2019年06月05日

バミューダ・トライアングルとドラゴン・トライアングル

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バミューダ・トライアングルとドラゴン・トライアングル
■バミューダ・トライアングルの発見
1964年,ビンセント・ガディスというジャーナリストがバミューダ海域に関する論文を発表した。
今では一般的になっている
「バミューダ・トライアングル(BERMUDA TRIANGLE)」
の名前が初めて登場した論文である。
さらに翌年に発表した
「死の三角海域」
という記事には, 1840年から1916年までにこの海域で失踪した膨大な数の船舶や飛行機の一覧が載せられている。
米空軍は,事故はいくつかの悪条件の積み重ねによるものだとしていた。
つまり悪天候,コンパスに対する電気干渉,経験不足などが事故を引き起こしたというわけである。
しかしこの記事の中でガディスは行方不明になった船舶や航空機では4次元の穴に落ち込んだのではないかという解析をしている。
多発する失踪事件を偶然の出来事してとして処理する空軍当局よりはマシかもしれないが,ガディスのこの推測は科学的根拠にかけている。
ガディスの友人で地球の謎について研究しているイワン・サンダーソンという人物も,そう考えていた。
そこで彼は,船や飛行機が失踪した場所を世界地図上にプロットするという検証を行った。
その検証によれば,謎の失踪事件はバミューダ海域だけではないという。
サンダーソンは,世界中に10カ所もの失踪多発海域があることを明らかにした。
しかもそれらの「魔の海域」は,南半球と北半球にあり,赤道を挟んでほぼ対象に位置しているというのである。
ではなぜその海域で失踪事件が多発するのか。その回答としてサンダーソンは,地震学者のジョージ・ラウズの説を引き合いに出して説明している。
ラウズは地震は地球の表面下にある特定の層を震源にしていると考え,地震帯の地図を作成した。
この地図に表されている地震帯は,サンダーソンが挙げる「魔の海域」とほぼ一致している。
このことから彼は地震活動によって起こる何らかの現象が,船舶や飛行機の計器を狂わせたり,異常気象を引き起こしているのではないかと結論づけたのである。
■ドラゴン・トライアングル
サンダーソンは,バミューダ海域から北極を挟んで正反対の位置にも「魔の三角海域」があると指摘している。
野島崎の南沖,
伊豆七島の西南西,
グアム島
の3点を結ぶ海域だ。
この海域には,船乗り達が恐れる事件が多発していた。
船乗りたちの言伝では,海に住むドラゴンが船を海底に沈めるなどと言われている。
1949年〜1954年の間には10隻の船が, 1969年〜1984年には,26隻の船が行方不明になっている。
もちろん船だけではなく飛行機の失踪事件も起こっている。
ひどいときには10日間に3機の飛行機が姿を消したこともあった。
日本近海のこの海域が人々に知られるようになったのは1976年のことである。
1976年1月17日,日本の各紙は一斉に
「鉱石運搬船が蒸発した」
と報じた。
22万トンの鉱石運搬船ベルゲ・イストラ号は南米で鉱石を積み,日本へ向かっていた。
しかしフィリピンのミンダナオ島沖で突然姿を消してしまった。
その付近の大捜索が行われたが,何の手がかりも得られず,捜索は打ち切りとなった。
この事件の後で,関係者の間で
「船は魔の海域の犠牲になった」
という噂が少しずつ広まり始めた。そしていつしかこの海域は
「ドラゴン・トライアングル」と呼ばれるようになったのである。
バミューダトライアングルの名前が世界に広まる以前から,こういった失踪事件にまつわる牡蠣の伝説が成員たちの間で語られていた。
日本近海の魔法の三角地帯に伝えられるドラゴン伝説と同じように,人々は理解しがたい3時に隣接と言う形を与えたのである。
バミューダ・トライアングルとドラゴン・トライアングル。
この2つは地球の中で磁石のプラスとマイナスのようにつながっているのだろうか?
2つの海域の失踪事件には,何らかの関係があるのだろうか?
真実が科学の力で解き明かされるまで,まだまだ時間がかかりそうだ。
ー青春文庫,未だ解けざる歴史ミステリー〜20世紀の迷宮, 1998年,

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「魔の海域」からの生還者たちによる証言
いったい「魔の海域」で何が起きているのだろうか?
海域で不思議な体験をして生還した人たちからその一端を伺い知ることができる。
1952年4月,ジェラルド・ホークスの操縦する飛行機は,アイルドワイド空港(現在のケネディー空港から出三枝に向けて飛び立った。
途中で飛行機はエレベータが落下するように60メートル下降した。
しかし次の瞬間にはまた元の状態に戻っていた。
ホークスの証言によれば,それはまるで
「巨人が飛行機をつかんで,上下に一振りしたような感じだった」
と言う。
その後バミューダとも米国とも連絡が取れずに,飛行機は一時的にパニック状態に陥った。
約1時間後, 無線船と連絡が取れた同機は,無事にバミューダへと到着することができたのである。
船乗りのドン・へンリーの体験はこうである。
1996年のある晴れた日,彼の率いる船はプエルトリコを出発して,フォートローダーデールに向かっていた。
突然の叫び声を聞いて,ブリッジに駆けつけた彼の目に入ったのは,羅針盤の針が時計方向にぐるぐる回っているといった奇怪な現象であった。
あたりは暗くて,地平線も見えない。
波があらゆる方向から迫ってくるような感覚にとらわれた。
電力が途切れて,霧が船を包んでいた。
しかし次の瞬間に,船は突然霧から脱出した。
後には霧が固体のように集中してそこだけが荒れ狂う不思議な光景があった。
ー青春文庫,未だ解けざる歴史ミステリー〜20世紀の迷宮, 1998年,

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2018年12月17日

エドガー・ケイシーによるバミューダ・トライアングルの霊視

エドガー・ケイシーによるバミューダ・トライアングルの霊視
アトランティスは長い歳月の経つうちに,世界中のまちまちの場所に位置づけられてきた。
大西洋を始めとして,
エーゲ海,カスピ海,北海,西アフリカ,スペイン,チュニジア,ドイツ,
スウェーデン,サハラ砂漠,アラビア,メキシコ,ユカタン,ベネズエラ,
アドレス諸島,カナリア諸島,マデイラ諸島間寺諸島,ブラジル,
アイルランド,
果てはインド洋に至るまでしばしばその視聴者や研究者の国籍と世界観に左右されながら決められたのである。
バミューダ・トライアングルの西の部分がアトランティスの実在地として名乗りを上げたことが一汎に知れ渡ったのは1968年の遺跡発見以来であるが,これは実に異常なある事態が発見年そのものとともに絡んでいる。
事情と言うのは「眠れる予言者」と呼ばれた心理治療師エドガー・ケイシーのアトランティスに関する予言のことである。
彼は1945年にバージニア州で亡くなったが,そのリーディングは何万と言う信者たちに影響を与え続けている。
生前彼はリーディングを通じて8000人以上の人々に,最初は健康問題から,他の様々な事柄について忠告や助言を与えた。その驚くべき治療方法や心霊力についてはここで述べる必要もないが,ただ例外は彼が行った直接アトランティスとビミニに関する極めて異常な考古学上の予言と思われるものである。
1923年から1944年の間に,弟子はアトランティスに関して何百ものトランス診断を行った。それを与えられたのは,彼の意見とその仕事を引き継いで続けてきた「研究啓発協会(ARE)」の人々の見解によると,前世をアトランティスで送った人たちだった。
トランス状態でないときのケーシーはアトランティスについては何も知らず,無関心で,時折自分がそんなに多くのリーディングの中でそれを言及したことにははっきりと戸惑いさえ示した。しかし1940年6月,彼はアトランティスがビミニ島付近(ケーシーはポセイデイアと呼んだ)に存在していたことをそれまで何度も主張してきたついでに,次のような思いがけない診断を行ったのである。
「ポセイデイアは再隆起するアトランティスの最初の部分になるだろう。それは1968年と1969年,それほど遠い将来のことではない」。
この奇妙な考古学的予言はほとんどそのまま,バハマのおびただしい発見,潮流による構造物の露出,特定地域の海底の隆起の事実によって,的中したわけである。
しかしそれでもわれわれはこれらの発見がケーシーの予言通りに行われたのか,それとも予言されたからそうなったのか,つまりケーシーの予言を読んだ連中が探しに出かけたからではないのか,という疑問に駆られる。事実,最初に水中の構造物ないしは構築物を発見したパイロットたちの中にそういう人もいたのである。
当然予想されるように28年前の予言通り, 1968年に海底に発見されたことでたくさんの連中がアトランティスとその地域についてケーシーに行った他の言及に新しい興味を振り向けるようになった。
もしケーシーのリーディングや古代の伝説が,実際の出来事の記憶に基づいているのならば,科学的に進歩していたその文明の開発になるある種の力が,かつてそれが集中していた地域で今も部分的に働いている可能性を思い描くことができる。
またバミューダ・トライアングルの電磁的・重力的異常は何の痕跡もないほど遥か昔の文明,我々が具体的ではなくただ本能的に記憶をしてるだけの文明からの遺産なのかもしれないと言う可能性を考えることができるのだろう。
数人のバミューダ・トライアングル・ミステリーの研究者は,人類の核兵器開発がかつてこの地球や他の惑星に存在した多くの文明がそうであったように,人類自身の文明の存在を脅かしているのではないか,という可能性に宇宙の知的生命体たちが注目し,あるいは憂慮しているのかもしれない,と主張している。
この惑星上に理性的な人間ー現代人の理性に匹敵するような理性ポテンシャルーが出現してからの時間距離は40000年〜50000年,あるいはそれ以上,過去にさかのぼることができるかもしれない。
したがってもし仮に我々のような文明が, 科学とテクノロジーの点で自分自身の破滅をもたらすポテンシャルを獲得する段階まで進歩するのに要する時間を約10000年とした場合に,我々自身の文明に先立つ文明がもう1つかそれ以上,存在しうるだけの時間はたっぷりあったことになる。
おそらく技術文明の進歩は結果的に偶然にせよ故意にせよ,核分裂に匹敵する力を開発し,この時点でその文明は力の開発のコントロール手段を学ぶか,それとも自らの破滅を招き寄せるか,決断しなければならなくなるであろう。
もしそのような世界文明が存在し自らの破滅を招いて消滅したとしたら,その記録はおそらく,伝説の中に残されたり,制作年代の定かでない時代錯誤的人工物に暗示されたり,あるいはまた確認も解釈も受け付けない巨大な遺跡によって思い起こされたりすることになりそうだ。
そしてそれらの要素が「バミューダトライアングル」海域に沈んでいるそのような番目の遺跡を突き止める手助けとなるのである。
エドガー・ケイシーはアトランティスに関する口述のリーディングの中で,繰り返し我々自身の原子力動力源,
レーザー,
メーザー
等は今日我々が享受しているのと同じ目的で使われていた,と指摘していたようにみえる。そうしたものの利用に関する彼の口述とその乱用の危険に対する彼の主張は,今日ならごく標準的な事実の報告としても新聞の社説として通用しそうなものである。
一体エドガー・ケイシーはどうして35年以上も前にそんなことを知っていたのか?
エドガー・ケイシーはこれらの動力源はかなりかなり詳しく描いた。
それは空中や水中の乗り物を推進する力を産む偉大な発電機であった。それは照明と熱と通信を生み出すことができた。それはラジオ,テレビを動かして,長距離写真撮影に使われた。それはまた,脳を含む組織の改良と若返りに役立つ力を産んで,この点で全社会階級を統制するためにも利用された。
だが自ら開発した自然の力の濫用と,内外の戦争を通じて,アトランティス人はとうとう制御不可能の自然力を解放してしまい,自分自身の破滅をもたらした。
エドガー・ケイシーと世界中の古い文明の伝説とは,この信念の点で一致している。
彼自身の言葉で言えばこうだ。
「人間は破壊的な力を持ち込んだ。
それはあらゆるガスの源,自然の中で作られ,自然のあるがままの存在する力の自然の源が結合し,最悪の噴火がゆっくり冷却する地球の深みから目覚め,後にサルガッソー海と名付けられるものに近いアトランティスのその部分は海中に沈んだ」。
その有史以前の古代の歴史の中で,ケーシーは当時1942年から数年先までその存在を知られていなかったレザーとメーザーをわざわざ予言したように見える。
彼は巨大な水晶動力源を次のように描写した。
「そこに無限と有限を結ぶ連絡手段として,あるいは外部からくる力との連絡をつける手段としてその光は現れた。
後にこれはエネルギーを放射する源を意味するようになって,アトランティス人の活動期間を通じて,放射される活動力の根元として様々な形の移動と力を導いた。
それは水晶として設置されたが,最初そこで使用された時は全く異なる方式で使われた。
これら2つを混同してはならない。なぜならそこには何世代もの隔たりがあるからである。飛行機すなわち旅行機関が導かれるようになったのは,その時期であった。もっとも当時のそれは空も海も海の下も全く同じように旅行したものであるが。しかしそれが導かれる力は,中央の動力ステーションにあった。すなわちツアオイ石のことである。そしてそれが行動するときに乗る光線も」。
別のリビングでは彼は個性で家のある地点,言い換えれば当時が水面上になったバハマ地域についてこう述べた。
そこが光と形と活動力を凝縮した偉大な水晶石の出す原動的な力の貯蔵所で,その力は海上の船だけではなく,空中のそれを導くために使われた。また今日人類に知られる文明の力の多くにも使われた。例えば肉体の伝達に,声の伝達に,例えばテレビジョンと今日呼ばれる振動を作り出すものへの活動の記録に(注:ここで今日と言われるのは1935年のことである)」。
ー謎のバミューダ海域完全版,チャールスバーリッツ著,徳間文庫

