2020年04月10日

4月15日, 諏訪大社上社の奇祭「御頭祭」〜75頭の鹿の首を捧げる縄文の伝統

4月15日, 諏訪大社上社の奇祭「御頭祭」〜75頭の鹿の首を捧げる縄文の伝統
75頭の鹿の首を捧げる「御頭祭」って? 縄文時代は終わったあともスゴかった!【長野】
2019年08月21日
笛木 あみ
前回まで2回に渡ってお届けしてきた縄文時代の諏訪を巡る旅ですが、今回からは、縄文時代「終焉後の」諏訪についてお送りします。
なぜなら、諏訪の縄文が本当に「すごい」のは、むしろ縄文時代が終わってからのお話だからです!
今からおよそ2500年〜3000年前、西日本に入ってきた「水田稲作」という文化は、わずか400年足らずの間に全国に広がっていきます。
それに伴い、1万年以上もの間日本列島を覆ってきた「狩猟民的」縄文文化は、またたく間に「農耕民的」弥生文化に塗り替えられていきます。
ところが諏訪は、日本がどんどん「弥生化」していく中にあって古い形の信仰を守り続け、独自の道を歩んでいたというのです。
かつて「縄文銀座」とまで呼ばれた諏訪は、いかにして「農耕民的」弥生文化との共生を図り、日本列島のど真ん中で縄文スピリットを守り続けたのでしょうか? 縄文諏訪旅第3回は、代々諏訪大社の「狩猟民族的」祭祀の一切を取り仕切ってきた守矢家の敷地に建つ「神長官守矢史料館」、そして信濃国一之宮を誇る「諏訪大社」より、弥生時代以降、諏訪の地で静かに、しかしたくましく生き残ってきた縄文スピリットを紐解きます。
神長官守矢史料館。
柱が屋根を突き抜けた大胆かつ生気あふれる建築は、まさに諏訪出身の「縄文系」(筆者定義による)建築史家、藤森照信先生の建築家デビュー作(!)です。見る度に必ず縄文心がざわざわ騒ぎ出します。
⬛「神長官守矢史料館」に行ってきた!
守矢(もりや)家とは、明治期まで諏訪大社上社の筆頭神主「神長官」を務めてきた由緒正しきお家柄。その系譜はなんと神代まで遡ることができるといいます。守矢家の祖先神「洩矢神(モリヤガミ)」は縄文に起源を持つ狩猟の神とも言われ、古来よりここ諏訪の地で厚く信仰されてきました。「神長官守矢史料館」には、守矢家に古から伝わる諏訪神社の祭礼に関する古文書など、県や市の重要文化財にも指定される貴重な史料がたくさんあります。縄文好きが諏訪に行くなら間違っても外せない、マストビジット聖地の1つです。
⬛中部・関東の縄文は頑なだった・・・!「縄文銀座」へ弥生文化が届くまで
大陸からもたらされたとされる水田稲作の文化は、非常に短期間の間に西日本、大阪平野の辺りまで広がっていきました。しかし、濃尾平野(三重県〜岐阜県)以東の東日本には水田にできない深い森が広がり、縄文人の人口密度も高かったために、弥生文化の広がりはここで一旦足止めを喰らいます。この「西の弥生、東の縄文」という文化の構図は、その後実に200年ほど続いたと見られています。
「弥生」の侵入を阻んでいたのは、濃尾平野以東に広がる深い森。
さらに驚きなのは、この構図がついに崩れるその時です。弥生文化はなんと中部・関東・北陸をスキップして、まず青森にもたらされるのです。それからまたたく間に南下していき、およそ2100年前、ついに中部・関東にまで達しました。中部・関東の縄文人、どれだけカタクナなのよ・・・と言いたいところですが、なにせこの地域は縄文時代に一大文化圏を築いていた「縄文大都会」だったわけですから(連載第一回参照)、外来文化をなかなか受け入れられなかったのだとしても、無理もありませんね。
⬛諏訪で縄文文化を守っていたのは誰だ?
最後まで残った中部・関東地域で「縄文銀座」を守っていたのがどこの誰であったか、あるいはこの地に外来文化を持ち込んだのがどこの誰であったかは、もはや誰にもわかりません。しかし、諏訪に伝わる神話の中には、そのキーを握ると思われる神の話があります。その神こそ、守矢家の祖先神「洩矢神(モリヤガミ)」です。室町期に編まれた諏訪大社の縁起を記した書物、「諏訪大明神縁起絵詞」には、洩矢神についてこんな記述がされています。
洩矢の悪神神居を妨げんとせし時、洩矢は鉄輪を持して争い、明神は藤の枝をとりてこれを伏し給う。ついに邪輪を降し正法を興す(「諏訪大明神縁起絵詞」1356年より)
「明神」とは、現在諏訪大社の祭神「諏訪大明神」として知られる大変ありがたい神様、「タケミナカタノミコト」のことです。この神様、元々は出雲(現在の島根県)の神だったようで、その名は我が国最古の書物「古事記」にも登場します。天上の国を司る天津神(あまつかみ)が、出雲を統治する国津神(くにつかみ)のトップである大国主(オオクニヌシ)に国譲りを迫るシーンです。
国を譲るよう、天津神がオオクニヌシに迫ると、オオクニヌシが言うには「自分は構わないが、私の2人の子供がなんと言うか・・・」
そこで、くだんの2人に聞いてみたところ、1人目の御子、ヤヘコトシロヌシは快諾するが、2人目のタケミナカタは猛反対。無謀にも天津神を相手に戦いを挑む。(かくかくしかじかあった後)結局力敵わず、天津神に負けてしまったタケミナカタは東へ東へと逃亡し、ついには「洲羽(すわ)の海」まで追い詰められてしまう。そして、今後「諏訪から決して出ない」ことを条件に命拾いをする。
・・・というお話です。(だいぶ端折りましたが)「諏訪大明神縁起絵詞」に出てくるタケミナカタのお話は、他でもない、この古事記のエピソードの後日談というわけです。「洲羽の海」でタケミナカタを待ち受けていた洩矢神は、「鉄輪」を持って戦いますが、タケミナカタの「藤の枝」の前に負けてしまいます。それからのち、タケミナカタは諏訪大社の祭神「諏訪大明神」として君臨した、とあります。
諏訪にはこの神話を裏付けるように、天竜川を挟んで諏訪側に「洩矢神社」が、そして西側に「諏訪明神入諏の地」として伝わる「藤島神社」があります。ちなみに、「鉄輪」と「藤の枝」だったらどう考えても鉄のほうが強そうですが、この「戦い」は武力争いではなく、呪術比べだったと言われています。
以上が、嘘か真か、伝説あるいは神話の中のお話。しかし「神話なんて、古代人の考えた絵空事」と一掃してしまうのは、あまりにも早計です。諏訪は縄文時代、人とモノが集結する大都会だったのであり、弥生時代に入っても洩矢神に象徴される「洩矢族」をトップに、巨大な「縄文文化圏」を守っていたのだとしても不思議ではありません。タケミナカタに象徴される何者かがこの地になんらかの「異文化」を持ち込み、新しい文化形態が生まれたと考えるのはそれほど荒唐無稽な話ではないかもしれません。
長野県の遺跡を示した図。(尖石縄文考古館)明らかに目立つ赤い点々が縄文時代の遺跡。諏訪湖を中心に「大都会」が築かれていたことがわかります。
さて、タケミナカタに負けてしまった土着の神「洩矢神」ですが、実はそこで滅ぼされてしまったわけではありません。なんと諏訪では、相反する2柱の神が潰し合うことなく共存することで、独特の文化の形を築いてきたというのです。
諏訪大社の二重体制に見る「縄文」と「弥生」共生の姿
洩矢神に象徴される「縄文」文化と、タケミナカタに象徴される「弥生」文化共存の姿は、神道としてはちょっぴり風変わりとも言える諏訪大社の体制に見ることができます。諏訪大社は、全国に数万社あるとも言われる諏訪神社の総本社であり、信濃国一之宮を誇る日本最古の神社の一つでもあります。
諏訪大社は大きく上社と下社に分かれ、諏訪湖を挟んで南側に上社(前宮と本宮)が、北側に下社(春宮と秋宮)があります。これら4社を合わせて「諏訪大社」というわけですが、その祭の性格は上社と下社で全く違い、上社が「狩猟民的」であるのに対して、下社は「農耕民的」であると言われています。つまり、諏訪大社は一つの神社の体制の中に、相反する2つの文化を内包しているわけです。
また、「狩猟民族的」祭を行う上社には、明治時代まで、下社にはない独特な「二重神職体制」がありました。通常、神道では祭を取り仕切るのは神職の長(諏訪大社の場合「大祝《おおほうり》」と言います)の仕事ですが、諏訪大社上社の場合、大祝に次ぐ神官「神長官(じんちょうかん)」守矢氏が実質全ての神事を取り仕切ってきたというのです。
神話では、洩矢神はタケミナカタに祭政権を譲ったのち、今後その身をタケミナカタの祭政するために捧げると誓ったことになっています。この神話をなぞるかのように、諏訪大社上社では洩矢神(神長官守矢氏)とタケミナカタ(生き神=大祝)が「祀る側と祀られる側」として、代々共存してきたのです。
⬛諏訪大社上社の奇祭「御頭祭」とは
では、守矢氏が代々取り仕切ってきた諏訪大社上社の「狩猟民的」祭りとは、いかなるものだったのでしょうか。「神長官守矢史料館」の展示から、ほんの一部をご紹介しましょう。史料館の入口をくぐるとすぐに眼前に現れる、度肝を抜かれる展示のハイライトです。はいこちら。
このエキセントリックな展示は、古代より諏訪大社上社の例大祭として執り行われてきた「御頭祭(おんとうさい)」のジオラマです。
江戸時代に諏訪を旅した博物学者にして旅作家、菅江真澄(すがえ・ますみ)のスケッチを元に再現されたといいます。記録によると、当時の御頭祭では75頭分の鹿の首が神饌(しんせん・神に供える食物のこと)として捧げられ、胴体部分は人間が食す神人共食(神と人とが同じ食物を味わうこと)の形をとっていたとか。血を穢れとする神道にあって、獣を神饌とする珍しい「狩猟民的」祭であるばかりか、75頭の首をそのままの形で供える生々しさに原始的自然信仰の形が伺えます。
祭では鹿の頭だけでなく、イノシシの脳みそや、白ウサギなどの小さな獣、サギやキジなどの鳥類、鯛や海老などの海鮮物など様々なものがことごとく奉られたといいます。
現在でも毎年4月15日には、5頭分の鹿頭の剥製を供える縮小バージョンの祭が行われていますが、本来の御頭祭は、「廻り湛(まわりたたえ)」と呼ばれる神事に出かけていく童子を送り出す祭でした。「廻り湛」とは、これまた上社独特の古い古いお祭りで、この祭では選ばれし諏訪明神の代役となる6人の童子が、神の依代となる木や石を回り、縄文に起源があるとも言われる精霊「ミシャグチ」を地上に降ろしたのだといいます。
古代の神事「廻り湛」でミシャグチ神の依代とされてきた木や石は、「七木湛(しちぼくたたえ)」あるいは「諏訪七石」と呼ばれています。図は諏訪大社前宮の奥にある、七木湛の一つ、「峰たたえ」です。
⬛縄文人の祈りをつなぐ精霊「ミシャグチ」とは
諏訪の縄文を語る上で、「洩矢神」と共に覚えておきたい神、あるいは精霊の名が「ミシャグチ」です。ミシャグチは、古代より長野県を中心に、主に中部〜関東で信仰されてきた神様で、そもそも諏訪大社上社の「狩猟民的」祭の根幹にあるのは、このミシャグチ信仰なのだとも言われます。
現在、ミシャグチは「子孫繁栄」のご利益があるとされることが多いのですが、そもそもは「石の神」だったとも、「蛇の神」だったとも言われています。ところで「石の神」「蛇の神」「子孫繁栄」と聞いて、思い出すものがありませんか。そう、連載第1回の「尖石縄文考古館」で見た、諏訪の誇るエキセントリックな土器「蛇体取手土器」です。
蛇体取手土器は縄文時代中期に諏訪のあたりで生み出されたと見られ、中部〜関東まで派生していったスタイルの土器です。尖石縄文考古館の山科先生によると、この蛇体取手土器が生み出されたすぐ後に、縄文人のマツリの道具「石棒」も大量に作られるようになったのだそうで、両者は元々同じ動機から作られたのかもしれないのです。すなわち、蛇の「多産」と、脱皮をする「再生」の能力、また石棒に象徴される「子宝」と「再生」への願いです。
ミシャグチの起源が、縄文時代の蛇体取手土器、あるいは石棒や石皿にあるとする説は全く推測の域を出ません。しかし現在分布するミシャグチ信仰の根強い地域と、縄文時代に「蛇体取手土器」によって築かれていた一大文化圏は、非常に奇妙な一致を見せています。また、現在ミシャグチを祀る神社はその御神体として、縄文中期の石棒と石皿を祀るのが典型的なのだそうです。縄文人が蛇体取手土器や石棒に託した祈りが、形を変えつつ現在までつながってきたのだとしても決して不思議ではありません。
⬛中部〜関東のミシャグチ文化圏を守ったのが洩矢神?
呼び方は、ミシャグジ、ミサグジ、ミサクチ、など地域によって様々ですが、ミシャグチを祀る神社は全国におよそ2000社あると言われています。そしてその総本社の形をとっているのが、諏訪大社上社の前宮です。上社前宮は諏訪大社4社の中でもっとも成立が古く、また古代「洩矢族」の本拠地であったと考える研究者もいます。そもそも、諏訪大社上社の神事を神長官守矢氏が取り仕切ってきたのも、守矢氏がミシャグチ信仰に関する一切の権限を有する司祭であり、ミシャグチ神を降ろす秘法もまた、神長官のみが行うことができるとされてきたからです。
もしかしたら守矢氏の祖先神「洩矢神」とは、蛇体取手土器、あるいはのちに石棒・石皿、あるいはその後ミシャグチとなる縄文的祈りでつながった中部〜関東の縄文文化圏を守る神だったのかもしれませんね。
諏訪に逃げてきたのはタケミナカタだけではない?!
古代、「農耕民的」弥生文化が全国を覆い尽くしていく中で、なぜ、諏訪には古い「縄文的」信仰の形が残り続けたのか? その答えはひとえに、誇り高き土着の神「洩矢神」に連なる神長官守矢氏が守り続けた祭祀の形にあるような気がします。そしてそれを可能にしたのは、諏訪大社の4社体制、すなわち上社と下社の「異文化共存」の姿勢にありました。
神話の中でタケミナカタは、「以後、絶対に諏訪の地から出ないことを約束するから許してくれ」と懇願します。実はこうして諏訪の地にやってきた神はタケミナカタだけではありません。「伊勢国風土記逸文」によると、天津神によって伊勢の国を追われた神、イセツヒコもその後「信濃の国に住んだ」とあります。また他でもない諏訪大社上社の大祝家、神(ミワ)氏もまた、元々は奈良の大神(オオミワ)神社を祀っていた氏族だったとする説もあるのです。
もしかしたら諏訪は、弥生時代以降、古代を生きた縄文人の「駆け込み寺」的な役割を担っていたのかもしれません。独特な信仰形態により「縄文スピリット」を保ってきた諏訪は、「銀座」だった時代をすぎても、縄文人にとっては文化のふるさとであり、祈りのふるさとであり続けたのかもしれません。

 和樂web
https://intojapanwaraku.com/travel/13786/






取材協力
神長官守矢史料館
開館時刻:午前9時〜午後4時30分
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝祭日の場合は、その翌日)と祝日の翌日
入館料:大人100円
〒391-0013長野県茅野市宮川389-1
電話: 0266-73-7567
諏訪大社
上社本宮  長野県諏訪市中洲宮山1電話:0266-52-1919
上社前宮  長野県茅野市宮川2030 電話:0266-72-1606
下社春宮  長野県諏訪郡下諏訪町193 電話:0266-27-8316
下社秋宮  長野県諏訪郡下諏訪町5828 電話:0266-27-8035
尖石縄文考古館
〒391-0213 長野県茅野市豊平4734-132
電話:0266-76-2270
開館時刻:午前9時〜午後5時(入館の最終受付は午後4時半)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝祭日の場合は、その翌日)と祝日の翌日

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2020年01月21日

[祭事] ロウバイ祭り, 神奈川県足柄上郡シダンゴ山






[祭事] ロウバイ祭り, 神奈川県足柄上郡シダンゴ山
今日はシダンゴ山、宮地山、ロウバイ祭りへ
2020/01/19 17:01
今日は松田町寄からシダンゴ山(757.9m)→宮地山(512m)を登り、寄のロウバイ祭りを初めて見に行きました。
ロウバイ祭り開催中(1月11日〜2月11日まで)は、寄の駐車場(無料)の利用者は、ロウバイ祭り(入場料300円/人)に入場する必要があると言われたため、ハイキングの後にロウバイ祭りを初めて見に行きました。
寄駐車場→シダンゴ山→宮地山→寄駐車場のコースは10年前に辿りました。10年前ですから景色は殆ど忘れていました。
午前9時前に出発し、10時15分にシダンゴ山山頂に到着しました。山頂で20分ほど休憩し、その後、宮地山経由で下山し駐車場に12時過ぎに戻ってきました。
昨日の雪で丹沢山塊や箱根の山々がうっすらと雪化粧をしていました。
シダンゴ山は上りも下りも急斜面が多くとんがり山です。シダンゴ山までの登山道は樹林帯で覆われています。
ちなみに、シダンゴという名前は昔この山を登っていた仙人の名前だそうです。
駐車場から舗装道路→坂道(林道)を歩いていくと鹿の柵があります。柵を開けて樹林帯(主に杉)の急な登山道を登っていくのですが。。。この日は朝から晴天でしたので日当たりのよい場所では汗が出てくるほど暖かく最高の登山日和だと思っていたのですが。。。樹林帯の中に入った途端になんと大粒の雨が降っていました。慌てて薄いアノラックを着ましたが、ザックは濡れたままです。
昨日の間に葉っぱに積もった雪が溶けて雨になって落ちてきていたのです。しかも樹林帯が山頂まで続きますからその間ずっと雨降りでした。下山中も樹林帯に覆われている登山道は大粒の雨が降っていました。
雪が降った翌日に晴れると、葉っぱに積もった雪が溶けて雨になりますからカッパが必要です。雪国では考えられないのでしょうけど。
ということで今日は午後2時ころまでは晴れでしたが、ハイキング中は雨に濡れてしまいました。下山後すぐに乾きましたが。。。
幸い、シダンゴ山の山頂は禿げているので雨も降らず日当たりがよく暖かでした。宮地山の山頂もかなり禿げていますが、山頂の標識が端っこにポツンと立っておりなんだか寂しそうでした。
10年前にシダンゴ山に登った時は、山頂にはあまり人がおらず、私たちの後から親子連れ(幼稚園児2人と両親)が登ってきたのを覚えています。子供たちは急坂を一生懸命登り山頂に到着した時はとてもうれしそうでした。ご両親ともちょっとお話した記憶があります。
あの子供たちは今はもう中学生〜高校生になっているだろうなあと懐かしく思いました。
今日は、シダンゴ山の山頂に多くのハイカーが次々と到着しました。去年の台風で多くの登山道が崩落したため登れる山が限られているからです。山頂からの景色もとてもきれいでした。ただ、周辺の木々が10年前よりも伸びたせいで富士山が隠れて殆ど見えなくなっていました。
下山後は、車にザックを置き、駐車場から東側の山の斜面に広がるロウバイ園に向かいました。黄色いロウバイの花に覆われた斜面を20分ほど登りながらロウバイを堪能しました。寄ロウバイ祭りには多くの観光客が訪れており驚きました。広大な駐車場も満車でした。山の斜面はロウバイの甘い香りが漂っていました。。ロウバイの苗木を買っていく人が多くいましたが庭に植えるのでしょう。
過去に、寄の駐車場から櫟山と栗の木洞経由で鍋割山に登ったこともあります。
(シダンゴ山へ向かう→樹林帯は雨→シダンゴ山山頂手前→山頂x3→宮地山へ向かうx2→宮地山山頂→下山道脇の茶畑(これは覚えていました。)→ロウバイ→ロウバイ園の寄展望台→ロウバイ)

日本や世界や宇宙の動向
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52048657.html
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2019年06月01日

バルクの黙示録 

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バルクの黙示録 
太陽の戦車
前回はフェニックスの食べのものである『マナ』と『糞(蛆)』について述べた。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/29236693.html
今日はギリシア語バルクの黙示録第6章13節の続きだ。
例によって引用はすべてバルバロイのサイトから。
13 そして、彼が話しかけているとき、雷鳴の響きのような雷鳴が起こり、わたしたちの立っている場所が揺れ動いた。そこで天使に尋ねた。『わが主よ、あの音は何ですか?』。すると天使がわたしに云った。
『今、天の365の門がことごとく開き、光と闇とが分かたれているところです』。
ところで、以前ブログの記事でも書いたが、一年が365日からなるというのはすでに紀元前3000年の頃から古代エジプトやメソポタミアではすでに使用されていたが、考古学的には紀元前4213年から4186年の間のエレファンティネ、あるいは紀元前2783年から2764年頃のメンフィスですでに使用されていたと推測されている。
暇があったらどうぞ ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/24919210.html
さて・・・、
これからバルクが見るのは創世記の最初の場面ではなく、おそらく一日の始まりであろう。
14 すると声が伝わってきて言う。『光を与える者よ、世界に光を与えよ』。
15 すると鳥の鳴き声が聞こえてきたので、云った。『主よ、あの鳴き声は何ですか?』。
16 すると云った。『あれは、地上の雄鶏たちを目覚めさせているのです。というのは、両刃のように〔鋭く〕、雄鶏も世界の中にある者らに、独特の鳴き方で知らせるからです。
つまり、太陽は天使たちによって備えられ、そして雄鶏は声によって〔備えられる〕のです』。
第7章
1 そこでわたしが云った。『いったい太陽はどこで〔仕事に〕専念するのですか、雄鶏が鳴いた後からは?』。
2 すると天使がわたしに云った。『聞きなさい、バルク。そなたに示したことはすべて、第一の天と第二の天にあることどもです。しかし太陽が通過するのは第三の天で、世界に光を与えるのです。
しかし、待ちなさい、そうすれば神の栄光を眼にできるでしょう』。
3 そしてわたしが彼と話しあっているときに、鳥と、それが眼の前にあらわれるのを見た、そして少しずつ少しずつ生長し、成鳥になった。
4 するとその〔鳥の〕背後に太陽が輝き出で、天使たちがそれ〔太陽〕とともにあって〔車を〕引き、その〔太陽の〕頭上に冠があったが、その〔冠〕の眺めをわたしたちは直視して見ることができなかった。
5 すると、太陽が光り輝くのと同時に、フェニックスも自分の翼を広げた。このときわたしはこのような栄光を見て、大いなる恐怖に萎縮し、逃げだし、天使の翼の中に隠れた。
6 すると天使がわたしに云った。
『恐れるな、バルクよ、むしろ待っていなさい、そうしたら彼らの没むのも眼にすることができよう』。
この文書中の鳥とはフェニックスのことだ。
しかし、どうしてもエジプトやメソポタミアにある有翼太陽円盤と重なってしまう。
いずれにせよ、このフェニックスに関する描写を見る限り、エジプトのベンヌの伝承と似ていてその影響のほどが見て取れる。
フェニクスとベンヌ → http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/29231193.html
エジプト人は太陽が沈む際に、ベンヌはハヤブサの姿で夜の間冥界で過ごし、そして朝日が昇る時にはサギの姿で新たな誕生を迎えたと言われている。
それにしても・・・、
このバルクの黙示録では、太陽、光、神という存在がどうも混同して描写されているような気がする。
太陽崇拝というのは、キリスト教が普及していった時期のローマ帝国内において、無敵の太陽神ソルという確固たる神が崇拝されていた。
無敵の太陽神ソルとローマ帝国 Part1
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/28011171.html
12月25日の真実 -無敵の太陽神ソルとローマ帝国 Part2
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/28049439.html
太陽が東から昇って西に沈み、夜が来て再び太陽が東から昇る。
太陽を崇拝する太古の人々は、こうした繰り返す太陽の動きを説明するために『太陽の船』や『太陽の戦車/馬車』を考案した。
このバルクの描写には
「天使たちがそれ〔太陽〕とともにあって〔車を〕引き・・・」
とあるが、おそらくその名残が在るのかもしれない。
まだ、古代エジプトでは、ヒクソスがチャリオット(戦車)をもちこむまで「車輪」を知らない時代が続いていたので、
『太陽の船』がもっぱらその役割を果たした。
車輪の伝承とともにヨーロッパにおいては「太陽の乗る戦車/馬車」が考案された。
一番有名なところでは、ケルト・ゲルマン系の文化の影響が残っていると思われるデンマークのトゥルンドホルムから出土した青銅器時代(紀元前1400年頃)のものと思われる太陽の馬車がある。
太陽とこの車との関係を示すものとしては何があるだろうか?
こぐま座やおおぐま座は、星座において北極星の周りにあって北半球では沈まない星(周極星)であるが、北極星の周りをぐるぐると回るその姿は、それ以前の古代ギリシアの天文学者によって
「小さな車(kleiner Wagen)」や
「大きな車(grosser Wagen)」
という言い方をされていた。
日本人にとってなじみの深い北斗七星はおおぐま座の一部で,舛の部分の4星を車に,牽引棒にあたる3星を車を引く人か馬に見立て、北極星の回りをグルグル回る「大車」とみたてることができる。お隣の中国では「帝車」、英国では「チャールズの車」などとも呼ばれているそうだ。
左のリンク(→http://mirahouse.jp/begin/constellation/Ursa_Major.html
一般にこれらは周極星と呼ばれる星座たちだ。
これは、地球上のある地点で沈まない星のこと。
つまり天の北極または天の南極に近接し絶対地平線下に沈まない星。
そのためその地点では何時でも夜の空で見られる
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/21/Zirkumpolar_ani.gif
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/21/Zirkumpolar_ani.gif
また、ちょっとわき道にそれるが、
小さい車と呼ばれた星座はギリシア神話に登場するヘスペリデス、そして大きな車(実際は今日のおおぐま座の“尻尾”にあたる3つの星は「ヘスペリデスの園の黄金の林檎」とされていた。そし、ヘスペリデスの近くにある「りゅう座」は、ヘラクレスの神話『11番目の功業』に登場するヘスペリデスの林檎を護るラドンである。
それはつまりこんな話だ。(以下ウィキペディア参照)
ヘスペリデスは世界の西の果てにある「ヘスペリデスの園」に住んでいる。
その近くでは、父アトラースが天空を背負って立っている。
「ヘスペリデスの園」にはヘーラーの果樹園があり、ヘスペリデスは果樹園に植えられた黄金のリンゴの木を世話して、明るい声で歌を歌っている。木の世話をしているヘスペリデスがリンゴを盗んでいるのを見つけたヘーラーは、百の頭を持つ竜ラードーンに木の周りをぐるぐる巻き付かせ、番をさせることにした。
以下のページを参照にちょっとした図を作成してみた。
http://mirahouse.jp/begin/constellation/Ursa_Major.html
間違いない・・・エヴァが木の実ではなく林檎を食べたとの思い違いはこのヘスペリデスの話が発端だ。
まざ、ちょっと話がそれてしまったが・・・、
太陽の光で見えないが日中も沈まないこの星座を、古代の人々が“太陽を運ぶ車”としてみたてたのは合理にもかなっている。
おそらく“目に見えない星がそこにある”ということは分かっていたのだろう。
ギリシアの太陽神ヘリオスやローマの太陽神アポロを描く時、チャリオット(馬車/戦車)に乗る姿で描かれるのは、こうした伝承の影響であるだろうし、このバルク書の記述もそれを繁栄している。
「その〔太陽の〕頭上に冠があったが、その〔冠〕の眺めをわたしたちは直視して見ることができなかった。」
この〔太陽の〕頭上に冠があるというのは、太陽を擬人化・・・もしくは擬神化しているといっていいだろう。
これはヘリオスやアポロ、そして無敵の太陽神ソルがかぶっている冠のことを指していることは間違いない。
おそらくバルクの黙示録が正典として認められない理由の一つは、この露骨に太陽崇拝の影響が出てしまっている
太陽=神
の描写が原因なのかもしれない。

オルタナティブを考えるブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/29236693.html
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第8章
1 そしてわたしを連れ、わたしを日没の方へ導いた。そして日没の時がやって来たとき、わたしは見る――面前にまたもや鳥がやってきて、太陽が天使たちといっしょにやってくるのを。そしてそれ〔太陽〕がやってくると同時に、わたしは天使たちを見る、すると、その〔太陽の〕頭頂から〔天使たちは〕冠を脱がせた。
2 ところが、鳥はすっかり萎縮して、その翼をたたんでいた。
3 そこでそれを見て、わたしは云った。『主よ、どうして太陽の頭から冠を脱がせたのですか、また、鳥がこんなに萎縮しているのは、どうしてなのですか?』。
4 すると天使がわたしに云った。『太陽の冠は、1日経巡ってくると、4人の天使がこれ〔冠〕を受け取って、天に運びあげ、これを改新するのです、これとこれの光線が地上で汚れているからです。
そして今後も、毎日、そういうふうにして改新されるのです』。
5 そこでわたしバルクは云った。
『主よ、いったいどうしてその光線は地上で汚れるのですか?』。
すると天使がわたしに云った。
『人間どもの不法や不正を観るからです、すなわち、姦淫、姦通、盗み、掠奪、偶像礼拝、酩酊、殺人、争い、嫉妬、悪口、不平、陰口、占い、そしてそういったことどもに類似したこと、こういったことは神に喜ばれないのです。だから汚れ、だからこそ改新されるのです。
6 また、鳥について、どうして萎縮しているのかということだが。
太陽の光線を抑えているから、その火と、1日中燃えていることから、そのせいで萎縮しているのです。
7 その翼が、先ほど云ったとおり、太陽の光線を遮ることがなかったら、いかなる息あるものも助からないでしょうから』。
ふむ。。。地上に近づくにつれて光が弱まって悪が栄えると言うのは、ギリシア哲学もそうだし、カバラ的な要素も見え隠れする。

オルタナティブを考えるブログ
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チャリオット(馬車/戦車)

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アポロ神もしくは無敵の太陽神ソル

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小さい車と呼ばれたヘスペリデス、大きな車と呼ばれたおおぐま座の“尻尾”




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2018年10月20日

ハロウインの起源

2018年09月30日19:23
【拡散希望】ハロウィンは悪魔最大の祝祭!!アナタ、そのかぼちゃ、何を詰めたか知ってます?
今年もやってきました
恥ずかしいというか、情けないイベントの季節が
クリスマスの起源もろくなもんじゃないけど、
ハロウイン・・
すでにあちこちでハロウイングッズが売り出され、僕を暗澹たる気持ちにさせる
今年は10月31日(水曜)だそうだ
あーあ・・
ハロウインの起源・・
ぜひ知ってもらいたい
カブのジャック・オー・ランタン(アイルランド)
僕の読者の方でハロウィンなるもので浮かれておられる方がいないのを祈る・・
ってわかる人ほとんどいないでしょう
そりゃ本場欧米でもほとんどの人が知らないで
「お祭り」って認識してはしゃいでるのだから・・
でもねこんな仮装、変じゃありません?
アイルランド
古き良き?アメリカ
さて
動画見ます?
どうしてかぼちゃなのか?
「トリック・オア・トリート(Trick or treat.)」
って本当はどんな言葉なのか・・
では、どうぞ
必見です!
再び来るイエスキリストさんより
2015年10月22日
ハロウィンが流行する真の理由
街中にはこのようなハロウィンのイラストが溢れています。
描いている人には全く悪意なく、かわいく描いているのでしょうが、
仮装イベント、お菓子などで人々が受け入れやすい形にしながら、ハロウィンを流行らせる真の目的がなんであるかをよく知っておく必要があります。
ハロウィンの起源はケルト人
ハロウィンは古代ケルト人が行っていたサウィン祭という10月31日の夜から11月1日にかけて行う祭りが発祥です。
ケルトとは、ヨーロッパに紀元前1200年から紀元前1世紀頃にかけて発展してきた文化圏です。
紀元前1世紀にローマのユリウス・カエサルによって征服されました。
カエサルは自ら記した「ガリア戦記」に、ガリアのケルト社会がどのようであったかを詳細に記しています。
ケルトの神官ドルイド
ケルトの社会ではドルイドと呼ばれる「賢者」が人々の尊敬を集めていました。
ドルイドは、
相続や境界争いなどの裁判官であり、
またヤドリギという木の実を使った医者の役割を行い、
天文学に通じて農業を助け、また、未来について予言を行う神官の役割を担っており、
非常に強い権力を持っていました。
ケルト人はみな自分を神の子と考えており、自分たちはケルトの神々に仕えて生活していると考えていました。
人々は神々の神官であるドルイドを通じて、裁定や医療、天文学など、生活の中で役に立つ教えを聞きました。
しかし、その「神々」が最終的に求めているものはおかしなものでありました。
この「神々」が求めているものは、神々への捧げものとしての「人間」であったのです。
生け贄の儀式こそが最も神聖なもの
ドルイドの教えでは、生け贄の儀式こそが最も神聖なものと考えられていました。
ケルト人の間では、生け贄の儀式にでることを禁止されることが、最も厳しい罰とされたのです。
供犠から締め出されることは、共同社会の敵とされ、入獄よりも辛い、死にさえ勝る最悪のことでした。
神々は、盗みや略奪、その他の罪を犯して捕らわれた者たちが生け贄になるのをいっそう喜ぶと、彼らは信じている。
だが、そうした者が不足するときには、彼らは無実の者をさえ生贄にするのだ。
また、戦争の前に占いをして未来を予言する際には次のようにしました。
人を殺して未来を予言する
重大な関心ごとにおいては、彼らは人を殺そうと夢中になり、短剣を突き刺す……
そして、その身体が崩れ落ちると、
彼らはその落ち方と四肢のもだえから
さらには血のほとばしり具合から未来を読み取るのである
(ディオロールス・シクルス「世界史」)
彼ら(ガリア人)は自らの判断で死を運命づけた人間に対して、背後から剣を突き刺して殺し、その死に際の苦悶を見て未来を予言するのだった
(ストラボン「地理学」)
人肉食の祭儀
プリニウスは、宗教の名において行われる殺しと、そのあとの食人を伴う恐ろしい祭儀について不吉なものと書いた。
血塗られた祭壇
ここ(森)で崇拝されている野蛮な神々の祭壇には身の毛もよだつ捧げ物がなされ、すべての木々は血しぶきを浴びていた
彼はモナの野蛮な迷信に捧げられた森を殲滅した。
囚人の血で祭壇を塗りたくり、人の臓器を仲立ちに神々にうかがいを立てるのが、
彼らの宗教だったのだ(年代記)
ウィッカーマン
いくつかの部族は木の枝を編んで巨大な人の形の人形をこしらえ、そのなかに生きている人間を詰め込む。
それから人形は火をつけられ、なかの人間は炎に包まれて死ぬ(ガリア戦記)
なかには人間が詰め込まれている。
右下には監督役のドルイドと、運命を嘆く生け贄たちが描かれている。
そしてこのガリア人らは人身御供によって、テウタテース、エスス、タラニスの無慈悲な神々をなだめる。
雷神タラニスは火によってなだめられ、エススに捧げられる生け贄は剣で突き刺されたあと木に吊るされ、血を流して死ぬ。
またテウタテースのそれは溺死させられるのだ。
生け贄として溺死させる様子
この人間の生け贄を求める「神々」が悪魔でなくてなんでありましょうか。
最も恐ろしいことは、ケルト人全体が、この悪魔を神だと思って崇拝させられていたことです。
ドルイドたちは神に喜ばれようとしながら、騙されて悪魔の手助けをしていたのです。
悪魔の仕業だと気づかせないことが悪魔の最大の手口です。
最終的にその神々(悪魔)が求めているものは、
人間の生け贄、生き血、人肉食、幼児の生け贄という
残虐極まりない行為によって
人の精神を破壊し、人々に争い、殺人を起こし、神を不信させ、破滅へと導いていく
ことが悪魔の狙いです。
ハロウィンは悪魔最大の祝祭
ハロウィンは悪魔の世界では1年のうちの最大の祝祭です。
アメリカでは幼児の誘拐が年間80万人を超えると言われ、特にハロウィン当日の殺人発生率が非常に高くなっています。
ハロウィンの起源はドルイド教の人身供養を伴う悪魔崇拝で、現在もさらに勢いを増して続いています。
悪魔に親しみをもつようなかわいいイラストやコスプレを溢れさせて興味をもたせ、悪魔だと気づかないように、徐々に忍び込み、
いつの間にか多くの人々が悪魔の祭式を広げる手助けをさせられています。
死神、魔女、かぼちゃのお化け、へびなど、街中には悪魔の好むもので溢れかえっています。
「魔女」はハロウィンのイラストにあるようなかわいい存在ではなく、魔術を行う力を得るために子供を生け贄にして悪魔に捧げていた実在の女です。
気がつけば、子供たちの周りには、妖怪、魔女、お化け、悪魔などが、マンガ、アニメ、ゲームなどを通じて近寄ってきており、夢中になってその心をすでに掴まれてしまっている者も多くいます。
そして親たちも利用されていることに気づいていません。
悪魔の最終的な狙いがなんであるか、私たちはよく理解して、そこから離れなければなりません。
出典:
図説ドルイド(2000年)ミランダ・J・グリーン、大出健訳
ケルトの賢者「ドルイド」(2000年)スチュアート・ピゴット、鶴岡真弓訳
ドルイド僧 不可解な聖職者たち(1998年)A・P・フィッツパトリック、五十嵐洋子訳
ーーーー
さて、これでアナタは
ハロウインの真実を知ったわけですが、
どうぞ、かぼちゃに豚肉でも詰めて
ご近所に配られれば・・
ブラック・・

愛詩tel by shig
https://blog.goo.ne.jp/1shig/e/5b2c01e8036c1f1113a865fd32928424

大摩邇(おおまに)
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2084967.html#more







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いくつかの部族は木の枝を編んで巨大な人の形の人形をこしらえ、そのなかに生きている人間を詰め込む。
それから人形は火をつけられ、なかの人間は炎に包まれて死ぬ(ガリア戦記)
なかには人間が詰め込まれている。
右下には監督役のドルイドと、運命を嘆く生け贄たちが描かれている。







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人々は神々の神官であるドルイドを通じて、裁定や医療、天文学など、生活の中で役に立つ教えを聞きました。






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2017年10月15日

播種神事

・播種神事
伊邪那岐大神の古伝に在るように、桃の実は、邪霊・邪気を駆逐し祓禳する働きがあります
清祓詞(黙念) 祓詞(天津祝詞・大祓詞) 祝詞 適当な場所で播種神事の順
妥当そうな処へ、桃の種を放り出して、そのまま退下(早い話が逃げる)してください
誰にでも、それぞれのレベルで行い得られる神事・神行です
神地・神域に鬱滞した邪気・邪霊の祓ひを、行はしめらるる場合も有り得ます
御影講サククシロの構築を、好ましく思わない、邪神・邪系もおります
・祝詞
祝詞は、自分の住所氏名生年月日を名乗り「御影講の播種神事を行う」旨を伝えればそれにてよし
ご自分の祈願があれば、当然、加えてよし
祝詞は平易な自分の言葉で黙念でいい
御影講の名の下で行うことで、その保護下・庇護下で行うことになり、
多少の粗相が在ろうとも御影講の責任であり、総責任者の私の方で修正することになります

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2015年02月02日

> そういえば、この店の名前は“緑の星”です。
> http://www.midorino-hoshi.com/
なかなか、面白そうなお店ですね。
本日の貴ブログにワカヒメという言葉がありましたが、
私のほうでもシンクロかもしれない出来事がありましたので念のためご報告いたします。
正月頃、久しぶりに書店に入りますと、『隠された言霊の神ワカヒメさまの「超」復活!』
という本が目に入り、パラパラとめくってまた棚に戻しました。
すると、すぐに店員さんがその
本を探しにきて手に取り、レジに戻り、
保留していたらしい電話をとって「あります。」と応答しています。
偶然、お客さんから取り置きの依頼があったようです。
後日、もう一度その書店に入りますと、またその本が入荷していたので、
これは読むべき本なのかなと思い、購入しました。
田舎の書店で、手にとった本がすぐ売れていくところを見るというのも
偶然にしては出来すぎのようにも感じたためです。
その本にはアワの歌というものも載っており、少し唱えてみたりもしました。
以上、ご報告まで。
よみがえる和歌姫さま。イサナキとイサナミが最初に産んだ子供、アワ歌の神さまでもある“ワカヒメ”は
なぜ古代から消されてしまったのか?(それは“言霊の秘密”を隠したかったから―)
ホツマツタヱの系統ですね。
正月頃から、ご報告した神社以外にも、2箇所ほど偶然訪れた小さな神社があるのですが、
その2ヶ所ともに、男根の形の石がありました。ネットで調べると「金精様」というものらしいですが。
連続したので、これも何か意味がありそうに感じました。
ちょっとご報告が憚られるのですが、関係がある事象かも知れないので恥を忍んでご報告します。
何故か、今年に入ってから、「夢精」が連続して起こりました。
特に、性的に興奮していたわけではありません。(酒に酔ってはいましたが)
私は、若い頃を振り返っても、夢精の経験は数えるほどしかありません。
「金精様」を見るようになったのとタイミング的に一致している気がします。
このメールは内容も内容ですので、非常に失礼なメールをお送りしている気もします。
単に事実のご報告であり悪気はもちろんありません。
これは重要です。
神社参拝を繰り返し、神拝を繰り返す。ということは鎮魂法の修練であり。
神域はエネルギースポットでもあり、神祇からエネルギーを受けます。
それにより身心を浄化し調え、魂魄を増大していくのが鎮魂法ですが。
ヨガのチャクラは内分泌腺と連関している事からも解る様に、身心は顕幽相関している。
鎮魂法を修練すれば、元気を増し、それは精気を増し、精力も増します。
それは性欲も高まる。これは、女人禁制という制度の存在する理由の一つなのです。
(早い話がビンビンに元気になるので、歯止めがないと、それこそ滅茶苦茶になる・・)
要するに、修道・修真とは、簡単に言えば、性的エネルギーのコントロールである。
である。と言い切るより、表裏一体であると申した方が、より正確でしょう。
アは五十音(いすず)の肇(はじめ)、ワは五十鈴の畢(おわり)。陰陽。
双方、文字(観字=表意文字)で書けば、吾。
恥を忍んでとは、恥を偲ぶにして、恥を知る。
吾恥(アハジ=アワヂ=淡路)とは、祖神様の恥にして、
つまり、天地・生命の創造・修理固成の神秘・秘儀・密儀を知る(悟る)をいふ。
「ご報告が憚られる」「悪気はもちろんありません」は、社会通念上の社交辞令と受け取って於きます。
ここにこそ秘鍵がある。と、気づくか、気づかぬか。それは、
聖と俗、仙と凡、生と死、真と偽、との天地懸隔の判れ目なるを。
性的エネルギー=生命エネルギー=天地の元気=魂=神
周天法(煉丹法)は、神→気→精と降るエネルギーを逆転させて、精→気→神と化す。
ただし、幾ら煉っても、元が濁精・後天の気なので、益は少なく、迂遠の行法。
その逆転させる働き・エネルギーが丹生津姫でもあり、若返りとも。
また、若(わか)は湧(わ)くなり。
若山(和歌山)の南紀白浜翻り、若狭還りて、真名井真名井に、若水(お水)取り。
→修二会http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie3.html
→籠神社http://www.kammuri.com/s1/motoise/kono/index.htm
はじめは、おわりにして。おわりは、はじまりである。
少しく、具体的に書きます。
「夢精」は悪し。
淫夢は見ていないと申しても、眠って居て覚えて居ないだけで、
実際には、淫夢を見ているから夢精が起こる。
自己の妄想による淫夢からなら、まだ幸いであるけれども、
これが、霊的な交渉あっての鬼交であれば、ごっそりとエネルギーを奪われて、危うし。
煉丹法により、濁精を還す還丹の法はあれども、前述の如く、その功は少なし。
殊に、個性単修の法に於いておや。
しかし、還丹の法にて、濁精を煉化して気に還すか、もしくは、
濁精=精液は放出せざれば、ついに発狂するに至る。
故に、陰陽双修の神法を共にすべきの至当相応の相手を得ざれば、縁結びを願えと申してある。
http://takehariy.seesaa.net/article/413214040.html
これ天?直系の神国日本の正法(神道)と、外国の左道傍門との天地懸隔の差あるの所以なり。
神祇を伏し拝(おろがみ)て、感謝し、滂沱感激すべきの光栄ならずや?
即ち、天孫(天皇陛下)を伏し拝みて、身の栄爵を感謝すべし。
また、女性に於いては、男精の陽を宇気ざれば、陰気増して到底成道し難し。
尤も、オカルト(隠された秘儀)なれば、目無き者には目前に在れども見えず。
天に口無し、人をして告げしむ。
天象・地象・人象を夜見て、悟るべし。
天?の秘機は、顕わに隠しあり。人々これを見て見えず、知るとも悟らず。
天帝の許しなくんば、行えども、行われず、反って身を滅ぼすのみ。
宮中より秘が漏らされて、忍びの者(陰陽師)により、国民教化のため普及された
( わらべうた ) ずいずいずっころばし: http://youtu.be/dHFh3LPvK48 @YouTubeさんから
かごめかごめ: http://youtu.be/VrgLy6TcO4o @YouTubeさんから
とおりゃんせ: http://youtu.be/MUmNEC1HWWI @YouTubeさんから
posted by thariy696969 at 10:26

さうさう
http://takehariy.seesaa.net/






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2011年08月10日

内部地球-アルザル

内部地球-アルザル
アルザルは北極の地底にあるというよりも、北極と南極を出入口とした地球内部の世界らしい。
それも、地殻の内側に展開された世界ではなく、物理的に内核が存在する場所にあるらしい。
だが、地球の内部が空洞になっている訳ではない。
にも関わらず、イスラエル10支族もヤンセン親子もバード少将も、肉体のままアルザルに入った。
ヤンセン親子は漁船で進入し、バード少将は飛行機で突入、そして、UFOが頻繁に出入りしている。
その秘密は、白い霧にあるようだ。
前にも書いたが、神隠しなどの蒸発事件の目撃によると、人がピンク色の霧に包まれて空間に消滅するという。色こそ違えど、霧に包まれるという共通点がある。
電磁波を交差させるとプラズマが発生し、亜空間が形成されるという事が分かっている。
地球の磁力線は、南極から北極に向かって集約され、北極から地球の中心を通って南極から出てくるという循環を繰り返している。
それによって、両極にプラズマトンネルが開き、地球の内核に重なる形で亜空間が形成されているらしい。
それがアルザルと呼ばれる世界で、れっきとした3次元の世界らしい。
つまり、物質と物質が重なった世界で、4次元ではないという。
4次元ではないが、我々の住む3次元とも異なる為、便宜的に「異3次元」と呼ばれている。
だが、プラズマトンネルを通ってアルザルに行く為には、理論的に、自らをプラズマで包んでいないと入ることが出来ないとされている。では、何故、ヤンセン親子やバード少将はアルザルに進入する事が出来たのか。身体や飛行機の機体が静電気を帯びて、プラズマに包まれたのだろうか。
アルザルには、亜熱帯地方の動物や草木があり、大気や河川もある。マンモスがシベリアで立ったまま氷漬けになり、胃から未消化の植物が発見されている。これが意味することは、急激な気温低下で瞬間冷凍されたということだ。つまり、過去に何度も起こしているポールシフトで、極点付近に瞬間移動した地域の人々や動植物が、磁気嵐か例の白い霧、またはオーロラの下層のピンクの部分に包まれて、そのまま地球内部世界に入ってしまった可能性が高い。基本的にプラズマに包まれていなければ、物体がプラズマトンネルを通過することは出来ない。つまり、UFOでなければアルザルを出入り出来ないのが通例である。
または、肉体を持たない霊(バイオプラズマ)の状態でなければ、アルザルに行く事は出来ないのだ。
アリオンは、
「アガルタに行くのに肉体は必要ない。
途上に肉体が必要なだけだ。
アガルタに入る前に、肉体を脱いでいく。
ある場所で、それを実行するのだ」
と述べているが、「ある場所」とはチベットの奥地ではないかと思われる。チベットの高僧やヒマラヤの聖者は、何かとシャンバラと深い関係にあり、彼らはアルザルのエージェントなのかも知れない。つまり、そこがシャンバラ行きの切符売り場で、同時にステーションになっている可能性がある。知花敏彦氏は、ヒマラヤでの修行の末に宇宙意識に到達し、シャンバラ本部に入る許可を得たそうだ。
だが、その場所はヒマラヤの奥地だったらしい。
結局、地球内部の世界には行っていないようだが、本来はそこで体脱して地球内部を探訪するのかも知れない。
ヒマラヤでは頻繁にUFOが目撃されているが、場合によっては、UFOで肉体のままアルザルに行ける事もあるようだ。
一例として、飛鳥昭雄氏は、チベット僧からシャンバラの写真を見せられている。
それは古びた写真だが、明らかに地上とは異なる風景で、ピラミッドまで写っている。それは、念写のレベルではない。過去に何者かが、カメラで地球内部世界を撮影したのだ。
ダライ・ラマは、「シャンバラは観念の世界ではなく、現実に存在する場所」と語っているのは、その事を指している。
一方で、「瞑想によって行く事が出来る」とも説いている。
アリオンも、こう語っている。
「シャンバラに行くのに肉体が要らないのは、振動数が違うからだ。
肉体もアストラル・ボディと呼ばれる体も振動数が違うだけで、現実に同時に存在している事を理解出来れば、シャンバラの存在も理解出来るだろう」
ヒマラヤの聖者たちは、身体の振動数を自在に調節して、体脱せずに、肉体を幽体や霊体に変換できるらしい。当然、霊体の状態から幽体、肉体として現れることも可能だ。彼らの寿命は500〜1000歳は当たり前で、究極的には不老不死の世界に到達するらしい。肉体のまま壁をすり抜けたり、テレポーテーションなども自在に行なう事ができ、亜空間を自由に出入りすることが出来るのだ。彼らは、地球内部のアルザルにも頻繁に出入りしているはずだ。このような人たちを、一般的に「仙人」というが、彼らは霊的進化を第一とする聖者であり、高次元の「神仙」と呼ぶべき存在である。エノクやイエス・キリストも、神仙になって昇天したと私は解釈している。
インドではこれを「聖仙」と呼び、サイババもそれにカデゴライズできる。
工学博士の故・政木和三氏は、サイババの精神は8次元と診断していたが、これは一般通念での6次元に相当する。
当然、輪廻を脱却し、生死を超越していてもおかしくはないが、何故かサイババは生死を繰り返す道を選んでいる。

神仙組U【善悪逆転論編】魔天使ルシファーの復活★By.獄悪鬼族
http://blogs.yahoo.co.jp/yhwh_lucifer/784838.html





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