2020年04月06日

[動画][資料] 映画「復活の日」(1980)〜ウイルス災害スペクタクル


















カナダ人夫婦が北極に疎開
カナダの北極圏近くの村
あるカナダ人夫婦は新型コロナウイルスの感染を避けるために、北極に逃亡しようとして空港で見つかり隔離されたそうである。
この夫婦はケベック州から自動車で5500キロ移動し、飛行機に乗り換えてカナダの北極に近い人口250人の村の飛行場に降りた。
ところが、その飛行場で荷物を受け取ろうとしたところで、空港職員に取り押さえられ隔離のため別の地域に移送されたという。カナダでは国内旅行にも移動制限が課されており、別の州に移動した際には二週間ほどの隔離が求められる場合があるようだ。
この話を聞いて、小松左京の映画『復活の日』を思い出したが、この映画ではウイルス感染を避けるため人々は南極に避難する。日本でも東京封鎖が近いとあって、地方に疎開する人もいるようだが、都市から疎開した人による感染拡大に警戒が必要である。
野崎晃市(45)
2020-04-01(07:08) : 

文殊菩薩
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-9755.html









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2020年03月24日

本田健: 各国封鎖がおきる中での日本の今後の展開,すべき対策



本田健が語る「日本封鎖、秒読み開始!それでも、なぜ東京オリンピックを中止にできないのか?」

YouTube
https://youtu.be/Z2bsIxeJfJo







(要約)
本田健: 各国封鎖がおきる中での日本の今後の展開,すべき対策
作家の本田健です。
明後日締切があり,締切前に自分の首を絞めてるって事もよくわかってますが。。FacebookLiveやろうと決めました。原稿書いてる状況じゃないとも思います。この2日で世界が動くと感じましたので,FacebookLive配信をやろうと決めました。
皆さんもご存知の通りこの2日で世界はすごく動いた感じがします。ここから世界の大きな動きが始まるんじゃないかという風に感じます。
■各国の封鎖すすむ
4日前・3月17日の時点ではアメリカ・イギリスはまだロックダウンになってなかった。そしてその時点で私は,アメリカ,イギリスというメジャーな国がロックダウンになったら,いよいよ日本も考えるじゃないかっていう話をしていた。
そして当初の予感通り,昨日3月20日,アメリカが全国民に「海外旅行を止めるように」という海外旅行中止勧告を発令した。これはLevel4の勧告であって,従来アフガニスタン・イランといった戦下国家に対し出される勧告を世界中に出したという事。
正直本当に驚いたが,これがですねいよいよ世界規模のロックダウンの前触れだと思う。
先週,トランプ大統領がヨーロッパからの帰国者を米国内に入れないと宣言した。一方,ヨーロッパからの帰国者は,50万円を払ったフライトで帰国したにも関わらず,帰った先のニューヨークの空港で7時間待ちという大変なことになってしまった。そして米国の大統領としては宣言が早すぎたとの反省からか,海外渡航者に速やかに帰国するよう促すコメントに訂正した。しかしその段階で,それは米国のロックダウンの前触れだった。そしたらその数日後に,アメリカは「カナダとメキシコの国境を封鎖する」と宣言した。貿易のみ通過可能だという事。これは日本でニュースになっていないが,アメリカがロックダウンの準備にはいったという事だと思う。
最近は右耳でCNN,左耳でBBCの英語ラジオを聴きながら原稿書くっていう聖徳太子またいな事していますが。アメリカではイリノイ州知事が州ロックダウンの宣言をした。そして最終的にアメリカでは
コネチカット州
イリノイ州
カリフォルニア州
ニューヨーク州
がロックダウン,そこに住む7500万人の住民が外出禁止になった。
一方イギリスでは国内外すべてのパブ酒場を閉じると宣言をした。4日前・3月17日のFacebookLiveでのメッセージが現実になってしまった。ただイギリスで素敵だと思うのは,閉鎖したパブの従業員の給与の80%(2500ポンド,32万円相当)の上限を目処に政府が賄うと宣言をした事。これは日本もアメリカも見習うべき所だと思う。
そして今日,アルゼンチンも新たにロックダウン宣言。という事で
イタリア
フランス
ドイツ
ポルトガル
オーストラリア
マレーシア
インド
といった国々がいよいよロックダウンを本格的に始めたという状況。
そういう中で私が今日FacebookLiveを行う理由は伝えたいポイントがあるから。つまりオリンピック中止を阻止せんがために,ロックダウンできない日本。すなわちコロナ対策が日に日に遅れている日本の状況に非常に違和感を覚える。
私自身,睡眠中,トランプ大統領の記者会見が始まる4時00分直前の3時55分に目が覚めるといった臨戦態勢です。執筆と同時に情報収集を行っている。
作家生命のリスクを犯して皆さんへのメッセージ配信を始めた12日前,アメリカのコロナウイルスの感染者数は144人だった。
そして4日前・3月17日のFacebookLiveで「これから東京封鎖が始まるかもしれません」と話をした時点でアメリカの感染者数は1374人。
そして先程のジョンホプキンズ大学のリアルタイムの感染者数を発表してるサイトの数値では,何と19624人という数だ。
日本では感染者数が1000人を超えたというニュースがあった。つまり4日後に2万人近くに感染者が増えてもおかしくないような状況。アウトブレイク直前の状況にあると見るべきだ。
■起きうる展開
世界中の国・大都市がロックダウンされている。大都市でロックダウンされていないのは東京くらいのものだ。そういう状況下にあるにも関わらず,日本がロックダウンされないのは何故なのか?それはオリンピック中止になっては問題だからだ。
今日はパブリックなメディアなので,できるだけ気をつけて話をしますが,いずれにしても,お金をもらってるわけでもなく,特定の宗教とか政党など一切関係がないので。
アメリカやスウェーデンの水泳連盟が東京オリンピック延期の要請の旨の嘆願書が送られてきている。とにかくでオリンピックとしては,もう今までのオリンピックはできないと。いうそういうところに追い込まれている状況です。日本。IOC。WHO。それぞれがそれぞれの立場があり,ババを引く事を恐れて声をあげられない状態。その状況のままボールがストンと落ちていき,東京オリンピックは延期も中止も出来ない状況。
その決断できない状況下で割を食うのはお年寄りです。特におじいさんおばあさん70歳以上の方々が最終的にはそのツケを払う事になります。
そして今後どうなるのか。
アメリカがロックダウンした。そしてイギリスもロックダウンした。アメリカが7500万人をロックダウンしたとはいえまだまだロックダウンしていない州は多い。トランプは記者会見で「完全にアメリカ全体のロックダウンはない」と明言した。例えばコーン畑が無限に広がる風景を皆さん映画などで観た記憶があると思うが,そういう地域を封鎖しても意味がない。つまりそういう地域を除く人口密集地域が封鎖されている。その意味でアメリカは完全なロックダウンに近い状態にある。一方イギリスでは今日,レストラン・パブでは持ち帰り(Take Away)のみの営業になった。
じゃあ次はどういうシナリオがあるのか?
日本の大都市東京・大阪・兵庫。日本もここから相当危険なフェーズに入ってきたと思う。完全なロックダウンでなくてもいい。段階的自粛でも良いので対策を講じるべきだ。
「パーティーしてます」「セミナーしてます」いろいろなFacebookのメッセージを観る。それ自体が悪い訳ではないが,世界の常識からするとあまりにもびっくりするような状況が日本の今の常識になっている。日本だけが安全なのかと訊かれてそんな筈はない。東京オリンピック中止・延期ができないがために危機感を産むような対策が出来ない。そういう状況に分かって頂きたくてこの Facebook Liveをやっている。
ということはここからどういうことが考えられるのか?
アメリカでは1374人であった感染者数がたった4日で19624人に増えた。日本でも,多分ここから九州とか四国とか東北とか,今まで感染症見つからなかったところでクラスターが出てくる。封鎖せざるを得ない状況がくる。
ロックダウンになるまえに備蓄が必要。過去メッセージをご覧になられた方は1週間分備蓄されていると思うが,世界では3週間の封鎖,国によっては1ケ月の封鎖もおきている。先程のラジオではドイツの専門家が「最長2年間は封鎖するべきだ」ということを言っていた。
状況次第ではこれから1週間でロックダウンのオーバーシュートが起きるということを頭の片隅に置いておいてほしい。


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本田健さんコロナウィルスとロックダウンについて2020年3月17日
2020/03/18 00:00
国内ニュース
本田健さんコロナウィルスとロックダウンについて
いよいよ東京のロックダウンがいつ起きるのか
1、大きなイベントの自粛、中止が始まった
これが一段階目
2、スポーツコンサート
これは政府が決めたわけではない、日本人特有の忖度、によって決まった
3、美術館、公共施設、
現在日本は3番目のところにいる
イタリア・スペイン、フランスなどここから一気にくる
4、バー、レストラン、映画館、など人が集まるところ。
これは非常事態宣言ができないと無理であるから、法律を通したと思われる。
5.移動禁止、病院や家族に食糧を届けるなどについて許可証をもらって行かないと警察に捕まってしまう。
イタリアのユーチューバによると、禁固3ヶ月から206ユーロ(25000円くらい)の罰金が課される。
6.すべてのロックダウン
ビジネスできない、病院へは基本的に救急車のみ。医療崩壊が起きる。
現在崩壊の前にいる。
コロナは今年中には収束しないと考えている。
経済もここから本格的に破たんするようになる。
国がこれからどのように崩壊していくのか…。
経済がどのように崩壊していくのか…。
そして新しい世界が立ち上がっていく。
イタリア・ドイツ・韓国…をキーワードとして語る。ドイツcoco債、たった1200億円のものを払わない、というのは、お金が相当なくなっていると考えられる。ここから考えられることは、そう遠くない将来に、リーマンショックの何倍かの金融危機が来る可能性があると思われる。
■ロックダウンのシナリオ
キットが使えるようになり感染者が爆発的に増える
東京オリンピックの方向性3月18日IOCの理事会が急遽行われた 世界中がロックダウンしていき、実は選手がまだ決まっていない。いったい誰がオリンピックに行くのか決まっていない。収束がロックダウンが解かれた4月とかだとして、どうするのか、くじ引きで決めるのかなどなど。このオリンピックについては保険絡み。
日本が止めると言った場合
IOCが止めると言った場合
WHOが止めると言った場合
このようなことが契約書に入っているのではないか。WHOがパンデミック宣言、最終的に開催不可能である IOCは、WHOが止めろというのならやむを得ないと責任転嫁をしている。しかし、日本政府はWHOへの巨額の献金をしており、この組織を抱き込んでいる。これにより、WHO,IOCともに、専門的見地から中止勧告はできるものであったが、しかし、予算を巨額に上回る資金が使われて、開催するも地獄、中止も地獄のオリンピックになってしまって、誰かが損失補填をしなくてはならない。だから誰もが「中止」と言えない状況になっている。そして、日本が取っている感染者抑制については、欧米諸国との文化的な違いもある。欧米人は「ハグ」「キス」を常に行い、距離感もかなり近いが、日本人には、こういう文化はなく、あいさつはお辞儀、握手をする習慣もないので、感染広がりは欧米ほどではない。しかし、もしオリンピックの開催が実行されたとしても、飛行機が飛ばない状況で選手も観客ももちろんやってこない。ではやっぱり「オリンピックはできません」という決定をWHOが言ってくれないと、オリンピックのキャンセルができない。IOCが最終的にWHOと話しをしキャンセルと決めることが可能になる。
これから先、すこしの時間の猶予があるので、備蓄をするべきである。
さて、ここから本田健さんからのうれしいメッセージ
イタリア⇒ドイツ⇒スペインときて
イギリス⇒アメリカ、がロックダウンになったら
そろそろ日本もロックダウンになる。ゆるやかな穏やかな中途半端なロックダウンになりそう 2週間から1ヵ月半のロックダウンが終わった時からが大事。
今、生き方に迷っている人は、アフターコロナの後、自分はどう生きるのか。今、お金がない人、困っている人は、3月末まで熟慮して過ごす。この期間が最も大事である。これから相当精神的に追い詰められていくと思います。破産した人をたくさん知っているが、破産する体験と言うのは、人生で最もドラマチックで、エキサイティングで、二度としたくないぐらい辛かったと言う。けれどもその結果、本当に信頼できる友だちができ、支えてくれる先生が見つかり、そして本当の友人や支援者がだれかということがはっきりする。そうした意味で、みなさんが失うものは、ミエとエゴと必要のないお金です。お金が無くなったから破産したからといって人生を失うことじゃない。そして、真面目な人こそ、生命保険を調べて自分がいなくなったら家族にいくら残せるかなと考える。
しかし僕は違うアプローチをしたい。破産したとしたら、全く違う自分と出会う。全く違う才能が出てくる。ノーマネーの状態はただ単にお金がない状態であるだけ。もし自分が破産したらどうなるのだろう?その後の人生はどうなるのだろう?と考えてみる。
次回に続く(3月末頃)
預金封鎖について、予兆がある
食糧など2,3週間分買っておくこと。家が大きい人は余分に買っておいて誰かにあげましょう。できれば生活費を2ヶ月分用意する。ない人は周りに頼る。自分だけの問題にせず、周りの人たちに助けてもらう。絶望で終わらせないこと。ミエとプライドを捨てること。感情的に安定してない人が苦しむ。お金がある人は、分け与える。困った人に回す。人生はお金回しゲーム
令和=ゼロ、和

