2012年01月04日

絶対肯定

この日本の国とは不思議な国で、150年間隔ぐらいで伊勢神宮へ国民の過半数が参拝する現象「ええじゃないか」運動が自然と起こります。今からがちょうど、その時期に来ている感じです。
今朝の太陽から感じたことは、まさに「良いではないですか〜」の波動でした。「ええじゃないか」とは、まさにこの言葉通りに受け取れば良いです。東京弁では「いいじゃん」と言うのですかね?関西では「それで、ええやんか」でしょうか。バカボンのパパは「これで、いいのだ〜」でした。
前向きに歩きながら、すべてを肯定(こうてい:認めること)する絶対肯定とは大切な視点です。
この限られた期間限定の人生では、お得な目線です。右往左往するよりも、最善の道を歩かせます。
もし貧乏に苦しむ人がいても、その中でも楽しむ視点を忘れなければ、大丈夫です。力みを抜いた時に、具体的な行動が出ます。
やはり、この世は現状への感謝磁気の蓄積が、その人の先行きを分けます。
2010−11−19 

伊勢ー白山 道
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20111229







嫌なことが去る秘訣
今朝の太陽に手を合わせますと、「不自由も楽しむ」と浮かんで来ます。
考えて見ますと、私たちの心が期間限定で有限な肉体に降りて来るのは、不自由を体験したかったとも言えます。
わざわざ不自由の中に自分を置いて、それでも自分が何を思うか、何をするか・出来るのかを、自分自身が知りたかったのです。登山家が険しい山に登ることが、止められないことにも似ていますね。私たちも人生がどんなに嫌でも、また生まれ変わっても挑戦したいとアノ世で成るのです。それほど時間が無いアノ世は、退屈なのです。
嫌な会社や学校に行っている間は、たまの休みが本当に嬉しいものです。しかし、失業やひきこもりで家に居る間は、毎日が苦痛でしょう。あれほど欲しかった休日が、命も殺しかねない苦痛に変わるわけです。
子供の頃は、親から100円玉をもらうと嬉しくて、近所のお菓子屋さんに走ったものです。家から1万円札を盗んで、他の子供にお菓子を配る少年がいましたが、お菓子を買っても嬉しそうではありませんでしたね。お菓子が過剰で、有り難みが薄れていたのでしょう。たまにの100円玉が、私に買える喜びを教えてくれました。不自由なことこそ、人間に喜びと、改善するための進化成長を起こしてくれます。
紙に印刷されたお金をめぐって、大のオトナが真剣に阿鼻叫喚しているのは、子供(神)の目線には滑稽なものでしょう。でも、この不自由ゲーム(人生)を体験している間は、その紙の束縛のルール内で真剣に悩むのが「エチケット」なのです。
冷めた目で人生ゲームをしても、それは成り切っていない罰があります。周りのゲーム参加者には、迷惑にもなりかねません。せっかくのゲームがつまらなく成らないように、真剣にゲームに「興じる」(きょうじる:楽しむこと)ことが大切です。
嫌なことさえも、「シビレさせてくれるなあ」と冷静に見ることが出来れば大丈夫です。これが1番、嫌なことが去る秘訣です。
2010−11−19 

伊勢ー白山 道
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20111229


ラベル:伊勢神宮
posted by datasea at 02:46| Comment(0) | ◉ 日本神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: