2019年10月15日

西寺郷太: 1969年のBeatles, 革命児の最期の日々〜映画「Yesterdays」公開によせて

西寺郷太: 1969年のBeatles, 革命児の最期の日々〜映画「Yesterdays」公開によせて

それで「Apple」という会社を作りました。まさに 「Apple 」って会社をBeatlesが作った。今流行の iPhone とかも作ってる IT企業「Apple 」。創設者のSteve Jobsもこれすごい話だけど同じ名前の「 Apple 」て会社作るでしょ?「Apple Computer」て。まんまじゃないですか。せめて「Pineapple」くらいにせえよて話ですよ。
JobsがBeatlesのファンやからって,そういうレベルの話か?って話ですよ。何で同じ名前?て。
Beatlesって,DIY 精神で,素人かもしれんけど自分達で何でも作る精神があった。会社設立もそういうDIY精神です。
曲にしても,Beatlesがデビューした当時はプロの作曲家が色々いた。当時は専業・分業体制が常識で,
作曲・編曲・作詞・演奏とみなそれぞれ専門家が分業で作っていた。それを全部自分らで作るっていう,当時の常識で考えられない事をやってのけたのがBeatlesです。
ーライムスター歌丸のAfter6Junction, TBSラジオ,Android文字おこし

ty6uy56uyt5455 pc











ノーナリーブス・西寺郷太presents洋楽スーパースター列伝〜1969年のBeatles
西寺郷太
2019.10.14
ということで西寺郷太ポップミュージックショウ開設企画/洋楽スーパースター列伝です。
80年代終わりの1989年秋にリリースされたJanet Jackson「Control」の「Rithm Nation」が後の1990年代の音楽シーンを形成してゆく。というところでリリース30周年なんですよね。最近は80年代中〜後半の音楽界を切り取る列伝をお送りしてきたんですが,今夜それを一旦お休みしました。了解ですね。
今回通常の「洋楽スーパースター列伝」で何がメインのコンテンツかよくわからないが,ちょっともう10年ぐらい経った時に全てが分かるから 途中になってるシリーズ! まあちょっと今年中に完結できないという所で。1960年代の何かこう渦巻く世界。「1969年のBeatles」です。
■1969年という年
アルバム「Abbey Road」のジャケットではメンバー四人が全く別々の服装してるんですけど,真っ白なスーツを着て先頭を歩くJohn Lenon,Ringo,右手にタバコを持って,カジュアルなスーツで裸足で歩いてたPaul McCartney。その後ろ・一番後ろを歩くGeorge Harrison。ジーンズのデニムの上下を着てるGeorgeの格好なんかまさに1970年代を象徴するファッションです。その後の1970年代のスタイルの原型が1969年のアルバムにあったという気もします。前を歩く三人が着ていた服はたまたま同じメーカーだったらしいですね。映画「Yesterday」公開直後の今日の特集はBeatlesです。
1969年。実質この年にBeatles解散。バンドとしての形を終えるっていう一年なんですけど,この年もなんやかんや忙しくヒット曲も連発してまして, 1969年と言うと僕もまだ生まれてないんですけど,人類が月に月面に最初に着陸した年。アポロ11号が月面に到着したのは7月24日。
ウッドストックコンサートっていうロック史に残るエポックメイキングなコンサートが8月15日〜17日に行われたり,Michael JacksonがJackson5でこの時期に準備してデビューした辺りの年ですね 。Led Zeppelinがアルバム「Led Zeppelin II 」で頭角を現し後のハードロック・シーンを牽引していくという時期でもあります。
一方,グラムロック・シーンではDavid Bowieがアルバム「Space Odyty」をリリース。これが1969年7月11日 ですから,アルバムリリース後10日か2週間ぐらいで人類が月に到達するという時期を予測してのリリースだったのでしょう。その前年には映画「2001年宇宙の旅」が公開されたりと。まあもうすぐ人類が月に行くってことで盛り上がってたっていうような時期ですね。
