2018年11月25日

大洪水前のシュメール社会,シュメール王名表

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地球は「8人の宇宙人たち」が241000年にわたり支配していた!「シュメール王名表」が語る衝撃の真実
2016.12.21
やはり、古代文明は宇宙人によって支配されていたのだろうか? 
そう思わざるを得ない驚愕の事実が発覚した。
なんと、シュメール文明の公式王名簿に、8人の宇宙人が24万1200年にわたり世界を支配していたという衝撃の歴史が記載されていたというのだ!
■『シュメール王名表』が明かす衝撃の事実
『シュメール王名表』「Wikipedia」より引用
『シュメール王名表』とは、古代メソポタミアにおける王朝の王をシュメール語で列記した古代の王名簿である。
2600年前に実在したとされるギルガメッシュ王の名も記載されており、“公式な”王権や王の在位年数を記録した、歴史的価値が高い名簿とされているが、中には常識では考えられない記述も散見される。
オルタナティブニュースサイトなどによると、
『シュメール王名表』
に記載されている初代の王アルリムは、ギルガメッシュ王よりも数十万年遡った時代に存在したとされ、在位期間はなんと2万8800年! 
間違いなく人間ではないだろうが、一体この王は何者だったのだろうか? 
『シュメール王名表』の記述をみてみよう。
「王権が天から降りてきた。王権はエリドゥにあった。
エリドゥでは、アルリムが王になった。アルリムは2万8800年に渡って統治した。
次に、アラルガルが3万6千年間王位にあった。2人の王が、6万4800年の間統治した」
「5つの都市に8人の王がいた。彼らは合わせて24万1200年に渡り統治した。その後、洪水が全てを洗い流した」
8人の王それぞれの在位年数は以下の通りである。(在位年数)
アルリム(28800年間)
アラルガル(36000年間)
エンメンルアンナ(43200年間)
エンメンガルアンナ(28800年間)
ドゥムジ(36000年間)
エンシブジアンナ(28800年間)
エンメンドゥルアンナ(21000年間)
ウバル・トゥトゥ(18600年間)
8人の王で24万年以上も統治したとは、話が壮大すぎて開いた口が塞がらないが、
このような浮世離れした事実が本当にあったのだろうか? 
専門家らの答えは単純だ。
このリストは、そもそも事実のみを記述したわけではなく、歴史以前の神話上の王も含めてしまっているというのだ。
しかし、王が天から降りてきたのは何故だろうか? 
シュメール風の王権神授説(王権は神から付与された絶対の権利とする政治思想)だろうか? 
陰謀論者らは、それでも疑問は残ると考えているようだ。
それというのも、これら8人の王がどのような最期を向かえ、どのように大洪水が地球を襲ったかまで詳細で緻密な記述があるからだという。洪水の後には、「別の王権が天から降りてきた」と物語られ、ミステリアスな王がまた世界を支配する様子が描かれているそうだ。確かに、王権神授説を唱えるための作り話ならば、王権を2つに分割して正統性に疑問がもたれるような面倒なことをする理由が無いのではないだろうか?
また、そういった事情に加え、多くの著述家や研究者は、神話説に異議を唱え、反論しているという。
では、天から降りてきた8人の王が実在した歴史上の人物だとしたら、どの説が最も合理的だろうか? 
1つの可能性は、「古代宇宙飛行士説」だろう。
『王名表』には記載されていないが、シュメールの神話においては、惑星ニビルに住む「アヌンナキ」という知的生命体が古代の地球に降り立ち、文明を興したと伝えられている。シュメール文明と地球外生命体との関係は以前より指摘されており、今年10月にはイラクの運輸大臣も「シュメール人はUFOで惑星間飛行をしていた」と、公の場で発言している。
「古代宇宙飛行士説」を提唱する、超人気UFO研究家ジョルジオ・ツォカロス氏も過去に、
「シュメール文明には進化の痕跡が無いため、高度な知的文明が技術を伝えた可能性が高い」
と、「Legendary Times.com」のインタビューで答えている。
これら8人の王の実在は現時点では確認されていないが、神話であると断言することもできないだろう。
シュメール文明の成り立ちを考える上では、肯定するにしても否定するにしても、まずは宇宙人との関係を考慮に入れる必要があるのではないだろうか? いくら結論を急いでも、過去は変わらない。全ての可能性を検討する時間は十分にあるだろう。
(編集部)

TOCANA
https://tocana.jp/2016/12/post_11828_entry.html
























































































































































時代

王朝名

王名

備考

初期王朝時代T
(大洪水以前)

エリドゥ王朝

アルリム
アラルガル

バド・ティビラ王朝

エンメンルアンナ
エンメンガルアンナ
ドゥムジ

ララク王朝

エンシブジアンナ

シッパル王朝

エンメンドゥルアンナ

シュルッパク王朝

ウバル・トゥトゥ

初期王朝時代U

キシュ第1王朝

ジュシュル
クルラッシナ・ベル
ナンギシュリシュマ
エンタラフアンナ
バブム
ブアヌム
カリブム
ガルムム
ズカキブ
アタブ
マシュダ
アルリム
エタナ
バリフ
エンメヌンナ
メラム・キシュ
バルサルヌンナ
ザムグ
ティズカル
イルクウ
イルタサドゥム
エンメバラゲシ
アッガ

ウルク第1王朝

メスキアッガシェル
エンメルカル
ルガルバンダ
ドゥムジ
ギルガメシュ
ウル・ヌンガル
ウドゥル・カランマ
ラバシュム
エンヌンダランナ
メスヘデ
メラムアンナ
ルガルキドゥル

ウル第1王朝

メスアンネパダ
メスキアグナンナル
エルル
バルル

初期王朝時代V

アワン王朝

名前不明
名前不明
名前不明

キシュ第2王朝

ススダ
ダダシグ
ママガルラ
カルブム
トゥゲ
メンヌンナ
名前不明
ルガルング

ハマジ王朝

ハダニシュ

ウルク第2王朝

エンシャクシュアンナ
ルガル・ウレ
アルガンデア

ウル第2王朝

ナニ
メスキアグナンナ
名前不明

アダブ王朝

ルガルアンネムンドゥ

マリ王朝

エンシャクシュアンナ
アンブ
アンバ
バジ
ジジ
リメラ
シャルム・イテル

キシュ第3王朝

ク・バウ唯一の女王

アクシャク王朝

ウンジ
ウンダルル
ウルル
プズル・サニラー
イシュ・イル
シュ・シン

キシュ第4王朝

プズル・シン
ウル・ザババ
ジムダル
ウシ・ワタル
イシュタル・ムティ
イシュメ・シャマシュ
シュ・イリシュ
ナンニア

ウルク第3王朝

ルガルザゲシ

アッカド時代

アッカド王朝

サルゴン
リムシュ
マニシュトゥシュ
ナラム・シン
シャル・カリ・シャッリ
イギギ
イミ
ナヌム
エルル
ドゥドゥ
シュ・ドゥルル

ウルク第4王朝

ウルニギン
ウル・ギギル
クダ
プズル・イリ
ウル・ウトゥ

グティ時代

ウルク第5王朝

ウトゥ・ヘガル

ウル第3王朝

ウル・ナンム
シュルギ
アマル・シン
シュ・シン
イビ・シン

イシン・ラルサ時代

イシン第1王朝

イシュビ・エッラ
シュ・イリシュ
イディン・ダガン
イシュメ・ダガン
リピト・イシュタル
ウル・ニヌルタ
ブル・シン
リピト・エンリル
イルラ・イミッティ
エンリル・バニ
ザンビヤ
イテル・ピシャ
ウル・ドゥクガ
シン・マギル
ダミク・イリシュ

イシン第2王朝

マルドゥク・カビト・アヘシュ
イティ・マルドゥク・バラトゥ
ニヌルタ・ナディン・シュミ
ネブカドネザル1世
エンリル・ナディン・アプリ
マルドゥク・ナディン・アヘ
マルドゥク・シャピク・ゼリ
アダド・アプラ・イディナ
マルドゥク・アヘ・エリバ
マルドゥク・ゼリ
ナブー・シュム・リブル


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シュメール王名表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シュメール王名表(シュメールおうめいひょう)は、古代メソポタミアにおいて、シュメール人、及びセム系などの他の民族の王朝の王をシュメール語で列記した古代のテキストである。後世のバビロニア王名表やアッシリア王名表もこれと同様のものである。
王名表には、「公式な」王権や王の推移が王の在位年数とともに記録されている。
概説
当時の王権観では、王権は神から授けられ、軍事的征服によってある都市から別の都市へと推移すると考えられていた。シュメール王名表に記されている唯一の女王は、キシュ第3王朝の1代限りの君主であった酒場の女主人ク・バウである。
シュメール王名表には、大洪水以前の時代の在位期間が異常に長い、明らかに神話上の人物であると考えられる王や、存在が確実視できる王が混在している。
だからといって、そうした王名表の初期の王たちを切り捨ててしまうべきではない。
実在と考えられる王たちもまた、後世に同様に神話的偶像となったからである。
なお、不自然に長い在位期間の多くは「12」で割り切ることが可能である。
近年の考古学上の発見によって実在が確認された王名表中の最古の年代の人物はキシュ王エンメバラゲシであり、
彼の名はギルガメシュ叙事詩にも登場する。
このことは、ギルガメシュもウルクの実在の王であり、単なる伝説上の人物ではないということを示している。
王名表にはラガシュの歴代エンシ(祭司王)の名が含まれていないが、彼らについては前25世紀頃以降の碑文から直接窺い知ることができる。もう一人、王名表に記された初期の王で存在が確実視されているのが、ウルク王ルガルザゲシ(前23世紀)である。
彼はラガシュを征服したが、後にアッカドのサルゴンに倒された。
他に正確な史料が少ないため、前3千年紀の年代学においてはシュメール王名表が中心的な史料となる。
しかし、このシュメール王名表にも問題はある。
初期の王の在位期間が異常に長い場合がある上、諸王朝は1つずつ交替するのではなく同時代に複数存在し、それぞれ独自の都市を支配していたと考えられるからである。
このため現在では、初期の王の西暦紀元年代が古い刊行物によるものよりもっと新しくなると思われる。
グティ時代の継続期間がかなり不確実なため、ウル第3王朝(前21世紀)以前の出来事の年代を特定するのはほぼ不可能である
(シュルギ、ウル・ナンムの項も参照)。
初期王朝時代I(大洪水以前)
エリドゥ王アルリム(在位28800年間)
エリドゥ王アラルガル(英語版)(Alalĝar、在位36000年間)
バド・ティビラ王エンメンルアンナ(在位43200年間)
バド・ティビラ王エンメンガルアンナ(在位28800年間)
バド・ティビラ王ドゥムジ(牧神)/タンムーズ(在位36000年間)
ララク王エンシブジアンナ(在位28800年間)
シッパル王エンメンドゥルアンナ(在位21000年間)
シュルッパク王ウバル・トゥトゥ(在位18600年間)
初期王朝時代II
キシュ第1王朝
ジュシュル(在位1200年間)
クルラッシナ・ベル(在位960年間)
ナンギシュリシュマ(在位670年間)
エンタラフアンナ(在位420年間)
バブム(在位300年間)
ブアヌム(在位840年間)
カリブム(在位960年間)
ガルムム(在位840年間)
ズカキブ(在位900年間)
アタブ(在位600年間)
マシュダ(在位840年間)
アルリム(在位720年間)
エタナ(在位1500年間) 「牧人、天に昇った者、国土を固めた者」
バリフ(在位400年間)
エンメヌンナ(在位660年間)
メラム・キシュ(在位900年間)
バルサルヌンナ(在位1200年間)
ザムグ(在位140年間)
ティズカル(在位305年間)
イルクウ(在位900年間)
イルタサドゥム(在位1200年間)
エンメバラゲシ(在位900年間) エラムを征服。
アッガ(在位625年間)
ウルク第1王朝
メスキアッガシェル(英語版)(在位324年間) 太陽神ウトゥ(英語版)(Utu)の息子とされる。
エンメルカル(在位420年間) ウルクの創建者。
ルガルバンダ(在位1200年間) 牧人。
ドゥムジ(英語版)(在位100年間) 漁師。キシュ王エンメバラゲシを捕虜とした。
ギルガメシュ(在位126年間) ここではリラ(後の死霊リルー)の息子とされ、クラブ(クラバ=ウルクの神域)のエン祭司とされる。
ウル・ヌンガル(在位300年間) トゥンマル文書等の異本ではウル・ルガル
ウドゥル・カランマ(在位15年間)
ラバシュム(在位9年間)
エンヌンダランナ(在位8年間)
メスヘデ(在位36年間)
メラムアンナ(在位6年間)
ルガルキドゥル(在位36年間)
ウル第1王朝
メスアンネパダ(在位80年間)
メスキアグナンナル(在位36年間)
エルル(在位25年間)
バルル(在位36年間)
初期王朝時代III
アワン王朝
3代の王(名は不明)が計356年間統治した。
キシュ第2王朝
ススダ(在位201年間)
ダダシグ(在位81年間)
ママガルラ(在位360年間) 船頭。
カルブム(在位195年間)
トゥゲ(在位360年間)
メンヌンナ(在位180年間)
(不明)(在位290年間)
ルガルング(在位360年間)
ハマジ王朝
ハダニシュ(在位360年間)
ウルク第2王朝
エンシャクシュアンナ(在位60年間) 初めて「国土の王」の称号を使用した。
ルガル・ウレ(またはルガルキギンネドゥドゥ)(在位120年間)
アルガンデア(在位7年間)
ウル第2王朝
ナニ(在位120年間)
メスキアグナンナ(在位48年間)
(不明)(在位2年間)
アダブ王朝
ルガルアンネムンドゥ(在位90年間)
マリ王朝
アンブ(在位30年間)
アンバ(在位17年間)
バジ(在位30年間)
ジジ(在位20年間)
リメラ(在位30年間)
シャルム・イテル(在位9年間)
キシュ第3王朝
ク・バウ(クババとも、在位100年間)
アクシャク王朝
ウンジ(在位30年間)
ウンダルル(在位6年間)
ウルル(在位6年間)
プズル・サニラー(在位20年間)
イシュ・イル(在位24年間)
シュ・シン(在位7年間)
キシュ第4王朝
プズル・シン(在位25年間)
ウル・ザババ(在位400(6?)年間)
ジムダル(在位30年間)
ウシ・ワタル(在位7年間)
イシュタル・ムティ(在位11年間)
イシュメ・シャマシュ(在位11年間)
シュ・イリシュ(在位15年間)
ナンニア(在位7年間) 宝石商。
ウルク第3王朝
ルガルザゲシ(在位25年間)
アッカド王朝
アッカドを参照。
ウルク第4王朝
ウルニギン(在位7年間)
ウル・ギギル(在位6年間)
クダ(在位6年間)
プズル・イリ(在位5年間)
ウル・ウトゥ(またはルガル・メラム)(在位25年間)
グティ時代
ウルク第5王朝
ウトゥ・ヘガル(在位年数は、427年、26年、7年など諸説ある) グティ人を放逐。
ウル第3王朝
ウル第3王朝を参照。
イシン王朝
イシンを参照。

ウィキペディア(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%8E%8B%E5%90%8D%E8%A1%A8

















   
=【シュメール王名表】:解明、新解説所見=
●シュメール王名表からの所見、新解説:
当該のウィキペディア・ページには以下の説明概説文があります。(抜粋引用)
・・・・・・・・・・・・・・・
<“シュメール王名表には、大洪水以前の時代の在位期間が異常に長い、明らかに神話上の人物であると考えられる王や、存在が確実視できる王が混在している。
だからといってそうした王名表の初期の王たちを切り捨ててしまうべきではない。
実在と考えられる王たちもまた、後世に同様に神話的偶像となったからである。
なお、不自然に長い、、、省略、、、、、
近年の考古学上の発見によって実在が確認された王名表中の最古の年代の人物はキシュ王エンメバラゲシであり、彼の名はギルガメシュ叙事詩にも登場する。
このことは、ギルガメシュもウルクの実在の王であり、単なる伝説上の人物ではないということを示している。 
王名表にはラガシュの歴代エンシ(祭司王)の名が含まれていないが、彼らについては前25世紀頃以降の碑文から直接窺い知ることができる。
もう一人、王名表に記された初期の王で存在が確実視されているのが、ウルク王ルガルザゲシ(前23世紀)である。
彼はラガシュを征服したが、後にアッカドのサルゴンに倒された。
他に正確な史料が少ないため、前3千年紀の年代学においてはシュメール王名表が中心的な史料となる。しかし、このシュメール王名表にも問題はある。
初期の王の在位期間が異常に長い場合がある上、諸王朝は1つずつ交替するのではなく同時代に複数存在し、それぞれ個々自存的に都市を支配した期間もあったからである。”
など々と、、、、>
・・・・・・・・・・・・・・
この上記説明文を参考アドバイスとして、
<シュメル王名表の存在、存立意義>
の真相を探り、解説所見の一考としたいわけだが、現在その王名表として知られうる諸資料次元でのそれらの源となる原テキストは、その成り立ちの古代の当初にあって、2度、3度と書き改めの校正がなされたものであったと見られる。
つまり、最初期に伝承成立した伝統伝書のものが、アッカド・サルゴン時代に最大限に書き改められ、次ぎにウル第3王朝時代の間にもさらに改め校正された。そのウルの折にはシュメル語とアッカド語のもの、双方二つが最終的なものとして伝承成立したと推定されうる。
その後、イシン王朝時代に幾つかのコピー粘土板が造られ、一部恣意的な改校もなされた。
古バビロン王朝・ハンムラビ時代、古アッシリア時代にも、主要な各都市でシュメール語文字に慣れた書記者、書庫管理者により、コピー板が随時製作されたと見られる。
その写しにはコピーによるコピー板も登場する。
現在発掘出土した点数は、断片的で内容の欠けたもの、部分的なものを含めて、16から18種ほどに及んでいる。
その中で、粘土板形体ではなく、約20cm前後の角柱(4側面表記)のもので、造られた当初には柱の中心に心棒を通して回転させる工夫がなされ、回して読める仕組みのものでった事が知られている。
<WB444>と寄贈者イニシャルで分類された(Weld-Blundell Prism)ものがその手のものと見られる。
ラルサからの出土か、イシンかは定かでない。
製作年代はイシン王朝の年代終期に関係し、説が色々、BC1827〜1817年の頃とされているが、BC1800年前後とも推定されている。
以下、日本文ウィキペディアの<王名表の表示文言枠の抜粋>をベースとして、順次解究、新解説を示すものとする。
1){初期王朝時代第I期}(大洪水以前)
通常の年代設定を推定することも不可能。
ただし、地名については推定がなされている。
この初期グループの在位年数は、あり得ない異常なものである。
何か意図的な動機から手の込んだ算定となったという向きも無きにしも非ず。
後の世、現代に至るまでも、あたかも<なぞ解き>のような感じの設定をしているとさえ推察されうる。
*シュメル人の数の単位の種類で、
sars(60の二乗=3600が一単位)
ners(600を一単位)、
sosses(60を一単位)
が知られており、この三つの単位によって在位年数が算定されたとの説が提言、公表されている。
 @エリドゥ王アルリム(在位28800年間)3600x8sars
 Aエリドゥ王アラルガル(alalgar)(在位36000年間)3600x10sars
 Bバド・ティビラ王エンメンルアンナ (在位43200年間)〃x 12sars
 Cバド・ティビラ王エンメンガルアンナ(在位28800年間)3600x8sars
 Dバド・ティビラ王ドゥムジド(在位36000年間)牧神,タンムーズ,3600x10sars
 Eララク王エンシブジアンナ(在位28800年間)3600x8sars
 Fシッパル王エン・メン・ドゥル・アナ(在位21000年間)3600x5sars+600x5ners
 Gシュルッパク王ウバル・トゥトゥ(在位18600年間)〃 +600x1ner
*大洪水以前の前世という、ある何らかの前世に対して抱く観念的時世感覚や、伝説、伝承に関わる世相要因から、この王たちの在位年が余りにも法外とっぴなものとなっている。
それだからして、通常的な先史の枠組みの内にさえ宛がう事もできない。
常識を欠き、不適切、不可能な扱い対象となるような神話上の事由と見る他ないといった、現代感覚的な受けとめ方となる。
(だが、この法外な年数表示をなしうること自体が、その根底的背景で、単なるメソポタミアでのローカルな洪水ではない、とてつもなく大規模な洪水があった事をおぼろげながら遠因とするふうに暗示している。)
そんな神話創作上の在位年数を度外視して、現代的な歴史性の常識で、あえてその先史的年代を見定めるとすれば、
<旧石器時代末、新石器時代あるいは、金石併用の銅器時代〜青銅器時代>
の年代範囲(前12000年〜前6000年以降)のうちに想定される年代となる。
(文化期年代ではシュメール文明の発祥期とされる
先史ウバイド文化期〔前6500年前後−前4000年前後〕
に特定され、その時期を分断するかたちで、大洪水以前と、それ以後に成った王朝とに別けて記述されたものと考えられる。)
が、しかし、これには視点的問題がある。
<青銅器時代>に関わる年代設定において、、、、。
現代考古学的史観でのメソポタミア・シュメールにおける学者らの定説一般の見解では、その始まりを
紀元前第4千年期中葉以降(BC3300年)
の頃からと見なしているからである。
しかも大洪水は、遺跡での発掘時における洪水地層の<炭素14測定>が
BC2900年頃
を示すとして、メソポタミアの下手半分、南部地域に限られたローカルなものと推定して、その文明の一時的な断絶期を見定めている。
*シュメール人の数の単位に着目すると、初歩的な自然10進法の発達と、位取りが異なる60進法への進展、及び両者の数学的相互関係の認知や数量的な活用など、その発展過程がきわめて複雑なかたちで、
シュメール時代(前4千年期−3千年期)
社会に見られる訳である。

諸書 INDEX参考
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/sumeruRon.html
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/noadai-sin.html
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/sankou.html








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ウルの旗章に酷似する旧日本旗章

















PS:古代日本とイスラエル10部族の謎というURLがあります。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm
その中で.......
『とはいえ、なぜイスラエル神殿に菊の紋が刻まれているのか――その理由や起源は、よくわかっていません。
ただこのデザインは、エジプトやペルシャ、その他の中東の諸地域において、宗教の中心地や、重要人物の棺の紋様として広く使用されていました。
菊の紋について、次の3つの考えがあげられています。
1つはイスラエルの菊の紋は、菊の花のデザインであろう、ということ。
2つ目は、それは太陽をデザインしたものかもしれないこと。
3つ目は、全く意味のない単なる美しいデザインかもしれない、
ということです。
いずれにしても菊の紋は、イスラエルにおいて、比較的広く使用されていたシンボルでした。
そこで、もし古代イスラエル人が日本に渡来したのだとすれば、
彼らが持ち込んだ菊の紋が皇室の紋として採用されたのではないか、
という考えが浮かんでくるわけです。
一方、日本の伊勢神宮の灯籠に、私たちは
「ダビデの星」
を見ることができます。
「ダビデの星」とそっくりのマーク(カゴメ紋)が、皇太神宮の参道わきの石灯籠に刻まれているのです
(ダビデの星は、奥宮の「伊雑の宮」の紋でもあり、古代からのものであるという)。
「ダビデの星」とは、言うまでもなく、古代イスラエルの王ダビデの紋です。
それは現在のイスラエル国旗のシンボル・マークとしても使用されており、ユダヤ人の印なのです。』
上の説明,つまり任意団体の
「伊勢三宮奉賛献灯会」
が、1955年当時、献灯目的で、これらの六芒星の石灯篭を設置されたことを知らないと大変な誤解を招くことになります。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/66543147.html

いつも一緒(旧Legacy of Ashes)
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/






























鳥居の聖人
2013-12-03 10:35:54
写真は、伊勢神宮の伊雑宮(イザワのみや)の鳥居の写真です。
入り口の大鳥居を内側の神域から写したものです。
私は約30年間も毎年のように伊雑宮への参拝をしておりますが、鳥居にスポットライトのような光が当たり、
木材の染みがコマ送りの動画のように訴え掛ける現象に出会ったのは初めてです。
太陽の位置からして、まだ西日の時間でも無いにも関わらず、木漏れ日が当たっていたのでしょうが、
コマ送りの動画の物語を私が認識して写真に撮影し終えますと、このスポットライトは消えてしまいました。
まさに見せられました。
同行者も鳥居に太陽光が反射しているのは目視が出来ました。
この時の鳥居の発光現象は、時間帯により誰でも見られるのでしょうが、私の脳裏にはハッキリとした動画でした。
まるで西洋の教会の壁画に在りますフレスコ画や、(壁に漆喰を下地に顔料で描きます)ステンドグラス画を思わせるような図柄でした。
私は、写真の鳥居の右側から2つめの染みが、
紀元前8世紀の古代ユダヤの大預言者・イザヤ
だと感得しました。
まるで天を仰ぎ見るように、左斜め上を見上げています。
そして、その視線の先の更に左側には、ユダヤ民族の起源となる大聖人・モーゼの横顔が、右側のイザヤの方に向かって話しかけています。
モーゼの染みの部分だけが、ひときわ大きく発光していました。
預言者イザヤは、旧約聖書にありますイザヤ書66章の預言を残しています。
その預言の中には、東方に存在する「海の島々」(伊勢志摩のこと)と、聖なる山々が存在することが記述されており、
そこに人類の救いが存在することが示唆されているでしょう。
旧約聖書のイザヤ書を解読することで、日本の大いなる秘密が解き明かされると思います。
伊雑宮の神紋は、籠目紋(かごめもん)です。
これはユダヤの象徴であるダビテの紋章と同じです。
そして、伊雑宮(イザワのみや)の名称の起源は古過ぎてハッキリしませんが、私には
「イザヤの御宮」
だと響きます。
イザワのみや=イザヤの御宮、
だと感じます。
旧約聖書のイザヤ書に、
東方の「海の中の島々」
の記述を読み取れますので、大預言者イザヤは伊雑宮に来たと夢想します。
以上の話は、伊勢神宮の正式な歴史とは一切関係がありません。
あくまでも、私の想像の物語です。
言えますことは、伊雑宮は本当に聖なる場所だということでした。
信じるか、信じないかは自己判断です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます

伊勢白山道 
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かごめかごめを研究する会
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88ヶ所から突然、カゴメの歌に
皆さん、たくさんのコメント、貴重な情報をありがとうございます。
写真は剣山山頂、『ウィキペディア(Wikipedia)』から拝借しました。
いま、harunoshinnさんからの情報で「剣山」は「鶴亀山」とありました。
そして四国はキリスト教的だと。
ということで、思いついたことをメモ代わりに書いておきます。
「剣山」が「鶴亀山」なら、カゴメの歌だ。
籠の中の鳥→剣山
に隠された契約の箱(アーク)?
いついつ出やる→契約の箱がいつ出るの?
鶴と亀が滑った→剣山が統べる?
剣山はスメル(天皇)?
キリストと関係があるなら、後ろの正面はキリストかな?
夜明けの晩って何だろう?
四国から太陽が昇る方向に伊勢神宮がある。
(夜明け?)
伊勢神宮から太陽が沈む方向に剣山がある。
(晩?)
時間にして10分くらいのぶっ飛び解読でした。

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つながっているこころ
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2018年11月24日

ゼカリア・シッチン:大洪水前の社会と惑星ニビル

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ゼカリア・シッチン:大洪水前の社会と惑星ニビル
古代人は第10番惑星の周期的な到来を予期していただけではなく,その軌道の取り方も記録した。
イザヤ書,アモス書,ヨブ記等の聖書のあちらこちらで「主」の運行が様々な星座の位置と関係づけられて語られている。
「主はただ一人で諸々の天を前進し,最も高遠なる深淵を踏破する」
「彼はおおぐま座に,オリオン座に,シリウスに,そして南の星座群にも到達する」
「彼は牡牛座と牡羊座に笑顔を向けて,牡牛座から射手座へと進むだろう」
これらの文章はこの惑星の運行が全天に渡るだけではなく,すでにメソポタミア文献から割り出したように,太陽系を時計回りの方向に動いていることを示している。
この点について極めて明快に記述したメソポタミア文献がある。
マルドゥク神の星
その出現の際は水星
天弧を30度上昇して木星
天上の戦いの場に立つ時にはニビル
この記述は,学者たちの説のように,ただ単純に一つの星を異なる名前で呼んでいるのではない。
第10番惑星の運行を観察できる3大ポイントがあったことを暗示しているのである。
この惑星が当時地球の近くに戻ってきたときの軌道上,最初に観察するチャンスがあったのはそれが水星と並んで見えた時であった(図のA点)。
私の計算では,太陽=地球最接近時の仮定軸から30°離れた方向だ。
最も地球に近づいて,地表からさらに上昇して見えるようになった時,木星の軌道を横断した(B点)。
最後に天上の戦いの場(かつてティアマトと衝突した場所)である近日点,すなわち
「横断の場所」に到達するとこの惑星はニビルとなったということなのである(C点)。
地球にも最接近したこの近日点を過ぎると,マルドゥクは再び遠い宇宙空間の深淵に向かってその長大な楕円軌道上を帰っていったのである。
古代メソポタミアとヘブライの文献の中に見られる「主の日」への期待はこのように「神々の星」の周期的な回帰現象を目撃した地球人類の実体験に根ざしたものなのである。
この周期的に出現と消滅を繰り返すのも,この惑星が多くの彗星と似たような長い楕円軌道を持っているからである。
例えばハレー彗星は75年ごとに地球に接近する時だけ見れるので,天文学者は同じ彗星であると納得するのにも苦労したものである。
人類史上で目撃された記録が一度しかない彗星も多いが,これは公転周期が何千年もの長さになるからである。
例えば1973年に発見されたコホーテク彗星は,翌年にはもう太陽の反対側に隠れてしまった。天文学者の計算ではこの次に現れるのは7500年後から75000年後だという。
これに比べると第10惑星はもっと何度も出現したように記録されているから,公転周期ももっと短いであろう。
それでも天文学者がその存在にまだ気づかないのは,たとえコホーテクの最短推定周期の半分ほどでも,冥王星よりも6倍も遠くに行ってしまう計算になり,これでは地球からは到底見えないからである。
事実,土星よりも遠い惑星はすべてまず視覚ではなく数学的計算によって発見された。
既知の諸天体の軌道に微妙な狂いを生じさせる引力の放射源として,その位置を突き止められたのである。
ことによると第10番惑星もこの方法で天文学者たちに発見されることになるかもしれない。
すでにいくつかの彗星軌道のかすかな狂いからそのような道の惑星 X が存在するのではないかという仮説も出されている。
1972年,カリフォルニア大学ローレンスリバモア研究所のジョセフ=L=ブラディはハレー彗星の軌道の擦れから木星ほどの大きさの未知の惑星が1800年の周期で太陽を公転している可能性があることを発見したのである。
推定距離は60億マイルであるが,今のところ数学的に探知されたにすぎない存在である。
しかしメソポタミア文献と聖書文献をよく検討すると,第10番惑星の公転周期がちょうど3600年だという強力な証拠を見つけることができる。
この「3600」という数字はシュメールでは大きな円で表現された。
「神々の星」の別名は
「シャル(至高の統治者)」
というがこれはまた
「完全な円」
「完成された円」
の意味でもあってさらに数字の
「3600」
をも意味していた。
この三つの言葉「星」「軌道」「3600」の一致は単なる偶然では済まされないだろう。
バビロニアの学社神官で天文学に長じていたベロッソスは紀元前3世紀頃,。大洪水以前の地上を治めていたという10人の支配者について書き残した。
要約すれば
「これらカルデアの10人の王の統治期間は合わせて120シャル,すなわち432000年に達して,大洪水の時まで続いた」
とあったという。
1シャルは確かに3600に相当する。
アリストテレスの弟子アビデノスも大洪水以前の10人の王について,ベロッソスの記述を引用し,全統治期間は120シャルに及んだとした。
彼はさらにこれらの王とその都は古代メソポタミアにあったと明言している。
シュメール学が始まるとともに,ベロッソスが根拠にあげた古文書そのものも発掘されて解読された。
それはシュメールの列王表で,明らかに王権が天から下された時から,大洪水が地上を一掃するまで統治した10人の大洪水以前の王にまつわる伝承を記録したものであったのである。
そのひとつテキストW-B144の番号で知られる列王表には5箇所の定住地,つまり都市での神権政治が記録されている。
まず最初のエリドゥには二人の統治者がいたとあり,両者の名前には「開祖」を意味する接頭語「ア」がついている。
王権が天より下された時
王政はエリドゥで始められた
エリドゥが王になって28800年納め
...
ー第十惑星に宇宙人がいた,ザカリア・シッチン,サラブレッドブックス,1983年刊,

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シュメール王名表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シュメール王名表(シュメールおうめいひょう)は、古代メソポタミアにおいて、シュメール人、及びセム系などの他の民族の王朝の王をシュメール語で列記した古代のテキストである。後世のバビロニア王名表やアッシリア王名表もこれと同様のものである。
王名表には、「公式な」王権や王の推移が王の在位年数とともに記録されている。
概説
当時の王権観では、王権は神から授けられ、軍事的征服によってある都市から別の都市へと推移すると考えられていた。シュメール王名表に記されている唯一の女王は、キシュ第3王朝の1代限りの君主であった酒場の女主人ク・バウである。
シュメール王名表には、大洪水以前の時代の在位期間が異常に長い、明らかに神話上の人物であると考えられる王や、存在が確実視できる王が混在している。
だからといって、そうした王名表の初期の王たちを切り捨ててしまうべきではない。
実在と考えられる王たちもまた、後世に同様に神話的偶像となったからである。
なお、不自然に長い在位期間の多くは「12」で割り切ることが可能である。
近年の考古学上の発見によって実在が確認された王名表中の最古の年代の人物はキシュ王エンメバラゲシであり、
彼の名はギルガメシュ叙事詩にも登場する。
このことは、ギルガメシュもウルクの実在の王であり、単なる伝説上の人物ではないということを示している。
王名表にはラガシュの歴代エンシ(祭司王)の名が含まれていないが、彼らについては前25世紀頃以降の碑文から直接窺い知ることができる。もう一人、王名表に記された初期の王で存在が確実視されているのが、ウルク王ルガルザゲシ(前23世紀)である。
彼はラガシュを征服したが、後にアッカドのサルゴンに倒された。
他に正確な史料が少ないため、前3千年紀の年代学においてはシュメール王名表が中心的な史料となる。
しかし、このシュメール王名表にも問題はある。
初期の王の在位期間が異常に長い場合がある上、諸王朝は1つずつ交替するのではなく同時代に複数存在し、それぞれ独自の都市を支配していたと考えられるからである。
このため現在では、初期の王の西暦紀元年代が古い刊行物によるものよりもっと新しくなると思われる。
グティ時代の継続期間がかなり不確実なため、ウル第3王朝(前21世紀)以前の出来事の年代を特定するのはほぼ不可能である
(シュルギ、ウル・ナンムの項も参照)。
初期王朝時代I(大洪水以前)
エリドゥ王アルリム(在位28800年間)
エリドゥ王アラルガル(英語版)(Alalĝar、在位36000年間)
バド・ティビラ王エンメンルアンナ(在位43200年間)
バド・ティビラ王エンメンガルアンナ(在位28800年間)
バド・ティビラ王ドゥムジ(牧神)/タンムーズ(在位36000年間)
ララク王エンシブジアンナ(在位28800年間)
シッパル王エンメンドゥルアンナ(在位21000年間)
シュルッパク王ウバル・トゥトゥ(在位18600年間)
初期王朝時代II
キシュ第1王朝
ジュシュル(在位1200年間)
クルラッシナ・ベル(在位960年間)
ナンギシュリシュマ(在位670年間)
エンタラフアンナ(在位420年間)
バブム(在位300年間)
ブアヌム(在位840年間)
カリブム(在位960年間)
ガルムム(在位840年間)
ズカキブ(在位900年間)
アタブ(在位600年間)
マシュダ(在位840年間)
アルリム(在位720年間)
エタナ(在位1500年間) 「牧人、天に昇った者、国土を固めた者」
バリフ(在位400年間)
エンメヌンナ(在位660年間)
メラム・キシュ(在位900年間)
バルサルヌンナ(在位1200年間)
ザムグ(在位140年間)
ティズカル(在位305年間)
イルクウ(在位900年間)
イルタサドゥム(在位1200年間)
エンメバラゲシ(在位900年間) エラムを征服。
アッガ(在位625年間)
ウルク第1王朝
メスキアッガシェル(英語版)(在位324年間) 太陽神ウトゥ(英語版)(Utu)の息子とされる。
エンメルカル(在位420年間) ウルクの創建者。
ルガルバンダ(在位1200年間) 牧人。
ドゥムジ(英語版)(在位100年間) 漁師。キシュ王エンメバラゲシを捕虜とした。
ギルガメシュ(在位126年間) ここではリラ(後の死霊リルー)の息子とされ、クラブ(クラバ=ウルクの神域)のエン祭司とされる。
ウル・ヌンガル(在位300年間) トゥンマル文書等の異本ではウル・ルガル
ウドゥル・カランマ(在位15年間)
ラバシュム(在位9年間)
エンヌンダランナ(在位8年間)
メスヘデ(在位36年間)
メラムアンナ(在位6年間)
ルガルキドゥル(在位36年間)
ウル第1王朝
メスアンネパダ(在位80年間)
メスキアグナンナル(在位36年間)
エルル(在位25年間)
バルル(在位36年間)
初期王朝時代III
アワン王朝
3代の王(名は不明)が計356年間統治した。
キシュ第2王朝
ススダ(在位201年間)
ダダシグ(在位81年間)
ママガルラ(在位360年間) 船頭。
カルブム(在位195年間)
トゥゲ(在位360年間)
メンヌンナ(在位180年間)
(不明)(在位290年間)
ルガルング(在位360年間)
ハマジ王朝
ハダニシュ(在位360年間)
ウルク第2王朝
エンシャクシュアンナ(在位60年間) 初めて「国土の王」の称号を使用した。
ルガル・ウレ(またはルガルキギンネドゥドゥ)(在位120年間)
アルガンデア(在位7年間)
ウル第2王朝
ナニ(在位120年間)
メスキアグナンナ(在位48年間)
(不明)(在位2年間)
アダブ王朝
ルガルアンネムンドゥ(在位90年間)
マリ王朝
アンブ(在位30年間)
アンバ(在位17年間)
バジ(在位30年間)
ジジ(在位20年間)
リメラ(在位30年間)
シャルム・イテル(在位9年間)
キシュ第3王朝
ク・バウ(クババとも、在位100年間)
アクシャク王朝
ウンジ(在位30年間)
ウンダルル(在位6年間)
ウルル(在位6年間)
プズル・サニラー(在位20年間)
イシュ・イル(在位24年間)
シュ・シン(在位7年間)
キシュ第4王朝
プズル・シン(在位25年間)
ウル・ザババ(在位400(6?)年間)
ジムダル(在位30年間)
ウシ・ワタル(在位7年間)
イシュタル・ムティ(在位11年間)
イシュメ・シャマシュ(在位11年間)
シュ・イリシュ(在位15年間)
ナンニア(在位7年間) 宝石商。
ウルク第3王朝
ルガルザゲシ(在位25年間)
アッカド王朝
アッカドを参照。
ウルク第4王朝
ウルニギン(在位7年間)
ウル・ギギル(在位6年間)
クダ(在位6年間)
プズル・イリ(在位5年間)
ウル・ウトゥ(またはルガル・メラム)(在位25年間)
グティ時代
ウルク第5王朝
ウトゥ・ヘガル(在位年数は、427年、26年、7年など諸説ある) グティ人を放逐。
ウル第3王朝
ウル第3王朝を参照。
イシン王朝
イシンを参照。

ウィキペディア(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%8E%8B%E5%90%8D%E8%A1%A8







=【シュメール王名表】:解明、新解説所見=
●シュメール王名表からの所見、新解説:
当該のウィキペディア・ページには以下の説明概説文があります。(抜粋引用)
・・・・・・・・・・・・・・・
<“シュメール王名表には、大洪水以前の時代の在位期間が異常に長い、明らかに神話上の人物であると考えられる王や、存在が確実視できる王が混在している。
だからといってそうした王名表の初期の王たちを切り捨ててしまうべきではない。
実在と考えられる王たちもまた、後世に同様に神話的偶像となったからである。
なお、不自然に長い、、、省略、、、、、
近年の考古学上の発見によって実在が確認された王名表中の最古の年代の人物はキシュ王エンメバラゲシであり、彼の名はギルガメシュ叙事詩にも登場する。
このことは、ギルガメシュもウルクの実在の王であり、単なる伝説上の人物ではないということを示している。 
王名表にはラガシュの歴代エンシ(祭司王)の名が含まれていないが、彼らについては前25世紀頃以降の碑文から直接窺い知ることができる。
もう一人、王名表に記された初期の王で存在が確実視されているのが、ウルク王ルガルザゲシ(前23世紀)である。
彼はラガシュを征服したが、後にアッカドのサルゴンに倒された。
他に正確な史料が少ないため、前3千年紀の年代学においてはシュメール王名表が中心的な史料となる。しかし、このシュメール王名表にも問題はある。
初期の王の在位期間が異常に長い場合がある上、諸王朝は1つずつ交替するのではなく同時代に複数存在し、それぞれ個々自存的に都市を支配した期間もあったからである。”
など々と、、、、>
・・・・・・・・・・・・・・
この上記説明文を参考アドバイスとして、
<シュメル王名表の存在、存立意義>
の真相を探り、解説所見の一考としたいわけだが、現在その王名表として知られうる諸資料次元でのそれらの源となる原テキストは、その成り立ちの古代の当初にあって、2度、3度と書き改めの校正がなされたものであったと見られる。
つまり、最初期に伝承成立した伝統伝書のものが、アッカド・サルゴン時代に最大限に書き改められ、次ぎにウル第3王朝時代の間にもさらに改め校正された。そのウルの折にはシュメル語とアッカド語のもの、双方二つが最終的なものとして伝承成立したと推定されうる。
その後、イシン王朝時代に幾つかのコピー粘土板が造られ、一部恣意的な改校もなされた。
古バビロン王朝・ハンムラビ時代、古アッシリア時代にも、主要な各都市でシュメール語文字に慣れた書記者、書庫管理者により、コピー板が随時製作されたと見られる。
その写しにはコピーによるコピー板も登場する。
現在発掘出土した点数は、断片的で内容の欠けたもの、部分的なものを含めて、16から18種ほどに及んでいる。
その中で、粘土板形体ではなく、約20cm前後の角柱(4側面表記)のもので、造られた当初には柱の中心に心棒を通して回転させる工夫がなされ、回して読める仕組みのものでった事が知られている。
<WB444>と寄贈者イニシャルで分類された(Weld-Blundell Prism)ものがその手のものと見られる。
ラルサからの出土か、イシンかは定かでない。
製作年代はイシン王朝の年代終期に関係し、説が色々、BC1827〜1817年の頃とされているが、BC1800年前後とも推定されている。
以下、日本文ウィキペディアの<王名表の表示文言枠の抜粋>をベースとして、順次解究、新解説を示すものとする。
1){初期王朝時代第I期}(大洪水以前)
通常の年代設定を推定することも不可能。
ただし、地名については推定がなされている。
この初期グループの在位年数は、あり得ない異常なものである。
何か意図的な動機から手の込んだ算定となったという向きも無きにしも非ず。
後の世、現代に至るまでも、あたかも<なぞ解き>のような感じの設定をしているとさえ推察されうる。
*シュメル人の数の単位の種類で、
sars(60の二乗=3600が一単位)
ners(600を一単位)、
sosses(60を一単位)
が知られており、この三つの単位によって在位年数が算定されたとの説が提言、公表されている。
 @エリドゥ王アルリム(在位28800年間)3600x8sars
 Aエリドゥ王アラルガル(alalgar)(在位36000年間)3600x10sars
 Bバド・ティビラ王エンメンルアンナ (在位43200年間)〃x 12sars
 Cバド・ティビラ王エンメンガルアンナ(在位28800年間)3600x8sars
 Dバド・ティビラ王ドゥムジド(在位36000年間)牧神,タンムーズ,3600x10sars
 Eララク王エンシブジアンナ(在位28800年間)3600x8sars
 Fシッパル王エン・メン・ドゥル・アナ(在位21000年間)3600x5sars+600x5ners
 Gシュルッパク王ウバル・トゥトゥ(在位18600年間)〃 +600x1ner
*大洪水以前の前世という、ある何らかの前世に対して抱く観念的時世感覚や、伝説、伝承に関わる世相要因から、この王たちの在位年が余りにも法外とっぴなものとなっている。
それだからして、通常的な先史の枠組みの内にさえ宛がう事もできない。
常識を欠き、不適切、不可能な扱い対象となるような神話上の事由と見る他ないといった、現代感覚的な受けとめ方となる。
(だが、この法外な年数表示をなしうること自体が、その根底的背景で、単なるメソポタミアでのローカルな洪水ではない、とてつもなく大規模な洪水があった事をおぼろげながら遠因とするふうに暗示している。)
そんな神話創作上の在位年数を度外視して、現代的な歴史性の常識で、あえてその先史的年代を見定めるとすれば、
<旧石器時代末、新石器時代あるいは、金石併用の銅器時代〜青銅器時代>
の年代範囲(前12000年〜前6000年以降)のうちに想定される年代となる。
(文化期年代ではシュメール文明の発祥期とされる
先史ウバイド文化期〔前6500年前後−前4000年前後〕
に特定され、その時期を分断するかたちで、大洪水以前と、それ以後に成った王朝とに別けて記述されたものと考えられる。)
が、しかし、これには視点的問題がある。
<青銅器時代>に関わる年代設定において、、、、。
現代考古学的史観でのメソポタミア・シュメールにおける学者らの定説一般の見解では、その始まりを
紀元前第4千年期中葉以降(BC3300年)
の頃からと見なしているからである。
しかも大洪水は、遺跡での発掘時における洪水地層の<炭素14測定>が
BC2900年頃
を示すとして、メソポタミアの下手半分、南部地域に限られたローカルなものと推定して、その文明の一時的な断絶期を見定めている。
*シュメール人の数の単位に着目すると、初歩的な自然10進法の発達と、位取りが異なる60進法への進展、及び両者の数学的相互関係の認知や数量的な活用など、その発展過程がきわめて複雑なかたちで、
シュメール時代(前4千年期−3千年期)
社会に見られる訳である。

諸書 INDEX参考
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/sumeruRon.html
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/noadai-sin.html
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/EnsoTop/NextSanko/sankou.html






神様方は長寿が多い。
最高級のご長寿はインドのジャイナ教の神話に登場する神様で、84億歳だと言われているのですって。
ところがです。アマテラスオオヒノ神の皇子は、260億2万1080歳だったというのですから驚きです。
あの方舟で有名なノアは、500歳の時にセム、ハム、ヤペテという3人の息子を産んだと言われるのですから凄過ぎます。
神様と人間の混血が神々の寿命を縮めたのかもしれませんが、神々の寿命も短くなっていったようです。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
http://www.あほうどりのひとりごと.com/article/461054572.html
http://www.あほうどりのひとりごと.com/







惑星と週
太陽系の惑星の定義が変更され、惑星の数が8個に減って しまいましたが、
調べ てみたら、惑星の名前は古代バビロニアの頃から引き継いでいることを初めて知りました。
木星は、ローマ神ユピテル(ギリ シア名ゼウス)からとって、英語名 ではジュピターと呼ばれていますが、木星は、バビロニア時代も、神々の王である、マルドゥク神をその名前としていたとの ことです。
□木星
中国名:木星
ローマ名:ユピテル
ギリシア名:ゼウス
シュメール名:アサルルヒ
アッカド名:マルドゥク
意味:主神
□火星
中国名:火星
ローマ名:マルス
ギリシア名:アレス
シュメール名:ムスタバル
アッカド名:ネルガル
意味:戦いの神
□金星
中国名:金星
ローマ名:ウェヌス
ギリシア名:アフロディーテ
シュメール名:イナンナ
アッカド名:イシュタル
意味:愛の女神
□土星
中国名:土星
ローマ名:サトゥルヌス
ギリシア名:クロノス
シュメール名:ザグウシュ
アッカド名:カイマール
意味:共通点なし
□水星
中国名:水星
ローマ名:メルクリウス
ギリシア名:ヘルメス
シュメール名:gu-ad
意味:共通点なし
このように、惑星に神の名前をつけることは、古代シュメールに始まり、バビロニアに受け継がれ、やがてギリシア・ローマ に入ったとのこと。
一方、週の概念は、これも古代バビロニア以来の伝統とのこと。
ただし、バビロニアでは、週の曜日と惑星名は関係せず、こ の関係が生まれたのはエジプトでと 推測されているとのことです。
バビロニアの週は、単純に1ヶ月という期間だけだと長すぎるため、新月から上弦まで/上弦 から満月まで/満月から下弦まで、 下弦から新月まで/と、1月を4当分して、7日を一単位とすることにしたとのこと。こうした話は、中国にもあって、古代 中国では、一月を3分して上旬、中 旬、下旬としていたとのことで、この習慣は殷代からのものだったとのことです。それでは、何故日本で、曜日に惑星名がつ けられ、中国ではそうなっていな かったか、という点については、 日 本語の曜日の名称はど うやって付いたのでしょう?というサイトに記載されていますが、要約すると、唐の時代、中国人僧がインドに 留学していた時に、 西方の知識として、インド人から伝えられ、そのとき、中国僧は、中国名の惑星名に翻訳しました。その中国僧が中国に帰国 したときに、日本からの留学僧であ る空海に伝え、日本にも伝わったとのことです。日本では、知識として所有され、実生活では用いられなかったのですが、明 治になってから、西洋の習慣が導入 されるとともに、この古代の知識が曜日名に利用されるようになったとのことです。この為、現代中国では、星期一、星期 二、星期三、星期四、などと数字が曜 日として利用されているとのことです。こちらの曜 日の名前の話というサイトには、現代各国語で、曜日にどのような言葉が使われているかについて、まとめられ ています。惑星と関連付けている国は、 ラテン系諸国と英語圏と日本語では、惑星名が利用され、ギリシアとアラビア語、ペルシア語、中国語、スラブ系諸語は数字 がメインで構成されているというこ とのようです。
ブルガリア語を例にあげますと
日曜 - ネデーリャ
月曜 - ポネデルニック
火曜 - フトルニック - 「第2の」という意味の「フトーラタ」から
水曜 - スリャーダ  - 「真中の」という意味の「スレッドナ」から
木曜 - チェトバルタック - 「第4の」
金曜 - ペータック - 「第5の」
土曜 - サボタ - ユダヤ教の安息日サバトから。サターン/サトルヌゥスとは関係がない。
となるようです(月曜、日曜は不明です。今度調べておきます)
17/Sep/2006

雑記
http://heartland.geocities.jp/zae06141/column.html






poster_israel_zoom.jpg

ウバイド期の考古学的発見によりエリドゥはウルの南にある中規模の都市国家でシュメール人の時からその滅亡の時まで、神殿が幾度も再建が繰り返されていた。メソポタミアの都市における神殿は、最低でも数回の再建を経ていた。
ウルの王墓で発見された「ウルのスタンダード(旗章)」シュメールの文明(ウルの旗章);
紀元前5千年頃、後にメソポタミアにユーフラテス河の沿岸地帯に、ある農耕民族が住みシュメール人は
世界最初と言われる船や車輪つき戦車なども造っていた。
暦それは、月の満ち欠けで、年月をはかる太陰暦と呼べるもので、世界最古の暦(こよみ) で 惑星の事細かな動きまで詳細に予想していた。シュメールの古文書には、天文学の知識、高度な医学、合金技術を「神々からの贈り物」という表現で記されている。     
これは彼等の農耕から同時に始まる神々の成り立ちが、自然を樹として農耕や知識に結びついている事を案じたものであった。
天文学の知識はこうして、神々を意識しだして、神々から与えられた既成の知識だという。    
イギリスの考古学者ウーリーによるウルの王墓発掘で有名な
「ウルの軍旗」
という資料には平和の場面、戦争の場面がある。 
ウルで発見された古代のゲーム盤とさいころは現代日本の先祖に引き継がれていた。
「正倉院保存」                                   
メソポタミアでは19世紀から20世紀前半にかけて重要な遺跡の発掘が行われた。

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みんなが幸福になれる宇宙文明の時代 - 言葉の寄木細工 - Yahoo!ブログ
プレアデス聖人ティノ
2016/4/14(木) 午前 11:39
次元上昇の時が来ました
2001年9月くらいから、地球上の人々はニビルによる影響を、かなり強く受けています。
ニビルが近づいていることで磁気圏が圧縮され、
また、太陽からの放射線による影響もあり、人々は、より疲れを感じたり、痛みを覚えたりしています。
また、緊張、不安、ストレスを感じやすくなっています。
さらには、感情が高ぶったり、敏感になることが多くなります。
しかし、なぜ、異常を感じるのかを理解している人は殆どいません。
これらの影響により、世界中で、そして身近な場所で暴力を振るったり残忍な事を行う人が増えています。
なぜ、そうなるのか。。。ニビルやフォトンによる影響を受けていることを知らないため、予防ができないのです。
ですから、心を静め落ち着いてください。睡眠を十分にとり、
影響を受けないようにしてください。
今、このような影響から自分を守るのに非常に良い機会なのです。
メディアでは一切報道されませんが、
地球上には、現在、非常に多くのネガティブ・エネルギーが降り注いでおり、
人々はそれによって大きな影響を受けているのです。
毎日の事ですから、暴力行為や感情の高ぶりがごく普通の状態に見えてきます。
ニビルが地球に接近し、地球物理学的に火山の噴火、地震、異常気象 温暖化などを起こしているだけでなく、
界中の人々に対しては精神的にも感情的にも、そして、身体的にも大きな影響を受けているのです。
ニビルからのエネルギーは、地球の通常のエネルギーを混乱させ加干渉しています。
そして地球の支配者(爬虫類種族)はニビルのネガティブ・エネルギーが地上に放出されていることを知っており、
ニビルのエネルギーを使って、陰の政治支配者が「フリーメイソン」などにより、
世界中の人々を彼等の思う通りに操作し支配しているのです。
彼等は、世界中の人々が益々暴力的になることを望んでおり、
それを口実に、さらなる急進的で厳しい方法で人々を取り締まろうとしているのです。
すでに、大勢の逮捕者を収容する強制収容所も各地に用意されています。
爬虫類種族が1年をかけて、この時が来るための準備をしてきたのです。
しかし、今、世界中の人々がそれぞれ持つ意識とタイムラインが統合し、
大きな一つの意識体とタイムラインを創っており、急激な意識のシフトが起きています。
ニビの接近はネガティブな影響だけでなく、ポジティブな影響も与えてくれています。
ニビルの接近により、今まで標準とされてきたもの(経済的にも、精神的にも、感情的にも)が全て崩壊し、
悪の政治家たちが隠蔽してきたことが、全部白日の下さらされるのです。国民にとって正しいものが勝つ時代がようやく実現します。
今世界的に有名な大富豪や大企業 政治家 マスコミの不正が続々と発覚してます。
新しい標準を創り出していきます。今まで必要とされてきたことが必要でなくなり、古いものが全て壊れていきます。
ですから、皆さんは、恐怖を感じることなく、しっかりとこのことを意識してください。
世界は滅亡していくのではありません。世界は拡張していくのです。
個人個人が特にスピリチュアル的に成長するためには今が非常に良い時期なのです。
しかしこのような状況下でうまく対処できない人々にとっては、生きていくのも非常に難しくなっていくでしょう。
そして、恐怖心を持つ多くの人々がこれ以上耐え切れなく感じて行き詰まり、暴動がおこるなど、
社会が大混乱し、世界中に影響を与えることになります。
これは人々の「宇宙の真理を知らない」無知からくる現象です。
人々は自分が望むレベルの影響をニビルから受けるのです。
ニビルの接近により人々が受ける大きな影響は、意識をシフトさせる上で必要なことであり、
大元の神が計画したことなのです。
今3600年ぶりに惑星Xニビルの接近は神の計画の一環なのです。
よく言われるように、ニビルが完全に悪魔の星であり、地球を混乱させ、
崩壊させようとしているというのは真実ではありません。それこそ宇宙の真理を知らない証拠です。
ニビルによって、地球上の人々がこれまで経験してきた時代が終わりを遂げ、
三次元の物質的な意識から、より高い次元に統合の意識に変る時代が来たのです。
今まで、地球を支配してきた者達は、今までどおり権力を行使できなくなり、
今後は、世界の人々が「一般市民と国民」成長し、明るい未来に向けて大きな一歩を踏み出し、
お互いに協力し合い、調和を重んじる社会が到来します。。。

言葉の寄木細工
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2018年11月14日

惑星ティアマトと惑星ニビルの激突

nibiru-c.jpg


惑星ニビル
> ティアマトとニビルの激突
太陽系の軌道に乗ったニビルであったが、その途中にはティアマトがあります。
ニビルの前に立ちはだかったティアマト対して、衛星を配備しました。
またニビルは前方に稲妻(放電現象)を配備し、燃え上がる炎で全身を満たしティアマト包み込むための網(磁場)を作ります。
更に天王星から恵みを受けた魔風、旋風、暴風を従えます。
即ち天王星から新たに加えられた衛星である。
そしてニビルより風(衛星)はティアマトより先に攻撃を仕掛けたのです。
「キングの陰謀を見破る」
ほど接近したニビルは網(磁場)を広げてティアマトを捕らえます。
ニビルの稲妻(放電現象)はティアマトの動きを緩め、恐怖したティアマトは過熱し、膨れ上がりました。
そして大きな亀裂がティアマトの地表を走りその亀裂に向けてニビルは「魔風」を吹き込みました。
この衛星によってティアマトの腹を引き裂き、内臓を切り裂き、心臓を貫いたのです。
ティアマトの命が消された後、ティアマトの衛星群がニビルの磁力と引力によって従来の引力から引き離され、
逆向きの軌道(反時計回りから時計回り)に乗せられてしまいます。
また、ティアマトの指揮官であるキングは他の衛星とは異なる運命をたどります。
ニビルは、キングの惑星となるべき「宿命」を奪い取り、ドゥッガエ(泥の塊)へと変化させました。
大気、水及び放射性部室を剥ぎ取られ文字道り「泥の塊」となったキングは、サイズも縮小され、
「鎖につながれて」
ティアマトの残骸の周りを永遠に周回することになったのです。
そしてティアマトを粉砕したニビルは太陽系の惑星となります。
ニビルは太陽系の星となってからも宇宙外へと飛び出していったが、惑星である以上ニビルは太陽系に戻ってこなければなりませんでした。
そして、遂に地球と月の創造が始まったのです。
ニビルの攻撃によってティアマトの残骸は真っ二つに割れました。
そして
「ティアマトの頭蓋(割れた上半身)」
はキングと共に誰も知らない場所に飛ばされます。
つまり、これまで惑星の存在しなかった場所へ飛ばされたのです。
そして、その弾き飛ばされたティアマトの残骸こそ地球であり、鎖でつなぎとめられたキングは月となりました。
ティアマトの残り半分は粉々に打ち砕かれ、ティアマトの割れた半分は槌打たれ、天界の手械になったのです。
そしてそれこそ火星と木星の間を取り巻くアステロイド帯となりました。

Mistery Planet
http://www.geocities.jp/mu_tyo/nibiru10-4.html







惑星ニビル情報
歴史文献にみる惑星ニビル
2000年8月
Andy Lloyd
Written by Andy Lloyd, author of 'The Dark Star' (2005) and 'Ezekiel One' (2009)
Published by Timeless Voyager Press 8th August 2000
Timeless Voyager Press
http://www.darkstar1.co.uk/ds6.htm
衛星ティアマット
古代シュメール文明には惑星ニビルの記録がある。記録によるとかつて惑星ニビルと地球の民と海の怪物ティアマット(Tiamat)の間で戦いがあったという。
シュメール記
「ティアマットは顔から稲妻を吐いていた。体からは火がでていた。男はティアマットを網にかけつかまえた。」。
聖書のヨブ記にもシュメール人の記録と同じ内容の文がある。
神が海の怪物レビアサン(Leviathan)と戦ったという記録だ。
聖書ヨブ記41: 18-21
「レビアサンの目はまるで日の出の陽の光のようにまぶしく光り、鼻からは稲妻が飛び散っていた。
まわりには強い風が吹き荒れ、口からは火を吐き、語る言葉も火であった。」。
聖書のほうはおそらく後に一神教であるヘブライ人が内容を書き換えたのだろうが、それにしてもこの2つの記録の内容は酷似している。
どちらも惑星ニビルの記録だろう。惑星ニビルは火の怪物だ。
その周囲には稲妻や火が飛び散り、後光に包まれている。
そして接近に先立っては、その衛星ティアマット(Tiamat)がまず接近する。
日食の時にできる日輪の上のコロナを見ればこの記録の意味がわかると思う。
惑星ニビルには7つの衛星がある。
記録の「風」とはつまり7つの衛星の事だろう。
衛星ティアマット(Tiamat)の大きさは地球よりも大きい。
という事は惑星ニビルの大きさはかなりのものであると予測できる。
Sitchin氏は惑星ニビルの大きさは地球と同じといっていたがこれは誤りだろう。
どうしてそう考えたのだろうか。惑星ニビルには生命体が住んでいるという。
だから地球と同じサイズだろうと考えたのだろうか。
以下、衛星ティアマットの記述。
惑星ティアマットの記述
「複数の衛星をもつ惑星ニビルと惑星ティアマットは互いに接近した。
惑星ニビルは惑星ティアマットの内部をスキャン、キングー計画(the scheme of Kingu)にのっとり惑星ティアマットに稲妻(divine lightnings、神の稲妻)を打って攻撃した。光と熱に包まれた惑星ティアマットの公転速度は下降、地表では噴火が多発、地殻に亀裂ができた。惑星ニビルはその亀裂に向かって邪悪な風(Evil Wind)という名前の衛星を打ち込んだ。邪悪な風は惑星ティアマットの心臓を切り裂いた。、惑星ニビルは惑星ティアマットを網でつかまえ、自らの衛星にした。」。
メシアと惑星ニビル
キリスト教圏外の地域には「メシアのドラゴン(Messianic Dragon)」をあがめる民族がいた。
わし座とへび座のエリアは「ドラゴンの住処(Domain of the Dragon)」と呼ばれる事もある。
わし座とへび座(the Eagle and Serpent、Aquila and Serpens)を組み合わせると空飛ぶヘビとなり、つまりメシアのドラゴンとなる。
惑星ニビルはこのエリアにみられる。またこのエリアはシリウスやオリオン座の反対のエリア。
「メシアのドラゴン」は中米インカ文明の神ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)やエジプトのホルス神(Horus)のイメージとも通じる。
「メシアのドラゴン」は3400-3800年ごとに現れ、人類に破壊と進化の過程をあたえるという。
Bauval氏、Hancock氏
「太陽系が魚座の時代にはいったのはアレクサンダー大王 (Alexander the Great、356-323BC)の時代。
このころ東西の世界の境界が出来、また紀元前330年ころ東の世界にメシアが現れるとされた。
メシアはアレクサンドリア(Alexandria)に現れるという説が有力だった。そして実際にメシアがあらわれたのはその200年後のイスラエルだった。」。
紀元前11,000年に大洪水がおきたという記録がある。またSitchin氏によれば、惑星ニビルは紀元前3760年に地球に接近したというが、惑星ニビルの公転周期を3600年と考えれば計算があう。そして前回の接近は紀元前160年ごろだったはずだ。紀元前160年当時の大国といえばローマ帝国。ユダヤ人は次の惑星ニビル接近時にユダヤの王(a "King of the Jews")の再臨があると信じていたが、ローマ帝国は惑星ニビルの情報がなかったので、ユダヤの王再臨はローマ帝国の支配を逃れるためにでっちあげた寓話であると考えた。そして仮にもその寓話のユダヤの王が再臨するのなら、ユダヤの王は世界をローマ帝国以前の神権政治(the divine Kingship)の世界に逆戻りさせ、ローマ帝国の覇権をゆるがす脅威となると考えた。
古代エジプト神話
「オシリス神(Osiris)の子ホルス神(Horus)はイシス神(Isis)から生まれた。
イシス神は処女の女神(the virgin-star goddess)で、イシス神は性行為をせずにホルス神を生んだ。」。
シリウスはイシス神の星。
オリオンはホルス神の星。
当時シリウスが観測され、イシス神とホルス神が生まれると信じられた。

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ティアマト伝説
カブトガニの生まれた海・・・・・テーチス海
二億年以上の昔、地球の大陸は一つにまとまっていて、東に開いたテーチス海と呼ばれる大きな内海がありました(図1)。
石油の元になったといわれる大サンゴ礁の広がるテーチス海で、三葉虫やアンモナイト、シーラカンス、そしてカブトガニが生まれ、栄えていったのです。このテーチス海の奥、西の端が今のアメリカ東海岸の近くであり、テーチス海の出口、東の端が日本など東アジアに当たります。
カブトガニは生きている化石と呼ばれ、五億年以上前の古生代初期に三葉虫と分かれ生じましたが、二億年前の中生代三畳紀以後は、ほとんど形態を変えずに生き残ってきた貴重な動物です。恐竜などよりはるかに古い生き物なのです。二億年前ごろから起きた大陸の分離と移動に伴い、カブトガニはいやおうなしにアメリカ大陸とユーラシア大陸に分けられ、北アメリカ東海岸と東アジアの海岸に生き残りました。
カブトガニの危機はいろいろな人が、いろいろな方法で訴え、救う方法をいろいろ考えています。
ここでは、そうした事をくどく繰り返すのは避け、美しかったテーチス海の語源になったギリシャ神話の女神テーチスの話をしながら、海を愛した私たちの先祖をしのび、海を守る気持ちを育てていきましょう。
海の女神? 海の怪物? ティアマト
海の女神テーチスはギリシャ神話に登場する女神ですが、その原型がメソポタミアの神話に登場する同じ海の女神ティアマトに見られます。
メソポタミア(イラク地方)の神話は現在残っている世界の神話の中で、最も古いものです。
これからお話しする神話は今から四千年も前にできていました。
少なくとも、キリスト教の聖書やギリシャ神話はこのメソポタミアの神話の影響を強く受けています。
メソポタミアの神話によれば、天も地もない大昔、この世にあったものは水と二人の神様でした。
塩水を支配していたのが女神ティアマト、
真水を支配していたのが夫のアプスー
でした。
しかし、その頃、塩水と真水はまじりあっていて、完全な海はありませんでした。
ティアマトは生命を生んだ乙女とも呼ばれています。
ティアマトたちの孫に、天上の精霊アンシャルと地上の精霊キシャルが生まれ、この二人の子供が,後に空の神になるアヌです。
そして、アヌの子がたいへん頭の良い神エアです(図2)。
こうして、神々は増え、自分勝手なことを始め、ティアマトやアプスーの言う事を聞かなくなります。
そして、ティアマトの反対に関わらず、アプスーは乱暴な神々を滅ぼそうとしたのです。
アプスーのたくらみに気づいたエアは逆にアプスーを滅ぼしました。
このエアの子が神々の中で最も強いマルドークです。
マルドークは、眼が4つ、耳が4つで、口から炎を吐く化け物のような神です。
そして、たいそう乱暴者でした。
あるとき、風をしばったので、風が吹かなくなりました。
また、神々にもいたずらをしました。
神々はマルドークの乱暴ぶりをティアマトに言い、マルドークを除くように頼みました。
ついに、ティアマトは秩序を守るため、マルドークを滅ぼす決心をしました。
ここに、神々の戦いが始まりました。
それは、天と海の戦いのようでした。
エアは子供のマルドークを助けようとして、天の精霊アンシャルに、
「女神ティアマトが天宮を滅ぼそうとしている。」
と嘘をつき、アンシャルを味方に引き入れたのです。
エアの父に当たるアヌもマルドークの味方になりました。
いつの間にか、神々に反逆したのは、マルドークではなく、ティアマトだということになってしまったのです。
最初の戦いで、エアがティアマトに立ち向かいますが、ティアマトの作り出した竜などの十一頭の怪物に恐れおののいて敗れ、逃げ帰ってしまいます。続いて、アヌが女神ティアマトに立ち向かいますが、怒り狂ったティアマトの前に、やはり敗れてしまいます。
最後に、もしティアマトを倒したら自分が神々の王になるという約束を神々と取り交わしたマルドークが進軍します。手には雷を持ち、つむじ風の戦車で前進します。怒り、残酷、嵐、突風の四頭の怪物がその戦車を引きます。ティアマトの軍勢はその姿に恐れおののきます。
さすが、ティアマトだけはひるむことなく前進しました。
しかし、巧妙に仕掛けられた罠にかかってしまいます。
それでも、どんな武器もティアマトの体を傷つける事はできません。
そこで、マルドークの軍にいた大嵐がティアマトの顔面に強い風を吹きつけ、ティアマトの口を閉れなくします。
そこへ、マルドークが大弓を引き、矢を放ったのです。
矢はティアマトの口を通って、内臓を貫き、心臓を引き裂いてしまいました。
その血は風が吹き飛ばしてしまいました。海の女神ティアマトは敗れたのです。
マルドークはティアマトの体を二つに分け、一方を高く上げて、大空にしました。
ティアマトの体の残り半分で大海の一部をおおい、大地の土台としたのです。空と陸ができたのです。
アヌを空(大気)の神にし、そして、エアを海の神にしました。
エアは、ティアマト軍の大将軍だったキングーの血と骨を材料に、人間をつくりました。
ティアマトを倒した、あの大弓は大空にかけられました。
大空にかけられた大弓は、虹、天の川、または太陽の通る道、黄道の十二の星座になったといわれています。
こうした神々の戦いは、メソポタミアで起った権力の交代とそれに伴う戦争を反映しているのでしょうか。
世界最古といわれるメソポタミアの文明を作った人々は、はじめは海の女神ティアマトを信じていたと思われます。
しかし、異民族の侵入も多く、権力の交代も激しかったメソポタミアの地で、信仰の対象は神王マルドークに移っていったのです。
マルドークの神殿は空高く築き上げられました。
キリスト教の聖書に出てくるバベルの塔はマルドークの神殿がモデルだといわれています。
バベルの塔は神に近づきすぎたとして破壊されるのですが、その話そのままに、マルドークの神殿も今に残りません。
マルドークもまた、ティアマトと同じ道を歩み、人々の心から消えていったのです。
マルドークの信仰の後、イラン(ペルシャ)に生まれたアフラを主神とするゾロアスター教がこの地方に広まったものと思われます。
そして、ゾロアスター教もいずれイスラム教に追いやられていくのです。
ティアマトはメソポタミア(イラク地方)の海の女神ですから、その海はペルシャ湾ということになります。
ペルシャ湾は、つい最近も戦争による原油流出によって汚されてしまった事は記憶に新しいところです。
私も湾岸戦争直後に調査に行ってきましたが、ひどいものでした。
戦いに敗れたティアマトは、メソポタミアの神話に続くギリシャ神話にも登場します。
しかし、海の女神としてではなく、海の怪物としてなのです。
いけにえにされたアンドロメダ姫を襲う海の怪物の名前がティアマトなのです。
海の怪物ティアマトは、アンドロメダ姫を救った英雄ペルテウスによって石にされてしまいます。
時代の流れとはいえ、海の女神の扱いにいささかの怒りさえ覚えます。
人類最古の文明を築き、女神ティアマトを信じていたと思われる人々は、ティアマトを残し、どこへ行ってしまったのでしょうか。
ある地域の神様が、別の地域あるいは別の神話で逆の扱いを受ける事は良くあります。
ペルシャ地方のゾロアスター教の主神で、火や明るさ、そして正義の神であったアフラは、バラモン教、ヒンズー教、そして仏教で、
アスラまたはアシュラ(阿修羅)
として、むしろ邪神として扱われるようになりました。
トルコ地方のメデューサも、ギリシャ神話では怪物の扱いです。
エジプトの神話では、根源の神アトン・ラーの子供に、大気の男神シュウと、水の女神テフヌトが出てきます。
その名前の類似からも、テフヌトは、女神ティアマトとの関連が感じられます。
テフヌトとシュウの子が、天の女神ヌウトと大地の男神ゲブです。
その二人の子に、エジプト神話で有名なオシリスとか、イシスがいます。
メソポタミアと同じ中近東で生まれたキリスト教の聖書には、神エホバ(またはヤーべ)が天地を創造する話があります。
最初、この世は水でおおわれ、神の霊が水面にあったとされています。
そして、そこに光を与え、昼と夜ができ、一日目が終わります。
次の日、神は水を上の水と下の水に分け、その間におおぞらを置き、そのおおぞらを天(空)と名づけます。
二日目です。三日目に、神は下、すなわち地上の水を一か所に集め、海と陸を分けます。
そして、植物をつくります。四日目に太陽と月と星をつくり、五日目に海と空の動物、すなわち、魚と鳥をつくり、そして、六日目に陸上の動物をつくった後に、自らの手で、粘土から人間アダムとイブをつくり、七日目に休んだとされています。この神話は、水がこの世の最初にあったとする世界中いたるところにある神話と共通するタイプの神話です。
古代の人々にとって、海はそれほど広大で永遠なものと思えたのでしょう。

伊藤富夫研究室: カブトガニの話・・・世界のカブトガニ
http://www.geocities.jp/tomioitow/sub1.html


















太陽系種族の物語!
2016/7/16(土) 午後 2:39
♡古代史・神話♡ 練習用
太陽系種族の物語!
太陽系創造神話[エヌマエリッシュ]によれば、太陽系における生命の母はティアマトです。太陽系内惑星の創造に関しては、必ず双子で創造されます。そして、生まれたての惑星は、親惑星の火山成分とほぼ同じで、熱く燃えながら飛び出し、まだ大気も海も無く、火山の噴火する岩石惑星です。
ティアマトは噴火により大気と少しの海が形成された。おそらく、この海に原始生命体が発生したのでしょう。ティアマトとほぼ同時に創造されたフェイトン、次に創造された火星、当然地球もまた生命の種子をティアマトから受け継いでいます。この生命の種子は、地球・火星・フェイトンと比較すれば、木星クラスの強い重力のもとでティアマトに誕生した。それ故、地球・火星・フェイトンの重力下では、ティアマト由来の生命体は弱い重力の基で巨大化してしまうのです。
ティアマト星系に最初に、次に火星とフェイトンに生命が誕生した。ニビルによりティアマトとフェイトンが粉砕された時、すでにフェイトンには恐竜が生息していた。古代太陽系での生命の進化の度合いが全惑星で同程度だとすれば、火星はフェイトンと同じく爬虫類が生息していたと考えても間違いはない。そしてフェイトンに住む知的生命体は、ニビル災禍を逃れ生命が生存できる一番近い惑星=古代火星に避難したとするのが常識的でしょう。
古代火星に文明を築いた後、火星の老化に伴い、新天地への移住を計画した。第一のグループはニビル星系への移住を計画し、外宇宙へと旅立った(おそらく、紀元前1万2千年以上前のことでしょう?)。ニビル星系に移住した古代火星人は、二ビル星での南北王朝の過酷な戦いを繰り返した。別のグループは、戦乱の続くニビル星から離れ地球に移住した。地球に移住したグループは、平和を愛するものたちで、地球の猿人の遺伝子を自らに取り込み、地球への適応を図った。
一方でニビル星系での永遠とも思える戦乱から逃れ、ニビル星から古代火星を経由し、地球への移住計画が練られていた。このことを知り、地球の遺伝子を持つニビル星人は、ニビル星での戦乱の解決を図るべく、ニビル星系へと移住した。
ついに、ニビル星系での戦乱は終わり、南北王朝の王と女王の婚姻によって統一された(神武東征時の平和裏の統合、出雲王朝や吉備王朝との統一と同じです。)。第十代アヌの時代に、ニビル星の大気の崩壊を食い止めるべく、地球に金を求めて飛来。地球での安定した文明基盤のための労働力として、二種類の地球人類を創造する。
一つはネアンデルタール人=イギギである。イギギも人類として火星並びに地球に移住、定着したと聞いています。もう一つは、ニビル星人とネアンデルタール人のハイブリッドである現生人類である。
さて、異星人を名乗る種族と、上記に説明した太陽系種族との関係を推断してみましょう。
最初に知っておくこととして、地球に飛来している異星人(琴座星人、ニビル星人、プレアデス星人、オリオン星人、シリウス星人、火星人)の母星は、各異星人の呼び名の星々ではではありません。あくまでも、同じ生命哲学を共有する者達のグループ名として、琴座、プレアデス、シリウス、オリオン、プレアデス、火星と名乗っているのです。つまり自民党、民主党などと同じ意味合いでなのです。呼び名=星座と勘違いすることで、異星人に対する大変な誤解が生じています。
リサ・ロイヤルの[プリズム・オブ・リラ]の情報を先生にお知らせしたところ、先生から下記のことを教えて頂いています。ほぼ、プリズム・オブ・リラと同じような返答でした。ただし、本書にはニビル星人に関する記述が無く、古代シュメル古文書との整合性がとれず、貴重な情報であるにもかかわらず、より混乱をもたらしている一面があります。
「オリジナルな文明は、
  琴座 ⇒ プレアデス星 ⇒ ニビル星 ⇒ 地球へと
伝えられ、それを伝えるに必要な高等な知性を持った生命体、即ち人間は必要に応じて、各母体惑星からDNAの移植により創造されたものだと。」
詳細は省いて、結論だけをまとめると、下記の通りです。
琴座A,B  = ティアマトとその衛星のフェイトン
琴座星人   = フェイトン星人
プレアデス  = 古代火星
プレアデス星人= フェイトンから古代火星へ移住した人々。その一部が古代地球へ移住。
ニビル星人  = フェイトンからニビル星に移住した人々。
シリウス星人 = ニビル星のアヌ王家以外の種族。王国を否定し、共和制へ移行。
オリオン星人 = 火星人類 及び プレアデス末期の巨人族
最後に、惑星間で繰り返される衝突が惑星を激変させ、その度に知的生命体は母星を逃れ第二の母星へと移住し、環境に最適な惑星人類を創造してきた。その後、新生人類による戦乱に次ぐ戦乱もまた勃発している。現在の地球の戦乱の様相は、太陽系種族の総決算ともいえるものではないのでしょうか。つまり、同じ科学と哲学を共有するが、人生観・生き方における違いからこれら太陽系種族の騒乱が繰り返されてきたのです。
金星系大サタン・サナンダの提唱する生命哲学では、必要悪の立場に立ち、現世を力強く生き抜く必要は無いとし、霊体から肉体への転生輪廻を提唱している。そして、霊体の転生輪廻を支配する一部の者達が全体を支配しており、現実は独裁体制でしかない。そもそも、霊体は人類だろうが異星人だろうが、生まれたときから人体に生体磁場として記憶されながら成長し、臓器の一部として働き出すのだ。死後、疑似細胞を形成し、肉体を放れ霊体となる。霊体もまた物質でできており、すべては物質世界しかない。だから転生輪廻はあり得ない。だから、転生輪廻は、現実世界をより良くしようという人類の意思を消滅させ、有りもしない来世に期待を掛けるという愚かな人々を量産し、己の見にくい権力欲を隠蔽し、悪の帝国の支配を永遠のものにしようとしているのです。
人間の肉体を持った一生は一度限りで、有意義に人生を過ごさなければ、人格は成長しない。死後、霊体になったとしても、貧弱の意識では生前の記憶の大半を失い、地縛霊のように迷妄の壁に閉じ込められてしまう。もしくは、類は友を呼ぶので悪霊の巣窟に閉じ込められてしまいます。しかも、霊体の人生も有限なのですから、生ある人生を有意義に過ごさなければ、霊体の人生とはいいえ価値あるものとはならないのです。
付け加えると、異星人はすべて人類と同じ姿形をしている。恐怖映画に出てくる宇宙人、決爬虫類人、グレーなどは知的生命体ではない。遺伝子操作による産物に近く、バイオアンドロイドなんです。
コーヒーでも飲みながら考えじっくり考えてきた!ましょう!

麗奈の日だまりVol-1 Dream and Vision
http://blogs.yahoo.co.jp/ayanoreina/13793485.html





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