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.xn--l8ji6b8dbd9a6a7e0hd.com/article/474113830.html











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2020年03月07日

Etienne de la Boétie「自発的隷従論」〜民衆は支配されたがっている




Etienne de la Boétie「自発的隷従論」〜民衆は支配されたがっている
2020年03月05日19:49
予防接種ワクチンを強制されたら
以下の『自発的隷従論』にヒントはある
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1070.html
雁屋哲の今日もまた
http://kariyatetsu.com/blog/1665.php
2014-03-03
自発的隷従論
最近、目の覚めるような素晴らしい本に出会った。
「自発的隷従論」という。
エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(Etienne de la Boétie)著(山上浩嗣訳 西谷修監修 ちくま学芸文庫 2013年刊)。
ラ・ボエシは1530年に生まれ、1563年に亡くなった。ラ・ボエシは33歳になる前に亡くなったが、この、「自発的隷従論」(原題: Discours de la servitude volontaire)を書いたのは、18才の時だという。あの有名な、モンテーニュは ラ・ボエシの親友であり、ラ・ボエシ著作集をまとめた。
今から、450年前に18才の青年に書かれたこの文章が今も多くの人の心を打つ。この論が、「人が支配し、人が支配される仕組み」を原理的に解いたからである。
「自発的隷従論」はこの「ちくま学芸文庫」版ではわずか72頁しかない短い物だが、その内容は正に原理であって、その意味の深さは限りない。それは、ニュートンの運動方程式「力は、質量とそれに加えられた加速度の積である。F=am」は短いがその意味は深いのと同じだ。
ラ・ボエシの「自発的隷従論」の肝となる文章を、同書の中から幾つか挙げる。
読者諸姉諸兄のためではなく、私自身が理解しやすいように、平仮名で書かれている部分が、返って読みづらいので、その部分を漢字にしたり、語句を変更している物もある(文意に関わるような事は一切していない)。
同書訳文をその読みたい方のために、私の紹介した言葉が載っている、同書のページ数を記しておく。本来は、きちんと同書を読んだ方が良いので、私はできるだけ多くの方に、同書を読んで頂きたいと思う。私がこの頁で書いていることは、同書を多くの人達に知って頂くための呼び水である。私は自分のこの頁が、同書を多くの人達にたいして紹介する役に立てれば嬉しいと思っている。
A「私は、これほど多くの人、村、町、そして国が、しばしばただ一人の圧制者を耐え忍ぶなどということがありうるのはどうしてなのか、それを理解したいのである。その圧制者の力は人々が自分からその圧制者に与えている力に他ならないのであり、その圧制者が人々を害することが出来るのは、みながそれを好んで耐え忍んでいるからに他ならない。その圧制者に反抗するよりも苦しめられることを望まないかぎり、その圧制者は人々にいかなる悪をなすこともできないだろう。(P011)」
B「これは一体どう言うことだろうか。これを何と呼ぶべきか。何たる不幸、何たる悪徳、いやむしろ、何たる不幸な悪徳か。無限の数の人々が、服従ではなく隷従するのを、統治されているのではなく圧制のもとに置かれているのを、目にするとは!(P013)」
C「仮に、二人が、三人が、あるいは四人が、一人を相手にして勝てなかったとして、それはおかしなことだが、まだ有りうることだろう。その場合は、気概が足りなかったからだと言うことができる。だが、百人が、千人が、一人の圧制者のなすがまま、じっと我慢しているような時、それは、彼らがその者の圧制に反抗する勇気がないのではなく、圧制に反抗することを望んでいないからだと言えまいか(P014)」
D「そもそも、自然によって、いかなる悪徳にも超えることのできない何らかの限界が定められている。二人の者が一人を恐れることはあろうし、十人集ってもそういうことがあるうる。だが、百万の人間、千の町の住民が、一人の人間から身を守らないような場合、それは臆病とは言えない。そんな極端な臆病など決してありえない。(P015)」
E「これは(支配者に人々が隷従していること)、どれほど異様な悪徳だろうか。臆病と呼ばれるにも値せず、それふさわしい卑しい名がみあたらない悪徳、自然がそんなものを作った覚えはないと言い、ことばが名づけるのを拒むような悪徳とは。(P015)」
F「そんなふうにあなた方を支配しているその敵には、目が二つ、腕は二本、体は一つしかない。数かぎりない町のなかで、もっとも弱々しい者が持つものと全く変わらない。その敵が持つ特権はと言えば、自分を滅ぼすことができるように、あなた方自身が彼に授けたものにほかならないのだ。あたがたを監視するに足る多くの目を、あなたが与えないかぎり、敵はどこから得ることができただろうか。あなた方を打ち据えるあまたの手を、あなた方から奪わねば、彼はどのようにして得たのか。あなた方が住む町を踏みにじる足が、あなた方のものでないとすれば、敵はどこから得たのだろうか。敵があなた方におよぼす権力は、あなた方による以外、いかにして手に入れられるというのか。あなた方が共謀せぬかぎり、いかにして敵は、あえてあなた方を打ちのめそうとするだろうか。あなた方が、自分からものを奪い去る盗人をかくまわなければ、自分を殺す者の共犯者とならなければ、自分自身を裏切る者とならなければ、敵はいったいなにができるというのか(P022)」
ここまでの、ラ・ボエシの言う事を要約すると、
「支配・被支配の関係は、支配者側からの一方的な物ではなく、支配される側が支配されることを望んでいて、支配者に、自分たちを支配する力を進んで与えているからだ」
と言う事になる。
「支配されたがっている」
とでも言い換えようか。それが、ラ・ボエシの言う「自発的隷従」である。
支配される側からの支配者に対する共犯者的な協力、支配される側からの自分自身を裏切る協力がなければ、支配者は人々を支配できない。
このラ・ボエシの言葉は、日本の社会の状況をそのまま語っているように、私には思える。ラ・ボエシの「自発的隷従論」は支配、被支配の関係を原理的に解き明かした物だから、支配、被支配の関係が成立している所には全て応用が利く。
「自発的隷従論」の中では、支配者を「一者」としているが、ラ・ボエシが説いているのは支配、被支配の原理であって、支配者が一人であろうと、複数であろうと、御神輿を担ぐ集団であろうと、他の国を支配しようとする一つの国であろうと、「支配する者」と「支配される者」との関係は同じである。そこには、ラ・ボエシの言う「自発的隷従」が常に存在する。
日本の社会はこの「自発的隷従」で埋め尽くされている。というより、日本の社会は「自発的隷従」で組立てられている。日本人の殆どはこの「自発的隷従」を他人事と思っているのではないか。他人事とは飛んでもない。自分のことなのだ。
大半の日本人がもはや自分でそうと気づかぬくらいに「自発的隷従」の鎖につながれているのだ。読者諸姉諸兄よ、あなた方は、私の言葉に怒りを発するだろうか。火に油を注ぐつもりはないが、怒りを発するとしたら、それはあなた方に自分自身の真の姿を見つめる勇気がないからだ、と敢えて私は申し上げる。
上に上げた、ラ・ボエシの言葉を、自分の社会的なあり方と引き比べて、読んで頂きたい。まず日本の社会に独特な「上下関係」について考えてみよう。大学の運動部・体育会を表わす表現に「4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷」というものがある。1年生は、道具の手入れ、部室、合宿所掃除、先輩たちの運動着の洗濯、など上級生・先輩たちの奴隷のように働かされる。2年生になると、やはり上級生たちに仕えなければならないが、辛い労働は1年生にさせることが出来る。3年生になると、最早労働はしない。4年生のご機嫌だけ取って、あとは2年生、1年生に威張っていればよい。4年生になると、1年生は奴隷労働で尽くさせる、2年生は必要なときに適当に使える。3年生は自分たちにへつらい、こびを売るから可愛がってやり、ときに下級生がたるんでいるから締めろと命令して、3年生が2年生、2年生が1年生をしごくのを見て楽しむ。これは、有名私立大学の体育会に属する学生、体育会のOB何人もから聞いた話だから確かである。こんな運動部に絶えず新入生が加入する。彼らは人伝えに、上下関係の厳しさを知っていて、新入りの1年生がどんな目に遭うか知っていて、それでも体育会・運動部に入ってくる。そして、入部早々新入生歓迎会という乱暴なしごきを受ける。毎年春になると、上級生に強要されて無茶苦茶な量の酒を飲まされて急性アルコール中毒で死ぬ学生の話が報道される。そのしごきが厭になって止める学生もいる。だが、運動部が廃部になることは滅多にない。入部する新入生が減ったとか、いなくなったとか言う話も滅多に聞かない。OBや上級生は「我が部、何十年の伝統」などと、自慢する。この場合の自慢は、自己満足の表明である。下級生は何故上級生の支配を日常的に受けて我慢しているのか。そう尋ねると、例えば、野球なら野球をしたいから部に入っている。部を止めたら野球ができなくなる。だから、上級生のしごきも我慢しなければならない、と答えるだろう。本当だろうか。しごきがなければ、野球部は出来ない物だろうか。野球の発祥の地アメリカの大学や高校の野球チームで、日本のように上級生の下級生にたいするしごきがあったら、しごいた上級生は直ちにチームから追放されるだろう。何故、野球をしたいがために殴られたり、無意味どころでは無く、腰に非常に有害ななウサギ跳びなどをされられるのを甘んじて受け入れるのか。運動部のOBは卒業してからも、現役の学生の選手たちに威張っている。また、そのOBの中でも卒業年次ごとに上下関係がある。一旦運動部に入ると、死ぬまでその上下関係に縛られる。
彼らは、支配被支配の関係が好きなのだ。支配される事が好きだから、「仕方がない」などと言って、先輩の暴力を耐えるのである。いつも支配されつづけていると、例えば日本の野球部の新入生は上級生からの暴力が絶えたら、自分でどう動いて良いか分からなくなるのではないか。何故、運動部・体育会について、長々と書いたかというと、この、運動部・体育会の奇怪で残忍な組織は、日本の社会だから存在する物であり、日本の社会の構造そのものを、そこに作り出していて、日本社会のひな形だと思うからだ。日本の運動部・体育会は後輩の先輩たちに対する自発的隷従によって成立している。日本の社会がまさにそうである。
日本の会社、官僚の世界も同じである。日本の会社に一旦入るとその日から先輩社員に従わなければならない。それが、仕事の上だけでなく、会社の外に出ても同じである。居酒屋や焼き肉屋で、どこかの会社の集団なのだろう、先輩社員はふんぞり返って、乱暴な口をきき、後輩社員はさながら従者のように先輩社員の顔色をうかがう、などと言う光景は私自身何度も見てきた。「会社の外に出てまでか」と私はその様な光景を見る度に、食事がまずくなる思いをした。
高級官僚(国家公務員上級試験に合格して官僚になった人間。国家公務員上級試験に合格しないと、官僚の世界では、出世できないことになっている)の世界はまたこれが、奇々怪々で、入庁年次で先輩後輩の関係は死ぬまで続く。その年次による上下関係を保つ為なのだろう、財務省などでは同期入庁の誰かが、官僚機構の頂上である「次官」に就任すると、同期入庁の者達は一斉に役所を辞めて、関係会社・法人に天下りする。さらに、恐ろしいことだが、先輩が決めた法律を改正することは、先輩を否定することになるので出来ないという。
なにが正しいかを決めるのは、真実ではなく、先輩後輩の上下関係である。だから、日本では、どんなに現状に合わないおかしな法律でも改正するのは難しい。会社員の世界も、官僚の世界も、先輩に隷従しなければ生きて行けない。自ら会社員、官僚になる道を選んだ人間は自発的に隷従するのである。
日本の選挙は、民主主義的な物ではない。企業、宗教団体、地方のボス、などが支配している。例えば、企業によっては、係長や課長位の地位になると、上の方から「党費は会社が持つから自民党に入党してくれ」と言ってくることがある。日本の会社社会では上司の言う事に叛くのは難しい。特に、中間管理職程度に上がってしまうと、これから先の出世の事を考えざるを得なくなるから、なおのこと上からの命令に逆らえない。言われた人間は、自民党に入党して、自分の家族の中で選挙権を持っている人間の名前も届ける。選挙となると、自民党の候補の名前を知らされる。自民党候補に家族も一緒に投票しろ、と言うわけである。投票場では投票の秘密が守られているから、実際に投票する際に自民党以外の候補の名前を書いても良いのだが、日本の会社員にはそれが仲々出来ない。態度からばれるのではないか、何か仕組みがあって他の候補者に投票したことは必ず掴まれるのではないか、と不安になる。心配するくらいなら、決められたとおり投票しようと言うことになる。
地方に行くと、各地方ごとにボスがいる。県会議員、市会議員、町会議員、がそれぞれその上の国会議員の派閥ごとに系列化されている。中で、町会議員は一番小さな選挙区で活動している。昔からその地域に住み着き、地域の住民に影響力のある人物である。言わば、その地域のボス的存在である。そう言う人は地域住民と日常的に接触し、住民一人一人の樣子も掴んでいる。狭い生活範囲でお互いに顔見知りで、みんなの意向に反することをするのは良くないことだ。この地域の空気を乱すようなことをできない。みんなの空気に従おうと言う事になるのが、この日本の実情だ。その空気は首相、大臣、国家議員、県会議員、市会議員、町会議員と順繰りに上から下に降りてきて、地域の住民を包み込む。国会議員の選挙の場合にも、その町内のボスが自分の派閥の候補者の名前を公言する、あるいは直接、間接的にその候補者に投票するように地域の住民に伝える。特に、地方の場合、地域のボスの力が強いから、投票場でもボスの目が光っている。投票場は秘密が守られているはずだから、ボスの指定した候補者以外の人間に投票しても良いのだが、地方では確実にそれがばれるという。
民主主義の世界で、国民にとって唯一自分の政治的要求を追求することの出来る選挙権さえ、日本では、地域のボス=権力者=支配者に、与えてしまう。自発的に隷従するのである。もっとも、選挙に行かない人達も多い。政治に嫌気が差して政治に無関心になるのか(アパシーにおちいる)、投票したい候補者が見つからないこともある。そして、選挙に行かない人が多いほど、ボスによる選挙支配が上手く行き保守党が勝利することになる。
かつて自民党の党首が、なるべく選挙に来ないでもらいたい、と言った。投票率が低いほど、ボスによる選挙支配が上手く行くのだ。一体どうしてこう言うことになるのか。ラ・ボエシは言う。
G「人々はしばしば、欺かれて自由を失うことがある。しかも、他人によりも、自分人にだまされる場合が多いのだ。(P034)」
H「信じられないことに、民衆は、隷従するやいなや、自由を余りにも突然に、あまりにも甚だしく忘却してしまうので、もはや再び目覚めてそれを取り戻すことができなくなってしまう。なにしろ、あたかも自由であるかのように、あまりにも自発的に隷従するので、見たところ彼らは、自由を失ったのではなく、隷従状態を勝ち得たのだ、とさえ言いたくなるほどである。(P034)」
I「確かに、人は先ず最初に、力によって強制されたり、打ち負かされたりして隷従する。だが、後に現れる人々は、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んで行うようになる。そう言うわけで、軛(くびき)のもとに生まれ、隷従状態の元で発育し成長する者達は、もはや前を見ることもなく、生まれたままの状態で満足し、自分が見いだした物以外の善や権利を所有しようなどとは全く考えず、生まれた状態を自分にとって自然な物と考えるのである。(P035)」
J「よって、次のように言おう。人間に於いては、教育と習慣によって身に付くあらゆる事柄が自然と化すのであって、生来のものと言えば、元のままの本性が命じる僅かなことしかないのだ、と。(P043)」
K「したがって、自発的隷従の第一の原因は、習慣である。
だからこそ、どれほど手に負えないじゃじゃ馬も。始めは轡(くつわ)を噛んでいても、そのうちその轡を楽しむようになる。少し前までは鞍を乗せられたら暴れていたのに、今や馬具で身をかざり、鎧をかぶって大層得意げで、偉そうにしているのだ。(雁屋註:西洋の騎士が乗る馬の姿のことであろう)(044)」
L「先の人々(生まれながらにして首に軛を付けられている人々)は、自分たちはずっと隷従してきたし、父祖たちもまたその様に生きて来たという。彼らは、自分たちが悪を辛抱するように定められていると考えており、これまでの例によってその様に信じ込まされている。こうして彼らは、自らの手で、長い時間をかけて、自分たちに暴虐を働く者の支配を基礎づけているのである。(P044)
これを読んで、思うことは、1945年の敗戦まで、日本人を支配していた天皇制である。明治維新の頃の日本人は、福沢諭吉の言葉を借りると、
「我が国の人民は数百年の間、天子があるのを知らず、ただこれを口伝えで知っていただけである。維新の一挙で政治の体裁は数百年前の昔に復したといっても、皇室と人民の間に深い交情(相手に対する親しみの情)がある訳ではない。その天皇と人民の関係は政治上のものだけであり、(中略)新たに皇室を慕う至情をつくり、人民を真の赤子(せきし)のようにしようとしても、今の世の人心と文明が進んだ有り様では非常に難しいことで、殆ど不可能である。(『文明論の概略 第十章』福沢諭吉全集第四巻 一八八頁)」
実際に明治政府は、各県に「人民告諭」を出して、日本には天皇がいると言うことを、人々に教えなければならなかった。例えば、奥羽人民告諭には
「天子様は、天照皇大神宮様の御子孫様にて、此世の始より日本の主にましまして・・・・・」
などと言っている。この人民告諭は、天皇のことを一番知っているはずのお膝元の京都でも出された。今の私達に比べて、当時の日本人は天皇に対する知識がゼロだったのである。当然天皇を崇拝し、従うなどと言う意識は全くなかった。象徴天皇制の現在でも、多くの人が天皇を崇拝しているが、明治の始めに、一般民衆が天皇を崇拝するなど、考えられなかった。
一体どうしてこんな違いが生まれたか。1889年に明治政府が、「大日本帝国憲法」を決めて
「第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」
と天皇を絶対権力者とし、
1890年に教育勅語によって、
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス(中略)
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
と命令されると、明治維新前に生まれ育ち、徳川幕府の権力の下に生きていた人達もラ・ボエシの言葉「G」、「H」の言う通りに、天皇の権力の支配を喜んで受け、その子供たち、孫たち、1945年の敗戦以前に生まれた人間は、ラ・ボエシの言葉、「I」、「J」、「K」の言うとおり、習慣として天皇制の軛につながれていたのである。軍国時代になると、人々は天皇(と天皇を担ぐ政府)に自発的隷従をして、抵抗もせず勇んで兵士となり、死んで行ったのだ。当時の新聞や雑誌、出版物を読むと寒々として、しまいに恐ろしくなる。天皇に忠誠を誓う奴隷、自発的隷従者の言葉で満ちあふれているからである。
昭和天皇は敗戦後、戦犯として訴追されることを免れた。天皇服を着て白馬に乗って軍隊を閲兵した大元帥で、日本全軍を率いて敗戦前は具体的に戦争の指示まで出していたのに、突然白衣を着て顕微鏡をのぞく実直な科学者に変身し、実は平和を愛する人間だったいうあっけにとられるようなジョークがまかり通り、人間天皇、象徴天皇として、存在し続けたために、人々が天皇に自発的隷従をする習慣は簡単に消え去らなかった。自民党の国会議員が「教育勅語を学校で教えるべきだ」などと言ったり、山本太郎議員が、園遊会で天皇に手紙を渡したことを、不敬だなどと騒ぐのも、その習慣がいまだに伝わっているからだろう。
日本の天皇制は、自発的隷従の典型である。そして、天皇に自発的に隷従する習慣は、いまだに日本人の心理の底流に流れていて、その隷従の習慣を誇りに思う人が少なくないのである。昭和天皇が亡くなったときの騒ぎは忘れられない。繁華街の火は消え、祝い事はとりやめ、何事も「自粛、自粛」の言葉に押え付けられた。テレビのバラエティー番組に、有名なテレビタレントが、なにを勘違いしたのか喪服を着て現れたのを見て私は心底驚いた。あの時の日本社会を表現するなら、日本人の心理に植え付けられていたがとっくに黄泉の世界に送り込まれていたはずの「自発的隷従」の「習慣」が昭和天皇の死をきっかけに一気に黄泉の世界からこの地上に湧き出した、と言う事になるだろう。私は天皇制から自由にならない限り、日本は、韓国、中国、台湾を始め、マレーシア、シンガポール、香港、などの東南アジアの国々と真の友好を結ぶことができないとおもう。
戦争責任の話になると、誰が命令したのかというと軍の責任になり、では軍の最高責任者は誰かというと天皇になる。日本人は、天皇の責任を問うことは出来ない、と言うから、けっきょく末端の戦争責任も問えないことになる。謝罪するとなると、天皇にまでその謝罪行為が及ぶ。だから、それがいやさに日本は、韓国や中国に謝罪できず、強弁してますます韓国や中国との関係を悪くする一方である。もっとも現行憲法下天皇に政治的行為は出来ないから、日本の政治の最高責任者である総理大臣が、昭和天皇の分もきちんと謝罪をするべきである。きちんとした謝罪をしない限り、韓国、中国との、全く不毛な争いはやまないだろう。責任は、百パーセント、日本にある。
日本の権力者たちは誰なのかはっきりしない。アメリカなら、軍産複合体の指導者達、金融界の大物たち、宗教界の大物たちで有るとはっきり分かるが、日本の場合、我々一般の人間にははっきりしないから困る。安倍首相は、その権力者たちの意に従って動いているだけだろう。日本の、自発的隷従は根が深いのである。
では、この自発的隷従から自由になるためにはどうすれば良いか。ラ・ボエシは書いている。
M「圧制者には、立ち向かう必要なく、打ち負かす必要もない。国民が隷従に合意しない限り、その者は自ら破滅するのだ。何かを奪う必要など無い。ただ何も与えなければよい。国民が自分たちのために何かをなすという手間も不要だ。ただ、自分のためにならないことをしないだけでよいのである。民衆自身が、抑圧されるがままになっているどころか、敢えて自らを抑圧させているのである。彼らは隷従を止めるだけで解放されるはずだ。(P018)」
N「それにしても、なんと言うことか、自由を得るためにはただそれを欲しさえすればよいのに、その意志があるだけでよいのに、世の中には、それでもなお高くつきすぎると考える国民が存在するとは。(P019)」
そうなのだ。問題は次の二つだ。
「自分たちが隷従していることをしっかり自覚するか」
「自覚したとして、隷従を拒否する勇気を持てるか」
この二つにきちんと対処しなければ、日本はますます「自発的隷従」がはびこる、生き辛い国になるだろう。ただ、ラ・ボエシの次の言葉は厳しい。
O「人間が自発的に隷従する理由の第一は、生まれつき隷従していて、しかも隷従するようにしつけられているからと言うことである。そして、この事からまた別の理由が導き出される。それは、圧制者の元で人々は臆病になりやすく、女々しくなりやすいと言うことだ(雁屋註:「臆病であることを女々しいと言うのは女性蔑視に繋がるが、ラ・ボエシの生きていた17世紀初頭という時代の制約を理解いただきたい」(P048))
P「自由が失われると、勇猛さも同時に失われるのはたしかなことだ。彼らは、まるで鎖につながれたように、全く無気力に、いやいや危険に向かうだけで、胸の内に自由への熱意が燃えたぎるのを感じることなど絶えてない。(P049)」
Q「そしてこの自由への熱意こそが、危険などものともせずに、仲間に看取られて立派に死ぬことで、名誉と栄光とを購い(あがない)たいとの願いを生じさせるのである。自由な者達は、誰もがみなに共通の善のために、そしてまた自分のために、互いに切磋琢磨し、しのぎを削る。そうして、みなで敗北の不幸や勝利の幸福を分かち持とうと願うのだ。ところが、隷従する者達は、戦う勇気のみならず、他のあらゆる事柄においても活力を喪失し、心は卑屈で無気力になってしまっているので、偉業を成し遂げることなどさらさら出来ない。圧制者共は事のことをよく知っており、自分のしもべたちがこのような習性を身につけているのを目にするや、彼らをますます惰弱にするための助力を惜しまないのである。(P49)」
確かに、隷従を拒否することは勇気がいる。その日、その日の細かいこと一々について隷従がついて回るのが日本の社会だから、それを一々拒否するのは、辛い。時に面倒くさくなる。だが、本気で隷従を拒否したいのなら、日常の細かい何気ないところに潜んでいる隷従をえぐり出さなければ駄目なのだ。
だが、そうするとどうなるか。周りの隷従している人達に、まず攻撃されるのだ。偏屈だと言われる、へそ曲がりだと言われる、自分勝手だと言われる、他の人が我慢しているのにどうしてあなただけ我慢できないのと言われる、変わり者だと言われる、ひねくれていると言われる、政治的に偏向していると言われる、あなたには出来るかも知れないが他の人は出来ないんだよ、自分だけがいい気になるな。隷従を拒否しようとすると、まず隷従している人間から攻撃を受けるのだ。(上に上げた言葉は、私が実際に色々な機会に言われた言葉である)
他方、隷従を要求している側から見れば、排除するか、痛めつけるか、どちらかを選択するだろう。隷従を続けて生きて行くか、自由を求めるか、それは個人の意志の問題だ。自由への熱意を失ってしまった人間にとっては、隷従が安楽なのだろうことは、今の日本の社会を見れば良く分かる。
最後に、ラ・ボエシの書いた美しい文章を、引き写す。じっくりと読んで頂きたい。
R「この自然という良母は、我々みなに地上を住みかとして与え、言わば同じ家に住まわせたのだし、みなの姿を同じ形に基づいて作ることで、いわば、一人一人が互いの姿を映し出し、相手の中に自分を認めることが出来るようにしてくれた。みなに声と言葉という大きな贈り物を授けることで、互いにもっとふれあい、兄弟のように親しみ合う様にし、自分の考えを互いに言明し合うことを通じて、意志が通い合うようにしてくれた。どうにかして、我々の協力と交流の結び目を強く締め付けようとしてくれた。我々が個々別々の存在であるよりも、みなで一つの存在であって欲しいという希望を、何かにつけて示してくれた、これらのことから、我々が自然の状態に於いて自由であることは疑えない。我々はみな仲間なのだから。そしてまた、みなを仲間とした自然が、誰かを隷従の地位に定めたなどと言う考えが、誰の頭の中にも生じてはならないのである(P027)」
最後に、この素晴らしい本を翻訳して下さった、山上浩嗣さんに心からお礼申し上げます。16世紀初めのフランス語は大変に難しいようで、 それを苦労して翻訳して下さったご努力に敬意を表します。この本は、今の日本人に絶対必要な物だと思います。

ハムレットの水車小屋
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雁屋哲の今日もまた
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2020年02月29日

高嶋哲夫「首都感染」(2010)  〜W杯下東京でのパンデミック

高嶋哲夫「首都感染」(2010)  〜W杯下東京でのパンデミック
社会  
新型コロナウィルス大流行を10年前から予言!? 『首都感染』作者・高嶋哲夫氏に聞いた
2020.02.25
『首都感染』(講談社)
東京でのパンデミックを描いた10年前の小説
コロナウィルスの伝染は広がり、ついに国内でも死者が出る事態になってしまった。  そして和歌山県や北海道などでも感染例が見つかり、もはや「中国の話」ではなくなってしまっている。このまま収束しなければ、東京五輪の開催にも影響が出る恐れが否定しきれない。  実は、今回の事態を約十年前に予測していたかのような小説を書いていた人物がいる。『首都感染』(講談社文庫)の著者・高嶋哲夫氏である。  簡単にあらすじを紹介する。  
20XX 年、中国W杯が開催され、中国代表が決勝まで勝ち進み国内外の盛り上がりは最高潮に達していた。日本代表も上位進出を果たし、日本国内も興奮の坩堝と化していた。  そんな大会の真っ最中に、中国の片田舎で致死率60%の大規模感染症(パンデミック)が発生する。  しかし、中国政府はW杯の盛り上がりを潰すわけにはいかず、ひたすら事態を隠ぺいする。もちろん、そんな隠ぺいが未来永劫続けられるはずがない。  ついに大会中止に追い込まれ、同時に全世界から集まっていたサポーターたちが帰国の途につき、一気にパンデミックが全世界規模のものとなり、日本でも死者が出る。首相は、パンデミックを抑えるために前代未聞の決断を迫られる−−。
■W杯を舞台に設定したリアリティ
この設定が秀逸なのは、言うまでもなく「W杯開催中」という点である。全世界から人が集まり、大会終了後(あるいは母国代表の敗退後)に帰国の途につき散っていく。パンデミックが一気に広がる条件がこれほど整っているタイミングは五輪とW杯だけだ。  実際、2022年に北京冬季五輪が決まっており、21世紀前半のうちのどこかで中国W杯が開催されることもほぼ確実である。不謹慎を承知で言うが、今回のコロナウィルスは「中国W杯」あるいは五輪に重なっていなかったのが不幸中の幸いという側面もあるのだ。  高嶋氏には、『首都感染』の他にも、『東京大洪水』(集英社文庫)という作品もある。超大型台風が二つ重なったために都内の東三分の一が水没してしまう……台風19号で十分にありえたシナリオである。  全くの余談だが、筆者は19号が直撃したその日、手賀沼を目の前にする自宅が水没する恐怖に怯えながら『東京大洪水』を読みふけっていた。また、高嶋氏は3.11より以前に『TSUNAMI』(集英社文庫)も執筆している。内容は言うまでもあるまい。  一度なら偶然かもしれないが、三回続くのは実力であり、必然である。  ということで、神戸市在住の高嶋氏に今回のコロナウィルスをどう見るか話を伺うことにした。
■発刊当時は、パンデミックという言葉があまり知られていなかった
高嶋哲夫氏
「私があの作品を書きたいと構想を固めていったのは、まだ世間に“パンデミック”という言葉が広がっていない時期のことでした。今から二十年以上前のことですから、SARSよりもさらに前の話になりますね。それこそエボラが発生するさらに前のことですが、私が“ペトロバグ”という小説を書いていたんですよ。石油生成菌についての話なのですが、その調査過程で“パンデミック”と言う言葉を知り、書いてみたいと思うようになりました。その後SARSが発生したこともあり、編集者もわかってくれて書けたということですね」  本当は、タイトルも「パンデミック」にしたかったという。  「ただ、今でこそ少し知られるようになった単語ですが、あの当時にはまだこの言葉で意味が分かる人は誰もいないだろうということで、“首都感染”になりました」  小説のテーマ自体が「いかにして感染を首都・東京だけに封じ込めるか」であるから、筆者の目から見ても「首都感染」はいいタイトルだと思う次第である。  「首都感染」と「コロナウィルス」に共通しているのが、まさに「中国発」という点である。そういえばSARSも中国発であった。 「あまり中国ばかり悪者にするのもよくないと思うんだけど、パンデミックが中国で発生しやすいという現実がありますね。SARSもそうでしたから。やはり、まだ未開の地が多く文化の違いが大きい理由なのでしょうね。エボラはアフリカ発でしたが、多くの未知の感染症がアフリカと中国発ですからね。人に触れることなく、山奥にひっそりと生息しているコウモリやネズミがウイルスを持っているんでしょうね」  ただ、中国に未開の地が多いのは事実だがそれを言うなら北朝鮮はそれ以上に「未開」の地域が多いはずではないか。しかし、筆者が知る限り北朝鮮発のパンデミックが発生したというのは聞いたことがない。それはなぜか。 「確かに陸続きですからね。発生してもおかしくはありません。未知の山奥の開発速度や、食文化の違いがあるのかもしれません。地球上には未知の多くのウイルスや細菌がいますから、単に運がいいだけかもしれません」
■「スペイン風邪」という名称の「政治性」
20世紀に発生した最大のパンデミックは、間違いなく「スペイン風邪」であった。 「スペイン風邪とは、要はインフルエンザの一種ですけれども、“スペイン”と名前はついていますが実は米国発なんですよ。当時、第一次世界大戦中で兵士の移動によって世界的に広まりました。中立国であったスペインのみがこのパンデミックを報道したのでスペイン風邪と言われているようです。なんだか、政治的ですね」  「首都感染」においては、パンデミックの致死率が60%という設定になっている。 「大げさな数字なのは確かです。今回のコロナウィルスの致死率はそこまでいっていませんからね。(筆者註:2月12日付ナショナル・ジオグラフィックの記事によると約2%。ただし、罹患者数はすでにSARSをはるかに超えている)ただ、中世ヨーロッパでペストが発生した際には、ヨーロッパ全人口の3分の1前後が亡くなったと言われています。そう考えれば、致死率六割というのも、全くない話とは言い切れないですね」  ということで、次回引き続き高嶋氏には今後の展開の予測および提言を行っていただくものとしたい。 <取材・文・撮影/タカ大丸> 高嶋/哲夫:1949年、岡山県玉野市生まれ。慶應義塾大学工学部卒業。同大学院修士課程修了。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。81年に帰国後、学習塾経営をしながら小説執筆活動に入る。’94年、『メルトダウン』(講談社文庫)で第1回小説現代推理新人賞、’99年、『イントゥルーダー』(文春文庫)で第16回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞

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タカ大丸
ジャーナリスト、TVリポーター、英語同時通訳・スペイン語通訳者。ニューヨーク州立大学ポツダム校とテル・アヴィヴ大学で政治学を専攻。’10年10月のチリ鉱山落盤事故作業員救出の際にはスペイン語通訳として民放各局から依頼が殺到。2015年3月発売の『ジョコビッチの生まれ変わる食事』は15万部を突破し、現在新装版が発売。最新の訳書に「ナダル・ノート すべては訓練次第」(東邦出版)。10月に初の単著『貧困脱出マニュアル』(飛鳥新社)を上梓。 雑誌「月刊VOICE」「プレジデント」などで執筆するほか、テレビ朝日「たけしのTVタックル」「たけしの超常現象Xファイル」TBS「水曜日のダウンタウン」などテレビ出演も多数。

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2020年02月25日

平野耕太: 漫画「AKIRA」 のウイルス騒動シーン〜東京五輪だけでなく新型コロナ騒動も予言か

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平野耕太: 漫画「AKIRA」 のウイルス騒動シーン〜東京五輪だけでなく新型コロナ騒動も予言か
「AKIRA」 東京五輪だけでなく新型コロナ騒動も予言していた!?とネット騒然
2020/2/16 その他
2020になって、あらためてAKIRAの予言おののいてます。
香港のデモで道路標識を盾にして腕に装着してガラス割ってる人を見てAKIRAの大東京帝国っぽくてドキドキした・・ そんなツイートがネットで話題に。
昨年に投稿されたツイートが今話題に。
「AKIRA」は東京五輪を予言していたと言われているが、新型肺炎も予見していたのではとネットざわつく・・
・問題のツイート
◎> 平野耕太@hiranokohta
香港のデモで道路標識を盾にして腕に装着して
ガラス割ってる人を見てAKIRAの大東京帝国っぽくてドキドキした
16,006
0:18 - 2019年7月2日
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6,072人がこの話題について話しています
◎> Jason Holyfield す〜さん@relaxis_kts
返信先: @hiranokohtaさん
2020になって、あらためてAKIRAの予言おののいてます・・・https://twitter.com/pcworks_kidd/status/1228223415384829952?s=21 
◎> pcworks@さとー@pcworks_kidd
右上にWHO云々って書いてあってちょっとゾッとした https://twitter.com/hiranokohta/status/1145713250887016449 
13:28 - 2020年2月15日
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54人がこの話題について話しています
◎>
しまイさん@36555023_
返信先: @hiranokohtaさん
怖い………
13:43 - 2020年2月15日
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しまイさんさんの他のツイートを見る
◎> 右目の指@migimenoyubi
返信先: @hiranokohtaさん
すごいなあ
現実がフィクションに追いつくってやつだなあ
16:15 - 2020年2月15日
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右目の指さんの他のツイートを見る
◎> スローフォレスト@Forest_ver29
返信先: @pcworks_kiddさん
えぇ...(恐怖)
どこまで当たってんだ...
14:24 - 2020年2月15日
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スローフォレストさんの他のツイートを見る
◎> カップイ @小説家になろアルファ・カクヨ・ノベエブマグ@PZCP1KIhiwsx47N
返信先: @pcworks_kiddさん
組織の本質を見抜いていたんですね
13:22 - 2020年2月15日
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16人がこの話題について話しています
◎> としきん@toshikin3
返信先: @pcworks_kiddさん
無政府状態になったら医療も崩壊してるだろうし伝染病の蔓延は充分にありえる事態ですからね
16:14 - 2020年2月15日
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としきんさんの他のツイートを見る

銃とバッジはおいてゆけ
http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/10189703.html

真我のメモ帳
https://shinga-no-memochou.tk/?p=12476

夢日記
http://datasea.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=akira
http://datasea.seesaa.net/article/469152553.html
http://datasea.seesaa.net/article/472000512.html




漫画「AKIRA」
「ネオ東京と平成の終焉」
「天下泰平」さんより
「平成の頃は・・・」
『AKIRA』は、1982年に連載開始した大友克洋氏の伝説的な漫画で、1988年には映画化もされ社会現象となった。
※長い間、遠ざかっていました。また、再開しますね〜。
1ヶ月後に迫る夏至で残り1年半となった平成。
2017/7/1(土) 午後 2:18
2019年の東京、そして日本。
AKIRAの世界では、新国立競技場の他にも別のスタジアムが同じ敷地内に見えていますが、これは最初に出てきた「エイリアンの卵」とも言われた、初期デザインの国立競技場にどこか似ており、メインとなる新国立競技場のデザインも現在決まっているデザインに少し似ている気もします。
AKIRAの舞台は、今から2年後の2019年。
あっという間に、今が思い出話となる時代もやってくるでしょうが、その時に「あの頃は良かった・・・」とAKIRAの世界のような未来とならないように、この1年半の大事な分岐点を良い方向へと向かっていきたいものです。
このニュースを受けてネットでは、東京オリンピックの中止を連想させる『AKIRA』をモチーフにしたのには何らかの意図があるのでは?といった反応が見られた。
ちょうど現実の日本は、2019年より新元号の新天皇となり、現在の天皇陛下は上皇となって恐らく京都御所へとお戻りになっているかもしれません。
また、東京の街の破壊が描かれる『AKIRA』をモチーフとした意図について小林さんは
「『AKIRA』は一度壊れるけどそこから再生に向かっていく夜明けを感じさせる作品でもあります。その世界観が渋谷の街の再生とリンクすると思う」
と改めて語ってくれた。
(転載終了)
改めてパルコのエンタテインメント事業部の小林大介さんに電話取材したところ、
「パルコが企業としてオリンピックの開催の是非に意見を持ち合わせているということはありません」
と回答した。
工事現場を囲った壁に、『AKIRA』の主人公である金田正太郎が、トレードマークのバイクにまたがった姿で描かれている。
今から30年以上も前に描かれ、その時にすでに「2020年東京オリンピック」を予知していたとも言われるAKIRA。
渋谷の街に「AKIRA」が出現したことが話題となっているようです。
渋谷パルコがビルの再オープンに向けて掲出したモチーフが『AKIRA』ということで、東京の不吉な近未来や、オリンピックの中止などを想起した人もいたのかもしれない。
大友克洋氏の『AKIRA(アキラ)』をモチーフにしたアート作品が5月17日、改装中の渋谷パルコに登場した。
東京荒廃で縁起が悪い?『AKIRA』アートに驚きの声 渋谷パルコに改めて聞いた
日本を取り巻く周囲が騒がしい今、時期は違えど、どこかAKIRAのシナリオと重なってきているようにも思えます。
物語の舞台は2019年の「ネオ東京」で、翌年2020年にオリンピック開催が予定される東京の街で巻き起こる若者の闘争、テロ、世界大戦、街の破壊などが描かれている。
2019年の「ネオ東京」はオリンピック開催が難しい状況に追い込まれる。
「『AKIRA』は東京オリンピックを予見していた」
と話題にもなっていた。
漫画「AKIRA」は、ちょうど自分が生まれた年である1982年に連載が始まって社会現象となるまで発展した名作漫画の1つです。
漫画の中では、1988年に
「関東地区に新型爆弾が使用され、第三次世界大戦が始まった」
という設定となっており、そこで東京は壊滅し、東京湾上に新たな都市「ネオ東京」が構築されたことになっています。
漫画の中には、東京オリンピック開催に向けて新国立競技場とも思われるスタジアムの建設風景も登場します。
名前こそ「ネオ東京」とはならずとも、まったく新しい東京、日本が2019年から始まります。

プレシャンブルーの風に抱かれて
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「本来は人が住んでいなかった東京」
2016/8/8(月) 午後 7:04 日記 都市伝説
「天下泰平」さんより
「本来は人が住んでいなかった東京」
2016-08
テーマ:ブログ
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さて、都知事選は大方の予想通りに小池百合子氏が初当選となって幕を閉じました。
極右で在日朝鮮人の撲滅を目指す小池氏が知事となり、日本の朝鮮支配を東京から終わらせると期待の声もある中、この小池氏のバックにはすでに朝鮮マフィアがついており、彼女は偽善者で東京はますますカルト教団の手中におさめられるという見解もあります。
ただ、いずれにしても、今回の知事を担う人は「東京オリンピック」との関係は無視できません。
2020年の東京オリンピックは、7月24日に開幕して8月9日に閉会しますが、知事の任期は辞任などがない限りは4年間なので、小池新知事は2016年8月から2020年7月末までが任期であり、オリンピックの開催中に任期満了となります。
「オリンピックを無事に開催できるかどうか」
表向きには、そういった期待を込めての知事選となったと思いますが、この茶番劇の世界、都知事選も何もかもが裏ではシナリオができているものであり、もしも今のシナリオが「オリンピックを中止させる」というもので、その理由が「東京では開催できない」という理由であれば、この先に何かしらの理由で“崩壊する東京”を牽引する今回の知事は、ある意味ジョーカー役となるのかもしれません。
崩壊する東京・・・。
その理由は数え上げたらきりがありませんが、一番懸念されているのが「首都直下型地震」であり、
他にも自然災害であれば富士山の噴火、人の社会が生み出す原因としては、他にも世界恐慌や「第三次世界大戦」などの戦争やテロが理由となるかもしれません。
今から20年以上も前、1995年にアメリカで発売されたカードゲーム「イルミナティカード」には、これまでの20年間で起こった歴史的な出来事や事件の多くが“予言”されていましたが、その中に「首都直下型地震」と思われるカード、それも「2020年東京オリンピック」と関係している内容であるのは有名な話となっています。
銀座の和光ビルの時計塔と思われる建物が倒壊するイラストと逃げ惑う多国籍の人々。
そして、彼らの服装に使われている5色のカラー。
オリンピックが東京で開催される2020年に首都直下型地震が起こるのか、それとも起こされるのか・・・
その真相は一切わからず、そもそも本当に東京であるのかどうかもわかりませんが、それでなくとも今は「首都直下型地震」を危惧する地震の専門家なども多く、単なる予言でなくとも、いつ東京で大きな災害が起こってもおかしくはない状況です。
そして、もう1つの東京の崩壊と東京オリンピックが中止となっている予言として有名なのが漫画「AKIRA」の舞台背景。
それについては、ちょうど2年半前、舛添さんが都知事となった時に以下のような記事で取り上げました。
市民団体が舛添氏を選挙違反で刑事告発(「天下泰平」2014年2月12日)
※漫画「AKIRA」は2020年東京オリンピックを予言していた
2019年の近未来の東京が舞台となっている日本の漫画「AKIRA」は、今から30年以上前に描かれたにも関わらず、2020年の東京オリンピック開催がストーリーに組み込まれています。
果たしてAKIRAの作者は未来予知能力があって2020年東京オリンピック開催のタイムラインを知ったのか、それとも、この地球社会を牛耳っている人々の闇のシナリオプランを何かしらの事情によって知りえたのか?それとも偶然描いたことが現実となったのか?・・・真実はわかりませんが、この「AKIRAの予言」が正しければ、2019年の東京は第三次世界大戦によって一度都市が滅んでいる設定であり、新しく生まれ変わった東京湾上に構築されたメガロポリス「ネオ東京」という名前になっています。
今、日本の国政は確実に戦争国家へと突き進んでおり、このままでは都政とも一体化して日本は戦争時代へと突入してAKIRAの世界が現実化してしまう可能性があります。
http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/6/7/67bf34a9-s.gif
それにしても、漫画「AKIRA」の物語の中心人物として出て来る“老人の姿をした子ども達”は、遺伝子操作によって生まれたテレパシーや空中浮遊などの超能力を使いこなせる“新人類”であり、とても単なるSF漫画とは思えないほど、リアルな近未来の世界を描いています。
AKIRAが始まった当初は2019年は30年以上も先でしたが、今では5年後の世界です。恐らく東京という都市は、これから先5年、10年以内に大きく変化するものだと思います。首都移転や様々な理由から極端な人口の減少なども起こるかもしれません。(転載終了)
今月に何かしらの発表のある天皇陛下の発言を踏まえ、本格的に表社会も大きな変革に向けて動きだすことかと思います。
縄文回帰、古代のエネルギーが再び戻っている今、都会から離れた田舎に引き寄せられるように人々が集いはじめ、もともと栄えていた地域、古代人が集った地域が活性化しはじめています。
一方で海の底や沼地であった「本来は人が住んでいなかった地域」である大都市の多くが、これまでの近代文明での必要な役割を終え、その土地の本来の姿へと戻るように、大きく変化する時期に入ったと思います。
なぜ、古代人が標高の高い山奥のエリアを好んで住んでいたのか、なぜ縄文が何千年、1万年以上も続く平和で循環できる文明を継続できたのか、その理由を現代人はしっかりと考え、今の文明に取り入れて融合させていかないと、この先のレールは谷底へと向かっていことになると思います。

プレシャンブルーの風に抱かれて
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2020年東京オリンピックをひかえたネオ東京は,アキラが発した巨大な光球によって崩壊する
2013年10月02日20:58
富士は夜ひらく
☆中心に火集い、ひらく水
ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世に満つことぞ、
ひらき睦び、中心に火集い(原子炉)、ひらく水(汚染水)。
神の名二つ、カミと神、世に出づ(カグツチ出産とヒルコ出産)。
早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄へ結び、成りひらく秋来る(伊勢神宮・遷御の儀)。
弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひひらき結ぶぞ。
月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。
早く道ひらき、月と水のひらく大道(294の道)、月の仕組み、月神と日神二つひらき(太陽のミロクと月のミロク)、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。
世はことごとに統一し神世の礎極まる時代来る、神世のひみつ(火水)と云う。
-日月(ひふみ)神示より-
☆富士は夜ひらく
新宿の芸能浅間神社には、藤圭子さんの『夢は夜ひらく』の歌碑がある。
献花がたえないそうだ。
芸能の神といえばウズメだが、ここは富士の女神コノハナサクヤヒメ。
神社の名まえに芸能山城組を思い出し、むしょうに『AKIRA』が聴きたくなって古いカセットテープをあさった。
1988年の映画『AKIRA』のサントラが芸能山城組だ。
このテの衝動ってけっこう的を得てたりすンだよね。
9月7日、
柏(餅)→タンゴのブエノスアイレスで開かれたIOC総会で日本が選ばれ、大友克洋の『AKIRA』は2020年東京オリンピックの予言で話題になる。
『夢は夜ひらく』といえば、もとダンナ前川清さんの『長崎は今日も雨だった』。
藤=富士。
ナガサキ=水蛭子(ひるこ)出産だ。
当ブログがカグツチ&ヒルコ事象をはじめて確認したのは、2009年の2月22日。
陸上自衛隊北富士演習場の大火災に降りそそいだ夜の雨が、東京・板橋区路上の自転車かごに置き去られた赤ちゃんの命を消した。
水びたしの青いシーツにくるまれ、未明まで泣いていたという。
2月23日は富士山の日。
富士に祈りをささげたKさんは、こんなメッセージを耳にしている。
「ふじがみね、すつるみおやの・・・」
もちろん事件のことは知らない。
富士が峰、捨つる御親の...。
御親とは、イザナギとイザナミのことだ。
>しかれどもくみどに興して生める子は水蛭子。この子は葦舟にいれて流し去てき(古事記)。
葦舟で流されたヒルコと、海に流されるフクシマの汚染水はおなじだ。
富士の世界文化遺産登録が決まった6月22日、原子力規制委ははじめて汚染水流出を示唆した。
汚染水問題が公的に発生したのはこのとき。
富士の世界遺産登録と汚染水問題が連動したのは、水のつながりである。
戦後、大本の出口王仁三郎はこう語ったという。
「水を汚してはいかんぞ。水を汚すということは神さまのごきかんにかなわん。
水が汚れて、水が飲めなくなった時こそ瑞の御霊(みずのみたま)から見離されたときである。
瑞の御霊は生命の源であるから、自分はこのことが非常に気になる」
富士は、その「瑞の御霊」の山だ。
火水の山でもある。
伊豆半島は厳(いづ)で陽根。富士は瑞(みず)で御陰(ほと)。火門(ほと)だ。
瑞の霊峰富士は、水のヒルコと共鳴する。
このさき富士がひらくとすれば、それは夜だろう。そしてその夜はきっと、雨が降っているにちがいない。
☆日と月のAKIRA
アキラは明。日と月。
千葉の麻賀多神社で最初に降りた日月神示(岡本天明の自動書記)は、こんな一節ではじまる。
「二二八八れ十二ほん八れ(富士は晴れたり日本晴れ)」
富士をめぐる「88」と「22」の事象化は、このときすでに示されていたわけ。
09年12月に、豪華客船「ふじ丸」チーフコックの中司さんが和歌山県田辺市沖を航行中に失踪したように、
犠牲の「cross22」もまた富士につながる。
中司さんは長崎の方だ。
6月22日、富士山が世界文化遺産に登録決定。汚染水流出問題(ヒルコ事象)はじまる。
7月22日、キャサリン妃出産。東京電力が汚染水流出をはじめて認める。
8月22日、藤圭子さん飛び降り自殺。
9月22日、仙台市太白区の乳児死体遺棄
で、仙台南署が蛭田(ひるた)舞容疑者を逮捕。蛭子(えびす)舞ならぬ、ヒルコ舞だ。
近ごろまた子捨てがふえてきた。
ヒルコ事象もどんどん拡大してくんだろうね...。
『AKIRA』の設定は2019-20年。
2020年東京オリンピックをひかえたネオ東京は、アキラが発した巨大な光球によって崩壊する。
アキラを目ざめさせたのは島鉄雄である。「鉄」だ。
アキラは創造神の投影。
鉄雄は人類の文明史の投影に思える。
主人公は暴走グループのリーダー金田。
金神。
鉄雄とは孤児院からの幼なじみ。
メンバーは富士の甲斐に、
「黒がみちびく月(羽黒山⇒月山)」
の構図の山形。これもスゴい。
「状況はコントロールされています」
と五輪プレゼンで安倍首相はいった。
映画やドラマでよく科学者たちがいうお決まりのセリフだ(笑)。
だが父なる文明が積み重ねた鉄カルマの権化であるフクシマが、そう簡単に制御できるとは僕には思えない。
あれはまるで島鉄雄。
鉄雄は怒れるカグツチとして君臨し、ついには自分をコントロールできずに暴走し巨大化する。
その姿は胎児である。
異形の胎児ヒルコだ。
鉄雄は真に目ざめたアキラに取りこまれる。
その光球はネオ東京にふたたび大破壊をもたらし、そしてあらたな時代がはじまる。
アキラの二度の光球は、太陽のミロクと月のミロクを予言しているのかもしれない。
☆お・も・て・な・し
このブログはクーパー捜査官のチベット方式を採用している。夢もだいじな情報源だ。
じつは僕、2009-10年にかけて、何度か「おもてなし」の夢を見ている。
ブログに書いた
「73機目の戦闘機」
とおなじメッセージタイプの夢だ。
なので、滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」には、ちとフクザツな気分だった。
夢の中で、僕と家族をもてなしてくれた女将は最後にいう。これがおもてなしです、と。
すると場面が旅館の庭にかわり、美しい水がこんこんとわいている。
そこだけがカラーで、いまでもよくおぼえている。夢のいう「おもてなし」とは、たぶん神聖な水のこと。
生命の源である水のことだ。滝川さんのプレゼンはともかく、彼女から僕らが発想すべきなのも、滝と水の女神セオリツヒメだと思う。なぜ汚染水流出に遠野(岩手)のセオリツヒメが反応したのか。あれからなぜ日本各地が記録的豪雨に見舞われたのか。その意味を、もう一度問い直すべきなんだろう。
9月19日、五輪プレゼンの手前もあって、安倍首相は海外メディアを同行させてフクシマを視察した。
その夜、奥州三古関のひとつ「勿来(なこそ)の関」の福島県いわき市で、震度5強が発生する。
「なこそ」は、来るなという意味だ。
震源は、いわき市の遠野町入遠野。
遠野だよ!
このセオリツヒメのおもてなしが、倍返しにならないことを祈る。
説明ははぶくけど、夢から三年もたって、セオリツヒメ事象とのからみでようやく浮かび上がってきた場所がある。
京都市右京区の木嶋坐天照御魂神社。「蚕の社」と呼ばれる。三柱鳥居が有名だ。
三柱鳥居が立つ「元糺(もとただす)の池」は、もともとゆたかな湧水の池だったのが、近年すっかりかれてしまったそうだ。
どうもあの夢は、そのことを云ってる気がしてならない。
原因は宅地造成にあるという。そりゃ人生は大変でまわりの自然にかまってなんかいられない。
目先の利益のためには原発の再稼動が最優先だ。だけど僕らってさ、なんかどっかで根本的にまちがっちゃいないか?
「糺」は、正すということ。これに元がつけば、もとを正す。
セオリツヒメは、大祓えの女神だ。
「もてなす」は、-をもってなす。
神々がなにをもってなすのかはわからない。だがそれを心配する前に気づくべきあたりまえのことがあるってことを、あの夢は教えてくれた。
滝川さんは「おもてなし」についてこう説明した。
「その言葉には、訪れる人を慈しみ、見返りを求めない深い意味があります」と。
おもてなしが日本文化に流れる感謝と慈愛とよろこびの心なら、僕ら日本人はとくに忘れちゃいけないことがあると思う。
僕らのいのちそのものが、水のおもてなしなのだ。

神々が動いている
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2020年02月24日

Defoe「ペスト」〜17世紀ロンドンに流行した疫病の記録

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Defoe「ペスト」〜17世紀ロンドンに流行した疫病の記録
それは確か1664年9月初旬のことであったと思う。近所の人たちと話していた時に,私はふとペストがオランダに流行りだしたという噂を耳にした。「また流行りだした」というのはその前の年の1663年にオランダはこのペストのためにひどい目に遭っていたからである。
特にアムステルダムとロッテルダムはその中心地であった。なんでもその時の話の様子では,あるものはその疫病はイタリアから入ってきたと言い,またある者はレバント地方から紀行したトルコの商船 で運ばれた貨物にくっついて入ってきたのだとも言った。いやあれはクレタ島からであるというものもいたし,サイプラスからだと言う者もいた。
しかしどこから疫病がやってきたかは問題ではなかった。問題は再び疫病がオランダに流行りだしたということであった。これには誰も異存はなかった。当時まだ新聞などという報道を伝える印刷物はなかったし,その後長生きしたおかげで私も実際に見てきたような嘘八百を並べ立てては風説や報道をさらに煽り立て様と言ったメディアはなかったのである。
■1664年11月
政府当局は真相については正しい情報を持っていたらしく,国内侵入を防ぐ手段を講じようとしてしばしば会議を開いていたようであった。しかし実際は秘密にされていた。そういうわけでその噂も自然に立ち消えになっていき,我々も元々大して我々に関係したことでもなかったのだという風にいつのまにか忘れかけていた。またあれは本当ではなかったらしいとホッとしたような気にもなっていた。
しかし同じ年1664年11月下旬だったか,それとも12月上旬だったか,突然二人の男がロングエイカーでドルアリ通りの上手の家で疫病のために死んだのである。二人が泊まっていた家の者はできるだけこのことを隠そうと努めたらしい。しかしいつのまにか近所の話題になって,当局者の知るところになった。このことは直ちに教区役員に正式に報告され,教区役員はまた教区役員本部に通報した。死亡週報にはただ簡単にこともなげに
感染 2
感染教区 1
という記事が掲載された。これを見た市民の不安は大変なものであった。ロンドンは上を下への大騒ぎになった。
■1664年12月
その折も折同じ1664年12月の最後の週に同じ家で同じ病気で死んだ者がもう1名でたものだから,その不安には一層大きくなった。しかしまたそれから6週間ばかり平穏無事の日が続いた。その間死者でベストに犯された痕跡を示していたものはなかった。「悪疫は退散した」などと言いあったりした。
■1665年2月
しかしそれも束の間のことで,翌年1665年2月12日頃だと記憶するが,死亡者が1名が同じ教区の別の家からでた。区域も同じなら病気の経過をまた同じであった。
こうなると全市民の目は自然その界隈に注がれるようになった。セントジャイルズ教区の死者数は普段よりもグッと跳ね上がっているのが死亡週報にはっきり表れていた。したがってその界隈の住民の間に疫病患者がいるらしいということが恐れられた。またできるだけ世間の目から隠そうとも勤めていたが,それにもかかわらずおそらく大多数の人が疫病で死んだと思われた。この不安は深刻に市民の頭に染み込んいったようであった。
死亡者数の増加は次の通りであった。
セントジャイルズ インザフィールズ教区とホウボン区のセント・アンドルー教区の一週間の普通の死体埋葬数は多少の増減はあるがだいたいにおいて12〜19というところであった。
ところがセントジャイルズ教区に初めてペストが発生してからというもの,普通の病気による死者数が著しく増加してるのが認められた。例えば
12月27日〜01月03日 34
01月03日〜01月10日 30
01月31日〜02月07日 44
02月07日〜02月14日 24
すべての教区の死亡者数は普通240〜300の間であった。300という数字でも相当に高い死亡者数であると考えられていた。ところがベスト発生以後死者数はみるみるうちにうなぎ上りに上がっていった。すなわち
12月20日〜12月27日 291
12月27日〜01月03日 349
01月03日〜01月10日 394
01月10日〜01月17日 415
01月17日〜01月24日 474
この数字の増加は前回のペストの流行の1656年以降わずか一週間としては実に未曽有のものであってその点まさに恐るべきものであった。
しかしながらこれ以降は何事もなく済んでしまった。天候は寒くなって,前年12月に始まった寒気はほとんど2月の終わりまで衰えずに寒さは極めた。その上まるで肌を刺すような風が吹いた。
死亡者数はずっと減ってロンドンは再び生気を取り戻した。誰も彼も危険はもうさったも同じだと思い始めた。ただそれでもなおセントジャイルズ教区の死者数だけは相変わらず相当なものであった。
■1665年4月
セントジャイルズ教区の死者数は特に4月上旬からはその数は毎週常に25を下らなかったが毎月18〜25日に至る1週間ではこの区域で埋葬したした死体の数だけで30に達した。そのうち
疫病によるもの 2
発疹チフスによるもの 8
ということになっていた。しかし発疹チフスと言っても本当は疫病だと考えられていた。同じような理由で全死亡者数の中でこのチフスのために死亡した者の占める数もずいぶん増えてきた。前の週に8であったものが今週では12といった具合であった。これには我々も再び驚いた。深刻な憂鬱の色が市民の間に漂い始めた。特に気候もだんだんと暖かくなってゆこうとしていたし,夏もおっつけやって来ようという気配であったので一層深刻な物があった。
その翌週にはまた希望の色がみえ始めた。死亡率が下がってロンドン全市を通じて死亡者数はわずかに388人で,疫病によるものは一人もなく,チフスもわずか4人であった。
■1665年5月
しかし次の週にはまたぶり返してきた。疫病は他の2〜3の教区,すなわちボウモン教区,セントアンドリュー教区,セントクレメントレインズ教区にも蔓延していった。しかもその上市民を慄然とさせたことはとうとういわゆるシティ(城中)のセントメアリーチャーチ区域に1名の死亡者を出したことであった。
つまりその場所は正確に言えば 食料品市場の近くのベアバインダー通りであった。この週の死者数のうち疫病によるものは9人,発疹チフス6人であった。しかしさらに調べてみるとこの日ペストバインド通りで死亡した人はフランス人で,かつてはロングエーカーの感染ホテル近くに住んでいたこともあって病気にかかるの恐れて移ってきた人であることが分かった。ところが実にはその人はもうすでに病気に感染していたのを本人が気づかなかったのである。
これが5月の初めのことであった。まだ気候は温和でしのぎやすく程よい涼しさであった。従って市民は未だ幾ばくかの希望を持っていた。こんな風に望みを繋いでいたのは次のような事情もあった。それはロンドンがまだ健全と思われていたことだった。97の教区のうちで疫病に倒れたものはわずか54人に過ぎなかったからである。我々も病気の蔓延しているのはロンドンの中でも専ら問題になっている端の方の教区にすぎない。従ってそれ以上広まる心配はあるまい。そう高をくくり始めた。
5月の9〜16日までの7日間わずかに死亡者数は3人になった。しかもそのうち一人も市内・自由区にはいなかったのである。セントジャイルズ教区では患者が32もあったことは本当であるがそれでも疫病にかかって死んだのはわずか1名に過ぎなかった。こう死亡率が下がってくるとそろそろまた市民たちは安堵の笑みを浮かべるようになった。前週の死亡者はロンドン全体で347人。今週はそれが343人になっていた。
次の死亡通報は5月23〜30日までの期間。セントジャイルズ教区の死亡者数は実に53というまさに戦慄すべき数であった。このうち疫病によるものは9と公表されていた。しかし市長の要請に基づき治安判事たちが徹底的に調査したところ,その区域で実際に疫病で死んでいたものはこの他にも20人もいたということが判明した。しかしこのようなことはこの後に起こった事柄に比べたら全く取りに取るに足らない事柄であった。
■1665年6月
気候はもうすっかり暑くなった初夏6月第1週頃からはこの疫病は恐ろしい勢いで広がっていった。
6月第2週目を迎えるようになると,セントジャイルズ区域では死亡者数は120になった。このうち死亡通報の伝えるところによれば疫病によるものは68に過ぎなかった。しかしこの疫病のいつもの数字の数から考えてみてどう転んでも100人は疫病で死んだに違いないと誰も彼もが信じていた 。
■1665年7月
すでに7月の半ばになっていた。疫病は主としてロンドンの向こう側の地区でイレブン教区及び保護区域のセントアンドリュー教区やウエストミンスター教区よりの地域などで猛威を振るっていた。
私の住んでいる地域に向かって徐々に疫病地帯が移動していた。それは文字通りの東進であって,しかし決して我々の方に向かってまっしぐらに進んできているのではなかった。例えばシティ(城中)はまだまだ相当に平気であったし,川の向こうのサザン教区にもあまり進出してきてはいなかった。
この週の死者数は約1268人でうち疫病によるものは900人以上と考えられていた。一方シティ(城内)ではわずか28人の犠牲者に過ぎなかった。一方セントジャイルズ教区とセントマーティンズ・インザフィールズ教区の二つの教区だけでも実に421人の死者を出していた。しかしこの疫病が陰惨を極めたものは,何と言っても城外区(アウト パリス シティ)つまりかつての城の周辺にある区域だった。何しろ人口が多い上に貧乏人が多いのである。疫病は一層餌を求めて荒れ狂っていたのである。
とにかく病魔は次第に自分たちの方に近づいてくるのを我々は認めていた。すなわちクラーケンウェル教区,クリップゲート教区,ビショップスゲート教区などの区域を追加して迫って来ようとしていたのである。特にこの二つの区域はゴールドゲート教区,ホワイトチャペルし教区などの区域に接していたのであるが病気がいよいよ迫ってきた時にその凶暴さは非常な猛威をふるった。 最初に発生した西部の区域で次第に病気の勢いが衰えていった時でさえも依然として激烈を極めているというふうであった。
7月8日〜7月11日の間に セントマーティンズセント教区・ジャイルズ教区の二つの教区だけでほとんど400人の人がベッドに倒れた。にもかかわらずオールドゲート教区では4人,ホワイトサドル教区では3人,ステファニー教区では1人これだけしか流れなかったこれには我々も驚きを禁じえなかった。翌週7月11〜18日に至る間にロンドン市全体の死亡者数が1761人であったにも関わらず,テムズ川の向こうのシティ地区では疫病に倒れた者はわずか26人であったのである。
■1665年8月
しかしすぐに形成も一変してくる。ゲート教区を始めクラーケンウェル教区などにおいて猛勢をたくましくしつつあった。
例えば8月第2週までにクリップゲート教区だけで886人の死亡者数を出してクラーケンウェル教区も155人の死亡者数を出したが,このうちクリップゲート教区においては実に850人が疫病に関しているものと推定された。
クラーケンウェル教区でも死亡者数ホノルルところでは145人がすぐにあるとのことであった
08月22日〜08月29日 7496
08月29日〜09月07日 8252
09月07日〜09月12日 7690
09月12日〜09月19日 8297
09月19日〜09月26日 6470
8月のロンドンの人口は1月のそれの1/3もなかった。ロンドンの風景は今や全く一変してもはや昔日の面影はなかった。あらゆる大きな建物を始め
シも自由区もウエストミンスター地区もすべてが一変してしまったのである。ただあのシティと言われる特別な一角。あそこだけはまだ被害を受けてはいなかった。しかし一般の様子は前にも言ったようにすっかり面目を一変してしまっていた。どの人間の顔にも悲しみと憂鬱が漂っていた。まだ破壊的な打撃を受けていないところもあったが誰も彼も一様に不安に怯えた顔つきをしていた。私はこの在り様をそっくりそのまま伝えることができたらと思う。近親者の死を悼むために正式の喪服をつけたりする者は一人もいなかった。街にはそれらしい葬式の姿は見られなかった。しかし悲しみの声は街に溢れていた。。
ーデフォー,ペスト,中公文庫

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船乗生活者であふれる港
私は疫病がグリニッジまで広がっているかどうか男に尋ねた。すると「少なくとも約2週間前までは広がっていなかったが今頃はひょっとしたら広がっているかもしれない。しかしそれもレッドフォード橋よりの町の南の一部分にすぎないだろう」ということであった。また彼がそこで買い物に行くのは肉屋と八百屋だけで大概それらの店で頼まれた買い物を済ませるが,病気のことには自分でも随分と注意しているということなどを付け加えていた。さらに船の中に閉じこもっている連中が十分な生活必需品を貯蔵していないのはどういうわけか尋ねると,中には蓄えのある人もいる。しかしその反面いよいよの土壇場になってからやっと船の中に逃げ込んだ人もいて,その時には危なくてしかるべき商人の所に行って買い込みをするなんてことは思いもよらない事だったという答えだった。
今買い出しをしてやっている船は 3隻だけだそうで。 その船を指さして教えてくれたが,ビスケットとパンとビールの他にはほとんど食物らしい食物がないので,その他の生活物資は一切合切買ってやっているということであった。
「他にこういう風に他の船から離れている船があるのか」という私の質問に対して
「ありますとも。グリニッジのちょうど向かいの地点からライム・ハウスやレッド・リフの川岸近くまで川の真ん中に2席ずつ船内に余裕のある船が停泊しておりますよ。ある船なんか何家族も住んでいますよ。病気にはかかっていないってわけだね。いや,まだやまだでしょうな。きっと。ただね,2〜3隻乗っている人たちがちょっと油断したもんで,船乗人が陸に上がったりして,とうとう病気を持ち込んだってのがありましたがね」
それからプール沖合に船がずっと停泊しているのは大変な壮観だとも言った。
潮が彼のボートの所まで来た時,私はボートに乗り込んでグリニッジまで連れて行ってもらった。
彼が頼まれものの買物をしている間に私はグリニッジの町を見下ろす丘の上まで歩いて行ったり町の東まで行ってテムズ川を眺めたりした。夥しい船が2隻ずつ並んで停泊している有様は誠に異様な壮観であった。川岸の広いところではそれが2列3列になっているところもあった。
しかもそれがずっと上流・ロンドンの町近くラドクリフやレッドリーフなどといった町を挟むいわゆるプールと呼ばれるあたりまで続いて,下流はロングビーチの端に至る下流全体に渡っていた。少なくとも丘の上から見られる限りではそういう風に見えた。それらの船の数がどれだかほとんど見当もつかなかった。しかし少なくとも数百隻の帆船が泊まっていたと思う。
それにつけても実に頭の良い計画だと感心した。こうやっていれば海運業に関係している1万人あるいはそれ以上の人が完全に感染の心配から逃れて極めて安全にまた容易に生命を全うすることができるというものである。
久しぶりの遠出に,特に今述べた船頭との交渉にすっかり気をよくして私は家に帰った。
考えてみればこういう危険時に船といういわば小さな聖域を多数の人々がその生活の場にしているということは確かに喜ぶべきことであった。
疫病の猛威が激しくなるにつれて幾世帯もの人々を乗せた船がともづなを引き錨を上げて移動して行くのを私も目撃したが,何でも噂によれば何隻かの船は海まで下っていって各自便利なところを求め,北海岸のいろいろな港や投錨地まで逃げていったということであった。
しかしまた一面から言えば,陸地を避けて船の中の生活を営んでいる人々が必ずしも絶対に安全だとも言えなかった。実際多くの人が船の中で死亡していた。その遺骸はあるものは棺に入れられて,あるものは棺にも入れられないままでテムズ川の中に投げ込まれた。川の潮の満引とともにその遺骸が浮き沈みしながら流れていくのをがいくつも見ることができた。
しかしこういう船から疫病患者を出す場合,次のような二つの原因のどれかに基づいたと思うのである。すなわち船に来るのが遅すぎて今更飛んできたところでどうにもならないといったところの実質的患者が船に来る。しかしその時にはすでに自分では気が付かず病気に冒されていた。 といった場合がその一つである。つまりその場合には病気が船に行ってきたのではなくて,実は乗り込んできた人たちが病気を持ち込んだという理由である。
次に例の船頭が言っていたように,十分な生活必需品を蓄える余裕がなかったために,是が非でも必要な物資を買いに人を陸上に送らねばならないとか,あるいは陸地からボートがやってくるのを大目に見なければならないとかいった船の場合がその二つ目の可能性。従ってこの場合は病気が知らず知らずのうちに船の中に持ち込まれたということになる。
ーデフォー,ペスト,中公文庫

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無策の策
ロンドンのような人口過密地帯の大都会では感染したからといって即刻あらゆる家を虱潰しに調べることはできないし,感染した家を全部が全部閉鎖してしまうことができない。
だから病人でも好きなところに,つまり自分が何番地何番の病気の家の一員だという正体が見破られないところへどこへでも自由に行けたというわけだ。これは幾人かの医者も執拗に申告したことであるが,伝染病が猛威を極め野火のごとく広がっていて多数の人々があっという間に発病してたちまち死んでゆくというような非常時には,誰が病気で誰が健康であるかを必死になって調整したり,いちいち杓子定規に家を閉めたりしようとしても,第一それが不可能であるばかりではなくて無意味でもあることは争えないことであった。
一つの通り全体のうちで,ほとんどの家が感染していたり,ところによっては家族全員が病気に冒されているということも多かったのである。もっとまずいことはこれこれの家が病気にかかったということが分かった時には,もうその家の病人は死亡していて残りの家族は隔離を恐れ逃亡してしまっているということであった。家族の者が多少とも病気にかかっているとはっきりわかる頃には病気の方は散々荒れ狂った挙句にもうその家からおさらばしているというわけである。
こういう次第で病気の蔓延を防ぐことは到底当局の手に負えることでもなければ,また人間の考える方法なり対策なりの及ぶところではないとすれば家屋閉鎖というやり方は 目的を達成するには不十分だということは常識のある人には納得していただけるだろう。いかにも公益ということが言われていたが,家を閉ざされてしまった特定の家族の被る深刻な重荷に匹敵するだけの,あるいは釣り合うだけの公益がそこにあるとも思えなかったのである。そのような過酷な処置を指揮して実行する役目を当局から仰せ遣って実際に見聞した限りでは,この法則は目的に沿うとも言えないものであるということを私は思い知らされたのである。
例えば私は見回りつまり検察員(Examinar)としていくつかの家族の病状を詳しく調べることを要求されたのであるが,我々見回りが明らかに家族の一人が悪疫にかかったことが分かっている家に入った場合,そこの者が逃亡していないということはまずなかったのである。治安当局の上司はこんな場合「誠にけしからんことだ」とばかりに憤慨して我々検察員に点検上の不行届を追求してきた。少し調べてみたところで要するにこちらにわかる以前から病気に侵されていたことがわかるだけの話であった。
ところで私は2ヶ月という正式の任期の半分にも満たない期間この危険な仕事に従っただけであるが,それだけの期間でも玄関や近所で訪ねるくらいでは病人の家の真相を突き止めることはできないことを知るに十分であった。真相調査に一軒一軒家の中に入っていくことはさすがの当局者も我々市民相手に課そうとはしなかったし,また市民の中で誰一人としてそれを引き受けようとするものもなかった。そんなことをしたら我々がこちらから好んでペストに生身を捧げに行くようなものであって,我が身はもちろん家族の破滅は必至であった。そればかりではなくてこういう過酷な目にあわなければならなかったとなればまともな市民ならロンドンを見捨て退去していただろう。
一家の戸主は自分の家の者が誰かが病気になった場合,疫病の兆候が現れた場合,それを発見次第,2時間以内にその居住区域の検察員に 報告する義務がある旨法令によって定められていた。ところが実際にはどの家も色々な口実を設けてはごまかして,なかなかその法令を履行しようとはしなかった。結局病気の有無はともかく,色々手段を講じて逃げたいものを逃して行ってからでなければ報告をすることはまずなかった。
事情がこんなふうであったから,家屋閉鎖が悪疫流行を食い止める有効な手段だと見るわけにはいかないことは明らかであった。
ーデフォー,ペスト,中公文庫

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2020年02月23日

De Quincy「阿片常用者の告白」〜無限幻想の地獄

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De Quincy「阿片常用者の告白」〜無限幻想の地獄
阿片を使ってから久しい。
もしそれが私の人生の子細な事件であったとしたら,私はその月日を忘れたかもしれない。
しかし大きい出来事は忘れられるものではない。そしてそれに関係する事情からして,私の阿片使用は1804年の秋に帰さなければならないように記憶している。
■阿片との出会い
その季節の間,私はロンドンにいた。大学に入学して私は初めてこの場所へ来たのである。
そして私の阿片使用は次のように起こった。
幼い頃から私は少なくとも一日に一回は冷水で頭を洗う習慣を持っていた。ところがある時突然歯痛に犯された私はこの瞬間を一時中止した。怠惰のせいに帰して寝床から飛び出して冷水のはいった鉢に頭を突っ込んで,手と髪を濡らして眠った。翌朝は言うまでもないが目が覚めると頭や顔に激しいリュウマチ的な痛みを覚え,その後約20日あまりその苦しみから解放されなかった。
21日目の日曜日,私は通りへ出た。明確な目的があったわけではなく,むしろ苦痛から逃げ出したいためであった。
偶然私は阿片を薦める一人の学友に出会った。阿片!思いもよらない快感と苦痛と呼び起こす恐るべき力!
私は阿片についてはアンブロージアについて聞いていたと同じ程度に知っているだけで,決してそれ以上の情報は知らなかったのである。
それは今や私の魂に何という壮麗な和音を聞かせるのか!また何という悲しいかつ楽しい思い出の魂を打ち揺るがす振動を奏でることであろう!
しかしこれらの事実を顧みる時,私は楽園を最初に自分に開いた時と所と人間と関係する微細な事情にまつわる神秘的な重大さを感じるのである。
それは湿っぽい人気の日曜日の午後であった。実際この我々のイギリスの大地においてロンドンの雨の日曜日ほど陰鬱な光景を示すものはない。
私の帰り道はオックスフォード街を通るのであった。そして「英雄なるパンテオン」の近くに私は一軒の薬商を見つけた。薬商は自ら知らずして天上の快楽を与えるものは 日曜日の雨に同情しているかのように,しかもこの世の薬商が日曜日に期待されるような陰鬱な顔付をしていた。私が阿片を乞うと,店主は普通の人間がなすのと違わないさまで,事務的にそれを私に与え,さらに私にが渡した代金のつり銭として 真実の銅貨とおぼしきものを真実の木造のレジスターの中から取り出して私に渡した。かかる人間的性質の情報を入手するににもかかわらず,彼は私に対して特殊な使命を帯びて地上に遣わされた天上界の薬商の麗しい近影としてそれ以来私の心の中に存在している。
さて私が再びロンドンを訪れた時に「雄大なるパンテオン」の近くで 彼を捜したがついに発見することができなかったというこの事実は,先ほど述べたように彼を見なす私の確信を一層強固ならしめるのである。
しばらくして彼の名前を知らなかった私には彼が何かしら肉体的な仕方で移動したと言わいうよりは,むしろオクスフォードの町から消え失せたかのように思われた。
読者はおそらく彼を地上の薬屋以上のものではないと見なしたいのであろう。おそらくそうかもしれない。しかし私の信念の方が正しい。私は彼が焼失したがさもなければ 蒸発したと信じている。それゆえ,最初に霊薬を私に知らせいた時と場所と人間とにいかなる人間的記憶を揉む主義をつけたくないのである。
■服用
宿に帰って私は直ちに指定された分量を飲んだと想像されるかもしれない。私は服用する方法や技術を当然何一つ知らなかった。そして私が服用したのは事実に不利な状態においであった。しかし私はそれを飲んだ。そして1時間ほど経つと 非常に大きな激変が起きた。内的に精神が沈底から高揚に至ったのである。
私の内部世界の何という啓示があったことだろう。私の苦痛が消失したことは,私の目には子細な問題であった。この消極的効果よりも面前に開かれた積極的効果の無限の中に突然啓示された聖なる優越の神への中に飲み込まれてしまった。ここに一切の人間的災いの処方があった。ここに哲学者達が幾世代に渡って論争しあった幸福の秘訣がたちまちに発見された。「幸福」は今や1ペンスの値段で購入され,胸のポケットを詰めて携帯できることができるのである。持ち運びのできる幸福が1ピント入瓶に詰め込まれ,心の栄養は郵便馬車によってガロン宛で送られることもできるのだ。。
■苦痛
慇懃なるそして望むらくは寛容なる読者様。ここまで私に同行してくれたからには,約8年ほど,すなわち1804〜1812年に至るまで私に同行して進んでいただきたい。
学生時代は今ではすでに過ぎ去って,ほとんど忘れられてしまった学生帽は今や私の頭を押し付けることもない。
阿片を飲んで以来,身体の加減はどうなったのか?あっさりといえば機嫌はどうなったのか?読者諸君ありがとう。かなり達者に暮らしている。婦人達の言葉を拝借して言えば「期待されうる限り達者である」。
ありのままを白状するなれば,医師の理論を満足させるためには当然病気であるはずなのに,1812年の春ぐらい健康の優れていた時期は今までになかったのである。
1804〜1812年の八年に飲んだ阿片の量が私の健康を害しなかったのと同様,少しも処分の健康を害しいなかったことを希望する。アンブロージャ(Percy Shelley)から医学上の忠告をお受け取りになるのがいかに危険であるかは自ずとわかるだろう。
私の知る限りではあれは神学や法律にかけては良き助言者であるが医学に関してはそうではないのだ。 この方面ではバカン博士に相談される方が遥かにマシである。私はあの人の忠告は決して忘れることはない。25オンス以上の量を決して飲まないように特別に気をつけていた。少々くらいはよかろうからとそれを良いことに 濫用する人々への復讐を,少なくとも1812年において私が知りもしないというのも適度に使用したからだと考えていた。と同時にこれまでのところ十分間を置いて使うように用心して,未だ日常の食料品となるには至らなかったということも念頭に留めていただきたい。
ところが今や別の時代が来た。
読者様1813年へ進んで頂きたい。1812年の夏の甚だ憂鬱な事件と結びついた精神の状態。大いに体の健康を害したこの事件はそのために健康を害したという他に別段目下の問題とは関係がないからこれ以上詳しく言う必要もないだろう。
1812年のこの病気が1813年のそれと何か関係があるかどうかは知らないが,ともかく私はこの1813年に実に恐ろしい胃の痙攣に襲われた。それはすべての点において青年時代に私を苦しめた頭痛と同様にまた昔の夢の再現を伴うものであった。
これは私の告白物語の要点であって,阿片服用に対する自己弁明に関して私はこれから述べようとする全部が専ら依存するといって言っても良いものである。〜
■幻影
これから私はこの私自身の手記の主題ともいえる,夢の中で起こった事柄の歴史と日記とに話をうつそう。その理由はこれらが私に最も激しい苦痛の一番直接に近い原因であったからである。
私の肉体組織の内の夢に関係ある部分において進行していた重大な変化において,私が最初を気づいたことは,概して少年時代もしくは極度の焦燥状態において起こりやすい目の状態の 再発であった。
多くの子供,いやおそらく子供は大抵あらゆる種類の幻影を暗黒の表面に描く力を持っている。ある子供にあってはその力は単に目の機械的変調である。ところで,他の子供達はそういった幻影を放置したり共感したりする任意あるいは半ば任意な力を持っている。あるいはかつて私がある子供にこの事において訪ねた時その子供が言ったように「私は幻影に向かって行けと命令することができる。すると幻影は行ってしまう。しかし時とすると彼らは私が来いと命令もしないのにくることもある」。
この力が私にとってたまらなく苦しいものとなったのは1817年の半ば頃のことだったと思う。
夜分,床についたまま目を覚ましているとたくさんの幻の行列が憂いに沈んではいるが華やかに装って通り過ぎていった。果てしもなく続く物語の彫刻はエディパスやプライアもよりもタイアよりもメンフィスよりも前の時代から来た物語であるかのように悲しくもまた荘厳な気がした。
またそれと同時にそれに関連した変化が私の夢の中に起こった。ある劇場がにわかに私の頭の中に開かれて明るく照らし出された。しかもそれは現世のそれよりももっと華麗な夜景を呈するのであった。
そして次の四つの事実は日常平時における注目すべき事柄として申し述べて差し支えなかろう。
1 目が幻影を想像する状態が進むにつれて脳の目覚めた状態と夢見る状態との間にある共鳴が一点において起こるように思われた。
すなわち私が休み休み有意的意識的な動作によって暗闇の中に呼び出したりしていた幻影が夢に移動しがちであった。それゆえに私はこの力を働かせることを恐れた。マイダスがあらゆる物を黄金に化したがそれがかえって彼の希望を虚しくしてまた彼の人間的欲望を欺いたように,何によらず目に映るもの全てが闇の中でちょっと考えただけですぐその姿が目の幻影と化してしまった。そして明らかにそのそれと同様に必然的な過程によって,その幻影がしばらくして一度かすかなぼやけた色彩で描かれると,あたかもあぶり出しインキで描いたかのように,その幻影は私の猛々しい科学効果によって引き出されて私の心をイライラさせた。
2 私の夢の中で起こったこれらの事や全ての変化には言葉によっては表現しえないような深い心配と暗い憂鬱が伴った。
私は毎晩比喩的にではなく全く文字通りに岩の割れ目や太陽の照らない深い闇の中に深みから深みへとどんどんと落ち込んでいくような気がして,しかもそこから再び登ってくるのは全く絶望という気がした。そして目を覚ましてもそこから再び登ってきたという感じがしなかった。と言ってこのことを私は詳しく述べようとは思えない。なぜならこれらの華やかな風景に伴う暗黒状態には,暫時その暗黒の度合いを増していて,ついには自殺を招きかねない絶望の闇のような暗黒状態になるものであって,言葉には 表現することが、 できないからである。
3 空間の観念とそしてついには時間の観念とは両方とも強く影響された。建物とか風景といったようなものは肉眼で見えるのが困難なほどに非常な大きさで表現されて空間は膨張していき,名状しがたい無限の範囲にまで拡大された。
しかしこれとしても時間の広大な膨張ほどには私を煩わせなかった。時として私は一晩の間に70年あるいは100年もの間生活したような気がした。ある晩は一晩の間に2000年も経過したように感じて,あるいはそれほどでもないにしても経験の限度をはるかに超えた長い時間が経過したような感じがした。
4 子供の時間の極めて悲惨な出来事,もしくはその後年の忘れられた色々な場面がしばしば蘇った。しかし私もそれらのことを自分で思い出したとは思えなかったが,その理由は誰て目覚めている時にそれらの事は語られたとしても私はそれらを私の過去の経験も部分として承認することができなかったからであろうから。〜
ー阿片常用者の告白,De Quincy,岩波文庫,

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2020年02月21日

Ian Mcdonald「火星夜想曲」〜火星の街の物語(1988)

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Ian Mcdonald「火星夜想曲」〜火星の街の物語
1988
"父さん、父さんから聞かされたすべてのことを記す一冊の本を書こうと思っているんだ。あの驚異や奇跡のすべてをね。
喜びや悲しみ、勝利や敗北をみんな"1988年発刊の本書は、ひとつの町が忽然と誕生してから跡かとなく消え去るまでの半世紀の物語をマジックリアリズムで描いたSF版『百年の孤独』的一冊。
個人的には『百年の孤独』がとても面白かった!という話をSF好きな友人に話した時に逆に紹介されたのが本書だったりします。
さて、そんな本書はテラフォーミングされた火星を舞台にして、とある砂漠のオアシスに次々と人々が辿り着き【一つの町(デソレイション・ロード)が幻想的に発展していく】までが前半、後半はそれらの人々の息子や娘たちが様々な立場になり絡んでくる事で【怒涛のハードSFガジェットが大量導入されるカオス展開となっていく】のですが。
著者自身が『魔術的リアリズムの小説としてSFが可能であることを証明して見せたかった』と述べている様に、特に本書の前半はそれが顕著で楽しく、またSF的展開を見せていく後半も、こちらはこちらで様々なSF作品へのオマージュが随所に織り込まれていてニヤリとさせられてしまった。また、登場人物たちが多く【章ごとに語り手の違うエピソードが描かれている】事で本書冒頭の家系図(この辺りも『百年の孤独』を連想させられます)を何度も【誰だっけ?】と確認しながら読み進めていたのですが【登場人物たちの成長や変化の群像劇】として、また各キャラクター造形や結末といった細部も含めて、最後までよくまとめきったなと感心しました。
マジックリアリズム、そしてライトではないSF好きな誰かへ。また群像劇的な家族の物語が好きな人にもオススメ。

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