2018年12月20日

ミトラ教

比較宗教学
2013/01/15
第6回
第7章 キリスト教
第1部 イエスとキリスト教信仰の成立
1 キリスト教の定義
「キリスト教とは、イエスは神の子であると信じる宗教である」
――もう少し正確に言えば、
「キリスト教とは、イエスという歴史上の人物は、(人類に救いをもたらす)神の子キリスト(人類の王)であると信じる宗教である[1]」。
この定義は、キリスト教の根本的教義であり、その他の教えは、このイエス・キリストの言行に基づいている。
この言行は、キリスト教の正典の一つである『新約聖書[2]』に記されている。
「イエスが神の子である」
ということは、イエスがキリスト教にとって単に歴史的に実在した人間(人の子)であるばかりでなく、
同時にそれ以上のもの(神の子)であることも意味する。
もともと世界の諸宗教においては、教祖の神格化という現象は決して珍しいものではない。
仏教のように、原理的には神を立てない宗教においてさえ、時が経つにつれ、教祖の理想化・神格化が行われた。
しかし、キリスト教ほど、この教祖の神格化に中心的な重要性を与えた宗教は、おそらく他にないだろう。
この
「イエスは神の子である」
という告白(信仰内容)が、同じ聖典(神の啓示)から出発したユダヤ教や、同じ神を崇拝するイスラームと 袂 たもと を分かつ原因にもなった。
単なる人間イエスを神の子と見なす信仰は、キリスト教の聖典の一部である『新約聖書』を強く 彩 いろど っている。
したがって我々は、イエスの言行を記したとされる『新約聖書』を通して、歴史的人物としてのイエスの生涯と彼の教えを正確に得ることはできない。『新約聖書』は、イエスに関する歴史的事実を忠実に伝える文書ではなく、イエスについて聖書記者が抱いた信仰内容の記述である。それゆえ、実際のイエスの教えと、後の人たちが記したイエスの教え(教義)とが一致しない可能性がある。しかしそれでも『聖書』が、歴史上のイエスを知る上で第一級の資料であることにかわりはない。

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http://www.geocities.jp/studia_patristica/comp0506.htm












6 クリスマスの日時と由来(再論)
キリストの誕生日は、一般に12月25日とされている。
しかしそれは、聖書のどこにも書かれておらず、教会(宗派)ごとに異なっていた[7]。
前回も述べたとおり、キリストの誕生日とされる12月25日は、キリスト教そのものに由来するのではなく、
キリスト教が広まる以前にローマ帝国内で盛んであった太陽崇拝(アニミズム)に由来している。
@ ローマ帝国では、サトゥルナリア(農耕神サトゥルヌスの祭[8])が
12月21〜31日もしくは
12月17日から一週間、
行われていた。
この期間中でも特に、冬至の日(12月22日前後)は、
「太陽が甦る日」
として盛大に祝われた。
A さらに、ローマ帝国では、古代ペルシアが起源のミトラ教が広がっていた。
ミトラ教の主神ミトラは,ギリシア神話のアポロンのように,光と真理を司り,すべての悪を圧倒的な力で排除する善の神で、ローマ人兵士の間で信仰されていた。
このミトラ神(太陽神)が、ローマ帝国の皇帝崇拝と結び付けられ、
237年にローマ皇帝アウレリアヌスによって、12月25日が
「不滅の太陽の誕生日」
として、ローマ帝国の正式な祭日と定められた。
こうして、それらの冬至にまつわる二つの祭日と、ときに「太陽」や「昇る朝日」にたとえられるイエス・キリストとが習合し、(西ヨーロッパでは)12月25日がキリストの誕生日となったのである。

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■■■第5章:ミトラ教と日本のつながり
●「ミトラ教」は、
「ミトラス教」(古代ローマ帝国)、
「明教」(中国)、
「マニ教」(摩尼教/中央アジア・中国)、
「ズルワーン教」(ペルシア)、
「ボゴミール派」(東欧)、
「カタリ派」(フランス)
などとも呼ばれる。
ボゴミール派やカタリ派をキリスト教の一部とみなし、その異端とする考え方は古い見方で、最近の宗教学では修正され、
もともと思想も系譜も異なる東方オリエント系の宗教のキリスト教世界への伝播と考えられるようになってきている。
●「ミトラ神」は、キリスト教徒にとっては「キリスト」そのもので、ユダヤ教徒にとっては「大天使メタトロン」であり、
イスラム教徒によっては「イマム・マーディ」、ヒンドゥー教徒によっては
「カルキ神」、または
「クリシャナ」
の再臨とされている。
神智学では、ミトラ神のことを「ブラフマー」あるいは「ロゴス」と呼び、その地球上での姿を「世界教師」と呼んでいる。
「ミトラ」という名前は、サンスクリット語で「マイトレーヤ」と転訛し、インドやチベットなどではマイトレーヤと呼ばれている。
一方、イラン系ミトラ=ミスラがミフルと転訛。続いて
ミクル→ミルクル→ミルク
となり、最終的に
「ミロク」
と呼ばれる。
このミロクが漢字に翻訳されて
「弥勒」
となり、マイトレーヤの訳語となる。
これが「弥勒菩薩」である。弥勒菩薩は仏教におけるメシアである。
このように、世界中の主要な宗教の中にミトラ神の像が組み込まれている。
●ミトラ信仰は、中央アジアから中国・古代朝鮮を経由して日本にも伝えられ、弥勒信仰の中に生きている。
日本において弥勒信仰は、そのまま仏教だった。
当時、いち早く仏教を取り入れようとしたのは、蘇我氏であった。
彼らは仏教を政治的に利用して、古代日本の支配権を手に入れた。
その際、蘇我氏がバックにつけたのが仏教を持ってきた渡来人たちであった。
なかでも、最大の力を誇っていたのが
「漢氏(あやし)」
なる一族だった。
漢氏は、ペルシア系渡来人で、仏教のほかに奇妙な信仰を持っていた。
それは、漢氏にちなんで「漢神信仰」と呼ばれたが、その中心は雄牛を殺す儀式にあった。
この儀式はミトラ教の密儀に通じている。
●12世紀以降の中央アジアと中国では、東方ミトラ教ミーフリーヤ派(弥勒派)が活発な活動をし、彼らから朱子は東方ミトラ教を学び
「朱子学」
を興した(12世紀)。
さらに王陽明が「陽明学」を築いた(15世紀)。
東方ミトラ教は別名を
「明教」
というが、中国では明(1368〜1644)という王朝名の由来となった。
朱子学と陽明学は東洋版神智学の双璧である。
日本では江戸時代に林羅山、三浦梅園らが「日本朱子学」を興隆させ、中江藤樹らが陽明学を興隆させ、伊藤仁斎らが
「古学」
を起こし、荻生徂徠が
「徂徠学」
を起こし、本居宣長らが
「国学」
を起こした。
●「神智学」はマダム・ブラバッキーやルドルフ・シュタイナーの十八番と思われがちだが、そうではない。
東方神智学的な認識は、日本の朱子学や陽明学、徂徠学、国学などのいわば日本版神智学と極めて類似した思考パターンを示している。
国学=日本版神智学
と考えたほうが正解である。
なお、20世紀初頭、インドの巨星タゴールの詩集をいち早く翻訳した功労でも知られる三浦関造氏が、ブラバッキーの
『霊智学解説』
を翻訳出版したが、この本が日本における神智学資料の草分け的存在になり、現在、三浦関造氏は日本神智学の祖とされている。

ヘブライの館
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html














 

 

■■■おまけ情報:キリスト教とミトラ教の共通点
キリスト教とミトラ教の共通点を簡単に挙げておきたい。
【誕生の予言と目撃】
ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。
そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。
これは福音書のイエス誕生と通じている。
【誕生日】
ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。
これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。
【奇蹟】
ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。
イエスの数々の奇蹟と共通している。
【12弟子】
イエスには12人の使徒がいた。
ミトラは12星座に囲まれる。
ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される。
【復活祭】
ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)
【最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴
これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。
【聖体拝領】(パンとブドウ酒)
もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に
「ミトラの友」
であることを確認する儀式であった。
新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。
これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。
ただ、食べるのが
イエスの肉=パンと
イエスの血=ワイン
であるかの違いである。
【洗礼の儀式】
ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。
説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。
【昇天と再臨の予言】
もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミ
トラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。
【復活の日と最後の審判】
もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。
【最終戦争とハルマゲドン】
もとはミトラの最終戦争である。
ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。
『ヨハネの黙示録』
によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。
■その他の共通点
●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。
●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。
ミトラはまさしく岩の中から生まれた。
●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。
『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。
●ミトラ教の最高司祭は
「パテル・パトルム」(父の中の父)
と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。
●ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行われた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行った。
●イエスは創造主なる御父がいる。
『アヴェスタ』
においてミトラは創造主アフラ・マズダの子供とされている。
●イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。
ミトラは光明神であり、太陽神でもある。
このように、ミトラ教の儀礼をみれば、キリスト教にオリジナルな儀礼など、何もないことがはっきりとわかるだろう。
結局、「イエス・キリスト」は何者だったのか? 
これについては、別ファイル「秘教的キリスト教」において詳しく考察していきたいと思う。
なお、「ミトラ神学」についてはまだ研究中なので、まとまり次第、テキストを追加していきたい。
(1998年3月)

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民族移動する以前の古代アーリア人宗教「原始ミトラ教」
ゾロアスター教>バラモン教
V   V   V               
ユダヤ教  仏教 ヒンドゥー教
V         
キリスト教      
V   
イスラム教

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J古代アーリア人の「ミトラ教」〜中国まで〜
2015-07-06 13:17:19
【ミトラ教】
ミスラ(Miθra)とはイラン神話に登場し、英雄神として西アジアからギリシア・ローマに至る広い範囲で崇められた神。
インド神話の神ミトラ(मित्र [mitra])と起源を同じくする、
インド・イラン共通時代にまで遡る古い神格である。
その名は本来「契約」を意味する。
ミスラ神(ミトラ神)は元々は、インド・ヨーロッパ語族の古代アーリア人が信仰する神格群の一柱であり、その際の神名はミスラ神と言われます。
●ミトラ教研究の東條真人氏によると、ミトラ教は時代によって5つに区分することができるといいます。
◎原始ミトラ教時代……紀元3世紀までのバビロニアを中心とした時期
◎西方ミトラ教時代……ローマ帝国とセレウコス朝シリアを中心とした時期
◎東方ミトラ教時代……バビロニア=イラン=中央アジア=中国など
               全ユーラシア大陸に広がった時期。
               伝道者マニの名をとって「マニ教」とも呼ばれる。
◎東方神智学時代………イスラムの神学と融合した時期
◎現代神智学時代

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☞古代アーリア人の共通祭式儀礼は
民族移動する以前の古代アーリア人の共通祭式儀礼
紀元前2500年から紀元前九世紀頃までの古代のアーリア人が古くから信仰してきた自然崇拝の宗教は、
祈禱、
拝火、
犠牲獣祭
でした。
最上位の神官階級は、特定の神格に聖なる祈禱マンスラを唱えて犠牲を捧げることによって、その神格から応分の果報を得る能力をもっていた。
1まず神官は依頼人から渡された犠牲の獣(牛)を屠って、神々に捧げる。
2次にハマオ(薬草の樹液)という一種の幻覚剤を調整して服用し、神託を得る。
3神託を依頼人に告げ、神々に捧げたはずの犠牲獣(牛)の大部分を神官の取り分として祭式を終わる。
神官階級が祈りを捧げる神格は、大分すると
◉アフラ神群右矢印ミスラ、ヴァルナ、アルヤマンなど
◉ダエーヴァ神群右矢印インドラ、ナーサティヤなど
「古代アーリア人」
イラン高原のアーリア人により支持されていたゾロアスター教。
紀元前1世紀以降のヘレニズム時代になると、古代アーリア民族の宗教で最も活発だったのは、ゾロアスター教ではなくミトラ信仰であった。
ミトラ崇拝は、アケメネス朝時代からイラン高原西部に浸透して紀元前1世紀以降は、メソポタミアから小アジアまで拡大して行きます。
アケメネス朝の頃から、ミトラ派の神官たちは小アジア地方にも活動の場を広げていたが、紀元前1世紀頃になると彼らはギリシアの影響を強く受け、その結果、ミトラ神をギリシアの「太陽神ヘリオス」と同一視した新たな信仰が生み出されます。
1世紀後半に西北インドに興ったクシャーナ朝に伝えられて
「太陽神ミイロ」
となり、後にはこれが仏教に取り入れられ「弥勒菩薩」となる。
またミトラ派の神官たちは、バビロニアの神官団(カルデア人)と合流し、ミトラの密儀とバビロニアの占星学を統合して
「秘教占星学(ズルワーン神学)」
を作りあげ、ミトラ教という宗教に発展させた。
これはのちにバビロニア=ストア学派の手でローマ帝国に伝えられる。
ミスラ信仰はペルシャ帝国期、マギ神官 によって小アジア、シリア、メソポタミアに伝道され、ギリシアやローマにも取り入れられた。
ギリシャ語形・ラテン語形でミトラースと呼ばれ、太陽神、英雄神として崇められた。
その信仰はミトラス教と呼ばれる密儀宗教となって、1世紀後半から4世紀半ばまでのローマ帝政期、ローマとその属州で広く信奉され、
善悪二元論と終末思想
が説かれた。
最大のミトラス祭儀は冬至の後で太陽の復活を祝う12月25日の祭で、キリスト教のクリスマス(降誕祭)の原型とされる。
のちに新プラトン主義と結合し、キリスト教と争ったが、圧迫されて衰退した。


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【ポントス王国のミトラ信仰】
ヘレニズム時代より、トルコ北部とクリミア半島には「ポントス王国」ができた。
歴代君主には、「ミトリダテス」という名が並んでいる。
小アジア以東のオリエント世界に見られる男性名。
ミトラダテスとも。
「ミトラス神に与えられた者」
を意味するペルシア語名ミフルダートのギリシャ語形である。
おなじ「ミトリダテス」という名は、パルティア王国の君主の中にもこの名を見出すことが出来る。
ポントス王国はクルド人がつくったミトラ教国家で、この国の海軍の将兵たちがローマ帝国に積極的にミトラ教を広めた。
クルド人は、のちにアユーブ朝とザンド朝をつくり、イスラムにミトラ教を融合させていった。
アフガニスタン・パキスタン・中央アジア・カシミール地方を合わせた地域には、ミトラ神を崇拝するミトラ教国家
「バクトリア」
が誕生した。
バクトリアの王家は、ギリシア系のプラトン一族で、ギリシア本土の哲学者プラトンとつながっている。
このバクトリアが滅亡したあと、「クシャーナ帝国」が生まれ、仏教を国教とした。
王朝が変わってもミトラ信仰は盛んだったので、それを仏教化した弥勒信仰が生まれた。
こうした一連の歴史の流れの中で、「ズルワーン神学」の後期の形態から
「西方ミトラ教」
が生まれ、それが更に発展して「東方ミトラ教(明教)」になった。
イスラムが広がり始める7世紀以降は、徐々にイスラムにとって替わられていく。

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【アルメニアのミトラ信仰】
アルメニアは、「紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教とした」ことで有名です。
アルメニアは、パルティア王国が224年にサーサーン王朝に滅ぼされたあともサーサーン家宗主権。
のもとで428年までアルメニアを支配した。
そのため古代アーリア人の信仰した神々の影響を受けた。特にミトラ神を好んだ。
ザラスシュトラの宗教改革の結果、ゾロアスター教の中では六大天使にも入らなかったミトラ神だが、ゾロアスター教の影響が及ばないアルメニアや小アジアなどの西方では、ミトラ神は崇拝を集めた。
ミトラ神殿
(オリエント世界で現在確認される唯一のガルニミトラ神殿遺跡(再建されたもの))
アルメニア王国のアルシャク王朝初代のティリダテス一世が、ローマ帝国の承認を受けるために3000人のパルティア騎士に警護されてネロ皇帝の前にひざまずいた際、彼はギリシア語のスピーチで
「自分はネロ皇帝の僕であり、ミフル神を崇めるようにローマ帝国を崇める」と宣言したことは有名である。
ガルニミトラ神殿もティリダテス一世が造営したとされている。
ミトラ信仰は、この地を訪れたローマ軍兵士や海賊などを通じて地中海世界へ流入して行く。
ゾロアスター教の聖典アヴェスターでは、ミスラ神は
「光の君」、
「真実の神」、
「死から救う者」、
「浄福を与える者」、
「勝利者」、
「戦士」、
「広い牧場の君」
などの称号が与えられており、その軍神としての性質、及び、現世利益的な性質から、
海賊、商人、奴隷、軍人
を媒介として流布し、ローマ世界へと流入したとされます。

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【ローマ帝国のミトラ信仰】
ミトラ教はキリスト教が普及するまでローマ帝国内で広く流行した。
ミトラ教はローマ帝国内で非常な威勢を誇り、各地にミトラ神殿が建立され、歴代ローマ皇帝の中にも、ミトラ神を政治的に利用するだけではなく、信仰を捧げた者もいた。
ミトラの密儀は、バビロン又はカルディアの占星術と融合してできたもの。
特異な密議宗教として地下に密室を掘って男だけで集まり、短剣で牛を屠って再生を経験するという儀式を行う。
ミトラ教は、ヘレニズム・ローマ世界で主に紀元1世紀から4世紀にかけて、キリスト教と並ぶ救済宗教として絶大な支持を集めていた。
しかし、キリスト教による世界独占の方向に進んでいき、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥のユリアヌス帝の死後、ローマ政権と結んだキリスト教による一元的な宗教支配体制が着々と押し進められていった。
392年には、ローマの伝統である宗教的寛容さを打ち切る旨の勅令が出され、国の祭儀として行なわれていた古代ローマ時代から続く儀礼への国費補助が打ち切られた。
そして、ミトラ教をはじめとする異教の神殿は破壊され、それまでミトラ神の洞窟神殿だった聖域上にキリスト教会が建立された。

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【牛を屠る神】
ミトラス神は
「牛を屠るミトラス神」
という図像で描かれることが多く、その標準的な構成は、中央に牛を捕えて短剣で屠るミトラス神を配し、左右に一対の松明保持者、牛の下方に蛇、さそり、犬などの動物、上方または周囲に擬人化された太陽や月、天の12宮が描かれます。
ミトラの主要な概念は、
ミトラに体現される善の勢力とアフリマンに体現される悪の勢力の不断の戦いである。
神話によれば、ミトラは洞窟で、手にナイフとたいまつを持ち、フリギアの帽子を被った聖人の姿で生まれたという。
この時近くにいて最初の証人となった牧夫は、彼に彼らの家畜の生んだ最初の仔と木の実を送った。時を経て、ミトラは彼に定められた運命に従って悪の体現であり、世の邪悪な暗黒の勢力である猛牛に戦いを挑んだ。
両者の激しい戦いで、ミトラはナイフで猛牛を傷つけ勝利した。
ミトラと猛牛の戦いは終わらず、ミトラは太陽の使者カラスを通じて猛牛を殺害せよと命令を受け、犬の助けによってその命令を遂行する。
その後大きな奇跡が起き、猛牛の死によって善の自然力が生き返り、ミトラは人類の一切の善なるものの源泉となる。
猛牛の体と尾から有用植物と薬草が生え、血液からブドウが生えた。
タウラクトンの猛牛に打ち勝つミトラ像は、ミトラ教の基本的なシンボルとなり、あらゆるミトラ神殿に置かれた。
この像にはしばしばミトラの主要な同伴者、すなわち猛牛の血を飲み、大地を体現する蛇、猛獣に噛みつく犬、猛牛の睾丸に食らいつくサソリがついている。ミトラは、猛牛という自らの宥和的な供儀によって、宇宙的悪から人間を救う。
ミトラはこの偉業の後、彼を崇拝する人たちを最後の晩餐に招くが、ここで妥当された猛牛の血を象徴するワインによる秘儀が行われる。
この後、ミトラは天に昇る。
これをもって、地上に置けるミトラの使命を完結する。
その後、悪の力がアフリマンの姿をとって、人間に世の終わりを告知する多くの災難と不幸をもたらす。
ミトラは人間を救うべきして到来して、世の浄化と新生を象徴する世界火によって悪を根絶するまで一連の偉業を行う。
ミトラの言葉によって全ての死者は蘇りミトラの前に集まる。
そこで正義の神であるミトラは善者と悪者を選別し、猛牛の聖なる血によって善者を聖別し、永遠の不死をあたえる。
▶儀礼
彼らは、魂を浄化するための特別の儀礼があり、また相互に「親愛なる兄弟」と呼び、
小さな十字形に切れ目を付けたパンを食べ、ワインと水を飲んだ。
ミトラ教の宗教的秘儀には、音楽、太陽への祈り、祭壇での拝火などがあり、ミトラ神の誕生日である
12月25日
は主要な祝日であった。
*キリスト教のクリスマス(降誕祭)の原型とされる。
こういった儀礼より芸術的遺産には
 猛牛に勝つミトラ
 岩から生まれたミトラ
 ライオン狩りのミトラ
などがある。
(岩から生まれるミトラス神(アテネ国立考古学博物館))

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レジナルド・フェセンデン氏はこうした「アトランティス伝説」についてのきわめて入念な研究をしているが,
それによるとかれはアトランティスは大西洋のなかの失われた陸地ではなくて,おそらくかつてコーカサス地方にあった,
極めて重要な文明をもっていたところのことらしい,と結論づけているのである。
モーゼは実に手がつけられないほど厄介な人物です。
これはエジプのパピルスの巻物からの「死者の書」ですが,
モーゼの十戒は100%ここからの盗作である。
エジプトではMISESが神から与えられた法の石刻版を授かった。
この「死者の書」にあるフレーズ”盗みはしない”が「なんじ盗むべからず」,
”人を殺してはいけない”が「なんじ殺すべからず」,
”嘘をつぃてはならない”が「なんじ偽証すべからず」になっただけである。
小学生でも知っているマタイによる福音書第2章で「占星術の学者たちが東の方からエルサレムにやって来た......」とある通り
これは人類の太陽崇拝を意味している。
いわゆる天体という12星座である。
太陽が天体の12黄道を回ることは春分点歳差運動でありこの記事は書いたので省略する。
「東の方から」とは東方の星で最も輝く犬座のSIRIUS(シリウス)を指している。
この星は12月24日にオリオン座の三つの星と直線(これが十字架)に並び,
この三つの星は「三人の王」あるいは「三人の賢者」と呼ばれている。
三人の王とシリウスは12月25日の太陽の昇る位置を指している。
だから三人の王が東方の輝く星に誘導され太陽の誕生(日の出)を訪れる。
つまり太陽の南下は12月22,23,24日止まり(三日間の死を意味する),
12月25日太陽は日の出とともに復活する(三日の死の後の復活)。
太陽崇拝のミトラでは太陽王の誕生日をだから12月25日としキリスト教も迎合した。
いやむしろ,12月25日ミトラは聖母から生まれ,12人の弟子を持ち,奇跡を起こし,死亡して三日後に復活した。
それがマイナス20度の馬小屋でイエスが生まれた日になってしまった。
イエスの物語はホロス神話と100%同じである。
つまり12人の使徒,奇跡を起こしたこと,三人の王,三日後に生き返った(復活)こと,みな同じである。
ではホロスの神話はどこから来たのか?
シモーヌ・ベイユは人生の後半バビロニアの宗教詩「ギルガメシュ叙事詩」とインドの「バガバッド・ギーダ」にめぐり合った。
カルタゴの時代から怖ろしい蛮族であるチュートン族の国際金融資本家はいた。
彼らにとって(アングロ・サクソンにとって)この宗教神話を使って社会を操作し宗教戦争を起こし(キリスト教の開祖が主張しているように)人類を支配している。
魚座の時代(紀元1年〜2160年)の間に一体どれだけ戦争が引き起こされ
神の名の正義のもとどれだけの人間が殺され富の偏在が生まれたか歴史をひも解けば明らかである。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/6.html






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