2020年07月15日

折口信夫: 盂蘭盆と魂祭り〜古来の風習の記録と考察


折口信夫: 盂蘭盆と魂祭り〜古来の風習の記録と考察
折口信夫
■盂蘭盆と魂祭り
盆の月夜はやがて近づく。広小路のそぞろ歩きに,草市のはかない情緒を懐かしみはするけれども,秋に先立つ東京の盂蘭盆(うらぼん)には虫さえ鳴かない。年に一度開くと言われた地獄の釜の蓋は一片では済まなくなった。 それに「旧暦」が「月暦」に名を改めてからは新旧の間を行く在り来たりの一月送りの常識的方法が山家・片在所にも用いられるようになったので,地獄の釜の番人は「送迎にいとまない」と嘆いているのであろう。
諺に「盆と節句が一緒に来た」というその師走の大祓に祭りや盆を合わせた話をしてみたい。
「地獄の釜の休日が年に3度ある」ということは単に明治・大正時代の不整頓な社会に放たれた皮肉だと思ってはならない。
1月,2月,7月,9月,12月の5回に精霊が戻ってくるものと古くから信じられていた。徒然草の四季の段の終わりにも「この頃は京都では流行らないが,大晦日の晩に東北では精霊が来る」という風に見えている。年に5回行なっていた精霊会が,南北朝の時代には社会的勢力を失って,年にただ1回の盂蘭盆会に痕跡を残したのであるが,7月の盂蘭盆と12月の魂祭り(たままつり)とは古来の大祓の名残であると信じている。こういうことを言うと実際神仏混淆の形はあるが,諸君が心中に不服を抱かれる前に一考を煩わしたう問題がある。
それは民族心理の歴史的根拠を辿っていた時にたどり着く事実である。
外来の風習を輸入するには,必ず在来のある傾向を契機としているので,これが欠けている場合にはその風習は中絶すべき宿命を持っているのである。だから力強い無意識的模倣をするようになった根底には必ず一種国民の習癖に投合する事実があるのである。
斉明天皇の3年に飛鳥寺の西に須弥山の形を作ったという,純粋な仏式模倣の行事が次第に平民化するにしたがって,固有の大祓思想と復活融合をしたので,半年の間に蓄積した穢れや罪を禊ぎ捨つる大祓の日に精霊が帰ってくるということになった。
死の穢れを忌んだ昔の人にも当然縁のある精霊は迎えねばならぬとなれば,穢れついでに大祓の日に呼び迎え,精霊を送り返した後に,改めて禊ぎをするという考えは自然然るべきことである。
吉田兼好の時代,すでに珍しがられた師走の魂祭りは今日においてはその面影を残していないのは然るべきことである。
古代の人には,「折節の移り変り目は守り神の目が緩んで,害物のつけ込む都合のいい時である」という考えがあった。それゆえに季節の移り変わりごとに様々な工夫を持って悪魔を祓った。五節供はすなわちこれである。盂蘭盆の魂祭りにもこの意味のあることを忘れてはならない。
魂迎えには灯篭を重ねて迎え火を焚く。これは皆精霊の目につきやすからしむるためである。冥界に対する我祖先の見解は極めて矛盾を含んだ曖昧なものであった。
大空より来たる神も,黄泉より来たる死霊も冥界の所属という点ではひとつで,これを招き寄せるには必ず目標を高くせねばならぬと考えていたものと思われる。雨乞いに火を焚いて正月の15日あるいは盂蘭盆に柱松を燃やして,今は「送り火」として面影をとどめている京都左京の「左右大文字」,船岡の船,愛宕の鳥居火も等しく冥界の注意を引くという点に高く明るくという二つの工夫を用いているわけである。盆に真言宗の寺々で吹き流しの白旗を木の梢に立てているのは今日でもしばしば見るところである。
■標山
この柱松屋や旗の源流に遡っていくと,そこにありありと古代の大嘗会に引き出された標山(しめやま)の姿が見えてくる。天子登極の式には必ず神泉宛から標山というものを内裏まで引いてきたので,その語源を辿ってみれば,神々の 天下りについて考えるところがある。標山は「神の標めた山」という意味である。高天原から地上に降りて占領した根拠地なのである。標山には必ず松や杉や真木の一本優れて高い木があって,それが神降臨の目標となるわけである。
これを形式化したものが大嘗会に用いられるわけであって,ひとまず天つ神を標山に招き寄せて,その標山のままを内裏の祭場まで釣れますのである。今日の祭りに出る,だんじり,だいがく,だし,ほこ,やまなどは皆標山の系統の飾り物であって,神輿とは意味を異にしている。
■田楽と盆踊り
出雲国神門郡須佐神社では8月15日に「切明(きりあけ)の神事」ということを行う。その時には長い竿の先に割いた竹を放射して,それに御祖師花風の紙花をつけたものを氏子七郷から一つずつ出す。その儀式は竿持ちが中に立って,花笠をかぶった踊り手がその周囲を廻るそうである。
これは岩戸神楽と同様,髭籠(ひげこ)だけでは不安だというので,神を招くために柱を廻って踊ってみせるので,諸冊二尊の天の御柱を廻った話も,あるいはここに意味 あるのであろう。 摂津豊能郡の多田の祭礼にも同様なことが行われるという。長い竿を地面に掘り据えないで人が支えるというのは,神座の移動を便ならしめるためであって,神が直ちに神社に下りない証拠である。
「切明の神事」は旧幕府時代には盆踊りと混同して7月14日に神殿で行われて,名前さえ「念仏踊り」といわれていた。かの出雲阿国が四条河原で興行した「念仏踊り」もあるいは単に念仏を唱え数珠を首にかけていたからだとばかりは定められまい。それにはなお,かの難解な「住吉踊り」を中に立てて見る必要がある。
「住吉踊り」はおそらく祈年祭あるいは御田植神事(おんだじんじ)に出たものと思われるが,江戸には春駒,鳥追同様に正月に来たようだ。田の真ん中に竿を立てて,四方に万国旗を飾る時のように縄を引いて,これに小さな紙しでをたくさんつけておくところがあることなどを考えると,住吉踊りにはおそらく御田植神事に立てた花笠が傘に転じ,その周囲の切明の神事同様の意味で踊って廻ったものであろう。これは「田楽能」が有力な証拠をもたらしている。「田楽能」も田舞いの流とする学者の想像を信じることができるならば,田楽法師の持つ傘は田植えの時に立てられた髭籠(ひげこ)の一種なる花笠の観念化でなければならない。
田楽・住吉踊り・念仏踊りなど,その間の隔たりは天地の差である。しかしながら私はさらに盆踊りという証人を呼び出して,私の考えの保証をさせるつもりである。
「盆踊り」はなぜ音頭取りを中心としてその周囲に大きな輪を描いて廻るのであろうか?ということを考えると,そこに天の御柱廻りの形式の名残りを感じる。伊勢阪下の踊りはどんな月夜にも音頭取りが雨傘を広げて立つという。ちょっと考えてみると不思議なようであるが,この話を最初から注意深く読んでくださった方々にはある理解を得られたことだと思う。すなわちこれは花笠・髭籠であって,田楽能の傘である。切明神事の花笠持ち,盆踊りの音頭取りは神々のよりましてあったものであろう。我々の推測はさらに「百万遍」や幼遊びの「なかなかの小房主」にもまた大柱廻りの痕跡を見るのである。
盆踊りの輪形(わなり)に廻るのには,中央に柱があったことを暗示するのはもちろんであるが,時代によっては高灯籠なり切籠灯籠を立てたこともあったらしい。これらの灯篭が我々の軒端に移ったのはその後のことであろう。踊りにかつぐ花笠も依代の本意を忘れてめいめいにかぶったままで,自然導かれるべき問題は切明神事と盆踊りとの関係である。
地方地方によって盆踊りに立てる髭籠系統柱や竿は夏祭りのものと混同させられている。祭りと盆との期日の接近という唯一の理由を持って判断してしまえばそれまでであるが,はじめに述べた大祓えと盆との関係を根底に持ってかからなければ,隅ない理解は得られないのだろう。
ー古代研究/民俗学編, 折口信夫, 角川文庫

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clairvaux939: ミタール・タラビッチの予言

clairvaux939: ミタール・タラビッチの予言
ミタール・タラビッチの予言
※19世紀のセルビア人「ミタール・タラビッチの予言」があります。
https://yogen-blog.com/2012/04/10/%E3%83%9
(記事から抜粋)
第二の大きな戦争の後、世界が平和になり人々が豊かに暮らすようになると、それがすべて幻想であることがはっきりする。なぜなら、人々は神を忘れ、人間の知性のみを崇拝するようになるからだ。でも父さん、神の意志からみると人間の知性なんてあまりに取るにたらないものだ。神が海なら、人間の知性なんて一滴の海水にもならないくらいだ。』
世界中で奇妙な伝染病が蔓延する。だれもその治療法は分からない。だが、みな「私は高い教育があり、頭がいいから治療法は分かっている」と言い張るが、だれも何も知ってはいない。人々は考えるに考えるが、正しい治療法を見つけることはできない。だが、治療のカギとなるものは人間自身の中や周辺にあるのである。』
なかなか興味深いと思います。

オカルト通信
http://clairvaux939.blog.fc2.com/blog-entry-1658.html








ミタール・タラビッチの予言 (ヤス訳)
ミタール・タラビッチの予言
ミタール・タラビッチ(1829年〜1899年)の予言全訳
大きな戦争の後、世界各地に平和が訪れる。
いろんな新しい国々が誕生する。
黒、白、赤、黄色というような。国際的な裁判所(国連のこと)が作られ、国家が戦争をすることを許さなくなる。
この裁判所(国連)はすべての王(政府)の上に立ち正しい判断をくだす。
そして、憎しみと残虐性を愛と平和に変えるように努力する。
このような時代に生きるものはなんと幸運なことか。
しかし、しばらくすると、偉大な王(国家)や小さな王も裁判所(国連)への尊敬を失い裁判所をだまし、自分たちの好きなようにやるようになる。これが原因で多くの小さな戦争が始まる。そして何千人もの人々が死ぬが、それでも大きな戦争は起こらない。
イスラエルでもいくつかの戦争は起こるが、この地にも最終的には平和が訪れる。
これらの小さな戦争では兄弟同士が戦い、キスをして平和条約を結ぶが、憎しみは残る。
これらの小さな戦争は大きな国家(アメリカやソ連)によって引き起こされたものだ。
なぜなら、これらの大きな国家は悪意に満ちているからである。
そして相互に戦うはめになる国々は、自らの盲目的なバカさから戦うのである。
わが国(セルビア)では平和と繁栄の時期が長く続く。
何世代も人々は平和な時代に生き、人生を終わる。
戦争のことを人々は、知識を収めた本や証言、そして奇妙な装置を通して知る。(テレビのことか?)
わが国(セルビア、ユーゴスラビア)多くの人々に愛され尊敬される。
人々は白パンを主食とし、黒パンは欲しいときにしか食べない。
人々は牛が引かない車(自動車)に乗る。
そして空を飛んで旅をし、タラ山の2倍ほどもある高さから下を眺めるようにもなる。
セルビアは、青い目の白い馬に乗った人物が統治するときにもっとも繁栄する。
この人物はセルビアに新しい宗教のようなものを持ち込む。
彼は権力の頂点に上り、100歳に近い年齢まで健康に生きる。
彼は狩りの愛好者だが、狩りの途中で誤って落馬し、足を切断する。
この傷が原因で彼は死ぬ。年齢からではない。
彼の死後、国は一種の連邦制によって統治されるが、かつてのような状態には戻らない。わが国の国民は惨めさと飢えを忘れ、豊かさの中で暮らしているが、国民は互いに悪意を抱き憎むようになる。
われわれの国(セルビア)や、彼らの国の国境の先には新しい国が生まれる。新しい国々は雨後のタケノコのように誕生する。
そうした国々はもともと良心的で誠実だが、われわれの憎しみには憎しみをもって応える。これらの国々は、互いに兄弟でもあるかのようにめんどうを見合う。しかしわれわれ(セルビア人)は気が狂ったようになり、自分たちは全知全能でありなんでもできると信じ、彼らに自分たちの信念を強制する。だが、こうしたことはすべて無駄に終わる。なぜなら、彼らは自分たちしか信頼しないからだ。その後、これが原因となり大きな問題が起こる。だが、わが国(セルビア)は勇敢だ。
何年もこの問題は続くが、だれも止めることはできない。
なぜなら、雨後のタケノコのように新しい国々は次から次にできるからだ。
あなた(叔父の神父)の死後何十年もたってから生まれる指導者は、誠実で知的な人物だ。
この人物はこうした新しい国々と平和的な関係を結ぶ。
彼らは向こう側に、われわれはここと向こう側に住む。われわれは平和に暮らす。
父さん、第二の大きな戦争の後、世界が平和になり人々が豊かに暮らすようになると、それがすべて幻想であることがはっきりする。なぜなら、人々は神を忘れ、人間の知性のみを崇拝するようになるからだ。でも父さん、神の意志からみると人間の知性なんてあまりにとるにたらないものだ。神が海なら、人間の知性なんて一滴の海水にもならないくらいだ。
人間はさまざまなイメージが見える箱のような装置を作る。この箱を介して私にコミュニケートしようとしても無駄だ。
このとき私はすでに死んでいるのだから。
でも、このイメージの箱は、向こう側の世界(死者の世界)にとても近いところにある。
それは、髪の毛と頭皮との距離くらいに接近している。
このイメージ装置のおかげで人々は世界中で起こっていることを見ることができるようになる。
人間は地中深くに井戸を堀り、彼らに光とスピードと動力を与える金を掘り出す。
そして、地球は悲しみの涙を流すのだ。なぜなら、地中ではなく地球の表面にこそ金と光が存在するからだ。
地球は、自らに開けられたこの傷口のために苦しむだろう。
人々は畑で働くのではなく、正しい場所や間違った場所などあらゆる場所を掘削する。
だが、本物のエネルギー源は自らの周囲にある。
エネルギー源は
「見えないの?あなたの周囲にある。私をとって」
などと言うことはできない。
長い年月がたってからやっと人間はこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことがいかに馬鹿げていたのか後悔するようになる。
このエネルギー源は人間の中にも存在しているが、それを発見し取り出すには長い歳月がかかる。
だから人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。
高い教育を受けた人々が現れる。
彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。
彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。
だが、人間が一度この気づきを得ると、こうした教育ある人々の言葉に聞き入っていた自分自身がいかに大きな錯覚に陥っていたのか自覚するようになる。
この本来の知識はあまりに単純なので、これをもっと早く発見しなかったことを後悔する。
人間は、何も知らないのに自分を全能だと思い込み、あらゆる馬鹿げたことをする。
東洋に賢者が現れる。この人物の偉大な教えは大海と国境を越え世界に広がるが、人々はこの真実の教えをウソと決め込み、あまり長い間信じることはない。
人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。もっと悪いものにのっとられるのだ。
人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。
ここセルビアでも世界の他の地域と同様である。
人々はきれいな空気を嫌い、神々しいさわやかさと美しさは、人間が作った上下関係の階層関係のもとで見えなくなってしまう。
だれも彼らを強制するわけではない。
人間は自分の自由意思からこうしたことを行うのだ。
ここクレムナでは、多くの畑が牧草地となり、多くの家が放棄される。
でもこの地を離れたものは、きれいな空気で自分を癒そうとまた戻ってくる。
セルビアでは男と女を区別することはできなくなる。みんな同じような服装になるからだ。
災いは海外からやってくるが、それはわれわれの間に長くとどまることになる。
新郎は花嫁をめとるが、だれがだれなのか分からなくなる。
人々は自分自身が分からなくなり、なにも感じなくなる。
多くの男は、自分の祖父や曾祖父がだれなのか知らない。
人間は自分がすべて知っていると思っているが、実はまったくなにも知らないのだ。
セルビア人は互いに分裂し、自分たちはセルビア人ではないと言い張ることになる。
邪悪なものたちがこの国を支配し、セルビア人の女性たちと寝床をともにする。
セルビアの女達は邪悪なものたちの子を身ごもるが、この子供たちは、世界が始まって以来、セルビアではもっとも劣った子孫となる。
虚弱なものだけが生まれ、真のヒーローが生まれることはない。
ある時期、われわれはセルビアの地から去ることになる。
われわれは北に行くが、そこでこれが馬鹿な行いであったことに気づき、もといたセルビアの地に戻ってくる。
戻るやいなや、賢くもわれわれは邪悪なものたちを追い払い、彼らを二度と見ることはなくなる。
世界中で奇妙な伝染病が蔓延する。だれもその治療法は分からない。
だが、みな
「私は高い教育があり、頭がいいから治療法は分かっている」
と言い張るが、だれもなにも知ってはいない。
人々は考えるに考えるが、正しい治療法を見つけることはできない。
だが、治療のカギとなるものは人間自身の中や周辺にあるのである。
人間は他の世界(惑星)に旅行するが、そこでは生命が存在しない砂漠を発見するだけである。
神よ、許したまえ。
彼らは自分たちが神よりも全知全能であると信じているのです。
そこでは神が創造した静けさだけがあるが、心の底では人々は神の美と力を見るのである。
月や星では人々は馬車のようなものを運転する。
彼らは生物を探すが、われわれに似た生物は見つかることはない。
生命はそこに存在しているが、彼らはそれが生命であることを理解しないし、知ることもない。
他の星に行ったものたちは、この時代の常識的な考えとして神をまったく信じていないが、地球に戻ってきたあと、
「みなさんは神の存在を疑っているだろうが、私の行ってきた世界に行ってごらんなさい。神の意志と力を見ることになる」
と言うだろう。
知識が増大するにつれ、彼らは互いを愛したり心配したりすることはなくなる。
彼ら相互の憎しみはあまりに大きく、彼らは自分の親戚のことよりも、自分たちのもっている所有物や小物のことを気にかける。
人々は、自分の隣人よりも、自分がもっているいろいろな機械や装置のほうを信頼する。
北方にある国の国民で、愛と慈悲を人々にといてまわる小男が現れる。
しかし、彼の周囲には多くの偽善者がおり、多くの浮き沈みを経験する。
こうした偽善者のだれも人間の真の偉大さとはなにかを知ろうとはしない。
だが、この人物の書いた本と話した言葉は残るので、人々は自分たちがいかに自己欺瞞に陥っていたのか気づくようになる。
多くの数字が書かれた本を読んだり書いたりするものが、自分たちがもっともよくものを知っていると考える。
これらの教育のある人々は、自分の人生を計算に基づいて送ろうとし、数値の命ずるままに行動する。
こうした人々の中にも悪人と善人が存在する。悪人は悪い行いする。彼らは空気と水、そして河川や土地を汚染し、このため人々はさまざまな病気で突然と死ぬようになる。
善人で賢いものたちは、彼らの努力にはなんの価値もなく、ただ世界を破壊するだけであることを悟り、数字に答えを見いだすのではなく、瞑想を通して真実を発見しようとする。
彼らが瞑想すると神の知恵に近付いて行く。
だが、ときはすでに遅すぎた。
悪意をもつものたちが全世界を荒らし回っており、巨大な数の人々がすでに死にはじめているからである。
人々は都市から逃げ出し、田舎に避難する。
人々は十字が三つ並んだ山を探す。
その中では人々は息をすることができ、水も飲むことができる。
この中に逃げ込んだものたちは、自分も家族もともに救うことができる。
だが、それは長くは続かない。なぜなら、すごい飢饉が襲うからだ。
町や村には十分に食べ物がある、
だが、それらは汚染されている。
飢えた人々はそれを食べるが、食べたとたんに死んでしまう。
早く死んだものたちこそ逆に生き延びるのだ。
なぜなら、聖霊に助けられ神に近付くことができるからだ。
もっとも怒ったものたちが、もっとも強大で恐ろしいものたちを攻撃する。
このひどい戦争を空で戦うものたちには大変な災いとなる。陸上や海上で戦うものたちのほうがまだましだ。
この戦争を戦うものたちは、科学者に奇妙な大砲の弾を作らせる。
それが爆発すると、人を殺すのではなく人間や動物に呪いをかける。
この呪いで人々は戦うかわりに眠りに眠りこむ。
セルビアはこの戦争に参戦することはない。だが、わが国の上空で別の国の軍が戦う。
ポゼガという町の近くで、空から焼け焦げた人々が落ちてくる。
世界の果てにあり、大海原に囲まれ、ヨーロッパくらいの大きさの国だけがなんの問題もなく平和に生き残る。
この国では大砲の弾はひとつも爆発することはない。
三つの十字のある山に逃げ込んだものたちだけが避難場所を見つけ、愛と幸福に満たされ、豊かに暮らすことができる。
なぜならもう戦争は起こらないからである。

ヤスの備忘録2.0 歴史と予知、哲学のあいだ
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-162.html#comment13974

夢日記
http://datasea.seesaa.net/article/463821444.html








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不破雷蔵: モバイル端末の利用分布をさぐる(2020年公開版)〜ガラケー・スマホの勢力地図






不破雷蔵: モバイル端末の利用分布をさぐる(2020年公開版)〜ガラケー・スマホの勢力地図
メインで使うモバイル端末のサービス事業者の実情をさぐる(2020年公開版)
不破雷蔵 | 「グラフ化してみる」「さぐる」ジャーナブロガー 検証・解説者
7/15(水) 11:33
今では誰もが使っていると表現しても過言ではない、従来型携帯電話やスマートフォンに代表されるモバイル端末。それらはどのような契約形態で用いられているのか。総務省が2020年5月29日に詳細値を発表した「通信利用動向調査」(※)の公開値を基に確認する。
■機器別分布
示すのはモバイル端末を保有している人に限定し、メインで使っているモバイル端末がどのような契約形態なのかを確認した結果。従来型携帯電話(PHS含む)かスマートフォンか、それぞれについて主要事業者(NTTドコモ、au、ソフトバンク、ワイモバイル)との契約なのか、MVNOでの契約(つまり格安スマホや格安従来型携帯電話)なのかを答えてもらったもの。全体では
69.5%がスマホを主要事業者契約で使う人、
20.8%が携帯電話を主要事業者契約で使う人、
08.8%がスマホをMVNOで使う人、
00.9%が携帯電話をMVNOで使う人。
モバイル端末を使っている人のうち
80.0%近くはスマートフォン、
20.0%強が従来型携帯電話を使う人、
08.8%が格安スマホを使っている人、
など、モバイル端末の実情を色々な観点で確認することができる。
■年齢階層別分布
年齢階層別ではおおよそ若年層ほどスマートフォンが多く、年が上になるに連れて従来型携帯電話が多くなる。従来型携帯電話の利用率がスマートフォンの利用率を上回るのは75〜79歳以降。また、格安スマホは若年層ほど利用率が高いが、ピークは30代で14.9%。6〜12歳や13〜19歳でも1割以上は格安スマホ。
世帯構成別では高齢者がいる世帯では従来型携帯電話が多くなる傾向がある。特に高齢者のみの世帯では過半数が従来型携帯電話となる。
世帯年収別ではほぼ綺麗な形で世帯年収が増えるに連れて従来型携帯電話の値が減る傾向がある。これはランニングコストの問題に加え、高齢者は世帯年収が低くなる傾向があるためだろう。他方、世帯年収が増えるのとともに、おおよそ格安スマホの値も増えていくのは興味深いところ。
今件はあくまでもメインで使っているモバイル端末について尋ねたものであり、2台以上を併用している人は今回回答した以外の契約形態の場合もある。そのためモバイル端末全体の比率とは一致しないことに注意が必要。
とはいえ、メイン使用のモバイル端末がどのような契約形態なのか、その実情を確認できるのは、大いに意義があることに変わりは無い。例えば各種サービスの需要を推し量ることができるからだ。

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不破雷蔵: ラジオの普及状況をさぐる






不破雷蔵: ラジオの普及状況をさぐる
ラジオの世帯単位での普及状況をさぐる(2020年公開版)(不破雷蔵)
ラジオの世帯単位での普及状況をさぐる(2020年公開版)
不破雷蔵 | 「グラフ化してみる」「さぐる」ジャーナブロガー 検証・解説者
テレビ・ラジオ・新聞・雑誌からなる4大従来型メディアの中で、先の東日本大震災の際に大いにその存在意義を見直されたラジオ。かつては多くの人が心の友にしたであろう存在だが、最近では聴く人も少なくなっているとの話もある。そのラジオに関する世帯ベースでの普及状況を、総務省が2020年5月29日に詳細値を発表した「通信利用動向調査」(※)の公開値を基に確認する。
■若年層の単身世帯が2割台
示すのは回答者の世帯におけるラジオの保有状況。なお機器そのものは存在していてもお蔵入りなどの理由で過去1年間に一度も利用していない、あるいは自前での調達ではないものは該当しない。要は今現在でも利用しているラジオが自宅にあるか否か。
全体では4割台の世帯がラジオを保有していることになる。しかし
20代世帯で3.3%、
30代世代で16.2%、
40代世代で35.0%。
50代以降で50.0%以上、
70代世代は75.0%以上
の世帯が保有している計算。この動向を見るに、昔からラジオを保有し聴いている世代はそのまま維持しているが、若い世代は必要性の観点などから親元から離れて暮らすようになってもラジオは購入せずに生活している実情が透けて見える。あと10年も経過すれば、その時の30代の保有率も(今現在の20代がそのままシフトして)数%となるだろう。あるいは必要性が無くなったことから廃棄し、さらに落ち込みを見せるかもしれない。
世帯構成別では若年層の単身世帯が2割台と低い値。また、高齢者を含む世帯が一段と高い値を示していることから、高齢者における保有率が高いことが再確認できる。 世帯年収別では特段傾向だった動きは無し。金銭的余裕によってラジオの保有率に影響が生じることは無いようだ。
■大都市や周辺で低め
あまり深い意味は無いかもしれないが、都道府県別の保有率の実情を示したのがグラフ。 明確な傾向だった動きは見いだせない。
あえていえば東京都や大阪府などの大都市やその周辺で低め、東北地方や中部地方で高めな感はある。
もっとも低い値を示したのは愛媛県・山口県の34.5%、
高い値は秋田県の60.5%。
あるいは東北地方で高い値が出ているのは、先の東日本大震災で存在意義が見直されたことの名残だろうか。

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