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2018年12月15日

バミューダトライアングル:俺の後を追うな,空に呑まれた航空機

バミューダトライアングル:俺の後を追うな,空に呑まれた航空機
バミューダ・トライアングルの名は1945年12月5日水曜日,6機の海軍航空機とその乗員が消滅した事件に由来する。
同時に消滅したらしい最初の5つの戦闘機は,その時三角のコースを取るように決めた飛行プランに従って,日課的な訓練飛行を行っていた。
それはフロリダのフォトローダーデール海軍航空基地を飛び立って,東へ160マイル,北へ40マイル飛んでから,南西進路をとって南西へ帰還するというプランであった。
これまで
「悪魔のトライアングル」
「災難の海」
「大西洋の墓場」
などとさまざまに呼ばれてきたものに,新たに
「バミューダ・トライアングル」
という名前が加わった大きな理由は,フォート・ローダーデールを起点とする三角形の飛行プランの頂点が,ぴったりバミューダと一致することが当時注目されたからである。
またバミューダはそれ以前も以後も極めて異常な状況下で船や航空機が消滅する海域の北限にあたるように見えたからでもある。
訓練中の飛行編隊が丸ごと14人しかもその救助に向かった巨大な救助機マーティン・マリナーまで,13人の乗員もろとも不可解な消滅を遂げたこの完全消滅事件ほど,世間の耳目をそばだてたものは後にも先にもない。
フライト19。
それが1945年12月5日の午後,フォトローダーデール基地を離陸したこの部隊の呼び名である。
搭乗員は士官パイロットが5人,下士官兵が9人。後者は各機2人ずつに分けられた。本来ならもう1人のはずなのだが当日その人物が不吉な予感を理由に航空機搭乗任務の免除を希望して,代替要員の派遣されなかったために欠員となったのである。訓練機はネイビーグラマンTBM3型アヴェンジャー爆撃機。各機とも1000マイル以上の飛行に耐えるだけの燃料を積んでいた。
気温は華氏65度。太陽が輝いて,雲はまばらで穏やかな北東の風が吹いていた。当日先に飛んだパイロットの報告では,理想的な飛行日和である。
この飛行の所要時間は2時間と算出された。
午後2時,離陸開始。10分後には全機が空中に舞い上がっていた。
飛行時間2500時間以上の指揮官チャールズ・テイラー中尉は隊機をビミニ北方のチキン浅瀬に誘導した。
そこでまず標的の爆撃訓練を行う予定であった。
パイロットも同乗員もベテランぞろいで,飛行中に異常な事態が発生しそうな気は微塵もなかった。
しかし起こったのである。それまでひどい形で。
午後3時15分,爆撃訓練を終え,隊が東に進んでいる頃,部隊からの帰還予定時刻報告と着陸指示を仰ぐ連絡を待ち受けていたフォート・ローダーデール管制塔の無電手は部隊の隊長からただならぬ報告を受けた。
隊長(チャールズテイラー) 管制塔へ。緊急事態だ。コースを外れたらしい。陸地が見えない。道が見えない。陸地が見えない。
管制塔 現在地はどこだ
隊長 ハッキリしない。どこにいるかもわからないんだ。迷ったらしい。
管制塔 真西を目指せ。
隊長 どっちなのかもわからない。何もかもおかしい。奇妙だ。。。方向がさっぱりわからない。海の様子もいつもと違う。
3時30分ごろ,フォト・ローダーデールの主席飛行教官は飛行実習生の1人パワーズを呼んでいる誰かの通信を傍受した。彼は羅針盤がどうなっているか聞いていたが,パワーズの返信はこうだった。
「どこにいるのかもわからない。。最後にターンして方向を見失ったらしい」。
フライト19の教官を呼ぶと応答があった。
「羅針盤が2つともいかれた。フォートローダーデールを探している。。
フロリダ小島の小島帯の中にいるのは確かであるが,どこにいるのかどの辺なのか全くわからない」。
そこで教官は太陽を左に見ながら北へ飛べば,ローダデールに出られると指示したが,相手は続けて言った。
「たった今小島帯の上を取りすぎた。他に陸地が見えない」。
これは教官の飛行機がフロリダ小島地帯にいるのではないことを示していた。
普通なら小島帯に続いて陸地があるはずなのに,それが見えないというからには,部隊全機が迷ってしまったのである。
フライト19からの連絡は空電のために,次第に聞き取りにくなった。
明らかに向こうではもう管制塔の声が聞き取れないらしいが,管制塔の方では部隊の飛行機同士の会話をかなり傍受できた。
「燃料切れーあと75マイル分しかない」とか,
「時速75マイルの風だ」とか,
「どの機も羅針儀が狂いをきたして,目盛りがまちまちだ」
というふうな会話もあった。その間,フォート・ローダーデールの強力な通信機をもってしても5機とも連絡を取ることができなかったものの,機間の会話だけはかすかに聞こえ続けていた。
その頃すでに基地ではフライト19が非常事態に遭遇したと言う知らせが広がって,てんやわんやの騒ぎになっていた。
敵の攻撃(とはいえ数ヶ月前に第二大戦世界大戦は終戦していたのであるが),あるいは新たな敵の攻撃などあらゆる可能性を考慮したうえで,ツインエンジンのマーティン・マリナー機が13人の乗員を乗せて,ハバナリバー海軍航空基地から救助に飛び立った。
午後4時,管制塔はテイラー中尉が上級海兵隊パイロットのスティーブ大尉に指揮を頼んでいるのを聞いた。
空電で聞き取りにくく,緊張に上ずってはいたが,ちゃんとした通信が彼から届いた。
「現在地がはっきりしない。北東225マイルの地点のはずであるが。。。
もうフロリダを通過してメキシコ湾に来ていなければおかしい。。」。
隊長はまもなくフロリダ上空へ戻れるのではないかと180度方向転換を決意したが,いざターンしみると無電は遠ざかるばかり。
その方向転換が誤りで彼らはフロリダ海岸から公海方面へ東へ飛び始めたようであった。。
報告によればフライト19日の最後の通信は
「我々のいる場所はどうやら。。。」。
だったという。
もっとも
「白い水に突入。。われわれは完全に迷った。」。
などと,もっと詳しく聞いたものもいるらしい。
一方その地点と遭遇する予想される海域に向かってマーティン・マリナーが機の乗員の1人コーム中尉から離陸数分後すぐに
「上空6000フィートは強風状態である」。
と言う連絡がはいった。救助機からの通信はこれが最後であった。
まもなく全捜索隊は遭難したのは5機ではなく6機であるとの緊急連絡を受け取った。救助機までが姿を消してしまったのである。
以後,フライト19からも救助機からも通信は来なかった。
しかし午後7時をまわった頃,マイアミの海軍航空基地は
「FT,FT,,」
というかすかな通信を傍受している。
これは発信者が本当に遭難機だったとすると,この部隊の燃料が切れたと推定される時刻から2時間もあとということになる。
失踪当日に始まった空からの捜索は日暮れとともに中断されたが,沿岸警備隊の部隊による捜索は夜を呈して続けられた。
翌木曜日,朝日のさすのと同時に大規模な捜査活動が開始された。
しかし
航空機249機,空母ソロモンから応援に駆けつけた67機,駆逐艦4隻,潜水艦数隻,沿岸警備隊18隻,
調査艇・救助艇多数,民間機,ボート数百隻,ハバナリバー海軍航空基地のPBM機数機,
バハマ諸島の英国空海軍
からの応援を含めた史上未増の大捜索陣が出動したにもかかわらず何一つ発見されなかったのである。
ー謎のバミューダ海域完全版,チャールスバーリッツ著,徳間文庫

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フライト19



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救助機マーティン・マリナー



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バミューダトライアングル









異次元への通路=魔の三角海域
2008/5/7(水) 午前 6:17
「魔の三角海域」で消えた米軍機、火星に出現?
【大紀元日本7月30日】
最近、インターネットサイトでは第二次世界大戦中にバミューダトライアングルで失踪した米軍の4機の爆撃機が火星の上空で飛行しているとの説が流れている。
米国「世界ニュース週刊」は、
「1995年、米国の天文学者コフント・ロディン博士は自分の発見を公表、火星を観察する際に、第二次世界大戦中に失踪した4機の米国爆撃機が火星上空で列を作って飛行しているのを発見したという」と報じた。
ロディン博士によると、彼はコンピューター制御の天体望遠鏡で火星を観察する際に、長年前に失踪した5機の米軍魚雷型爆撃機のうちの4機が、火星の数キロ高さの空域で列を作って飛行していたのを発見。コンピューター自動追跡機能で撮影した画像を分析した結果、これらの爆撃機の時速は4万キロだという。
同博士は、「飛行機は緊密な列を作って飛行している上、飛行状態は極めて良好。有人操縦の可能性が高い。機体にある米軍のマークもはっきりと見える。これを根拠に、1945年にバミューダで失踪した爆撃機であるのを判断した」と説明していた。
米国政府はこのことについて、コメントを拒否している。スウェーデンの科学者ウェルハム・グレード博士は、「ロディン博士が火星で観測した爆撃機は、旧ソ連が月で発見した飛行機と関連があり、「魔の三角海域」バミューダトライアングルとも関係がある」と見解を示している。
52年前に、第二次世界大戦が終戦直後の1945年12月5日、米国海軍第19爆撃機チームの5機の魚雷型爆撃機は、大西洋を巡回するためにフロリダ州のフォート・ローダーデール(Fort Lauderdale)空軍基地から発った。
この日は快晴だった。
しかし、爆撃機がマイアミ、プエルトリコとバミューダの三つの地点が構成する、いわゆる「魔の三角海域」バミューダトライアングル海域で忽然と消えた。
失踪する前にはまったく救援信号を発しておらず、失踪後もいかなる痕跡を残さなかった。
基地との連絡が中断したのは午後5時。現地の海域を調査するために派遣したPBM巨型水上飛行機も二度と戻らなかった。
失踪してから2時間後の19時4分、フロリダ州の空軍基地は微弱な救援信号「FT…FT…」を受信できた。
そのときには、爆撃機の燃料がすでに完全に使い果たしたはずで、居場所を確定できなかったため、捜索はできずに、5機の爆撃機と乗員が永久に軍の名簿から抹消された。
当時の現地メディアが報道したこの失踪事件
発見当時、ロディン博士は、「自分のこの発見は、旧ソ連が月で米国の爆撃機を見つけた以来の一大天文ニュース」と興奮気味に語った。
1987年3月、旧ソ連は、「衛星スキャン」で、月の上で第二次世界大戦中の米国旧式爆撃機を発見したと公表。
翌年の7月22日、旧ソ連の衛星が再び現地を経由、スキャンするときに、爆撃機の姿がなかった。
公表された衛星写真には機体の米軍マークが鮮明に写っていた。
また、ロディン博士の発見にも、コンピューター写真が証拠として残っている。
科学界からは、捏造ではないかと疑う声があがっているが、同博士は、「私は非難と障害に直面するのを予期していた。
しかし、私は迷わない。自分がなにを見たかははっきりと分かっている。
残念なのは、爆撃機はどうやって地球から宇宙に入り、宇宙でなにをしているのかを判明できないことだ」と話した。
2007年3月13日夜から14日の朝方にかけて、米国海軍のロサンゼルス級攻撃潜水艦San Juanは、この「魔の三角海域」で9時間失踪した。
艦内の乗員らはまったくこのことを知らなかったという。
魔の三角海域で9時間消えた米軍の潜水艦(米海軍サイト)
米国海軍の潜水艦指令センターは声明で、この一件は「空騒ぎ」だったと説明したが、外部からは疑問視する声が浮上。
この「魔の三角海域」では、100年以上前から100を超える船や飛行機、1000人以上が消息不明となっているという。
その原因について、様々な説があるが、ある学者は、ここは人類と異なる空間に通じる通路と解釈している。
(07/07/30 08:23) http://jp.epochtimes.com/jp/2007/07/html/d26550.html

徹底検索、堀進
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu8/
















世見2016年12月10日
バハマ諸島沖
松原照子氏のスピリチュアル情報
<世見>
2016/12/10
バハマ諸島沖の海底は、実にロマンが広がります。
こんなことを書いたからといって、私自身すぐにはバハマ諸島がどこにあるのかわかりませんし、
冒頭に書いた言葉も自分でわかっているような、わからないような変な気分が残るものの、
興味津津で心の奥が動き始めます。
バハマ諸島沖にいったい何があるのか、心をくすぐるものに素直について行きたくなりました。
「未だに発見されていない寺院あり」こんな声も聞こえます。
「以前発見されたものより大きい」こんな声も聞こえます。
「えぇ! 発見されたんだ」私から出てしまった声。
「バミューダ島からイスパニョラ島の右沖にかけて真実が見える」
「四次元ミステリーゾーン」
いったい何のことなのだろうか?
フロリダ半島は、今日も美しい海とお日様とが仲良くしています
バミューダ海域と云えば“魔の三角地帯”。
私が今年にしたこととの関係はわからないものの、
マヤとの関わりのある何かが、今もあの海のどこかで眠っている気持ちがします。
ただ、多くの遺跡は固い花崗岩ではなく粘土のように軟らかな石だったので、
発見されにくいかもしれません。
もしも陸ならば空気と合体すると固くなるのですが、
海水に長い間浸かっていると細工された部分も消えているとも言われます。
玄武岩 花崗岩 それと粘土のように軟らかい石は、きっと大昔のことを覚えていることでしょう。
そういえば、随分と前に石を集めている方に見せてもらった“コンニャク石”を思い出しました。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.xn--l8ji6b8dbd9a6a7e0hd.com/article/444754856.html
























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