2018年12月08日

[古代文献] ミトラ教の歴史


No.A7F_mitra
作成 1998.3
ミトラ教と神智学
■■■第1章:ローマ帝国内で威勢を誇った幻の世界宗教ミトラ教
●ミトラ教は、ヘレニズム・ローマ世界で主に紀元1世紀から4世紀にかけて、キリスト教と並ぶ救済宗教として絶大な支持を集めていた。
ミトラ教の存在は、キリスト教徒が最も触れられたくない異教のひとつである。
なぜなら、ミトラ教こそ、キリスト教のルーツであり、
ユダヤ教以外でキリスト教オリジナルとされている儀礼、例えば洗礼や聖餐など、そのほとんどを生み出しているためである。
ミトラ教には、キリスト教が備えている救済宗教としての神話も神学も密儀も、全て備えていた。
イエス・キリストに当たる救済者すなわちメシアは、ミトラ神そのものだった。
●世に近親憎悪という言葉があるごとく、まさしく初代のキリスト教会は、ミトラ教を激しく弾圧した。
あまりにも両者は似ているため、あるキリスト教徒は、ミトラ教を指して「悪魔がキリスト教を模倣してつくった宗教だ」とまで主張するほどだ。
そればかりではない。
フランスの宗教史家エルネスト・ルナンは、その著書『マルクス・アウレリウス伝』で次のように述べている。
「もしキリスト教がなんらかの致命的な病によって、その成長を止められていたならば、恐らく世界中がミトラ教になっていただろう。」
エルネスト・ルナンのこの言葉から、キリスト教成立当時、いかにミトラ教が隆盛を誇っていたかが推測できる。
実際に、ミトラ教の勢力範囲は、
ローマ・ペルシアの地はもちろん、
北はイングランド、
東はイスラエル・シリア、
南はアフリカのサハラ砂漠
にまで及んでいたことが、残された遺跡などから確認されている。
●ミトラ教のルーツは、古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にある。
ミトラ神は契約神・戦神・太陽神などの多彩な顔を持ち、古くからイラン・インド両民衆の間に絶大な人気を誇ってきたのであった。
紀元前7世紀頃に実施されたゾロアスターの宗教改革によって、一時期、ミトラ信仰の熱は下火になったが、ゾロアスターが世を去ると、彼の後継者たちは民衆のミトラ人気に抗えず、すぐさまミトラ神をゾロアスター教に取り込んだ。
とはいえ、この時点ではまだミトラ神の階級は「最高神アフラ・マズダ」の神格からすれば、第2位であったが、後には最高神アフラ・マズダと同格にまで引き上げられた。
そして最終的には、アフラ=ミトラとしてこの唯一神と習合し、冥府で死者を裁く審判者の役割を獲得したのである。
●ミトラ神は歴代のペルシア王朝において国家の守護神として厚く尊崇されてきた。
また一方では、1世紀後半に西北インドに興ったクシャーナ朝に伝えられて
「太陽神ミイロ」
となり、後にはこれが仏教に取り入れられ「弥勒菩薩」となる。
アケメネス朝の頃から、ミトラ派の神官たちは小アジア地方にも活動の場を広げていたが、
紀元前1世紀頃になると彼らはギリシアの影響を強く受け、その結果、ミトラ神をギリシアの
「太陽神ヘリオス」
と同一視した新たな信仰が生み出される。
またミトラ派の神官たちは、バビロニアの神官団(カルデア人)と合流し、ミトラの密儀とバビロニアの占星学を統合して
「秘教占星学(ズルワーン神学)」
を作りあげ、ミトラ教という宗教に発展させた。
これはのちにバビロニア=ストア学派の手でローマ帝国に伝えられる。
このバビロニア=ストア学派は、バビロニアの宗教思想をギリシアやローマへ導入する窓口で、紀元前4世紀から3世紀まで約700年間活動した。
●既に触れたように、ミトラ教はローマ帝国内で非常な威勢を誇った。
各地にミトラ神殿が建立され、歴代ローマ皇帝の中にも、ミトラ神を政治的に利用するだけではなく、信仰を捧げた者がいた。
しかしこれは別に驚くほどの現象ではない。
もともとミラト信仰はアーリア民族の神話(正典『アヴェスタ』)をベースにしたものであり、ペルシア帝国と同じアーリア系国家であるローマ帝国内でも絶大な人気を誇るのは自然な成り行きであったのだ。
しかし、現実の歴史は、キリスト教による世界独占の方向に進んだ。
ミトラ教の敗北は、313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を受容した時点(ミラノ勅令)で、ほぼ決定したのである。
●なお、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥のユリアヌス帝の時代に、ミトラ教には失地を回復するチャンスがあった。
ギリシア哲学に傾倒し、教養ある賢帝だったといわれるユリアヌス帝は、キリスト教を捨ててミトラ教に帰依し、ミトラ教の復興に尽力したのである。
だが、このユリアヌス帝の死後、ローマ政権と結んだキリスト教による一元的な宗教支配体制が着々と押し進められていった。392年には、ローマの伝統である宗教的寛容さを打ち切る旨の勅令が出され、国の祭儀として行われていた古代ローマ時代から続く儀礼への国費補助が打ち切られた。そして、ミトラ教をはじめとする異教の神殿は破壊され、それまでミトラ神の洞窟神殿だった聖域上にキリスト教会が建立されたのである。

ヘブライの館
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■■■第2章:ローマ帝国以外でのミトラ教の動き 〜東方ミトラ教の活躍
●ミトラ教は徹底的に弾圧され、ローマ帝国内から駆逐された。
しかしこれがローマ帝国崩壊への決定的な引き金となり、ローマ帝国は東西に分裂する。
ミトラ教は一般にこの時点で地上から消滅してしまったと考える人が少なくないが、その認識は正しくないといえる。
ミトラ教全体の歴史に関しては、東條真人氏の著書
『ミトラ神学 ─ 古代ミトラ教から現代神智学へ』(国書刊行会)
に大変詳しく載っている。興味のある方はぜひ一読して欲しい。とりあえず、ローマ帝国以外でのミトラ教の動きについて、以下に簡単に紹介しておこう。
●ヘレニズム時代、ヘレニズム政策のもとで、出身民族を問わないミトラ派が勢力を強めていた。
アレクサンダー大王の東方遠征で、もとアケメネス朝ペルシア帝国だった広大な地域には、セレウコス朝シリアやパルティア王国が作られた。
この2つの王国は、ともにヘレニズム的な国際主義を国策としたので、ミトラ信仰とミトラ派の「ズルワーン神学」が大いに興隆し、この2つの王国では「ズルワーン神学」が国学となり、国王はミトラ神の化身であるとされた。そして、ギリシア神話との対応関係が研究され、これまでのものに新たな概念が付け加えられた。
このギリシア神話と融合した神話は、西アジア一帯に広まり、大変な人気を博した。この人気を背景に、「ズルワーン神学」の周辺部の知識がギリシア人によって西に伝えられ、「占星術」として知られるようになったのである。
●トルコ北部とクリミア半島には「ポントゥス王国」ができた。これはクルド人がつくったミトラ教国家で、この国の海軍の将兵たちがローマ帝国に積極的にミトラ教を広めたのであった。
クルド人は、のちにアユーブ朝とザンド朝をつくり、イスラムにミトラ教を融合させていった。
アフガニスタン・パキスタン・中央アジア・カシミール地方を合わせた地域には、ミトラ神を崇拝する
ミトラ教国家「バクトリア」
が誕生した。バクトリアの王家は、ギリシア系のプラトン一族で、ギリシア本土の哲学者プラトンとつながっている。
このバクトリアが滅亡したあと、「クシャーナ帝国」が生まれ、仏教を国教とした。
王朝が変わってもミトラ信仰は盛んだったので、それを仏教化した弥勒信仰が生まれた。
●ちなみに、厳密にはピタゴラス、エンペドクレス、プラトン、ストア学派、新プラトン学派というのは、純粋なギリシア哲学ではない。
彼らはカルデアの神官から「ズルワーン神学」を学び、それをギリシアに広めたのである。
プラトン一族のもとには、ミトラ教のカルデアの神官がひっきりなしに来訪していた。
また、新プラトン学派という呼称は、19世紀にドイツの学者が便宜上つけた名称で、当人たちは「カルデア神学の師」と自称していたのである。
この件について、ミトラ教研究家の東條真人氏は次のように語る。
「日本は、明治維新以後、欧米から知識を輸入し、その他の地域からはほとんど何も輸入しなかったため、
欧米の勝手な歴史観を鵜呑みにしてしまった。
その典型が
『ギリシア哲学はヨーロッパが継承した』
という欧米人のプロパガンダである。
これは宗教・神智学に限って言えば完全なウソである。
ピタゴラス、エンペドクレス、プラトン、ストア学派、新プラトン学派という一連の流れは、ミトラ教を介して、
シーア派とスーフィズム(イスラム神秘主義)に継承されたというのが真実である。 
〈中略〉 
現代イラン(シーア派)の神智学や政治神学もプラトン直系である。
こういう事実を素直に認めないといけない。
ホメイニ師の政治神学は、プラトンの『国家』を発展させたものである。
欧米人はムシのいい一面があって、自分たちだけがギリシア文化の継承者だというイメージを世界に植え付けようとしているのである。
こういうイメージ操作を打ち破って欲しい。」
●こうした一連の歴史の流れの中で、「ズルワーン神学」の後期の形態から「西方ミトラ教」が生まれ、それがさらに発展して「東方ミトラ教(明教)」になった。イスラムが広がり始める7世紀以降は、徐々にイスラムにとって替わられていくが、全てが一夜にしてイスラム化したわけではない。12世紀まで東方ミトラ教の本部はバグダッドにあったし、イラン本土では16世紀までイスラム教徒は60%で、残りはマズダー教徒や東方ミトラ教徒であった。
こういう並存状態の中で、ミトラ神学はイスラム神学の中に移されていった。それには様々な形態があった。イスラム神学者や神秘主義の師たちがこれらを学んで、それをイスラムの中に取り入れる場合もあれば、マズダー教徒やミトラ教徒の集団が「スーフィー教団」と呼ばれるイスラム神秘主義の団体に変わっていくという場合もあった。
やがて、ミトラ神学を理論的支柱としながら、外面的には「マフディー信仰」という形態をとっている宗派が形成されていく。それがシーア派とイスマーイール派である。この両派の柱となる理論は「宇宙の中軸」理論と呼ばれているが、これはミトラ神学を継承発展させたものである。
このイスラムの神学は「東方神智学」と呼ばれている。
●ミトラ教は時代によって5つに区分することができる。
◎原始ミトラ教時代……紀元3世紀までのバビロニアを中心とした時期
◎西方ミトラ教時代……ローマ帝国とセレウコス朝シリアを中心とした時期
◎東方ミトラ教時代……バビロニア=イラン=中央アジア=中国など
               全ユーラシア大陸に広がった時期。
               伝道者マニの名をとって「マニ教」とも呼ばれる。
◎東方神智学時代………イスラムの神学と融合した時期
◎現代神智学時代

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ゾロアスター


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光輪を持つゾロアスター教のシンボル


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ミトラ密儀が行われた洞窟,奥に岩から生まれるミトラ神の立姿


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ユリアヌス帝,キリスト教を捨ててミトラ教に帰依,ミトラ教の復興に尽力


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広隆寺の弥勒菩薩像,国宝第一号に指定されている





posted by datasea at 01:48| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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