2019年06月09日

遺跡情報: 益田岩船 (奈良県)

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遺跡情報: 益田岩船 (奈良県)
益田岩船
近鉄 岡寺駅から 1キロ近くの岩船山頂上付近の斜面の
東西約11m、南北約8m、
高さ約4.7m(北側)の台形状の花崗岩の巨石。
以前、アメリカのテレビ局 ヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」 という番組でも取り上げられた謎の巨石。
飛鳥 ナスカ アステカ アラスカ
金剛山系や 吉野三山 はピラミッド 。
そして、世界中のピラミッドは繋がり。
埋蔵された鉱物の力で地球自体大きな一つの半導体にしているのでは?

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ティアワナコ〜アトランティス難民がたどり着いた古代の街

ピーター・コロージモ: ティアワナコ〜アトランティス難民がたどり着いた古代の街
永遠なる都
ナスカから南東へまっすぐに700km進んだ,チチカカ湖から遠からぬところに,インカの伝説が,大洪水から救われた牧人によって一夜のうちに建てられたと伝えられる「ティアワナコの廃墟」は立っている。
もっと古い話になると,天川の木を立てたのは巨人だと言う。
そしてその壮麗な背景を見るならば,それは十分に信じられることである。
非常に性格の研究を行っているポズナンスキー技師によれば,最後のティアワナコは16,000年前に建てられたに違いないと言う。
あるいは25万年前に建てられたと言う学者もいる。
矛盾しているように思われるかもしれないが,この意見もまた納得のいくものである。
つまりアトランティス大陸を沈めた異変によって破壊された街は,より古い街の上に建てられたのである。
ペルー沿岸には明らかにティアワナコの影響を受けた街がある。
そしてそこでユリオ・テッロ教授は1920年にアメリカ産の羊を描いた壺を見つけ出した。
羊のような動物の絵が発見されるのは別に珍しいことではないが,その動物は我々が知るような蹄ではなくて5本の指を持っているのである。
テッロは彼らは空想の赴くままに創作でその絵を描いたのではないことを証明した。彼は5本指の羊の骨を発見して,新たに人間は恐竜が歩き回っていた最初の哺乳類の出現時期に,既に存在していただけではなくて,世界のある場所ではかなりの文明に達していたことを証明したのである。
アトランティスから逃れてきた人々がこの地にたどり着いた当時,ティアワナコには,そのさらに昔の時代の都が放棄してから数千年を経ても他のアメリカ文明には知り得なかった青銅があり,金属は驚くべき形で細工されていた。そしてそこには溶解,鋳造,鍛造,浮き彫り,メッキ,繊条細工,象巌,溶接の間では知られていない技術が認められるのである。
そしてティアワナコには,我々のすべての知識と誇り得る機械をもってしても真似のできないような奇跡的な建物,ポーヴェルやベルジェの途方もない言葉を思い出させる奇跡が実現されているのである。
「アメリカの考古学者ハイアット・ベルディは30年間,中南米の失われた文明の研究に身を捧げ,彼は小説『光の架け橋』の中に意思によって現れたり消えたりして,とても越えられないような岩だらけの谷を渡してくれるイオン物質で作られた橋『光の架け橋』を通って到達することができる先インカの街について書いている。彼は80歳で没したが,最後まで彼の作品が単なる創作ではなく残された歴史なのだと言い続けた」。
ディエゴ・ダルコバカはこう言っている。
「湖の街チュキュト(ティアワナコ)の別名の建物の真ん中には24メートル平方の広場があって,その1つの辺に長さ14mの休憩所が建てられていた。
広場と休憩所は1つのもので作られていた。これらを岩に掘られたものであったのである。
今日でもここでは多くの像が見られる。それは男と女であって,全く生きているようである。
いくつかの姿は飲み物を飲んでいる姿であって,別のは川を渡るところであって,さらに別のものは赤ん坊に乳を与えている女性の姿なのである」。
ヒメネス・デ・ラ・エスパーダはこう言っている。
「世界の『8番目の不思議』である宮殿がある。
縦37フィート,横15フィートの石が継ぎ目もわからないほど完全に一つ一つはめ込まれているのである」。
著者不明
「ティアワナコの大きな王室は
縦48m,横39m
である。少し小さいものは
縦30m,横26m。
全くチグリス・ユーフラテスに聳える中東の王室とそっくりである」。
シェサ・デ・レオン
「大きな球体の中には
縦45フィート,横22フィート
の部屋があり,その屋根はクスコの太陽の寺と同じものである。
この部屋には沢山の記念門と窓がついている。
浅瀬が大広間に続く階段を濡らしている。
そこの人々はそれは世界の創造主・ヴィラ・コーチャに捧げられた神殿だと言っている」。
今日,個人のコレクションの中で鑑賞できるものは,この街の宝のほんの一部でしかない。
ほとんどが盗難か築材のためにダイナマイトで見るも無残に破壊されてしまったのである。しかしそれは本当に素晴らしいものである。
23キロの重さの純金の上,金の茶碗,それは,杯今マッサージ。
ビラ紅茶の街の古代の人々は今日われる我々がテーブルの上に乗せるものを知っていたわけである。
そして料理皿が初めてヨーロッパに姿を見せたのは16世紀末であるのに,アメリカにおいてはアステカ,インカ,そしてそれらの数千年も前の文明に見出せるのである。
ーピーター・コロージモ,神々の秘密,ボーダーランド文庫,

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チュイルリー宮殿の赤い男

チュイルリー宮殿の赤い男
エジプト遠征以降,ナポレオンの周囲には高名な預言者や占星術師の姿が見られるようになる。
重要な政策は占いによって決定されることもしばしばであった。
周囲の不安をよそに,ナポレオンは自分の方針に絶対の自信を持っていたという。
そして,そのことごとくが後に正しい選択だったと判明するのである。
やはり,ナポレオンはエジプトの土地で,超常的なパワーを身に付けたのだろうか。
しかし,彼の快進撃はいつまでも続くものではなかった。
皇帝就任後,ヨーロッパ各地を次々と制圧したところまでは良かったものの, 1892年,ロシアへの侵攻が失敗に終わると,にわかにナポレオンの求心力が衰えていた。
やめて皇帝の地位を追われてエルバ島に追放され,脱出して1度は皇帝に返り咲くも,ワーテルローでの敗戦を経て幽閉先のセントヘレナ島で謎めいた死を遂げるのであった。
こうしたナポレオンの栄光と没落は,彼が生まれる約50年も前に,預言者オリバリウスによって子細に予言されていたという。
混乱を収集して帝位につくこと,
寒い国での敗戦,
短期間の再起,
そして迎える最期。
すべての予言がナポレオンの人生と奇妙な一致を見せていた。
このオリバリウスの予言書は,帝位についた直後のナポレオン自身をも目にしていたという。
その時は笑って取り合わなかったが,ロシア遠征後に再びこの書を読んだ時はその口元に笑いはなかったという。
最後に彼の人生の終わりに現れた謎の人物について触れておこう。
ある日チュイルリー宮殿に閉じこもっていたナポレオンを,赤い服を着た男が訪ねてきた。
その男と話すナポレオンの部屋からは,
「お願いだからもう少し時間をくれ,まだ私のパワーを奪わないでくれ」
と言う懇願の声が漏れ聞こえたという。
だがこの日からわずか数カ月後,ナポレオンはエルバ島に流される運命となる。
この赤い服の男とは誰なのだろうか?
実は以前からチュイルリー宮殿に悪いことが起こる前には,必ず赤い服の男が現れると渡され,
「チュイルリー宮殿の赤い男」
として知られていた。
アンリ4世もマリー・アントワネットも,運命が下降し始める直前,宮殿内でこの男を見かけていたという。
一説ではこの男の正体は,「時間旅行者」「不老不死の超人」との異名を持つ錬金術師サン・ジェルマン伯爵だという。
実はナポレオンは,過去にもこの不思議な男と接触していた。
それは,あのエジプト遠征において要塞の地・マルタ島を征服したときのことである。
作戦の手引をして,島に上陸するナポレオンを迎えた人物こそ,サンジェルマン伯爵その人だったという。
ナポレオンは魔術の力を借りて栄光への階段を駆け上った。
しかし魔術を操っていたはずの彼の人生そのものが,実はもっと強い何者かの力にあるいは人知を超えた大いなる意思に操られていたものであったとは言えないだろうか。
雑誌ムー, 2007年8月号,

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消失した伯爵の足跡
カルボナリ党に入党したナポレオン3世はサンジェルマンに関心を抱き、彼に関係する書類等をテュイルリー宮殿に集めるように警察に命じた。この時の資料は1871年に同宮殿を襲った火災によって消失し、サンジェルマンの足跡のほとんどがこの時に失われたといわれている。

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BC%AF%E7%88%B5





死んでも生き返る伯爵
不思議なのは、不老不死であるサン・ジェルマン伯爵がある記録では1784年にドイツで死んだとされていることだ。
1775年に一度フランスへ戻った彼は、ルイ16世とマリー・アントアネットに会ってある忠告をした。1789年のフランス革命で王権が打倒されたことからもわかるように、当時のフランス王権は放っておけば滅びる運命にあったからだ。だが、彼の説得は不成功に終わった。そればかりか、危うく逮捕されて、牢獄に閉じ込められるような危地に追い込まれた。
彼はドイツへと逃れ、カッセル伯爵邸で錬金術の研究をして暮らすようになった。そして1784年、この屋敷の一室で急死したというのである。死因はリュウマチとうつ病だったという説もある。
しかし、この話そのものがどの程度確実なのかはっきりしない。というのも、サン・ジェルマン伯爵はこの後も何度となく人々の前に姿を現したことがあるからだ。
1789年7月14日にバスティーユの牢獄が占領された後、マリー・アントアネットはある匿名の手紙を受け取ったが、そこにはサン・ジェルマン伯爵の言葉としか思えないような、最後の忠告が記されていたという。
彼は革命中、パリのあちこちに現われたが、なかでもギロチンのあったクレーブ広場には頻繁に現われたという。
19世紀になってからさえ、サン・ジェルマン伯爵を目撃したという証言は後を絶たなかったのである。
http://flamboyant.jp/alchemy/alch12/alchemy012.html

Naver
https://matome.naver.jp/odai/2133453661268865801
http://www.never-world.com/contents/gperson/saint-germain.html








サンジェルマン伯爵とは
スペイン王妃マリー=アンヌ・ド・ヌブール と貴族メルガル伯爵 の私生児といわれている。
その人生を通じて享受していた経済的な安泰や高度の教育・教養はこの出自によるものが大きいと考えられる。
教養についていえば、同時代人には、化学に限らず様々な分野の知識が豊富で、巧みな音楽家であり、優れた画才を示したことが評価されている。
しかし彼の前半生は不明な点がきわめて多く、その正体が明確になるのはフランス社交界で活躍する1758年以降、彼が67歳になってからである。
しかしこの年齢が正しいのかどうかも不明で、社交界で活躍していた時期の彼は40代以前にしか見えなかったという。

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BC%AF%E7%88%B5





彼の異名
『不老不死の超人』『不老不死の秘術を知る錬金術師』『時空を旅するタイムトラベラー』などの異名を持つ。
ジェルジ伯爵夫人の話
この時の証人はいくらもいるが、フランスの貴婦人ジェルジ伯爵夫人もそのうちの1人であった。彼女は作曲家ラモーと同じ年の1710年に、ベネチアでたしかにサン・ジェルマン伯爵に会ったと証言した。
「そのときあの方は、45歳から50歳の間ぐらいでした。サン・ジェルマン伯爵にちがいありません。」
それから40年ほども後に、パリのポンパドール公爵夫人のパーティーで、再びサン・ジェルマン伯爵に会って、彼女は腰を抜かすほど驚いたという。同じ人間が、少しも年をとらないで、再び目の前に姿を現したからだ。
「まあ、あなたは私がベネチアにいたころお会いした方にそっくりですわ。でも、もう40年も前のこと……。人違いかしら?」
サン・ジェルマン伯爵は彼女にこう答えたそうである。
「奥様、私は確かに40年ほど前にベネチアでお目にかかった、あのサン・ジェルマンですよ。誓って本当です。あなたは当時まだうら若く、ご主人はイタリア大使であられましたね。」
「ええ。しかしその方は、確か、今のあなたと同じぐらいの年齢に見えましたけど……」
「私は変わらないように見えるでしょうが、実は非常に年をとっているのです……」
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hsg/_st_germain.html
ルイ15世の話
1748年、フランスに在住しているオーストリア大使が、国王であるルイ15世に、
「サン・ジェルマン伯爵という奇妙な人物がフランスに来ておりますので、一度お会いになったらいかがでしょう。」と話を持ちかけた。
退屈をしていたルイ15世は
「何かね、その人物は。」
と、興味を示した様子だ。
「どういった男なのかは私にも分かりません。ただ、その知識は膨大なもので、錬金術(れんきんじゅつ = 他の金属を「金」に変える術)や、化学に関しては並ぶ者がなく、不老不死の薬まで作っており、途方もない大金持ちらしいのです。」
ルイ15世は勧められるがままに、サン・ジェルマン伯爵と会うことになった。
そして当日、ルイ15世の前に現れたサン・ジェルマン伯爵は、歳のころは40代くらい、きちんとした身なりをして、話し方も紳士的であった。
伯爵はルイ15世に頭を下げると、ポケットから何かを取り出し、ばらばらとテーブルの上に置いた。見るとそれらはすべてダイヤモンドだった。
「これは陛下への贈り物です。どうぞ受け取って下さい。」
「このダイヤは? こんな見事なものをどこで手に入れたのだ?」
「買ったものではありません。これらは私が作ったものです。」
伯爵はあっさりと言い放った。
このダイヤモンドの一件がきっかけとなって、サン・ジェルマン伯爵はパリのあちこちの社交界で話題に昇るようになった。
伯爵自身も、いろんなパーティに出席しては貴族たち相手に不思議な話をする。
ある時はイギリスの中世の国王リチャードのことを話し始め、彼と一緒に十字軍に参加した時(第三回十字軍 = 1189 〜 92年)のことを懐かしそうに語った。 
聞いている人が疑っているような顔をすると、伯爵は自分の使用人を振り返り、
「君も覚えているよね、あの時のこと。私の話が本当だというこを説明してあげなさい。」
と言うと使用人は、
「それは無理でございますよ。私はまだ伯爵にお仕えしてから500年(300年や100年の説も有り)しかたってないのですから。」
「ああ・・、そうだったね。あれは君が来る前の話だった。」
などという会話をする。
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/kaiki/94sunjelman.htm

Naver
https://matome.naver.jp/odai/2133453661268865801
http://www.never-world.com/contents/gperson/saint-germain.html







出典www.jbook.co.jp
様々な逸話
◆彼は右手と左手が同じように使え、両方の手で別々に文字を書いて重ねると、ピッタリ合った。
◆たいへんなダイヤモンドの蒐集家で、指輪はもちろんのこと、鎖つき腕時計や嗅ぎ煙草入れ、靴の留め金にさえダイヤモンドをつけていた。
◆亜麻糸を使って絹のような布を織る工場をベニスにもっていた。その技術は彼が開発したもので、そこでは100人ほどの労働者が働いていた。
◆世にも稀な才能をもつ画家で、宝石のもつ輝きをカンバスに描く能力においては定評があった。驚くほど明るい色を出すことができたが、それは絵具に真珠を混ぜたためだといわれている。
◆いつも40〜50歳に見えたがシワはまったくなく、肉体の衰えも感じさせなかった。その態度は気品があり、威厳もあったがそれは人を畏れさせるものではなく、思わずかしずいてしまうといったタイプのものであった。礼儀正しく、洗練された人物であった。
◆人から何かを尋ねられる前に、相手の質問を見ぬく力をもっていた。またテレパシーによって、遠い街や国で自分が必要とされているときは、それを感知することができた。
◆東洋の秘教の原理に完全に精通していて、瞑想と集中を実践しており、数回にわたってヒンドゥー教徒のような姿勢で座禅を組んだ。あるいは、ヒマラヤ山脈の中心に隠遁所をもっていて、ときおり世間を離れてそこで暮らした。インドには修行のため85年間とどまっていた。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hsg/_st_germain.html
この驚嘆すべき人物には尋ねられる前から審問者の質問をこの上なく詳細に見抜く力もあった。テレパシーのようなものにより遠い都市や国家で自分が必要とされる時を感知することもできたし、扉を利用せずに、自室や友人の部屋に姿を現わすだけでなく、そこから同じようにして出て行くという驚くべき習慣もあった。』
出典http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/74f312cef2d94a3d36cac50513097554
小柄だが整った容姿、穏やかな物腰、洗練された会話、膨大な知識。
フランス語はもちろんのこと、英語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ポルトガル語、ヘブライ語、ペルシア語、アラビア語、サンスクリット語、中国語を話せ、楽器を弾いても絵を描いても玄人はだしだったというから驚きだ。
更に、彼はとんでもないことを言っていた。
アレクサンダー大王がバビロンの都に入場するとき自分もその場にいたとか、まるで見てきたように語ったのだ。
「カラス麦と水薬しか食べない」
というので使用人にたずねれば、
「まだ300年しか伯爵を知らない」
と言う始末。また、彼の実験室に招かれたカサノヴァが、言われるまま銅貨を盤の上に置くと、炎が上がって金貨に変わったという。
そして、再三の警告に耳を貸さないルイ16世とマリー・アントワネットに二人の運命を予言したり、当時は存在しなかった汽車や飛行機のことを詳しく語ったと言われている。
フランスの貴婦人は40年ぶりに彼に会ったとき、以前と変わらぬ姿に驚いている。
1987年、彼が西ドイツで死んだとされてからも、彼を見たという人が後を絶たない。
出典http://www.kdn.gr.jp/~takion/no4.htm
又、エリクシールと言う特殊な水を飲んでいるから死なないと言ったこともあったそうです
出典rikanet2.jst.go.jp

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サンジェルマン伯爵は何者だったのか?
一説によれば、サン・ジェルマン伯爵はフリードリッヒ2世の密命を帯びてフランスに送り込まれたスパイであり、フランス宮廷に入り込んで、秘密の政治工作をしていたのだという。
彼はしばしばヨーロッパ各地へ旅していたが、それはすべて政治工作のためだったというのである。
別な説によれば、彼は秘密結社・薔薇十字団の会員で、やはり密命を帯びて各地で政治工作をしていたのだといわれる。
薔薇十字団はきわめて錬金術的な自然哲学を持った秘密結社なので、これは大いにありそうなことだ
出典錬金術師の話 死ねない男≠ニいわれた奇跡の怪人物 *サン・ジェルマン伯爵
特殊なテロメアを持っていた?
スコットランドの生物学者の学説。動物の細胞には遺伝子が存在する。それが細胞分裂する際に、
その両端のテロメアという部分が短くなり、やがてなくなると分裂は止まる。これが、老いである。
しかし、リング状の遺伝子であればそれが短くなる事は無く、生殖は出来ないが理論上不死である。
彼によれば、確率からそんな人間が今までに5人は生まれているという。
出典http://yoshizokitan.blog.shinobi.jp/Entry/4121/

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