2019年11月20日

西寺郷太: Janet Jackson〜1980年代リズム関ヶ原の覇者は1990年代女性アーティストのモデル

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西寺郷太: Janet Jackson〜1980年代リズム関ヶ原の覇者は1990年代女性アーティストのモデル
ー「1980sリズム関ヶ原」最終回ー
2019.11.18
西寺郷太

Janet Jackson。
Michel Jacksonがスーパースターになっていくのを妹として見てたし,Michelの親友でもある。Michelと同じ家に住んで,本当に友達みたいに暮らしていた。そういう家系に生まれてますから,レコード作りの誘い話なんかもありまして,最初はお父さんのJoeという方がステージパパで「自分の娘にお前何してんねん」ということで。強権的な父親の下にあった。
初期のアルバム「Love Dream Street」も実は捨てたもんじゃないんですよ。今のムーブメントに実は合ってるし素敵な音楽ではある。でも少なくともJanet自身は「お父さんに押し付けられたプロデューサーを連れてこられても,それは私がやりたいことじゃない」という風に悩んでたのが最初のアルバムだった。
そんで,みんなが反対しとる中James Davisと結婚したんです。その人がまあ,当時の例でいえば木村一八(横山やすしの息子,暴力事件で芸能界引退)とかそういう,やんちゃで大暴れするような人だった。
Jacksons再結成で1984年夏に行なわれた「Victory Tour」ではお父さんとお母さんもコンサート会場にマネージャーとしてついていってる。お兄ちゃん達はライブしてるっていう同じ日に,ミシガン州のラピートという全然別の街で結婚式を挙げる。そんで親に電話で「あたしJames Davisと結婚するの」。クーデターのようなもんです。
結婚式のファッションもスニーカーにジーパン。 キャップ被ってそれが花嫁衣裳。お嬢さん特有のぶっ飛び方というか。ウエディングドレス着たいとかじゃないんですよ。でもその結婚は失敗に終わり,悩み抜いて体も壊す。遊び人と悪い薬やったり,浮気したりとか,それで友人が止めに入ったりして。みんなに反対されていた結婚やから,「私はこの人と添い遂げる」とか何とかJanetは言うてたんですけれども。体も痛みまして,でも病院に入らなきゃいけない。向こうの家族にも言うてないとか。
JermainやMichelやらのお兄さんはJamesに「Janetに何しとんねん」ということでそういう問題も起こりまして家族内会議になった。
■アルバム「Control」
1985年1月,こういう時期にあの有名な「We Are The World 」という曲で,MichelはCyndi Lauperなんかと共作します。スーパースター皆集めて歌った曲です。心身的に追いやられてたJanetは入らなかったので,それで「この子大丈夫なんかな」と思った時に,Janetが「自分でちゃんと自分の音楽をやりたい」と言って作ったのが「Control」というアルバムでした。
アルバム作りで向かった先はPrinceの活動の拠点であるミネアポリス。お父さんには反対された。
「ミネアポリス?そんなエロいところにいるんか?娘,ミネアポリスのディスコで下着姿で踊っとるやないか?エロの権化やないか?あんな所で演るんじゃのうて俺の見てるとこで演れ」
「結婚もああだったし,ワシが相手を案内したのに言うこと聞かへんかったからこうなったんや」
っていう風に言ったんですけども,そんなんJanetが聞く訳ない。そもそも居る場所がミネアポリスですから。ミネソタ州のミネアポリスていう都市はお父さんのいるロスから相当遠い。カナダとの国境ギリギリ辺りにある都市です。そのミネアポリスで作ったアルバムが「Control」でした。
アルバムは1986年2月3月にリリース。それが大ヒットして皆がそれに影響を受けた。そっから80年代「1980sリズム関ヶ原」いうのが引き起こされていく。ディスコサウンド・ラップ・ハウス・ニューウェイブ。群雄割拠するダンスサウンドの中に一石を投じた。皆が「これ,かっこええやないか」いう感じになっていった。
当時の人気デュオWham!のGeorge Michaelもこの「Control」に影響を受けました。
言うたら冷たいコンピューターで作った無機的なドラム音にエモーショナルなヴォーカルを重ねるという新しいスタイル。ナマの人間が叩いてない冷たさに溢れてるいうような電子音と情熱的な黒人のボイス。「面白い!これヒンヤリしたものとアツいものが一緒になっとるやないか」みたいな音楽。「せやけど,たまにリズムだけがめちゃくちゃ暖かい」みたいな。「熱いコーヒーにアイスクリーム乗せたらどっちも美味しいやんけ」みたいな。こういうスタイルが始まったのはこのアルバム「Control」からです。
■アルバム「Rhythm Nation1814」
冷たくて迫力あるリズムを全面に出したアルバム「Control」。そっから数年経ちまして,Janet Jacksonは次にどんなアルバムをリリースするのかいう中で1989年9月19日に出たアルバムが「Rhythm Nation1814」。
プロデュースはPrinceファミリーのthe Time のドラマーJerry Bean Johnson。ミュージシャンズミュージシャン,古き良きソウルミュージックの音源。人間の弾いたベース音だったりドラム音だったり,前のアルバム「Control」で打ち出したある種メカニカルでコントロールされたサウンドと対峙するような印象のアルバムです。
パーカッションなんかももうナマ音が色々組み合わさってるんですけど,これを聞いてみんなが「あれ?やっぱり人間の演奏?」みたいな感じになった。残響のある演奏のナマ音の持つ迫力みたいなものとドラムマシーンの無機的な音がコンピュータ ミックスされて,まさにそれこそが「1980sリズム関ヶ原」を統一したアルバムであると。
アルバム後半からのヒップホップ・サウンドへの変化,スプリングバンクとかの音をサンプリングしてないのにドラム・マシン重ねてっていう。
テーマも変わりました。それまでの「Control」までの曲はどちらかと言うと「私っていうものを表現する」「私っていうもののその価値を認めてほしい」っていう,「お父さんとの戦い」,そういうコントロールから外れるっていう非常に大事なメッセージだったんですけど,そのアルバムと次のアルバム「Rhythm Nation1814」の最大の違いのひとつは,人種差別問題だったり,教育の大切さだったり,ドラッグへの警告だったり,「自分自身が黒人女性としてどういう風に戦っていくのか,そして皆もそういう風に戦うべきだ」というテーマの進化ですね。そういうメッセージを,いわゆる男性グループや男性シンガーではなくて黒人女性シンガーが歌うのは当時は珍しかった。それもまあ当時アメリカで一番有名だった家のお嬢様中のお嬢様だったJanetが1番誰よりもオーバーグラウンドで早く扱った。そういった貧困問題,教育問題,差別問題と戦うっていう歌詞。プラスコンピューターで制御されたものではなく生のドラムだったりという音も含めて,画期的でした。
アルバム「Rhythm Nation1814」からは4曲の全米ナンバーワンヒットと5〜6曲のスマッシュ・ヒットが生まれてるという。すごいヒット曲の密度です。
日本でも航空会社の CM になりまして人気ナンバーワン。このCM曲は日本のポップチャートでも1位になっております。
最初のシングル曲「Miss you much」。Janet自身「バスケットボールの試合を見ながら観客が立ち上がってるの見て,なんかこういう時に合う音楽作りたい」っていう曲「Escapade」。
あと「Black Cat」はアルバムの中ですごく極端な生演奏のいわゆるロックンロールの曲ですね。女性アーティストJanetが作詞作曲を単独で作った曲。
「ロックは白人のものや」みたいな形が1970年代から1980年代に作られていて,お前なんで黒人なのにロックやねん?みたいな部分があった。
けどRolling StoneのライブでMick Jagarが「Prince最高や」って言って「お前ライブの前座やってくれへんか」って話になった。
「わかりました」ってことでPrinceは前座をやる。
でもいわゆるストーンズファンの白人ロックファンが,黒人のPrinceがロックバンド的な事やってることに対して変な顔してたってのがある。結局ステージにバナナの皮投げる客なんかがいて,ステージから下げさせたっていう事件になってしまった。それが遠い昔の事じゃない1980〜81年の初頭の出来事です。
その時期に音楽専門のテレビ局MTVが始まったんですけど,「ナンバーワン・ロック・ステーション。ロックのテレビ局ですよ」っていうことを言っていた。つまりどういう意味かというと,「白人のアーティストの曲しか この MTV では流しません」ていう意味です。黒人アーティストが演ってるのはソウルだったりサンバだったりディスコだったりダンス・ミュージックでしょうっていう風に勝手にジャンルを決めつけて,だから「放送しません」っていう風なことの言い訳にしてた。
つまりケーブルテレビで黒人も白人もお金払っている,皆が見る番組が何で白人しか流さないのか?っていう部分ですけど。多分ですが,MTV側は中産階級以上の富裕層しか加入しないと推測していて,それで黒人の音楽ばかり流れたら,それを嫌う親やおじいちゃんおばあちゃんが子供が見てるのは嫌がるっていう。そういう理由だったんだと思います。1980年代初頭はまだそういう時代でした。それをMichel JacksonやPrinceが変えていった。Michelが「Beat It」の曲で白人のEddy Van Halen呼んだら「これロックですやん」っていうことで革命的だったのが1883年〜1885年という時代だった。
そういう時代にJanetが意識的にこういう女性版ロックンロールっていう音楽を「Black Cat」で作ったっていうのも,聴き所でしょう。
■Janetの音楽が変えた世界
アルバム「Rhythm Nation」。人種差別問題や教育問題をテーマにして,かつポエティックでシリアスな部分もありな白黒のジャケット。
その後Michel Jacksonはアルバムをリリースしますが,それはいずれもJanetのリリースの後で,いずれもJanetの影響を色濃く出した作品になってます。アルバム「Dangerous」も「Rhythm Nation1814」の後で,強い影響を感じます。お兄ちゃんにも影響を与えたという感じでした。そしてその後日本でも,宇多田ヒカル,スピード,MISIA,ウーアを始めとした多くの女性アーティストに影響を与えてゆく。
Janet Jacksonが作った一つのスタイル。自分で作曲して歌詞で言いたいことも言う。女性アーティストという形でポップスもできるし,メッセージソングもできるし,ダンスも上手い。
これは僕が言ってる持論ですけど「Janet Jacksonダシ論」。カレーでもキムチでもなくダシ。ダシは表面からは解らない。ダシだから逆に凄すぎて,みんなが影響受けてるからわからないっていうのがこのJanetの音楽です。アルバムControl〜Rhythm Nation〜Piriodで形成した楽曲の体系が1980年代のリズム音楽の完成,そして1990年代リズム音楽の土台になってゆく。
その音楽を作った人が,いわゆる貧乏からのし上がってお金持で有名になる事を夢見た人じゃなく,最初から誰よりも有名だったJacksonファミリーのひとり,最初から誰よりもお金も持っていたんだけども「私は何かが足りない」と思ったJanetだった。
それがアルバムControlで親の支配の鎖を引きちぎり,その後のアルバムRythm Nationによって,女性アーティスト・黒人アーティストを縛っていた鎖を引きちぎって解放していった。
奇しくもこの年1989年は昭和が終わって平成に変わった年。中国では天安門事件が起こり,ヨーロッパではベルリンの壁崩壊/東西ドイツの統一がおきた年でした。
そういう時代の転換期にあって,1980年代のリズム革命が進化してゆく。その中で女性アーティストのひとつのスタイルを作った。こういう時代を生きたJanet Jacksonという女性をもうちょっと評価して欲しいなっていう。
1989年4月にはクラブのDJ がプロデューサーとして参加したユニットSoul2Soulの CLUB CLASSICS vol 1が発表される。さらには1989年9月6日のLenny Kravitz「 Let Love rule」リリース。いわば1980年代ダンスミュージックが完成して,そして1990年代のシーンが始まっていく。
「1980sリズム関ヶ原」の最終回はこれにて完結であります。
ーTBSラジオ,ライムスター歌丸・After6 Junction,
Android文字おこし(一部意訳あり)

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posted by datasea at 08:14| Comment(0) | ♪  アート,エンタメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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