以前に「1968年のBeatles」って話したんですけどその年のにBeatles は「The White Album」 という名作をリリースしてます。2枚組でいっぱい曲入ってたんですけど去年そのリマスター版が出たんで,特集させてもらいました。今回は「Abbey Road」の50周年記念版がリリースされたのでこの話をしているという感じで,その意味でも特集しました。
■1968年のBeatles
1968年,Beatlesはメンバー全員でインドに行ったって話覚えてるかもしれませんが。インドでダラダラしてたんだけど,ダラダラしてたらもう曲ばっか出来ちゃって。メンバーはマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー に心酔してた。すごい人だ。って。すごい聖人だって。でもヨーギーが若い女の子に手出した話になって,「あいつただのエロヤンキーか」みたいな感じでインドから帰ってきて。
それで「Apple」という会社を作りました。まさに 「Apple 」って会社をBeatlesが作った。今流行の iPhone とかも作ってる IT企業「Apple 」。創設者のSteve Jobsもこれすごい話だけど同じ名前の「 Apple 」て会社作るでしょ?「Apple Computer」て。まんまじゃないですか。せめて「Pineapple」くらいにせえよて話ですよ。
JobsがBeatlesのファンやからって,そういうレベルの話か?って話ですよ。何で同じ名前?て。
Beatlesって,DIY 精神で,素人かもしれんけど自分達で何でも作る精神があった。会社設立もそういうDIY精神です。
曲にしても,Beatlesがデビューした当時はプロの作曲家が色々いた。当時は専業・分業体制が常識で,
作曲・編曲・作詞・演奏とみなそれぞれ専門家が分業で作っていた。それを全部自分らで作るっていう,当時の常識で考えられない事をやってのけたのがBeatlesです。
その後Johnは日本人のYoko Onoさんという方と仲良くなったり,1968年に「Hey Jude」って曲が出たり,インドで作ってきた楽曲を中心に2枚組アルバム「The Beatles」を作ろうとしたり。
プロデューサーのGeorge Martinに
「ちょっとしょうもない曲もあるから減らしたら?名曲だけのスーパーアルバム作ろう」
って言われたら
「嫌や,全部俺の曲・誰の曲入れて2枚組アルバムにしよう」
って言って作ったアルバムが1968年11月22日に「ホワイトアルバム」としてリリース。大ヒットしました。
■1969年のBeatles
年が明けた1969年1月2日になって四人が久々に集合します。その時何をしたかと言いますと,1969年の間には実は発表されずに1970年になってから発表される「 Let It Be」 というアルバムのレコーディングを開始します。この時点ではアルバムになるとは思ってませんね 。製作段階のアルバム名は「Get Back」とか色々言われてたんですけれども。
映画にする為の撮影ドキュメントフィルムを作ったりしながら,謎のいろんな曲をリハーサルしてる場面からビデオに収めようと始めたんですけど,この頃段々メンバーが仲悪くなっていて,喧嘩してるシーンとかもカメラに収まってます。
映像はPaulのアイデアで,メンバーがそれにのった形でしたが,「もう嫌やわ,こんなもんカメラが入ってたらもう落ち着かんわ」言ってまた喧嘩が起こるんですね。でもこの一ケ月間に「Get Back」他いろんな曲がセッションで出来ていきます。
3月22日にギタリストのGeorge Harrisonが自社Apple社のロビーでBilly Prestonという黒人名キーボーディストを見つけるんですね。Billyはアメリカ人で観光でイギリスに来てたんですけど
「Billyこんなところで何しているんだ」
と言うと
「ちょっと遊びに来てたんや」
と。下積みハンブルグ時代って,ドイツのハンブルグっていう街でBeatles下積みのバンド活動してたんですね。Billy Prestonはそん時に一緒に演ってたキーボーディストです。
「久しぶりやないか,Beatlesのバンド,今じゃめっちゃ仲悪なって空気悪いから来てくれ」
って言うので「俺行く」なった。
一方Beatlesは「Billyが来た!」って,仲悪かったんだけど「お前来てくれたら最高や」ということで,
1969年の4月11日に発表されて全米ナンバーワンになります「 Get Back 」という曲が完成します。
「じゃあ何か目立つような映像欲しいな」
なって,ビルの屋上ライブが立案されます。街中のビルの普通の屋上で演るんで,下の路上からは見えなかったんですけど,これが実はバンドとして一般聴衆の前で最後に行なった演奏だとされていまして,1969年1月30日の酷寒・めっちゃ寒くて聞けへんわみたいな状況ですが,ものすごい数の聴衆が集まります。この映像が後の映画「Let It Be」のラストシーンで半分ぐらいが使われます。
3月にPaulとLinda McCartneyが結婚したりして公私ともに忙しくなります。Johnは結婚してたんですけど離婚。Yokoのこと好きになって離婚。裸になってみたりとか色々やって,まぁ叩かれたりもしてたんですけど,なんのなんのこっちゃ。前妻とは話し合って結局は結婚しました。
その時期,1月に録った大量のテープをJohnはGreen Johnsonという人に委ねて,アルバム収録を依頼します。途中までで終わってる曲とかもあるし,大変だったでしょうね。
1969年4月14日。もう1回レコーディング始めようかということで,レコーディングしてたのが「 the BALLAD of John and Yoko」。この曲はJohnとPaulが二人きりで録った曲です。ビデオには演奏する四人のメンバーが映ってます。Beatlesの映画の中でもRingoっていう方は主役級のキャッチーなアイドル性のある方だったんだじゃあないか。海外ってことでツテもおらんかったから「俺の曲でドラム叩いてくれ」ってJohnが頼むんですな。「エエよ」ということで,まるでJohnとYokoの日記のような歌詞のバラード曲を二人で録った時もRingoがドラムを叩いてる。Paulも参加。Georgeいないんですけど。
「the BALLAD of John and Yoko」はシングルとして5月末にリリースされまして全米8位。Beatlesのシングルとしてアメリカでは最低ランクだったのですが。でもJohnとPaulのこの時期の仲は別にそんなにめちゃくちゃ悪いわけでもなかったんちゃうかなと思ってしまう。
そしてこの5月4月あたりにBeatlesもちょっと一回仕切り直して,という空気になった。
George Martin。デビュー当時からプロデュースに参加,「5人目のビートルズ」と言われたプロデューサーです。彼と一緒にもう1回新しいアルバムを作ろうよって案が出た。そして結果的に横断歩道のジャケットで有名なアルバム「Abbey Road」のセッションが始まりました。
I want you, Something, Oh-Darling, Octopus Garden, You Never Give Your Money
という曲をまずレコーディングするんですが,もうどれもすごい曲なんですが,Paul McCartneyがその時に同時進行していたのがMery Hopkinsのアルバムです。可愛らしい女の子。60年代を代表するモデルですが,そのプロデュースをした時にPaulは「 Goodbye 」という曲をプレゼントしたんですね。
今から50年前にPaulがアレンジャーとして参加した「Goodbye 」。この曲でPaulが叩くドラムの音を聴いていると,Ringo Starrの替わりもできたんだって思っちゃう。これがまた,バンドのバランスも凄すぎて,
「Paul,お前が全部演ったらええんちゃうん」
っていう話で。Paulの才能が全ての楽器において凄すぎたっていう事が,ある意味Beatlesのメンバー間のバランスを奪っていた一面。どのパートもハイレベルでこなせる才人がいるちゅうのは,ありがたいことなんやけど。他のメンバーからするとちょっとね。
特にGeorge HarrisonとRingoは年齢が下だったという背景もあり,また先輩JohnとPaulが凄すぎて自分達では曲を作っていない。10代の頃の1歳差・2歳差ってでかいじゃないですか。しかしBeatles活動後期からどんどん先輩に追いついて,このAbbey Roadで大爆発するGeorge Harrison。
今聴いても素晴らしい曲を作ってたっていうのが,まあそのBeatlesとしての活動を続けながらも,個々が楽曲を作る,そんなことをやってる気さくな四人だったよということなんですが。
「Come Together 」って曲はJohn Lenonが中心になって書かれた曲で,作曲者のクレジットはLenon&McCartneyってなってます。Beatlesの曲の多くがこのクレジットです。
アルバム「Abbey Road」2曲目のSomethingという曲はシングルとしては初のGeorge Harrisonの曲で,しかもシングルカットされて世界的にも大ヒットします。これはBeatlesの曲全部の中でも屈指のヒット曲です。ラジオのオンエア再生回数だったり,カバーされた曲という意味で,Beatlesの代表曲の一つになっております。
イギリスの港町に生まれ集まった4人の若者。その4人がそれぞれ若い頃に切磋琢磨して刺激を与えたっていうところがあると思うんですけれども,特にJohn LenonとPaul McCartneyという二人の先輩の凄さに,バンド活動の前半は圧倒されていたGeorge Harrisonが,しかし後半になって,どんどん才能を磨いてゆく。
そしてBeatles活動の最後の年である1969年にはシングル曲を書くようになります。結果Beatlesの曲の中でも指折りの代表曲「Something」という作品につながってゆく。そしてそれを録る際のベースの音色や,いろんなところでメンバーが支えて,一方Ringoのドラムは最高ですし。バンドのメンバーは仲が悪くなってゆく中で,しかしそれぞれが曲を良くしようとせめぎ合う。それが1969年のBeatlesの姿だと思っておりますね。
■疲弊の先の決断
Beatlesが解散した理由は諸説あると思うけど,解散前に作った会社「Apple」。会社を作った当初は夢に満ちていた。ミュージシャンのための会社を作るんだというアイデアのもと,世界中から面白いデモテープを募集したけど,まァろくなミュージシャンが見つからなかった。ミュージシャンが会社を経営するという事はこの当時は初めての事で,一方会社経営の上で誰を財務担当にするかで結構揉め事が起きて。。その頃いろんなバンドの世話をしていたAlan Clainに財務管理を任せたいという案がでる一方で,Paulは「この人では嫌だ」とか。そういうその会社の庶務によりメンバーは疲弊してゆく。
Beatlesの周りを回っていた莫大な資金。1967年あたりまではこれをBrian Epsteinというデビュー当時以来のマネージャーが行なっていた。でも彼がいなくなり,メンバーがインド行ったりして,なんやかんやしてる間にメンバーそれぞれに奥さんができて,奥さんの意見もある。「俺は嫁といるほうが楽しい」「俺もソロ活動始めたい」とかいろんな意見が出る中で,会社が絡んで弁護士が絡んで険悪な空気になっていった。
Paul対他の三人みたいな関係になったり,一方Paulは「弁護士が信用できない奴だぞ,お前ら騙されてる」って言うし,一方でPaulの親族みたいな人が来る「いやいやPaulの奥さんの仲間にヤバいヤツがいるよ」とかそういうことでBeatlesがギクシャクしていた。 そんな中で作ったアルバムが「Abbey Road」。
■バンド最後の日
この「Abbey Road」の有名なアルバムジャケット。4人が横断歩道を歩くジャケット写真を撮ったのは1969年8月8日金曜日の朝。この日にメンバー4人が集まってPaulの提案に従いあの有名な横断歩道の写真は撮られた。
この写真にもエピソードあります。元々はスタッフにEverestっていう銘柄のタバコを吸ってる人がいて,メンバーは「次のアルバムのタイトルはEverestでええやんか」ていうアイデアもあった。でもネパールまで行ってエベレストの前で写真撮ろうって一瞬盛り上がったんですけど,
「ネパール行くのもしんどいし嫌やな」
ってなって。
「そんなもん近所で撮ろう」
って逆になって。ロック史にのこる写真はこういう経緯で決まり,そしてIan McMilanっていう方が撮影したんです。
結局1969年の8月20日夜にメンバー全員が EMI レコーディングスタジオ(Abbey Road studio)に集まる。その1969年8月20日夜が,Beatlesが全員でスタジオに集まる最後ということなんですよね。
その時期には1月にレコーディングカメラ回しながら録った「Get Back Session」や「Let It Be」やいい曲のストックはあったものの,敏腕プロデューサーGeorge Martinの指揮で進んだ「Abbey Road」のほうが先に完成。結局今から四半世紀前,1969年9月末に「Abbey Road」がリリースされる。
その後はビートルズはめったに全員では集まらなくなっていった。John LenonはGive Peace Chanceっていう曲を1969年7月4日にソロでリリース,10月20日にCold Turkeyリリースというところですね。
この時代はJohnはYokoと一緒に平和運動を始めてました。「War is Over/戦争は終わった」あたりの時期には,世界の指導者にどんぐりを二個送りつける「どんぐり運動」を始めたり,ベッドの上でインタビューなんかして,Yokoと二人の活動が目立っていった。僕らぐらい影響のあるアーチストがメッセージすることで,マスメディアもなんやかんや変なことしてるって事で,それが世界の平和につながるという。そういう平和活動がJohnにとってのメインになっていく。
1969年にはBeatlesはまだあった。でも1969年1月4日にGive Peace Chanceていう曲を出して,JohnとYokoの活動を始めていく。
8月にアルバムの曲を録り終わり,9月の終わりに入って録ったのがシングル版Abbey Roadの B 面「Long One」と呼ばれる長いメドレー形式の曲で,これが最終的にBeatlesとしての最後の作品ということになるんです。
「Long One」にJohnが作った曲の断片やPaulが作った曲の断片やを重ね合わせて四人最後の協力作品を作ったのが1969年の夏。録り溜めた余ってた曲をどうしようかなと思っていたところBeatlesが解散するってなった時に,周りのスタッフが各自持っていた曲をバラバラにスタジオに入ってアルバム「Let it be 」に収録した。それをリリースしたのが1970年5月の「Let it be 」 というアルバムです。
1969年7月には当時既に仲が悪くなってたり,色々してるメンバーのドキュメントビデオも映像作品として発表された。だから1970年もBeatlesは一応続いているんです。ですけど実際は1969年夏に四人一緒に集まる機会は終わっている。
最後のアルバム「Let it be 」には Let It Be とかthe Long and Winding Roadとか世紀の名曲がたくさん入ってました。70年代のスタートとなるはずだったシングル曲Get Backも入ってます。
日本人のファンもこの時期は何が起こったのかわからず混乱していた。今みたいにインターネットがない時代,情報は錯綜する。そういう状況でした実質的には1969年末リリースの「Abbey Road」っていうアルバムがBeatlesのラストアルバムだといわれてます。その最後にあるメドレー曲「the End」は素晴らしいメドレーなんですけど,このメドレーが一番最後のセッションという事になります。次年も続けていこうとしてたという説もあります。メンバー各自が構想していたいろんな表現が入ったこの楽曲,単にアルバムとしての「the End」の意味であったという説もありましたが,メンバーとしての最後のセッションという事になります。
Ringo Starrが初めてのドラムソロ,Paul McCartney,George Harrison,John Lenonがそれぞれギターソロを回して「the End」ということで曲で終わる。メンバーは次の活動に入ってゆきました。
ーライムスター歌丸のAfter6Junction, TBSラジオ,Android文字おこし

ty6uy56uyt5455 pc































posted by datasea at 04:43| Comment(0) | # 詩・小説・著書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: