2018年12月08日

[古代文献] 明治期,人智学/神智学勃興,ミトラ教の認知ひろがる

■■■第3章:神智学協会と人智学協会
■■「神智学」とマダム・ブラバッキー
●現代神智学の祖はロシア人のマダム・ブラバッキーである。
本名はヘレナ・ペトロヴナ・ブラバッキーで、1831年にロシアのエカテリノスロフに生まれ、前半生は放浪の生活を送った。
自伝によれば、世界を旅して秘教を学び、エジプト、中東、ジャワ、日本にまで足を伸ばし、インドのラダックからチベット入りを試みたという。
そして1851年にロンドンのハイドパークで初めてマスター(霊的師匠)に出会ったともいう。
マダム・ブラバッキー。
1975年に 「神智学協会」を設立。
●1873年に渡米して心霊研究家となり、1875年にオルコット大佐とともに「神智学協会」を設立。
そして1877年に1000ページを越す大著『ベールを脱いだイシス』を完成させ出版。
これは古代宗教から東洋思想、西洋的秘教から現代科学までを縦横無尽に並べ、上巻で科学の誤謬を、下巻でキリスト教の誤謬を論じたものであった。そして題名から分かる通り、西洋オカルティズムの故地としてのエジプトを指向していた。
●翌年1878年に、マダム・ブラバッキーはインドに渡った。
インド行きは思想面にも転換点を与えた。東洋的秘教用語を積極的に取り入れるようになり、ヒマラヤのマスターの存在を説くようになった。
また新たに輪廻転生説やカルマ説を認めただけでなく、根源人種論が加わった。
これは7つの循環期、7つの根源人種といった段階を経て人類が霊的に上昇していくという霊的進化論である。
それが最初に開陳されたのがA・P・シネットの
『エソテリック・ブッディズム』(1883年)
であり、驚くべき物量で展開されたのが、マダム・ブラバッキーの主著とされている
『シークレット・ドクトリン』(1888年)
である。
●「神智学協会」は1882年に、インド・マドラス郊外のアディヤールに本部を移し、その2年後にマダム・ブラバッキーとオルコット大佐はヨーロッパを訪問。多くの著名人から歓迎され各国に支部を建てている。しかし、この欧州訪問中、アディヤールの本部は大騒動になっていた。エジプト時代の旧友で本部の職員だったエマ・クローンが、解雇された腹いせに、インドのあるキリスト教系新聞にマハトマの手紙の「真相」を暴露してしまったのである。
「神智学協会」は注目を集めていた団体だけに、このニュースはすぐにイギリスにも伝わり、この調査に当たったリチャード・ホジスンの提出した報告書は、マダム・ブラバッキーにとって致命的な内容だった。
●この報告書のために、彼女は追われるようにインドを逃げ出し、ヨーロッパを転々とした。
1887年にロンドンに到着すると、彼女をあくまでも東方から来た導師と仰ぐ信奉者が、欧州やアメリカから集まり、ロンドンに
「ブラバッキー・ロッジ」
が開設された。そして機関紙『ルツィフェル』を創刊し、
『シークレット・ドクトリン』『神智学の鍵』(1889年)
の出版とむしろ精力的な活動を続けるようになる。
1891年、彼女は多くの謎を携えたままロンドンで亡くなった。

ヘブライの館
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■■「人智学」とルドルフ・シュタイナー
●日本でも「シュタイナー教育」で有名なルドルフ・シュタイナーは「人智学」の創始者である。
その著作や講演録は、実に400巻に及ぶ膨大なものである。
ルドルフ・シュタイナー。
1912年に「人智学協会」を設立。
●シュタイナーは1861年に、現在のハンガリーとクロアチアの国境沿いにあるクラリエヴェクに生まれた。
1879年にウィーン工科大学に入学し、物理学を中心とした自然科学を専攻しながら、同時にドイツ最大の詩人ゲーテの研究にも手を染め、卒業後の彼は、まずゲーテ研究家として世に出ることとなった。1891年にロシュトック大学で哲学博士号を取得。1893年には、ゲーテ科学論文集を編集している。
●シュタイナーは、マダム・ブラバッキーが創始した「神智学」に深い関心を抱くようになり、神智学協会内部での定期的な講演会を持つようになる。そして1902年に神智学協会ドイツ支部が創設されると、多くのメンバーの推薦でシュタイナーはその事務総長に就任。
彼は機関紙『ルツィフェル』誌上で、続々と重要な論文を発表していくことになる。
だが1912年、マダム・ブラバッキーの後継者アニー・ベサントと意見が衝突して、シュタイナーは神智学協会から離反することになる。
同年末、彼が自ら主宰する「人智学協会」を設立すると、ドイツの神智学者のほとんどは彼に従った。
●マダム・ブラバッキーのような純粋な霊媒とは異なり、自然科学者の目と哲学者の論理的思考能力、それに芸術家の文章構築力を備えた見霊能力者であったシュタイナーは、これからの神秘学は、学問として成立しうるものでなくてはならないと考えていた。そのためには、従来の神智学協会における「マハトマ」のような神秘的存在は、まず第一に遠ざけねばならないと考えた。
なぜならば、そうした存在は教祖にしか把握できず、それゆえに教祖の仲介なくしては、それと接触するのは事実上不可能だからである。
万人が自ら、彼のいう「超越的認識」を獲得できてこそ、人智学はひとつの学問たりうる。
「いかなる人もここに述べられている霊学的認識内容を自分で獲得できる」
──この高らかな宣言こそ、人智学が従来の神秘主義と決定的な一線を画したことを示す凱歌であった。
●シュタイナーは死後の世界の実在や、輪廻転生、カルマ、存在界の三区分(物質界・生命界・霊界)、生命の霊的進化などの観念を総合し、独自の壮大かつ緻密な宇宙観を組み立てた。そこには当然、彼が神智学から受け継いだ伝統的な東西の秘教の教義というバックボーンがある。だがその多様な霊的知識を、彼は整合性と合理性に裏打ちされた大系にまで高めたのである。
●彼は、物質偏重に傾きすぎた今日の文明のあり方を正すために、今こそ古代以来の秘教的・霊的知識を総合し、これを万人に公開せねばならない、と考えていた。そしてそのためには、近代的認識批判の立場にとっても受けいれられる言葉によって、それを語ることを必要とし、自らそれを実践してみせたのである。
教育においては、「シュタイナー学校」と呼ばれる独自の全人教育システムを考案し、社会芸術としての教育を提唱。
社会運動の分野では、社会を
法律(国家)・経済・精神(文化)
の3つの領域に文節化する「社会三分節化運動」を唱導した。
また、今から70年も前に農薬や人工添加物の害を説き、土壌を破壊しない肥料を開発するなど、時代を先取りした農法を理論化し実践した。
そして芸術面では、自ら画家・彫刻家として多数の作品を制作したほか、人間の肉体と心によって霊の存在を可視的に表現する未来芸術「オイリュトミー」を創始している。
●1925年にシュタイナーは世を去った。(彼はナチスによる迫害の対象となり、晩年は苦しい社会的生活を強いられていた)。

ヘブライの館
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マダム・ブラバッキー,1975年に神智学協会を設立。


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ルドルフ・シュタイナー,1912年に人智学協会を設立。


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posted by datasea at 01:36| Comment(0) | ◉ ミトラ教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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