2021年01月13日

F: TVゲーム論概論〜プラグマティックゲーム研究

F: TVゲーム論概論〜プラグマティックゲーム研究
Fさん
■序
TVゲームをテキストとして解釈するということをはじめる前に、解釈をするために、TVゲームを次の要素に分けて考える事が大切です。
それは、
文法
素材
解釈
この三つに分けて考えることです。
1の文法は、いわゆるゲームシステムのことだと思って差し支えないでしょう。
2の素材は、そのゲームが採用している舞台設定やキャラクターです。
3の解釈は、そのゲームが伝えようとしている内容です。
確かに、この三つは、必ずしもきれいに分けられる話ではありません。素材や解釈が、文法に大きく依存したり、その逆に、文法が大きく素材に依存したりします。
しかしながら、明らかにさまざまなゲームの文法が存在してますし、さまざまな素材が存在しています。例えば、ドラゴンクエストなどであれば明らかに、移動シーンと戦闘シーンで構成されている文法があり、ファンタジーの世界観という素材がその中に組み込まれています。ゲームというテキスト自体はこのように構成されています。
ゲームの歴史をひも解くためには、このテキストとしてのゲームを分析する必要があります。さらには、そういった分析は、そのゲームを解釈するためにも当然必要なことです。
■ゲームの文法
細かいことをぬきにすれば、ゲームの書き方は、だいたい決まっています。
それは、あくまで、プログラムの構造や、ハードの構造とは関係のない話で、僕らが、モニターを通してその画面を見たときにわかるものです。極端な例を言うと、ドラゴンクエストとゼビウスは明らかに、書かれかたが違います。
この違いが、いわゆる文法の違いです。
もっと極論をするなら、文法とはゲームのジャンルといっても、そんなに困らないでしょう。(細かいことをいえば、一致しないこともままあるが、ここでは、話を簡単にするためにそうします)
たとえば、シューティングゲームは動いているものを一目見れば、すぐにシューティングゲームとわかりますし、RPGもそうですね。(あくまでも、大体の話である。違うものもままある)
たとえば、小説も少し読めば、推理ものか歴史ものかぐらいの区別はつくように、 文法というのは、それをどのように読めば内容が伝わるのかということを示しているものです。
これを、ゲームにするなら、RPGをシューティングゲームのように遊んでも何も分からないし、その逆もそうです。このように、文法を把握するということは、実は、ゲームを楽しむにせよ、解釈するにせよ、まず第一に必要なことです。
ゲームの文法の変遷
ゲームの文法の歴史というのは、極端なことをいうと、ゲームのジャンルの分化の歴史ともいえる。ここでは簡単にその概略を述べていきたい。
1. 大雑把な歴史区分
まず大雑把な区分をしよう。ただし、完全にこの区分に乗ってゲームのジャンルが生まれているわけでもないので、あくまでも、物の見方の目安だと考えて頂きたい。だいたい、流れとしては
創世期、多様期、成熟期、現代
の、4つくらいに分けられる。まずはあえて年代は割り振らず(*1)、簡単にそれぞれの時期の文法の種類や特性を、概観してみよう。
1−1 創世期
この頃のゲームの文法の特徴は、2極に分けることができる。
一つは、非常に単純な文法。もう一つは、コンピュータを操作出来ることを前提とした文法。
前者の代表格は、インベーダー、テニス、ブロック崩しなどの、固定画面型の単純なアクションゲームである。後者は、いわゆるシミュレーションゲームであろう。ただこれに関しては、果たしてゲームと認知できるかどうか疑わしい面があるので(*2)ここでは触れない。
この頃のゲームの文法の特徴は、基本的には単純であり、おそらく、ゲームそれ自体以外から情報を与えない限り、解釈そのものが成立しない(*3)ような側面がかなり見られるということである。はたして、この頃のテニスゲームを見て、幾人がテニスを想像できたであろうか?
また、インベーダーゲームを見て、幾人が異星人との侵略戦争を思い描くことができたであろうか?
これは、決してゲームが面白いかどうかの問題ではない。
文法が、内容を伝える力があったかどうかの問題である。
そういう意味で、創世期のゲームは、単純な文法であるがゆえに多くの人に受け入れられたが、その一方で、解釈うんぬんの対象(ましてはニューメディアのソフトなど)にはならなかったのである。
1−2 多様期
この頃の文法の特徴は、統一的に挙げることは難しい。強いて言うなら試行錯誤の時期といっていいだろう。
ただ、この頃のゲームの文法の多様化には、ゲームの素材(*4)の多様化とも絡み合っているのでここで、それほど深く扱うことは出来ない。ただ、文法の多様化の流れは、二つに分けることが出来る。
一つは、創世期からの継承型であり、もう一つは、純粋に素材に引きずられた、突発型である。
1−2−a 継承型
継承型といっても実質上継承されたのは、インベーダーを中心としたシューティングゲームのみである。
主に知られるものは、ナムコを中心とした「ギャラクシャン」「ギャラガ」「ギャプラス」である。
沢山の敵と対峙している自軍を客観的に眺めている形式を持つものである。この時期に確立した文法といっても間違いはないでしょう。
1−2−b 突発型
この時期の特徴は継承よりもこちらに現れているといっても過言ではないだろう。
アクションゲーム、シューティングゲーム、RPG、etc. どのジャンルにも個性的なものが沢山生まれた。
それぞれのジャンルの具体的な話は後に譲るが、この時期の文法の特徴は、大半が「理解しがたい」ものばかりである。更に言うなら、説明書を熟読しても理解出来ないのである。
決して、すべてがそうしたものであるのではない。
この時期に名作といわれるものの大半が生まれたのも事実である。しかし、この頃の突発型の大半の文法はまったくといっていいくらい継承されていないのも事実である。その素材のためだけに作られた文法であるという側面が大きく、文法を真似たものをいくら作っても失敗するということが、たくさん起こったのも事実である。
しかし、この頃生まれたもので、継承されていったものがいくつかある。代表格がRPGであろう。
1−3成熟期
多様期が文法の種の多様化の時期なら、成熟期はある意味、種の淘汰の時期といえよう。ただ、生まれた文法が変化することなく、単に流行らない文法をもつゲームが消えたわけではない。
この時期、個々の文法の洗練、さらに文法のハイブリッド(複合)化が数多く展開された。
そして、この時期に社会的状況としてユーザーの一般化が起こった。そのため、多種多様の文法より、表現素材の多様化が数多く見られた。(*5)
それら流れから、生き残る文法の特徴として次のものが見られた。
数多くの素材に対応しやすい文法
ハイブリッドしたときに組合せの取り替えのききやすい文法(*6)
その中で、市場の大きなゲームの文法の一潮流を決定した流れは、非アクション文法の統合である。
ストーリー化した素材をアクション文法にそのまま組み込むのは、ほぼ不可能といってもよいでしょう。数多くの表現素材に適しているということで、非アクションに目がむきましたが、内容的な洗練という意味ではRPGもADVもシミュレーションもそれぞれに関しては紙と鉛筆でやる世界を便利にする程度の文法でしかありませんでした。
しかし、素材ごとにこれらのさまざまな複合や取込みが起こすことにより、最適と思われる表現がたくさん生まれました。(日本式RPGはその典型)現在も、このハイブリッドはゲーム文法の主流をなしています。
もうひとつは、アクションと非アクションのハイブリッドです。時間的系列としては前のハイブリッドよりふるいのですが、文法の完成という意味ではポリゴン等の表現の技術革新とあいまって、今だに試行錯誤といえるでしょう。
このハイブリッドには2パターンあり、アクションのなかに非アクションがもっている要素を取り込んだものと非アクションとアクションが単に組み合わさったものの2つです。
成熟期の大半はは前者が、現代に向けて後者が主流となっているようです。
この時期生き残った形式は多様期にでたものと比べると要素的には数えるほどです。
アクション:
縦スクロール型シューティング
横スクロール型
3D型
トップビュー迷路
サイドビューゲーム
落ちもの
非アクション:
コマンド選択ADV
3D型RPG
トップビュー型RPG
国取りゲーム
戦術級シミュレーション
ぐらいです。これ以外も結構でているのですが、すぐに消えてしまったという経緯があります。
1−4現代
成熟期の傾向をより一段と推し進めた傾向になりつつありますが、その一方では、アクション回帰も見られます。現代の傾向をいくつかに分けることができます。
RPGを中心とした非アクション
落ちもの
対戦格闘
ポリゴンハイブリッド型アクション
1〜3は成熟期の傾向とゲーム文化の一般化があいまって、だれにでも、すぐ理解できる簡単なゲーム文法(*7)になっています。さらには、一見してすぐわかるようにゲームの文法もそれぞれ確立しています。その一方で、4のポリゴンハイブリッド型アクションとしたゲーム分類は1〜3の傾向とは正反対に動いているようです。多くの場合基本文法はかつてのアクションゲームに原型が見いだせるが、視点等を変えることにより、それにともなうプレイヤー側の自由度への欲求にあわせ一段と複雑な操作のものがふえている。すなわち、見た目以上に複雑な文法をもっているのである。
しかし、これらの文法の多くは、多様期の突発型ゲームのように素材に引きずられる形で生まれているので、今後どのように変わっていくのかは興味深いところである。
(*1) これは、アーケードゲーム、パソコン、家庭用ゲーム機などで年代のずれがあるから。あくまでも、ここでは一般的傾向として文法の歴史を扱いたいので年代は割愛させて頂きます。
(*2) 大体、大学の研究室の中などだけで遊ばれていて、表に出ていない場合が大半。
そもそも、ゲームなのか研究の一部なのかはまったく区別が付かない。
(*3) ゲームのポップを見ても、そんな想像できる人、誰かいました?
それはおいておいて、この頃は、ゲームだけでは、情報が伝わらず、ポップやマニ ュアルを情報の補完の道具として用いている。
(*4) これについては、まだ書いている途中です。
(*5) 一般のユーザーにはなかなか複雑な文法は受け入れられなかった。
しかしながら、多くの人々のニーズにこたえる形で色々な素材が提供された。
(*6) つないだときにその2種類の文法の継目が気にならない、そういった文法の集まり。
(*7) 文法の理解は簡単でも、ゲーム自体は難しかったりする。
シューティングゲームの文法
この文法は先の歴史の所で書いたように、まさに、コンピューターゲームの始まりと共にあるといっても過言ではないでしょう。その後、外見的には非常に色々変化しましたが、基本要件は一切変わっていません。
シューティングゲームが満たすべき要件
(1) 自己がある。
(2) 自己の破壊を目的とする他者がある。
(3) その他者を破壊する遠隔的な手段を持つ。
(4) それらがリアルタイムに動く。
シューティングゲームと呼ばれるものが満たすべき最低限の要素がこれである。著名なインベーダーゲームを参考に少し解説をしよう。
まず明らかに自己はあるでしょう。いわゆる自機です。
自己の破壊を目的とする他者があるのも明らかでしょう。
それはインベーダーです。
そして、インベーダーを破壊するための遠隔的な手段ももっています。
それは自分が打つタマです。
それは明らかにリアルタイムに動いています。
新しいシューティングゲームも見てみましょう。
たとえば、パンツアードラグーンを見てみましょう。
主人公ではなく、とりあえず自分が操作する自己、すなわちドラゴンがあり。
自己を倒すことを目的とした多種多様な敵があり、
離れたところにいる多種多様な敵を倒す手段がある。
操作は複雑ですが、無常(*)にもリアルタイムでゲームは進行します。(途中でアニメが入ることはここでは無視します)
この条件だけを見ると、シューティングゲームはこの条件を持つことは確かだが、他のゲームでも(とくにシューティングといわれていないゲームでも)十分満たしているではないか、と思えるであろう。
まさにその通りである。このことが示唆をする重要なことがある。
それは、ゲームの形式を決定するのは、決して文法だけではないということである。とくに素材の在り方によってくることになる。
いいかえるなら、言い換えるなら文法としての規定と、ゲームのジャンルは必ずしも一致しないということでもある。
もしこのやり方を嫌い、条件のほうを増やす(もしくはかえる)のも、ひとつの手段ではあろう。しかしおそらくはそれをすることにより、いまシューティングゲームと呼ばれているものを排除してしまうことになるであろう。
(*)鈍い著者には、あのいっぱいキーを使うシューティングゲームはまさに無常なほど難しい。
シューティングの文法の付加的な要素
うえのものは、シューティングゲームの規定の最低限のものではあるが、それじたいも、付加的要素により、さらに分類される。ただしこの付加的要素は必ずしも、シューティング固有のものではないので、他の場面でもこの記号にしたがって指示をすることがある。
S1・同一の破壊の手段が単一画面上に複数だすことができる。
これは要は、連射が出来るか出来ないかということです。
S1を持たないゲームは、基本的に狙って射つことが楽しみになり、持つものは、逆に爽快感を楽しむゲームであるということです。
このS1の有無で大きく違うのが、ギャラクシャンとギャラガです。
S2・複数の自己を持つことが可能である。
古くは、ギャラガの自己の再奪取、スタージャッカーの4機行列などがある。
新しくは、R−TYPE型ではないオプション(ツインビーやグラディウス)を加えてもいいだろう。要はそういった自己と同じ働きをするものを操作できるものがでてくるゲームを指す。
複数の自己は明らかにゲーム性を変えるといってもいいだろう。
S3・複数の破壊手段を持ち、それぞれの手段でしか破壊できない他者が存在する。
S4・ゲームの背景が時系列とともに変化する。
S4−1縦方向に変化が現れて消えていく
S4−2横方向に
S4−3手前から奥に
このS3、S4(S4−1)を合わせたものの古典的代表が二つある。
ひとつはセガのスタージャッカーで、もう一つは、かの有名なゼビウスである。どちらもS3の要件を持っている。
他者を地上物、空中物と分け、完全にそれぞれの破壊方法が違っている。
どちらもいわゆる縦スクロールシューティングなので、明白にS4−1を満たしている。
シューティングゲーム界(アクションゲーム全般において)の一番の革新はこのS4であろう。
ストーリーを乗せるということが基本的には、出来ないと考えられていた、種別のゲームにたいして、強制的に流れるストーリー(もしくは世界観)を乗せることを可能にしている。
(付け加えるなら、TVや映画も強制的に流れるストーリーである)
このことがゲームに対する多様な解釈を与える楽しみとなっているのも事実であろう。
少し残りのS4にも触れよう。
S4−2の条件を持つゲームすなわち横スクロールのゲームは、コナミの十八番といってもいいだろう。古くはコブラやスクランブルから、(どちらも本当に古い)新しいところ(*)ではグラディウスシリーズなどは代表的であろう。
S4−3は古くから、シューティングゲームの理想である、映画スターウォーズの1シーンの再現として求められていた形態である。そのため数え切らないほどのものがあるが、ナムコのスターラスターと、セガのスペースハリアーを紹介しましょう。
前者は文法の複合についての所でも触れようと思ってますが、じつは、スターラスターは、シューティングシーンで自機が画面上に存在してないタイプのゲームです。S4−3の特徴として、明らかに自己を操作しているが、自己を視覚的に把握できないものがあります。その一方で、スペハリのように、自己が画面上に登場してしまっているものも数多くあります。
あと、僅かではあるが、(最近ふえつつあるが)、次のようなS4の変種がある。
S5・背景が自己の操作にしたがって変化する。
この特徴は単純に時系列にはのっとっていないということが一番の特徴である。はっきり言うと、プレイヤーの操作にしたがって画面がスクロールするものが全てこれに入ります。
(*)お年寄りである著者からみて新しいという意味。別に今はもう新しくはなさそう。
■ゲームの素材
ゲームの素材とはそのゲームで扱われている題材です。
文法と密接に関係しているところもありますが、必ずしもそうではありません。
これは小説などでも同じです。文法的には現代SFであっても、素材としては歴史ものという小説はよくありますね。
例えば、一応、シューティングゲームの素材は、当然、SFが多いですし、RPGの素材は、指輪物語をはじめとするファンタジーが題材として取られがちです。文法自体がその素材を表現するために、元々創られた場合が多いからともいえます。ですから、文法が素材に依存する部分の多いことも確かです。
しかしその一方で、同じ文法に違う素材を乗せて出来ているゲームがあるのも確かです。
ミスマッチな事もありますし、上手くいっていることもあります。ただこうした試みから言えることは、今現在では明らかに、素材と文法は独立した要素であるということです。
しかしながら、実際にどのような素材がゲームで扱われてきたかということは、文法と別には議論し難いことが実状です。そのために多くの評論が、混沌としたものになりがちです。
ゲーム素材の変遷
ゲームの素材の歴史は、ある意味で、文法の歴史とは違い、ゲームのトレンドの歴史として捕らえることも出来よう。それくらい素材というのは、流行り廃りや、少数ながら定着するものなど、文法の変遷とは違いかなり激しい変遷がある。と、同時にゲーム制作者の想像力(創造力ではない)の歴史ともいえる。いくつかの型を少し紹介しよう。
1宇宙戦争(SF)もの
これは題材として、ほぼ完璧に最古のものといえるのではないだろうか?
古くはインベーダーや、伝説のスペーストラベル(*1)などなど、新しくは、グラディウスその他、数えるときりがない。
しかし、不思議なほどにこの題材の文法は、多くの場合シューティングゲームである。(せいぜい、例外としてシミュレーションゲームがある。(キャラもんだけど銀河英雄伝説とか))これほど文法と密接に関わる素材も少ないだろう。
2スポーツもの
これも、宇宙戦争ものと負けず劣らず太古のものといえるであろう。伝説のポン、ある意味ではブロック崩しもそうだろう。さらには野球、アメフト、サッカー、バレーボール、etc.考えるときりが無い。いったい世界中のスポーツでゲームになってないものがあったら教えて頂きたいほどだ。(でも、クリケットはないでしょう。きっと)これは文法との関わりで行くと、本当にSFとは正反対なほど多様な文法を持つ。スポーツの種類の数だけのみならず、そのスポーツの側面の数だけ文法があるといってもいいだろう。固定的な文法を論ずることなどしたくないほどである。
たいていの場合は、一つの文法に対し複数の素材がありうるが、スポーツは明らかに、一つの素材に対して複数の文法を持つ奇妙な素材といっていいだろう。
3キャラクターゲームもの
このジャンルは、はっきり言って、表現のしようが無い。
文法のところで解説しましたが、多様期の突発型の頃に信じられないほど、はちゃめちゃな世界観のもと、不思議なキャラクターたちが生まれました。実体験したい人は、ナムコミュージアムで遊んで下さい。(CMではありません)
4TVキャラクターもの
これも素材としては比較的古い。古くは「行け行け川口くん」とか、色々なTVの世界の人気者が沢山使われている。一時はこの素材はクソゲーの温床とまで言われた代物である。この素材を採用する場合、最近は非アクションが主流になりつつある。
5ファンタジーもの
これは比較的新しい素材のようですが、案外古いもので、特にテキストアドベンチャーものでは数多く用いられていたものです。ただこの題材は、今のゲームシーンをリードしている題材であることは間違い無いでしょう。
6サイバーパンクもの
これは確実に新しいものです。というよりは、これを独立的な素材のジャンルとして扱うのが、どれほど正当なのかというのも疑問です。ただ言えるのは、このジャンルの特徴は、コンピュータの発達とともに、実生活でその素材が膨らんでできたものだからです。
しかしながら、その考えはある意味でSF(サイエンティフィックフィクション) のものですので、このジャンルは、実生活とSFの狭間にあるものです。このジャンルはそういう意味では、ゲームに限らず同じ位置づけの素材ではある。
7実生活もの
これも、以外かもしれませんが非常に新しいジャンルです。
それだけ我々の生活はコンピューターを用いて表現するのが難しいほど複雑な素材ともいえます。
最近は、これがおおはやりのようですね。(トキメモとか)
これらのジャンルは時系列で見ると、
文法の歴史軸との比較
創世期、多様期、成熟期、現代
1−−−−−−−−−−−−−−−
2−−−−−−−−−−−−−−−
3・・・・−−−・・・・・・・・
4・・−−−−−−−−−−−−−
5・−−・・・・−−−−−−−−
6・・・・・・・・・・・−−−−
7・・・・・・・・・・・・・−−
こんな感じになっているといえるでしょう。
この変遷の要因は、いくつか考えられますが、一番大きいのはある意味コンピューターの発達自体です。
そしてもう一つはユーザーの一般化でしょう。
ただ、製作者側が一般化していないので、今一つ素材の選定にユーザーが関与しているとは言い難い状況も確かです。
■内在と外在と外挿について〜素材と文法の関係についての問題
これまでの議論で、少し、文法と素材というゲームの要素が理解出来たとする。
とりあえず、おそらく次のことは確実であろう。
ゲームは何らかの文法を持つ。
この文法はある意味で意味の無い記号とその操作からなるともいえる。
その時その記号に意味を割り振る手段として、ゲームの素材を用いていることはおそらく疑問の余地が無いだろう。
その割り振られた意味が無ければ、我々にとってTVゲームはほとんど成立しない。
その時、何の何処までを素材と呼ぶべきかの問題がある。
これをすべてのゲームに対して一意に定めることは非常に難しい。
この問題を少し形式的に論じてみよう。
文法に対し素材(意味)を与える手段としてTVゲームに関しては具体的に二つの手段が考えられる。
一つは、ゲーム自身のグラフィックスや会話などを利用し、ゲーム自身に「内在」させる方法が一つである。
ところが意味のすべてを内在させることは難しいので、マニュアルやポップを用いて、意味を外のものから与える方法がある。
その様な意味付けの手段を「外挿」としよう。
最近のゲームの多くは、そのグラフィックスなどの表現力の向上から、「内在」のみで素材の提供を完了させることに成功している。少なくともその様にみえる。
その一方で、多くの古くからのゲームは素材の提供の手段として「外挿」を使ってきたのは確かである。
明らかに何らかの素材の外挿が無い限り、我々はそのゲームを理解することは不可能であろう。
しかし、外挿を許すと、議論すべき別の問題が生じる恐れがある。
それは解釈の一意性の問題である。
外挿する素材の意味付けの中に、解釈に相当するものを含めてしまうことにより、 「正しい」解釈というものを一つに固定できてしまうのではないか?というものである。ここではこれはひとまず議論しない。
ここで議論する問題は二つある。
一つは、内在のみで本当に素材の提供を完了させることが可能か?ということと、 もう一つは、「外在」する素材の要素は解釈と切り離す事が出来るか?という問題である。
まずはじめの問題を簡単に論じよう。これはおそらく否定的な結論になるだろう。
「内在のみで本当に素材の提供を完了させることが可能か?」
これの否定はたやすい。
我々が目にしているグラフィックスという記号は、どれだけ、多様にでき、手が込でいたとしても、我々が意味付けをしない限り、永久に、記号でしかない。
そうすると、その素材を提供した(すなわち記号に意味付けをした)というためには、我々自身という「外在」(ゲームから見て外と言う意味)によって初めて提供が完了される。そうすると、ゲームで遊ぶ我々自身の知識が素材を提供しているに過ぎないのである。
ただ、いくつかの反論も可能であろう。
それは、基本的にゲームの記号世界そのものを一つの実在と捕らえてしまう手段である。
純論理的にはおそらく可能であろう。
しかし、私個人としてはそのスタンスはとりたくはない。
TVゲームはあくまでも、作る人間と遊ぶ人間のメディアであり、形式である記号に実在的意味はないと考えたい。
わたしの議論のスタンスを取ると、先の議論から、素材は本質的には「外在」と言わざるをえない。
しかし、この外在は我々の解釈と何処で完全に切り離せるのかという問題がある。 これは、二つの解決法がある。一つは否定的解決法である。
解釈と素材は全く切り離せないとしてしまう方法である。
我々自身が持っている心の中の意味のネットワークという「外在」を用いて個々の記号に意味付けをするということは、我々の記号解釈のネットワークにもとづいて行われるはずである。
そのため、意味付けに対し解釈のネットワークを取り替える事は出来ないので、意味付けとは、この際は、素材の提供なので、完全に、解釈により素材が厳密に定義される。
しかし、この否定的解決法は、わたしが行ったゲームの要素区分が不適切であるということを意味する。
そのため、私個人としては肯定的解決法を求めたい。
ここで求めていることは、何らかの形で一定の素材と呼ばれる領域を提供したいということである。
直感的にはこちらの方が自然である。
なぜなら、同じゲームの中のキャラクターを同じように我々が議論しているからである。
しかし、これを論理的に進めることはかなり難しい。
あえて、否定的回答に対する反論から、解釈素材の区分が可能であることを示そう。
明らかに、複雑な記号であればあるほど、それに対して付与する意味は限定される。十分に限定された意味付けの範囲において、それぞれの記号が持つ意味を限定できる。この限定した範囲を意味付けとし、この範囲の他人との共通項を、記号に対して提供される素材とする。
そうすると、厳密ではない広がりのある素材が定義される。
そうすることにより、一つの記号と意味(文法と素材)から多様な解釈を生むことが可能となり、否定的解決法とは違う結論が出る。
この解決法の間には素材に対するスタンスの違いが残る。
素材自体がやや広がりを持つ多義的なものであるか、それとも、厳密に定義できる一義的なものであるかということである。
後者を取ると必然的に否定的解決法に進まざるを得ないだろう。
素材から文法への分解
前回の論文で文法と素材の間の意味付けの関係を論じた。
ここでは、素材は文法と基本的には切り離され、むしろ、素材と解釈への明瞭な線引きの困難さを論じた。
しかし、ながら我々のTVゲームに対する直感的感覚として、ゲームを考えるさい、まず、ゲームにすべき素材を定め、それを表現する文法を与える(もしくは選択する)のが正当ではないか?という感覚がある。
さらには、それらで作られた形式を用いて解釈を行うのではないか?と主張も出来るだろう。それはある意味で、全くもって正当なことである。
ここではそのプロセスを素材の形式化と呼ぶ。この形式化は、「素材の要素解体」と「要素と手続きの記号化」で構成されている。
当たり前のようであるが何かをゲームにしようとする時、まずはじめに、その対象となっているものの構成要素を取り出すであろう。例えば、サッカーであれば、グランドとボールと22人の選手と、それらの敵味方の区別と、ゴールと、得点と、さらには種々のルールなどなど、きりがないほど沢山出てくる。(最近では選手の能力なども入ってきているようだ)
まずこうした要素から、今ある表現に使うことの出来る技術(文法ではない、純然たる技術上のお話である)とてらして、使うことの可能な要素とか、その素材について欠くことの出来ない要素などを取り出す。ここまでが、素材の要素解体である。
次にそれらの要素を、意味と結びついた記号化を行う。たとえば、ボールに見ることの出来るグラフィックスでボールを記号化したり、人にみえる記号に記号化したり......。
さらにはそれらの操作の手続き(これが無ければただの鑑賞用ソフトになります) を加え、その記号群と手続きを形成する。これが要素と手続きの記号化である。
さてこの段階で考えると、この記号群に与えられる意味付けは明瞭である。
素材そのものであり、完全に一連の手続きのはじめになった素材以外の意味付けは 不可能といえる。
このような記号群を文法とするなら、先の論文とは全く反対に、文法から素材を切り離すことは不可能である。なぜなら、記号群を入れ替えることは明らかに文法を取り替えることだからである。
しかし、現実には何らかの形式(それこそを文法と呼ぶべきであろうが)を残して違う素材を用いることが可能である。
例えば、RPGやADVは何らかの文法を持っているが、それぞれ、色々な題材のストーリー(素材)を組み込むことが可能である。
そうすると、ここで議論している文法の意味は弱められる方が自然であろう。
おそらくは記号群が形成している諸関係を、TVゲームの文法とする方が適切だろう。なぜなら、記号それ自体は、現代においては、高度なグラフィックスにより、 かなり強く意味付けされているため、記号と素材を単純にきりはなすことは不可能といえるだろう。
しかし、その記号群の間の関係や操作手続きは、一つの記号群から生まれてはいるが、記号群とは無関係に成立させることが可能である。
■ADVの文法
アクションゲームに関する文法の基本要素の話はこの辺にして、次はいわゆるアドベンチャーゲームの文法について進めていきたいと思います。古典的な意味合いでのアドベンチャーゲームの形式は、次のようにかけます。
Ad1.状況の表示(表示法は問わない)
Ad2.選択と選択に伴う進行(決して自動的に進行しない)
Ad3.A1とA2を繰り返す。
これも要素としては非常に簡潔です。派生的な部分として、コマンド選択か否かといった話などが入ってくるのでしょうが、ここでは割愛いたします。
(そんな事をはじめたら恐らく永久に完結しませんので)
この(Ad1,Ad2,Ad3)で構成されるものが本当にアドベンチャーゲームかどうかを確認してみましょう。
ここで再び起こる問題が2つあります。一つは、我々が一般にはADVとは呼ばないものも、文法としてはADVになっているゲームがあるということです。実はこの代表的なものに、RPGがあります。(これについては後述)更に言えば、デジコミといわれるものや、間にデモを挿むアクションゲームなども、この文法を含んでしまうのです。
もう一つには、ADVと呼ばれているのにその基本構造に上の3要素を持たないものもあるということです。アクションアドベンチャーといわれるものがそれです。古くは、「ドラゴンスレイヤー1」から、新しくは「バイオハザード」まで、どれもリアルタイムな状況判断を要請しています。
結局のところ、ゲームのジャンルを規定しているのは、形式や文法だけではないと言うことです。
ここまでで、基本文法の話はいったん止めにします。興味のある方は、様々なゲームから、解釈や素材によらない形式や文法を抽出して見てください。
■文法の組み合わせかた
文法論(形式論)の最後になりますが、基本文法の組み合わせかたを少し考えてみましょう。
文法の組み合わせかたというのはたくさんあります。例えば、RPGおけるフィールド移動と戦闘の組み合わせ方を考えてみましょう。例えば、ドラゴンクエストは、 移動は移動、戦闘は戦闘というふうにモードが丸ごと変わってしまいます。その一方で、イースのようなARPGは、移動と戦闘は形式の中で一体になっています。
こうした組み合わさり方の違いを、演算子を用いて表します。
一つは、その要素が並列してゲームの中に存在している場合、その要素間を、

で繋ぎます。
また、その要素が同時に存在する場合、その要素間を

で繋ぎます。
ですからドラクエですと、
(Sn∩......) ∪ (Ad1∩.....)
~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~
移動に関する部分 戦闘に関する部分
という風にかけます。
最近のゲームの大半は、こういった基本要素と演算子で形式だけは書き表すことができます。
またこのように書き表すことによって、今まででは、感覚的に、ゲーム同士が「似ている」「似ていない」といった議論や、「あのゲームは○○と××を足して2で割ったようなゲーム」といった議論を、かなり正確に定量的に行うことができます。
ゲームの形式の歴史的な変遷なども、要素の付加、交換、演算の入れ替わりなどで追っていくことで、かなり客観的に見ることができそうです。(今までの手法だと単にメーカーごととか、題材毎などあまりにも分類者の都合で分けられる場合が多かった)
関心のある方は、この手法で、シューティングゲームの系譜書きや分類などを行ってみてはいかがでしょうか。
■文法の解体〜RPGの文法〜
この章の結論だけはじめに。
「RPGに文法はない」
実はRPGは、TVゲームの世界では、文法の解体に貢献したゲームジャンルではないかと思っています。
他の多くのゲームジャンルは文法の基本ジャンルを創出し、構成を固め、見るからにゲームジャンル=ゲーム文法といえるような形式を作り出してきました。 ですから古くからあるゲームのジャンルの文法はいまだに基本的な変化はありません。
(シューティングゲームがいい例でしょう)
RPGは文法的には、そういった古くからのゲームとは一線を画した変化を遂げています。
初期のRPGは、基本的にはADVの文法そのものです。ところが、RPGは成長するにつれ、今まできちんと固まっていた文法群(アクションゲームの文法の固まりとか)を、ばらして取り込んでいくことをはじめました。
例えばアクションゲームであればかならず、
T(リアルタイムの進行を表す)とすると、
Sn∩......∩T
とかけます。(アクションゲームでは基本的には「∪」はあり得ない)
RPGはそれを都合に合わせて、Sの一部とTを様々な演算子の結び方で取り込んでいきます。
たとえば、移動部分だけがアクションになったRPG(例えば、リンダキューブ)のようなものであるなら
(Sn∩......∩T)∪(Ad1∩.....)
のような文法が生まれます。また更には、進行のほとんどがリアルタイムで進むアクションRPGのような文法など、RPGはジャンルとして固定されているべき要素を、解体し自らに取り込んでいく、事を繰り返していきます。(いまのRPGに他のジャンルの文法の要素は常に見出される)
言い換えるなら、楽しむためには手段を選ばない一番柔軟なゲームジャンルなのかもしれません。
これで、一応文法の話はおしまいです。次からは素材の話に移ります。 他のジャンルの文法については、そのうち思い出した時にぼつぼつやっていきたいと思います。
(そのうち、なぜこの分析が必要かという話もしたいとは思います。
実はこの手法は、記号論理を用いた分析哲学の手法に拠っています。恐らく理解できる人、少ないんじゃないかなとは思うんで、あんまりいい文章ではないと思います)

沢月亭
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/F/F.htm
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/F/F2.htm
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/guest/moon.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/guest/clove_r.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/goebbels/essay/game2.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/goebbels/goebbels.html












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