2014年05月19日

予知情報:世見

<世見>
2014/5/16
地球は生きています。
私達人間一人一人は地球の細胞のひとつでしかありません。
私は時折コーヒーを飲みながら思うことがあります。
この一杯のコーヒーを飲み干す時間に人は生まれ死を迎え、喜んだり悲しんだりと様々な思いを胸に抱えてこの地球で暮らしているのだと・・・。
地球も又、日々地球が生きているために様々な行動を海底でも陸でも行っています。
人々は我身に被害があるかないかで大災害の規模を見てしまいますが、地球が生きているとは思わないようです。地球が生きているために地球の細胞のひとつである私達もこうして生きています。
一度耳を澄ませて聞いて見てください。
地球が生きている音が聞こえませんか?
「アラル海」はどの辺りにあるのでしょうネ。
この湖、今はどのようになっているのでしょう。50年前アラル海は大きな湖でした。
このアラル海はカスピ海 スペリオル湖 ビクトリア湖の次に広かった湖です。
このアラル海は塩水湖のために湖が消えるようなことがあると塩害も起きていることでしょう。
アトランティス大陸やムー大陸がこの地球上にあったとしたら、アラル海のように何か自然界いえ地球が生きる上に何かが起きたのかもしれません。
日本列島は今も動いています。
確かに地球が大きく動くと我々は大変な目に遭います。
深海は私達が気にもしない間に今大きく変化をしています。
深海の変化は近い将来私達に大きな問題を作り出すことと思います。


あほうどりのひとりごと★幸福への近道
http://breakingnew-site.seesaa.net/article/397143084.html










アラル海
所在地 カザフスタン ウズベキスタン
位置 45N/60E
面積 13,900 km2
成因 アムダリヤ川、シルダリヤ川
淡水・汽水 塩湖
アラル海(アラルかい、ウズベク語: Orol dengizi、英: Aral Sea、中: 鹹海)はカザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖である。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%AB%E6%B5%B7








名称
名前の由来は「島が多い」という意味のトルコ語である。「湖」ではなく「海」と称するのは「塩湖」だからである。
地理
アラル海は中央アジア西部の内陸湖である。西はカスピ海がありトゥラン低地やウスチュルト台地が続く、南東はキジルクム砂漠、南はカラクム砂漠、北はカザフステップに囲まれている。
1960年代までは日本の東北地方とほぼ同じ大きさの湖沼面積を誇る世界第4位の湖(約66000-68000平方キロメートル)だったが、半世紀で約5分の1に縮小した。かつては1つの湖だったが、その後小アラル海(北アラル海)と大アラル海(南アラル海)に分かれ、現在は小アラル海とバルサ・ケルメス湖、東アラル海、西アラル海の4湖がある。小アラル海と大アラル海の間はベルグ海峡と呼ばれていたが、現在はコカラル堤防で仕切られている。また干上がった部分はアラルクム砂漠と呼ぶ説がある。
アラル海は砂漠の中にあり降水量は年間200ミリ未満で東京の8分の1にすぎない。アラル海の水源は2000キロメートル以上離れたパミール高原や天山山脈などの融雪水に由来し、小アラル海の主な水源はシルダリヤ川である。大アラル海の主な水源は以前はアムダリヤ川だったが現在は到達しておらず、バルサ・ケルメス湖の水源は湧き水である。降水の多寡により水位変動があるが、2010年11月現在のアラル海の面積は1万3900平方キロメートルであり、日本の福島県とほぼ同じ大きさである。
かつてのアラル海の水位は53.4メートル(1960年)だったが、半世紀後の現在(2011年)は大アラル海が約半分(28.3メートル)になり、小アラル海は11メートル下がって42.5メートルになっている。それに伴い水量は大アラル海が6%、小アラル海は32%となり大半の水が蒸発してしまった。その結果、海岸線は北岸の都市アラルから25キロメートル(2007年)、南岸の都市モイナクから77キロメートル後退した。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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自然改造計画による環境破壊
時代背景
シルダリヤ川は砂漠気候であり、アムダリヤ川は上流が高地地中海性気候、中流は地中海性気候やステップ気候や砂漠気候、河口部は砂漠気候である
この地域で綿花栽培を最初に行ったのは、18世紀のホラズム・ハン国である。19世紀に中央アジアに進出した帝政ロシアは第一次産業革命の最中にあり、原材料として綿花を必要としていた。当時はアムダリヤ川水系を利用した運河網を建設してインドと交易する案(19世紀末のグルホスコイのアムダリヤ・カスピ航路案)もあったが、アメリカで南北戦争が勃発して綿花価格が高騰したことや大英帝国とのグレート・ゲームなどを理由に、中央アジアで綿花を国内生産する方が良いという結論に達した。またアラル海は農業用水として価値の低い塩湖であり、貴重な淡水を蒸発させるよりもアラル海に達する前に使いきってしまった方が良いという考え方もあり、当時からアラル海の縮小・消滅は織り込み済みだったようである。これらの考え方はロシア革命後も形を変えて引き継がれ、冷戦時代には経済的・軍事的な理由の他に、政治的・イデオロギー的な側面も加わり、社会主義陣営の盟主として「社会主義的政策」により素晴らしい効果を挙げることやマルクス・レーニン主義の唯物史観に基づいて、進化する人知と科学により自然を凌駕すること、共産主義は西洋社会や遊牧社会に勝ることを示そうとした。
ソビエト連邦は領主や地主、イスラム寺院などのブルジョア階級から土地を取り上げて、灌漑によって草原を農業用地に変えた。更に遊牧民を定住させ、ソ連の沿海州から朝鮮系住民を強制移住させて労働者階級を作り出し、コルホーズやソフホーズで集団的な農畜産業に従事させた。ケッペンの気候図によると、シルダリヤ川流域は大量の水を必要とする綿花や稲科の栽培には向かない風土である。一方、アムダリヤ流域の高温が4ヶ月続く水の多い低地は稲作に適しており、高温を必要とする綿花は乾燥と塩分土壌にも耐性があるので、小麦ではなく稲作や綿花のモノカルチュアが導入された。第二次世界大戦後は大区画農地と大型農業機械による農業も始まり、ウズベキスタンの綿花生産量は150万トン弱(1940年)から450万トン(1970年)、500万トン(1986年)に増大した。更に近代的医療の導入により人口が増大し、「社会主義の勝利」と銘打って華々しく喧伝された。
無謀な計画
この地域はもともと海底であったことから、土壌には塩分が多量に含まれている。毛細管現象は水はけが良ければ発生しないが、アラル海の下流域では地下水位が高く1メートルも掘れば塩分を含んだ地下水が湧き出し、しかもシルト・粘土土壌であるために水分含有率が非常に高い。さらに同地域では重力灌漑という「水位の高い水路から、低地の農地に水を引いて灌漑する」という方式が取られている。つまり煮えたぎる鍋に海水をどんどん注げば、やがて塩が析出する原理と同じように地表からの蒸発散作用でカルシウム、カリウム、ナトリウム、マグネシウムといった塩分が土壌表面近く50センチメートル内に析出し、やがて地表は雪で覆われたように真っ白になるほどの塩類集積が発生する。このように、最初は強制的な灌漑により耕作できた土地も、塩害の進行とともに放棄せざるを得なくなった。
アムダリヤ・シルダリヤ両河川を水源として灌漑用水路を建設したがこれらは原始的な手掘りで河床対策が施行されなかったため、大半の水が無駄に砂漠に吸収され土壌の塩類集積・沼地化を促進させてしまう。しかも灌漑農地から染み出した排水や地表の塩分を洗い流すリーチングの排水は、灌漑用水の水質が低下しないように農地より低い位置にある砂漠に棄てられるか、排水路末端の池に注ぐことになり、アム河やシル河に戻ることはない。このようなずさんな灌漑設備および灌漑・排水方式により流量の激減した両河川は、アラル海を大きく減少させた。水を消費するカラクーム運河の補完水源として「シベリア河川転流構想」(オビ・エニセイ川からアラル海経由でカスピ海)もあったが、1986年に中止した。
ソ連の科学者の中には将来を予想し反対を唱えた者もいたが、政府指導者の間には「自然改造」の弊害はシベリア転流で一気に解決するという「多幸症」的な神話が広がっており、中央政府(Grigory Voropaevの発言とされる)は漁業利潤と灌漑利潤試算を盾に「アラル海で捕れるチョウザメのキャビアがどれほどの利益になろうか。それが社会主義の勝利にどれほど貢献するというのか。それよりも砂漠の地を緑に変え、そこで栽培される綿花がどれだけの利益を生み出すだろう。なるほど、灌漑によってアラル海は干上がるかもしれない。しかし社会主義の勝利のためにはアラル海はむしろ美しく死ぬべきである」と言って退けた。
悲劇の始まり
環境破壊
計画推進の結果、1960年代には年平均 20 cm、1970年代には年平均 60 cm と猛烈なペースで水面が低下し、急激に縮小をはじめた。一晩で数十 m も湖岸線が遠のいていくため、退避しそこなってその場に打ち捨てられた船の群れが後に「船の墓場」として有名になった。アラル海は中央アジアの中のオアシス的存在であった。湖の存在により気温・湿度が一定の過ごしやすい環境に保たれ、動植物が多様に存在していた。しかし湖が干上がることにより雨は降らなくなり、気温も年較差が激しくなった。そのことにより河畔林であるツガイ大森林など周辺の緑が枯れ、風食作用により表層土も失われ、湖ともども砂漠化の進行を加速化している。アラル海の塩分濃度は、ナトリウム以外の塩基成分であるカルシウムやマグネシウムなどの塩分等が湖底に沈殿し、カルシウムは貝類の貝殻に取り込まれる生態濃縮機能などによって数百年もの間一定の濃度を保っていたが、生態系の破壊によってその絶妙なバランスが機能しなくなった。
健康の悪化
砂漠化した大地からは塩分や有害物質を大量に含む砂嵐が頻発するようになり、周辺住民は悪性腫瘍や結核などの呼吸器疾患を患っている。結核の蔓延には貧困による栄養不足などの複合的な原因があると言われている。飲料水も問題であり、カルシウムやマグネシウム、ナトリウム、微細な砂を含む飲料水を長期間飲み続けている住民は腎臓疾患を発症している。井戸水を飲む地域では農薬由来の化学物質やリン肥料由来の重金属類が混入し健康被害が深刻である。灌漑後の排水が流れ込むサリカミシュ湖では殺虫剤や除草剤の混入レベルが高く、商業的漁業は1987年に禁止されたが守られていない。
再生への取り組み
20世紀
1980年代のソ連ではペレストロイカやグラスノスチが進んだ。1988年の第19回ソ連党協議会ではアラル海の惨状が議題に上り、主要閣僚が反省の弁を述べた。翌年、ソ連最高ソビエトは「国の環境健全化の緊急措置について」を発表し、海外の専門家に「アラル海復興構想」を募集することにした。1992年から1993年ごろ、カザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・タジキスタン・キルギスタンの五カ国は「国家間水資源調整委員会」(ICWC)、「アラル海流域問題国家間会議」(ICAS)、「アラル海救済国際基金」(IFSA)を創設した。しかしタジキスタン内戦などが起こり、対策は遅々として進まなかった。
小アラル海
カザフスタン政府はシルダリヤ川の水が大アラル海に流出しないように、堤防を建設することにした。しかし1992年に作られた即席の堤防は土砂を積んだだけの物だったために、1998年に完全決壊した。そこでカザフスタン政府は世界銀行から融資を受けて本格的な堤防を建設することにした。2001年から始まった「シルダリヤ川流路管理及び北アラル海プロジェクト」により、2005年8月にコカラル堤防(全長13キロメートル)が完成した。
コカラル堤防により小アラル海の水位が上昇し、表面積は1.5倍となり塩分濃度は半減した。それに伴い漁獲量は2004年の52トンから2008年には1490トン、2013年には5000トン以上に達すると予想されている。2009年現在、アラル港(アラリスク港)を復活するために、サルィーシャガナク湾に第二の堤防(サルィーシャガナク堤防)を建設する計画が持ち上がっている。しかしコカラル堤防のかさ上げによる水位上昇を期待する意見もあり、賛否が分かれている。サルィーシャガナク湾やシルダリヤ川の河口デルタにはバスタード・チョウザメやシルダリヤ・シャベルノーズ・チョウザメが生息し、秋にはカンムリカイツブリやセイタカシギなど約20万羽が営巣する貴重な自然が残っている。2012年2月には33万ヘクタールがラムサール条約に登録された。2013年現在、近隣の村では鯉やチョウザメなどを養殖し、放流していると言う。
大アラル海
一方、大アラル海はこのままでは2020年には干上がるという説がある。しかしアムダリヤ川の灌漑を全てやめたとしても回復までに75年かかると言う説もあり、世界銀行は大アラル海の救済には否定的である。他地域から導水する案も根強く残っており、2000年代前半、モスクワ市長のユーリ・ルシコフがシベリア河川転流構想の復活を主張した。ウズベキスタン政府は上流のダムの放水量の増加を期待しているが、冬季の水力発電が必要な上流国と夏季の農業用水を必要とする下流国では利害が一致しない為、キルギス政府やタジキスタン政府は消極的だという。中央アジアではキルギスのトクトクル・ダムの過剰放水による洪水や建設中のログン・ダムを巡るウズベキスタン政府とタジキスタン政府の対立など課題が山積しており、大アラル海の救済まで手が回らないのが実情である。またウズベキスタン政府は石油開発のために大アラル海の砂漠化を歓迎しているという意見もある。せめて塩害だけでも防ごうと、干上がった湖底に植物を植える草の根の活動があるが、貧困に苦しむ住民が冬場の燃料として刈り取ってしまい、なかなか上手く行かない。2004年以降、ウズベキスタン政府は漁業・農業・放牧、洪水対策、塩分飛散軽減のために、アムダリア河口デルタに複数の人口湖を作っている。また水源の塩分濃度の低下を目指して、湿原に葦原を構築する草の根運動も行われている。

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posted by datasea at 14:21| Comment(0) | % 松原照子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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