2018年08月25日

日月神示

・上つ巻第18帖
九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ
臣民の心の鏡凹くぼんでいるから
善き事悪く映り、悪き事善く映るぞ
今の上に立つ人一つも真の善い事致しては居おらん
これで世が治まると思ってか、あまりと申せばあまりぞ
神は今まで見て見んふりをしていたが
これからは厳しくどしどしと
神の道に照らして神の世に致すぞ
その積りで居ってくれよ
神の申すこと、少しも違わんぞ
今の世に落ちている臣民、高い所へ土持ちばかり
(富んでいるのにさらに欲張っている状態)
それで苦しんでいるのぞ
早く身魂洗濯せよ、何事もハッキリ映るぞ

日月神示全文
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2012年04月08日16:45
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すめらみちひふみ神示考察関係
旧九月八日の仕組(二) : 終わりの始まり
 第一項でも少し触れましたが、日月神示の源流の一つである伊都能売神諭には、ミロクの世という言葉が理想世界のみを意味しておらず、立替え立直しの序盤を含むことが述べられています。そして、日月神示の“天子様の年齢”におけるミロクの世とは【旧九月八日の仕組】の開始を告げており、これらと全く同じ意味で使われているのが【終わりの始まり】という表現です。
 第二章の第七節の第七項『岩戸開き/岩戸明け』でも考察しましたが、
旧九月八日から始まる神経綸九の期間は、八方的世界が十方的世界に遷せん移いする“正念場”であり、
人体に譬たとえるなら絶え間ない陣痛に襲われる“生みの苦しみの期間”です。
「死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉ことごとくが同様であるぞ、
しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、
今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、
十方的想念と肉体でなくてはならんぞ」 
『至恩の巻』 第十三帖 [960]
 立替え立直しの真っ最中であり、“最大の難所”を意味する“大おお峠とうげ”と呼ぶのに最も相応ふさわしいであろう期間をミロクの世に含む見方は、
伊都能売神諭に“ミロクの世の定義”として書かれています。
「世の終しまいの世の初はじまりがミロクの世であるぞよ」 
『伊都能売神諭』 大正七年十二月二十三日
 基本的に旧九月八日で八方的世界は終わります。
しかし、神経綸九の期間は個別的な区分では十方的世界になっていません。
故に、あくまでも“終わりの始まり”なのであり、
新しき世界が生●ま●れ●つ●つ●あ●る●状●態●と言えます。
それは十方的世界として結実する直前の“前なるもの”としての段階です。
 そして、「終わりの始まり」という表現は日月神示にも出て来ます。
「神ふ示でに出したら直ぐに出て来るぞ、終りの始めの神示ざぞ、夢々おろそかするでないぞ、キの神示ぢゃ」 
『風の巻』 第七帖 [358]
 この記述からは『日月神示』の意味が判ります。
何故なら、終わりの始めとは日の大神と月の大神が結ばれることであり
“明ミロクの世の始まり”
を意味しているからです。
だからこそ
“明ミロクの実現のために活動する存在”
として『日月神』と名乗っている側面もあるのでしょう。
 また、第一章の第六節でも述べたように、日月神示の予言は旧九月八日の前後と神経綸九の期間に集中しているのですが、
これは
“終わりの始めの神ふ示で”
として当然のことなのかもしれません。
 その上で前項までの日月ミロク論や数霊論にも目を通して頂ければ、
日月神示の「終りの始め」や伊都能売神諭の
「世の終いの世の初り」
という言葉が、神経綸九の“八方的世界から十方的世界への移行期間”としての在り方を表す、
数●霊●に●基●づ●い●た●表●現●
であることが判ると思います。
 そして、“終わりの始まりの日”に何が起きるのかは日月神示で明言されています。
「北から攻めて来る時が、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、
この世の終りは神国の、始めと思へ臣民よ」 
『富士の巻』 第十六帖
 すなわち“日本と外国の戦争”です。

すめらみち
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日月神示には外国との戦争に関する予言が非常に多いのですが、この戦争の意味について考察するために、
まずは“北”という言葉が出て来る記述から引用します。
「北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ」 
『上つ巻』 第二十五帖 [25]
「北も南も東も西もみな敵ぞ、敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。
キンの国へみなが攻めて来るぞ。神の力をいよいよ現はして、どこまで強いか、神の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、
臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ」 
『上つ巻』 第四十帖 [40]
「北に気つけよ、東も西も南も何どうする積つもりか、
神だけの力では臣民に気の毒 出来るのぞ、
神と人との和のはたらきこそ 神 喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう」 
『富士の巻』 第二十三帖
「北に気付けよ。神の世の仕組よく腹に入れておいて下されよ。
今度のさらつの世の元となるのざぞ」 
『日月の巻』 第十九帖
「オロシヤにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。
北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念くどう気つけてありた事 近ふなりたぞ」 
『日の出の巻』 第七帖 
「オロシヤの悪あ神くと申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。
北に気つけてくれよ、
神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、
悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから
余程 褌ふんどし 締めて下されよ」 
『日の出の巻』 第二十帖 [233]
 次に“天地が引っ繰り返る大戦”があることを示す記述を引用してみます。
「の国を八つに切って殺す悪の計画」 
『上つ巻』 第二帖 [2]
「世界中一つになりての国に寄せて来るぞ」 
『上つ巻』 第四帖 [4]
「日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。
その時にお蔭を落さぬやう、シッカリと神の申すこと腹に入れて置いて呉れよ」 
『上つ巻』 第九帖 [9]
「やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。
臣民一度は無くなるところまでになるぞ、
今のうちに この神示よく読んでゐて呉れよ」 
『上つ巻』 第十五帖 [15]
「外国から攻めて来て日本の国 丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ」 
『上つ巻』 第二十一帖 [21]
「神の国を千切りにして膾ナマスにするアクの仕組は分りて居る、
アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ」 
『上つ巻』 第二十八帖 [28]
「まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ、神の国 千切りと申してあるが、喩たとへではないぞ」 
『上つ巻』 第三十五帖 [35]
「お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。
早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ」 
『上つ巻』 第三十七帖 [37]
「世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、
神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、
外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代 近づいたのぞ」 
『下つ巻』 第十四帖 
「神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ」 
『下つ巻』 第十六帖
「年とし寄よりや女や盲めくら、聾つんぼばかりになりても、まだ戦やめず、
神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、
神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、
身魂くもりてゐるから、それでは虻あぶ蜂はち取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ」 
『下つ巻』 第二十八帖
「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ」 
『富士の巻』 第三帖
「江戸に攻め来たぞ」 
『富士の巻』 第十帖 
「メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る」 
『富士の巻』 第十六帖
「世界は一つになったぞ、
一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。
臣民には まだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、
くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか」 
『富士の巻』 第二十三帖
「富士を目ざして攻め寄する、大船小船あめの船、赤鬼青鬼黒鬼や、
おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽おおひ、海を埋めて忽たちまちに、天てん日ぢつ暗くなりにけり」 
『富士の巻』 第二十四帖
「神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、
八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ」 
『地つ巻』 第六帖
「神の国には神の国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあらうがな、
戦もその通りぞ、神の国は神の国のやり方せねばならんのざぞ、
外国のやり方真似ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂みがき第一ぞ。
一度に始末することは易いなれど、それでは神の国を一度は丸つぶしにせねばならんから、待てるだけ待ってゐるのざぞ、
仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、神気つけるぞ」 
『地つ巻』 第二十八帖 [165]
「江戸に攻め寄せると申してあろがな。富士 目指して攻め来ると知らしてあること近付いたぞ」 
『日月の巻』 第十二帖 [185]
「世界中 総掛かりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将ざからとて油断出来ん。富士の山動く迄には どんな事も耐こらえねばならんぞ。
上 辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ」 
『日月の巻』 第三十一帖 [204]
「大きアジアの国々や、島々八や十その人々と、
手握り合ひ神国の、光り輝く時来しと、皆 喜びて三千年、神の御み業わざの時来しと、
思へる時ぞ神国の、まこと危なき時なるぞ、夜よ半わに嵐のどっと吹く、
どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等を連れ去られ、
後には老とし人より不か具た者わのみ、女子供もひと時は、
神の御子たる人々は、悉こと々ごと暗い臭い屋やに、暮さなならん時来るぞ、宮は潰され御み文ふみ皆、
火にかけられて灰となる、この世の終り近づきぬ。この神ふ示で心に入れくれと、申してある事わかる時、
愈々間近になりたぞよ。出掛けた船ぞ、褌ふんどし 締めよ」 
『日月の巻』 第三十八帖 [211]
「天も地も一つにまぜし大嵐、攻め来る敵は駿する河が灘なだ、
富士を境に真二つ。先づ切り取りて残るもの、
七つに裂かん仕組なり。されど日本は神の国。最後の仕組 神力に、寄せ来る敵は魂まで、
一人残らずのうにする。夜明けの御用つとめかし。
晴れたる富士のすがすがし」 
『松の巻』 第二十七帖 [318]
「神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、
お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。
何でも肉体となるのざぞ。
なるようにせんからならんのざぞ。
それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、
神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真ま中なかの国であるからぞ」 
『夜明けの巻』 第二帖 [322]
「神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、
人民 皆外国につく様になって、此の方の申した事、神示に書かした事、皆 嘘うそざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力 現れるのざぞ」 
『雨の巻』 第十四帖 
「悪神の国から始まって世界の大おお戦いくさ 愈々激しくなって来るぞ」 
『梅の巻』 第七帖 [434]
「日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。
悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ」 
『黄金の巻』 第二帖 [513]
 こういった戦争の予言は非常に恐ろしいものがありますが、
天之日津久神様は決して恐怖を煽っているわけではありません。
単に“最悪の事態”を想定して警告を発していらっしゃるだけです。
 そもそも、戦争になるのは大難が小難にならなかった場合の話であり、
神ふ示でには戦争を回避できる可能性も充分に提示されています。
ちなみに、日月神示では
「戦争の引金トリガーを引くのはロシアである」
とされているので、何らかの方策でロシアの武力行使を諦めさせることが小難への近道であるようです。

すめらみち
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 また、たとえ戦争になったとしても根本的な部分では心配する必要はありません。
何故なら、外国との戦争は日本の神々の“想定内の出来事”だからです。
この辺りのことは大本神諭に判り易い記述があります。
「明治二十五年から出口直の手を借り、口を借りて知らしてありた事の、実地が出て来る世になりたぞよ。
露国から始りて、日本と外国との大戦が在ると申したが時節が来たぞよ。
外国は終しまいには一腹になりて来ると申して知らして在ろうがな。
この神一度申したら何時に成りても、毛筋の横よこ巾はばほども違いは致さんぞよ。
これが違ふたら神は斯この世よに居らんぞよ。
外国の悪神の頭が、露国を無茶苦茶に致して置いて、
モ一つ向ふの国へ渡りて、人民の王を自由に使ふて、
世界中の困難をも構はずに、自わ国れさえ良けら他ひとはドウデも良い、人は倒しても我さえ立ちたら満足じゃと申して、悪の頭が今に日本の神国へ攻めて来るぞよと申して知らしてあるぞよ。〔中略〕 兵隊を一旦 日本へ引寄して、外国を地震、雷、火の雨 降ふらして絶た滅やさねば、世界は神国にならんから、余り何時迄も神の申す事を聞かねば、三千年の経綸しぐみ通りに致すから、世界に何事ありても神と出口を恨めて呉れなよ。〔中略〕 何事も大本の変性男子の筆先で、天地の大神が時節/\の事を先きに書かゝして置きなさると、其その通りが来るのであるから、善き事も悪き事も皆出て来るから、其その覚悟を致さねば成らぬぞよ。支か那らから昔攻めて来た折には、夫それでも見せしめの為に三人だけは還してやりたなれど、今度 外国が同胞ひとはらになりて攻めて来た折には、只の一人も還してはやらんぞよ。日本へ外国の兵隊を一旦 皆 引寄して、其その後で地震、雷、火の雨 降らして、外国を往生いたさす経綸しぐみであるぞよ」 『大本神諭』 大正六年 旧十一月二十三日
 この中で「一旦は日本へ外国の兵隊を引き寄せて」
と書いてあるように、悪神や外国の企たくらみは日本の神々の掌てのひらの上での出来事なのです。
過程がどうであれ、三千世界の物語が“幸福な結末ハッピーエンド”を迎えることに変わりはありませんので、過度な心配は不要です。
 他にも、日月神示には日本の神々が悪神や外国の計画を“お見通し”であることを明かす記述があります。
「何もかも悪の仕組は分りているぞ、
いくらでも攻めて来てござれ、
神には世の本からの神の仕組してあるぞ、
学や知恵でまだ神にかなふと思ふてか、神にはかなはんぞ」 
『富士の巻』 第十二帖 [92]
「戦は一度おさまる様に見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、
向ふの悪神は今度はの元の神を根こそぎに無きものにして仕まふ計画であるから、
その積りでフンドシ締めてくれよ、
誰も知れんやうに悪の仕組してゐること、神にはよく分りてゐるから心配ないなれど、
臣民助けたいから、神はじっとこらへてゐるのざぞ」 
『富士の巻』 第二十六帖 [106]
「何どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は隆りゅう々りゅう仕上げ見てくれよ、此の神はめったに間違いないぞ。三千年 地に潜りての経綸しぐみで、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間殿 心配せずに神の申す様 素直に致して下されよ」 『日の出の巻』 第二十帖 [233]
「世の元からの仕組であるからめったに間違ひないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、何事も神の申すこと聞いて すなほになるのが一等ざぞ」 『磐戸の巻』 第六帖 [242]
「悪の仕組は日本魂をネコソギ抜いてしもふて、
日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか」 『磐戸の巻』 第十帖 [246]
「向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにしてくれよ」 『磐戸の巻』 第十二帖 [248]
「悪は霊れ力いが利かん様になったから最後のあがきしてゐるのざぞ」 
『松の巻』 第二十帖 [311]
「今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、
上にあがりきらん内にぐれんぞ、せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、
こうなることは世の元から判ってゐるから もう無茶な事は許さんぞ。軽い者程 上に上に上がって来るぞ、
仕組通りなってゐるのざから臣民 心配するでないぞ」 
『雨の巻』 第九帖 [343]
「オロシヤの悪神の仕組 人民には一人も判ってゐないのざぞ。
神にはよう判っての今度の仕組であるから仕上げ見て下されよ、此の方に任せておきなされ、
一切心配なく此の方の申す様にしておりて見なされ、大舟に乗って居なされ、光の岸に見事つけて喜ばしてやるぞ、
何ど処こに居ても助けてやるぞ」 『雨の巻』 第十帖 [344]
「日本の人民 餌え食じきにしてやり通すと、悪の神 申してゐる声 人民には聞こへんのか。
よほどしっかりと腹帯 締めおいて下されよ」 
『風の巻』 第十二帖 [363]
「金きんでは治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、
金では治まらん、悪の総大将も其の事 知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、
判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ」 『梅の巻』 第二十六帖 [453]
「悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、
世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ」 
『黒鉄の巻』 第十四帖 [632]
 以上のように、日月神示では日本の神々が全てを見通していることが繰り返し述べられています。
そのため、戦争自体は最終的に「悪神が帰順する」という形で日本が勝利するとのことです。
「神とアクとの力競べぞ。今度はアクの王も神の力には何どうしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて よき方に廻してやるぞ」 『上つ巻』 第二十八帖 [28]
「今度の戦はととの大戦ぞ。神様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐるのざから、下しもの神々様にも分らんぞ。
何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、大神のみことによりて この方らが神徳出して、九分九厘という所で、神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、神の国は神の力で世界の親国になるのぞ」 『下つ巻』 第九帖 [51]
「何い時つも気つけてあることざが、神が人を使うてゐるのざぞ、今度の戦で外国人にもよく分って、神様にはかなはん、
何うか言ふこときくから、夜も昼もなく神に仕へるからゆるしてくれと申す様になるのざぞ」 
『天つ巻』 第十八帖 [125]
「日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、
この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて堪かん忍にんしてくれといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ」 
『地つ巻』 第三十五帖 [172]
「宝の山に攻め寄せ来ると申してくどう気付けておいたでないか。
神の国にはどんな宝でもあるのざぞ、かみの国、昔から宝 埋けておいたと申してあろがな。
かみの国にも埋けておいてあるのざぞ。この宝は神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。悪が宝取らうと思ったとて、どんなに国に渡り来ても どうにもならん様に神が守ってゐるのざぞ。いよいよとなりたら神がまことの神力出して宝取り出して世界のどんな悪神も神の国にはかなはんと申す所まで、とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから臣民 余程 見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ」 『日月の巻』 第三十三帖 [206]
「何ど処こから攻めて来ても神の国には悪神には分らん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、
愈々と成りた時には神が誠の神力出して、天地ゆすぶってトコトン降参ざと申す処までギュウギュウと締めつけて、
万劫末代いふ事聞きますと改心する処までゆすぶるから、神の国、神の臣民 心配致すでないぞ」 
『日の出の巻』 第七帖 [220]
「外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出てまゐれよ。この神の国には世の元からの生神が水ももらさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ。敗けてもクヤシクない迄に攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。その上で敗けてこれはカナワンと云ふ時迄かかりて御座れよ。学、勝ちたら従ってやるぞ、神の力にカナワンこと心からわかりたら末代どんなことあっても従はして元の神のまことの世にして、改心さして、万劫末代 口く説ぜつない世に致すぞよ」 『磐戸の巻』 第八帖 [244]
 ただし、これらは基本的に正●神●の●勝●利●であって、必ずしも現在の日本国や日本人の勝利を意味していません。また、悪神や悪神の支配下にあるとされる外国が負けると言っても、別に滅亡してしまうわけではないのです。この辺りの背景は日月神示で“神の願い”として語られています。
「外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあらうがな」 『上つ巻』 第三十二帖 [32]
「早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ」 『富士の巻』 第二十七帖 [107]
「神の国が勝つばかりではないのざぞ、世界中の人も草も動物も助けてみな喜ぶやうにせなならんのざから、臣民では見当取れん永とこ遠とはにつづく神世に致すのざから、素直に神の申すこときくが一等ざぞ」 『天つ巻』 第十六帖 [123]
「外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのが この方の願ひと申してあらうがな」 『地つ巻』 第三十五帖 [172]
「悪神の仕組は此の方には判りてゐるから一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪 殺して終しまふのではなく、悪 改心さして、五み六ろ七くのうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理 忘れるでないぞ」 『日月の巻』 第十一帖 [184]
「日本臣民ばかりでないぞ、何ど処この国の民でも同様に助けてやるぞ、神にはエコがないのぞ」 『磐戸の巻』 第十一帖 [247]
「悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ」 『松の巻』 第八帖 [299]
「悪の総大将よ、早よ改心なされ、悪の神々よ、早よ改心結構であるぞ。いくら焦りてあがいても神国の仕組は判りはせんぞ。悪とは申せ大将になる身魂、改心すれば、今度は何い時つ迄も結構になるのぞ」 『松の巻』 第十四帖 [305]
「悪も御苦労の御役。此の方について御座れ。手引いて助けてやると申してあろが。
悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ」 
『松の巻』 第二十二帖 [313]
「悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。善も悪もないのざぞと申してあろがな、の国真中に神国になると申してあろがな、
日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか」 
『雨の巻』 第三帖 [337]
「外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔へだて心 悪ぢゃぞ」 『雨の巻』 第十五帖 [349]
「悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ」 『光の巻』 第六帖 [402]
「メリカ、キリスも、オロシヤも、世界一つに丸めて一つの王で治めるのぢゃぞ、外国人も神の目からはないのざぞ。今一ひと戦いくさあるぞ。
早う目覚めて、け嫌ひいたさず、仲よう御用結構ぞ」 
『光の巻』 第七帖 
「今度の建替は敵と手握らねばならんのぢゃ、敵役の神々様人民よ、早う尋ねて御座れ、
この方 待ちに待って居るぞ。引張ったのでは、心からでないと役に立たんのぢゃ」 
『梅の巻』 第一帖 [428]
「此の方に敵とう御力の神、いくらでも早う出て御座れ、敵とう神 此の方の御用に使ふぞ、天晴れ御礼申すぞ」 
『梅の巻』 第二十七帖 
「此の方 悪が可愛いのぢゃ、
御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用 聞きくれよ」 
『空の巻』 第十帖
「日ひの本もとの国を取らうとしても何とだましても、御先祖様には何も彼も世の元からの仕組してこの事判ってゐるのであるから、
悪のやり方よ、早う善にまつろへよ、まつろへば悪も善の花咲くのぢゃぞ」 
『海の巻』 第九帖 [501]
「悪神よ、今迄は思ふ通りに、始めの仕組通りにやれたなれど、もう悪の利かん時節が来たのであるから、早う善に立ちかへりて下されよ。
善の神まで捲き入れての仕放題、これで不足はもうあるまいぞ」 『黄金の巻』 第八十帖 [591]
「善でつづくか悪でつづくか、この世に善と悪とがあって、どちらで立って行くか、
末代つづくか、得心ゆくまで致させてあったが、もう悪ではつづかんことが、悪神にも判って来るのであるから、今しばらくのゴタゴタであるぞ」 
『黄金の巻』 第八十二帖 [593]
 次に引用する記述も同じ内容ですが、全体が七五調の歌として詠よまれていて、韻いん律りつと内容の双方の意味において、非常に格調が高い帖になっています。
「今こん日にちまでの御み教おしへは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥いや栄さかぞ、本来 悪も善もなし、只ただ 御み光ひかりの栄ゆのみ、八や股また大蛇おろちも金きん毛もうも、邪じゃ鬼きも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱いだきませ善も抱だき、あななふ所に御み力ちからの、輝く時ぞ来きたるなり、善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只 御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界 大和して、只 御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥や栄さかませ」 『海の巻』 第五帖 [497]
 以上のような神様の想いは、神ふ示での「悪を抱き参らせる」という主張と繋がりを持っています。この辺りの“日月神示の善悪観”については追々述べて行きたいと思いますが、要するに、天之日津久神様は悪神を絶対的な悪とは見み做なしていないのです。便べん宜ぎ的てきに悪や魔や鬼と呼ぶことはあっても、それらの存在は一時的に道を外れているだけであり、「道に立ち返れば善としての本性を現す」とのことです。これは性善説というよりは「宇宙の全ては神がな●っ●た●もの」という日月神示の宇宙観に基づいています。
 恐らく、悪神や外国の存在を根本から消し去るような真似をすれば、“全か体み”のどこかが欠けてしまうのでしょう。それは残った部分だけでは100●%●に●な●れ●な●い●ことを意味しています。そのため、天之日津久神様は“道まをつ外ろれわたぬもものの”が正道へと服まつろうことによる全●体の完●成、すなわち“完全”こそを望んでおり、その意思が「悪を抱き参らせる」という言葉に集約されています。
 こういった悪神や外国との戦●い●方●や戦争の意義を、天之日津久神様は“マツリ”の記号を使って説いています。
「ばかりでもならぬ、ばかりでもならぬ。
がまことの神の元の国の姿ぞ。
元の神の国の臣民はでありたが、
が神国に残りが外国で栄へて、どちらも片かた輪わとなったのぞ。
も片輪、も片輪、とと合はせて まことのかみの世に致すぞ。
今の戦はととの戦ぞ、神の最後の仕組と申すのはに入れることぞ。
も五ぞも五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ」 
『下つ巻』 第二十一帖 [63]
「外国は、神の国はと申してあるが、は神ざ、は臣民ぞ、ばかりでも何も出来ぬ、ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、
それで神かかれるやうに早う大洗濯してくれと申してゐるのぞ、
神 急せけるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体 沢山要るのぞ。
今度の行はを綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、
神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民、掃除洗濯出来たら この戦は勝つのぞ」 
『富士の巻』 第五帖 [85]
「この道は道なき道ざぞ。天てん理りも金こん光こうも黒くろ住ずみも今はたましひぬけて居れど、
この道入れて生きかへるのぞ、日にち蓮れんも親しん鸞らんも耶や蘇そも何もかもみな脱け殻ぞ、
この道でたま入れてくれよ、この道はぞ、の中に入れてくれと申してあろうが。臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ、
入れてくれよ、を掃除して居らぬとはいらんぞ、今度の戦はの掃除ぞと申してあらうがな、まつりとは調和まつり合はすことと申してあろうがな」 『地つ巻』 第十二帖 [149]
「のうつりた人とのかかりた人との大戦ぞ、ととが戦して、やがてはを中にしてがおさまるのぞ。
その時ははでなく、もでないのざぞ、となるのざぞ、とのマツリぞと申してあらうがな。
どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、この仕組 成就するまでは、神が戦はやめさせんから、
神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだわるくなるのぞ」 
『地つ巻』 第二十二帖 [159] (※第一仮訳)
「神は、臣民は、外国は、神の国はと申してあろが、神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真ま中なか。人の真中には神あらうがな」 
『日月の巻』 第十一帖 [184]
「人、神とまつはれば喜う悦れしうれしぞ、
まつはれば人でなく神となるのぞ、
それが真実まことの神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、とと申してあろが、
戦もとと壊し合ふのでは無いぞ、
ととまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、
神国真中に和すことぞ。
それには掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ」 
『日の出の巻』 第九帖 [222]
 このような“カミの戦い”こそが、旧九月八日から始まる“完成とどめの戦いくさ”の真実まことの姿なのでしょう。

すめらみち
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