2019年01月31日

[経済メモ] 中国不動産:5000万戸の空家がリーマン級ショックを引き起こす

[経済メモ] 中国不動産:5000万戸の空家がリーマン級ショックを引き起こす
迫る中国の経済崩壊。5,000万戸の空き家が引き起こすリーマン級ショック=吉田繁治
2019年1月29日
「中国の空き家が5,000万戸」との報道が出ました。
銀行とノンバンクの不動産融資は不良化し、これから中国はリーマン危機のような金融危機に向かいます。
(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)
中国の住宅価格は(統計マジックで)下がらない
ブルームバーグが「中国の空き家が5,000万戸」と報じています。
ご承知のように、住宅価格を含み、中国の経済統計は、信頼に足るものが少ない。
日本の厚労省とは次元が違って、集計の基準が、激しく任意だからです。
中国の経済統計には、かつてのソ連のような計画経済のものが多くなっています。
ソ連では、製造された商品の価格は政府価格であり、売れ残った不良在庫があっても、下がらなかったのです。
中国の新築住宅の価格は、日本や米国のように、自由な市場が、売買で価格を決めたものではありません。
新築住宅価格、GDP統計には、作りすぎて残った住宅在庫の、値下がり統計が入っていません。
GDPは生産額を集計します。いつも4%付近とされている失業率も、都市戸籍の人だけが対象です。
農村戸籍の人には失業という概念がないからです。
この中国でも、株式市場の株価は、売れた価格です。
しかし資本(=マネー)を自由化してはいず、世界市場からは、保護された株価です。
通貨では、
・資本の流入になる、ドルから人民元への交換は自由
・元の国外流出になる「ドル買い、ユーロ買い、円買い/元売り」には、金額の制限がある
という状況です。
中国の株価は、2018年は、年初の3,500ポイントから2,535へと、28%も下げています(19年1月14日:上海総合の平均指数)。
時価総額では250兆円という大きな損失が生じ、株の形の金融資産は250兆円縮小しています。
株が250兆円下がっているのに、住宅価格が下がっていないのは、新築の売り出し価格の統計だからです。売れた価格の統計は公表されていません。
計画経済では、商品・住宅価格はどうなる?
共産主義の計画経済では、在庫が売れたときの価格統計ありませんでした。
ソ連のGDP統計では、商品は政府の統制価格で全部売れたとされていました。
流通在庫、不良在庫という概念はなかったのです。このため価格は下がらず、GDPは増え続けていました。
風船のように膨らんでいたGDPに応じて増刷されていたルーブルは、ソ連邦が解体した1991年(ゴルバチョフの時代)、暴落(1/1000)して、ハイパーインフレになったのです。紙幣は、政府の意思で、生産にかかわらず、いくらでも増刷できるからです。通貨の増刷は、砂糖水を水で薄めるように、マネー1単位の価値を希薄化させます。
中国の住宅価格も、新築価格だけを統計する限りは、下がりにくい(筆者注:住宅、不動産、固定資本の建設額は、そのままGDPになります)。
政府統計をもとにした、2012年から6年間の住宅の単価は、以下のように、2014年を除いて、上がり続けています。
一級とは、周辺部を含むと3000万人クラスの人口が住む北京/上海/シンセン/広州の4都市です。
二級は武漢/成都など25都市。
三級・四級都市は邯鄲/金華など21の市です。
経済体制が今も違う香港は、除外されています。
リーマン級の危機に向かう中国
一級都市の1平方メートルあたりの住宅単価は、2012年を100とすると、年平均13%上がり続け、5年で1.85倍です。
今、1億円や2億円の住宅はザラです。統計から漏れている香港では、2億円から数億円。一戸の面積の増加もあるからです。
ドルペッグ制(対ドルの準固定相場)をとる香港ドルが、元の送金・受金の、仲介と中継基地になっていて、香港は、ロンドンのシティのような金融都市だからです。
二級都市では、平均年率5%の上昇。三級都市では、年率3%の上昇と穏やかです。ただし、人口では三級都市でも、大都市周辺の東莞、佛山、廊坊、中山などでは、一級都市と同じように、5年で1.8倍の上昇率。総じて、年10%の上昇を続けてきたと言っていいでしょう。
住宅と商業用不動産は、固定資本投資の新築価格として、中国のGDPを底上げしています。あとで述べる5000万戸(新築の5年分)という、膨大な売れ残り在庫が、世帯に売れるときの価格を統計したら中国のGDPは、2ポイントは低下するでしょう。
住宅価格の過大見積もりという要素で、6.5%が4.5%の成長になるということです。
それとともに、銀行とノンバンクの不動産融資は不良化し、リーマン危機のような金融危機に向かいます。不良債権は200兆円以上になるかもしれません。
一方でローン残高は、過小に集計されている
住宅ローンの残高は、2016年で20兆元(320兆円)とされていますが、これは日本とあまり変わらない額です。
米国が1000兆円ですから、中国は、その1/2の500兆円はあるでしょう。店舗やオフィスの商業用不動産のローンは含んでいません。
中国では、GDPの中に占める、住宅と不動産投資、および道路や鉄道、電力、通信などの社会インフラの投資率が異常に高く、45%です(日本では20%:米国では15%)。代わりに、個人消費の構成比が少ない。
固定資本投資額がGDPの40〜45%(※日本は約20%)
2018年の名目GDPは13兆ドル(1430兆円;日本の2.6倍、米国の2860兆円の半分)です。
固定資本投資は1年分で、日本のGDPを超える570兆円(40%)を占めています。
そのための資金が、(1)企業負債、(2)政府負債、(3)個人負債の、増加の原因になっているものです。
特にリーマン危機のあと、企業負債の増加率が高い。金融危機になった米欧への輸出の減少を、中国政府は、住宅建設、商業用不動産、政府の固定資本の増加でうずめる政策をとったからです。
計画経済の中国では、政府の政策は、時間差なく、企業の投資行動になります。人民銀行が元を刷って銀行に貸して、銀行は増えたマネーを企業に貸す。これが08年のあと、企業負債の増え方が大きくなった原因です。この点も、政策の波及時間が長い先進国と違います。
人民元の増刷は世界一のスケール
人民銀行のB/S(資産=負債)の規模は、元発行の金額を示します。2017年5月で、580兆円に膨らんでいます。米国のFRBが4.14兆ドル(455兆円)、日銀が553兆円です(19年1月)。
※参考:https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/acmai/release/2019/ac190110.htm/
5年間、世界の中央銀行の、約100年の歴史で、異例な異次元緩和を行っている日銀より、人民銀行の通貨発行が多い。住宅建設、商業用ビル建設、道路、電力、通信の固定資本投資を増加させるための元の増発を行ったからです。
ドル準備で元を発行している
日本や米国では、中央銀行が通貨を増発するときは、代替資産として国債を買います。ところが中国では、人民銀行がドル債を買って元を発行しています。人民元は、世界にはあまり知られていませんが、ドル準備制の通貨です。
理由は、元と中国国債は、資本が自由化されてないので、国際的な信用が低いからです。資本の自由化とは、企業や個人が自由に、外貨を買うことができることです。
政府は「中国人の、ドル買い/人民元売り」を恐れ、外貨への交換に制限を加えています。
資本を自由化すると、ホンネでは共産党政府と人民元の価値を信用していない富裕者の多くが「ドル買い/元売り」に殺到するからです。海外への留学と移住が多いことからも、わかるでしょう。
増えすぎた経済主体別の負債
こうした通貨シナリオを知っていれば、中国共産党は、以降で示す、リーマン危機のあとの不動産投資による負債の急増を、冷静に眺めることもできるでしょう。
バブルの崩壊からの失業が引き起こす、天安門のような民主革命の恐れがなくなるからです。
政治・経済の体制の転覆であり下克上でもある民主革命は、計画経済の中で失業した、あるいは所得が減った貧者の連合の、富者への反感が起こすものです。
中国では、資産バブルにより巨大な貧富の格差が生じています。
中国では、建設会社が建物の骨組みを売り、買った人が内装と設備をします。
このため、売れ残って夜間に照明がつかない骨組みだけの建物は、幽霊の屋敷に見えるので、「鬼城」と言われます。
建設する企業部門の負債は、2008年は3.9兆ドル(429兆円)と、GDPに対して97%と他国よりは大きかったものの、まぁまぁ妥当での線。
これが、2018年の3月には、22兆ドル(2420兆円)に膨らみ、GDP比184%という残高になっています。
年平均の増加率は21%と、GDPの増加である10%程度の2倍です。
平均増加額は、2兆ドル(220兆円)です。GDP比で1.8倍の企業部門の総負債は、日本の国債(GDP比約200%)と同じく、異常な大きさです。
企業の負債は、なぜ10年間も、年率20%という高さで膨らみ続けてきたのか。
年1,000万戸の住宅建設、商業用不動産建設、インフラ投資のためです。
しかし、住宅建設では、それが売れれば、建設会社の負債は減って、世帯の負債に置き換わります。
世帯の負債の増加は2008年に7670億ドル(84兆円)から6.6兆ドル(726兆円)です。
年平均で、71兆円の増加でしかない。
他方で。多い建設業を含む企業の負債は、1年に220兆円という速度で増加しています。
「近代化の経済」では、住宅、ビル、道路や電力の土木・建設業が多くなります。
日本でも1980年代まで建設業は600万人でした。現在は500万人。
なぜこんなに企業の負債が増えたのか。年平均1,000万戸の建設した住宅に、鬼城のままの売れ残り在庫が出ているからです。
新築の価格は、多くが売れていないので、下がっていない。
毎年、新築が行われている新しい価格の統計だからです
(筆者注:NYの調査会社によると、上海では、2018年の新築価格は、前年比で8%下がっているという調査が出ています。
これは、まだ政府統計には入っていません)。
迫る中国の経済崩壊。5,000万戸の空き家が引き起こすリーマン級ショック=吉田繁治
住宅在庫が5,000万戸
18年の12月に、ブルームバーグから、驚くべきデータが公表されました。
中国の住宅在庫が5000万軒というものです。
調査したのは、中国の西南大学の甘犁教授という。
重慶市にある、この大学は、中国の失業率でも、本当を示すデータを出しています。
5,000万戸は、中国の全住宅の22%、1年で行う1,000万戸建設の5年分です。
※参考:https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-11-09/PHWXGI6TTDSF01
一級都市の北京、上海、広州での、政府の在庫統計は、5か月分から10か月分でした。
もっとも多いシンセンでも、20か月分です。
しかしこの在庫が、全中国で5000万戸、新築の5年分という。
(筆者注:日本も、全住宅の13%・新築の8年分にあたる800万戸の空き家がありますが、中国とは、要因が違います。
日本は、人口減と老朽化による空き家です。中国では、GDPを増やすための政府が音頭をとった「建て過ぎと価格高騰」が原因の空き家が多い。政府・銀行が、「貸付金」を増やしたからです。)
これで、中国の企業負債が、毎年平均2兆ドル(220兆円)増える一方で、減らない理由が分かりました。
作った物件が、約5年分も売れ残っていたのです。
普通の世帯が買うことのできない価格(年収の10倍から15倍以上)の新築価格だったからです。
売れていないから、価格は最初のまま統計され、次のまた上がった新築価格になっているのでしょう。
売れなければ世帯のローンには振り替わらないので、企業の建設費の負債が増えるままになります。
商業用の不動産でも、急激に伸びているアリババなどのネット販売によって、客をとられ、閑古鳥が鳴いているショッピングセンターが多いという。
これも、企業部門の負債の増加になります。
利益が出ず、借金を減らすことができなくて、運転資金借り入れが増えているからです。
こうした不動産が、投げ売りするしかない不良在庫にならないのは、政府の意向で動く、計画経済の銀行が企業に対して、利払いの分の追い貸しをしているからでしょう。
他の国では、資金繰りのために投げ売りになります。
銀行からの追い貸しが続く間(企業負債が増える間)は、新たな借入金で利払いができるように見えるので、不良債権ではない。
GDPの70%を生む国有企業の負債は、年220兆円という異常な金額で、膨らみ続けています。
価格下落の端緒は、最も住宅が高くなっている上海・香港・シンセン
最近10年で3倍に上がり(年12%上昇)、中国でもっとも高い香港の住宅価格は、2018年の8月のピークからは5%下げています
(大手仲介業の中原不動産より)。
※参考:WSJ2018年11月27日
戸籍人口2,418万人という上海の新築物件も10%下げています。
売れていない在庫が、もっとも多いシンセンも下げているはずです。
なお中国の都市人口は、無戸籍(農村戸籍)を含むと約20%は多いでしょう。
中国人には居住地の自由はないからです。
2019年は、中国住宅価格が下がる開始年でしょう。
中国の総人口は、2018年から、日本の8年遅れで減り始めています。
世帯所得の増加率も年10%の期待から、商品生産の粗利益であるGDPの伸び率の低下に対応して、5%程度かそれ以下に下がってきているからです。
<期待所得の増加率は低下>
所得の、期待上昇率の低下への認識は、年収の10倍から20倍の高い住宅を買ってローンを組むことを、押しとどめます。
共稼ぎを想定した男性は10年後、20年後の住宅価格と、所得の上昇を期待して(織り込んで)、住宅を買っているからです。
中国に多い共稼ぎで、無理なく買える住宅価格は、大都市部で、共稼ぎ700万円の年収の5倍から6倍までです。
中国では、住宅を買うことが結婚の条件ですが、価格が上がってしまった30歳以下の世代には、これが果たせなくなっています。
<今後、住宅価格が上がる、需給面からの要素はない>
2019年に、中国の新築住宅価格が上がる要素はあるでしょうか。
(1)米中貿易戦争で、輸出が減り、所得を決めるGDPの伸びは低下する
(2)増え続けていた中国の人口が、横ばいから下落に入ったことにより、増え続けていた住宅の需要動機が下がり、少しずつ減少に向かう
ということは決定的な要素です。
国連は中国の人口は、2020年からピークになり、減少は2030年からとしていましたが、現実では、12年早まっています。
1人の女性の出生率が1.28と日本の1.41よりも相当に低く、幼少人口の減少に慌てた政府が一人っ子政策を停止しても、子供の誕生が過去の想定より減ってきたからです。
※参考:https://toukeidata.com/country/china_jinkou.html
人口減は0.2%や0.3%と低いように見えても、平行する住宅価格の下落率では、年10%と高くなります。
これが、シンセン、香港、上海で先駆けて起こっている下落でしょう。
住宅は
「1年に10%は上がるという期待」
から、賃貸しの投資用としても多く買われてきました。
「10%下がるという予想」
になると、中の上の所得クラスの人で二軒目三軒目、富裕者の10軒目や20軒目の新築住宅購入が、大きく減ります。
富裕層の住宅投資も大きく減少する
中国では、2014年ころまで、先進国以上に富んだ階層の投資・賃貸住宅の買いが多かった。
世帯の居住のための需要より、価格が高く上がっていた理由でもあります。
需要数が減れば、売れる住宅価格は10%、15、20%、30%と価格が下がります。
これが、2018年秋から2019年にかけ、新築価格ピークアウトしたあと、起こることでしょう。
政府が管理している新築住宅価格に、需要数の急減が反映されることはなくても、実際の売買市場では、下がって行きます。
数年後は、新しく作られる新築価格も、大きく下げるでしょう。
全住宅の5戸に1戸の割合にもなる、5000万戸の空き家が価格低下に及ぼす圧力は巨大です。
住宅価格の下落は、景気循環からでなく構造要因から景気の減速がもたらす住宅価格の下落なら、回復もあるでしょう。
2019年からの下げは構造的なものです。
日本では、200万戸/年だった新築が、1980年代末に、今の中国と同じ需要の構造変化から80万戸から100万戸に減っています。
平均価格も年収の6倍から6倍で買うことができる価格(約半分)に下がりました。
同じことが、2019年からの中国で起こります。景気循環の問題ではないのです。

Money Voice
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19850000 日本市場:1980年代まで建設業従事者数は約600万人>>以降減少
20080000 中国不動産:建設企業の負債{2008年3.9兆ドル(429兆円),GDP比97%}
20100000 中国市場:リーマン危機>>企業負債の増加率が高まった
20100000 中国市場:リーマン危機>>米欧への輸出減>>中国政府は政府の固定資本(不動産)の増加でうめる政策
20160000 中国不動産:GDPに占める不動産投資/社会インフラの投資率が異常に高く45%
20160000 中国不動産:GDPに占める不動産投資率(固定資本投資)は570兆円(45%)で日本のGDPを超える
20160000 中国不動産:GDPに占める不動産投資率は45%(固定資本投資額がGDPの40〜45%)
20160000 中国不動産:GDPの中に占める不動産投資/インフラの投資率は45% (日本20%,米国15%)
20160000 中国不動産:中国の2016年の住宅ローンの残高 = 日本の住宅ローンの残高
20160000 中国不動産:中国の2016年の住宅ローンの残高は320兆円 (日本320兆円,米国1000兆円,)
20160000 米国不動産:米国の2016年の住宅ローンの残高は1000兆円
20170000 中国不動産:中国一級都市の1m2あたりの住宅単価,2012年100%>>2017年185%
20170000 中国不動産:中国三級都市の1m2あたりの住宅単価,2012年100%>>2017年103%
20170000 中国不動産:中国二級都市の1m2あたりの住宅単価,2012年100%>>2017年105%
20170500 中国市場:2017年5月時点の人民銀行のB/S(資産=負債)は580兆円(cf.米FRB455兆円,日銀553兆円)
20170500 中国市場:人民銀行のB/S(資産=負債)の規模は2017年5月で、580兆円に膨らんでいます
20180000 中国市場:1人の女性の出生率が1.28と日本の1.41よりも相当に低い
20180000 中国市場:2018年から,中国の総人口は日本の8年遅れで減り始めています
20180000 中国市場:2018年の名目GDPは13兆ドル(1430兆円;日本の2.6倍,米国の2860兆円の半分)
20180000 中国市場:GDPに占める不動産投資/社会インフラの投資率の構成比が異常に高く,個人消費が少ない
20180000 中国市場:幼少人口減少に慌てた政府が一人子政策を停止しても,子供の誕生が過去の想定より減ってきた
20180300 中国市場:建設業を含む企業の負債は,年220兆円という速度で増加
20180300 中国市場:年1000万戸の不動産/インフラ投資続>>建設企業の負債は年平均21%増
20180300 中国市場:民間の負債{2008年84兆円>>2018年726兆円}
20180300 中国不動産:建設企業の負債{2018年の3月22兆ドル(2420兆円),GDP比184%,2008年の約5倍}
20180300 中国不動産:建設企業の負債{負債は年平均21%増加,GDPは年平均10%増加}
20180300 中国不動産:建設企業の負債>>売れれば負債は民間の負債へおきかわる
20180300 中国不動産:建設企業の物件乱造>>過剰供給で売残>>売残在庫>>企業に負債が残る/物件劣化>>負債増
20180300 日本市場:日本の国債はGDP比約200%
20180800 中国不動産:2018年の8月,香港の住宅価格はピーク
20181200 [予測] 中国市場:中国の人口が減少相>>住宅需要減>>
20181200 [予測] 中国市場:米中貿易戦争>>輸出減>>GDP減
20181200 中国上海総合株価:2018年は28%下げ
20181200 中国上海総合株価:年初1月3500ポイント>>年末12月2535ポイント(28%下げ)
20181200 中国不動産:戸籍人口2418万人という上海の新築物件も10%下げています WSJ
20181200 中国不動産:香港の住宅価格は2018年の8月のピークからは5%下げ
20181200 中国不動産:中国の住宅在庫(売れ残り物件数,空き家,)は5000万軒ある ブルームバーグ
20181200 中国不動産:中国の住宅在庫は5000万軒(中国の全住宅の22%,1年で行う1,000万戸建設の5年分) ブルームバーグ
20181200 中国不動産:中国一級都市(上海/香港/シンセン)の住宅は最近10年で3倍に上がった
20181200 日本不動産:日本の全住宅の13%は空き家(新築の8年分にあたる800万戸は空き家)
20190000 日本市場:建設業従事者数は約500万人
20190100 中国不動産:5000万戸(新築の5年分)という、膨大な売れ残り在庫 吉田繁治
20190100 中国不動産:銀行とノンバンクの不動産融資不良化>>金融危機>>不良債権は200兆円以上の可能性
20190100 中国不動産:今,1億円や2億円の住宅はザラです
20190100 中国不動産:住宅と商業用不動産上昇>>固定資本投資の新築価格上昇>>中国のGDPを底上げ
20190100 中国不動産:住宅価格の過大見積もり
20190100 中国不動産:総じて年10%の上昇を続けてきた 吉田繁治
20190100 中国不動産:中国の人口が減少相>>住宅需要減+物件過剰供給による空家>>空家増
20190100 中国不動産:中国三級都市では、年率3%の上昇と穏やかです。
20200000 [予測] 中国の人口は2020年からピークになり,減少は2030年から 国連

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(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)
※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2019年1月16日号の一部抜粋です。
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2019年01月30日

ミクロメガス

○『ミクロメガス』……身長30キロメートルのシリウス星人
ヴォルテール/ボルテール(1694−1778)は、フランスの作家・哲学者。
その『ミクロメガス』は、私(黒田康太)にいろいろなことを暗示してくれる。
太陽系以外の人間として、シリウス宇宙人が登場。
彼らは、その身長が30キロメートルもあって、地球に来たときに彼らの顕微鏡でも地球人をなかなか発見できなかったという。
つまり、彼らにとって地球人は、バクテリア以下の存在となっていた。
そもそも、彼は学識があった。
そこで本を書いたのだが、それが問題になって追放される羽目になった。
そこで、まず土星に行った。
土星人は、身長が20キロメートルほど。その土星のアカデミー会員と親しくなる。
そして、二人は他の惑星に行くことになった。
そして、地球に来たのである。
地球に来たが、二人は生命の痕跡をなかなか発見できなかった。
地上を調べ尽くした彼らは、やがて海上の船に気付く。そこで、船が知的生命体なのかどうかを調べるためつまみ上げ、爪の上に置いて拡大レンズで調べる。ようやく地球人の船員達は、ミクロメガスと対等に話ができる。
ガリバー旅行記などよりも、設定が不自然のようだ。
また、作者の意図とは異なって、作品は難解なものになっている。
『ガリバー旅行記』や『不思議の国のアリス』、そして『星の王子さま』のような印象を受ける。

青空のホームページ
http://www.geocities.jp/rikwhi/riko/bun_anritu/kami_gainen.html



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2019年01月28日

太陽活動と景気循環の関係

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1985年から2015年にかけての太陽黒点数の変化[1]。
2007-2009年の大不況と100年に1度の太陽活動の低迷が時期的に重なっている。






太陽活動と景気循環の関係
2001年7月
なぜ景気は循環するのかに関して、専門の経済学者たちの間でいまだに定説がない。
そこで、この問題を経済学の内部で解決しようとせずに、もっと宇宙規模で考察してみよう。
景気循環を太陽系のバイオリズムとみなし、文明の興亡をも説明する包括的な理論の可能性が生まれてくる。
限界効用理論の提唱者の一人として有名な経済学者、ウィリアム・ジェヴォンズは、1876年に、科学雑誌『ネイチャー』に
「商業恐慌と太陽黒点」
という論文[2]を発表し、太陽黒点活動と景気循環との連動を指摘した。
多くの経済学者は、この太陽黒点説を荒唐無稽なオカルト的学説として嘲笑もしくは無視している。
しかし、彼ら自身は、なぜ景気が特定の長さの周期で循環するのかを説得的に説明する代案を持っていない。
景気循環の主循環は、
約10年を周期とするジュグラー・サイクル
で、これは太陽黒点数の主要な変動周期である11年に対応している。
例えば、最近100年間の日本における工業投資指数の伸び率と太陽黒点相対数とのグラフを見比べてみると、強い正の相関関係を観て取ることができる。経済学者は、機械の寿命は10年なので、設備投資は約10年ごとに増減すると説明するが、機械設備の耐用年限は、実際にはまちまちだし、時代によって変化しているので、この説明は苦しい。
2 : 主循環以外のサイクル
主循環の他に、
約40ヶ月を周期とする在庫循環であるキチン・サイクル、
15-25年を周期とする建設循環であるグズネッツ・サイクル、
50-60年を周期とする技術革新の循環であるコンドラチェフ・サイクル
が、経済学の分野で実証されているが、それぞれ、
2-4年(太陽黒点周期の1/3倍)周期のエルニーニョのサイクル、
約22年(太陽黒点周期の2倍)周期のヘールのサイクル、
約55年(太陽黒点周期の5倍)周期の吉村サイクル
に対応している。
図(Fig.01)は、11年周期の影響を取り去って、太陽黒点数の増減の傾向を図示した、11年移動平均のグラフである。
55年周期以外に、その倍の周期をも見て取ることができる。
コンドラチェフ・サイクルは、金利の波動なのだが、金利が高くなる
1815年、
1870年、
1920年、
1973年
では、太陽活動も低調である。
Fig.02 を見てもわかるように、特に1901年前後は、山が低い状態が長く続いているが、それは、この期間が、さらに規模の大きな長期の波動、太陽大周期の谷に当たるからだ。
太陽大周期とは、200年ごとに現れる、太陽黒点数の極小期である。
1900年前後の極小期の200年前に当たる1700年前後にはマウンダー極小期、
さらに200年前に当たる1500年前後にはシュペーラー極小期、
さらに200年前に当たる1300年前後にはウォルフ極小期がある。
これらの三つの極小期には、こうした固有名詞がつくぐらい太陽黒点数が激減した。
14世紀から18世紀にかけての時期は、現在の温暖期や中世温暖期と比べて寒く、小氷期と呼ばれているぐらいであるが、それは、この期間が、さらに規模の大きな長期の波動、2500年周期の谷に当たるからだ。
太陽黒点数は、2500年ごとに、ほとんどゼロになる時期が来る。
BC3300年頃から始まった都市革命、
BC800年頃から始まった精神革命、
1700年頃から始まった科学革命
は、いずれも2500年周期の谷で起きた革命なのである。
都市革命は、世界各地に四大文明を生み出した。
精神革命は、イスラエル、ギリシャ、インド、中国に、今日でも古典として賞賛されている高度な哲学や宗教を生み出した。
科学革命は、ヨーロッパに、近代科学と技術革新に基づく資本主義を生み出した。
こうした人類の歴史を画期する重要な出来事が、気候の寒冷期、すなわち危機的状況で現れることは興味深い。
逆に山に相当する温暖期、例えば中世温暖期では、生活が安定するがゆえに、革命やイノベーションは起きにくくなる。
3 : なぜ黒点数の変動は経済に影響を与えるのか
こうした太陽黒点数の波動と人類文明の波動とのシンクロナイズは、たんなる偶然であって、因果関係はないのだろうか。
そうではない。
太陽黒点数が増えると、太陽放射の強度が増える。
もっとも、太陽放射全体の強度の変動幅は、11年周期でたったの0.08%であり[5]、この程度の変動では、地表面の温度を変えることはできない。
1997年に、デンマーク気象研究所の Svensmark と Friis-Christensen は、地球全体の雲量と宇宙線の放射強度との間に相関性があると発表した[6]。
宇宙線とは、宇宙空間に存在する高エネルギーの放射線粒子のことである。
宇宙線の放射強度は、太陽束(太陽から放射される電磁波)の強弱に左右されるから、太陽黒点数の周期に応じて、雲量が変化するということになる。
実際、グラフ(Fig.03)を見るとわかるように、
太陽束(solar flux 破線)が増えると(このグラフでは、下に向かうと)、
宇宙線の流入量の変化率(changes in cosmic ray flux 実線)が減り、それとともに、
雲量の変化率(change in cloud fraction 図形)が減る
ことが見て取れる。
なぜこのような連動が起きるかを説明しよう。
宇宙線は、超新星残骸などで加速されて、銀河から地表面に降り注ぎ、空気中で、窒素や酸素の原子核に衝突して、陽子、中性子、パイ中間子、ミュー粒子などを発生させ、これらの粒子がさらに、大気の窒素や酸素の原子核に衝突し、多数の粒子を発生させる。
粒子が増えると、粒子の周りに水蒸気が集まって、雲が形成されやすくなる。
ところが、太陽黒点数が増えると、太陽風(太陽から吹き出す高温で電離したプラズマ)が吹き荒れ、そして、その太陽風が、太陽系外から流入する宇宙線を吹き飛ばす。
だから、太陽活動極大期には、宇宙線の流入量が減り、雲が形成されにくくなる。
つまり、太陽放射が雲に反射されずに地表に届きやすくなり、気温が上がる。
太陽活動極小期にはその逆が起きる。
いったん気温が上昇ないし下降すると、さらにその気温の変動を増幅させるポジティブ・フィードバックが作動する。
寒冷化して、雪氷に覆われる面積が増えると、アルベド(入射光エネルギーに対する反射光エネルギーの比)が増えて、さらに寒冷化が加速される。
温暖化が進むと、雪氷に覆われる面積が減り、さらに温暖化が加速される。
この他、温暖化が進むと海中に溶けている温室効果ガスが放出され、さらに温暖化が進むというポジティブ・フィードバックもある。
寒冷化では、逆の現象が起きる。
以上より、太陽黒点数が増えると、地球はより多くの太陽エネルギーを受け取り、そしてその低エントロピー資源を消費することにより、養分と水と大気の循環が活発になり、人間経済の生産量も増大すると考えることができる。

永井俊哉ドットコム
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1700年から2002年までの太陽黒点数の変動。青色の各山が11年周期に相当する。








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株価の変化と太陽黒点数の変化を交互に並べた。連関している時期とそうでない時期がある。








4 : 付録(フォーラムからの転載)
関連トピックとして、フォーラムから“太陽活動と景気循環に関しての質問”を転載します。
4.1 : 太陽活動と景気循環に関しての質問
投稿者:くわひろ.投稿日時:2012年4月09日(月) 21:58.
「太陽活動と景気循環の関係」についてご質問させて下さい。
質問1
「太陽活動と景気循環の関係」において
永井俊哉 さんが書きました:
以下の図(Fig.01)は、11年周期の影響を取り去って、太陽黒点数の増減の傾向を図示した、11年移動平均のグラフである。55年周期以外に、その倍の周期をも見て取ることができる。
[中略]
コンドラチェフ・サイクルは、金利の波動なのだが、金利が高くなる1815年、1870年、1920年、1973年では、太陽活動も低調である。Fig.02 を見てもわかるように、特に1901年前後は、山が低い状態が長く続いているが、それは、この期間が、さらに規模の大きな長期の波動、太陽大周期の谷に当たるからだ。
上記のご指摘に関して1870年は太陽活動が低調とあるますが、11年間移動平均グラフをみても、太陽黒点数の変動グラフを見てもその対応関係がはっきり分からないのですが、お考えをお聞かせ下さい。移動平均グラフにある1858年の底の影響が後になって出てくるという事でしょうか?
質問2
「バブルはなぜ生まれるか」において
永井俊哉名 さんが書きました:
80年代の日本発のバブルと90年代のアメリカ発のバブルは、10年周期のジュグラー・サイクルで説明できる。
とありますが、、日本発のバブルとネットバブルそれぞれの発生時期は、太陽黒点第22周期と23周期の谷底からの増加期に始まり頂点において崩壊するように見受けます。
しかし、「物価は成長とどう関係するのか」によれば、
永井俊哉 さんが書きました:
2.2. インフレ期(高い物価上昇率+低い経済成長率)
太陽黒点数の極小期、すなわち資源デフレの時期に見られる現象である。リフレ型経済成長にともなって、資源需要が資源供給の上限を超えて増大し、貨幣供給が貨幣需要の上限を超えて増大すると、経済成長を伴わない物価の上昇、いわゆるスタグフレーションが始まる。スタグフレーションは、大規模な戦争による資源枯渇現象として現れることが多い。資源不足を解消するために、企業は生産の縮小を余儀なくされる。その結果、スタグフレーションは不況と失業率の上昇を帰結する。
2.3. ディスインフレ期(低い物価上昇率+高い経済成長率)
スタグフレーションから脱却するために、政府と民間は支出を切り詰め、金融を引き締める。その結果インフレが終息すると、名目金利は低下し、それに伴って、収益還元法によって評価される資産価格が上昇し始める。いったん資産価格が上昇し始めると、投機の過熱と資産価格の高騰の循環が始まり、資産バブルが発生する。1950〜60年代の日本に見られたようなリフレ型経済成長が、物価の上昇を伴った消費主導の経済成長であったのに対して、1980年代後半の日本に見られるようなディスインフレ型経済成長は、物価の上昇を伴わない投資主導の経済成長である。ディスインフレ型好景気は、資産価格の暴落により終わる。第1波動では、1825年にイギリスで起きた南米投資バブルの崩壊、第2波動では、1873年に欧米で起きた鉄道バブルの崩壊、第3波動では、1929年にアメリカで起きた株式バブルの崩壊(暗黒の木曜日)、第4波動では、2000年にアメリカで起きたネットバブルの崩壊が有名な例である。
とあり、バブルは太陽黒点55年周期の極小期から上昇期に向かう場面で起こるように受け取れます。太陽活動と景気循環は55年周期と、11年周期においてはフラクタルではなく、むしろ逆なのでしょうか?
ここがどうしても理解できませんので、ご教授下さい。
質問3
現在、コンドラチェフ・サイクルと太陽黒点55年周期の関係はどうなっているのでしょうか? 1973年が金利の頂点で、太陽活動が谷底であれば、2000前後に太陽活動活発の頂点と金利の谷底が現れ、現在(2012)においては太陽活動が55年周期での極小期に向かいつつある段階で、世界経済もリフレ期にあると思うのですが、私の力でそれを確かめる資料を見つけることはできませんでした。 55年周期の頂点とコンドラチェフ・サイクルの谷底はいつ現れたとお考えでしょうか?
質問4
上記質問2、3とも関係しますが、現在、第24周期のシュワーベ・サイクルに入ったようですが、55年周期で見ると極小期に向かっている途中だと思うのですが、巷では、11年周期の黒点増加期に入ったから景気が良くなるというような論調があります(これは正しいのでしょうか??)。
また55年周期で考えて見ても、リフレを導く時期に入ったような気がしているのですが、今後の太陽11年周期と55年周期を鑑みて、永井さんの短期的、長期的な経済状況の見通しはありますでしょうか?
もしくは、財政政策や金融政策でのコントロールの方が影響が大きく、もはや太陽の活動状況は経済の好不況を考える上で影響が少ないとお考えでしょうか?
以上よろしくお願い致します。
4.2 : Re: 太陽活動と景気循環に関しての質問
投稿者:永井俊哉.投稿日時:2012年4月10日(火) 11:17.
くわひろ さんが書きました:
1870年は太陽活動が低調とあるますが、11年間移動平均グラフをみても、太陽黒点数の変動グラフを見てもその対応関係がはっきり分からないのですが、お考えをお聞かせ下さい。移動平均グラフにある1858年の底の影響が後になって出てくるという事でしょうか?
1816年から1914年までは、金本位制のおかげでインフレが人為的に抑制されていた時期に相当します。またこの時期は、パクス・ブリタニカの絶頂期で、比較的戦争が少なく、このため、それ以外の時期と比べて金利が低く抑えられていて、金利の高騰という形で影響が顕著に出てきません。それでも、1858年前後は比較的金利が高かったのですが、1866年の普墺戦争、1870年の普仏戦争の影響で、1870年の方が金利がより高くなったということです。
くわひろ さんが書きました:
太陽活動と景気循環は55年周期と、11年周期においてはフラクタルではなく、むしろ逆なのでしょうか?
太陽黒点55年周期は物価の波であって、11年周期の設備投資(景気)の波と同じ扱いはできません。なお、「太陽活動と景気循環の関係」は10年以上前に書いた記事で、現在のデータを扱っていません。現在のデータに基づく議論は、ブログで詳述しますので、それまでお待ちください。
4.3 : Re: 太陽活動と景気循環に関しての質問
投稿者:くわひろ.投稿日時:2012年4月10日(火) 18:22.
明確なお答えありがとうございました。
景気循環を示す各サイクルが、太陽活動循環の各サイクルと対応するというのは本当に興味をかき立てられました。
今一度上に挙げさせて頂きました永井さんの論文を読み直して、私がしっくりこなかった点が判明しました。
「太陽活動と景気循環の関係」におきまして下記の対応が示されています。
コンドラチェフ・サイクル50-60年 ―  吉村サイクル(太陽黒点周期の5倍)
グズネッツ・サイクル15-22年   −  ヘールのサイクル(太陽黒点周期の2倍)
ジュグラー・サイクル10年     −  太陽黒点周期 11年サイクル
キチン・サイクル約40ヶ月     −  エルニーニョ・サイクル(2-4年太陽黒点周期の1/3倍)
しかしながら、「物価は成長とどう関係するか」では、グズネッツ・サイクルの(本来的な)位置付けとして、コンドラチェフ・サイクルの中にある2つの景気循環にグズネッツ・サイクルを対応させておられます。
とすると、グズネッツ・サイクルの対応として、太陽黒点周期の2倍であるヘールのサイクルと、太陽黒点周期の5倍である吉村サイクルの半分(太陽黒点周期の2.5倍)を示されていることになると思うのです。
又、コンドラチェフ・サイクルの中にある2つの景気循環と、5回起こる設備投資(景気)の波の関係が理解できません。
永井さんのシステム論システム・ブログでの新たな論文で、上記のような私の疑問に対するようなご見解が頂けたらと思います。楽しみにしております。ありがとうございました。
永井俊哉 投稿 @5:53 AM

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5 : 参照情報
↑ Marshall Space Flight Center. “Solar Cycle Prediction.” NASA. Updated 2016/01/12.
↑ Jevons, W. Stanley. “Commercial Crises and Sun-Spots.” Nature 19, no. 472 (November 14, 1878): 33?37. doi:10.1038/019033d0.
↑ National Geophysical Data Center. “Sunspot Numbers” でのデータを基に作成。
↑ National Geophysical Data Center. “Sunspot Numbers” でのデータを基に作成。
↑ The Intergovernmental Panel on Climate Change. Climate Change 2001, The Scientific Basis, 6.11.1.1.
↑ Svensmark, Henrik, and Eigil Friis-Christensen. “Variation of Cosmic Ray Flux and Global Cloud Coverage?a Missing Link in Solar-Climate Relationships.” Journal of Atmospheric and Solar-Terrestrial Physics 59, no. 11 (July 1997): 1225?32. doi:10.1016/S1364-6826(97)00001-1.
↑ Svensmark, Henrik. “Influence of Cosmic Rays on Earth’s Climate.” Physical Review Letters 81, no. 22 (November 30, 1998): 5027?30. doi:10.1103/PhysRevLett.81.5027. p.9. 雲量データのうち、三角形は、Nimbus7のデータ、四角形は、ISCCP C2 と ISCCP D2 のデータ、菱形は、DMSPのデータである。
読書案内
書名 地球環境変化と経済長期変動―太陽黒点変動との関係を中心に
媒体 単行本
著者 住田 紘
出版社と出版時期 同文舘出版, 2000/03
書名 気象・太陽黒点と景気変動
媒体 単行本
著者 住田 紘
出版社と出版時期 同文舘出版, 2004/04

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太陽活動と社会的な人の心理状態が連動している



太陽活動
そういえば、この「自分が変わった年齢の節目」が、面白いように「太陽活動」とリンクしていることに以前気付きました。
太陽活動というのは、11年周期くらいで変動するものですが、その11年前後をひとつのサイクルとして、太陽黒点観測が始まった時から番号づけられていて、今は観測が始まってから 24回目の太陽活動(サイクル24)の渦中にあります。
そして、
「太陽活動と社会的な人の心理状態が連動している」
ことは 1920年代にロシアの科学者によって、はじめて突き止められており、その後も地球の人間の活動はほとんどそれに沿った動きを見せています。
これは、そのロシアの科学者がまとめたグラフです。
黒点活動の観測が始まった1749年から1922年までのグラフで、上の細い線と下の太い線との相関関係を示すグラフです。
何の相関関係のグラフかというと、
・下の太い線のほうが太陽の黒点数
・上の細い線のほうは世界で起きた軍事と政治暴動の数
となっています。
その連動は一目瞭然で、その後もほとんど同じです。
こちらに英語ですが、オリジナルの論文があります。
近代史の中の大きな出来事はそのほとんどが
「太陽活動のピークの渦中」(2年から3年の間)
に起きています。フランス革命もアヘン戦争も南北戦争も日清戦争も第二次世界大戦もソ連崩壊もアメリカ同時多発テロも、すべて太陽活動のピークに起きています。
今現在は 24回目の太陽活動(サイクル24)のピークの渦中にいます。
なので、社会的に大きな変動が起きることはほぼ間違いないと思うのですが(自然災害などとは関係なく、人の心理が動き出す)、それよりも私としては、世の中がどうなるかということ以上に、「私がどうなるか」に興味があります。
今まで太陽活動のピーク時には心理的なものを含めて大きな変化を経験しているからです。
この「黒点」と「太陽活動」というものを知ったのは2年くらい前なんですが、その時、その太陽活動ピークの時と「自分にものすごい変化が起きた時」と、すべて一致していることに気付いたのでした。
例えば、今回の震災で何かご自分の中で「変わった」と感じられている方は多いように思います。
むしろ、あれだけのことを経験して、何も変わらないのなら変にも思います。
これと同じくらいの衝撃的な変化が、過去の太陽活動のピーク時に、自分の人生で起きています。
私が生まれた 1963年以降の太陽活動は、まあ大体ですが、
第20太陽活動周期(1967年前後がピーク)
第21太陽活動周期(1978年前後がピーク)
第22太陽活動周期(1988年前後がピーク)
第23太陽活動周期(1999年前後がピーク)
第24太陽活動周期(2012年前後がピーク) 
となっていて、それぞれの時に「人生が一変するほど」の環境的、精神的、価値観的な変化を体験しています。
そして、今回の震災も同じように私に変化とショックを与えているとすると、これは人生で
「5回目の変化」
ということになり、自分にとっての「第5世界」が始まったのかもしれないなあと思います。

In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/194008188.html
http://oka-jp.seesaa.net/article/201619877.html
http://oka-jp.seesaa.net/





2011年05月17日
太陽活動というのは、一般的に黒点の数で表されていて、今ではご存じの方も多いと思いますが、
太陽は、およそ 11年間の周期で「黒点の増大と減少」を繰り返しており、この太陽活動には、太陽観測が始まった 1700年代から通し番号がつけられています。
現在は太陽観測開始以来、第 24回目の活動周期の中にあり、2012年から2013年にピークを迎えるとされています。
これは1875年から1990年頃までの120年間くらいの太陽活動のグラフですが、グラフの増減は黒点の数です。
おわかりかと思いますが、
「上がる時には急激に上がっていく」
という特徴があり、ピークに向かう最後の2年から3年間が「最大期」となっていて、歴史上では、この太陽活動と世の中の動き、
特に動乱に関しては「ほぼ完全に」マッチしてきました。
つまり、
「太陽活動周期と人類の動乱の歴史は完全にリンクしている」
ということは、今ではほぼ確実に言える段階となっていると思います。
歴史上で観測されているすべての太陽活動の最大期に社会的にどういうことが起きてきたかということを並べてみても、
おわかりかと思います。2年くらい前にこちらの記事に書いたものですが、そこから抜粋いたします。
-----------------------------------------------------------
第1太陽活動周期(1755年前後に観測開始)
第5太陽活動周期(1790年前後がピーク) フランス革命(1789年)
第6太陽活動周期(1805年前後がピーク) 神聖ローマ帝国の解体(1806年)
第9太陽活動周期(1838年前後がピーク) アヘン戦争(1840年)
第10太陽活動周期(1850年前後がピーク) 太平天国の乱(1851年)
第11太陽活動周期(1860年前後がピーク) アメリカ南北戦争(1861年)
第12太陽活動周期(1870年前後がピーク) 独仏戦争(1870年)
第14太陽活動周期(1895年前後がピーク) 日清戦争(1895年)
第15太陽活動周期(1918年前後がピーク) ロシア革命(1917年)、ドイツ革命(1918年)
第16太陽活動周期(1930年前後がピーク) 大恐慌スタート(1929年)
第17太陽活動周期(1940年前後がピーク) 第二次世界大戦勃発(1939年)、太平洋戦争(1941年)
第18太陽活動周期(1948年前後がピーク) 第1次中東戦争(1948年)、NATO成立(1949年)、中華人民共和国成立(1949年)
第19太陽活動周期(1958年前後がピーク) チベット動乱(1959年が頂点)
第20太陽活動周期(1970年前後がピーク) ブレトン・ウッズ体制の終了(1971年)
第21太陽活動周期(1980年前後がピーク) イラン革命(1979年)
第22太陽活動周期(1990年前後がピーク) ソ連崩壊(1991年)
第23太陽活動周期(2000年前後がピーク) アメリカ同時多発テロ(2001年)
第24太陽活動周期(現在。予想されるピークは2012年頃)
-----------------------------------------------------------
世の中を動かしてきた大きなイベントのほとんどが太陽活動周期のピーク前後に起きていることがわかります。
この「太陽活動の最大期」というのは、つまり今そのものなんですが、なので、同じようなイベントは今後必ず起きると考えられます。つまり、世界的な大戦(上でいえば第二次世界大戦)、非常に大きな革命(上のフランス革命やソ連崩壊など)、考えられない大きな経済的イベント(上の大恐慌やブレトン・ウッズ体制の終了など)、あるいは非常に大きな暴動などのタイプのどれか、あるいは複数が 2013年までには起き続けるのが普通のことだと思われます。

In Deep
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『太陽活動と景気』 第9章 コンドラチェフ・サイクルと太陽活動 より
今日の経済学者は、学問の細分化の影響を受けすぎたためか、経済問題を考える場合、経済変数だけか、あるいはせいぜい政治・文化・歴史・社会・技術といった周辺諸分野の知識のみで処理してしまおうとする傾向がある。
だが、 19世紀の経済学者は、けっしてそのような狭いアプローチでは満足しなかった。
「経済学」( Economics )の名づけ親の一人でもあるジェヴォンズは、その半生を経済変動の周期性の研究に捧げ、ついにその原因を 11年の太陽活動周期に求めた。
いわゆる「太陽黒点説」の提唱者であり、 1870年代のことである。

In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/371453450.html#more
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kkokrjpミステリー・サークル解析


クロップサークルの啓示
クロップサークルは1980年頃より発生し始めました。
そのメッセージは地球人では知り得ない知識であったり平和的なメッセージでした。
そして人間では到底作りえないものです。
クロップサークルの小麦の茎を折らずに折り重なるように曲げて完璧なフラクタル構造の図形を一晩にて作ります。
その小麦はさらに成長し茎も太くなり収穫できますし、栄養価も周辺の小麦より高くなります。
またサークル内は電磁波が観測でき、円の中心は0になります。
中には人間がいたずらに作ったものもありますが、上記の特徴は無く形もいびつで一目で解ります。
このことにより未知の知的生命が作ったものと判断できます。
そして2001年より本格的にメッセージを送り始めます。
なぜ2001年なのか?
聖書の「四つの生き物」ノストラダムスの1999年7の月グランドクロスの直後だからです。
1999年7の月で聖書、ノストラダムス預言は人間に期限を与えていますがこのサイトを読んでいる人は解ります。

HP真時空構造解明
http://www.geocities.jp/kkokrjp/hito.html
http://www.geocities.jp/kkokrjp/
http://www.geocities.jp/kkokrjp/rekisi.html










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2001


2001年から始まるメッセージは下記の通りです。
まず地球から宇宙に向けて送ったメッセージに答えて2001年に現れたものは。
----彼らは地球・火星・木星に住み、人口は200億人、シリコンをベースとした身体でできていること。
そしてモンゴロイドに似ている顔の形。(キリストはセム系なので、モンゴロイド)----
でした。

HP真時空構造解明
http://www.geocities.jp/kkokrjp/hito.html
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http://www.geocities.jp/kkokrjp/rekisi.html







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2002



次に2002年に現れたサークルはアスキーコードによるメッセージを含みました。
この時の顔はいわゆるグレータイプ(シリコン生命体)です。
メッセージの内容は。
-----Beware the bearers of FALSE gifts and there BROKEN PROMISES.
 Much PAIN, But Still time.
 BELIEVE there is GOOD out there.
 We oppose DECEPTION.COnduit CLOSING-----
-----偽りの贈物や約束違反に注意しなさい。 
多くの痛みはあるが、まだ時間はあります。
信じなさい。
まだそこに善が残っています。
私たちは偽りに抗議します。 
繋がりは閉じられてしまいました。-----
「偽りの贈物や約束違反に注意しなさい。」は悪魔的未来人が偽善者としてやってきますよ。という意味でしょう。
「多くの痛みはあるが、まだ時間はあります。信じなさい。まだそこに善が残っています。」
は悪魔的未来人により人口削減が始まります。
しかしout there(地球外)に善(携挙)が残っている。
「私たちは偽りに抗議します。」聖書預言、ノストラダムス預言で警告を与えたのに
1999年までに天使的未来人を受け入れなかった。
「繋がりは閉じられてしまいました。」時間切れで地上天国はない。
という意味です。
聖書預言とピッタリですよね。

HP真時空構造解明
http://www.geocities.jp/kkokrjp/hito.html
http://www.geocities.jp/kkokrjp/
http://www.geocities.jp/kkokrjp/rekisi.html








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2007


2007年に現れたクロップサークルはモールス信号で表現されていました。
これは次のような文字に変換されます。
----love is as xr hi den nri des is a origin---
----愛はX線のように隠され、繰り返されている。死が原点です。----
愛(地上天国)はX線のように(歴史が塗り替えられるが如く)隠され(まだ地上天国は成就しない)
何回も裏切られている。
死が原点です。(キリストが原点です。)(元の歴史において四つの生き物1999年に地球を
破壊してしまったことが始まりです。)
と解釈できます。

HP真時空構造解明
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http://www.geocities.jp/kkokrjp/rekisi.html









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2014


2014年6月もモールス信号を図形化したメッセージが送られてきました。
内容は
----NO MORE WAR----
でした。
これは解りやすいですね。

HP真時空構造解明
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2015年9月に出現したクロップサークルのメッセージは次のとおりです。
メッセージはアスキーコードと2進法の数字で書かれていました。
------ti m e o E T f e r e n t e s !---------
---------h O DEL-----
-----ESC 244206--------
まとめますと、
【解釈】
---恐怖のETが偽りの約束を持ってやってくる!---
---人間は地球から削除されます。---
---2020年4月24日午前6時に逃げてください。---
でした。
さらにこのメッセージの手の込んでいるところは、ESCの前に壊れた三角があり、それを入れれば、CR(復帰)という文字に変換されます。
しかし、そのあとの数字は意味をなしません。
これは、キリストの復帰は今回においては無いという意味と解釈できます。
これらのクロップサークルのメッセージは聖書予言・ノストラダムス予言の未来人説と合致し、
私達の提唱していた説が証明されたことになります。

HP真時空構造解明
http://www.geocities.jp/kkokrjp/hito.html
http://www.geocities.jp/kkokrjp/
http://www.geocities.jp/kkokrjp/rekisi.html


















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2019年01月27日

Revelation13.net:2019年占星術予測

Revelation13.net
Revelation13.net: Prophecies Calendar, recent Past and Future dates -- 2019 2020 to 2022 --
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Revelation13.net
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(要約)
Revelation13.net:2019年占星術予測
T. Chase
2019年,2020年から2022年-新時代,ノストラダムス予言,聖書予言,キングジェームズ版聖書コード,そして世界の出来事の占星術予測
2019年,終わりの時のイベント,災害の危険に注意せよ。
2019年-2020年-2022年:反キリスト・ロシア大統領Putinが世界征服・NATO破壊を画策する。
2019-2022年に,ロシアまたは北朝鮮が核戦争をはじめるだろう。
2020-2022年にエイリアンUFOの侵略,黙示録に記録された
「4人の騎士(THE FOUR HORSEMEN OF THE APOCALYPSE)」,つまり,
エボラ熱(EBOLA),
鳥インフルエンザ(BIRD FLU)
SARS2019 ,
H3N2インフルエンザ(H3N2 FLU)
ZIKAウイルス(ZIKA VIRUS EPIDEMIC)
に注意。
2019年から2022年にかけて,巨大火山噴火と巨大地震に注意,
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2019年1月6日東アジアでの部分日食,
2019年1月21日,北アメリカと南アメリカで完全月食,
2019年1月22日,明け方の空で見た,金星と木星の接合点が2度以内,反キリストやキリストに関連,
2019年2月19日,満月,スーパームーン,月が地球に最接近し大きく見える,
2019年3月21日,満月,スーパームーン,月が地球に最接近し大きく見える,
2019年4月6日,4月6日 - 4/6,46,染色体数は46>>46は人の数,
2019年4月7日1952年生まれの反キリストプーチン,誕生日から66年,6ヶ月(666),反キリストに関連する可能性
2019年6月14日,異常な占星術配置-グランドウォータートリン,水星/蟹座15度,火星/蟹座18度,海王星/魚座18度,月/座18度,18=6+6+6
2019年7月2日,アルゼンチンのチリと南太平洋で皆既日食,
2019年7月16日,部分月食,
2019年11月11日,太陽を水星が横断,次回は2039年,反キリストプーチンに関連する重要なイベントの可能性,
2019年11月24日,金星と木星が2度以内の角度で接近,
2019年12月26日,クリスマス,インド,インドで環状日食(月の周りに光輪),
2019年12月26日,山羊座,射手座,水瓶座エリアで惑星集中,占星術クラスター,反キリストのプーチン大統領と関係あり,

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予知情報:黙示録解析,2018年
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2016年10月3日,ユダヤ暦新年祭(Rosh Hashanah),5777年サイクルの始まり。
「777」はギリシア語で「十字(The Cross)」の数。
ヨハネの黙示録を含む新約聖書の原典では「666」は「反キリスト」の数。
「888」はギリシア語で「イエス」の数。
6x6x6=216(「2016」に似た並び,反キリストに関係)。
2016=42x48=42x6x8。黙示録の記述「反キリストが支配する42ヵ月」。「42」は反キリストに関係。
2017年11月13日、金星と木星が見かけ上3度以内に接近。反キリスト、キリストに関連
2017年12月3日、スーパームーン。月が地球に接近、大きな月
2017年12月21日 2017年間ずっと射手座エリアにいた土星が2017年12月21日、山羊座エリアに入る。
2018年1月2日、スーパームーン。月が地球に接近、大きな月。
2018 = 2000 + 6 + 6 + 6。666(ヨハネの黙示録13の反キリストの数)。
2018年1月31日。西北アメリカで皆既月食。
2018年2月。第1次世界大戦開戦の1914年8月から6×6300日(サタニックサイクル)、
また、1914年8月1日(第1次世界大戦開戦)から6×6300日の2018年2月,世界イベントを操る反キリストPutin一族は全盛。
2018年5月9日,木星と地球がオポジション。木星-地球-太陽が直列。
2018年5月27日,占星術パターン6-6-6。双子座太陽6度-魚座木星6度-蟹座土星6度。
2018年8月26日。太陽-乙女座土星-山羊座海王星-牡牛座がグランドトライン(Grand Earth Trine Astrology pattern,三位一体パターン,)で天体エネルギーは増幅。
2018年6月6日,映画「The Omen」デーミアンの42才の誕生日。
映画「The Omen」は1976年6月6日(666がヨハネの黙示録13章の反キリストの数に由来)に公開。
ヨハネの黙示録13章「反キリストの政権42ヵ月間」。「42」は反キリストに関係。
2018 = 2000 + 6 + 6 + 6に注意。
June 27 2018. Saturn/Satan at opposition, closest to earth.
2018年6月27日,土星と地球がオポジション。土星-地球-太陽が直列。
2018年7月13日。オーストラリアと南極大陸で部分日食。
2018年7月27日。ヨーロッパ、アフリカ、アジアで皆既月食。
2018年8月11日。カナダ(グリーンランド)で部分日食。
2018年8月26日,乙女座太陽-山羊座土星-牡牛座海王星がグランドトライン(Grand Earth Trine Astrology pattern,三位一体パターン,)で天体エネルギーは増幅。
2018年9月7日。乙女座水星-山羊座土星-牡牛座海王星がグランドトライン(Grand Earth Trine Astrology pattern,三位一体パターン,)で天体エネルギーは増幅。
2019年4月,反キリストPutinの誕生日1952年から66年6ヵ月,ハルマゲドンの危険性。
ヨハネの黙示録16章「中東で大きな核戦争がおき、ハルマゲドン(第3次世界大戦)になる」。
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2018年〜2019年,Putinは核ミサイル攻撃に出るか?第3次世界大戦はおきうるか?
ヨハネの黙示録19章「反キリスト軍はキリスト軍(宇宙人勢力)に敗れる」
キリストは2018年-2020年に再臨するのか。キリスト軍(宇宙人勢力,W56 aliens,)のUFOが地球に来るのか。
King James版黙示録19:11「そして私は天が開かれ、現れた白馬を見た」(:UFO??)。
黙示録19:14「そして白馬のキリストに続いて天の軍が現れた」
黙示録19:15「そして彼の口から出た鋭い剣が国々を打った」(強力なUFOの武器は地球の国々を破った)。
ヨハネの黙示録7,14「そしてキリストのもとに144,000人の選ばしたものは集い天の宇宙軍を助けた」。
宇宙軍侵攻の本意は地球温暖化と地球環境の破壊の阻止にある可能性。
キリスト軍が地球の支配をを引き継ぎ、地球は宇宙の本部になる。
ヨハネの黙示録11:18「地球を破壊する彼らは滅ぼされるべきだ」。
宇宙軍はW56系宇宙人(W56 aliens)かもしれない。
また宇宙軍侵攻時、地球上の数百万人が姿を消す「携挙(The Rapture)」がおきる
黙示録21:10「そして天国から神が下り、私にその巨大都市(神聖なエルサレム)を見せてくれた」。
ヨハネの黙示録21章にある新エルサレム(New Jerusalem)は、2020年の宇宙人侵攻後に形成される巨大な宇宙人都市でありうる。
ヨハネの黙示録21章と22章は、宇宙人による地球を再編の記述か。
宇宙人のリーダーはキリスト。黙示録7章と14章は144000の選ばれしものの記述。
黙示録14章「選ばれしものが集う」場所は私はニューヨーク市だと思う。
「額に印をつけられた144000人」とは,宇宙軍侵攻に備え,宇宙人にチップを脳移植された拉致被害者だと思う。
((まとめ))
31年サイクル:
666日の17サイクル= 31年。
1945年8月第2次世界大戦終戦、
1914年8月第1次世界大戦開戦から31年(666日の17サイクル= 31年)後の1945年8月第2次世界大戦終戦。
このサイクルでは、この間におきたファシズムの高まりと敗北がおきた。
第2次世界大戦終戦後の次のサイクルは1976年に終了。
このサイクルでは、一連の事件と毛主席の死亡による共産主義の没落がおきた。
次のサイクルは2007年に終了。
このサイクルでは、反キリスト・プーチンの台頭がおきた。
次のサイクルは2038年8月に終了。
このサイクルでは、反キリスト・プーチンの盛衰の後、おそらく地球外勢力の侵入がおきる。
17年3ヵ月サイクル:
150(権力,聖詩150,Psalm 150,)x42(反キリストは42ヵ月支配した,ヨハネの黙示録13,)= 6300
6300日(サタニックサイクル,6300日:17.248年:17年3ヵ月)は、反キリストとこれに類する独裁者(Hitler,毛主席/Chairman Mao)の出現に関係する。
第1次世界大戦開戦の1914年8月1日、666日サイクルの始まり。
1914年8月1日(第1次世界大戦開戦)から1×6300日,1931年11月のHitler台頭。Hitlerは翌年1932年に二回目の選挙出馬で当選。
1914年8月1日(第1次世界大戦開戦)から2×6300日の1949年2月,この8ケ月後の1949年10月に毛主席/Chairman Maoは中華人民共和国を建国。
3 x 6300 days = May 1966, Chairman Mao began the cultural revolution in May 1966. Also note that was just before 6/66.
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1914年8月1日(第1次世界大戦開戦)から3×6300日の1966年5月,毛主席は文化革命を開始。これは6/66の直前であった。
1914年8月1日(第1次世界大戦開戦)から4×6300日の1983年8月,4×6300 = 69年。
1914年8月1日(第1次世界大戦開戦)から5×6300日の2000年11月,反キリストPutinがロシアで政権に復帰,2000年5月にロシア大統領選で再選。
1914年8月1日(第1次世界大戦開戦)から6×6300日の2018年2月,世界イベントを操る反キリストPutin一族は全盛。

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posted by datasea at 21:39| Comment(0) | ) 占星術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20世紀後半期のメキシコ・韓国・日本の経済比較

