2017年07月16日

祇園祭


祇園祭とイスラエルの祭との類似
日本では毎年、7月17日に、「夏祭」と称する「祇園祭」、別名「天王祭」が全国一斉に行なわれます。とくに総社である京都・祇園神社の祭は、大規模に7月17日から1週間にわたって行なわれます。じつはこの7月17日という日は、イスラエルにおいても、非常に重要な日でした。かつてノアの箱舟がアララテ山に着いたのが、まさにこの日なのです。
「箱舟は第7の月の17日に、アララテの山の上にとどまった」 (創世8:4)
と聖書に記されています。
そのため古代ヘブル人は、この日に謝恩祭を行なっていたようです。
しかしモーセ以後は、ちょうどこの時期に収穫祭 (仮庵の祭ともいう)が行なわれるようになりました (第7の月の15日から1週間)。
京都で行なわれている祇園祭は、こうしたノアの箱舟の記憶や、イスラエルの収穫祭を思い起こさせるものがあります。
祇園祭では、「舟車」といって舟の形をした山車が、町内をめぐります。また神輿には、鳩に似た小鳥の彫刻や、榊の小枝をくわえた鳥の模型がついています。
これらのことは、ノアの箱舟や、箱舟にオリーブの小枝をくわえて戻ってきた鳩の話を、思い起こさせるものであるわけです(創世8:11) 。
明治維新の頃、日本に来た商人で、N.マクレオドという人がいます。彼も京都で祇園祭を見たとき、ひじょうに強い印象を受けました。
たとえば祇園祭の中で、人々は木の枝を持ち歩いていました。古代イスラエルの収穫祭でも、人々はたくさんの木の枝を持ち、また農業の収穫物を持って行列に参加しました。
またマクレオドは、祇園祭で使われる香炉が、イスラエル神殿で用いられていた香炉に非常によく似ている、と観察しました。
 さらに祇園祭の行列の中に、「7つの腕のある道具」を持ち歩いている人たちを見ました。
これはイスラエル神殿で用いられていた7つの腕を持つ燭台(メノラ)に非常によく似ている、と彼は考えたのです。
また日本文化において12という数字が、いろいろな場面において用いられていることをも、発見しました。
天皇は12人のお妃を持ち、京都の御所には12の門がありました。
宮城には12の飾り付けがあり、神社の祭では12本の棒がゆわえつけられていました。
こうしたことは、イスラエルで神の民や神殿に関するものに12という数字がよく用いられていたことを、ただちに連想させるものでした。
祇園祭について、ユダヤ人ラビ・トケィヤー氏はこう言っています。
「いずれにせよ、ユダヤ人がこの祇園祭を見たときに感じることは、
「ギオン」という名前はエルサレムの別名である「シオン」ではないか、ということである。 ・・・
その祭自体が、古代イスラエルの歴史を、ドラマ化したものであるように感じるのである」。
このように、イスラエルの習慣に精通している人々にとって京都の祇園祭は、イスラエルの祭を連想させるものであるようです。
しかしこれはイスラエルの正統的な宗教行事の場合ですが、そうでない場合もあります。
たとえば、日本の神社の中には、牛を祭神としているところが多くあります。
さきに、神道は基本的には偶像崇拝ではないと述べましたが、一部には偶像崇拝も事実入っているわけです。
この風習は、古代イスラエル民族が行なった異教の偶像崇拝の名残りではないか、とマクレオドは考えました。
聖書にも、古代イスラエル人は唯一の神を信じながらも、しばしば「子牛礼拝」などの偶像崇拝に陥ったことが記されています。
とくに失われた10部族は、そうした偶像崇拝に陥っていましたから、偶像崇拝が一緒に日本に持ち込まれたと、考えられるわけです。
また、「山伏」に関する様々のことが、古代イスラエルの習慣に非常に良く似ていると、指摘されています。
山伏――頭につけているのが兜巾。
たとえば山伏は、額に「兜巾」(ときん)と呼ばれる黒いものをつけます。これは古代イスラエルの祭司が額につけた黒い聖なる箱「ヒラクティリー」にそっくりだ、と指摘されているのです。今日もユダヤ教徒は、祈りのとき、ヒラクティリーを額につけます。こうした習慣は、ユダヤ教徒と日本の山伏にだけ見られるものです。山伏が吹く「法螺貝」も、イスラエル人が祭のときに吹く「ショーファー」という笛に、よく似ていると言われています。 イスラエル人のショーファーは、ふつう雄羊の角で作られますが、必ずしも雄羊の角である必要はありません。実際には、手に入る材料で作ってかまわないのです。
 日本は羊は少なく、海洋国家なので、法螺貝が用いられたのではないかと言われています。両方とも同じような音をたてるのです。
そのほかにも、山伏の習慣には古代イスラエルの習慣を思わせるものが多々あり、両者には、「偶然とは言えないほどの一致点が存在している」と、トケィヤー氏は述べています。

