2019年09月16日

エフライム工房: 奈良・酒船石遺跡の暗号〜ゲマトリア数秘術,ダニエル書黙示録

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『私だけの古代史 酒船石編』
第12章 イエスの再臨
1. ダニエル書
私だけの古代史も最後を迎えた。
酒船石と言う奇妙な石造物の謎が、今日、完全に明かされるのだ。
酒船石は、実に多くのファクターから成り立っている。
従って、それだけ多くのアプローチを可能にしているのだが、それが酒船石が謎に満ちている所以である。
けれど、謎解きの正解は一つしかない。酒船石に対して多くのアプローチは可能だが、それらが単独では謎解きの鍵とはならないのだ。
さらに、謎が封印されていたということから、そこに、この謎解きの難しさが理解されるだろう。
一人先生にのみ、酒船石の謎解きは可能だった。その理由は、先生には総合する能力があることと、封印を解く鍵を手にする資格があったということになる。その資格とは何かと言うと、自分が導かれていると素直に感じる心である。だから、先生は、本やテレビからのちょっとした情報を、自分のために備えられたヒントとして掘り下げ、深く追求する。その時の集中力は、凡人には絶対に真似のできない凄(すさ)まじさである。
さて、今日の講義は七倍罰の詳細ということで、『ダニエル書』に書かれている数字の謎に迫ることになる。
『ダニエル書』というのは、新バビロニア王国のネブカデネザル2世に仕えた、ユダ族の虜囚ダニエルのエピソードを綴ったものである。
第一章から第六章までのエピソードは、ダニエルがいかに神の霊と共にあったかを記している。
ダニエルはベルテシャザルと呼ばれ、ネブカデネザルの息子ベルシャザル王にも仕えたが、いずれも博士の長として、国の第三の司としての地位に挙げられた。新バビロニア王国がダニエルの預言のようにペルシャとメデアに分裂すると、ダニエルはメデア王のダリヨスに仕え、120人の総督の上に立つ3人の総監の一人に数えられた。ダニエルは事実上の長官として王の信任を得たが、他の総監や総督の謀(はかりごと)によって、無実の罪で獅子の穴に投げ入れられた。しかし、獅子はダニエルを害さなかったので、逆にダニエルを訴えた者たちが妻子と共に獅子の穴に投げ入れられた。
 このようなエピソードの後に、第七章からダニエルの見た幻が語られるのである。
幻は、後の時代に起こる国の興亡とエルサレムの荒廃が、さまざまな象徴によって示されたものである。
しかし、象徴によって示されたはずのものも、末の日に起こるものを象徴するという、言わば二重の象徴という形式を備えているのである。
従って、最初の象徴を読み解いても、その答えが象徴する第二の答えに窮することになる。
どうして難解な二重の象徴によっているのかというと、書の最後にあるように封じられているからである。
ダニエルは明らかに象徴の意味を知ることができた。
けれど、封じることを神に命じられていたので、二重の象徴という構成を取って書き記すことになったのである。
だから、ダニエル書の象徴が読み解かれたときは、末の日が迫っているということになる。
また、ダニエル書には意味不明の数字が登場する。
その数字の意味が理解されないとダニエル書を読み解いたことにはならないが、いたずらに数字の謎を追い求めても象徴を読み解くことにはならない。このように難解なダニエル書だが、読者と共に一部を読んでから、先生の謎解きを再現しよう。でも、できるなら、ダニエル書を全部読んでから謎解きに臨んで欲しいけどね。
■ダニエル書の謎解き
第七章から、ダニエルの見た幻の解き明かし
「第四の獣は地上の第四の国である。これは全ての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。十の角はこの国から起こる十人の王である。その後にまた一人の王が起こる。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。彼は、いと高きものに敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。しかし審判が行われ、彼の主権は奪われて、永遠に滅び絶やされ、国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。」
 第八章から、二人の聖者の会話
「常供(じょうく)の燔祭(はんさい)と、荒らすことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻に現れたことは、いつまでだろうか」「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」
 天使ガブリエルの言葉
「あなたが見た、あの二つの角のある雄羊は、メデアとペルシャの王です。また、かの雄山羊はギリシャの王です。その目の間の大きな角は、その第一の王です。またその角が折れて、その代わりに四つの角が生じたのは、その民から四つの国が起こるのです。しかし、第一の王のような勢力はない。彼らの国の終わりの時になり、罪びとの罪が満ちるに及んで、一人の王が起こるでしょう。その顔は猛悪で、彼は謎を解き、その勢力は盛んであって、恐ろしい破壊をなし、そのなすところ成功して、有力な人々と、聖徒である民を滅ぼすでしょう。彼は悪知恵をもって、偽りをその手に行い遂げ、自ら心に高ぶり、不意に多くの人を打ち滅ぼし、また君の君たる者に敵するでしょう。しかし、ついに彼は人手によらずに滅ぼされるでしょう。先に示された朝夕の幻は真実です。しかし、あなたはその幻を秘密にしておかなくてはならない。これは多くの日の後にかかわる事だから」
 第九章から、天使ガブリエルの言葉
「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。それゆえ、エルサレムを立て直せと言う命令が出てから、メシヤなる人の来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは絶たれるでしょう。ただし、自分のためにではありません。また来るべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終わりは洪水のように臨むでしょう。そしてその終わりまで戦争は続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒らす者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終わりが、その荒らす者の上に注がれるのです」
 第十二章から、ダニエルの質問と天使の言葉
 わたしは、かの亜麻布を着て川の水の上にいる人に向かって言った、「この異常なできごとは、いつになったら終わるでしょうか」と。かの亜麻布を着て、川の水の上にいる人が、天に向かって、その右の手と左の手を上げ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去るときに、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、私は聞いた。私はこれを聞いたけれど悟れなかった。私は言った、「わが主よ、これらの結末はどんなでしょうか」。彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終わりのときまで秘し、かつ封じておかれます。多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪いことを行い、一人も悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。常供の燔祭が取り除かれ、荒らす憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。しかし、終わりまであなたの道を行きなさい。
あなたは休みに入り、定められた日の終わりに立ってあなたの分を受けるでしょう」
「今日は、酒船石の謎解きに欠かすことのできない『ダニエル書』の解読から始めます。最初に、石井さんにダニエル書を読んだ感想を聞いておきましょうか」
「はい、ダニエルの見た幻のうち、実際の歴史に沿う形で、パレスティナの国々の興亡があったように思いました。特に、ギリシャが分裂して、ギリシャ、マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウス朝パレスティナの四つの国に分かれたことは幻の通りです。さらに、マケドニアのアレクサンダーやプトレマイオスのクレオパトラと推定できる人物が登場することで、後の時代の、ローマによる古代ユダヤ国家の滅亡が暗示されていることが分かります。しかも、メシアとしてのイエスの死も語られています。でも、全体としては抽象的な表現が多くて、特に数字に関してはまるで分かりません」
 先生はそう言うと、私に考えるように促した。けれど、私には何も分からなかった。先生は何を言いたいのだろう。そのように困っている様子を見て、先生は再び語り始めた。
「酒船石とダニエル書には同じ数字が出てきます。たとえば、7週と62週を足すと69週になります。石井さん、酒船石には69という数字が登場しましたね」
「あっ、そう言えば、酒船石には69度という角度と、二倍した138という数値が寸法として出てきます」
「三分の一の23という数字を忘れていませんか」
「23?ああ、2300の夕と朝の間の!」
「2300は69の33.3333…倍で、聖数の3がどこまでも続くことになるのです。それだけではありませんよ。酒船石の頭部の内寸幅は63センチでした。これを4倍してみて下さい」
「えーと、63掛ける4は252です。そうか、七倍罰の2520年ですね」
「そうです。でも、どうして同じ数字が登場するのか?その理由は、69の半分の34.5がエルサレムの冬至の南中高度だからでしょうか?それとも、63センチは1.2神聖キュビトだからでしょうか?実は、この答えにはイエス・キリストが関係しているのです。でも、その前にダニエル書の数字の謎を明らかにしておきましょう」
 先生はそこまで語ると、何かを飲みたそうに瞳の顔を覗いた。瞳は冷蔵庫から野菜ジュースを出してコップに注いだ。真っ赤なトマトの色は、イエス・キリストの血のように感じられた。そして先生は一気に飲み干すと、謎の核心を語り出した。
「ダニエル書の八章には、一人の偉大な王が登場します。そして、この王のときから2300の夕と朝の間、エルサレムの苦難が続くとあります。だから、この偉大な王が誰を指すのかを知らなくてはなりません。でもそれは簡単ですね。石井さんが言ったように、この王はアレクサンダーに違いありません。従って、紀元前332年のアレクサンダーのエルサレム入城から2300年間とカウントできるのです」
 私は、頭の中で素早く計算した。前332年に2300年を足すと何年になるのか。それは、1969年である。
「先生、1969年ですね」
「では、1969年にどのような意味があるのでしょう?そう、下二桁が69というイエス・キリストを象徴する数字になっていますね。従って、この年は末の日の基となるのです。そして、メシアが来る迄69週が定められているのです。でも、69週を単純に483日として計算するわけではありません。1週を1年として計算するか、1日を1年として計算するか迷いますね。従って、ここでもフラクタルの原理を応用するのです。すなわち、69週の場合もあり、69日の場合もあり、69年の場合もあるのです。ただし、ダニエル書では最後の1週を足して70週に数えられています。これはどうしてかというと、暦というのは数え年のような性格を有しているからです。70週の半ばとは、69週とプラスアルファであり、実質69で計算して構わないわけです」
「では、69年として見ると、1969+69=2038年ですか?」
「そうですね。単純に計算しても良いのですが、1969年が69年間の最初の1年目と数えると、2037年が正解となります」
「それはどうしてですか?」私は少しばかりムッとして質問した。
「それは、2037年にイエスの再臨が期待されるからです」
 私は、イエスの再臨が具体的な暦として提示されたことに戸惑った。世界中の聖書学者や、神学者や、教会関係者が血眼になって捜し求めているイエスの再臨の時期が、地位も名もない一人の日本人によって明らかにされたからだ。これが事実なら、確かに先生は天才である。先生の才能は、神が与えた賜物なのだから、私のような凡人には計り知ることができない。先生がイエスの再臨を2037年と断言するからには、先生には余程の根拠があるに違いない。
「先生、どうして2037年と分かるのですか?」
「それは、クフのピラミッドの解析や、聖書の数字の解読など、僕が体験した幾つもの謎解きの結末が、一致して2037年を指すからです。ただし、2037年は、巳年の西暦33年のイエスの磔刑から、2千年後の初めての巳年に当たります。ノアの洪水やイエスの磔刑など、ヤハウェに関わる重大事件は巳年に起こっています。だから、イエスの磔刑から2千年後の初めての巳年に、我々は関心を寄せるべきでしょう」
「先生、ヤハウェは蛇で象徴されているからですか?」
「その通りです。でも、巳年に最初から注目するのは邪道かも知れませんよ」
「先生、それって、蛇(じゃ)と邪(じゃ)をかけたんですか」瞳が突っ込みを入れた。
「邪道って、マムシに象徴される悪魔の方の蛇の道を指すからね。だから毒蛇の柄(がら)から取って、ヨコシマって読むんだよ」先生はすまして答えた。
「じゃ、休憩にしましょうか」瞳は笑いながら立ち上がった。
■鏡の法則
 休憩の間、私は七倍罰の起点について考えていた。前603年がエルサレム解放から逆算したものだとしたら、起点を何年に置くのが正しいのだろうか。先生がイエスの再臨の年とした2037年から逆算すると、単純計算で前558年となる。これは前586年の第一神殿の破壊と、前538年のエルサレム帰還の間に当たり、バビロンの虜囚の真っ最中である。やはり、起点とするにはインパクトが弱い。もしかして、2037年という暦の設定に無理があるのではないか。そのように悩んでいたとき、先生はそろそろ出番かなという調子で話し始めた。
「前にも言いましたが、ダニエル書の数字には相関関係があります。2300の夕と朝の間と、七倍罰の後半部分、1260年プラスアルファの1335年間は同じ物を指すのです。でも、石井さんが悩んでいる通り、単純な計算では絶対に関係付けることはできません。それが封印なのです。だから封印を解くための鍵が必要になります。でもその鍵は、誰でも手にすることは許されません。ある意味で、鍵を手にするための資質が問われるのです。けれど、資質とは才能ではありません。むしろ感性と言った類のものです。なぜならば、鍵は隠されておらず、誰の目にも触れているのですから。それが鍵と気が付く感性があれば、酒船石もダニエル書も容易に解き明かすことができるのです。例えば、酒船石は水が流れる構造でした。では、水から何を連想することができるでしょうか。そう、時間の流れですね。でも、それだけではありませんね。石井さん、古典文学的に何を連想しますか?」
「はい、古典で水と言うと、水鏡があります」
「そうですね、水鏡は天界を映す鏡ですね。この鏡をどのように用いるのかと言うと、まず、鏡という文字に注目します。鏡の旁(つくり)には、境という意味があります。鏡が接する境から、像は反対側に展開されます。では、鏡に映るものが像ではなく、時間だとしたらどうでしょう。古代に遡ると、鏡の世界では逆に未来となります。例えば、西暦元年に鏡を立てた場合、前3年は後4年に映し出されます。紀元後の方が1年多くなるわけです。これを鏡の法則と言います。従って、前701年のエルサレムの包囲は、紀元後何年に映し出されるでしょう。さあ、あとは簡単ですね」
 先生はそう言って、私に考えさせた。前701年のエルサレム包囲が鏡の法則では後702年となる。これは、紀元前ゼロ年が紀元元年になるからだ。紀元元年に鏡を立てたのだから、元年プラス701年と計算される。だから702年となるのだ。すると、702年に1260年、1290年、1335年を足して行けば良いから、答えは1962年、1992年、2037年となる。ああ、やっぱり2037年で良かったのだ。
「先生、1335日目は2037年です!」私は、先生を少しばかり疑ったことも忘れて感激していた。「鏡の法則かぁ、先生、やるじゃん!」私は心の中でそう叫んでいた。酒船石黙示録図参照(図をクリックすると別ウインドウで精細な画像が出ます)
   4. 荒らす憎むべきもの
「酒船石は、中央の凹みが138センチとなっていて、69の二倍になっていました。ということは、これは凹みの中央を境にして見ることを指し示しているのではないか。そこで、この位置に鏡を置いたとして年表を見ると、頭部側の端は前701年のエルサレムの包囲になります。酒船石の寸法に従えば、前702年として1年のずれが出てきます。実際、これが味噌だった訳ですね。前702年を線対称にすると、面倒な計算をしなくても後702年が出てきます。要するに、楕円の反対側の端が後702年となるわけです。あとは聖書の知識があれば、長楕円に続く135センチの溝が1335年を意味することに気が付く訳です。実際、寸法を正確に暦に直すと、長楕円の半分は690年、これに1350年を足すと2040年になります。2037年との差の3年は、3ミリしかないので誤差の範囲でしょう。それよりも、酒船石は聖書の知識がある人が解析するという前提で造られた物だと思います。だから、寸法を杓子定規に暦に換算するのではなく、聖書の奥深さを翻訳するという態度が好ましいのではないでしょうか」
「先生、私にも分かりました。聖書では、七倍罰とは言いながら、3.5倍罰プラスアルファの1290日とか、1335日とかの、七倍罰の後半部分だけを強調していた訳を。要するに、末の日に関わるものだから、起点からの単純計算では表現できなかったのですね。十字架を挟んで新約と旧約の神が同じという鏡の性質を見極めれば、七倍罰の起点も自ずと鏡に映し出される仕組みになっていた。そういう解釈で良いのでしょうか」
「そうですね、七倍罰が単純な2520年と算出されるのなら、封印も何もないわけです。封印しながらも、知恵のある人には読み解くことができるように仕組まれている。そういう意味では実に恐ろしいと思います。いたずらに数字の謎解きに走る人は、永遠に真理から遠ざけられたままで終わるからです。でも、ダニエル書にはまだ謎が残っていますね。それは、荒らす憎むべきものと表現されるものです」
「先生、それは立てられたものなんですね?」
「そう書いてありますね」
「ではそれは、異教徒の神殿や教会を指すのですか?」
「僕も最初はそう思いました。でも今は違います…」
 先生は言葉を切り、少しばかりの決断をする表情を見せて続きを語り出した。
「エルサレムの荒廃に目を向けると、必ずしも異教徒の侵略に原因を求める必要はありません。むしろ、神に背いたイスラエルの人々に原因があるのです。その典型がソロモンの背教であり、民への重税です。
民に過酷な税を課し、神殿と宮殿の建築に情熱を傾けたソロモンは、エルサレムの荒廃を招いた張本人なのです。
だから、荒らす憎むべきものとはソロモン神殿に他ならず、エルサレムに近い将来造られる第三神殿がソロモン神殿を雛型にしている以上、
ここから末の日の本当に最後のカウントダウンが始まるのです。
石井さん、前966年のソロモン神殿の建造開始に、七倍罰の2520年を足してみて下さい」
「えーと、西暦1555年です」
「では、69週の483日を483年として、さっきと同じように計算してください」
「1555年から483年目は、…あっ、又しても2037年です」
私は、2037年の三度目の出現に本当に驚いていた。
「483日から一年360日を差し引くと、123日が残ります。これは、藤ノ木古墳の副葬品の金銅製帯の幅123ミリに関係しているのかもしれません。金銅製帯とは、古代イスラエルの預言者が締めていた帯の象徴です。すると、藤ノ木古墳は、ダニエル書を証しするために封印を解かれて、この末の日に蘇った事になります。エルサレムに荒らす憎むべきものが立てられるとき、シバの女王を代表とする、諸国の王からソロモンに贈られた金666タラントの数字の意味が明らかになるのです。すなわち、ソロモン第三神殿に玉座を据える独裁者が、ヨハネの黙示録に666で象徴されている獣だということが。そして、この時から最後の一週が始まり、週の半ばの3.5日目に、イエスを雛型とした預言者は絶たれるのです。それから、イエスの再臨まで、ひと時とふた時と半時があるのです。その時が3.5のフラクタルとして展開されるとき、それが3日半なのか、3週間半なのか、3ヵ月半なのか、3年半なのか、人は知ることになるのです」
■ゲマトリア
 こうして、酒船石の謎は、聖書の封印された謎と共に明らかにされた。
残された謎は、酒船石に69という数字が刻まれている理由である。
先生はそれを、イエス・キリストに関わるものと暗示している。
イエスと69という数字の関係は、聖書学的な対象では有り得ない。
なぜならば、聖書を研究している人で、69という数字に特別な意味を見出しいているのは先生だけなのだから。
先生は一体どういう手法を用いて、この最後の謎を解明するのだろうか?
「酒船石の謎解きも、いよいよ最後を迎えました。
謎解きのフィナーレは、予告通りに、ゲマトリアという数秘術を用いて行います。ゲマトリアというのは、3×3の升目を1から9までの数字で埋めたもので、縦、横、斜めの数字を足したものが全て15になる配列です。瞳ちゃん、中央が5のゲマトリアを出して下さい」
「はい、七五三ですね」瞳はそう言って、次のような升目を示した。図−35−A〜C↓
「さて、これは中心が5で、縦、横、斜めの合計が15になるゲマトリアです。数字を全部足すと、中心の9倍となります。この場合は45ですね。中心を6、7と変えると、合計がそれぞれ54、63というゲマトリアが出来上がります。
 中心が5のゲマトリアの場合、左右を入れ替えても、上下を入れ替えても同じように思えますが、実はAのオリジナル形に深い意味が隠されています。石井さん、升目を縦に柱として見て、何か気が付きませんか」
「えーと、右の柱の276は、69の4倍です。あっ、ここでも69が出てきました」
「そうですね。69を半分にした34.5という数字は、エルサレムの冬至の南中高度だけではなく、ノアの洪水の起こった聖書紀元1656年に関係していましたね」
「はい、34.5×48(4世帯8人)=1656でした」
「では、今度は斜めの456に注目し、同じ48で割ってみましょう。答えは9.5ですが、この意味は何でしょう?」
「分かりました、ノアの950歳です」
「そうですね。このように見て行くと、もう一方の斜めの数852は71×12でウルの太陽角度が出てくる。まるで子孫のアブラハムがウルに住むことを予言しているみたいだね。さて、話を戻しましょう。69はアラビア数字ですが、その形から陰陽道における二つ巴(図36↓)を意味し、旧約と新約の神が同じであることを表しています。すなわち、イエス・キリストを指す数字ということになります。生命の樹において、三本の柱のうち、右の柱はイエス・キリストの柱でした。ということは、このゲマトリアも右の柱がイエス・キリストの柱ということになりませんか」
             図−36 二つ巴 飛鳥氏の著書より
「でも、左右を入れ替えることもできます。この配列の必然性が示されなくては納得できません」
「確かに、その通りでしょう。では、奇数の数字だけを見て下さい。どうなりますか?」
「はい、奇数だけを見ると…、あっ、十字架が構成されました」
「そうです。十字架が構成されるということは、ゲマトリアにイエス・キリストにかかわる奥義が隠されていることを意味します。例えば、十字の頭の部分は9ですが、9という数字は救世主のシンボルだと学びましたね」
「はい」
「ということは、このゲマトリアの配列は、救世主であるイエス・キリストを象徴していることになるのです。その証拠を示しましょう。石井さん、十字架の部分の数字を、大きいほうから順に見て行ってください」
私は、十字架の数字を大きいほうから見て行った。
すると、それは頭の部分からジグザグにつながっていた。
図−37 ↓
「先生、ジグザグというかアルファベットのZの字に見えます」
「分かりましたか。ジグザグはイエスの象徴である雷を、Zはイエス自身を指す最後の文字を意味するのです。
イエスは自らを『始めであり終わりである』と語ってます。
終わりを意味する言葉は、ギリシャ語の聖書ではオメガですが、アルファベットではZになるのです。
だから、この配列以外はイエス・キリストを象徴するとは言えない訳です。
さらに、このゲマトリアは隣同士を結ぶと、57、58、79、17、51という数字が見つかります。
これらの数字は、太陽角度として登場したものです。ここに、太陽神としてのイエス・キリストが数字で象徴されていることになるのです。だからこそ、太陽の直径は6957000kmと、69と57というエルサレムの太陽角度で説明が付いてしまうのです」
「先生、分かりました。私は、何かとても感動しています。このゲマトリアがイエス・キリストに関わるからこそ、右の柱に象徴されるイエス、すなわちヤハウェの起こしたノアの洪水に関わる数字や、聖都エルサレムの太陽角度が右の柱に現れるのですね」
「そうです。でも、ゲマトリアの奥深さは、まだまだこんなものではありませんよ」
先生はそう言うと、少しばかり遠くを見る目になった。
中心数7のゲマトリア
「ゲマトリアというのは、中心の数字を変えると、別のゲマトリアになります。
例えば、中心を6にすると、縦、横、斜めの数字の合計は18になります。
18というのは、6+6+6ですから、悪魔の象徴の666になるわけです。
この場合、偽キリストの十字架は偶数で構成され、頭の部分は10ということになります。
これが、ヨハネの黙示録に記される‘この世を滅ぼす獣’が持つ、10本の角として象徴されるものの正体なのです」↓ 図−38
図−38
「このゲマトリアをよく見てください。救世主の象徴である9が、何と左下にあります。これは、救世主を足下に踏みつけるという暴挙を表しているのです。偶数の十字架は、西暦の偶数年に‘世を滅ぼす獣’がしるしを見せる事をも意味します。悪魔が勝利する年が偶数年なのですね」
 そう言えば、今年(2002年)は冬季オリンピックやサッカーのワールドカップで、目に余る不正なジャッジが横行したり、発言力の強い国家がやたらに戦争をしたがったり、自分たちに都合のいいルールを作ったプロ野球チームが圧勝したり、まさにサタンが勝利した年だった。私も、先生に出会わなかったら、絶望的な日々を過ごしていたかもしれない。
「このように、中心が6のゲマトリアは偽キリストの象徴となりますが、中心が聖数7のゲマトリア(↓ 図−39)こそ、我が酒船石の最後の姿なのです。奇数の十字架部分を見てください。酒船石の三本の溝が構成する角度の57がありますね。そして同様に、益田岩船の穴が73度と79度に穿たれていた理由も、十字架から分かるでしょう。
図−39
さて、酒船石の頭部は左右(南北)対称ではなく、
内寸幅で北側35cm、南側28cmとなっていました。
僕が酒船石を解析し始めた頃、最初に疑問に思ったのは、実はこの寸法の意味です。35pも28pも7の倍数です。それは理解できました。でも、どうして7の倍数なのか、その必然性に苦しんだのです。まあ、そのお陰で、神聖キュビトが7.5cm×7だと分かったのですが、それでも頭部の非対称の理由が分かりませんでした。でも、今は完全に理解しています。それは、酒船石の頭部には、内寸幅の63cmで7×9を暗示し、中心が7で九つの枠の合計が63となるゲマトリアを連想させる目的があったということを。左右対称だと、誰も7cmの倍数で造られていると気が付きませんからね。実に、酒船石の九つの凹みは、ゲマトリアの九つの枠に対応していたわけです。もっとも、今は欠損して見えない凹みもありますが、それもちゃんとした理由があって欠損しているのです」
先生の話では、酒船石の欠損には、欠落させるべき理由があると言う。
一つには、『ゼカリヤ書』3章8〜10の記述である。
そこには、こうある。
「大祭司ヨシュアよ、あなたも、あなたの前に座っている同僚たちも聞きなさい。
彼らはよいしるしとなるべき人々だからである。見よ、私は私のしもべなる枝を生じさせよう。万軍の主は言われる、見よ、ヨシュアの前に私が置いた石の上に、すなわち七つの目を持っているこの一つの石の上に、私はみずから文字を彫刻する。そして私はこの地の罪を、一日の内に取り除く。万軍の主は言われる、その日には、あなた方はめいめいその隣人を招いて、ぶどうの木の下、いちじくの木の下に座すのである」
 大祭司ヨシュアとは、モーセの次の預言者でエフライムの子孫である。この記述は末の日に主がなさることを告げたもので、いちじくの木はエフライムの象徴となっている。要するに、酒船石は七つの目を持つ石として、エフライムの子孫が末の日に備えられることを証しているのである。あるいは、先生もその一人かもしれないが。
 それにしても、酒船石がゲマトリアを構成していたとは驚きである。でも、先生はどうやって、この不可思議な謎に満ちた石造物を、ゲマトリアで説明し得るのだろう?私は、期待と共に、固唾を飲んで次の言葉を待った。
「中心が7のゲマトリアは、奇数の十字架の部分の合計が35になります。残った偶数部分の合計は28。これらは酒船石の頭部の凹みの、内寸の幅に見られます。また、縦、横、斜めは、足すとそれぞれ21になりますが、これらを全部足すと168になり、高松塚の鏡などの16.8cmの説明となります。
 さて、酒船石の凹みは、欠損部を含めると九つで、7のゲマトリアに置き換えられます。7のゲマトリアは、十字架の頭の部分が11となっています。これを酒船石の頭部の凹みに当てはめて見ましょう。瞳ちゃん、酒船石のパターンとゲマトリアをミックスしてください」
「はい、最初は11が頭のやつですね」瞳は、要領良く酒船石ゲマトリアを展開した。図−40−A〜C ↓
図−40−A  
「さて石井さん、このゲマトリアを見て何か気が付きませんか?」
「はい、ノアの箱舟を象徴する凹みに、ノアの家族数と同じ8が入っています」
「そうですね。それから、イエスを象徴する9が欠損部に置かれることになりますね」
「先生、ということは、イエスが今現在はいないことを表しているのですか?」
「ご明察。一番下の3も天の三神を表しますから、やはり不在のため欠損部に置かれます。けれど、この配置はもっと深い意味が込められているのです。例えば、頭部の11という数字に注目しましょう。この数字は、ヨセフの亡くなった110歳を連想させます。従って、ヨセフの亡くなった前1722年からの暦として考えてみましょう。ここで大事なのは、十字架を構成する五つの数字のうち、欠損部に置かれる5と9です。イエスの磔刑のときの十字架は、頭の部分のないT字形のものでした。そこで、ここでもT字を構成する四つの数字を用います。これを縦、左右の順に3759と並べます。欠損部の数字が後になりますね。さて、十字架の頭が無いのですから、何かを足して十字架を完成する必要があります。この場合は、頭に関係する数字を足せばいいですね。具体的には、3759を年数と仮定して、先のヨセフの亡くなった前1722年を足してみてください」
 私は、3759年+(−1722年)と素早く計算した。そして、出てきた答えに四度驚くことになった。なぜならば、その答えこそ、あの2037年だったからである。
■預言されていた謎解き
 私は、ゲマトリアというものを、数字を使った占いやそれに類するオカルトと考えていた。
だから、余りの奥深さに畏怖すら感じ始めていた。
だが、7のゲマトリアに関して、先生はまだ言い足りないことがあったのだ。
「今まで説明した酒船石の7のゲマトリアは、頭部を上にしたものでした。
酒船石を人体にたとえて見るのだから、それは自然ですね。
でも、酒船石にはパレスティナの地図としての、頭部を下にした逆さまの姿もあります。
今度は、その逆さまに数字を当てはめて見ましょう。
瞳ちゃん、今度は逆さまのやつを出して下さい」そう言って、頭が3になっている酒船石のゲマトリアを説明し始めた。↓ 図−41 
図−41
「このゲマトリアも、ノアの箱舟に相当する凹みに、ノアの洪水時の年齢600歳を暗示する6が置かれています。
それから、イエスの不在を示すように、9の数字はやはり欠損部に置かれています。
 さて、酒船石は水が流れる構造でした。しかも三本の溝の中で、造られた時点から見て未来を指し示していたのは真中の溝だけでしたね。
そこで今度は真中の溝に注目し、水が流れる方向に沿って数字を並べて暦を作ります。
すると3711年となります。
これにまたヨセフの亡くなった前1722年を足します。
ヨセフから3711年後という計算ですね。石井さん、答えは何年ですか?」
「はい、3711年+(−1722年)は1989年ですが、この年はもう過去になります。先生、一体この年に何があったのですか?」
先生は、私の質問にすぐに答えないで、しばらく間を置いた。そしておもむろに口を開いた。
「西暦1989年。この年は、僕の古代史が始まった年であり、酒船石に興味を抱いた年でもあります。
僕の古代史は、酒船石に預言されていたのです。しかし何より、この年から平地をシンボルとする平成が始まりました。
実に、エフライムの奥義が明らかにされる基が、1989年に置かれたということになります。
思えば、上ナイルのSを頭文字とする昭和天皇が、酒船石の7のゲマトリアを暗示する一月七日に亡くなったのも、天の計らいだったことになります。昭和が63年で終わったのも、酒船石の頭部の63pに呼応しているように思えます。この年に注目された藤ノ木古墳の径48を、1989年に足しても2037年になります。時代は、下ナイルに象徴されるエフライムの時を迎えるのです。元号のように、あるいは生命の樹に見られる慈悲の柱(頭が平)のように、平らかに成すというイエス・キリストの預言の成就が待ち望まれるのです。高い山が崩れ去り、人々は上下関係による支配から解放されます。愛と自由の本質が明かされる時、僕の古代史も正しい評価を得られるでしょう。でもそれまでは、僕は僕の道を行くしかありません。僕は、自分が幸福な時をすごす事ができたことを感謝します。石井さん、そして瞳ちゃん、本当にありがとう」
 先生はそう言うと、涙をたたえて微笑んだ。私は、自分が受けた講義の重さに気が付き、心から先生と瞳と、初めて神に感謝した。そして、この私だけの古代史は、先生の最後の言葉で終わりを告げた。
「さて、酒船石の最後の謎は、中央の長楕円に斜めに突き刺さるように見える凹(くぼ)みです。なぜ、このようなデザインを施す必要があったのか。その理由は、ゲマトリアが明かしています。中心が7のゲマトリアは、斜めの凹みに10または4が置かれています。10は‘この世を滅ぼす獣’、4は‘死’を意味します。そして、斜めに突き刺さっているのは、イエスを貫いたロンギヌスの槍を象徴しているからに他なりません。
イエスは獣によって死を与えられましたが復活しました。
実に、復活がなかったら、この世は空しいだけでしょう。誰がこんな悲惨な世を造ったのだと文句の一つもいいたくなりますよね。
でも、復活があるからこそ、我々はこの世の苦しみを試しとして受け入れることができるのです。
やがて復活があるとすれば、人生は無駄にはできませんね。なぜならば、死によって全ては終わらないからです。死はつかの間の休息に過ぎず、その後の最後の審判によって住むべき世界が決められるのです。
だから、二人とも決しておばさんになってはいけません。オバタリアンなんてもってのほかです。年齢を重ねても純粋さを失わなかったならば、いつまでも美しいままでいられるでしょう。そして、できることなら、自分が正しいと思うことは、神に対しても取り成しを求めるような人であって欲しいと思います。神には、この世を造った責任があるのだから、どんなに小さな人の声でも、真実ならば無視できませんからね。いやむしろ、神と人との間に立って、取り成す人を待っているのかもしれませんよ。では、この講義を終わります」
私と瞳は心からの拍手を先生に贈った。先生は照れながらも満足そうに頷き、
「瞳ちゃん、モーツァルトのトルコ行進曲かけてね」と言った。
私は「クフのピラミッドの謎解きはいつするのですか?」と尋ねた。先生の答えはふるっていた。
「もう一人美人を連れてきたらいつでも」その瞬間、瞳がCDケースで先生の頭を引っ叩いた。カーン?(完)
     
エフライム工房
http://www.geocities.jp/his/atelier_efraym/saka11.htm
http://www.geocities.jp/his/atelier_efraym/saka12.htm




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