2019年06月16日

金子史郎: ソドム・ゴモラの町はどこにあったのか


金子史郎: ソドム・ゴモラの街はどこにあったのか
■死海周辺の地理的景観
細長く南北に延びる死海は,東方から舌状に突き出たリサン半島によって2つの湖(北湖,南湖)に分けられる。
北湖の水深は約400m。湖底には実に800mである。
対照的に南湖の水深は数m。
湖面の高度は先ごろまで− 397mと表示されてきた。
海抜0mの等高線はガリラヤ湖の北,今は間拓されたフーレ湖近くまで伸びている。
ヨルダン川,死海の低地帯は,西側をユダ高地,東側をトランスヨルダン高原で画されて,その幅はせいぜい10〜20km。まさに大地の間である。
こうした地形はここよりも北方のレバノンあたりでも同様である。
地中海側のレバノン山系は,ベカ谷を挟んで東のアンチレバノン山系と対峙する。
この構図は北方シリアでも,またずっと南のアカバ湾を挟んでも認められる。
死海・ヨルダン谷とその南北延長状の低地帯は延長1000kmに及ぶ。
その成因は,地球規模の地殻運動の一環として理解できる。
つまりアラビアプレートとアフリカプレートが接する断層帯上にある土地である。
■ソドムとゴモラの町はどこにあったのか
ソドム・ゴモラの町は一体どこにあったのだろうか。
つい先ごろまで水で覆われていた死海南湖の湖底に今も眠りについているのだろうか。
残念であるが誰もその所在は知らない。
ここで話をアブラハムとロトの旅につなげる。
アブラハムとロトは,エジプトから引き返して,ユダ高地の分水嶺の道をたどって,エルサレムの北東ペテルまで舞い戻った。
ここで有名な創世記の一説がある。
創世記13章10節
「ロトが首を上げてヨルダンの低地をあまねく見渡すと,主がソドムとゴモラを滅ぼする前であったから, ゾアルまで主の園のように,またエジプトの地のように,隅々まで潤っていた。
ソドムとゴモラが死海の北にあったとする北方説は根強い。
疲れを知らぬ魔法の泉アイン・エス・スルタンに支えられるエリコは例外として,ヨルダン川対岸のモアブ平原も全く水源がない。
過去にもナイルの地のように潤ってはいない。むしろ不毛な土地なのである。
2000年前,紀元元年頃,ユダヤの歴史家フラビウス・ヨセフスは,「ユダヤ戦記」の中で,「低地の町」についてこう書いている。
「湖に接してソドムの地」,
「アスファルテス湖(死海)の南端のソドムの地域」
等の記録がある。
つまりヨセフスは死海南方説をとっている。
彼の生きた時代は私たちよりも伝承の時代にずっと近い。
そこには数字では測れない場所の感覚があるはずである。
恵まれた土地からは豊かな収穫があって裕福であったとも書いてある。
さらには
「神の怒りの火の痕跡と5つの町の跡は,今でも見ることができる」
と言うくだりもある。
紀元1世紀のギリシャの歴史家ディオドロスも同時代のギリシャの地理学者ストラボやローマの歴史家タチトゥスと同様にそれとも,「低地の町」は死海の南にあると考えていた。
ストラブはかつてこの地方には13の町があって,ソドムがその主なる町であったと言う土地の人の話を書き残している。
またヘブライ語のルーツをたどってみると,この土地の記述に使用されているヘブライ語
「キツカル(kikkar)」
は実際は広大なヨルダン谷・死海の全盆地の低地を包括して表現している。
これは地質学的に死海・ヨルダン地溝帯そのものを表現している。
つまり創世記の言うところのヨルダン低地は,ヨルダン川沿岸の低地と狭く限定しているわけではない。
この点は創世記第14章よく読むと,「低地の町」のありかをズバリと書いている。
「シデムの谷,すなわち塩ノ海」(創世記14章3節)
である。創世記の編者は
「当時(といっても編者の時代から見て約1000年〜1500年位昔)のシデム谷は今塩の海に覆われている」
と書いている。
しかしこの解釈は微妙であって,果たして編集者はどのあたりまで知っていたのか疑わしい。
ソドム・ゴモラの時代には死海の南1/3位,リサン半島より南の南湖はほとんど陸地であったと考えられる。
ローマ支配の時代,まだバダバ図が作られた紀元6世紀頃も,およそ似た状況であったようである。
そこが後世,塩の海に溺れたことも明らかである。
この辺の地質的事情を聖書の編者が知る由もないのであるが。
こうした情報を総合すると,ソドム・ゴモラがあった時代は紀元前3000年紀後半,舞台は死海南部とその周辺と設定できるのである。
■低地の街は繁栄していた
聖書に述べられている災害物語の舞台は,死海南部とその周辺山麓地帯と考えられる。
南から死海に注ぐアラバ谷やヨルダン山地から流れ込む川の下流には,いくつもの沖積扇状地が広がっていた。
これらの生活の基盤として,初期の青銅器時代第3期(紀元前2650年〜2350年)に属する農業共同体がスタートした。
この時代に先立つ,短い湿潤期が去って間もないこともあって,創世記の指摘がある通り,ヨルダンの低地はよく水で潤っていた事は間違いない。
しかし「低地の町」の時代は,本来乾燥気候であって,以前水没していたシデムの谷にも死海の下から姿を現して,ソドム・ゴモラ盛期の頃にはリサン半島より南の南湖は乾いて陸地になっていたと思われる。
紀元前2500年頃,死海は北湖盆だけの時代を迎えていた。
ヨルダン山地の西側山麓地帯もまた扇状土地を基盤としていて,いくつもの農業集落が成立して,大部分は城壁を成していた。
バーネイらは南湖盆地の水中探査を行っているが,ソドムなど「低地の町」の遺跡らしき姿を発見はしていない。とはいえ,現状では,
バブ・アド・ドラ,
ヌメイラ,
サフィ,
フェイフェ,
クネイジラ,
など5つの都市がまさか悪名高い「低地の町」のモデルそのものだったとも思えない。
聖書の記述では,ソドムやゴモラは,周辺に衛星都市的な小さな集落を配していたように取れる。
これらの街の住人が,やがて裕福な生活へと傾いた理由は,あくまで推測に過ぎないが,多分死海産の
塩・アスファルト・硫黄
などが価値の高い交易品として世界に迎えられる時代が来ていたからに違いない。
紀元前3000年後半,シリアやメソポタミアの大国は,表向き軍事大国にみえても,通商国を目指していたのが本音らしいのである。
すでに見てきたように驚くべき遠距離交易が実現されて,それは国家の枠を超えて機能して,現在顔負けのトランスバウンダリーな性格がチラチラと見えるのである。
ー中公文庫,ソドムとゴモラの滅んだ日,1995年,

ogrzffqgq pc






DSC_0008.JPG


DSC_0006.JPG


DSC_0004.JPG








神話ではなかったソドムとゴモラの滅亡 : かつて中東の上空で巨大天体が爆発し、死海周辺の古代文明が「4000℃の熱で一掃」されていたことが判明。回復にかかった時間は600年… 投稿日:2018年12 記事をクリップするクリップ追加
2018/12/11(火) 午後 9:53
世界の事 その他国際情勢
投稿日: 2018年12月11日
ライブサイエンスの記事
Cosmic Airburst May Have Wiped Out Part of the Middle East 3,700 Years Ago
livescience.com 2018/11/28
3700年前に空中での大爆発が中東の一部を消滅させた可能性がある
・タル・エル・ハマム遺跡
約 3,700年前、中東において、空中で大爆発が発生し、その熱と爆風が死海北側のミドル・ゴールと呼ばれる広大な土地を横切った。そして、それにより多くの人命が滅ぼされた証拠を発見したと考古学者たちが発表した。
この空中での巨大な爆発は、そこにあった都市を 100パーセント一掃しただけではなく、それまで肥沃であった土地から農業土壌を奪い去り、その地は、死海の無水塩水が広がることにより長く荒廃することになった。無水塩とは、塩と硫酸塩の混合物だ。
大地が一掃された面積は、死海北部の 500平方キロメートルに及ぶことが調査で判明している。
この研究結果は、アメリカ東洋研究所(American Schools of Oriental Research)において 11月14日から 17日にかけて行われた会合で発表された。
その論文で研究者は以下のように記している。
「考古学的な証拠に基づいて、この土地で一掃された文明が再び確立され、土壌の破壊と汚染から十分に回復するのに、少なくとも 600年かかったと考えられる」
破壊された場所の中には、古代都市タル・エル・ハマム(Tall el-Hammam)があった。
科学者たちが空中での天体の爆発を明らかにした証拠のひとつには、この古代都市タル・エル・ハマムの遺跡で見つかった 3,700年前の陶器があった。
この陶器には珍しい外観があった。
陶器の表面が「ガラス化」していたのだ。
陶器の表面が、ガラスに変化するためには、4000℃以上の熱が必要であり、そのような熱が発生していたとみられる。このような「4000℃の熱を撒き散らす」ような奇妙な破壊を引き起こす可能性のある唯一の自然発生的な出来事は、空中での大爆発で、それはたとえば、1908年にロシア・シベリアのツングースカで起きた大爆発のような現象だ。
また、影響を受けたこの地域内の他の古代都市の考古学的な発掘調査によると、約 3,700年前に、急激に「人口が消滅している」ことが示唆されていた。
この地域の異常な人口の消滅が起きた理由もまた、空中で爆発した流星か彗星によるものかどうかは不明だが、今のところ、この地域の近くでは天体衝突によるクレーターは発見されていない。
500平方キロメートルにわたって、土地が完全に破壊されたという事実は、その爆発が上空の非常に低いところで起きたということを示している。おそらくは、地上 1キロメートルより低い場所で爆発が発生したと考えられる。これと比較すると、ツングースカの大爆発の破壊の面積はさらに広く、2150平方キロメートルに及んだ。

203高地のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/k203keyboard/folder/1832721.html?m=lc&p=5
https://blogs.yahoo.co.jp/k203keyboard/








科学メディア「ライブサイエンス」の報道より
・livescience.com
私が、「巨大天体の地球への衝突」ということに興味を持ったのは、前回の記事でもふれましたフレッド・ホイル博士の著作をはじめて読んだ 2012年ころからでした。
ホイル博士の文章で知るまで、「地球が天体の爆撃に見舞われる日々」というようなことは、まともに考えたこともありませんでした。
そういうこを知った頃にふいに書きはじめた記事は以下のようなものでした。
・良い時代と悪い時代(1): 500年ほど続いた「穏やかだけれど傲慢な時代」は終わろうとしているのかも
 In Deep 2012年10月06
ホイル博士は、現在の地球は天体の衝突に関しては「良い時代」だと述べていました。すなわち彗星や小惑星の地球への直撃が「ほとんどない時代」だとしていて、しかし、その時代は終わろうとしていると主張していました。
約 500年間ほど続いた「良い時代」は、じきに終わり、次はまた同じくらい期間の「悪い時代」、すなわち彗星や小惑星の地球への直撃や爆発が多発する時代となるだろうと著作で述べていました。
今回ご紹介させていただくのは、中東の死海の北側で、
中東の死海の北側の上空で、「 3700年前に、500平方キロメートルに渡って、土地も人類も完全に一掃された爆発があった」という証拠が得られた
ことについての記事です。
冒頭のライブサイエンスなどの科学系メディアで、その研究について最近報じられていました。
500平方キロメートルというと、東京都の面積の 4分の1くらいで、地図を見てみますと、
「東京23区がそっくり消える」
というような規模の災害だったようです。
中東で天体の爆発で「消滅した」面積を東京にあてはめると
その 3700年前の爆発時の地上の温度は、一瞬とはいえ、「場所により 4000℃を超えていた」ことが今回の調査でわかっています。
この空中の大爆発で地上が影響を受けるというのは、有名なところでは、1908年にロシアのシベリアで起きた「ツングースカの大爆発」と同じような事象だったと思われます。
このツングースカ系の爆発について、ホイル博士は以下のように記しています。
フレッド・ホイル著『生命はどこから来たか』より
ツングースカ型の爆発は過去1万3000年ほどのあいだに時折起こったに違いない。この時期の最初の頃は、元の彗星の分裂が激しく起こっていただろう。
彗星がまき散らした塵が太陽光を錯乱するために、何年間も黄道帯全体が輝いたのが見られただろう。彗星の分裂や、彗星が長く美しい尾を引く姿は、古代の空ではごく普通に見られたことに違いない。
神話、伝説、宗教がこのような経験を基にしていることは間違いない。そしてその経験は、地球上あちこちに分布した遊牧民の共通した経験であった。
実際、彗星の分裂は神々が争った様子として神話のなかに自然に取り込まれただろう。現在まで残ったほとんどの宗教にも、それぞれ別々の場所にもかかわらず、共通性が見られるものである。
このように書いていて、空中での天体の大爆発が、さまざまな神話や宗教の逸話の中に取り入れられているだろうと書かれていました。
1908年のツングースカ大爆発の想像図
・Universe Today
そして今回ご紹介する 3700年前の「都市の消滅」の場所は、実は、聖書に出てくる都市「ソドムとゴモラ」があったとされている場所の一帯でもあるのです。
ソドムもゴモラもどちらも後にウルトラマンの怪獣名として出てきますが、聖書はウルトラマンの登場(1966年)よりやや古いということで、オリジナルはウルトラマンではなく聖書のようです。
ソドムとゴモラ - Wikipedia
ソドムとゴモラは、旧約聖書の『創世記』19章に登場する都市。
天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされ、後代の預言者たちが言及している部分では、例外なくヤハウェ(聖書における唯一神)の裁きによる滅びの象徴として用いられている。また、悪徳や頽廃の代名詞としても知られる。
こういうものであり、「なぜ滅ぼされてしまったのか」ということについては新約聖書にあるユダの手紙に以下のようにあります。
「ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています 」
こんなような聖書の逸話が現実なら、現代社会の私たちのこの世は、もはや猶予ナシの状態なのかもしれないですが、いずれにしても、「滅ぼされた理由」はともかく、ソドムとゴモラの場所は死海周辺とされていることから、「かつて、死海周辺の都市が天体の爆発で消滅した」という出来事は、確かに聖書に書かれた「現実」ということだったのかもしれません。
なお、今回ご紹介する調査がおこなわれた場所は、タル・エル・ハマムという遺跡で、場所は死海北部の下の位置にあります。国家としての領域は、昼でも夜でも「夜だん」と言われて日本人旅行者たちが嘆くとされて久しいヨルダンに属します。

203高地のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/k203keyboard/folder/1832721.html?m=lc&p=5
https://blogs.yahoo.co.jp/k203keyboard/






posted by datasea at 23:09| Comment(0) | ◉ 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: