2019年01月12日

占星術の歴史

◇占星術の起源
バビロニアの占星術
さて、その12星座占いのベースになっている西洋占星術と呼ばれるものの起源は、紀元前3000年頃の古代バビロニアまでさかのぼります。
バビロニアって言われても、正直いってあまりピンときません・・・よね?
バビロニアとは、現在で言うイラク、歴史で習うチグリス・ユーフラテス川に発生したメソポタミア文明を引き継ぐ古代の帝国です。
バビロニア人は天体観測技術に優れていました。
現在でも時間に使われている12進法、60進法はバビロニア起源と言われています。
そして、そのバビロニアでは天体を神々と信仰し、地上のあらゆる物事に影響を与えると考えられていたらしいのです。
古代の人々は、移り変わる天空の姿に畏怖の念を抱き、地上の出来事と照らし合わせる事をはじめ、いつしか星の運行によって吉凶判断をするようになったのでしょう。
このバビロニア文化は紀元前625年に最後のバビロニア帝国を建てたカルデア人まで引き継がれました。
このカルデア人たちはいろいろな占いをしていたようですが、とりわけ占星術は盛んであったらしく、主に国家や王家に関して、月をメインに用いて吉凶判断をしていたようです。
ちなみに、「カレンダー」とはカルデア人と言う意味の英語
「カルデアン」
がベースになっている通り、占星術からできた言葉なんですってね。

星の塔
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5191/m_astrology1.html








ギリシャの占星術
そして、バビロニアが滅んだ後、この占星術の技術を持つカルデア人がギリシャに伝えました。
ギリシャに渡った占星術は、国家や王家だけではなく個人の運命を占うものとして発展しました。
現在でもおなじみの黄道十二宮(牡羊座、牡牛座・・・という、星占いで使う星座)についての一番古い記録は紀元前410年と推測されています。
ですから、そのかなり前にはすでにこのような占星術の体系はできていたと考えられます。
そして、この黄道十二宮を用いた占星術の体系が整ったのは紀元後1世紀頃ではないかと推測されています。
紀元後2世紀には、ギリシャの天文学者で、アリストテレスが考えた地球中心の宇宙モデルを完璧な形に仕立て上げ、天文学書
「アルマゲスト」
を著したプトレマイオスが、「テトラビブロス」という4巻からなる占星術書も書いています。
「テトラビブロス」は現在でも占星術の古典として多くの占星術家に読み継がれています。
また、このギリシャの時代には、占星術を哲学や科学と結びつけての研究が盛んになされました。
例えば、エンペドクレスの有名な「万物は火地風水の4要素に分類される」という4大元素論なども占星術に取り込まれました。
このように、このギリシャ時代において、現代の占星術理論のベースとでもいうべき姿ができていったようです。
インド、中国の占星術
さらに、このバビロニア発祥の占星術は、ギリシャだけではなくインドや中国にも渡り、インド占星術や中国の占星術のベースになっています。

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◇占星術の歴史
占星術はギリシャに渡ってから現在まで、常に今のように盛んだった訳ではありません。
ローマ時代の占星術
紀元前2世紀頃、ローマに流入した占星術は皇帝たちをも虜にして大流行しました。
しかし、キリスト教の勢力が強まるにつれて次第に占星術は弾圧されていきます。
すでに紀元後1世紀のローマ時代には占星術は迷信深いものとされ、占星術師たちは度々ローマから追放されています。
紀元後4〜5世紀頃には、ローマ皇帝たちがキリスト教に入信し、占星術などの異教的なものはさらに強力に弾圧されたのでした。
イスラム世界に渡った占星術
この頃、ヨーロッパでの占星術は衰退しました。
しかし、占星術は、ローマ教皇庁から異端宣言を受け東方に脱出したキリスト教の一派の手によりペルシャへ伝えられ、イスラム世界で盛んに研究されたのでした。
8〜9世紀頃、イスラム世界での占星術は最盛期を迎えました。
「テトラビブロス」
などの書物がアラビア語に翻訳され、バグダッドには天文台が建設されました。
そして、イスラム最大の占星術家アブ・マシャールを始めとする占星術家たちは、占星術の新しい技法を次々と生み出しました。
それらのいくつかは、現代の占星術でも重要な手法として残っています。

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ルネッサンス以降ヨーロッパの占星術
そして、これらのアラブ占星術はルネッサンス時代のヨーロッパに逆輸入されることになります。
キリスト教の腐敗と弾圧に対抗して、古代ギリシャ思想などの復興や錬金術を始めとする神秘学が盛んになり、それらの一部として占星術も再びヨーロッパに返り咲いたのです。
イスラム占星術の書籍が次々とラテン語訳され、「テトラビブロス」などの古代ギリシャ占星術書もイスラム経由でラテン語訳されたのでした。
貴族たちはこぞって占星術師を雇いました。
イギリスではエリザベス1世がジョン・ディーという占星術師を雇っていました。
フランスではノストラダムスも宮廷占星術師として貴族に雇われていたのでした。
中世ヨーロッパの大学では占星医学が医学の一部として正規の講義がおこなわれていました。
偶然にではありますが、梅毒の治療に沃化水銀が有効であると占星術によって発見されました。
また、イタリアの貴族の宮殿などには占星術をモチーフとした壁画や彫刻などの装飾も見られます。
しかし、この頃は、宗教改革がヨーロッパで盛んになり、プロテスタントによる占星術や魔術の攻撃は激しくなっていきました。
魔女狩りが盛んに行われたのもこの頃でした。
それでも、たびかさなるキリスト教の弾圧に耐えて、占星術は研究され続けたのでした。
「天動説」から「地動説」の時代へ
1514年、ポーランドの聖職者ニコラス・コペルニコスが、太陽が中心に静止して地球はその周囲を周っているとする「地動説」を発表しました。
それから約1世紀が過ぎ、1609年、ガリレオ・ガリレイは当時発明されたばかりの望遠鏡で夜空の観測始め、夜空の星の全てが地球の周囲を周っている訳ではない事を示しました。
これと同じ頃、ドイツのヨハネス・ケプラーは惑星の楕円軌道を唱え、これが観測と合致する事を発見したのでした。(彼はまた熱心な占星術家であり、太陽中心の占星術を研究したようですが成果は上げられなかったようです。)
地球はもはや宇宙の中心ではなくなりました。
地球の周囲を星が周る事を前提として占う占星術も大きな打撃をうけました。
ルネッサンス時代には天文学者は占星術師を兼ねている事も多くありましたが、これ以降、占星術と天文学は全く切り離して考えられるようにりました。
この天動説以降、占星術はほとんどすたれかけました。
しかし、全く途絶えてしまったわけではなく、民衆の間で親しまれるようになりました。
イギリスでは、1665年のペスト流行と1666年のロンドン大火を予言したウイリアム・リリーや、また現在でも占星術家の間で有名な
「ラファエルの天文歴」
を作ったラファエルなどによる「アルマナック」と呼ばれる「占星暦」が発行されていました。
これは当時、民衆の間で読まれていた物であったようです。

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土星外惑星の発見
1781年に天王星が発見され、古代バビロニア以来、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星の7つの星により運命を占っていた占星術は大きな打撃を受けました。
さらに、1846年には海王星、1940年には冥王星が発見されました。
これらの星の登場により、占星術はその理論を組替えることになりました。
そして、これらの惑星が発見された時代の背景や事件の意味などが、各惑星の司るところとなりました。
現代の占星術においてこの3惑星は、人の無意識の部分や世代の特徴などを象徴すると考えられ、重要な意味が与えられています。

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◇現代の占星術
19世紀になると占星術は、それまでの運命的予言を行う占いから、少しずつ変化をしていきます。
アラン・レオという占星術師は「性格は運命なり」という言葉を残しました。
そして、心理学者カール・G・ユングは占星術をシンクロにシティーと結びつけて研究しました。
「五千年の歴史を誇る心理学」
であるとも書いています。多くの著名な占星術師や心理学者がユングに影響を受けました。
占星術が単に運勢や出来事を占うものではなく、人間の内的世界の象徴として解釈されるようになりました。
また、この他にも占星術はいろいろな形の発展をしています。
占星術は統計学であるとして、株や政治の動きを扱う占星術師もいます。
また、古代の占星術テキストを翻訳して、現代に復興しようとする動きもあります。
稀ではありますが、教育機関で占星術が教えられるようになりました。
アメリカでは占星術で学位が取れる大学が設立され、イギリスのある大学では占星術と天文学の授業があります。
現代の占星術は多様性を帯びながら展開しているのです。

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1. 西洋占星術の歴史
◇「星占い」と「占星術」の違い
みなさんは何座ですか?天秤座?水瓶座?
多分ほとんどの方が自分の星座をご存知だと思います。
これはみなさんが生まれた時の太陽が位置していた星座のことです。
例えばわたしは7月22日生まれ。太陽はこの日、蟹座の位置にありました。
それでわたしは蟹座と言う訳です。
この太陽の星座だけによる「星占い」の歴史は意外と浅く1936年、
「ロンドン・サンデー・エクスプレス」
と言う新聞にR.H.ネイラーと言う占星術師が書いたのが始まりなんだそうです。
そして、この12星座の星占いのベースになっているのが伝統的な「占星術」です。
一般的には西洋占星術と呼よばれています。
こっちはもうちょっと複雑なんです。
太陽系の全ての天体と12星座の全て、プラス、星と星の角度やその他のいろいろな手法を使って占うのです。
ちょっと乱暴だけど、手っ取り早く言えば空にあるもの全部を駆使して占うのが西洋占星術なのです。
その伝統的な「占星術」で使う惑星の中でも、太陽の位置は毎年ほぼ一定です。
ですから、自分の誕生日さえわかれば太陽の星座は簡単に知る事ができます。
それが「星占い」となったのです。これが普及した理由は、その手軽さにあるのでしょうね。

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◇日本における占星術の歴史
日本における最古のホロスコープは平安時代、1113年に製作されたものだそうです。
その惑星位置は驚くべき正確さなのだそうです。
宿曜道として、インド〜中国を経て渡ってきたホロスコープ占星術は、平安〜鎌倉時代には盛んでありました。
紫式部の「源氏物語」には星座の象徴がちりばめられていると解釈する人もいます。
しかし、これは正確な天体観測技術が必要なために、その衰えと共に、室町時代には宿曜道も衰退してしまいました。
再びこの占星術が日本に紹介されたのは1914年(大正3年)になってからでした。
日本初の西洋占星術テキストとして、隈本有尚著「天文ニ在ル運勢予想術」が発行されました。
この当時はまだ「占星術」という呼び名はなく、隈本は「考星学」と訳していました。
しかし、これは一般的に普及はしなかったようです。
1925年(大正14年)、作曲家として有名な山田耕作が「「生まれ月の神秘」という本を一般向けに書きました。
これは生まれ月別の占いになっていますが、西洋占星術の星座を参考にして書かれたといわれ、昭和40年代まで読み継がれる大ロングセラーであったそうです。
昭和30年代は占い大ブームでしたす。占星術のテキストが次々に発売され、手相や易などと共に占星術も広く知られるようになりました。
昭和40年代には、雑誌「アンアン」や「ノンノ」が発売され、それらの雑誌に西洋占星術による運勢が連載されました。
このようにして、「星占い」が日本でも一般に浸透し、現在は西洋占星術も人々に知られることとなしました。

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