を推進する意図と思われる。将来的には江戸川区は大部分を無人の遊水池や農地に転用するのが望ましいと思われる。

国際情勢の分析と予測
https://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/143753f716b03c8984448ec205026643?fm=rss






















posted by datasea at 22:08| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする