2019年03月23日

[奇譚] ビクター・フランケンシュタインの日記

[奇譚] ビクター・フランケンシュタインの日記
■小説「フランケンシュタイン」
イギリスの女流作家メアリー・シェリーが1818年に出版した怪奇小説の傑作「フランケンシュタイン」をご存じだろうか?
有名な詩人シェリーの妻である彼女がわずか19歳のときに書いた小説である。
この小説が2世紀を経ようとする現在も映画に戯曲に用いられているのは,何よりもそれが生命を作り出すという,神への恐ろしい冒涜行為を犯した者の悲劇という今日に通じる問題をテーマとしているからであろう。
作者のメアリー・シェリーは名高い無政府主義者ウィリアム・ゴトウィンと「婦人の権利の擁護」を書いて女性の自立を主張したメアリ・ウォルトンクラフトとの間に生まれた。
聡明な美しい少女に成長したメアリーは16歳のときに当時21歳の名高い叙情詩人パーシー・ピッシェと出会った。
メアリー・シェリーにはハリエットと言う美貌の妻がいたが, 2人の間にはすでに愛情がなくなっていた。
無政府主義を愛し,非現実世界に浮遊するシェリーに,ハリエットがついていけなくなったのである。
2人はメアリーの母の眠るオールド・セント・パンクラス教会の墓地でデートを重ね, 2人の恋は情熱的に盛り上がった。しかしメアリーの父ゴトウインは2人の恋に激怒した。書物の中の理論と現実は違うと言うのである。
その矛盾に失望した若い2人は出会って2ヶ月もたたないうちに駆け落ちすることを決意した。
2人の恋の逃避行の地に選んだのはスイスであった。
逃避行の後に, 2人はロンドンに帰国した。しかし経済観念のないシェリーは借金を重ねて,債権者に追われてホテルを転々とした。その生活の中で月足らずの子供を産む。
しかし2週間もたたないうちに子供はこの世を去ってしまうのである。
メアリが受けたショックは大きく,数日後に亡くした赤ん坊が生き返った夢を見る。
腕に抱くと氷のように冷たいので暖炉のそばで必死に赤ん坊の肌を暖めた。
すると赤ん坊は目を開けて彼女に微笑みかけたのである。
うれしいと声を上げて周りを見回すと籠が空っぽだった。
翌年の1816年の1月には長男ウィリアムが生まれて,メアリとシェリーは幼児を連れて5月に再びスイスを訪れ,シェリーの親友である詩人バイロンとそこで落ち合う。
シェリー夫妻はレマン湖畔のイギリス・ホテルでバイロンに会い,対岸の村に小さなコテージを借りた。
バイロンはそのコテージを見下ろす丘の上のヴィラディオダディ荘を借りて一夏をシェリー夫妻と共に過ごしたのである。
メアリーはヴィラディオダディ荘で繰り広げられる詩人の議論に熱心に耳を傾けた。
バイロンの侍医ポリドリを交えた議論は,詩論から科学,医学に及び,彼女を夢中にさせた。
18世紀以来自然科学は目覚ましい発展をとげ,生命の誕生は当時の人々にとっての最大の関心事であった。
チャールズ・ダーウィンの祖父エラズマスがスパゲティの切れ端を試験管に入れて何か処置をしたら動き出したとか,イタリアの解剖学者ガルヴァーニが蛙の脚に電流が出たらカエルの足が一瞬痙攣を起こしたとか,
その実験を重ねればたとえ生命の誕生までは無理でも,もしかしたら死者を蘇らせる知らせることができるのではないか。そんな話題はメアリーにも人気が強い印象を残した。
さらに夜には,怖い怪談話に花がさいた。
ある晩突然バイロンがこんなことを提案した。
皆それぞれ今まで誰もかつて書かなかったような身の毛もよだつ恐ろしい話を書いて競おうではないか。
メアリーにもその宿題は課せられ,怪談作りを始めたのである。
そんなある夜,メアリは夢を見た。
1人の科学者がどこからか運んできた死体の腕や足のようなものをベッドの上でつなぎ合わせ始めた。
そしてその塊に電気を施すと,その塊が動き出して,むくりと起き上がるのである。
見れば人間の形をした醜悪な化け物である。
こうした自分が作り出した金の恐ろしさにぞっとして慌てて逃げ出す。
目覚めたときに,メアリは恐怖でガタガタ震えていた。
毎晩のようにきかされた怪談に加えて,かつて自分の赤ん坊を死なせた直後に見た,赤ん坊が蘇る夢が入りまじったのかもしれない。
しかしこの夢がバイロンから課されていた宿題のかっこうのテーマだと気がついた。
そして早速執筆に取りかかる。
スイス滞在中に書き始められた小説は帰国後のイギリスで翌年の5月に完成することになる。
ところがその一年足らずの間に不思議なことにメアリの周囲には30歳の事件が代わる代わる隙に頻繁に訪れることになる。
まず帰国直後の10月にはメアリーの姉ファニーが22歳の若さで自殺してしまう。
そしてそれから1ヶ月ほど後に今度シェリーの本妻ハリエットが,ハイドパークの池で溺死体で発見されたのである。
愛しい姉ファニー長年のライバルであるハリエット。
これらの女性たちの美しい顔や体が無残な土塊と化していく様を思い描いて,メアリーは自分が書いている小説との偶然との重なりに内心ゾッとしたのではないだろうか。
3月になってシェリーとメアリーはマーローと言う美しい田舎町に一軒の家を持った。
スイスの湖畔で執筆を始めてから10ヶ月足らず。
矢継ぎ早にメアリーが見た生と死は彼女に何を感じさせたのだろうか?
1818年3月,小説「フランケンシュタイン」は出版され, 20歳にもならない娘が書いた小説にしては驚くべき意味の深い内容であると評論家は伝えている。。。
しかし奇妙なことにメアリの日記にはこの出版に関しては一言も書かれていないのである。
当時借金を重ねたメアリー・シェリーは心労で健康を害しており,療養を兼ねてイタリアの旅に出ることを決意した。
マーローの家を売りに出して,メアリーも夫や幼い子供たちとともに3度目のドーバー海峡を渡った。
旅から旅を重ねて,リヨンからアルプスを越えてコモ,ミラノ,ピサを経てベネチアに入ったのは, 8月の暑い盛りであった幼い子供たちにとってはさぞ大変な旅であっただろう。
やっと1年目の誕生を迎えた長女クララは,ベネチアで高熱を出して, 2週間の間昏睡状態になってなり,ついに世を去ってしまう。
ショックと悲しみの中で幼い娘の亡骸をメアリーはいつまでも離そうとはしなかったという。
メアリは娘の小さな亡骸を舟に乗せてリド島に運んだ。
11月の初め,メアリーの一行はベネチアからナポリに向かう。
そして翌年の6月に移り住んだロンドンで,今度かわいい盛りの長男ウイリアムを失うのである。
恐ろしい赤痢が突然襲って,あまりにもあっけない最期であった。
メアリには相継ぐ不幸に耐える力はなかった。
彼女の日記にはそれから2カ月間ぽっかりと空白がついている。
長男の亡骸を彼が最も愛した場所であるローマのプロテスタント教会に葬った。
その後一家はピサに落ち着いて,しばらくは平穏が続いた。シェリーは気の会う友人エドワードやトロニーを得て皆ヨットに夢中になっていた。
彼らはピザ近くの港町リボルノでヨットを作らせて「エアリアル号」と名付けて,海に乗り出す日を夢見ていた。
1822年6月末シェリーは愛用のヨットでエドワードと一緒にリボルノに向かった。
ヨットを漕ぎ出すのに便利だというので海辺に借りたカサ・マグニという家に滞在して4月8日に帰ってくると言う手紙を受け取った。
しかしリボルノからヨットで7時間ほどの航海で遭難。二人はビアレツジヨの浜辺で溺死体で発見される。
シェリーの遺体はバイロンやトレニーなど親しい友人に見守られながら浜辺で火葬にされた。そして翌年1月長男と同じプロテスタント墓地に葬られたのである。
墓碑には
「シェリー,最愛の人,ローマの青い空の下で安らかに眠れ」
と記されていた。
愛するシェリーを失った悲しみあまりに大きかった。
抜け殻のようになって友人たちに支えられながら,メアリーは故郷に帰った。
1823年8月, メアリーは25歳になったかならないかの若い寡婦であった。
■ビクター・フランケンシュタインの日記
メアリー自身はあくまで,「フランケンシュタイン」は自分の完全な創作であるという態度をとっている。
しかし実際はこの小説には他ならないモデルがあったことが,最近判明したのである。
今から十数年前,イギリスのヨークに住むヴェルナブレスという人物のもとにスイスに住む知人から,18世紀のものであるという古ぼけた手書きの原稿が送り届られてきた。
興味を持った彼が辞書を引きながら翻訳して,バラバラになったページを1枚1枚つなぎ合わせていくと,恐ろしい内容が垣間見えてきた。
なんとそれはこれまで創作上の人物といわれてきた,ビクター・フランケンシュタインの日記であったのだ。
フランケンシュタインは,18世紀(1700年代)のインゴルシュタット大学で解剖学を学ぶ学生で,目覚ましい才能を発揮し
,将来を期待されていた。
しかし彼はいつの日からか,科学の力で死者を生き返らせたいと言う考えに取り付かれ,死体置場から死体を盗み出してきて,日夜実験に励む様になったというのである。
俄然興味を抱いたベルナブレスはスイスやドイツの各地の古文書の図書館に赴いて,山ほどの資料を漁る。
確かにフランケンシュタイン家は実在のドイツの北ババリアの領主であったが, 15世紀に新教徒迫害から逃れるためにスイスに亡命して,そこで法律業を営なんでいたという事実をついに調べあげたのである。
日記の最初の方にはこう書かれていた。
「最近秘密のルートで手に入れた胎児の死体を最初の実験に用いた。2カ月余りの間,子宮内で育った後死んだ胎児だ。実験の途中で疲れてうたた寝してしまったが,目が覚めると,ぞっとするようなものが見えた。
胎児は数倍の大きさに膨れ上がっていた」。
当時最新の解剖学を極めていた天才医学生フランケンは,人体のメカニズムさえ解き明かせば,人間の手で新しい生命を作り出すことも夢ではない,という考えに至っていたのである。
そこで死体の臓器を繋いで新しい生命を作り出そうと考えて,毎日のように墓場や死体置場に入り浸り様々な臓器を盗み取った。
そして日夜首っ引きで新しい生命を作り出そうと,必死に取り組んだ。
ところでこの事件の難関は,死体から脳を取り出してそれを甦らせることであった。
他の部分がいくら生き返っても肝心の脳がなくては何もならないからだ。
電気の端子をつけてみたが,中々甦らなかった。
焦った博士はここで犯罪に足を踏み入れてしまう。
「1774年4月20日,神経繊維の取り替え作業の時に,予想以上に広範囲に変質しているのがわかった。
特に上顎筋の部分はそっくり全部交換しなければならないことになった。
この作業を終えた後に頭部に最後の作業の準備を施した。
あとは,一刻も早く生きた脳を手に入れるだけだ」。
4月21日,博士と助手のイゴールは,森に行き,木こりの子をさらう。
そして,いよいよ人造人間の頭に移植した。
「明日は体にもっと強い電流を流してみよう。
身体組織は電気を強めて,体内に眠っている力を目覚めさせるであろう」。
いよいよ実験は完了した。
頭を打ち気絶させ,実験室に運ぶ。。。
しかし全てを終えた今科学者として当然であるはずの喜びは,人間としての悲しみに押しつぶされてしまっているようだ。
私がやってしまったことを振り返ると身に戦慄が走るほどに恐ろしい」。
残念ながらフランケンシュタインの日記はここで終わっており,はたして彼の事件が本当に成功したかどうか,またフランケンシュタインとその人造人間が,その後どんな運命をたどったかは謎に包まれたままである。
ーイギリスの不思議な幽霊屋敷,桐生操, PHP文庫

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2019年03月22日

[年表] 半年一年暦西暦対応表

第一章 古代史の復元 あらすじ
第一節 国内資料 神社伝承の有効性について
第二節 年代推定 栗原説と原田説をつなぐと考古学的事実と驚異的に一致。
日本書紀の年代は在位年ではなく誕生からの年数である
豪族系図との照合 神武朝と崇神朝は7世ほど離れている。
半年一年暦から中国暦へ 日本、百済、新羅はAD345年一斉に中国暦を採用した。
半年一年暦の干支 日本書紀の年代解明
第三節 神社で祀られている神 神社で祭られている神の大半は、素盞嗚尊・饒速日尊関連
賀茂氏の正体 さまざまな賀茂氏の系図の結合
高皇産霊神の正体 高皇産霊神は秦の徐福の子孫である。
物部氏の謎 物部氏の系図の復元
出雲国造家の謎 出雲国造家の代数欠落について
饒速日尊の神名 謎の神名は饒速日尊の別名である可能性がある。
饒速日尊の神名は各地で変更させられている。
第四節 神社伝承を基にした古代史の復元 原田説を160年さかのぼらせた場合のあらすじ
朝鮮半島の情勢 朝鮮半島情勢のあらまし
国の位置 朝鮮半島諸国の位置

古代史の復元
http://www.geocities.jp/mb1527/mokuji.htm

































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































半年一年暦西暦対応表
番号 応神朝以前 仁徳朝以降
中国暦 半年一年暦 西暦 中国暦 半年一年暦 西暦
1 辛酉 丁丑 戊寅 1 61 121 181 241 301 361 辛酉 辛酉 壬戌 421 481 541 601 661
2 壬戌 己卯 庚辰 2 62 122 182 242 302 362 壬戌 癸亥 甲子 422 482 542 602 662
3 癸亥 辛巳 壬午 3 63 123 183 243 303 363 癸亥 乙丑 丙寅 423 483 543 603 663
4 甲子 癸未 甲申 4 64 124 184 244 304 364 甲子 丁卯 戊辰 424 484 544 604 664
5 乙丑 乙酉 丙戌 5 65 125 185 245 305 365 乙丑 己巳 庚午 425 485 545 605 665
6 丙寅 丁亥 戊子 6 66 126 186 246 306 366 丙寅 辛未 壬申 426 486 546 606 666
7 丁卯 己丑 庚寅 7 67 127 187 247 307 367 丁卯 癸酉 甲戌 427 487 547 607 667
8 戊辰 辛卯 壬辰 8 68 128 188 248 308 368 戊辰 乙亥 丙子 428 488 548 608 668
9 己巳 癸巳 甲午 9 69 129 189 249 309 369 己巳 丁丑 戊寅 429 489 549 609 669
10 庚午 乙未 丙申 10 70 130 190 250 310 370 庚午 己卯 庚辰 430 490 550 610 670
11 辛未 丁酉 戊戌 11 71 131 191 251 311 371 辛未 辛巳 壬午 431 491 551 611 671
12 壬申 己亥 庚子 12 72 132 192 252 312 372 壬申 癸未 甲申 432 492 552 612 672
13 癸酉 辛丑 壬寅 13 73 133 193 253 313 373 癸酉 乙酉 丙戌 433 493 553 613 673
14 甲戌 癸卯 甲辰 14 74 134 194 254 314 374 甲戌 丁亥 戊子 434 494 554 614 674
15 乙亥 乙巳 丙午 15 75 135 195 255 315 375 乙亥 己丑 庚寅 435 495 555 615 675
16 丙子 丁未 戊申 16 76 136 196 256 316 376 丙子 辛卯 壬辰 436 496 556 616 676
17 丁丑 己酉 庚戌 17 77 137 197 257 317 377 丁丑 癸巳 甲午 437 497 557 617 677
18 戊寅 辛亥 壬子 18 78 138 198 258 318 378 戊寅 乙未 丙申 438 498 558 618 678
19 己卯 癸丑 甲寅 19 79 139 199 259 319 379 己卯 丁酉 戊戌 439 499 559 619 679
20 庚辰 乙卯 丙辰 20 80 140 200 260 320 380 庚辰 己亥 庚子 440 500 560 620 680
21 辛巳 丁巳 戊午 21 81 141 201 261 321 381 辛巳 辛丑 壬寅 441 501 561 621 681
22 壬午 己未 庚申 22 82 142 202 262 322 382 壬午 癸卯 甲辰 442 502 562 622 682
23 癸未 辛酉 壬戌 23 83 143 203 263 323 383 癸未 乙巳 丙午 443 503 563 623 683
24 甲申 癸亥 甲子 24 84 144 204 264 324 384 甲申 丁未 戊申 444 504 564 624 684
25 乙酉 乙丑 丙寅 25 85 145 205 265 325 385 乙酉 己酉 庚戌 445 505 565 625 685
26 丙戌 丁卯 戊辰 26 86 146 206 266 326 386 丙戌 辛亥 壬子 446 506 566 626 686
27 丁亥 己巳 庚午 27 87 147 207 267 327 387 丁亥 癸丑 甲寅 447 507 567 627 687
28 戊子 辛未 壬申 28 88 148 208 268 328 388 戊子 乙卯 丙辰 448 508 568 628 688
29 己丑 癸酉 甲戌 29 89 149 209 269 329 389 己丑 丁巳 戊午 449 509 569 629 689
30 庚寅 乙亥 丙子 30 90 150 210 270 330 390 庚寅 己未 庚申 450 510 570 630 690
31 辛卯 丁丑 戊寅 31 91 151 211 271 331 391 辛卯 辛酉 壬戌 451 511 571 631 691
32 壬辰 己卯 庚辰 32 92 152 212 272 332 392 壬辰 癸亥 甲子 452 512 572 632 692
33 癸巳 辛巳 壬午 33 93 153 213 273 333 393 癸巳 乙丑 丙寅 453 513 573 633 693
34 甲午 癸未 甲申 34 94 154 214 274 334 394 甲午 丁卯 戊辰 454 514 574 634 694
35 乙未 乙酉 丙戌 35 95 155 215 275 335 395 乙未 己巳 庚午 455 515 575 635 695
36 丙申 丁亥 戊子 36 96 156 216 276 336 396 丙申 辛未 壬申 456 516 576 636 696
37 丁酉 己丑 庚寅 37 97 157 217 277 337 丁酉 癸酉 甲戌 397 457 517 577 637 697
38 戊戌 辛卯 壬辰 38 98 158 218 278 338 戊戌 乙亥 丙子 398 458 518 578 638 698
39 己亥 癸巳 甲午 39 99 159 219 279 339 己亥 丁丑 戊寅 399 459 519 579 639 699
40 庚子 乙未 丙申 40 100 160 220 280 340 庚子 己卯 庚辰 400 460 520 580 640 700
41 辛丑 丁酉 戊戌 41 101 161 221 281 341 辛丑 辛巳 壬午 401 461 521 581 641 701
42 壬寅 己亥 庚子 42 102 162 222 282 342 壬寅 癸未 甲申 402 462 522 582 642 702
43 癸卯 辛丑 壬寅 43 103 163 223 283 343 癸卯 乙酉 丙戌 403 463 523 583 643 703
44 甲辰 癸卯 甲辰 44 104 164 224 284 344 甲辰 丁亥 戊子 404 464 524 584 644 704
45 乙巳 乙巳 丙午 45 105 165 225 285 345 乙巳 己丑 庚寅 405 465 525 585 645 705
46 丙午 丁未 戊申 46 106 166 226 286 346 丙午 辛卯 壬辰 406 466 526 586 646 706
47 丁未 己酉 庚戌 47 107 167 227 287 347 丁未 癸巳 甲午 407 467 527 587 647 707
48 戊申 辛亥 壬子 48 108 168 228 288 348 戊申 乙未 丙申 408 468 528 588 648 708
49 己酉 癸丑 甲寅 49 109 169 229 289 349 己酉 丁酉 戊戌 409 469 529 589 649 709
50 庚戌 乙卯 丙辰 50 110 170 230 290 350 庚戌 己亥 庚子 410 470 530 590 650 710
51 辛亥 丁巳 戊午 51 111 171 231 291 351 辛亥 辛丑 壬寅 411 471 531 591 651 711
52 壬子 己未 庚申 52 112 172 232 292 352 壬子 癸卯 甲辰 412 472 532 592 652 712
53 癸丑 辛酉 壬戌 53 113 173 233 293 353 癸丑 乙巳 丙午 413 473 533 593 653 713
54 甲寅 癸亥 甲子 54 114 174 234 294 354 甲寅 丁未 戊申 414 474 534 594 654 714
55 乙卯 乙丑 丙寅 55 115 175 235 295 355 乙卯 己酉 庚戌 415 475 535 595 655 715
56 丙辰 丁卯 戊辰 56 116 176 236 296 356 丙辰 辛亥 壬子 416 476 536 596 656 716
57 丁巳 己巳 庚午 57 117 177 237 297 357 丁巳 癸丑 甲寅 417 477 537 597 657 717
58 戊午 辛未 壬申 58 118 178 238 298 358 戊午 乙卯 丙辰 418 478 538 598 658 718
59 己未 癸酉 甲戌 59 119 179 239 299 359 己未 丁巳 戊午 419 479 539 599 659 719
60 庚申 乙亥 丙子 60 120 180 240 300 360 庚申 己未 庚申 420 480 540 600 660 720



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[年表] 歴代天皇の崩年干支照合

第一章 古代史の復元 あらすじ
第一節 国内資料 神社伝承の有効性について
第二節 年代推定 栗原説と原田説をつなぐと考古学的事実と驚異的に一致。
日本書紀の年代は在位年ではなく誕生からの年数である
豪族系図との照合 神武朝と崇神朝は7世ほど離れている。
半年一年暦から中国暦へ 日本、百済、新羅はAD345年一斉に中国暦を採用した。
半年一年暦の干支 日本書紀の年代解明
第三節 神社で祀られている神 神社で祭られている神の大半は、素盞嗚尊・饒速日尊関連
賀茂氏の正体 さまざまな賀茂氏の系図の結合
高皇産霊神の正体 高皇産霊神は秦の徐福の子孫である。
物部氏の謎 物部氏の系図の復元
出雲国造家の謎 出雲国造家の代数欠落について
饒速日尊の神名 謎の神名は饒速日尊の別名である可能性がある。
饒速日尊の神名は各地で変更させられている。
第四節 神社伝承を基にした古代史の復元 原田説を160年さかのぼらせた場合のあらすじ
朝鮮半島の情勢 朝鮮半島情勢のあらまし
国の位置 朝鮮半島諸国の位置

古代史の復元
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歴代天皇の崩年干支照合
書紀 古代史の復元 書紀 古事記 古代史の復元
即位 西暦 中国暦 旧半年暦 新半年暦 崩御 崩御 西暦 中国暦 旧半年暦 新半年暦
1 神武天皇 辛酉 83 癸未 辛酉 壬戌 丙子 120 庚申 乙亥 丙子
2 綏靖天皇 庚辰 101 辛丑 丁酉 戊戌 壬子
3 安寧天皇 癸丑 104 甲辰 癸卯 甲辰 庚寅
4 懿徳天皇 辛卯 106 丙午 丁未 戊申 甲子
5 孝昭天皇 丙寅 117 丁巳 己巳 庚午 戊子
6 孝安天皇 己丑 144 甲申 癸亥 甲子 庚午 177 丁巳 己巳 庚午
7 孝霊天皇 辛未 178 戊午 辛未 壬申 丙戌 185 乙丑 乙酉 丙戌
8 孝元天皇 丁亥 186 丙寅 丁亥 戊子 癸未 214 甲午 癸未 甲申
9 開化天皇 甲申 214 甲午 癸未 甲申 癸未 244 甲子 癸未 甲申
10 崇神天皇 甲申 244 甲子 癸未 甲申 辛卯 戊寅 278 戊戌 辛卯 壬辰 戊寅を半年一年暦の干支と考えた時の中国暦による干支が辛卯
11 垂仁天皇 壬辰 278 戊戌 辛卯 壬辰 庚午 297 丁巳 己巳 庚午
12 景行天皇 辛未 298 戊午 辛未 壬申 庚午 324 甲申 癸亥 甲子
13 成務天皇 辛未 325 乙酉 乙丑 丙寅 庚午 乙卯 327 丁亥 己巳 庚午 乙卯と庚午は15年ずれ
14 仲哀天皇 壬申 328 戊子 辛未 壬申 庚辰 壬戌 332 壬辰 己卯 庚辰 庚辰を半年一年暦とした時の中国暦壬戌
神功皇后 辛巳 333 癸巳 辛巳 壬午 己丑 389 己丑 癸酉 甲戌
15 応神天皇 庚寅 367 丁卯 己丑 庚寅 庚午 甲午 394 甲午 癸未 甲申 庚午と甲午は24年ずれ
16 仁徳天皇 癸酉 397 丁酉 己丑 庚寅 癸酉 甲戌 己亥 丁卯 427 丁卯 己丑 庚寅 癸酉 甲戌 己亥と丁卯は28年ずれ
17 履中天皇 庚子 427 丁卯 己丑 庚寅 癸酉 甲戌 乙巳 壬申 432 壬申 己亥 庚子 癸未 甲申 乙巳と壬申は27年ずれ
18 反正天皇 丙午 433 丙午 辛丑 壬寅 乙酉 丙戌 庚戌 丁丑 437 丁丑 己酉 庚戌 癸巳 甲午 庚戌と丁丑は27年ずれ
19 允恭天皇 壬子 438 戊寅 辛亥 壬子 乙未 丙申 癸巳 甲午 459 己亥 癸巳 甲午 丁丑 戊寅 癸巳と己亥は6年ずれ
20 安康天皇 甲午 460 庚子 己卯 庚辰 丙申 462 壬寅 癸未 甲申 丙申と壬寅は6年ずれ
21 雄略天皇 丁酉 463 癸卯 乙酉 丙戌 己未 己巳 485 乙丑 己巳 庚午 己未と乙丑は6年ずれ
22 清寧天皇 庚申 486 丙寅 辛未 壬申 甲子 490 庚午 己卯 庚辰 甲子と庚午は6年ずれ
23 顕宗天皇 乙丑 491 辛未 辛巳 壬午 丁卯 493 癸酉 乙酉 丙戌 丁卯と癸酉は6年ずれ
24 仁賢天皇 戊辰 494 甲戌 丁亥 戊子 戊寅 501 辛巳 辛丑 壬寅 戊寅と辛巳は3年ずれ
25 武烈天皇 己卯 502 壬午 癸卯 甲辰 丙戌 509 己丑 丁巳 戊午 丙戌と己丑は3年ずれ
26 継体天皇 丁亥 510 庚寅 己未 庚申 辛亥 丁未 534 甲寅 丁未 戊申 辛亥と甲寅は3年ずれ
27 安閑天皇 甲寅 534 甲寅 丁未 戊申 乙卯 乙卯 535 乙卯 己酉 庚戌 ずれなし
28 宣化天皇 丙辰 536 丙辰 辛亥 壬子 己未 539 己未 丁巳 戊午 ずれなし
29 欽明天皇 庚申 540 庚申 己未 庚申 辛卯 571 辛卯 辛酉 壬戌 ずれなし














posted by datasea at 09:50| Comment(0) | ◉ 暦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする