2019年10月22日

FB古代史研究会: 宮下文書に記録されたニニギ〜ウガヤフキアエズ朝治世


FB古代史研究会: 宮下文書に記録されたニニギ〜ウガヤフキアエズ朝治世
『宮下文書』によるイザナギの治世
私が研究している『ウエツフミ』は、ニニギの命からウガヤフキアエズ王朝74代までについてはかなり詳しく書かれているのですが、それ以前のこととなると、古事記・日本書紀とほぼ同じ内容であり、サラリと書かれているだけです。
そこで、天照大神以前の歴史については、『宮下文書』という古文書が参考となりそうです。
『宮下文書』の特徴を一言で説明すると、まず徐福自身が書いたということ(そうあの秦の始皇帝が蓬莱国に派遣した徐福です)、そして高天原のあった場所を富士山としていることなのですが、「富士山」が現在の富士山のことを指しているのか、それとも飛騨高山あたりなのかについては、説が分かれているようです。
今回は、イザナギの治世にスポットを当てて、現代語訳を試みましたので、ぜひ参考にしてください。あなたの知らなかった新事実が満載ですよ!
なんといっても、その活躍の舞台が加賀の国(現在の石川県)の白山であったこと、そして白山信仰がイザナギ・イザナミ信仰を指すこと、さらには豊受大神とは国常立のことを指していたことの3点は、大きな驚きでした。
さらに、興味のある方は、こちらからどうぞ。
https://ugaya.jimdo.com/2018/01/22/%E5%AE%AE%E4%B8%8B%E6%96%87%E6%9B%B8-%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%81%AE%E6%B2%BB%E4%B8%96/

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ウガヤ38代の御陵か? 消滅した75mの巨大古墳!
大分市木ノ上【御陵古墳/木ノ上古墳/稙田古墳】
ウガヤフキアエズ王朝の痕跡は、やはり消されていた!
昭和38年に、宅地造成により破壊された「御陵古墳」(別名:木ノ上古墳、または稙田古墳)は、大分県最大級の規模で、全長75m以上ありました。
【説明】http://www.isekiwalker.com/iseki/181573/
つまり25mプールをタテに三つ並べた大きさで、しかも石棺、勾玉、管玉、ガラス玉、鏃、剣など、多くの副葬品も出土しています。
なぜこんな重要な史跡が破壊されたのでしょうか?
当時の大分県の役人たちは、テロリスト集団だったのでしょうか?しかも、複数の名前を付けて混乱させる作戦も、彼らの常套手段。ウエツフミの研究者は、みんな怒っています。
吾郷清彦氏、吉田八郎氏は、ここを第38代ウガヤフキアエズ天皇(幼名:天津祝詞子、アマツノリトコ)の御陵であると推定しています。
その根拠が不明なのですが、ここに「古皇之御陵」という石碑が建てられていたという証拠写真もあります。
「皇」という文字は、地方豪族には使われないでしょう?
ウエツフミに書かれた第38代の軌跡をメモしておきます。
◆生まれたときから霊感が強く巫女のように神の言葉を伝えたので「天津祝詞子」と命名された。
◆幼少の頃、新潟の頚城にオロシ(ロシア)の船団が来襲し、穀物を強奪したので、高千穂軍と交戦になるが、このときカマエタチという謎の刃物が地中から噴出してオロシ軍を破る。
◆すべての天皇に必ずある「即位した」という記述が無いことから、一部の原文が散逸している可能性大。
◆大土国幸(オオツチクニサキ)の命を派遣して「神津島」や「八丈島」を開拓。
この島に大土狭咋(オオツチサクイ)の命夫妻が残って初代の国司となる。
◆臼杵の宮を居所とする。
◆病死したので、大分の「御宝山」に埋葬される。
【原典】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=32&sno=1
この古墳の南側には、霊山、障子岳(宇曽岳)、本宮山の「三宝山」が鎮座し、オオキタの宮を今も見守っています。

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posted by datasea at 14:20| Comment(0) | ◉ 日本神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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