2019年01月22日

ソルジェニーツィンは40年前アメリカの退廃的破たんを正確に予測していた

2019年1月14日 (月)
ソルジェニーツィンは40年前アメリカの退廃的破たんを正確に予測していた − (ロシアTVニュース)
マイケル・クウィン
2019年1月6日日曜日
書き起こし:
火曜日、アメリカで中間選挙が行なわれた。肝心な点はトランプ大統領がアメリカの議会上院における彼の立場を強くしたということだ。彼は上院の過半数を得た。
それは弾劾されないことを意味する。トランプは大統領職を継けるだろう。
だが議会下院では、トランプは足場を失った。今彼は下院で少数派になっている。下院は国の外交政策を決定する議会なので、重要問題についてトランプと合意することは明らかに不可能なことを意味する。
トランプにとって、諮問機関に過ぎない。
知事も選出された。
興味深い事実は、アメリカの全ての知事に、この選挙後、一人も黒人知事がいないのだ。どう思われようと。 一人もいないのだ。
下院の女性議員の数は増大した − フェミニストの動きのうねりで。
インディアン部族初の公然レスビアンさえおり、アメリカ民主政治の偉大な実績だと思われる。同様、初のイスラム教議員もおり、並外れたこととして広く論じられている。
アメリカ選挙運動の特徴は異常などう猛さと抑制のない無礼さだ。例をあげよう。
CNNの政治評論家アンナ・ナヴァロは、放送で、トランプ大統領のことを気安く「人種差別主義の豚」と呼ぶが、これは普通のこととして、穏やかに受け取られている。
とは言え、このスタイルは、アメリカの二大陣営、共和党と民主党の、お互い相容れない考えと深い憎悪さえ反映している。
アメリカ・エリートの分裂の残虐さは選挙後も消えず、このような上流社会の態度からは、アメリカ人は何も良い結果には出会うまい。アメリカ人は内戦で胸をつかれるような経験をしたことがないのだ。
抑制する動機は皆無だ。
だが不快さは増大しつつある。
皆が憎しみを抱き、皆が憎まれるというエリート状況がある。
同時に政治闘争の文化はばらばらに壊れつつある。
ここに重要な点がある − ニコライ・ベルジャーエフが社会の持続可能性のための文化の優位性について書いている。
「社会生活で、精神的な優位は文化にある。
社会の目標が達成されるのは政治や経済ではなく、文化によってだ。
大衆の価値と質は、高品質の文化水準によって測られる。」
つまり、文化の質が大衆の質を決定するのだ。これはハーバード大学での有名なソルジェニーツィンの講演を思い出させる。アレクサンドル・ソルジェニーツィン生誕百年祝賀も間近だ。
記念日が近づく中、彼がよく知っていた欧米の象徴、彼が追放されていた期間、暮らしていたアメリカに関する彼の考えを語りたい。適切で、新鮮で、知性面で大胆に聞こえる40年前の言葉は予言だった。
アレクサンドル・イサーエヴィッチは
「優位性が見えないこと」と
「勇気の衰え」は
「終わりの兆し」
だと語った。法的規制だけでは決して社会に十分ではなく、道義的基準が必要だと語った。
当時、知的なアメリカ人は、彼の言葉に拍手喝采した。
アレクサンドル・ソルジェニーツィン:
「私は共産主義政権の下で私の全人生を生きてきたので、客観的な法的基準の一切ない社会がどんなに酷いものかお話できます。しかし法法的基準以外の基準が一切ない社会も、同様に人間の暮らしはふさわしくありません。」
更に社会の利益と個人の利益の相互関係に触れ、人間中心主義に反対意見を述べている。
アレクサンドル・ソルジェニーツィン:
「個人の権利の擁護は社会全体を無防備にするほど極端になっています。
破壊的な、責任を負わない自由に無限の空間が与えられています。
社会は人間の究極の退廃から自らを守る術をほとんど持っていないように思われます。」
ハーバードは息を殺して聞いたが、結局ソルジェニーツィンは、欧米民主政治という考えのまさしく核心について語っていたのだ。
アレクサンドル・ソルジェニーツィン:
「そういう考え方では、地球上のすべてを判断し評価する基準は人間です。
利己心、ねたみ、虚栄心、その他多くの欠陥から決して自由ではない不完全な人間。
我々は旅の初めに気付いていなかった過ちの結果を、今経験しているのです。
ルネッサンスから今日に至るまで、我々の経験は豊かになりましたが、我々の熱情や我々の無責任さを抑制していた至高の全き存在という概念を失ってしまったのでず。
政治的、社会的な改革にあまりに多くの希望を置きすぎ、結局は、我々の最も貴重な財産を失ったことに気がつくのです。我々の精神的生活です。」
自制に光を当て、人生を始めた時より良い人間になって人生を終えられるよう向上するようにという呼びかけだった。
ソルジェニーツィンは物質主義のアメリカと、実際人間に、次の段階に、彼の言葉で言えば
「人類学上のレベル」
に向上するよう呼びかけていたのだ。
アレクサンドル・ソルジェニーツィン:
「人間生活と人間社会の基本的な定義を修正するのを避けることはできません。人間が万物の長だというのは本当でしょうか?
人より至高の霊はないのでしょうか? 人間の生活と社会活動が、物質的な拡大だけを尺度に決定されることは正しいのでしょうか?
我々の精神的完全さを犠牲にして、このような拡大を促進することは許されるのでしょうか?」
そう、このようなソルジェニーツィンの深い荘厳な考えに思いをいたし、我々自身を考えることは今日極めて有益だ。我々自身と、ソルジェニーツィンが40年前それほど力があるように聞こえたアメリカを、考えるために。
本記事はRussian Insider初出。
訳注:複写、頒布の自由等を明記したクリエイティブ・コモンズ・ライセンス英語文が最後にあるが、翻訳は省略させていただく。法律文書、数式など、意味がわからないものを訳す能力がないという単純な悲しい理由。

Russia Insider
https://russia-insider.com/en/solzhenitsyn-correctly-predicted-decadent-collapse-america-40-years-ago-russian-tv-news/ri25686

マスコミに載らない海外記事
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/40-tv-3509.html




本記事はRussian Insider初出。
このTV映像は11月中旬のものだが、ソルジェニーツィンに関するニュースとして、我々は現在放映している。
アメリカ中間選挙と、その調子が、どれほど無作法であるかの議論で始まり、次にソルジェニーツィンの非常に良い議論となっている。
彼の有名な先見の明ある1978年のハーバード大学講演「引き裂かれた世界」は非常に正確に、現在の欧米での文化的衝突を予測していた。
彼は未来の凋落と退廃を引き起こすものとして、過度に個人主義的な欧米イデオロギーをあげている。
「個人の権利の擁護が行き過ぎて、社会全体を無防備にしています。
社会は人間の究極の退廃から自らを守る術をほとんど持っていないように思われます。」
この退廃はアメリカ中間選挙での卑劣な戦いの種々な動画で見られる。国の二大政党間で、協力ではなく、このような極端な憎悪が当たり前になっている時に、どのような民主政治が持続可能だろう?
ハーバード大学でのソルジェニーツィン講演日本語訳は『世界を動かした21の演説』クリス・アボット著 清川幸美訳 英治出版刊、125ページから146ページに掲載されている。
ソ連の弾圧体制をするだけでなく、長年暮らした欧米資本主義文化の暗部を的確に指摘しているのは、さすが。この記事にはないが「マスコミ批判」もかなり鋭い。講演ビデオ(本人はロシア語で話しているが、英語同時通訳音声がかぶっている)と英語の書き起こしは、例えば下記で読める。
https://www.americanrhetoric.com/speeches/alexandersolzhenitsynharvard.htm
本人ロシア語発言の原文書き起こしは、例えば下記で読める。
https://rg.ru/2018/06/08/garvardskaia-rech-solzhenicyna-v-chem-izian-zapadnoj-demokratii.html
講演の中で、「日本も西欧の一員になったのかもしれないが、自分では判断しかねる。」といった趣旨の発言がある。日本のことには、残念ながら詳しくなかったのだろう。
今朝の日刊IWJガイドにびっくり。
宗主国が押しつける理不尽な憲法破壊・侵略戦争での傭兵化や、地位協定には一言も文句を言えないくせに、韓国のことになると、狂ったように吠えたてるポチ精神。属国傀儡政治家は、属国国民の象徴。
日刊IWJガイド「自民党長尾たかし衆議院議員が韓国への渡航禁止を呼びかける暴挙!! 徴用工問題の正しい歴史的事実を広めるため、ぜひ会員登録の上、岩月浩二弁護士によるご寄稿をご一読いただき、拡散を!」2019.1.14日号〜No.2314号〜(2019.1.14 8時00分)
2019年1月14日 (月) 

マスコミに載らない海外記事
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/40-tv-3509.html





ソルジェニーツィン、アレクサンドル・イサエヴィチ
1918.12.11-
Solzhenitsyn, Alexander Isaevich
Солженицын, Александр Исаевич
ソルジェニーツィン肖像作家。

北カフカスのキスロボツク市に生まれ、両親が農民出身にもかかわらず、高度な教育を受けていた。第一世界大戦勃発直後父イサーイ・ソルジェニーツィンはモスクワ大学修学途中、志願兵として戦争に参加、優れた功績をあげ勲章を三つも得るが、その後、狩猟事故のため、息子が生まれる半年前に死亡。息子ソルジェニーツンが生まれた年はロシアで内戦勃発の年であり、内戦はレーニン率いるボルシェビキーの全面的勝利で終わった。母は一家を支えるため秘書の仕事をはじめ、ソルジェニーツィンが6才の時、ドン河畔のロストフ市に移住する。

ソルジェニーツンは、小、中、高等学校で優勝な成績をおさめ、文学に深い関心を持ったが、将来の安定した報酬を確保するため、1938年、ロストフ大学の物理・数学科に入学する。
1940年同級生のナタリヤ・レシェトフスカヤと結婚。
1941年数学科の卒業証書を受け取ると共にモスクワの哲学・文学・歴史大学文学科の通信課程も終了した。
卒業後ロストフの中学校で数学を教たが、同年6月、第二次世界大戦の独ソ戦開戦により軍に召集された。
そして、砲兵学校の教程を終た後、砲兵大尉としてロシア、ヨーロッパ各地を転戦した。
1945年2月、東プロイセンのケーニヒスベルグ(現、カリニングラード)で、政治的告発を受け、反ソ扇動と宣伝の罪で8年の刑を宣告される。
前線から友人にあてた手紙と、私物のなかで発見された小説の下書きが、暗にスターリンを批判していたという理由である。
最初の1年をモスクワの刑務所で過ごし、その後、囚人数学者としてモスクワ郊外マールフィノにある特殊研究所へ移動される。
後に”数学卒業証書が命を救った”と作家はのべている。
マールフィノ特殊刑務所の監理体制は他の刑務所よりはるかに緩かったからである。
最後の3年間は北カザフスタンの政治犯専用の収容所で炭鉱で働いた。
そこで胃ガンが発見され、絶望的とみなされたが、1953年3月5日(スターリン死去と同日)、8年の刑期を終え、タシケント病院で奇跡的にレーザ治療で完治した。
その後は、シベリア追放のため、学校教師をしながらシベリア各地を転々とした。
そして、1956年の第20回共産党大会の翌年、ようやく完全な名誉回復を得、中部ロシアのリャザンに移り住み、
中学校の数学教師のかたわらひそかに文筆活動をはじめた。
1956年フルシチョフの反スターリンキャンペーンがはじまったが、それまでに、30年以降スターリンの手によって概算でも1000万人以上の人々が弾圧、獄死させられたというから、ソルジェニーツンは、まさに幸運だったといえよう。しかし、彼の苦難は、まだまだ続く。
1961年の第22回党大会での激しいスターリン批判をみて、ソルジェニーツンは、
処女作「イワン・デニーソビチの一日」(Один день Ивана Денисовича, 1962)
の発表を決意、文芸誌《新世界》にフルシチョフの許可のもと、掲載される。
スターリン時代の収容所の一日をリアリスチックなスタイルで描いたこの中編小説はドストエフスキーの
「死の家の記録」
に匹敵する傑作と評され、一躍世界のベストセラーとなった。
1年後、
「クレチェトフカ駅のできごと」(Случай на станции Кречетовка, 1963)、
「マトリョーナの家」(Матрёнин двор, 1963)
など優れた短編を発表、揺るぎない作家の地位を確立した。
しかしフルシチョフの失脚以降、彼の著作の出版は次第に不自由になっていく。
ソ連で最後に出版された作品は短編の「ザハール・カリタ」(Захар-Калита, 1966)である。
1967年5月、ソルジェニーツンは、第4回作家同盟大会へ公開状をおくり、当局による検閲の廃止を公然と訴え、
自分の原稿を当局に没収されたことを述べた。
この公開状は当局によって黙殺されたが、以来ソルジェニーツィンはマスコミから総攻撃を受け、作品は発行禁止処分にされた。
しかし、国内で発表できなかった長編
「ガン病棟」(Раковый корпус,1968-69)、
「煉獄のなかで」、原題「第一圏のなかで」(В первом круге, 1968)
の原稿のコピーが西側にわたり、著者の許可なしに海外で公刊され、当局との対立を一層悪化させた。
「ガン病棟」
はタシケントのガン病棟を舞台に死に直面した人々を、
「第一圏のなかで」
はモスクワ郊外の囚人研究所の生活を、自らの体験を踏まえて描いた秀作である。
後者にみられる、先入観にとらわれない、スターリン時代の深く鋭い分析は西側批評家の絶賛をあびた。
1969年10月、反ソ的イデオロギー活動との理由で、ソ連作家同盟を除名されたが、翌1970年10月にはノーベル文学賞に輝いた。
彼は、最初、ストックホルムでの授賞式に出席する予定でいたが、その12年前のパステルナクのノーベル賞と同様に、
ソ連政府がノーベル賞委員会の決定を”政治的敵意のあるもの”とみ、海外に出ることによりソ連市民権を剥奪されることを恐れがあるとして、授賞式出席を断念した。
1971年には、海外での作品出版を決意、翌年ロンドンで英語版の「1914年8月」(Август четырнадцатого)、ロシア革命を描いた、偉大な歴史的長編作品の第1巻を発表する。
1973年KGBにより、彼の最大の作品であり、ソ連史の書換えともいうわれる
「収容所群島」(Архипелаг ГУЛАГ)
の原稿が没収される。
幸い、原稿には密かにパリに持ち出されたコピーがあり、彼は、その発表を許諾。
73年12月に出版された。
その結果、1974年2月12日、売国行為の疑いでモスクワで逮捕され、13日に市民権を剥奪されて西ドイツへ国外追放された。
国籍を奪われたとき彼は、”嘘によらず生きよう”とのメッセージを国民に残した。
1973年に結婚した二人目の妻ナタリヤ・スベトローバと3人の子供が、彼のもとに行く許可が出たのはさらに後のことである。
ソルジェニーツンは家族とチューリヒで平和な2年間を過ごした後、アメリカのバーモンド州に移り、
「収容所群島」第3巻(ロシア語版1976、英語版1978)
を書き終え、「1914年8月」ではじまる、”ロシア人自ら自分達の過去と未来を減滅させた、悲劇的なストーリ”である長編
「赤い車輪」
の執筆に没頭する。
「収容所群島」全3巻(1973-75)
は、10月革命後60年におよぶ共産党独裁による民主弾圧の歴史を、文学のあらゆる可能性を駆使して描いた膨大なドキュメントであり、
文学的価値の面でも分量的にもトルストイの「戦争と平和」にまさるとも劣らない大作である。
1982年9月にはひそかに来日し、約1ヶ月にわたり日本各地を旅行し、その後台湾を訪れて帰米した。
1983年5月には宗教界のノーベル賞というわれるテンプルトン賞をうけ、ロンドンでの授賞式に出席、
”現代の悲劇はすべて われわれが神を忘れたことに原因がある”
とキリスト者の立場で現代文明を鋭く批判した。
ソルジェニーツィン肖像 文壇に登場以来、チェーホフ以後の最も優れた作家との評価がロシア国内でもあったが、今や現存する最も偉大な世界的作家の一人として多くを期待されている。

ロシア文学
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/pis20/solzhenitsyn/solzhenitsyn.html
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/history/kigen.html
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/




スラブ圏文学全体の起源は、863年の東ローマ帝国のブルガリア人の修道士キュリロスとその兄メトディオスの伝道活動と密接にかかわっている。
ロシア文学はキエフ大公ウラジーミルによる
キリスト教国教化(10世紀末)
と前後して、教会スラブ語によるビザンティン教会文献の翻訳がもたらされた時に、はじめて成立の可能性を与えられた。
教会スラブ語はブルガリア・マケドニア系の一方言を基礎とする文語で、ロシア語にきわめて近く、ロシアでは17世紀に至るまで広く用いられた。
教会スラブ語にロシアの生きた口語の要素をまじえた文語、
いわゆる古代ロシア語がこの時期の文学の用語であった。

ロシア文学
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/pis20/solzhenitsyn/solzhenitsyn.html
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/history/kigen.html
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/








posted by datasea at 17:11| Comment(0) | // 政治アナリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: