2019年06月30日

FB古代史研究会: 偽書「旧事紀(くじき)」にみるべきものはないか


FB古代史研究会: 偽書「旧事紀(くじき)」にみるべきものはないか
古荘秀雄
【先代旧事記を復権させよう】
先代旧事記は偽書ということになっていて、資料的価値なしというのがいわゆる通説です。
ウイキペディアにはこう記されています。
*****************
「  先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の史書であり、神道における神典である。
『旧事紀』(くじき)、
『旧事本紀』(くじほんぎ)
ともいう。全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。
序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したとあるが、江戸時代の国学者である多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らによって偽書とされた。
現在では大同年間(806年〜810年)以後、延喜書紀講筵(904年〜906年)以前に成立したとみられている。
物部氏の氏族伝承など部分的に資料価値があると評価する立場の者もいる」
******************
偽書にあるとされる最大の理由は序文を聖徳太子、蘇我馬子が著したとあるからで、これは成立年の想定からすると明らかに間違いであり、そもそも、その時点で二人はとっくに生きてはいません。
内容についても古事記、日本書記の二番煎じの箇所も多く、総合的に見て後代の作り話であるということになりました。
しかし
です。
聖徳太子らが序文を書いたというのは、ある書物に箔をつけようと後代のものがしただけ。ということは十分考えられるでしょう。
そして記紀とかぶるところはあれども、それでは被らないところはどういうことになるのか?
物部氏という古代最大豪族の一族の記録という視点も必要ではないのか。
******************
Wikipediaより
「 序文には推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著したもの(『日本書紀』推古28年(620年)に相当する記述がある)とある。
このことなどから、平安中期から江戸中期にかけては日本最古の歴史書として
『古事記』・『日本書紀』
より尊重されることもあった。
しかし、江戸時代に入って偽書ではないかという疑いがかけられるようになり、多田義俊や伊勢貞丈らの研究によって偽書であることが明らかにされた[4]。
本書の実際の成立年代については
『古語拾遺』(807年成立)
からの引用があること、藤原春海による『先代旧事本紀』論が承平(931年〜938年)の日本紀講筵私紀に引用されていることから、『先代旧事本紀』は藤原春海による延喜の『日本書紀』講書の際(904年〜906年)には存在したと推定され、従って、『先代旧事本紀』の成立は
大同年間(806年〜810年)以後、
延喜書紀講筵(904年〜906年)以前
と推定されている。  」
******************
つまり先代旧事記が偽書というのは
成立年代だけが問題になっているという構造のようなのですね。
十種の神宝(とぐさのかんだから)
などの独自の表現についても一緒くたに作り話になるのはやや乱暴ではないかと思いますし、
饒速日の河内への天孫降臨なども独自のものです。
(記紀よりかなり詳しい)まさに物部に伝わる物語なのだと思うのです。

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FB古代史研究会: 武蔵はなぜ熊本金芳山を死地に選んだか

FB古代史研究会: 武蔵はなぜ熊本金芳山を死地に選んだか
オリンピックを五輪と表記する元となりましたのが、宮本武蔵が、平の岩戸山で記しました、五輪書によるものです。
岩戸山では、外国の方をよくお見かけいたしますが、欧州では、大ロングセラーの本として知られているそうです。
兵庫の高砂生まれ→岡山
の宮本武蔵は、なぜ、歌詠み場がある熊本の金芳山岩戸山で五輪書を納め、生涯を閉じたのでしょう。
それは、古代に伽那人がたどった、鳥人族の
金芳山(熊本)→金鳥山(兵庫)
への道と逆の道、古今集仮名序、高砂やの歌と逆の道をたどらなければ、真名である、観自在(私は在ると観る)とは何かを知る事はできなかったからです。
熊本藩での武蔵の役職は、お伽話をお殿様に聞かせるお伽衆でした。
宮本武蔵が五輪書を書いた霊巌洞のすぐ上の、山桃の木の下で、母に宿った私ですが、武蔵の本名の藤原玄信の名を知った時、ピンときました。
岩戸山は、天(中)津神を祀る中津臣(藤原)氏の故郷の、近津宇土の宮と、同じ松尾地区だったのです。
三刀流の海賊島のあった所でもあり、宮本武蔵の型破りの剣法は、船上で戦う海賊の剣法に近いと考えています。
写真は、宮本武蔵が描いた古木鳴鵙図ですが、獲物を枝に生け贄のように刺す鵙の習性により、生(令)と死(霊)の二天の片仮名の一流(真名、令霊の和)の学びを示しています。
また、武蔵は、達磨を好んで描いていますが、目を入れる達磨は、球磨日(クマラ)の八咫鏡(八方鏡369片仮名→神鏡666真名)の目でもあります。
球磨の雉馬(金人の鳥)は、クマラと同じデザインです。
達磨が、大陸での伽那人である可能性もありますのは、金芳山には、古代に、航海に必需のインドのダイダイが植えられていた事と、坂口の実家の達磨の絵には、頭蓋骨変形が見られる事からの推察です。

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小原一成教授: 次の巨大地震は千葉で間違いない

小原一成教授: 次の巨大地震は千葉で間違いない〜千葉沖でスロースリップ連発>>千葉沖で311級地震
【緊急警告】千葉県沖で超巨大地震が目前に迫っている! 政府、気象庁、学者もガチ危惧する前兆現象「スロースリップ」連発中!
2018年6月17日 07:00 44
百瀬直也
6月11日、防災科学技術研究所のチームが政府の地震調査委員会で、衝撃的発表を行った。房総半島沖で今月上旬から起きている群発地震は、プレート境界の岩盤がゆっくり滑り動く
「スロースリップ」現象
によるものというのだ。
この現象、実は東日本大震災の前にも発生しいたことが判明しており、前兆現象の1つだったという指摘がある。
つまり、次は千葉県の南東沖を巨大地震が襲う可能性があるということだ。
【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2018/06/post_17231_entry.html
■3.11の直前にもスロースリップ現象が起きていた!
まずは、耳慣れない読者も多いであろうスロースリップ現象について簡単に説明しておく。同現象は、他にも「スロー地震」「ゆっくり滑り」「ぬるぬる地震」などさまざまな呼ばれ方をするが、基本的にプレート境界で見られ、地下の岩盤に蓄積されたエネルギーが断層のすべり運動となって解放されるものだ。それが急激であれば高速なすべり(通常の地震)となるが、この現象は大小互いに影響を与え合っているという。さらに現在では、発生期間により短期的・長期的スロースリップに分けて分析することもある。
これまで地震学者の多くが、スロースリップが巨大地震の前兆となった前例はないと考えてきたが、その認識は本当に正しいのだろうか? 筆者の分析によって、過去にスロースリップの直後に大きな地震が起きたケースは、以下のようなものがある。
1994年、三陸沖で約1年にわたりスロースリップ現象が続いたが、同年末の12月28日にM7.6、最大震度6の三陸はるか沖地震が発生し、3人が命を落とした。また、宮城県沖では2011年3月上旬にもスロースリップが見られたが、その直後に東日本大震災が発生した。これらは、気象庁気象研究所により「2011年東北地方太平洋沖地震前に見られた前兆的現象」としてまとめて公開されているが、やはりスロースリップは大地震の前兆現象として十分に“あり得る”との認識が学会でも深まりつつあることの表れだろう。
■房総半島沖で不穏な動き
では、現在問題になっている房総半島沖では、過去にどのようなスロースリップが起きていただろうか。
房総半島東部から千葉県東方沖にかけての領域は、オホーツクプレート(北米プレート)の下にフィリピン海プレート、さらにその下に太平洋プレートが沈みこむという複雑な三重構造になっている。
オホーツクプレートとフィリピン海プレートの境界では、
1983年
1990年
1996年
2002年
2007年
2011年
2014年
と、頻繁にスロースリップ現象が発生していた。これらのうち2014年1月のケースでは、気象庁が地震に注意を呼びかけるなど異例の対応を取った。すると、約1カ月後となる2014年2月11日、房総半島南方沖でM5.3、最大震度3の地震が発生している。
今回、房総半島沖で6月3〜6日にかけて発生した群発地震に、通常とは異なる地殻活動が確認されたため、スロースリップと判定された。
そして11日、政府の地震調査委員会は、房総半島沖でのスロースリップ確認を受けて今後は地震活動が活発化する可能性を指摘していた。するとその翌日となる12日朝、千葉県東方沖でM4.9、最大震度3の地震が起きたのだ。平田直委員長は「きのうの会合で指摘したとおりに地震が起きたといえる。今回は震度3だったが、今後はより揺れの大きい地震が起きる可能性もあるので、地震活動に引き続き注意してほしい」(NHK NEWS WEB、2018年6月12日)と警告している。
■次の巨大地震は千葉で間違いない
このようにスロースリップ現象は、研究が進展することによって、将来的に地震予知の可能性が大きく開けるかもしれない。これは極めて重要なトピックなのである。
スロースリップ研究の第一人者である東京大学地震研究所の小原一成教授も、「スロー地震は巨大地震の発生と何らかの関係があり、観測によって巨大地震の発生や切迫度の予測に応用できる可能性がある」と語っている(読売新聞、2013年9月18日)。
そして問題は今、房総半島沖でスロースリップ現象の発生間隔が次第に短くなっているということだ。
前述の小原氏は、
「“スロースリップ”が起こる間隔が徐々に短くなっていった後に、大地震がくることがわかっています」(「週刊女性」、2014年2月4日号)
と指摘している。
さらに、次に巨大地震が起きる場所も特定できているとして、それは
「東北や南海トラフではなく、千葉県沖で間違いない」(「週刊女性」、同上)
と断定しているのだ。このように、日本列島を襲う次の巨大地震が、いよいよ千葉県沖に迫っている可能性は否定できない。警戒するに越したことはないだろう。
(文=百瀬直也)

Excite
https://www.excite.co.jp/news/article-amp/Tocana_201806_post_17231/

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Kagari ∞ Kazuki: 少子化現象は弥勒の世が迫る前兆現象

Kagari ∞ Kazuki: 少子化現象は弥勒の世が迫る前兆現象
2009年12月08日
少子化現象は、「弥勒の世」が目前に迫っている前兆現象
4割が「子ども必要ない」=20〜30歳代は6割−内閣府調査
内閣府は5日、男女共同参画に関する世論調査の結果を発表した。それによると、結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人は、2年前の前回調査に比べ6.0ポイント増の42.8%となり、1992年の調査開始以来最高となった。持つ必要があるとする人は同6.5ポイント減の52.9%だった。少子化の背景に、国民の家庭に対する意識変化があることを示した結果と言え、内閣府の担当者は「生き方の多様化が進んでいる」としている。
調査は、10月1日から18日にかけて、全国の成人男女5000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は64.8%だった。
子どもを持つ必要はないとした人は、
男性が38.7%、
女性が46.4%
だった。年齢別では、
20歳代が63.0%、
30歳代が59.0%
と高く、若い世代ほど子どもを持つことにこだわらない傾向が浮き彫りになった。(12月5日17時5分配信 時事通信)
少子化現象が進んでいる昨今ですが、それは、「弥勒の世」が目前に迫って来たことを示す、
前兆現象です。
もうこれ以上、地球上で生命が誕生しても、地球と共に、5次元領域へ連れていけないという、ある一定の少子化措置が、天上界から下されていることの裏づけです。
それは、地球が5次元領域へ移行中である今、
“もう、これ以上は定員オーヴァーです”
という天上界からのメッセージを反映しています。
そのメッセージが、地球人類の集合意識へ浸透し出した結果、
「何となく、子供は必要ないのではないか…」、
というふうに、人々の意識に映し出されています。
ですから、これから、生まれて来ることが可能になって来る場合は、新しい時代の、高次元領域に位置した地球、その新しい地球再建のために、
本当に厳選された、光の存在たちのみだと云えるのでしょう。
“たどり着いた ここに 愛を誓おう”
まきちゃんぐ さんが唄う 『鼓動』 のPVです。

シリウス文明がやって来る Kagari ∞ Kazuki のブログ
http://mihoh.seesaa.net/
https://web.archive.org/web/20080701105518/http://mihoh.seesaa.net/
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2019年06月29日

松原照子: 宇宙のバイオリズムを知る

松原照子: 宇宙のバイオリズムを知る
ゴットンおじいちゃまの宇宙の話
不思議な世界のゴットンおじちゃまから教えていただいた宇宙についてのお話をお伝えします。
宇宙とはすべての天体とその変化を含む空間の事ですが,そんな難しい話ではなくて。。
人類は何を基準にして太陽系の惑星を決めているのでしょうか?
大きさですかネ?
お話をお聞きしながらこんなこと思ってしまいました。
「水,金,地,火,木,土,天,海,冥」
このくらいは私でも出てきます。
土星の輪の傾きの変化で,あの土星の輪が地球から見えなくなるのをご存知ですか?
どうやらその土星の輪が見えなくなる時って,地球体内の活動が激しくなるらしいのです。
2009年がそうだったようです。
それから5年ぐらいは地球の重力が強まって,地球が大きく呼吸をするそうです。
この動きの周期は大中小と5年を3回繰り返すのだそうです。
土星は地球にとって活力を作る原動力であって,その土星の輪は私たちに土星の地球への働きを示すしるしでした。
こんな楽しいお話もしておられましたよ。
突然ですが,あなたは何座ですか
私は星占いは分かりませんが,次なる順番を覚えておられると,なんとなくワクワクしますよ。
1ふたご座
2しし座
3しし座
4おとめ座
5てんびん座
6てんびん座
7へびつかい座
8いて座
9やぎ座
10みずがめ座
11みずがめ座
12うお座
13おひつじ座
14おうし座
15ふたご座
16かに座
これらの星座は,土星が地球から見えやすい時に位置している星座です。
2,3のしし座, 5,6のてんびん座, 10,11のみずがめ座は他の星座よりも長く位置を確保しています。
ところでさそり座がありませんが,もしかしてへびつかい座でしょうか?
そのことを尋ねたくなるのを我慢して聞いていますと,今年(2011年)は4のおとめ座の年なのだそうです。
2年スパンで動いていて,その星座には地球のそれぞれの働きがあって,天空高くから地球を見守ってくれているようです。
私がワクワクした理由はこの順番です。
娘に教えを教えてもらうと,この順番は星占いの順になっているようです。
でもさそり座だけがありません。へびつかい座をさそり座に当たると思うことにいたします。
2011年はおとめ座です。
2年周期で位置が変わるそうです。
もしかするとこの周期,私たちのバイオリズムにも何か影響があるのかもしれませんね。
私はプラス思考な人間なので,自分の年は今よりも頑張ろうと思っています。
ちなみにちなみに私はてんびん座。
2013年〜2017年を楽しみにしています。
星と私たち人類とのつながりには神秘的な世界が詰まっているようです。
幸せを導く未来の暦,宝島社文庫,松原照子

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2011年おとめ座
2013年てんびん座
2015年てんびん座
2017年へびつかい座
2019年いて座
2021年やぎ座
2023年みずがめ座
2025年みずがめ座
2027年うお座
2029年おひつじ座
2031年おうし座
2033年ふたご座
2035年かに座

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[天体] 2019年7月3日蟹座新月/皆既日食,天体直列

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ホロスコープ所見: Harumi Oohata
2019年7月3日皆既月食
2019年7月3日,かに座方向で皆既日食が起きる。
全体的な天体配置は約19年サイクルで変化する。
前回は2000年1月2日にも,かに座の10度(10/15)方向で,今回と似た配置の皆既日食が起きた。
そして約19年後の2038年にも,今回と似た配置の皆既日食が起きる。
なので,全体のパワーを理解するためには,前回の2000年の1月にあなたがどういったことをしていたのか,何が起きたのかを振り返るのは大切。
また一方,前回19年前の皆既日食と,外縁部の天体配置は変わっている。
前回やぎ座方向にあった海王星は,現在みずがめ座の方向にあり,
前回にみずがめ座方向にあった天王星は現在おうし座の方向にあり,
前回うお座方向にあった冥王星は現在ふたご座方向にあり,
前回おうし座方向にあった土星は現在やぎ座方向にある。
(土星は公転周期が30年, 19年間に反時計周りに約11エリア移動した)
前回の天体配置の時期にあなたがどういった種まきをしたのか,それが今回に反映されるという作用がある。
2008年,冥王星がやぎ座エリアに入った。
2011年,東日本大震災直後に海王星が牡羊座エリアに入った。
「(メンタル面で)大きく変わりなさい」
というメッセージを意味する配置になつたのが2008年以降。
今の天体のエネルギーは紀元前1400年以来,3500年ぶりに構成される天体配置が作るエネルギーである。

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ホロスコープ所見: みけまゆみ
1ハウスに月と太陽が同じ方向にあり,その反対側に逆行している冥王星と土星が同じ方向にある。
これは人間関係が大きく変わる相。
人間関係のみならず,個人の生き方が大きく変わる相。
個人レベルで言えば,人間関係の結束,あるいはそのビジョンを問うことで,以前と異なる展開が生まれる。
親しい関係の中で,これまで続けてきた関係と大きく異なる関係を作る,新しくできた関係の中でこれまでにない関係が生まれる可能性。
過去にないサイクルに入ることで,過去にない展開という意味で夢を見るのも良い。
反面,壊れかけた関係が,さらに進んで別れると言う方向に進む展開もあり得る。
国家レベルでいっても,これまでの常識が通用しない展開が考えられる。
日本と海外の関係性が大きく変わる展開が考えられる。
冥王星と土星の逆行は,社会の関係性に大きく見直しが加わる相。
獅子座の0度方向に火星がある。
これは強い相,
どこかの国からミサイルが飛んでくる?
とういったことがあるか無いかは別として,軍事的なイベントが起きる危険性がある。
水星もしし座方向にあって, 7月後半から逆行モードに入る。
そういった事象を加えて考えると,
「爆発系」怖い。
軍事的爆発?火山爆発?

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2019-05-19
【地震予知】南半球月トリガー17で3日以内は要注意!5月19日10時台にはニューカレドニアでM6.8の地震が発生!地磁気の乱れが『南海トラフ地震』などの大地震のトリガーに!?
地磁気 太陽フレア
先日このブログで地震予知が出来るかもしれない『michelle(キャンディ)』さんについて書きましたが、 また気になる発言をしているので、ご紹介したいと思います〜
 【地震予知】日本の地震学者が『南海トラフ巨大地震』の予知に成功するのはわずか1%!
www.tenkinoarekore.com
⬛南半球月トリガー17で3日以内は要注意!!
地震予知では定評のある『michelle(キャンディ)』さんですが、昨日から今朝にかけて以下の投稿をしていました☟
キャンディ@loversky721
おはようございます。
月は南半球入り中で安心しきってましたが今朝特殊体感反応があり、twitterとInstagramにはシェアしましたがtwitterにはシェアされていませんでした。南半球月トリガー17です。
3日内注意して下さい。
11:50 - 2019年5月19日
これを見ると、南半球月トリガー17で、3日内注意となっていますね!!
⬛月の位置で大地震を予測出来るかも!?
これだけでは何を意味しているのか分からないので、ブログの方を見ていきましょう!!
月の位置で大地震を予測出来るかもしれないという方法のようですね!!
月が北半球の位置にある時は震災が起こりやすいとも書いています!!
今は南半球月トリガー17!北半球の位置が震災が起こりやすいんだよね?
月が北半球の位置にあるときに震災が起こりやすいことが分かりました。
ただ、1章で書いてあるように、今は月は南半球にあるんでしたよね。
どうも例外があるようです!
それについては5月14日のブログで言及されています☟
ameblo.jp
これを読むと、基本的には月が北半球にあるときに震災は起きやすいが、
南半球入り−△17
で例外が起きることがあるようです!
過去にはこのケースで1996年10月19日に日向灘でM6.6の地震が発生!
さらに詳しくブログを見させていただくと、過去にこの南半球入り−△17では、1996年10月19日日向灘でM6.6の地震が発生しているようです。
この地震の詳細は以下を見てください☟
http://cais.gsi.go.jp/KAIHOU/report/kaihou57/09-07.pdf#search='%E6%97%A5%E5%90%91%E7%81%98+1996%E5%B9%B410%E6%9C%88+%E6%B0%97%E8%B1%A1%E5%BA%81'
⬛さらに太陽フレアの影響で可能性が高まる!!
さらにこのブログでは太陽フレアの影響が加わると、トリガーの可能性が高くなると言及されています!
 そう言えば、現在はその影響が来ている時でしたね☟
www.tenkinoarekore.com
⬛5月19日10時23分頃にニューカレドニア付近を震源とするM6.8の地震が発生!
 本日5月19日10時23分頃にニューカレドニアを震源とするM6.8の地震が発生しています☟
www.tenkinoarekore.com
日本ではありませんでしたが、南半球入り−△17の例外にまたしても当てはまったみたいですね!!
⬛人間にも『地磁気』を感じられる第六感が備わっている!!
クジラやイルカなどの海洋生物には地震の際に発生する『地磁気』を感知する能力があると言われていますが、東京大と米カリフォルニア工科大などの共同研究チームは、3月19日に米専門誌にて、人間にも地球の磁気を感じる能力を持っていることを発見した発表しています。
www.tenkinoarekore.com
この発表によりますと、実験を行った被験者たちは、磁気の向きに応じて無意識のうちに脳波が異なる反応を示したことから、人間は地磁気を大まかに感じ取る能力を持つと判断したとの事です!!
ただ、研究チームの真渓歩東大准教授によりますと、「人間に未知の第六感があることが確認された。これを意識的に利用することは非常に難しいが、今後さらに詳しく調べて探っていきたい」と話しており、今のところは能力を使うのは難しそうですね!! 
⬛まとめ
本日は地震予知に定評のある
『michelle(キャンディ)』
さんについて取り上げました。『michelleさん』のブログによりますと、南半球月トリガー17で、3日内注意となっています。19日午前中にはニューカレドニアでM6.8の地震も発生していますし、一応注意しておきましょう!!
 
天気のあれこれ
https://www.tenkinoarekore.com/entry/2019/05/19/130008





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2019年06月27日

sayufm_musiclabo解析: 出エジプト

sayufm_musiclabo解析: 出エジプト
出エジプトからのイスラエルの旅路は、<民数記>での後半終りがけ第33章で、その旅の宿駅名を順に記す事で一つに纏められたふうに記されている。
しかしこれは、1−2節での説明書きのごとく、モーセがその宿駅(地名?)を書きとめた<古い文書もの>の宿順を参照してそのまま記入したものとみられる。
それゆえ、その大半の宿駅名(地名?)は、古くて今では特定判明することが出来ないし、また、モーセが覚えのため、何ら地名のないところでの宿営地をして、その地理的特徴に当てた宿名を名付けたとの推定もされれうる。
特にシナイ山を後にした、その旅路の初期の2年目、3年目のうちに<雲の柱の確かな先導>により宿営地が定められた折りに名付けたりして、
そして、その後、それから38年の期間、それはほとんど記事記録のない長い空白の時で、その後半終りにモーセ、アロンらに大々的に叛訴する大きな背反事件の起こりとその裁きの顛末処置(民数記16−17章)の詳述がなされた以外、他に目ぼしい記録もなかったが、その貴重な宿駅名録を基に準拠、照らしたかたちで、その長い年数を久しく行き巡る宿営生活が続けられていったという具合であった。
ともかく、ここでの<旅路順遍歴図>の説明としては、その第33章の前、後半の記事を参考に
民数記、出エジプト記、申命記
での他の言及記事、及び関連記事を検証し、それらの記事関係からの矛盾的な点、不明瞭な処を正しく解読し想定したところの<新旅程遍歴図>のものとして、ここにまづ呈示しておきたい。
先ずその旅程順は、出エジプトからシナイ山の荒野までと、シナイ山を離れた後での旅路に分けて見ておこう。
そのあと40年目のその最終旅程をその記事関連から明示しておこう。

Unknown Future
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/micoHP/indexb.html




pp6520190210258.gif


● 【出エジプト(ラメセス)からシナイの荒野(シナイ山)までの宿順旅程】
*(注)エジプトを出立したその月を年の初めの第一月、いわゆる正月として定めたうえでの旅立ちとなり、その15日早朝からあわただしく動き、ゴセンの地を離れ発った。
この定めの新年月日に依り、宿営の<経過日のり>が記述に順序良く留められている。
その主要な日のり大略は、先ず<エジプトの地を出て、ふた月目の15日にシンの荒野に来た>との記述があり、丁度、まる30日直後の日程を示す。(出エ第16章1節)
そして同じく、エジプト出後の三月目のその日(第一日)にレピデムからシナイ山の荒野に入り、宿営をそこに移したとの記事(出エ19章1−2節)がある。
まる45日を経過した日のりだった事が知られうる。
(シンの荒野からシナイの荒野には丸々15日を要している。)
・《宿駅その1》出立地、ゴセン地域のラメセスを発ち、スコテに宿営:(民数記33章3節)
その宿営の翌朝、午前中の内にそこを発ったかどうか、もう一夜そのまま留まり、旅の準備の不十分さを補ったり、旅の体勢を少しでもより良くする手立て、処遇を計ったりして、日を費やしたかも知れない。
・《宿駅その2》スコテからエタムに宿営:(民数記33章6節)
スコテから大海(地中海)寄りのペリシテびとの国の道が近くて便利であったが、そこへの道に向かわずエタムへ、そこから荒野への道が選択されたかに見えたが、そうではなかった。
イスラエルの民の男子は、国々の兵士のように訓練武装した集団ではなく、皆それぞれが自分なりに防備武装しただけの大群集の分団に過ぎず、戦いには全く不慣れで、戦いを知らない者が大多数であったから、、、。(出エ第13章17節以降、)
(エタムは荒野の端の地で、シュルの荒野の道の入り口。エタムの先、荒野の手前にはエジプトの主要な要塞、防壁が設けられていたようだ。)
・《宿駅その3》エタムから引き返して、ピハヒロテの地へ、その海寄りの傍らに宿営:(同33章7節)
エタムからの出立は、そこから進む方角を変えて、ピハヒロテの地へ引き返すという事態のものとなった。(民数記33章7節)
エタムからの荒野の道は、<シュルの荒野>を縦走してカナン方面へと通じた主なる裏道であったが、このルートも<主なる神の目論み>により、進み行くことはなかった。
*ピハヒロテの地を特定することは、古来、バビロン捕囚後の旧約聖書時代以降、現代に至るまでも、困難な事柄となっている。
だがこの地の海の近くに宿営するや、そこへエジプトの王パロ(ファラオ)率いる全主要な軍団の大軍勢が押し寄せ、追い詰められて行き場の無い事態に直面する状況を
伝える記述が見られ、そして、その面前の海(後の世に“紅海”とギリシャ語70人訳が翻訳されており、それでラテン語、英語などのヨーロッパ諸語はそれに準じているが、)を、神の大いなる奇跡の御業に拠り海面が分かたれることで、水の無い海底を渡リ行くといった状況が、追って渡り入ったパロの大軍勢の顛末が、そこでの大きなやま場の事蹟となって記されている。(出エ第14章〜15章で)
この<紅海の奇跡渡行>の場所に関わる記事、ピハヒロテの地とその海近辺への言及記述は14章2節で “ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、”とあり、<その前とは>即ち<海のかたわら>であり、そこに宿営したという状況を伝えるものだ。
邦訳では、<バアルツェボン>という地名らしき名が連記され、そのピハヒロテの地を位置付ける風に付されているが、その訳文には不明瞭さが残る。民数記33章での宿駅記載では、<バアル・ツェボンの向かい側、前方向>にピハヒロテの地があるといった感じの表記である。
(これは、記載巡歴地図の如くと見なせられる。ただし図示はイメージ配置です。
当時は、現在以上に、ナイルデルタから離れた南東方面の丘陵荒野から標高400、500m以上の岩山、そのピークは今も800m代だが、その山並みがスエズ湾の方向に弧を描くように伸びて、湾ののど元下手の海岸側に達していた。
したがって、ピハヒロテは、それほど広い低地を占めた地域にある居住場所ではなかったようだ。
バアルツェボンは、その向かいの西の方向、山手側の丘陵地にか、或いは山並みをなす岩山の谷あいの高台に設けられた神々の聖所拝殿、礼拝所だったとも見られる。
ある資料によれば、バアルツェボンは、フェニキアの海の交易船乗りたちの守護神との事で、それに比定できるかのようだが、ずっと後の習合によるものかも知れない。)
つまり、原典へブル語の文節で“ミグドルと海との間”の地域は、上記括弧書きのように、それ程広くはなく、海に向かってはだんだん狭くなってくる、その間に位置するピハヒロテに併行した、
西方、前向こうの方角に、バアルツェボンがあるという表現であり、そしてその文章の文頭では、ヘブル原典は、まず初めに“ピハヒロテの前に宿営せよ”と言命している訳で、それに加えてさらに注意深い明白指定
<その手前、その前方、あるいは、それに向かって>
という意味のイコール指定が、<海の傍らに〜>の言葉に付随したものとなっている。
さらにここで注目、題とすべきは“ミグドル”という言葉である。  
この言葉のルーツは、アブラハムが70才代後半以降にエジプトに寄留した頃から、その地で一般
的に使用されていた用語とみられる。海との係わり、特にエジプトのスエズ湾の海でも、その湾の最北奥の海域での、ある地理的状況の土地に密接に関係した意味ある言葉のようである。
つまり、そのエジプト古語(或いはヘブル古語かの)の原意は<湿地帯の土地>を意味、表わすものであったと推せられるものだ。
その湿地した地域の中央部にはアシの生い茂る、深みのある泥土、泥沼〔デイショウ〕が広がっているという地勢状況といったところであった。
その一般的な言葉が、時代が下って、かの預言者エレミヤの時代にはメンフィス、タパネス、パテロス、ヘリオポリスといった地名と並んで、エジプトの名ただたる地名の一つともなっている。
(エレミヤ書44章1節、46章14節)それまでにもそういった湿地帯に隣接した地域に築かれた要塞、或いは人の住む地が、要塞名、町名に転用されてきたケースがあったが、、。
<モーセの出エジプト時の時代>及び、それ以降も未だ地名などに転用されよう形跡は、まったく無く、原意のままのエジプト用語で、外来のヘブル語ともなっていった。
“ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前に”という記事での土地地域には、その東のシナイ側、シュルの荒野方面に対面して、その頃、推察するに、国境を兼ねたエジプトの防壁、防塁が、未だ
そこまで伸び築かれてはいなかった。
それゆえ、それの防備代用として、ピハヒロテの近く、ミグドルの前方に隣接した見通しの利く野地に、レンガや石、木で構築された<見張り台=watch tower>が設けられていた。
(これはエジプト軍の正規ものではなく、民営用のものであった)
その見張りの塔台をモーセらは、<ミグドル>という言葉を模して“ミグダール”と名付けて覚えの宿駅標の用語とし、また、その後の40年の宿営時代には、“塔”を意味するヘブル用語として
定着、用いられる。(それでまた、ミグドル自体も後に塔を表わすようになる。文字語の発展と共に、その子音字スペル は同じだが、発声母音がo オ から a ア の発音系に変わるだけだ。)
言葉上にあっては、<海との対比関係につりあうミグドル>、そして、村か町ふうの居住地らしき地名の<ピハヒロテ>に対比しての、神々の拝殿聖所なる<バアルツェボン>という対組二様の両者対関係の言葉であり、まさに言葉パズルを解くような感じである。
以上が<ミグドル>という言葉についての考察であるが、これに海が係わっている訳だが、この海をいわゆる、ずっと後の旧約聖書の翻訳時代に、ギリシャ語訳のほか、それに続いてヨーロッパ諸語が、その当該の海を<ヤム=海>という語だけで表わした場合と、同義の異名ともなる<アシの海>という表現のヘブル語“ヤム・スーフ=ים-סוף”を<紅海>と訳すに至っている。
ギリシャ語70人訳セプチュア・ギンタが、何ゆえに<紅海>と訳さざるを得なかったか。
ユダヤのラビら、70人余りがアレクサンドリヤにやって来て、その翻訳事業を聖なる仕事として請け負い始めた頃(それはBC3世紀後半〜中葉頃以降、プトレマイオス2世代)その頃の地理知識の常識では、スエズ湾を含めたその海は、<紅海>の名で広く世界に知られること、すでに過去、数百年来に亘っていたという実際的現状があった。したがって、当時のこの常識趨勢の、ギリシャ語ゆえの事情を無視し難いものと受けとめ、むしろ、あえて活用すべきが妥当との判断にて、学者らの意見が一致、
<アシの海を>を、
<ερυθρα θαλασσα=紅海>
と訳したわけであった。これは決して、誤訳の類と見なすべきものではない。
現代のスエズ湾及び、グレート・ビター(大苦湖)湖にはモーセ時代の自然地理地勢の面影は無いに等しいと言える。
地中海に通ずるスエズ運河の起点となり、カイロからは最主要な自動車幹線道路が設けられて、湾岸地域は産業資源の基地化や、都市化された発展状況を呈している。
ギリシャ語の
<ερυθρα θαλασσα=赤い海、紅海>
という名称言葉が定着するようになったのは、ペルシャ、ギリシャの時代に及んでからであったが、太古からの何らかの自然地勢条件及び、気象条件などで、スエズ湾の北端域や、大苦湖、ティムサ湖の周辺にはアシの生い茂る地理年代が、モーセの時代頃までだけでなく、ソロモン時代以降の後々までも少なからず、ずっと継続していたようだ。
現代のシナイ半島東側のアカバ湾では、今日でもアシの茂るところが見い出されるとのことである。
(スエズ湾の最北岸は、近現代の運河が造設される頃と、出エジプト時代の状況を比べるならば、数十キロもその北岸位置が北に寄って、違っていたであろう。
紀元前5千年期なる頃まではスエズ側と地中海側とが自然のままの水運でつながりをなし、スエズ側からの流れが、堆積される土石物を押し流す自然の営みがあったと見られる。
4千年期から3千年紀後半の頃には、北アフリカのナイル・デルタとなる東地域と、シナイ半島側とに一つ、二つの地峡、陸続きが出来てきたと見られる。
とにかくナイル川も5千年期後半頃から急速に大河への発展をなし、下中流域から上流域の動きやすい表層土石類を莫大な水流運搬力で以て、下流へ下流へと押し流していったと見られる。)
モーセらイスラエルの民が渡った場所は、アシの茂みから離れた、いわゆる茂みの終わった端の岩場となる境界の海岸からであった。
そこは、宿営地から南に少し下った所にあったと見なして良い。
かってモーセ時代のスエズ湾最北端地域は、塩分濃度もきわめて低く、半淡水化していたと見られ得る。
大苦湖も大いなる淡水湖であって、その頃は、スエズ湾のほうにその水が浸潤する傾向を見せていたと推定されうる。
それが逆転したのが、おそらく、モーセが率いた出エジプト時での、その<奇跡の海渡り>による出来事以降の事象だと推断される。
また、その泥沼〔デイショウ〕、および湿地帯の土地地域=ミグドルも、近くの丘陵砂状荒野や、岩肌の山地から、その風化により運び寄せられる堆積物事象でもって、長い間のうちにしだいに乾いた荒れ野土壌(中世、近代に至って見られる)ふうに変わっていったようである。
・《宿駅その4》ピハヒロテの海の中、露見した海底を渡渉後、三日路にてメラに宿営:(同33章8節)興奮冷めやらずの<海なか渡渉の奇跡>で心が高鳴るふうであったが、まだまだ旅慣れするほどには日も浅く、その流浪旅は色々な面で十分な余裕がないまま、海沿いの、道なき道、道も途切れ、ほとんど人の通った跡も無い、
<エタムの荒野>
と名付けたその荒野に導かれ行く。その日、昼頃から順次、出立の整えをして、海から上がったその地を後にしたと見られる。
(出エ15章22−25節。エタムの荒野はシュルの荒野域内の一部だが、民数記33章の宿駅では、名付けの覚えとして<エタムの荒野>と表記している。)
<三日路にてメラ(マラ)に>、大群衆団の長だの列、三日路ほど進む間、その三夜を荒野で休寝したようである。
水を求めて三日の間、荒野を進んだが得られず、その三日目の夕、ようやく水のある処に辿り着いた。
が、しかし、そこの水は苦くて飲めなかったと、、、(それでメラと名付けられている。)
飲めばお腹を痛める、病をなすと、、、それで主なる神は、モーセにその水を<中和して甘くする木>を示され、泉に投げ入れ飲めるようにされた。
(これは、その木自体の質に中和力、甘味力が備わっていたかどうかは判明しないが、もし、何でもない普通の木ならば、神がその木を介して、質的な奇跡をなされたということになる。
だが、実際には<なつめやしの木>であったかも知れない。
この名を記すと、書文に重みがなくなる。
次ぎのエリムというオアシスに同名の木があると見れば、、、。いずれにせよ、神様の知恵、みわざの奇跡と見るべきであろう。
あいにくにも、その処置後、そこの水を飲んでも誰一人、病人になるような事はなかった。そこで
<民のため>に、この折に初めて、その最初の<定めや、おきて>を立て与えられた。それは聖別
された神の民となる為の前準備、心備えの事前訓練ともなるものであった。)
*シュルの荒野にはシナイ半島をミデアン、アラビヤ方面に向かう隊商路が、その中央部分を横切るふうにあったが、その大集団のイスラエルの民らは、以上のように、その道に進む事はなかった。
(先ずは、大変な大群衆ゆえ、各方面地域の居住諸族民を騒がせ、刺激しない為に、、、。)
・《宿駅その5》
メラを出立して、エリムに宿営:(民数記33章9節)
先のメラでは、そこに到着した日の翌日にも留まり、その夜も宿泊し、その翌朝エリムの方に旅立ったようである。
エリムは、まさに小規模ながら荒野のオアシスのような所で、そこで十分な休息と、さらに続く旅への、より十分なる備え、色々な繕いの整えをなしたようである。
(ここでの宿営滞在は1週間〜10日以内ほどのものと推定されうる。)
その場所には<水の泉が12と、ナツメヤシの木が70本>
があった〔15章27節〕と記されているが、その泉に関しては、自然の湧き水の場所を見つけ、また他にもあろうかと探し出し、人々が十分に飲めるよう、利用しやすいよう緊急に整備、或いは拡張してのものであったろう。
ともかく、なんとか<12の泉>を確保する事ができたというものであったに違いない。
これは大群団の民が一応12部族余の分団に分けられていたからであろう。
*当時そのオアシス(エリム)に依拠して、土着の人が住み、集落をなしていたか、どうかは定かでない。
この泉のオアシスも生気あふれるものではなく、干からびかけ、やがては自然事象のままに埋まったり、地勢の変化で涸れたりして消え去るものとなったであろう。
・《宿駅その6》エリムを離れて、紅海のほとりに宿営:(民数記33章10節)
このエリムの後の紅海、そのほとりでの宿営は、出エジプト記では省かれ、言及記事は見られない。
15章27節のエリム記事のあとに記される筈の順であるが、そのまま第16章の章区内容の文となり、エリムを出たあとの記述を別の表示内容に関連付けている。
*先のエリムのオアシスで、充分一息つき、元気づいての旅立ちとなったが、紅海のほとりに出て、さらなる英気を養うものとなった。
そこでは海の幸を手に入れ、肉なべを囲む事も出来たとも、、
ここでは、再び旅の再出発、元気旅になるようにとの思惑で、豊かさのある海辺に導かれたものと見られる。
旅にも慣れ、旅生活の知恵も付いてはきたが、次なる道程がさらにきびしく、困難なものとして、控えていたからである。
(モーセは、この海のほとりでの生活模様事、何一つ記してはいないが、ちょっぴり悪い結果面がそこから映じたふうに記述していると見られなくもない事態が後に見られる。
つまりその後の旅の<シンの荒野>で、たちどころに、エジプトでの肉なべの事を思い出させる一因の働きが、この海のほとりでの一抹の宿営生活に潜んでいたからであった。)
ともかく、民らにとっては、紅海のほとりでの宿営は、過酷な荒野での旅路からの一時の解放となり、少なからずの満足と慰めを得て、引率指導者モーセへの訴え、不満を言うような事も暇も無く、その生活時間を費やしたようだ。
それ故、ことさら此処での宿営記事は、何一つ記すべき必要がなかった。
むしろ記すべきでない事が、その判断としてベストな真意ともなっていたと見られる。
・《宿駅その7》紅海のほとりを出立し、シンの荒野に宿営:(同33章11節) 
この紅海のほとり(現スエズ湾のはるか南方)での記事は、出エジプト記には、何一つ記録に残されていない。
モーセが一言も、何一つ書き記さなかったことには、彼なりの聖なる思惑基準があったからであろう。
前記のメラの記事とエリム記事は、それなりの彼の記憶に留まるところのものとなったとも解釈されうるが、当該の出エジプト記第15章22節以降、16章初め(1節)までの間、エリムの次ぎに来るはずの、この<紅海のほとり宿営>は、その土地の名さえなく、記されず、出エジプト記事には見られないものとなる。
(表示記事は、エリムを出発し、そこから<シンの荒野にきた>記すことで、その日までの全道程日数を明確に示す。
その表記が重要だったと見られ、そしてその荒野の位置を示す事を強く意図した文言としている。
もちろん、エジプトを出立しての<二ヶ月目の15日>ということであるが、。
<紅海のほとり>が、エリムとシンの荒野の間の中継点にありながら、外されてはいるが、その日
数の丁度、まる30日間のうちに含まれたことは、間違いなき宿駅順として確かな事実だ。)
*その紅海のほとり宿営での、推定人数140万から、上限170万とされる民らの生活事情、生存状況は何一つ伝えられていない。
が、そこでは恐らく前代未聞の事が起ったと思われる。
エジプトにいた頃、先祖代々ナイル川では行なった事のなかった漁獲の労をなす機会を得たと推定される。
その漁獲とは、海牛とも言われる<ジュゴン>であり、その漁は、かなり大量な数のものであったと見られる。
(ジュゴンの肉は、牛の上質肉より美味しいと言われている。)
(出エジプト出立時の民の数、ラメセス、スコテへの段階で、
<女、子供を除いて徒歩の男子は、約60万人であった>
と、そのおおよそを見て記している。〔出エジプ:12章37節〕、
民数記ではその1年1ヶ月後だが12部族系からの各氏族の下に数えられた20才以上の男子は、その調べの総計として、
60万3千5百50人と挙げている。〔民数記:1章46&2章32節〕
この数はほぼ正確であろうが、しかし、各氏族のそれぞれの父祖の家ごとに挙げた人数であるから、下僕らもその数に入れていたと見られる。
女、子供の数は記されていないが、丁度同じ時、レビ部族を除く、12部族での初子ウイゴの数が上げられている。
これは、生まれて一ヶ月以上からの初子を数えるもので、20才代までの初子〔としての長男〕を含めたものとなるが、その数は、レビ系族を除く全部族で、
2万2千2百73人
であった。〔民数記:3章43節〕
そういった数値から予測すると、女、子供は、それぞれ凡そ30−40万で、x2倍ほどと見られよう。
すると、総計では約60万にこの80万を足して、
140万、
これが妥当な下限の数となる。
因みにレビ族の男子の数が、他の12部族と比べてすこぶる少ない。
生まれて一ヶ月以上の男子の全総数は2万2千人であったと記している。〔民数:3章39節〕
すると20才以上の男子は、その半分を割っていたかも知れない。
12部族のうち最小数は、
ヨセフ系のマナセの諸氏族3万2千2百人、
最多数はユダ系族の諸氏族7万4千6百人、
その数値の間に、
6万代が1部族、
5万代が4部族、
4万代が4部族、
3万代が1部族〔ベニヤミン系・ヤコブの末っ子〕、
という男子20才以上の各々の数であり、レビ族系との大差が明らかに見られる。〔民数:1章20−43&2章、3章39節〕)
モーセの書き記す書は、民らの生活記録を中心テーマにしているわけではなく、神と神の言われる言葉、及び、それに係わる関係状況を記すことが中心主旨としているから、モーセの内にある心意では、神の言葉に直に関わらない、結びつかない生活事情、状況などは、質的に止揚変換されない余分なもの、むしろ妨げとなる事柄類として対処されるというものであった。
だが、モーセは、後にシナイ山での神の言葉啓示の折り、民らのうちに数多く所有されるようになっていた<ジュゴのなめし皮>に関する生活状況で、聖なる還元止揚のものとして、幕屋の天幕及び、聖器具運搬時等でのおおいの保護カバーとして活用される旨の啓示内容を示すに至る。
〔出エジ:25章5、26章14、35章23節、36章19節等、民数:4章6、8、10−12、14節〕
(幕屋聖所に関わる造営資材に関して、その入手ルートなど、エジプトからの持参の物だけでは足りなかったと言えよう。
かの紅海渡渉後、海岸端に打ち寄せたエジプト軍の残骸からも少なからず利用可能な物、戦車の輪や武器武具等々を含め、色々な回収物を得た事であろうが、、、、
<ジュゴンの皮>については、当時の交易市場品としては扱われていなかったと見るべきで、その入手は不可能、それ故、民ら自らのオリジナルなものだったという他ない。
(羊のモジャモジャ毛を紡ぐ技術がすでにあったかどうか、青糸、紫糸、緋糸は、羊毛のものだったかどうか、その当時、自明だったから記事には記されなかったかとも。ヤギの長く垂れ下がった毛を紡ぐ技術があり、その毛糸で機織し、幕屋をおおう天幕のための幕を仕立てた。
〔出エジ:26章7−9節〕)
また、<羊、ヤギ、牛などのなめし皮>の製作技術、染め技術(あかね染め)など、エジプトにいた頃からお手の物であったであろうゆえ、自前で造ることができたと見られる。
かなり多量に必要となった金や銀、及び青銅の金属物に関しては、たまたま立ち寄る交易商人などのルートからも賄えたと見られるが、青銅造りでの銅資源に関しては、当時シナイ半島のシンの荒野近辺地域にあった、エジプト王家所有の銅山所からの入手、或いは、一時的に占拠利用しての確保かも、、。これも民らの自前活動のもの、記録に書き記す必要なき事であった。)
*シンの荒野の宿営では、主なる神との係わり上における、特記すべき事象事蹟の記事が記されている。
これは、その出エジプト記第16章全体を直接読んで頂いたほうが最善であろう。これも後世後々までも有名になるところの記事の一つと言える。
ここでは、主なる神のご主権と、民への御思いが、民らの日常生活、その基本の食と労役面から、神のみわざ奇跡の下に実践的に教育されるごとくである。
先の宿駅メラで、民全体が一つにまとまり、生活の規律パターンとして、共同体的な社会秩序をなすため、主の定めとおきてが立てられている。7日目に民が休むようにと、その安息日を公けに定め与えられたものとなる。
それを守るべく直接的訓練のごとく、神が大いなる御業をもって朝夕の食の供給にたずさわり、その神自らの気遣い労の下にて、なされ試されるものとなる。
(何ゆえ荒野、シナイ山その聖域への民の旅であったろうか、、、。
ただ単に、<民の聖別>の為だとの一言で尽きるものではない。その真理をひも解くに深いものがある。
ともかく、出エジプトを果たしたその民らにとって、これから先に近づかんとするシナイ山、
当時、その地域を特別な聖域として前々から既に定め対処せられ、お待ちなされていたようなものであったが、、
ともかく、その場所を目前に控えての、民らに対する事前予備的カルティベイトであったと見て良いものだ。)
さて、次ぎに下の二つの宿営地・その名、ドフカとアルシについては、出エジプト記ほか、それらに関わる記事は、どこにも記されていない。(民数記に宿営名が挙げられているのみである。)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・《宿駅その8》シンの荒野を出て、ドフカに宿営:(民数記33章12節)
出エジプト記の第17章1節で、“シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、云々”との表現言葉があり、この<旅路を重ねて、>の旅程のうちにドフカと次ぎのアルシが含まれ、その語句のうちに含まれ、準ずるものとなる。
*シンの荒野からレピデムを経て、シナイの荒野に着くまでの所要日数が15日間であるから、ドフカ、および、アルシは、その旅路で、一晩か、二晩、夜休むだけの宿営だったと見られる。
シンの荒野では10日近く宿営したであろうと想定される事から、、、、。
・《宿駅その9》ドフカを出て、アルシに宿営:(同33章13節)  
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・《宿駅その10》アルシを出て、レピデムに宿営:(同33章14節)
・《宿駅その11》レピデムを出立して、シナイの荒野に宿営:(同33章15節)
ここで、エジプトの地ラメセスから目指したシナイ山、その荒野、麓地域までの一時的な目的地・道程までの旅が終了するものとなった。

Unknown Future
http://www.geocities.jp/sayufm_musiclabo_s/micoHP/indexb.html










(Google Earth からのコピー転載)
[写真画像の説明]:
写真中央の峰々を中心に、斜め写りになっているが、三つのブロックに大きく分かたれた山岳地形になっている。
中央ブロック山系の前面、斜め上の角あたりが大きな十字路のように広いスペース沿いになっている。
現在は、観光エリアになっており、シナイ山や、聖カタリナ修道院などの観光案内センターの建物、宿泊施設等のホテルなどがあり、リゾートタウン化の様相をなしています。
中央の山系ブロック斜め上、角の十字路から、その中央と上隣ブロック山系との、谷あいの道を斜め下方に下ると、AD4世紀の創始、のちに創設された<聖カタリナ修道院>の建物が小さく写し出されています。
*中央ブロック山系の山並みの下部、後方に<エベル・ムーサー>の峰・山頂名が示されていますが、はたしてその山頂に現在設けられている記念聖堂が位置している場所なのかは判りかねますが、
エベルは、アラビア語のヤベルまたはジェベルからの発音転化のもので、<山>を意味しており、ムーサは、モーセを指しますから、<モーセの山>ということになります。
*しかし、この画像に示された<エベル・ムーサー>位置まで、実際に出エジプト時のモーセが登りわけ入っている訳ではありません。
つまり、3ブロックに分かたれた山々全体が、出エジプト当時に言われたシナイ山感覚の全域観なのです。
したがって、三つの山系ブロックの前、先に述べた十字路の地域を中心に、左右、斜め上手に延びた全地域が、イスラエルの民の宿営地となった<シナイの荒野>ということです。
当時のモーセは、中央のブロック山系、上部角の十字路あたりから、たぶんそのブロック系の上部奥あたりの峰々の一つ(画面下方のエベル・ムーサーまでも行っていない)に留まったと思われます。
このあたりの峰々から下山すると、その途中から民の宿営地全体が見渡せます。又人々の動きも目に入るようになってきます。さらに山頂に近い中腹辺りに、当時には適当な広さの自然のテラスがあったようで、そこからずっと奥の高い峰々(エベル・ムーサーの方角)が望み仰がれるものともなります。
●【シナイ山麓、シナイの荒野での長期宿営】
●【シナイの荒野からの新たな出立、約束の地カナンへの巡り行く旅路の過程】

Unknown Future
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2019年06月25日

2019年06月24日

地震メモ, 2019.6


pp6520190625{5}03.jpg
6月の地震の連関,日本付近




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6月の地震の連関,太平洋







Screenshot_20190619-095053.png
2019.6.17, 中国四川省地震


中国四川省地震で11人死亡、122人けが
2019年6/18(火) 7:27配信 共同通信
【北京共同】
中国四川省宜賓市で2019年6月17日夜に起きたマグニチュード(M)6.0の地震で、中国メディアによると、
地元政府は2019年6月18日、死者が11人、負傷者が122人になったと明らかにした。

Yahoo
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190618-00000025-kyodonews-int













2019.6.20 台湾
6/20、台湾時間:23:45
RMTインスタントモーメントテンソル監視システム:大きなスクイーズ*アスタリスクの北西隅には信号が振り落とされませんでした、データ台湾:北東方向に5〜6.8の強い衝撃があります!
台湾の東〜海辺への日本の強い影響? ご注意ください...

Facebook
https://www.facebook.com/groups/464672723885090/





2019.6.21 台湾
6/21、10:45台湾彰化ワイハイ4.0
10時40分、日本のひまわりの衛星写真はありません、(異常)!
10時50分、それは正常です、従って地震が干渉することが知られています(衛星信号)。
(衛星干渉信号)も地震の前兆の重要な観測指標です!
6 / 24、10:53、インドネシアの7.3の地震
日本ひまわり衛星、6/21〜24連続4日10時40分マップデータなし(異常)

Facebook
https://www.facebook.com/groups/464672723885090/permalink/896834264002265/



2019.6,21
M6.2 D35km
ニュージーランド北方、ケルマディック海溝
2019.6/21 17:37JST

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2019.6.22 米西海岸沖
北米西海岸オレゴン沖でM5クラス群発!2019.6/22 サンアンドレアスでは #スォーマゲドン #Swarmageddon と恐れられている1000回を超える群発も発生している!

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2019.6.23 09:11
今朝の千葉地震
よく見たら、、なんと‼️
09 11 44 でした。
911は、アメリカテロ自作自演月日
11 22 33 44 と来てます。
55に注意警戒❗

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地震雲,北海道,2019.6.23













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2019.6,24, インドネシア
大きい❢
震源・震度に関する情報
気象庁 令和元年06月24日 12時12分 発表
情報第1号
24日11時54分ころ、海外で規模の大きな地震がありました。
震央 インドネシア付近
震源 南緯6.6度/東経129.1度 
深さ220km
地震の規模 M7.5
この地震による津波の心配はありません。
PTWCでは24日12時1分に津波情報を発表しています。

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2019.6.24
パプアニューギニア、M6.1、D22km、
2019.6/24 10:05
千葉南房総沿岸、
M5.7の約1時間後

USGS
https://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/us600044z4/executive







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M4.3なのに緊急地震速報?
2019.6/24 19:23
震源;伊豆半島北東部、伊東市宇佐美沿岸
深さ3km(気象庁10km)

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posted by datasea at 22:59| Comment(0) | ∞ 自然現象 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする