2019年06月24日

FB古代史研究会: 迦具土(カグツチ,香久)と邪馬土(ヤウマト,大和)

FB古代史研究会: 迦具土(カグツチ,香久)と邪馬土(ヤウマト,大和)
坂本成事
火の国(メソポタミア)の神、迦具土の首長は切られ、誰が首長かわからなくなったその分けた血は、世界人類の文明の血へと流れます。
毎日投稿しております、
お伽話は、逆に、世界人類に分けた血を集めた
百々人(桃人、五色人統合の錦織り成す人)
であります伽耶人の昔話です。
ですから、お伽話という事です。
なぜ、天之伽那(香久)人が、血を集める事ができたのかは、邪馬土(ヤウマトの神民)の馬門(ウマヤド、厩、イエスは厩で生まれたわけでなく馬門の血という事)の御門(帝)だったからです。
大和で、邪馬土(宇土)の馬門石が大王の墓石として使われますのも、オウスが、熊襲(邪馬土)タケルの名を襲名して、ヤマトタケルと名乗りましたのも、御門の血を受け継ぐためです。
ところで、景教(迦那安の原始キリスト教と釈迦の原始仏教の融合)の暗示の景行天皇と迦具(香久)漏姫も、その四世代間に、神伝での無理がありますのは、九州王朝(芳三山)と大和王朝(香久山などの大和三山)が重なる時代があって、それが重なっていないかのように、辻褄を合わせた一面もあったと考えています。
景行天皇ほどではありませんが、
仲哀天皇の皇子の香坂皇子、忍熊皇子と、応神天皇の世代差も同じです。
熊襲を滅ぼしたとしながら名を襲名し、香坂皇子、忍熊皇子を滅ぼした事にしなければならなかったのは、世界皇統の熊襲の歴史や祀りを継承しながら、二重の王朝は避けなければならなかったからだと推察いたします。
現に、景行天皇は熊襲を滅ぼしたとしながら、熊襲の地で、呑気な凱旋パレードをされていますし、滅ぼしに行く熊襲の地、火の国を、日本(ヤマト)だとおっしゃった背景もおかしな事ですし、敵であれば、河内芳野の斎園殿の東の東門寺の拝ヶ石巨石群で、景行天皇が祈られる必要もありませんでしたし、現に、私の祖先からも、滅ぼされた話など伝わってもいませんし、拝ヶ石を下った岩戸山の歌詠みは、古今伝授として、御所に受け継がれてきたわけです。
私は、後世に、その九州王朝の血を守ったのも、大伴氏が鍵をにぎる人物であり、封印したのも、大伴氏が鍵をにぎる人物であったとみています。
因みに、なぜ織田信長が、天皇をお守りする五摂家筆頭の、近衛前久に疎んじられたのかは、隠しておかねばならなかった、香坂皇子、忍熊皇子の末裔を名乗っていたからです。
細川幽斎から智仁親王への古今伝授を支えた近衛家にとりまして、サ迦具土の古今伝授は、日本人の祖先から受け継がれたものであると同時に、決して、公にしてはならぬ秘密でありました。
また、織田信長の天下人の城、安土城は、迦那安と釈迦族を統合した、香久城(迦具土)の天主という事です。
天主は、キリスト教で使われる神の呼び名です。
さらには、拝ヶ石の麓の那古井と名古屋の名は、とても似ています。
また、愛知の犬山の犬は、太郎の曲玉から丶曲と生まれ出た犬神(八百万神)を示しますが、それは、球磨人の犬神の伝承であり、滝沢馬琴の南総里見八犬伝のモチーフでもあります。
そして、玉名和水(なごみ)のトンカラリンは、地下の内部構造の寸法までが、ピラミッドと同じで、このピラミッドの布石工法は、古代半島の伽耶地方の石垣でもみられます。
また、玉名や芳山周辺の、この地に生息するはずもない獅子は、いつも載せていますタタラ水の獅子も含めまして、馬門の迦具土の首長を示すトーテムです。
そのトンカラリンにとって、星の観測などで繋がる、カムロ山と高葉山の双羽の写真は、お借りしています。

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posted by datasea at 19:21| Comment(0) | ◉ 日本神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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