2019年06月30日

FB古代史研究会: 武蔵はなぜ熊本金芳山を死地に選んだか

FB古代史研究会: 武蔵はなぜ熊本金芳山を死地に選んだか
オリンピックを五輪と表記する元となりましたのが、宮本武蔵が、平の岩戸山で記しました、五輪書によるものです。
岩戸山では、外国の方をよくお見かけいたしますが、欧州では、大ロングセラーの本として知られているそうです。
兵庫の高砂生まれ→岡山
の宮本武蔵は、なぜ、歌詠み場がある熊本の金芳山岩戸山で五輪書を納め、生涯を閉じたのでしょう。
それは、古代に伽那人がたどった、鳥人族の
金芳山(熊本)→金鳥山(兵庫)
への道と逆の道、古今集仮名序、高砂やの歌と逆の道をたどらなければ、真名である、観自在(私は在ると観る)とは何かを知る事はできなかったからです。
熊本藩での武蔵の役職は、お伽話をお殿様に聞かせるお伽衆でした。
宮本武蔵が五輪書を書いた霊巌洞のすぐ上の、山桃の木の下で、母に宿った私ですが、武蔵の本名の藤原玄信の名を知った時、ピンときました。
岩戸山は、天(中)津神を祀る中津臣(藤原)氏の故郷の、近津宇土の宮と、同じ松尾地区だったのです。
三刀流の海賊島のあった所でもあり、宮本武蔵の型破りの剣法は、船上で戦う海賊の剣法に近いと考えています。
写真は、宮本武蔵が描いた古木鳴鵙図ですが、獲物を枝に生け贄のように刺す鵙の習性により、生(令)と死(霊)の二天の片仮名の一流(真名、令霊の和)の学びを示しています。
また、武蔵は、達磨を好んで描いていますが、目を入れる達磨は、球磨日(クマラ)の八咫鏡(八方鏡369片仮名→神鏡666真名)の目でもあります。
球磨の雉馬(金人の鳥)は、クマラと同じデザインです。
達磨が、大陸での伽那人である可能性もありますのは、金芳山には、古代に、航海に必需のインドのダイダイが植えられていた事と、坂口の実家の達磨の絵には、頭蓋骨変形が見られる事からの推察です。

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posted by datasea at 16:16| Comment(0) | V 歴史分析 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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