2018年12月18日

エルサレム・アララト山・ピラミッド,その地理的連関,北緯30度線の謎


20181123_201408.JPG


20181123_201312-103ba.JPG


詩篇第29篇ではシオンの神の声が届く地球上の場所の一部が列挙されている。
そこにはシナイ半島中央の「神々の地」の入り口の都市カデシュも,「レバノン杉の地(バールベック)」も入っている。
ウガリト文献には,バールがバールベックに
「光輝の石(通信装置)」
を設置することで獲得した能力を,一方の唇は地へ,他方は天へつけつけることができる力だと記述されている。
エルサレムが飛行管制センターの務めを果たすためには,ニップル同様に,着陸用のフライトパスを二等分する長い中央線上に位置しなければならない。
ユダヤの伝承によると,この聖地は「地のへそ」とされていた。
預言者エゼキエルはヘブライ人のことを
「地のへその上に住む者」
と呼んだ。この表現は,エルサレムこそが中心となる通信センターであって,聖岩が正確な測地中心点の印であることを意味している。
「聖岩」をヘブライ語で「エベン・シュテーガー(世界を紡ぎ出す石)」というのもだから偶然ではないのである。
しかしこうした表現や伝説がいくら暗示的であっても,問題はこのエルサレムがギゼーのピラミッド群とウム・シュマール山の両地点と,起点のアララト山とを結んでできる着陸用フライトパスを二等分する中央線上に存在するかどうかということである。
答えはまさにその通り。
エルサレムはぴったり正確にその線上にある。
しかも,エルサレムは,バールベックと聖カタリナ山を結んだ線が,ちょうどその中央線と交差する地点にも位置しているのである。
またエルサレムからヘリオポリスまでの距離と,エルサレムからウム・シュマール山までの距離はぴったり同じで,
両線の開いた角度は正確に45°
である。
エルサレムとバールベックとギゼー/メンフィスとの相互関係は聖書時代にも知られていて,こうと讃えられたものである。
「偉大なるかなヤーヴェ天主の都で崇められ聖なる山でも讃えられメンフィスでは敬われる歓喜は全地に満ちて」
シオンの山にザボンの山に溢れる聖書外伝の一つ「ヨベル記(別名モーセ黙示録)」ではエルサレムは地上に4箇所ある「天主の場所」の一つとされた。
他の三ヵ所は「レバノン杉の山」の中の「永遠の楽園」,「東の山」つまりアララト山,それにシナイ山である。
とすると,このアララト山から伸びる中央線ー「エルサレム線」上のどこかに,新宇宙港そのものも存在していたに違いない。
最後のビーコンもやはりそこに置かれていたはずである。
つまり砂漠の中心にあるシナイ山として。ここで重大な役割を演じるのが,現在北緯30°線と呼ばれている分割線であるが,
そのためにはシュメール神話の世界を振り返る必要がある。
既に見たように,兄妹神エンリルとエアは異母兄弟のライバル同士で,大洪水以前の世界は,「アヌの道」という幅の広い領域を挟んで,北方の地域がエンリルの「道」として,南方の地域がエアの「道」として分割支配されていた。
ノアの大洪水の後もこの対立関係は続いていて,両者の子孫神まで持ち越された。
世界の運命を決める彼らの討議については,様々なシュメール文献に記録されている。
その一つ「エタナ叙事詩」にはこう記録されている。
「運命を決める偉大なアヌンナキは,地上世界について意見をたたかわせた。
彼らは地上を四つの領域に分け,居住地を設けて監督に当たったが,人間から見ればそれはあまりにも恐れ多いことであった」。
この四領域のどれを誰が統治するかについて,エンリル家とエア家の間でくじ引きが行われた。
その結果,アジアとヨーロッパはエンリルとその子孫に,アフリカはエアとその子孫に与えられることになった。
「第一領域」はメソポタミアと周辺地域で,
山地(エラム,アッシリア,ペルシア)エンリルの息子ニヌルタに,
平地(メソポタミア南部からシナイ半島まで)は次子ナンナル(アッカド名シン)に,
北西部地方と小アジア,地中海諸島は末子イシュクル(アッカド名・アダド)に
それぞれ割り当てられた。
この領域からはシュメールから始まるメソポタミア文明,地中海文明,さらにはギリシャ文明が興隆した。
「第二領域」はアフリカ大陸で,ここを与えられたエアはやはり細分して息子たちに割り当てた。
この領域の中心文明をナイル河流域に起こしたラーというエジプト名の神はおそらくその一人である。
「第三領域」はインド・アジア大陸で,ここにもシュメールに約1000年遅れてインダス文明が栄えていたことが,50年ほど前に発見された。
その中心地ハラッパでは男神ではなく女神が崇拝されていた証拠があるが,この文明の残したインダス文字がまだ解読できないので,
何という名前の女神だったのかはわからない。
しかし私の結論ではおそらく,シン神の娘でシュメール人がイルニニ(強く甘い香りの婦人)と呼んだ女神,つまりアッカド名を
「イシュタル」
という女神こそその人であろう。
なぜならシュメール文献ではこの女神の支配地は「アラッタ」と呼ばれる遠い地域で,そこは穀物の豊かな穀倉地帯だったとされるが,「ハラッパ」もその通りの土地であったからである。
「第四領域」は人間の為ではなく神々専用の特別地帯として設けられた。
許可がない限り立ち入りできない神聖な地域とされるその一帯を,シュメール人は「ティムル・シン」と呼んだ。
その最も重要な施設の管理責任はやはりシンの息子のウトゥ(アッカド名シャマシュ)に任された。
つまり新宇宙港のことである。
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

