2020年05月16日

ジム・ペニストン: 未来人のメッセージ〜幻の古代ハイブラシル島の記録

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ジム・ペニストン: 未来人のメッセージ〜幻の古代ハイブラシル島の記録
■レンデルシャム事件
1980年12月25日から28日の朝にかけて,英国サフォーク州にあるウッドブリッジ空軍基地(Woodbridge)に隣接したレンデルシャムの森の上空に色とりどりの光を放つ UFO が出現して,軍人や民間人による目撃が相次いだ。
当時ウッドブリッジ基地は米空軍によって使用されていたが,光る物体が森に降下していくのを見た警備兵が 「UFO が墜落していった」と通報。調査のために現場に赴いた兵士たちの証言で,実際は UFO の着陸であったことが明らかになった。その後「レンデルシャムの森のUFO着陸事件(レンデルシャムUFO事件)」として世界的にも知られるようになったこの事件は,米空軍基地近くで起きたこと,軍が事件を隠蔽したことから「イギリス版ロズウェル事件」と例えられているが事件の真相は謎に包まれたまま今年で40年を迎えている。
ウッドブリッジ空軍基地は かつて核兵器保管施設であって,ヨーロッパ最大のアメリカ陸軍所属戦闘機の駐機場でもあった。こうした背景がある場所で起きた驚くべき UFO着陸事件。
それを目の当たりにした友人の一人がジム・ペニストンだ。三等軍曹として長い間空軍に勤務してきたペニストンは1982年にサフォーク州のベントウォーターズ空軍基地の第81戦術戦闘機団に配属された。任務はアメリカ空軍基地における警備担当・地域管理であった。勤務地はウッドブリッジ空軍基地から約6.4 km 離れたレンデルシャムの森の中にあった。
レンデルシャムUFO事件は翌年1981年1月13日,ウッドブリッジ空軍基地の副司令官チャールズ・ホルト中佐が公式報告書を作り,英国国防省に提出後そのまま極秘文書として処理されていた。
ところが1983年にアメリカの情報自由化法によって,この通称「ホルト文書」が一般に公開され注目を集めた。一早くこのホルト文書を入手してこのレンデルシャムUFO事件を初めて世に伝えたのがイギリスのゴシップ紙「ニューズオブザワールド(News of the World)」紙であった。
異星人の情報を紙に流したのは当時頻繁にマスメディアに登場した元兵士ラリー・ウォーレンである。彼は森の中で物体を間近に見たばかりではなく,調査のために事件現場に派遣されていたと公言し一躍脚光を浴びることになった。その後彼は1984年10月日本テレビの招きで来日。 筆者は彼に直接インタビューする機会を得ている。

■未来人の文字コード
1982年12月26日,同じレンデルシャムの森でもう一つの事件が起きていた。これはジム・ペニストンの証言で詳細が明らかになった事件である。
ジムは下士官のジョン・バロウズとレンデルシャムの森の中で三角形のUFOと接近遭遇していた。
ペニストンによれば1980年12月25日〜26日にかけて夜勤のシフト中に事件が起きたという。最終シフトは12月26日午前6時30分に終了する予定であった。しかしハプニングが起きた。 UFOが出現したのである。
ペニストンは現場空域で民間機・軍用機ともに飛行していなかった事実を確認後,墜落事例用検査キット,懐中電灯,無線機などを用意してジープで現場に向かった。
舗装のない道路をしばらく走って森に入った。森の中の開けた場所を走り続けたがやがて木々に遮られて前に進めなくなった。ペニストンたちはジープから降りて前方に見える光に向かって歩いていった。途中無線機での交信が不安定になって,空軍下士官をジープに待機させ,CSCに報告するように指示を出した。
ペニストンは光に近づいていった。 森の中でパチパチと焚火の木が弾けるような音が聞こえ,針で突き刺されるような感覚に見舞われた。 周囲に静電気がみなぎっていた。 なんとか体を動かして光に向かって進んでいくが,方向感覚がなくなって,奇妙な陶酔感と時間が歪んで流れが緩やかになったような感覚に陥る。 明らかに光の周囲が異常空間と化していた。光に進むと黄色がかった白い色の光のドームが地表に出現していた。その明るい光が暗くなって灰色・白・黄色っぽい泡が暗い色の物体から発せられていた。
ペニストンは勇気を振り絞って光のドームの中に入った。するとそこには表面がガラスに似た滑らかな黒い物体つまりUFOが存在していた。球根のような形で宙に浮いていた。ペニストンは機体が3箇所から発する光に支えられていることを確認した。地表には光の位置と一致する形で深さ5cmほどの円形の穴が三つあった。 物体の観察中に機体の左側に象形文字のような模様とも記号もつかないものがあるのに気づいた。 それぞれの記号の大きさは縦60cm横7.5cmほどだった。
その後12月26日,ペニストンはUFOが着陸した地点を2度訪れた。2度目に行った時は現場の土壌に残っている少しへこんだ部分の石膏型を取った。丸く直径17.5cm,深さは3.5cmほどであった。注目すべきは三つ残されていた着陸脚部の痕跡の位置が3 m間隔で完全な正三角形を描いていたことである。
ペニストン調査チームは空軍特別捜査局の面談を受け,軍部が準備した証言書類の内容を暗記して,どんな組織や人から質問されてもその通りに対応するように命令された。
そして 1981年1月の終わり計画プログラムという新しい部署への配属に配属された。ペニストンは昇進したのである。しかしペニストンには特別捜査局の自白剤まで使った厳しい尋問にも屈服せずに明かさなかった秘密があった。
それはUFOの機体に触れた際に脳内に数列が刻印されてしまった事実についてである。ペニストンがUFOの機体に直接触れた時の状況を今一度再現しておく。まるで誘導されるように機体に近づいて手で触ったその瞬間眩しい白い光に包まれた。そして瞬間的に脳裏に0と1の数列が浮かんだというのである。ペニストンが触ったのは三角形が描かれている部分であった。どのくらい時間が経ったのかわからない。次に気付くと彼は機体のすぐ横に立っていたという。

翌日12月27日の朝,ペニストンは勤務後に帰宅したものの,とても眠れる状態ではなかった。前の晩の光景が脳裏を離れず,なぜか1と0という数列が繰り返し思い浮かぶ。それは心の目に映っていたというほうが真実に近いかもしれない。フラッシュのように目まぐるしく訪れるイメージに突き動かされて,彼はひたすら手帳に数字を書き込んだ。それは16ページにも及んでいた 。
この時点ではもちろん膨大な数列が何を意味しているのか全く分からなかった。不思議なのは,数列を書き終えたところで言葉では 表現できない焦燥感が完全に消えて全身が達成感で満たされたことであった。それ以来数列が脳裏に思い浮かぶことは一度もなかった。
賢明なる読者諸君は0と1から構成されるそうですという意味で「バイナリコード」を思い浮かべるだろう。これは0と1の組み合わせに意味を持たせるシステムであって,人間が作ったプログラムをコンピューターに理解できるように二進法のコードに翻訳したものである。コンピューターは二進数しか理解しないために,文字データも0と1で表現する。
1993年ペニストンは軍を退役した。 しかし数字を記録した手帳の存在は誰にも伝える事もなくひたすらに隠していた。その間 UFO事件に関する書籍やドキュメンタリー番組に関する書には接したもののペニストンが満足できるものは何もなかった。ペニストンの願いはただ一つ。全くバイアスがかけられない形で自分の体験をありのままに伝える方法を見つけることであった。
2010年,ペニストンはかねてよりコンタクトのあったリンダ・ハウに初めて数列を記録した手帳を見せた。リンダはフィールドワークを主体として活動中の UFO研究家で一方ではジャーナリストとしても第一線で活躍していた人物。 レンデルシャムUFO事件とペニストンの体験に着目していたリンダは手帳を見て瞬時にこれは事件の決定的な要素となると確信。この数字の羅列こそバイナリコードである可能性をすぐに悟った。リンダはその道のエキスパートとして名高いジョー・ルシアーノに数列の解読を依頼。物事が大きく動き出すことになった。2012年。ついに16ページにわたるバイナリーコードの内容がついに明かされた。
■ハイブラシル島
バイナリコードはペニストンがUFOの機体に刻まれた象形文字のような記号に触ったからこそ手に入れることができた情報に他ならない。記号に触れたことでバイナリコードを脳内にダウンロードできるシステムが作動したのだろう。
コードに示されていたのは,世界各地の聖地とされる場所,それも歴史的に大きな意味を持つ場所ばかりである。
ただし不明な座標があった。
北緯52.0942352
西経13.131269
という座標である。現在何もない北大西洋上の一点だったからだ。 なぜ何もない洋上の地点が含まれているのだろうか?それが2度も示されているのである。二度目は起源地となっており後日その場所にこそ事件の核心となる最重要な存在が示唆されていることが分かったのである。。
この座標は「ハイブラシル」という名前の伝説の島があったとされる。
アイルランドの西の沖合320kmの北大西洋上の位置を示していたハイブラシルこそ「アイルランドのアトランティス」「第二のアトランティス」と呼ばれる謎の島だ。1374年〜1595年に作られた地図では必ずハイブラシル島が描かれている。 ハイブラシルは数年に一度深い霧に包まれた状態でしか姿を現さないと伝えられている謎とロマンに満ちた幻の島だったのである。しかしアトランティスと違いハイブラシルに関する文献は数多く残されている。
そこは豊かな自然に恵まれた島で,高度な文明が栄えた。島を訪れた人は口をそろえて,壮麗な建物が並ぶ都について熱っぽく語ったという。黄金のプレートが敷き詰められた屋根。まるまると太った牛の群れが飼われている広大な牧草地。そして裕福で知的な島民たち。島に関する神話や伝説は枚挙に暇がない。
ペニストンが受け取ったメッセージには世界各地の有名遺跡や聖地が含まれていたということは,ハイブラシル島もまた聖地であって,同じ遺跡が存在したのではないか? 解読された座標には「起源地」と示されていた。つまりハイブラシル島はレンデルシャルUFOの起源だったことになる。
レンデルシャム UFO がタイムマシーンで,その乗員が異星人ではなくて地球の未来人だったとするならば,彼ら地球の未来人は1980年のイギリスだけに特化してやってきたとは思えない。バイナリーコードの座標に示された遺跡や土地にはその時代ごとにことごとく訪れていたはずである。。
その訪問は人類が誕生した過去にまで遡っているかもしれない。 フォン・デニケンやセカリア・シッチンが提唱するこの宇宙考古学では,異星人が大昔からこの地球に干渉して人類創造にまで関与したと言うか説が唱えられている。しかしそれは実際は異星人ではなく特には神として崇められた彼ら地球の未来人だったのではないだろうか?
その起源となるのがハイブラシル島である。この島の座標が念を押すかのように2度も書かれている。彼らの起源=故郷である。ハイブラシル は彼らタイムトラベラー達が太古〜現在〜過去の時代まで時空連続体をタイムワープしてきた原点であって,特別な場所なのである。
グーグルマップで見ると,ハイブラシルの場所はヤマアラシ錐とヤマアラシ海曲部といわれるアイルランド大陸棚の一部が盛り上がった海底地形になっている。現在はサンゴ礁が密集した絶好の漁場でもある。約12000年前に氷河期が終わって海面が上昇する以前は海面に出ていた可能性が高いという。海底地形が海面に出ていれば地図に描かれたハイブラシルの形状に近いといわれる。
伝説の島といわれるハイブラシルであるが,その名前は古くから文献に記録されており,1674年にはフランスからアイルランドへ航海中の船員がハイブラシル島に上陸したという記録を残している。上陸した船員は,島に石で作られた巨大な城のような構造物があって,馬や牛や黒ウサギがいたと証言している。さらに音楽や音波で大きな物体を動かしていたという目撃証言があり,ハイブラシル島には高度な科学技術と膨大な富が眠っていると信じられてきたのである。ハイブラシル島は宇宙のすべてを知り尽くした魔法の力を持つ聖職者が支配していたと言われる。

ー雑誌ムー,2020年,


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.........

・1ページ
EXPLORATION OF HUMANITY
(人間性の探求)
666 8100
・2ページ
北緯52.0942352
西経13.131269
・3〜5ページ
COUNINOUS FOR PLANETARY ADAN??
(惑星の進化のための連続的な4つの座標 )
・6ページ〜13ページ
北緯16.763177
西経89.117768
(ベリーズのピラミッド)
北緯34.800272
西経111.843567
(米国アリゾナ州セドナの南,モンテズマ城)
北緯29.977836
東経13.1649
(ギザの大ピラミッド)
南緯14.701505
西経75.167043
(ペルーナスカの地上絵)
北緯36.256845
東経117.100632
(中国山東省)
北緯36.110195
西経25.372281
(ギリシアナクソス島アポロン神殿の門)
・14ページ
EYES OF YOUR EYES
(汝の目の目)
・15ページ
北緯52.0942352
西経13.131269
ORIGIN
(起源地)
・16ページ
ORIGIN YEAR 8100
(起源の年8100年)

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ムー 2020年5月号 [雑誌] - ムー編集部
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雑誌DIME: タピオカブームの次はバナナジュース

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Boccacio「デカメロン」〜中世ペスト終焉後の世界はどうなったか

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Boccacio「デカメロン」〜中世ペスト終焉後の世界はどうなったか
人類と感染症の歴史 克服した文明のみが生き残る
5/15(金) 7:05配信
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は5月1日、「多くの市民の協力により爆発的な感染拡大(オーバーシュート)は免れたものの、長丁場に備え、感染拡大を予防する『新しい生活様式』に移行していく必要がある」と提言した。世の関心は「いつになれば元通りの生活ができるのか」という一点に集中するが、もう“元通りの生活”は戻ってこないと覚悟するべきなのだ。つまり、私たちはこれからも、この新しいウイルスと生きていかなければならないにほかならない。ひとまず4日には緊急事態宣言が延長され、子供たちの休校や外出自粛期間は継続されることになった。社会生活や経済活動が大きく制限され、レジャーはもちろん、職場に行くことや買い物さえままならない。新たな収録を行えないため、テレビをつけても「総集編」や「再放送」ばかり──「こんな異常事態は経験したことがない」。誰もがそう感じているはずだが、実は有史以来の人類の歴史を振り返ると、そこには常に感染症との闘いがあったといっても過言ではない。
古くは14世紀に流行したペスト。「黒死病」と呼ばれヨーロッパで猛威をふるい、人口の約半数が死亡したとも伝えられる。そんな折に書かれたのが中世イタリアを代表する文学作品『デカメロン』だ。
このタイトルはギリシャ語で「10日間」という意味を持つ。都市部のフィレンツェからペストを避けて田園へと疎開した富裕な男女10人が、10日間を使って1日1話ずつ語るという設定で、エロスもふんだんに盛り込まれる同作だが、現代に至るまで傑作であると評価されるのは、彼らの語る物語の背景に「ペストへの恐怖」「死からの心理的逃避」があるからだといわれる。
ペストによってヨーロッパは人口激減に見舞われ、社会は大きな変革を迎える。それまで農民は封建領主に奴隷のように扱われてきたが、ペストで農民の数が激減したことで、そうした荘園制が崩壊。キリスト教の厳格な支配も、「こんなに無慈悲に人が死んでいくのだから、神なんているはずがない」という庶民の“気づき”によって崩れていく。疫病は結果的に、封建的身分制度を解体させ、中世という暗い時代が終わりを告げる。ペスト流行が落ち着いたとき、ヨーロッパでは華やかで人間的なルネサンス期が始まり、近代へ続く扉が開いた。
このように感染症は世界史にも大きく関与し続けてきた。
時は大航海時代の16世紀。スペインの軍人フランシスコ・ピサロは、金銀を産出する南米のインカ帝国を征服しようと侵攻する。当時、皇位継承をめぐり内戦状態にあったインカ帝国の混乱に乗じ、たった170人の兵で8万の兵を擁するインカ帝国を征服したと伝わる。
なぜそんなことができたのか。教科書のうえでは「馬と鉄器」を持つスペインと持たないインカの「軍事力の差」として説明される。しかし実はその背後には伝染病の「天然痘」があった。すでに免疫を獲得していたスペイン人が天然痘ウイルスを持ち込み、免疫を持たないインカ側は人口の6〜9割もの人たちが天然痘によって命を落としたとされる。先住民らは、病に屈しない侵略者と自分たちの違いは「信仰」にあると考え、キリスト教を信仰するようになった。
■石川啄木、樋口一葉、竹久夢二、中原中也も
東京外国語大学大学院教授で国際政治学者の篠田英朗さんが解説する。
「スペインによるインカ帝国征服では、武器で殺された先住民よりも天然痘の感染によって死んだ人の方が多かった。一方で、第一次世界大戦時には、アメリカで生まれ、アメリカの軍人が持ち込んだウイルスが原因である『スペイン風邪』によりヨーロッパの没落が加速。ウイルスを持ち込んだアメリカは一層の覇権を獲得しました。すなわち、感染症を克服した文明は生き残り、そうでない方が淘汰されるということが、人類の歴史では繰り返されてきたのです」
新型コロナの感染拡大とともに再び脚光を浴び、この4月、国内での累計発行部数が100万部を超えた小説がある。ノーベル文学賞受賞作家、アルベール・カミュの小説『ペスト』(1947年発表)。突然降り注ぐ感染症という不条理な災厄に対して人々がどう立ち向かうかを描いた物語で、現代の新型コロナに苦しむ私たちと符合する点があまりにも多い。
日本でも、明治期に活躍した歌人の正岡子規もやはり感染症である結核に苦しみ、そして死に至った。この病気で落命した文化人は石川啄木、樋口一葉、竹久夢二、中原中也など枚挙にいとまがない。
このように、周期的に見舞われる感染症は、これまでも人類の持つ文明や生活に大きなインパクトを与えてきた。その影響を受けるのは、われわれ人間だけにとどまらない。
『ざんねんないきもの事典』(高橋書店)の監修を務める動物学者で日本動物科学研究所所長の今泉忠明さんが話す。
「1億4000万年もの長い間、地球上に生息し、陸上で最も繁栄していた生物だったとされる恐竜も、一説にはウイルスによる伝染病で絶滅したといわれています」
感染症の原因となる病原体には細菌やウイルスなどがあり、今回の感染症「COVID-19」は、「新型コロナウイルス」と呼ばれるウイルスが“犯人”だ。ウイルスの起源には諸説あるが、少なくとも30億年前には存在したと考えられている。それに比べ、最も古い猿人の登場はおよそ700万年前といわれ、人類の方がウイルスよりもはるかに“新参者”というわけだ。つまり、「コロナウイルスさえなければ」という恨み節は、地球上の生物の歴史から見直すと筋違いといえる。ウイルスのように私たちも変化し、共存していく姿勢が求められているのだ。
※女性セブン2020年5月21・28日号

Yahoo!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200515-00000003-pseven-soci&p=3






ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』〜168人のスペイン軍が8万人のインカに勝利できた理由
外出自粛中に『銃・病原菌・鉄』を読んで分かった 人類史における「新型コロナ」の異様な恐ろしさ
5/2(土) 11:00配信
ジャレド・ダイアモンドによる異色の歴史書『 銃・病原菌・鉄 』。新型コロナウイルスの感染拡大を前に、この世界的ベストセラーを再び手に取る人が増えているという。本書に綴られた「人類とウイルスの歴史」から、“コロナ時代”を生きる私たちが学べるものとは――。大阪大学医学部教授で病理学の専門家、仲野徹氏が紹介する!
■『銃・病原菌・鉄』
『銃・病原菌・鉄』、いわずとしれた、ピューリッツァー賞に輝いたジャレド・ダイアモンドの名著である。
ニューギニア人であるヤリの「なぜヨーロッパ人がニューギニア人を征服し、ニューギニア人がヨーロッパ人を征服することにならなかったのか?」という問いに答えるべく書かれたこの本。人類1万3000年の歴史について、人類学、地理学、遺伝学だけでなく、植物学や言語学も駆使して、文字通り縦横無尽に論が展開されていく。
畢生の名著が快刀乱麻を断つがごとく導き出す結論は極めて明快である。世界における文明発祥の違いや現代世界における富と権力の不均衡を生み出したのは、「人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」ということだ。
さらに、「人類社会を形成したのは、征服と疫病と殺戮の歴史」であったとする。そのことを説明する顕著な例としてあげられているのが、スペイン人フランシスコ・ピサロによるインカ帝国の征服だ。文字を読むことすらできなかったピサロが、ならず者の部下といっしょに、いかにしてそのような「偉業」を成し遂げることができたのか、その答えが、タイトルの『銃・病原菌・鉄』である。
■168人の軍勢で8万人に勝利できた理由
1532年、ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会った時、一瞬といっていいほどの時間で、その勝負に決着がついた。何百万の臣民を抱える皇帝アタワルパの率いる兵士は8万人。それに対するピサロの軍勢はわずか168人にすぎなかったにも関わらず、あっという間にアタワルパが捕らえられてしまったのだ。
インカの人びとがそれまでに見たこともなかった動物である馬の突撃、銃による攻撃のインパクトが大きすぎて、驚きのあまり逃げ惑うしかなかったのだ。そして、武器を作り出す素材の違い。インカには石や青銅で作られた棍棒のような武器しかなかったが、ピサロ軍団は鉄製の武器を持っていた。勝負にならなかったのは当然だ。ちなみに、鉄や銃は、ユーラシア大陸において、その地の利から発明され伝播されたものである。
しかし、インカ帝国を滅亡に導いた最大の要因は、もうひとつ別のものであった。
■「人口の95パーセントを葬り去ってしまった」
それは天然痘。
「ヨーロッパからの移住者たちが持ち込んだ疫病は、彼らが移住地域を拡大するより速い速度で南北アメリカ大陸の先住民部族のあいだに広まり、コロンブスの大陸発見以前の人口の95パーセントを葬り去ってしまった」
のであるから、そのすさまじさがわかろうというものだ。
これで、銃、病原菌、鉄が出そろった。こまかいことをいうと、天然痘はウイルスによるものだから、病原「菌」ではない。原題は、「Guns, Germs, and Steel」で、Germsに「病原菌」という訳語があてられている。germというのは、日本語でいうとバイ菌といったところなので概念としては細菌とウイルスの両方を含んでいるということを、ダイアモンドの名誉のため(?)に言っておきたい。
ことほどさように、人類は新規の病原体に弱いのだ。天然痘のように病原性の強いウイルスならばなおさらだ。ただ、インカ帝国は天然痘ウイルスのせいで滅亡してしまったが、最終的に人類は天然痘ウイルスに打ち勝った。これまでに、地球上から撲滅された唯一の感染症が天然痘だ。いまやそのウイルスは、ロシアと米国の研究所の冷凍庫の中にしか存在しない。
■感染症を撲滅するには“三つの条件”が必要 
天然痘を撲滅できた最大の理由は、言うまでもなく種痘(=天然痘ワクチン)の開発である。18世紀の終わりに英国のエドワード・ジェンナーが開発した種痘は世界中に広まった。そして、1977年のソマリア人青年アリ・マオ・マーランを最後の自然感染の天然痘患者にして、世界保健機関(WHO)が3年後の1980年に撲滅を宣言した。
ある感染症を撲滅するには、三つの条件が必要である。ひとつはもちろんワクチンの存在。あとのふたつは、不顕性感染(症状を呈さない感染)がないことと、ヒト以外に宿主がない、すなわち、ヒト以外には感染しないことだ。逆に考えると、この三つの条件を満たさない場合は、やっつけるのに骨がおれる、ということになる。
なぜ新型コロナウイルスは厄介なのか?
新型コロナウイルス、本名SARS-CoV-2という。CoVはコロナウイルスの略で、SARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルス(SARS-CoV)に似たウイルスという意味である。その新型コロナウイルスは、いまのところワクチンはない。不顕性感染はおそらくかなり多い。そして、これも確証はないが、コウモリのウイルスが起源ではないかとされている。三拍子そろって厄介なウイルスなのだ。
知らない間に、そのウイルスに対する免疫能を獲得できるのだから、一般論としては不顕性感染が多いというのは、決して悪いことではない。しかし、新型コロナウイルスのように、死に至る重症化率が高い場合は大きな問題になる。不顕性感染の患者が、知らない間にウイルスをばらまいている可能性が出てくるためだ。だから、“三つの密”の回避が必要になる。
■最も恐ろしいのは「情報の欠如」だ
インカ帝国の滅亡には、もうひとつ大きな理由があった。それは、情報不足である。インカ帝国には文字がなく、紐の結び目で記録するキープという方法しかなかった。なので、ピサロたちについての正確な情報が、アタワルパに伝わっていなかった。馬、鉄の武器、銃について、前もって情報を得ていたら、恐怖のためにひたすら逃げ惑うようなことはなかっただろう。一方のピサロは文字が読めなかったが、読み書きのできる部下たちからインカ帝国の状況について適切な情報を得ていた。
新型コロナウイルスの最も恐ろしいところは、その情報の少なさである。いまだに、どこからやってきたのか、不顕性感染がどれくらいの率なのか、ちゃんと免疫能が獲得できるのか、など、不確定なことが多すぎる。情報の欠如と、それによる人心の惑いがいかに恐ろしい結末をもたらしてしまうか。我々はアタワルパの悲劇から学んでおいたほうがよさそうだ。
天然痘は新大陸に新しい「秩序」をもたらした。新型コロナウイルスが恐ろしいとはいえ、天然痘の爆発的な感染力と病原性の強さには比ぶべくもないし、時代も違う。それでも、新型コロナウイルス後の世界秩序は大きく違ったものになるだろう。その時、すこしでも良い世界が訪れるように、個人としてできることを考えておきたい。この緊急事態宣言で外出ができない退屈な毎日に。

Yahoo!
https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/zasshi/life/bunshun/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9oZWFkbGluZXMueWFob28uY28uanAvYXJ0aWNsZT9hPTIwMjAwNTAyLTAwMDM3NTM1LWJ1bnNodW4tbGlmZQ--





 




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