2022年06月10日

達人: ギルガメシュ叙事詩(BC2600年)と西洋思想





達人: ギルガメシュ叙事詩(BC2600年)と西洋思想
2008/12/14
「神の超越性は個人の内面にあり」  
聖書にはモーゼの生涯の中間部がありません。幼児の彼が捨てられファラオの娘に拾われ育てられた時から自分の出生の秘密を知る時期です。この中間部をうめるには古代の歴史家フィロンやヨセフスの著作です。フィロンはキリストと同世代の,ヨセフスは50年後ローマ人によるエルサレムの破壊を見た人です。彼らは大昔の聖書である死海文書を読むことの出来た人々である。人間を治めるのは神のトーラー(律法)であるのかそれとも独裁者の意のままか。国民は神の所有物かそれとも自由か。これは今でも争われている問題です。3000年前の尊い教えに忠実であろうと努めました。それがモーゼの5書です。(パラマウント映画十戒を製作・監督したセシル・B・デミル氏の冒頭の言葉) 
By the Brink of OLD NILE。
そこへ,ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りてきた。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は,葦の茂みの間に籠を見つけたので,仕え女をやって取って来させた。開けてみると赤ん坊がおり,しかも男の子で,泣いていた..............。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」<出エジプト記2:4〜10>
プトレマイオスの搾取参照
■キリスト教
キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる〜〜〜もっとも,この大母神の究極の起源を探ってゆくと,アナトリアのペシヌス(ガラテア地方の都市)でキュペレとなり,ヒエラポリス(シリアの北部の町)でシリア女神De Dea Syraとなり,あるいはまた,遠く離れた北海やバルト海の聖なる島の森の中で,ゲルマン語を話す人々に崇拝される地母神となる以前に,元来シュメール世界においてイシュタルの名で知られていた女神であることが判明する。(Study of Historyサマヴェル縮小版より)キリスト教の開祖者はヘーゲルの祖ヘラクレイトス(Herakleitos)と断定していいだろう。そうだとすると神の意味は弁証法の複素数を理解しないと無理であろう。
拙稿:イシュタルの名の女神参照ください。
■ギルガメシュ叙事詩
「ギルガメシュ叙事詩」は古代オリエント最大の文学作品である。口承文学であり,古代メソポタミア世界に,これほどのヒューマニズムと芸術的感覚が見られるということは驚きである。この叙事詩は「すべてを見たる人」と呼ばれたが,本来はシュメール人に起源を発することが判明してきている。シュメール人というのは,ティグリス・ユーフラテス両大河の河口あたりに住んでいた古代民族で,多くの遺跡および発掘品によって相当高度な文化をもっていたことが知られているが,その人種的系譜は殆どわかっていないに等しい。ギルガメシュという名そのものが,シュメール語の名であって,その他残された作品にもこの名はしばしば見られる。 そののち,セム族であるアッシリア・バビロニア人が政治的に優位となり,シュメール文化の多くのものを取り入れた。物語全体にわたる主人公がギルガメシュで,ウルクの都城の王である。ギルガメシュは力強き英雄であるとともに暴君として都の住民たちに恐れられていた。ウルクの人々は天なる神々にこのことを訴えた。神々はこれを聞き入れ,大地の女神アルルに何とかせよ命令する。女神は粘土からエンキドウという名の猛者を造り上げ,これを都城から少し離れた野に置いた。
エンキドウは裸で,毛髪に覆われており,野獣のような生活をしていた。そこへギルガメシュからおくられた娼婦がやってきて彼の欲望を満たすとともに人間らしくしてしまう。エンキドウが人間らしい心に目覚めるとともに,仲間だった野獣は去り,エンキドウは娼婦から食事や着衣などの作法を教わる。ギルガメシュとエンキドウの友情は次第に芽生えていく。彼らがウルクに帰り着いてのち,愛と逸楽の女神イシュタルがギルガメシュの英姿に魅せられてしまい,多くの報酬を約束して誘惑しようと試みるが失敗した。激昂したイシュタルは天の神アヌに,天の牛をウルクに送ってギルガメシュとその都城を滅ぼすことを求める。アヌははじめは拒絶したが,イシュタルが冥界から死者を連れ出すとおどかすので,いやいやながら天の牛をウルクに送った。このため,何百という戦士が殺されたが,二人の英雄は力を合わせてこれに打ち勝つことができた。
■杉の森の守護神フンババ(フワワ)
フンババ(フワワ)と天の牛を殺したために,エンキドウは神々により,近いうちに死なねばならぬと宣告をうける。12日間の病ののち,悲嘆にくれたギルガメシュに見守られつつ彼は最後の息を引き取った。彼は永遠の生命を求め始めた。これまでただひとり,古都シュルッパクの聖王ウトナピシュティムのみが,不死を得たということをギルガメシュは知っていた。彼はその住まいをたずねて旅にのぼる。ついにたずねあて,永遠の生命の秘密をたずねる。だが,ウトナピシュティムの答えは彼を落胆させるものであった。ここで昔あった大洪水のことが物語られる。エア神の言葉によってウトナピシュティムは四角の船を造り,危険から逃れることが出来た。永遠の生命については,それを送ってくれた神々の決めたことで,彼のあずかり知ることではないというのであった。しかしながら,大洪水の記述はギリシャ神話に見られるのである。詳しくは,ヘシオドムの神統記をご覧ください。
以上は矢島文夫氏のギルガメシュ叙事詩(絵も)からの一部要約であるが,おやっとされたと思います。すでに長谷川三千子氏の「バベルの謎」で紹介したように,聖書の「ノアの方舟」にでてくる大洪水はまさしくギルガメシュを素材として出来上がったものであることは,疑問の挟みようがない。バベルの塔はジグラットでありこれは記事にした。この叙事詩が記された粘土板の一部,大洪水の物語が刻まれた部分は大英国博物館で見ることが出来る。またすべてを見たる人=エジプトの万物を見通す目に通じるものである。
<また矢島文夫氏によると,イシュタルの冥界下りというアッカド語の文があるが,半分はギルガメシュ叙事詩と重複する。女神イシュタルはシュメールのイナンナの系譜をひき,のちにフェニキアのアスタルテ,それからギリシャのアフロディーテー,ローマのウエヌスになる愛と美の女神であるが,がんらいは豊饒の女神であり,大地母神の血をひくものであった>イシュタル神話と日本神話の関連を考えるとイザナギのミコト神話でもあり,日本人シュメール説が俄然脚光を浴びてくるのである。
ギルガメシュ叙事詩(BC2600年)は19世紀になってアッシリアで発見されたシュメール文字(楔文字)で書かれた粘土版であるが,ノアの方舟のくだりはウトナビシュテムの洪水神話に基づくことはよく知られている。BC700年になってヘシオドスの神統記が現れるがその後のヘラクレイトス(後にプラトン派につながる)は何らかの形で聖書の原型を作ったとしか考えられない因果関係が判明してきた。これは恐ろしいことである。キエルケゴールによるとヘーゲルやヘラクレイトスにとって「アブラハムとは奴隷精神」を代表すると言うがまさにそうである。(しかしキエルケゴールはk・ポパーによると<彼の手回しオルガンで全事象を演奏している>と批判されている)。しかしポパーやレヴィ・ストロースに見られる「対象に対する理解を深めようとするアプローチは構造主義と呼ばれ日本人に欠如しているものである。従ってそういうアプローチなしに人を裁こうとするからおかしくなるのです。
これは私の先生の先生である森有正氏の根本的な考え方をまとめたものですが「主観の世界からいきなり客観の世界に入るのではなくその中間の経験によって生まれた内面のもの,つまり,内面的な矛盾と対峙することによって普遍的なものが生まれる,というパラダイム(座標軸)が非常に大切」であるということです。啓示は所詮はただ人間を介してのみ彼に到達し、また人間によって解釈されるので、たとえ啓示が神自身から彼に到達するように思われたとしても(汝自身の子を羊の如くに屠れという、アブラハムに発せられた命令のように)、そこになおある誤謬が支配しているかもしれないということは少なくとも可能である。そうだとすれば、彼はきわめて不正であるかもしれない事柄をなす危険をあえて冒すことになるであろうし、その点で彼の行為はまさしく無良心的なのである<カント・純粋理性批判より>
今日は雨の日曜日ですから「神の超越性は個人の内面に存在する」というK.Wiseman氏(Alias 小副川幸考氏)の言葉に素直に耳を傾けましょう。(転載許可済み)
■キリスト教倫理の形成と超越
原文
ヘレニズム世界で発生したキリスト教の信仰思想は、その影響領域の社会的拡大と共に古代ギリシャの哲学思想との融合を試みた。その原理的な姿は、すでに新約文書のパウロ書簡にちりばめられている「倫理的勧告」や『使徒言行録』の著者によって記述された「アレオパゴスの説教」(『使徒言行録』17章16-34節)などに見られるが、最も顕著で積極的な姿は初期キリスト教弁証家たちの神学思想に現れている。彼らは、聖書の神がギリシャ哲学の説く神とは別の神ではなく、むしろそれに優る最高の神であることを主張することをもってキリスト教の弁証を開始したのである。アテナゴラスやテオフィロスやユスティノスは、当時のストア哲学やプラトン哲学、特にネオプラトニズムが「デミウルゴ(Demiurgo)」という概念で説いた形而上学的超越概念をもって聖書の神概念を説明したし、アレキサンドリア学派の教父たちは、プラトン的な神概念をキリスト教信仰内容の概念的形成の尺度として採用している。(8)
そして、この流れが西洋キリスト教神学の全体の方向を決定したアウグスティヌスを経て中世に至るのである。聖書の神がプラトン的な形而上学的超越概念と同定されることによって、倫理的な事柄は、その神理解から自動的に導き出される理性の実践的な行為となり、道徳的なことはその超越によって基礎づけられた自然の道徳法則の概念から必然的に出てくる要求や理想として理解され、倫理学に対する原理的な注意は、せいぜい、教会内における建徳的な魂の訓練か教会共同体の秩序の維持以外には、ほとんど払われなかったのである。しかし、この初代キリスト教神学が倫理学的原理に対して熟慮しなかったことは、直ちに、それが倫理的な事柄に対する無関心を意味しない。むしろ、本質的に道徳的エートスを持つキリスト教信仰思想から、彼らは積極的にこの世界における人間の理想的な姿を問い、個々の場合についても、例えば国家や兵役、奴隷制、教育、家庭、富の問題などに重要な見解を示している。(9)
ただ、それらがユダヤ・ヘレニズム的道徳観と自然法的倫理観の無原則の混同の中で、原理的に形而上学的最高存在としての神を根拠にして、そこから形而下の一切の存在を秩序づけることができると考えられたのである。アウグスティヌス(Augustine)の神学体系である二王国論「神の国(De Civitate Dei)」は、その流れの頂点に位置するように思われるし、宗教改革者M.ルター(M.Luther)が「善きわざは信仰によってのみ生じる」(10)と論じた源流もそこにある。
■アウグスティヌスはマニ教徒であった参照
そして、神学的には、この方向は倫理学の教義学的基礎づけといった方向を取ることになるのである。しかし、西欧社会の中で、キリスト教会的な文化統制が一応の安定を見せた中世において、文化全体を支配する価値観や倫理的な諸要求と個人の魂の建徳的訓練のための諸命題を結合させる倫理学が、世界観や文化全体を明確に認識するために必要不可欠なものとなっていったが、そのために神学自体はかえってギリシャ哲学との結合を濃密にし、キリスト教の根本思想から展開されるようなキリスト教倫理学ではなく、道徳的自然法をアリストテレスの倫理学と同一視して、ただ自然法的な道徳法則から生じるすべての倫理的目的を教会の究極的目的に従属させようとしたのである。
こうして、自然法を正しく解釈し、具体的事例をキリスト教的調停へと導くための司祭の指導が制度化され、神の恵みに伴う超自然的秩序に属するための一種の修道倫理が形成され、特に神の恩寵によって引き起こされた英雄的で禁欲的な行為を内容とする倫理学とこの世界の現存在の自然的目的から生じるような自然的、哲学的な、家庭生活や国家、経済、科学、芸術といった世俗的な諸々の関心を取り扱う倫理学が形成されていく中で、その倫理学的二元性が、一種の宗教的功利主義の枠組みの中で位置づけられたのである。しかし、こうした中世カトリック的倫理の二元性は、社会構造が聖俗二元論的に静的に固定した存在の秩序として受け入れられている場合には有効であり得たかもしれないが、社会全体においても教会自身においても、ある種の歴史的必然としての世俗化が、初めは物理的経済的に、やがては存在論的精神的に進行するにつれ、社会構造の急激な変動とともに、それを位置づけていた枠組みそのものが崩壊し、せいぜい極端な保守主義と制度化された教会のゲットー化を生み出すぐらいにしか意味を見いだせなくなるのである。
M.ルターの宗教改革は、そのような宗教的功利主義の枠組みに入れられていた倫理の二元性 を破棄することから始まった。聖−俗の枠組みを外して、「聖書のみ」、「恵みのみ」、「信仰による義」といったような信仰告白的標語が次々と語られ、「義人にして同時に罪人」という逆説的表現の中で、罪のゆるしと和解をもたらす神の恵みの福音への信仰は、人を罪の領域から愛と信頼の領域へと導き、その信仰によって、人は神と隣人への愛へと促されるのであり、そこですべての世俗的目的と秩序とから自由であるという「キリスト者の自由」においてすべての人に愛をもって仕える義務を負うという新しい「愛の倫理」が語られようとした。この神と隣人への愛という動機によって、社会的、政治的、法的実践が基礎づけられ、福音理解に基づく人間の現存在の倫理的要請が再解釈されたのである。信仰によって神から与えられた良心に基づいて行為する自由な人間、行為の責任を負う責任主体としての人間の形成が説かれ、その自由と責任の根源としての神の愛についての教説の中で、あらゆる倫理的な事柄が新たに理解されようとした。そこで、倫理学はいつでも福音理解に基づいて神と世界と人間と救済の概念を示す教義学の中で取り扱われ、その結果、キリスト教倫理学の古典的な問題が再登場したのである。つまり、信仰と信仰共同体である教会に集中しつつ、国家、法、戦争、教育、哲学を含めた芸術や科学、この世の財、身分、職業などに対してどのような態度をとるべきかという問題である。そして、ここに至って、神の超越性はその超越性を保持しつつ見事に内在化しようとしたのであり、近代哲学者のカントの人格理念に基づく倫理学もそこから生じたと言えるのである。しかし、宗教改革後の西欧プロテスタント正統主義は、そのことによってかえって、宗教改革的「愛の倫理」を徹底させるのではなく、科学者や哲学者や法学者がそれ自体の学問的追求との関連で導き出す客観的事実の主張の中で、信仰を主観の領域に限定する傾向から、キリスト教倫理学をただ教会内の、あるいはキリスト者の個人的私生活の在り方を道徳的に問うものへと限定していったのである。「十戒」と「山上の説教」は内面化され、アブラハムの神は哲学者の神とは異なり、中世カトリックの二元論的構造とは異なった倫理の二重構造がキリスト教倫理学を宗教的特殊倫理学の中に限定していったのである。人は、個人として与えられた境遇の中で信仰深く、まじめで、誠実な服従心をもって、神の召命に基づいて、自然法的諸要求、つまり国家組織や経済組織の要求に従うことを最善のこととし、あらゆるところで、その自然法的諸要求が先行する中で、神の超越性はただ個人の内面にのみ存在するようになったのである。
イエス30歳の時ヨルダン川のバプティスト・ヨハネより洗礼を受ける。プロテスタントはイエスの誕生が西暦4年であり世界の終末は2026年に来るという考え方をしている。また、この宗教改革的「愛の倫理」は、その倫理的要請の前提としてもっていた神の創造の秩序への確信が社会変動と世俗化の中での近代市民社会における個人の権利と自由意識の高揚によって崩壊していく中で、次第に信仰者の個人的領域にのみ有効性をもつか、形而上学から解放されてそれぞれ独自に超越的な神との関連なしに考察されるようになった自然と世界についての科学的認識とは全く別の、単なる宗教的次元の倫理として位置づけられるようになり、西欧倫理思想史の中で、宗教改革者たちの意図とは別の方向へ進んでいったのである。そして、近代諸科学の合理的認識による理性と認識における形而上学的超越からの解放というコペルニクス的転回は、 国家、経済、社会構造を含めた人間のすべての行為をそれ自体に内在する合目的性から理解するようになり、宗教的な事柄もまた、人間の経験的認識によって取り扱われる諸現象の一つとして部分化したのである。それはカントの「わたしは信仰に席をあたえるために、知識を廃棄しなければならなかった」(11)という言葉によく表明されているように思われる。こうして、倫理学は西欧近代社会において、それまでその基礎づけ、もくしは究極的目的として前提されていた形而上学的超越、あるいは神といった枠組みから離れて、独自に近代哲学的倫理学へと向かったのである。一般的な傾向として、人々は理性によって到達可能な現に存在するものの経験的現象世界に思惟を傾け、数理学的思考が中心となり、人間と世界は数値による比較が可能な経済原理に基づいて理解されるようになった。たとえば英国ではロック(J.Locke)の経験主義的流れの中で、神学的、教義学的前提なしに、社会と文化生活の行為と目的を人間の理性に基づくそれ自身の道徳性から追求し、自然法に基づく自然状態としての自由と平等が主張され、フランス革命やアメリカ独立戦争を導く要因が生み出されていったのである。このようにして、倫理学は「人間性の追求の学」としての歩みを進め、神に代わって人間の道徳感情や宗教感情、もしくは先験的(ア・プリオリ)な理性的了解事項がその前提として置かれるようになったのである。それは、かって古代ギリシャにおいて、超越的神々を人間に無関係な世界外存在として弾き出し、内在の原理のみに従って生きることを主張したエピクロスの亡霊の近代的出現であるとも言えるかもしれない。
西欧思想史全体にわたる背骨のような根本的問題としての「超越と内在」の問題は、近代科学によってもたらされた客観的認識の方法によって明瞭に分離され、超越性は現存在の内在的目的表象へと変形されていき、倫理学は、たとえそれが宗教倫理学であったとしても、内在論的倫理学となった。そして、この倫理学は、人間と社会の哲学的、心理学的分析成果を前提にして、あらゆる存在現象の個々の事柄を取り扱うがゆえに、ある特定の歴史と状況下における個別の倫理学となり、その個別の領域から全体性が志向されることがあっても、それはただ部分的になされるだけに過ぎなくなったのである。
現代の倫理学的分裂状況はそこに由来する。そして、キリスト教倫理学は、ますます特殊宗教倫理学のひとつとなり、その有効領域をせばめ、信仰と経済的、社会的な実生活の分離が進展していったのである。キリスト教神学において、こうした近代のエピクロス的亡霊に対する抵抗は、初めはカントの道徳哲学の影響下で行われた。ドイツ敬虔主義と啓蒙主義および近代自然科学の客観的認識の主張の中で育ったカントは、ルソー(J.Rousseau)のヒューマニズムとの出会いによって、その偉大な天才的思考力を用いて人間の理性を認識論的に厳密に分析し、人間理性の先験性(ア・プリオリ)に基づく倫理学を哲学の総体として形成した。カントは、人間の道徳性の原理が人間の「人格性」に基づく「自律(自己立法−Autonomie)」にあることを明白にし、「善」なるものとしての人間の理性的意志に基づく倫理の根本原理として、「それが普遍的法則となることを、それによって汝が同時に欲しうるところのその格率(Maxime−主体的行為の原則)に従ってのみ行為せよ。」(12)という断言的命令法則を打ち出し、それぞれの主観的行為の大前提(格率−Maxime)と客観的普遍的法則との綜合を「人格」概念において試みたのである。それは、カントが彼の哲学において、それまで西欧思想史の根本問題として横たわっていた超越と内在、主観と客観、個人と世界、特殊性と普遍性などの二律する概念を明瞭に区別すると同時に、そのことによって人格の実践理性の要請として両者を包み越える絶対的で永遠なる神に帰依して行くという人間の倫理的行為の静態的基礎づけを厳密におこなったことを意味している。そして彼は、そこから意図的に倫理学を主観的意志のア・プリオリに必然的な諸規定の教説として提示し、彼以後の倫理学の方向を決定づけ、哲学的倫理学は、やがてシラー(J.C.von Schiller)やフィヒテ(J.G.Fichte)を経てヘーゲル(Hegel)に至るドイツ観念論の中で、それまで倫理学的前提とされてきた形而上学的超越を人間精神と自我、もしくは精神の弁証法的運動の中に解消し、歴史と実存の諸問題へと向かったのである。また、ヘーゲルを批判したキルケゴール(S.Kierkegaard)に始まり現代に至る実存倫理学も、神の超越性が人間の真の実存の回復に不可欠の問題として問われるにせよ、実存の弁証法の中での「緊張」として内在的な人格機能として考えられていることから、その倫理学的構造はカントの批判哲学のG線上の延長であるように思われる。カントの影響を受けたキリスト教神学者たちは、カントが、従来の形而上学的超越に基づく上からの倫理学とは全く異なる純粋実践理性のア・プリオリの要請としての超越(神)を見定めつつ自律的意志の倫理学を形成し、しかも、その倫理が不可避的に個人の外に立つ法授与者の理念に入って行くという、つまり、「為すべき当為(sollen)」の背後で善を命じる「法授与者」の存在へと目を向けざるを得ないという「倫理から宗教へ」向かう基本的倫理学構造を保持していたことから、倫理学の補完もしくは形而上学的保証としてキリスト教を位置づけ、神について語る代わりに人間の道徳性の完全な姿を神という言葉の下で模索した。ここに至って、神学もまた、ヘルマン(W.Herrmann)の主観的神学やトレルチの歴史主義的神学のように内在論的神学の方向へと向かったのである。19世紀を代表する神学者の一人であるシュライエルマッハー(F.E.D.Schleiermacher)はカントの認識理性のア・プリオリに対して、「宗教感情」もしくは「宗教意識」を人間精神のア・プリオリとして捕らえ、宗教を形而上学から切り離し、人間の全体的な人格性の中心にあるものとして位置づけ、倫理学をその人間の行為の諸目的の普遍的客観的規定へと向かわせた。
従ってそこでは、倫理学は、行為の客観的価値を規定する国家、社会、法、芸術、科学、家族、宗教(教会)などの実質的目的へ向かう実質的価値の倫理学となり、キリスト教をそれらの実質的価値目的へと向かう「精神」の強化原理として理解することによる文化哲学となる。そして、それによって彼は、キリスト教信仰の精神化を行ってしまったのである。こうした内在論的神学におけるキリスト教倫理学の構造は、ある意味では、神がイエス・キリストの「受肉」において自らの超越性を放棄し、完全な内在において自己を啓示したというキリ スト教信仰の使信の必然的帰結であると同時に、世俗化していく社会変動の中で人間のすべての領域において形而上学的超越を否定して人間の行為と存在を理解可能な理性の限界内で思惟してきた近代知性の必然的結果であるとも言える。こうした内在論的神学に対して、20世紀になって、バルト(K.Barth)に代表される弁証法神学者たちは、明瞭に「否」を告げ、再び、「神の言葉の啓示」に基づいて、つまり、倫理を「神の戒め」から、もちろん決定論的にではなく弁証法的にではあるが、再構築しようとした。
Karl Barth   
そこでキリスト教倫理は、「神の行動によって規定された人間の行動についての学問」(E.Brunner)となり、プロテスタント神学においては、あの宗教改革の原理であった福音理解に基づく人間の現存在の倫理的要請という観点からキリスト教倫理学の再構築が試みられてきたのである。しかし、超越概念が意味を失う世俗化された社会の中では、超越概念に基づく教義学的教説と現存在を全くの現存在の側から認識しようとすることとの分離が明瞭となり、ボンヘッファー(D.Bonhoeffer)が提示したような「そもそもキリスト教倫理は存在しうるのか」(13)といった根本的な問い直しが起こってきたのである。従って、キリスト教倫理学の基本問題は、超越論的倫理学と内在論的倫理学をいかに綜合するかということにかかっている。この問いは、さしあたり、キリスト教の使信と倫理的規範の関係、広義には宗教と倫理との関係の問題として問われる。
投稿者: tatsujin

Legacy of Ashes
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/4649
http://s01.megalodon.jp/2009-0318-0304-50/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/299.html










ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで
投稿者:Legacy of Ashesの管理人
投稿日:2022年 5月20日(金)18時05分57秒  
掲示板の目次は以下をクリックし右側です。
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin
ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/19.html
神の超越性は個人の内面にあり
http://s01.megalodon.jp/2009-0318-0304-50/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/299.html
上記魚拓は以下の記事にも転載してあります
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/686.html
OUT OF EDENは終了しました
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1.html
滅びの予感と永遠性で検索すると17件ヒットします〜あっという間に眠くなりますので睡眠薬など不要です。
https://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%96%c5%82%d1%82%cc%97%5c%8a%b4%82%c6%89i%89%93%90%ab&inside=1
短気な方には.........
滅びの予感と永遠性 その1
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/684.html
滅びの予感と永遠性 その2
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/685.html
滅びの予感と永遠性 その3
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/686.html
滅びの予感と永遠性 その4
https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/687.html
ブログの最初のころ辻邦夫さん(故人)と話したことをよく記事にしましたが上の記事の命題は管理人が28歳の頃外資系航空会社の仏領ポリネシア支店にいた時の話で辻さんが今学習院の大学院で〜死・滅びの予感と永遠性をテーマにして講義をしていますという話をされました。これが仏文科の理想の授業でしょうね。学習院の大学院生が羨ましくなりました。反面仏語学科では読む・書く・聞く・話すの四つが出来れば卒業できます。
以下は少し怖いお話です
出典:西ウクライナのフランキズム その3
http://kusagakubow.livedoor.blog/archives/14025513.html
同じリズム? ゼレンスキー大統領もソロスのテレビ制作会社クヴァルタル95スタジオの出身とのこと
衣装をつけろ道化師
https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2176
4分9秒....................
These Puppet are told what to do.Very rare do they talk about selling their souls to Satan,and talking about the Illuminati would get them killed. If asked about either,they deny it or avoid talking about it.
これら人形たちは何をするのかを言われている。非常に稀にだが魂を悪魔に売ることやイルミナティを語る時,彼らの命は奪われる。いずれにしてもその二つのうちの一つを尋ねられたら無視するか否定することだ。
管理人注:政治の世界でも全く同じです。だから岸田総理もそういう目で見てあげましょう。事実アメリカを最も嫌っているのは安倍元総理なのです。裏と表を使い分けるのが政治家なのです。正義感だけで発言すれば一瞬にして日本は悪の枢軸となるのです。不正義があっても秩序ある会社,利益を生む会社の方が,正義はあって無秩序な会社より遥かによい結果を生む。会社を国家に置き換えても同じです。
なぜ悲しみや苦しみが次々起こるのか
https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/4081
この世界の仮説
https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2176
この世界には、なぜ、《自己》と《外界》について認識する能力を持った個体が存在できるのだろうか。この問題に理論的に答えようとする哲学の徒は、必然的 に方法論的な障害に突き当たることになる。すなわち、問題を定式化することそれ自体が、きわめて困難だという事実である。
霊操
https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/4635
ノストラダムスと聖書の預言
http://datasea.seesaa.net/category/9026812-1.html
おまけ〜
冒頭に長野智子さんがでてきます
https://americancenterjapan.com/abroaderview/nagano-tomoko/

Legacy of Ashes
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/4649
posted by datasea at 06:51| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月05日

吾亞風: ミトラ教,シリウス信仰

吾亞風: ミトラ教,シリウス信仰
ケンタウルス座…南門・馬…
投稿者:吾亞風
投稿日:2022年 2月28日(月)11時49分27秒 返信・引用
【庫楼10星】 清代の同定も春海の同定も星図の形からは遠いので,月進図からの同定を採用。宋の距星も合致。http://www.kotenmon.com/str/china/china_072.html
シオンの門?
エルサレム旧市街,南門辺り…https://ameblo.jp/kaji1226/entry-12718077462.html
聖霊降臨?
シリウス信仰 と飛鳥京 北斗七星はシルクロードを旅する時の道標として使われましたので,この北斗七星を崇拝するということはペルシャにつながります。https://ameblo.jp/agnes99/entry-12151896525.html
…新年を告げるシリウスを遙拝するとすると,遙拝する者の真後ろ(後ろの正面)は真北から20度西に傾くことになる。
シリウス信仰を,まず最初に宗教として確立させたのが,ミトラ教である。https://ultra567.exblog.jp/23828136/
ミトラ 教は紀元前2000〜2500年にペルシャ,カッシート,ヒッタイトなどの間で起こった。
そして,それは後に,ユダヤ教,キリスト教,仏教,ゾロアスター教,イスラム教な ど,さまざまな宗教に影響を与え,土台となっている。
それ故,メソポタミア,ロー マ,ギリシャを始めとする世界各国の神殿,あるいは都市の建造の基になる「聖方 位」の発生のいわれでもある。
…六芒星の起源を探れば シリウスに行き着き,龍の起源を探ってもシリウスに行き着くのだ。
星官(せいかん,英語:Chinese constellations)は,古代中国人が恒星をグループ化して作ったアステリズムである。
馬尾・馬腹
馬…
中国 起源 ?姓馬氏(趙氏) 馬服君趙奢の末裔に馬姓を名乗る人が多い。
少数民族 回族に最多の名字である。
これはイスラム教の開祖・ムハンマドに由来する当て字である [1]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC_(%E5%A7%93)
馬(マ)は,朝鮮人の姓の一つである。
商から馬浣が箕子と共に入朝したことにより馬氏は始まり[2],
百済を建国した勢力の馬黎が始祖となる[2]。
長興馬氏と木川馬氏は同本である[2]。
■商…
(紀元前1600年? - 紀元前1046年?)
紀元前5万年 現代人の一部(モンゴロイド)が東アフリカより移動し,この地域のドラビダは滅びる。
紀元前4万年 現代人の一部(クロマニヨン)が東アフリカより移動し,この地域のモンゴロイドは滅びる。
紀元前3万年 エジプトからハム系民族が移動し,市内のクロマニヨン人は滅びる。
紀元前2万年 アラビア半島からセム系の一部(フェニキア人)が移動し市内のハム系は同化し,フェニキア人の構成の一部となる。
紀元前1万年 小アジアからセム系の一部(アモリ人)が移動し,現地のフェニキア人と混交し,カナーン人となる。(支配階層はフェニキア系,下層がアモリ人)
紀元前9,000年 メソポタミアからセム系の一部(アッシリア人)が移動し,エルサレムを占領しカナーン人に同化する。
このとき,支配階層のフェニキア人は処刑され滅びる。
紀元前3,600年 アラビア半島よりセム系の一部(ユダヤ人)が移動し,エルサレムに住み着く。
紀元前1600年 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12183165722
アナトリアよりセム系の一部(ヒッタイト人)が移動し,エジプトよりエルサレムを奪い,エジプト人と共にユダヤ人はエジプトへ移住し,エルサレムにはヒッタイト人とセム系のエブス人が住み着く。
       
日本古代史掲示板(荊の紀氏)
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=10&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=5&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=2&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs













すばる(昴)ことプレアデスの星々を「神」とするフェニキア人あたりを祖に持つ一族…」
投稿者:吾亞風 投稿日:2022年 3月 8日(火)11時35分29秒
趙(ユダヤ)の鉅鹿(大鹿?)…きりん座は北極星の近くにあり…古代のラクダは北極にいた…
現生ラクダの進化史が,森林に覆われた北極で十分に定着していた大型ラクダの系統までさかのぼる可能性を示唆している。
https://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/2105
鉅鹿の戦い (きょろくのたたかい)は, 中国 陳勝・呉広の乱 直後の 紀元前207年 に 項羽 の 楚 軍と 章邯 の 秦 軍との間で鉅鹿(現在の 河北省 ?台市 平郷県 )で行われた戦い。https://www.weblio.jp/content/%E9%89%85%E9%B9%BF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
重要な要所…
河北省は中国北部の中枢地域にあり,北京や天津を取り囲んでおり古代から首都とその近郊への重要な要所となっています
鹿…
中国:財運の象徴としての鹿. 中国でも古くから鹿が神的なものとして 捉えられてきました。.
満州民族や,中国北方の狩猟民族に 鹿神に関する伝説や信仰 があったことが分かっています。.
また, 中国の歴史書の中には白鹿に関する記述も多く ,白鹿が 平和の象徴,幸運の象徴 として捉えられていたことがうかがえます。.
現代中国においても,中国語の 「鹿」と「給料」が同じ「ルー」という発音 であるために, 鹿は財運の象徴 として縁起がいいものとされています。.
古代中国では,鹿は神の乗り物といわれ,聖なるものと信じられてきた。https://int.kateigaho.com/ja/articles/tradition/%e6%96%87%e6%a7%9828-35final/
鹿が「福禄寿(ふくろくじゅ。七福神のひとつ)」の「禄」と発音が同じであることから吉祥文様とされ,長寿のシンボルにもなっている。
麒麟?…
キリンの胴体になっている三角形…
きりん座ってどんな星座?【きりん座の概要】https://tromoro.jp/kirinza/
きりん座は北極星の近くにあり…
きりん座が位置する場所は
ぎょしゃ座
おおぐま座
こぐま座
ペルセウス座
などに囲まれたところに位置しています。
…最初きりん座はドイツの天文学者バルチウスによって「らくだ座(Camelus)」と呼ばれていました。
このラクダは旧約聖書に登場するアブラハムの息子であるイクサが妻リベカを運んできたラクダがモデルだと言われています。
イクサが妻リベカを運んできたラクダ…
リベカ…
イエス・キリストの花嫁にふさわしい天国に入る人はリベカのように積極的奉仕者でなければなりません。https://ameblo.jp/jesus39god/entry-12644512023.html
…彼女は積極的な空気を読める,気配りのできる女性です。
というのも長旅と思しき,10頭ものラクダを連れてきた見ず知らずの人は今,
「喉が渇いているならば,ラクダだってそうに違いない。いや,もっと渇いているだろう。荷物運んで砂漠を超えて長旅をしてきたのですから。」
そう考えながら,すぐに気を配って,「あなたのラクダのためにも,私が水を汲んでさしあげましょう。」とそのように自ら申し出,実行する積極的な女性です。
今日,イエス・キリストの花嫁にふさわしい天国に入る人もそのように積極的でなければなりません。
一つ言われたら,二つ,三つもっと多くのことを見出して,言われなくても気配りして自発的に行なえる。
そんなリべカのような花嫁を神様は教会に対して願っておられます。
積極的な生き方というのはとても大切です。
天国…
?金持ちが天国に行くのは,ラクダが針の穴を通るより難しい 「金持ちが天国に行くのは,ラクダが針の穴を通るより難しい」のは本当か? https://unwaru.com/spiritual-rakuda
ラクダが針の穴を通る…
…ニハールの意味は「ラクダの群れ」である。https://ameblo.jp/mimba0621hori/entry-12383592277.html
どんなラクダかと言うと,「渇れて水場に向かうラクダたち」なのだ。
喉の渇きを訴えているラクダたちが水場に急ぐ。
天の川が東南に,シリウスとプロキオンの間に横たわっており,その水場に向かって歩んでいるラクダの群れと捉えているのだ。
この発想は射手座の二つの四辺形を水場=天の川に飲みに出かける駝鳥たちと,飲み終えて水場を後にする駝鳥たちと基を一にするアラブ遊牧民観を表していよう。
「水場に向かうラクダ」の一頭一頭をナーヒルnaahil,雌ならばnaahilahと捉えて,それが群nihaalを構成しているわけである。
 …β星ニハルNihalはその西,左前脚の上腕部に在る。
あるいは胴体の四辺形の右底,胸部に当たる星で,2.8等星であって,これも重星で11等星を伴っていることが知られる。
このβ星にも名前がありニハルNihalである。原語アラビア語に由来し,「水場に向かう渇きラクダ」の群ニハールnihaal が元である。
「水場に向かう渇きラクダ」の一頭一頭をナーヒルnaahilというから,この四辺形の各角の星たちがα星も含めて,複数の「ラクダ群」と捉えられて,「群」nihaalとされていることが分かる。
シリウスとプロキオンの間…
プロキオンとシリウスの昇る間隔,現在では20分ほどしか違いません。https://hoshinokoto.com/guide/permstar/fixedstarprofiles/procyon
昇ってくる時間の40分差は,角度にして10度もの違い。
プロキオン
こいぬ座の尻尾の星。シリウスが昇る目印の星として使われました。
プロキオンは,ギリシャ語で「犬の前に」と言う意味1。古代エジプトでは,ナイル川の氾濫の目印としてシリウスを使っていましたが,当時プロキオンは,シリウスの昇る1時間ほど前に昇っていました。
まさに,犬の前,シリウスが昇る目印の星として,名前がついたのでしょう。
…5000年の間にプロキオンやシリウスがそんなに動いたわけではありません。
動いたのは,星たちではなくて地球の自転軸。地球の歳差運動によって,古代エジプトの時代の北極星は りゅう座のトゥバンでしたが,当然星空全体の向きも現在とは違っていました。
シリウスやプロキオン,現在の冬の星座の星たちは,5000年前には『秋』の星座,このあたりの空は今の地平線に比べて立っていて,この2星の昇ってくる時間差は現在よりも大きかったのです。
古代エジプトの時代の北極星は りゅう座のトゥバン…
北極星…
ポラリス(北極星)が役目を終えて王座を降りる
北極星はエジプトのピラミッド建設時代から
トゥバン→コカブ→ポラリスへと続き
ポラリス(小熊座)で長きに渡るニビルの支配が終わる。
ニビルが作り上げた,頂点を目指す(1番上の星)が終わる。
酔っ払った(足元グラグラだった)女神の酔いが醒め,真の女神(ヴィーナス)へと生まれ変わる。
千手観音から万寿観音
王座から  『 満座 』へ
ニセ物から,本物の輝きへと生まれ変わる
       
日本古代史掲示板(荊の紀氏)
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=5&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=10&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=15&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs























北極星は,時代とともに変わります。…
投稿者:吾亞風 投稿日:2022年 3月 8日(火)11時24分30秒
約25,920年(計算値)の宇宙的周期のプラトン年(グレート・イヤー)をもって一周し,元の星に戻ります。
海人族の神,北極星,北斗七星,そして三筒(三台)http://www.aqast.net/japan23-hoshinokami.html
現在のように,「GPS」も「レーダー」も,また「羅針盤」もなかった古代。
日中はともかく,夜の航海は,お星さまのみが頼りでした。
それゆえ海人族(あまぞく)にとって,星たちは「神々」でもあったのです。
《 「出航」を意味した「すばる」 》
… 『日本書紀』には出てきませんが,神社のご祭神なら「すばる」はいらっしゃいます。
「天須婆留女命(あめの すばる めの みこと)」がそれです。
伊勢の正宮「皇大神宮」の摂社,かつての伊勢国で,現在は伊勢市の隣,度会郡の「棒原神社」(すぎはら・じんじゃ)の主祭神の一柱が「天須婆留女命御霊(あめの すばる めの みことの みたま)」です。
ということは,皇大神宮は,「天照大御神」を祀りますので,その配下に,すばる(昴)ことプレアデスの星々を「神」とするフェニキア人あたりを祖に持つ一族がいたのかもしれません。
…「みかぼし(甕星)」が何なのか断言まではできません。
「みか」は輝くという意味なので「金星」という説,また「みかぼし」は三箇星のことで「オリオン(座)の三つ星」だという説もあります。
ただ金星は,一時期に夕方と明け方のみしか現われませんので,航海の目印にはなりません。「三つ星」の可能性は残ります。
推測ですが,元祖「天照大御神」系であることから,「天須婆留女命(あめの すばる めの みこと)」と同じく,案外と「すばる(昴)」ことプレアデスではないかと考えています。
もしくは「北の明星」ともいわれる北極星かもしれません。
…六柱の神々が,どの「星」なのかというと,「北極星」の近くにある「三筒(さんづつ)」をさします。
「三台」ともいいます。
「台」は,天子の宮殿や直属の中央政庁を意味します。
紫微斗数(しびとすう)をご存じの方ならすぐに分かると存じますが,中心の「北極星」を紫微星と呼び,「天子(皇帝)」を象わします。
日本でいえば,「天皇」です。
その直下に,「天子の乗り物」また「将官」らを象わす「北斗七星」あって,そのもとに並んでいる星々が「三筒(三台)」です。
北斗七星で知られる「おおぐま座」の3つの足に位置しており,2つずつ並んだ6つの星々が,「綿津見三神」と「住吉三神」で六柱の神を象わします。
海人族は,北極星(当時)と,それを中心に回る「北斗七星」の位置を目印に,航海をしていました。
なので,この「三筒(三台)」を,2大海人族の住吉大神こと「住吉三神」と,安曇族の神々こと「綿津見三神」として記したのです。
…古代日本に,「おおぐま座」という星座(概念)はなかったことをご理解ください。
また,北極星は,時代とともに変わります。
約25,920年(計算値)の宇宙的周期のプラトン年(グレート・イヤー)をもって一周し,元の星に戻ります。
それゆえ,約2,000年前,海人族の時代の北極星は,現在の「ポラリス(北の明星)」ではありませんでした。
当時の「北極星(コカブ)」を中心に,「北斗(七星)」が回り,これらを目印に航海をしました。
その北斗七星の元にある「三筒(三台)」が海人族の神々「住吉三神」と「綿津見三神」を象わします。
《 オリオンの三つ星 》…
>シリウスとプロキオンの間…
星空観察デビューにぴったり…
結ぶのは,オリオン座のベテルギウス,おおいぬ座のシリウス,こいぬ座のプロキオンです。
冬の大三角形のカンタンな見つけかたは? 空には2つのシリウスがあるって,本当!?https://tenki.jp/suppl/usagida/2021/02/18/30201.html
観察したものは,どう紙に写し取ればいいんでしょうか? それには,まず方眼紙を用意してください。
方角はズバリ「東」です。
もし今後も星座研究をやっていくようならコンパスはひとつ欲しいところ。
でも,最近はスマホに性能がいいコンパスが搭載されているのでそれでも十分です。
iPhoneなら「便利ツール」の中にあるはずです。
…星空の位置を定規のように測る目安を説明しますね。
・まっすぐ立ってください。
・片方の腕を前方にまっすぐ伸ばしてください。
・こぶしを握って縦向きにし少し内側に向けてください。
このこぶしの縦幅が約10度になります。
夜空はまっすぐ正面が0度で真上が90度なので,こぶしが9個分に分けられるはずです。
正面が0度で真上が90度なので,こぶしが9個分に分けられる…
       
日本古代史掲示板(荊の紀氏)
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=5&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=10&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=15&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs












日の出・白山神社 投稿者:やまだ 投稿日:2022年 2月20日(日)23時44分23秒
〇今日は午後からこれの確認だけ見にいった。
宗祇水 N35度44分59.97 E136度57分22.35
日の出・岩井院 N35度45分00.94 E139度13分41.60
白山神社  N35度44分58.03 E139度14分01.52

梅ケ谷峠の坂を越えるのも大変だったがさらに白山神社は秋川街道から右手の参道に入り大変なスロープを登って山の頂までいくことになる。もっと楽なライドかと思ったがほとんど足着きになった。循環器系の運動は抜群によい。
郡上八幡の宗祇水はそのまま北に進むと位山の麓を通って富山にでたと思う。東にずっと進めばこの白山神社に至る。越の渡来人がここまでやって来たかもしれない。山を南に下れば平井川に沿って岩井院がありすぐ川向うの前には太平洋セメントの工場がある。ここは昔から石灰岩を切り出していたのではないか。宗祇水もそうだが石灰岩の地層をくぐるとさらさら透明な湧水がでるという。きょうの平井川は枯れ川になってはいたが。
白山神社は東方が開けた斜面で柚子や蜜柑が実って趣のある景色だった。写真は取り損ねた。
妙見… 投稿者:吾亞風 投稿日:2022年 2月20日(日)16時41分27秒 返信・引用
ミトラ神というのは仏教でいう「弥勒(みろく)」の大元で「弥勒」=「マイトレーヤ(メシア)」=「ミトラ」なのです。
そしてミトラは「シリウス星」ですから,シリウスは救世主(メシア)ということですね。
ミトラ神信仰は弥勒信仰として仏教とともに日本に入ってきた。
それに貢献したのが,秦氏や蘇我氏,聖徳太子もそう。
仏教か?神道か?と分けるのではなく
弥勒=ミトラ=シリウスの信仰が日本に公的に伝わったと考えるのがわかりやすい
シリウス信仰の聖方位というのがあって
真北から20度西の方向と
真南から20度東の方向を繋いだラインだそうです。
なんと,「斑鳩京」の主要な寺社はこの方位を向いて建っているそうです。
「太秦広隆寺」も近年,発掘したときに旧社の遺跡が出てきて
やはりシリウス聖方位を向いていたそうです。
ちなみに私が最近縁のある京都の「城南宮」は本殿はよくある真南を向いてるってやつですが
その正面に鎮座する「三照宮」という摂社は真北から20度西のシリウス聖方位を向いてるんです
ミトラ教と妙見信仰と秦氏のなぞ https://ameblo.jp/yopico923/entry-12558413858.html
…妙見信仰の総本山「能勢妙見社」の本殿もシリウス聖方位を向いてます。
実は妙見(北斗七星・北極星)は地球をシリウスにいざなう役目があるそうですキラキラ
太陽系の中心は太陽ですが,太陽系はシリウス星を中心にまわっているという説もあります
「世界は太陽信仰のまえはシリウス信仰だった」ようです
約3000年前に,シリウス信仰はすたれて,太陽信仰が広まったそうです
シリウスの秘儀を,一部の人らだけ利用しようとしたのか
シリウスの秘儀を,ここぞという時まで隠して保持するためなのか…
ナイル川が氾濫するのは,「シリウス」が日の出前に東の空に昇るとき。.
これは,日没から数えて12番目にシリウスが見えるタイミングで夜明けを迎える時期であるというこ
「水」のイメージが強い恒星「シリウス」と時計が12時までの理由 https://naturopath-labo.com/sirius/
…このシリウスのヒライアカル・ライジングのときは,占星術的観点からは「ライオンズゲート」と呼ばれているようです。
…エジプト人は,ナイル川の氾濫時期を知るための天体観測に36個の基準の星を決めることで,夜空は360日で一周するというのを発見します。
ナイル川が氾濫するのは,「シリウス」が日の出前に東の空に昇るとき。
これは,日没から数えて12番目にシリウスが見えるタイミングで夜明けを迎える時期であるということ。
この重要な時期の夜を基準の星に合わせて12分割したことが,時計が12時までの起源なんだそうです。
(夜が12時間なら昼も12時間=一日は24時間)
ミトラ神(バール神)…
古社と社紋,ミトラ・バール信仰の考察 https://ameblo.jp/hex-6/entry-10734584745.html
…ミトラの光と英知は,アスラマズダとして神格化され,ゾロアスター教の主神となる
又,牛の頭を持つバール神に転化し,ヘブライ民族やオリエント各国で信仰され,各国で独自の変化も遂げた
例えば,古バビロニア王国では,マルドゥク神に変化し,16弁菊花紋を引き継ぐ
オリエントに起こった各帝国では,シュメールの文明が絶大な影響力を持っており,ミトラ神(バール神)由来の16弁菊花紋を持つ王家が幾つも存在する
ユダヤのダビデ王もそれであり,シュメールと連携していたアッカドのナラム・シン王の紋も16弁菊花紋である
この地域では,16弁菊花紋自体が神紋で重視されていたのである。
エジプト,イスラム,インドでにもその影響は及び16弁菊花紋が見られる。
…マイトレーヤたるミトラの神格はキリスト教に影響を与え,ミトラ神格に良く似たキリストという神格を造り出すが,この件はユダヤ・キリスト教徒のタブーとなる。
ローマ帝国において,ミトラ多神教とキリスト教が勢力争いを行うが,キリスト教側が,ミトラを邪神・悪魔として攻撃し始め,ミトラ多神教は衰退していく
またユダヤ教は,バール神信仰と結びついていた時期もあるが,バール(および金の子牛崇拝)をエホバ(ヤーヴェ)に,そむくものとして激しく攻撃する
モーセは,ヘブライ人が拝んでいた金の子牛像を破壊する。
しかし欧米の絵画では,モーセが天啓を受けたとき,バール神に因む角が生えた姿を描写することが多い
ヘブライ人のバール信仰は,根深く,ダビデ王は信奉しバールの神文である,16弁菊花紋と六芒星を盛んに使った。ソロモン王の玉座には子牛像があった。
しかし,偶像崇拝(子牛像・バール神)が元で,北イスラエル王国の民は,神(ヤーベ)の教えに背き,怒りに触れて散らされたとする。これが失われた十氏族である
…エゼキエル書37章19節
「見よ,わたしはエフライムの手に あるヨセフと,その友であるイスラエルの部族の木を取り,
これをユダの木に合わせて,一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。」
失われた十氏族とユダをまた一つに戻すと予言している。
現在「イスラエル共和国」を名乗っているのは,南ユダ王国のユダたち。
失われた氏族の帰還を願って,失われた氏族=イスラエルを名乗る
エフライムは,十氏族の一つであるヨセフの子でマナセと兄弟である
アミシャブによると,チベット近辺には,シンルン族(メナシュ(=マナセ)族),カレン族,チャンミン族がマナセであるとされている
特にチャンミン族(羌岷族/羌族)は中国にいて,ツングース系民族であり現在約30万人。
古の日本語に極めて近い言語といわれている
中国の歴史書にはかなり古くから登場するが,ずっと虐げられてきた民族だという
人扱いされなかったとも言われる。ユダヤチック
(漢人に捕らえられて人身御供/生贄にされたという.....)
チベットの諸族に混じって生活しているが,何故か彼らだけはシャーマニズム
羌(Qi?ng)族は,「漢書」「魏略」に登場する民族で,「後漢書-西羌伝」で詳細に書かれている
紀元前5世紀には現在の羌族が構成され,白狼をトーテムとしたことから,犬戎(西戎)が祖ではないかという説もある
現在の羌族は太公望を出した南羌族とは別とされる。
匈奴に服属していたが,匈奴が漢に追い払われると,漢に服属したとしている
が,度々反乱を起こして漢に討伐されている
3世紀の三国時代には魏と蜀の国境地帯にいて,日和見で魏や蜀に付いて戦ったという
国家としては後秦・西夏を築いたが以後は振るわない
(夏王朝・秦王朝を建てた説もある)
チベット・ビルマ語族の祖とされ多数の部族に分かれるが,一部の部族が大月氏の分派と混血し小月氏と呼ばれている。匈奴に追われた月氏の一部が羌族を頼ってきたとされている為,元々近親関係にある部族だとも言われる
月氏は,日本書紀の「弓月君」に率いられた大型渡来人集団と同一とされ,秦氏と見られる集団である
月氏もアミシャブが,失われた10氏族の可能性が高いとしている。
・・・・
       
日本古代史掲示板(荊の紀氏)
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=5&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=10&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=15&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=25&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs












聖方位…聖徳太子と斑鳩京の謎―ミトラ教とシリウス信仰の都. …
投稿者:吾亞風 投稿日:2022年 2月 7日(月)18時00分39秒 返信・引用
すでに飛鳥時代にミトラ教のシリウス信仰からくる聖方位が日本に深く浸透していた(1)
https://blog.goo.ne.jp/karasusan_001/e/46671af63c19fd9fb29783406683cd79
ミトラ教というのは、アーリア人の間に生まれた史上初の世界宗教である。
かつてミトラ教を国教とした国々、ミトラ教が盛んであった国々の首都、主要な都市、たとえばギリシア、ローマ、ヘレニズム、メソポタミア(たとえばバビロン、デュラ・エウロポスなどの都市)
、ペルシア(ペルセポリスなどの都市)等の宮殿、神殿、墓地、古墳、遺跡などの多くが、聖方位、すなわちシリウスの方向を向いているという事実がある。
これは偶然といって無視することができるであろうか。
聖徳太子とシリウス信仰(妙見信仰)
https://ameblo.jp/agnes99/entry-12151896525.html
ペルセポリス(北緯29度57分、東経52度22分)の冬至の真夜中、今でいう12時にシリウスは真南から20度東に傾いた方向に煌々と輝いた。
この方向に向かって、新年を告げるシリウスを遙拝するとすると、遙拝する者の真後ろ(後ろの正面)は真北から20度西に傾くことになる。
(参考)シリウス信仰と飛鳥京 
https://ameblo.jp/kinokuniya-bunzaemon/entry-11714199441.html
蘇我氏の故郷を訪ねて
https://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/201710040000/
…二つの古墳は共に石室と開口部を結ぶ羨道が、奥の石室から見て「シリウス方位(※)」を示していたことであった。
(※)冬至の頃にシリウスが昇る真南から東に約20度の方向(古代において冬至の深夜12時頃、真南から約20度東の方位よりシリウスが昇ることから聖方位とされた。)
京都郡のある豊前国の「豊」、また上記の二人の天皇の和風諡号に「豊」が入っており、以下の関連記事(シリウス信仰の痕跡)でも取り上げたように、
かねてより「豊」には「シリウス」の暗号を感じていたので、上記の「シリウス方位」が確認できた時には我が意を得たりの心境になるのであった。
…冒頭の画像は、この度の「みやこ」を探訪する過程に、たまたま訪れた八景山(八景山自然公園)の山頂部にあって「八畳岩」と呼ばれる大きな磐座の上から、東方の瀬戸内海(周防灘)方面を撮影したものである。
ちなみに、この巨大な磐座を御神体とする社殿(前方の建物)は真東を向いていた。
当日は曇っていたため確認できなかったが、この山頂から望む東海の遠方には気象条件さえ整えば、「祝島」と「姫島」が夫婦の如く仲良く並んで見えることであろう。
この八景山の山頂部にある「八畳岩」を中心とする磐座群は、私には古代人による縄文系譜の天体観測所だったと読み取れて、今回の旅路において心身が最も昂揚したことを憶えている。
この画像の手前に映る意図的に斜めにカッティングされたであろう岩面が示す方位は、これを成形した時期に見えていた「北極星」を指標していたと思われる。
さらに興味深いことに、この山上の「八畳岩」を南方の基点として、その北方に中央政庁としての(以下に紹介する)古代の巨大官衙が造営された形跡が如実にうかがえ、
蘇我氏が最も隆盛を誇ったであろう時代に想いを馳せるのであった。
       
日本古代史掲示板(荊の紀氏)
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=5&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=10&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=15&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs?page=25&
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs











posted by datasea at 00:00| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月23日

古天文: ベツレヘムの星 

星座情報
古天文: ベツレヘムの星 
更新日時:Mon Jan 16 21:15:01 2006
キリスト誕生の時に輝いた星はなにか 
------------------------------------------------------------------------
ベツレヘムの星とは
★ベツレヘムの星
 ベツレヘムの星は皆さん良くご存知である星だと思います。 え!知らない。「ベツレヘムの星」とはクリスマスツリーの天辺にある星の事なのです。 この星はキリストが誕生の時に輝いた星なのですが、どのような星で あったかは様々な説があり、単なるお話で天文現象ではなかったと言う説もあるようです。
------------------------------------------------------------------------
新約聖書の記述(関係項目抜粋)
★マタイによる福音書・第2章1(抜粋)
東から来た博士たちがエルサレムについて言った。
★マタイによる福音書・第2章2
「ユダヤの王といてお生まれになったかたは、どこにおられますか。 わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
★マタイによる福音書・第2章7
そこで、ヘロデ(王、当時の支配者)はひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
★マタイによる福音書・第2章9
彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、 幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
★マタイによる福音書・第2章10
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
引用:新約聖書・国際ギデオン教会・(カッコ)は私の注。
------------------------------------------------------------------------
生まれた歴史的事実は?
★キリスト誕生の日以後
 キリスト誕生の日は様々な説があります。現在の通説を総合しますと 紀元前7〜4年の間であろうとされております。聖書のお話を具体的にしてみましょう。キリストがベツレヘムの商隊の旅篭(はたご)で生まれて間もなく、 東の国、そうアラブやペルシャ辺りでしょうか。その東の国で見慣れない星が 西の空に輝いたの見た今で言う占い博士達が見ました。博士達は星が輝いたの見て聖人が現れた事を知り、その星を追って西の国へ旅立ちました。 しかしその星は次第に太陽に近づくと見えなくなってしまいました。博士達はしばし休もうと、水を飲むため井戸を覗くと、その水には星が写っていました。 あの星がまた輝きを増したのです。そしてまた星を追いヘロデ王の宮殿にたどり着き、 王に「ユダヤの王として生まれた方は何処におられるのでしょう」と訊ねました。
自分の替わりの王の話に驚いたヘロデ王は博士達に、そのユダヤの王を探して知らせるように 言いました。博士達が星を追ってキリストの居る場所に近づくと、その星が動きを止め そこにキリストが居たので、拝んでヘロデ王には知らせず東の国へ帰ってしまいました。その後キリストの誕生の噂を伝え聞いたヘロデ王は、ベツレヘム付近の二歳以下の男の子を 残らず殺すように命令したのです。
●キリストはいつ生まれたのか
さてお話の肝心な続きの部分はすっとばしまして(^^;
キリストはヘロデ王の治世に生まれたとマタイ伝にあるのですから、ヘロデ王が亡くなった年の 紀元前4年以前にはキリストは生まれていた事になります。また聖書のルカ伝には聖母マリアとヨゼフは人口調査のためにベツレヘムに来ていたと あります。当時人口調査を行なったのはローマ皇帝による紀元前7年と、 シリア提督の行なった紀元前6年になります。 ここからキリストが生まれたのは紀元前7〜4年と考えられています。なぜ紀元が西暦1年となっているかは、それまでキリスト弾圧側の起源でしたので ローマの僧院長エクシグウスが、弾圧側の起源248年を、 キリスト起源(キリストが生まれた年から)532年と定めたためです。 今となれば恐らく計算違いであるとわかりますね(^^;
------------------------------------------------------------------------
どのような説があるのか
★彗星(ハレー彗星)
 「ベツレヘムの星は彗星だったのではないか」と言う説がありますが、彗星は気象現象であると されていた時代でもありますし、同時代他の本には彗星に関する記述は見つかっていないようです。 有名なハレー彗星が来たのは紀元前12年なので、紀元前7〜4年に該当しないですね。
★超新星(カシオペア新星)
 ベツレヘムの星は恒星が爆発した時に起こる「超新星爆発による明るい星」 ではないかという説もあるようですが、古記録にはそのようなものはないのですね。古記録から天文現象の日時が特定された有名な例では 「カニ星雲」の元になった超新星爆発の 記述が中国で見つかった事ですね。藤原定家も「明月記」1054にこの記録を残しています。
さて本題に戻りまして。350年おきにカシオペヤ座で輝く新星(ウルトラ長期の変光星?)が あります。研究した天文学者の名前を付けて「チホの星」と呼ばれています。この350年周期を遡ると丁度キリスト誕生の年に当たるというのですが、カシオペアが 北天にあるので、博士達がエルサレムに向かうと、チホの星は後ろで輝くことになってしまいます。昼間でも見える星は金星とこの超新星しか考えられませんが、その300年にあたる1887年には カシオペヤ座には超新星は出現しませんでした。
------------------------------------------------------------------------
ケプラーの説をシュミレート
★ケプラーの説
ケプラーさんがベツレヘムの星を計算してみたことがあるんですね。
ケプラーさんはチョット誤解していた面があるようなのですが、有名なので紹介します。
ベツレヘムの星はモーゼが生まれる3年前の現象に似て 「うお座の西側で木星(幸運の星)と土星(イスラエルの守護星)が よりそうように動き、かつ、1年に3回も会合する現象」
ではないかと言う説なのですね。
会合と言いますのは最接近することです。
紀元前7年の5月27日に木星と土星は最初の合になります。
両星は同じような軌跡を描いて、 10月5日に再び合となります。
星は日周運動で動きます。地球が回転しているためですね。
太陽が昇って沈むように星も昇って沈みます。
ま!北天の空は別ですが(^^;。
各惑星は独自に動いているため、恒星にはない動きをするのですね。
太陽の周りを公転していて、かつ、自転している地球から、公転している2惑星を見るわけですから。
なんだかややこしくなりましたね(^^;
紀元前7年の10月5日の合から、両星は留(動きが止まる)を向かえて暫く動きが鈍くなり、12月1日に 再び合となります。
このように惑星は恒星と違う動きをし、うお座が古来特別な星座であったため注目されたのですね。
キリスト教徒が弾圧されていた頃ギリシア語で「イエス・キリスト・神の子・救世主」の頭文字を とるとイクテゥス(魚)と言う言葉になります。
★反証
うお座に木星と土星が集まる現象は、59年前にもあった。両星は1つにまとまっては見えない。 方向が合わない。などの反対意見があります。
------------------------------------------------------------------------
その他の説
●マッキンレー中佐の説
 金星が宵の明星として輝いたという説。約1年半ごとに起こるので違うのではないかという 反対意見があります。
●ハハハのハ
 他にも一杯あるようなのですが、詳しくは知らないのです(^^;
私も色々考えたのですが、あほなこと言って世間を騒がすだけですので公表はしませんへ(^^へ)

古天文
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/ktisrbethlehem.htm








 
pp6520100111110.png


pp6520100111112.png


pp6520100111113.png


pp6520100111111.png




もうすぐクリスマスです。
クリスマスイブに雪になることをホワイト・クリスマスと言いますが、だいたい関東地方では12月下旬になってもめったに雪など降らないものです。
ところが今年は寒波の影響で12月上旬に雪が降リました。
本当に今年は季節がIカ月前へずれている感じがします。
このままの気候が続くと、もしかしたら今年はホワイト・クリスマスになるかもしれません。
さてクリスマスにはきらびやかに電飾されたクリスマス・ツリーがつきものです。
そのてっぺんにはたいがい星をかたどった装飾がなされています。
この星にはちゃんとした意味があるのです。
新約聖書ではイエス・キリストが誕生したときに、東方からの三博士が星を見たとされています。
キリストは聖母マリアによってベツレヘムの地の馬小屋で生まれたとされていますが、そのときエルサレムに来ていた三博士は夜空に輝く明るい星に導かれてキリストの生まれた馬小屋へやってきたそうです。
この星にちなんでクリスマス・ツリーのてっぺんに星を飾るのです。
そして、このキリストが誕生したときに輝いた星とはいったい何であったのかというのが昔から議論されていました。
この星をキリストの生誕の地にちなんでベツレヘムの星と言っています。
今回はこのベツレヘムの星について紹介
まずはキリストがいつ生まれたかが問題になります。
「そんな問題は簡単だ。今の暦はキリストの生まれた年を基準にしており、クリスマスはキリストの誕生日だから紀元前1年12月25日だ…」
と考えがちですが、ところが問題はそんなにやさしくはないのです。
西暦が使われるようになったのはキリスト誕生から500年も経ったころで、そのころにはキリストの誕生がいつだったかわからなくなってしまっていたのです。
また12月25日という日づけも、太陽神であるミトラの誕生日をそのまま受け継いだのだとされています。
12月25日は、昼間の長さが一番短くなる冬至に近く、その日を境にしだいに昼間の長さが増えていくことから、太陽の復活としてふさわしい日づけとされているわけです。
しかし新約聖書の中にはキリストの誕生日を探るヒントが含まれています。
それによるとキリストはヘデロ王の治世中に生まれたとされているのです。
歴史家の研究によるとヘデロ王が亡くなったのは紀元前4年とされています。
またキリストの父ヨセフと母マリアは人口調査のためベツレヘムに赴き、その時にキリストが生まれたと言われています。
この人口調査は紀元前7年に行われたと言われています。
二のことからキリストの誕生は紀元前7年から4年の間というのが有力です。
ではこの間にどんな天文現象が起こったのでしょう。
惑星の運動の法則を発見したヨハネス・ケプラーは1604年に出現した超新星を見て、超新星こそベツレヘムの星に違いないと考えました。
超新星とは星がその一生の最期に大爆発を起こして、今まで見えなかった星が明るく輝くことです。
ちなみに今年ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんの受賞理由は1987年に出現した超新星からのニュートリノの検出でした。
実は、1604年の超新星が出現した時に、ちょうど別の天文現象が起こっていたのです。
それは木星と土星が接近し、その後火星も接近し、そのすぐそばに超新星が出現したのです。
ケプラーは木星、土星、火星が接近すると超新星が出現するものと考え、キリストの生まれたころの惑星の運動を計算しました。
すると紀元前7年に木星と土星が、続けて3回接近し、紀元前6年にはさらに火星が接近したことを突き止めました。
ケプラーはその時超新星が出現した、それがベツレヘムの星だと考えたのです。
しかし惑星の運動と超新星とはなんら因果関係はありません。
どうもこの説には無理がありそうです。
では彗星はどうか…? 
有名なのがハレー彗星です。
中国には紀元前12年にハレー彗星が見られたという記録があります。
でもこれだと少し早いようです。
イタリアの画家ジオットは1301年に現れたハレー彗星を見て、ペツレヘムの星はハレー彗星のような星だと考え、
「東方三博士の社拝」
という絵を書きました。この絵にちなんて1986年にハレー彗星が接近したさい、ヨーロッパが打ち上げた探査機の名前は「ジオット」となっています。
そのほかにもベツレヘムの星の候補はたくさんあります。
皆さんも聖書やコンピューターなどを使って推理してみてはいかがでしょうか。
(向井千秋記念子ども科学館天文担当 栗田和実)
ベツレヘムの星

麦星の部屋
http://www.geocities.jp/whhxj855/
http://www.geocities.jp/whhxj855/betu.htm










ベツレヘムの星(クリスティー文庫94)早川書房
アガサ・クリスティー,訳:中村能三
クリスマスを心から祝う程信心深くないし、
クリスマスに馬鹿騒ぎする程素直でもないし。
それでも、こんな本を読むクリスマスなら悪くないと思ってみたり。
以前角川書店で出版されていた横溝正史センセの文庫本(所謂『黒表紙』)を一通り読破して、さて次は何を読もうと思案してた時、本屋で手に取ったのが早川書房の
「ポアロのクリスマス」。
かなり恥ずかしい話ですが、それまでは大メジャーの
「そして誰も」も
「ナイル」
「オリエント急行」
も一切読んだ事が有りませんでした(苦笑
まあ、横溝センセのエッセイでしばしば「クリスティーをトリックの手本にした」と書いてあったから、読む気になったンでしょうねえ。
実際読んでみると、横溝作品に似た所が有ったり無かったりでしたが、変な外連を使わず、幾重にも絡んだ人間ドラマとトリックで読ませる作風が痛く気に入りましたわ。
そんな因果で現在、早川書房の「クリスティー文庫」(全百冊)を片っ端から読んでます(笑
こうしてクリスティー作品を読み進める内に、意表を突くトリックや心理描写の巧みさもさる事ながら、良い意味で恐ろしく器用な人だなと思いまして。
勿論「ミステリーの女王」である事に違いは無いンですけど、ラブロマンス、幻想文学や怪談風なもの、コメディも書く節操の無さ(笑
その意味でこの
「ベツレヘムの星」、
数多のクリスティー作品の中でも珍品かつ良品だと思いますわ。
さてさて。
「ベツレヘムの星」は著者が1965年(75歳)に、「アガサ・クリスティー・マローワン」名義で書いたクリスマス・ブックでして。
クリスマスに関連した物語はディケンズの
「クリスマス・キャロル」
等が有名ですが、自分はこの手の話を読んだ事が全くありません。
ぶっちゃけ今回「ベツレヘム」を読んだのも、「クリスティー文庫」の1冊だったからって酷い理由でして(苦笑
まあそんな極道な読者が云うのもアレですが、正直な感想としてこの本は恐ろしく読み易くかつ面白いです。
以下技巧的な面から数点、観るべき点を挙げてみますわ。
先ずこの本は、6つの物語と4つの歌から構成されてます。
至って薄い本ですから、6つの物語は短篇を通り越し、かなり短いショートショートです。
クリスティーは「ベツレヘム」以外でショートショートを書いていない様ですが、ショートショート作家と比較しても全く見劣りしてません。
いやもうオチが上手いンですよ。
表題作ではイエスの降誕を受胎告知のエピソードと絡めた上で、聖書の内容と全く別解釈で描いています。
このネタでキリスト教を揶揄したり否定的に解釈した話は幾つか読んだ覚えは有りますが、散々ひっくり返した上でちゃんと降誕を祝福するオチになっているのは流石です。
「夕べの涼しいころ」では知恵遅れの子供と突然変異の動物達(放射線の被爆?)の話が一転、旧約聖書の内容でオチを付けられてます。
他にも「いと高き昇進」では、よくまあこんな豪快なネタを思い付くなと呆れる程の力技を見せ付けてますし(笑
長編ミステリーばりの驚きが、数頁で味わえると云っても過言でないでしょうねえ。
また「水上バス」では都会に住む孤独な女性の、心理的な変化が描かれています。
人を傷付け傷付ける事を恐れ、形ばかりの優しさに拘る彼女にささやかな奇跡が起き、寛容の心を得た事で世界が一変して見える。
極々内面の心理描写を、短い頁数で描写しています。
単に意表を突いた作品だけではなく、正攻法の物語も完成度の高いショートショートになっていますわ。
こんな感じで、「ベツレヘム」はクリスティーの作風の幅広さを改めて認識出来る1冊ですが、もう1つ強調しておきたいのはこの本が
「全うなエンターテイメント」
である事。
多分キリスト教に関する知識が一切無くても、十分楽しめる本です。
「島」の様に、イエスが磔刑になった後のマリアと使徒ヨハネのエピソードを知らないとちょい辛い話も有りますが、単なる物語と読んでも特に問題はありません。
実際「古き良き英国」を詳しく知らなくても、クリスティーの作品を読むのに支障は有りませんし。
普遍的、だからこそ世界各地で読まれているって事でしょうねえ。
クリスティーのファンと、信心深い人とそうでない人にも、お勧めします。
('06.12.17)

大雪山本雪崩
http://www.geocities.jp/tetuzankk/book_35.htm










ではここでは星座宮について少しお話してみましょうか?
星座のなりたちや各星座の性質はみなさん割とご存知かな?
と思うのでまずはなぜ星座が決められたのかな?ということを説明しましょう。
古代の占星術師たちは目立つ星をつないで星座をつくりました。
その星座に春分の日の太陽が重なったときを春分点(春分の日に太陽が位置する場所)に照らし合わせたのではないか?といわれています。
ひとつの星座宮を春分点が移動する時間は2100年ほどと言われています。
ここでは各星座宮の持つ特性を簡単にまとめてみました。

星のお話
http://www.geocities.jp/rucymoon68/star/star2.htm




魚座宮
魚座宮に春分点があったのは紀元前100年ごろにあたり、キリスト教誕生前後になります。
20世紀は魚座宮の時代でした。自己犠牲による救いを説く宗教が生まれたということから人々の共通意識が生まれ内面世界を追求する時代だったともいえます。
この星座宮は信仰や芸術、幻想を象徴します。現実的なものよりも見えない世界や自分の内面世界を暗示することにもなります。
魚座宮の守護星は海王星。海王星のもつ精神性の高さが魚座に夢をもたらすのかもしれませんね。

星のお話
http://www.geocities.jp/rucymoon68/star/star2.htm










巫女制と十字架ライン
飛鳥ファンには既知のことだが、やがて伊雑宮が伊勢本宮として蘇ってくるという。その時が天照大神=イエス・キリスト再臨の時だという。伊雑宮が本宮となる理由はそこに「首」、即ちタウ型十字架の頭に相当するイエスの罪状板(INRI)が隠されて祀られているからだという。
※ 飛鳥氏によると内宮には「契約の箱(アーク)」とイエスが磔刑された「十字架」、外宮には「マナの壺」と青銅の蛇が絡まった旗竿「モーセの旗竿(ネフシュタン)」が安置されているという。伊雑宮には「罪状版」だけですが、ここに「アロンの杖」が安置されると新約聖書の三種の神器と旧約聖書の三種の神器が全て三宮に揃ったことになる。
今年2月6日には遷宮関係者だという@itaku1611さんのツイートでは、「ついに伊勢神宮の内宮の地下に聖櫃アークとともに、キリストの血が付いた”聖十字架”が発見された!これで消され縄文時代2万年の歴史が紐解かれ、イルミナティの世界支配は終焉です!今夜は祝杯だ!」という内容が発信されましたが、これが本当かどうかは分からない。ただ、いよいよそのベールを取り去る時が近づいてきているという感じはヒシヒシとする。
物部神道の復権がその原動力であり、その顕れが伊勢神宮と出雲大社の同年式年遷宮(アマテラスとスサノオの結婚)、熱田神宮の奥の院・一之御前神社への1900年振りの一般参拝解禁、熱田の宝物(草薙剣=アロンの杖)の他社への移譲も決定...これら一連の動きはある結論に向かって動いているとのこと。
で、草薙剣移譲先が伊雑宮であり、「アマテラスとスサノオの結婚」の末、出来た子供が伊雑宮だという位置づけではないかと飛鳥氏はいう
ここに父と子と聖霊の三位三体のカバラの究極奥義が完成する。
※ この三体は「生命の木」の「均衡の柱」「峻厳の柱」「慈悲の柱」を表している。「666」が悪の三位一体であり「反キリスト・反法王・偽預言者」を指す。それに対し「六六六」は「八」に鍋フタをした一歩手前の状態であり「777」だとも云えるが、こちらが絶対三神の三位三体。オリオンの三つ星がそれを暗示。聖書ヨブ記の「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。」とあるが、プレアデス(唯物史観)から脱してオリオン(観察精神)への移行こそが その鍵となる。
熱田神宮1900年祭
(今年5月、草薙剣安置1900年祭を終えたばかりの熱田神宮。しかし、本当の安置は秦の始皇帝から神器をだまし取った徐福が東三川に徐福国建国し安置(兎足神社)していたが、この徐福国を討伐して神器を取り戻した1600年前頃だと睨んでいる。)
確かに物部神道は首露王(倭旨)から始まる初期大王家(扶余系スキタイ、カド族)の伝えた神道であり、天香久山で鹿の焼く香りを天神に捧げる「はん祭」の儀式を執り行っていたように生贄を捧げるヘブライ色の濃い神道。血の儀式をしていたと云われる由縁です。三世紀後半、半島にいて雇われ王をしていた初期大王家は縄文人の招きを受け、琉球伊平屋島を経由して王垣に上陸したが、渡来途中で磐座を使う御嶽祭事をアチコチで行った。この時、沖縄にも御嶽(うたき=男子禁制の祭祀施設)が伝わり今に残るが、これは巫女を中心とする信仰という点が異なる。多分、沖縄の御嶽は縄文人の巫女信仰と初期大王家の御嶽祭事の融和の産物なのだろう。
オイラは磐座信仰、即ち古神道は縄文人の宗教だと勘違いして前記事に書いてしまったが、縄文人、その後の出雲系が奉じた宗教がイマイチ良くわからない。縄文草創期以前には巨石を用いて築いた自然(太陽)崇拝の祭場(磐座)があり、磐座は縄文人の宗教施設であることは間違いないが、それ以外にも徐福が伝えた道教色の濃い蚩尤(しゆう)を祀る銅鐸神事も行っていたようなのだ。
ただそこに貫徹する内容がある。
それは、、、巫女制。
これが古代日本を貫徹する宗教の骨格だった。縄文時代の遺跡からは多くの精巧にできた土製の仮面が出土していますが、これらは全て女性用に造られていて、見つかった場所から地域のリーダー格の人間がつけていたと考えられている。つまり「巫女信仰」は縄文時代から存在し、リーダーは常に女性だったと考えられるのです。
ですから、時代を下った邪馬台国でも卑弥呼、トヨが立てられたのであり、男王は「王君」(王の君=女王の配愚者)と呼ばれたのです。
腰掛ける巫女
(「腰掛ける巫女」)
仮面のビーナス
(茅野市出土の「仮面の女神」)
 合掌
(八戸の「合掌土偶」)
多分、有名な遮光器土偶も仮面を付けた巫女の姿なのだろう。
縄文の巫女は、頬に魔除けの入れ墨に似た四筋の渦巻き模様を入れたり、目の周りを黒っぽくし鼻と眉を高くして目の部分を影にすることによって、目つきに凄さを持たせていたという。まるでジョーカーのような感じだすな(汗)。
このように縄文人は根っからの巫女萌えだったのだす-。
さてさて伊雑宮の復活とは、伊勢が三つ星化することに他ならない。伊雑宮、籠神社、熱田神宮はいづれも物部系の神社ですが、この三社の動きが今後の方向性を決定化する。
※飛鳥情報では「物部神道=旧約、秦神道=新約」という区切りをしているが、何故、旧約の物部系神社に新約のレガリアであるイエスの十字架や罪状版が安置されているか?というように、ツッコミどころは満載。。
外宮・内宮・伊雑宮の三宮の配置はオリオン座の三つ星を表していて、エジプトのギザのピラミッドと同様のもの。更には五十鈴川はナイル川や天の川を表していたのとも同じ。これを隠蔽したのが八咫烏の指令を受けた藤原不比等。それは来るべき時まで知られないようにする必要があったからだと推測されている。
伊勢三つ星
(伊勢のオリオンの三つ星)
物部神道の復活のついては「カゴメ唄」に隠された秘密からも解けると飛鳥氏はいい、「この唄は、本来、籠神社の隠し歌であり、そこには日本の国家成立にかかわる重大な秘密が暗号として隠されているのです。」と籠神社宮司の海部氏の談話を紹介している。
この籠神社に伝わる極秘伝は、カゴメ歌に登場する「鶴」は伊雑宮を指し「亀」は籠神社を指すいうもの。八咫烏からも籠神社と伊雑宮はそれぞれ「阿」であり「吽」であり、AとZ、アルファとオメガ、はじめと終わりであると知らされたという。ただし、藤原氏の謀(はかりごと)によって、藤原京移転時に旧京に残された物部氏は中央政治の表舞台から外され、歴史から消された。しかし、この2013年に至り物部神道が復活するとは、、、これは藤原氏を生かし物部氏を封印したのは八咫烏の策略なのか? それは表と裏をひっくり返すための舞台装置なのかもしれない。つまり、この逆転激が雛型となり、日本列島に伝播・拡散・横展開して大ドンデン返ししていくのだろうか?
う-む、日月神示が初期大王家(物部神道)に関するというオイラの洞察は正しかったとなる(ふふふふ)。
伊勢がオリオン化しイエス顕現化するのに対し、中央構造線で繋がる諏訪湖では武田菱が見つかったという。これは『甲陽軍鑑』に記されているように信玄公の水中墓ではなかと期待されているが、実は、まだまだ全貌は不明なまま。少なくとも菱形の窪地地形があることだけは確かだという。
(武田菱 クロス線が細いのが宗家。甲斐源氏の名門ですが宗家は途絶え、庶家が江戸時代以降も続く)
そして、この武田菱は十字架を表している!!!
諏訪の近くの茅野は縄文文化の一大中心地であり、かつて諏訪神社は洩矢氏が宮司であり、近くには守屋山がある。諏訪で祀られるミシャグチ神は「御イサクの地」という意味だと語り部は言う。この「モリヤ」という名は旧約聖書に出て来るエルサレムにあるとされる地名で「イサクの燔祭」があったという場所。モリヤには「主が備える地」あるいは「主顕現の地」という意味があるという。また、この「イサクの燔祭」記述をそのままにした御頭祭も諏訪神社で行われていて、縄文とヘブライ的な物部神道の痕跡が濃く残っている地なのです。
伊勢と諏訪の復権、、、これはきっと何かの予兆的符合だすな。
まぁ、言霊的にはこの二箇所のネーミングは、、、
イセ+スワ → イセスワ → イサワ → イザワ → 伊雑 ということなのか? あるいはイエス → イェシュア → イセスワ なのかもしれない(笑)

悩くん フルスロットル
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2546.html






1218178.png

クリスマス・イヴ
2013/12/23(月) 午後 8:22
2013(平成25)年12月24日(旧暦 11月22日)
12月第4火曜日 月末まで残り8日
今月 4週目 今年52週目
2013年1月1日から358日(98.082%経過)
2013年4月1日から268日(73.425%経過)
2014年1月1日まで 8日
2014年4月1日まで 98日
ユリウス通日:2456651日(21時)
(紀元前4713年1月1日からの日数)
節気:22 冬至(11月中) 12月22日〜 1月 4日
候:64 乃東生・夏枯草が芽を出す 12月22日〜12月25日
蚯蚓結・蚯蚓[みみず]が地中で塊となる
12星座:10 山羊座(摩羯宮) 12月22日〜 1月19日
13星座:10 射手座 12月18日〜 1月17日
干支: 1 甲子[きのえね・かふし]
九星: 1 一白水星(陽遁始まり)
六曜: 2 友引[ともびき] 葬式は不可。祝い事は可。正午は凶
十二直: 1 建[たつ] よろず大吉の日。但し動土・蔵開き等は凶
二八宿:27 翼[よく] 耕作始め・植替・種蒔き吉。高所作業・結婚に凶
選日:天赦日(てんしや) 天の恩恵により何の障碍も起きない日
一粒万倍日 事始め、特に商売始め・開店等吉。借金は凶
下段:天恩日(天おん) 全てに大吉。特に屋根葺き・種蒔き・婚姻は吉
往亡日 遠行・拝官・移転・婚姻等は凶
日の出06:48:10 日の入16:33:00 日長時間09:44:50(昼の割合40.615%)
夜明け06:12:30 日暮れ17:08:40 昼間時間10:56:10(昼の割合45.573%)
天文薄明05:16:40 18:04:30
月の出22:52:50 月の入10:34:20 正午月齢21.11
太陽南中高度:30.92度(長さ1mの棒の影の長さ:1.670m)
太陽出没方位:28.60度南寄り
(東京での値)
太陽:黄経λ271.94度 黄緯β 0.00度 赤経α272.12度 赤緯δ-23.42度
月:黄経λ159.88度 黄緯β -4.23度 赤経α159.82度 赤緯δ +3.94度
離角 247.93度 月相19.28〜20.15
月の輝面比 68.78%
太陽までの距離147148817.2km(0.98363天文単位)
月 までの距離 398621.6km(視差0.91680)
黄経λ
太陽271.9度 山羊
月159.9度 乙女 火星187.8度 天秤 天王星 8.6度 牡羊
水星268.7度 射手 木星107.2度 蟹 海王星333.0度 魚
金星299.0度 山羊 土星229.6度 蠍 冥王星281.0度 山羊
(0時)
□クリスマス・イヴ
クリスマス(キリスト降誕祭)の前夜。
eveは夜を意味する古語evenから来たもので「クリスマスの夜」の意味になる。キリスト教会暦では日没が1日の始まりであり、クリスマスは24日の日没から25日の日没までとなるので、その間の夜である24日の夜のことをクリスマス・イヴと呼ぶ。
□終い愛宕
1年で最後の愛宕権現の縁日。
□納めの地蔵
1年で最後の地蔵の縁日。
□甲子[かっし,こうし]
日の干支が甲子の日。
甲が木性、子が水性で相生の関係にあり、また、十干十二支の組み合わせの一番目であることから、甲子の日は吉日とされている。子を鼠と結びつかせ、鼠を大黒天の使者と看做して、大黒天祭(甲子祭)が行われる。また、甲子待[かっしまち]といって、子の刻(23時)まで起きて大豆・黒豆・二股大根を供え大黒天を祀った。

自然と友達
http://blogs.yahoo.co.jp/my_fumi4649/64827239.html








諏訪湖 武田菱01 諏訪湖 武田菱02
この諏訪湖と伊勢を結ぶ中央構造線の丁度真ん中に東三川があり、三方を
蓬莱山・方丈山・エイ州山(鳳来寺山・本宮山・石巻山)
の「東海三神山」に囲まれた地に鳥居強右衛門の磔刑地がある。
スエモンは両性具有のアダムカドモンを彷彿とさせる存在ですが、カドモンは人類が個我を持って分離する前の統合化された
「原初の人間」
とされる存在。イエスの原型ともされている。
※イエスキリストは「第2のアダム(カドモン)」とも言われる。
以上、伊勢-東三川-諏訪は十字架ラインを形成している。
※中央構造線の終点の薩摩は島津家の「丸に十字」でもある。
また遠山郷の領主・遠山家の家紋は「丸に渡し箸」は、島津の「丸に十字」の十字架を分解して横に並べた形になっている。
 スエモン
(スエモン磔刑図、まさに日本を体現)
伊勢のオリオン、諏訪の十字架、、、これは御代出づ(345)が近いという暗示なのか? 
ちなみにオリオンは我が家の家紋「左三階松」であり、「武田菱」は母方の家紋ですが、このシンクロ、何かしらの縁を感じるが、それは単なる妄想に過ぎないかも(笑)。
東日本大震災、原発事故を年月まで予測的中させたという陰陽自然学の飯田亨氏の話によると、来年2014年からが新時代が始まり、本格的な「光の時代」の幕開けは2034年からであるとのこと。2014年からグレンと世の中がひっくり返り、世の中の凡ゆる面で今までのような中央集権的な一極集中体制は崩壊していくだろう。今、太陽が極度の熱線を放ち、2011年の時以上の熱中症患者が出だしていますが、自然界の猛威がこの一極集中体制を破壊していくだろうと見ている。
※自然界の有様が過去データから予見出来ない為、中央集権的な対応では処理出来ない状態となる。
現場個々の判断処理がより重要になってくる。
これはかつてのコンピュータ界で起きたことで、メインフレームからダウンサイジングという流れになっていった。
陰陽自然学
(陰陽自然学の2011年の予測)
彗星発見者で有名な木内氏が某学者から聞かされた光害により植物が激減するのが2014年頃ですが、植物激減により二酸化炭素が増加し、風の凪いだ窪地などでは二酸化炭素が滞留することで窒息死する者が増えると警鐘を鳴していましたね。光害ではないが、最近の激熱の太陽熱線は全ての植物を死滅させるぐらいの勢いがある。
ケネディ真相暴露解禁は2039年だし、オコツトがいう生きながら死後の世界に入る「入神」も2037年。
キリスト再臨の年も2037年であるから、この頃に伊雑宮の本宮化だろうな、、、そして、その後てんし様の降臨という段取りか?
、、、ただ、あと20年以上先の話だ。長いなぁ、、、(滝汗)。
この頃だと世界天皇はユージンで確定だろう。彼に真の天照大神(スサノオ)が降臨という展開か?
う-む、ビ、ビリケン広飲み屋は?
次回の天皇は「哀帝」になるという京都公家予言がありますが、トーグー様は誕生日が
「富士山の日」
であることから富士山のあり方とシンクロするかもしれない。
オイラは富士山は山体噴火でカルデラ化してしまうと睨んでいますが、このように天皇制も彼の代で木っ端微塵に吹き飛んで呆気なく終了という展開になるのかもしれない。それが富士山を体現している「哀帝」の役回りなのかもしれない。
2013-07-06
<<ヨベルの年と第三神殿 | ホーム | スメ大神とてんし様>>
Comments
待ってました的な記事の内容ですね★o(^-^)o★
いや-読み応えがありました☆
さすがヤッズくんですね、他のブロガーさんも取り上げてられましたね(^O^)
草薙の剣までもが今年、集まるとは、知りませんでした☆
いや-楽しみですね★
ところで、ラジャサンについての記事を有名ブロガーさんも取り上げておられますが、本当に意志があって自在に移動してるんですかね?
(映画フィフス・エレメントみたいな…)
一説によるとプレアデスのスフィアだとも…
ある正当な筋によると、本当に存在するらしいですよ☆
これが表に出現するとヤバいらしいです…
なんたって木星サイズだから…(>_<)
2013-07-09
ユミエル
No title
フィフィス・エレメントが見たいな-。
だーはーと
私も暗黒天体ラジャサンが気になってしょーがないんです。表に出るとヤバイ。
それでもいい。
ラジャサンの実態がもっとオープンになるのを首長くして待ってます。
今までの天文学の常識からハズレてますからね。
太陽系の力学的なバランスにまったく影響されないのは、自然な天体じゃなくて人工物だったりして。
道の宇宙生命体かもね。ある筋ってもしや…。最新情報が見つかったらまた書き込んでください。

悩くん フルスロットル
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2546.html







posted by datasea at 21:15| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月25日

名無し先生: 大本節分祭〜ヤタガラスと女真族・ミトラ教















名無し先生: 大本節分祭〜ヤタガラスと女真族
名無し先生
2020年01月24日
驚愕!カラスの正体 ◎◎一族の陰謀
【驚愕!カラスの正体 ◎◎一族の陰謀】
2013/12/06 08:17
今回は名無し先生も頻繁にお会いし、お話をされるカラスのみなさまについてです。
最近、名無し先生は中国で進められている計画に度々触れておられます。何故、日本人はこのような計画に乗せられてしまうのか?また、ベルベット側が満州にこだわるのは何故なのか?
かの有名なベンジャミン・フルフォード氏は、書籍、講演会、ビデオなどで、国際情勢、陰謀論を語る事をお仕事にされているプロのライターです。彼によりますと、日本の天皇家には世界最強のヤタガラスというのがいて、彼らが日本を守っているそうです。
しかし、これは間違いです。彼はそう聞かされているだけらしいので、悪気は有るのか無いのか分かりませんが・・・
そこで今回は、カラスがどこから来たのか?について解説します。
まず、カラスたちは何者かというと、日本書紀、古事記に出てくる神達の子孫だとされています。
それは、実際には中国大陸の55の少数民族の事を指します。
■女真族
漢民族とか大きな括りを細分化すると55の民族に分けられます。
少数民族の一覧(Wikipedia)
現在、「少数民族」として分類されているのは以下の55集団である(50音順)。
1.アチャン族(阿昌族)、2.イ族(彝族)、3.ウイグル族(維吾爾族)、4.ウズベク族(烏孜別克族)、5.エヴェンキ族(鄂温克族、オウンク族)、6.オロチョン族(鄂倫春族)、7.回族(ホウェイ族、フェイ族)、8.カザフ族(哈薩克族、ハザク族)、9.キルギス族(柯尔克孜族、クルグズ族)、10.高山族、11.コーラオ族(i佬族)、12.サラール族(撒拉族)、13.ジーヌオ族(基诺族)、14.シェ族(畲族)、15.シベ族(錫伯族、シベ族)、16.ジン族(京族、越族、ベトナム族)、17.スイ族(水族)、18.タジク族(塔吉克族)、19.タタール族(塔塔尔族)、20.タイ族(傣族、ダイ族)、21.ダウール族(達斡尔族)、22.チベット族(蔵族)、23.チャン族(羌族)、24.朝鮮族、25.チワン族(壮族)、26.チンプオ族(景頗族)、27.トゥ族(土族)、28.トゥチャ族(土家族)、29.トーアン族(コ昂族、旧称パラウン族)、30.トーロン族(独龍族)、31.ドンシャン族(東郷族)、32.トン族(侗族)、33.ナシ族(納西族)、34.ヌー族(怒族)、35.ハニ族(哈尼族)、36.バオアン族(保安族)、37.プーラン族(布朗族)、38.プイ族(布依族)、39.プミ族(普米族)、40.ペー族 (白族)、41.ホジェン族(赫哲族、ホーチォ族)、42.マオナン族(毛南族)、43.満州族、44.ミャオ族(苗族)、45.ムーラオ族(仫佬族)、46.メンパ族(門巴族)、47.モンゴル族(蒙古族)、48.ヤオ族(瑶族)、49.ユグル族(裕固族)、50.ラフ族(拉祜族)、51.リー族(黎族)、52.リス族(傈僳族)、53.ローバ族(珞巴族)、54.オロス族(俄羅斯族)、55.ワ族(佤族)
また、ロシアと中国、日本、北方領土、朝鮮に股がって存在するツングース系の民族が有ります。
現在のツングース
現在民族集団を形成しているツングース系民族は以下である。
* 満州民族 中国
* シベ族 中国
* オロチョン族 中国
* エヴェンキ  中国
* エヴェン ロシア
* ナナイ ロシア・中国
* オロチ ロシア
* ウリチ ロシア
* ネギダール ロシア
* ウデヘ ロシア
* ウィルタ ロシア・日本
このリストにある満州民族。これの前身が女真族です。最近、名無し先生が何度も書かれている女真族です。
満洲民族の前身は、12世紀に中国の北半分を支配した金を建てた女真族であり、女真以前にこの地方にいた粛慎、挹婁、勿吉、靺鞨の後裔であると考えられている。
民族名となったマンジュは、よくサンスクリット語のマンジュシュリー(文殊師利、文殊菩薩のこと)に由来すると言われているが、実際は不明である。元来は16世紀までに女真と呼ばれていた民族のうち、建州女真に分類される5部族(スクスフ、フネヘ、ワンギヤ、ドンゴ、ジェチェン)の総称であった。岡田英弘はダライ・ラマが「マンジュと言われるからには、清朝皇帝は文殊菩薩の化身である」と宣伝したものを乾隆帝が利用したことから文殊菩薩が民族名の由来となったという俗説が生まれたのではないかとしている。
女真(女眞、じょしん、ヨジン)は、女直(じょちょく)ともいい、満洲の松花江一帯から外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満州および朝鮮半島北部にかけて居住していたツングース系民族。10世紀ごろから記録に現れ、17世紀に「満洲」(「マンジュ」と発音)と改称した。「女真」の漢字は女真語の民族名「ジュシェン」(または「ジュルチン」)の当て字である。「女直」は遼興宗の諱(耶律宗真)に含まれる「真」の字を避けた(避諱)ため用いられるようになった[1]。金朝を滅ぼしたモンゴル帝国および元朝時代の漢文資料ではおおよそ「女直」の方で書かれる傾向にあるようだが、同じくモンゴル帝国時代に編纂されたペルシア語の歴史書『集史』などでも金朝や女真人について言及される場合、「女直」の音写である جورچه jūrcha で呼ばれている。民族の聖地を長白山としている。
■景教
女真族の宗教は景教です。
景教とは、キリスト教のネストリウス派のことです。ネストリウス派とは、古代キリスト教の教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオス[1]により説かれ、431年、エフェソス公会議において異端として排斥された。唐代の中国においては景教と呼ばれる。のちアッシリア東方教会が継承した。日本に多大な影響を与えた唐で隆盛していたため、景教が何らかの形で日本にまで伝播し、影響を与えていたはずだと主張する言説は複数存在する。(同じく同時代の三夷教(景教、祆教、摩尼教)の1つである祆教(ゾロアスター教)に関しても、同じような主張がある。)
佐伯好郎[4]によると、渡来系氏族である秦氏によって日本にも景教が伝わったともいわれる。中国ではダビデを漢訳して大闢と書くが、秦氏は西日本の日本海各地に大避神社と号する神社を建立し、また京都の広隆寺の隣に秦始皇帝を祭神の1つとして建立した大酒神社も、昔は大辟、さらにさかのぼると大闢と号していた。また同神社が管理している木嶋坐天照御魂神社にある「三柱鳥居」という珍しい鳥居は三位一体を表し、また「いさらい井戸」はイスラエルの転訛で、したがって旧約聖書に登場する失われた10支族の末裔ではないか、などと推察している。しかしこれには多くの異論があり、偽言語比較論として否定する向きも多い。(→日ユ同祖論)
弥勒信仰 というのがあります。
これはミロク(Miroku)=マイトレーヤ(Maitreya)であり、ミトラ教(Mithraism)で有る訳です。
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵名マイトレーヤ(Skt.मैत्रेय [maitreya])、パーリ名メッテーヤ (Pali. metteyya मेत्तेय्य)は仏教の菩薩の一尊である。一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、中阿含経中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人である。弥勒はインドの波羅奈(バーラナシー)国に生まれ釈迦仏の化導を受けて、人寿八万歳の未来においてその時代の仏陀となるという記別を受け、また阿逸多は仏陀ではなく転輪聖王となるという記別を受けている。
ミトラ教またはミスラス教(−きょう,英語:Mithraism)は、古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教である。
普通、ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変え、主にローマ帝国治下で紀元前1世紀より5世紀にかけて発展、大きな勢力を持つにいたったと考えられている。しかし、その起源や実体については不明な部分が多い。
近代になってフランツ・キュモン(en)が初めてミトラス教に関する総合的な研究を行い、ミトラス教の小アジア起源説を唱えたが、現在ではキュモンの学説は支持されていない。
■弥勒信仰
仏教には、弥勒菩薩が存在し、「弥勒信仰」がある。この弥勒は、サンスクリット語ではマイトレーヤというが、マイトレーヤとは、ミスラの別名またはミスラから転用された神名である。すなわち「マイトレーヤ」は、ミスラ神の名と語源を同じくする。「mitra/miθra」は本来「契約」というほどの意味だが、後には転じて契約によって結ばれた親密な関係にある「盟友」をも意味するようになった。マイトレーヤはその派生形容詞/名詞で「友好的な、友情に厚い、慈悲深い(者)」の意味となる。また、弥勒の字である阿逸多 Ajitaはミトラの母であるアーディティヤが変化したものと言われている。ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられ[27]、クシャーナ朝での太陽神ミイロは、のちの未来仏弥勒の形成に影響を及ぼす[28]。ミイロの神格は太陽神であるということ以外不明であるが、定方晟はマニ教の影響なども考慮して、救世主的側面があったのではないかと推測している。
このような比較神話学および比較言語学の系統分析によって、ミトラ教の神話体系が仏教では菩薩として受け入れられ、マイトレーヤを軸とした独特の終末論的な「弥勒信仰」が形成されたといわれる[29]。マイトレーヤ信仰または弥勒信仰はのち中国など東アジアに伝わった。
なお仏教の弥勒信仰以外にもインドではミトラ信仰・マイトレーヤ信仰があった。
{中央アジア経由でソロアスター教から仏教に融合されて日本に至った神にミトラ神がある。ミトラ神はゾロアスター教では主神アフラ・マズダの下位の神である。このミトラ神が漢訳されて毘沙門天つまり多聞天となった。ミトラ神は、ソロアスター教の文献によれば千の耳を持つとされる。ゆえに多聞天と意訳された。(京都大学名誉教授、宮崎市定が推定)}
ミトラ教とはゾロアスター教とルーツは同じ。
ゾロアスターは拝火教です。
ゾロアスター教の起源は古く、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシアが成立したときには、すでに王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であった[1]。紀元前3世紀に成立したアルサケス朝のパルティアでもヘレニズムの影響を強く受けつつアフラ・マズダーへの信仰は守られ、3世紀初頭に成立した、後続するサーサーン朝でも国教とされて王権支配の正当性を支える重要な柱とみなされた[1]。ゾロアスター教は、活発なペルシア商人の交易活動によって中央アジアや中国へも伝播していった。
ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全寺院には、ザラスシュトラが点火したといわれる火が絶えることなく燃え続けており、寺院内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。ペルシャ、ギリシャから中国まで伝播し、日本に渡って来たのがゾロアスター教です。イエスに洗礼をしたヨハネですが、各地で水で洗礼を行い、こう言います。
「後から来る方はより強い洗礼を行う事が出来る、その方は火による洗礼を行い、邪悪なる物を焼きつくす」
後から来る人。
これがキリストを指しているんです。要するに、
キリスト教=ミトラ教
なんです。原始キリスト教の時代、イエスの弟子たちから結成されたエルサレム教団がありました。原始キリスト教(げんしキリストきょう)は、最初期のキリスト教のことであり、イエスの直弟子(使徒)たちがユダヤ、ガリラヤにおいて伝道活動(布教)を始めた時代より、新約聖書の主要な文書が成立した後の西暦150年頃までをいう。
最初に書かれた福音書であるといわれる『マルコ福音書』が成立した頃の西暦70年頃以前を「ユダヤ教イエス派の運動」と呼ぶ聖書学者もいる[1]。キリスト教がローマ帝国で広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世が380年に国教と定める以前に建てられたキリスト教会を「初代教会」又は「原始教会」と呼ぶ。
最初の教会は、エルサレムに成立したとされる。そして、ユダヤ教徒によるエルサレム教会に対する迫害を契機にし、ステファノのグループが福音をサマリア・シリアへと宣教しにいき、それにペテロやパウロが加わって、福音はエーゲ海周縁諸都市から遂には60年頃にはローマにまで達したといわれる。これは当時ユダヤ教の時代、その中に違う宗教ができた=クーデターに匹敵する出来事です。オーム真理教が出て来た時みたいな・・・このエルサレム教団が、奥義として伝承していたのがミトラ教です。これが日本に伝播していたのです。日本に拝火教が多いのはミトラ教が元だからなんです。
このミトラ教の中でカバラを主体としたのがゾロアスター教。ミトラ教とエジプト文明が混ざった物と言われています。
このゾロアスターが栄えた地がギリシャ。ローマ帝国前の古代ギリシャの時代にこの勢力が根付いていた訳です。古代ギリシャではミケーネ文化が繁栄していたが、『前1200年のカタストロフ(前1200年の破局とも)』をきっかけに崩壊、それまで使用されていた線文字Bも使用されなくなり文字資料が乏しくなった。この状況はギリシャ人とフェニキア人が接触することによりアルファベットが成立してエーゲ海地帯に普及するまで続く。フェニキア人が接触するまでは暗黒時代で、接触後、繁栄して行く。まさに天才的なユダヤ人じゃないですか・・・
ローマ帝国に支配される前の時代に地中海を支配したフェニキア人勢力です。このギリシア帝国の交易に対する影響力を裏で宗教が操ったんですね。この流れは客家人に受け継がれているんです。そして後の日本の戦国時代にも。この様子を日本側から諜報活動し、一族内の伝書を作っていた部族が居ます。
柳生一族です・・・
新井白石が作成した系譜の『藩翰譜』(または後世の『寛政重修諸家譜』)によると、柳生氏の姓は菅原姓とされ、菅原道真が祖先とも言われている。使用の家紋は、「地楡に雀」、替紋に「柳生笠」。実際の柳生氏の事項が明らかになるのは、南北期の播磨守永珍(別名:宗珍、大膳亮永家の子とされる)の頃からで、柳生家の家譜である『玉栄拾遺』によると、元弘3年(1331年)に、南朝方として、六波羅探題の北条仲時・時益の軍勢と戦った永珍は戦功によって、後醍醐帝から賜った大和国小楊生(大楊生とも)庄の領主となり、柳生氏と名乗ったことから始まるとされる(ただし、『玉栄拾遺』の記述自体も伝承の域を出ないという)。
柳生家の発祥地は大和国添上郡柳生郷(現奈良市柳生地区)で、大和国北部にある。また「楊生」・「夜岐布」・「夜支布」・「養父」とも記され、いずれも「やぎう」と発音するという。戦国期に、上泉信綱から新陰流を相伝された柳生宗厳(石舟斎)は、永珍(宗珍)から8代目の子孫に当たる人物である。
この柳生一族は客家人なんです。もちろん、Wikipediaには、そんなこと書かれていません。
客家は大きく8流に分ける事ができ、言語も8つの方言があるそうです。この分けられた「流」のそれぞれを「柳」と呼びます。これが柳生という名の由来です。
客家人はシルクロードの各地、特に山岳地域に根を張って移動しましたので、情報ネットワークは繋がっていたんです。したがって15~6世紀にオランダを含む欧州情報が、日本の柳生家まで届けられていました。
当時の日本の武将達は、こうした他の誰も知らない情報を入手できる一族を、取り立てないはずが在りませんね?当然他の部族が持たぬ武器、戦術も持っていた。こうしたシステムで様々な国で、客家人は国家の重要な地位に取りたてられている訳です。
要するにカラスの真のルーツはこれなんです。
朝廷側の重責を担う秘密機関がカラスで、将軍側が柳生だったんです。両者ともに客家人。裏では通じていた・・・しかし、こうした原理原則とかけ離れた、古事記や日本書紀の記述から、皆カラスを解析して議論するんです。だから正しい答えは出て来ないのです。
付録:大本の節分儀式の様子
posted by r at 14:30 | 情報

コアな情報
http://utg.sblo.jp/article/187076843.html




日本人は、なぜに海を渡ったのでしょうか。
これまで、西へ渡った大きな理由は、7300〜6300年前のキカイカルデラ火山活動による、壊滅的な環境破壊だと申して参りました。その時の地層も、地生する植物の進化も、いたる所で見る事ができます。ところが、その倍ほど昔、東へと渡っていたのです。
それは、火山活動の時の太陽信仰以前の、超古代の太陽信仰です。太陽の日の足(影延び、日足、太陽の子)が私たちでありますので、太陽が昇る東を求めたのです。さらには、その日足(八咫烏の足)の黒い影が、ワタリガラスの姿として現れ、追いかけて行く事になったのだと考えています。
拝ヶ石巨石群は、太陽観測のための巨石ですが、河内町芳野東門寺という住所で、町全体が石造りでもある河内町(坂口の実家は船津亀石)の東でもあります。
ところで、今週も、地球創世記、最初のアメリカ人は縄文人の、TV番組を観ています。
毎週毎週の番組を貫くキーワードは、ワタリガラスです。
アイヌから九州へ嫁に来た大叔母の話では、森や村を守るための戦いのため、人々を先導するワタリガラスの話があり、その話は、神武天皇を先導した八咫烏の神伝と似ています。
ところで、環太平洋のその土地土地の、インディアンやインディオの人類創世にかかわってきた金烏(迦那烏)こそ、私たち神日族(神日巣)日本人の祖先(阿耶高)です。偶然、宇宙人を呼び出す時の言葉も、アヤタカだそうです。そして、インディアン、インディオの方々にとって、日本人は、神であったのです。
ところで、縄文人の縄文土器こそ、それまで、人類にとって毒であったものを無毒化し、人口増加を可能にした神器でありました。されど、最も重要な鍵は、海藻を消化できるという、日本人特有の機能です。お隣の国も海苔を食べますが、生海苔は、日本人のようには、消化できません。この能力が、海岸づたいに、舟で遠距離を渡る事を可能としました。また、私たちの祖先が、天神(北極星)を信仰して参りましたのも、元は、航海のためであったと思われます。
坂口の家に伝わる顕幽神の、八咫烏の三本の足を祀る磨製石器も、造舟のための石です。拝ヶ石巨石群の星座が刻まれた巨石も、拝ヶ石では最も信仰された巨石です。

https://m.facebook.com/groups/501535436672325?view=permalink&id=1295167957309065




posted by datasea at 23:20| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月05日

[古代文字] ケルト・オガム文字

DSC_0042.JPG


FB_IMG_1572223440980.jpg


FB_IMG_1572223443990.jpg




■ケルトの遺産,ドルイド
ケルト人については,知っている人はやたらに詳しいけれど一般にはほとんど馴染みがなさそうだ。
パッチワークの織物,キルト,スコットランドのスカート。。
まあそんなところだろうけれど,ケルト人はローマ人やゲルマン人よりも早くヨーロッパ全域に住みついていた先住民族のことである。日本でいえば弥生人の前の縄文人のようなものだ。西はアイルランドから東はトルコあたりまで,イベリア半島からロシア平原にまたがる広大な地域にケルト系の諸民族が住んでいた。
ケルト人はまずローマに征服されてローマ化された。カエサルのガリア戦記でガリアと呼ばれているのは現在のフランス地域に先住していたケルト人のことだった。
■稀な魔法民族
フランス語では「ゴーロア」という。フランス人には言ってみればご先祖の原始人。 先祖の「ゴロアーズ」に少なからず愛着を持っているようである。「ゴーロアーズ」という両切の香りの強い紙巻きタバコもあるし,ケルト人をモデルにした「アステリスクとオベリスク」というコミックも人気があってアニメーションにもなっている。いってみればおかしな原始人というイメージで,ケルト民族の兵士がかぶる羽根つきの兜がトレードマークになっている。タバコのパッケージにも同じカブトがデザインされている。
ローマ民族の次にはゲルマン民族が残されていたケルト人が土地を征服してやはり同化していった。
そうしてケルト人はヨーロッパ大陸から姿を消してわずかに残る今日のアイルランドに残像を残すだけとなった。当然ケルト人の文化や宗教も失われてしまった。
ではなぜケルト人を問題にするのかというと,彼らができる上稀に見る魔法民族であったからである。
ケルト人は生まれ変わりの信仰を持って魔法を操るドルイドと呼ばれる 僧侶に指導されていた。
ドルイドは「樫の木の賢者」という意味であるという説もあるが,魔術師であって,神官,占い師,政治家,詩人,裁判官という社会の重要な地位を併せ持つケルト民族の精神的柱であった。
ー不思議な魔法にかかる本,天沼春樹,王様文庫,

r6y423e6y pc





縄文文化と同じく無文字文化だとされているケルトにも存在する、オガム文字(神聖ルーン文字の原型)。そしてまた偶然にも日本の三つ巴紋に似る、古代ケルトのシンボル。
古代日本人にとっても文字は神聖な力を宿すものであり、神官にのみ使用を許されたものだったのやもしれませんね・・・((( ´_`)
↓↓
『 「オガム文字」は主に神官であるドゥルイド達が使用していた文字だ。 元来、彼等は口伝によって秘技・一族の歴史と系図・王家年代記・神々や英雄や自然などを讃える伝説を語り継いできた。
ウァテス(予言者)とバルド(吟遊詩人)の階級に分かれるドゥルイド(樫の木の賢者)にとって、その膨大な量の聖なる歌を暗記する事そのものが辛く厳しい修行の一つだった。そして本当に需要な事については、魔力を持つと信じられていた「オガム文字」という媒体でしか残されなかった。それは主に占いや神事など通常の記述以外の目的で使用されていた。石碑として残存するものには家系図を記したものが多くみられる。
オガムの語源は、神話に登場するトゥアハ・デ・ダナーン(ダーナ神族)の雄弁の神オグマに由来している。ドゥルイド信仰は樹木に関わりが深く「オガム文字」も聖なる樹木と関連付けられており、全ての文字が樹木や植物の呼び名に対応している。ケルトにとって言葉と樹木の持つ意味とその重要性は同等に近いものであったのだろう。
その後キリスト教とともにラテン文字が導入され、ドゥルイド達の膨大な記憶の財産は、修道士達の手を経て一般的な書物として後世に残される事となる。 』
→ ケルトのオガム文字:ルーツ判明前に消え去るか http://mystery-hunter.net/?p=1366
→ 忘れ去られた神秘の文字「ルーン文字」と「オガム文字」とは? http://www.el-aura.com/post_shinpinomoji/
→ 「竹内文書」の謎を解く: 封印された超古代史 https://books.google.co.jp/books?id=uFgM48vRpGEC&pg=PA179&lpg=PA179&dq=%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88+%E3%82%AA%E3%82%AC%E3%83%A0%E6%96%87%E5%AD%97&source=bl&ots=pYt65pMUHh&sig=gq8Wc_JNhmEZmRRavkLCWmlBDfs&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjr7J_UyovVAhUCVbwKHTL6CHQ4ChDoAQgrMAI#v=onepage&q=%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%20%E3%82%AA%E3%82%AC%E3%83%A0%E6%96%87%E5%AD%97&f=false

Facebook
https://m.facebook.com/groups/724643797680373?view=permalink&id=1241010406043707








■ドルイドの教義
ドルイドの教えとはこうである。
「この世で物質と霊魂は不滅のものであって人間の魂は死んでも転生して蘇る。
しかし罪を犯した人間は来世では人間ではないものに生まれ変わることもあり得る。
そして魂が安らぐあの世も存在する。
従って死ぬことはただ住処が変わるだけに他ならない」
またケルト人の戦士は成人の際にゲッシュという誓いの自分を自らにかけることになっていた。
「天が落ちて我を潰さない限り,誓いが破られることなし 」
という言葉と共に誓いを立てるとその誓いを破らぬ限り無敵であると信じられていた。
こういう信仰がどのような結果に結びつくかといえば,人々は死を恐れないから戦士は勇猛になり無謀な戦いも死を厭わなくなる。また人生にあまり執着がなくなる。これはどうかと思うが,あの世に入ってから返済してもらうのを前提に金銭の貸し借りの契約をすることもあったといわれる。二世代ローンというのはあるが,死んでまでも借金に追いかけられてはたまらない気がする。
ドルイドはその魔力の自然の力から得ていた。
特にヤドリギと呼ばれる寄生植物には特別な力があるとされ,入念な儀式を経てヤドリギを刈り取ったという。月齢6日の晩に白衣をまとったドルイドは黄金の鎌を用いてヤドリギを刈り取らなければならなかった。その時白い牡牛座が殺され生贄として捧げられる。
ヤドリギはパナケアと呼ばれる万能の魔法薬として使用され毒消や不妊にも使われた。
■ヨーロッパの木
森の賢者といわれるドルイドにちなんでヨーロッパの森に茂る樹木の代表的なものを挙げておこう。
モミ
樹高30mから60mになることもある。北欧系のマツ。他のマツと違ってまっすぐに伸びて樹形は円錐形かピラミッド型になる。一般に誕生の木として伝えられてキリストの誕生の頭でも知られている。
そこからクリスマスツリーとして用いられるようになった。
カシ
オークとも呼ばれヨーロッパでは一般に木の王者とされている。紋章としては誇り・美・森の所有を表してオークの葉は軍人としての名誉を表す。
ボダイジュ
菩提樹。蜜は滋養分が高い 。その材木は虫がつかないことから木彫に珍重されてきた。内皮は繊維に富み製紙に向いて,また繊維から作った布は傷口が化膿するのを防ぐ膿抗生剤として用いられた。普通男性的なオークに対して女性的な木とされて大母神にささげられる。
ニワトコ
落葉樹の低木で水辺のような水を含む水はけの良い土壌を好む。キリストの磔刑にされた時の十字架の木だとされる。ユダが12月12日に首を吊った木でもある。
魔女はニワトコに姿を変えるとかニワトコの丸太を燃やすと悪魔が現れるという民間伝承がある。
スイカズラ
芳香性があるツタの一種。昔から崇拝の対象で 神の酒ネクタルの成分の一つ。愛を表し恋人の象徴でもある。
ハシバミ
グリム童話の灰かぶりで父親から贈物に灰かぶりはハシバミの木をもらう。ハシバミの木はゲルマンでは相続権を表す木とされていて,グリム兄弟はその木を灰かぶりに与えることによって父親からの祝福を感じさせようとしたのかもしれない。
知恵知識を表す。民間伝承では魔女や悪霊を追い払うために使われた。
ブナ
船黒王子大文字はブナの木の板に書かれたのでこの日は本の象徴とされている森ばかりではなく民間の屋敷に出して 今出ていたまたその葉を冠にしてもいいよ大勝利を表すものとされる。
ネズ
その実はスピリッツの神の香料にする。芳香を持っている。グリム童話のネズの木の話では継母に殺された少年の骨がその木の根元に捨てられ再生するという魔法の木の役割を果たしている 。
ー不思議な魔法にかかる本,天沼春樹,王様文庫,

r6y423e6y pc







なぜに、古代ユダヤの祭司、また、そこから分けた、キリスト教の、祭司がひっくり返った司祭を、聖と呼称するのでしょう。それは、日本の天皇(聖)がわからなければ、意味は通じない事となります。
神の申すを聞く耳、それを伝える私(斎王、祭司)の口が申すで、合わせて亀で、それはそのまま、斎王の耳と口で聖となります。
また、モシモシ亀よでありますのは、申示申示であって、実は、司祭ように、信者を惹き付けるために、考えて、説教する、申思の申すではないのです。
それで、祭司は司祭にひっくり返っていると申しているのです。その本末(祭司)を、末本(司祭)としている認識を、終わりにするのが終末であって、それを信仰(寄付)が足りない事にしている事そのものが、末法という事です。
また、天皇の聖は、ひじりと発声し、それは、矢口の先端(芒、禾、箸)です。
それは、命(みこと)の息という事であり、神道が、私たちを、神の末子と示す由縁です。
宇気比(伺い、占い)により、神から申し示され、拝むものと、拝まれるものが同じである事が、拝め(西洋では、オガム文字などで残り、今のアルファベットにも影響しています)で、大亀(おおがめ)と天皇(おかみ、古代はおかめ)は、表裏一体であり、内裏とも申します。
大海(おおあま)の宇宙の中の私と、私の中の宇宙の小天(おあま)は、表裏一体で同じという事です。

Facebook
https://m.facebook.com/groups/724643797680373?view=permalink&id=1858514757626599

posted by datasea at 02:10| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月20日

ミトラ教

比較宗教学
2013/01/15
第6回
第7章 キリスト教
第1部 イエスとキリスト教信仰の成立
1 キリスト教の定義
「キリスト教とは、イエスは神の子であると信じる宗教である」
――もう少し正確に言えば、
「キリスト教とは、イエスという歴史上の人物は、(人類に救いをもたらす)神の子キリスト(人類の王)であると信じる宗教である[1]」。
この定義は、キリスト教の根本的教義であり、その他の教えは、このイエス・キリストの言行に基づいている。
この言行は、キリスト教の正典の一つである『新約聖書[2]』に記されている。
「イエスが神の子である」
ということは、イエスがキリスト教にとって単に歴史的に実在した人間(人の子)であるばかりでなく、
同時にそれ以上のもの(神の子)であることも意味する。
もともと世界の諸宗教においては、教祖の神格化という現象は決して珍しいものではない。
仏教のように、原理的には神を立てない宗教においてさえ、時が経つにつれ、教祖の理想化・神格化が行われた。
しかし、キリスト教ほど、この教祖の神格化に中心的な重要性を与えた宗教は、おそらく他にないだろう。
この
「イエスは神の子である」
という告白(信仰内容)が、同じ聖典(神の啓示)から出発したユダヤ教や、同じ神を崇拝するイスラームと 袂 たもと を分かつ原因にもなった。
単なる人間イエスを神の子と見なす信仰は、キリスト教の聖典の一部である『新約聖書』を強く 彩 いろど っている。
したがって我々は、イエスの言行を記したとされる『新約聖書』を通して、歴史的人物としてのイエスの生涯と彼の教えを正確に得ることはできない。『新約聖書』は、イエスに関する歴史的事実を忠実に伝える文書ではなく、イエスについて聖書記者が抱いた信仰内容の記述である。それゆえ、実際のイエスの教えと、後の人たちが記したイエスの教え(教義)とが一致しない可能性がある。しかしそれでも『聖書』が、歴史上のイエスを知る上で第一級の資料であることにかわりはない。

比較宗教学
http://www.geocities.jp/studia_patristica/comp0506.htm












6 クリスマスの日時と由来(再論)
キリストの誕生日は、一般に12月25日とされている。
しかしそれは、聖書のどこにも書かれておらず、教会(宗派)ごとに異なっていた[7]。
前回も述べたとおり、キリストの誕生日とされる12月25日は、キリスト教そのものに由来するのではなく、
キリスト教が広まる以前にローマ帝国内で盛んであった太陽崇拝(アニミズム)に由来している。
@ ローマ帝国では、サトゥルナリア(農耕神サトゥルヌスの祭[8])が
12月21〜31日もしくは
12月17日から一週間、
行われていた。
この期間中でも特に、冬至の日(12月22日前後)は、
「太陽が甦る日」
として盛大に祝われた。
A さらに、ローマ帝国では、古代ペルシアが起源のミトラ教が広がっていた。
ミトラ教の主神ミトラは,ギリシア神話のアポロンのように,光と真理を司り,すべての悪を圧倒的な力で排除する善の神で、ローマ人兵士の間で信仰されていた。
このミトラ神(太陽神)が、ローマ帝国の皇帝崇拝と結び付けられ、
237年にローマ皇帝アウレリアヌスによって、12月25日が
「不滅の太陽の誕生日」
として、ローマ帝国の正式な祭日と定められた。
こうして、それらの冬至にまつわる二つの祭日と、ときに「太陽」や「昇る朝日」にたとえられるイエス・キリストとが習合し、(西ヨーロッパでは)12月25日がキリストの誕生日となったのである。

比較宗教学
http://www.geocities.jp/studia_patristica/comp0506.htm









 

■■■第5章:ミトラ教と日本のつながり
●「ミトラ教」は、
「ミトラス教」(古代ローマ帝国)、
「明教」(中国)、
「マニ教」(摩尼教/中央アジア・中国)、
「ズルワーン教」(ペルシア)、
「ボゴミール派」(東欧)、
「カタリ派」(フランス)
などとも呼ばれる。
ボゴミール派やカタリ派をキリスト教の一部とみなし、その異端とする考え方は古い見方で、最近の宗教学では修正され、
もともと思想も系譜も異なる東方オリエント系の宗教のキリスト教世界への伝播と考えられるようになってきている。
●「ミトラ神」は、キリスト教徒にとっては「キリスト」そのもので、ユダヤ教徒にとっては「大天使メタトロン」であり、
イスラム教徒によっては「イマム・マーディ」、ヒンドゥー教徒によっては
「カルキ神」、または
「クリシャナ」
の再臨とされている。
神智学では、ミトラ神のことを「ブラフマー」あるいは「ロゴス」と呼び、その地球上での姿を「世界教師」と呼んでいる。
「ミトラ」という名前は、サンスクリット語で「マイトレーヤ」と転訛し、インドやチベットなどではマイトレーヤと呼ばれている。
一方、イラン系ミトラ=ミスラがミフルと転訛。続いて
ミクル→ミルクル→ミルク
となり、最終的に
「ミロク」
と呼ばれる。
このミロクが漢字に翻訳されて
「弥勒」
となり、マイトレーヤの訳語となる。
これが「弥勒菩薩」である。弥勒菩薩は仏教におけるメシアである。
このように、世界中の主要な宗教の中にミトラ神の像が組み込まれている。
●ミトラ信仰は、中央アジアから中国・古代朝鮮を経由して日本にも伝えられ、弥勒信仰の中に生きている。
日本において弥勒信仰は、そのまま仏教だった。
当時、いち早く仏教を取り入れようとしたのは、蘇我氏であった。
彼らは仏教を政治的に利用して、古代日本の支配権を手に入れた。
その際、蘇我氏がバックにつけたのが仏教を持ってきた渡来人たちであった。
なかでも、最大の力を誇っていたのが
「漢氏(あやし)」
なる一族だった。
漢氏は、ペルシア系渡来人で、仏教のほかに奇妙な信仰を持っていた。
それは、漢氏にちなんで「漢神信仰」と呼ばれたが、その中心は雄牛を殺す儀式にあった。
この儀式はミトラ教の密儀に通じている。
●12世紀以降の中央アジアと中国では、東方ミトラ教ミーフリーヤ派(弥勒派)が活発な活動をし、彼らから朱子は東方ミトラ教を学び
「朱子学」
を興した(12世紀)。
さらに王陽明が「陽明学」を築いた(15世紀)。
東方ミトラ教は別名を
「明教」
というが、中国では明(1368〜1644)という王朝名の由来となった。
朱子学と陽明学は東洋版神智学の双璧である。
日本では江戸時代に林羅山、三浦梅園らが「日本朱子学」を興隆させ、中江藤樹らが陽明学を興隆させ、伊藤仁斎らが
「古学」
を起こし、荻生徂徠が
「徂徠学」
を起こし、本居宣長らが
「国学」
を起こした。
●「神智学」はブラバッキー夫人やルドルフ・シュタイナーの十八番と思われがちだが、そうではない。
東方神智学的な認識は、日本の朱子学や陽明学、徂徠学、国学などのいわば日本版神智学と極めて類似した思考パターンを示している。
国学=日本版神智学
と考えたほうが正解である。
なお、20世紀初頭、インドの巨星タゴールの詩集をいち早く翻訳した功労でも知られる三浦関造氏が、ブラバッキーの
『霊智学解説』
を翻訳出版したが、この本が日本における神智学資料の草分け的存在になり、現在、三浦関造氏は日本神智学の祖とされている。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html














 

 

■■■おまけ情報:キリスト教とミトラ教の共通点
キリスト教とミトラ教の共通点を簡単に挙げておきたい。
【誕生の予言と目撃】
ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。
そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。
これは福音書のイエス誕生と通じている。
【誕生日】
ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。
これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。
【奇蹟】
ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。
イエスの数々の奇蹟と共通している。
【12弟子】
イエスには12人の使徒がいた。
ミトラは12星座に囲まれる。
ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される。
【復活祭】
ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)
【最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴
これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。
【聖体拝領】(パンとブドウ酒)
もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に
「ミトラの友」
であることを確認する儀式であった。
新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。
これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。
ただ、食べるのが
イエスの肉=パンと
イエスの血=ワイン
であるかの違いである。
【洗礼の儀式】
ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。
説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。
【昇天と再臨の予言】
もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミ
トラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。
【復活の日と最後の審判】
もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。
【最終戦争とハルマゲドン】
もとはミトラの最終戦争である。
ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。
『ヨハネの黙示録』
によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。
■その他の共通点
●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。
●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。
ミトラはまさしく岩の中から生まれた。
●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。
『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。
●ミトラ教の最高司祭は
「パテル・パトルム」(父の中の父)
と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。
●ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行われた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行った。
●イエスは創造主なる御父がいる。
『アヴェスタ』
においてミトラは創造主アフラ・マズダの子供とされている。
●イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。
ミトラは光明神であり、太陽神でもある。
このように、ミトラ教の儀礼をみれば、キリスト教にオリジナルな儀礼など、何もないことがはっきりとわかるだろう。
結局、「イエス・キリスト」は何者だったのか? 
これについては、別ファイル「秘教的キリスト教」において詳しく考察していきたいと思う。
なお、「ミトラ神学」についてはまだ研究中なので、まとまり次第、テキストを追加していきたい。
(1998年3月)

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html







民族移動する以前の古代アーリア人宗教「原始ミトラ教」
ゾロアスター教>バラモン教
V   V   V               
ユダヤ教  仏教 ヒンドゥー教
V         
キリスト教      
V   
イスラム教

神旅,仏旅,むすび旅
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11996768012.html










J古代アーリア人の「ミトラ教」〜中国まで〜
2015-07-06 13:17:19
【ミトラ教】
ミスラ(Miθra)とはイラン神話に登場し、英雄神として西アジアからギリシア・ローマに至る広い範囲で崇められた神。
インド神話の神ミトラ(मित्र [mitra])と起源を同じくする、
インド・イラン共通時代にまで遡る古い神格である。
その名は本来「契約」を意味する。
ミスラ神(ミトラ神)は元々は、インド・ヨーロッパ語族の古代アーリア人が信仰する神格群の一柱であり、その際の神名はミスラ神と言われます。
●ミトラ教研究の東條真人氏によると、ミトラ教は時代によって5つに区分することができるといいます。
◎原始ミトラ教時代……紀元3世紀までのバビロニアを中心とした時期
◎西方ミトラ教時代……ローマ帝国とセレウコス朝シリアを中心とした時期
◎東方ミトラ教時代……バビロニア=イラン=中央アジア=中国など
               全ユーラシア大陸に広がった時期。
               伝道者マニの名をとって「マニ教」とも呼ばれる。
◎東方神智学時代………イスラムの神学と融合した時期
◎現代神智学時代

神旅,仏旅,むすび旅
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11996768012.html
























☞古代アーリア人の共通祭式儀礼は
民族移動する以前の古代アーリア人の共通祭式儀礼
紀元前2500年から紀元前九世紀頃までの古代のアーリア人が古くから信仰してきた自然崇拝の宗教は、
祈禱、
拝火、
犠牲獣祭
でした。
最上位の神官階級は、特定の神格に聖なる祈禱マンスラを唱えて犠牲を捧げることによって、その神格から応分の果報を得る能力をもっていた。
1まず神官は依頼人から渡された犠牲の獣(牛)を屠って、神々に捧げる。
2次にハマオ(薬草の樹液)という一種の幻覚剤を調整して服用し、神託を得る。
3神託を依頼人に告げ、神々に捧げたはずの犠牲獣(牛)の大部分を神官の取り分として祭式を終わる。
神官階級が祈りを捧げる神格は、大分すると
◉アフラ神群右矢印ミスラ、ヴァルナ、アルヤマンなど
◉ダエーヴァ神群右矢印インドラ、ナーサティヤなど
「古代アーリア人」
イラン高原のアーリア人により支持されていたゾロアスター教。
紀元前1世紀以降のヘレニズム時代になると、古代アーリア民族の宗教で最も活発だったのは、ゾロアスター教ではなくミトラ信仰であった。
ミトラ崇拝は、アケメネス朝時代からイラン高原西部に浸透して紀元前1世紀以降は、メソポタミアから小アジアまで拡大して行きます。
アケメネス朝の頃から、ミトラ派の神官たちは小アジア地方にも活動の場を広げていたが、紀元前1世紀頃になると彼らはギリシアの影響を強く受け、その結果、ミトラ神をギリシアの「太陽神ヘリオス」と同一視した新たな信仰が生み出されます。
1世紀後半に西北インドに興ったクシャーナ朝に伝えられて
「太陽神ミイロ」
となり、後にはこれが仏教に取り入れられ「弥勒菩薩」となる。
またミトラ派の神官たちは、バビロニアの神官団(カルデア人)と合流し、ミトラの密儀とバビロニアの占星学を統合して
「秘教占星学(ズルワーン神学)」
を作りあげ、ミトラ教という宗教に発展させた。
これはのちにバビロニア=ストア学派の手でローマ帝国に伝えられる。
ミスラ信仰はペルシャ帝国期、マギ神官 によって小アジア、シリア、メソポタミアに伝道され、ギリシアやローマにも取り入れられた。
ギリシャ語形・ラテン語形でミトラースと呼ばれ、太陽神、英雄神として崇められた。
その信仰はミトラス教と呼ばれる密儀宗教となって、1世紀後半から4世紀半ばまでのローマ帝政期、ローマとその属州で広く信奉され、
善悪二元論と終末思想
が説かれた。
最大のミトラス祭儀は冬至の後で太陽の復活を祝う12月25日の祭で、キリスト教のクリスマス(降誕祭)の原型とされる。
のちに新プラトン主義と結合し、キリスト教と争ったが、圧迫されて衰退した。


神旅,仏旅,むすび旅
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11996768012.html







【ポントス王国のミトラ信仰】
ヘレニズム時代より、トルコ北部とクリミア半島には「ポントス王国」ができた。
歴代君主には、「ミトリダテス」という名が並んでいる。
小アジア以東のオリエント世界に見られる男性名。
ミトラダテスとも。
「ミトラス神に与えられた者」
を意味するペルシア語名ミフルダートのギリシャ語形である。
おなじ「ミトリダテス」という名は、パルティア王国の君主の中にもこの名を見出すことが出来る。
ポントス王国はクルド人がつくったミトラ教国家で、この国の海軍の将兵たちがローマ帝国に積極的にミトラ教を広めた。
クルド人は、のちにアユーブ朝とザンド朝をつくり、イスラムにミトラ教を融合させていった。
アフガニスタン・パキスタン・中央アジア・カシミール地方を合わせた地域には、ミトラ神を崇拝するミトラ教国家
「バクトリア」
が誕生した。
バクトリアの王家は、ギリシア系のプラトン一族で、ギリシア本土の哲学者プラトンとつながっている。
このバクトリアが滅亡したあと、「クシャーナ帝国」が生まれ、仏教を国教とした。
王朝が変わってもミトラ信仰は盛んだったので、それを仏教化した弥勒信仰が生まれた。
こうした一連の歴史の流れの中で、「ズルワーン神学」の後期の形態から
「西方ミトラ教」
が生まれ、それが更に発展して「東方ミトラ教(明教)」になった。
イスラムが広がり始める7世紀以降は、徐々にイスラムにとって替わられていく。

神旅,仏旅,むすび旅
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11996768012.html










【アルメニアのミトラ信仰】
アルメニアは、「紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教とした」ことで有名です。
アルメニアは、パルティア王国が224年にサーサーン王朝に滅ぼされたあともサーサーン家宗主権。
のもとで428年までアルメニアを支配した。
そのため古代アーリア人の信仰した神々の影響を受けた。特にミトラ神を好んだ。
ザラスシュトラの宗教改革の結果、ゾロアスター教の中では六大天使にも入らなかったミトラ神だが、ゾロアスター教の影響が及ばないアルメニアや小アジアなどの西方では、ミトラ神は崇拝を集めた。
ミトラ神殿
(オリエント世界で現在確認される唯一のガルニミトラ神殿遺跡(再建されたもの))
アルメニア王国のアルシャク王朝初代のティリダテス一世が、ローマ帝国の承認を受けるために3000人のパルティア騎士に警護されてネロ皇帝の前にひざまずいた際、彼はギリシア語のスピーチで
「自分はネロ皇帝の僕であり、ミフル神を崇めるようにローマ帝国を崇める」と宣言したことは有名である。
ガルニミトラ神殿もティリダテス一世が造営したとされている。
ミトラ信仰は、この地を訪れたローマ軍兵士や海賊などを通じて地中海世界へ流入して行く。
ゾロアスター教の聖典アヴェスターでは、ミスラ神は
「光の君」、
「真実の神」、
「死から救う者」、
「浄福を与える者」、
「勝利者」、
「戦士」、
「広い牧場の君」
などの称号が与えられており、その軍神としての性質、及び、現世利益的な性質から、
海賊、商人、奴隷、軍人
を媒介として流布し、ローマ世界へと流入したとされます。

神旅,仏旅,むすび旅
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11996768012.html



















【ローマ帝国のミトラ信仰】
ミトラ教はキリスト教が普及するまでローマ帝国内で広く流行した。
ミトラ教はローマ帝国内で非常な威勢を誇り、各地にミトラ神殿が建立され、歴代ローマ皇帝の中にも、ミトラ神を政治的に利用するだけではなく、信仰を捧げた者もいた。
ミトラの密儀は、バビロン又はカルディアの占星術と融合してできたもの。
特異な密議宗教として地下に密室を掘って男だけで集まり、短剣で牛を屠って再生を経験するという儀式を行う。
ミトラ教は、ヘレニズム・ローマ世界で主に紀元1世紀から4世紀にかけて、キリスト教と並ぶ救済宗教として絶大な支持を集めていた。
しかし、キリスト教による世界独占の方向に進んでいき、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥のユリアヌス帝の死後、ローマ政権と結んだキリスト教による一元的な宗教支配体制が着々と押し進められていった。
392年には、ローマの伝統である宗教的寛容さを打ち切る旨の勅令が出され、国の祭儀として行なわれていた古代ローマ時代から続く儀礼への国費補助が打ち切られた。
そして、ミトラ教をはじめとする異教の神殿は破壊され、それまでミトラ神の洞窟神殿だった聖域上にキリスト教会が建立された。

神旅,仏旅,むすび旅
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11996768012.html










【牛を屠る神】
ミトラス神は
「牛を屠るミトラス神」
という図像で描かれることが多く、その標準的な構成は、中央に牛を捕えて短剣で屠るミトラス神を配し、左右に一対の松明保持者、牛の下方に蛇、さそり、犬などの動物、上方または周囲に擬人化された太陽や月、天の12宮が描かれます。
ミトラの主要な概念は、
ミトラに体現される善の勢力とアフリマンに体現される悪の勢力の不断の戦いである。
神話によれば、ミトラは洞窟で、手にナイフとたいまつを持ち、フリギアの帽子を被った聖人の姿で生まれたという。
この時近くにいて最初の証人となった牧夫は、彼に彼らの家畜の生んだ最初の仔と木の実を送った。時を経て、ミトラは彼に定められた運命に従って悪の体現であり、世の邪悪な暗黒の勢力である猛牛に戦いを挑んだ。
両者の激しい戦いで、ミトラはナイフで猛牛を傷つけ勝利した。
ミトラと猛牛の戦いは終わらず、ミトラは太陽の使者カラスを通じて猛牛を殺害せよと命令を受け、犬の助けによってその命令を遂行する。
その後大きな奇跡が起き、猛牛の死によって善の自然力が生き返り、ミトラは人類の一切の善なるものの源泉となる。
猛牛の体と尾から有用植物と薬草が生え、血液からブドウが生えた。
タウラクトンの猛牛に打ち勝つミトラ像は、ミトラ教の基本的なシンボルとなり、あらゆるミトラ神殿に置かれた。
この像にはしばしばミトラの主要な同伴者、すなわち猛牛の血を飲み、大地を体現する蛇、猛獣に噛みつく犬、猛牛の睾丸に食らいつくサソリがついている。ミトラは、猛牛という自らの宥和的な供儀によって、宇宙的悪から人間を救う。
ミトラはこの偉業の後、彼を崇拝する人たちを最後の晩餐に招くが、ここで妥当された猛牛の血を象徴するワインによる秘儀が行われる。
この後、ミトラは天に昇る。
これをもって、地上に置けるミトラの使命を完結する。
その後、悪の力がアフリマンの姿をとって、人間に世の終わりを告知する多くの災難と不幸をもたらす。
ミトラは人間を救うべきして到来して、世の浄化と新生を象徴する世界火によって悪を根絶するまで一連の偉業を行う。
ミトラの言葉によって全ての死者は蘇りミトラの前に集まる。
そこで正義の神であるミトラは善者と悪者を選別し、猛牛の聖なる血によって善者を聖別し、永遠の不死をあたえる。
▶儀礼
彼らは、魂を浄化するための特別の儀礼があり、また相互に「親愛なる兄弟」と呼び、
小さな十字形に切れ目を付けたパンを食べ、ワインと水を飲んだ。
ミトラ教の宗教的秘儀には、音楽、太陽への祈り、祭壇での拝火などがあり、ミトラ神の誕生日である
12月25日
は主要な祝日であった。
*キリスト教のクリスマス(降誕祭)の原型とされる。
こういった儀礼より芸術的遺産には
 猛牛に勝つミトラ
 岩から生まれたミトラ
 ライオン狩りのミトラ
などがある。
(岩から生まれるミトラス神(アテネ国立考古学博物館))

神旅,仏旅,むすび旅
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11996768012.html







レジナルド・フェセンデン氏はこうした「アトランティス伝説」についてのきわめて入念な研究をしているが,
それによるとかれはアトランティスは大西洋のなかの失われた陸地ではなくて,おそらくかつてコーカサス地方にあった,
極めて重要な文明をもっていたところのことらしい,と結論づけているのである。
モーゼは実に手がつけられないほど厄介な人物です。
これはエジプのパピルスの巻物からの「死者の書」ですが,
モーゼの十戒は100%ここからの盗作である。
エジプトではMISESが神から与えられた法の石刻版を授かった。
この「死者の書」にあるフレーズ”盗みはしない”が「なんじ盗むべからず」,
”人を殺してはいけない”が「なんじ殺すべからず」,
”嘘をつぃてはならない”が「なんじ偽証すべからず」になっただけである。
小学生でも知っているマタイによる福音書第2章で「占星術の学者たちが東の方からエルサレムにやって来た......」とある通り
これは人類の太陽崇拝を意味している。
いわゆる天体という12星座である。
太陽が天体の12黄道を回ることは春分点歳差運動でありこの記事は書いたので省略する。
「東の方から」とは東方の星で最も輝く犬座のSIRIUS(シリウス)を指している。
この星は12月24日にオリオン座の三つの星と直線(これが十字架)に並び,
この三つの星は「三人の王」あるいは「三人の賢者」と呼ばれている。
三人の王とシリウスは12月25日の太陽の昇る位置を指している。
だから三人の王が東方の輝く星に誘導され太陽の誕生(日の出)を訪れる。
つまり太陽の南下は12月22,23,24日止まり(三日間の死を意味する),
12月25日太陽は日の出とともに復活する(三日の死の後の復活)。
太陽崇拝のミトラでは太陽王の誕生日をだから12月25日としキリスト教も迎合した。
いやむしろ,12月25日ミトラは聖母から生まれ,12人の弟子を持ち,奇跡を起こし,死亡して三日後に復活した。
それがマイナス20度の馬小屋でイエスが生まれた日になってしまった。
イエスの物語はホロス神話と100%同じである。
つまり12人の使徒,奇跡を起こしたこと,三人の王,三日後に生き返った(復活)こと,みな同じである。
ではホロスの神話はどこから来たのか?
シモーヌ・ベイユは人生の後半バビロニアの宗教詩「ギルガメシュ叙事詩」とインドの「バガバッド・ギーダ」にめぐり合った。
カルタゴの時代から怖ろしい蛮族であるチュートン族の国際金融資本家はいた。
彼らにとって(アングロ・サクソンにとって)この宗教神話を使って社会を操作し宗教戦争を起こし(キリスト教の開祖が主張しているように)人類を支配している。
魚座の時代(紀元1年〜2160年)の間に一体どれだけ戦争が引き起こされ
神の名の正義のもとどれだけの人間が殺され富の偏在が生まれたか歴史をひも解けば明らかである。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/6.html






posted by datasea at 18:00| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月08日

[古代文献] 東方ミトラ教,ミトラ教とキリスト教の酷似


■■■第4章:神智学・人智学運動は東方ミトラ教の再興であった
前出のミトラ教研究家の東條真人氏によれば、マダム・ブラバッキーの創始した「神智学協会」の教義は、バビロニア=ストア学派直系の教えであり、古代ミトラ教の神学を伝えるものだという。「人智学協会」を創始したシュタイナーに関しても同じで、彼の教義もミトラ教がオリジナルだという。
参考までに、東條真人氏の見解をコンパクトに整理して、以下に載せておくことにする。
───────────────────────
日本人のほとんどの人は、ミトラ教やシーア派の神学の高級な部分に触れたことがないため、シュタイナーやブラバッキー夫人の神智学が、とても新鮮に見えるようである。しかし妙に科学的に解説しているという部分を取り去ると、ミトラ教の神学で既に確立していることばかりで、目新しいものは何もないのである。時代を7つに区切る発想法、世界教師論、7光線の瞑想法、秘教占星学など、どれも彼らのオリジナルではなく、ミトラ教がオリジナルである。シュタイナーのキリスト論は、ほとんど全てを東方ミトラ教の教義に基づいている。ロゴスや聖霊に関するシュタイナーの解釈は、マニの教義の受け売りである。
ミトラ教のオリジナルを本当の意味で発展させたのはシーア派である。
シュタイナーは、『輪廻転生とカルマ』の「人智学運動のカルマ1」の中で、人智学運動に携わる人は、かつて中部ヨーロッパと南ヨーロッパにいた秘教的キリスト教徒だと述べている。キリスト教やミトラ教の歴史に疎い人は、“ああ、そういうキリスト教徒もいたんだ”くらいで通り過ぎてしまうだろうが、この記述はそういう軽い記述ではない。
シュタイナーがいう「秘教的キリスト教」とは、東方ミトラ教の一派「パウロ派」「ボゴミール派」「カタリ派」のことである。シュタイナーは、ソフトな表現ながら極めてはっきりと人智学運動は東方ミトラ教の再興であることを明言しているのである。このような考えを持つシュタイナーが大マニを高く評価するのは当然のことと言えよう。このような系譜論をはっきりと捉えることにより、“東の智慧と西の智慧はイエスの中で結びついた”というシュタイナーの言葉は、とても具体的なものになるのである。
アリス・ベイリーの著作もミトラの秘儀のひとつメタトロン神秘主義やハランのミトラ教団(サビアン教団)の教義を下地にしている。また、表にはっきりと明示していないが、カバラが重要なベースになっている。ベイリーの著作を読めば分かるが、ベイリーに知識を与えたというジュアル・クールは、チベットの大師という表看板とは裏腹に、チベット仏教についてはほとんど何も知らず、むしろ「ズルワーン神学」やカバラにやけに詳しいのである。
ブラバッキーにミトラ教の神学の伝統を教えたのは、イラン人ベフラムシャー・シュロスである。シュロフからもらった秘教占星学に関する知識をもとに、7光線占星学の解説書が書かれたのである。そもそも古代において、惑星の秘儀を持っていたのは、ミトラ教だけである。その他にも秘儀があったが、それらは惑星には一切関係していない。
また、スーフィズム(イスラム神秘主義)を欧米に最初に紹介したのはグルジェフであるが、グルジェフのスーフィズムは「ナクシュバンディー教団」の教えの一部である。しかし、グルジェフはイスラム色を払拭して西洋にスーフィズムを紹介したので、グルジェフの教えがスーフィズムを基礎にしていることを知らない人もいる。
スーフィズムの教義とブラバッキーやアリス・ベイリーの教義は、用語に違いがあるだけで、本質、定式化、組織化手法などは同じである。ブラバッキーを仏教の焼き直しだというのは的外れな批判である。ブラバッキーの著書『神智学の鍵』に書かれているように、現代神智学は、プロティノスの定式化を現代に継承したものである。
ブラバッキー自身は自らの教義を「東方神智学」と呼んでいる。
スーフィズムも「東方神智学」と呼ばれている。
アリス・ベイリーは『未完の自叙伝』の中で、
「サンスクリット語や仏教用語の濫用が、神智学の正しいスムーズな普及の障害になった」
と記している。
シュタイナー、
ブラバッキー、
アリス・ベイリー
の著作は、それまでの西洋にない知識を西洋世界に広め、東方ミトラ教を再興した点では偉大な功績があった。
もともと現代神智学は、欧米による東洋再発見という歴史的流れの中で生まれたものである。
そのため、インド的な発想にかなり傾斜している。
これは仕方のないことである。
なぜなら、ブラバッキーが現代神智学の基礎を築いた19世紀末から20世紀初頭には、ミトラ教やイスラムのことは、ほとんど欧米には知られていなかったからである。これらに関する研究が盛んになったのは、欧米でも戦後になってからなのである。
本格的に秘教を学ぼうとする者は、彼らの著作は真の秘教に至るための中継点に過ぎないと認識して、彼らがどこから知識を持ってきたのかを探り、幅広く秘教の伝統を学んでいくことが大切である。
現在欧米では、アカデミズムの影響が広がって、西欧神秘主義の虚構に満ちた歴史が見直され、スーフィズムなど東方ミトラ教の影響力が再認識されつつある。
では、結局、ブラバッキーと、シュタイナーと、アリス・ベイリーとは何者だったのか? 
結論から言うと、この3人は非西洋の宗教的伝統を、欧米に紹介したにすぎないのである。
シュタイナーも非西洋なのか? 
という人がいるかもしれないが、シュタイナーのキリスト論は、ほとんど全てが東方ミトラ教の教義に基づいている
(例えば、ロゴスや聖霊に関する解釈は、シュタイナーのオリジナルではなくて、マニの教義の受け売りである)
ので、西洋=キリスト教文化と考えるなら、シュタイナーのキリスト論は、非西洋といっていいだろう。
この3人は、非西洋、つまり、
仏教、
スーフィズム、
東方ミトラ教
といったアジアの宗教思想や、カバラなどのごった煮のパッケージを独自ブランドでぶち上げて、その権威化を図ったのである。
それが1900年頃のことである。
※ 以上、東條真人氏の見解である。なかなか鋭い指摘だと思われる。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html















 

 

■■■第5章:ミトラ教と日本のつながり
●「ミトラ教」は、
「ミトラス教」(古代ローマ帝国)、
「明教」(中国)、
「マニ教」(摩尼教/中央アジア・中国)、
「ズルワーン教」(ペルシア)、
「ボゴミール派」(東欧)、
「カタリ派」(フランス)
などとも呼ばれる。
ボゴミール派やカタリ派をキリスト教の一部とみなし、その異端とする考え方は古い見方で、最近の宗教学では修正され、
もともと思想も系譜も異なる東方オリエント系の宗教のキリスト教世界への伝播と考えられるようになってきている。
●「ミトラ神」は、キリスト教徒にとっては「キリスト」そのもので、ユダヤ教徒にとっては「大天使メタトロン」であり、
イスラム教徒によっては「イマム・マーディ」、ヒンドゥー教徒によっては
「カルキ神」、または
「クリシャナ」
の再臨とされている。
神智学では、ミトラ神のことを「ブラフマー」あるいは「ロゴス」と呼び、その地球上での姿を「世界教師」と呼んでいる。
「ミトラ」という名前は、サンスクリット語で「マイトレーヤ」と転訛し、インドやチベットなどではマイトレーヤと呼ばれている。
一方、イラン系ミトラ=ミスラがミフルと転訛。続いて
ミクル→ミルクル→ミルク
となり、最終的に
「ミロク」
と呼ばれる。
このミロクが漢字に翻訳されて
「弥勒」
となり、マイトレーヤの訳語となる。
これが「弥勒菩薩」である。弥勒菩薩は仏教におけるメシアである。
このように、世界中の主要な宗教の中にミトラ神の像が組み込まれている。
●ミトラ信仰は、中央アジアから中国・古代朝鮮を経由して日本にも伝えられ、弥勒信仰の中に生きている。
日本において弥勒信仰は、そのまま仏教だった。
当時、いち早く仏教を取り入れようとしたのは、蘇我氏であった。
彼らは仏教を政治的に利用して、古代日本の支配権を手に入れた。
その際、蘇我氏がバックにつけたのが仏教を持ってきた渡来人たちであった。
なかでも、最大の力を誇っていたのが
「漢氏(あやし)」
なる一族だった。
漢氏は、ペルシア系渡来人で、仏教のほかに奇妙な信仰を持っていた。
それは、漢氏にちなんで「漢神信仰」と呼ばれたが、その中心は雄牛を殺す儀式にあった。
この儀式はミトラ教の密儀に通じている。
●12世紀以降の中央アジアと中国では、東方ミトラ教ミーフリーヤ派(弥勒派)が活発な活動をし、彼らから朱子は東方ミトラ教を学び
「朱子学」
を興した(12世紀)。
さらに王陽明が「陽明学」を築いた(15世紀)。
東方ミトラ教は別名を
「明教」
というが、中国では明(1368〜1644)という王朝名の由来となった。
朱子学と陽明学は東洋版神智学の双璧である。
日本では江戸時代に林羅山、三浦梅園らが「日本朱子学」を興隆させ、中江藤樹らが陽明学を興隆させ、伊藤仁斎らが
「古学」
を起こし、荻生徂徠が
「徂徠学」
を起こし、本居宣長らが
「国学」
を起こした。
●「神智学」はマダム・ブラバッキーやルドルフ・シュタイナーの十八番と思われがちだが、そうではない。
東方神智学的な認識は、日本の朱子学や陽明学、徂徠学、国学などのいわば日本版神智学と極めて類似した思考パターンを示している。
国学=日本版神智学
と考えたほうが正解である。
なお、20世紀初頭、インドの巨星タゴールの詩集をいち早く翻訳した功労でも知られる三浦関造氏が、ブラバッキーの
『霊智学解説』
を翻訳出版したが、この本が日本における神智学資料の草分け的存在になり、現在、三浦関造氏は日本神智学の祖とされている。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html














 

 

■■■おまけ情報:キリスト教とミトラ教の共通点
キリスト教とミトラ教の共通点を簡単に挙げておきたい。
【誕生の予言と目撃】
ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。
そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。
これは福音書のイエス誕生と通じている。
【誕生日】
ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。
これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。
【奇蹟】
ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。
イエスの数々の奇蹟と共通している。
【12弟子】
イエスには12人の使徒がいた。
ミトラは12星座に囲まれる。
ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される。
【復活祭】
ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)
【最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴
これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。
【聖体拝領】(パンとブドウ酒)
もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に
「ミトラの友」
であることを確認する儀式であった。
新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。
これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。
ただ、食べるのが
イエスの肉=パンと
イエスの血=ワイン
であるかの違いである。
【洗礼の儀式】
ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。
説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。
【昇天と再臨の予言】
もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミ
トラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。
【復活の日と最後の審判】
もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。
【最終戦争とハルマゲドン】
もとはミトラの最終戦争である。
ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。
『ヨハネの黙示録』
によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。
■その他の共通点
●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。
●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。
ミトラはまさしく岩の中から生まれた。
●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。
『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。
●ミトラ教の最高司祭は
「パテル・パトルム」(父の中の父)
と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。
●ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行われた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行った。
●イエスは創造主なる御父がいる。
『アヴェスタ』
においてミトラは創造主アフラ・マズダの子供とされている。
●イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。
ミトラは光明神であり、太陽神でもある。
このように、ミトラ教の儀礼をみれば、キリスト教にオリジナルな儀礼など、何もないことがはっきりとわかるだろう。
結局、「イエス・キリスト」は何者だったのか? 
これについては、別ファイル「秘教的キリスト教」において詳しく考察していきたいと思う。
なお、「ミトラ神学」についてはまだ研究中なので、まとまり次第、テキストを追加していきたい。
(1998年3月)

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html






posted by datasea at 02:21| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[古代文献] ミトラ教の歴史


No.A7F_mitra
作成 1998.3
ミトラ教と神智学
■■■第1章:ローマ帝国内で威勢を誇った幻の世界宗教ミトラ教
●ミトラ教は、ヘレニズム・ローマ世界で主に紀元1世紀から4世紀にかけて、キリスト教と並ぶ救済宗教として絶大な支持を集めていた。
ミトラ教の存在は、キリスト教徒が最も触れられたくない異教のひとつである。
なぜなら、ミトラ教こそ、キリスト教のルーツであり、
ユダヤ教以外でキリスト教オリジナルとされている儀礼、例えば洗礼や聖餐など、そのほとんどを生み出しているためである。
ミトラ教には、キリスト教が備えている救済宗教としての神話も神学も密儀も、全て備えていた。
イエス・キリストに当たる救済者すなわちメシアは、ミトラ神そのものだった。
●世に近親憎悪という言葉があるごとく、まさしく初代のキリスト教会は、ミトラ教を激しく弾圧した。
あまりにも両者は似ているため、あるキリスト教徒は、ミトラ教を指して「悪魔がキリスト教を模倣してつくった宗教だ」とまで主張するほどだ。
そればかりではない。
フランスの宗教史家エルネスト・ルナンは、その著書『マルクス・アウレリウス伝』で次のように述べている。
「もしキリスト教がなんらかの致命的な病によって、その成長を止められていたならば、恐らく世界中がミトラ教になっていただろう。」
エルネスト・ルナンのこの言葉から、キリスト教成立当時、いかにミトラ教が隆盛を誇っていたかが推測できる。
実際に、ミトラ教の勢力範囲は、
ローマ・ペルシアの地はもちろん、
北はイングランド、
東はイスラエル・シリア、
南はアフリカのサハラ砂漠
にまで及んでいたことが、残された遺跡などから確認されている。
●ミトラ教のルーツは、古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にある。
ミトラ神は契約神・戦神・太陽神などの多彩な顔を持ち、古くからイラン・インド両民衆の間に絶大な人気を誇ってきたのであった。
紀元前7世紀頃に実施されたゾロアスターの宗教改革によって、一時期、ミトラ信仰の熱は下火になったが、ゾロアスターが世を去ると、彼の後継者たちは民衆のミトラ人気に抗えず、すぐさまミトラ神をゾロアスター教に取り込んだ。
とはいえ、この時点ではまだミトラ神の階級は「最高神アフラ・マズダ」の神格からすれば、第2位であったが、後には最高神アフラ・マズダと同格にまで引き上げられた。
そして最終的には、アフラ=ミトラとしてこの唯一神と習合し、冥府で死者を裁く審判者の役割を獲得したのである。
●ミトラ神は歴代のペルシア王朝において国家の守護神として厚く尊崇されてきた。
また一方では、1世紀後半に西北インドに興ったクシャーナ朝に伝えられて
「太陽神ミイロ」
となり、後にはこれが仏教に取り入れられ「弥勒菩薩」となる。
アケメネス朝の頃から、ミトラ派の神官たちは小アジア地方にも活動の場を広げていたが、
紀元前1世紀頃になると彼らはギリシアの影響を強く受け、その結果、ミトラ神をギリシアの
「太陽神ヘリオス」
と同一視した新たな信仰が生み出される。
またミトラ派の神官たちは、バビロニアの神官団(カルデア人)と合流し、ミトラの密儀とバビロニアの占星学を統合して
「秘教占星学(ズルワーン神学)」
を作りあげ、ミトラ教という宗教に発展させた。
これはのちにバビロニア=ストア学派の手でローマ帝国に伝えられる。
このバビロニア=ストア学派は、バビロニアの宗教思想をギリシアやローマへ導入する窓口で、紀元前4世紀から3世紀まで約700年間活動した。
●既に触れたように、ミトラ教はローマ帝国内で非常な威勢を誇った。
各地にミトラ神殿が建立され、歴代ローマ皇帝の中にも、ミトラ神を政治的に利用するだけではなく、信仰を捧げた者がいた。
しかしこれは別に驚くほどの現象ではない。
もともとミラト信仰はアーリア民族の神話(正典『アヴェスタ』)をベースにしたものであり、ペルシア帝国と同じアーリア系国家であるローマ帝国内でも絶大な人気を誇るのは自然な成り行きであったのだ。
しかし、現実の歴史は、キリスト教による世界独占の方向に進んだ。
ミトラ教の敗北は、313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を受容した時点(ミラノ勅令)で、ほぼ決定したのである。
●なお、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥のユリアヌス帝の時代に、ミトラ教には失地を回復するチャンスがあった。
ギリシア哲学に傾倒し、教養ある賢帝だったといわれるユリアヌス帝は、キリスト教を捨ててミトラ教に帰依し、ミトラ教の復興に尽力したのである。
だが、このユリアヌス帝の死後、ローマ政権と結んだキリスト教による一元的な宗教支配体制が着々と押し進められていった。392年には、ローマの伝統である宗教的寛容さを打ち切る旨の勅令が出され、国の祭儀として行われていた古代ローマ時代から続く儀礼への国費補助が打ち切られた。そして、ミトラ教をはじめとする異教の神殿は破壊され、それまでミトラ神の洞窟神殿だった聖域上にキリスト教会が建立されたのである。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html









■■■第2章:ローマ帝国以外でのミトラ教の動き 〜東方ミトラ教の活躍
●ミトラ教は徹底的に弾圧され、ローマ帝国内から駆逐された。
しかしこれがローマ帝国崩壊への決定的な引き金となり、ローマ帝国は東西に分裂する。
ミトラ教は一般にこの時点で地上から消滅してしまったと考える人が少なくないが、その認識は正しくないといえる。
ミトラ教全体の歴史に関しては、東條真人氏の著書
『ミトラ神学 ─ 古代ミトラ教から現代神智学へ』(国書刊行会)
に大変詳しく載っている。興味のある方はぜひ一読して欲しい。とりあえず、ローマ帝国以外でのミトラ教の動きについて、以下に簡単に紹介しておこう。
●ヘレニズム時代、ヘレニズム政策のもとで、出身民族を問わないミトラ派が勢力を強めていた。
アレクサンダー大王の東方遠征で、もとアケメネス朝ペルシア帝国だった広大な地域には、セレウコス朝シリアやパルティア王国が作られた。
この2つの王国は、ともにヘレニズム的な国際主義を国策としたので、ミトラ信仰とミトラ派の「ズルワーン神学」が大いに興隆し、この2つの王国では「ズルワーン神学」が国学となり、国王はミトラ神の化身であるとされた。そして、ギリシア神話との対応関係が研究され、これまでのものに新たな概念が付け加えられた。
このギリシア神話と融合した神話は、西アジア一帯に広まり、大変な人気を博した。この人気を背景に、「ズルワーン神学」の周辺部の知識がギリシア人によって西に伝えられ、「占星術」として知られるようになったのである。
●トルコ北部とクリミア半島には「ポントゥス王国」ができた。これはクルド人がつくったミトラ教国家で、この国の海軍の将兵たちがローマ帝国に積極的にミトラ教を広めたのであった。
クルド人は、のちにアユーブ朝とザンド朝をつくり、イスラムにミトラ教を融合させていった。
アフガニスタン・パキスタン・中央アジア・カシミール地方を合わせた地域には、ミトラ神を崇拝する
ミトラ教国家「バクトリア」
が誕生した。バクトリアの王家は、ギリシア系のプラトン一族で、ギリシア本土の哲学者プラトンとつながっている。
このバクトリアが滅亡したあと、「クシャーナ帝国」が生まれ、仏教を国教とした。
王朝が変わってもミトラ信仰は盛んだったので、それを仏教化した弥勒信仰が生まれた。
●ちなみに、厳密にはピタゴラス、エンペドクレス、プラトン、ストア学派、新プラトン学派というのは、純粋なギリシア哲学ではない。
彼らはカルデアの神官から「ズルワーン神学」を学び、それをギリシアに広めたのである。
プラトン一族のもとには、ミトラ教のカルデアの神官がひっきりなしに来訪していた。
また、新プラトン学派という呼称は、19世紀にドイツの学者が便宜上つけた名称で、当人たちは「カルデア神学の師」と自称していたのである。
この件について、ミトラ教研究家の東條真人氏は次のように語る。
「日本は、明治維新以後、欧米から知識を輸入し、その他の地域からはほとんど何も輸入しなかったため、
欧米の勝手な歴史観を鵜呑みにしてしまった。
その典型が
『ギリシア哲学はヨーロッパが継承した』
という欧米人のプロパガンダである。
これは宗教・神智学に限って言えば完全なウソである。
ピタゴラス、エンペドクレス、プラトン、ストア学派、新プラトン学派という一連の流れは、ミトラ教を介して、
シーア派とスーフィズム(イスラム神秘主義)に継承されたというのが真実である。 
〈中略〉 
現代イラン(シーア派)の神智学や政治神学もプラトン直系である。
こういう事実を素直に認めないといけない。
ホメイニ師の政治神学は、プラトンの『国家』を発展させたものである。
欧米人はムシのいい一面があって、自分たちだけがギリシア文化の継承者だというイメージを世界に植え付けようとしているのである。
こういうイメージ操作を打ち破って欲しい。」
●こうした一連の歴史の流れの中で、「ズルワーン神学」の後期の形態から「西方ミトラ教」が生まれ、それがさらに発展して「東方ミトラ教(明教)」になった。イスラムが広がり始める7世紀以降は、徐々にイスラムにとって替わられていくが、全てが一夜にしてイスラム化したわけではない。12世紀まで東方ミトラ教の本部はバグダッドにあったし、イラン本土では16世紀までイスラム教徒は60%で、残りはマズダー教徒や東方ミトラ教徒であった。
こういう並存状態の中で、ミトラ神学はイスラム神学の中に移されていった。それには様々な形態があった。イスラム神学者や神秘主義の師たちがこれらを学んで、それをイスラムの中に取り入れる場合もあれば、マズダー教徒やミトラ教徒の集団が「スーフィー教団」と呼ばれるイスラム神秘主義の団体に変わっていくという場合もあった。
やがて、ミトラ神学を理論的支柱としながら、外面的には「マフディー信仰」という形態をとっている宗派が形成されていく。それがシーア派とイスマーイール派である。この両派の柱となる理論は「宇宙の中軸」理論と呼ばれているが、これはミトラ神学を継承発展させたものである。
このイスラムの神学は「東方神智学」と呼ばれている。
●ミトラ教は時代によって5つに区分することができる。
◎原始ミトラ教時代……紀元3世紀までのバビロニアを中心とした時期
◎西方ミトラ教時代……ローマ帝国とセレウコス朝シリアを中心とした時期
◎東方ミトラ教時代……バビロニア=イラン=中央アジア=中国など
               全ユーラシア大陸に広がった時期。
               伝道者マニの名をとって「マニ教」とも呼ばれる。
◎東方神智学時代………イスラムの神学と融合した時期
◎現代神智学時代

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html









pp6501500000364.jpg
ゾロアスター


pp6501500000365.jpg
光輪を持つゾロアスター教のシンボル


pp6503900000362.jpg
ミトラ密儀が行われた洞窟,奥に岩から生まれるミトラ神の立姿


pp6503900000220.jpg
ユリアヌス帝,キリスト教を捨ててミトラ教に帰依,ミトラ教の復興に尽力


pp6507500000360.jpg
広隆寺の弥勒菩薩像,国宝第一号に指定されている





posted by datasea at 01:48| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[古代文献] 明治期,人智学/神智学勃興,ミトラ教の認知ひろがる

■■■第3章:神智学協会と人智学協会
■■「神智学」とマダム・ブラバッキー
●現代神智学の祖はロシア人のブラバッキー夫人である。
本名はヘレナ・ペトロヴナ・ブラバッキーで、1831年にロシアのエカテリノスロフに生まれ、前半生は放浪の生活を送った。
自伝によれば、世界を旅して秘教を学び、エジプト、中東、ジャワ、日本にまで足を伸ばし、インドのラダックからチベット入りを試みたという。
そして1851年にロンドンのハイドパークで初めてマスター(霊的師匠)に出会ったともいう。
マダム・ブラバッキー。
1975年に 「神智学協会」を設立。
●1873年に渡米して心霊研究家となり、1875年にオルコット大佐とともに「神智学協会」を設立。
そして1877年に1000ページを越す大著『ベールを脱いだイシス』を完成させ出版。
これは古代宗教から東洋思想、西洋的秘教から現代科学までを縦横無尽に並べ、上巻で科学の誤謬を、下巻でキリスト教の誤謬を論じたものであった。そして題名から分かる通り、西洋オカルティズムの故地としてのエジプトを指向していた。
●翌年1878年に、マダム・ブラバッキーはインドに渡った。
インド行きは思想面にも転換点を与えた。東洋的秘教用語を積極的に取り入れるようになり、ヒマラヤのマスターの存在を説くようになった。
また新たに輪廻転生説やカルマ説を認めただけでなく、根源人種論が加わった。
これは7つの循環期、7つの根源人種といった段階を経て人類が霊的に上昇していくという霊的進化論である。
それが最初に開陳されたのがA・P・シネットの
『エソテリック・ブッディズム』(1883年)
であり、驚くべき物量で展開されたのが、マダム・ブラバッキーの主著とされている
『シークレット・ドクトリン』(1888年)
である。
●「神智学協会」は1882年に、インド・マドラス郊外のアディヤールに本部を移し、その2年後にマダム・ブラバッキーとオルコット大佐はヨーロッパを訪問。多くの著名人から歓迎され各国に支部を建てている。しかし、この欧州訪問中、アディヤールの本部は大騒動になっていた。エジプト時代の旧友で本部の職員だったエマ・クローンが、解雇された腹いせに、インドのあるキリスト教系新聞にマハトマの手紙の「真相」を暴露してしまったのである。
「神智学協会」は注目を集めていた団体だけに、このニュースはすぐにイギリスにも伝わり、この調査に当たったリチャード・ホジスンの提出した報告書は、マダム・ブラバッキーにとって致命的な内容だった。
●この報告書のために、彼女は追われるようにインドを逃げ出し、ヨーロッパを転々とした。
1887年にロンドンに到着すると、彼女をあくまでも東方から来た導師と仰ぐ信奉者が、欧州やアメリカから集まり、ロンドンに
「ブラバッキー・ロッジ」
が開設された。そして機関紙『ルツィフェル』を創刊し、
『シークレット・ドクトリン』『神智学の鍵』(1889年)
の出版とむしろ精力的な活動を続けるようになる。
1891年、彼女は多くの謎を携えたままロンドンで亡くなった。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html















■■「人智学」とルドルフ・シュタイナー
●日本でも「シュタイナー教育」で有名なルドルフ・シュタイナーは「人智学」の創始者である。
その著作や講演録は、実に400巻に及ぶ膨大なものである。
ルドルフ・シュタイナー。
1912年に「人智学協会」を設立。
●シュタイナーは1861年に、現在のハンガリーとクロアチアの国境沿いにあるクラリエヴェクに生まれた。
1879年にウィーン工科大学に入学し、物理学を中心とした自然科学を専攻しながら、同時にドイツ最大の詩人ゲーテの研究にも手を染め、卒業後の彼は、まずゲーテ研究家として世に出ることとなった。1891年にロシュトック大学で哲学博士号を取得。1893年には、ゲーテ科学論文集を編集している。
●シュタイナーは、マダム・ブラバッキーが創始した「神智学」に深い関心を抱くようになり、神智学協会内部での定期的な講演会を持つようになる。そして1902年に神智学協会ドイツ支部が創設されると、多くのメンバーの推薦でシュタイナーはその事務総長に就任。
彼は機関紙『ルツィフェル』誌上で、続々と重要な論文を発表していくことになる。
だが1912年、マダム・ブラバッキーの後継者アニー・ベサントと意見が衝突して、シュタイナーは神智学協会から離反することになる。
同年末、彼が自ら主宰する「人智学協会」を設立すると、ドイツの神智学者のほとんどは彼に従った。
●マダム・ブラバッキーのような純粋な霊媒とは異なり、自然科学者の目と哲学者の論理的思考能力、それに芸術家の文章構築力を備えた見霊能力者であったシュタイナーは、これからの神秘学は、学問として成立しうるものでなくてはならないと考えていた。そのためには、従来の神智学協会における「マハトマ」のような神秘的存在は、まず第一に遠ざけねばならないと考えた。
なぜならば、そうした存在は教祖にしか把握できず、それゆえに教祖の仲介なくしては、それと接触するのは事実上不可能だからである。
万人が自ら、彼のいう「超越的認識」を獲得できてこそ、人智学はひとつの学問たりうる。
「いかなる人もここに述べられている霊学的認識内容を自分で獲得できる」
──この高らかな宣言こそ、人智学が従来の神秘主義と決定的な一線を画したことを示す凱歌であった。
●シュタイナーは死後の世界の実在や、輪廻転生、カルマ、存在界の三区分(物質界・生命界・霊界)、生命の霊的進化などの観念を総合し、独自の壮大かつ緻密な宇宙観を組み立てた。そこには当然、彼が神智学から受け継いだ伝統的な東西の秘教の教義というバックボーンがある。だがその多様な霊的知識を、彼は整合性と合理性に裏打ちされた大系にまで高めたのである。
●彼は、物質偏重に傾きすぎた今日の文明のあり方を正すために、今こそ古代以来の秘教的・霊的知識を総合し、これを万人に公開せねばならない、と考えていた。そしてそのためには、近代的認識批判の立場にとっても受けいれられる言葉によって、それを語ることを必要とし、自らそれを実践してみせたのである。
教育においては、「シュタイナー学校」と呼ばれる独自の全人教育システムを考案し、社会芸術としての教育を提唱。
社会運動の分野では、社会を
法律(国家)・経済・精神(文化)
の3つの領域に文節化する「社会三分節化運動」を唱導した。
また、今から70年も前に農薬や人工添加物の害を説き、土壌を破壊しない肥料を開発するなど、時代を先取りした農法を理論化し実践した。
そして芸術面では、自ら画家・彫刻家として多数の作品を制作したほか、人間の肉体と心によって霊の存在を可視的に表現する未来芸術「オイリュトミー」を創始している。
●1925年にシュタイナーは世を去った。(彼はナチスによる迫害の対象となり、晩年は苦しい社会的生活を強いられていた)。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html












pp6518800000356.jpg
マダム・ブラバッキー,1975年に神智学協会を設立。


pp6519120000357.jpg
ルドルフ・シュタイナー,1912年に人智学協会を設立。


pp6519900000209.gif





posted by datasea at 01:36| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

天体情報:惑星二ビル



pp6520170830233.jpg

pp6520170830212.jpg

pp6520170210221.png


Jeffery Pritchett
Planet X: ‘I’ve Seen Top Secret Image of Planet X… and it Is Coming to Earth’ via David Meade (Video)
Friday, September 1, 2017 9:22
(Before It's News)

Before It's News
http://beforeitsnews.com/paranormal/2017/09/planet-x-ive-seen-top-secret-image-of-planet-x-and-it-is-coming-to-earth-via-david-meade-video-2527518.html






(要約)
天体情報:惑星二ビル
David Meade―米オルタナティブ系ラジオショーで惑星二ビル研究近況報告
2017年9月1日金曜日9時22分
Jeffery Pritchett
クリスチャンのオルタナティブ系科学者David Meade(デイビッドミード)氏が、
10月に惑星二ビルが地球付近を通過すると警告している。
David Meade氏は31日、米オルタナティブ系ラジオショーに出演、
惑星二ビルの近況について語った。
David Meade氏
「惑星二ビルの目撃報告が増えている」。
「パリの天文学教授は惑星二ビルが存在すると言っていた」。
「最近ユタ州の知り合いが、北極点のすぐ上にある惑星二ビルの写真を私に送ってきた。
ユタ州上空、飛行機の窓から撮った写真だ。
写真から推測すると、惑星二ビルの位置は地上20,000〜25,000フィートあたりだ。
私の見解では、写真に映った惑星二ビルは、
飛行機のプレキシガラスウィンドウ(an aircraft Plexiglass window)ごしに撮られたものなので、
レンズフレアではなく天体の光だ」。
David Meade氏
「大ピラミッドの中の2つのトンネルのなす角は、9月20日の天体配置を示している。
黙示録12章、ギーザの大ピラミッド、時と場所を隔てた2つの文献が正確に同じ日付、2017年9月20日を指している事は驚くべき事だ」。
太陽系には数百万の小惑星が存在する。
その多くが火星と木星の間の小惑星ベルト(the Asteroid belt)にある。
小惑星のうち、地球付近まで浮遊してくる小惑星を地球近隣物体(Near-Earth objects)という。
地球近隣物体は頻繁に飛来していて、だからよくある事といえばそれまでだが、
8月21日におきた日食は、9月23日の惑星二ビル接近のサインだと私は考える。
9月23日に惑星二ビルが接近して、10月に通過する時の大災害を懸念する。
9月23日はバイブルコードに日付マーカー(date marker)として記録された日付で、
これは エジプトのギーザのピラミッドにも記録されている。
惑星二ビルがはじめて世の話題になったのは1976年、
Zecharia Sitchin氏が中東の2つの古代文明−バビロニア文明とシュメール文明−の記録にある惑星二ビルの記述を発見した事にはじまる。
その後、NASAは太陽系内に新惑星を発見したと発表、第9惑星(Planet Nine)と名付けた。
地球の10倍以上の質量をもつ第9惑星は太陽系外、オリオン座方向にあると伝えた。
そして、このニュースをきっかけにして、Sitchin氏の惑星二ビルの研究は多くの人の知るところとなった。
NASAは、第9惑星は地球には接近しないとし、黙示録予言の惑星X理論はデマであるとした。

dgfsgsdsg pc







posted by datasea at 20:38| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする