2019年07月06日

木内鶴彦霊視: 臨死体験,あの夏の日にかえる

木内鶴彦霊視: 臨死体験,あの夏の日にかえる
臨死体験
22歳当時,事件は突然起こりました。
当時私は茨城の百里基地で飛行管理という仕事についていました。
この仕事はただでさえハードなのですが,ちょうどその頃はミグ25と言う当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったために連日普段以上の仕事量とプレッシャーを強いられていたのです。
そんなハードな業務にいた1976年3月,私の体は突然悲鳴をあげました。
■余命1週間
その日夜勤についていた私は勤務終了時間が近づく夜明けの空を眺めていました。駐機場に並べられた戦闘機もその奥に見える筑波の山並みもすべてのものが一斉に朝焼けに染まり美しい景色でした。
「美しい」。。
そう思っていた刹那に今まで経験したことのない激痛が体を襲ったのです。体中の血が一気に引いて私はその場に倒れました。意識を奮い立たせて,状況が全く理解できないながらも私はそばにあったソファーに這い上がって,身を横たえました。助けを呼びたくてもあまりの痛さに声も出せません。
幸い隣の部屋で仕事をしていた別のクルーが異音に気づいてすぐに衛生班に連絡してくれました。
病院に運ばれ診察を受けましたが,私の様子を見た医者はもっと設備の整った大きな病院で手術をしなければ手遅れになると,その夜のうちに東京医科大学病院へと私を移しました。
私の病気はストレスなどから背骨と動脈の間に十二指腸が挟まれて腸閉塞を起こすという世界でも120例しか報告されていない非常に珍しい病気でした。
しかも、病気になって一命をとりとめた人がいないという大変恐ろしい病気だったんです。
日本では病名もなかったために私のカルテには担当医によって「上間肋骨動脈十二指腸閉塞」というちょっと長い病名が記されることになりました。
。。。
嘔吐した意識の中でただ聴覚だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。
そんな私に,廊下で両親に病状を説明している医師の声がまるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえてきました。
「残念ですがお宅の息子さんは持ってあと1週間でしょう。腸閉塞を起こしている事は確かですが,このようなケースはこれまでに症例もなく,検査も十分にできない状態なので,病名は分かりません。ただ言えるのは,今の状態で検査をすれば確実に済むと言う事だけです。」
。。。
■臨死体験
そして迎えた1週間目の朝。
その時の私は傍目には意識不明で昏睡状態に見えるのですが,実は意識もはっきりしていて,父と医師が話している内容も全て理解していました。父の言葉を聞いた私の正直な感想は,そうか,そういえば自分は何の病気かわかっていなかったんだというものでした
どれほどの時がたったのでしょうか,次に意識が戻った時,なぜか私は真っ暗な場所でぬかるみを這っていました。ここはどこだ。なぜ俺がこんなところにいるんだ。ベッドに横たわっていたはずの自分が暗闇を這っている。。
私の頭は混乱するばかりでした。
混乱した頭ではいずり回って,疲れ果てて,ぐったりと横たわっているときに,遠くのほうにかすかな一点の光が見えました。それはまるで暗い夜空でやってみることができ6等星ほどの明るさの光でした。
真っ暗闇の中で光を目指して進んでいくと,光は面積を広げてその光が洞窟の出口であるらしいことがわかりました。
私は洞窟から外に出ました。
外は一面の草原で後ろを振り返ると土手に大きな穴が開いていました。
暗闇から解放されましたがその草原も決して明るい場所ではありませんでした。
家の照明を小さい電球だけにした時よりももう少し暗い位の明るさです。
その暗い空の彼方に一点だけ輝いている場所がありました。その光源が全体を照らしている,そんな印象でした。
私はその光へ進みました。
しばらく歩いていくと,中国の揚子江を思わせるほどの大きな河が左から右の方へゆっくりと流れているのを見ました。
これが「三途の川」というものなのかな,と思って私は昔お年寄りから聞いた話など思い出しながら船頭を探し始めました。
探しても船頭は見つかりません。
それでも光のある対岸に何とかして渡らなければ,と思って,川べりを調べながら歩いていると,木造の小さい舟を見つけました。幸いなことに水は漏れていません。
乗って手で水をかきながら私は対岸を目指すことにしました。
ところが水を掻いても掻いてもなかなか対岸につきません。
腕が疲れて,棒のようになっています。
しかし戻る戻るに戻れない微妙な距離にあり,やはり進むしかないと,また生ぬるい川の水に腕をつっこみます。なんとか休みながらやっとの思いで対岸にたどり着いた私は舟から這い出して疲れ切った体を岸辺に横たえました。
ふと頭を見上げると15メートルほど離れたところに焚き火のような光のひらめきのみました。
そこには喪服の女性が立っています。
女性は私のところまで来ると私に向かって話しかけてきたんです。
「鶴彦,お前は何をしに来たんだ?」
何をしに来たと言われても,来たくて来たわけではないので答えようがありません。
黙っているとその女性は「ついておいで」と言って私を連れて行きました。
3人の年寄りと1人の青年が立っていました。
青年の顔をよく見てみるとその人はなんと私の中学生の時に亡くなった仲のよい従兄弟だったんです。
従兄弟は亡くなった当時の姿そのままの姿でした。私と従兄弟は,しばらく振りに会った親戚よろしく,家族の消息などを私に訪ねて,私たちはしばしば世間話に花を咲かせたんです。
。。。
■あの夏の日に帰る
私はどうすることもできない自分の肉体の事よりも,不思議な今の現象のほうに興味をそそられるようになっていきました。強く思うだけで空間を自由に飛びことができる。それも瞬間的に移動できるのです。
私は自分が6歳の時のある夏の日をイメージしました。
6歳の時に起きた事故。
私と姉は川に水遊びに行き,ちょっと危ない斜面を降りていました。
その時誰か上の方から「危ない!」という声が耳に響いて,その声の方を見ると大きな石が斜面の上から落ちてきたのです。私は大きな石が今にも姉の上にあるのを見てびっくりして,前を歩く姉の背中を強く押しました。
姉を押した反動で私は後ろにひっくり返り,その間を大きな石が転がっていきました。危ないところで姉は石の直撃を逃れました。しかし私の背中を押された姉は岩場を滑り落ちてさらに落石の辺が当たって足の指の爪を剥がしてしまいました。
私は必死になって「危ない!」という声がしたから姉を助けるために背中を押したのだと説明しましたが,付近を探しても声の主はなく,私の訴えを信じてもらえずに,結局,私のいたずらということになってしまい,ずっと悔しい思いを引きずっていたのです。
だからあの時の声の話を確かめたいと思ったのです。
「あの夏の日に行きたい」
そう思った瞬間に,私は幼い自分と姉の姿を上から見下ろしていました。
幼い日の記憶を頼りに私は声をした方を探していました。
確かにこの辺に誰かがいたはずだ。そう思っていたんですが,誰の姿もありません。
そのうちにあの瞬間が近づいてきました。
石が転げ落ち,姉がまさにその場所に足を乗せようとしたときに私は思わず叫んでしまったんです。
「危ない!」
幼い自分が私の方をぱっと見て姉の背中を押しました。
あの時の声の主は自分だったんです。
■未来に行く
1976年の病室に戻って,冷静を取り戻取り戻したところで私は再び考えました。
過去に行くことができたのだから未来へも行くことができるのではないだろうか?
そこでとりあえず「未来」と言うことだけを強く思っていました。
私は畳が敷き詰められた大広間にいました。
そこでは中年の男性が30人ほどの若者相手に何やら話をしています。
広間はとても風格ある造りで,広い床の間には幅1メートル高さ1.5メートルほどの掛け軸がかけられていました。それは何か見取図のように見えました。
人々はコの字型に座って,灰色のシャツを着た中年の男性の話を熱心に聴いていました。
私は中年の男を覗き込みました。老いていましたがそれは確かに私でした。私は朝の話を中心に地球環境の大切さをテスト大答えていました。
それを見た私は漠然とした希望を抱いたんです。
未来の自分が存在しているという事はもしかしたら生き延びられるかもしれないと思ったんです。
さらにもっと未来をと強く思うと,次に現れたのは初老の私でした。
しかし目の前にある世界は息を鮮明なものではありませんでした。それは2つの条件がまるで二重露出のフィルムのように重なるダブついた景色でした。
強く見えたのは,廃墟のように荒れ果てた大地で廃墟の石に手をかけて呆然としている私でした。
そのビジョンに重なるように見えていたもう一つの情景は,背景のビジョンよりもさらに不鮮明なものでしたが,緑の多い場所で星を見ている私でした。
二つのビジョンが同時刻の同じ場所だという事は,私の容貌と空の星の輝きが教えてくれました。
私は臨死体験の中で,宇宙の始まりから生命の発生,そして人類の歴史までを見てきました。
私の心臓が停止して蘇生するまでの時間はわずか30分です。
そのわずかな時間の間に私は膨大な時を経験したのです。
。。。
■生還
私が一命を取り留めることができたのはレントゲン撮影のおかげでした。右側を下にして「く」の字に曲げた体勢なら背骨と動脈との間にわずかですが隙間ができて,十二指腸の完全閉塞を逃れることがわかったからでした。体を曲げた状態で思いをさせることができたのもこのためです。
ー生き方は星空が教えてくれる,木内鶴彦,サンマーク文庫, 2015年8月刊,

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木内鶴彦
チュニス・木内・中村彗星
土屋・木内彗星
メトカーフ・ブルーミントン彗星
スウィフト・タトル彗星(1992年再発見)
4つの彗星を発見した世界的に有名なコメットハンター(彗星捜索家)。
1976年,突然襲った病魔と臨死体験で宇宙の仕組みと地球がたどる未来を垣間見る。
ベストセラーの単行本「生き方は星空が教えてくれる」は2015年に文庫化。

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posted by datasea at 18:55| Comment(0) | + 墓地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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