gmuM pc









古代中東都市の地理的意味アヌンナキが地上を分けた四つの領域。
それらの領域の中で発展した各文明にあって,最も神聖視され続けた信仰上の聖地を地図上で見てみる。
シュメールの聖都エリドゥ,エジプトのヘリオポリス,インダスのハラッパ,何も地形の許す限り,いずれも
北緯30°線
に接して建設されているのはただの偶然なのだろうか?この
「北緯30°線の法則」
は1000年後まで続いたものと思える。
紀元600年頃にペルシャの王たちはその王都を拡大して,全ての国家にとって神聖な都を建設した。
都市の建設地として選ばれたのは遠い無人の地で,文字通り何もないところに広大な石造りの床を敷き詰めて,宮殿を建てた。
すべては有翼円盤の神を祀るための都市であった。
その場所をギリシャ人たちはペルセポリ(ペルシャ人の都)と呼んだが,住民は一人も住んでおらず,ただただ春分の日に新年を祝うために王が家来を連れて訪れるだけの場所であった。
このペルセポリスがやはり北緯30°線上にあるのだ。
面白いことにこの緯度線をさらに延長させるとチベットの古い都市ラサにぶつかる。
この仏教の都市がいつ建設されたのかは定かではないが,やはり北緯30°線上にあることは事実なのである。
この北緯30°線の神聖性の起源は,おそらく聖なる測定者がこの戦場にギゼー三大ピラミッドの位置を定めた神聖なるグリッド,すなわち着陸用フライトパスにまで遡れるに違いない。
そうであるとするならば,彼らにとって最も重要な宇宙港ーシナイ半島のどこかにあった第4領域を決める時だけ,この神聖なる緯度線が無視されたはずはないであろう。
最後の手がかりはギゼーに残されたもう一つの謎・大スフィンクスに秘められている。
全長24フィート高さ65フィート,王冠を戴く人頭獅子身の巨大な怪物は,いつ誰に建設されたのであろうか?
その目的は何だったのであろうか?誰の姿に似せたのだろうか?なぜ他の場所ではなくわざわざここにこれ一つだけ建てられたのだろうか?
謎はあまりに多く,答えはあまりに少ない。
しかし確かなことがひとつだけある。
スフィンクスは北緯30°線に沿って,正確に東方向を見つめている
ことである。このことをさらに強調するように,スフィンクスの前方には正確に東西の軸線に沿って一連の建造物が建てられている。
19世紀の初頭までは肩のあたりまで砂漠の砂に埋まっていたのであるが,学者たちが掘り出したところ,
長い石段,踊り場,講壇,さらに2本の柱を立てた上り階段の廃墟
が出てきたのである。
その高さはスフィンクスの頭と揃えてあり,視線の先がちょうど2本の柱の間を通るように置かれてあった。
考古学上はローマ時代の遺跡とされているが,バールベックの例で見たように太鼓から同じ場所に記念構造物が繰り返し再建されてきたようだ。
ギリシャやローマの征服者達がファラオのスフィンクス信仰の伝統をそのまま忠実に受け継いたことは,現在ではすっかり証明されている。
大スフィンクスそのものは第2ピラミッドに通じる堤のそばにあるために,
カフラー王が自分の墓の守護神として自然の巨岩を利用して作らせたものだというのが定説であるが,これは全く事実の基盤を書いている。
スフィンクスが先史時代からそこにあったのではないかと疑う学者がいることである。
明細目録の石碑が証明するように,スフィンクスはクフ王の時代にはもうそこに存在していた。
明細目録の石碑の銘文で,クフ王はスフィンクスを
「その視線で風を導く大気の守護神」
と呼んだ。そして「神の姿をかたどったもの,その顔を東に向けたまま永遠に存在するだろう」と記している。
彼はまたその側に生えていたエジプトイチジクの木がこの
ホル=エム=アクヘト(地平線の鷹の神)
の場所へ天の大神が降り立った時に倒れたとも述べた。
これこそがファラオたちが最も頻繁に使った
「スフィンクスの神の名前」
なのである。ファラオ時代にスフィンクスの復元工事を監督したバラエンヘブという人物の立てた石碑には,
計測用の測量網,
地底世界の秘密,
天空船の上昇,
空中の横断,
聖なる砂漠にある保護地帯
のことが歌われていた。
この銘文の中では「隠れたシェムの場所」のことだとしてして,
「シェティ=タ」
という言葉が使われているが,ヘブライ人の預言者にとっては,「シェティ」とは
「聖なる線」
「ヤーヴェが聖なるシナイからやってくる」のを見守る方向
のことであった。
その「シェティ=タ」が聖なる砂漠にあったという。
聖書用語では「カディシュの砂漠」がぴったりそれを意味している。
そこへスフィンクスから「計測用の測量網」が伸ばされ,「天空の船が上昇して」,「空中を横断した」。
この描写は,ギルガメッシュがマシュ山に到着して,シェムが昇り降りするのを目撃したと証言とほとんどそっくりである。
つまり「聖なる線」,つまりエルサレムを貫く神聖グリッドの中央線と,スフィンクスの視線,すなわち聖なる北緯三十度線とが交差する保護地帯。
そこにこそ天と地と地の門がある神々の宇宙港があったのに違いない。
この二つの線の交差する交点はシナイ半島の中央平原の中に位置している。
死者の書で描かれているデュアトそのままに,中央平原は山々に円形に囲まれた広い谷間である。
そのなだらかで広い平地の天然の形表はディンギルたちの宇宙船の滑走路にまさにうってつけだったのであろう。
「旧宇宙基地」の飛行管制センター・ニップルと全く同じことが,この新宇宙基地のエルサレムについても発見できるのは当然といえば当然のことだ。
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

gmuM pc



ゼカリア・シッチン:大洪水前の社会と惑星ニビル
古代人は第10番惑星の周期的な到来を予期していただけではなく,その軌道の取り方も記録した。
イザヤ書,アモス書,ヨブ記等の聖書のあちらこちらで「主」の運行が様々な星座の位置と関係づけられて語られている。
「主はただ一人で諸々の天を前進し,最も高遠なる深淵を踏破する」
「彼はおおぐま座に,オリオン座に,シリウスに,そして南の星座群にも到達する」
「彼は牡牛座と牡羊座に笑顔を向けて,牡牛座から射手座へと進むだろう」
これらの文章はこの惑星の運行が全天に渡るだけではなく,すでにメソポタミア文献から割り出したように,太陽系を時計回りの方向に動いていることを示している。
この点について極めて明快に記述したメソポタミア文献がある。
マルドゥク神の星その出現の際は水星天弧を30度上昇して木星天上の戦いの場に立つ時にはニビルこの記述は,学者たちの説のように,ただ単純に一つの星を異なる名前で呼んでいるのではない。
第10番惑星の運行を観察できる3大ポイントがあったことを暗示しているのである。
この惑星が当時地球の近くに戻ってきたときの軌道上,最初に観察するチャンスがあったのはそれが水星と並んで見えた時であった(図のA点)。
私の計算では,太陽=地球最接近時の仮定軸から30°離れた方向だ。
最も地球に近づいて,地表からさらに上昇して見えるようになった時,木星の軌道を横断した(B点)。
最後に天上の戦いの場(かつてティアマトと衝突した場所)である近日点,すなわち「横断の場所」に到達するとこの惑星はニビルとなったということなのである(C点)。
地球にも最接近したこの近日点を過ぎると,マルドゥクは再び遠い宇宙空間の深淵に向かってその長大な楕円軌道上を帰っていったのである。
古代メソポタミアとヘブライの文献の中に見られる「主の日」への期待はこのように「神々の星」の周期的な回帰現象を目撃した地球人類の実体験に根ざしたものなのである。
この周期的に出現と消滅を繰り返すのも,この惑星が多くの彗星と似たような長い楕円軌道を持っているからである。
例えばハレー彗星は75年ごとに地球に接近する時だけ見れるので,天文学者は同じ彗星であると納得するのにも苦労したものである。
人類史上で目撃された記録が一度しかない彗星も多いが,これは公転周期が何千年もの長さになるからである。
例えば1973年に発見されたコホーテク彗星は,翌年にはもう太陽の反対側に隠れてしまった。
天文学者の計算ではこの次に現れるのは7500年後から75000年後だという。
これに比べると第10惑星はもっと何度も出現したように記録されているから,公転周期ももっと短いであろう。
それでも天文学者がその存在にまだ気づかないのは,たとえコホーテクの最短推定周期の半分ほどでも,冥王星よりも6倍も遠くに行ってしまう計算になり,これでは地球からは到底見えないからである。
事実,土星よりも遠い惑星はすべてまず視覚ではなく数学的計算によって発見された。
既知の諸天体の軌道に微妙な狂いを生じさせる引力の放射源として,その位置を突き止められたのである。
ことによると第10番惑星もこの方法で天文学者たちに発見されることになるかもしれない。
すでにいくつかの彗星軌道のかすかな狂いからそのような道の惑星 X が存在するのではないかという仮説も出されている。
1972年,カリフォルニア大学ローレンスリバモア研究所のジョセフ=L=ブラディはハレー彗星の軌道の擦れから木星ほどの大きさの未知の惑星が1800年の周期で太陽を公転している可能性があることを発見したのである。
推定距離は60億マイルであるが,今のところ数学的に探知されたにすぎない存在である。
しかしメソポタミア文献と聖書文献をよく検討すると,第10番惑星の公転周期がちょうど3600年だという強力な証拠を見つけることができる。この
「3600」
という数字はシュメールでは大きな円で表現された。
「神々の星」の別名は「シャル(至高の統治者)」というがこれはまた「完全な円」「完成された円」の意味でもあってさらに数字の
「3600」
をも意味していた。この三つの言葉
「星」「軌道」「3600」
の一致は単なる偶然では済まされないだろう。
バビロニアの学社神官で天文学に長じていたベロッソスは紀元前3世紀頃,大洪水以前の地上を治めていたという10人の支配者について書き残した。
要約すれば
「これらカルデアの10人の王の統治期間は合わせて120シャル,すなわち432000年に達して,大洪水の時まで続いた」
とあったという。
1シャルは確かに3600に相当する。
アリストテレスの弟子アビデノスも大洪水以前の10人の王について,ベロッソスの記述を引用し,全統治期間は120シャルに及んだとした。
彼はさらにこれらの王とその都は古代メソポタミアにあったと明言している。
シュメール学が始まるとともに,ベロッソスが根拠にあげた古文書そのものも発掘されて解読された。
それはシュメールの列王表で,明らかに王権が天から下された時から,大洪水が地上を一掃するまで統治した10人の大洪水以前の王にまつわる伝承を記録したものであったのである。
そのひとつテキストW-B144の番号で知られる列王表には5箇所の定住地,つまり都市での神権政治が記録されている。
まず最初のエリドゥには二人の統治者がいたとあり,両者の名前には「開祖」を意味する接頭語「ア」がついている。
王権が天より下された時王政はエリドゥで始められたエリドゥが王になって28800年納め...
―第10番惑星に宇宙人がいた,ゼカリアシッチン著,サラブレッドブックス

gmuM pc







「99年ぶりのアメリカの皆既日食」と「北緯 33度線」がクロスする唯一の都市へいざなっ てくれた使者たち
チェックマーク1 2016/11/18
次々とやってくる「33度線からの使者」
最近……とはいっても、すでに1カ月以上前ですが、
・悪魔顔のハリケーン、米国Yahooの情報スキャン懸念へのスノーデ ンさんの言葉に思うこと、そして、北緯33度線から私のもとにやって きた静かな使者、などのエトセトラ 2016/10/06
という記事の後半の「アトランタからの使者の意味」というセクショ ンで、個人的で、かつ、やや無意味なことにふれました。
それは、全然使ってはいないのですが、私のツイッターのアカウント がありまして、それがどなたか知らない方にログインされていたので すね。
不正ログインそのものは、今では SNS から銀行口座に至るまで、今 の社会の当たり前の日常ですので、それはいいのですが、ログインさ れた方が、表面上ですが、アメリカのジョージア州アトランタからア クセスされていることに、やや興味を持ったのでした。
どなたかによるログインの通知
どういう興味かといいますと、このアトランタは、「アメリカの北緯 33度線上での代表的な都市のひとつ」だからです。
「なるほど、北緯 33度線のことなどを記事にしていると、ちゃんと 33度線から、使者がやってきよる」と納得しながら、そのアトランタ の文字を眺めていたのですが、その続報といっていいのかどうかわか らなのですが、最近また「やや似たような」ことに遭遇しましたの で、ものの流れとして、そちらのことも書いておこうと思います。
ちなみに、先ほどのツイッターのアカウントに関しましては、パス ワードを変更しまして、英語と数字の混合の意味のない 12桁のパス ワードという強固なものに変更しましたら、3日ほどして、またも別 の方にログインされました(だめじゃん)。だめな時は防御は効かな いものなのかもしれません。
今度は、東京の皇居周辺からのアクセスということで、一気に気高い 空気が流れる不正ログインでしたが、そのあたりについては、
・アメリカの北緯37度線を巡るエイリアンの実相。そして「北緯33度 線上の唯一の火山」が日本にあるという意味 2016/10/08
という記事に書いています。
さて、続きというのは、そのツイッターの続きの話ではないです。
私は、この In Deep などのブログを運営というか、しているのです が、
今はレンタルブログを使用していないですので、自分である程度 メンテナンスというか、チェックしたりということをします。
それで、まあこれは不正なアクセスという意味ではないですが、
セ キュリティ関係のいろいろなプログラムがありまして、そこには、い ろいろ「アクセスの痕跡」が残ったりしまして、
その数は多いときに は結構なものなんですが、そういうセキュリティ関係でチェックして いた時でした。
もしかすると不正アクセス(のようなもの)をしようとされていたか もしれない方々のアクセス先を見ていた時に、各国の都市名がズラッ と並ぶ中に、聞いたことのないアメリカの都市の名前がありました。
それは「スコッツデール」という名前の都市名でした。
通常は、こういうところには、ある程度代表的な都市名しか出てこな いですので、アメリカで聞いたことのない街が表示されているという ことは、
「これは、もしや」
ということで調べてみましたら、ビンゴ! で、スコッツデールはアリ ゾナ州にある都市で、下のように北緯 33度線上にある街なのでした。
ジョージア州アトランタに続いて、アメリカの北緯 33度線上からイン ターネットを通じた友情のアクセスが(友情じゃねーだろ)実を結ん だ感じがいたします。
まあ、これまでアリゾナ州のスコッツデールという街を知らなかった のを知ったのはいいことだと思います。
そして、私には、
「次は……」
と考える「場所」があるのです
実は、私がこれからのアメリカで注目している都市がありまして、ま あ今年はもうそろそろ終わりですので、来年でもその先でもいいので すが、
それは、サウスカロライナ州にあるチャールストンという街で す。
チャールストンが迎える2017年8月21日に向かって
チャールストンは、北緯 33度線上でアメリカの東側の入り口に位置す る都市なのですが、
そのチャールストンが、来年、「アメリカの北緯 33度線上で最も、象徴的な位置となる」出来事があります。
それは、
・「感染する幻覚」と「北緯33度線」を結ぶ、アメリカ合衆国で「99 年ぶり」に観測される皆既日食が描くライン 2016/10/18
という記事に書きましたが、アメリカでは、2017年8月21日に、アメ リカ本土では「 99年ぶりとなる皆既日食」が見られるのですけれ ど、それと関係しています。
まず、この 2017年8月の皆既日食は、
「全世界でアメリカ合衆国だけで観測される」
のです。
2017年8月21日に皆既日食が観測されるライン
しかも、
「アメリカの北緯 33度線上でこの皆既月食が通過するのはチャールス トンだけ」
なのです。
なので、
「 99年ぶりの皆既日食が、33度線とクロスする場所がチャールスト ン」
ということになるのです。
2017年の皆既日食のラインと北緯33度線のライン
まあ、こういうことは、一般的にはどうでもいいことなのですが、何 しろ、非常にぶっちゃけて書けば、このブログ Un Deel で(綴り間 違ってるぞ)、In Deep で、これまでの記事で知り得た、いろいろな 伝承や伝説から、「この世の中での不吉であり悪魔的な現象と概念の ビッグスリー」は、
・虹
・日食(月食含む / 皆既になればなるほど強い)
・33
となっていて、これらについては何度も書いたことがあるような気が します。
それらの過去記事のリンクをすべて示すのは難しいですが、リンクと して、
・虹関係の記事のリンク
・日食関係の記事のリンク
・33関係の記事のリンク
を示させていただきます。
そんなわけで、そのビッグスリーの中の「皆既日食と 33度線が 2017 年の夏にシンクロ」するチャールストンは、示唆的だと思います。
アメリカでの皆既日食は 99年ぶりですが、この 99も「 33 × 3 」とい うことでもあり、いろいろとバッチリな感じもありまして、来年の夏 に向けて注目している次第です。
なんといっても、来年のアメリカ合衆国はすでに、第45代大統領の虎 无婦(無理に漢字で書くなよ)、トランプ大統領の支配下のアメリカ になっているわけですしね。
ちなみに、最近、その「チャールストン」のキーワードでニュースを 検索したりすることがあるのですけれど、このチャールストンでは、 今から 130年前の 1886年に、「大地震が起きた6日後に、小石が雨 あられと降り注いだ不可解な事象が公文書に記録されている」という ことを最近のニュースで知りました。
2016年11月17日の米国メディアより
・postandcourier.com
サウスカロライナ州で大地震が起きたということがあったということ も初めて知りました。
このあたりは、ふだんは「まったく」地震がな い場所です。
今現在も基本的に、ほぼまったく地震はありません。
1886年の地震は、英語版 Wikipedia によれば、マグニチュード 7.0 の 地震だったそうですが、その6日後に、「空から小石が降り出した」 のだとか。後年、科学者などが研究した結論としては「悪質な冗談」 ということで落ち着いたようですが、来年のチャールストンなら、空 から石が降ってきても不思議ではないのかもしれません。
どうも最近は、そんなことを思ってしまうほどに 33度線の「示唆」が 激しくなってきているようには思います。
ちなみに、第 35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディさんが 1963年11月22日に暗殺されたダラスも北緯 33度線上でした。
私はこ の時、まだ3カ月の赤ちゃんでしたので、詳細は覚えていないです。
そして、私のもとへの様々な、あるいは不正かもしれないアクセスも また新たな知識を私にもたらしてくれるという意味で有用なのだと実 感します。

In Deep
http://indeep.jp/33-degrees-and-2017-total-solar-eclipse-in-charleston/




posted by datasea at 14:21| Comment(0) | ◉ シュメール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: