2019年05月23日

古代の人体蘇生術ー神武蘇生伝説とユダヤ神器


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古代の人体蘇生術ー神武蘇生伝説とユダヤ神器
人体蘇生と申しますと、何か胡散臭い話ですが、筑紫(熊本の宇土)から来た火の君(姫氏)が、その術式を使って生き返らせた話は、播磨国(姫路)風土記にあります。
その土地の地名は継となったとの事。
また、蘇りの術式は、継体でもあります。
神武天皇の蘇りなど、東征前の九州での古の天皇、もしくは斎王は、この継体の王であったのかも知れません。
ところが、熊襲タケルから継(火の君)を襲名した大和タケルは、草火をコントロールする、蘇りの剣である、草薙ぎの剣を使いきれず火に倒れます。
草薙とは、那岐と分けた曜玉です。
人体では、五臓六腑一性殖(五組連玉と二独玉で七岐)です。
それを真釣り合わし直すという事です。
それで、古代の真剣は真釣る木と申すのです。
ムラムラと湧き上かる叢雲の生命の木でもあります。
草叢から飛び立つ雉(霊)を、もう一度草(人体)に納める薙ぎの剣でもあります。
八咫烏で申せば、三本足を挙げて飛鳥と成ってしまった足を、再び二本を戻すという事です。
泡沫(歌方土)の淡(気流柔剛の火と水)と固まる淡路の秘め路は、ア行からワ行の、敷島に磯辺(五十音鈴)と幸拾う国(日本)の言霊でもあります。
祖母継乙女は亡くなりましたが、私のプロフィール写真では、古代、海へ入水した斎王の真似事をしております。
ちょうど、ミミズが入れものとなって土を通しますように、水瓶(魄)と成って、足比日口縄から手比日囗縄の握り(ニニギ)により、水(令)を通すのが人の生き宮です。
禊ぎの方法もそれに習います。
草薙の示しの写真は、お借りしています。

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神武東征の謎を斬る! そのL 高倉下はいかにして神武を蘇生させたのか?
神武東征の戦いの中でも最大の危機は、戦いに敗れて熊野に迂回しようとした神武が敵の放った毒気によって倒れ、全軍が昏倒、あとは全滅を待つばかりとなった時だった。
この時、謎の武将・高倉下(タカクラジ)が忽然として現れ、神剣・布都御魂を使い、神武を蘇らせたということになっている。
・・・しかし、剣を振り回しただけで死にかけている人を蘇らせることができるのか?
今回は、タカクラジが行った神武蘇生の秘儀に迫ってみたい。
写真は、右がタカクラジが使用したとされる布都御魂であり、左がユダヤの祭祀で使用される、メノラーと呼ばれる燭台である。
布都御魂は別名、七星剣とも呼ばれ、メノラーは別名、七星台とも呼ばれる。
名前も似ているが、その形も似ている。
(画像が見つからなかったのだが、メノラーの中には布都御魂のように互い違いに枝分かれしたデザインのものもある。)
古代ユダヤ地方では、人が死にそうになると祭司が祭壇にメノラーを設置して、それに七つの炎をともして生命力復活の儀式を行ったという。
この祭祀法は今でも残り、ユダヤ教のみならずカソリックの人々の中でも行われている。ただしこの蘇生法は祭司以外はだれも見てはならないという秘儀であり、現在でも秘儀として伝えられているため、その様子を見ることはできない。
記紀によれば、高天原にいた天照大神と高木神から神武救済の依頼を受けた健御雷神が、
「私が行かずともこの剣を降せば良い」
と言ってタカクラジに授けたのが布都御魂であるという。
高天原は現在の南朝鮮にあって、当時、ガド族、ダン族といったユダヤ10支族の末裔が流れてきていたらしい。
彼らは古代ユダヤの蘇生法を熟知していた。
ユダヤ人が死者蘇生を行う黄金のメノラーを作るときは、鋳型で作ることは許されず、鍛治者が槌で打って作る必要があったという。そして、一回一回の槌の打撃に祈念を込め、祈りの力を込めてメノラーを作っていった。そうして出来上がったメノラーは神秘的な力を持ち、しばしば死者を蘇らせることができたという・・・。
古代日本にはロウソクというものがなく、燭台もなかったが、その代わりに剣というものが神秘的な力を持つ霊器であるとされ、三種の神器の中にも入れられている。
半島に流れてきたユダヤ族たちは、その地にあった宗教儀礼と自らの伝統的な宗教様式を合わせることで、神剣・布都御魂を作ったのではないだろうか?・・・。
鍛冶者たちは祈りながら、魂を込めて、メノラーの形をした剣を鋳造した。
出来上がった剣は聖なる力を持ち、ユダヤの蘇生法の秘術を持つ特別な祭司の手によってそれが使われるとき、その力を発揮した・・・。
その祭司の名は、健御雷命であり、タカクラジであった。
剣だけに霊力があっても、祭祀を行う者と、その祭祀法にも霊力を伴わないと蘇生は成功しない。
タカクラジはどうやって布都御魂を使い、祭祀を行ったのか?・・。
この時タカクラジが行ったのは、現代で言えば「祈祷」だったのではないかと思われる。
神道、
加持祈祷法、
修験道
などは日本独特の宗教としてその後発展して行くのだが、これらはすべて神武東征の時、歴史上はじめて出現しているようだ。
その意味でも神武東征の歴史的意義は深い。
祈祷には「祝詞」と呼ばれる、一種の呪文のような文章がある。
祝詞は神様の力を引き出すために考え抜かれ、選び抜かれた言葉によって構成され、これを人々が誠心誠意を込めて心からの祈りを声に出して読み上げるとき、神力が発動する。
・・とある祝詞の一節に
「〜布都神の神剣を遣ひて。ふるべゆらゆらと〜」
という一節がある。
私はこの祝詞こそがタカクラジの唱えた祝詞ではなかったかと思うのだが、祝詞そのものが神聖なものであり、無断転載を禁じられているのでここではごく一部分を掲載させていただく。
・・・この一節の中の
「布都(フツ)」
という言葉は、泉の湧き出る音、もしくは心臓の鼓動を表し、生命力の発現を表す。また、
「ゆらゆら」
という言葉は「魂を揺り動かす」転じて、
「消えそうになった魂を呼び戻す」
という意味があるのではないか?・・・。
布都御魂は別名、布留御魂とも書くほか、いくつかの別名を持っているが、この「フル」という言葉は、生命力が天空から神力によって降り注ぐさまを表しているのではないか?・・・。 
霊力を持った者が、霊力を持つ神器を使い、定められた様式に沿って、赤ん坊が母を呼ぶような赤心を持って神に祈るとき、なにかが発動し、死にそうな人が蘇ることもある。
タカクラジが神武のために祈祷を行ったとき、神武は仮死状態だったと思われるが、この神剣と神への言霊の力によって神武は生命力を取り戻し、蘇生するに至った・・・。
このことを鑑みるとき、なぜその人の諡号が「神武」であったのか?という意味もわかるような気がする。神によって武力を与えられた人、あるいは神の力で武力を行使した人、という意味に受け取れるからである。

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8世紀の天皇名の和風諡号
Facebook古代史研究会/古荘氏
2019.5
「2人のハツクニシラスは鎌倉幕府の陰謀か? 天皇」
漢風諡号が現在私たちが言うところの天皇名ですね。
しかしこれは大まかに言うと、8世紀に淡海三船がそれ以前の天皇名の漢風諡号をつけたのであって和風諡号がそれとは別にあります。
『日本書紀』における
神武天皇の和風諡号『始馭天下之天皇』と、
10代崇神天皇の諡号『御肇國天皇』を
両方とも
「ハツクニシラススメラミコト」
と読むようになったのは鎌倉・室町時代(あるいは平安末期)からであるとの説があります。
『書紀』編纂時は異なっていた可能性があるのです。
同じ読み方だから崇神が実際の初代でそれ以前は神話であるというような説もあります。かなり根強く。
しかし神武が神話であるなら、わざわざ
崇神とハツクニシラス
の漢字の綴りを変える理由が解らない。
神武天皇の和風諡号『始馭天下之天皇』
10代崇神天皇の諡号『御肇國天皇』
と思ったのでここからはちょこっと調べての想像です。
神武の称号内にある「天下」は高天原である天上は天照大御神が治めて、地上である天下は天皇が治めるというニュアンスであろう、と言われています。
日本書記に
「始馭天下之天皇」
と登場する寸前の記述は
高天原まで届くくらい高い宮殿の建物を作ろう
というようなことが書かれています。
「畝傍(ウネビ)の橿原(カシハラ)に宮柱(ミヤハシラ=宮殿の柱)を底磐(シタツイワ=柱を支える岩)の根元にしっかりと立てて、高天原(タカマガハラ)に峻峙(チギ=宮殿の屋根で木材が交差する部分)が届くくらいに高くしよう」
これに続いて
「始馭天下之天皇(ハジメテ アメノシタ シラシメシシ スメラミコト / ハツクニシラススメラミコト)である私は、神日本磐余彦火々出見天皇(カムヤマトイワレビコホホデミノスメラミコト)と名乗ることにしよう」
となっています。
天上の高天原に対して
「始馭天下」   
と言ってるから天上と天下の対比で
天は高天原を神々が 天下はスメラミコトが統治する
という意味合いを感じます。すなわち神武の『始馭天下之天皇』はハツクニシラススメラミコトというニュアンスとは違って明らかに
「ハジメテ  アマノシタ  シラシメシシ(シラス)  スメラミコト」
と読んで天の下の世界を治める王朝の創始者というニュアンスになる方が自然だと思うのです。
漢字に意味をもたせて当て字にしているならば
始馭天下之天皇の馭天下は天下を馭す。
馬を制御するように天下制御するということですから、シラスは治らすでしょう。この
「アマの下 治ラス スメラミコト」
という言い方はのちの世に頻繁に現れます。
同じく8世紀成立の万葉集には(写真参考)
仁徳天皇のことを
「難波高津宮御宇天皇」
と表記しこれを
「難波の高津宮にアメノシタ シラシメシシ スメラミコト」
と読んでいます。
またすぐあとに万葉集は天智天皇のことを
「近江大津宮御宇天皇」
と書いて
「近江の大津宮にアマの下 シラシメシシ スメラミコト」
と読んでいます。このあたりの事情から日本書記成立のころ天皇のことを
「アマノ下 シラシメシシ スメラミコト」
と表現していたようでありつまり
「天下を統治する王」
というのが天皇の称号だったようです。
神武は初代天皇であるから
「始めて アマノ下 治らしメシシ スメラミコト」
と読んでいたとするのが自然に思うわけです。
それに対して崇神の『御肇國天皇』はその治世にヤマト王権の支配が初めて全国規模にまで広まったことを称讃したものなのでハツクニシラススメラミコトは
「はじめて大和と言う国を全国に知らしめた天皇」
というニュアンスだったのではないか。
現に古事記の表記では
「所知初国之御真木天皇」
これは普通に読めば
初国を知らしめるところのミマキスメラミコト
ではないか?
初国とは、周辺国がその国を初めて知るという意味であったと古田武彦さんが書いていました。
だから実はハツクニシラス天皇が二人いたわけではない。
まったく異なる意味合いでつけられた二人である。
神武は
「初めて アマの下 シラシメシシ スメラミコト」
シラスは統治の意ですね。
崇神は
「初国を 知らす スメラミコト」
シラスは知らせる
であった。
などなど、
半分は想像の産物として一筆したためました。

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神武天皇の血流を追って ニンキジッタ(トート)神の血流を辿る
投稿者 そこちょっとつんつく
日時 2018 年 1 月 05 日 03:20:04: 8EItFG7yGzQIA gruCsYK_guWCwYLGgsKC8YLCgq0
大和をエッタ(穢多)に落としたシラギ神崇拝教|古代被差別部落とは、その3〔裏古事記 日本人のルーツ飛騨〕
http://roots-hida.info/nigihayahi/
実は、崇神天皇こそが神武天皇であり、また、大彦命の事でもあるのです。↓
ニギハヤヒの後継者問題〔 天の王朝〕
https://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/diary/201704010000/
「...そしてこのとき、ニギハヤヒが天磐船からこの地を見て「虚空見日本国(そらみつやまとのくに)」と名付けたと、『日本書紀』と『先代旧事本紀』に書かれています。
ニギハヤヒが「日本国」の命名者であったことになりますね。
それは彼が統一大和王朝初代の王であるから、当然と言えば当然ですね。...
もし出雲族と日向族の双方が納得のいく統一王朝を作ろうとした場合、誰をどう立てればいいか、という問題に突き当たります。...
ニギハヤヒは悩むわけです。...
ニギハヤヒはその後のことも考えていたと思います。..
たとえば、...一族の血が混ざって、名実ともに統一王朝が生まれると考えたのではないかと思います。
実際、その後の系図を見ると、そうなりました。
ただし、完全に軌道に乗せるには、崇神天皇の時代まで待たなくてはなりませんでしたけどね。
というのも、崇神天皇自身が開化天皇とともに、アマテラス、スサノオ、アヂスキタカヒコネ、オオトシ、オオナムヂ、ナガスネヒコ一族の直系だからです。...」
アマテラス〔何から話そうか〜龍の部屋〕
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099221.html
「『日本神話と史実(上)』(「新世紀の古代史5」)著者石渡信一郎・信和書房(2012)より、抜粋して転載します。
...三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の霊はオホヒコ(王日子)・アマテルオホヒコ(天照大日子)・アマテルヒコ(天照日子)・アマテルオホヒ(天照大日)などの神名で呼ばれていたと考えられる。
崇神(旨・首露・脱解)は、稲荷山古墳(埼玉県)出土の有銘鉄剣には「意富比〇」と刻まれているが、
※〇は「土」に「危」で、「おほひこ」です。
「崇神紀」にみえる
大彦命(おおひこのみこと)
は崇神(旨・首露・脱解)の分身であり、「大彦」は「大日子」と同義である。
そして、三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の霊
アマテル=オホヒコ
は、ヤマトの日神・建国神であるとともに、加羅系氏族の祖神とされて、諸国の要地に分祀されるようになった。...」
また、
神武天皇=崇神天皇=大彦命血流
は、難波吉士でもありました。
藤原不比等によって、分からなくされてしまっていたのです。↓
「稲荷山鉄剣銘」が明かすワニノ臣(後の春日臣)の実像(7) 日本古代史の謎シリーズ 102 稲荷山鉄剣銘 5代タサキワケ〔 ナミオのブログ〕
http://ameblo.jp/egami-namio/entry-12074278240.html
「...(5)477年に応神(昆支・武)の即位に反対して反乱を起こした時、敗れたオシクマ王とともに自殺した「吉師(きし)の祖五十狭 (いさち)宿禰」(日本書紀)=「吉師部(きしべ)の祖伊佐比(いさひ)宿禰」(古事記)は、
(イ)吉師・吉師部が『新撰姓氏録』に大彦命を祖とする難波吉士・吉志などがみえることと、
(ロ)イサチ=イサヒが「イ(大)・サキ(城・城邑)」と同義とみられることから、
タサキワケと同一人物とみられる。
藤原不比等がタサキワケ=イサチノ宿禰の実像を隠すために、同一人物を敵・味方に分かれて戦うことにしたと考えられる。
(6)『先代旧事本紀』国造本紀によれば、
@无邪志(むさし。武蔵)国造条には、
志賀高穴穂朝世、出雲臣の祖、名は二井之宇迦諸忍之神狭命十世の孫、兄多毛比命(えたもひのみこと)を国造に定め賜ふ。とあり、
A胸刺(むなさし。武蔵)国造条には、
岐閉国造の祖、兄多毛比命(えたもひのみこと)の児、伊佐知直(いさちのあたい)を国造に定め賜ふ。とある。
「兄多毛比」は、
『高橋氏文』に「无邪志(むさし)国造の上祖大多毛比(おほたもひ。大伴部)」とあり、
「伊佐知直」は、
五十狭 宿禰=タサキワケと同一人物で、父「兄多毛比命」と同じく「武蔵国造の上祖」とみられるので、
「伊佐知直=タサキワケ」の父「兄多毛比」が
「无邪志国造の上祖大多毛比(おほたもひ。大伴部)」=タカハシワケ
であることが分かる。
 (7)タサキワケのワケの尊称が無くなり伊佐知直(いさちのあたい)とされている理由の一つは、442年に珍(ワカキニイリヒコ)が死亡した直後、珍(ワカキニイリヒコ)の王子和訶奴気(わかぬけ)王(『古事記』)=大江王(『古事記』)=彦人大兄(『日本書紀』)が、既に珍(ワカキニイリヒコ)の後継者と決まっていた済(ホムダマワカ)と争った時、「杖刀人首(軍総司令官)」タサキワケが済(ホムダマワカ)に味方して彦人大兄を殺したが、彦人大兄が中臣(藤原)氏・物部氏の祖オシクマ王の祖父であるところから、藤原不比等に恨まれていたためとみられる。...」
当投稿上方の「ニギハヤヒの後継者問題」〔 天の王朝〕というリンク先にもありましたが、
崇神天皇と開化天皇こそは、日本国の命名神の饒速日尊が、日本国の平和安寧と幸福のために待ち望んだ全ての神々や日本の王たち(大国主命の長男の事代主血流含む)の統合した血流であると。
大彦命は孝元天皇の皇子であり、雀部臣伝承と合致しています。↓
孝元天皇・開化天皇(古代史の復元)
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-19-1kougen.html
「...そこで名前が挙がったのが神武天皇の長男で日子八井耳命の系統の雀部臣の子である 国牽尊(クニクル)が以前より,素盞嗚尊祭祀に理解を示していた関係で第八代天皇(孝元天皇)に推挙された。
 孝元天皇は孝霊天皇と細姫の子となっているが、雀部家に伝わる伝承では、神八井耳命の子孫である武恵賀前命の御子が第八代の孝元天 皇だという。
原田氏は実際にこの子孫に面接して聞き出している。
雀部家の記録は、持統天皇が記紀を編纂するに当たって没収されたそうである。
他に春日臣、安部氏、穂積氏等十六家の系図が没収の憂き目にあっているらしい。
記紀編纂時、不都合な事は隠蔽してしまおうとしたのであろ う。...」
しかし、大彦命族というと安倍氏ですが、実際には大彦命血流にも関わらず拾われた捨て子の大彦命擬姓氏族だの、新羅渡来人だのとされた難波吉士とあべこべで、
安倍氏の祖先の長脛彦(安日彦)は、大彦命(神武・崇神)と戦って軟禁され、皆が長脛彦を処刑しろときかない中を、大彦命(神武・崇神)は処刑した事にして、何れ大和朝廷のために役立ってくれれば良いからと、こっそり逃がし、
痛く感謝した長脛彦(安日彦)が、後に大彦命(神武・崇神)末裔の難波吉士を厚く保護して、安倍氏は大彦命(神武・崇神)擬姓氏族となったようです。↓
阿部姓の大彦命(神武・崇神)血流族は、阿拝臣末裔などで、居ても少ないようです。
ウエツフミによる神武天皇の正しい系図〔ウガヤフキアエズ王朝実在論〕
https://ugaya.jimdo.com/2015/10/03/%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%84%E3%83%95%E3%83%9F%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%AD%A3%E3%81%97%E3%81%84%E7%B3%BB%E5%9B%B3/
「...◆玉島姫(のちに亘理姫)・・・・・「陸奥の国の覇精高の上・亘理彦の夫人となった」とありますので、ナガスネヒコ一族のもとに嫁いだようです。ウエツフミはナガスネヒコのルーツを「亘理の覇精高の上であったが、追い払われて奈良に辿り着いた」と伝えています。
...」
倭と中央アジアに確認できる長脛と安日〔たっちゃんの古代史とか〕
http://tacchan.hatenablog.com/entry/2016/02/23/073231
大彦命こと神武天皇(崇神天皇)は、須佐之男尊出雲王国の家督相続者であり大和王国姫(長臑彦の妹)に入り婿した饒速日尊様から、正しく家督相続権を与えられ、また、飛騨王国アマテラス様からも正しく家督相続権を与えられた邇邇芸尊(ニニギノミコト= 金首露王)の孫であり、
その金首露王は、フェニキア人たちのタルシュシュ船のオーナーでもあり、「オフル(プント)人」を率いて、シバの女王の国のあったところ辺りの、黄金都市と謎の石造建築物都市の国から来たといいます。
金首露王は「オフル(プント)」の王様であり、「オフル(プント)」とは、旧約聖書に登場する黄金の国であり、それは古代ユダヤ王のダビデ王とカナン人(フェニキア人)姫との間に生まれた王子であるソロモンの子メネリケを産んだシバの女王の国、或いはソロモンが黄金を調達した国であったといい、また、
オフル(プント)とは、「羽毛ある蛇」だとか「翼ある蛇」
という意味であるという。↓
【クルタシロス】~金官加羅の首露王〔新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth〕
http://trakl.exblog.jp/17794166/
国東 オッフルは東表国 エルダーソロモンの霊統〔新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth〕
http://trakl.exblog.jp/18360229/
同和関係資料でも、神武天皇はジンバブエ辺りから来たと伝えられているらしい。↓
『日本の歴史と同和問題の始まり』【ことらの日記】
http://kotora888.art-studio.cc/douwa/HTML/index.html
ジンバブエは遺跡が見つかり、シバの女王の国だったとか、ソロモンの黄金採掘都市だったとか発表されたが、
それから次第に欧米人にとっては都合の悪い遺跡物が多数見つかってしまい、
それらは隠匿されたあとで、やっぱり比較的最近の遺跡という事にされたと思える。
ギリシャの遺物 大英博物館に返還迫る 独の大学は「返します」〔日付のある紙片(インポート)〕
http://blog.livedoor.jp/ali_bin_ibrahim/archives/51719906.html
「...イギリス人による遺跡蔵匿隠秘
19世紀末、イギリス人が「ローデシア」と名づけたジンバブエで、アクロポリス、神殿などからなる巨大な石造建造物群が発見されたが、白人はそれをどうしても黒人が作ったものと認めたがらなかった。
それで彼らはそれを旧約聖書「列王記」にあるオフェール(オフルOphir)の遺跡だと発表した。
しかし、ジンバブエ遺跡から発見された遺物の中にはそれが黒人文化の所産であることを示す像などがあり、アラブや中国との交易を示すものも見つかった。
それでもイギリス人はそれを認めず、都合の悪い遺品を隠蔽して公にしないという暴挙に出た。
それらの多くは現在なお公表されていないのである。(文春新書「民族の世界地図」より)
白人の教える歴史によれば、古代エジプトも西洋史も組み入れられる。
遺品が正当に公開される場合でも、それが大英博物館で公開される限り、西洋の遺物であれ東洋の遺物であれ、白人文明を中心とした歴史の文脈の中に位置づけられることになる。
この点は注意を要する。
大英博物館の展示を見る人は、何を見ても、「唯一の文明」の精華を見たような錯覚に陥り、イギリスの偉大さに感服するだろう。...」
『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第5章1 近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦 (第5章1)フェニキア人〔木村書店WEB文庫無料公開〕
http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-42.html
「...1920年代、フェニキア人の植民都市として有名なカルタゴの神殿遺跡の発掘が行なわれた。  タニットの神殿とよばれるフェニキア(カルタゴ)人の聖所には、ひとつの石棺があった。フランス人のピッタールは、1924年に、この石棺から発見された遺体について、つぎのように書いている。
 「カルタゴの……タニットの女神像のあの驚くべき石棺……外形は恐らく女神自身を表わしているこの石棺こそは、宗教上の最も高貴な人物の墳墓であったに違いない。ところで、そこに埋葬されていた女は類黒人の特徴を持っていたのである。人種的には、1人のアフリカ女であったのだ」(『人種学的に見たる民族発達史』、4分冊、p.50)
このピッタールの本は、当時抬頭しつつあったファシズムとのたたかいの一環として書かれたものであった。しかし、この「類黒人」(ネグロイド)の特徴をもつ女性について、その後の人類学者、歴史学者は何も語っていない。これはどういうことであろうか。
また、フェニキア人とは、本来、どういう人種を中心にしていたのであろうか。 ...」
大彦命(神武・崇神)の先祖の金首露王は、オフル人(プント人)の王ですが、オフル人(プント人)の王の事を、ケツァルコアトルやククルカンとも言います。↓
プント人の謎F〔むろまっち〕
http://majinnnn.jugem.jp/?eid=1078
「... この地に「羽毛を持った蛇に囲まれたオルメク人の姿」という浮き彫りがある。 
羽の生えた蛇はククルカンといって、オッフルもまた「羽のある蛇」の意で、オッフルは現ソマリア
(現在の住民は古代住民(セム系)とは全く異なる)
古名プントのことである。
このオルメク遺跡の南端に、高さ四メートル二十センチ、幅二メートルの石碑に二人の人物が彫られていて、今から三千年前の物と言われている。
他にも同じ風体の二人の人物を彫った石碑があり、これ等は地中海から来たフェニキア人だという。
白人たちはフェニキア人を白人と思っているが、フェニキア人はセム人で、セム人は黒髪・黒い目・褐色の肌を持つ東洋人なのだ。
フェニキア人は、
遊牧民族のベドウィン、
紅海・アラビア海の海人のプント人、
カナンのエプス人等、
いろいろの民族の混じった航海人種で 謎の人種と言われ、前史生き残り人種で、三千年前に中南米に現れたのも不思議はない。...」
『黄金の国プント −ハトシェプストのプント遠征 その1 』【オルタナティブを考えるブログ】
https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26535969.html
『700年にわたってアフリカで造られた不可思議な石造建築』【世界遺産の不思議な謎】
http://www.merryquiffmas.com/index.php?UID=1420815101
また、ケツァルコアトルとは、ニンキジッダの事であり、ニンキジッダとは、天のアヌンナキ王アヌの血流で、人類の創造者エンキ神の助手として、科学者として共に地球人類を創造したエンキの王子の一人の事でもあります。
同じくエンキの王子で、覇気旺盛なマルドゥクとの争いを避けるように言われて、
南米などに身を引き、ケツァルコアトル等と呼ばれ、プレ・アメリカ文明の神となりました。
のちにエジプトに戻る事が許されてトート神と呼ばれ古代エジプト文明の神となりました。
プレ・アメリカ文明と古代エジプト文明の神であるニンギジッダはアヌンナキなので、巨人の白人男性ですが、
これらの文明の担い手は黒人の特徴を持っていたようです。
これら黒人の特徴を持つ人達は、フェニキア人や日本人の先祖かも知れません。↓
トートと饒速日大神 3/14太陽神アン|心の物語 『シャングリラへの道』
https://ameblo.jp/0-580/entry-12265136877.html
「...私なりに調べたことを補足しておきます。
※1.
地球人はなぜ人類に地球を与えたのか(ゼカリア・シッチン 著、竹内慧 訳)
[地球の主]エンキの失われた聖書 二ビルから飛来せし神々の記録(ゼカリア・シッチン 著、エハン・デヴィ 序文、竹内慧 訳)
※2.
本によれば、トートはエンキの長男(異母兄弟の兄)マルドゥク(後のエジプトの太陽神アモン(アメン※3)/ラー)の嫉妬により、父エンキに「平和のために他の土地へ行け」と言われたようです。マルドゥク=太陽神とトート=月神の暦のアツレキ…によるのか、トートは職務として追放。
トートは心棒者の一団を連れて海の向こうの土地へと向かいました。
トートは南米(ナワトル族、マヤ族の土地が主な領地)ではケツァルコアトル(羽飾りの蛇)とかククルカンと呼ばれていたようです。
そこで、今までにない暦を新しくつくったとあります。それがマヤの暦だと。
『蛇』はエンキと彼の血縁者、特に「羽飾りの蛇」として知られた神の紋章。...」
ケツァルコアトルでありトートであるニンキジッダは、また、預言者「エノク」であり、
オリュンポス12神の「ヘルメス」であり、アラブの「イドリス」であるともされます。↓
これが、大彦命(神武・崇神)難波吉士らの男系血流です。
聖書における神の臨在場所〔月の光 - 岩戸開き〕
http://www.tukinohikari.jp/tanpounote/12-kami-rinzai/index.html
銀河のタイムライン/シュメールの粘土板の話 - 7つ目の超宇宙
http://7thsu.blog.fc2.com/blog-entry-61.html?sp
第3章 レムリアとアトランティス @人類の起源〔アセンションへの道 PartT その理論と技法〕
http://blog.goo.ne.jp/wyatt999/e/84c83bbaa2472cb66445b16a03a41d3f
しかし、一方で、ケツァルコアトルはシリウスから来たという話もありますので、大彦命(神武・崇神)難波吉士らの男系血流は、シリウスから来た神という事になるのかも知れません。↓
シリウス・ミステリー「イルミナティ」とスメラミコトの故郷〔神仙組T【ハルマゲドン編】光と闇の黙示録〕
http://mujaki666.seesaa.net/article/169405966.html
大彦命(神武・崇神)難波吉士らは、以上の神々とされる男系血流に加えて、大物主(饒速日尊)に入り婿してから、大物主(饒速日尊)のメネリケ(ダビデ王の孫。イスラム教では聖人とされているソロモンの息子。)血流も併さりました。↓
これが、被差別部落やサンカの人達のご先祖がたが、命懸けで守ろうとした血流です。
世界最古の王朝〔セレンディピティ〕
https://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/201306120001/
「...日本の天皇家は世界最古の輝かしい歴史を持つ王朝です。
オリエントでアッシリア帝国と覇を争い、キンメリ人と連合して
シルクロードを東遷したウラルトゥ王朝の末裔であり、後に扶余王となって満州の地に君臨し、
ソロモンとシバの女王の子、メネリケの子孫である大物主一族(公孫氏)と同盟して邪馬壱国を建て、さらに百済国を建てました。
...」
__________________________________________
(参考付記リンク)
絶対に明かしてはいけない天皇家の正体 世界が騙された〔阿修羅〕
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/319.html
(当投稿裏話になりますが、水戸の創価学会被害者氏が難波吉士ご末裔で霊能力があり、何年か前に、
北斗七星の破軍星〜豊受星
に、地球の何十倍の巨大宇宙船による啓示があり、その後に、複数の虹を纏い何市町村にも及ぶ大きさの美しい霊鳥
「籠の中の鳥」
が頭上に出現し、
それが片側三枚ずつ合計六枚の翼で、熾天使を表し、まさにニンキジッダを表すシンボルと後に知ったという事で、果たして宇宙船による現象か、ご先祖筋の饒速日尊によってか、それともご先祖のニンキジッダ様によるものか分からないとの事ですが、
この事実は既に、水戸の同被害者を狙う闇組織の一部にも知られているようですが、
打ち明け話として、そういった、人知を超えた神々の啓示に本投稿は導かれています。
(ニンキジッダ→ニニギ・シッダ→ニニギ尊。)↓
「我は天帝龍神シリウスなり」徴の星の証/2008年北斗七星-c
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/699.html
直属の霊能者によると、饒速日尊が、アニメ監督の意識に働きかけて作らせたアニメ。↓
【劇場版予告】千と千尋の神隠し -Spirited Away Trailer- 〔YouTube〕
https://www.youtube.com/watch?v=xvKw3CJKQXg
神隠しされた神、ニギハヤミ→ニギハヤヒ。
天照国照天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまに ぎはやひのみこと)。

★阿修羅♪
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/321.html
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/319.html

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■神武天皇,崇神天皇,大彦命,おおひこのみこと
神武天皇=崇神天皇=大彦命
神武天皇=大彦命,東征で九州から大和地方へと勢力を伸ばしていった,
神武天皇,西暦紀元前660年2月11日に橿原の宮で即位,
神武天皇,西暦紀元前660年2月大和を平定,
神武天皇,橿原の宮で初代・神武天皇として即位,
神武蘇生伝説,筑紫(熊本の宇土)から来た火の君(姫氏)が、その術式を使って生き返らせた話
神武蘇生伝説の土地の地名は継となった
神武蘇生伝説,播磨国(姫路)風土記にあります。
神武蘇生伝説,蘇りの術式は継体でもあります
神武蘇生伝説,草火をコントロールする蘇りの剣である草薙ぎの剣
神武蘇生伝説,草薙とは那岐と分けた曜玉
解析
崇神天皇こそが神武天皇であり,大彦命の事でもある
大彦命(神武・崇神)
神武天皇=崇神天皇=大彦命血流
アマテル=オホヒコは、ヤマトの日神・建国神
大彦命こと神武天皇(崇神天皇)は,須佐之男尊出雲王国の家督相続者
崇神天皇は,アマテラス,スサノオ,アヂスキタカヒコネ,オオトシ,オオナムヂ,ナガスネヒコ一族の直系
大物主(饒速日尊)に入り婿してから,大物主(饒速日尊)の血流も併さりました,
「崇神紀」にみえる大彦命(おおひこのみこと)は三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の分身
大彦命の先祖の金首露王はオフル人(プント人)の王
大彦命(神武・崇神)難波吉士らの男系血流は,シリウスから来た神という事になるのかも
加羅系氏族の祖神とされて、諸国の要地に分祀されるようになった
オフル人(プント人,大彦命の先祖の金首露王)の王の事を,ケツァルコアトルやククルカンとも言います
崇神天皇と開化天皇こそは,饒速日尊が待ち望んだ全ての神々や日本の王たちの統合した血流である
大彦命は孝元天皇の皇子であり、雀部臣伝承と合致しています
神武天皇はジンバブエ辺りから来た 同和関係資料
ジンバブエは遺跡が見つかり、シバの女王の国だったとか、ソロモンの黄金採掘都市だったとか発表された
大彦命こと神武天皇(崇神天皇)は、須佐之男尊出雲王国の家督相続者
「崇神紀」にみえる大彦命(おおひこのみこと)は三輪山の崇神(旨・首露・脱解)の分身
大彦命の先祖の金首露王はオフル人(プント人)の王
大彦命(神武・崇神)難波吉士らの男系血流は,シリウスから来た神という事になるのかも
加羅系氏族の祖神とされて、諸国の要地に分祀されるようになった
オフル人(プント人,大彦命の先祖の金首露王)の王の事を,ケツァルコアトルやククルカンとも言います
崇神天皇と開化天皇こそは,饒速日尊が待ち望んだ全ての神々や日本の王たちの統合した血流である
大彦命は孝元天皇の皇子であり、雀部臣伝承と合致しています
『日本の歴史と同和問題の始まり』【ことらの日記】http://kotora888.art-studio.cc/douwa/HTML/index.html
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