2019年10月22日

令和天皇即位礼>>雨雲の空が晴れて虹がかかる

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令和天皇即位礼>>雨雲の空が晴れて虹がかかる
土佐郷士(ワタナベワタル)
@442Goforbroke
「即位礼正殿の儀 」が始まったとたん晴れて虹がかかったという! 天皇陛下は「天照大御神」の後子孫であることが証明された!
#天照大御神
#即位礼正殿の儀

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【 日本はやっぱり神さまの国やった! 】
私はあくまで科学の立場に立つけれど、こういうものを見せられるとやっぱりビビりますよ。
「即位礼正殿の儀」が始まった途端、雨がやみ皇居をまたぐように低い虹がかかり、日が差し青空が見え始め富士山も姿を現して祝砲がとどろく。
胡散臭い新興宗教の教祖さまとか、このようなことをどうしてもやりたくて、いつもしょぼいウソになってしまうのに対し、さすがに本物は次元が違いますね。
日本中が見守るなか、公然堂々と、何の嘘偽りもなく、こういうことをやってくださるのですからね。
まさに天照大神さまのご降臨ですよ。
そして日本につめかけている世界の要人、マスコミも、これを自分たちの目で確かめた。それが大事。
「どや?これが日本という国やで?」
さすがにちょっとビビったんとちゃう?(笑)
「保守速報」より
【天照大神】「即位礼正殿の儀」が始まった途端、雨がやみ、虹がかかり、日が差し青空が見え始め富士山も姿を現して祝砲がとどろく

保守速報
https://hosyusokuhou.jp/archives/48863177.html

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日本の時代がやってきた
即位の礼で、式直前まで雨が降っていたが、直前に一転晴れて虹が 出た。これは令和の時代に対する吉兆の印である。なぜ、日本の時 代になるのか検討しよう。           
■米国株価 NYダウは、利下げ期待で、7月16日27,398ドルと最高値を更新したが 、その後下落して、製造業ISMが50割れ、かつ米欧貿易戦争も始まり 大きく下落したが、ステルスQE4で上昇。しかし、NYダウは割高で横 バイで10月25日に26,958ドルになったが、SP500は最高値を更新した。 このような株価が最高値になっても10月FOMCでは利下げを行う可能 性が高い。米国の金融経済システムの何かが変になっている。 米FRBがPOMOというステルスQE4で、月600億ドルの短期国債を買うと いうことと、米中貿易摩擦が一服したことで、FANGは上昇したが、 キャタピラやジョンソン&ジョンソン、ボーイング、アマゾンなどの 業績の下方修正が多数出て、株価は横ばいになっている。 NBA(米国バスケット協会)なども中国での試合の売り上げが大きい が、中国は、香港問題で香港を支持するNBAの放送を中止した。この ため、NBAの売り上げは大きく落ち込むことが確実である。これと同 じことが、他の米国企業でも起こっているようだ。 バブル崩壊の兆候も出て、WEWORKSのIPO失敗と評価額の 大幅な下方修正で資金繰りの問題が出て、IPO市場が混乱して、ベン チャー投資がおかしくなってきた。特にソフトバンクのビジョンフ ァンドのパートナーが辞任したことで、ソフトバンクGの借金と資産 の両建経営が行き詰まった印象を与えている。 この兆候と同時に、FRBがPOMOで短期市場を買い支えているが、短期 金利が上昇している。この影響でジャンク債の金利も上がり、シェ ール企業の倒産も増えてきた。倒産でジャンク債金利が上昇して、 市場もおかしくなってきている。必死にFRBが金利上昇を止めている が、地銀が大量に保有するCLO債に飛び火する可能性あり、日銀は警 戒感を強めている。 為替は、1ドル108円台から動かない。ペンス副大統領の対中国非難 の演説が10月24日にあったが、株価や為替の反応はほとんどなかっ た。 このため、資金がジャブジャブにあるために、米国の投資家は、出 遅れの日本株を買い始めている。その他の投資先を探している状態 でもある。しかし、ここ数カ月、新興国など世界中で抗議行動が激 化。発端となった事情は、それぞれ異なるが、経済的格差への不満 など根底にあり、世界的な景気後退が背景にあるので、投資できる 感じではないようだ。
■日本株価
以後は、有料版を見てください。

国際戦略こらむ
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天皇即位礼の歴史〜鳥見の霊畤,古代正月

天皇即位礼の歴史〜鳥見の霊畤,古代正月
冬至の翌日,新しい太陽誕生の日
古代の天皇の即位の礼は、冬至の翌日、すなわち、古代の正月でした。
イエスが、ペテロ(岩屋戸)に申しました、一番鳥が鳴くまでに、三度私を知らないというだろう、という話は、冬至前までの三日間であり、冬至そのものは、一番鳥の鳴き声、宇宙開闢の産声です。
イエスが、死(冬至前の最も暗い太陽)の三日後復活したと申しますのは、真理の誕生(ククリ・トマス)であり、天皇の即位の礼からの大嘗祭の、一連の御大典の事です。
写真は、即位の礼の高御座ですが、一番鳥(冬至)が、日本人にとりまして、大事でありました事は、これまでの巨石や神社の、冬至の日入れの投稿の通りです。
いつも載せています、曾祖父が、阿蘇で、見知らぬ方から無償でいただきました、復活(蘇り)の火鳥には、日本人特有の鯨面の彫りがあります。
また、突如現れ、消えていきました文明でありますが、5000年前のアイルランドの、冬至の日を引き込むニューグレンジの巨石は、熊本の宇土一帯の巨石や古墳にも似ています。
即位の礼の高御座、ニューグレンジの写真は、お借りしています。

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神武天皇が日本ではじめて天皇に即位したとき、その就任式である大嘗祭が「鳥見の霊畤(とみのれいじ)」で行われたと伝えられる。霊畤とは「まつりのにわ」の意。現在、桜井市と宇陀市、2つの候補地がある。桜井の鳥見山(とみさん)は、麓の等彌神社(とみじんじゃ)の御神体山。ヤマト王権のあった飛鳥・奈良盆地から見て、神仙世界の吉野に続く道の「ゲート」を、三輪山と形成する。

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初代 神武天皇から第十六代 仁徳天皇まで、一世一代、すなわち親から子へと皇位が継承され、しかも多くの場合、末子相続であったため、天皇の在位期間が長く、しかも多くの皇子の中から最も優れた方を天皇自らがお選びになられていました。
神武天皇の在位期間は80年、
孝安天皇は102年、
最も短い綏靖天皇でも33年です。
しかし、応神天皇の御代に百済を経て伝わった儒教の教えにより、「長幼の序」という観念が皇位継承にも入ってきました。応神天皇に命じられていたにもかかわらず、ウジノワキイラツコが最後まで天皇に即位なされず、兄皇子に譲ろうとなされたのがこれです。
兄弟で上になるほど、即位する年齢が高くなりますので、必然的に在位期間は短くなります。そして、葛城氏に始まる外戚氏族の登場で、兄弟に皇位を継承させる、すなわち一世で数代にわたる天皇が即位される状態を新たに発生させたのです。こうして第十七代 履中天皇からは、在位期間が極端に短くなっていきます。
履中天皇の在位期間は6年、反正天皇は5年、允恭天皇で42年、安康天皇が3年、雄略天皇が23年です。

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★活動紹介★
「倉吉は天皇家ゆかりの地」 根鈴輝雄さん
令和天皇の御即位を記念して倉吉博物館は「光格天皇の事績と、その生母大江磐代君展」(10月22日〜11月4日)を開きますが、それを前に10月14日、大江磐代君ゆかりの地めぐりがあり、根鈴輝雄さん(倉吉博物館長)の案内で約50人が打吹山のふもとの大江神社などを訪ねました。
大江磐代君(1744〜1812年)は天皇の母となった倉吉の女性です。令和天皇の7代前、江戸時代末期の第119代光格天皇の生母です。
伝記によると、磐代君(幼名つる)は倉吉の田町(現在の湊町)生まれ。父は鳥取藩の侍・岩室常右衛門、母はりん。つる9歳の時、父親に連れられて京都に上り、礼儀作法などを学びます。縁あって宮中の女官に仕え、その働きぶりが認められて閑院宮家に入り、側室となって5人の王子をもうけました。その第1子が後の光格天皇です。光格天皇は「新嘗祭」を再興したほか、朝廷の権威回復に努め、その志は孫の孝明天皇やひ孫の明治天皇に受け継がれ、明治維新につながっていったといいます。
身分制度が厳しかった昔のことです。磐代君が光格天皇の生母だと系図に載ったのは、磐代君没後65年、明治10年のことでした。母親のりんに至っては、家柄・身分などは不明のままです。田町で焼き餅を売って生計を立てていたとか、鉄問屋の娘だったともいわれています。一説には、その鉄問屋は松江城主・堀尾吉晴の末裔で、琴浦町の大庄屋・河本家や倉吉淀屋(大阪淀屋)などと親しい関係があったとも伝わっています。
さて、磐代君ゆかりの地めぐりは、大正天皇が皇太子時代に宿泊された飛龍閣―磐代君をまつる大江神社―賀茂神社―磐代君の生誕地・湊町公園−母りんの墓所・大岳院を回りました。根鈴さんによると、打吹公園は東京・日比谷公園に次いで、全国2番目にできた風格のある都市公園だったそうです。かつての倉吉は財力があり、山陰を代表する産業都市でした。ゆかりの地めぐりのこの日は、ちょうど大江神社の月例祭(大正2年4月14日創建)が執り行われ、吉田武章宮司が神事で出迎えました。「磐代君は倉吉の誇りです。倉吉は天皇家とゆかりがあります。胸を張っていきましょう」と話していました。

いきいきシニアバンク
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古代日本は外国に侵略されていた?!
初代天皇である神武天皇が日本国を建国したのが前660年2月11日(皇紀元年)であり、神武天皇の御名は、カムヤマトイワレビコノミコトでヘブライ語で「神の民であるユダヤ人が集まり建国した最初の栄光ある主」と言う意味。
なぜ日本にユダヤの王がいるのだろうか?
前722年に北イスラエル王国が滅亡し南ユダ王国にいた預言者イザヤは、国家滅亡を悟り神のお告げにより南ユダ王国のヒゼキヤ王の子をダビデ王の王系を継ぐ後継者として選び、契約の棺と神宝、祭司を司るレビ族らを引き連れ、新しいエルサレムを求め、日本に向かったのだ。その後南ユダ王国は滅亡する。(イザヤ記)
ウガヤフキアエズ朝71代の時、白人国の国王ユグトブブルが大船に乗って紀伊のミキ港に碇泊し、宇陀を支配する長髄彦を口説き落とし、天皇に交戦を挑ませた。
この戦いは32年にも及び、皇太子の五瀬王命が流れ矢に当たって殉死し、二皇子と三皇子は白人国の千人の軍兵を乗せた五十隻の大船と海戦を戦い全滅した。ウガヤ朝は存亡の危機にあった。
四皇子ヒダカサヌが皇太子になり陸戦で熊野口から入り、劣勢をしいられたが、熊野で八咫烏を皇軍の指導者とした。毒ガスなどを受け全滅しかけたが、金鵄が皇太子の弓に止まり、雷光の如く光を放ち敵軍は戦意を失い逃げ出した。ここから戦況が変わり勝利することとなる。そしてヒダカサヌが橿原にて即位し、神武天皇になった。(ウエツフミ、富士古文書)
ここで、第73代サヌを神武に付け替えが行なわれた。
根拠@ サヌ即位時実際には50歳に達していなかったが、神武の歳に合すため無理やり3歳足して51歳即位としている。
根拠A 大和遷都後、サヌからカムヤマト イワレヒコ ホホデミと御改名されたとある。つまり、別人だから。
根拠B 神武が入れ替わったためウガヤ朝が終わり、神武から初代天皇で皇紀元年と言う。記・紀でウガヤ朝が消された理由。
どこで神武が入れ替わったのだろうか?
八咫烏は、レビ族の末裔で漢波羅(カバラ)秘密組織で下鴨神社が本拠地。レビ族である八咫烏が皇軍の指導者となり、ダビデ王の王系を継ぐ後継者であるイワレビコが金鵄としてヒダカサヌと入れ替わったのだ。つまり、サヌは毒ガスで死んでいて、金鵄(イワレビコ)がその後勝利へと導き、大和の橿原の宮において、前660年2月1日即位した。

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天孫降臨の謎を解く! そのD
ウガヤフキアエズ王朝との合体
天孫ニニギの子、ホホデミが豊玉姫と結婚して生まれたのがウガヤフキアエズノミコト。ここで天皇家は幻のウガヤ王朝とつながることになる。
ウガヤフキアエズの母が豊玉姫ということは、この女性はウガヤ王家の血統を引く人だったに違いない。が、記紀の皇室系図には「海神の子」とあるだけで、その出自についてはほとんどなにも触れられていない。
・・・おそらく、「天皇家より古い家柄などあってはならない」とする記紀の編集方針により、意図的に情報が入れられなかったのであろう。ご丁寧なことに、記紀はこのウガヤフキアエズの行跡もきれいに消してある。ただ、その名前と、産屋の屋根が葺き終わる前に生まれた、というエピソードのみを残して、記紀の物語は次の神武天皇に入る。
 豊玉姫は謎の多い姫様だが、海人族の出生でもあり、ウガヤ王朝の血も引いていたのであろう。この時期、ウガヤ王朝はすでに70世代もの王を輩出する倭国最大の名家であった。臼杵という良港を擁し、綿花をはじめ様々な産品を輸出していたから、古くから海人族たちも集まり、交易の安定のために海人族とウガヤ族の間の政略結婚も頻繁に行われたはずだ。・・・数百年経つとウガヤ族=海人族のようになり、ウガヤ国一帯はのちに「海部郡」と呼ばれるほど、海人族の一大拠点となっていた。だから豊玉姫がウガヤ王朝の血を引いているのは自然なことである。・・・そもそも、その名前からして「豊の国に生まれた玉のようにきれいなお姫様」と読み下せるではないか・・。
先代ウガヤ国王は、ニニギがやってきたときからずっと、自分の娘を嫁がせたかったに違いない。だが、ニニギは熊襲のコノハナノサクヤヒメと恋に落ちて結婚してしまった・・。
「なんで熊襲なんかと!どうしてわしの娘をもらわんのかい!」と、ウガヤ王は怒ったに違いない。ニニギはそれを聞いて、「すいません。では、私とサクヤの息子には、必ずウガヤ国の姫をもらいましょう。」と約束したのではないか?・・・。
で、仲直りしたニニギはウガヤ国のすぐ近く、宮崎県高千穂に宮殿を構える。が、高千穂はいかんせん山の中で、暮らしてゆくにはなにかと不便だったので、息子のホホデミの頃にはウガヤ国の方にいることが多くなっていたかもしれない。そして、豊玉姫とホホデミの結婚を機に、本格的にウガヤ国に移った・・。
・・・ちなみに、豊玉姫がウガヤを出産した土地としてウエツフミに記されている「黒の浜」とは、現在の大分県臼杵市佐志生の沖にある「黒島」のことではないかと私は思っている。この小島は陸地から手漕ぎの船でも10分程度の距離にあり、出産を覗かれたくない妊婦が安心してお産をするには最適の場所である。・・・(ホホデミが豊玉姫の出産を覗いたら、豊玉姫は竜だったとかワニだったとか記紀に書いてあるから、そのような身体的特徴があったのかもしれない。だったら、絶対覗かれたくなかったに決まっている)。
そして後年、成長したウガヤフキアエズと豊玉姫の妹・玉依姫が結婚し、神武天皇が誕生する。この神武天皇は生まれながらにして、伽耶国、熊襲族、ウガヤ族、海人族の血を引くという、当時の倭国連合の中でも際立って「顔の利く」存在であった。神武が動けば、これらの国々も動く。これらの国々と親密な関係であった伊都国や吉備国も動くであろう・・・。倭国連合の重鎮たちが集まってナガスネヒコを討伐するための総大将として神武を選んだのは、この人のスーパー混血児としての出生の尊さによるところが大きいのである。
・・・ところで、ウガヤ王朝は74代続いたといわれる。天皇家は現在125代。初代ウガヤ王から数えると実に199代続いていることになる。・・・そして、来年即位される皇太子殿下は、ウガヤ王朝から数えると実に第二百代めの天皇陛下ということになる。なんというめでたい話ではないか!・・・。
(なお、この文章は、記紀の解釈を中心に歴史の真相を明らかにしようと試みながらも、大部分は私の想像で書いております。)

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FB古代史研究会: 宮下文書に記録されたニニギ〜ウガヤフキアエズ朝治世


FB古代史研究会: 宮下文書に記録されたニニギ〜ウガヤフキアエズ朝治世
『宮下文書』によるイザナギの治世
私が研究している『ウエツフミ』は、ニニギの命からウガヤフキアエズ王朝74代までについてはかなり詳しく書かれているのですが、それ以前のこととなると、古事記・日本書紀とほぼ同じ内容であり、サラリと書かれているだけです。
そこで、天照大神以前の歴史については、『宮下文書』という古文書が参考となりそうです。
『宮下文書』の特徴を一言で説明すると、まず徐福自身が書いたということ(そうあの秦の始皇帝が蓬莱国に派遣した徐福です)、そして高天原のあった場所を富士山としていることなのですが、「富士山」が現在の富士山のことを指しているのか、それとも飛騨高山あたりなのかについては、説が分かれているようです。
今回は、イザナギの治世にスポットを当てて、現代語訳を試みましたので、ぜひ参考にしてください。あなたの知らなかった新事実が満載ですよ!
なんといっても、その活躍の舞台が加賀の国(現在の石川県)の白山であったこと、そして白山信仰がイザナギ・イザナミ信仰を指すこと、さらには豊受大神とは国常立のことを指していたことの3点は、大きな驚きでした。
さらに、興味のある方は、こちらからどうぞ。
https://ugaya.jimdo.com/2018/01/22/%E5%AE%AE%E4%B8%8B%E6%96%87%E6%9B%B8-%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%81%AE%E6%B2%BB%E4%B8%96/

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ウガヤ38代の御陵か? 消滅した75mの巨大古墳!
大分市木ノ上【御陵古墳/木ノ上古墳/稙田古墳】
ウガヤフキアエズ王朝の痕跡は、やはり消されていた!
昭和38年に、宅地造成により破壊された「御陵古墳」(別名:木ノ上古墳、または稙田古墳)は、大分県最大級の規模で、全長75m以上ありました。
【説明】http://www.isekiwalker.com/iseki/181573/
つまり25mプールをタテに三つ並べた大きさで、しかも石棺、勾玉、管玉、ガラス玉、鏃、剣など、多くの副葬品も出土しています。
なぜこんな重要な史跡が破壊されたのでしょうか?
当時の大分県の役人たちは、テロリスト集団だったのでしょうか?しかも、複数の名前を付けて混乱させる作戦も、彼らの常套手段。ウエツフミの研究者は、みんな怒っています。
吾郷清彦氏、吉田八郎氏は、ここを第38代ウガヤフキアエズ天皇(幼名:天津祝詞子、アマツノリトコ)の御陵であると推定しています。
その根拠が不明なのですが、ここに「古皇之御陵」という石碑が建てられていたという証拠写真もあります。
「皇」という文字は、地方豪族には使われないでしょう?
ウエツフミに書かれた第38代の軌跡をメモしておきます。
◆生まれたときから霊感が強く巫女のように神の言葉を伝えたので「天津祝詞子」と命名された。
◆幼少の頃、新潟の頚城にオロシ(ロシア)の船団が来襲し、穀物を強奪したので、高千穂軍と交戦になるが、このときカマエタチという謎の刃物が地中から噴出してオロシ軍を破る。
◆すべての天皇に必ずある「即位した」という記述が無いことから、一部の原文が散逸している可能性大。
◆大土国幸(オオツチクニサキ)の命を派遣して「神津島」や「八丈島」を開拓。
この島に大土狭咋(オオツチサクイ)の命夫妻が残って初代の国司となる。
◆臼杵の宮を居所とする。
◆病死したので、大分の「御宝山」に埋葬される。
【原典】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=32&sno=1
この古墳の南側には、霊山、障子岳(宇曽岳)、本宮山の「三宝山」が鎮座し、オオキタの宮を今も見守っています。

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伊集院光: ラグビー世界杯で各地に急増した「にわかラグビーファン」「にわかスポーツバー」の救いのなさ

伊集院光: ラグビー世界杯で各地に急増した「にわかラグビーファン」「にわかスポーツバー」の救いのなさ
なんか「にわかラグビーファン」て,自分が大したラグビーの知識もないのに,ラグビーの知識を持っている人に対してのリスペクトがすごい少ない人。それなのに調子こいてラグビー好きを名乗る人のことを「にわかラグビーファン」って言う。一方「ラグビービギナーさん」ていうのはまだ ファンになって浅い,あんまりラグビーをよく知らない人。ラグビーファンになったばかりですっていう話で,でも「にわかラグビーファン」とは似て非なる者だと僕は思ってるんですよ。
言葉の定義なんて言ってること同じだと思うんですけど,間口を広くと一緒だと思うんですけど,今回のラグビー世界杯で都内に突如出来た「にわかスポーツバー 」・「にわかスポーツバー」。
都内の本来のスポーツ・バーが今回のラグビー戦中継で,どこもかしこも予約でいっぱいになる中で,本来スポーツバーじゃないんだけども,ラグビー中継を店内テレビで流している酒場は割といっぱいあって。
このスタジオで笑ってるスタッフの直君が行った酒場もある種の「スポーツバーもどき」の居酒屋。
店内に一応大画面のテレビはあるけれどもスポーツバーじゃないじゃん。っていう居酒屋で,そこの居酒屋でラグビーって,どういう盛り上がり方なのかなって言ってるらしいんだけども。
ラグビー中継の始まった時点で,居酒屋の店内は一杯なんだって。そのレプリカ・ユニフォームを着た人でさ。で直君が予約を取った段階では,もう既に満席状態。とれた席は部屋の端っこ。大画面テレビの真下。垂直に 見上げたところにテレビがある感じなんだって。なんかテレビの反射のテカリでほとんどプレイが見えない状態にもかかわらず,部屋のど真ん中の特等席にいる家族っていうのが,別にラグビーと関係なしにご飯を予約したら人らしくて。その居酒屋が「にわかラグビーバー」に進化する前のお客さんだから。なんか後から入って来た「にわかラグビーファン」がすっごい騒がしくやってる時に,普通にご飯食べてる感じなんだって。
「にわかスポーツバー現象」でもっとすごかったのは,校正の瓶底メガネが普段から通う競馬中華料理屋。グリーンチャンネルの競馬中継流してる料理屋で,ウインズで馬券買ったヤツがそこで中継を観ながらラーメン食うっていう店。ラーメン食いながら馬券を握りしめて,当たると一皿余計に注文しようかな,みたいな店。
根本的にそういう競馬の店が,ラグビー世界杯で「にわかスポーツバー」化して,元々ある意味スポーツバーなんだけど,世界杯でどんどんレプリカユニフォームが入ってきて。どうやらその元々競馬の店が,ちらちら表の様子を見てると,自分たちが店内に入った時点ではいつもの競馬の店の感じなんだけど「ラグビー中継見れます」って表の看板に書いてあるらしい。
瓶底メガネは「あーなるほど!そういうことなんだ」と思って「自分もこのまま店内にいればラグビー中継みんなで見れるんだ」と思ってちょっと長居してみようかなって思った。
結局競馬のレースは全部終わっちゃって,後は競馬チャンネルだから「天皇賞への展望」とか「明日から台風で順延になったがどうなりました」みたいな分析の番組やってるんだって。その間もどんどんどん表の張り紙看板見てレプリカユニフォームが入ってきてお酒と一緒に盛り上がる。瓶底メガネは面白いなって思ってた。そうこうすうちにキックオフの時間。ラガーシャツの人たちは「早くチャンネル変えてくれ」って言う。そのお店の人にそう言ってんだけど,お店にはグリーンチャンネルを見ながら馬券を握りしめる客もいる。
常連の競馬の客をないがしろにしていいものかと店主は気を使ってグリーンチャンネルを変えない感じなんだよ。レプリカ・ラガーシャツの連中はシビレ切らしているものの,常連のおじさんの顔を立てて我慢してる感じになってる。このままキックオフの時間が近づいてきて,そっちが痺れ切らして。でもだからといって常連さんをないがしろにして良いのか?っていう。
ー月曜JUNK・伊集院光の深夜の馬鹿力!

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