tacodayoのブログ
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/6297578.html
最後の法皇の名はローマびとペトロと名付けています。初代ローマ教皇の名はキリストの一番弟子だと言われた聖ペトロですが、これまで、この名が使われることはありませんでした。聖マラキは、最後の教皇にローマびとペトロと呼んでいます。
唖蝉坊の日記
http://d.hatena.ne.jp/k1491n/20130213/1360725092
「7つの丘の町」とはバチカンのあるローマ市を指しています。
ローマ聖庁が最後の迫害を受けるとは、 西欧社会にとてつもない事態が生まれること示しています。おそらく強大な宗教弾圧でしょう。多くの苦難の渦中で、子羊を司牧するとは、そのために数多くの犠牲者を出すが、それでも信徒は生き残ると言うことのようです。
7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下されるとは言うまでもなく人類に最後の審判が下されることをいっています。
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十の角、十人の王とはEU、ヨーロッパ共同体の主要10ケ国をさします。
「『あなたの見た十の角は、十人の王のことで あって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。』」(17:12)
「『あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。』」(17:16)
このEUと反キリストが、ローマカトリック、バチカンを火で焼きつくすと預言されています。
そして、バチカンが消滅した後、三年半=1260日間の間、反キリストがこの世を支配し、世の終わりがやってくることになっています。
「7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」
という『全ての教皇に関する大司教聖マラキの 預言(Prophetia S. Malachiae, Archiepiscopi, de Summis Pontificibus)』の預言と見事に符号していますね。
但し、Wikipediaに以下のとおりに書かれているように112代で終わるのではなく113代目がローマ人ペテロになるのが正解でしょう。
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「また、私が見ていると、一羽の鷲が中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた、『ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ。なお三人の御使がラッパを吹き鳴らそうとしている』。」(黙示録8:13)
当ブログで、現在までに5つの封印が開かれ4つのラッパが吹きならされたことはすでに解説しました。が、災いを告げる鷲の如くローマ法王ベネディクト16世が、みずから退位を表明しましたね。
普通は死ぬまで教皇職にとどまるものなのですが、生きたまま退位するのは600年ぶりとのことです。そして、それにあわせるかのような北朝鮮の核実験のニュース。
え?!
何故、ベネディクト16世の退位が災いの告知かって?
それは、『全ての教皇に関する大司教・聖マラキの預言(Prophetia S. Malachiae, Archiepiscopi, de Summis Pontificibus)』に、
「ローマ聖教会が最後の迫害を受ける間、 ローマ人ペテロが教皇に就く。彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、 7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」
とあるからです。
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唖蝉坊の日記
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3章19−24節 主の日
*この箇所は、口語訳聖書では、4章となっていますが、新共同訳では、3章の中に収められています。写本にもよりますが、新共同訳は、現在定本となっていますヘブライ語聖書に従ったものです。その「主の日」は、必ず訪れる、とマラキは言います(19節)。そして、高慢なものや悪事を行う者をことごとく焼き尽くす、と語ります。
この表現は、古くは『創世記』19章の「ソドムとゴモラの滅亡」でも使われますし、新約聖書でも『マタイによる福音書』13章36−42節でも、滅びのイメージとして使われています。戦火のイメージがあったかもしれませんし、20節で「義の太陽」という言葉が使われていますので、徹底的に滅ぼしつくすような旱魃のイメージがあったのかもしれません。砂漠の太陽と熱射に苦しめられる経験は日常的にあったでしょう。20節の「義の太陽」という言葉は、聖書ではここだけでしか使われていません。「その翼にはいやす力がある」と続けられていることから、いわゆる「有翼日輪」が考えられ、古代エジプトとか古代ペルシャのゾロアスター教(拝火教)、また、ローマ帝国のミトラ教など太陽崇拝で、「翼をもつ太陽」が礼拝されていましたが、ここでは、おそらく、バビロニア捕囚から解放してくれたペルシャのゾロアスター教からのイメージではないかと思われます。なお、「有翼日輪」は、現象的には日蝕と関係していると思われます。また、それが日本では「日輪」となったのです。また、初代キリスト教が、当時のローマのミトラ教の「冬至祭」(ミトラ教では太陽が新生されることを祝った)をクリスマスとして定めた時、マラキ書のこの言葉が「義の太陽」としてのキリストの誕生という意味で、クリスマスを12月25日に肯定させるのに用いられました。
マラキ書のここでは、「滅びの炎」に対する「いやしの義の太陽」ということで、「神のいやしと救い」をさすものとして使われています。「義の太陽」の光は、救いにあずかる者には救いのしるしであると同時に、悪を行うものには滅びのしるしとなる、というのです。そして、さらに、21節では、救いにあずかる者は、悪を行う者への神の滅びを実行する者となることが述べられます。個人的には、これは少し行き過ぎた考えではないかとも思いますが、マラキが語ろうとすることは、滅びを実行せよということではなく、悔い改めて神に立ち帰れ、ということです。モーセの教えを思い起こし、そこに立ち帰れと呼びかけるのです。また、マラキは、「大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす」(23節)と語ります。預言者エリヤは、紀元前9世紀ごろの人で、『列王記上』17章以下に登場しますが、エリヤの再臨は、その後、「主の日の救いのしるし」として考えられるようになりました。新約聖書の『マタイによる福音書』17章1-13の「イエスの変容」の記事にも、そのことが記されています。こうして、マラキは、滅びに至る前に、悔い改めて、モーセの戒めと教え(律法)に立ち帰ることを人々に呼びかけたのです。そして、新約聖書は、バプテスマのヨハネによるその悔い改めから始まりました。マラキとバプテスマのヨハネは年代的には大きな開きがありますが、その意味で、マラキ書は旧約聖書の最後の書物として置かれています。
マラキ書
http://www5a.biglobe.ne.jp/~fjelc/biblestudy/malachi/malachi5.html
在日朝鮮会社livedoorのゴキブリチョンにブログごと消されてしまいました。
で、彼らは勝利宣言してます。(^ー^)
正に大量殺人鬼の『黙示録の赤い馬』です。
言論には言論で挑めよー!
という言葉が通用しない、弾圧、抑圧、強制収用所、大量虐殺が特徴のブサヨ様々です\(^_^)/
本当ですか。。
よくそちらには勉強に寄っておりました。
閉鎖とは残念です(泣)
わたしは秘密情報保護法成立時代にこのseesaaでブログ削除やられました。seesaaは何の予告もなくやりますから、怖さは常につきまとっています。。
https://web.archive.org/
にブログの魚拓が残っている場合がありますので、探してみます。
転載させていただく場合があります。
よろしくお願いします。。
takodayoさんのブログは面白く、いつも楽しみにしていました。
復活祈ってます。
>タコさん
>
>Tacodayoのブログのタコです。
>
>在日朝鮮会社livedoorのゴキブリチョンにブログごと消されてしまいました。
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>で、彼らは勝利宣言してます。(^ー^)
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>正に大量殺人鬼の『黙示録の赤い馬』です。
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>という言葉が通用しない、弾圧、抑圧、強制収用所、大量虐殺が特徴のブサヨ様々です\(^_^)/
Tacodayoさま
WayBackMachine
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に魚拓が残っていました(嬉( ;∀;)
転載させていただきます。。
よろしくお願いします。。
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>で、彼らは勝利宣言してます。(^ー^)
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