2019年05月12日

古荘氏: 半島から対馬海峡を見る視点

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古荘氏: 半島から対馬海峡を見る視点
北が上の地図を見ると日本の古代史はとても分かりづらい。
北が上の地図で東京を首都とする固定観念があると、出雲などは辺境に見えてしまう。
しかし古代日本の倭国時代においては、半島から対馬海峡を見る視点が不可欠だろうと思う。
対馬も壱岐も魏志倭人伝で南北と交流すると書かれている。
対馬と壱岐を合わせて南北と交流すると九州と半島は交流しているのである。
壱岐対馬の海人の手によって日常的に行き来をしていたとなる。
そして動乱の大陸や半島から日本列島に移住する人たちは倭人に加羅の地で会ったことは想像に難くない。なぜならそこに来ているからだ。
そして半島南端から見える対馬を指さしてあの倭の地に行きたいと言われて、なんらかの報酬(鉄剣や稲作の方法など)をもらって運んでいただろう。そして対馬は特に壱岐には移住者たちのベースキャンプができていたと思うのである。
なぜなら何の計画性もなくいきなり九州に上陸するのは危険でもあったろうし、どのみち、唐津や糸島からいずこかに行かねばならないのだ。
どう考えても平地の多い壱岐で集団はとどまり先遣部隊が土地探しに冒険に出たと思うのである。
あるいはこのことが国譲りのモチーフになったかもしれない。高天原である壱岐から、出雲の地はどうかと先遣部隊が行くが大国主に取り込まれて帰ってこない・・・・
これは想像だがいずれにしても対馬と壱岐にとどまり移住先を探したことは間違いないだろう。
あるいはその際に案内した壱岐対馬の船員たちを猿田彦と呼んだのかもしれない。
断っておくが、当時日本なる概念はなく対馬海峡両岸世界と、島々の世界があっただけだから侵略と敵とかはまったくあてはまらない。
そして半島目線で見るとき神武東征には瀬戸内海と日本海の交易圏争いがあったようにも思うのだる。
宇佐と吉備の連合VS出雲丹後の連合である。

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posted by datasea at 16:05| Comment(0) | ◉ 日本神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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