2020年05月18日

小松和彦「神になった日本人 」〜日本最大級の怨霊・崇徳院が「まったく特異である」決定的な違い

小松和彦「神になった日本人 」〜日本最大級の怨霊・崇徳院が「まったく特異である」決定的な違い
日本最大級の怨霊・崇徳院が「まったく特異である」その決定的な違いとは
5/17(日) 17:00配信
古来、この国は疫病の流行や天変地異に幾度となく見舞われた。さまざまな「災厄」は人間の側では制御しえない。人びとはそうした災いを、荒々しい怨霊が引き起こす「祟り」と考えたのである。
怨霊や「祟り神」の気持ちを鎮めるためには、特別なことがおこなわれた。また残された人びとが伝える「物語」が必要であった。
日本史上最大級の怨霊、崇徳院をめぐる物語から見える、日本人の心の奥に潜むものとは――。(全2回の1回目/ #2 へ)
※本稿は、小松和彦著『 神になった日本人 』(中公新書ラクレ)の一部を、再編集したものです。
香川県坂出市郊外の白峰山中にある真言宗の古刹・白峯寺は、四国88ヶ所第81番札所として遍路の巡礼者たちがひきもきらずに訪れる。
しかしこの寺は、お遍路さんばかりでなく、「人を神として祀る習俗」に関心のある者にとっても、見過ごせないところである。
というのは、ここには保元の乱(1156年)に敗れて流罪になったまま、この讃岐の地で亡くなった崇徳上皇(崇徳院)の陵(みささぎ)とその廟所である「頓証寺殿(とんしょうじでん)」があるからである。「陵」とは天皇の「墓」であり、「廟所」とはその霊魂を仏式で祀ったいわば「神社」に相当する宗教施設である。
崇徳上皇(1119〜64)は日本史上最大級の怨霊として後世に名を残した天皇である。これに比肩できるのは、早良親王(追号・崇道天皇)や菅原道真の怨霊くらいであろう。
■「生前に死後の怨霊化を決意した」人物はいない
早良親王は光仁天皇の第二皇子で、実兄である桓武天皇の皇太弟となったが、政敵暗殺事件に関与したとして廃太子となり、淡路への配流の途上、抗議のため自ら飲食を断って絶命した。また菅原道真は、学才によって頭角を現し、右大臣に取り立てられるという破格の出世を遂げるが、讒言(ざんげん)にあって大宰府に左遷され、そこで失意のうちに没している。
三者はともに、京での政争に敗れ、あるいは陰謀によって追い落とされて、西国に配流されたという共通点があるが、しかし怨霊としての性格は崇徳上皇と後二者とでは異なっている。早良親王と菅原道真は、確かに悲運に見舞われ悲惨な目にもあったが、だから怨霊になってやろうなどとは思っていなかった。怨霊化したのは、ひとえに、かれらを追い落とした勢力、すなわち勝者の側の「後ろめたさ」に由来するのである。世を騒がせる怨霊のほとんどは、このケースだと言ってよい。
これに対して崇徳上皇の場合は、何と生前から、死後は怨霊となって自分を除いた者たちに復讐しようと決意していたのである。
すなわち崇徳上皇は、天下滅亡を呪詛した文言を記した、自らの血で書写した五部の大乗経を残していたのである。それまでの歴史をながめても、このような「生前に死後の怨霊化を決意した」人物はいない。その意味で、崇徳上皇はまったく特異な怨霊なのである。
■誕生時からさしていた不幸の影
崇徳上皇は、元永2年(1119)、鳥羽天皇の第一皇子として生まれた。母は皇后璋子(待賢門院(たいけんもんいん))である。諱は顕仁。第一皇子と言えば、のちに天皇となる可能性が極めて高い立場にいる皇子である。しかし、かれの場合は誕生したときから、その未来に不幸の影がさしていた。
というのは、かれは鳥羽天皇の子ではなく、鳥羽天皇の祖父である白河法皇と璋子との密通によって生まれた子と噂されていたからである。自分の妻の生んだ子が自分の子でないらしいと知った鳥羽天皇が顕仁親王を快く思わなかったのも当然であった。実際、鳥羽天皇はかれのことを「叔父子(おじご)」、すなわち「自分の叔父(父の兄弟)でもある子」と呼んでいたという。まさに暗雲が漂っていたわけだが、結果から言えば崇徳上皇は、この暗雲に否応なく身を投じることになる。
保安4年(1123)、5歳のときに、顕仁親王は即位して崇徳天皇となり、父の鳥羽天皇は上皇になった。このように書くと、不幸な出生にもかかわらず天皇になれたと思われるかもしれない。しかし、そうではない。当時を院政時代と呼んでいるように、退位した天皇(上皇。仏門に入った場合は法皇。「院」は上皇・法皇の敬称)が実権を握っていた時代であった。
■失意のなかで起こした「保元の乱」
保延5年(1139)、待望の皇子・体仁親王を得た鳥羽上皇は、すぐさま崇徳天皇に譲位を迫った。本来ならば、崇徳天皇の第一皇子である重仁親王が帝位を継ぐべきところだが、鳥羽上皇はこれを無視し、わずか3歳のわが子・体仁親王をむりやり即位させてしまったのであった。この皇子が17歳で早世することになる近衛天皇である。そして自身も出家して鳥羽法皇となった。永治元年(1141)のことである。
しかし院政は鳥羽法皇がとり続け、久寿2年(1155)、鳥羽法皇は自分の第四皇子つまり崇徳上皇の弟にあたる雅仁親王を、近衛天皇の次の帝位につけることにしたのである。この天皇が、のちに源頼朝をして「日本国第一の大天狗」と言わしめた後白河天皇(のち法皇)である。
後白河天皇即位により、第一皇子の重仁親王即位の望みが断たれた崇徳上皇は、失意のなかで翌保元元年(1156)、左大臣・藤原頼長と組み乱を起こした。「保元の乱」の勃発である。現在から見れば、この戦いこそ390年続いた平安王朝に幕を引き、「武者の世」を引き寄せる重大なきっかけとなったのだが、無論、かれらはそんなことを知る由もない。
■崇徳上皇の最期
勝負は平清盛、源義朝が率いる600余騎の白河北殿急襲により、わずか数時問であっけなくついた。後白河天皇方の完勝である。頼長は敗死し、崇徳上皇は投降した。
崇徳上皇はただちに讃岐に流された。帰京を切望し続けたが許されず、8年の配流生活の末、長寛2年(1164)に亡くなり白峰山に葬られた。享年46。
それでは、崇徳上皇の怨霊が取り沙汰されるようになったのはいつ頃からだろうか。なぜ人々は「崇徳院の怨霊」を恐れ、おどろしい物語で伝え続けてきたのか?
怨霊発生の温床は、「亡くなった者は自分を怨んでいるだろう。その恨みの深さゆえに、なんらかの方法で復讐しようと、怨みをはらそうとしているだろう。あの世から災厄を送りつけてやりたいと思っているだろう」という勝者側の思いのなかにある。つまり怨霊は、勝者=加害者側の「負い目」「後ろめたさ」「弱み」の念のなかに、あるいは敗者の非業の死に同情する人びとの心のなかに生まれてくるのである。勝者側やその近辺に生じた災厄や不幸を、非業の死を遂げた者の霊の仕業だと判断したとき、怨霊の「祟り」が発生することになる。崇徳上皇の場合も同様であった。
■「崇徳上皇の怨霊の仕業ではないか」
保元3年(1158)、後白河天皇は嫡子・守仁親王(二条天皇)に帝位を譲り、院政を敷いた。もちろん崇徳上皇が流罪先でまだ生きているときにはその生霊を恐れることはなく、崇徳上皇が亡くなってもしばらくはその死霊を恐れることはなかった。また、巷間で怨霊のことが噂されることもなかったようである。
ところが、崇徳上皇が亡くなって10年ほどたった頃から、その名が囁かれる事件が発生しはじめる。すなわち、安元3年(1177)の大火(太郎焼亡)や翌年の大火(次郎焼亡)をはじめとして相次ぐ災厄の発生を、人びとは崇徳上皇の怨霊の仕業ではないかと噂しあうようになったのである。
いつの世でも、こうした噂や社会不安はたちまち社会にゆきわたるものである。その事態を後白河法皇も深刻に受け止めざるを得ず、崇徳上皇の霊の供養をおこなうことになった。安元3年、保元の乱で敗死した藤原頼長を正一位に復し、それまでは「讃岐院」と呼ばれていた崇徳上皇に初めて「崇徳」の号を追贈した。これ以後、崇徳上皇を「崇徳院」と呼ぶようになったのである。
さらに、讃岐の崇徳上皇の墓所を「山陵」と称して天皇陵として扱うようになり、その周囲に塀をめぐらして清浄を保ち、陵を守る者を配置した。さらに寿永2年(1183)には、崇徳上皇の遺子・元性法印(がんしょうほういん)のもとに天下滅亡を呪詛した血書経があることが判明したので、その供養をおこない、翌元暦元年には、ついに崇徳上皇と頼長の霊を祀った「霊社」(神社)を保元の乱の戦場となった白河北殿跡に建立するに至った。その「霊社」はのちに粟田口に移された。
当初、この「霊社」は、崇徳院粟田宮と言われて独立した神社であったが、賀茂川のたびたびの水害で、東山粟田口の粟田神社へ移されたとされている。
さまざまな物語が生み出された「崇徳上皇の祟り」

 しかし、崇徳上皇の怨霊はなかなか鎮まってはくれなかった。建久二年(1191)、後白河法皇が病になったときも崇徳上皇の祟りとみなされ、その結果、讃岐の陵のすぐ近くに崇徳上皇の怨霊を鎮めるために「頓証寺」が建立された。これが現在も白峯寺内にある頓証寺殿である。

 平氏も崇徳上皇の祟りを恐れ、白峯陵に平時忠らを送って鎮魂の祈願をおこなっている。おそらくは清盛の死や平氏の滅亡、源氏政権の誕生も、崇徳上皇の祟りがもたらしたものだという噂が流れたのではなかろか。

 後白河法皇や平氏がおこなった、崇徳上皇と頼長の怨霊鎮めのための活動をふまえて、やがてさまざまな物語が生み出されることになった。例えば、その先駆となった『保元物語』のなかでは、崇徳上皇の後白河政権への呪詛の様子が、次のように語られている。

 崇徳上皇は、乱を起こして多くの犠牲者を出したことを大いに反省し、指先から血を流して3年がかりで書写した五部大乗経を、京都の石清水八幡宮に奉納しようとした。ところが、後白河上皇(当時)の側近である藤原信西入道に拒まれた。怒った崇徳上皇は、その経を地獄・餓鬼・畜生の三悪道に投げ込み、その力をもって日本一の大魔縁(人心を惑乱してさまざまな災厄を引き起こす天狗)となり、「皇を取って民となし、民を皇となさん」と、舌を噛み切った血で大乗経に呪詛の誓いの言葉を書き付けて、海に投げ入れた――。
■「柩から血がこぼれ出て、石を真っ赤に染めた」
また『源平盛衰記』は、亡くなった崇徳上皇の白峰への埋葬の様子を、次のように描いている。
都から白峰の山に崇徳上皇を葬るようにとの命令が下り、崇徳上皇の遺体を運んでいる途中、一天にわかにかき曇り、雷音鳴り渡り、激しい雨となった。人びとが柩(ひつぎ)を石の上に降ろして雨が上がるのを待っていたところ、柩から血がこぼれ出て、石を真っ赤に染めた――。
もうこのあたりから、崇徳上皇は生前から死後怨霊となって復讐しようと思っていたという伝承が流布し、その臨終の際のすさまじい様子が巷間でも語られていたのである。
■名だたる怨霊たちが天下を大乱に導くために……
崇徳上皇の怨霊=大魔縁のイメージは、時代が下るにつれて肥大化していった。鎌倉幕府の滅亡から南北朝の争乱を描いた『太平記』(14世紀後半成立か)のなかでは、崇徳上皇は天狗の巣窟である愛宕山に集結する日本の天狗の棟梁として語られるようになる。
京都見物にやってきた羽黒山の雲景(うんけい)という山伏が、道で知り合った老山伏に愛宕山に案内される。愛宕山の仏閣に感心していると、老山伏はさらに「せっかくここまで来られたのだから、愛宕山の秘所もお見せしましょう」と言って、本堂の裏の座主(ざす)の僧坊と思われるところに案内した。なかに入った雲景は、恐ろしい光景を目にすることになる。そこにはたくさんの人たちが集まっていた。老山伏の説明によれば、そこにいるのは悲運の前世を送らざるを得なかった帝や高僧、武将たちであった。最上座に座っている金の鵄(とび)が崇徳上皇、その脇に控えているのが源為朝、その左右には配所の淡路から逃亡する際に没した「淡路の廃帝」こと淳仁天皇、桓武天皇が帝位を手にする過程で除かれた井上内親王、さらには後醍醐天皇、敗者の側に立った僧の玄ム、真済などの面々で、いま天下を大乱に導くための密議をしている真っ最中であった――。
興味深いことに、崇徳上皇はこの時代になると、黄金に輝く「天狗の棟梁」となっていたのである。
崇徳上皇怨霊伝説はその後も語り継がれる。能の「松山天狗」は、崇徳上皇を弔うために西行がその墓陵を訪ねるという趣向である。西行の前に崇徳上皇が現れ、二人は再会を喜ぶが、崇徳上皇は往事を思い出すにつれて怒りの姿に変わり、怨霊としての正体を現す。しかし白峰の天狗たちに慰められて機嫌を直して去っていく。
西行は鳥羽法皇の北面の武士であり、崇徳上皇とも交流があった。西行が妻子を捨てて放浪の歌人となった背景に、鳥羽法皇と崇徳上皇との対立、その側近たちの対立が影響していたことも考えられる。もし武士のままでいれば保元の乱に巻き込まれていたかもしれないのである。そうした経緯があったからこそ、後世の人びとが、能のなかに西行と崇徳上皇を呼び出して再会させたのではなかろうか。
■失われた王朝時代への郷愁が生み出した
それにしても、なぜこれほどまでに崇徳上皇の怨霊が脚光を浴び続けたのだろうか。
おそらく人びとのなかに、崇徳上皇が生まれたことで貴族政治が終焉し、武家政権が誕生することになったという思いがあったからであろう。
もし鳥羽上皇の皇后であった待賢門院璋子が白河法皇と密通しなかったら、崇徳上皇は生まれなかった。崇徳上皇が生まれなかったら、保元の乱は起こらず、貴族政治がなお続き、平安の世も続いただろうという失われた王朝時代への郷愁が、崇徳上皇を呼び出し続けたのではなかろうか。
小松 和彦

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2020年05月05日

inu:中国の道教

inu:中国の道教
中国の道教
金正耀著、宮沢正順監訳、清水浩子+伊藤丈訳、 平河出版
我々は「道教」という名はしばしば耳にしますが、その実体についてはほとんど何も知りませんよね。
お隣中国の文化の重要な構成要素でありながら、その内容について何の理解も持たないというのは極めて残念なことであると思います。
幸いにして本書は道教を体系的かつ解りやすく解説したもので、著者も優秀な研究者の方です。
その内容をさらに簡略にまとめ、かつ私個人の思ったことを付加したものが本論です。
本論をお読みいただければ、「西遊記」「封神演義」等の中国古典をより楽しむことができるでしょう。
また、少しは道教についての理解も促進されるのではないでしょうか。
「道教」を考えることで、宗教とは、神話とは、日本とは、など様々な事項に対する重要な示唆が得られるものと思います。
なお、私個人の考えは本段落のように一段下げた形で、かつ斜字体で表記することと致します。
解説、比較などが主たる私の付加事項です。
以下の叙述は「中国の道教」の章毎の要約で時代順に書かれております。
時間軸に沿ってとらえることが、道教を理解するには必須かと思われますので本文に従うこととしました。
■第1章−道教とは何かについての概論−
道教は、キリスト教、仏教などと異なり教祖一個人が創立したものではない。
成立初期には多数教団が乱立し、南北朝時代に仏教との拮抗によって初めて道教は「道教」と呼ばれるようになった。
この成立過程について、道教と日本の神道は同じであると感じます。
神道も初めは単なる自然崇拝でしたが、外来の極めて精密な体系を持った「仏教」との関係において初めて「神道」という概念ができ当たりました。
やはりその、哲学的というか神学的に体型化された宗教というもの、すなわち一神教や仏教などはその論理整合性という点でたの宗教に大きな影響力をもたらしますね。
それに対抗するには土着の宗教も理論武装するしかなくなるわけですから、道教と仏教の関係と同様の事象は世界各地で起こっているものと推測されます。
それができなかった場合、淘汰されて行くのでしょう。
道教の追求した目標は、道を得て仙人となり、長生きして死せざる事である。
この点極めて目標が現実的ですね。
解放としての解脱、復活と天の国など、他宗教の目標が彼岸にある点との差違が目立ちます。
私個人としては、現世利益に何の意味があるのかに疑いを抱きますが、このように考える人もいればそうでない人もいるでしょう。
少なくとも漢民族は極めて現実的であり、観念的ではなかった、と評価することはできるでしょう。
どちらが高等、という問題ではないですね。
■第2章−漢時代における道教の成立−(紀元前3世紀〜紀元3世紀)
道教そのものの最初の教典は、後漢の「太平経」である。
この書物は太平道、五斗米道(それぞれ三国志の「黄巾の乱の張角」と、「蜀の張魯」というと解るでしょう)等に影響を与えている。
なおこの時代の道教の教団はそれぞれ別個独立に成立し、相互に関連を持っていない。
この「太平経」は皇帝が国を治めるのをどのように援助するか、どうしたら太平の世が訪れるか、という点に中心があり、成仙不死にはほとんど注意を払っていない。
すなわちこの時代の道教と、後の時代の道教は全くその内容を異にしている。
その目指すところは儒学と同じであったと考えてよい。
つまり道教教団上層部は、統治階級の人々を引き込もうとし、彼らのために国を治め太平の世を造ろうとしていたのである。
■第3章−魏晋南北朝時代の道教−(3世紀〜6世紀)
この時代は、いわゆる道教が現在の形となった時代である。
道教は「世をすくい太平をもたらすもの」から「化仙し不死を得るもの」へと変化した。
これにより下層部が武装蜂起に走りがちで統治者から敵視されていた道教は、封建体勢にとって適合的なものとなったのである。
恐らくですが、以前の道教が目指した地位には儒学が居座ってしまった結果なのでしょう。
その競争に敗れた道教は、異なる方針を模索したのではないでしょうか。
葛洪、西晋の時代、三世紀後半の人
「抱朴子」を著述して煉丹学に大きく貢献し、道教が政治色を帯びることを好まず、儒家君臣父子秩序に反せず、封建統治を損なわない神仙道教理論をうち立てた。
いわゆる現在の道教の金型を作った人、といってよいでしょう。
煉丹学とは、道教の「成仙不死」を達成するための重要な手法の一つです。
医薬品(これを「丹」といった)の服用とその製造方法、と考えるとよいでしょう。
金属や鉱石の不滅の特性を人体に移すことができれば、身体は金石のように簡単に朽ち果てないものとなるだろう、という発想が煉丹の根底にはあります。
「丹」とは硫黄と水銀によって作られた鉱物であり、毒性の強いものでした。
それに関しては後ほど詳しく述べます。
寇謙之、4世紀後半、北魏の人
彼は天師道(五斗米道と同じ、名前が変わっただけ)の指導者として教団の改革を行い、皇帝権力との関係を結んだ。
彼の最大の功績は、道教と権力との密接な関係をうち立てたという点にあります。
以後道教は、統治者の御用宗教として、密接な関係を保ち続けるのでした。
陸修静、5世紀、晋代の人
道教教典を整理し、新しい道教の戒律と儀式執行手順をまとめた。
彼によって初めて、従来はバラバラに存在していた多数の教団が、一つの「道教」として認識されるようになった、と考えておくとよいでしょう。
陶弘景、南朝の人、5世紀
彼は信仰の対象としての神仙の席次を定め、信仰体系を確立した。
「神霊位業図」における神界の7層構造は、人間世界を反映したもの。
すなわち彼は、神仙の等級分化を理解すれば現実の貴賤の別を受け入れられるとして、封建制度を合理化するのである。
その目的はもちろん、道教をよりいっそう統治者に役立たせることでした。
このあたりに、神話や宗教の大きな現実的機能と意味の一つがあると考えてよいのではないでしょうか。
「封神演義」を読んだことのある方ならば、神々の間にも宮廷組織が存在し、最高神から使い走りの神格まで存在するという場面に遭遇したことがあるでしょう。
ギリシア神話におけるオリンポスの序列等が例としては適当かもしれません。
すなわち、神々の序列とは高度に政治的配慮によって決定されるものであるということです。
例えば征服民族が被征服民を懐柔同化するには、その被征服民の神格に、征服民の神話体系のヒエラルヒーにおける地位を与えればよいわけです。
たとえば、ゼウスの弟(兄の場合もあり)としての地位を与えられたポセイドンとか、オリンポス12神に加えられた小アジアの神格アポロン、アフロディーテのように。
この点多神教は便利ですが、一神教の場合にはそうも行きません。
先住民の神には、悪魔という名前が用意されているのみです。
上のアフロディーテは、ヘブライの唯一神の下ではではアスタロトなる悪魔になりましたか?
(抜け道として、聖人という便利なものも残されてはいますが)
話題を中国に戻すと、道教ではなんと神々にも宮廷組織が存在するのです。
相撲の番付表のように整然とした序列があるのです。
三国志の「関羽」や「諸葛孔明」も加わった楽しげなものです。
本当にこのようなものを信じる人がいるのか、現在に生きる私には疑問でなりませんが。
■第4章−隋唐時代の道教−(7世紀〜10世紀)
隋代の統治者は道教をもり立てて継承発展させ、唐代には道教は国教となりました。
道教発展の時代、と考えてよいでせう。
隋代に道教は仏教に及びませんでした。
それは隋建国者の楊堅が寺で育ち、仏教に好感を持っていたからといわれます。
唐代には、李氏(皇帝の一族です)は老子の子孫であるとして、道教は特別厚く保護されました。
仏教が力を持ちすぎるのを嫌ったからでした。
ちなみに老子は、春秋時代の思想家であり、恐らく道教とは何の関係もありません。
ただ道教ではこれを神格化しており、五斗米道の教典「老子想爾注」では「老子」に述べられる「道」を神格化して太上老君」と呼びます。
そしてまた、「老子」の姓が(皇帝と同じ)「李」であるというのは恐らくでっち上げであり、純粋な政治的利用です。
唐代の道教は、以下の三点で皇帝に奉仕しました。
世論の形成
すなわち隋末に、「誰々に天命が下った」などの流言をばらまき、李氏の天下掌握を補助。
この点儒学の「易姓革命」という考え方も、いろいろかっこいいこといいますが要するに新たな権力者への媚びへつらいの理論化にすぎませんね、と思います。
法要を行い、国家及び皇族の長久を祈る。
統治者の神格化には、厳格な儀式が多いに役立ったようです。
皇帝への養生法の提示
詳しくはあとに述べますが、これが唐代の道教の最大の特徴でした。
隋唐時代には、煉丹術が道教の中心の如き様相を呈します。
煉丹術とは、内丹、外丹を含む仙人になるための方法です。
外丹とは、前述の「抱朴子」に詳しい、自然界の鉱物植物動物を原料として、金丹・還丹という薬品を製造するもの。
内丹とは、人体内部の精気神を原料として、人体を炉として練り上げるものであり、いわゆる「気功」に近いものと考えるとよいでしょう。
この時代に盛んであったのは、外丹の方です。
この外丹は、原料として鉛・水銀・硫黄・砒素を含むものでしたから、人体には大きな害がありました。
丹の服用によって命を落としたものも多く、その服用によってあの賢明な唐の太宗を含む多数の皇帝が命を落としたといわれています。
皇帝に不死の丹を与える、という名目で多数の道士が皇帝に取り入りました。
有名所では、あの始皇帝の「除福」でしょうか。
そのために皇帝は莫大な費用を費やしたわけですから、国が傾くのも道理です。
そうまでしても合理的な人間が、不死等という幻想に取り付かれるものなのでしょうか。
ちなみに皇帝にも賢明な人は多く、北魏の道武帝は死刑囚に服用させて試したそうです。
(その結果多数が中毒死した)
臨終の際に服用しても遅くない、と考えた皇帝もいました。
このように多数が命を落としながらも、それでも外丹に対する進行が失われなかったのは、死んだ人々は正しい方法を階得していなかったからであり、自分こそはそれができると信じていたからであるといわれます。
道士の側には、素晴らしいいいわけが用意されていました。
丹を服用して死んだ人々については、それは本当の死ではなく成仙したのだ、といったのです。
このような神仙は「屍解仙」と呼ばれました。
信じる方も信じる方といった言い逃れですね。
「丹の神効」に体が耐えられず死んだ、という説もあります。
些細なことを書き連ねましたが、この不死をめぐる煉丹術は道教の中心として必要と思い、記した次第です。
この煉丹術の歴史の中で、漢方等の薬学、化学変化等について莫大な知識が蓄えられたことは道教の大きな功績の一つです。
「火薬」も煉丹術から生まれたものだそうです。
■第5章−宋元時代の道教−(11世紀から14世紀)
宋王朝は国力弱体で周辺異民族に対して常に劣勢に立たされており、続く元王朝は征服王朝でした。
動機は違えど民心掌握の強い必要性を持った両王朝では、その政治的目的達成のために道教が積極的に利用されました。
宋王朝で重視されたのは、符ロク(竹かんむりに録)派という一派です。
「符ロク」とは、神を招来し鬼を拘禁して悪鬼が人を犯すことを制止したり、災いを除き病を治したりすることです。
道教には、仙人になり不死を目指すものと、符録派という大きなふたつの流派がありました。
儀式を重視する符ロク派は王朝の神格化という点において多いに役立ったのです。
逆にこの宋代には、唐代に盛んであった外丹術は大きくその勢いを弱めます。
(こちらは主として、符ロク派の対となる、道教のもう一方の主流である成仙不死を目指す流れ)
宋代にも煉丹術は盛んでしたが、そこで行われたのは鉱物を人工の炉で加工する外丹ではありませんでした。
内丹学という、人体を丹を精錬する炉と見立てて精と鬼と神を人体内部で焼煉して丹とし、人を仙人にしようというものが、煉丹学の主流となったのです。
張伯端、北宋時代の内丹学の大成者
人体を小宇宙に見立て、大宇宙は万物を生成する大きな炉であり、小宇宙である人体は小炉であるとした。
人体での煉丹には、天地が万物を生成する法則を理解しなくてはならない。
道は虚無より一気を生じ、次いで一気は陰陽の二気を生じ、陰陽の二気は続いて三体(天、地、人)を創造し、三体はさらに万物を盛んに生成する。
これは道が万物を創成する過程と順序である。
もしこれに反する順序によって修練したならば、終わりから進んで初めに至り、本来の出発点である道に到達し、道と合一できる。
道は永遠に不滅であるので、道との合一によって神仙となり不死となることができる。
以上、一人の人物の思想を詳しく引用しましたが、そこには神秘主義思想との強い類似性が見られます。
「道」との合一による成仙不死などは、神秘主義思想にいうところの合一体験そのものですね。
それに、万物創成の順を逆にたどって根本に至ろうという発想は、ユダヤ教神秘主義のカバラーの考え方と同じです。
宗教思想の根本には、合一という概念が抜き難く存在しているようですね。
なお、この宋代には道教の最高神格が「太皇玉帝」という神格に変化しています。
その経緯が道教の本質を強くあらわしているので、ここに述べることにしました。
道教では、その体系を確立した陶弘景は最高神を元始天尊(万物に先立つという意味の、道教が創造した神格)とし、唐代には帝室の祖先ということで太上老君が最高神とされました。
宋の2代皇帝趙匡義は初代皇帝趙匡胤の弟で、これは父子相伝という皇位継承順にそぐわないものでした。
そこで太宗(2代皇帝)は、自分に「高天大聖玉帝」の命令が下った、との事件をでっち上げ、皇位の継承の正当化・合理化を図りました。
この事件に利用された神格「玉帝」はその流れて、道教の最高神に落ち着きました。
このとき趙匡義に玉帝の天命を伝えた神は「ヨクセイ」といい厚く奉られるのですが、彼の死後二度とこの神は霊験を示さなかったということです。
この事例のように、宗教が完全に皇帝権力の下位に位置したのが古来中華世界のようです。
天命を受けた天子が統治するという中華世界の定義からいえば、当然といえば当然なのですが。
西欧世界の普遍原理であるキリスト教に相当するものが、中華世界では皇帝であった訳なのですから。
この点中世西欧世界のキリスト教の場合、少なくとも世俗権力は(名目的には)神の下に位置していたこととの対比が見事です。
ローマ教会の独立もありますが、何故にキリスト教は世俗権力への服従を免れたのか。
疑問ですね。
創造神への信仰という教義もその一因ではありましょうが、それだけではないはずです。
権力は常に、それを正当化する原理を必要とするからなのでしょうか。
西欧の場合はそれにキリスト教が利用されたので独立を保ち得たが、中国では皇帝そのものが天命という正当化原理を所持していたので宗教に頼る必要がなかったのでしょう。
道教の本質的目的は(佛教同様)個人的なものである成仙不死であるから、世俗のことなどどうでもよいのかも知れません。
元代には、全真道という教団が皇帝権力と結合して主流となります。
中国道教の2大教団が、正一道(張角の太平道、天師道の後身)、全真道です。
道教自体は、統治に有効であるために権力からの迫害はほとんどなく、安泰に存在を続けます。
ある時代に権力との結合を果たした教団は、次の時代には少々軽んじられて、また異なる教団が権力と結合して行きました。
どうでもよいですが、光栄の「ジンギス汗」に登場した南宋の超優秀人材「長春真人」はこの全真道の指導者「丘処機」でした。
動乱の時代において、道教指導者はいかなる権力との結合を果たすべきかという大問題に対処しなくてはならなかったようです。
大教団ともなれば、皇帝、周辺民族からの誘いの声は無数にかかる訳ですから。
この長春真人は賢明にも、次代のスーパーパワーとしてのモンゴル族の力を見抜き、それとの結合をなしえた優秀な人物なのでした。
この全真道の内丹学説が興味深いので、以下に引用してみましょう。
人の心には「真性」が備わり、それは元神・元性・真心などと呼ばれるが、それは不変不滅のものである。
そして成仙の根拠はその上に置かれている。
以上です。
ここにおいて「真性」を「仏性」に置き変えた場合、それはほとんど仏教の内容と同じではないでしょうか。
このように道教は、仏教、儒教の教義をどん欲に吸収して行きます。・
思想的に節操がないですね。
哲学大系に意味はなく、成仙不死という目的の他はどうでもよいのだ、という考え方もそれはそれで正しいものかとも思います。
■第6章−明清時代の道教−
(14世紀〜20世紀)
総じていうと、明清両朝の500年間において、中国封建社会は次第に凋落し、やがて崩壊に至る。
この間道教は、どの分野でもほとんど新たな発展が無く、徐々に衰退していった。
この時代は大変に不思議なものです。
間違いなく世界最高の文化を誇った中華世界。
それがある時点で発展を止め、西欧中心の世界史に編入されて行きました。
最終的要因は経済力と軍事力の差違によるわけですが、その格差を生みだした原因は何であるのか。
火薬の発明、資本の蓄積、労働力の存在など、産業革命の下地は十分に備えられていたはずです。
いずれゆるりと、この分野を学んでみたいものです。
まあ、中華世界の歴史から見れば産業革命以後などたかが4世紀あまり。
異民族に征服された一時期と同じ程度のものでしかありません。
■第7章−結語−
道教は後漢末に誕生し、そのころは反権力的存在でした。
それが魏晋南北朝期に権力と次第に親和的になり、成熟定型化して行きます。
隋唐時代には皇室との結合で隆盛の頂点にいたります。
宋代には新たな発展の機運を示しました。
そして明清時代には、停滞衰退の道を歩むのでした。
内容も時代に連れて、おおざっぱに以下のように変化して行きます。
初期には統治者のための太平術。
そして政治性を離れた個人の成仙不死。
権力との結合と、外丹術(薬物の服用による成仙)。
内丹術(心身修練による成仙)
道教は始終、儒学・仏教と相互に浸透、影響しあい、それが中国伝統文化の三大支柱の一つとなりました。
道教は仏教からは、儀式教典など多数を吸収しました。
そして儒学からは、「忠孝仁義」という学説をほぼそのまま取り込んでおります。
金元時代の全真道は、出家修行と世俗の忠孝仁義の結合を提唱し、心を清くして自己の本姓を見つめることを「真功」、君主への忠義と親への孝行を「真行」とて、この2者が一体となって初めて得道成仙できると説きましたが、これでは実際的に儒教の変形に過ぎません。
逆に儒学、仏教は、ほとんど道教から思想的に吸収したものがありません。
道教は朝廷に依存し、皇帝個人の長生不死を追求する精神的欲求を満たし、皇権統治を神の如く絶対化する希望を満たし、そのふたつのことを永遠に継続することに服従しながら、封建統治者のために働き続けるのでした。
そして王朝後退の時期には、道教も常に新たな奉仕対象を選び出し、政治的吉凶予言をねつ造するなどの方法を用い、その期に乗じて取り入るのでした。
道教の思想内容と社会への働きから見るならば、中国伝統文化の支柱の一つではありますが、封建統治者のために奉仕したに過ぎない、との評価が妥当でしょう。
以上、「中国の道教」の要約と個人的見解でした。
これで道教とは何か、少しはご理解いただけたのではないでしょうか。

ビデオゲーム、書籍等に関して
http://www2.ttcn.ne.jp/~inu/








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2020年03月03日

宮崎正弘: 歴代中国王朝はいずれも疫病で滅んだ

宮崎正弘: 歴代中国王朝はいずれも疫病で滅んだ
★気象衛星で見る中国経済:中共王朝にトドメ?
nueqさん2020/03/0213:49 0 0
気象衛星で見る中国経済:中共王朝にトドメ? より転載します。
貼り付け開始
宮崎正弘の国際情勢解題
 3月2日(月曜日)弐 通巻6385号 
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 疫病の大流行で中国の歴代王朝は潰えた
 コロナは習近平独裁体制にトドメを刺すか
 ****************************************
NASAとESAが発表した中国上空からの偵察衛星の写真は衝撃的である。
THE TIMES OF INDIA
Satellite images reveal impact of coronavirus on Chinese economy
 ---------------------------------------------------------------------

Mar 1, 2020, 11:42 IST
※ インドのメディアが報じてるのが面白い♪
※ SO^2( 二酸化硫黄 )濃度のリモートセンシング観察 中国全域:Jan.1~20 vs Feb.10~25
https://static.toiimg.com/photo/imgsize-360117,msid-74423562/74423562.jpg
https://static.toiimg.com/photo/imgsize-404464,msid-74423570/74423570.jpg
春節の Jan.28~Feb.9 が終わっても今年は経済が復活していない。排気ガス、生産工場の煙、クルマのガス、つまりPM2・5の観測である。旧正月入り前の1月10日から20日にかけて、北京周辺も、広州も、上海も人出が激しく、クルマの交通量が多く、PM2・5観測は通常通りだった( ちなみにコロナウィルスで最初の死者が報じられたのは1月10日 )。
それが2月10日から25日にかけての偵察衛星、気象衛星などの観測から、ほとんど排気ガスが出ていない。中国全土から公害が消えている! 生産ラインがとまり、人々は自宅に逼塞し、通りには誰もいない!
桜井よしこ女史が産経新聞に寄稿し、次のような指摘をされている。
 「 十四世紀に成立した明王朝もその跡を襲い史上最大の版図を獲得した清王朝も、天然痘やペストの大流行をきっかけに崩壊した 」(3月2日付)。
「 コロナは共産党への天罰だ 」と大胆不敵な物言いは文明評論家の黄文雄氏だ。
『 LIBERTY 』四月号のインタビュー記事を要約すると、中国史を彩る疫病と、王朝の崩壊は漢王朝の滅亡からで、171年から185年にかけて五回疫病が流行、184年の「黄巾の乱」を迎えた。漢の国力は弱体化し滅亡へ向かった。
隋の煬帝末期の610年から唐王朝となる648年にかけて疫病が七回発生し、徐々に唐は滅亡の道を歩んだ。
元王朝もペストなど伝染病が11回発生し、白蓮教が急速に勢力を得て、1351年に紅巾の乱、元は衰退して北方へ去った。
白蓮教徒だった朱元章が明王朝を拓いた。ところが明王朝にも、コレラ、ペスト、天然痘の猛威、およそ一千万人が死んだ。
清王朝は堕落と西太后の横暴が氾濫を醸成していく公式の歴史解釈だが、裏側ではペストなどの大流行があり、1900年、洪秀全の「 大平天国の乱 」、五千万人が内乱の犠牲となって、急激に国力を弱体化させ、辛亥革命が起こった。
さて共産党王朝である。習近平独裁は揺るぎのない統治と喧伝されたが、コロナウィルス災禍が襲った。その政治生命は衰退期を象徴しており、中国共産党の終わりの始まりとなる。

タマちゃんの暇つぶし
https://1tamachan.blog.fc2.com/blog-entry-19929.html




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2020年02月23日

rakusen21: 天皇が指揮した226事件

rakusen21: 天皇が指揮した226事件
NHKが暴露した226事件の真相:海軍トップの伏見宮らが10年前から計画した自作自演の軍部(主に陸軍)と国会(政治)完全乗っ取りクーデター事件!内奏を使い再軍備化と憲法改正も!
2019-08-18 11:58
えっ、何で急に、この終戦記念日に、226事件(1936年=昭和11年)の真相なの?
NHKスペシャル「全貌 二・二六事件〜海軍の最高機密文書で迫る〜」
また、天皇制維持のため、昭和天皇(当時34歳)の戦争責任を回避するためのキャンペーンを始めたのだろう、と思って見はじめた。
ところが、見ていると、最後の方で、非常に重要な事をバラし始めた事に気がついた!この番組のバラしている真相を深く読み込むと以下の事がわかってきたのだ。
当時、あまり軍部や国会に対し、権威も権力も完全ではなかった、若い昭和天皇(34歳)に代わって、この226事件の計画を10年前から立てていたのは、海軍トップの伏見宮 博恭王(ふしみのみや ひろやすおう 当時61歳)。
よって、この自作自演の乗っ取りクーデター事件で、
「天皇は軍部、国会を完全に牛耳ることができるようになり、国民にも命を捧げることを求め始めた」
と番組では結論づけていた。
また、このクーデター計画の資金源として、Wikipediaにも書かれているように天皇の弟(1933年までは皇位継承者)で、西田や他の国体原理派リーダーたちの友人であった秩父宮も関わっており、三井財閥などから資金を調達し、北一輝などに提供していたこともわかっている。
なお、このクーデターで天皇一族らが暗殺したかったのは、日本の財政実情とクーンローブ商会のヤコブ・シフらロスチャイルドとの借金の経緯・密約を知る、高橋是清(大蔵大臣)と斎藤実(内務大臣で前の総理大臣)だろう。いわば、戦争するのにストッパー(歯止め)の役割の重要人物を抹殺するのが目的だった。
なぜ、高橋是清は英国らと結託した天皇一族らに殺されたのか?
■日露戦争は英国のための戦争でもあった
なお、昭和天皇の擁護派からは、こんなブログも書かれている。ニ・ニ六事件は、初めから事件後の効果を狙った、皇道派・統制派の両派閥間で巧妙に仕組まれた茶番
「日本の軍産複合体は二・ニ六事件の頃から存在し、日本を戦争へと駆り立てた。その勢力は現在でも存続し、同事件の真実を過去のものと切り離すことはできない。日本の秘密結社たる彼らは、その存在を悟られないことが最大のテーゼであり、『処刑はなかった』という真実から、自分たち計画者の存在が類推されてしまうことは努めて避けなければならない。」
なお、226事件が10年前から海軍トップで計画されていた、と言う事から、この4年前の1932年(昭和7年)に起きた「犬養首相が海軍の青年将校らに暗殺された5.15事件 」も海軍トップの伏見宮らが糸を引いてた可能性が高い。
(海軍によるでっち上げ冤罪事件の帝人事件)
これらの実行犯は誰も処刑されず、牧野伸顕内大臣の暗殺に失敗した古賀清志らにいたっては1938(昭和13)年7月、特赦で出獄し、山本五十六海軍次官と風見章内閣書記官長のところへ挨拶に行って、それぞれ千円(2018年現在の貨幣価値で500万円)ずつもらった、と言うのだ。
■山本五十六は戦死していなかった
結局、今まで、陰謀論として言われていた、天皇一族らの自作自演説の方が、実は真相だったことが、NHKにより暴露されはじめたのだ。
【陰謀】太田龍 二・二六事件の真相、全面開示!
天皇の戦争責任を書いたバーガミニと密謀
(講演内容の文字おこしも含む)
バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。
どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。
・・・・・
イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、自滅の軍事力を築く必要があった。そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。ではどうやって抹殺したのか? エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。その仕掛けが、絶対的天皇主義。それが完成したのが二・二六の後。二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。だが、それに反対するのは、天皇が許さない。そういった仕組みが二・二六で完成した。
・・・・・
皇族の男子は全員原則として軍人になるべしというような規則にするんです。軍というのは、陸軍か海軍かのどちらか。従ってバーガミニは、明治、大正、昭和と皇族の表をずっと作って、追って行くわけです。驚いた事に日本には皇族がどうなっているかについて詳しい情報は全くない。変な話だが、わざとそうしてる。そこを調べて行くと、皇族の男子の軍人というのが、陸軍軍人、海軍軍人、ものすごくたくさんいる。そんな事は孝明天皇までの日本の天皇の伝統には存在しないです。明治天皇がそんな事を考え出して、こういう風にしようなんて事はあり得ない。ワンワールドの司令を受けた宮中を完全に支配する力を得た、吉井、高島、そういう薩摩の藩閥勢力によって宮中がそういう風に作り変えられていった訳ですよ。陸軍軍人、海軍軍人らの皇族は、当然の事ながら英国、フランス、プロシア(ドイツ)、その他ヨーロッパの王室、陸軍・海軍の軍人のシステムをそっくり同じ様なものを作るわけですよ。
太田龍 二・二六事件の真相、全面開示 連続再生リスト
2.26事件は天皇兄弟らの謀略
(昭和天皇と実弟の西園寺公一が企てた)
昭和天皇が自身の秘密や財産を守るための戦争をした。
完全に天皇が指揮していた。
おまけに米国、スターリン(ゾルゲ)そして西洋銀行家とも天皇が内通していたのである。
■昭和天皇とは何者か?
また海軍トップの伏見宮は徳川慶喜ともつながっている。そのことから徳川家康以来の天皇家、そしてイギリスのエリザベス女王、ロスチャイルド家との関係から、このクーデター事件もつながっていることも推認できるのだった!
このことは、世界支配をめざす、英国などの欧米とも連携したクーデターでもあった事も推認できるのだ!
これはバーガミニの研究も踏まえ、明治維新のそもそもの起きた根源を探っていくと、世界支配をめざす、英国などの欧米とも連携したクーデターであった事もわかってきたのだった!詳細は「アヘン戦争と明治維新は不可分 2 」
そもそもは、イギリスは中国に対し、1840年第一次アヘン戦争を起こし て、第二次アヘン戦争では勝ったものの、その苦い経験などから中国の直接統治は海岸部の香港、マカオなど港町に限定し、広大な人口をもち、ロシアと接していて紛争の火種となる満州および中国の冊封国の李氏朝鮮などは日本を使って間接統治する方針を決めたようだ。
そこで、1859年に上海からやってきたマセソン商会の長崎支店長のグラバーは坂本龍馬らを使って、日本に明治維新と呼ぶクーデターを起こし、マイノリティ支配の原則から李氏朝鮮系の天皇教を捏造し、彼らマイノリティにグローバル支配に繋がった信用創造の金融システム利権を渡し、英国と同じ様な王族の軍隊(暴力装置)による国内統治体制を確立させ、イギリスでは最初となる天皇を使った植民地代理統治を始めたのだった。
よって満州では、里見甫(はじめ)にアヘン利権も与え 、自分たちの手を汚さずに、中国から日本軍が財宝や金などを奪い取り、最終的には、英国が中心に山分けする、ぐらいの腹積もりだったのだろうか?
ことは、そう簡単ではなかったようだが …
特に日本で李氏朝鮮王朝が確立し始めた昭和天皇の時代あたりからは、満州のアヘン利権を継ぎ、満州支配のやり方をそのまま日本本土でも適応させたのが、グラバーの血筋(グラバーの子の倉場富三郎の子供)の岸信介だったのだ!
さて、226事件の主犯格の一人である栗原中尉は処刑されていたはずだが、実は、生き残っていた、と、文芸春秋で報じられていた!
旧陸軍士官が語った歴史の真実(1)−123便関連事項も含む
---ここから---
T氏「私は陸軍に入隊してから、栗原さん(当時中尉:叛乱首謀者の一人)に会いましたよ。」
日月土「えっ、どういうことですか?栗原中尉は事件後すぐに処刑されたはずですが??」(註:T氏が入隊するのは事件から数年後)
T氏「世間ではそういうことになってますね。でも、私はこの目でお姿を見て、会話もしています。それを信じる信じないはあなたにお任せします。なお、私は歴史というものを一切信じていません。」
日月土「中尉とどんなことをお話されたのですか?」
T氏「栗原さんは、よく歌を歌いながら兵舎の中をこうやって歩いていましたね(歌と身振りの真似)。事件に関わった他の青年将校の方々がどの部隊に配属されたのかも聞いています。」
日月土「なぜ、将校たちは処刑されなかったのでしょうか?」
T氏「理由はわかりませんが、やはり、お国のために立ち上がった方々ですから、殺すに忍びなかったのだと、私は理解しています。」
日月土「戦後、陸軍が解体されて彼らはどうなったのでしょう?」
T氏「それは私にもわかりません。」
T氏はニ・ニ六事件よりだいぶ後に兵舎内で直接お会いしたことがあると言う。
栗原中尉は処刑されていなかった!
---ここまで---
また処刑されたはずの主犯格の一人がアムール川の警備艇の艇長として存在していたなどの話も?まあ、歴史と言うのは、こんな様に支配層によって捏造された歴史だろう!
うちの母も東条英機に関して、当時、多くの日本人が信じていた、ある噂を話してくれた。それは天皇は戦争の責任を東条英機に押し付けて死刑にした事にして、実は東条英機はアメリカに渡って生き延びて活躍した。現に誰も遺体や骨を見てない、と!
なお、NHKスペシャルでは昭和天皇の再軍備に関して、また、連続で特集していて、非常に重要な天皇の発言を取り上げていた。それは、やはり戦後も内奏を通じて、再軍備化、憲法改正をめざし、総理大臣をコントロールしようとしていたことだ!
すなわち、昭和天皇は、他国を侵略した自覚もなく、吉田首相に再軍備と改憲を迫ろうとしていた。それを側近がたしなめたのだ。また、昭和天皇は「憲法9条・戦争の放棄」に不満を持っていたことも分った。明治憲法のように自分が総指揮をとれれば(再軍備したい)と!まったく、日本人を滅ぼすための欧米のエージェントの役割をまた引き続き果たそうとしていたのだった!
さらには、天皇はただ事務的に戦争を進めていたことも明かし、東条英機も同じように、天皇の言う通り、事務的に進めて、一番、気が合った、みたいな発言もしていた。また、講和条約締結時に、南京虐殺の事件に関して、反省文を入れようとしていたが、今更、そんなことを入れて、天皇の戦争責任を蒸し返したらマズイ、との吉田茂の真っ当な意見で、とりやめになったようだ!とにかく、外交的なセンスに欠ける昭和天皇の非常識ぶりには、呆れてしまうバカリだった!そんな気持ちが本当にあるなら、戦後、巡業してる時に3百万人以上殺した日本人に対して謝れよ!そして海外でも巡業して、東南アジアで殺した人々の国にも謝れよ!それが戦争を起こした国の元首の通常の責任の取り方だろう!なお、この内奏を使った総理大臣などのコントロールは実際、安倍晋三にいたるまで、今も行われているものと思われる。英国ロスチャイルド家の血を継ぎ、なおかつ、李氏朝鮮王朝の血も継ぐ、サラブレッドの安倍晋三が首相になってからは、特に酷くなってきたが、事件の真相は隠蔽され、事件の捏造そのものも、昔から当たり前に行われていた、と言うこともわかっている!
下記の記事でも紹介しているように、日本で起きる重大事件や重大事故、自然災害(人工の自然災害)なども、実は、天皇ら世界と結びついた支配層がやっていることが次々と判明してきている!
by rakusen21

めざまし政治ブログ
http://rakusen.exblog.jp/28526580/
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2020年01月22日

名無し先生: フレデリック・トランプ〜トランプ一族の系譜

名無し先生: フレデリック・トランプ〜トランプ一族の系譜
名無し先生
2019年07月31日
私たちは本当に無力なのか@ 2016年次期アメリカ大統領選の行方
2016/01/11 09:27
■ヴェルファシ
ヴェルヴェット・ファシズム、もしくはヴェルヴェット・ファシストを指します。
社会の表には出ず、裏で社会を支配している多数の勢力。ヒトラーやムッソリーニのような分かりやすい独裁ではなく、手法を変えたヴェルヴェットのような心地良い支配です。このヴェルファシが現在の私たちを支配しています。これらの勢力の正体を暴き、嘆くのではなく、現実的な脱却方法まで考えていきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
【私たちは本当に無力なのか@ 次期アメリカ大統領選の行方】
次期アメリカ大統領候補者の一人、ドナルド・トランプ氏
この人、かなり過激な発言で良い人なのか、悪い人なのかわからない人も多いと思いますが、私は単に彼は何も恐れず正直にモノが言えるほどの有力者なのだと思っています。
他の候補者名は自分だけでは資金を調達できないので、それらしいことを言って、スポンサーに金を出してもらう、雇われ大統領候補ですが、彼は違います。
彼の家系を辿ってみました。
アメリカにおけるトランプ家はドイツのバーバリアから来た移民から始まります。
19世紀のゴールドラッシュの時代、ドイツ移民んであったフレデリック・トランプは、金塊目当てでやってくる開拓者向けにホテル・レストランを開業しある程度の成功を収めました。ゴールドラッシュが下火になるのを感じたトランプは施設を売り払い再びドイツに戻ります。そこで幼馴染の女性、エリザベスと結婚しました。アメリカ永住権を得ているトランプはドイツ人としての納税義務と兵役を逃れ暮らしていましたが、再びアメリカに戻りました。そして今度はニューヨークのクイーンズで床屋やレストランのマネージャーとして働き、やがて不動産業に着手。そこで息子のフレッドとジョンが生まれました。
フレデリックの死後、妻のエリザベスと息子のフレッドはフレデリックの不動産業を次ぎます。
これが現在の、ザ・トランプ・オーガニゼーションの前身になります。
フレッドは世界大恐慌時代、経営難に陥っていたスーパーマーケットを買収。
優れた手腕で経営を立て直し、1年後に売却します。第二次大戦中、フレッドはアメリカ東海岸沿いに軍関係者用の住宅や多くの庭付き一戸建て住宅を建設。戦後はさらに多くの中流層向け住宅を建設、販売。さらに多くの低所得者向け賃貸アパートをニューヨークに建設。高所得者向けには大豪邸を販売。
ドイツ系移民だったにも関わらず、周囲にはスウェーデン系だと語っていたそうです。何せ、彼のテナントはほとんどがユダヤ人だったからです。フレッドは大変なケチで有名だったそうですが、車はキャデラックを3年毎に更新するという贅沢な一面もありました。
(著者:個人的にはアメ車は壊れやすいので、その方が利口だと思います。)
しかし、フレッドは黒人差別暴力組織である”KKK”のメンバーであったことが知られています。彼のアパートに黒人が入居するのを拒んだり、すでに入居している黒人を追い出すよう仕向けていたそうです。
1968年、フレッドの息子であるドナルド・トランプが会社に加わります。このドナルド・トランプも相当な黒人、ヒスパニック、嫌い。つまり、白人至上主義者です。一方、グローバリズムには反対で、特にリビア、イラク、シリアで起きた国際大資本による国家破壊については的を得た意見を持っています。
(ウィキペディア)
外交
ジョージ・W・ブッシュ元大統領をはじめとする共和党主流派やヒラリー・クリントン氏などの民主党右派に多い世界中に反共主義や民主化の名目から親米政権を樹立し、その地域の市場を米国をはじめとするグローバル大資本が牛耳る体制を作ることを目指すネオコン政策とは一線を画しており、米国は国外の事に関与するよりも国内の事象に集中して取り組んで強い米国を作るのだというモンロー主義により近いとされる。また、共和党、民主党と限らず激しく敵対するロシアとも友好関係を築くべきであるとも発言しており、「米ロがもっと協力すれば、テロを根絶し世界平和を再構築することができると常に感じている。貿易のみならず、あらゆる恩恵が相互の信頼関係からもたらされる」と述べている。
トランプ氏はロシアのプーチン大統領を評価しており、プーチン氏もトランプを評価していることから、大統領就任は米露関係改善につながるとの見方もある。また、トランプ氏は中東に深く関与したこれまでの米国の外交方針を批判しており、CNNのステート・オブ・ザ・ユニオン・ショーでの中で、以下のように述べている。
リビアを見なさい。イラクを見なさい。イラクに昔はテロリストなどいなかった。フセインならテロリストを即座に殺害していただろう。それが今や、テロのハーバード大学のようなものだ。
彼が良い人物だったと言っているわけではない。彼はひどい奴だが、昔は今よりずっとましだった。
今や、イラクはテロリストの教練場だ。今やリビアを、誰も知らず、率直に言って、イラクも、リビアもなくなったのだ。皆崩壊してしまった。両国はどうすることもできない。何が起きているのか誰にもわからない。人々は首を切り落とされ、おぼれさせられている。
現在、彼らは、サダム・フセインやカダフィ支配下より、かつてなかったほど酷い状態にある。リビアは大失敗だ。イラクは大失敗だ。シリアもだ。中東中が。そしてこれは皆ヒラリー・クリントンとバラク・オバマが台無しにしたのだ。
日本との関係では、日米同盟について、戦時の際に無条件で日本を防衛する義務を負っていることについて「不公平」と批判的である。
■内政
グローバリズム拡散による単一市場に対しては否定的であり、保護貿易主義的とされる。これが米国の保守的な白人労働者階級に支持される最大の理由となっている。TPPにも反対である。
(ウィキペディア)
やはり、大富豪の息子ですから普通の人間では知りえないことを知っています。
ブッシュがやったこと、そしてその後継のオバマが大した外交を行っていないことに対する批判です。
私は911はもちろんのこと、サブプライムもリーマンショックもブッシュが大きく絡んでいると思っています。ベルファシの思うがままに動いたのがブッシュです。オバマは言うことを聞きながらも、ノラリクラリと中途半端な結果で終わらせてきた。とにかく大統領になるには莫大な資金が必要です。
その資金を出してくれる人の言うことを聞くしかない。しかし、このトランプ氏は自身が資産家。
資金的なサポートは必要ないわけですから、誰の言うことも聞かなくていいわけです。
トランプ氏がベルファシかどうかではなく、誰にも指図されないほどの資金も人脈も人気もある。
これは非常に重要なファクターです。
いや、これ以上強い大統領候補者はないでしょう。みんなで資金を集めて企業に影響力を持つことで更生させる方法。そして資金と人脈、そして人気を得ることで大統領にもなりうるということを紹介させていただきました。
トランプ家の場合、不動産業を始めてたった2代目で成功ですよ。しかし、私の本音ではこの人はアメリカを目覚めさせるための、相撲で言えば「猫だまし的」存在だと思うのです。別に本命がいて、それを立てるためのダミーだと私は見ています。もっと言えば、所属する共和党自体を潰すためのテロリストの可能性が高いです。
危険な発言で共和党の顔に泥を塗り分裂させる。
共和党陣営には相変わらずブッシュの弟、その他多数のブッシュ派の議員が候補者にいます。
彼らは国際問題介入主義者で、いわゆるタカ派。
これを潰すためにトランプ氏が活動しているのだったら、大物役者です。仮にトランプ氏が大統領になったとしても、4年も持たずに辞任でしょうね。
過去に任期中に辞任した大統領はニクソンだけですが・・・
さて、金も人脈も人気もあるトランプ氏が非常に強いことを説明しましたが、実はそれだけでは本当の支配者にはなれないのです(笑)。やはり、人間には謙虚さが一番大事だと私は思うのです。
それは、自分が威張りまくった瞬間に周囲が必ず反撃の意思を持つからです。この辺がハプスブルク家が如何にして何百年間も当時のドイツ地域を支配していたのか?そして、なぜそれが潰されたのか?につながるからです。
■神聖ローマ帝国について
当時の神聖ローマ帝国は、諸侯と言う、いくつもの小さな王様達の中から代表理事を選んで王様にしていましたね?その選挙権を持っていたのが選皇帝です。当時は有力な諸候同士の力関係が拮抗していました。誰が選ばれてもその反対勢力が黙っていません。そこで、有力諸侯の中で一番力が無くて、すぐにチェンジできる奴をとりあえず、神聖ローマ帝国の皇帝にしておこうと言う話になりました。それで選ばれたのが、ハプスブルグだったんです。
ところがこのハプスブルクが意外と策士で、他の諸侯同士が領土の取り会いをしてる横で、「お前らは戦争しろ、私は結婚する」と言って、同盟諸侯を増やしていきました。その脇でくやしい思いをしたのが、サヴォイやヘッセンやタクシスだった訳です。
サヴォイア家とは、イタリア王位継承一家です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%AE%B6
ヘッセン家とは、ロスチャイルドを育てたドイツの選皇帝です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3%E5%AE%B6
タクシス家とは世界最初の郵便事業を立ち上げ、スパイ活動に活用した貴族です。
http://www.kanekashi.com/blog/2012/06/1882.html
一応位置的にはハプスブルグ皇帝に仕える諸侯ですが、彼らは、各地で戦争を勃発させ、ロスチャイルドを使い裏で借金させ、ハプスブルク家を潰した訳です。
この頃の武器製造は、動力が水車だったので、現在のスイスという場所に裏のマネーが集中する訳です。それで、スイスに金と武器産業が集まりました。要するに、神聖ローマ帝国に対抗して出来上がった国がスイスです。スイスが実質的に中立国というか、独立したのはこの頃です。
これが嫌われていたユダヤ人が中立国であるスイスに集まった理由なのです。嫌われ者のユダヤ人を含む勢力がスイスを作り、ハプスブルクでも手を出せない軍事力と財力で事実上、独立したんです。
一般的には、大統領は選挙で選ばれることになっていますが、そのためには国民を洗脳する莫大な宣伝費用、賄賂が不可欠です。
今回の選挙は、神聖ローマ帝国で王様を選んだときと同じように、とりあえず、すぐに問題を起こしてチェンジできる奴にする。これは大統領に資金を提供している勢力の立場で話をしています。
トランプ氏のような、正しいことを言うし、自ら選挙資金を調達できるような不都合な存在を短期間で潰す。投資家たちは自分たちが簡単に操れる大統領が欲しいのです。ところが、バカだと思っていたトランプ氏が実はハプスブルク同様、策士だった・・・なんてストーリーも有りかな?
残りはブッシュ氏を除き対した資金力も名声もない候補者ばかり。今回は共和党は割れてしまい、民主党の方に有利になるのではないでしょうか?選挙は不正では無いけれども、大衆を勧誘したり、買収したり、洗脳したりすることでかなりの票が得られます。誰でも自分たちの利益に直接的につながる候補者を選び、いくら真実を語ろうと、今後生活が厳しくなることが予想できそうな候補者など選びません。民主党の資本主義市場開拓で中国が台頭し、共和党の資本主義市場開拓で中東が混乱している今、最もふさわしい大統領は誰かというと、少なくとも共和党内のタカ派が破壊し続ける中東を批判しない人でしか候補として選ばれないのではないでしょうか。
逆に中国を支持してきた民主党はその失敗に気づき、立候補者乱立で共倒れする共和党を尻目に再び大統領を出す可能性が上がります。
最後に誰が漁夫の利を得るのか?
私たちはアメリカ国民ではありませんから選挙権はありません。しかし、この辺を考察しながら次期アメリカ大統領選挙を観察することで、学ぶことは多いと思います。そして、庶民が如何にして洗脳されていく様を観察しながら、高度自給自足時代の夜明け、初年度を生きましょう。
posted by r at 13:50 | ヴェルヴェットファシズム

コアな情報
http://utg.sblo.jp/article/186373971.html
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2019年11月09日

岩屋弥次郎伝説〜朝鮮支配〜信玄,謙信,秀吉,家康の父


岩屋弥次郎伝説〜朝鮮支配〜信玄,謙信,秀吉,家康の父
日本歴史上から抹殺された巨大な偉人
書庫:歴史から消された偉人
2013/12/14(土)午後10:08
岩屋梓梁こと弥次郎は、明応六年(1497)正月、薩摩国伊集院神殿に生まれ、俗称・橋口弥次郎左衛門兼清、憎名を岩屋梓梁といったが、
背高十尺、容貌魁偉、頭上右鬂(びん)に三寸ほどの高さの肉腫(角)がおっ立っていたため、当時の民衆から
「岩屋大天狗」「鼻天狗」「岩殿(いわどん)」「ヤジローどん」「金精様」「金屋様」「たたらぼっち様」
など多くの呼称で畏敬された。
岩屋梓梁は永正四年(1507)以来、十数回渡鮮して多くの書をなして弥勒天徳教(後の天道教)を説き、
仏教の再興、韓語(ハングル)の創出、易占(ムーダン、タンゴル、ジンバン)の普及など、想像を絶する多元的な文化興隆を図り、天文十三年(1544)には自分と朝鮮王女・玉珥(ギョクジ・ニ?)との間に生まれた清茂を王(仁宗)に擁立するなど多くの事績を遺した。
岩屋梓梁は、朝鮮を支配した余勢を駆って、薩摩人の武力と朝鮮人の文化、経済力を駆使して、永正年代末期(1520年代)、時の室町幕府を衰退せしめ、
大永年代(1520年代)、『日本紀』(『日本書紀』)の編纂、『古事記』の自記、その他多くの古典を書いて易断政治の思想的根拠を固め、北はアイヌ族から南は琉球の果てに至るまで、神仏習合、祭政一致の易断教団政府を樹立し、
また、武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康ら多くの英傑を子として残した。
天文十七年、弥次郎は、西方浄土を求めて、中国、天山山脈、タクラマカン砂漠、中東経由で地中海に達し、印度のゴアから切支丹宣教師フランシスコ・ザビエルを天文十八年八月十五日鹿児島に案内してきたが、
二人は同二十年秋、山口において、仏教と切支丹の宗教論争をして、終局的には、弥次郎が説く地動説の前にザビエルは敗退して印度へ帰ってしまったのである。
ところが、ザビエルが宗論において敗退したことに復讐すべき執念をもって、永禄六年(1563)に来日した宣教師ルイス・フロイスらは織田信長を
そそのかし、多くの武器、弾薬(硝石)、商船艦隊を提供して、それまで六十年続いてきた大阪石姫(いわひめ)山に籠もる易断政府(現在、石山本願寺の一向一揆として歪曲されている)を討滅せしめ、
あまつさえ、信長、秀吉、家康らに「蕃異人・岩屋梓梁が日本で天下を取った(易断政府)ということは日本国永遠の汚辱だ」
「日本歴史は波斯人(アラブ人)が書いたものだ」
「天皇に反逆した岩屋天狗は歴史から抹殺すべきだ」などと高言追及して、ついに武将たちをして、岩屋梓梁と易断政府の存在を歴史から抹殺せしめるに至ったのである。
とくに、秀吉と家康は、自らが取った天下の政権を子々孫々に永久に保持するためには、自分が、反逆者蕃異人の子であるという血の汚辱を歴史から隠蔽する必要があるとしたからである。
岩屋梓梁と易断政府の存在を歴史から抹殺するという政治工作の発端は、天正十五年(1587)六月十九日、秀吉が博多において発令した
「宣教師追放」と「岩屋梓梁抹殺令」に始まり、以後、易断政府に参画して政治を執行してきた神官、僧侶、惣、座、学問芸能などの支配者群の人々を、全国の特殊地域に「易断党」と称して隔離、幽閉して痛めつけ、その歴史、記録、伝承をはじめ、人々の心からその存在を消滅せしめんとしてきたのである。
明治維新時に、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎、大山巌、山本権兵衛ら多くの英傑を生んだ鹿児島の鍛冶屋郷(現加冶屋町)もそういう特殊地域の一つで、鍛冶屋郷中士は、易断政府時代に、弥次郎を慕って全国から集まった易断精鋭分子の子孫だったのである。
しかし、全国に散在した大多数の易新党衆は、当時ユタ、ユッタと卑称された。
今も、奄美、琉球の南西諸島に実在しているユタ(巫女、その関係者の実数は約二千名とされている)はその名残であり、東北地方のイタコもユタを歪称(訛称)したものである。
薩摩西郷家のユタノン、ユタモンなる家筋もその語源は「易断者」であり、琉球士族のユカッチュなる呼称もその語源は「易断衆」なのである。
読書日記様から転載
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-656.html
管理人:
歴史というものは、世界また、日本においても例外なく常に勝者にとって時の権力者にとって都合の悪いものは抹殺し、書き換えられてきた事実がある。
ちなみに、wikiで「岩屋梓梁」を調べてみてもその名さえ出てこない。
「ヤジロウ」で検索してみると、僅かな記録しかなく、単なる日本で最初のキリスト教徒としか出てこない。
ザビエルを大和の国に招致したことなど一言も出てこない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B8%E3%83%AD%E3%82%A6
如何に日本歴史上からその名を抹殺されたかが伺える。
「ヤジロウ」は、日本での弥勒下生運動の創始者としても知られ、その継承は古く西暦600年代に出羽三山を開山した蜂子皇子と、従兄弟の聖徳太子が表裏の関係として、「ヤジロウ」はその時の皇太子と表裏の関係として、裏天皇、裏神道として日本に多大な貢献をしたとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E5%AD%90%E7%9A%87%E5%AD%90
学校での歴史教育では、「朝鮮征伐」は「加藤清正」だったはずだが、その以前に既に「ヤジロウ」が朝鮮にその活動範囲を広めていた。
覇権ではなく、布教活動と捉えたほうが正解だろう。
驚かされるのは、当時既に「地動説」を説いていたことが本当ならちょうどその時期にコペルニクスが「地動説」を唱えたのとシンクロするが、交流があったのか、易断の技なのか、高度のインスピレーションを受け、バースビジョンで理解できたのか・・・実に興味深い。
蜂子皇子と岩屋梓梁に共通する事実は、どちらもアラブの血を受け継いでいたということであるが、これは、迦楼羅神(かるらしん)とも繋がるスサノオの使命的立場であったと推察することができる。
身の丈10尺とは、メートル法に換算すれば、3メートルで、いくらなんでも眉唾だが、余りに神業としかいいようがない偉業から、そうした伝説として語り伝えられているものと推察する。
弥勒下生運動の継承は近年では、出口王仁三郎へとその使命を継承し、天命未完成のままに、現代に引き継がれている。
大本教の衰勢も当時の満州と清国にまでおよび、紅卍字会としてその名を馳せたが最後は、当時の政府によって完膚なきまでに叩き潰された。
全て神の国、日本の神性を広めるための運動であったのではなかろうか?
東洋の思想と西洋の思想との融和、パラダイムシフトへのいざないだったかもしれない。
石屋の仕組みと鍛冶屋の仕組みの融合!?
(西洋フリーメーソンvs日本フリーメーソン)
今そしてその日本の神性が世界に広がることが求められていると感じる。
時の権力者にとっては覇権は必要でも、目覚めた神性は邪魔で消し去りたい存在であろう。
時代は今、時の権力者はいつまでたっても同じで、自分の都合でしか考えないものであると、しみじみ感じる。
自分たちの情報は徹底的に秘密にし、国民の情報は盗み取るとは・・とほほ(T_T)
言いたいことは、山ほどあるが、今日は実は私という一人の人間が
娑婆でお世話になって53年目の日であるからこれ以上何も言うまい。
言いたいけど言わない(^_-)-☆
それとは正反対に今現在も人知れず、裏神道の八咫烏という人たちが大切な使命をもって活動しているのかもしれない。
妄想は尽きることがない。
しかし、日本の歴史とは余りに神秘に満ち溢れている。
そう、思わない?

本物を探す旅
https://blogs.yahoo.co.jp/ryo_smileforme/

読書日記
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-656.html
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2019年07月30日

広島原爆地上起爆説

広島原爆地上起爆説
広島原爆
2016/6/5
「マヤ歴の修正と1260日」  
この記事の前にちょっとだけ......。
これは10キロトンによるシュミレーションです。
広島は80キロのウランの10キロが核分裂を起こし16〜18キロトンの炸裂でした。
こんな小さな炸裂の場合クレーターはほんのわずかです。
翌日数千人の科学者などが広島を訪れたこと自体おかしいとは思いませんか。
大きなクレーターは水爆の地下核実験の場合のみ出現するのです。
http://labaq.com/archives/51067767.html
1946年春頃の広島市。三村明が参加した米軍映画撮影隊による映像
以下はタマちゃんちから
(4)「私、空中から爆弾を落としたとは思ってないんですよ。下から爆発」
元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏の証言!
https://youtu.be/o1dKP3cv9zw
↑動画 「私、空中から爆弾を落としたとは思ってないんですよ。下から爆発」
元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏の証言! 
【戦士の証言】元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く Part3[桜2010/8/13]
https://www.youtube.com/watch?v=07eSQ82V15U&list=PLBF239C1C967DFAD8&index=2
↑動画 【証言シリーズ】元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く 後編[桜2010/8/5] 15分くらいから原爆証言
肝心な発言は以下にある〜地上起爆の決定的な証拠
https://youtu.be/o1dKP3cv9zw?t=233
こんな事、また起きるんじゃないかな、こんな事を許しとったら
長崎原爆投下の5時間前に軍の指導者は知っていた。
66年経って真実を伝えられた本田稔さん
「分かってた!?なんで命令出さんのですか。5時間もあれば十分待機できたはずですよね。
これが日本の姿ですかね。
こんな事、また起きるんじゃないかな、こんな事を許しとったら 」
そして、日本の降伏が決まり、証拠資料は燃やされ、灰は粉々にされた。
本田さんの地上起爆の発言はカットされていますがこのビデオは長崎の原爆。
一応投下5時間前に紫電改に迎撃を準備させB29(ボックスカー)を迎撃していたら原爆投下の大義名分が成り立たなくなるからです。
これが地上起爆させた裏の真実です。
http://www.dailymotion.com/video/xkfcgf_20110808%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%8A%95%E4%B8%8B%E3%81%AE%EF%BC%95%E6%99%82%E9%96%93%E5%89%8D%E3%81%AB%E8%BB%8D%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85%E3%81%AF%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F_news#tab_embed
関連記事〜
http://ameblo.jp/tamaichi2/entry-12166559208.html
http://cosmic-dance.blogspot.jp/2016/03/blog-post_62.html
<転載開始:すべて原文のまま>
幾多の実際の戦闘で、爆弾や爆発状況を見ていた軍事的に専門的知識のある彼が広島原爆の爆発の瞬間に広島城上空を紫電改で単独飛行しており
目撃体験、その生々しい証言では「私は空中から爆弾落としたとは思ってないんですよ。
下から爆発、何で何が爆発したと思って上を気をつけてませんから全然知りませんねB29に対しては・・・」の一言。
彼がウソの証言をしているとは思えません。
この発言後の日本の戦争への取り組み方への疑問も、彼の軍人としてのまじめさ、冷静な判断の持ち主であったことが伺えます。
2つのユーチューブの証言、どちらもインタビュアーがB29からの投下についてとあえてB29を絡めて聞いているのですが、
彼は完全にB29については存在をスルーしています。
戦闘機乗りならまずは上空をチェックしたり爆撃機を探すはずです。
つまりは、彼が目視できる範囲に爆撃機は見当たらなかったということでしょうね。
爆発前にも、もしB29が上空にいて投下したとしたら飛行気乗りとして目の前の状況を捉えるはずです。
この大和のことも含めて、戦後の敗戦処理のために、とにかく本来の家族を守ろう、故郷を国家を守ろうとしていたクソまじめな優秀な軍人たち(陸軍、海軍それぞれに)を一同に集め
一瞬で大量抹殺する。
それがずる賢い敵国とも手を結んだ支配者層の考えていたことでしょう。
だからそれまでも日本の軍人の多くが派遣された現地で戦闘することもなく本国からの援助も薄く餓死や病気で殺されていた。
戦争の本質目的は、支配者層を将来脅かすことになるであろう目覚めた軍人たちと、同じ国民でも違う民族たちの浄化殺人であると思います。
敵国との戦という茶番を使ってごまかして。
この証言ビデオ、地上起爆に疑問のある方に見ていただきたいです。何しろ戦闘のプロの見識ですから。<転載終了>
以下は上のブログから
『要するに私が言わんとすることは、これはほとんどの人には受け入れがたいことであるが、
あの戦争は日米共同で演じた一大イベントで、ヒロヒトもヒトラーもこのイベント劇の役者であったことだ。
それに連合国・枢軸国といった対立構造も戦争劇のシナリオライターが描く典型的なパターンである。
だからこの視点から考察すると、以下のことが浮かび上がってくる。
日米がもっとも隠してきたかった事は負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、
あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことである。
このことは、ヒロヒトどころかほとんどの大将が米国側に、
しかも開戦当初から寝返っており、負けいくさを演じていたことからも導かれる。
勝ち負けのいくさ劇でマインドコントロールを受けていたのは大将以下下級軍人と平民だったのである。
以下は、私の直感から導かれることでもある。
結論から言えば、大和自体が実は建造当初から原爆製造工場だったということである。
当初から非常に極秘に建造が進められ、戦後になってようやくその存在が知らされるようになった大和。
その中では人形峠から発掘された精製ウランが濃縮されて幾つもの原爆が製造されていたに違いない。
その内の二つが広島そして長崎に持って行かれた。
起爆は地上にて行い、米軍とあらかじめ綿密に組んだイベントが行われた。
終戦直後に残っていた原爆は北海道美幌の今の自衛隊駐屯地の地下基地にある』
本物黒酒 ‏@honest_kuroki ・ 5時間5時間前
なにしろ明治以降天皇に成りすました箕作の郷里が、薄暗い所で緑色に発光する露頭ウランの宝庫・人形峠ですからね。
ウラン鉱の採掘権者だし。
そのウラン238に加速器で高速中性子を照射した結果が1940年のネイチャ―に発表されたしね
@roro101577 @horiguchikesazo
本物黒酒 ‏@honest_kuroki ・ 5時間5時間前
その、広島上空からのきのこ雲の映像に、急降下する紫電改は映っていないでしょ?
撮影したのは紫電改だからです。
@applec
戦艦大和はなぜ引き上げられないのか
http://qa.itmedia.co.jp/qa9051449.html
引き上げに遺族が反対しているなんて嘘八百。
原爆実験で真っ二つになり3000人の兵隊もろとも八の字になって沈んでいる。
引き上げれば放射能が検出されるからです。
原爆の地上起爆に反論する記事がありましたが〜クレーターがない?
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/ecd4886cdbdc0a2ab1ba6bb9d1b34805
以下も原爆は空中投下説で今後地上起爆を否定する記事が増えると思います
その1
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-12160554315.html
その2
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-12166639855.html
本物黒酢さんのツイッター
https://twitter.com/honest_kuroki
これが、日本が実施した広島の核実験、1945年8月6日朝8時満潮の元安川。
https://twitter.com/honest_kuroki/status/739522052239958016
本題に戻ります
聖書の時間周期
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51987478.html
元記事;http://yournewswire.com/end-date-of-mayan-calendar-is-june-2016-says-scholar/
End Date Of Mayan Calendar Is June 2016
The baktun is 144,000 days.
これはイルミナティカードですがなんて書いてありますか?
FUCK YOU (FUKU)SHIMA
管理人注:わたしは,刻印を押された人々の数を聞いた。
それは144000人で,イスラエルの子らの全部族の中から,刻印を押されていた:ヨハネの黙示録7:
4)〜144,000を単数化すると9ですがM9とは考えたくない。
3.11でM5.63を急遽M9に変えたのはなぜか。M5.63で30Mの津波が来ては困るからです。
There are 13 baktuns in the Mayan Calendar.
144,000 days x 13 baktuns = 1,872,000 solar days
Now the Gregorian calendar solar year is 365.2425
The Julian calendar solar year is 365.25
The Haab Mayan calendar solar year is 365
1,872,000 days/365.2425 (Gregorian solar year) = 5125.36 years
1,872,000 days/365.25 (Julian solar year) = 5125.256 years
and then here is the big difference….
1,872,000 days/365 (Haab solar year) = 5128.76 years
Subtract 5128.76 years (Haab) from 5125.256 years (Julian) =
READY……..
=3.504 year difference and that makes 1260 days
翻訳は金玉さんのところで
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2405.html
End Date Of Mayan Calendar Is June 2016, Says Scholar
マヤのカレンダーの終わり日付は、2016年6月であると、学者は言います
マヤの学者はマヤのカレンダーの終わりが実は、2016年6月-4日に起こりそうであると主張しています。
そして、専門家が最初の2012年12月の日付が間違って計算したと言います。
元々マヤの暦と現在の西暦(グレゴリオ暦)は閏年の考え方が違って日付がずれている。
「グレゴリオ暦」
1年を365日とするが、400年間に97回の閏年を置いてその年を366日とする。
これによって、400年間における1年の平均日数を365.2425日とするのがグレゴリオ歴。
「ユリウス暦」
グレゴリオ暦の先輩、紀元前45年1月1日から実施され、1582年2月24日以降はグレゴリオ暦にバトンタッチ。
1年を原則として365日とするが、4年ごとに閏年を置き、その年の2月末に1日を加えて366日とする。
ユリウス暦では、1年の平均日数365.25日。
マヤ暦は1,872,000日で終わりが来ることになっている。
マヤ暦で1年は単純に365日と計算していたので2012年12月22日になった。
しかし現在の西暦のグレゴリオ暦で割ると1,872,000のdays/365.2425= 5125.36年
ユリウス暦で割ると1,872,000のdays/365.25= 5125.256年
マヤ暦との差が1260日あった。
以前2012/12/21に終わりが来ると言われていた。
日付は本当は1260日の差があって2016/6/3or4が本来の日付だった。
管理人注:なのですが気になるのは1260日という数字です。
その数字はスー君の記事のなかにありました

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/94.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/371.html
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/372.html

wisdomkeeper
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51987478.html





★ついに明らかにされた広島(長崎)原爆地上起爆の仕組み!
エノラ・ゲイの搭乗者氏の言葉
「実際に何が起こったかの詳細はあなた方は決して見つけられはしないさ」
2016_06110028.jpg
本当にエノラ・ゲイが広島に原爆を投下したのなら、この意味深な言葉はあり得ないでしょう。
と、考えていたところ、ついに達人さんが「地上起爆の仕組み」がわかったとの論文を発表されたので、その全文を転載します
(マーカーは勝手に付けました)。
掲示板より、貼り付け開始。
6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3755
ついに地上起爆の仕組みがわかった
投稿者:Legacy of Ashesの管理人
投稿日:2016年 9月 9日(金)23時17分41秒
10年に渡った最後のブログ記事はここです
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1244.html
事実は小説よりも奇なり。以下の記事をコピペ転載したい人は自己責任で必ずURLを明記してください。命を狙われても知りませんよ。
転載しておられる方はごく少数ですが
http://ameblo.jp/kuroro-phoenix/entry-12201277049.html
当時空中起爆できるような装置は存在しなかったのです
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3752
戦前、理研の仁科・武谷原爆はウラン10%濃縮で使えた。
これに水を加えると立派な核爆発になる。
実際に核爆発したのは800グラム。
『日米がもっとも隠してきたかった事は負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、
あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことである......』下の記事より
「広島で使われたのは、このウランの大砲爆弾だった」
理研の元研究員・槌田教授がさらりと激白!!!
管理人注:これは完全な地上起爆(広島に続いて長崎も)
https://youtu.be/8nqp_nfZzzU?t=1807
水を使う原爆〜30分から46分
決定的な話〜38分から.........
大砲の中に10%濃縮ウランを入れてから水を入れるとある時間が経過すると大砲もろとも核爆発する。
下の映像は研究により砲弾として7マイルも飛んだがこの場合は第二総軍と学徒の皆殺しを狙ったピンポイントで地上起爆したのでクレーターは殆どなかった。一般市民は人体実験が目的 使用された砲身は五式十五糎高射砲か五式13の砲身を短く切ったものかと思われる。特に五式十三糎高射砲は広島でも長崎でも配置してあったろう。これに10%濃縮ウランをつめ水をかけて地上起爆に成功したということだろう。別の見方では沈没前の大和の製造段階の46センチ砲が使われた可能性もある。大和が地上起爆の実験台になったとの記述もあるしあれだけの巨艦船が真二つに割れることは考えずらい。
https://youtu.be/8nqp_nfZzzU?t=2364
日本を支配する闇の権力構造
http://heiseituusinn.main.jp/index.html
ソヴィエト代理人H・キッシンジャー
キッシンジャーは誰のために働いているのか分かりましたか?
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1080.html
注:藤原5摂家と天皇〜近衛文麿は自殺でなく他殺であった可能性が強い。終戦工作に際し知りすぎていたためであろう。
http://ameblo.jp/bishamonten337/entry-10811783889.html
映像は1953年5月25日米国での15キロトンの核爆発(広島と同じ規模)
2008/10/24 にアップロード
The Atomic Cannon, at 280 mm, was the largest nuclear capable mobile artillery piece manufactured by the United States. On May 25, 1953, a 280 mm cannon fired an atomic projectile a distance of 7 miles at the Nevada Test Site. Twenty 280 mm cannons were manufactured. None were used in battle. (Sound effects Added.)
巧妙に作られたプロパガンダフィルム。
これは何発も落とされたファットマン型TNT爆弾。投下の映像はやはりない。
このパンプキン爆弾(ファットマン)は効率が悪く海に捨てられたとのこと
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1197.html
このビデオの最後にはこうある......
「生産コストの割りに爆撃の効果はそれほど高くない。
通常兵器として使うことは見送られました」
ということは長崎では使われなかったということです。
そして日本は四分割を免れ米国は一応世界の覇権を握ったことになっている。
下の記事にはこう書かれています〜
パンプキン爆弾(ファットマン)は使用されることもなく、機密保持のためテニアン島の沖合に海中投棄されたといいます。
http://www.peace-aichi.com/piace_aichi/201210/vol_35-13.html
ご丁寧にNHKがちゃんと放送しています。
飛んできたのはエノラゲイのみでラジオゾンデを何個かパラシュートで落としています。
放射能の記録装置なのですがちゃんと密約で日本軍が回収してくれているのです。
エノラゲイを急遽爆弾倉つきの爆撃機にすることなどありえないことでしょう。
B29:エノラゲイ最後の乗組員の証言
広島原爆投下機、B29エノラゲイの乗組員で最後に生き残ったヴァン・カーク氏は、日本の取材AERAに対して気になる意味不明の言葉を残した。
その言葉とは
「物事には諸説ある。
一部は事実だし、真実でない情報も紛れ込んでいる。
実際に何が起こったかの詳細は、あなた方は決してみつけられはしないさ」と・・・・。
これはB29−エノラゲイが広島に原爆を投下したのではない秘密の暗示だった。
どうやって核分裂を起こすのか
http://matome.naver.jp/odai/2137552339579126101
重要なので同じ記事も重複しています
とびますが〜ソ連時代の2島返還案、日本が拒否=北方領土問題でロシア大統領
注:サンフランシスコ講和では2島を放棄しているのですから残り2島の返還拒否は意味が解らない
http://jp.reuters.com/article/g20-russia-japan-idJPKCN11C03K
検索してみると
http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A3xTmEVKfeRXmScAiBaJBtF7?p=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E8%AC%9B%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84%E3%81%A7%E3%81%AF%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%AE%EF%BC%92%E5%B3%B6%E3%82%92%E6%94%BE%E6%A3%84&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=
追加記事;またやっている
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6215340
「コミンテルンの陰謀と核実験成功」
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1193.html
上記記事と対比しながらご覧ください
https://twitter.com/honest_kuroki/status/774122396097720321
Japan Tested Atomic Bomb in NK(北朝鮮) Before End of WWII?〜Korean Times
http://www.koreatimes.co.kr/www/news/nation/2009/12/113_56715.html
Hungnam, North Korea: Delving into Pyongyang’s Long Nuclear Past
https://dcbureau.org/201306258778/national-security-news-service/hungnam-north-korea-delving-into-pyongyangs-long-nuclear-past.html
His name is Minoru Kawamotoとある
https://www.quora.com/His-name-is-Minoru-Kawamoto-and-he-was-born-in-California-on-August-28-1920-What-can-you-find-out-about-him-on-Ancestry-com
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/
上の記事にはこうある
1945年8月、ソ連軍の参戦によって、日本軍が米国に核兵器を使用する可能性が排除された。
1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。
11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。
両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。
日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。
ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、小型の船艇に載せて漕ぎ出し、沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。巨大な爆発であった。直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。「祖国」作戦の一環で米軍に対して使用される予定であった。しかし、投下され、炸裂することはなかった。いわばソ連が米国を日本の核攻撃から救ったのである。
Konkurent.Ru、Vladivostok
管理人注:この記事には若干誤りがあるので説明しよう..........。
咸興(ハムフン)という港町は北朝鮮の港町で最初の拙稿に詳しく述べてある。
NATUREの写真との関連
本物黒酒〜黒酢さんは当初核実験成功と述べていましたがその後以下のように訂正されています。
?@honest_kuroki
まさにそんな感じ。
ネイチャーがバックナンバーを公開していますが、1940年発表の仁科氏の論文
『高速中性子によるウラン核分裂生成物』
で、"天然ウラン"が世界初の核分裂連鎖反応(臨界事故)を起こしていたことがわかります。
http://www.nature.com/nature/journal/v146/n3688/abs/146024a0.html … @Thoton
田布施システム偽天皇
https://twitter.com/honest_kuroki/status/773875455820636160
昭和天皇は英国陸軍の元帥
https://twitter.com/honest_kuroki/status/773788552299634688
戦艦大和の核実験
http://cosmic-dance.blogspot.jp/2016/03/blog-post_62.html
『要するに私が言わんとすることは、これはほとんどの人には受け入れがたいことであるが、あの戦争は日米共同で演じた一大イベントで、ヒロヒトもヒトラーもこのイベント劇の役者であったことだ。
それに連合国・枢軸国といった対立構造も戦争劇のシナリオライターが描く典型的なパターンである。
だからこの視点から考察すると、以下のことが浮かび上がってくる。
日米がもっとも隠してきたかった事は負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことである。
このことは、ヒロヒトどころかほとんどの大将が米国側に、しかも開戦当初から寝返っており、負けいくさを演じていたことからも導かれる。
勝ち負けのいくさ劇でマインドコントロールを受けていたのは大将以下下級軍人と平民だったのである。
以下は、私の直感から導かれることでもある。
結論から言えば、大和自体が実は建造当初から原爆製造工場だったということである。
当初から非常に極秘に建造が進められ、戦後になってようやくその存在が知らされるようになった大和。その中では人形峠から発掘された精製ウランが濃縮されて幾つもの原爆が製造されていたに違いない。
その内の二つが広島そして長崎に持って行かれた。
起爆は地上にて行い、米軍とあらかじめ綿密に組んだイベントが行われた。
終戦直後に残っていた原爆は北海道美幌の今の自衛隊駐屯地の地下基地にある』
広島・長崎で自作自演連続テロ〜その手法が9.11で使われた
http://cosmic-dance.blogspot.jp/2016/03/1945869.html
天皇関係記事一覧〜ウランの大砲爆弾?
http://cosmic-dance.blogspot.jp/search/label/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E9%99%B0%E8%AC%80
広島・長崎の原爆は日米合同作戦による自作自演であった】
戦前、理研の仁科・武谷原爆はウラン10%濃縮で使えた。これに水を加えると立派な核爆発になる。
「広島で使われたのは、このウランの大砲爆弾だった」
理研の元研究員・槌田教授がさらりと激白!!!
1939アインシュタインが米大統領に「ウラン爆発を応用すれば船で爆破可」
1940英国ウラン爆発軍事応用委員会(天皇は英国陸軍元帥)◆仁科が日本陸軍にウラン爆弾計画を進言◆仁科の臨界事故の核分裂生成物がネイチャ―掲載@nyaro61
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6
%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B#.E5.8E.9F.E7.88.86.E6.8A.95.E4.B8.8B.E3.81.AE.E8.83.8C.E6.99.AF.E3.81
.A8.E7.B5.8C.E7.B7.AF …
https://twitter.com/honest_kuroki/status/774363897381867520
だんだん広まっています〜原爆投下の嘘が
https://twitter.com/AtsuyaKimura/status/774454553982832640
ヴェノナ文書〜あの田母神論文にもありました。だから嵌められたのです。
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1901
全文は記事にありますが一部抜粋
『さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、
日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。
ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。
米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。
アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。
当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。
そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。
これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。
その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。
彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、
日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。
真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである』
プーチンの出自
http://blog.goo.ne.jp/navikuma/e/efd220772e4bcf70ee7aa0b4b6453d6a
ハザール興亡史観
http://michi01.com/tendoh/israel12_index.html
こいつらは自衛隊に見えるが顔は日本人じゃあないな〜朝鮮人軍夫か?
あのJL123の時のような。あれは救出に行ったんじゃなく生存者を殺すためだったようだ。
米国でFEMAが発動されたらこういう連中が夜中に家に押し入って日本人を片っ端から連行する事態もあり得るのです。
http://ameblo.jp/tiger-mask-fighter/entry-12197843139.html
世界はすべて黒魔術〜
オームの上祐史浩は公安 
オバマはビン・ラディン 
金正恩の母は横田めぐみ 
などの記事は書いてきました。
聖書の嘘も分かりました。何十年も騙されてきましたからね。
歴代北朝鮮の将軍様はフリーメーソン33位階のグランドマスターで金日成もすり替えられたそうだ。
同じくすり替え組は明治天皇以来ガーター騎士団。
http://agora-web.jp/archives/1660077.html
ベトナム ホーチミン生活たより
http://vn-hochiminh.seesaa.net/article/441881938.html
もっと深くとんでも陰謀論?を検証したい方は下記のサイトを1年かけて読んで見て下さいな!
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/
勘の鋭いブロガーはもう地上起爆に気がついている
http://blog.goo.ne.jp/zabuyamato/e/11d7601d71eaa761a23a357d5838dea2
http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/185
オリバー・ストーンはバランサーだから気をつけよう。
NHK大好き監督でもある
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/b5512c9f80a1f959d397be284bb84cf5?fm=entry_awp
管理人注:フリーメーソンとは何か その3
天皇マネーの記事は後半ですが長いです。
鬼塚英明氏の著書からですが半分は違っていてミスリードしている。
鬼塚が北朝鮮の工作員であることがわかる
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/243.html
第二総軍で検索してみた
http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%91%e6%93%f1%91%8d%8cR&inside=1&b=15
次の記事でその間違いを訂正しよう
THE SECRET TERRORISTS by Bill Hughes
The Rothschilds were Jesuits who used their Jewish background as a facade to cover their sinister activities. The Jesuits, working through Rothschild and Biddle, sought to gain control of the banking system of the United States.
William Cooper= Bill Cooper
"Behold a Pale Horse"
The secret power structure is toward a totalitarian socialist state (fascism).
It is not the Nazis, as they were a product of this power structure.
It is not the Jews, although some very wealthy Jews are involved.
It is not the Communists,as they fit the same category as the Nazis.
It is not the bankers,but they do play an important role...pg.101
http://mujaki666.seesaa.net/category/6889291-1.html
「悪魔とはいったいなにか。
ズバリ、申し上げよう。
それは人間そのものである。
人間の中核をなす、精神世界(心)という超々極微の世界に陣どっている意志体そのものが、そのときどきによって悪魔になるのである。
しかも、人間のなかでも、文化人、知識人、有能な人といわれる人たちほど悪魔的傾向も強いのである。
なぜかといえば、人間の心の知恵のなかには、神と悪魔が紙一重の差でもって、裏、表の関係でつねに同居しているからである。したがって、文化人、知識人、有能な人といわれる人たちほど、よい面=神としての能力も高ければ、悪い面=悪魔としての能力も強いのである」
カレイド君も原爆は投下されたと言っている。これじゃあ信用を失うよ。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4297.html
関連記事〜こちらの分析の方が的をえています
http://ameblo.jp/kuroro-phoenix/entry-12201966477.html
貼り付け終わり。
おいらは達人さんのこの論文を支持します。
ありがとうございましたm(_ _)m
★1945年8月原爆の地上起爆:仮説提示は工作員なのか?

タマちゃんの暇つぶし
https://1tamachan.blog.fc2.com/blog-entry-15368.html




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2019年05月08日

四本足のクジラの祖先が南米ペルーで初めて見つかる 

四本足のクジラの祖先が南米ペルーで初めて見つかる 
投稿者 うまき
日時 2019年4月8日20:14:28
環境・自然・天文板6
ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
四本足のクジラの祖先が南米ペルーで初めて見つかる
2019年4月8日(月)17時30分
松岡由希子
ペルーで初めて見つかった4本足のクジラの祖先
(Alberto Gennari/Cell Press)
<ベルギーの生物学者がペルーの太平洋岸で、保存状態が良好な四本足のクジラの骨格を発掘し、その分析結果を発表した>
クジラは、5000万年以上前にインドやパキスタンといった南アジアでオオカミより小さな偶蹄目から進化して生まれている。
そして、その一部が水にも適応して、水中と陸上との両方で活動するようになり、生息地は次第にアフリカ北部へと広がり、4120万年前までには大西洋を横断して北米に上陸したとみられている。
そしてこのほど、太平洋岸の南米ペルーで初めて、4260万年前のクジラが四本足であったことを示す化石が発見された。
ビーバーやカワウソのような水陸両用哺乳動物と同様の尾椎
ベルギー王立自然史博物館の古生物学者オリバー・ランベルト博士を中心とする国際研究チームは、2011年にペルーの太平洋岸ピスコ盆地のプラヤメディアルナで保存状態が良好な四本足のクジラの骨格を発掘し、2019年4月4日、その分析結果を学術雑誌「カレントバイオロジー」で発表した。
「ペレゴゼタス・パシフィカス(太平洋にたどり着いたクジラ)」
と呼ばれるこの化石は南北米大陸で最古となる4260万年前のもので、インドとパキスタン以外の地域で発掘された化石の中では、最も完全に近いものだという。
長さ3.4メートルから4メートルの「ペレゴゼタス・パシフィカス」は、ビーバーやカワウソのような水陸両用哺乳動物と同様の尾椎を持っており、体の後部を波打つように動かして水中での推力を得ていたとみられている。
Olivier Lambert
また、骨盤が仙骨にしっかりと固定されていることから、自重を十分に支え、地上を這うことができたようだ。前肢と後肢のバランスはインドやパキスタンで発掘された
「ペレゴゼタス・パシフィカス」
の祖先と非常によく似ており、つま先や指には小さな蹄の跡も確認されている。
インドハイアス(Indohyus)約4,800万年前に南アジアで棲息していた半水棲の原始的哺乳類 (Ghedoghedo/Wikimedia Commons/CC BY-SA)
どんな道のりで南米大陸にたどり着いたのか....
南アジアを起源とするクジラが、どのように進化しながら、いつ、どんな道のりをたどって、アフリカ北部から大西洋を渡り、南北米大陸にたどり着いたのかについては、いまだ明らかになっていないことも多い。
「ペレゴゼタス・パシフィカス」は、クジラが南大西洋を渡って南北米大陸に分散したことを示す証のひとつとして評価されており、今後、この謎を解明する手がかりとなると期待が寄せられている。

LiveScience
https://www.youtube.com/watch?v=kae8eenOZ4k
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=Ctq7841ZmlI

★阿修羅♪
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/710.html




















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2019年04月20日

内部地球-アルザル

内部地球-アルザル
アルザルは北極の地底にあるというよりも、北極と南極を出入口とした地球内部の世界らしい。
それも、地殻の内側に展開された世界ではなく、物理的に内核が存在する場所にあるらしい。
だが、地球の内部が空洞になっている訳ではない。
にも関わらず、イスラエル10支族もヤンセン親子もバード少将も、肉体のままアルザルに入った。
ヤンセン親子は漁船で進入し、バード少将は飛行機で突入、そして、UFOが頻繁に出入りしている。
その秘密は、白い霧にあるようだ。
前にも書いたが、神隠しなどの蒸発事件の目撃によると、人がピンク色の霧に包まれて空間に消滅するという。色こそ違えど、霧に包まれるという共通点がある。
電磁波を交差させるとプラズマが発生し、亜空間が形成されるという事が分かっている。
地球の磁力線は、南極から北極に向かって集約され、北極から地球の中心を通って南極から出てくるという循環を繰り返している。
それによって、両極にプラズマトンネルが開き、地球の内核に重なる形で亜空間が形成されているらしい。
それがアルザルと呼ばれる世界で、れっきとした3次元の世界らしい。
つまり、物質と物質が重なった世界で、4次元ではないという。
4次元ではないが、我々の住む3次元とも異なる為、便宜的に「異3次元」と呼ばれている。
だが、プラズマトンネルを通ってアルザルに行く為には、理論的に、自らをプラズマで包んでいないと入ることが出来ないとされている。では、何故、ヤンセン親子やバード少将はアルザルに進入する事が出来たのか。身体や飛行機の機体が静電気を帯びて、プラズマに包まれたのだろうか。
アルザルには、亜熱帯地方の動物や草木があり、大気や河川もある。マンモスがシベリアで立ったまま氷漬けになり、胃から未消化の植物が発見されている。これが意味することは、急激な気温低下で瞬間冷凍されたということだ。つまり、過去に何度も起こしているポールシフトで、極点付近に瞬間移動した地域の人々や動植物が、磁気嵐か例の白い霧、またはオーロラの下層のピンクの部分に包まれて、そのまま地球内部世界に入ってしまった可能性が高い。基本的にプラズマに包まれていなければ、物体がプラズマトンネルを通過することは出来ない。つまり、UFOでなければアルザルを出入り出来ないのが通例である。
または、肉体を持たない霊(バイオプラズマ)の状態でなければ、アルザルに行く事は出来ないのだ。
アリオンは、
「アガルタに行くのに肉体は必要ない。
途上に肉体が必要なだけだ。
アガルタに入る前に、肉体を脱いでいく。
ある場所で、それを実行するのだ」
と述べているが、「ある場所」とはチベットの奥地ではないかと思われる。チベットの高僧やヒマラヤの聖者は、何かとシャンバラと深い関係にあり、彼らはアルザルのエージェントなのかも知れない。つまり、そこがシャンバラ行きの切符売り場で、同時にステーションになっている可能性がある。知花敏彦氏は、ヒマラヤでの修行の末に宇宙意識に到達し、シャンバラ本部に入る許可を得たそうだ。
だが、その場所はヒマラヤの奥地だったらしい。
結局、地球内部の世界には行っていないようだが、本来はそこで体脱して地球内部を探訪するのかも知れない。
ヒマラヤでは頻繁にUFOが目撃されているが、場合によっては、UFOで肉体のままアルザルに行ける事もあるようだ。
一例として、飛鳥昭雄氏は、チベット僧からシャンバラの写真を見せられている。
それは古びた写真だが、明らかに地上とは異なる風景で、ピラミッドまで写っている。それは、念写のレベルではない。過去に何者かが、カメラで地球内部世界を撮影したのだ。
ダライ・ラマは、「シャンバラは観念の世界ではなく、現実に存在する場所」と語っているのは、その事を指している。
一方で、「瞑想によって行く事が出来る」とも説いている。
アリオンも、こう語っている。
「シャンバラに行くのに肉体が要らないのは、振動数が違うからだ。
肉体もアストラル・ボディと呼ばれる体も振動数が違うだけで、現実に同時に存在している事を理解出来れば、シャンバラの存在も理解出来るだろう」
ヒマラヤの聖者たちは、身体の振動数を自在に調節して、体脱せずに、肉体を幽体や霊体に変換できるらしい。当然、霊体の状態から幽体、肉体として現れることも可能だ。彼らの寿命は500〜1000歳は当たり前で、究極的には不老不死の世界に到達するらしい。肉体のまま壁をすり抜けたり、テレポーテーションなども自在に行なう事ができ、亜空間を自由に出入りすることが出来るのだ。彼らは、地球内部のアルザルにも頻繁に出入りしているはずだ。このような人たちを、一般的に「仙人」というが、彼らは霊的進化を第一とする聖者であり、高次元の「神仙」と呼ぶべき存在である。エノクやイエス・キリストも、神仙になって昇天したと私は解釈している。
インドではこれを「聖仙」と呼び、サイババもそれにカデゴライズできる。
工学博士の故・政木和三氏は、サイババの精神は8次元と診断していたが、これは一般通念での6次元に相当する。
当然、輪廻を脱却し、生死を超越していてもおかしくはないが、何故かサイババは生死を繰り返す道を選んでいる。

神仙組U【善悪逆転論編】魔天使ルシファーの復活★By.獄悪鬼族
http://blogs.yahoo.co.jp/yhwh_lucifer/784838.html





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松原照子霊視: 牛頭人体の怪物「ミノタウルス」の実態

松原照子霊視: 牛頭人体の怪物「ミノタウルス」の実態
「古代文明」
右の耳に男性の声が聞こえて
「ギリンア神話」
まに右の耳にキャッチ。
原稿を文で埋めていくあいまに,うつくしい海岸の景色が見えます。
目の焦点を原稿に合せたり,景色に合わせたり。
器用だなあと自分でも思います。
「神々と暮らす人々」
こんな文字が読み取れよした。
さきほど見えたうつくしい海はエーゲ海だったようです。
。。。。
2000年以上も前のお話です。
ケファラの丘には「迷宮」といわれるクノッソス宮殿があります。
この宮殿の名を冠した「クノッソスのコイン」には秘密が隠されています。
どちらが表かわりませんが,一方には、牛頭人体の怪物「ミノタウルス」が刻まれています。
この姿こそクレタ王ミノスの妃とわが子への思いに他ならないのです。
クノッソス宮殿はギリシア最大の島クレタ島にある。
紀元前20世紀には旧宮殿が建設された。
クレタ王ミノスは神話上の存在ではあるが,古くは歴史家のヘロドトスが存在を主張。
1900年に宮殿が発見されてからは実在の可能性もあると考えられている。
伝承によれば,ミノス王の妃パシパエは牡牛に恋をするようにしむけられて牛頭人身のミノタウロスを産んたといわれます。
しかし,人間が牛頭人身の怪物を生むことなどありません。
大柄でいかつい要望であったミノス王は,自分に似ても似つかぬ美しい我が子を見てパシパエの不貞を疑い迷宮に閉じ込めようとしました。
しかし王も人の子。
わが子への思いもあって,牛頭人身の我が子をコインに刻んだのです。
牛頭は,美しい我が子の顔を見たくないがために作らせたかぶりもので,ミノタウロスは怪物ではなく我が子そのものであったと,不思議な世界の方は伝えています。
コインの裏の幾何学模様はミノス王の指紋を表します。
―雑誌ムー,2018年6月号

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