2019年06月03日

古代史研究会: 八咫烏はユダヤ支族ダン族の末裔ではないか

古代史研究会: 八咫烏はユダヤ支族ダン族の末裔ではないか
神武東征の謎を斬る!そのM 
八咫烏は空を飛んだか?!
Chiaki Matsumotoさんが言われるには
「ヤタガラスは絶対空を飛んでいた!」。
・・・そう言われれば、熊野の道なき道を進んで無事に神武軍を案内したり、敵の本陣の真ん中に飛び込んで行ったり、敵の大将の家に忍び込んだりと、ヤタガラスの動きはどれも人間離れしている。
まるで後世の忍者のようだ。
・・・空でも飛ばないとできそうもないことをやったのがヤタガラスたちだった。
では、彼らはほんとうに空を飛んだのか?・・。
人が空を飛ぶ、ということが可能かどうか考えてみると、歴史上、空を飛んだ人物が一人思い浮かぶ。修験道の開祖・役小角だ。
役小角には、流刑になって流された伊豆の大島から毎晩富士山まで飛んできていたという逸話が「日本霊異記」に伝わる。
・・・では、ヤタガラスと役小角になにか関係があるかというと、これが、ある!
役小角の出生した役家という家は、三輪系賀茂氏の出身であり、先祖をたどるとヤタガラスにまで行き着くのだ・・。
ヤタガラスがすでに神武東征時に空中飛行術を身に着けていたとしたら、役小角は先祖の秘術を受け継いだだけ、ということになる・・・。
さらに言えば、役小角の出生地は大和国葛城郡茅原郷。
神武東征時にヤタガラスが大活躍していた古戦場である。その上、役小角が若いころ修行していた場所はなんと熊野山中・・・。
・・役小角以外にもヤタガラスは、陰陽道の大成者である安倍晴明の先祖でもあるようだ。安倍晴明の師匠の名前は賀茂忠行と言い、この人も安倍氏もまた賀茂氏の一族である。
つまり、日本において一大開花した修験道も陰陽道も、もとをたどればそのルーツはヤタガラスにある。
では、ヤタガラスとはいったい何者だったのか?
ヤタガラスの本名は賀茂建角身命。
秦氏と並んで神武東征の戦いを勝利に導いた立役者であり、両者ともにその正体は北イスラエルから来たユダヤの10支族のひとつではないかという説がある。
私の推測だが、賀茂氏は10支族のうち、ダン族の末裔ではないだろうか・・・。
この賀茂氏という氏族、秦氏に比べると、かなりブラックな要素が見て取れる。
金鵄である秦氏に対して、ヤタガラス・賀茂氏。
これだけでも陽と陰、光と影、正と邪を対比させているような名前なのだが、それぞれの性質や言行を見ても、この対比は一層鮮明になって行く・・。
ヤタガラスは東征の戦いにおいて、
シキ兄弟、
ウカシ兄弟
と言う敵の大勢力を打ち破るために、誘降による内部攪乱という高度な心理占術を仕掛けている。
いずれの場合も内密理に弟に近づて説得し、寝返らせることに成功、敵の作戦や布陣まで詳細に聞き出したうえで対策を練り、見事勝利している。
ヤタガラスはオトシキやオトウカシに向かって、こんな風に言っていただろう。
「わが君の一族は末子相続なので、本来ならあなたのような弟君が家長の座に座るのです。
今のまま兄者に使われているより、わが君に仕えてこの地域の王になりませんか? 
それに、ナガスネヒコはどうしようもない乱暴者。
わが君の戦いは正義の戦いなのです。
勝ったときの恩賞は欲しいままですぞ。」・・・ 
正義を建前に名分を与え、本音のところは実利で誘う。こうして人の心を掴んでゆくヤタガラスのやり方のあざとさ、狡猾さ、人間というものの心の奥の奥まで知り抜いたような抜け目のなさは、なんとなく、現在のユダヤ商人にも繋がるものに思えるのだ。
神武やニニギといった天孫一家の人々が、人を疑うことすら知らず、ひたすら世の中のために奉仕するような善良無垢な一族であったのと好対照である。
実際、東征の戦いにおいてもヤタガラスの活躍する部分だけが巧妙で狡猾なスパイ活動であり、神武自身は仁徳の人で、そういう方面とは正反対の志向がある・・。
ヤタガラスのこういう性質はどこから来ているのか?
安倍晴明が大成した陰陽道という巫術は、どちらかというと、神様に祈念して世の中に恵みをもたらすというよりは、人を呪い殺すような目的のときに効果を表す、黒魔術的な巫術である。
・・・失われたユダヤ10支族は、それぞれ紋章を持ち、それぞれはっきりとした役割と特性を備えた部族であったという。
ダン族の紋章は「蛇」である。
また、ダン族の特性は、
「己の民を裁く。マムシのような狡猾さ。」・・・
・・・日本には蛇を祭神とした神社も多い。
特に九州には多く見られる。
蛇は邪神のように思われるが実は日本では金銭的な富貴をかなえる神であり、また、転生の象徴でもある。
もしも、ダン族が古代にイスラエルからインド経由で朝鮮半島にやってきて居住し、神武東征の頃、日本にやってきたのだとしたら、どうだろうか?
蛇を進化させた形が「龍」である。
龍神信仰もまた日本に多く残っている。
龍神は水を操る神として、古代から海人族の信仰する神であった。
神武の時代よりかなり前、南インドから塩土族というドラヴィダ系の民族が南九州に渡来し、勢力を持っていたという。
神武の曽祖父である天孫ニニギが降臨した際、彼はまずこの塩土族の本拠であった笠沙の岬を目指している。
そのあたりから西日本一帯、そして朝鮮半島の南半分までは、倭人が勢力を張っていた。
塩土族は倭人と戦うことなく交流し、交易などを通じて仲が良かった。
この一族の中から塩土老翁という大物が出て、神武に東征を決断させている。
…塩土族が南インドから九州を目指した時、ダン族の人々も同行していたとしたらどうだろうか?・・・白蛇信仰や龍神信仰がもたらされた経緯が見えてくるような気がする・・。
(写真は京都市にある晴明神社の鳥居。
五芒星が描かれている。
六芒星がユダヤ民族の象徴であり、精神と肉体の調和、現実世界と霊的世界の調和を表すのに対して、五芒星は現世での理想の実現を表し、時に悪魔の象徴にもなるという。
・・・どちらもユダヤの紋章である。)

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posted by datasea at 11:07| Comment(0) | ◉ 日本神話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする