2019年11月09日

タモリ・たけし: 陳腐化がすすむテレビ文化,玄人芸と素人芸(1984)

タモリ・たけし: 陳腐化がすすむテレビ文化,玄人芸と素人芸(1984)
1984年の娯楽
1984年,インタビューでタモリは,
「戦後時代・黎明期のテレビは,家族がテレビの前で正座して,お父さんがテレビの扉をあけて,じゃあ観るぞって。そういうものだったでしょ。でも今のテレビって,床に寝転んで鼻クソほじりながら観るようなもんでしょ。
古典芸能の人たちって,そういう今の1980年代の観衆を理解できているのかなって思う。使い捨ての消費物。そこが理解できていないと。」
「陳腐化がすすむテレビ文化の中で,玄人芸のニーズは少ない,大衆娯楽の性質がもっと安価になっている。」
と語る。
「作り上げた芸」よりも「偶然性」,「思い付き」が大きなヒットを作る時代。そんな印象がある。
1984年の時点でテレビ受信機の性能はさらにたかまり携帯性まで備えるようになったと言っている。
社会学者宮川氏のメディア論ではこの時期(1980年代中期)はいわば
お茶の間テレビ文化>>>個室テレビ文化
への移行がおきた時代で,その背景には韓国・台湾製の安価なテレビが大量に市場に流れた結果,一人一人がテレビを持つようになって,この時点で世代間をつなぐ「お茶の間テレビ文化」が終わったといわれている。
そして1980年代半ばにはじまった「個室テレビ文化」は,インターネット・携帯電話がつくる「路上文化」がはじまる1990年代半ばまでつづく。
「個室テレビ文化」時代には,時代のテーマ・文化は各世代ごとに分化していく。
1960年代のテレビの民有化(一世帯一台時代)のはじまった時代から通してみると,
技術の進化>>>ガジェットの進化・低価格化がすすむ>>>共有化がすすむ>>>文化の分化・陳腐化がすすむ
という流れが一貫してすすんでいるようにかんじる。
それにしても
「20年後(2004年)には俺もタモリさんもテレビ業界にはいない」
とみるたけしの見方はシビアだ。。
演者・観者が構成する娯楽の場がどういう方向に向かっていったか。それをマクロ的にみるのは面白い。演者・観者,明確に立場が分かれた二者。演者の発想。観者の興味。観者の心を汲む演者。そういう場がどこへ向かっていったか。
構築性・構造性>>直感性・刹那性・開放感
というマクロなベクトルはあったのだろう。
ヒエラルキーの確立>>崩壊
あるいは
位置エネルギー>>運動エネルギーへの開放
エントロピー増大
と言ってしまえば身も蓋もないが
悲観的な見方だが。ガジェット・コンテンツ共にその進む方向は陳腐化・分化だという事になる。

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posted by datasea at 21:49| Comment(0) | # アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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