2018年04月19日

未来記

「未然記」は1000年間の予言が記されているという。
それは西暦622年に始まり,1000年間の国事に関する森羅万象の予言が未然に記録されていることになる。
だからといって西暦622年から西暦1621年までの1000年だけの事件を記録する予言書ではない。
なぜなら未然記の最終巻「第十百歳」の中に,
「過去1000年の世の中を知り未来に起こる1000年のことを知る」
と記されているからだ。
これにより未然に防ぐ記録に一緒に年分の予言しかなくてもその時の予言後もその中に含むことが判明する。
さらに
「未然記を未来記とともに解く者は,未来の出来事をさらに深く解することができる」
と書かれている。
ー聖徳太子秘文「未来記」録開封,徳間5次元文庫

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聖徳太子はあまりににも謎が多い人物である。
天皇家の血筋でありながら推古女帝に仕える摂政に甘んじ,聖人としての政治を行い,日本の舵取りを過たなかった。
そのため現在では「真実の天皇」の意味で「裏天皇」とも称されている。
そのブレインがまた謎に満ちている。
当時,聖徳太子と謎の一団の関わり方は尋常ではなく,その一団の名前は「秦氏」と言う。
歴史的に秦氏は帰化人である。 応神天皇の頃,朝鮮の百済を経由して,渡来したとされるが,実際には新羅経由で渡来していることが判明している。 にもかかわらず,「日本書紀」では百済経由と偽っている。 国の歴史が偽る理由は1つしかない。出生を隠すためだ。 日森氏氏子の使った瓦家紋は新羅系の八花弁の菊紋で,氏寺のある京都市の「広隆寺」に安置されている「弥勒菩薩半加思惟像」も新羅系の仏像である。
さらに秦氏は始皇帝の死後におきた戦乱によって,始皇帝が築いた秦国から流れてきたと言うが,もしそうなら漢系の民族となる。
ところが大陸から当時の馬韓/朝鮮半島へと入ってきた秦氏を,魏の国史である「三国志」,「魏史・東夷伝・韓伝」は風俗習慣が全く違う「秦人」と記しているのだ。
漢民族ではない,「柵外の民族」の意味なのだ。
つまり聖徳太子のブレインだった秦氏は,出生も渡来までの経緯も謎だらけの民族なのである。
「未然紀」は「先代旧事本紀大成経」の69巻目として編纂された巻物で,聖徳太子の予言を書き記ししている。
一方の「未来記」はそれ自体が独立した預言者になっている。
法隆寺の秘宝を収める鋼封蔵[とうふうぞう]に長年隠されてきた「善光寺如来御書箱」なる秘宝がある。
それは聖徳太子が長野県長野市にある「善光寺」の阿弥陀如来と3度にわたって交わした巻物とされ,現在法隆寺は表向きには開帳しない姿勢をとっている。
しかし善光寺如来御書箱の内箱には,徳川家の家紋である葵の紋があり,その中には南北朝時代の特徴をもつ“錦の袋”が入っている。
南北朝時代と言えば後醍醐天皇の頃で,それが秘宝であるのに開けられた証拠がある事は,両方の時代に門外不出の「未来記」も開帳された可能性が出てくる。
それを読んだ楠正成の時代が,後醍醐天皇の頃と一致するのである。
善光寺如来御書の箱が開帳された理由は,法隆寺とは言え権威に逆らえなかったからである。
同様に四天王寺で楠正成が「未来記」を閲覧した経緯についても,一地方豪族のために秋之坊当大僧正が秘蔵の予言書を閲覧させるとは思えない。
その裏に正成が支えた後醍醐天皇の勅命があったと考える方が理にかなう。
国立国会図書館から「未来記」,「未然紀」の両方の書類が揃い出た時,さすがの私もあっけにとられたが,その後「高野山大学」にも「未来記」があると分かり,東京都内の某図書館にも「未来記」が保管されているということが判明した。
高野山大学は空海が開いた「金剛峯寺」(和歌山県伊都郡)に関わる大学で,空海と言えば秦氏が後ろ盾となって唐に送り込んだ弘法大師のことである。
弘法大師はわずか半年で長安の恵果から唯一の密教継承者として認められ,大陸から仏教の奥義を持ち帰り,「真言密教」の開祖となった人物だ。
その大師が訓話の中で,神道と仏教と儒教は同じ根から派生したと解き明かしている。
同じ頃唐から戻った最澄が,密教奥義の伝授を大師に依頼するも,あなたには無理だと諭されている。
これを高慢と捉えてはならない。
密教は奥義であり,誰にでも明かすのではないとされている。
ユダヤ密教では,それを「カッバーラ(カバラ)」と称し,天が選んだ者以外に伝授すれば,受けた者が自滅することを教える。
授けるのは天の意思であり,それがないと授かってはならないのだ。
実際カバラの意味は受動的な「授かる」の意味で,自ら欲する能動的な意味を含まない。
つまり最澄は知識があっても天から選ばれなかったことになる。だから大師はそれを最澄に伝えただけとなる。
カッバーラと真言密教に何の関わりがあると思う人もいるだろう。
ユダヤと日本ならなおさらだ。
しかしこのように言えばどうだろうか?
カッバーラは“雷の閃光”を象徴とする啓示を要として予言をその奥義としている。
その構造は“3本の木”で象徴されて,三柱構造を神界の仕組みと説いている。
それと同じ構造が京都の太秦[うずまき]にある。
秦氏を祀る「蚕の社」に立つ「三柱の鳥居」である。
ここにも秦氏が登場してしてくる。
蚕は「シルクロード」を暗示し,実際シルクロードの出発点は中東イスラエル付近であり,終着点は極東の日本である。
出発点と終着点両者が無縁であった道理は無い。
ユダヤ密教の三柱構造を解き明かしたのはイエス・キリストとされている。
イエス・キリストは「天の父」,「子」,「聖霊」の三柱の神を明らかにして,それが故に奥義に通じていなかったユダヤ人が,一神教を冒涜したとしてイエスキリストを十字架につけたのである。
そのイエス・キリストは磔刑3日後に復活して蘇ったと新約聖書は伝えている。
「この時から,イエスは自分が必ずエルサレムに行って長老,祭司長,律法学者達から多くの苦しみを受けて殺され,3日後に復活することになっている,と弟子たちに打ち明けられ始められた」
ー新約聖書マタイによる福音書第16章21節
しかし彼らはイエスが生きておられることを知りそして盛り上がっ
それを背負う一族が聖徳太子の頃にいた。
「蘇我氏」だ。
「蘇我」は「我は蘇り」と書き,
「蘇我馬子」は「我が蘇った馬小屋の子」となり,「イエス・キリスト」を暗示する。
「イエスは言われた。私は復活であり命である。」
ー新約聖書,ヨハネによる福音,第11章25節
新共同訳聖書ではなく,欽定訳聖書では以下のようになりさらに明確になる。
「イエスが彼女に言われた。
私は蘇りなり,命である。」
ー新約聖書ヨハネの福音書第11章25節
さらに別の訳では,
「我は蘇りなり,生命なり」とあり,蘇我氏の素性を示している。
「蘇我」と同じ意味を持つのが「厩戸豊聡耳皇子(厩戸皇子)だ。
このことから蘇我馬子と聖徳太子は同時人物の可能性が出てくるが,この事は別の機会に譲る。
では次の事例はどうだろう?
「三本の木」は,「三木」家の「三木」。
秦氏を漢破字法で分解すると,
「三・人・ノ・木」
で三柱と同じ意味になる。
偶然だろうか?
古来,日本人は雷が鳴ると
「くわばら,くわばら」
と呼んで何を避けたが,
「クヮバラ,クヮバラ」で
「カバラ,カバラ」
と叫んでいたことになる。
つまりカバラによる「雷の閃光」の意味である。
さらにクワバラは「桑原」で,
「桑」は
「又・又・又・木」
となり,
又× 3本の木と似通ってくる。
実際「又」の解字体は「∂」で,その意味は「三叉の右手」である。
三叉路は三柱構造,右手はユダヤで聖なる手と教える。
その桑の木が生える原が「桑原」で「高天原」と同じ意味を示す。
実際,陰陽師を古来「漢波羅[カンバラ]」と称した。
だから「クワバラ」が雷避けのまじないとなった。
「高天原」は天照大神が治める神界。
「天照大神」を漢字で分解すればどうなるか?
「大嘗祭」を仕切る京都市・下鴨神社の書き順にならうなら,
天=工・人
照=日・召・炎
大= 一・人
神=ネ・申
となり,統合すれば
「炎の日の神に召された1人の大工と申す」
となる。
大工だったイエス・キリストを示す名称である。
「天照大神」と言えば,「天岩戸隠れ」で知られる。
「隠れる」は日本では「死ぬ」ことを意味し,そこから出てくることを「蘇り」と言う。
新約聖書はそれを「復活」と言う。
藤原不比等(659〜720)の頃それまで男神だった天照大神が女神に変貌させられたことが明らかになっている。
古事記・日本書紀はその直後に編纂されたため,天照大神は女神になって現代に伝えられているのだ。
天和2年(西暦1682年)三重県伊勢市・「伊勢神宮」の別宮とされる「伊雑宮」の神蔵から先代旧事本紀大経」全72巻が発見された。
由来は聖徳太子が蘇我馬子に命じて百官に作られた古代史である。
ー聖徳太子秘文「未来記」録開封,徳間5次元文庫

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posted by datasea at 22:31| Comment(0) | % 聖徳太子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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