古代日本とユダヤ・キリスト教
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm




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日本の習慣とイスラエルの習慣の類似
ユダヤ人ラビ・トケィヤー氏はまた、日本の古来からの習慣の多くがイスラエルの習慣によく似ている、と指摘しています。たとえば外国人が、日本の国技である相撲を見に行ったとしましょう。多くの外国人は、力士が土俵に「塩をまく」習慣を見て、違和感を感じます。なぜ塩をまくのか、意味が理解できないのです。ところがトケィヤー氏によると、こうした「塩をまく」習慣に対してユダヤ人は、全く違和感を感じないと言います。ユダヤ人は「塩をまく」のは「土俵を清めるため」である、と即座に理解します。ユダヤ人の家庭では古くから、母親が同じようなことをして家の中を清める習慣が、あったのです。また日本の公衆浴場では、日本人は浴槽に入る前に、流しで体を洗います。ユダヤ人はこうした習慣を見ると、自分たちの習慣と同じだと感じて、リラックスします。 ヨーロッパ社会においては、ユダヤ人を除いて誰も、このような習慣を持っていないのです。また日本には、古くから「お守り」を持つ習慣があります。日本人の中には車の運転席に、お守りをぶら下げている人々がいます。東北地方へ行けば、どの農家もたくさんのお守りを、家の入口や神棚のわきに張りつけています。同様な習慣が、古くからイスラエルにもありました。旧約聖書外典には、古代イスラエルの兵士たちが、呪文を書いた護符を見につけていたことが書かれています。これはアミュレットと呼ばれるもので、幸運を祈る日本のお守りと同じようなものでした。またユダヤ人には、今もメズザと呼ばれるお守り札を、家の入口に張りつけておく習慣があります。これは羊の皮で作られた薄い紙で、旧約聖書の言葉が記されています。メズザは、もともと神をおぼえるために家の入口につけられたのです。しかし人々は、しばしば神ご自身よりも、メズザ自体を「お守り」として用いました。「お守り」に頼る習慣は、正当派ユダヤ教の指導者らによって、いつの時代にも「迷信」として禁じられてきました。
私たちは、神に対しての信仰がある限り、たった一枚の紙に書かれた魔力に頼ってはいけないのです。
しかし人々はいつも何かを信じたがっているので、こうしたお守りの習慣は、古くからイスラエル人の間にも存在していたのです。
祇園祭とイスラエルの祭との類似
日本では毎年、7月17日に、「夏祭」と称する「祇園祭」、別名「天王祭」が全国一斉に行なわれます。とくに総社である京都・祇園神社の祭は、大規模に7月17日から1週間にわたって行なわれます。じつはこの7月17日という日は、イスラエルにおいても、非常に重要な日でした。かつてノアの箱舟がアララテ山に着いたのが、まさにこの日なのです。
「箱舟は第7の月の17日に、アララテの山の上にとどまった」 (創世8:4)
と聖書に記されています。
そのため古代ヘブル人は、この日に謝恩祭を行なっていたようです。
しかしモーセ以後は、ちょうどこの時期に収穫祭 (仮庵の祭ともいう)が行なわれるようになりました (第7の月の15日から1週間)。
京都で行なわれている祇園祭は、こうしたノアの箱舟の記憶や、イスラエルの収穫祭を思い起こさせるものがあります。
祇園祭では、「舟車」といって舟の形をした山車が、町内をめぐります。また神輿には、鳩に似た小鳥の彫刻や、榊の小枝をくわえた鳥の模型がついています。
これらのことは、ノアの箱舟や、箱舟にオリーブの小枝をくわえて戻ってきた鳩の話を、思い起こさせるものであるわけです(創世8:11) 。
明治維新の頃、日本に来た商人で、N.マクレオドという人がいます。彼も京都で祇園祭を見たとき、ひじょうに強い印象を受けました。
たとえば祇園祭の中で、人々は木の枝を持ち歩いていました。古代イスラエルの収穫祭でも、人々はたくさんの木の枝を持ち、また農業の収穫物を持って行列に参加しました。
またマクレオドは、祇園祭で使われる香炉が、イスラエル神殿で用いられていた香炉に非常によく似ている、と観察しました。
さらに祇園祭の行列の中に、「7つの腕のある道具」を持ち歩いている人たちを見ました。これはイスラエル神殿で用いられていた7つの腕を持つ燭台(メノラ)に非常によく似ている、と彼は考えたのです。
また日本文化において12という数字が、いろいろな場面において用いられていることをも、発見しました。天皇は12人のお妃を持ち、京都の御所には12の門がありました。宮城には12の飾り付けがあり、神社の祭では12本の棒がゆわえつけられていました。こうしたことは、イスラエルで神の民や神殿に関するものに12という数字がよく用いられていたことを、ただちに連想させるものでした。
祇園祭について、ユダヤ人ラビ・トケィヤー氏はこう言っています。
「いずれにせよ、ユダヤ人がこの祇園祭を見たときに感じることは、「ギオン」という名前はエルサレムの別名である「シオン」ではないか、ということである。 ・・・その祭自体が、古代イスラエルの歴史を、ドラマ化したものであるように感じるのである」。
このように、イスラエルの習慣に精通している人々にとって京都の祇園祭は、イスラエルの祭を連想させるものであるようです。しかしこれはイスラエルの正統的な宗教行事の場合ですが、そうでない場合もあります。たとえば、日本の神社の中には、牛を祭神としているところが多くあります。さきに、神道は基本的には偶像崇拝ではないと述べましたが、一部には偶像崇拝も事実入っているわけです。この風習は、古代イスラエル民族が行なった異教の偶像崇拝の名残りではないか、とマクレオドは考えました。
聖書にも、古代イスラエル人は唯一の神を信じながらも、しばしば「子牛礼拝」などの偶像崇拝に陥ったことが記されています。とくに失われた10部族は、そうした偶像崇拝に陥っていましたから、偶像崇拝が一緒に日本に持ち込まれたと、考えられるわけです。また、「山伏」に関する様々のことが、古代イスラエルの習慣に非常に良く似ていると、指摘されています。
山伏――頭につけているのが兜巾。
たとえば山伏は、額に「兜巾」(ときん)と呼ばれる黒いものをつけます。これは古代イスラエルの祭司が額につけた黒い聖なる箱「ヒラクティリー」にそっくりだ、と指摘されているのです。今日もユダヤ教徒は、祈りのとき、ヒラクティリーを額につけます。こうした習慣は、ユダヤ教徒と日本の山伏にだけ見られるものです。山伏が吹く「法螺貝」も、イスラエル人が祭のときに吹く「ショーファー」という笛に、よく似ていると言われています。 イスラエル人のショーファーは、ふつう雄羊の角で作られますが、必ずしも雄羊の角である必要はありません。実際には、手に入る材料で作ってかまわないのです。
 日本は羊は少なく、海洋国家なので、法螺貝が用いられたのではないかと言われています。両方とも同じような音をたてるのです。
そのほかにも、山伏の習慣には古代イスラエルの習慣を思わせるものが多々あり、両者には、「偶然とは言えないほどの一致点が存在している」と、トケィヤー氏は述べています。

古代日本とユダヤ・キリスト教
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古代日本とユダヤ・キリスト教
古代日本とイスラエル10部族の謎
イスラエル人(ユダヤ人)は古代の日本に来たか
イスラエルの契約の箱は、神社のお神輿によく似ている
――契約の箱がエルサレムに戻ったとき、ダビデは契約の箱をかつぐ者たちと共に町をめぐり歩き、その前で踊った。   
 「今から2千年ほど前、日本にようやく人が住み始めた頃、古代イスラエル人(ユダヤ人)もはるばる日本に渡来し、日本の文化形成に大きな影響を与えた」
とする説が、わが国において、幾人かの学者によって唱えられてきました。いわゆる「日本文化=ユダヤ起源論」とか「日本・ユダヤ同祖論」と呼ばれる説ですが、一見奇妙に見えるこの説も、その証拠とされるものの多彩さのゆえに、多くの人々に興味を引き起こしてきました。本誌でもこの説について、いくつかの検討を加えてみることにしましょう。
イスラエル人は古代日本に来たか
はじめに、本誌がこれから何を述べようとしているのかを、はっきりさせましょう。第1に本誌が述べようとすることは、日本の文化のどのような事柄に、古代イスラエル文化の影響が見られるか、ということです。たとえば、日本の皇室の紋章である「菊の紋」が、古代イスラエル神殿の壁にも残っています。また伊勢神宮の灯籠には、ユダヤ人の印である「ダビデの星」が刻まれています。これらははたして、古代イスラエル文化の日本への流入を、示しているのでしょうか。また、神社のお神輿がイスラエル神殿の契約の箱によく似ていること、神社の構造自体が古代イスラエル神殿によく似ていること、日本古来の祭の幾つかが古代イスラエルの祭によく似ていること、などが学者によって指摘されていますが、これらについてはどうなのでしょうか。
神社の神輿      
さらに、日本語の中にヘブル語の影響が見られる、とも言われています。私たちが数をかぞえるときに言う「ひい、ふう、みい・・・」がヘブル語である、と指摘する人もいます。第2に本誌が扱う問題は、こうした事柄が、いわゆる「イスラエルの失われた10部族」の行方と関係あるのかどうか、ということです。あるいは、A.D.70年に祖国を失って世界中に離散したユダヤ人の行方とも関係があるのかどうか、ということです。
B.C.721年、イスラエル10部族から成っていた「北王国イスラエル」は、アッシリア帝国に滅ぼされ、民は捕囚となって捕らえ移されました。その後イスラエル10部族は、ユーフラテス川の東側地域に離散しました。そこである学者は、イスラエルの「失われた10部族」の一部は日本にもやって来て定着し、日本の文化形成に大きな影響を与えた、と考えています。またA.D.70年に、南王国ユダの人々(イスラエルの残りの2族から成り、一般にユダヤ人とも呼ばれる)は祖国を失い、世界中に離散しました。彼らの中には、シルクロードを通って、はるばる東洋の地までやって来た人々もいました。そこである学者は、彼らユダヤ人の一部は日本にも渡来し、日本にユダヤ文化を持ち込んだ、と考えています。これらの考えについても、検討してみましょう。
失われた10部族はユーフラテス川の東側に離散した
まず、イスラエルの「失われた10部族」の行方について、少し詳しく見ておきましょう。
聖書によると、B.C.10世紀に、北王国イスラエルの10部族に関して次のような予言 (預言) がなされました。
「主(神)は、イスラエル(北王国のこと) を打って、水に揺らぐ葦のようにし、彼らの先祖たちに与えられたこの良い地からイスラエルを引き抜き、ユーフラテス川の向こうに散らされるでしょう 彼らがアシェラ像 (偶像) を造って、主の怒りを引き起こしたからです」 (・列14:15)。
この予言は、約200年後のB.C.721年に成就しました。その年、アッシリア帝国が北王国イスラエルに攻め入り、民の主だった人々を、みな捕囚としてユーフラテス川の東側に連れ去ったのです。こう記されています。
 「 (北王国最後の王) ホセアの治世第9年に、アッシリアの王はサマリヤ(北王国のこと)を取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザン川のほとり、メディアの町々に住ませた」(・列17:6) 。
考古学者は、この捕囚を行なったアッシリア王が古代碑文に残した記録を、発見しています。その碑文によると、このとき捕囚された民の数は約3万人でした。アッシリア王は北王国イスラエルの主だった人々を、捕らえ移したのです。祖国に残されたのは、貧しい人々や、庶民だけでした。これは被征服民を無力化し、彼らが二度と反乱を企てないようにするための、アッシリア帝国の占領政策だったのです。人々が捕らえ移された地「ハラフ、ハボル、ゴザン川のほとり、メディアの町々」とは、ユーフラテス川の東側の地です。北王国イスラエルの10部族は、アッシリア帝国が滅びた後も祖国に帰らず、ユーフラテス川の東側の地域に離散しました。
A.D.1世紀に生きたユダヤ人歴史家ヨセフスは、こう書いています。
 「イスラエルの10部族は、今でもユーフラテスのかなたにおり、膨大な民衆となっている」 (古代ユダヤ誌11巻5章)。
彼らは、この後どうなったでしょうか。彼らの行方に関する正確な資料はほとんどありませんが、各地の言い伝えの中には、幾つかのヒントがあります。たとえば、ソ連のグルジヤ共和国あたりに住む山地ユダヤ人の間には、自分たちは「失われた10部族」の子孫だ、という言い伝えがあります。カスピ海北方に住むカザール人の間にも、自分たちは10部族の子孫だ、という言い伝えがあります (現在のユダヤ人の九割を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、このカザール人の子孫である、との説もあります) 。ペルシャの一部族の間にも、同様の言い伝えがあります。アフガニスタンのユーフザイ人は、自らを「バニ・イスラエル」 (イスラエルの子孫) と呼んでいます。その他、インドやミャンマーの部族の間にも、同様の言い伝えがあります。また中国の史書によると、B.C.2世紀(漢の時代)に、中国にイスラエル人がいました。彼らには割礼の風習があったので、中国人は彼らを「刀筋教民」と呼びました。さらにバハラ地方の少数ユダヤ人の間には、10部族は長年アジア大陸を流浪し、あげくのはてに「中国のかなたの神秘な国」に定着した、との伝説があります。『エズラ第4書』という、A.D.1世紀頃に記された古代ヘブル文書(旧約聖書外典) にも、次のような興味深い記述があります。「幻に現われたその群衆は、アッシリア王が川を越えて他の国に連れていった10部族であった。
イスラエル10部族の渡来伝説のあるところ
【Martin Gilbert "Jewish History Atlas" 1973, London 等参照】
彼らは異教徒の群れから離れ、人類がいまだかつて住んだことのない土地へ行き、自国では守ることのできなかった規則を、せめて守るようにとの計画をお互いに持ちあって、さらに遠い国へ進んだ。そして彼らがユーフラテスのほとりの細道に来たとき、神は彼らに驚くべきことをなし、彼らが渡りすぎるまで川の源を止められた。その国を通過してから、1年半という長い道のりが待っていた。そしてそこはアルツァレト(この地名については不明)という地方であった。
彼らは、そこに最後まで住み、そして彼らが帰ろうとするとき、神は彼らがユーフラテスを渡れるように、再び川の源を止められるであろう」。この文書は聖書ではありませんから、そのすべてを無条件に受け入れることはできません。またこの記述は、著者が見た「幻」という形をとっています。
 とはいえ、こうした文書が記された背景には何らかの歴史的事実があった、と考えられなくもありません。もしそうなら、「10部族が、ユーフラテス川から1年半の道のりの遠い地に行った」という記述は、たいへん興味を引きます。たとえば10部族が、もし時速4キロの徒歩で毎日5時間ほど歩き、1年半のあいだ旅を続けたとすれば、ほぼ日本ぐらいまでの距離に到達できるのです。
 このように、イスラエルの失われた10部族の一部が日本にまでやって来た可能性は、全くないとは言えないでしょう。
もう一つ、南王国ユダの人々の行方についてはどうでしょうか。南王国ユダの人々も、A.D.70年に祖国を失い、全世界に離散しました。彼らユダヤ人の一部は、シルクロードを行き来する商人となり、はるばる中国にまでやって来ていたことが、知られています。シルクロード内の絹の取引などは、ユダヤ商人がほぼ独占していました。A.D.3世紀には、すでに中国の開封に、ユダヤ人コミュニティがありました。A.D.12世紀にはそこにユダヤ教会堂もあり、中国のユダヤ人社会は最近まで存在していたことが知られています。ですから彼らの一部が、古代の日本に渡来した可能性も、充分考えられるわけです。

古代日本とユダヤ・キリスト教
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伊勢神宮の構造はイスラエルの神殿がモデルのようだ......
http://www.naritacity.com/journal/japan/pdf/summary.pdf
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第1章 日本列島に潜むユダヤの痕
伊勢神宮の謎に迫る!
今からおよそ十五年前、米国ロスアンジェルスで不動産事業を営んでいた際に、大勢のユダヤ系実業家の方々と出会う機会がありました。ベトナム戦争時はヘリコプターの技術士として現地で活躍し、米国に帰国後不動産のデベロッパーとして成功したゼブ氏とは特に親しくさせて頂き、時折夕食を共にしながらよく雑談をしたものです。そのゼブ氏がある日突然、「日本人のルーツにユダヤがあることを知っているか?ヨセフ・アイデルバーグという学者が『大和民族はユダヤ人だった』という本を書いたのだが読んでみたら?」と教えて下さったのです。日本とユダヤには本当に接点があるのだろうかと疑問に思いつつその時から歴史の街道をひたすら遡りながら、日本とユダヤのハーモニーを見出すロマンが始まったのです。
果たして日本人には神の選民と言われたユダヤの血が流れているのだろうか。そんな疑問を解明するために、1988 年東京から車で伊勢神宮にお参りに行くことにしました。以前から伊勢神宮には三種の神器が隠されているという噂や、天皇家とユダヤの関係に携わる様々な秘密が盛りだくさんあると聞いていた為、何としても訪ねてみたかったのです。まず度肝を抜かれたのが JR 伊勢駅のそばにある外宮から内宮につながる街道の両脇に立てられている無数の石灯篭に、ユダヤの紋章である「ダビデの星」が刻まれていることです(写真参照)。しかしながら何故、天皇家が参拝する伊勢神宮(管理人注:天皇家は参拝に来ません。行くのは下鴨神社です)にの街道沿いにユダヤの紋章が入っているのでしょうか?
この石灯篭は神宮奉讃会が寄贈したものであり、実際は木藤石材工業という兵庫の会社が製作にあたりました。そして依頼者側の代表として当時の神宮庁長官である故二荒氏と奉讃会会長の故森岡氏によって詳細の指定がなされたのです。しかし、何故この二人が執拗なまで台座にユダヤの紋章を彫りいれる事を望んだかは今をもってわからず、工事を請け負った木藤氏はただ言われるままに製作したそうです。このダビデの星は伊勢神宮の奥宮である「伊雑の宮」の正式な紋章でもありますが、「イゾウ」という言葉の響きがヘブライ語で神の救いを意味する「イザヤ」、「イズラエル」に酷似しているため、ますますユダヤの影響を感じます
下鴨神社の関連BBS..........神社に潜む謎の勢力
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1043

いつも一緒(旧Legacy of Ashes)
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/













巫女制と十字架ライン
飛鳥ファンには既知のことだが、やがて伊雑宮が伊勢本宮として蘇ってくるという。
その時が天照大神=イエス・キリスト再臨の時だという。
伊雑宮が本宮となる理由はそこに「首」、即ちタウ型十字架の頭に相当するイエスの罪状板(INRI)が隠されて祀られているからだという。
※ 飛鳥氏によると内宮には「契約の箱(アーク)」とイエスが磔刑された「十字架」、
外宮には「マナの壺」と青銅の蛇が絡まった旗竿「モーセの旗竿(ネフシュタン)」が安置されているという。
伊雑宮には「罪状版」だけですが、ここに「アロンの杖」が安置されると新約聖書の三種の神器と旧約聖書の三種の神器が全て三宮に揃ったことになる。
今年2月6日には遷宮関係者だという@itaku1611さんのツイートでは、
「ついに伊勢神宮の内宮の地下に聖櫃アークとともに、キリストの血が付いた”聖十字架”が発見された!これで消され縄文時代2万年の歴史が紐解かれ、イルミナティの世界支配は終焉です!今夜は祝杯だ!」という内容が発信されましたが、これが本当かどうかは分からない。ただ、いよいよそのベールを取り去る時が近づいてきているという感じはヒシヒシとする。
物部神道の復権がその原動力であり、その顕れが伊勢神宮と出雲大社の同年式年遷宮(アマテラスとスサノオの結婚)、
熱田神宮の奥の院・一之御前神社への1900年振りの一般参拝解禁、熱田の宝物(草薙剣=アロンの杖)の他社への移譲も決定...
これら一連の動きはある結論に向かって動いているとのこと。
で、草薙剣移譲先が伊雑宮であり、「アマテラスとスサノオの結婚」の末、出来た子供が伊雑宮だという位置づけではないかと飛鳥氏はいう
ここに父と子と聖霊の三位三体のカバラの究極奥義が完成する。
※ この三体は「生命の木」の「均衡の柱」「峻厳の柱」「慈悲の柱」を表している。
「666」が悪の三位一体であり「反キリスト・反法王・偽預言者」を指す。
それに対し「六六六」は「八」に鍋フタをした一歩手前の状態であり「777」だとも云えるが、こちらが絶対三神の三位三体。
オリオンの三つ星がそれを暗示。
聖書ヨブ記の「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。
オリオンの綱を解くことができるか。」とあるが、プレアデス(唯物史観)から脱してオリオン(観察精神)への移行こそが その鍵となる。
熱田神宮1900年祭
(今年5月、草薙剣安置1900年祭を終えたばかりの熱田神宮。
しかし、本当の安置は秦の始皇帝から神器をだまし取った徐福が東三川に徐福国建国し安置(兎足神社)していたが、
この徐福国を討伐して神器を取り戻した1600年前頃だと睨んでいる。)
確かに物部神道は首露王(倭旨)から始まる初期大王家(扶余系スキタイ、カド族)の伝えた神道であり
天香久山で鹿の焼く香りを天神に捧げる「はん祭」の儀式を執り行っていたように生贄を捧げるヘブライ色の濃い神道。
血の儀式をしていたと云われる由縁です。三世紀後半、半島にいて雇われ王をしていた初期大王家は縄文人の招きを受け、
琉球伊平屋島を経由して王垣に上陸したが、渡来途中で磐座を使う御嶽祭事をアチコチで行った。
この時、沖縄にも御嶽(うたき=男子禁制の祭祀施設)が伝わり今に残るが、これは巫女を中心とする信仰という点が異なる。
多分、沖縄の御嶽は縄文人の巫女信仰と初期大王家の御嶽祭事の融和の産物なのだろう。
オイラは磐座信仰、即ち古神道は縄文人の宗教だと勘違いして前記事に書いてしまったが、縄文人、その後の出雲系が奉じた宗教がイマイチ良くわからない。
縄文草創期以前には巨石を用いて築いた自然(太陽)崇拝の祭場(磐座)があり、磐座は縄文人の宗教施設であることは間違いないが、
それ以外にも徐福が伝えた道教色の濃い蚩尤(しゆう)を祀る銅鐸神事も行っていたようなのだ。
ただそこに貫徹する内容がある。
それは、、、巫女制。
これが古代日本を貫徹する宗教の骨格だった。縄文時代の遺跡からは多くの精巧にできた土製の仮面が出土していますが、
これらは全て女性用に造られていて、見つかった場所から地域のリーダー格の人間がつけていたと考えられている。
つまり「巫女信仰」は縄文時代から存在し、リーダーは常に女性だったと考えられるのです。
ですから、時代を下った邪馬台国でも卑弥呼、トヨが立てられたのであり、男王は「王君」(王の君=女王の配愚者)と呼ばれたのです。
腰掛ける巫女
(「腰掛ける巫女」)
仮面のビーナス
(茅野市出土の「仮面の女神」)
 合掌
(八戸の「合掌土偶」)
多分、有名な遮光器土偶も仮面を付けた巫女の姿なのだろう。
縄文の巫女は、頬に魔除けの入れ墨に似た四筋の渦巻き模様を入れたり、目の周りを黒っぽくし鼻と眉を高くして目の部分を影にすることによって、
目つきに凄さを持たせていたという。まるでジョーカーのような感じだすな(汗)。
このように縄文人は根っからの巫女萌えだったのだす-。
さてさて伊雑宮の復活とは、伊勢が三つ星化することに他ならない。
伊雑宮、籠神社、熱田神宮はいづれも物部系の神社ですが、この三社の動きが今後の方向性を決定化する。
※飛鳥情報では「物部神道=旧約、秦神道=新約」という区切りをしているが、
何故、旧約の物部系神社に新約のレガリアであるイエスの十字架や罪状版が安置されているか?というように、ツッコミどころは満載。。
外宮・内宮・伊雑宮の三宮の配置はオリオン座の三つ星を表していて、エジプトのギザのピラミッドと同様のもの。
更には五十鈴川はナイル川や天の川を表していたのとも同じ。
これを隠蔽したのが八咫烏の指令を受けた藤原不比等。
それは来るべき時まで知られないようにする必要があったからだと推測されている。
伊勢三つ星
(伊勢のオリオンの三つ星)
物部神道の復活のついては「カゴメ唄」に隠された秘密からも解けると飛鳥氏はいい、「この唄は、本来、籠神社の隠し歌であり、
そこには日本の国家成立にかかわる重大な秘密が暗号として隠されているのです。」と籠神社宮司の海部氏の談話を紹介している。
この籠神社に伝わる極秘伝は、カゴメ歌に登場する「鶴」は伊雑宮を指し「亀」は籠神社を指すいうもの。
八咫烏からも籠神社と伊雑宮はそれぞれ「阿」であり「吽」であり、AとZ、アルファとオメガ、はじめと終わりであると知らされたという。
ただし、藤原氏の謀(はかりごと)によって、藤原京移転時に旧京に残された物部氏は中央政治の表舞台から外され、歴史から消された。
しかし、この2013年に至り物部神道が復活するとは、、、これは藤原氏を生かし物部氏を封印したのは八咫烏の策略なのか? 
それは表と裏をひっくり返すための舞台装置なのかもしれない。つまり、この逆転激が雛型となり、
日本列島に伝播・拡散・横展開して大ドンデン返ししていくのだろうか?
う-む、日月神示が初期大王家(物部神道)に関するというオイラの洞察は正しかったとなる(ふふふふ)。
伊勢がオリオン化しイエス顕現化するのに対し、中央構造線で繋がる諏訪湖では武田菱が見つかったという。
これは『甲陽軍鑑』に記されているように信玄公の水中墓ではなかと期待されているが、
実は、まだまだ全貌は不明なまま。
少なくとも菱形の窪地地形があることだけは確かだという。
(武田菱 クロス線が細いのが宗家。甲斐源氏の名門ですが宗家は途絶え、庶家が江戸時代以降も続く)
そして、この武田菱は十字架を表している!!!
諏訪の近くの茅野は縄文文化の一大中心地であり、かつて諏訪神社は洩矢氏が宮司であり、近くには守屋山がある。
諏訪で祀られるミシャグチ神は「御イサクの地」という意味だと語り部は言う。
この「モリヤ」という名は旧約聖書に出て来るエルサレムにあるとされる地名で「イサクの燔祭」があったという場所。
モリヤには「主が備える地」あるいは「主顕現の地」という意味があるという。
また、この「イサクの燔祭」記述をそのままにした御頭祭も諏訪神社で行われていて、
縄文とヘブライ的な物部神道の痕跡が濃く残っている地なのです。
伊勢と諏訪の復権、、、これはきっと何かの予兆的符合だすな。
まぁ、言霊的にはこの二箇所のネーミングは、、、
イセ+スワ → イセスワ → イサワ → イザワ → 伊雑 ということなのか? 
あるいはイエス → イェシュア → イセスワ なのかもしれない(笑)

悩くん フルスロットル
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諏訪湖 武田菱01 諏訪湖 武田菱02
この諏訪湖と伊勢を結ぶ中央構造線の丁度真ん中に東三川があり、
三方を蓬莱山・方丈山・エイ州山(鳳来寺山・本宮山・石巻山)の「東海三神山」に囲まれた地に鳥居強右衛門の磔刑地がある。
スエモンは両性具有のアダムカドモンを彷彿とさせる存在ですが、
カドモンは人類が個我を持って分離する前の統合化された「原初の人間」とされる存在。イエスの原型ともされている。
※イエスキリストは「第2のアダム(カドモン)」とも言われる。
以上、伊勢-東三川-諏訪は十字架ラインを形成している。
※中央構造線の終点の薩摩は島津家の「丸に十字」でもある。
また遠山郷の領主・遠山家の家紋は「丸に渡し箸」は、島津の「丸に十字」の十字架を分解して横に並べた形になっている。
 スエモン
(スエモン磔刑図、まさに日本を体現)
伊勢のオリオン、諏訪の十字架、、、これは御代出づ(345)が近いという暗示なのか? 
ちなみにオリオンは我が家の家紋「左三階松」であり、「武田菱」は母方の家紋ですが、
このシンクロ、何かしらの縁を感じるが、それは単なる妄想に過ぎないかも(笑)。
東日本大震災、原発事故を年月まで予測的中させたという陰陽自然学の飯田亨氏の話によると、
来年2014年からが新時代が始まり、本格的な「光の時代」の幕開けは2034年からであるとのこと。
2014年からグレンと世の中がひっくり返り、世の中の凡ゆる面で今までのような中央集権的な一極集中体制は崩壊していくだろう。
今、太陽が極度の熱線を放ち、2011年の時以上の熱中症患者が出だしていますが、自然界の猛威がこの一極集中体制を破壊していくだろうと見ている。
※自然界の有様が過去データから予見出来ない為、中央集権的な対応では処理出来ない状態となる。
現場個々の判断処理がより重要になってくる。これはかつてのコンピュータ界で起きたことで、メインフレームからダウンサイジングという流れになっていった。
陰陽自然学
(陰陽自然学の2011年の予測)
彗星発見者で有名な木内氏が某学者から聞かされた光害により植物が激減するのが2014年頃ですが、
植物激減により二酸化炭素が増加し、風の凪いだ窪地などでは二酸化炭素が滞留することで窒息死する者が増えると警鐘を鳴していましたね。
光害ではないが、最近の激熱の太陽熱線は全ての植物を死滅させるぐらいの勢いがある。
ケネディ真相暴露解禁は2039年だし、オコツトがいう生きながら死後の世界に入る「入神」も2037年。
キリスト再臨の年も2037年であるから、この頃に伊雑宮の本宮化だろうな、、、
そして、その後てんし様の降臨という段取りか?、、、ただ、あと20年以上先の話だ。長いなぁ、、、(滝汗)。
この頃だと世界天皇はユージンで確定だろう。彼に真の天照大神(スサノオ)が降臨という展開か?
う-む、ビ、ビリケン広飲み屋は?
次回の天皇は「哀帝」になるという京都公家予言がありますが、
トーグー様は誕生日が「富士山の日」であることから富士山のあり方とシンクロするかもしれない。
オイラは富士山は山体噴火でカルデラ化してしまうと睨んでいますが、このように天皇制も彼の代で木っ端微塵に吹き飛んで呆気なく終了という展開になるのかもしれない。
それが富士山を体現している「哀帝」の役回りなのかもしれない。
* 2013-07-06
* ■未分類
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Comments
待ってました的な記事の内容ですね★o(^-^)o★
いや-読み応えがありました☆
さすがヤッズくんですね、他のブロガーさんも取り上げてられましたね(^O^)
草薙の剣までもが今年、集まるとは、知りませんでした☆
いや-楽しみですね★
ところで、ラジャサンについての記事を有名ブロガーさんも取り上げておられますが、本当に意志があって自在に移動してるんですかね?
(映画フィフス・エレメントみたいな…)
一説によるとプレアデスのスフィアだとも…
ある正当な筋によると、本当に存在するらしいですよ☆
これが表に出現するとヤバいらしいです…
なんたって木星サイズだから…(>_<)
2013-07-09
ユミエル
No title
フィフィス・エレメントが見たいな-。
だーはーと
私も暗黒天体ラジャサンが気になってしょーがないんです。
表に出るとヤバイ。それでもいい。
ラジャサンの実態がもっとオープンになるのを首長くして待ってます。
今までの天文学の常識からハズレてますからね。
太陽系の力学的なバランスにまったく影響されないのは、自然な天体じゃなくて人工物だったりして。
道の宇宙生命体かもね。ある筋ってもしや…。
最新情報が見つかったらまた書き込んでください。

悩くん フルスロットル
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PS:古代日本とイスラエル10部族の謎というURLがあります。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm
その中で.......
 『とはいえ、なぜイスラエル神殿に菊の紋が刻まれているのか――その理由や起源は、よくわかっていません。
 ただこのデザインは、エジプトやペルシャ、その他の中東の諸地域において、宗教の中心地や、重要人物の棺の紋様として広く使用されていました。
 菊の紋について、次の3つの考えがあげられています。
 1つはイスラエルの菊の紋は、菊の花のデザインであろう、ということ。2つ目は、それは太陽をデザインしたものかもしれないこと。
 3つ目は、全く意味のない単なる美しいデザインかもしれない、ということです。
 いずれにしても菊の紋は、イスラエルにおいて、比較的広く使用されていたシンボルでした。
 そこで、もし古代イスラエル人が日本に渡来したのだとすれば、彼らが持ち込んだ菊の紋が皇室の紋として採用されたのではないか、という考えが浮かんでくるわけです。
 一方、日本の伊勢神宮の灯籠に、私たちは「ダビデの星」を見ることができます。
 「ダビデの星」とそっくりのマーク(カゴメ紋)が、皇太神宮の参道わきの石灯籠に刻まれているのです(ダビデの星は、奥宮の「伊雑の宮」の紋でもあり、古代からのものであるという)。
 「ダビデの星」とは、言うまでもなく、古代イスラエルの王ダビデの紋です。それは現在のイスラエル国旗のシンボル・マークとしても使用されており、ユダヤ人の印なのです。』
上の説明,つまり任意団体の「伊勢三宮奉賛献灯会」が、1955年当時、献灯目的で、これらの六芒星の石灯篭を設置されたことを知らないと大変な誤解を招くことになります。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/66543147.html

いつも一緒(旧Legacy of Ashes)
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/












鳥居の聖人
2013-12-03 10:35:54
上の写真は、伊勢神宮の伊雑宮(イザワのみや)の鳥居の写真です。
入り口の大鳥居を内側の神域から写したものです。私は約30年間も毎年のように伊雑宮への参拝をしておりますが、鳥居にスポットライトのような光が当たり、木材の染みがコマ送りの動画のように訴え掛ける現象に出会ったのは初めてです。
太陽の位置からして、まだ西日の時間でも無いにも関わらず、木漏れ日が当たっていたのでしょうが、コマ送りの動画の物語を私が認識して写真に撮影し終えますと、このスポットライトは消えてしまいました。まさに見せられました。
同行者も鳥居に太陽光が反射しているのは目視が出来ました。
この時の鳥居の発光現象は、時間帯により誰でも見られるのでしょうが、私の脳裏にはハッキリとした動画でした。
まるで西洋の教会の壁画に在りますフレスコ画や、(壁に漆喰を下地に顔料で描きます)ステンドグラス画を思わせるような図柄でした。私は、写真の鳥居の右側から2つめの染みが、紀元前8世紀の古代ユダヤの大預言者・イザヤだと感得しました。
まるで天を仰ぎ見るように、左斜め上を見上げています。そして、その視線の先の更に左側には、ユダヤ民族の起源となる大聖人・モーゼの横顔が、右側のイザヤの方に向かって話しかけています。モーゼの染みの部分だけが、ひときわ大きく発光していました。
預言者イザヤは、旧約聖書にありますイザヤ書66章の預言を残しています。その預言の中には、東方に存在する「海の島々」(伊勢志摩のこと)と、聖なる山々が存在することが記述されており、そこに人類の救いが存在することが示唆されているでしょう。
旧約聖書のイザヤ書を解読することで、日本の大いなる秘密が解き明かされると思います。
伊雑宮の神紋は、籠目紋(かごめもん)です。これはユダヤの象徴であるダビテの紋章と同じです。そして、伊雑宮(イザワのみや)の名称の起源は古過ぎてハッキリしませんが、私には「イザヤの御宮」だと響きます。
イザワのみや=イザヤの御宮、だと感じます。
旧約聖書のイザヤ書に、東方の「海の中の島々」の記述を読み取れますので、大預言者イザヤは伊雑宮に来たと夢想します。
以上の話は、伊勢神宮の正式な歴史とは一切関係がありません。あくまでも、私の想像の物語です。言えますことは、伊雑宮は本当に聖なる場所だということでした。信じるか、信じないかは自己判断です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます

伊勢白山道 
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/ea049a8773c5420a67bc9e5a0ecc6d84

かごめかごめを研究する会
http://kagome.biz/





88ヶ所から突然、カゴメの歌に
皆さん、たくさんのコメント、貴重な情報をありがとうございます。
写真は剣山山頂、『ウィキペディア(Wikipedia)』から拝借しました。
いま、harunoshinnさんからの情報で「剣山」は「鶴亀山」とありました。
そして四国はキリスト教的だと。
ということで、思いついたことをメモ代わりに書いておきます。
「剣山」が「鶴亀山」なら、カゴメの歌だ。
籠の中の鳥→剣山に隠された契約の箱(アーク)?
いついつ出やる→契約の箱がいつ出るの?
鶴と亀が滑った→剣山が統べる?剣山はスメル(天皇)?
キリストと関係があるなら、後ろの正面はキリストかな?
夜明けの晩って何だろう?
四国から太陽が昇る方向に伊勢神宮がある。(夜明け?)
伊勢神宮から太陽が沈む方向に剣山がある。(晩?)
時間にして10分くらいのぶっ飛び解読でした。

かごめかごめを研究する会
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つながっているこころ
http://cocorofeel.exblog.jp/8415883/






予知情報:エルサレム第三神殿の建築がはじまる
2013年11月12日火曜日12:38
Due Diligence
(Before It's News)
http://beforeitsnews.com/prophecy/2013/11/3rd-jerusalem-temple-ready-to-be-built-israel-newsnov-10-2013-says-islam-sheik-2455630.html
2013年11月10日付Israel Newsの記事によれば、
エルサレム第三神殿(3rd Jerusalem TEMPLE)の建築がはじまるという。
政治激変、戦争のうわさ、想像を超える変化がおきているのは中東だけではなく、
いたるところでおきている。
重要なのは、差し迫った政治的問題をどうとらえるかよりも、ひとつの決断。
それは来世にまで影響を与える。
神の子(God the Son)/ナザレのChrist(Jesus Christ of Nazareth the Messiah)は、
我々の罪債を背負い、永遠の喜び(永遠の救済)を与え賜うた。
三位一体神は父を神としてあがめ、息子を神としてあがめ、聖霊を神としてあがめる。
我々が知るべきは我々が罪人である事。
罪人であるので救い主Christが必要なのだ。Christを信じて。

local pc

posted by datasea at 01:22| Comment(0) | ◉ 聖書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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