2019年03月15日

ペルセポリ(ペルシャ人の都)




古代中東都市の地理的意味アヌンナキが地上を分けた四つの領域。
それらの領域の中で発展した各文明にあって,最も神聖視され続けた信仰上の聖地を地図上で見てみる。
シュメールの聖都エリドゥ,エジプトのヘリオポリス,インダスのハラッパ,何も地形の許す限り,いずれも
北緯30°線
に接して建設されているのはただの偶然なのだろうか?この
「北緯30°線の法則」
は1000年後まで続いたものと思える。
紀元600年頃にペルシャの王たちはその王都を拡大して,全ての国家にとって神聖な都を建設した。
都市の建設地として選ばれたのは遠い無人の地で,文字通り何もないところに広大な石造りの床を敷き詰めて,宮殿を建てた。
すべては有翼円盤の神を祀るための都市であった。
その場所をギリシャ人たちはペルセポリ(ペルシャ人の都)と呼んだが,住民は一人も住んでおらず,ただただ春分の日に新年を祝うために王が家来を連れて訪れるだけの場所であった。
このペルセポリスがやはり北緯30°線上にあるのだ。
面白いことにこの緯度線をさらに延長させるとチベットの古い都市ラサにぶつかる。
この仏教の都市がいつ建設されたのかは定かではないが,やはり北緯30°線上にあることは事実なのである。
この北緯30°線の神聖性の起源は,おそらく聖なる測定者がこの戦場にギゼー三大ピラミッドの位置を定めた神聖なるグリッド,すなわち着陸用フライトパスにまで遡れるに違いない。
そうであるとするならば,彼らにとって最も重要な宇宙港ーシナイ半島のどこかにあった第4領域を決める時だけ,この神聖なる緯度線が無視されたはずはないであろう。
最後の手がかりはギゼーに残されたもう一つの謎・大スフィンクスに秘められている。
全長24フィート高さ65フィート,王冠を戴く人頭獅子身の巨大な怪物は,いつ誰に建設されたのであろうか?
その目的は何だったのであろうか?誰の姿に似せたのだろうか?なぜ他の場所ではなくわざわざここにこれ一つだけ建てられたのだろうか?
謎はあまりに多く,答えはあまりに少ない。
しかし確かなことがひとつだけある。
スフィンクスは北緯30°線に沿って,正確に東方向を見つめている
ことである。このことをさらに強調するように,スフィンクスの前方には正確に東西の軸線に沿って一連の建造物が建てられている。
19世紀の初頭までは肩のあたりまで砂漠の砂に埋まっていたのであるが,学者たちが掘り出したところ,
長い石段,踊り場,講壇,さらに2本の柱を立てた上り階段の廃墟
が出てきたのである。
その高さはスフィンクスの頭と揃えてあり,視線の先がちょうど2本の柱の間を通るように置かれてあった。
考古学上はローマ時代の遺跡とされているが,バールベックの例で見たように太鼓から同じ場所に記念構造物が繰り返し再建されてきたようだ。
ギリシャやローマの征服者達がファラオのスフィンクス信仰の伝統をそのまま忠実に受け継いたことは,現在ではすっかり証明されている。
大スフィンクスそのものは第2ピラミッドに通じる堤のそばにあるために,
カフラー王が自分の墓の守護神として自然の巨岩を利用して作らせたものだというのが定説であるが,これは全く事実の基盤を書いている。
スフィンクスが先史時代からそこにあったのではないかと疑う学者がいることである。
明細目録の石碑が証明するように,スフィンクスはクフ王の時代にはもうそこに存在していた。
明細目録の石碑の銘文で,クフ王はスフィンクスを
「その視線で風を導く大気の守護神」
と呼んだ。そして「神の姿をかたどったもの,その顔を東に向けたまま永遠に存在するだろう」と記している。
彼はまたその側に生えていたエジプトイチジクの木がこの
ホル=エム=アクヘト(地平線の鷹の神)
の場所へ天の大神が降り立った時に倒れたとも述べた。
これこそがファラオたちが最も頻繁に使った
「スフィンクスの神の名前」
なのである。ファラオ時代にスフィンクスの復元工事を監督したバラエンヘブという人物の立てた石碑には,
計測用の測量網,
地底世界の秘密,
天空船の上昇,
空中の横断,
聖なる砂漠にある保護地帯
のことが歌われていた。
この銘文の中では「隠れたシェムの場所」のことだとしてして,
「シェティ=タ」
という言葉が使われているが,ヘブライ人の預言者にとっては,「シェティ」とは
「聖なる線」
「ヤーヴェが聖なるシナイからやってくる」のを見守る方向
のことであった。
その「シェティ=タ」が聖なる砂漠にあったという。
聖書用語では「カディシュの砂漠」がぴったりそれを意味している。
そこへスフィンクスから「計測用の測量網」が伸ばされ,「天空の船が上昇して」,「空中を横断した」。
この描写は,ギルガメッシュがマシュ山に到着して,シェムが昇り降りするのを目撃したと証言とほとんどそっくりである。
つまり「聖なる線」,つまりエルサレムを貫く神聖グリッドの中央線と,スフィンクスの視線,すなわち聖なる北緯三十度線とが交差する保護地帯。
そこにこそ天と地と地の門がある神々の宇宙港があったのに違いない。
この二つの線の交差する交点はシナイ半島の中央平原の中に位置している。
死者の書で描かれているデュアトそのままに,中央平原は山々に円形に囲まれた広い谷間である。
そのなだらかで広い平地の天然の形表はディンギルたちの宇宙船の滑走路にまさにうってつけだったのであろう。
「旧宇宙基地」の飛行管制センター・ニップルと全く同じことが,この新宇宙基地のエルサレムについても発見できるのは当然といえば当然のことだ。
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

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posted by datasea at 00:00| Comment(0) | ◉ エジプト神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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