2019年09月29日

馬場周二: 歴史からみた文明の衰亡の法則〜近代中国の頽廃に衰亡の要因をさぐる

馬場周二: 歴史からみた文明の衰亡の法則〜近代中国の頽廃に衰亡の要因をさぐる
文明という言葉は色々な意味に使われている。 20世紀文明とか,機械文明とか,あるいはインカ文明バビロニア文明,さらには 近頃では情報化文明などという言葉も見受けられるようになった。
私が論ずる文明の意味は,人類の歴史が始まって以来,ユーラシア大陸とアメリカ大陸の特定の地域に生まれて育って,そのある物はすべて自然に消滅してしまっている領域的歴史的文明のことである。具体的に言えばナイル文明とかインダス文明,インカ文明,インド文明,西欧文明などを言う。
これらの文明はこの大陸の固定した地域で人口が増加したことによって一時的に発生したものか,または同じように人口が増加したところに他の地域も先発の文面が伝播してきて それを核として後続文明を発展させるようになったのか,のいずれかによって文明が起こっている。
■第一文明
メソポタミア文明とメソアメリカアンデス文明は始原文明と考えられているが,他の文明は先行する文明の伝播刺激を受けて育ったとみられる。従ってこれらの後発文明は地理的にメソポタミアから順次遠隔化しているし,時間的にも遅れてくることは当然である。
チグリスユーフラテス・デルタ とほとんど同じ自然環境を示すのがナイル・デルタ及びインダス・デルタである。
後者は現在のパキスタンの領域である。考古学的知見によればこの両者は両大河文明にやや遅れているとされるが,似た部分も多く目につく。これら西南アジアの三大文明は相互に近接でしかも時間的に同期している。同じ文明思想を形成していると考える。これは第1層の世界文明といえるものであろう。他の文明に比べてこれを「第一文明」と名付ける 。
一方メソアメリカアンデス文明はユーラシア大陸で言えば「第一文明」に相当する。
ただ人類がアメリカ大陸に移動するのが遅れてさらに自然環境が西南アジアほど文明の発達にとって適していなかったために4000年遅れて文明が独立に起こったと考えることができる。そこでこの 古代アメリカ文明を「第一文明」とする。
この文明はスペイン人の侵入によって滅んだ。これは文明のカタストロフィーである。スペインは「第二文明」及び「第三文明」の境界に位置する。接触したときの落差が1.0以上あると古い文明は崩壊するのであろう 。
■第一文明の崩壊
ナイルからインダスに至る地域ではシュメール文明の 起源文明が高度化するとともに数多くの国家が出現して興亡の歴史を繰り返した。バビロニア・アッカド・アッシリア・エジプトの諸王朝,ヒッタイト・ペルシア帝国などである。しかもこの地域が独自の国威を保持して自主的に自己展開できたのは紀元前334年〜323年のアレキサンダー大王の侵入 までのことであった。以降の西南アジアは1350年ごろのイスラムの勃興まで1700年間,文化的にも政治的にもギリシアローマの影響下に存在するようになる。つまり第一文明は 2500年にして滅んだ。
アレキサンダー大王は 腐敗した 樹林を倒して回るように疾風の如く西南アジアを駆け抜けたのであるが,その後に残したものは彼の武将達を支配者とする外来国家であった。有名なクレオパトラはエジプトに建てたギリシア人の王朝プトレマイオス家の女王であった。彼女の美貌はギリシア人の美貌であってエジプトの土着の浅黒い民族のものではないのである。
西南アジアの第一文明崩壊の原因は明らかである。それはギリシアマケドニアの王による軍事的征服であるが,敗北の原因には勝者の強さと共に敗者の弱さがある。
戦争の勝敗は単に武力の強弱のみで決まるものではなく,古代といえども政治的・社会的・文化的な複合力による。当時の西南アジアはギリシアに比較すればはるかに広大であって物質的に 豊かであったし何よりも文明において先進文明であったた。
それがなぜ小国マケドニアとの勝負に負けてしまったのか?私の見るところそれはすでに第一文明の命脈が尽きていたからだというほかない。つまり一つの領域の文明というものは波状を呈して一つの生命のサイクルを持つ。
人間の作ったもの,企業,社会,国家,全ては人間それ自身の生理から脱することができないのである。それは自然の成り行きなのである。
ー馬場周二,衰亡の法則,1986,


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■第二文明
他の国の政治的支配を受けない社会の特徴は例えば政治が温和で純真なことにある。ギリシアローマ文明はその典型であり,これらの文明の根幹はエジプトおよび中近東古代文明である。
ギリシア神殿やギリシア人彫刻はエジプトのそれと全く違っているように見えるが,建築における列柱構成や神像・人像を岩から丸彫りして作ること自体エジプトの文明の継承なのである。
違ってるのはそれらがヒューマナイズされてリアルになっていることなのである。それは海洋的なギリシア人によるバリエーションまたはモディフィケーションであって所詮は二次的文明なのである
形而下に現れたこの事態は政治・社会の形而上面でも同様の事情を示していると言っていいだろう。
ギリシアの文明はこの先行文明・エジプト文明の土台の上に建てられて新しい衣装を着せられてある部分は増築された。
ローマ文明はこのギリシャをさらに大幅に模様替えして建て替えたものと見ることができる 。
インドの事情を私はよく知らない。ガンジス文明は明らかに北方から侵入してきたアーリア人が主導した文明であったが,インダス文明はアーリア人の先住民族ドラヴィダ族によるものとも言われている。シュメールもドラヴィダ族によるものではないかとされ,技術と文明の始まりもまたこの種族によるものかもしれない。彼らは今日南インドに住み着いていて現在のインドではむしろ社会の下層に組み込まれているようにも見えるが,数千年前にエジプトあるいはメソポタミアから駆逐されて,インダス流域からも駆逐されインド 半島の先に溜まってしまったものであろうか。それはともあれインド文明の源流にはこのドラヴィダ文明があるのではないだろうか。
つまりインド文明はインダス文明を第一次文明とする第二文明だと見るのである。
このように見てくると同時的に出現したシナ・インド・ギリシア・ローマの3大文明は西南アジアの第一文明を継承してそれに独自の発展を加えた第二次文明だということになる。
これを「第二文明」と命名する。
■第二文明の崩壊
西ローマ帝国は北方蛮族の侵入によって消滅して生き残っていた東ローマ帝国はトルコ人によって倒された。
インドはイスラムの侵入によって大いに荒らされイギリスによって最後の止めを刺された。
シナといえども外見上は文明が長く引き続いているように見えるはするが,その内容を見ると幾度も蛮族に侵入支配されていてついに蒙古という巨大侵入者によって古来の伝統はほとんど根絶やしにされたと思われる。唐・宋においてクライマックスに達したシナの文明は以後老残の状態にある。
満州国による支配はさらにこの国を根絶やしにした。その上さらに共産主義という外来思想が起きて今や支那民族の芯を貪りつつあるのではないか。
このようにして第一文明と同じく第二文明もまた内部飽和をしたところに外敵が侵入して止めを刺された。外敵は武器を持っている場合もあり,また思想・宗教の形で入り込むこともある。しかしそれは武力と同じく衰弱した文明を食い破るのである。
ー馬場周二,衰亡の法則,


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■近代中国の頽廃
各領域の文明は波であって,盛りを過ぎればやがて衰退止するのは当然だと聞けばそれはあまりに機械的な歴史観であって,そのような一面的な人間機械論にはしっくりしないと いう思いをする向きが多いだろう。それどころか何だか昔習った幾何学の復習を今になってやらされているような気分になるかもしれない。
これまで超マクロな立場から歴史の興亡を見たのであるが ,やや時間と空間のスパンを狭めて,例えば私がすでに衰亡しているという考えているシナの文明について, その誕生から衰亡に至る過程を観察することから問題に入ることにしたい。
第二文明のシナ文明は消滅している。
一つの文明が衰亡するということは,新しい新規の情報の発生が減少して,社会におけるその流通が細くなることであり,さらには情報が混乱して 錯綜することでもある。社会がその活力を失って病むことに等しい。体でいえば神経系が老化することである。想像力がなえて活動力が減って反応性が低下した社会に支えられる文明は衰亡せざるを得ないのは当然である。社会の衰亡をよりミクロに捉えるということはその社会の劣化を 観察してその原因を分析することなのである。
これまで見たように、文明の盛衰が必然の波であるとするならば,社会はまた創造性に富んで活力に溢れた状態から低迷虚脱した状態に移行するサイクルも不可避的・可逆的にさかのぼることになる。このような状態に陥った文明流域には外敵が侵入して最後に外敵に刺される。
社会は個人の行動が集積して出来上がるものである。では社会が変容し劣化するということは,それを構成する個々人もまた変化して劣化することなのであろうか?私の観察によればそれは事実である。文明と社会と個人の頽廃は並行する。
日中併合した戦前の日本人が当時接触した中国社会あるいは中国人は,先進国の国民に比べると頽廃と崩落の中に沈滞していた。
例えばアヘンの浸透などはその一面である。今日は社会の不安を一掃したように見えるのは人為的表面的な現象であって,革命以後社会が内部から抜本的に健全化したわけではない。
麻薬を追放すればそれと入れ替わりに他の腐敗,例えば官僚の 横行,四人組の横行などの現象にシフトする。こちらを押せばあちらが出るのである。
社会の劣化の本体に変わりがない。
中世日本人が師事した唐・宋の社会は現代中国に比べればずっと清潔で高度であっただろう。
シナの不潔さは蒙古以来の悪習だと見る人もいる。さらに遡れば周時代の礼は孔子によって深く慕われている 。舜時代の社会は理想郷として崇められている。
つまりシナの社会での経験は,文明の衰亡と社会の劣化とは同伴することを教える。
古代シナ社会の伝承が過度に美化された伝説であるとしても,時代が減るとともに社会が劣化していったことは事実としなければならない。このシナ社会の変異は人間社会は必然的にたどる一般的経路である。
文明も社会も過ぎてゆく波のように一度高まれば後は低下しかない 。
では文明の衰亡と社会の劣化とは何が因であり果てであるのであろうか?その答えは社会の劣化が文明の衰亡をもたらすと思われる。
なんとなれば情報の集積である文明は情報発生して流通させる社会を母体とする三次構造だからである。そうであるならば,文明は波であったからには,社会には自動的に劣化する機構が組み込まれていなければならない。
社会は個人の集積である。そうだとすれば,社会が衰亡するということは個人の能力が低下していって,素質が下がった人口が増えるためだろうか?
シナでは近代になってアヘンの悪習に染まる人口の割合が確かに増えたであろう。しかし同時に文盲もまた減ってきているのである。 社会の劣化は,麻薬にふける人口が増えたことが原因ではなく,むしろそれは社会の結果がもたらした結果である。
個人の背徳や善行が社会に反映するならば,個人のいかなる変化が社会を劣化させるのだろうか?
既に我々は世界文明は極めて長期のマクロの視点から捉えてその盛衰の時間的地理的法則性を見出している。
■効率性・理知性ずくめの構造がもたらすもの
衰退した社会における人々の生活はどういったものであろうか。
孫文は中国ナショナリズムの リーダーである。彼は生涯を漢民族中国の 復活に捧げたのであるが,彼に深く傾倒してその秘書を務めた戴天仇は,中国人と日本人の 社会生活を比較して次のように述べている。
「人の生活は理知だけで成り立つものではない。理知だけで生きるとしたら人生は解剖室に置かれた死体と同様,生存の意味を失ったものになるだろう。これが国民の生活ともなればなおさらである。人生は計算可能なものだろうか?仮に人生が計算不可能であるとすれば科学はいらないことになる逆に人生が万事計算づくだとしたら,古来その計算は一度もあわなかったことになる」
「計算は生きるための方便であって,計算によらないものが生の意味なのである。人生とは絶えざる死滅の中で生き続けるものである。もし人が皆計算ずくなら,その中に生を求める力がどこから生まれるのだろうか?」
「中国はどうだろうか。 香煙が燻り,燭台の炎が揺らめく。城の台上に高く神像があり,何百人とも知れぬ男女がその下にひざまづく。彼らの信仰とは何だろうか?夜中にコソ泥を働いた男が祈る。神様どうか私が捕まりませんように。15日には鶏一羽を与えいたしますから!コソ泥にしてやられた男が祈る。神様何卒あの泥棒が捕まって盗んだ品が戻りますように!豚の頭をお供えいたしますから!
こんな計算ずくの国民のどこに信仰があるだろうか?信仰とは計算抜きのもの・計算不可能なものであって少しでも計算が混じれば信仰は成立しないのだ」
「心に共産革命を思って,口に国民革命を唱えて,実際には個人主義の生活を送る。この矛盾した虚偽の生活。これこそ計算ずくがもたらした 錯誤である。
日本の信仰生活を仔細に観察してみると確かに中国人のそれよりも純粋な点が多い。彼らの信仰生活の方がより純粋であって積極的であって非打算的であることは一目瞭然である。宗教についても教義や組織の両面でも中国よりも本物である」
「社会の実生活の諸相,とりわけ恋愛と戦争にはっきり見て取れる。中国の男女生活はまことにもって悲哀の極みである。家庭においてもよるがごとき愛の結合が見いだせないばかりか非公式な男女の結合でさえ例外なしにつめたい計算が働いている 。もし男女関係な単なる打算に落ちてしまえばもはや生存論理は完全に消滅する」
「日本で注目すべきは切腹と心中である。心中は自己の目的のために死ぬのではない。それどころか相手と自分の共存の目的のために死ぬのでもない。彼らはただ愛する相手の目的を達するために勇敢にも愛する者への犠牲となるのである。彼らの世界は小さい。この世界のために彼らは全世界を放棄する。心中が最も多いのはもちろん花柳界であって,計算ずくの環境なのに多くの男女がその環境の中で一切の計算を放棄する。二重性を持った生を超える生存意識が彼らを教えの道へ赴かせるのである 」
ー戴天仇著,日本論,市川浩訳
中国の愛国者・戴天仇は日本社会の本質をよく把握して中国に深く絶望しているように見えるが,しかしなぜこの中国か,についての理解はない。この点は魯迅にも毛沢東も同様であった。文化大革命は毛沢東一流の方法によるシナ社会の日本化が目的であったが,無残にも内部から中国の本質に帰ってしまった。
■文明・社会・組織の衰亡を止めるもの
彼らの失敗は時間を元に戻すことができないことを知らなかったところにある。
この日中生活の著しい対比は,
理知性で構成された中国社会と情緒性を多く残した日本社会の対比であって,何が爆発的な発展する社会をつくるかは明らかである。
社会の発展性を保とうとすれば可能な限り情緒性を保持しなければならない。
明治以来の日本は欧米社会の合理主義の衝撃と大帝国への野心によって論理・理性の方向に進んだ。
第二次世界大戦の敗戦は一見アメリカ的合理主義をさらに受け入れたようにも見えるけれども,それよりもアジア大帝国建設の放棄の影響が社会に与えた作用が大きく,むしろ情緒性・現実性の方向に戻った。
戦後高度成長期以来の企業の内部状況は,終身雇用とか会社協力などに見るように情緒面によるところが 大きい。
これは企業の業績を上げようとすると,自然に企業内社会の性格が理知性から情緒性に移動することを意味し,企業も国家も理知性・効率性に移行すれば衰亡することを意味する。
ー馬場周二,衰亡の法則,1986,


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ウクライナ・マイダネツィケ地下に5000年前の巨大建造物発見
5000年前の巨大建造物がウクライナで発掘される 
HISTORY_ARCHEOLOGY
2019/09/26
■文明の繁栄と衰退
研究者たちは巨大建造物の位置をマッピングすることで、それらが計画的に配置されていることに気がつきました。およそ等間隔で比較的小さなものが並んでおり、中でも特に大きなものが集落の中心に位置していたのです。こうすることで、彼らは社会階層の違いによって集まる場所を分けて使用していたのかもしれません。
しかし、時が経つにつれて比較的小さなものは使われなくなり、最も大きなものだけが利用されるようになりました。この変化が、当時の中央集権化についてのヒントを与えてくれると考えられます。低い階層の人々が集会をしなくなったということは、そうした人々がコミュニティの統治に関与することがなくなっていったことを意味します。そして、これが究極的にトリポリエ文化の衰退につながっていった可能性があるのです。
現在研究者たちは、こうした巨大建造物が、地域によってそれぞれ具体的に日常の中でどのような使われ方をしてきたのか、その違いについての調査を進めています。一つの文明の繁栄と衰退が、現代文明の未来を示唆していることも多くあります。今後研究が進むことで、現代にもより多くのヒントが得られることが期待できます。
reference: livescience / written by なかしー

Nazology
https://nazology.net/archives/45604




posted by datasea at 16:02| Comment(0) | V 歴史分析 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする