2020年01月12日

佐々淳行: 1991年中東湾岸戦争で日本はどう動いたか


佐々淳行: 1991年中東湾岸戦争で日本はどう動いたか
1990年8月2日,中東のフセイン・イラクによるイラン侵攻(湾岸危機)は翌年の中東湾岸戦争につながった。イラクのクウェート侵攻に対して,当時の米・中・ソは協調。国連安保理が即時撤兵勧告・条件付武力行使決議を行って,史上初のアラブ連合軍が結成され,世界各国が対イラク制裁に参加して多くの国が多国籍軍に派兵した。
湾岸戦争は従来型の戦争ではない。国連ができて初めての国連安保理事会の決議によるところの武力制裁であった。
決議678号。賛成12反対2棄権1。棄権1は拒否権を持っている中国。ソ連は賛成に回った。反対したのはキューバとイエメン。つまり国連決議に基づく武力制裁・警察活動であった。
■リーダーの決断力
危機管理の視点から考えて,湾岸戦争最大の教訓はリーダーの決断力の有無ということではないだろうか。Weth Roberts(ウエス・ロバーツ)というアメリカの民間学者が書いた「アッチラ大王究極のリーダーシップ」という本がある。「謎の大王」と言われるフン族のアッティラ王の原稿を記録した書物である。その中に
「決断する勇気があるかないか,これがリーダーと部下をわける」
という言葉があった。 アッチラ大王の言葉を湾岸戦争に即して言うならば,直接的戦闘行動に入る前夜の1991年1月16日,双方の最高責任者であるブッシュとサダム・フセイン二人の首脳はまさにこのリーダーとしての苦しみに悩んだと思われる。
ブッシュは「この白昼丸裸の恥も外聞も無い侵略を絶対に許してはならない,これはマルタ会談以後世界最初の大きな危機である」という認識で断固として止めなければならないという価値判断で行動を起こした。一方サダム・フセインもその当否は別にして,アラーの御心・アラブの大義・教義的信仰・政治的信条からの撤退を拒んで徹底抗戦の道を選択した。
それに引き換え日本のリーダーたちは明快な決断を下し得なかった。
そもそも1990年8月2日湾岸危機が発生した時には日本の海部総理は中東を訪問する公式日程を偶然持っていた唯一のサミット国の首相であった。ブッシュ大統領からは是非向こうに行って各国の動向を打診して平和調停の説得をやってもらえないか? という依頼があって,海部総理本人もその気になっていた。
ところが周辺が寄ってたかって「行ったところで成果が出なかった時は大変なイメージダウンだ。面子を失うから行かない方がいい」という助言をして行かせなかった。
あの時に中東に行くのが平和解決のために成し得る日本の唯一の出番であったわけであるが,こんな時に決してしてはならない損得計算,それも国民のためではなくて,私益・閥益・党益のためと疑われるような損得計算でそのチャンスを失った。
年が改まって多国籍軍が行動を起こし始めても,日本政府や与党は自衛隊の非軍事的目的のための派遣すら将来の産油国のアラブとの関係を悪くする可能性があるからいかがなものだろうか? あるいは4月の統一地方選挙に左右するからと目先の利害にとらわれて決断できなかった。
■クライシス・マネジメントとリスク・マネジメント
人間は時として利害や打算を越えて宗教的信仰とか政治的な信条によって命を賭して,あるいは政治的生命をかけて決断し行動することがある。そのことが日本のリーダーひいては国民全体に分からなくなってきているのではないか?
危機管理の上でこれほど恐ろしいことはないと考える。なぜそういうことになるのか? 要するにクライシス・マネジメントとリスク・マネジメントを混同しているからと思わざるを得ない。そしてクライシス対リスクのレベルでしか考えられない結果,リスク・マネジメントすら失敗してしまう。
湾岸危機が発生した1990年11月,私はアメリカ側の日本に対する本音の声を掴むべく渡米した。防衛庁29年・内閣安全保障室に3年。12年の任期の間にアメリカのホワイトハウスを始め国務省にもペンタゴンにも数多くの知己を得ていた。そうした人々をはじめとして国会議員や大学教授などが学会のオピニオンリーダーと思われる人物に湾岸戦争をめぐる日本への期待とアメリカの真意を聞き出そうとしたのである。
その結果は以下のようなことであった。アメリカの 考え方は前年から一貫して変わっておらず,この問題を放置することはマルタ会談以降ようやく出来上がりつつある世界新秩序に対する重大な挑戦である。仮に数千人の人質の命を慮って侵略によって利益を得るという事態を放置するならば,必ず第二第三のサダム・フセインが出てくるだろう。そうなるとせっかくソ連と話し合いをして軍縮の方向に向かおうとしていたアメリカは永遠に世界の警察官であり続けなければならない。それによって双子の赤字がひどくなって威信は低下する。
もしもこのまま数年間フセインの野望を放置しておいたらどうなるのか? 必ず核武装に進むだろう。核武装をして毒ガス兵器を持って百万の常備軍を持ったサダム・フセインは大バビロニア帝国の王になる。
そうなればサウジアラビアの王制もヨルダンの王制もひとたまりもない。エジプトも安穏としていられなくなるだろうし,シリアも危なくなる。アラブ世界はイランとイラクという二大強国によって支配されてしまうことになる。
トルコの新聞には8年間にわたるイラン・イラク戦争終結の際にそういう密約があったという記事が出ている。その記事の真偽は別として,少なくともサダム・フセインは石油の上に居座る。そして採掘権・各国への割当・石油価格を彼の一存で決めるようになったらどうするのか?
アメリカは困らない。石油の値段が上がって1バレル40〜50ドルになれば自分のところの石油を掘ればいいんだから。21世紀まで封印しておく予定だがこれを開ければ良い。
ソ連も困らない。バクーの油田などで頭に今までは1バレル7〜9ドルで売っていたのが40ドルになれば大儲けだ。
イギリスも北海油田でやりくりするだろう。
ドイツも40%を原子力エネルギー政策を転換しているから,一番困るのは日本だ。
イギリス元首相・サッチャーは人質がいようがいまいが断固叩けという立場で,メジャー首相もこの方針を引き継いだ。NHK の討論会に出た時に朝日ジャーナルの前編集長だった人は,まだ戦争に突入する前に大勢の人質が囚われていた頃,その人質の人々をインタビューした時の経験を語った。
人質になっているイギリスの実業家にあってインタビューしたところ,フセインを叩けと言う。「フセインを叩いたらあなたは報復によって死ぬことになるかもしれませんよ」と尋ねると
「私は死ぬかもしれないしあるいは運良く生き延びるかもしれない。しかしこのままサダムフセインの暴虐を許しておくならば大変なことになるから,断固叩いてくれ」
と言うんです。私は感動した。いい話だと思ったが,この番組は録画放送だったので本番ではこの部分をカットして放映された。どういう判断だったのかは知らないが,結果的には世論操作,しかも明らかに世論をミスリードした操作だと私は思っている。
そういう各国の人質の中で,日本人だけが釈放後に「サダム・フセイン様様」になった。まさにサダム・フセインが狙った,釈放によって反戦運動をおこして後方撹乱をやろうという策。この策に乗っかかったのは日本だけである。他の国では全くそういうことはない。
フセインがイギリスの子供の頭を撫で握手しようとしたら,子供が腕組みをして拒否し,その子供は帰国後に勲章をもらったという。偉い奴だ。イギリスはそういう姿勢を大変評価する。
日本の場合は釈放になったら全員
「サダム・フセインさんに何かお礼の贈り物をしなければいけない。黙っていれば平和が保たれるのに,意気込んで前方展開をしてきたアメリカがいけないから釈放が遅くなった。自衛隊を派遣すると自民党は言うから本当に身の細る思いでした」
こういうメッセージばかりが伝えられた。全く本末転倒だ。「消防車が来たから火事になった」という理屈に等しい。
体力は口から始まった
■日本政府の対応/概要
話を分かりやすくするために大ざっぱな下世話話で考えてみて欲しい。
フセインのクウェート侵攻は言ってみればならずものが刀を振り回して一軒の家になだれ込んで,その家の人を殴ったり傷つけたりして脅して,その家の財産と建物を自分のものにしようとしたようなものだ。「元々ここは自分の家だったんだ」というようなことを言って。
それで近所の人が総出でその暴挙をなじって退去するように言った。言ったが聞き入れない。電気や水道も止めて兵糧攻めにしても反省するどころかますます暴れる。やむなくこちらも武装して力で排除することになって「君も一緒にやろう」とこちらに声をかけてきた。しかし「ウチはどことも喧嘩はしないことにしているから」と誘いを断った。喧嘩嫌いじゃ しょうしょうがない。 「それではこちらも武装するには金がかかるから,金だけ出してくれ,それに中に閉じ込められている人を救出するから運んでくれないか」と言ってきた。
その要請に対して「武器を買うなら金を出すわけにはいかない。買ったものを見せてくれるなら金を出す。救出した人に付き添ってもいいけれども喧嘩をやってる所に行くわけにはいかない。出てきた人は安全な家に入ったら薬を待って行ってもいいけれども」
こう言って一人いい子になっている。
■日本政府の対応/政府の危機管理体制
日本の危機管理体制について。
国家的な緊急事態が発生した時に政府は敏速に方針を決定して対応策を急ぐ。
官僚的なルールでやってると間に合わないということで,1986年の中曽根内閣時に後藤田官房長官が40年ぶりの内閣制度の改正をやって現存する内閣室制を作った。内政・外政・安全保障・内閣情報
・内閣広報。この5つの部屋の任務は総理・官房長官・補佐として何かあった時にともすれば縦割りに陥ってしまう日本の官僚行政に水平思考及び横の調整をやって意思疎通意思決定を早くする。そのために内閣法12条でそれぞれに特別の補佐をおいた。従来になかった機能を内閣に持たせるように法改正まで行った。
この時に後藤田官房長官が我々に与えた訓示が5つある。「後藤田5戒」と言われる訓示だ。
第一「それぞれの内閣の室長たちは省益を忘れ国益を思え。大蔵省出身だとか外務省出身だとか言ったら承知しない」と言われた。内閣なんだから国全体の事を考えろ。自分の省益のことを言ってはならない。
第二「俺も聞きたくも ないと思うような嫌な話をしてくれ。本当の話をしてくれ」
第三「勇気をもって意見をしてくれ。こういうことがありましたけれどもいったいどういたしましょう? なんて言われたって神様じゃないんだから総理だって官房長官だって困ってしまう。そのために専門家を5人おいたんだから私が総理大臣ならこういう風にしますという意見を報告せよ」
第四「俺の仕事じゃないと言わないでくれ。内閣審議官というのは全員一致団結して俺の仕事だと言って隙間は作るな。つまり消極的権限争議を改めてそれよりも積極的権限争議。俺の仕事だと言って争ってくれよ」
第五「決定が下ったら従い命令は直ちに実行せよ」
以下の五つの訓示の逆が官僚主義である。
官僚主義は何も官僚のお遊戯会ではない。大企業のような大きな組織には必ずはびこってしまう一つの病気である。国益を忘れて省益を争う。嫌な報告悪い報告はせずに耳当たりのいいことばかりを言う。楽観的な報告をする。上が喜ぶようなことばかりを言う。
これでは危機管理はできない。第三の傾向も役所に限らず企業などによく見られる現象である。いざとなると意見をしない。「どうぞトップがお決め下さい。命令のままに動きます」というようなことを言って意見をしない。意見を言わない。サラリーマン川柳コンクールの入選作にこういう川柳がある。
「指示待ちの上司の下に指示を待ち」
特に命に関わる問題・組織の存亡に関わる問題になると黙ってしまう。
残念ながら1990年8月2日以降,日本の永田町内閣の中枢で起こっていたのは今言った「後藤田の訓練」の全部逆である。
攻撃を恐れて外務省に落ち着けてしまおうとする。嫌な報告をしない。「戦争はないでしょう」ということを報告し続けていた。楽観的な報告に終始していた。
日本国中もみんなそうであった。戦争は悪い。お祈りしていれば平和は達成される。戦争は嫌だ。価値判断の認識がごちゃ混ぜになっている。戦争の危険が高まっている。現実を認識しようとしないで願望希望的観測・平和であってほしいという願いや自分の楽観的な判断に合う情報しか受け入れない。そしてみんなで「絶対に戦争は起こるまい」とお祈りをしていたらやはり戦争になってしまった。
戦争になると今度は自分達の判断が間違ったのではなくて,してはいけない戦争を始めたアメリカが悪いと言い出した。大変な間違いである。こういう姿勢で臨んでいたから,「悲観的準備をして楽観的に対処せよ」という危機管理の基本原則に反して,楽観的に過ごしていて大慌てしているというのが残念ながら8月以降の日本の情勢であった。
先ほども少し触れたが,そもそもの大きな誤りは湾岸危機をクライシス=危機と捉えてクライシス・
マネジメントに入る代わりにインシデント=事件と捉えてインシデント・マネジメントつまり事件処理を始めたところにある。
アメリカのホワイトハウスにはインシデント・マネジメントとクライシス・マネジメントははっきり分かれている。
スターク号事件という事件があった。駆逐艦スターク号がイラン・イラク戦争の最中に中国から提供された シルクウォームというイラクの 対艦ミサイルに撃たれて大破して27人が戦死した。日本であったらこれはクライシス扱いであっただろうと思う。危機というわけで総理もマスコミも大騒ぎになる。アメリカは全然騒がない。これはインシデントだからインシデント・マネジメント=事件処理だという。
ホワイトハウスには三つのシチュエーション・ルームがある。危機管理室中央指揮場とでも訳すべき部署であるが,このスターク号事件をどの部屋で扱ったかというと第3シチュエーションルームで扱った。オールドエグゼクティブハウスのコーデルハルルームでせいぜい局長ぐらいのクラスで処理した。ビンセンスというミサイル巡洋 イランの民間 航空機を誤って落としたことがあるが,これもインシデント・マネジメントの扱いであった。ところが空爆に入るまでアメリカ人は一人も死んではいないけれどもイラクのサダム・フセインの空爆はクライシスであるということで大統領直々総力を挙げて乗り出した。
日本の場合残念ながらこれをインシデント・マネジメント=事件処理だと思ってしまった。クウェートのちょっとした事件じゃないか。中東だのアフリカだのという地域は身内でしょっちゅうああいうことをやっている。新政権がサダム・フセインにイラク軍の進駐を望んだのではないか? 日本は石油をもらわないといけない立場だから親アラブ政策で行かねばならない。等距離外交をやっていけばいい。上からはこれはあまり口出しをしない方がいいだろう。関与しない方がいいだろう。そういうインシデントである事件処理であるとなってしまった 。
■日本政府の対応/総理の対応
今後のクライシスのために,もう少し具体的に湾岸戦争の時の日本政府の対応を詳細に振り返ってみたい。
危機が発生した時に,たまたま海部総理は休暇に入っていた。そのことを捉えて「休暇を取っていたのはけしからん」と批判する向きもあった。私は夏休みに休みを取るのは当たり前だと考えている。リーダーは、心身の健全性・安定性,冷静な判断力を維持するために休暇を取らなければならない。
イラン・イラク戦争の際にペルシャ湾機雷敷設事件に対して.アメリカが掃海艇を派遣しろと強い要求をしてきた時に,掃海艇を出すのか,海上保安庁の巡視船を出すのか,金で済ませるのかを議論したことがある。中曽根さんは掃海艇で,外務省は巡視船,後藤田官房長官は
「断固としてお金ですます,商人国家なんだからやむを得ない。お金で済ませよう」
ということでお金で済ませることになった。その結果を総合安全保障関係閣僚会議にかけて,後藤田さんの 念の入っているのは,「これは必ず後でもめるから文書にしろ,防衛白書に載せておけ」と言って防衛白書にも載せた。
次は日本政府の情勢判断だ。
この情勢をどう見るのか?「外務大臣どう見ておられますか?」アメリカ軍は前方展開してきて本気でやる気なのか? 見逃すのか? どうなるだろう?
危機予測というか情勢分析は絶えずしていなければいけない。情勢判断をみんなに求めて,それから対策を考える。どういう方針で臨むか?
国連には協力する。憲法98条で国連協力自衛隊派遣。自衛隊派遣は9条でダメならダメでよろしい。ダメならダメという方針をきっちりと決めればいい。その代わり後方支援非・軍事的な派遣をやるのかやらないのか?
それに重要な議題は予算である。この危機をいくらで処理するのか? この危機に対して日本は費用対効果を考えていくら負担するのか? 我々は何か大きなことに行った時に必ず金庫を調べる。予算はいくらあるのか? それでとりあえずできることは何なのか? と討論すべきである。
当時3200億円ぐらいの予備費が残っているはずであった。当時1ドル137円だから,これをドル換算すると25億ドルぐらいになる。とりあえず本件の処理は20億ドルを上限としてやろう。というふうにその枠を決めなければいけない。
■日本政府の対応/医師団派遣
大量空爆から始まったいわゆる湾岸戦争は従来型の戦争ではない。国連決議に基づく武力制裁警察活動であって,アメリカ対イラクの戦争ではない。
私は先ほど時として人は宗教的信仰や政治的信条を超えて身の危険を顧みず行動に移すことがあると書いた。
アメリカの場合は200歳という大変若い国だ。ベトナム戦争の傷は相当深いはずであるが,世論調査でもわかるように国民の80%以上がこの戦争を支持した。「戦争の警察官」として出なければという気持ちで前へ飛び出して,景気後退のために大統領予備選では支持率をだいぶ落としているブッシュ大統領も,戦争直後は90%を超える支持を得ていた。
この純粋な気持ち。アメリカ的な正義感。これを読み違えて,石油メジャーの利益を守るために出てきたんだろうとか,イスラエルのためだとか,アメリカの軍需産業振興のためだ,とか何でも経済至上主義の見方で持っていく。
日本はといえばせっかく130億ドルを出しながらろくに感謝もされずに批判ばかり招く結果となったと思わざるを得ない。
有事に不言実行が尊ばれるのは洋の東西を問わないが,何事も PR の時代である。多少の有言実行は許されるだろう。
しかし「有言不実行」であるならばこれは怒りを買うだけでなくクレディビリティ(信頼性)にかかわる問題である。それを日本総理がまず行ってしまったのだからお話にならない。
海部首相が発表した100人程度の医師団の派遣は実際にはどうだったか? 派遣された医師団は17名。そのうち医師は3名。人数からして話にならないぐらい少なかった。その上,「野戦病院はダメだ,みんな治療にあたるが戦闘における負傷者は困る。危険地域へは行かない」ということであったためにそれならばお引き取り下さいとなって,ほとんど何もせずに帰ってきた。
週4便の民間航空機による移送支援・週1回の船便も結局実現しなかった。空と海の労働組合が武器・弾薬・兵士は運ばない 戦争の恐れがある,戦闘地域に運ぶのは水・食糧・医薬品に限ると主張したからである。
アメリカから送られてきたコンテナの中に武器や弾薬があるかないかどうやって見分けるのだろうか? その有無を組合がコンテナを開けて調べるといったものだからアメリカは怒って「そんな協力ならいらない」と言ってきた。
日本一国を代表する総理大臣が約束したのだから,何が何でも実行してみなければならなかったはずである。それを国内事情で反故にしたんでは国際的には不信を買うだけである。その国内事情にしても国際レベルからすれば特殊と言うか異常すぎる。
■戦争後の日本の孤立
イラク紛争が日本にもたらした危機は原油価格の高騰・株価暴落など経済的危機の恐れもあった。結果的には日本経済は大丈夫であったという反論もあるがこれは反論にならない。
そしてそれにもましての最大の危機は日本の国際的孤立化の危機であって,それに次いで多数の在留日本人が人質に取られたことである。
国家危機管理の中枢と言うべき内閣安全保障室の初代室長を務めた経緯から,私は紛争勃発直後からあらゆる機会に国家危機管理上の提言を行った。
第一に国際的孤立化を避けるために,首相の政治決断によって非武装の自衛官を平和目的で中東に派遣することである。
1933年,日本はその軍事行動によって国際連盟の満場一致の対日満州撤兵勧告決議を受けた。時の松岡洋右外務大臣は席を蹴って退場。そして国際連盟脱退>>国際的孤立化>>戦争への道を歩んだ。その60年後の今日,イラクのクウェート侵攻が起きて,米・中・ソは協調して,国連安保理が即時撤兵勧告・条件付武力行使決議を行って,史上初のアラブ連合軍が結成されて,世界各国が対イラク制裁に参加して多くの国が多国籍軍に派兵した。これに対して日本は取ろうとした態度は「ウォーク・アウト」ではないがお金だけを払って実質的に国連警察活動から忍び足で対応しようとする「スニーク・アウト」と受け取られても仕方がなかっただろう。行動しないことによって再び孤立化の道を歩もうとしたのである。
派兵もせずプレゼンス(駐留)による影響力の行使にも参加しないならば,日本は1989年末のマルタでの米ソ首脳会談以降形成されつつある世界新秩序の中で名誉ある地位と発言力を失いかねない。
現行憲法下では海外派兵が許されないことは言うまでもない。しかし海外派兵とは多年にわたる国会の議論を経て武力の行使の目的をもって 武装部隊を他国の領土・領海・領空に派遣することという定義が確立されている。
これと異なる自衛隊の海外派遣はすでに遠洋航海リムパック合同訓練(参加5回),米国アリゾナでのナイキホーク実射訓練(毎年302),砕氷船しらせの南極観測協力,防衛駐在官派遣などの実績がある。
自衛官は警察官・海上保安官等,他の危機管理公務員と同様に「任務官は憲法を守って法令を遵守して政治に関与せず生命の危機を顧みず任務遂行を誓います」と宣誓している。
そして今や日本の民主主義はしっかりと根を下ろして,政治の軍事に対するシビリアン・コントロールも確立している。湾岸戦争については国連決議という錦の旗もあって在留日本人の救出・保護・輸送という平和目的があった。国際世論も武力行使しなくていいから参加せよと呼びかけていた。
時代が大きく変わって1954年制度の自衛隊法は実情にそぐわなくなってきている。憲法の改正は急場には間に合わない。そうであるならば,首相は日本の民主政治に自信があるならば,政治的な決断を下して政府統一見解の法解釈で医療・輸送・通信などの分野の非武装自衛官や武器を搭載しない輸送補給という幹線輸送機・政府専用機など平和ミッションの自衛隊海外派遣にしっかり踏み切る時であった。
幸い掃海艇で停泊の派遣はようやくにして実現されたが,現場海域に到着した時にはすでにほとんど大部分の機雷は処理されていた。もっと迅速な措置がなされていたならば,国際的貢献の度合いはさらに大きなものになっていたであろう。
もちろん予想される近隣諸国の警戒感の高まりに対して鈍感であっていいわけはない。掃海艇の際に見られたように直ちに各国に特使を派遣するなりして誠意をもってその了解を求める外交努力を払うべきことは言うまでもない。
さらには50万人といわれる在留日本人の安全法に関する国家的政策の確立である。そのためには在外公館の籠城体制を整備すること,人質解放のためには社会党・土井たか子委員長を含む女性特派大使を急遽派遣することなど。結果は公明党・広中和歌子参議院議員が単身自費で出かけたに過ぎなかった。
これまで世界各地で軍事紛争が起きたが幸運にも日本人の犠牲者はほとんど出なかったために安全対策や有事の危機管理方式が十分確立されていなかった。
政治の在留邦人引上勧告の遅れ。先進諸国に比べての日本の政治家の動きの鈍さ。縦割行政の弊害を露呈した関係各省庁の足並みの乱れ。現地大使館を中心とする在留邦人の籠城体制の準備不足。こうしたことが国民に「政府は何をしているのか」という不安感を募らせた。
米ソの二極構造も消滅して大戦争の危機は去った。しかし逆に2大体制による紛争抑止力が後退してこれから局地紛争の拡散多発の恐れが生じている。
紛争が起こる度に右往左往するようなことは二度と繰り返して欲しくない。もし繰り返すようなことになれば政府が国民の信頼を失って「日本を頼むに足らず」と国際的軽蔑を受けて孤立化の事態を招くことになろう。そうした事態を避けるためにも我々は湾岸危機の教訓もしっかりおさらいしておく必要があるように思う
ー危機の政治学,佐々淳行,文春文庫,2005

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posted by datasea at 19:37| Comment(0) | & 政治アナリスト,政治オタク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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