2018年10月06日

ノストラダムス予言集第一序文全訳, 訳注/違訳意訳批判

予言集第一序文・全訳
PREFACE DE M. MICHEL NOSTRADAMVS à ses Propheties
1Ad Cæsarem Nostradamum filium,
VIE ET FELICITE.
予言集に寄せたるミシェル・ノストラダムスの序文
1555年3月1日
息子カエサル・ノストラダムスへ
生命と幸福を
1. わが息子セザール・ド・ノートルダムよ、おまえの遅い到来は、私をして夜通しでの作業に専念せしめた。
それは、神が星辰の転回を通じて私に知らせてくれた人類共通の利益となるものを、書き物によって明らかにすることをもって、お前の父祖の肉体的消滅の後の土産とすべく行ったものである。
2. お前は不死なる神に気に入られてこの広大な世界に光を享けたが、マルスの月が重なっただけの年齢を自分で語ることも出来ないのだから、その年齢の虚弱な理解力では、わが生涯の後に終わらせざるを得ない物事を受け止めることは出来ない。
3.(だが)時間が破壊し去ってしまうであろう物事を書き物によってお前に残してやることは可能であることに鑑みたのである。
4.(時間が破壊し去ってしまうというのは)父祖伝来の隠された予言の言葉が私の腹の中にとどめおかれるからだ。
5. 人間の終わりの到来は不確かなことであり、全ては不滅なる神の御力によって支配・統御されていることを考慮しつつ、私は、バッコス的恍惚によってでもなく、狂気によってでもなく、ただ星辰の断ずるところによってのみ霊感を享けているのである。「神の精髄と予言の息吹とにかき立てられた存在のみが、特別な物事を予言できるのである」。 
6. いつからのことになるだろうか、私は何度も神の御力や霊感が下ることで、特定の地域に起こることをかなり前もって予言していた。
その一方で、世界中で起こることになる幸福なことや不幸なことを、ことが起こるほんの少し前に予言していたこともある。
7. 現在の出来事の大部分だけでなく、未来の出来事の大部分もまた、何者をも傷つけることがないようにと、私は沈黙し放置したかった。
なぜなら体制も党派も宗教も、現在の視点で見れば正反対のものに変化するだろうから。
そしてまた、王国の人々や、党派、宗教、信仰の人々が、彼らの聞き及んでいた幻想に到底一致しえないと考えるであろう未来を私が語ったならば、今後数世紀にわたって人々が目撃するであろうものを打ち棄ててしまうのだろう。
8. そして真の救い主の次の句も考慮したのである。
「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるだろう」。
私が民衆に語り掛けることも、紙にペンを走らせることもやめたのは、このためである。
9. そして私は、未来の出来事も喫緊の出来事も私が見たものも(すべて)、曖昧模糊とした詩句によって共通の出来事のために語るべしと、自らに枷をはめることを企図したのである。繊細な耳を憤慨させる来るべきいくつかの変転をはじめとするあらゆる物事は、全くの予言的なるものよりも適した形態の下で書かれるのである。
10.「汝はこれらのことを賢者や慎重な者、つまりは権力者や王たちには隠し、小さき人々や貧しき人々」
そして預言者たち「に明らかにした」のだから。
11. (預言者たちは)不死なる神や善き天使たちを通じて予言の精髄を受け取り、それによって遠く離れた物事や未来の出来事を見たのである。
というのは、神なくしては何事も達しえないからである。
12. 臣民に対する神の御力と好意はきわめて大きいものであり、彼らが彼ら自身の内にとどまっているときには、ときには善き天使たちに由来する類似したもののために惹き起こされる別の効能もあるにしても、予言の熱と権能が我々に近づいてくるのである。
あたかも元素から成り立つものにも成り立たないものにもその影響を届けてくれる太陽の光が、我々のところに近づくように。
13. 我々人間についていえば、生来の知識や気質では、造物主たる神の難解な秘密は認識することが出来ないのである。
「時期も時間も我々の知るところではないのだから」。
14. そうは言っても、過去に関してと同様に未来に関しても、神が判断占星術に一致する幾許かの秘密を幻像によってお示しになりたいとお考えになった人物が現在にも現れるのかもしれないし、存在しているのかもしれない。
そして、神からのいくらかの能力や意志力は炎の揺らめきの形をとって現れるのだし、それ(炎)に触発されて、人は神の霊感と人の霊感を判断するに至るのである。
15. というのは、神が総じて絶対的なものである作品をお作りになったからである。
中庸のものは中間にあり、天使たちが作ったのである。
そして三番目(のもの)は悪魔たち(が作ったもの)である。
16. ところでわが息子よ、私はここで少々あいまいに語っている。
17. しかし、隠された予言についていえば、それは火の繊細なエスプリによって受け止められたものなのである。
その火は、時には星々の最も高いところを熟視することに没頭している理解力を揺さぶるので、私は先語りに驚かされるのである。
私は不敬な饒舌に侵されているわけでは全くないし、何も恐れることなく先語りしながら執筆しているのである。だが何を(先語りすると言うのか)? 
全ては永遠の大神の御力からと、全き恩寵が生み出すものとから生じているのである。
18.さらにわが息子よ、私は(今までの文章に)預言者の名称を挿入してきたが、自分をこの崇高な尊称に列したいとは今のところ考えていない。というのは、「今日『預言者』と呼ばれる者はかつては『先見者』としか呼ばれていなかった」(1)からである。
つまり我が息子よ、預言者とは正確には被造物そのものに生来備わっている認識で遠くの物事を見る者なのである。
19. そして預言者には、預言の完全な光によって、人のものごとのように神のものごとがはっきりと啓示されるということも起こるのである。それは遠くまで広がっている預言の効力に鑑みても、通常は起こりえないことである。
20. というのは神の秘密は理解できないものだからである。
そして、生来の認識の広がりに含まれていて自由意志にもっとも近い起源であるところの顕示力(1)は、それ自体の中では占いでも他の知識 ― つまりは空の窪みの下に含まれている隠秘の力 ― でも認識されることがない物事を出現させるのだ。同様にして、全き永遠が存在することは、その内で全ての時を見渡せるということなのである。
21.そして癲癇的な忘我の状態や星辰の運行によって、不可分の永遠性に通じることで、ものごとが認識されるのである。
22. お前によく分かってもらいたいのだが、私はお前の幼い脳にこの方法の認識を刷り込むことが出来ないとはいわないし、遠く離れた未来の出来事が理性ある被造物に知りえないとも言わない。
しかしながら、仮に知的な魂が知りうるのだとしても、現在の物事も未来の物事も、そのものに隠されすぎているということもなければ明らかになりすぎているということもないのだ。
23. しかし、予言的霊感そのものがまず何よりも造物主たる神の発動原理を受け止め、次いで幸運と自然(1)(のそれぞれの発動原理)を受け止めることに鑑みれば、ものごとの完全な認識は、神に由来する霊感なしには得られないものである。
24. それゆえに任意の物事が無差別に起ころうと起こるまいと、予兆は予言されたとおりに部分的に実現するのである。
25. というのは、知的に創られた理解力は、幽かな炎を通じて裾で生まれる声に拠らなければ、どのような部分からであれ、来るべき未来を神秘的に見ることが出来ないからである。
26. だから我が息子よ、肉体を干からびさせ、魂を失わせ、弱い感覚をかき乱す夢想や空虚なものに、お前の理解力を使うことは決してしないでほしい。
それはかつて聖書や神の規範によって排斥された忌まわしき魔術についても同じことである
27. ただし、判断占星術の判断は例外である。
我々はそれ(判断占星術)、霊感、神の啓示、継続的な徹夜、諸算定などによって、予言集をまとめ上げたのだから。
28. 隠秘哲学が排斥されている以上、たとえ長い間隠されていた何巻かの文献が私の手許にあったとしても、私はその度の外れた教えを提示したいとは思わなかった。しかし私はそれがもたらすものに憂えて、読んだ後にウルカヌスに捧げたのである。それらが燃え尽きるまでに、空気をなめる炎は自然の炎よりも明るく、あたかも稲妻の輝きのような異常な明るさを放ち、突然に家を照らし、まるで大火災が起こったかのごとくであった。
29. おまえがいずれ月や太陽の全き変化の研究であるとか、地中や伏流の朽ちない金属の研究などに惑わされないようにと、私はそれらの文献を灰にしたのである。
30. さて、天の判断が完成させる判断についても、お前に説明しておきたい。
人が未来の物事を認識できるのは天の判断による。その未来の出来事は、起こるべきことが遠くに幻想的な像として投影されているものである。
そして、超自然的な神から来る霊感によって、(それが起こる)場所の特徴を特定でき、さらには神の御威徳、御力、権能と隠された特性によって、天空の表徴と一致する範囲で、場所だけでなく一部の時までもが特定できるのである。そして、神にとっては、その永遠性の中に三つの時を包含しているのである。それは過去の物事、現在、未来を含む、時の転回である。
「すべての物事は裸であり、発見されているのである」
云々。
31. 以上によってわが息子よ、お前の脳は稚いけれども、起こるべき物事が夜天の自然の光と予言のエスプリとによって予言されうるということは、理解できるであろう。
32. 私は啓示された霊感によって(予言をして)いるが、自らを預言者の名前や役割に帰属させることは望まない。
33. さて、一週間を通じて時々予言に驚かされ、夜中の研究に甘美な香りを与えてくれる長い算定に没頭しつつ、私はこの百篇ごとの天文学(占星術)的な四行詩からなる予言の書を構成したのである。私はそれを少々曖昧な形でつなぎ合わせることを望んだが、それは現在から3797年までの永続的な予言なのである。
34. かくも長い(予言範囲の)拡張に眉をひそめる人々もいるだろう。
しかし、月の窪みの下の至る所で(予言した通りの)事件が起こって認識されるであろうし、それによって全地上であまねく理解されるのだ、わが息子よ。
35. もしおまえが成人まで生きていられるのなら、お前が生まれた固有の空での緯度のもとで、未来の事件が起こるのを見るだろう。
36. 唯一、永遠の神のみがご自身から発する光の永続性を認識しておられるのだ。
37. そして、私は(お前に)率直に言っておく。測り知れない無窮の偉大さから、長い憂鬱質の霊感によってこの人に啓示したいと思ってもらえた人々には、予言する霊感の理解力を形成する2つの原理のうちの1つが、神の力によって示された隠された物事を通じて注がれているのである。超自然的な光は、天体の学説(5)によって予言する人や、下った霊感によって予言する人を明るくするのである。
38. その霊感は神の永遠性から分け与えられたものである。
これによって預言者は、その神々しいエスプリが神に由来するものなのか、自然の直感に由来するものなのかを判断したのである。
39. つまりは予言した物事は真実であり、天上に起源を持つのである。
そして、この光や幽かな炎は全くもって有能にして崇高なのである。
このことは、自然の光や自然の明かりによって、哲学者たちが第一の原因の諸原理に関して推論を重ねつつ確信し、最も崇高な学説の最奥部に到達したことと同様である。
40.さてわが息子よ、(以上の話を)終えるに当たって、お前の知覚の将来の許容量のためにあまり深入りした寄り道はしないでおく。
(次に)私は文芸が非常に大きく比類のない損失に見舞われるであろうことを見出す。
41. 同様にして浸水の前後には、いくつかの国で雨が非常に少ないものとなり、空から多量の火や白熱した石が降ってくるだろう。
それらが焼き尽くすので何も残らないだろう。それは最後の大動乱に先立ち、短期的に起こるのである。
42.というのは、火星がその周期を完成するからであり、その直近の区切りの最後に、火星が再び巡ってくるだろう。
しかし、あるものたちは数年間宝瓶宮にとどまり、別のものたちは巨蟹宮に一層長く継続的にとどまるだろう。
43. そして現在、我々は永遠なる神の全き御力によって、月に支配されている。
その全周期が完成する前に太陽が来るであろうし、その次には土星が来るであろう。
44. というのは、天の徴に従えば、土星の支配は戻り来るからだ。
45. 私がこれを書いている現在は、その時点の177年3ヶ月11日前に当たるのだが、その時点(177年3ヶ月11日後)と予め定めた時との間で前後に何度も起こるペスト、長期の飢餓、戦争、さらには浸水によって、人々は非常に減少するだろう。そして、耕地を耕したいと望む人を見ることもなくなるであろうほどに人がほとんどいなくなり、田野は人々が使役してきたのと同じくらいに長い間、自由になるだろう(4)。
46. そして天の目に見える判断では、我々は全てを完成する第7千年紀にいるのであるが、第8(千年紀)に近づいているのである。
それは、高さの次元でいうと第8天であり、永遠の大神が変革しに来るであろう時期であり、天空のイメージが動きに戻る時期である。その超越的な動きは我々を安定した堅い大地に戻すだろう(5)。「いつの時代にも傾くことはない」(6)のである。神がそれを望まない限りは。
47.(以上は)あらゆる自然の理性を超えた曖昧な意見やムハンマド的な夢想によるものではあるけれども。
48. 同様に、時として、造物主たる神は使者である火を介して伝道的な炎の中で、我々の眼と同様に外部の感覚に向けて、未来の予言の諸原因をお示しになったのである。その諸原因は、未来の出来事の徴となるものであり、予言をする人に示されなければならないものである。
49. というのは、外部の光から生み出される予兆は、内部の光によってまたそれとともに、分かちがたく結びついているのである。
50. 理解力の目によって本当に(未来を)見通せるらしい(魂の)一部分は、想像力豊かな感覚の病変によってそれが可能になる以上、理由は極めて明白である。神から来る霊感や、預言と結びついて予言を行う人に霊感を下す天使によって、全ては予言されるからである。それらのものは、彼(予言をする人)を輝かせに来て、夜の様々な出現や昼の確信によって、彼の想像力を掻き立てるのである。そして彼は自由な真情としか結びついていない神聖な未来の予言と結びついて、天文学的管理によって予言を行うのである。
51. わが息子よ、今このときに理解しに来たれ。
啓示された霊感に一致する我が転回によって見出した物事、つまりは死の剣が我々に今このときに迫ってくることを。
それは、ペストや、(過去)3世代にあったものよりも酷い戦争や、飢饉の形をとるのである。この剣が地上に振り下ろされるだろうし、しばしば戻り来るだろう。
52. というのは、星々が変革に一致しているからである。
さらに(神は)宣う。
「私は彼らの不正に鉄の鞭を持って訪れ、そしてそれら(彼らの不正)を私自らの打擲でもって打ち据えるであろう」。
というのは、私の予言の大部分が成就し実現していくであろう時には、主の御慈悲は全く広がらないであろうから。
53. そして、不吉な嵐の中で主は宣うだろう。
「私は彼らを痛めつけ、砕き、憐れみは持たない」
54.そして、洪水や継続的な雨によって他の千の(=無数の)事件が起こるだろう。
このことは、私が場所、時期、予め定められた期限を区切って、「拘束のない文体で」詳しく私の他の予言の中に書いた通りである。
(その期限のときに)人類は、私が他の予言の中でより明解に示したとおりの出来事が誤りなく起こることを認識しつつ、我々の後に起こることを見るであろう。その理解は雲に包まれてはいるけれども「無知が啓蒙されたときに」物事は明白になるのである。
「わたしはそれらのことについても長々と、"その間に啓示がつけ加えられるたびに"一〇〇篇の詩で場所を正確に示し、日付や時刻まで定めて叙述してきた」(ルゾー[1986]p.274)。この完全な誤訳を元に改悪したのが加治木氏である。彼の訳ではこうなっている。「私は月日と時まで決定して〔サンチュリ〕で述べておく」(加治木[1990]p.41)。既に述べたが原文を見渡せば明らかな通り、ノストラダムスは第一序文の中で一度として「サンチュリ」という言葉を使っていない。加治木氏はこの捏造した部分を大義名分に掲げ、百詩篇の中には時を表す暗号が隠されていると解釈したが、誤訳を飛躍させただけの妄想にすぎない。
55. 我が息子よ、終わりに当たって、お前の父 M. ノストラダムスのこの贈り物を受け取ってほしい。
ここに含まれているそれぞれの予言四行詩をお前に明かしてやれる(日が来る)ことを望みつつ。
そして不死なる神にどうかお前が素晴らしく栄えた幸福の内にその長い人生を送れますように、と祈りつつ。
サロン、1555年3月1日。

ノストラダムス雑記帳
http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/sonota/preface.htm
http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/biblio/autrebiblio.htm
http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/




第8千年紀に近づいている現在(その時点の177年3ヶ月11日前)
v
その時点との間で前後に何度も起こるペスト,長期の飢餓,戦争,浸水によって人々は非常に減少
v
その時点(1732年,177年3ヶ月11日後)
全周期が完成する前に太陽が来るであろうし,その次には土星が来る
あるものたちは数年間宝瓶宮にとどまり,別のものたちは巨蟹宮に一層長く継続的にとどまる
火星が再び巡る
過去3世代にあったものよりも酷い戦争や、飢饉の形をとる
v
浸水,浸水の前後には、いくつかの国で雨が非常に少ないものとなり、空から多量の火や白熱した石が降ってくる
v
それらが焼き尽くすので何も残らないだろう。それは最後の大動乱に先立ち、短期的に起こる


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予言集第一序文・全訳
*【異文・語注】欄は原文の上付き数字に、【訳注】欄は訳文の上付き数字に、それぞれ対応している。
PREFACE DE M. MICHEL NOSTRADAMVS à ses Propheties
1Ad Cæsarem Nostradamum filium,
VIE ET FELICITE.
予言集に寄せたるミシェル・ノストラダムスの序文
息子カエサル・ノストラダムスへ
生命と幸福を(1)
【訳注】(1)一般には「長寿と幸福(を)」と意訳される。この意訳は、序文の締めくくり(第55節)にも適合している。
【コメント】この部分はタイトルに当たるものであり、バレスト版などはわざわざ節番号を当てていないが、ルペルチエ版はここから番号付けをはじめている。念のために申し添えておくと、二行目のセザールの綴りが「カエサレム・ノストラダムム」となっているのは格変化を起こしているためであって、ラテン語としては何の変哲もない綴りである。
1. 21TON TARD advenement, CESAR NOSTRADAME mon filz, m'a faict mettre mon long temps par continuelles vigilations nocturnes reserer(1)par escipt, toy delaisser memoire, apres la corporelle extinction de ton progeniteur, au commun profit des humains de ce que la Divine essence par Astronomiques revolutions m'ont donné congnoissance.
わが息子セザール・ド・ノートルダムよ、おまえの遅い到来(1)は、私をして夜通しでの作業に専念せしめた。それは、神が星辰の転回を通じて私に知らせてくれた人類共通の利益となるものを、書き物によって明らかにすることをもって、お前の父祖の肉体的消滅(2)の後の土産とすべく行ったものである。
【異文・語注】(1)reserer (1555, 1557U, 1557B) : referer (1568, 1589, 1610, 1627, 1653). reserer はラテン語の reserare に由来し、開く、開示するの意。
【訳注】(1)セザールの誕生が自分の晩年に当たること。(2)ノストラダムス自身の死を回りくどく表現したもの。
【コメント】ノストラダムスの誕生日は1503年12月14日、セザールの誕生日は1553年12月18日である。つまりセザールはノストラダムスが50歳のときの子であり、(30代でもうけた子は早世したと伝えられるので)待ち望んでやっと恵まれた男児であった。当時の平均寿命や世情を勘案すれば、早々と自分が死んだときのことを想定した行為に出ることはそうおかしなものではない。
2. 3 2Et depuis qu'il a pleu au Dieu immortel que tu ne sois venu en naturelle lumiere dans cette terrene plaige, & ne veulx dire tes ans, qui ne sont encores accompaignés, mais tes mois Martiaulx incapables à recepvoir dans ton debile entendement ce que ie seray contrainct apres mes jours definer:
お前は不死なる神に気に入られてこの広大な世界に光を享けたが、マルスの月が重なっただけの年齢を自分で語ることも出来ないのだから(1)、その年齢の虚弱な理解力では、わが生涯の後に終わらせざるを得ない物事を受け止めることは出来ない。
【訳注】(1)この書簡の日付は1555年3月1日であり、その時点でセザールが生まれてから迎えたマルスの月(3月)は「1554年3月」と「1555年3月」の2回だけである。「マルスの月が重なった」はそのことを表している。
【コメント】内容については4節で併せてコメントする。
3. 4veu qu'il n'est possible te laisser par escript ce que seroit par l'injure du temps obliteré:
(だが)時間が破壊し去ってしまうであろう物事を書き物によってお前に残してやることは可能であることに鑑みたのである。
4. car la parolle hereditaire de l'occulte prediction sera dans mon estomach intercluse:
(時間が破壊し去ってしまうというのは)父祖伝来の隠された予言の言葉(1)が私の腹の中にとどめおかれるからだ。
【訳注】(1)ここではとりあえず直訳したが、ブランダムールは「父祖伝来の予言の天賦」と釈義している。
【コメント】2節から4節まではひとまとめにした方が分かりやすいと思われるが、要するに「セザールはまだ幼く、おまけに予言の才能が自分の代で消えるから、書き物として伝えられることは遺しておく」といっているのである。ちなみに、エドガール・ルロワらの実証的な研究によって、ノストラダムスが何らかの密義を伝えてきた一族であるといった伝説は否定されている。
ここでノストラダムス自身がそうしたものを受け継いでいるかのように主張しているのは、彼なりのミスチフィカシオン(他人を煙に巻くこと)の一環であろう。後の顧客あての私信などでも同様の主張は見られる。興味深いのは、それがセザールとは無関係であると明言していることだ。これはおそらく自身のミスチフィカシオンによって、セザールにも何らかの秘密の口伝が受け継がれていると誤解された場合、セザールに異端の疑いがかかることを恐れたのではないだろうか。
5. 53considerant aussi les adventures de l'humain definement estre incertaines : & que le tout est regi & gouverné(1)par la puissance de Dieu inextimable, nous inspirant non par bacchante fureur, ne par lymphatique mouvement, mais par astronomiques assertions, 6Soli numine diuino afflari præsagiunt, & spiritu prophetico particularia.
人間の終わりの到来(1)は不確かなことであり、全ては不滅なる神の御力によって支配・統御されていることを考慮しつつ、私は、バッコス的恍惚(2)によってでもなく、狂気によってでもなく、ただ星辰の断ずるところによってのみ霊感を享けているのである。「神の精髄と予言の息吹とにかき立てられた存在のみが、特別な物事を予言できるのである」。(3)
【異文】(1)gouverné(ほとんどの版): guberné (1555), gouverne (1589). 後代の版やブランダムールの釈義を踏まえて校訂。
【訳注】(1)ブランダムールの釈義では「人生がいつ終わるかということ」。(2)バッコスは酒の神。バッコス的恍惚は、預言的な意味に捉えることも可能ではあるが、この場合は「酩酊状態」の隠喩であろう。(3)プトレマイオスの"Centiloque"からの引用。なお、この著書の実際の著者は10世紀イスラム世界の学者アフマド・イブン・ユスフであるという。
6. 74Combien que de longs temps par plusieurs fois j'aye predict long temps au-paravant ce que depuis est advenu & en particulieres regions, attribuant le tout estre faict par la vertu & inspiration divine & aultres felices & sinistres adventures de accelerée promptitude prenoncées, que despuis sont advenues par les climats du monde
いつからのことになるだろうか、私は何度も神の御力や霊感が下ることで、特定の地域に起こることをかなり前もって予言していた。その一方で、世界中で起こることになる幸福なことや不幸なことを、ことが起こるほんの少し前に予言していたこともある。
【コメント】要するに「いろいろ予言したが、かなり先を見通したこともあれば、ほんの少し先しか見通せなかったこともある」ということ。この節は、ノストラダムスのオリジナルではなく、ジロラモ・サヴォナローラ(1452年〜1498年)のラテン語文献『天啓大要(Compendium revelationum)』の初めの方の一節をフランス語に直して借用したもの。
以下、サヴォナローラからの借用というときは、全てこの文献を指す。なお、ノストラダムスが『天啓大要』を直接参照したかは分かっていない。この文献は1520年ころにまとめられた編者未詳の予言集
『ミラビリス・リベル』
に再録されており、ノストラダムスはそれを参照していたとも指摘されている。
7. 8aiant voulu taire & delaisser
(1) pour cause de l'injure, & non tant seulement du temps present, mais aussi de la plus grande part du futur, de mettre par escrit, 5pource que les regnes, sectes, & religions feront changes si opposites, voire au respect du present diametralement, 9que si je venois à reserer ce qu'à l'advenir sera, ceux de regne, secte, religion, & foy trouveroient si mal accordant à leur fantasie auriculaire, qu'ils viendroyent
(2) à damner ce que par les siecles advenir on cognoistra estre veu & apperceu :
現在の出来事の大部分だけでなく、未来の出来事の大部分もまた、何者をも傷つけることがないようにと、私は沈黙し放置したかった。
なぜなら体制も党派も宗教も、現在の視点で見れば正反対のものに変化するだろうから。
そしてまた、王国の人々や、党派、宗教、信仰の人々が、彼らの聞き及んでいた幻想に到底一致しえないと考えるであろう未来を私が語ったならば、今後数世紀にわたって人々が目撃するであろうものを打ち棄ててしまうのだろう。
【異文】
(1)delaisser (1589, 1610, 1627, 1653) : delaissé (1555, 1557U, 1557B, 1568). ブランダムールの校訂に従った。
(2)ils viendroient(ほとんどの版): il viendroent (1555)
【コメント】
この節を根拠にノストラダムスは未来の激変を的確に予言していた、と紹介されることがしばしばあるが、
この箇所は第6節に引き続いてサヴォナローラからそのまま借用されたものである。
8. 10Considerant aussi la sentence du vray Sauveur, Nolite sanctum dare canibus, nec mittatis margaritas ante porcos ne conculcent pedibus & conuersi dirumpant vos. Qui a esté la cause de faire retirer ma langue au populaire, & la plume au papier :
そして真の救い主(1)の次の句も考慮したのである。
「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるだろう」(2)。
私が民衆に語り掛けることも、紙にペンを走らせることもやめたのは、このためである。
【訳注】
(1)いうまでもなくイエスのこと。
(2)新約聖書「マタイによる福音書」第7章6節。他の引用句と違い、ほぼ正確に引用されているため、上記訳文でもあえて聖書からそのまま引用させていただいた。
【コメント】
聖書からの引用句も含めて、この節もまたサヴォナローラからの借用である。
9. 116 puis me suis voulu extendre declarant pour le commun advenement par obstruses & perplexes sentences les causes(1) futures, mesmes les plus urgentes, & celles que j'ay apperceu, quelque humaine mutation que advienne(2) scandalizer l'auriculaire fragilité, & le tout escrit sous figure nubileuse, plus que du tout prophetique :
そして私は、未来の出来事も喫緊の出来事も私が見たものも(すべて)、曖昧模糊とした詩句によって共通の出来事のために(1)語るべしと、自らに枷をはめることを企図したのである。繊細な耳を憤慨させる(2)来るべきいくつかの変転をはじめとするあらゆる物事は、全くの予言的なるものよりも適した形態(3)の下で書かれるのである。
【異文・語注】
(1)ここでのcause(原因)は chose(物事)の意味。
この箇所に限らず、この序文中には同様の意味の cause が頻出し、いくつかは後の版で chose に書き換えられている。
ブランダムールは、ノストラダムスのこのような用例がイタリア語の còsa に由来すると推測している。
イタリア人サヴォナローラのイタリア語の影響の強いラテン語を翻訳・移入したことによるようである。
(2)advienne (1589, 1653) : advienne ne (1555, 1557U, 1557B, 1568, 1610, 1627). ブランダムールの校訂に従った。
【訳注】
(1)pour le commun advennement は高田訳(『ノストラダムスとルネサンス』所収)に従って「共通の出来事」と訳したが、ブランダムールの釈義はこの箇所を「全世界に向けて」と意訳している。そちらの方が文意の把握はしやすいと思われる。(2)第7節に登場した「彼らの聞き及んでいた〜」に対応すると思われる。要するに、「(当時の)人々には受け入れられない」ということ。(3)上に出てくる「曖昧模糊とした詩句」のこと。
【コメント】この節の冒頭までがサヴォナローラからの借用であり、これにつなげる形で詩で書くことについての釈明が展開されている。結果として、前節の「私が民衆に語り掛けることも、紙にペンを走らせることもやめた」と矛盾してしまっている。ゆえに前節には、「そのままの形で」といった言葉を補った方がよいように思う。なお、ルゾー本の訳ではこの部分の訳はこうなっている。
さらに人間の耳からの情報の頼りなさを暴露するという危険を冒したいわけではないが、いくばくかの変更がわたしの心のなかで起こり、わたしは短い詩篇のなかで自分のいいたいことをいうことにしたのである。それぞれが、ほかの詩篇とからみ合うように、そして、その意味を理解することは、ある一定の法則による厳格な障害によってはばまれることもあるであろう。全体は難解な表現のもとに編集され、あらゆることがひとつひとつこれらの予言にふさわしいものになっていくのである。
加治木氏はこの
「ほかの詩篇とからみ合うように」や「一定の法則」を重視したが(加治木[1990]p.82)、
上記の原文や拙訳を見て頂けば分かるように、それらの言葉は原文には全くなく、ルゾー本の訳者が勝手に付け加えたものに過ぎない。
10. 127combien que, Abscondisti haec à sapientibus, & prudentibus, id est potentibus & regibus, & enucleasti ea exiguis & tenuibus, & aux Prophetes:
「汝はこれらのことを賢者や慎重な者、つまりは権力者や王たちには隠し、小さき人々や貧しき人々」
そして預言者たち「に明らかにした」のだから(1)。
【訳注】
(1)「そのときイエスは声をあげて言われた、
『天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました」
(新約聖書「マタイによる福音書」第11章25節)。
【コメント】この引用句はサヴォナローラも引用している。
11. par le moyen de Dieu immortel, & des bons anges ont receu l'esprit de vaticination, par lequel ilz voyent les causes(1) loingtaines, & viennent à prevoir les futurs advenementz, 13car rien ne se peult parachever sans luy,
(預言者たちは)不死なる神や善き天使たちを通じて予言の精髄を受け取り、それによって遠く離れた物事や未来の出来事を見たのである。というのは、神なくしては何事も達しえないからである。
【異文】(1)causes (1555, 1557U, 1557B, 1589): choses (1568, 1610, 1627, 1653).
【コメント】ペトルス・クリニトゥス(1465年〜1507年)のラテン語文献
『栄えある学識について(De honesta disciplina)』(1504年)
をほぼそのまま訳出して借用している。
ただし、クリニトゥスの原著では「神々」となっているところを「(唯一の)神」に直すなどの修正を施している。
12. ausquelz si grande est la puissance & la bonté aux subjects que pendant qu'ilz demeurent en eulx, toutesfois aux autres effectz subjectz pour la similitude de la cause du bon genius, celle challeur & puissance vaticinatrice s'approche de nous: comme il nous advient des rayons du soleil, qui viennent getans leur influence aux corps elementaires, & non elementaires.
臣民に対する神の御力と好意はきわめて大きいものであり、彼らが彼ら自身の内にとどまっているときには(1)、ときには善き天使たちに由来する類似したもののために惹き起こされる別の効能もあるにしても、予言の熱と権能が我々に近づいてくるのである。
あたかも元素から成り立つものにも成り立たないものにもその影響を届けてくれる太陽の光が、我々のところに近づくように。
【訳注】
(1)高田・伊藤訳では2箇所の「彼ら」をともに臣民ととり、
「予言者が瞑想に沈潜しているあいだに」
と意訳している。ブランダムールは神が単数に直されたのに人称代名詞は複数のままであるとわざわざ注記しているので、
「神々が自らの内にとどまっている」または
「臣民が神々自身の内にとどまっている」と訳しているようである(?)。
【コメント】少々文意がつかみづらいが、予言に必要な霊感は基本的に神から下されることと、その中には天使から下されるものが混じっている場合があることが語られている。この節も引き続きクリニトゥスからの借用である。
13. 148Quant à nous qui sommes humains ne pouvons rien de nostre naturelle cognoissance, & inclination d'engin cognoistre des secets obstruses de Dieu le createur, Quia non est nostrum noscere tempora, nec momenta &c.
我々人間についていえば、生来の知識や気質では、造物主たる神の難解な秘密は認識することが出来ないのである。「時期も時間も我々の知るところではないのだから」(1)。
【訳注】(1)「彼らに言われた、『時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。」(新約聖書「使徒行伝」第1章7節)
【コメント】この節と次の節は、クリニトゥスからの借用を膨らませている。聖書からの引用句はクリニトゥスにはないものだが、『ミラビリス・リベル』の中では同じ箇所が引用されている。
14. 159Combien que aussi de present peuvent advenir & estre personnaiges que Dieu le createur aye voulu reveler par imaginatives impressions, quelques secretz de l'advenir accordes à l'astrologie judicielle, comme du passé, que certaine puissance & voluntaire faculté venoit par eulx, comme flambe de feu apparoir, que luy inspirant on venoit à juger les divines & humaines inspirations.
そうは言っても、過去に関してと同様に未来に関しても、神が判断占星術に一致する幾許かの秘密を幻像によってお示しになりたいとお考えになった人物が現在にも現れるのかもしれないし、存在しているのかもしれない。
そして、神からのいくらかの能力や意志力は炎の揺らめきの形をとって現れるのだし、それ(炎)に触発されて、人は神の霊感と人の霊感を判断するに至るのである。
【コメント】前節とこの節はクリニトゥスの以下の記述を膨らませている。
「神々のものと人々のものを判断できるようになる霊感のもとで、神々からの何らかの力が届き、炎の形をとって彼らに辿り着いてくれない限り、人は固有の知性では神々のものをなんら認識しえないのである」(ここではブランダムールが仏訳したものを訳出した)。
15. 16Car les œuvres divines, que totalement sont absoluës, Dieu les vient parachever: la moyenne qui est au milieu, les anges : la troisiesme, les mauvais.
というのは、神が総じて絶対的なものである作品をお作りになったからである。
中庸のものは中間にあり、天使たちが作ったのである。
そして三番目(のもの)は悪魔たち(が作ったもの)である。
【コメント】クリニトゥスからほぼそのまま借用されている。
例によって「神々」が「神」に変えられているが、他方で仏訳に当たり複数形にすべきla moyenne , la troisiesme がそれぞれ単数形なのは、ノストラダムスが構文をきちんと把握しないままにラテン語から直訳したためであると、ブランダムールは指摘している。そのためかどうか、文章自体は平易なのだが、私には前段との関連がよく分からない。
16. 1710Mais mon filz je te parle icy un peu trop obstrusement:
ところでわが息子よ、私はここで少々あいまいに語っている。
【コメント】ここでクリニトゥスからの借用が一段落する。
17. 18mais quant aux occultes vaticinations que lon vient à recevoir par le subtil esperit du feu, qui quelque foys par l'entendement agité contemplant le plus hault des astres, comme estant vigilant, mesmes que aux prononciations estant surprins escrits prononceant sans crainte moins attainct d'inverecunde loquacité : mais quoy ? tout procedoit de la puissance divine du grand Dieu eternel, de qui toute bonté procede.
しかし、隠された予言(1)についていえば、それは火の繊細なエスプリによって受け止められたものなのである。
その火は、時には星々の最も高いところを熟視すること(2)に没頭している理解力を揺さぶるので、私は先語り(3)に驚かされるのである。
私は不敬な饒舌(4)に侵されているわけでは全くないし、何も恐れることなく先語りしながら執筆しているのである。だが何を(先語りすると言うのか)? 
全ては永遠の大神の御力からと、全き恩寵が生み出すものとから生じているのである。
【訳注】(1)ブランダムールの釈義では「隠された予言(les occultes vaticinations)」は単なる「預言(les Prophéties)」となっている。(2)星が最も高いところまでのぼるのを見る、つまり夜通しで星を観察すること。(3)prononciation は現代フランス語の直訳では「発音」だが、ブランダムールはラテン語の語源に遡って「前もって告げること」の意味に解しているので、ここではそれに従い「先語り」の訳語を充てた(ブランダムールの釈義では「予言」と訳されている)。(4)よく分からない。悪魔憑きのことか。
【コメント】「隠された予言」はルゾー本の訳ではノストラダムスの予言の中の隠された意味にとっているが、文脈からしてもそうはとれない。この一文は要するに「火を通じて予言が下されるが、天体観測中にも自分に下って勝手に自分の口が予言を語るので、そのことに自分でも驚く」ということであろう。実際、そう捉えると次の文の「悪魔憑き(?)」でないことを釈明するくだりにすっきりとつながる。
この節は、加治木義博氏がノストラダムスの予言の発音に注意しろと書いてあると主張し、ダジャレとも評される氏の特異な解釈法の誕生に結びついたものであるので、その点について少し触れておきたい。加治木氏は明らかにルゾー本の訳に従っている。そこにはこうある。
わたしのいいたい主題に立ちもどるために、わたしはおまえにさらにもうひとつの種類の隠された予言があることを伝えておこう。
これはわれわれに直接やってきて、《炎の精神的実体》という詩的形態をとっているものである。
このときおりやってくることがらというものは天体の真実のより高度な思考に助けられて、この炎の精神的実体をわれわれが理解できるようになるのである。つまりそのとき、われわれの注意力はより細心のものとなり、とくに聴覚の知覚においては細心のものとなって、詩の文章に隠されているものを悟り、あらゆるつながりを知って驚くのである。
このルゾー本の訳と上記の原文・拙訳を見比べていただけば、ルゾー本はいくつかの単語だけをもとに訳者が勝手にそれらしい文章を捏造したに過ぎないことが明らかである(そもそも「聴覚」に当たる語が存在しない。おそらく"entendement"を誤訳したのだろう)。こんな珍訳をもとに解読法を導き出した加治木氏には御愁傷様というほかはない。もっとも氏の場合、古代日本史分析にしても現代国際政治分析にしてもダジャレを多用しているので(ブッシュは「武主」だとかパウエルは「派・植える」だとか主張している!)、遅かれ早かれダジャレ式ノストラダムス解読にたどり着いたのだろうという気はする
(予言解読をロールシャッハテストになぞらえた山本弘氏の指摘はここでも有効であろう)。
18. 1911Encores mon filz que j'aye inseré le nom de prophete, je ne me veux attribuer tiltre de si haulte sublimité pour le temps present : car qui propheta dicitur hodie, olim vocabatur videns : car prophete proprement mon fils est celuy qui voit choses loingtaines de la cognoissance naturelle de toute creature.
さらにわが息子よ、私は(今までの文章に)預言者の名称を挿入してきたが、自分をこの崇高な尊称に列したいとは今のところ考えていない。というのは、「今日『預言者』と呼ばれる者はかつては『先見者』としか呼ばれていなかった」(1)からである。
つまり我が息子よ、預言者とは正確には被造物そのものに生来備わっている認識で遠くの物事を見る者なのである。
【訳注】(1)「――昔イスラエルでは、神に問うために行く時には、こう言った、『さあ、われわれは先見者のところへ行こう』。今の預言者は、昔は先見者といわれていたのである」(旧約聖書「サムエル記・上」第9章9節)。
【コメント】サムエル記に登場する預言者観を敷衍したものであるが、この節全体はサヴォナローラによる敷衍をそのまま借用したものである。
19. 20Et cas advenant que le prophete moyennant la parfaicte lumiere de la prophetie luy appaire manifestement des choses divines, comme humaines : que ne se peult(1) faire, veu les effects de la future prediction s'estendant loing.
そして預言者には、預言の完全な光によって、人のものごとのように神のものごとがはっきりと啓示されるということも起こるのである。それは遠くまで広がっている預言の効力に鑑みても、通常は起こりえないことである。
【異文】(1)que ne se peut(ブランダムールの校訂): que ne ce peult (1555), que ce ne peut faire (1557U, 1557B, 1589), que ce ne se peut faire (1568, 1610, 1627, 1653)
【コメント】前節に引き続いてサヴォナローラからの借用。
20. 2112Car les secretz de Dieu sont incomprehensibles, & la vertu effectrice contingent de longue estendue de la cognoissance naturelle prenent son(1) plus prochain origine du liberal arbitre, faict aparoir les causes qui d'elles mesmes ne peuvent aquerir celle notice pour estre cognuës, ne par les humains augures, ne par aultre cognoissance ou vertu occulte comprinse soubz la concauité du ciel, mesme du faict present de la totale eternité, que vient en soy embrasser tout le temps.
というのは神の秘密は理解できないものだからである。
そして、生来の認識の広がりに含まれていて自由意志にもっとも近い起源であるところの顕示力(1)は、それ自体の中では占いでも他の知識 ― つまりは空の窪みの下に含まれている隠秘の力(2) ― でも認識されることがない物事を出現させるのだ。同様にして、全き永遠が存在することは、その内で全ての時を見渡せるということなのである。
【異文】(1)prenent son (1555) : prennent leur (1557U, 1557B, 1589), prenant leur (1568, 1610, 1627, 1653)
【訳注】(1)La vertu effectrice は何のことか分からない。とりあえずラメジャラーの英訳"manifesting power"に従って「顕示力」と訳した。
結果としてこの一文が示すものが私には理解できない。(2)「下界で認識できるオカルト」の意。
【コメント】この節までがサヴォナローラからの借用。
最後の一文は、永遠の存在である神は時制に縛られないので、現在、過去、未来のどの時点も見ることが出来る、ということ。
21. 22Mais moyennant quelque indivisible eternité par comitiale agitation Hiraclienne, les causes par le celeste mouvement sont cognuës.
そして癲癇的な忘我の状態や星辰の運行によって、不可分の永遠性に通じることで、ものごとが認識されるのである。
【コメント】癲癇の症状と予言を結びつける言説は、コルネリウス・アグリッパの『隠秘哲学』(1553年)にも登場する。
前節で述べた神の永遠性にアクセスする方法として、癲癇と占星術を挙げているのである(なお、癲癇とオカルトを結びつけることに不快感をもたれる方もいるかもしれないが、訳者には癲癇患者を差別する意図は全くない。時代状況等を斟酌した上で何卒御理解いただければ幸いである)。
22. 2313Je ne dis pas mon fils, affin que bien l'entendes, que la cognoissance de ceste matiere ne se peult encores imprimer dans ton debile cerveau, que les causes futures bien loingtaines ne soient à la cognoissance de la creature raisonnable : si sont nonobstant bonement la creature de l'ame intellectuelle des causes(1) presentes loingtaines, ne luy sont du tout ne trop occultes ne trop reserées :
お前によく分かってもらいたいのだが、私はお前の幼い脳にこの方法の認識を刷り込むことが出来ないとはいわないし、遠く離れた未来の出来事が理性ある被造物に知りえないとも言わない。
しかしながら、仮に知的な魂が知りうるのだとしても、現在の物事も未来の物事も、そのものに隠されすぎているということもなければ明らかになりすぎているということもないのだ。
【異文】causes (1555, 1557U, 1557B, 1589) : choses (1568, 1610, 1627, 1653)
【コメント】「知的な魂」といった認識にはスコラ学派の認識が投影されていると、ブランダムールは指摘している。
参考までに述べておくと、ノストラダムスの蔵書には、スコラ学派の大家ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの著書が含まれていたことが既に明らかになっている。
23. 2414mais la parfaicte des causes notices ne se peult acquerir sans celle divine inspiration : veu que toute inspiration prophetique reçoit prenant son principal principe mouvant de Dieu le createur, puis de l'heur, & de nature.
しかし、予言的霊感そのものがまず何よりも造物主たる神の発動原理を受け止め、次いで幸運と自然(1)(のそれぞれの発動原理)を受け止めることに鑑みれば、ものごとの完全な認識は、神に由来する霊感なしには得られないものである。
【訳注】
ブランダムールの釈義では「特質(caractère)のと本質(nature)の」
【コメント】この節と次の節はルゾー本ではこうなっている。
しかし神聖な霊感を用いる以外に決して獲得できないものが、その未来の要因についての知識である。
これは絶対的に霊感を必要とし、天地創造をした神の原則となっている最初の動因であり、占いの才能や学問的知識はのちになってから付加されるものなのである。しかしこの占いの才能や学問的知識というものは、いろいろな未来の要因を予知することに関して効果のないものというのではない。それらは先に述べた、三つのものを区別するために必要なのである。いつの場合も前兆は、規則的に予測された場所で起きているが、それはまたある全体の部分的なものにすぎないからである。(ルゾー[1986]p.267)
これを加治木氏は
「占星術やカバラなどの占いの知識や、科学的データ等を付け加えて作り上げた解釈はインチキで、私が隠した暗号を解く邪魔になる」
という意味だと拡大解釈した(加治木[1990]p.82)。
私には、「幸運(heur)」(「特質」)と「自然・性質(nature)」がどうやったら「占いの才能」と「学問的知識」と訳せるのかさっぱり分からないし、ルゾー本の訳に出てくる三つの要素云々に至っては原文にないものを大幅に付け加えているようにしか見えない。加治木氏はこの節を根拠にノストラダムスは占星術解釈を排除したと主張しているが、当然にして的外れな理解というべきであろう。
24. 25Parquoy estans les causes indifferentes, indifferetement produictes, & non produictes, le presaige partie advient, où a esté predit.
それゆえに任意の物事が無差別に起ころうと起こるまいと、予兆は予言されたとおりに部分的に実現するのである。
【コメント】この節はサヴォナローラからの要約的な借用。
25. 26Car l'entendement créé intellectuellement ne peult voir occultement, sinon par la voix faicte au lymbe moyennant la exigue flamme en quelle(1) partie les causes futures se viendront à incliner.
というのは、知的に創られた理解力は、幽かな炎を通じて裾で生まれる声に拠らなければ、どのような部分からであれ、来るべき未来を神秘的に見る(1)ことが出来ないからである。
【異文】
(1)quelle (1555, 1557U, 1589) : laquelle (1557B, 1568, 1610, 1627, 1653)
【訳注】
(1)「神秘的に見る」は直訳。高田・伊藤訳では「予知する」、ブランダムールの釈義でも同じ。
【コメント】
予言には「幽かな炎」「裾で生まれる声」の2つが必要だ、と述べている。このキーワードが百詩篇第1巻の冒頭の2篇に登場することはつとに知られている。
その出典はヤンブリコスの『エジプト秘儀論』であるが、ノストラダムスはむしろコルネリウス・アグリッパの『隠秘哲学』から孫引きした可能性が指摘されている。
26. 2715Et aussi mon filz je te supplie que jamais tu ne vueilles employer ton entendement à telles resveries & vanités qui seichent le corps & mettent à perdition l'ame, donnant trouble au foible sens : mesmes la vanité de la plus que execrable magie reprouvée jadis par les sacrées escriptures, & par les divins canons :
だから我が息子よ、肉体を干からびさせ、魂を失わせ、弱い感覚をかき乱す夢想や空虚なものに、お前の理解力を使うことは決してしないでほしい。それはかつて聖書や神の規範によって排斥された忌まわしき魔術についても同じことである
27. 2816au chef du-quel est exepté le jugement de l'astrologie judicielle : par laquelle & moyennant inspiration & revelation divine par continuelles supputations, avons nos propheties redigé par escript.
ただし、判断占星術の判断は例外である。我々はそれ(判断占星術)、霊感、神の啓示、継続的な徹夜、諸算定などによって、予言集をまとめ上げたのだから。
【コメント】ノストラダムスの重要な出典であるサヴォナローラは、占星術を未来予知に用いるべきではないと拒絶していた。この点については、ノストラダムスはむしろコルネリウス・アグリッパから影響されたのではないか、とブランダムールは指摘している。
なお、前述した加治木氏による
「ノストラダムスが占星術を使っていなかった」
という主張は、明らかにこの節の主張と矛盾する。
ノストラダムスは占星術を「判断占星術」と「俗流の占星術」に二分し、前者を評価する一方で後者を斥けていたというだけの話である。
28. 29Et combien que celle occulte Philosophie ne fusse reprouvée, n'ay onques volu presenter leurs effrenées persuasions: combien que plusieurs volumes qui ont estés cachés par longs siecles me sont estés manifestés. 30Mais doutant ce qui adviendroit en ay faict, apres la lecture, present à Vulcan, que pendant qu'il les venoit à devorer, la flamme leschant l'air rendoit une clarté insolite, plus claire que naturelle flamme, comme lumiere de feu d'eclystre(1) fulgurant, illuminant subit la maison, comme si elle fust esté en subite conflagration.
隠秘哲学が排斥されている以上(1)、たとえ長い間隠されていた何巻かの文献が私の手許にあったとしても、私はその度の外れた教えを提示したいとは思わなかった。しかし私はそれがもたらすものに憂えて、読んだ後にウルカヌスに捧げたのである(2)。それらが燃え尽きるまでに、空気をなめる炎は自然の炎よりも明るく、あたかも稲妻の輝きのような異常な明るさを放ち、突然に家を照らし、まるで大火災が起こったかのごとくであった。
【異文】
(1)d'eclystre(ブランダムールの校訂): de clystre (1555, 1557U, 1557B, 1568, 1610, 1627), clystre (1589), de clystere (1653)
【訳注】
(1)ne を虚辞と見るブランダムールの読みに従った。
フランス語をご存知ない方のために一応説明しておくと、虚辞とは心理的な否定を表す語で、客観的事実自体は肯定文として訳すべき文に挿入されるものである。そのニュアンスを含めて訳すと「自分としては排斥したくはないのだが(教会などからは)排斥されている以上」となる。他方でレオニやラメジャラーは普通に否定文として訳し
「隠秘哲学は排斥されるものではないけれども」
の意味にとっている。判断は難しいが、前者の訳の方がより適切なように思える。
(2)ウルカヌスは火と鍛冶の神。要するに「燃やした」ということを象徴的に語っている。
【コメント】ノストラダムスが何らかの参考文献を燃やしたと証言している興味深い箇所であり、比較的よく知られている。
29. 31Parquoy affin que à l'advenir ni feusses abusé, perscrutant la parfaicte transformation tant seline que solaire(1), & soubz terre metaulx incorruptibles, & aux undes occultes, les ay en cendres convertis.
おまえがいずれ月や太陽の全き変化(1)の研究であるとか、地中や伏流の朽ちない金属の研究などに惑わされないようにと、私はそれらの文献を灰にしたのである。
【異文】
(1)seline que solaire (1555) : seline que solitaire (1557U, 1568, 1589, 1610, 1653), seline solaire (1557B), soliue, que solitaire (1627)
【訳注】
(1)錬金術では月は銀を、太陽は金をそれぞれ表す。
ここではその意味で用いられている。
【コメント】
第26節で魔術に没頭しないように戒めたのと同じで、今度は錬金術の下らなさを採り上げている。
ただし、百詩篇第四巻のいくつかの詩に、錬金術思想の影響が強いことはつとに指摘されている。
余談だが、池田邦吉氏は前の節とこの節をこう訳している。
神秘哲学はかつて一度も拒絶されたことがなかった。
しかし、固い信念をもってこれを推薦し強く望まれることもなかった。
本預言書のどれほど多くの分冊が、長い世紀にわたって隠され、日の目を見なかったことだろう。
しかし、この本を読んだ後に、まだ疑いを持つ人々は、火山という存在とそれが引き起こす事態、すなわち人々を焼き尽くしていく様子を見るはめになる。
大自然の炎は空気をなめ、奇怪なる明かりを生み、非常にまぶしく輝く。さながらそれは館の内部を照らす照明装置、閃光を放つクリスタルガラスの火のようである。しかもそれは国際紛争の大元凶でもあるのだ。打ち上げ花火の誤用などではなく、月も太陽も完全に変形させんばかりの衝撃である。それは灰に変わり、まさに我が預言を成就せんと到来するものである。
(池田[1997]p.60. 注釈番号は省略した)
何というか、自分の予言解釈を信じない奴なんか火山に焼かれて死んでしまえ、という意志だけが強く感じられる訳である。
それでも出てくる単語を最大限に訳へ反映させようとしているだけ、ルゾー本よりもましともいえるのだが。
30. 3217Mais quant au jugement qui se vient parachever moyennant le jugement celeste cela te veulx je manifester : parquoy avoir cognoissance des causes futures rejectant loing les phantastiques imaginations qui adviendront, limitant la particularité des lieux par divine inspiration supernaturelle 33accordant aux celestes figures, les lieux, & une partie du temps de proprieté occulte par vertu, puissance & faculté divine, en presence de laquelle les trois temps sont comprins par eternité, revolution tenant à la cause passée, presente, & future : quia omnia sunt nuda & aperta &c.
さて、天の判断が完成させる判断(1)についても、お前に説明しておきたい。
人が未来の物事を認識できるのは天の判断による。その未来の出来事は、起こるべきことが遠くに幻想的な像として投影されているものである。
そして、超自然的な神から来る霊感によって、(それが起こる)場所の特徴を特定でき、さらには神の御威徳、御力、権能と隠された特性(2)によって、天空の表徴と一致する範囲で、場所だけでなく一部の時までもが特定できるのである。そして、神にとっては、その永遠性の中に三つの時を包含しているのである。それは過去の物事、現在、未来を含む、時の転回である(3)。
「すべての物事は裸であり、発見されているのである」
云々(4)。
【訳注】
(1)「神から来る霊感が完成させる予言的判断」(ブランダムールの釈義)
(2)この「隠された特性」がどこに掛るのかが分かりづらい。ここではブランダムールの釈義を踏まえた。
(3)revolution(転回)を、ブランダムールは語源まで遡った上でこの場合は「熟慮」と訳している。
彼の釈義ではこの一文は「その思考は過去、現在、未来を含んでいる」となっている。(4)「そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。
この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない」
(新約聖書「ヘブル人の手紙」第4章13節)。
見比べて明らかなようにかなり大雑把な引用だが、サヴォナローラの簡略な引用を更に縮めたためである。
【コメント】この節はサヴォナローラの主題をノストラダムスなりに消化したもの。
31. 3418Parquoy mon filz, tu peulx facilement nonobstant ton tendre cerveau, comprendre que les choses qui doivent avenir se peuvent prophetizer par les nocturnes & celestes lumieres, qui sont naturelles, & par l'esprit de prophetie :
以上によってわが息子よ、お前の脳は稚いけれども、起こるべき物事が夜天の自然の光(1)と予言のエスプリとによって予言されうるということは、理解できるであろう。
【訳注】
(1)星々のこと。「自然の」とわざわざ断っているのは、神から下された光などの象徴的な表現でないことを強調したものであろう。
【コメント】この節はロバーツ本では、「それゆえ息子よ、お前の感じやすさにもかかわらず、後に起こった事柄を理解し、天の光や予言の霊によって語ってほしいのだ。」と訳されている。それを踏まえて浅利氏はこう解釈した。「ここでノストラダムスは息子セザールに対して懇願、あるいは要求している。しかし、本当は、『私、ノストラダムスはお前、セザールに対して、しかるべき時になったら、宇宙から"霊"(テレパシー)を送って予言の真意を教える。そして、それをお前は自分自身の力で世間に発表しなさい』という計画に基づいた指令をしているのである」(浅利[1999]p.274)。よくもここまで飛躍した読み方ができるものだと呆れるが、上記の拙訳を見て頂けば分かるように、セザールに予言解釈をしてくれだの発表してくれだのとは一言もいっていない。そう読むためには se peuvent prophetizer の主語が「お前(tu)」でなければならないが、活用語尾からしてそう読むことはできない。実際、ロバーツ本の原書ではこう英訳されている。"Therefore, my son, thou mayst, notwithstanding thy tender brain, comprehend things that shall happen hereafter, and may be foretold by celestial natural lights, and by the spirit of prophecy"(Henry C. Roberts, The Complete Prophecies of Nostradamus, 1949, p.5). この場合の may be foretold の主語が何なのかは中学生にも分かる話であって、日本語版の訳は完全に誤りである。
ゆえにそんな誤訳に立脚した浅利氏の解釈もまた完全に的外れである。
32. 35non que je me vueille attribuer nomination ni effect prophetique, mais par revelée inspiration, comme homme mortel esloigné non moins de sens au ciel, que des piedz en terre, 36Possum errare, falli, decipi(1) : suis pecheur plus grand que nul de ce monde, subject à toutes humaines afflictions.
私は啓示された霊感によって(予言をして)いるが、自らを預言者の名前や役割に帰属させることは望まない。
それは、足が大地に埋もれていて感覚が天から遠く隔たっている、死すべき人間として(の立場)である。
「私は誤るかも知れない、間違うかもしれない、騙されるかもしれない」(1)。
私は人類のあらゆる苦悩に苛まれる、世界の誰よりも罪深い者の一人である。
【語注】(1)Possum errare, falli, decipi(ブランダムールの校訂): Possum non errare, falli, decipi(全ての版).校訂の根拠はノストラダムスの私信等で同じ銘句が何度か出てくるが、それらには non がついていないためである。
【訳注】(1)出典の不明なラテン語の銘句。
【コメント】再び「預言者」の称号を固辞している。
なお、ロバーツ本ではこの節がこう訳されている。
しかし、わたしは自分に予言者としての名称は望まない。
私は死すべき人間にしかすぎないのだ。
ただ私は自力で、地球からというより感覚的に天から遠くない存在者だといえる。
「私は正しいことをなし、失敗することのないように仕向けられている」。
私は全ての人類の苦悩を背負っている世界で最も偉大な罪人であるけれども、しかし時には、予言的な気分で、あまりにも長期の予想に驚くことがある。
(ロバーツ[1975]p.5. この訳の最後の部分には次の節の冒頭の訳が含まれている)
この中の特に
「世界でもっとも偉大な罪人」
を踏まえて、浅利氏は、ノストラダムスが自身をイエスと同格に置いていると曲解した(浅利[1999]pp.25-27)。
実際には単に過剰にへりくだっているだけにすぎない。
また、氏の主張が正しいのなら、ノストラダムスは
「預言者の称号は自分のような小物にはふさわしくない。だって私は救い主だから」
という支離滅裂なことを語ったことになってしまう。
浅利氏は
「この告白は、息子に宛てた手紙という個人的な書簡に象徴的な表現で書かれていたから、かろうじて見逃されたのだ」(同上p.28)
と言うが、これも的外れというほかはない。
同時代の占星術師ローラン・ヴィデルはこの節をこう批判している。
「おお、傲岸不遜な愚か者よ。預言者に列してもらうだけでは物足りないのか?神から来る霊感などと、自分は預言者以上だとでも言いたいのか?」
(『ノストラダムスの告発』1558年)。
こうして噛み付いたヴィデルにしても、「世界の誰よりも罪深い」の部分を全く問題視していなかったことは明らかであろう。浅利氏が言うような「手紙の形だったから見過ごしてもらえた」のではなく、浅利氏が解釈したような意味ではないから気にされなかったというだけのことである。参考までに述べておくと、古代ユダヤ教の中にも、自分たちがいかに罪深いかを強調することによって神の偉大さへの崇敬を表すという立場は存在していたし、また福音書のなかにも罪深さを認めてへりくだることの重要性が指摘されている箇所はある(ex. 「ルカによる福音書」第18章14節)。
33. 3719Mais estant surprins par fois la semaine lympatiquant, & par longue calculation rendant les estudes nocturnes de soueve odeur, j'ay composé livres de propheties contenant chacun cent quatrains astronomiques de propheties, lesquelles j'ay un peu voulu rabouter(1) obscurement : & sont perpetuelles vaticinations, pour d'icy à l'an 3797(2).
さて、一週間を通じて時々予言に驚かされ(1)、夜中の研究に甘美な香り(2)を与えてくれる長い算定に没頭しつつ、私はこの百篇ごとの天文学(占星術)的な四行詩からなる予言の書を構成したのである。私はそれを少々曖昧な形でつなぎ合わせることを望んだが、それは現在から3797年(3)までの永続的な予言なのである。
【異文・語注】
(1)rabouter(ブランダムールの校訂): raboter (1555 etc.). "rabouter"は「両端をつなぎ合わせる」の意。
この場合は別に raboter(仕上げる)でも意味は通じるように思えるが。
(2)l'an 3797 (1555) : l'année 3797 (1557U, 1557B, 1568), l'annee 3767 (1589, 1653), l'annee 3192 (1627).
1690年頃のアントワーヌ・ベッソン版では"es années 1767"となっている
(この版は省略や要約が多いので網羅的に異文を採取することはしていない)。
【訳注】
(1)第17節で自分が予言を口走ることに驚くと述べていたことに対応。
(2)ブランダムールは、ランプの油の香気に喩えたものと見ている。
(3)ブランダムールは、ノストラダムスが天地創造を紀元前5204年と見たうえでそこから9000年後を想定したのではないかと推測している。
ラメジャラーは、西暦2242年(後述)にこの書簡が書かれた年1555年を加算した数字と見ている。
【コメント】
高木彬光氏の指摘によって、日本でも比較的早い段階でこの節の後半部分は知られていた。
余談ではあるが、ノストラダムスがこの書簡を通じて一度も自分の詩のまとまりを"Centurie (s)"と呼んでいないのは興味深い。
34. 3820Que possible fera retirer le front à quelques uns en voyant si longue extension(1),
& par soubs toute concavité de la lune aura lieu & intelligence : & ce entendent universellement par toute la terre, les causes mon filz.
かくも長い(予言範囲の)拡張に眉をひそめる人々もいるだろう。
しかし、月の窪みの下(1)の至る所で(予言した通りの)事件が起こって認識されるであろうし、それによって全地上であまねく理解されるのだ、わが息子よ。
【異文】
(1)extension (1555, 1557B, 1610, 1627, 1653) : entension (1557U, 1568, 1589)
【訳注】
(1)月下の世界、つまり地上界のこと。
【コメント】
前半は、3797年までという予言の範囲指定が反発を引き起こすことを憂えたものだが、案の定、ヴィデルもクイヤールもこの年代について反発した。
「お前に対してそんなに世界が続くと保証したのは何者なのか? かつがれたのではないのか? 天使たちでさえその時を知らないというのに」
(ヴィデル『ノストラダムスの告発』1558年)、
「私は3797年までの永続的な予言などは語りたくない。何故ならば悪魔が私に対して世界はもっと前に終わると教えてくれたからだ」
(クイヤール『領主殿の予言集』1556年)。
なお、クイヤールの本はノストラダムスの予言集のパロディであって、悪魔云々は単にノストラダムスをおちょくったものである。
この節の後半は、実際に的中することによって自分の予言の正当性が証明されると釈明している。
35. Que si tu vis l'aage(1) naturel & humain(2), tu verras devers ton climat au propre ciel de ta nativité les futures aventures prevoir.
もしおまえが成人まで生きていられるのなら、お前が生まれた固有の空での緯度のもとで(1)、未来の事件が起こるのを見るだろう。
【異文】
(1)vis l'aage : is l'vaage (1555) (2)humain : humani (1555)
【訳注】
(1)回りくどい表現だが、「お前が生まれた場所で」ということ。
36. 3921Combien que le seul Dieu eternel, soit celuy seul qui cognoist l'eternité de sa lumiere, procedant de luy mesmes :
唯一、永遠の神のみがご自身から発する光の永続性を認識しておられるのだ。
37. 40& je dis franchement que à ceux à qui sa magnitude immense, qui est sans mesure & incomprehensible, ha voulu par longue inspiration melancolique reveler, que moyennant icelle cause occulte manifestée divinement, principalement de deux causes principales qui sont comprinses à l'entendement de celuy inspiré qui prophetise 22l'une est que vient à infuser, esclarcissant la lumiere supernaturelle au personnage qui predit par la doctrine des astres, & prophetise par inspirée revelation :
そして、私は(お前に)(1)率直に言っておく。測り知れない無窮の偉大さ(2)から、長い憂鬱質の霊感(3)によってこの人に啓示したいと思ってもらえた人々には、予言する霊感(4)の理解力を形成する2つの原理のうちの1つが、神の力によって示された隠された物事を通じて注がれているのである。超自然的な光は、天体の学説(5)によって予言する人や、下った霊感によって予言する人を明るくするのである。
【訳注】
(1)「言う」に対応する目的語を何と見るかは論者によって異なる。
ここではラメジャラーに従い、「お前」が略されていると考えた。
(2)神のこと。
(3)霊感を「憂鬱質の(mélancolique)」と形容しているのは、コルネリウス・アグリッパの影響を受けたもののようである。
(4)ブランダムールの釈義では「霊感を受けた預言者」。
ゆえに、直後の「理解力」は一般的な意味ではなく「未来の出来事についての理解力」と見るべきであろう。
(5)ブランダムールの釈義では「占星術的な基盤」。
実際のところ、これは天文学というよりも占星術と見るべきであろう。
【コメント】予言をするうえで神から霊感が下されることの重要さが繰り返し説かれている。
この節から第39節までは、サヴォナローラに触発されたもののようであり、特に第39節は事実上の翻案である。
38. laquelle est une certe(1) participation de la divine eternité : moyennant le prophete vient à juger de cela que son divin esprit luy ha donné par le moyen de Dieu le createur, & par une naturelle instigation :
その霊感は神の永遠性から分け与えられたものである。
これによって預言者は、その神々しいエスプリ(1)が神に由来するものなのか、自然の直感に由来するものなのかを判断したのである。
【異文】(1)certe (1555) : certaine(1555以外の版)
【訳注】(1)文脈からして、預言者の脳裏にひらめいたものを指すと思われる。
39. 4123cest assavoir que ce que predict, est vray, & a prins son origine etheréement : & telle lumiere & flambe exigue est de toute efficace, & de telle altitude non moins que la naturelle clarté & naturelle lumiere rend les Philosophes si asseurés que moyennant les principes de la premiere cause ont attainct à plus profondes abysmes de plus haute doctrine.
つまりは予言した物事は真実であり、天上に起源を持つのである。
そして、この光や幽かな炎は全くもって有能にして崇高なのである。
このことは、自然の光や自然の明かりによって、哲学者たちが第一の原因の諸原理に関して推論を重ねつつ確信し、最も崇高な学説の最奥部に到達したことと同様である。
【コメント】
後半の哲学者(あるいは科学者)の喩えが何を意味するのかについては、ブランダムールらも特に何も注記していないので私には何のことか分からない。
ただし、あくまでも喩えなので、この部分を省いても前後の理解には差し支えないと思われる。
既に述べたように、この節は、サヴォナローラの翻案である。
40. 42Mais à celle fin, mon filz, que je ne vague trop profondement pour la capacité future de ton sens, 24& aussi que je trouve que les lettres feront si grande & incomparable jacture, je(1) treuve le monde avant l'universelle conflagration advenir tant de deluges & si hautes inundations, qu'il sera guieres terroir qui ne soit couvert d'eau : & sera par si long temps que hors mis enographies & topographies, que le tout ne soit peri :
さてわが息子よ、(以上の話を)終えるに当たって、お前の知覚の将来の許容量のためにあまり深入りした寄り道はしないでおく。
(次に)私は文芸が非常に大きく比類のない損失に見舞われるであろうことを見出す(1)。
であるので、世界的な大変動に先立って大洪水や高水位の大浸水が起こり、水で覆われない土地がほとんどなくなるであろうこと、そしてそれが長く続き、エノグラフィとトポグラフィを除けば(2)全てが失われるであろうことを見出すのである。
【異文】
(1)je(ブランダムールの校訂): que je(全ての版)
【訳注】
(1)trouver(見つける)はこの構文では「思う」と訳すのが一般的である。
高田・伊藤訳でもそうなっている。ただし、ここでは単なる推論ではなく、未来の情景を「見た」というニュアンスがあったほうがよいように思われたので、「見出す」と訳した。(2)トポグラフィは「地図、地形図」のことだが、問題となるのは「エノグラフィ」である。ブランダムールは"œnographie"(葡萄栽培地を描いた図)と見なし、それに基づいてこの部分を
「葡萄栽培地やさまざまな地としてリスト化されている場所で、氾濫が古代遺跡を現出させることを除けば、氾濫はほとんどすべてを破壊するだろう」
と理解した(Brind'Amour[1996]p.30.
ただし、訳は高田・伊藤訳[1999]p.69 を引用した)。
これに対し、レオニやラメジャラーは"ethnographie"(「民族誌」)の誤記と見ている。
こちらの読みに従えば、
「記録のうえでの地形や民族は残るが、現実の地形や民族は全て失われる」
といった意味になる。
個人的には後者のほうが文脈に適合しているようにも思える。
【コメント】前半の文芸の受難はノストラダムスの百詩篇の中にも何度か登場するモチーフである。
ブランダムールは特に百詩篇第1巻62番(下掲)との類似性を指摘している。
この直後の節に「火の雨」が登場することを考えるなら、確かにモチーフの酷似は明白である
ああ、文芸に大いなる損失があるだろう。
ラトニアの周期が完了するまえに。
火、大洪水、それにもまして無知な王笏によって。
長い時代にわたり元には戻らないだろう。
41. 43aussy avant telles & apres inundations, en plusieurs contrées les pluies seront si exigues, & tombera du ciel si grande abondance de feu, & de pierres candentes, que ni demourra rien qu'il ne soit consummé : & ceci advenir, & en brief, & avant la derniere conflagration.
同様にして浸水の前後には、いくつかの国で雨が非常に少ないものとなり、空から多量の火や白熱した石が降ってくるだろう。それらが焼き尽くすので何も残らないだろう。それは最後の大動乱に先立ち、短期的に起こるのである。
42. 4425Car encores que la planette de Mars paracheve son cycle(1) & à la fin de son dernier periode, si le reprendra il : mais assemblés les uns en Aquarius par plusieurs années, les autres en Cancer par plus longues & continues.
というのは、火星がその周期を完成するからであり、その直近の区切りの最後に、火星が再び巡ってくるだろう。
しかし、あるものたちは数年間宝瓶宮にとどまり、別のものたちは巨蟹宮に一層長く継続的にとどまるだろう。
【異文】
(1)cycle(ブランダムールの校訂): siecle(全ての版)
【コメント】この節はすぐ後の節と密接に結びついているのだろうが、星位の意味がよく分からない。
43. 45Et maintenant que sommes conduicts par la lune, moyennant la totale puissance de Dieu eternel, que avant qu'elle aye parachevé son total circuit, le soleil viendra, & puis Saturne.
そして現在、我々は永遠なる神の全き御力によって、月に支配されている。
その全周期が完成する前に太陽が来るであろうし、その次には土星が来るであろう。
【コメント】
次の節でまとめて解説する。
44. 46Car selon les signes celestes le regne de Saturne sera de retour, que le tout calculé, le monde s'approche, d'une anaragonique revolution :
というのは、天の徴に従えば、土星の支配は戻り来るからだ。
そして、あらゆる算定で、世界は断交の変革(1)に近づいている。
【訳注】(1)ブランダムールの釈義では「過去と断絶する変革」
【コメント】
ここまででいわれている星の支配の話は、リシャール・ルーサ『諸時代の状態と転変の書』(1550年)に登場する。
これはもともと12世紀のユダヤ教学者アブラハム・イブン・エズラの"Liber rationum"で展開された説のようである。
それによると、7天使に導かれた7つの星、つまり土星、金星、木星、水星、火星、月、太陽が曜日と逆の順に世界を支配しているのだといい、一つの星の支配期間は354年4ヶ月であるという。ルーサはこう述べる。
「3巡目の火星が(天地創造から)6732年と4か月(西暦1533年)まで導いた後、その終わりからは現在支配している月が支配を始めたのであり、それは354年4ヶ月に亘る持ち分を完成するために導いていくに違いないのである。そのあとに太陽が7441年(西暦2242年)まで支配して、もしも世界が終わっていないのなら、土星が四順目の支配を始めるに違いないのである。さて、前記のことにより、我々が現在最後の停留点を形成する第7千年紀にいることは明らかである。その後で驚くべき変転が起こるのである。そして今年1548年は、ジャック・ド・ブルゴーニュたちに従えば、火星が13年8ヶ月前に支配を終えたことになるのである。一方でカイサリアのエウセビオスの書"De temporibus"とその追従者たちによれば、それは15年8ヶ月前のことになのだという。現在は月が天使ガブリエルと、つまりは神のお力とともに、支配をしているのである」。
この月の支配と太陽の支配は、有名な百詩篇第1巻48番にも明瞭に表れている
(以下はブランダムールの読み方に従った)。
月の支配の20年が過ぎた。
7000年をこえて(7086年まで月が)支配するだろう
太陽がその残された日々を受け取るとき、
わが予言は成就し、終わる。
この詩において太陽の支配で話が終わっているのは、ルーサの
「太陽が7441年まで支配して、もしも世界が終わっていないのなら」
を意識したのではないかと思う。
第44節でノストラダムスが(3巡目のラストである)太陽の支配と(4巡目の最初である)土星の支配の切り替わり目に、「断交の変革」を想定していることも、このことと関連があるのではないだろうか。
そうであるのなら、ノストラダムスの予言の範囲は西暦2242年までということになる。
既に出てきている3797年との整合性の問題があるが、ラメジャラーは3797年は本来の範囲である2242年に、この序文が書かれた1555年を足して導き出した年数であると見ている。
この読みが適切なものであるかどうかには、なおも議論の余地があるだろう。
45. 4726& que de present que ceci j'escriptz avant cent & septante sept ans trois mois unze jours, par pestilence, longue famine, & guerres, & plus par les inundations le monde entre cy & ce terme prefix, avant & apres par plusieurs fois, sera si diminué, & si peu de monde sera, que lon ne trouvera qui vueille prendre les champs, qui deviendront liberes aussi longuement, qu'ils sont estez en servitude :
私がこれを書いている現在は、その時点の177年3ヶ月11日前(1)に当たるのだが、その時点(177年3ヶ月11日後)と予め定めた時(2)との間で前後に何度も起こるペスト、長期の飢餓、戦争、さらには浸水によって、人々(3)は非常に減少するだろう。そして、耕地を耕したいと望む人を見ることもなくなるであろうほどに人がほとんどいなくなり、田野は人々が使役してきたのと同じくらいに長い間、自由になるだろう(4)。
【訳注】
(1)ブランダムールは、354年4ヶ月の半分とみている。
実際の半分(177年2ヶ月)との誤差はよく分からない。
(2)断交の変革のことか?あるいは3797年のことか?
(3)人々の原語は monde で、「世界は非常に衰える」とも訳せる。
しかし、直後の peu de monde は明らかに「人々」で訳さないと意味が通らないため、こちらも「人々」で揃えた。
(4)人類の耕作の歴史と同じくらいの期間、今度は誰も耕す人のいない時代が続く、ということ。
【コメント】
この書簡が書かれたのは1555年3月1日(後述)なので、その177年3ヶ月11日先は1732年6月12日(グレゴリオ暦の同年6月23日)となり、その時から現在までにはここに書かれているような世界的破局はなかったのだから予言は外れた、と理解されるのが一般的である。
46. 4827& ce quant au visible jugement celeste, que encores que nous soyons au septiesme nombre de mille qui paracheve le tout, nous approchant du huictiesme, où est le firmament de la huictiesme sphere, que est en la dimension altitudinaire(1), où le grand Dieu eternel viendra parachever la revolution : où les images celestes retourneront à se mouvoir, & le mouvement superieur qui nous rend la terre stable & ferme, non inclinabitur in sæculum sæculi : hors mis que quand son vouloir sera accompli, ce sera, mais non point aultrement :
そして天の目に見える判断(1)では、我々は全てを完成する第7千年紀(2)にいるのであるが、第8(千年紀)に近づいているのである。それは、高さの次元でいうと第8天(3)であり、永遠の大神が変革しに来るであろう時期であり、天空のイメージが動きに戻る(4)時期である。その超越的な動きは我々を安定した堅い大地に戻すだろう(5)。「いつの時代にも傾くことはない」(6)のである。神がそれを望まない限りは。
【異文】(1)altitudinaire(ブランダムールの校訂): latitudinaire(全ての版)
【訳注】
(1)ブランダムールの釈義では「星々を観測している人たちの意見」。
(2)千年紀は千年をひとまとまりとする単位だが、ここではルーサの年代観に沿っている。
既に見たように彼が採用した年代観では、西暦1500年代は(天地創造から見て)6700年代の時期に当たり、まさにこれは第7千年紀(6001年〜7000年)に含まれている。
(3)いわゆる天動説的な発想である。
かつては地球の周りにはそれぞれの惑星が配置された同心円状の天球がいくつも重なっていると考えられていた。
そして、太陽や月、その他の五惑星があるのは第7天までであり、第8天には12宮を含む恒星が配置されているものとして描かれていた。
(4)ブランダムールの釈義では、「黄道12星座が自分の位置に戻る」。
直前で第8天に言及されているのだから、ここでの「天空のイメージ」を12宮と捉えるのは妥当であると思われる。
(5)ブランダムールに拠れば、これは大地そのものへの言及というよりも、春分点の移動に関して述べたものであるという。
(6)「あなたは地をその基(もとい)の上にすえて、とこしえに動くことのないようにされた」(
旧約聖書「詩篇」第104篇5節)。
【コメント】この節はルーサの次の句の翻案であろう。
「ゆえに親愛なる読者たちよ、以下のことを知りなさい。神の御国は近いのだ。我々は今既に第7千年紀にいるのである。そして第8天 ―それは崇高なる天であり神の美である― において変革が完遂するのである。そして諸天体はそこで自ら(の場所)へと動き始めて戻り、停止するのである」。
ブランダムールは、ここでふたつの主題が述べられていると指摘している。
ひとつ目は7千年紀の問題で、8千年紀への切り替わり目に世界が終わるかもしれないことが語られている
(ちなみにルーサの年代観では、これは西暦1800年頃のことになる)。もう一つが春分点の移動である。
47. 4928combien que par ambigues opinions excedants toutes raisons naturelles par songes Machometiques(1),
(以上は)あらゆる自然の理性を超えた曖昧な意見やムハンマド的な夢想(1)によるものではあるけれども。
【異文】
(1)Machometiques ou Mahometiques (1555, 1557B, 1557U, 1568, 1589) : Mathometiques (1610), Mathematiques (1627, 1653).
伝言ゲームの要領で原文が変化していった好例。
なお、Mathematiques は「数学的な」以外に、当時の用法としては「占星術的な」の意味もあった。
【訳注】
(1)ブランダムールの釈義では「霊感を受けた夢想」。
48. aussi aucune fois Dieu le createur par les ministres de ses messagiers de feu en flamme missive vient à proposer aux sens exterieurs, mesmement à nos yeulx, les causes de future prediction significatrices du cas futur, 29qui se doibt à cellui qui presaige manifester.
同様に、時として、造物主たる神は使者である火を介して伝道的な炎の中で、我々の眼と同様に外部の感覚に向けて、未来の予言の諸原因をお示しになったのである。その諸原因は、未来の出来事の徴となるものであり、予言をする人に示されなければならないものである。
49. 50Car le presaige qui se faict de la lumiere exterieure vient infalliblement à juger partie avecques & moyennant le lume interieur(1) :
というのは、外部の光から生み出される予兆は、内部の光によってまたそれとともに、分かちがたく結びついているのである。
【異文】
(1)interieur(ブランダムールの校訂): exterieur(1589以外の版), exrieur (1589)
50. combien vrayement que la partie qui semble voir(1) par l'oeil de l'entendement, ce que n'est par la lesion du sens imaginatif, 5130la raison est par trop evidente, le tout estre predict par afflation de divinité, & par le moyen de l'esprit angelique inspiré à l'homme prophetisant, rendant joinctes(2) de vaticinations le venant à illuminer, lui esmouvant le devant de la phantasie par diverses nocturnes apparitions, que par diurne certitude prophetise par administration astronomicque, conjoincte de la sanctissime future prediction, ne consistant(3) ailleurs qu'au courage libre.
理解力の目によって本当に(未来を)見通せるらしい(魂の)一部分(1)は、想像力豊かな感覚の病変によってそれが可能になる以上、理由は極めて明白である。神から来る霊感や、預言と結びついて予言を行う人に霊感を下す天使によって、全ては予言されるからである。それらのものは、彼(予言をする人)を輝かせに来て、夜の様々な出現や昼の確信によって、彼の想像力を掻き立てるのである。そして彼は自由な真情(2)としか結びついていない神聖な未来の予言と結びついて、天文学的管理によって(3)予言を行うのである。
【異文】
(1)voir(ブランダムールの校訂): avoir(全ての版).
(2)joinctes (1557B) : oinctes (1555, 1557U, 1568, 1610, 1627, 1653), oings (1589). ブランダムールの校訂に従った。
(3)consistant (1555) : considerant(1555以外の版)
【訳注】
(1)カッコ内はブランダムールの釈義によって補ったもの。
2)ブランダムールは疑問符つきながら「自由な調停者」(=神)を意味している可能性を示唆している。
(3)ブランダムールの釈義では「占星術的な土台の上で」。
実際、今まで述べてきた内容からは判断占星術以外の意味に理解することは出来ない。
51. 5231Viens(1) asture(2) entendre mon filz, que je trouve par mes revolutions que sont accordantes à revellée inspiration, que le mortel glaive s'aproche de nous pour asture(3) par peste, guerre plus horrible que à vie de trois hommes n'a esté, & famine, lequel tombera en terre, & y retournera souvent,
わが息子よ、今このときに理解しに来たれ。
啓示された霊感に一致する我が転回によって見出した物事、つまりは死の剣が我々に今このときに迫ってくることを。
それは、ペストや、(過去)3世代にあったものよりも酷い戦争や、飢饉の形をとるのである。この剣が地上に振り下ろされるだろうし、しばしば戻り来るだろう。
【異文・語注】
(1)viens(多くの版): vient (1555, 1557U, 1557B).
(2)asture (1555, 1557U, 1557B) : à cette heure (1568, 1589, 1610, 1627, 1653). asture は
「今、この時、すぐに」
などの意味なので、意味自体はどちらでも変わらない。
(3)pour asture (1555) : maintenant(1555以外の版). これも意味自体はどちらでも変わらない。
【コメント】
サヴォナローラからの翻案。
彼が1492年の待降節に見たという剣の幻を下敷きにしている。
52. 53car les astres s'accordent à la revolution : & aussi a dit Visitabo in virga ferrea iniquitates eorum, & in verberibus percutiam eos. 5432Car la misericorde du seigneur ne sera point dispergée un temps mon filz que la plus part de mes Propheties seront accomplies, & viendront estre par accompliment revoluës.
というのは、星々が変革に一致しているからである。
さらに(神は)宣う。
「私は彼らの不正に鉄の鞭を持って訪れ、そしてそれら(彼らの不正)を私自らの打擲でもって打ち据えるであろう」(1)。
というのは、私の予言の大部分が成就し実現していくであろう時には、主の御慈悲は全く広がらないであろうから(2)。
【訳注】
(1)「わたしはつえをもって彼らのとがを罰し、むちをもって彼らの不義を罰する」(旧約聖書「詩篇」第89篇32節)。
(2)ブランダムールの釈義を踏まえた高田・伊藤訳では、
「なぜなら主の慈悲は、わが子よ、私の予言の大部分が成就され、その実現をもって満たされるまでは、その効力を発揮される暇はなかっただろうゆえに」。
【コメント】
これもサヴォナローラの幻視に基づいている。
ここで引用されている聖書の句は、サヴォナローラが光の中で聴いたものであるという。
53. 55Alors par plusieurs fois durant les sinistres tempestes, Conteram ergo, dira le Seigneur, & confringam, & non miserebor :
そして、不吉な嵐の中で主は宣うだろう。
「私は彼らを痛めつけ、砕き、憐れみは持たない」(1)
と。
【訳注】
(1)「彼らを互に打ち当てて砕く。
父と子もそのようにすると、主は言われる。わたしは彼らをあわれまず、惜しまず、かわいそうとも思わずに滅ぼす』と」
(旧約聖書「エレミヤ書」第13章14節):ブランダムールの指摘。
「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。もろもろの民になかに、わたしと事を共にする者はなかった。
わたしは怒りによって彼らを踏み、憤りによって彼らを踏みにじったので、彼らの血がわが衣にふりかかり、わが装いをことごとく汚した」
(旧約聖書「イザヤ書」第63章3節):レオニやラメジャラーの指摘。
【コメント】
これまたサヴォナローラの幻視に基づいている。
前節同様に、聖書の引用句はサヴォナローラが光の中で聴いたものを孫引きしているため、オリジナルの句に比べてアレンジがされている
(ブランダムールやラメジャラーの推定する出典にばらつきがあるのはそのためである)。
54. 5633& mille autres adventures qui aviendront par eaux & continuelles pluies, comme plus à plain j'ay redigé par escript aux miennes autres propheties qui sont composées tout au long, in soluta oratione, limitant les lieux, temps, & le terme prefix que les humains apresvenus, verront, cognoissants les aventures avenues infailliblement, 57comme avons noté par les autres, parlans plus clairement : nonobstant que sous nuée seront comprinses les intelligences : sed quando sub mouenda erit ignorantia, le cas sera plus esclarci.
そして、洪水や継続的な雨によって他の千の(=無数の)事件が起こるだろう。このことは、私が場所、時期、予め定められた期限を区切って、「拘束のない文体で」(1)詳しく私の他の予言の中に書いた通りである。(その期限のときに)人類は、私が他の予言の中でより明解に示したとおりの出来事が誤りなく起こることを認識しつつ、我々の後に起こることを見るであろう。その理解は雲に包まれてはいるけれども「無知が啓蒙されたときに」(2)物事は明白になるのである。
【訳注】(1)「散文で」ということ。この表現はセネカなどからの借用らしい。(2)アンドレーア・アルチャーティの『エンブレマタ』第188番の銘句。この本は16世紀から17世紀のヨーロッパで大ベストセラーとなったもので、マセ・ボノムらリヨンの出版業者たちも数多くの版を手掛けていた。
【コメント】
ノストラダムスは詩で書いた『予言集』とは別に散文で予言を書き、そこでは時期や場所まで明示したと述べている。
ラメジャラーはこれを占筮のことと見ている。
ノストラダムスは毎年、翌年一年について、時期や場所を示す形の散文による予言を出版していたからである
(当サイト「『暦書』書誌」参照)。
私も同じ意見であるが、ブランダムールは「失われた予言」を想定している。
『日食の意味』(1558年ころ)の中で、ノストラダムス自身が「より多くは我が予言集の第二巻(la seconde centurie de mes Propheties)の解釈で明らかにした通り」と述べているからである。ここでいわれるようなノストラダムス自身による百詩篇の解釈書などは発見されていないため、ブランダムールはこの解釈書こそがノストラダムスの言う散文で書かれた別の予言であるとした。興味深い説であるが、この『日食の意味』には偽書の疑いもかけている論者もいることを申し添えておく。
ちなみにルゾー本ではこの部分の訳がこうなっている。
「わたしはそれらのことについても長々と、"その間に啓示がつけ加えられるたびに"一〇〇篇の詩で場所を正確に示し、日付や時刻まで定めて叙述してきた」(ルゾー[1986]p.274)。この完全な誤訳を元に改悪したのが加治木氏である。彼の訳ではこうなっている。「私は月日と時まで決定して〔サンチュリ〕で述べておく」(加治木[1990]p.41)。既に述べたが原文を見渡せば明らかな通り、ノストラダムスは第一序文の中で一度として「サンチュリ」という言葉を使っていない。加治木氏はこの捏造した部分を大義名分に掲げ、百詩篇の中には時を表す暗号が隠されていると解釈したが、誤訳を飛躍させただけの妄想にすぎない。
55. 5834Faisant fin mon filz, prens donc ce don de ton pere M.(1) Nostradamus, esperant toy declarer une chacune prophetie des quatrains ici mis. Priant au Dieu immortel qui te vueille prester vie longue, en bonne & prospere felicité. 59De Salon ce j. de Mars 1555(2).
我が息子よ、終わりに当たって、お前の父 M. ノストラダムスのこの贈り物を受け取ってほしい。
ここに含まれているそれぞれの予言四行詩をお前に明かしてやれる(日が来る)ことを望みつつ。
そして不死なる神にどうかお前が素晴らしく栄えた幸福の内にその長い人生を送れますように、と祈りつつ。
サロン(1)、1555年3月1日。

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【異文】(1)M. (1555, 1557U, 1589) : Michel (1568, 1627, 1653).
なお、1557Bは前の節の parlans plus clairement のあとにこの節の Priant au Dieu が繋がっているため、該当箇所が存在しない。
(2)ce j. de Mars 1555 (1555) : ce premier de Mars, 1555 (1557U), ce premier jour de Mars, 1555 (1557B), ce I. de Mars 1555 (1568), ce premier jour de Mars, mil cinq cens cinquante sept (1589), ce I. de Mars, 15551 (1627), ce 1. de Mars (1653)
【訳注】(1)プロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン・ド・プロヴァンス)
【コメント】息子の幸せを祈る心情が強くあらわれた結句。
息子に対して自分が「予言を明かしてやれる」ことを望んでいる点に注目。
「息子が予言を解読してくれること」などは全く期待していないのである。
この点は、未来を知るには神から霊感が下る必要があることを至る所で繰り返し語りつつも、息子にはその素質がないことを明示している
(第4節)こととも整合している。
信奉者たちの中には
「セザールは未来の予言を解読する者のことであり、それは自分なのだ」
ということを言いたがる者もいる。
一例を挙げよう。
ロバーツ本ではこの節の前半はこう訳されている。
息子よ、この手紙を、父ミカエル・ノストラダムスの贈物として受けよ。
四行連句になっている予言を、不死なる神に祈りながら、ひもとくことを私は望むのだ。(ロバーツ[1975]p.9)
この部分を浅利氏は
「息子よ、この父の作品『諸世紀』を私からの贈り物として受け取りなさい。カトラン(四行詩)の真意を永遠に生きている天使に助けてもらいながら研究しなさい」
と釈義して自分へのメッセージと受け止めた(浅利[1999]p.264)。
しかし、ロバーツ本の訳はまたしても日本語訳の際に生じた単なる誤訳なのである。
原書にはこうある。
"Making an end here, my son, accept this gift of thy father, Michael Nostradamus,
hoping to expound to thee every prophecy of these quatrains, praying to the Immortal God that he will grant thee a long life in felicity."
(Roberts, op.cit., p.8)
いたって平易な英文である。
to expound to thee (=you)… を「(お前が)ひもとくこと」と訳せないのは中学生でも分かる話であろう。
なお、フォンブリュヌ本の高田訳でも「願わくは、ここに収められた四行詩から成るそれぞれの予言を世に知らしめんことを。」
(フォンブリュヌ[1982]p.30)
という不適切な訳になっているが、これは原書でフォンブリュヌがこの部分を勝手に
"en souhaitant que tu fasses connaître chaque prophétie mise ici dans chaque quatrain."
(Fontbrune, Nostradamus Historien et Prophète, Poche, 1982, p.25)
と書き換えたことが原因であって、高田氏が誤訳したわけではない。
このように、ノストラダムスがセザールを解読者と位置づけているという「設定」が通用するのは、あくまでも誤訳に基づいたり、都合のよいところだけを拾い読みして拡大解釈したからに過ぎない。そのような「設定」をこの序文は一貫して拒絶している。

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2006.11.25 公開
2006.11.27 微調整
2009.07.03 微調整
2015.01.18 第45節の訳を微調整し、関連する注を追加。

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ノストラダムス雑記帳: 予言集と暦書以外の書誌
ノストラダムスの予言集・暦書以外の著作および手稿の書誌
<出版物>
【1554頃】3月10日ユーディカ(主の受難日)の7時から8時の間に、フランス・サロンの町で多くの人に目撃された恐るべき驚異の光景 
Ein Erschrecklich und Wunderbarlich zeychen, so am Sambstag fur Jüdica den zehenden tag
Martij zwischen siben und acht uhrn in der Stadt Schalon in Franckreych, von vielen leuten geseehen worden
[出版地]ニュルンベルク Nüremberg  
[出版社]ヨアヒム・ヘラー Joachim Heller
[書誌]BN3/RCNなし 
[ページ数](1)pp.<瓦版> 
[所蔵館]大英図書館 British Library、Bamberg SB、Nüremberg GM、Zürich ZB
[備考]タンド伯にあてられた書簡のドイツ語訳と称する瓦版(末尾の日付は1554年3月19日)。
対応するオリジナルのフランス語書簡は今のところ未発見だが、本物であるのならノストラダムスの公刊された作品としては最古のものである
(ギナールはより後の時期に出されたものである可能性を示唆しているが)。
Walter L. Strauss, The German Single-Leaf Woodcut 1550-1600, Vol. I, p.416などに再録されており、
『ノストラダムス予言集』(岩波書店、1999年)の中でも見ることができる。
【1557】ガレノスの釈義。メノドトゥスによる人文科学研究の医学への応用の勧告に関して。
ミシェル・ノストラダムスによりラテン語からフランス語へ訳された版 
Paraphrase de C. Galen, sus L'exortation de Menodote, aux eftudes des bonnes Artz, mefmement Medicine
: Traduict de Latin en Francoys, par Michel Noftradamus.
[出版地]リヨン  
[出版社]アントワーヌ・デュ・ローヌ Antoine du Rosne
[書誌]BN21/RCN25−27  [ページ数]69,(1bl.)pp.
[所蔵館]リヨン市立図書館(不完全な標本)、マザラン図書館
[備考]ノストラダムスによる自由訳。原文(マザラン図書館の標本のコピー)はCURAのこの記事 で公開されている。
【1558】ガレノスの釈義  Paraphrase de C. Galen…
[出版地]リヨン  [出版社]アントワーヌ・デュ・ローヌ
[書誌]BN28/RCN34−35  
[ページ数]69,(1bl.)pp.
[所蔵館]ブザンソン市立図書館
[備考]前年に出されたものの再版
【1566】プロヴァンス州サロン・ド・クローの医師ミシェル・ノストラダムス師から王太后へ宛てられた書簡 
Letre[sic.] de Maistre Michel Nostradamus,
Docteur en medicine, de Salon de Craux en Provence. A La Royne Mere du Roy
[出版地]リヨン  
[出版社]ブノワ・リゴー Benoist Rigaud
[書誌]BN72/RCN78−79  
[ページ数]6,(1bl.),(1)pp.
[所蔵館]アルボー博物館
[備考]ノストラダムスが顧問占星術師の立場から王太后カトリーヌ・ド・メディシスに助言する内容の書簡。
ブノワ・リゴーが刊行したノストラダムス本人の著作としては、最初のもの
(リゴーはこれ以前に偽ノストラダムスの著作なら手がけている)。
1996年にファクシミリ復刻版が刊行された。
原文はファクシミリコピーも含めてProphecies on Line で公開されている。
日本語による対訳は ノストラダムスサロン で公開されている。
<手稿>
【1545頃?】オシリスの息子にしてナイル・エジプトの王オルス(ホルス)・アポロの神聖文字二巻本。
そのエピグラム(格言的短詩)による韻文での注解。
信じられないほどすばらしき博識の古代文明の作品
Orvs Apollo fils de Osiris Roy de Aegipte Niliacqve des notes Hieroglyphiqves.
Livres deus mis en rithme par Epigrames oevre[sic.] de increedible et admirable ervoition et antiqvite.
[書誌]BNなし/RCN1−3  
[ページ数]84pp.
[所蔵先]フランス国立図書館
[初めて公刊された年]1968年
[公刊されたときの書名]ノストラダムス・ホラポロの神聖文字の解釈。
ピエール・ロレによって校注された未公刊のテクスト
Nostradamus: Interprétation des Hyéroglyphes de Horapollo, texte inédit établi et commenté par Pierre Rollet
[出版地]バルセロナ  
[出版社]ラモウン・ベレンギエ Eds. Ramoun Berenguié
[所蔵先]カンヌ市立図書館、リヨン市立図書館、カルカッソンヌ市立図書館、RAMKAT、hayato、新戦法
[書誌]RCN541−542 (その後、1993年に再版された)
[解説]
 ホラポロの『ヒエログリュピカ』を韻文訳した全部で約2000行にわたる182のエピグラムからなる文書である。
執筆された時期はハッキリしないが、いくつかの点から1545年前後であると推測されている。
執筆年代についての根拠や内容紹介、ホラポロ研究上の意義などについては、
日本語版ウィキペディアの記事(私が起稿した)と、そこに掲げられている参考文献を参照してほしい。
公刊された版についてだが、ルソ Daniel Ruzo は20世紀はじめにアンリ・ドゥーシェ Henri Douchet によって刊行されたと述べており、事実ならばそれが最初の公刊された文書ということになる。ドゥーシェはノストラダムス関連の稀少な本の復刻を何種類も手がけたが、私家版の形で広く世には出さなかったため、その復刻版自体が現在では極めて稀少である。ゆえに、事実だったとしても何らおかしくはないが、少なくとも現時点では未確認であるので、上記の最初に公刊された本の書誌としては扱わなかった。
【1561頃】医学博士ミシェル・ド・ノートルダム師による1562、1563、1564年向けの暦書の予言。
プロヴァンス州サロンのノストラダムスが1561年4月20日に完成させた  
Les Praedictions de l'almanach de l'an 1562, 1563 et 1564 par M. Michel de nostre Dame, Docteur en medecine.
Faciebat M. Nostradamus Salonae petrae provinciae XX Aprilis 1561.
[書誌]BNなし/RCN52−54  
[ページ数]222pp.
[所蔵先]行方不明(解説欄参照)
[初めて公刊された年]1906年
[公刊されたときの書名]ローマ教皇ピウス4世に捧げられたノストラダムスの未公刊の手稿の忠実な再版 
Réproduction très fidèle d'un Manuscrit inédit de M. de Nostredame. Dédié à S. S. le Pape Pie IV
[出版地]マリブール Mariebourg  
[出版社]アンリ・ドゥーシェ Henri Douchet
[所蔵先]私蔵(解説欄参照)
[書誌]ショマラもブナズラも言及していないが、P. Brind'Amour, Les Premières Centuries ou Prophéties, Droz,1996に詳しい書誌が載っている。手稿のフォトコピーではなく、その忠実な転記(欄外注記なども再現されている)。
[解説]
この手稿は18世紀にはドイツのマッティオイ・シュモール Matthieu Schmoll という人物が所蔵しており、
20世紀はじめにはリゴー師 l'abbé Hector Rigaux が所蔵していたらしい(これは1931年に売られた)。
そのリゴー師の手許にあったときに上記のフォトコピーによる復刻版が作成された。
リゴー師が所蔵していたオリジナルはその後「ある人文主義者(un humaniste)」の手に渡り、その人物の死後である1966年に、書庫の一斉処分に際して売られたのを最後に所在が分からなくなっている。上記の復刻版にしても非常に稀少で、ブランダムールは、エリック・カランドリエ Eric Calendrierという私人から借り受けて参照したという(現在では、そのコピーがリヨン市立図書館ショマラ文庫 Fonds Chomarat に収められている)。
この手稿のうち、ピウス4世に宛てられた献呈文のみは、エリック・ヴィジエがまとめた資料集(Eric Visier, Nostradamus au XVIe siècle (recueil de 10 fac-similés), Eds. Michel Chomarat, 1995)にファクシミリ復刻版が収められている。実際に刊行された『1562年向けの暦』の献辞もピウス4世に宛てられたものだが(その原文のフォトコピーはこのページで公開されており、日本語による対訳と分析はノストラダムスサロンで公開されている)、それらの原文を見比べてみると、基本的なモチーフは共通していることが分かるが、日付は一ヶ月以上ずれている(印刷版は1561年3月17日、手稿は1561年4月20日)。アルブロンは、これについて、ブロトーとの私信などからはノストラダムスが毎年似たような内容の複数の手稿を作成していた可能性が高く、現存する手稿はそうした印刷されることのなかった異本のひとつであろうと推測している。
なお、手稿のタイトルには「1562、1563、1564年向け」とあるが、実際には1562年向けの月ごとの散文しか収録されていない。
タイトルと矛盾するようであるが、1931年の古書販売目録に掲載されたフォトコピーを見る限りでは、
タイトルと本文で筆跡が違うようにも見えるため、タイトルはノストラダムス自身がつけたものではないのかもしれない。

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015/11/14
以下、10篇の詩を事例にそれを具体的に検証する。
第1巻65番
Enfants sans mains jamais veu si grand foudre,
L'enfant royal au jeu d'oesteuf blessé:
Au puy brisé fulgures allant mouldre,
Trois souz les chaines par le milieu
手なき子供、すさまじき雷電に仰天す
王子はテニスの競技で負傷
活発でありし稲妻に山岳打ち砕かれ
三人は柏木に鎖でつながれん
一目でわかる、「テニスの王子様」の内容に関する予言である。
第2巻62番
Mabus puis tost alors mourra, viendra,
De gens et bestes une horrible defaite:
Puis tout à coup la vengeance on verra,
Sans main, soif, faim, quand courra la comete.
マビュは死んだ後、すぐ訪れ
人と動物が恐ろしい破壊をし
復讐が突然目に明らかとなる
百の手、渇き、飢え、彗星の駆ける時に
「Mabus」なる意味不明の単語が登場する詩である。
解釈者はなぜか期日がどこにも書かれていないにもかかわらず、勝手に現代の世界の出来事を示していると思い込み(予言集の刊行された中世のこととは思わないらしい)、アナグラムや抜き取りで「USA」、「サダム・フセイン」、「核ミサイル」等と、湾岸戦争や核兵器などが話題になっていた当時の世相に合わせた予言だと解釈している。
中には、『北斗の拳』の悪党の叫び声と北斗百烈拳を予言したとする説[1]や、
「Mabus」を「私のバス(My bus)」
だと解釈し、四行目は故障に駆けつけた修理屋を示しているという説[2]も存在する。
第6巻5番
Si grand famine par vnde pestifere.
Par pluye longue le long du polle arctiques
Samatobryn cent lieux de l'hemisphere,
Viuront sans loy exempt de pollitique.
疫病、未曾有の飢饉が来る
長い雨は北極にまで及ぶサマロブリンは半球から100リーグに及び政治や法抜きの生活を送るであろう
「Samatobryn」
なる意味不明の単語があるが、内容を素直に見れば当時のヨーロッパで頻発していた天候不順、飢饉や疫病により、秩序が壊れて農民の反乱が起こるような予言と捉えられる。なお現代の研究では、「Samarobriva」というフランス北部の都市、アミアンの旧称を指しているといわれている。
しかし、
「arom-brysan」(atom brisant、核分裂)
と並べ替えて核兵器の爆発と解釈した五島勉を始め、何故か英語の
「Submarine」(潜水艦)
だとしたり、上記第2巻62番の「Mabus」と関連付けてそれを何故か日本語読みで抜き取り、松本サリン(sarin)事件を予言していた[3]なんて説が20世紀末の日本では披露された。いかに世間を怖がらせるため、当時の人々が悪戦苦闘したかがよくうかがえるものである。
第6巻82番
Par les deserts de lieu libre & farouche,
Viendra errer nepueu du grand Pontife:
Assomme' a` sept auecques lourde souche,
Par ceux qu'apres occuperont le Cyphe.
無法で荒れた不毛の地より
大司教の甥がさまよい来る
なんとも重い棍棒を持つ七人に打ちのめされる
のちに聖杯を独り占めにする人々に
七人のマスターが「聖杯を独り占めにする」ために戦うとの内容から、「Fate/stay night」のゲーム内容に関する予言とされる。1行目の「無法で荒れた不毛の地」は第四回聖杯戦争で焼き尽くされた公園、2行目の「大司教」とは衛宮切嗣、その甥とは主人公の衛宮士郎のことである。「棍棒」とは七人のマスターに仕えるサーヴァントのこととされる。また七人ということで、七英雄の出現を予言したという少数意見もある。
第8巻45番
La main escharpe & la iambe bandee,
Longs puis n'ay de Calais portera
Au mot du guet la mort sera tardee,
Puis dans le temple a` Pasque saignera.
片手を包帯で吊って片足を包帯で巻いた
ルイは宮廷より発つ
見張りの言葉はその死を伸ばし
寺院の復活祭で血をたらすだろう
「ルイ」が負傷した「綾波レイ」のことであると分かれば、「新世紀エヴァンゲリオン」に関する予言であると判明する。「その死を伸ばし」とは角川書店社長の角川歴彦が、劇場版の公開日延期を発表したことを示し、復活祭とは「使徒の復活」を指していると考えられる。
第9巻44番
Migre's, migre's de Geneue trestous.
Saturne d'or en fer se changera,
Le contre RAYPOZ exterminera tous,
Auant l'aduent le ciel signes fera.
去れ ジュネーブを去れ 諸人よ
土星は金から鉄に変貌するだろう
レイポにそむく者ども 皆殺しの目にあうだろう
突撃の前 天がしるしを示すだろう
「Saturne」を「セガサターン」、「RAYPOZ」をプレイすなわち「プレイステーション」と解釈し、反プレイステーション陣営が壊滅するとの予言と見ることもできる。ジュネーブとはセガサターンをはじめとする、3DO、PC-FX等の反プレイステーション陣営のハードことであり、「ジュネーブを去れ」とは「これらのハードは買うな」とのノストラダムスからゲーマーへの警告とみることができる。むろんノストラダムスがゲーム業界について予言していないとの証拠はなく、むしろ今日のゲーム業界の規模を考えればノストラダムスが予言を残しても何もおかしくはない。
また、2008年8月現在ではプレイステーション3とWiiのどちらを買うべきかが問題となるが、これは4行目の「天がしるしを示す」すなわち「任天堂のハードが初動で勝つならそれを買え」とのことである。この予言に従うならば、Wiiを買うべきだろう。
第10巻31番
Le sainct Empire, viendra en Germanie
Ismaelites trouueront lieux ouuerts,
Asnes voudront aussi la Carmanie
Les soustenans de terre tous couuerts.
聖なる帝国がドイツに生まれ
イスマリエットは開けた場所を発見する
愚か者はカルマニアの地を求め
その地の支持者は地を覆う
「カルマニア」はペルシャ湾北部の民―すなわち中東の辺りの民族を示しており、「イスマリエット」はイスラエルの末裔ではないかといわれている。
しかし、
「Germanie」と「Carmanie」
を一緒くたに中央アジアのアフガニスタンであるとし、1977年のソビエト連邦侵攻を示しているという説[4]や、
「Carmanie」は「Car mania」
すなわち「クルマ気違い(カーマニア)」のことだと言う説[5]が、1970〜90年代の研究本には真面目に記されていた。
第10巻72番
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra un grand Roi d'effrayeur:
Resusciter le grand Roi d'Angolmois,
Avant apres Mars regner par bon-heur.
1999年の7か月
空より恐怖の大王が至るであろう
アンゴルモアの大王を蘇らせるため
その前後、幸福な統治が火星(ないしは軍神・火星は戦争と暴力の支配者)によりなされる
日本においては最もよく知られた詩であるが、諸外国ではそれほど注目されていない詩である。なぜならば文章を通してみれば、不幸な感じがするのは
「恐怖」
の部分だけ(しかも本来は「人々を嫌悪させる、脅えさせる」の意)であり、「幸福な統治」と平和が強調されているからである。
「アンゴルモア」はフランスのアングーモア地方を指しており、そこ出身の国王フランソワ1世(ルネサンス振興に尽力する一方、イスラムと手を結びキリスト教徒の反発を買う)を示しているという説が、フランスでは有力視されている。そのため、フランスで戦争好きの国王(軍神)の善政がなされているころに、フランソワ1世のような偉大な王(アンゴルモアの大王の再来を思わせる、キリスト教徒などを脅えさせる大王)が再び生まれるのではないか・・・という意味ではなかったかと推測されている。
詳しくは恐怖の大王とアンゴルモアの項目を参照のこと。
しかし日本では1970年代以降のブームに便乗し、以下のような珍解釈が現れたりした。
1999年9月23日以降、
空に火山噴火の大噴煙が立ち昇る。
これは来るべき地球規模の地殻変動の前兆。
その前後、国連PKO軍は活動を展開中。
池田邦吉の訳。イタリアのベスビオ火山噴火を示しているといい、七の月は「天秤座」の時期(9月23日〜10月23日)と解釈している。
見ての通り、原型を全くとどめていない。意訳とさえいえない。
ほとんど創作といえるものである。
その他の人の説にも見ていて苦笑するものが多かったことから、1999年7月前後のバラエティ番組では視聴者に受けると思われ、いろいろな意味で好意的に取り上げられた。
件の池田などはそれらを通じ、解釈者からコメディアンに転じたほどである。
なお野村克也と野村沙知代を指し、「阪神タイガースの優勝」を示しているという説もあったことをお忘れなく[6]。
実際に達成したのはこの4年後だが。
第10巻75番
Tant attendu ne reuiendra iamais,
Dedans l'Europe en Asie apparoistra:
Vn de la ligue yssu du grand Hermes,
Et sur tous Roys des Orients croistra.
非常に切望されつつも
ヨーロッパの中に戻らず、登場するのはアジアだろう
偉大なるヘルメスで結束し送られ
東洋の他の王の権力をことごとく越える力を持つだろう
「Fate/stay night」のセイバールートに関する予言とされる。
アーサー王であるセイバーはヨーロッパに戻ることを切望されたが、日本の冬木市に召喚された。
また3行目の「ヘルメス」とは魔術師のことであり、召喚儀式のために遠坂、マキリ、アインツベルンの3家が結束するさまが示されている。
セイバーが「東洋の他の王の権力をことごとく越える力を持つ」のは周知の通りである。
第10巻86番
Comme vn gryphon viendra le Roy d'Europe,
Accompagne' de ceux d'Aquilon,
De rouges & blancs conduira grand troupe,
Et iront contre le Roy de Babylon.
ヨーロッパの王がグリフォンのいでたちにて立つ
北に住む強者たち
彼は赤と白との軍を従えて
やがてバビロン王に立ち向かわんとす
まず目に付くのは「ヨーロッパの王」と「バビロン王」であるが、両者が戦うとなるとアーサー王とギルガメッシュ、つまりセイバーと金アーチャーしかありえない。
やはりこれも「Fate/stay night」に関する予言である。
「北」というのはゲームの舞台である冬木市、そこに「住む強者」とはマスターとサーヴァント達、「彼」とは主人公の衛宮士郎、「赤と白との軍」とは遠坂凛とセイバーのことである。
また1行目でセイバーについて予言しておきながら、あえて3行目で主人公が凛とセイバーを連れて行くと予言していることから「両手に花」の凛Goodendの予言とされる。
なお、文脈からはアレクサンドロス大王とダレイオス3世とのガウガメラの戦いを示しているとも考えられるが、それはノストラダムスが生まれるよりもさらに2000年も前の出来事であり、これでは予言でなく伝記になってしまうとの批判がある。
ノストラダムスの「予言集」は「壮大なギャグ性」を有していて、彼に芸人およびコメディ作家としての才能があることが明らかになった。
彼は死後数百年後にヨーロッパから遠く離れた極東の地で、思っても見なかった形でその才能を見出されたといえよう。
なおノストラダムスはこの「予言集」の中で、日本を始めとする諸国にこのような珍解釈をする人が現れ、大恥をかくことも予言していたといわれる。第2巻36番の詩がそれである。
Du grand Prophete les lettres seront prinses.
Entre les mains du tyrant deviendront:
Frauder son roi seront les entreprinses,
Mais ses rapines bien tost le troubleront.
偉大な預言者の書が横取りされ
暴君の手にそれが渡る
彼らは国王を騙そうとしたが
その盗みのために窮地に追い込まれる
* ウラジーミル・プーチン(恐怖の大王?)』アンサイクロペディアWikiより
この大王がプーチンであればロシアということになり整合性がとれてくる。三つ考えられる。

ハムレットの水車小屋
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タマちゃん
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posted by datasea at 22:11| Comment(0) | ) ノストラダムス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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