「景気循環の現段階:メキシコ、韓国、日本を比較して」
横浜商科大学   尾関 修
はじめに
筆者は、これまで投資水準(総固定資本形成/GDP)と輸入輸出比率(輸入/輸出)を指標として採用し、主にラテンアメリカの景気循環について、シュンペーターの3循環図式を改良してモデル化を行ってきた。その中で、NAFTA、MERCOSUR(メルコスル)、アンデス共同体などの地域統合を資本流入による景気回復の要因として評価する一方、債務危機を資本逃避による景気低下の要因と考え、総合収支/外貨準備と財政収支/財政収入の比率で対外対内の債務危機を指標化し、景気循環への影響を考察してきた。
メキシコの通貨危機の分析においては、石油開発や地域統合によるバブルの発生を標準的な景気循環を撹乱する要因として位置づけ、設備循環、建設循環、長期波動を組み合わせた3循環図式を維持することによって将来見通しを行った。メキシコの通貨危機は、この図式から上方に外れた形で続いていたメキシコの経済成長を急低下させ、図式の傾向に回帰させるものであった(1) 。また、ペルーの分析においては、チリの分析で用いた在庫循環を加えた4循環図式を一般的に適用できる図式として採用し、経済成長率の長期見通しを得ることができた(2) 。ただし、ペルーは、97年末から異常気象の影響を受けることになった。この異常気象は500年周期のメガニィーニョ現象といわれるもので、先の4つの循環を越えた循環の存在が景気に影響を与えることを示している。
また一方で筆者は、90年代を日本の長期波動の低下過程と位置づけ、これを転換するイノべーションの枠組みとして、ラテンアメリカを含めた環太平洋経済が開かれた地域主義で統合していくことの重要性を意識し、地球環境問題を軸としたオールターナティブの必要性を論じてきた(3) 。実際に環太平洋経済の相互依存関係は、1994年末のメキシコの通貨危機が隣国アメリカの経済に衝撃を与え、翌年のドル安と急激な円高となって跳ね返り、1997年のタイ、インドネシア、韓国の通貨危機が今日の円安とドル高を導いたことによって現出することになった。メキシコと韓国の通貨危機は、両国がOECDに加盟することになった直後に起こった点で共通性があると考えられるし、円は両国の通貨危機から直接の影響を受けている。しかし、メキシコは通貨危機を克服し小康を得ているのに対し、韓国や日本の展望は見えて来ない。そこで、メキシコ、韓国、日本の景気循環を比較し、長期波動をベースとした4循環図式から見て、韓国と日本の景気循環の現段階を検討することを本稿の課題とし、 東アジアの経済発展のオールターナティブを模索していきたい。
1、投資水準で見た景気循環
始めに、図1によって、メキシコ、韓国、日本の投資水準(総投資/GDP)を比較してみることにしたい。総投資(総固定資本形成+在庫投資)/GDPの推移は、在庫循環、設備循環、建設循環を合成した動きを示すと考えられるが、イノベーションのための設備投資や建設投資と関係が深いとされる長期波動の動きをも含んでいると考えられる。すなわち、景気の4つの循環とその相互作用を複合していると考えられるのである。そこで、投資水準は全体として、上昇、下降、低下、回復という4つの過程を経て長期波動のサイクルで循環していると仮定する。
韓国の投資水準は、李承晩政権(48~60年)が学生革命によって倒された後の61年に、朴正煕少将と金鐘泌大佐に率いられたクーデターによって成立した軍事政権の下で上昇を開始した。63年の大統領選挙によって成立した朴政権の下で投資水準は飛躍的に上昇し、79年に朴大統領が暗殺されるまで、波を打って上昇した。その水準は66年にはメキシコの水準を追い抜き、79年には日本の水準をも上回るに至った。
日本の投資水準は、
鳩山/石橋/岸政権( 54〜60年)、
池田政権( 60〜64年)
による経済自由化と重化学工業化政策によって大きく上昇し、
神武景気(54〜58年)の57年、
岩戸景気(58〜62年)の61年
に突出した山を示している。
この上昇過程は、韓国の70年代の上昇過程とパターンが似ている。
韓国は朝鮮戦争から、日本は太平洋戦争からの復興に続く拡大を示しているものと考えられる。
日本では、64年の東京オリンピックの後に交代した
佐藤政権(64〜72年)
下で、65年の不況が発生し投資水準は落ち込んだものの、この年から建設国債が発行され景気は上向き、
いざなぎ景気(65~71年)
が出現し、70年に山を示した。
ただし、この山は61年の山を下回っている。
一方、 韓国でも、79年の突出した山のあと投資水準は横ばいを示し、81年に累積債務が300億ドルを越え総合収支は赤字となり、82年にはメキシコと同様に外貨の支払い困難に陥った。全斗煥による軍事政権(79〜87年)は、それまでの開発優先の経済政策に対する国民の不満を力によって押さえつけようとしたが政治的軋轢は深まり、官僚による経済への過度の介入は非効率を招いた(4) 。韓国は、中東での海外建設事業と建設労働の出稼ぎを急増させ外貨不足を補わざるを得なかった(5) 。 しかし、85年の先進5カ国によるプラザ合意後、円高により日本製品の価格が急騰し始めると、韓国のウォンは米ドルとほぼ連動していたため、韓国製品は日本の中低位の製品代替品として輸出を伸ばした。そして、盧泰愚政権(87〜92年)による段階的民主化とソウル・オリンピック(88年)によって韓国の投資水準は再び上昇を開始し、91年には、79年を上回る山を迎えたのである。
メキシコと韓国の投資水準は、山と谷がほぼ一致していることに気づかされる。先の論文で見たように、メキシコの投資水準は、60年代後半からアメリカの水準を上回り、70年代後半からは石油の開発ブームを背景として上昇を続けたが、82年の原油価格の低下によってブームは崩壊した。この後、メキシコの投資水準は低迷するが、韓国と同様に86年を底として上昇に転じ、92年に山を迎えている。これは、NAFTAを見込んだブームと考えられることは先にも述べたが、94年末の通貨危機によってブームは崩壊した。
戦後日本の設備投資の循環は、
51年、
61年、
70年、
80年、
90年
にピークがあり、10年サイクルを示している 。
なかでも、日本のいざなぎ景気(65〜71年)における70年のピークは、民間設備投資/GNPの比率が最も高く(6)、実質GNPの7ヶ年移動平均で見た成長率循環も下降への転換点を示しており、50年代から始まった輸送・通信・エネルギーなどの技術革新による投資のピークであった(7) 。71年はニクソン・ショックもあって円高による落ち込みが見られたが、田中角栄政権(72〜74年)が登場すると日本列島改造ブームが起こり、73年には再びピークを迎える。この年は住宅投資や建設投資の循環がピークを示した年として知られている(8) 。しかし、この年の終わりに発生した石油ショックにより、列島改造ブームは崩壊し投資水準は下降に転じた。
日本の投資水準における61年と70年の山の期間が、中期循環を示しているように、韓国における79年と91年の山の期間も、中期循環を示しているとみることが出来る。韓国でも92年には落ち込みが見られたが、金泳三政権(93〜98年)は短期資本を取り入れて景気浮揚策をとったため、輸入の拡大を招き経常収支は赤字となり、97年に入るとタイの通貨危機によってウォンが動揺し外貨支払いに困難を来すことになった。メキシコが通貨危機から約2年で一応の回復を示したため、韓国の場合も2、3年のうちに回復すると考えられているが、どのようなプロセスで回復が見られるのだろうか。
投資水準のピークを示すブームの崩壊の契機となった点で、日本にとっての73年の石油ショックは、メキシコにとっての82年の債務危機、韓国にとっての97年のアジアの通貨危機と同じ意味合いがあるように見える。日本の投資水準は74年以降、長期の下降を示している。80年前後に回復を示したが、第2次石油ショクの影響もあって、80年代前半は、再び下降に転じている。86年に石油価格が下落し、80年代後半はプラザ合意による円高不況からの回復が始まり、90年にはピークを迎えている。このピークは、バブルの影響で大きく盛り上がったが、設備投資の循環だけでなく、73年に山を示した建設投資の循環が再び山に向かっていたことも影響している。 90年代の前半は建設投資と設備投資の下降が重なり、投資水準は低下した。 90年代後半に入ると設備投資の回復が見られ、投資水準は少し回復したが、97年には再び低下している。これは、日本の長期波動が底に向かっていることとも関係がある(9) 。
バーノンのプロダクトサイクル(10) に基づき、韓国が日本の後を追っているという仮定に立つならば、日本の例から考えて、韓国の投資水準は、今後20年以上は下降過程と低下過程をたどると見ることができる。日本の投資水準がイノベーションによって本格的な回復過程に転ずることが出来るならば、韓国も低下過程の後に回復過程に転ずることになる。このような仮定を立てることは妥当なことであろうか。この点をさらに検討してみることにしたい。
2、経済成長率、輸入輸出比率と景気循環
次に、投資水準とは違って、短期循環の動きをはっきりと反映する経済成長率によって、比較してみることにしたい。図2がメキシコ、韓国、日本の経済成長率を比較したものである。6年、7年というケースは、何らかの理由で短期循環が二つ連続した場合と考えれば、経済成長率はいずれの国でも短期循環を示していると考えられる(11) 。しかし、その振幅は、投資水準と連動して、大きく変動している。
日本の経済成長率は、60年代においては、10%を上回る高成長を示したが、71年のドル・ショック、73年の石油ショックによる落ち込みを契機として5%内外の成長に下降し、90年代に入ると1%前後に低下している。これは、投資水準の上昇と下降と対応している。メキシコの経済成長率も投資水準の上昇と下降に対応して、60年代70年代は5〜10%の水準であったが、82年の債務危機を契機として、−5〜 5%に下降した。
これに対して、韓国の経済成長率は、
60年代70年代と5〜15%の高成長が続き、
80年に大きな落ち込みがあったものの、
80年代90年代と5〜12%の高成長が続いた。
これは、韓国の投資水準が全般的には上昇過程にあったことと対応している。
投資水準が横ばいであった全斗煥の軍事政権(79〜87年)の時代においても10%を超える年が3回もあった。
しかし、日本と韓国の投資水準の比較から見ると、予想される98年のマイナス成長を克服した後は、5%内外に下降するのではなかろうか。
これらのことから見て、経済成長率は、短期循環だけではなく長期波動をも反映していると考えられる。
一方、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルーなどのラテンアメリカのNIESにおいては、好況には輸出よりも輸入が増大し、不況には輸入が減少し輸出にドライブがかかり、輸入/輸出の比率が景気循環を示すことになることを論証してきた(12) 。韓国、日本の場合はどうであろうか。
図3がメキシコ、韓国、日本の輸入輸出比率の比較である。韓国の50年代60年代の輸入輸出比率は極めて高いので、対数目盛りで示してある。
日本の輸入輸出比率は、1を上回った57年、61年の山は好景気を示していた。
これは短期循環を示していると見ることができる。60年代後半以降は輸入輸出比率は1を下回ることになり、石油ショック後の74年の不況に山を示すことになった。80年、90年の山は設備投資の循環による好況と一致しているが、輸入輸出比率は1を上回ることはなかった。メキシコの輸入輸出比率は、60年代70年代は1を上回っていたが、債務危機のあった80年代は1を下回っている。90年代前半にはNAFTAのブームのため再び1を上回っているが、後半は通貨危機の影響もあって再び1を下回っている。
これに対し、韓国の輸入輸出比率は、60年代70年代と急激な低下を続けた。
79年の投資水準の山でも輸入輸出比率はそれほど上昇していない。その後も低下を続け、
85年以降は1を下回ったが、
91年の投資水準の山の時に1を上回っている。
通貨危機に陥った97年以降は再び1を下回ると思われる。
いずれにせよ、韓国はNIESとして輸出主導型の発展を示してきたといわれるものの、輸入輸出比率はこれまで1を下回ることは少なかったのであり、ラテンアメリカのNIESの場合と違って、韓国や日本の場合は、景気循環をはっきりとは示していない。日本の場合は、NIESとは工業化の段階が異なることによって説明できる。一方、韓国の場合は60年代の工業化の始めから、輸入代替政策や比較優位の原理を顧みることなく、加工輸出主導型の経済成長を目指してきた(13) 。このため、不況でも輸出に見合って加工用原材料輸入が増え、輸入輸出比率の変動は少なく1を下回るほど低下しなかった。
これに対し、ラテンアメリカのNIESでは、鉱産物、農水産物、木材などの1次産品の輸出が多く、50年代から輸入代替政策による工業化を図ったため資本財の輸入が増加して、輸入輸出比率は短期循環を示しながら、その水準は上昇してきた。70年代の石油危機の頃、この水準はピークに達し、80年代の債務危機以降は外貨取得のため工業品の輸出に力を入れたため、輸入輸出比率の水準は下降することになった。このため、輸入輸出比率は、長期波動や短期循環を反映することになったと考えられる。
3、4循環図式:日本の場合
シュンペーターの3循環図式(在庫循環+設備循環+長期波動)と、筆者がブラジル、メキシコなどの景気循環モデルとして改良した3循環図式(設備循環+建設循環+長期波動)においては、周期の比を振幅の比として、サインカーブを組み合わせている。これに対し、チリ、ペルーでは投資水準の変動が大きいため、輸入輸出比率で示される景気循環と4循環図式(在庫循環+設備循環+建設循環+長期波動)の対応を、周期の比を振幅に比例させないという工夫をして見出した。韓国、日本の場合は、輸入輸出比率は景気循環を必ずしも示していないので、投資水準で示される景気循環に4循環図式を適用して見たいが、周期の比を振幅の比とするシュンペーターの仮説に戻ることにしたい。
筆者は、4循環図式の標準周期として、次のような仮説を立ててきた。
ジュグラー循環は3個のキチン循環を含み、
コンドラチェフ循環は6個のジュグラー循環を含む
というシュンペーターの洞察(14) に基づき、キチン循環の平均周期40ヶ月をベースとし、設備循環の標準周期を10年、長期波動の標準周期を60年と仮定する(15) 。
また、コンドラチェフ循環は、クズネッツ循環を3個含むと考えて、建設循環の標準周期を20年とする。
ここで固定的な標準周期と巾のある平均周期を区別したのは、これまで計測されてきた
短期循環(キチン)、
中期循環(ジュグラー)、
長期循環(クズネッツ)、
長期波動(コンドラチェフ)
の平均周期から見て、
在庫循環、
設備循環、
建設循環、
長期波動
の理想モデルとして採用できる標準周期を想定するためである。
このような理想モデルを想定することは、マックス・ウェーバーのIdealtypus(理想型)によって意味づけられる(16) 。
3循環図式から4循環図式に拡大しているが、年次ベースで投資・GDP比率を観察することとし、月次ベースのシュンペーターの理想モデルより単純化している。このように理想化されたモデルによっても、周期の起点や振幅を変えると、その組み合わせは無限であり、現実の景気循環モデルとなりうることは、ラテンアメリカ各国の例で示した通りである。チリとペルーのケースでは、在庫循環を4年としてより単純化したが、仮説を崩すことになるので、今回は採用しない。
日本の場合においては、在庫循環、設備循環、建設循環、長期波動を、それぞれ
標準周期
40ヶ月、
10年、
20年、
60年
と仮定し、シュンペーターに倣って周期の比を振幅の比、
3.33:10:20:60 = 0.333:1:2:6
と仮定して描いたサインカーブによるモデルを、図4に示している。
設備循環の振幅をベースとしたのは、在庫循環を除く3循環図式で、振幅比を 10:20:60 =1:2:6としたためである。
サインカーブは、下記の数式を採用した。
在庫循環 = 0.333 sin ( 360 n / 3.33 )
設備循環 = 1 sin ( 360 ( n - 3 ) / 10 )
建設循環 = 2 sin ( 360 ( n + 7) / 20 )
長期波動 = 6 sin ( 360 n / 60 )
数式中のnは、1955年を起点とする経過年数を示している。55年を起点としたのは、日本の長期波動のピークを70年と想定したため、逆算したものである。この頃、一人当たり所得も消費も戦前水準を超え、「もはや戦後ではない」と宣言されたので、長期波動のサインカーブの起点として適当であろう。長期波動のピークを61年の投資水準よりは低い70年と想定したのは、70年は、民間設備投資・GNP比率が戦後で最も高い年であるためである。70年は「いざなぎ景気」というスーパー・ブームの山であり長期波動を背景としていると考えられるのである。
日本の在庫投資のGDP比率は、景気基準日付の年と必ずしも一致せず、54年、58年、62年、65年、69年、72年、75年、78年、83年、87年、90年、94年に谷を示しているので、標準周期に近いといえる。54年が谷を示しているので回復過程の 55年を在庫循環のサインカーブの起点とすることは適当であろう。付図(図9)を参照されたい。
日本の設備投資GDP比率の平均周期は10年なので、標準周期と一致している。 51年、61年、70年、80年、90年に山があるので、 (n -3)と調整することによって10年周期のモデルの山と一致させている。日本の建設投資のGDP比率の平均周期は、17〜20年であるので (17) 、 標準周期と若干ずれがあるが、建設循環は、73年に山があるので、 ( n + 7 )と調整することによって20年周期のモデルの山と一致させている。
図4は、日本の景気循環の理想モデルということになる。長期波動の底を1940年と2000年に想定している。 図5は、長期波動、建設循環+長期波動、設備循環+建設循環+長期波動(改良された3循環図式)、在庫循環+設備循環+建設循環+長期波動(4循環図式)が、同時に描かれている。この4循環図式は理想モデルであるから、現実の景気循環の山谷を示す実績値との乖離は避けられないが、景気循環の物差しとして、実績値と比較してみることにしたい。
図6は、図2に示された日本の投資水準の実績値と4循環図式の比較である。投資水準の実績値の平均値GDP比31.6%を加えて、図5の4循環図式のパターンを重ねあわせている。これで見ると、投資水準がパターンから外れているのは、50年代60年代前半では、太平洋戦争後の復興と拡大の過程にあるためという説明が成り立つだろう。71、72年の落ち込みは円の切り上げ、70年代後半の落ち込みは石油ショックによるバブルの崩壊と説明できる。 80年代後半の上昇はプラザ合意後のバブルで説明できるし、90年代前半においては、平成不況といわれる中での大型の景気対策が投資水準を押し上げていることが考えられる。
4循環図式は、標準周期のサインカーブの組み合わせで現した理想モデルであり、投資水準の実績値の山と理想モデルの山を出来る限り一致させた4循環図式のパターンが、投資水準(レベル)の標準値を示すことになる。図6のパターンによれば、日本の投資水準の標準値はGDP比では24〜40%の振幅を示すことになる。貿易環境や財政金融政策によって投資水準は大きく左右されるものであるから、標準値との乖離は避けられないが、乖離を説明する要因の大きさを測るためにも、標準値を想定することは意義があるであろう。図6の日本の4循環図式が標準値を示すとすれば、90年代後半の日本経済は、設備投資が回復基調にあるとはいえ、投資水準の低迷は避けられないと考えられ、4循環図式の底は2004年であるから、そのころから回復過程に入ると見られるのである。
日本から20年以上遅れて上昇を示してきた韓国の投資水準は、1997年の通貨危機を契機に下降に転じると予想されるが、石油ショック以降の日本の4循環図式が、韓国の今後20年の予想に役立つことになる。
4、4循環図式と経済成長率
図5に示した4循環図式は、景気循環の標準的振幅を示すものであるが、投資比率との対応は明らかであり、これは景気の水準(レベル)を示していることになる。シュンペーターが循環図式に加えて、その変化率の図式を示しているのは、成長率循環の標準的振幅を示すためであったと考えられる。図2と付図(図9)を比較すると、経済成長率は、在庫循環と必ずしも一致しておらず、景気の成長率循環の振幅を示していると考えられ、現実の景況感と一致するものであるから、投資水準だけでなく実質経済成長率と4循環図式の変化率との関係を検討することも意義があるであろう。
図7は、日本の実質経済成長率でみた景気循環を、日本の4循環図式の変化率と比較している。
ただし、変化率は、経済成長率と比較するため、(対前年との差分*3.9+6.1) と調整している。
図2から、経済成長率の実績値の平均6.1%を加え、1974年の標準的振幅を実績値に近い0%に調整するため4循環図式の対前年の差分を3.9倍して、直接比較できるようにしたのである。
日本の経済成長率の振幅は大きいが、マイナスを示すことはめったになく、0〜 15%の振幅を示しており、70年代初頭を境に経済成長率は10%を上回る水準から5%を下回る水準に様変わりしている。4循環図式が上昇過程から下降過程に転じたことと対応している。80年代後半は、4循環図式の変化率は上昇を示しているので、この時期の経済成長はバブルだけでは説明できない。90年代に入ると4循環図式は低下過程に入り、経済成長率も0%に近い水準に低下している。 しかし、4循環図式の変化率は、90年代の後半から回復に向かうことになっている。成長率循環の標準的振幅と現実の成長率の振幅とは、簡単な調整によって比較できたといえるだろう。
図2に示した韓国の経済成長率は、1960年代1970年代と高く、1980年代も高かったが、1990年代に入って鈍化している。
投資水準の推移から見て、韓国の4循環図式は日本より20年以上遅れたパターンを示すと考えられるので、韓国の1990年代の成長率鈍化は日本の経済成長率が70年代に入って鈍化したことに比せられる。20年前の日本の4循環図式の変化率が韓国にも当て嵌まるとすれば、予想される98年のマイナス経済成長を克服した後も、今後20年近くは5%以下の水準に止まり、その後もしばらく低迷することになる。このような苦境から脱出するためには、大きなイノベーションの枠組みを必要とする。メキシコは、80年代の低迷を抜け出すため、NAFTAという枠組みを必要とした。日本と韓国が経済関係を拡大することによって、投資水準を回復過程に転換していく必要があるのではなかろうか。金大中新政権との間に日韓新ビジョンが形成されれば、韓国の投資水準の回復に役立つばかりでなく、日本の投資水準の回復にも役立つだろう。
5、政府債務残高と景気循環
4循環図式が、日本と韓国の投資水準と経済成長率の低迷を予測させる根拠となっているが、債務危機が長期波動を下降低下させる原因となっていることを、メキシコ、ペルーの例で見てきたので、日本と韓国についても長期波動と債務危機の関係を調べる必要があると考えられる。通貨危機は、対外債務の危機だけではなく、対内債務の危機とも密接に結びついているので、総合収支/外貨準備、財政収支/財政収入を指標として債務危機の年を検出してきたが、日本の場合には適切ではないので、国際的指標でもある政府債務残高/GDPを指標として採用する。
図8は、韓国、日本の政府債務残高/GDPの推移を比較したものである。
日本の政府債務残高は、368兆円(1997年末)であり、GDPの72.4%に達している。
銀行の不良債権だけではなく、政府債務が円安圧力になっていることを見逃してはならない。
日本の政府債務残高/GDPは太平洋戦争中は100%を超えており、1944年は144%にも達していた。
戦後は、戦時補償打切り、国債の日銀引受け禁止、財政の継続費条項廃止、経済安定9原則などによる均衡財政により急速に改善し、1950年代には10%以下となったが、65年の不況の後早くも均衡財政から転換して建設国債の発行に踏み切った。しかし、65〜70年は「いざなぎ景気」が続き、財政収支は急速に改善していったので、 政府債務残高/GDPの指標は、それほど悪化しなかった。第1次石油ショックで日本経済がマイナス成長に陥り、税収が大幅に落ち込み、75年からは特例国債すなわち赤字国債が発行されたため、78年には財政赤字はGDPの7.5%にも達する事態となり、政府債務残高のGDP比は30%を上回った。
大平内閣(78〜80年)は84年度赤字国債脱却を表明したが、79年の第2次石油ショック後の景気後退で財政再建は進まず、投資水準は反対に下降し82年にはGDP比30%を下回った。中曽根内閣(82〜87年)は90年度赤字国債発行ゼロを表明した。これは、90年度予算で16年ぶりに赤字国債の発行額はゼロとなったことによって実現したが、91年度末で国債発行残高は224兆円となっており、政府債務残高のGDP比は48.4%であった。しかし、92年以降の平成不況の中で、再び赤字国債が発行され、政府債務総額のGDP比は、再び悪化して97年では72.4%になったのである。
日本の債務危機のプロセスは、図6と図7に見るような73年以降の投資水準と経済成長率の下降と低下のプロセスと一致している。経済成長率の足を引っ張ってきたのは、皮肉にも景気対策が生んだ政府債務であった。景気対策のため財政再建が棚上げされれば、経済成長率の足を引っ張ることになり、投資水準の回復へ転換するには時間がかかることになる。赤字国債発行ゼロが2003年さらに2005年に先送りされたので、回復への転換はそれまでは難しいということになる。4循環図式の底を1944年、2004年と想定しているが、政府債務残高/GDPの底は、これと一致する動きをするだろう。
日本に比べ、韓国の政府債務残高は33.6兆ウォン(1996年末)で、GDPの8.6%に過ぎなかった。韓国の投資水準がピークを示した91年では7.5%であり、少し悪化した程度であった。この水準は、日本の「いざなぎ景気」の時のピークである70年の債務残高が8.3%であったことを考えるとうなずける。日本は石油ショックの後、債務危機に陥っていくが、韓国は、97年の通貨危機の後、債務危機に陥っている。メキシコは政府が短期国債を発行して、短期の外資を大量に取り入れたのに対して、韓国は民間が直接に外国から短期資本を導入して経済成長を図ってきた。外資の流出が始まれば、これを防ぐ手だてはない状態であったので、国家が民間債務を肩代わりすることを余儀なくされ、債務危機に晒されることになったのである。これまでは、政府債務残高のGDP比は高くなかったが、IMF
の支援を受け入れることで政府債務は急増していくことになる。このため韓国の投資水準の回復には容易に繋がらないのではないかということが、図8からの結論である。
おわりに
1997年12月、債務危機の中で金大中が大統領に当選し、韓国は新しい時代に入った。
輸出主導型の経済政策で成功を収め、 1990年代の日本が長期波動の低下過程に入る一方で、新興経済国として認められてきていた韓国ではあったが、 財閥中心に重化学工業、 輸出産業を拡大してきた経済構造が、賃金の上昇と為替高によって競争力を失い、外貨の支払い困難に陥ったのであった。メキシコのサリーナス前大統領は、韓国の経済政策を手本として80年代の債務危機から抜け出してきたといわれる。これは短期資本を導入して輸出産業を拡大するということであった。しかし、短期資本の逃避はメキシコから始まり、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国と続いたのであった。さらに、アジアの通貨危機の影響は反対にラテンアメリカにも及んでいる。
韓国の対外債務は、1997年12月末時点で、1530億ドルに達した。1年以内に返済期限が来る短期債務は802億ドルで、全体の52.4%を占めた。IMFとの債務繰り延べ交渉で、この短期債務のうち韓国民間銀行向けの240億ドルが政府保証融資に切り替えられ、融資の最大3年延長が認められたことで、一先ず危機は回避された。しかし、政府債務は倍増し、対外債務1530億ドルの金利支払いだけで、年間100億ドルを超えるため、外貨支払い困難は続くことになる。短期資本の逃避のきっかけになったのは、金泳三大統領が進めた韓国版金融ビッグバン関連の法案が国会で否決されてしまったことにあった。しかし、金融危機に陥ったことで、金融・証券の自由化、財閥の改革などのIMFの条件を受け入れざるを得なくなり、金大中大統領も就任以前に約束せざるをえなかった。日本の金融ビッグバンも外圧に迫られたものであったが、韓国の場合は強制されたに等しいものとなった。短期資本の流入によって維持されてきた韓国の投資水準は、この強制されたビックバン[?n?y?d?j1]を契機として下降していくだろう。日本の4循環図式の20年前を当てはめれば、一時的回復はあっても、さらに低下過程を辿った後に回復過程に転じるという予測になるが、メキシコの例によれば、韓国の一時的回復や回復過程への契機として、地域統合のような市場の拡大が必要である。日本と韓国の市場の新たな結合は、日本の回復過程にも役立つであろうし、南北朝鮮の経済交流は困難はあっても長期的には韓国の回復過程への転換を促すと考えられる。韓国でもコンドラチェフ循環が意識されており、地域統合に活路が求められている(18) 。いま問われているのは、このような転換を遣り抜く政治の自己調整機能であろう(19) 。
以上
1998年7月8日

尾関修のページ
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1184/japan.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1184/environ.html
http://www2.ocn.ne.jp/~ozeki/foreign.html









(1) :尾関修「メキシコの通貨危機と経済成長の長期見通し」景気とサイクル(景気循環学 会機関誌)第22号(1996年5月刊)。95年のメキシコは、経済成長率はマイナス6.9%を示したが、78億ドルの貿易黒字を出したため、経常収支は大幅に改善した。そして、97年の初頭には、アメリカやIMFから借り入れた総額150億ドルの債務を繰り上げて完済した。NAFTAは輸入増加によって債務危機を作り出したが、輸出拡大によって景気回復に役立ったというべきであろう。しかし、メキシコの構造改革は未だ進んでおらず、本格的な景気回復に繋がるイノベーションを必要としている。
Vision“Busucan consolidar el crecimento”15 de diciembre de 1997参照。
(2) :尾関修「ペルーの景気循環:メキシコ、チリと比較して」ラテン・アメリカ論集(ラテン・アメリカ政経学会機関紙) No.31(1997年10月刊)。80年代末には ハイパーインフレに見舞われたペルーの景気循環が、経済成長を示してきたチリと同型の4循環図式によって解析されたことは、ペルーとチリの歴史的変動に共通性があることを示している。それは、外資導入による経済自由化政策と民族主義的社会主義政策との攻めぎ合いであり、1次産品とその加工製品の輸出を中心とした経済発展と輸入代替型の工業化政策の攻めぎ合いであると考えることが出来る。
(3):尾関修「ラテンアメリカと環太平洋経済の発展」横浜商大論集第27巻第2号(1994年3月刊)第52回国際経済学会の共通論題として「環太平洋経済」が取り上げられたが、これまでの環太平洋経済の概念が、アジア/オセアニア中心であることを不満として、上記の論題を提出したものである。93年の秋はNAFTAの批准が焦点になっており、メキシコを特に論じているが、自由貿易協定が先住民族や農村地域の経済発展を圧迫していること、貿易赤字によって為替切り下げに追い込まれつつあることなどの指摘が、94年には現実化することになった。メキシコの通貨危機は、IMF主導の構造改革を強いる結果になったが、 本当に必要とされているのは、 民主主義による構造改革である。

尾関修のページ
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1184/japan.html
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19400000 日本経済:日本の政府債務残高/GDP比は太平洋戦争中は100%超
19440000 戦後は均衡財政よって債務残高減,財政改善,
19440000 戦後は債務残高減,戦時補償打切り,国債の日銀引受け禁止,財政の継続費条項廃止,経済安定9原則などによる均衡財政により急速に改善し、
19440000 日本経済:日本の政府債務残高/GDP比は144%
19550000 日本経済:日本の政府債務残高/GDP比は1950年代には10%以下となった
19650000 日本経済:65〜70年「いざなぎ景気」,財政収支は急速に改善
19650000 日本経済:65年の不況の後均衡財政から転換して建設国債の発行に踏み切った
19700000 韓国経済:20年前の日本の4循環図式の変化率が韓国にも当て嵌まる
19700000 韓国経済:韓国の経済成長率は1960年代1970年代と高かった
19700000 日本経済:「いざなぎ景気」のピーク
19700000 日本経済:日本の政府債務残高/GDP比は8.3%
19740000 日本経済:日本は石油ショックの後債務危機に陥っていく
19750000 日本経済:75年からは特例国債すなわち赤字国債発行
19750000 日本経済:第1次石油ショックで日本経済がマイナス成長に陥り税収大幅落込
19780000 日本経済:78年には財政赤字はGDPの7.5%にも達する事態
19780000 日本経済:大平内閣(78〜80年)は84年度赤字国債脱却を表明
19780000 日本経済:日本の政府債務残高/GDP比は30%を上回った
19790000 日本経済:第2次石油ショック>>景気後退>>投資水準下降
19800000 メキシコ経済:80年代低迷
19800000 メキシコ経済:低迷を抜け出すためNAFTAという枠組みを必要とした
19800000 韓国経済:20年前の日本の4循環図式の変化率が韓国にも当て嵌まる
19800000 韓国経済:韓国の経済成長率は1980年代も高かった
19820000 日本経済:中曽根内閣(82〜87年)は90年度赤字国債発行ゼロを表明
19900000 メキシコ経済:メキシコのサリーナス大統領は韓国の経済政策を手本として80年代の債務危機から抜け出してきた
19900000 メキシコ経済:短期資本を導入して輸出産業を拡大する政策
19900000 韓国経済:20年前の日本の4循環図式の変化率が韓国にも当て嵌まる
19900000 韓国経済:韓国の1990年代の成長率鈍化は日本の経済成長率が70年代に入って鈍化したことに比せられる
19900000 韓国経済:金大中新政権との間に日韓新ビジョンが形成されれば投資水準の回復に役立つ
19900000 韓国経済:経済成長率は1990年代に入って鈍化
19900000 韓国経済:投資水準の推移から見て韓国の4循環図式は日本より20年以上遅れたパターンを示すと考えられる
19900000 日本経済:90年度予算で16年ぶりに赤字国債の発行額はゼロとなった
19910000 韓国経済:韓国の投資水準がピークを示した91年では政府債務残高はGDPの7.5%
19910000 韓国経済:韓国は97年の通貨危機の後債務危機=1970年石油ショック後債務危機に陥った日本の相似 尾関修
19920000 日本経済:92年以降はじまる平成不況
19920000 日本経済:日本の金融ビッグバンは外圧に迫られたものであった
19920000 日本経済:平成不況>>再び赤字国債発行>>政府債務総額GDP比は再び悪化
19920300 日本経済:91年度末で国債発行残高は224兆円
19920300 日本経済:91年度末で政府債務残高のGDP比は48.4%
19960000 韓国経済:韓国の政府債務残高は33.6兆ウォン(1996年末)でGDPの8.6%に過ぎなかった。
19970000 韓国経済:財閥中心に重化学工業,輸出産業を拡大してきた経済構造が賃金の上昇と為替高によって競争力を失い外貨支払困難に陥った
19970000 韓国経済:輸出主導型の経済政策で成功を収め新興経済国として認められてきた
19970000 日本経済:政府債務総額のGDP比は72.4%になった
19971200 韓国経済:1997年12月,債務危機の中で金大中が大統領に当選
19971200 韓国経済:1年以内に返済期限が来る短期債務は802億ドルで全体の52.4%
19971200 韓国経済:韓国の対外債務は1997年12月末時点で1530億ドルに達した
19971200 韓国経済:債務超過>>IMFとの債務繰延交渉(短期債務のうち韓国民間銀行向債務を政府保証融資に切替)>>危機回避
19971200 韓国経済:債務超過>>IMFとの債務繰延交渉>>政府債務は倍増
19971200 韓国経済:対外債務1530億ドルの金利支払いだけで、年間100億ドル超>>外貨支払困難は続く
19971200 日本経済:銀行の不良債権だけではなく政府債務が円安圧力になっている
19971200 日本経済:日本の政府債務残高は368兆円(1997年末)でGDPの72.4%
20030000 日本経済:赤字国債発行ゼロが2003年さらに2005年に先送りされた
20040000 日本経済:循環図式の底を1944年、2004年と想定 尾関修/1997

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コンドラチェフ・サイクル


コンドラチェフ・サイクル
「アメリカの景気循環:メキシコ、日本と比較して」                   
横浜商科大学 尾関修
筆者は、投資水準と経済成長率を指標としてドイツの景気循環を日本や韓国と比較し、シュンペーターの3循環図式に建設循環を加えた4循環図式でモデル化を行った[1]。ドイツの設備循環は、遠く離れた日本の設備循環と同時性を示しており、その高低によってインフラ循環の山谷を判断すると、ドイツと日本のインフラ循環もまた同時性を示している。在庫循環には違いがあるが、建設循環にも同時性が見られるため、ドイツの4循環図式は日本と同じパターンを示すことになった。4循環図式によって示される複合循環の大底は、日本は2004年であるのに対し、ドイツは2002年から2005年と判断される。ドイツでは政府債務残高GDP比率に回復の兆しがあり、情報技術革命のブームに加えて環境産業革命が進行している。日本では政府債務残高GDP比率の回復の見通しがなく、情報技術革命はともかく環境産業革命が立ち遅れているため、この4、5年の動きが注目される[2]。
筆者はまた、90年代を日本の複合循環の低下過程と位置付け、これを転換する基礎的イノベーション[3]として、環境産業革命の重要性を論じてきた[4]。
現在、地球環境問題を軸とした環境産業革命が世界的に起こっているが[5]、環境産業革命を促進し複合循環を回復過程に転ずるためには、国内的な努力だけではなく、エコロジカルな経済統合を構築する必要がある[6] 。エコロジカルな経済統合とは、貿易や資本流入よりも環境や文化を重視する地域主義[7]を基礎にした経済統合である。EUは、自由貿易協定ではなく歴史的文化的結合を基礎にしており、環境問題への取り組みも熱心なので、地域主義の性格を備えているのに対し、NAFTAは、自由貿易協定として発足し、当初より環境問題を軽視しているという批判があった[8]。NAFTAの中にあって、環境産業革命に必ずしも積極的でないアメリカの複合循環が、如何なる段階にあるかを検討して見ることは、メキシコや日本にとって意義がある。NAFTAとアメリカを参考にして、日本の複合循環の回復過程に注目することを本稿の課題としたい。
1、投資水準で見た複合循環
始めに、図1によってアメリカの投資水準(総投資/GDP)を示す。
アメリカの統計では、1929年以降のGDP、民間総投資、政府総支出と1949年以降の政府総投資が分かるため、国内総投資GDP比率を推計によって求めた。国内総投資GDP比率の動きは、政府総投資の分だけ民間総投資GDP比率の動きを底上げしたものとなっている。特に第2次大戦中の政府総投資GDP比率は大きく、国内総投資GDP比率を押し上げている。国内総投資(総固定資本形成+在庫投資)/GDPの推移は、在庫循環、設備循環、建設循環を複合した動きを示すが、基礎的イノベーションのための設備投資や建設投資によって引き起こされるインフラ循環をも複合している。すなわち、投資水準(国内総投資GDP比率)は、4つの景気循環の複合循環を示し、上昇、下降、低下、回復過程[9]を経て超長期のインフラ循環の周期(後で述べるように60年と仮定する)で循環していると仮定できる。この仮定によれば、図1からアメリカの複合循環の大底は、1932年と1991年にあると判断できる。1932年はシュンペーターが「真の谷」として承認しているが[10]、1991年についてはさらに検討する必要がある。
次に図2によって、アメリカの複合循環をメキシコ、日本と比較する。プロダクトライフサイクルに従ってアメリカが輸出超過から輸入超過へ、ドイツや日本などの先進国は輸入超過から輸出超過そして逆輸入、メキシコや韓国などのNIESが輸入超過から輸出超過へ移行するため[11]、生産を規定する投資水準はアメリカ、日本、メキシコの順で雁行形態を描く。1944年と2004年が大底と考えられる日本の複合循環[12]より、アメリカの投資水準は10年くらい早い複合循環を示していると仮定できるのに対し、1981年にピークを示したメキシコの投資水準は、日本の10年前の複合循環を追いかけていると仮定できる[13]。アメリカから他の先進国やNIESへの海外投資が1950年代後半から1960年代にかけて増加し、日本は1970年代後半から1980年代にかけて海外投資が増加した。アメリカは日本より20年も早く海外投資を大幅に拡大したことが、複合循環のピークを不明確にしていると考えられる。
アメリカの複合循環は、フーバー大統領時代(1929~33年)に急落し大底を示したが、シュンペーターによれば3循環全部の不況段階の一致によって大恐慌となった[14]。ルーズベルト大統領時代(1933~45年)は、連邦政府の介入を拡大することによって大恐慌からの回復を図る過程であった。トルーマン大統領時代(1945~53年)は、トルーマン・ドクトリン(1947年)によって冷戦が開始され、マーシャル・プラン(1948~51年)によってヨーロッパ復興に乗り出し、アメリカの技術的優位によって輸出と国内投資が上昇した過程であった。アイゼンハワー大統領時代(1953~1961年)は冷戦が全世界に拡大し、EECの成立(1957年)によりヨーロッパへの海外投資が展開し国内投資は横ばいとなったが、州間高速道路システムなどインフラストラクチアへの投資が進んだ[15]。ケネディ大統領時代(1961~63年)は、キューバ危機(1962年)が冷戦の頂点を記録する一方、OECD(1961年)や進歩のための同盟(1961年)の成立などによって先進国だけでなく開発途上国への投資が増加した。
ジョンソン大統領時代(1963~69年)はベトナム戦争が拡大する一方、オーストラリアや日本、ブラジルやメキシコへの投資が増大し国内の投資水準は横ばいを続けた[16]。ニクソン大統領(1969~74年)はベトナムからの撤退を進めたが、フォード大統領(1974~77年)が撤退を完了した年(1975年)の投資水準は大きく落ち込んだ。輸入が増加し貿易赤字が恒常化したカーター大統領時代(1977~81年)は、海外から投資が流入して投資水準は回復をみせた[17]。レーガン大統領(1981~89年)がソ連に対抗して採用した軍備拡大と減税というサプライサイド経済学は、輸入と公的債務を倍増させ投資水準を低下させた[18]。ブッシュ大統領時代(1989~93年)に、ベルリンの壁の崩壊(1989年)とソ連の解体(1991年)によって冷戦が終わり、湾岸戦争(1990~91年)の短期終結もあって投資水準は1991年に大底を示した。クリントン大統領(1993~2001年)は、富裕層に対する増税と政府支出削減を組み合わせた財政再建法案を通過させ、NAFTAの批准にも成功して投資水準を回復過程に導き、1996年に再選された。
2、設備循環、建設循環、在庫循環
アメリカの民間総投資については1929年以降の統計が得られるため、図3によって設備循環、建設循環を検討する。
アメリカの民間設備投資GDP比率は、1933年と1943年に大きな谷がある。
先にも述べたように、大戦中の政府総投資には大きな設備投資が含まれるので、国全体の設備循環は1933年の谷が大底であったと推定できる。
戦後日本の設備投資は、
1951年、
1961年、
1970年、
1980年、
1990年
に山があり、10年サイクルを示している 。
なかでも、
いざなぎ景気(1965~71年)
における1970年の山は、民間設備投資GNP比率が最も高く、1950年代から始まった輸送・通信・エネルギーなどのイノベーションによる投資のピークであった[19] 。
これらの基礎的イノベーションは、1930年代から1940年代にかけてアメリカで発生したものを導入したのであるから、アメリカの民間設備投資GDP比率は、1970年より10年以上前にピークがあってしかるべきであるが、1978年にピークを示している。これはベトナム戦争(1955~75年)とこの間の資本収支GDP比率がマイナスであることに見られるように海外への資金流出が大きかったためと考えられる。
アメリカの民間建設投資GDP比率も、1933年、1943年に大きな谷がある。
やはり大戦中の政府総投資は大きな建設投資が含まれるので、全体としての建設投資は1933年が大底であったと推定すると、
20年周期の建設投資は戦争がなければ1943年は反対に山であったはずであり、1963年頃に次の山を迎えたはずである。
日本の場合は田中角栄政権(1972~74年)が日本列島改造ブームを起した1973年に建設循環がピークを示した。
建設循環は設備循環と同様にイノベーションのピークを示すものと考えれば、1973年より10年位前にアメリカの民間建設投資GDP比率のピークがあってしかるべきであるが、
1950年の後は1978年にピークを示した。これも海外投資の拡大とベトナム戦争の影響と考えられる。
アメリカの民間在庫投資GDP比率は、1932年に大底がある。
複合循環の大底が1932年であったのは、在庫循環の落ち込みが大きかったためである。
その後、
1936、
1938、
1943、
1945、
1947、
1949、
1954、
1958、
1961、
1964、
1968、
1970、
1975、
1980、
1982、
1986、
1988、
1991、
1995年
に谷を示している。
平均周期3.31年はキチン循環の40ヶ月=3.33年に近い。
在庫循環は戦争の影響が少なかったと考えられる。
3、4循環図式:アメリカの場合
先の論文でも述べたように、筆者は4循環図式の標準周期として、次のような仮説を立ててきた[20]。
ジュグラー循環は3個のキチン循環を含み、
コンドラチェフ循環は6個のジュグラー循環を含む
というシュンペーターの洞察に基づき、キチン循環の平均周期40ヶ月をベースとし、設備循環の標準周期を10年、インフラ循環の標準周期を60年と仮定する。
また、コンドラチェフ循環は、クズネッツ循環を3個含むと考えて、建設循環の標準周期を20年と仮定する。
ここで固定的な標準周期と巾のある平均周期を区別したのは、これまで計測されてきた
短期循環(キチン)、
中期循環(ジュグラー)、
長期循環(クズネッツ)、
長期波動(コンドラチェフ)
の平均周期から見て、
在庫循環、
設備循環、
建設循環、
インフラ循環
の理想モデルとして採用できる標準周期を想定するためであった。
このような理想モデルを想定することは、マックス・ウェーバーの
Idealtypus(理念型)
によって意味づけられる。
アメリカの場合においても、在庫循環、設備循環、建設循環、インフラ循環を、それぞれ標準周期40ヶ月、10年、20年、60年と仮定し、
シュンペーターに倣って周期の比を振幅の比とし、
3.33:10:20:60 = 0.333:1:2:6
と仮定して描いたサインカーブによるモデルを、図4に示した。
設備循環の振幅を1としたのは、在庫循環を除く3循環図式で、振幅比を
10:20:60 =1:2:6
としたためである。
サインカーブは、下記の数式を採用した。
インフラ循環 = 6 sin ( 360 n / 60 ) 
設備循環 = 1 sin ( 360 ( n + 3 ) / 10 )
建設循環 = 2 sin ( 360 ( n + 10 ) / 20 )
在庫循環 = 0.333 sin ( 360 ( n + 2 ) / 3.33 )
数式中のnは、1948年を起点とする経過年数を示している。
1948年を起点としたのは、アメリカのインフラ循環の大底を設備循環と建設循環の大底が一致する1933年と想定して計算したものである。
1948年は、マーシャル・プランが実施されアメリカがヨーロッパ復興に乗り出した年でアメリカ経済が拡大に向かう画期的な年である。
インフラ循環の山は1963年頃と計算されるが、1956年に12ヵ年計画で発足した州間高速道路システム建設のピークと重なると考えられる[21]。
アメリカの設備投資GDP比率は、1933年に谷があるので、(n + 3)と調整することによって10年周期のサインカーブの谷と一致させた。アメリカの建設投資GDP比率も 1933年に谷があるので、( n + 10 )と調整することによって20年周期のサインカーブの谷と一致させた。在庫循環は1932年に大きな谷になっているので、この年にサインカーブが谷になるように、( n + 2 ) と調整した。図4のアメリカの4循環図式では、インフラ循環の山は建設循環の山となるが、設備循環は谷となり日本の場合と違っている。
図5は合成された循環を示すが、インフラ循環(点線)、建設循環+インフラ循環(薄く表示した)、設備循環+建設循環+インフラ循環(改良された3循環図式)、在庫循環+設備循環+建設循環+インフラ循環(4循環図式=複合循環)が、同時に描かれている。4循環図式は理想モデルであり、景気循環の実績値との乖離は避けられないが、アメリカの景気循環の物差しとして、実績値と比較してみることにしたい。
図6は、図1に示されたアメリカの投資水準の実績値と4循環図式の比較である。
ただし、図6の4循環図式は、(実績値の最高値−最小値)/(標準値の最高値−最小値)=1.05と、実績値の平均値17.2%で調整して投資水準の実績値と重ねあわせている。
この調整方式で見ると、1930年代、1940年代、1950年代前半では、実績値が標準値を上下しているが、
1950年代後半、60年代は、実績値は標準値を大きく下回っている。
大きく下回った理由は海外投資の増加とベトナム戦争と考えられる。この傾向は1970年代からのドルの切り下げと海外からの資本流入によって克服され、実績値は標準値を上回るようになった。80年代の投資水準の傾向的下落は標準値の傾向と一致しており、1991年以降の回復も標準値の傾向と一致している。実績値回復の背景としては、新しいインフラストラクチアである情報技術革命と環境産業革命のための設備投資と建設投資があると考えられるが、資本収支GDP比率の上昇に見られるように海外からの資本流入によって支えられている。
4循環図式は、標準周期のサインカーブを複合した理想モデルであり、投資水準の実績値と理想モデルを出来る限り一致させた4循環図式のパターンが、投資水準(景気のレベル)の標準値を示すことになる。図6によれば、アメリカの投資水準の実績値は、GDP比4~22%を示しているのに対し、標準値は8~25%の振幅を示している。貿易環境や財政金融政策によって投資水準は大きく左右されるものであるから、標準値との乖離は避けられないが、アメリカの4循環図式の底は1932年の後は1992年であることから考えると、アメリカの複合循環の大底を1991年とするのは妥当であり、投資水準は既に回復過程にあると見られる。
4、4循環図式と経済成長率
図5に示した4循環図式は、景気循環の標準的振幅を示すが、これは景気の水準(レベル)を示している。
シュンペーターが3循環図式に加えて、その変化率の図式を示したのは、成長率循環の標準的振幅(レイト)を示すためであった。
実質経済成長率の循環は、在庫循環と必ずしも一致せず、景気の成長率循環の振幅を示していると考えられ、現実の景況感と一致しているので、実質経済成長率と4循環図式の変化率との関係を検討してみる。図7が、アメリカの実質経済成長率を、アメリカの4循環図式の変化率と比較している。ただし、変化率は、経済成長率と比較するため、(対前年との差分*2.85+3.58) と調整した。経済成長率の実績値の平均3.58%を加え、(実績値の最大値−最小値)/(標準値の最大値−最小値)=2.85で4循環図式の対前年の差分を拡大して、直接比較できるようにしたのである。
戦前のアメリカは経済成長率の振幅は大きいが、1950年代以降は標準的振幅のパターンの中にある。
実績値がマイナスを示した1954、1958、1970、1974、1975、1980、1982、1991年は標準的振幅も谷を示していることが多い。
山の方は必ずしも一致していないが、パターンとしては類似しており、1990年代の経済成長率の回復は成長率複合循環に沿ったものといえる。
これがニューエコノミー論を生んだ背景と考えられる。
5、公的債務残高と景気循環
4循環図式が、アメリカの投資水準と経済成長率の動向を予測する根拠となっているが、公的債務が複合循環を下降低下させる要因となっていることを、ドイツ、日本の例で見てきたので、アメリカ、日本、メキシコについても複合循環と公的債務の関係を見てみよう。
図8は、アメリカ、日本、メキシコの公的債務残高/GDPの推移を比較したものである。アメリカの公的債務残高は、5兆6562億ドル(1999年9月末)で、GDPの61.1%である。公的債務には、連邦政府だけでなく州および地方政府の債務が含まれている。アメリカの公的債務残高GDP比率は第2次大戦中に極度に増大したが、戦後は冷戦の継続にもかかわらず一貫して減少してきた。ベトナム戦争(1955~75年)のコストは全体で2000億ドル[22]と見積もられているが、これがなければもっと早くに戦前の状態を回復したと考えられる。しかし、石油危機以降は改善が見られなくなり、1981年にレーガン政権が登場して軍備拡大と減税を行って以来再び増大しブッシュ政権でも増大してきた。1991年に冷戦が終結し複合循環が大底を示した後にクリントン大統領時代(1993~2001年) に入って横ばいとなり、1995年に67.2%を記録して以来回復してきている。
図1と図8を比較すると、第2次大戦中の公的債務の増大が民間総投資を減少させたことがよく分かる。戦後に民間総投資は復活し政府総投資を大きく上回るようになった。これが公的債務残高GDP比率を減少させてきた要因である。
1981年にレーガン大統領がレーガノミックスを実施した時の公的債務残高GDP比率は32.9%であり、今日の日本とは比べものにならないが、それ以降の公的債務の増加は民間総投資の減少となった。このことからも財政再建が棚上げされれば、投資水準の回復には時間がかかることになる。
アメリカの4循環図式の大底は1932年と1992年で、複合循環は大底を通過し、投資水準の回復と公的債務残高GDP比率の改善があるので、アメリカの複合循環は回復過程にあるといえる。
日本の政府債務残高は、478兆円(1999年12月末4兆6748億ドル)であり、GDPの96.4%に達している。
これは中央政府だけの債務で、地方自治体の債務を含まないので、アメリカの大戦中の水準に達しているといえる。
日本の大戦中の政府債務も大きかったが、アメリカと違って
日本の4循環図式の大底は1944年と2004年
であり、政府債務残高GDP比率の大底は、これと一致する動きをしていると見ることができる[23]。
こう考えるならば、日本の複合循環は4、5年で底を打ち、アメリカの10年遅れで回復過程に入ると期待される。
メキシコの政府債務残高GDP比率は1兆1755億ペソ(1999年12月末1236億ドル)で、GDPの25.7%である。
これは連邦政府だけの債務である。
メキシコの政府債務残高GDP比率は、1982年の債務危機によって悪化し1987年に72.1%に達した。
サリーナス大統領時代(1988~94年)になってからの外資導入政策とNAFTAを見越したバブル経済によって改善した。
バブルが弾けた1994~95年のメキシコ通貨危機で再び40.8%にまで悪化したが、その後は急速に戻してきた。
これはアメリカ、日本を初めとする国際的な支援とNAFTAを梃子としたメキシコの対米輸出拡大によるところが大きい[24]。
しかし、経常収支の赤字は再び増大してきており、外資の流入によって支えられている。
アメリカはNAFTAをチリやカリブ諸国に拡大しようとしており、メキシコ経済は安泰ではない。
先にプロダクトライフサイクルが投資水準の雁行形態を引き起こすと考えて、日本の複合循環はメキシコより10年先んじていると仮定した。10年前の日本の政府債務残高GDP比率は、バブル経済によって一時的な回復を見せ1991年には50%を切るところまで回復したが、その後バブル経済の崩壊とともに悪化を続けている。
このことから見ると、メキシコの政府債務残高GDP比率は、NAFTAの拡大により外資の流入が反転する時点で再び悪化する可能性がある。
アメリカでもNAFTAによる資本の流出は大きかったが、他からの資本流入が大きく情報技術革命と環境産業革命が雇用を吸収してきたと考えられる。
おわりに
1990年代後半において、日本の設備投資は下降し標準的循環から外れているのに対し、アメリカの設備循環は上昇し標準的循環から外れている。
日本ではインフラ循環が低下しており、アメリカでは上昇していることの影響と考えられる。
アメリカの設備投資は、45.5%が情報化投資(1999年)[25]であり情報技術革命が進行している。
また、大気保全、水質保全、廃棄物処理、その他分野の環境対策支出は、
1218億ドル(1994年対GDP比1.73%)
で、
企業65%、
政府25%、
個人10%
の割合であり、対前年比では実質7.3%と高率の伸びを示している[26]。
環境産業革命の進行を示す指標である。
日本の環境対策支出は、9兆7550億円(1990年725億ドル対GDP比2.27%)であり[27]、最近の設備投資は、製造業でも非製造業でも減少してきた中で、
二酸化炭素の削減や省エネルギーなどの環境対策投資が高い伸びを示し1999年は若干持ち直した。
日本でも環境産業革命という基礎的イノベーションが進行している。
通貨危機から立ち直ったメキシコの場合、日本の4循環図式の10年前を当てはめれば、一時的回復はあっても、さらに低下過程を辿った後に回復過程に転じるという予測になる。メキシコの保税加工地区マキラドーラには、アメリカが日本やアジアNIESからの輸出攻勢に対抗するため進出し、日本は円高と対米迂回輸出という動機から進出し活況を呈してきた。
しかし、マキラドーラの環境問題は悪化し、1994年のNAFTA成立後もさらに悪化を続けてきた[28]。
このため、1997年からアメリカとメキシコは共同して国境地域の環境保護に乗り出しており、環境規制から進んで汚染防止のためのプロジェクトを展開している[29]。
メキシコの環境産業革命は、こういう形で始まっていると考えられる。
メキシコの貿易赤字は日本が最大となっているため、日墨自由貿易協定が提起されている[30]。
しかし、マキラドーラの北米向け保税制度の廃止、人件費の高騰、治安の悪化などが重なり、日本企業には撤退の動きもある。
NAFTAは、アメリカとメキシコの歴史的文化的結合の意味合いを強め、共同して環境問題にも取り組んでおり、エコロジカルな経済統合に変貌し、アメリカの複合循環の回復に役立っている。
このことから見ると、日本は、歴史的文化的結合という点から考えて、メキシコよりも韓国との経済統合を優先し、日本の複合循環を回復過程に転換させるだけでなく、韓国の複合循環をも転換させることが望ましいという先の論文の結論は妥当であろう[31]。
韓国では、南北首脳会談が実現し、経済交流に活路が求められている。日本も、北朝鮮との冷戦構造を終わらせ、東北アジアにエコロジカルな経済統合を形成する道筋をつけることによって、複合循環を回復過程に転ずることができる。

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[1] :尾関修「ドイツの景気循環:韓国、日本を比較して」景気とサイクル(景気循環学会機関誌)第28号(2000年1月刊)。ドイツと日本の景気循環の同時性を見ることは難しくない。 
[2]:尾関修「景気循環の現段階:メキシコ、韓国、日本を比較して」景気とサイクル(景気循環学会機関誌)第26号(1998年12月刊)。日本の4循環図式をここで検討している。 
[3] :Gerald Mensch “Stalemate in Technology” Ballinger Publishing Company, pp.47-50. メンシュは、新しいタイプの人間の活動を生み出すイノベーションを基礎的イノベーションと定義している。基礎的イノベーションから派生するイノベーションは、改良的イノベーションと呼んでいる。
[4] :Osamu Ozeki “ Reconsideration on the Present Phases of Business Cycles, Comparing Mexico, South Korea and Japan “ 横浜商大論集第32巻第2号(1999年3月刊)141頁。筆者は、1970年代の2度にわたる石油ショック後、基礎的イノベーションは、資源制約と環境制約という2つの条件を満足するシステム原理に基づくものでなければならなくなったと指摘した。尾関修「資源制約時代に企業はどう対応するか」1980年、三菱総合研究所刊、5頁。
[5] :Carolyn Chase “ The next industrial revolution” San Diego Earth Times, Dec 1998, (http://www.sdearthtimes.com/et1298s7.html) この記事は、Industrial Environmental Association の会議の報道で環境産業革命を論じている典型である。早くには、20年も前にバッテル・コロンバス研究所のフォウセット社長は、環境産業革命を論じている。Dr. S.L.Fawcett “ Comments from the President “ The President Report & Annual Review 1977, Battelle Memorial Institute, pp.2-3
[6] :前出、Osamu Ozeki “ Reconsideration on Present Phases of Business Cycles, Comparing Mexico, South Korea and Japan “ 171頁。 日本と韓国、韓国と北朝鮮の関係は、歴史的文化的結合であり、協力して環境問題に取り組むべき地域であると論じた。最近の南北対話は注目される。
[7] :玉野井芳郎「地域主義の思想」1979年、農山漁村文化協会刊、113頁参照。人間と自然の関係を踏まえて地域というものをとらえ直すことを地域主義と呼んでいる。それは、バイオリージョナリズムと呼ばれるものと一致している。バイオリージョナリズムは、80年代から基礎的イノベーションとして取り組まれてきた社会的実験であり、環境産業革命の一環だったのである。
[8] :尾関修「ラテンアメリカと環太平洋経済の発展」横浜商大論集第27巻第2号(1994年3月刊)131頁。
[9] :上昇、下降、低下、回復は、シュンペーター、クズネッツの図式Prosperity, Recession, Depression, Revivalに対応している。前出、Gerald Mensch “Stalemate in Technology”, pp.39-40を参照。
[10]:J.A. Schumpeter “ Business Cycles “1939, Abridged edition reprinted 1989 by Procupine Press, p.342.
[11]:Gerhard Mensch “Stalemate in Technology “1979, Ballinger Publishing Company, pp.63-69
[12]:前出、尾関修「景気循環の現段階:メキシコ、韓国、日本を比較して」 日本の4循環図式から、日本の複合循環の大底を1944年、2004年と判断した。 
[13]:尾関修「メキシコの通貨危機と経済成長の長期見通し」景気とサイクル(景気循環学会機関誌)第22号(1996年11月刊)。ここでは筆者は、輸入輸出比率のピークをインフラ循環のピークを考えて、メキシコの3循環図式を作っており、複合循環のピークを1975年とした。しかし、投資水準のピークが複合循環のピークとなるという仮定を優先し、1981年を複合循環のピークと仮定する。
[14]:前出 J.A. Schumpeter “Business Cycles” p.331
[15] :Encyclopedia Britannica Online(Accessed 18 April 2000) “ Eisenhower, Dwight D. ” <http://www.eb.com:180/bol/topic?eu=32714&sctn=1>また、次を参照。“roads and highway” <http://www.eb.com:180/bol/topic?eu=127628&sctn=1
[16]:Bureau of Economic Analysis “International Investment Data, U.S. Direct Investment Abroad : Country Detail for Capital Outflows” 1966-1976, <http://www.bea.doc.gov/bea/di/diacap66.htm
[17]:前出  Gerhard Mensch “Stalemate in Technology “ p.66, 1965年にアメリカはドイツに15億マルク投資したのに対し、ドイツはアメリカに6900万マルク投資した。しかし、1976年にはドイツはアメリカに13億マルク投資したのに対し、アメリカはドイツに3億5600万マルクの投資しか行わなかった。
[18]:Encyclopedia Britannica Online(Accessed 29 April 2000) “ Reagan, Ronald W. ” <http://www.eb.com:180/bol/topic?eu=64466&sctn=1
[19] :篠原三代平「戦後50年の景気循環」1994年、日本経済新聞社。28頁の図6 および 20頁参照。クズネッツ循環は建設循環というより、技術革新の波として大きな役割を果たしたと指摘されている。経済成長率の7ヶ年移動平均で見たときのピークは、50年、69年、87年であるが、70年を境に水準は下降している。7頁の図1を参照。
[20] :前出、尾関修「景気循環の現段階:メキシコ、韓国、日本を比較して」52頁参照。
[21]:Encyclopedia Britannica Online(Accessed 29 April 2000) “ expressway ” <http://www.eb.com:180/bol/topic?eu=34043&sctn=1
[22]:Encyclopedia Britannica Online(Accessed 28 April 2000) “ Vietnam War ” <http://www.eb.com:180/bol/topic?eu=77300&sctn=1
[23] :前出、尾関修「景気循環の現段階:メキシコ、韓国、日本を比較して」57頁。
[24] UNITE “The NAFTA Scam” <http://www.uniteunion.org/reclaim/politicalarchive/nafta/nafta.hyml>  メキシコの通貨危機直前の1993年には対米貿易赤字17億ドルであったが、通貨危機の翌年の1996年には162億ドルの対米貿易黒字となった。
[25] Bea News Release “Gross Domestic Product, First Quarter 2000(advance)”, Table 3 <http://www.bea.doc.gov/bea/newsrel/gdp100a.htm
[26] Christine R. Vogen “Pollution Abatement and Control Expenditure 1972-94” Survey of Current Business, September 1996 < http://www.bea.doc.gov/bea/an/0996eed/maintext.htm
[27] 経済企画庁経済研究所国民経済計算部「日本における環境保護支出勘定の試算」1999年6月<http://www.epa.go.jp/99/g/1999061kankyouhogo/menu.hyml
[28] :U.S.-Mexico Border Environmental Indicators 1997 : Chap5, Environmental Health < <http://www.epa.gov/usmexicoborder/indica97/chap5.htm
[29] :U.S.-Mexico Border Environmental Indicators 1997, Key Federal Agencies Implementing Border XXI < <http://www.epa.gov/usmexicoborder/indica97/ic.htm
[30] 日本メキシコ経済委員会「日墨自由貿易協定のわが国産業界への影響に関する報告書」1999年4月 < <http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/pol226/index.html00/05/23

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えんとろぴい(エントロピー学会誌)第46号2000年5月掲載
「景気循環と環境問題」        
尾関 修  
1999.8. 18
はじめに
債務に喘ぐアジアやラテンアメリカは、通貨危機や環境問題によって揺さぶられており、
長期波動の下降によって頓挫した経済成長を回復するため、地域統合を発展させる貿易投資や、各国の地域経済を活性化する観光投資を求めている。しかし、この地域の環境問題の深刻化を考えると、景気対策は従来型のものであってはならないと考えられる。一方、EUでは、環境問題をクリアしなければ国際競争ができない時代に入っており、ドイツを始めとして環境産業革命が進行している。この影響は、日本とアジアにも及んでいる。アメリカは、ドイツ、日本に先んじて、金融、情報、環境を梃子にして長期波動の回復過程に入ったと見られるが、金融、情報だけではなく環境問題への取り組みにおいても先んじている点は多い。地球環境問題の緊急性を考えると、景気循環と環境問題というテーマが、国際経済の現実として浮かび上がって来る。コンドラチェフ、シュンペーターを手掛かりとして景気循環を考えてきたが、シューマッハーが「スモールイズビューティフル」によって行った経済学批判の意義はますます大きくなっている。そこで、景気循環と環境問題という視点でこれまでの研究を見直してみたい。
1.景気循環と熱力学の法則
コンドラチェフは述べている。
「われわれは動態理論のなかで、とくに可逆的過程と不可逆的過程を、それらを同時に、だが混合することなく、研究対象とすることができる。
可逆的過程の研究と説明のさい、われわれはいうまでもなく、逆に不可逆的過程の性格をも研究しなければならない。
だが、このことはそれらを区別する必要性をいささかも妨げはしない。
さまざまな形態のエネルギーの変換を研究することによって、物理学者は熱力学第2法則をみいだしうる。
だが、エントロピー法則の存在によって、エネルギーの変換の問題が消えうせるということではまったくないからである。」
(経済的静態・動態および景気変動の概念の問題によせて1924年)
(コンドラチェフ景気変動論亜紀書房185頁)
コンドラチェフは、動態的過程の可逆性と不可逆性の区分を、熱力学における法則と対比しているだけでなく、景気循環の解明に不可欠としている。「熱力学の発展の1つ1つは、経済過程と熱力学の原理の間の結びつきについての、新たな証拠をつけ加えていくものであった。−−熱力学は概していって経済価値についての物理学なのであり、カルノーは無意識のうちに、そのようなものとして展開している。」(ジョージェスク・レーゲン:エントロピー法則と経済過程1971年)(日本語訳358頁)ということを考えると、コンドラチェフは、景気循環と熱力学の原理との間の結びつきを意識した経済学者であった。
2.景気循環の規則的可逆性の根拠
シュンペーターは述べている。
「歴史的にも統計的にも、1コンドラチェフ循環にたいして6ジュグラー循環を、および1ジュグラー循環にたいして
3キッチン循環を数えることができる、平均としてではなくて、すべて各個の場合に。
−−そこには、このような規則性を保証するものは何もない。
反対に基本的な観念からの論理的期待は、不規則性であろう。
けだし、なぜ懐妊期間、および革新を体系のなかに吸収するのにかかる時間の点で非常に違っている革新がいつも、
それぞれ
60年弱、
10年弱、および
40ヶ月弱
の循環をもたらすか、は実際知ることが困難だからである。」
(シュンペーター:景気循環論1939年)
(金融経済研究所訳第1巻258頁)
シュンペーターは、景気循環の可逆性の根拠を革新(イノベーション)に見出したが、イノベーションは資源の新しい利用形態であり、景気循環の不可逆性の実体ではあっても、可逆性の根拠としては納得しにくい。景気循環が規則的可逆性を示すので、これに対応するため、歴史的に多様なイノベーションが人間によって繰り返されたと理解する方が、その反対よりも、より納得しやすい。しかし、イノベーションが発生しなければ、可逆性も失われるので、シュンペーター説によって、基礎的イノベーションの不連続的発生を実証し、「革新は不況を克服する」としたメンシュの説にも根拠がある。(G.Mensch "Stalemate in Technology"1979p119参照。) 景気循環の可逆性は、在庫、設備、建設、インフラに対する投資水準と関係があるとする説は、マルクスに始まる。イノベーションは新規投資を必要とし従来の投資の更新時期に普及していくと考えられるので、シュンペーターのイノベーション説とも符号する。
しかし、景気循環の可逆性の実体がイノベーションを含む投資水準であるとしても、規則性の根拠としては十分ではない。
この点を問題とし、ジェヴォンズの太陽黒点説を復活した嶋中雄二氏の説が、景気循環の規則的可逆性を説明する有力な説と考えられる。(嶋中雄二「太陽黒点説の復興」景気とサイクル創刊号1986年)氏は、太陽黒点の各種のサイクルが、気象などを通じて人間の経済活動に影響を及ぼし各種の景気循環となると論じた。このことから、景気循環の規則的可逆性の本質は、人間の経済活動にとって大きな存在である太陽エネルギーの影響による自然な景気循環が、産業革命による石炭の導入、その後の石油、原子力、天然ガスなどの導入によって増幅・撹乱されている状態と考えられる。不可逆性の本質は、そこにおける人間の経済活動をエントロピーの法則が貫徹するためと考えられる。
3.複合循環と総投資の水準
シュンペーターは、
コンドラチェフ、
ジュグラー、
キッチン循環
をそれぞれサインカーブで示し、これを合成した3循環図式で複合循環をモデル化した。
振幅を周期に比例させて合成することによってイノベーションに大小をつけている。
メンシュによる基礎的、改良的、擬似的イノベーションの分類とも通じている。
しかし、投資水準を可逆性の実体と考えるならば、
コンドラチェフ循環はインフラ循環、
ジュグラー循環は設備循環、
キッチン循環は在庫循環
が実体であると仮定できる。
イノベーションの大小とも対応する。
さらにクズネッツ循環は建設循環
が実体であると仮定できる。
ここで問題となるのは、インフラ循環の内容である。
戦後の日本では、道路、新幹線、通信施設、発電所などがインフラ投資の対象と考えられてきた。
これは自動車・コンピュータ・電子機器・原子力などの基礎的イノベーションと関係している。
今日の日本では、金融システム、インターネット、リサイクルなど金融、情報、環境に関するインフラ投資の必要が叫ばれている。
これらは、明日の基礎的イノベーションだからである。
これらのインフラ投資は、公共投資と同じではなく、建設投資や設備投資、在庫投資の中に含まれると考えなければならない。
これらのことから、総投資{総固定資本形成(建設投資+設備投資)+在庫投資}の水準は、4つの投資循環を複合していると考えられる。サインカーブは合成されると複雑系を表現することが出来る。振幅を周期に比例させてインフラ循環、建設循環、設備循環、在庫循環を合成した4循環図式を、複合循環すなわち長期波動の規則的可逆性の標準値とすると、総投資の水準は、この4循環図式にそって上昇、下降、低下、回復を経過してコンドラチェフ循環の周期で循環すると仮定できる。GDP比率によって日本とドイツにおける建設循環、設備循環、在庫循環の山を確認し、それぞれのサインカーブの山と出来るだけ一致させるように調整した上、総投資GDP比率の実績値に対応するように振幅を調整したものが図1である。ドイツと日本では振幅の違いはあるが、4循環図式と総投資の水準の関係はよく一致している。この図は、先に述べたように景気循環の規則的可逆性の本質は、太陽エネルギーの影響による自然な景気循環が化石燃料、原子力の導入で増幅・撹乱されている現象であり、イノベーションを含む投資水準は、この本質と関係していると仮定することの有効性を示している。
4.プロダクトライフサイクルと景気循環の不可逆性
イノベーションを含む投資水準が景気循環の可逆性の実体であるとしても、イノベーションを含む投資活動は不可逆性の実体である。新たな景気循環の発生もしくは撹乱要因ともなる。
産業革命以来のイノベーションが、再生不能の化石燃料、原子力エネルギーを導入し、鉱物資源や植物資源をリサイクルすることなく浪費してきたので、景気循環の振幅はますます増幅されてきた。この30年、プロダクトライフサイクルによる投資行動とこれを促進する財政金融政策が、これらのイノベーションを国際的に波及させ、債務危機と地球規模の環境破壊を生み出してきた。(スーザン・ジョージ「債務ブーメラン」朝日選書1992年)
プロダクトライフサイクルとは、イノベーションが多国籍企業の投資行動によって国際的に展開していくことを説明する理論である。(R.Vernon "International Investment and International Trade" 1966)イノベーションが、アメリカからイギリス、ドイツ、日本などを経て、NIES諸国へ波及していくプロセスを説明しているこの理論は、そのまま環境問題の地球規模の拡大を意味するものとなった。この理論は、個別製品の国際的波及を示すミクロ理論であるが、国全体の工業化を示すマクロ理論として応用できる。すなわち、輸入代替の過程では国内投資が増大し、生産が消費を上回り輸出指向に転じる時点から、海外投資が増大する。反対に生産が消費を下回り逆輸入が増加すると国内投資が復活する。このような投資活動を促す財政金融政策は、複合循環すなわち長期波動を新たに生み出す。 
このことを、イノベーションを含む投資水準で見てみたい。(図2、図1も参照)
アメリカの総投資の水準が低いのは、50年代60年代から多国籍企業の展開によって、生産を海外に移していったためと考えられる。70年代には生産が消費を下回り、国内投資の復活が見られるほどであった。80年代の低下は財政赤字、90年代前半からの回復は、金融、情報、環境を梃子にした新たな長期波動の開始ではないかと判断できる。
ドイツ、日本の総投資の水準は50年代60年代に上昇を示したが、70年代後半以降は下降し、80年代後半の一時的回復の後90年代は低下過程にある。この30年来のドイツ、日本がとった産業政策は、自動車・家電・電子機器・その他の機械輸出、原子力の拡大であったが、これらのイノベーションが環境を悪化させた点も同様であった。
ドイツは包装容器・自動車・家電・その他のリサイクルと脱原発を図ることを、次世代のイノベーションとして取り上げているが、日本は、それらのリサイクルの取り組みが遅れる一方で、放射性廃棄物の再処理によってプルトニユーム利用を図っている。しかし、このリサイクルはコストとリスクが大きく、新たな長期波動を開始させる力は弱いと考えられる。
韓国、インドネシアなどの総投資の水準は、50年代60年代にアメリカ、日本からの投資によって新たに作り出された長期波動の上昇過程にあったが、90年代になって下降過程に転じている。その総投資の水準のパターンは、日本の20年前とよく似ている。90年代後半の長期波動の下降に対応して、自動車・電子機器・その他の機械輸出、原子力の導入に力が入れられているのも、20年前の日本の景気対策と酷似している。
これらの3つのパターンはプロダクトライフサイクルの存在を示している。
技術移転は、環境問題の波及でもあった。
戦後アメリカから導入した自動車・家電・電子機器・原子力などのイノベーションは、ドイツや日本の環境問題のメインテーマとなっていることをNIES諸国は知らなければならない。そして、環境産業革命を先取りする必要がある。
5.おわりに:長期波動と環境産業革命
シューマッハーが警鐘を鳴らしたにもかかわらず、モノとカネが中心の開発援助と、プロダクトライフサイクルと呼ばれる多国籍企業の投資行動が、従来型のイノベーションを普及させ、景気循環を増幅し、不可逆的過程を加速し、地球環境を悪化させてきた。イノベーションと投資活動は、人と環境が第一でなければならないと主張したシューマッハーの経済学批判の意義はますます大きくなっている。シューマッハーは「スモールイズビューティフル」(1973年)の冒頭で、「現代のいちばん重大な誤りは、『生産の問題』は解決ずみだという思い込みである。」と述べている。シューマッハーの環境問題の捉え方は包括的で「経済学の用語を使えば、工業文明は再生不能の資本をのんきに所得と思い込んで、それに頼っているのである。私は、そういう資本として3つのものをあげた。化石燃料と自然の許容度と人間性である。」(小島・酒井訳講談社学術文庫27頁)と指摘している。これらの自然資本を保全することがいわゆる環境産業革命の課題となると考えられる。
ハードエネルギー(化石燃料、原子力)から
ソフトエネルギー(省エネルギー、再生可能エネルギー)
への移行を主張したエイモリー・ロビンズのソフトエネルギーパス(1976年)は、シューマッハーの主張に触発された構想であったが、カーター政権に影響を与え、高速増殖炉の開発延期と公共事業規制政策法(1978年)でソフトエネルギーの導入が決定された。
ソフトエネルギーパスは、熱力学を一国のエネルギー問題に応用したもので、自然の許容度を犯すハードエネルギーから転換し、所得と考えられる太陽エネルギー利用の増加を目指している。ここからアメリカの環境産業革命は始まったと考えられる。
バッテル研究所のフォウセット社長は「地球の利用の今後の進化において、ただのものは何もないということを我々が認識し始めたのは、この10年のことである。
もはや、ただの空気や水、エネルギーや土地といったものはない。
人間が利用するための材料や製品、そしてサービスを作り出すどのシステムも閉じたものでなければならない。
インプットとアウトプットは、基本的に同一か、少なくとも環境に対して不活性で侵害しないものでなければならない。
我々が現在突入しつつある第2の産業革命において、企業は、新しいゲームのルールに基づいて行動し、経済的に最適化していかなければならない。」(S.L.Fawcett "Comments from the President"1977)と述べた。
アメリカでは、
太陽エネルギー利用、
風力発電、
有機農業、
グリーンビルディング、
バイオリージョナリズム、
環境都市計画
などが草の根的に広がりを見せ、多国籍企業の中にも環境会計などの考えが浸透していった。
これが、90年代に入って新たな長期波動を生む1つの梃子になっていると考えられる。
しかし、その一方で、遺伝子組替え作物など従来型のイノベーションも成長している。 
戦後のドイツは日本とともにアメリカからイノベーションを導入してきたが、1991年には高速増殖炉の開発を中止し、ソフトエネルギーの開発を本格化してアメリカの環境産業革命の後を追うことになった。
包装容器・自動車・家電のリサイクルの社会システムでは先進的といわれるようになり、企業活動の環境監査、燃料電池、風力発電、脱原発、有機農業、自然住宅、天然塗料なども取り上げられている。これらは、化石燃料を節約し、自然の許容限度を超えない企業活動を促し、生産と消費において人間性を回復するものである。
事故のため余儀なく高速増殖炉の開発延期に追い込まれている日本においても、環境産業革命は外からの圧力で開始されているといってよいが、ドイツに比べ立ち遅れていることは明らかで、反対に、ダイオキシンの発生量において世界の50%を上回ると推定される日本は、外国からは気が狂っていると酷評されている。
金融ビッグバンやインターネットだけではなく、環境産業革命というイノベーションにおいても、プロダクトライフサイクルを追求し、新たな長期波動を作り出していくことが、日本の景気対策として急務である。
現在、日本に限らず世界的には天然ガスの利用が増大しており、熱併給発電や燃料電池などが普及すれば、原子力や石油にとってかわるエネルギーに成長すると見込まれている。
しかし、これを梃子としてソフトエネルギーパスを追及し、雇用を拡大することが必要である。
産業革命以来の化石燃料、原子力の利用を逆転し、景気循環の振幅を緩和し、過剰設備や過剰生産に悩まされることの少ない経済を作り出し、バブルによって失われた人間性を復活し、土壌や水質を保全し、化学物質過敏症や環境ホルモン、放射能や核爆発の心配のない生活を取り戻すことが環境問題の解決である。
そのためには、スモールイズビューティフルの経済学と哲学を採用する以外に人類の希望はないと考えられる。          以上               
        
尾関修のページ
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1184/environ.html
http://www2.ocn.ne.jp/~ozeki/foreign.html

datasea[& コンドラチェフ]
http://datasea.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%83R%83%93%83h%83%89%83%60%83F%83t























「景気循環論」はほとんど非科学的である
古くから経済現象には「周期性」なるものが存在することが知られてきた
(もっとも、「経済学」という学問が誕生したのが19世紀の初頭であり、したがって「経済学」自体が非常に新しい学問ではあるが)。
そして、この「周期性」の中でも最もよく知られているものと言えばやはり景気が良くなったり悪くなったりする現象
(みなさんも知っているとおり、この現象は「景気循環」と呼ばれている)であろう。
そして、古くからこの「景気循環」は短いものから順に
「キチン循環」(その周期は約3年)、
「ジュグラー循環」(同10年)、
「クズネッツ循環」(同20年)および
「コンドラチェフ循環」(同50年)
の4種類存在すると考えられてきたのである。
しかし、実はこれらの景気循環にはいずれもほとんど科学的な検証がなされていないのである。
つまり、これら4つの景気循環は過去においてたまたまある間隔ごとによく似た局面(波動における「位相」と大体同じ意味。
なお、景気変動は複数の異なる循環の重ね合わせによって生じると考えられている(この学説を「複合循環説」と呼ぶ)。)
が現れたからその存在が信じられているにすぎないのである。
言いかえると、これらの景気循環説はいずれも「経験則」の域を脱していないのである。
ところで、物事を一切理論的に考えずに経験だけで考えることはわれわれ生物の最も悪い習性の一つなのである。
すなわち、ある物事についての「傾向」、「関係」や「性質」などが「法則」として認められるにはまずその物事を観測することが必要であるが、この観測結果が理論によって裏付けされてはじめて「法則」と名乗る資格が与えられるのである。そして、科学はこの「法則」を理論によって検証する論理体系に他ならないのである。すなわち、物事を理論的に考えてはじめてその考えが科学的な思考となるのである。
 ところで、これらの景気循環説の中でも特に
「コンドラチェフ循環」
については長い間その原因が「技術革新」にあると考えられてきたのであった。
しかし言うまでもなくこの「技術革新」なる現象は突発的な現象であり、したがって当然のことながらこの「技術革新」は周期性をもたないのである。
しかし、それにもかかわらずこのように非周期的な「技術革新」を原動力として生じる
「コンドラチェフ循環」(実際にはこんな景気循環は存在しないが)
は周期性を持つと考えられてきた。このことに関しては、この景気循環説を提唱した学者には物事を理論的に考える能力がない以外に説明のしようがないのである。すなわち、過去において偶然「技術革新」なる現象が50年ごとに現れたからこの「技術革新」を原動力として生じる景気循環は50年という周期をもっていると信じられてきたにすぎないのである。
そして、「遺伝」のところでも触れたとおり、このように物事が生じる原因について研究するときにそれが「偶然」であるのかそれとも「必然」であるのか判別できないことは、特に「社会科学」をふくむ「生命科学」(厳密に言うと、社会科学は生命科学の一分野にすぎないのである。)においては致命傷となりかねないのである。
実在が確認されている「キチン循環」と「ジュグラー循環」
しかし、それでも「キチン循環」と「ジュグラー循環」については曲がりなりにもその存在が確かめられ、さらにそれが生じる原因が解明されているのである。
この中でも特に「キチン循環」についてはその原因が在庫の増減にあることがはっきりと確認されている(したがって、この「キチン循環」は「在庫循環」とも呼ばれている)。
また、この「在庫循環」は需要と供給の変化が一致しないから生じることが証明されている。すなわち、ほとんどの財物は需要に合わせて生産されるが、当然のことながら財物は現在ではなく幾分過去の需要に合わせて生産されるのでその結果この財物の需要量と供給量が食い違ってくる。これらの両者の食い違いが蓄積されていわゆる「在庫」となるのである。したがって、供給量から出荷量(言うまでもなくこの出荷量は需要量に等しい)を差し引いたものを積分したものが在庫量となるのである。また、当然のことながら在庫の変化は生産の変化よりも遅れることがわかる。なぜなら、先述のとおり生産量を積分したものが在庫量となり、さらに言うと、円関数などの周期関数を積分するとその位相がもとの関数よりも1/4周期(=90°)遅れるからである。
また、生産量は需要量のみならず在庫量によっても左右されることがわかっている。
つまり、需要量が等しい場合でも在庫量が少ない場合には生産量は多くなり、逆に在庫量が多い場合には生産量は少なくなることが証明されている。
なお、在庫量が多いときにその在庫を減らすために生産を減らすことは「在庫調整」と呼ばれている。
また、この「在庫循環」の周期は生産量と出荷量(=需要量)の位相の時間差によって決まることがわかる。
つまり、生産量と出荷量の時間差が大きいほど在庫の変化も大きくなり、その結果在庫調整にも長い時間かかるので「在庫循環」の周期も長くなるのである。
また、「ジュグラー循環」についてはそれが生じる原因が設備投資の増減にあることがほぼ確認されている。
つまり、工作機械などの生産設備の経済的寿命(その生産設備がコスト面で採算が取れる期間、一般に物理的寿命よりも短い)がほぼ10年であるために設備投資の変化も約10年周期となるのである。ただし、設備によってその寿命には長短いろいろあり、そのために設備投資の変化はきちんとした10年周期にはならないのである。
なお、「クズネッツ循環」についてはその周期が約20年であると考えられているが、この周期はちょうど「ジュグラー循環」の周期の2倍となっていることに気付いてもらいたい。
つまり、ある変化が周期的に生じる場合この基本周期の整数倍も周期となるのである
(なお、周期のうち正の最小の周期を「基本周期」という)。
したがって、この「設備投資循環」についてはその周期を10年とする説と20年とする説の2つが存在し、このうちこの周期を20年とする説が「クズネッツ循環」に対応しているわけである。
ところで、「ジュグラー循環」の周期はちょうど「キチン循環」の周期の3倍であると考えられているが、このようにある景気循環の周期が他の景気循環の周期の整数倍となっていることは決して偶然ではないのである。なぜなら、複数の景気循環の位相が接近しているときには短いほうの景気循環の位相を長いほうの景気循環の位相に合わせようとする働きがあるからである。この理由は、景気変動は複数の景気循環の合成で生じることが明らかになっているが、これらの景気循環は互いに独立したものではなく、互いに影響を及ぼしあって景気変動を生ぜしめるからである。したがって、「キチン循環」の位相は「ジュグラー循環」の位相に左右され、同じく「ジュグラー循環」の位相は「クズネッツ循環」の位相によって影響を受けるためにこれらの循環の周期が1:3:6という整数比となるのである。
「好況・不況」と「豊作・不作」はまったく別の現象である
ところで、一般的には好況のときには物不足となり、逆に不況のときには物余りとなるのである。
このように、景気と財物の需給関係は互いにまったく正反対の変化をするのである。
この理由は、好況のときにはもちろん生産も増えるがそれ以上に需要が増えるからである(もちろん不況のときには逆に生産以上に需要が減る)。さらにこの理由は、工業製品など生産者の意志でその生産量を決定できる財については需要に合わせてその財が生産されるからである。
したがって、好況・不況と豊作・不作はまったく別の概念なのである。
そのため、一方を他方と関係付けることはまったく不可能である。すなわち、生産が増えるという面では好況は豊作に似ているかも知れないが、資材が足りなくなるという面では好況はむしろ不作に似ているのである。
「社会主義」神話の形成と崩壊
以前は社会主義は階級がなく平等で資本家による民衆への搾取もない「理想の体制」であると信じられてきた。
しかし、社会主義国家の実態が明らかになるにつれて社会主義はわれわれの通説とは裏腹に国家が民衆への搾取ばかりやっていて一握りの国家の指導者だけが並外れて豊かでそれ以外の民衆はきわめて貧しいという「最悪の不平等社会」であることが判明し、この「社会主義」が「平等」であるという「幻想」はあっけなく崩壊したのであった。
みなさんも御存知のとおり社会主義はマルクスが労働者が貧しいのは資本家が労働者を搾取しているためだと考え、したがって生産手段(工場など)を公有化すれば資本家が存在しなくなり、したがって貧困もなくなって平等な社会になるはずであると考えた結果生まれたものである。しかし、先述のとおりこのマルクスの幻想とは裏腹に社会主義経済は資本主義経済以上に不平等なものとなったのである。
の理由は、われわれが自然淘汰の結果生じた生物の常として自己の利害だけを考え、ほとんど公共の利益について注意を払うことがないからである。言いかえると、われわれが「神」でないがゆえに社会主義が実現しなかったのである。この理由は、言うまでもなく政府は自己の利益を追求せず、公共の利益だけを考えて行動すると信じられているからである。しかし、政府を操っているのがわれわれと同じく自己の利害だけで行動する生身の生物である以上、「平等」な社会主義経済など実現不可能なのである。なお、マルクスの考えたことは言うまでもなく「大きな政府」なる考え(御存知のとおり、ケインズも似たようなことを考えていた)であり、「公有化」なる表現においてもちろん「公」とは「政府」のことである。
それにもかかわらず、未だに社会主義は「平等」であると盲信され続けている。
この理由は、言うまでもなく有名な学者の考えた理論ならばいくら「例外」が存在してもその「例外」を無視してそれを「科学理論」として認める科学界の病的な体質にあるのである。
資本主義は「主義」ではない
ところで、少し考えてみると皮肉なことにこの「社会主義」経済では「資本主義」経済以上に「資本主義」の欠陥が現れていることに気付くはずである。
つまり、「社会主義」経済では政府を動かしている「政治家」や「官僚」がマルクスが言うところの「資本家」となってそれ以外の民衆を搾取しているのである。
すなわち、強いものが弱いものを搾取するという行為(これがマルクスが言う意味での「資本主義」である)は「弱肉強食」および「優勝劣敗」という自然の法則から生まれるのであって政治や経済のしくみ(このような社会のしくみのことを「体制」と呼ぶ)とは一切関係がないのである。
したがって、この「資本主義」を「主義」と呼ぶことは明らかに誤りなのである。
なぜなら、先述のとおり「資本主義」体制なるものはわれわれが意識してつくりあげなくても自然発生的に生じるものだからである。
したがって、この「資本主義」を「資本経済」と呼んだほうが適切なのである。
ところで、この「主義」なる語は「体制」なる語と切っても切れない関係にあるのである。
つまり、学者が考えた政治や経済のしくみが「主義」であり、この「主義」を後に革命などによって実現させると「体制」となるのである。
そして、もちろんこの「社会主義」の場合はマルクスが考えたことが「主義」でレーニンがロシア革命で実現させたことが「体制」となるのである。
そのうえ、マルクスが考えたこととレーニンがロシア革命で実現させたことが一致しているかと言えばそうではないのである。
アダム・スミスの最大の過ち…「慈愛心」の否定
ところで、アダム・スミスの有名な台詞に
「われわれがパンを食べてゆけるのはパン屋の慈愛心によってではなく、パン屋の利己心によってである」
という文がある。
しかし、この文章を注意深く読むと重大な誤りがあることに気付くであろう。
この誤りとは、言うまでもなくパン屋に利己心のみがあって慈愛心がまったく存在しないのならば、そのパン屋は消費者をだまして、パンをなるべく小さくしようと
(あるいは、そのパンを大きく見せようと)するはずであるということである。
このように、ビジネスにおいて経営者に慈愛心が存在しないのならば、この世界には詐欺や強盗以外のビジネスは存在しないことになり、したがってその関係者(消費者、従業員など)は損害を受けることはあっても利益を受けることはないはずである。
したがって、アダム・スミスの台詞の「慈愛心によってではなく」という表現を
「慈愛心のみによってではなく」
という部分否定の表現に改めねばならないのである。
すなわち、アダム・スミスの最大の功績は言うまでもなく経営者と消費者の利害が対立しあうことなく共存共栄が可能であることを述べたということである。
つまり、アダム・スミスは利己心が企業同志の競争を生み、この競争が各企業の経営効率を高めて、その結果社会全体のパイを増大させることを主張したわけである。
しかし、当然のことながら全体のパイが増大することは決してその当事者同志でのパイの奪いあいが起こらないことを意味しないのである。
すなわち、一方が儲かることは必ず他の誰かが損することにつながるわけである。
したがって、経営者が利潤を追求すればするほど他の企業の経営者や関係者は不利益をこうむり、したがって「法律」によって消費者や従業員などを保護する必要性が生じてくるわけである。
ところで、この社会に「法律」なるものが存在すること自体どんな経済体制においても多かれ少なかれ「社会主義」的な要素が存在していることの現れなのである
(ここで言う「社会主義」とは公共の利益のためには私権を制限することが必要であるという主義である)。
なぜなら、言うまでもなく「法律」をつくっているのは政府であり、また政府がこの「法律」をつくる理由は企業に対して社会に不利益となるような事業(詐欺など)をさせないためである。
また、この「政府」は他にも社会が必要としているが利潤が出ず、したがって民間が行わない事業も引き受けているのである。
すなわち、「政府」なるものはこの世で唯一の「慈善事業」を行っている団体なのである。
なぜなら、政府は公共の利益だけを考えて行動することができるからであり、それが可能なのは言うまでもなく政府が税金を取っているからである。
ただし、こうした「政府」の「慈愛心」に満ちた行為が可能なのはその政府を運営している政治家や官僚などの指導者が自己の権利だけを主張せず、社会全体の利益を考えて行動する場合だけであることを忘れてはならないのである。
逆に言うと、社会主義国家が破綻したのはその指導者が自分だけに都合の良い政治を行ったからであり、多くの社会主義国家において指導者がそれに反対する者を虐殺したことはその現れである。
そして、われわれ人類にほとんど「慈愛心」なるものが存在しないことは現在でも大きな問題となっているのである。
例をあげると、われわれはごく最近(20世紀前半)までたびたび戦争を行い、その度に多くの財産が失われ、多くの人々が死んできたことはその現れなのである。
「日本式経営」に対する誤解
以前は「終身雇用」および「年功序列賃金」(およびその結果としての企業別労働組合)をその主な特徴とする「日本式経営」が海外でも高い評価を受け、
この「日本式経営」を企業経営に取り入れるべきだとする意見(このことはもちろん日本国外での話である)まで存在したほどであった。
しかし、後にこの「日本式経営」は日本の高度成長期(1950年〜1970年頃まで)のような急激な経済成長が数十年にわたって続くときにしか経営者にとっても労働者にとってもメリットが存在しないことが明らかとなったのである。
したがって、現在では「日本式経営」は経済成長および人口増加(いずれも永久に続くはずがないものである)を前提とした経営システムであるために、日本国内でさえもきわめて評判が悪くなっている。
つまり、「終身雇用」は産業構造の変化がない場合にのみその実行が可能なのである。
なぜなら、「終身雇用」は文字通り一度就職した会社で肉体的、精神的に就労が困難となるまで一生働き続ける雇用制度であるために、これを雇用者側から見ると労働力が過剰になっても容易に解雇できないという問題を抱えているのである。したがって、当然のことながら倒産やリストラが頻繁に起こる経済情勢、すなわち産業構造の変化が激しい場合にはこの「終身雇用」なる雇用システムは実行不可能なのである。
また、「年功序列賃金」に至ってはその企業が成長していなければまったく実行不可能なのである。
なぜなら、「年功序列賃金」とは読んで字のごとく年々給料が上がって行く賃金体系であり、このことは労働者側から見ればまことに喜ばしいことではあるが、一方ではこの「年功序列賃金」を経営者側から見ると年々従業員に支払う人件費が増大してゆくことを意味しているのである。したがって、年々順調に売上が増えている企業、すなわち成長企業においてのみ「年功序列賃金」なる賃金体系が維持できるのである。
また、この「年功序列賃金」は年齢が低くなるほどその数が多くなる人口構成をしている場合、すなわち人口が増加している場合にのみそれが実施できるのである。
なぜなら、「年功序列賃金」においては年齢が高くなるほど賃金が高くなり、したがって全従業員の平均年齢が高いほど従業員全体の人件費が高くつくことを意味するからである。このことは、「ネズミ構」(会員を勧誘すればそれを勧誘した会員が金をもらえる組織。もちろん法律ではこの「ネズミ構」は認められていない。)が早かれ遅かれ必ず破綻することとまったく同じ理由なのである。すなわち、「ネズミ構」の会員は会員をある一定数以上加入させなければ自分が支払った会費以上の金をもらえず、したがって「ネズミ構」なる組織はその会員が増えなければ維持できず、したがって会員の増加が無限に続くことはあり得ないのでこの「ネズミ構」はいずれ破綻するのである。
そして、高度成長期における日本ではこれら2つの条件がきっちりと満たされていたのである。
つまり、高度成長期には年率10%を超える経済成長が20年にわたって続き、そのうえ業種間の成長率の格差が極めて小さく、言いかえるとどの業種もほぼ同じようにこの高度成長の恩恵にあずかれたのである。したがって、高度成長期の日本ではほとんどの企業が「終身雇用」および「年功序列賃金」を採用したほうが有利だっために多くの学者がこれを日本人の民族性に基づくもの(「日本式経営」なる呼称もここから来ている)であると勘違いしてしまったのである。
つまり、戦前の日本には「日本式経営」の柱である「終身雇用」も「年功序列賃金」(およびその結果としての「企業共同体」)も存在しなかったのであるが、日本はもともと血縁社会であったためにこうした戦後の日本における企業の方針を日本人の集団志向に基づくものであると勘違いしたのであり、戦後は「企業」が太古からの「家族」の役目を担っているという学説(「企業共同体」なる呼称もここから来ている)はその最たるものである。そして、現在では日本でさえこの「日本式経営」を行っている企業はほとんどなくなっているが、この理由は言うまでもなく現在は高度成長期とは経済環境が大幅に変化したからである。
この例からもわかるように、経済環境の違いを「文化」やさらには「民族」や「人種」の違いにすりかえて考えることは学者の犯している過ちの中でも最も多く見られるものの一つであり、またこの過ちは過去に幾度となく民族差別や人種差別につながったのである。例えば、白人が黒人よりも頭が良い理由は遺伝的に白人は黒人よりも脳が発達しているからであるという説(要するに、白人が黒人よりも脳が発達しているのはヒトが他の動物よりも脳が発達しているのとまったく同じ理由であるという学説である)がその代表例である。この誤った学説が白人が黒人を無差別に殺したり奴隷にしたりすることを正当化したのである。
そして、この考えは「豊かさ」や「平等さ」などのような量的なものを「経済構造」さらには「主義」や「体制」のような質的なものにすりかえて考えることにもつながったのである。この明らかに間違った考えのために先述のとおりほとんどの学者が「社会主義」は「資本主義」とは根本的に(すなわち、質的に)違うものであり、したがっていくら社会主義国家の実態が明らかになっても「社会主義」は「資本主義」よりも平等であると信じて疑わなかったのである。

「魂」の量子論
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat51.htm
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/index.html














B経済成長理論
・ 成長理論
<ハロッド=ドーマー>
保証成長率Gw=S/v (政府の介入がない場合)…@
     Gw=(S/v)(1―t) (政府の介入がある場合)
   S:貯蓄性向 v:資本係数(=K/Y) t:税率
<新古典派>
保証成長率Gw=SY/K (@でv=K/Yを代入。)
・ 自然成長率
Gn=n+λ  n:人口成長率 λ:技術進歩率
ハロッド=ドーマー:生産関数が非代替的と仮定しているので成立しない。
新古典派成長理論:生産関数が代替的と仮定しているので成立する。
・ 資本の生産性
資本係数の逆数 Y/K
・ ナイフエッジ原理(不安定性原理)
ハロッド=ドーマーの成長理論では、
現実の成長率Gと
保証成長率Gw、
自然成長率Gn
の3者が一致する必要はなく、かえってGとGwがひとたび乖離すると、その乖離はますます大きくなる。
このような不安定性のことをいう。
価格メカニズムが硬直的であること、生産技術が硬直的であることが前提とされて、一致させるメカニズムがない。
・ 景気循環
コンドラチェフ・サイクル 50年        技術革新
クズネッツ・サイクル   20年        建設投資
ジュグラー・サイクル   10年        設備投資
キチン・サイクル     3〜4年(40ヶ月)  在庫投資
・ 新古典派の成長理論
sf(k)/k=n  (保証成長率=自然成長率)
k:一人あたり資本量(=K/L)
変形するとf(k)=nk/s
この両辺の二つのグラフの交点が保証成長率=自然成長率が達成されている点である。
・ コブダグラス型生産関数の経済成長率
△Y/Y=△A/A+α△K/K+(1−α)△L/L  △A/A:技術進歩率
・ 経済成長率の黄金律
毎期の一人あたりの消費を最大にする成長率。資本の限界生産力と自然成長率が等しくなっている。  

ミッチーワールド
http://www.geocities.jp/mittiy00/study/macro/3.html
http://www.geocities.jp/mittiy00/study/index.html
http://www.geocities.jp/mittiy00/















・ ケインズ消費関数(絶対所得仮説)
現在の消費が所得のみに依存するという考え方。国民所得が増大すると平均消費性向(C/Y)は減少する。
・ クズネッツ
ケインズの考え方に対して、平均消費性向が一定だったということを観察。
したがって、消費と所得の変化の関係がほぼ一定であり、限界消費性向と平均消費性向が等しくなる。
・ 相対所得仮説(デューゼンベリー)
現在の消費が過去の最大の所得や消費レベルに依存すること。
所得が下がっても、かつてのレベルの高い消費水準の影響を受けがちになる。(平均消費性向が上がる)
・ ライフサイクル仮説(モディリアーニ)
現在の消費は一生の間に消費することの出来る所得の総額に依存する。生涯所得が安定的なので、平均消費性向は長期的に一定。
生涯所得=生涯の消費総額
・ 恒常所得仮説(フリードマン)
現在の消費は毎年稼げると思う平均の所得である恒常所得に依存する。
一時的な所得の変動(変動所得)は恒常所得の水準を変動させないので、消費水準を大きく変動させない。
・ 流動資産仮説(トービン)
消費が、所得以外に流動資産(預貯金など)に依存する。所得増加による消費性向の減少を流動資産増加による消費性向の増加で相殺することで、長期的に平均消費性向が一定であると示唆している。
・ ピグー効果(実質残高効果)
物価水準の下落により、人々の保有する貨幣残高が大きくなり、財市場の需要を高めて、IS曲線を右にシフトさせ、景気を回復させる。
ケインズモデルでは物価はIS曲線に影響を与えないが、与えるということを指摘した。
・ 依存効果(ガルブレイズ)
消費者の消費活動が企業の宣伝活動(コマーシャル)に依存していること。
・ ヴェブレン効果
価格が上昇すると、かえってその財の消費量が増大する現象。宝石など。
・ 加速度原理
投資が国民所得の変化分に比例して変動する。
I=v△Y v:資本係数(K/Y)
・ 資本ストック調整原理
今期企業が最も望ましいと考える工場設備の量と前期の実際の資本ストックの差が、すべて今期に実現するとは考えず、その一部だけが今期に実現(そのために投資)されると考える。
I=λ△K  λ:伸縮加速子
加速度原理を一般化したもの。加速度原理ではλ=1である。
・ トービンのq理論
q=株価の時価総額/生産設備総額
株価の時価総額:企業の価値
生産設備総額:企業がもっている生産設備を市場で買い入れるならばいくらになるか。
q>1なら投資が増える。
・ 景気変動の理論
サミュエルソンやヒックスは、投資の持つ乗数効果を加速度原理の考え方を結びつけて景気変動の理論を構築。
・ 信用創造
預金総額=初めの預金額/銀行の準備率
信用創造額=預金総額ー初めの預金額
・ マネーサプライとハイパワードマネー
マネーサプライ:(現金C+預金D)
ハイパワードマネー(日本銀行がコントロールできるお金):(現金C+支払い準備金R)
関係式:
M=(C/D+1)/(C/D+R/D)×H(信用乗数は1より大きくなる)
・ 債権価格と利子率
資産価格=毎期の収益(円)/(利子率(%)+リスクプレミアム(%)−収益の増加率(%))
・ フィッシャーの数量方程式
MV=PT(M貨幣残高、V貨幣の流通速度、P物価水準、T取引量)
VとTが一定になり、MがPに比例する。
・ マーシャルのk
貨幣の流通速度の逆数のこと。
・企業の価値
企業の価値=企業の収益/市場利子率
企業の価値=株価×発行株式数+債券額
・ アブソーション
国内需要。海外要因を除いた部分。
・ クラウディングアウトがもたらす国民所得の減少分を問う問題。
@ クラウディングアウトが発生していないときの投資の増加による国民所得の増加分を計算
→貨幣市場を考慮しない財市場のみの乗数理論。
A クラウディングアウトが発生しているときの投資の増加による国民所得の増加分を計算
→貨幣市場も考慮して乗数理論。
@の答え−Aの答えが求めるものである。

ミッチーワールド
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生命の寿命

◆生命の寿命
マクロザミヤ:12000年
イトスギ:4000年
フリスルコーンパイン:3000年
カメ:170年
ロブスター:50年
クジラ:50年
ツル:49年
カバ:43年
チンパンジー:40年
カエル/ヒキカエル:36年
カエル/食用アマガエル16年
オランウータン:35年
コウノトリ:35年
ペンギン:34年
カモメ:30年
サル:30年
ハト:30年
ウマ:30年
ブタ:27年
イルカ:25年〜50年
コイ:25年
ガチョウ:25年
ゴリラ:25年
クマ:15年〜34年
ヒツジ:20年
ウシ:20年
犬/ダックスフンド:19年
犬/セントバーナード:14年
リス:15年
タカ:15年
ニワトリ:14年
キツネ:12年〜14年
アライグマ:10年
セキセイインコ:6年〜15年
ネズミ:6年
ミミズ:5年から10年
ヘビ/シマヘビ:10年
ヘビ/アナコンダ:30年
オットセイ:7年
金魚:7年
カタツムリ:5年
ゴキブリ/日本:40日
ゴキブリ/アメリカ:200日
ハエ:30日
カゲロウ:7〜8時間
大腸菌:20分
ー周期の研究,ワニブックス,飛岡健

onnooo pc








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2019年01月26日

テスラの「世界システム」

テスラの「世界システム」
ニコラ・テスラの世界システム
ニコラ・テスラは真に天才科学者だった。
だが、天才はその時代には中々受入れられないのが常である。
彼の才能は狂気と混同される事さえ少なくなかったのだ。

宇宙と霊界と科学の接点
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7073/tesura1.htm
http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/








エジソン等と比較にならない尺度の大きさ
1943年1月7日の夜、86歳になる一人の老人が、マンハッタンのニューヨーカー・ホテルの一室でその長く波瀾にとんだ生涯を終えた。
最後を看取った者は誰もいない、
孤独な死であった。
翌朝、老人の死がメイドによって発見されると、生前の知人達の手によって直ちに葬儀の準備がなされた。 
葬列は寒風の吹すさぶ冬のマジソン街を葬儀場に向って黙々と進んでいった。
ところがその頃、老人が息をひきとった部屋では、その静かな死とは対照的に慌ただしい事態が起っていた。
葬列がホテルを出て間もなく、突如FBIの捜査官達がこの部屋に乱入したのである。
彼等は部屋を厳重に捜査し、老人が保管していたと思われる1個の小さな金庫を見つけると。無理矢理こじ開けて、複雑な数式や図面が描かれた書類の一切を抜取った。
そして再び影も残さずに立去ったのである。
一方、葬儀がとり行われた教会堂でも奇妙な事が起っていた。
しめやかな弔辞を述べられている最中に、突如まばゆいばかりの太陽光線が天窓を貫き、棺を光の衣で包んだのである。
会葬者達は思わず息をのんだ。
棺は神の祝福を受けたかの様に清らかな光を発し、教会堂は荘厳な光で満たされた。
そして後日、葬儀中の教会堂内を写した写真が仕上ると、そこには信じ難い映像が移っていた。
それらは何れも教会堂内部を隅々まではっきり映し出しているにも関わらず、会葬者達の姿は全て輪郭が呆けていたのである。
この不思議な老人の名はニコラ・テスラという。
とはいうものの、今日彼の名を知る者は少ない。
電気工学の知識を持つ者であれば、交流の実用化に貢献した
「テスラ・コイル」
の発明者として、テスラの名に触れた事があるかもしれない。
確かに手元の百科事典を引いてみると、ユーゴスラビア生れの電気技師、発明家としてのテスラについて何がしかの知識を得ることは出来る。
火花放電を利用して数百kvの高電圧を発生させ、自由に送電する事を可能にしたテスラの業績は、今日の電気事業の発展の上で計り知れない貢献をなした。
しかし、ニコラ・テスラという人物の全体像を知った者には、それが、彼の業績の極一部分でしかない事が分るだろう。
テスラについての記述の中には、彼が1912年にエジソンと共にノーベル賞候補とされた事から、彼は「エジソンと肩を並べる発明家」とみなす者もあるが、
とんでも無い事である。
あえて彼を「発明家」とみなすとしても、エジソン等とは比較にならない桁外れの尺度を持った発明家であったのだ。
と云うのも、彼の見果てぬ夢であった
「世界システム」
という構想は、地球そのものの電気振動と共振(共鳴)して、莫大なエネルギーを殆どタダで、しかも無限に得る事の出来るものであったのである。
これは革命的な構想であった。
しかし余りにも革命的であり過ぎた。
高エネルギーが地球上のどこからでも無限に得られるとなれば、当然、それまでエネルギー供給を独占した企業(メジャー又はロックフェラー系列(スタンダード石油))や国家の利益と真正面から対立する事になる。
これが現在、テスラの名が殆ど抹殺同然にされるに至った大きな事情である。
”自分は自動人間(オートマン)なのだ”
にも関わらず、テスラの「世界システム」は今日再び熱い視線を集めている。
だがその視線の奥には、何やら暗い云い回しげな炎が燃えているようである。
即ち兵器としての、それもレーザー光線や素粒子ビームの威力を遥かに越えた究極兵器としての「世界システム」の利用である。
実はテスラの死後、彼の部屋からFBIが持ち去った書類は、この
究極兵器(スカラー兵器、又は重力波兵器、昔の名では超能力兵器、「気」を利用した兵器)
に関する物であったと云われている。
彼等は、究極兵器の秘密が外部に漏れるの恐れて、テスラの死後、いち早く彼の論文類を差し押えたのである。
勿論テスラ本人も、「世界システム」が人類にとって両刃の剣になる事を承知していた。
それでも彼は「世界システム」が人類を必ず幸福にするであろう事を深く信じていたのである。

宇宙と霊界と科学の接点
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では、一体「世界システム」はどの様に構想されたのか。
テスラの生涯を追いながら見て行く事にしよう。
ニコラ・テスラは1856年7月9日の深夜に生れた。
場所はユーゴスラビアのクロアチア共和国スミリアン村であった。
父はギリシア正教の牧師で、母も代々牧師という家の出であった。
ニコラには姉が二人、妹が一人、そして兄が一人いた。
兄はデンという名で、7歳の時既に天才と呼ばれる程秀でた能力の持主であった。
ニコラ自身、この兄
「生物学的に説明する事が出来ない程稀にみる天才的知性」
を持っていたと述べている。
ところが、あらゆる点でニコラより抜きん出ていた兄デンは、12歳という若さで不慮の死を遂げてしまう。
デンの死は幼かったニコラに強い衝撃を与え、後々までも彼の潜在意識に深い影響を及した
(これで、分るように千乃先生も優しい親に育てられているのを忘れた恩なし人間になりそうである。
千乃先生が何を云うとも、親を大切にする方向にスカラー波を考えなければならない!忍)。
物心ついた時には既に彼は技師になりたいと思うようになり、身の回りに有る物で様々なユニークな発明をしていた。
だがニコラが後年、稀有の天才発明家と呼ばれるまでに至るには、別の重大な要因があった。
それは、彼を少年時代から悩ませ続けていた幻視癖(透視。霊体によって見せられている。)であった。彼は述べている。
「少年時代、私は幻影に悩まされた。
それはしばしば強烈な閃光と共に現れた。
それが現れると、視野の中に現実の物体は失せ、思考や行動も妨げられるのだった。
それらの幻影は、かって私が実際に見た事のある物や景色であり、決して私が想像したものではなかった。
ある言葉が私に発せられると、その言葉が喚起するイメージがいきいきと私の脳裏に映り、時として、そのイメージが現実のものかそうでないのか、私自身見分ける事が出来なくなる事があった」
だが、17歳になって、彼が発明家の道に進む事を決心すると、この幻視癖が非常に役に立つ事になった。
というのも、彼は何かアイディアが閃いた時、それを具体化するのに図面もモデルも実験も無しに、目の前にありありと思い描く事が出来たからである。
やがて彼は、自分のあらゆる思考、行動が外的な刺戟(霊体による刺戟、今現在は、機械(スカラー波)によって刺戟を与える事が出来る!忍)によって自動的に形成されている事に気付いた。
自分は感覚器官の刺戟によって反応する「自動人間(オートマン)」なのだと痛感した。
この自覚が後に「テロートマティックス」という自律的な運動刺戟制御技術の構想へと発展するのである。
地震発生装置、地球二分割法・・・
オーストリア、グラーツのポリテクニック・スクールを中退したニコラ・テスラは、1881年、ハンガリーのブタベストの国営電信局に務めるようになる。
しかしここは2年足らずで止め、彼はパリのコンチネンタル・エジソン社に職を変えた。
この時既に彼の脳裏には交流モーターの原理のアイデアがあった。
程なくしてテスラの才能を見抜いた社長は、テスラにぜひ渡米してエジソンに会うようにと勧めた。
エジソンとの出会いはテスラの人生における最大の事件だった。
だがエジソンは、テスラの途方もない才能に気付きながらも交流の使用を認めようとはせず、ことある毎に交流の危険性を世界に呼びかけた。
一方、テスラも、露骨なまでのエジソンの批判を撤回させる為に、交流の優位性、安全性を広く知らせる為のショーを催したりした。
彼は、肉体にショックを与えるのは高電圧ではなく高電流である事を、自らの体を貫流させた電流で針金を溶かしたりランプを点灯したりして証明した。
この驚くべきショーは大好評を博し(これは異常である。こういう異常な現象は、今の日本にも起りそうである。
テスラーが大丈夫だったのは、霊体による守護のお陰である有る事を忘れてはならない。!)、
結局、エジソン対テスラの威信をかけた対立はテスラに軍配が上がった。
以後、ナイアガラ瀑布電力会社は交流の採用を決定し、交流は世界に普及していったのである。
エジソンのもとを去ったテスラは、1887年にニューヨークに自分の研究所を設立し、心おきなく自らの研究に集中するようになった。
ここで彼は後年
”マッド・サイエンティスト(狂気の科学者)”
と呼称されるようになる数々の発明や研究に打込んだ。
「地震発生装置」
「地球2分割破壊法」の考案、
「無線操縦装置」
「地球全体の照明装置」
等がその成果である。
これらの研究は一見荒唐無稽のものに思われるが、テスラの知的関心は極めて一貫したものだったのである。
つまり、彼の興味は常に自然界のエネルギーを最大限に引出す事にあったのである。
これは、彼の少年時代の次の様な体験がきっかけとなっている。
ある冬の日、テスラは仲間の少年達と雪に覆われた山に登った。
雪は大変深く積っていた。
少年達は雪玉を斜面に投げつけ、それが転げ落ちながら雪を集めて大きくなるのを見て遊んでいた。
ところが突如一個の雪玉が、斜面を転がる内に見るくる大きくなり、ついには一軒の家程の大きさになってしまった。
テスラを始め少年達は、信じ難い光景に茫然と立竦んでいた。テスラは考えた。
「どうしてあんな小さな雪玉があっと云う間にこれ程巨大な雪玉に成長してしまうのか。自然界には何ととてつもないエネルギーがあるのだろう」
この経験はテスラに強い印象を残した。
そして数十年の後に自分の研究所を持ったテスラは、漸くこの少年の日の疑問にじっくり取組み始めたのである。
彼は、この自然界に潜む巨大なエネルギーをどうしたらそのまま取出す事が出来るだろうかと真剣に考えていた。
そんなある日、テスラは一人山の中を宛もなく歩き回っていた。
すると空が厚い雲で覆われだし、吹雪になりそうな気配が漂ってきた。
彼は雨の当らない所に避難し、怪しげな空を見上げてた。
しかし、空は殆ど真っ暗にも関わらず、雨は中々降出さなかった。
その時突然、空に一閃の稲妻が走った。途端、堰を切ったように豪雨が降出した
●地球の引金を引く「世界システム」
この観察から彼は重大な直観(インスピレーション)を得た。
稲妻の電気的なエネルギーが豪雨を引き起す引金になったのを見た彼は、若し自然界のエネルギーの引金となる電気的効果を見出す事が出来れば、
地球全体の環境を変える事さえ出来るだろうと考えたのである。
そうすれば、砂漠を水で潤す事も、湖や川の造成も、驚く程簡単になる筈である。
こうして彼が取組み始めたのが、「拡大送信機」と呼ばれる高エネルギー発生・送信装置の開発であった。
拡大送信機は高周波振動の電気的共鳴を利用して、巨大な電圧を発生させる装置であり、ニューヨークの彼の研究所では400万Vの高電圧の発生に成功した。
後にニューヨークの研究所が焼け、コロラドに新たな研究所を設けたテスラは、そこで更に大がかりな拡大送信機の実験に取組んだ。
ここで彼は1200万Vに達する電圧を発生させる事に成功した。
この拡大送信機が凄まじい放電の火花を飛ばす傍らで平然と読書するテスラの写真は、マッド・サイエンティスト・ファンなら一度は目にした事があるだろう。
拡大送信機は、高周波振動の共鳴にする増幅作用を用いたものであり、それは丁度、小さな雪玉が斜面を転がる内に巨大に成長するプロセスを電気的に行ったものであった。
だが、テスラの真の狙いはもっと遥かに壮大な事だった。
彼はこう考えた。若し地球自体の定常波を見出す事が出来れば、拡大送信機の高周波と地球との間に共鳴を起す事が出来る筈だ、と。
つまり彼は、地球全体を導体としてエネルギーの発生、送信を行おうとしたのである。
もしそれが出来れば、莫大なエネルギーを低コストで発生させる事が出来、又自由に世界中に送る事が出来る筈である。
そうなれば電信電話は勿論、あらゆる情報やエネルギーが世界中に伝達される巨大な情報ネットワークが形成されるのである。
しかしそれは、現在実現されつつあるような光通信、付加価値通信網(VAN)といった情報ネットワークとは質的に異なる。
テスラの発想はあくまで自然界(地球)自体が潜在的に以ているエネルギーを抽出しようとするものであった。
それは丁度稲妻が豪雨の引金となったように、地球の引金を電気的に引こうとするものなのである。
この様にして作られる地球規模の情報通信網システムを、テスラは「世界システム」と名付けた。
テスラによれば、「世界システム」を構成する要素は、テスラの次の様な5つの発明と技術である。
@テスラ変圧器(テスラ・コイル)
A拡大送信機
Bテスラ無線システム
C個別化の技術
D地球定常波
Cの「個性化の技術」とは、どれ程多重の複雑な信号であろうと、それぞれの信号が独立して混信する事なく送信出来る技術を意味する。
この世界システムが具体的に実現されるとどんな事が可能になるのか。
テスラは、特に生産的と思われる利用法を幾つか纏めている。
それは主に現在、世界中に散らばる電信、電話局を全て相互連絡し、ニュース、文書、音楽の通信を可能にすると云う事である。
だが、とりわけ注目すべきは、船が羅針盤(コンパス)無しで正確な位置と方向を知る事が出来る事や、世界中の時計が同期して動くような機械化(メカニズム)の設定等である。こうした事が可能のは、テスラの電気理論が高速の限界と無関係だからである。地球の定常波から生じるエネルギーは、距離の2乗に比例して減る事も、無くなる事もない(ここの部分は、全ておかしい。宇宙の物理の法則は、ミクロとマクロは統一的に成立っている。ミクロに成立っている法則は、マクロにも通じるのです。だから、地球の定常波だけ、物理の法則に逃れる事という事はない!忍)。
1901年、テスラは具体的な世界システムの構想の為に、ロングアイランドのショアハムに巨大な無線送信塔の建設を始めた。
これは実際に地球を導体としてエネルギーを発生させる本格的なものになる筈だった。
しかし、建設資金が底をついて工事は中断され、アメリカが第一次大戦に参戦した1917年には、危険と云う事で取壊されてしまう憂き目を見た。
壮大な夢の計画は一方的に潰されたのであった。
●「世界は未だ準備が整っていない」
テスラの旺盛な探求心はこの出来事の後も全く衰える事はなかった。
だが、彼の世界システムへの関心は次第にその破局的側面、つまり兵器としての利用に向けられるようになっていた。
1934年にテスラは、何万馬力にも相当するエネルギーを髪の毛よりも細い光線として放射する事が可能な装置について述べている。
その発想は、今日のレーザー光線に極めて似ている。
実際、世界システムを用いれば、如何なる巨大なエネルギーであろうと遠隔誘導によって瞬時にして目的地に送る事が出来るのである。
又彼は世界システムを利用して、遠隔制御型の兵器も構想していた。
しかし、テスラは決して世界システムが軍事的に利用される事を望んでいたわけではない。
彼は平和主義者だったのである。
だが、平和が何もせずに得られるとは考えていなかった。彼は述べている。
「戦争は法的に禁じたとしても、決して無くならない。
強い国の警戒心がなくなったとしても、戦争は終らない。
戦争を停止させるには、強い国も弱い国も自己防衛力を持たねばならない。
幸い、私は防衛の為の完璧な手段を構想した。
若しこれが採用されれば、国際関係に革命が持たされるだろう。
それは、国が大きかろうが小さかろうが、あらゆる攻撃に対して難攻不落に変える事が出来る。
私の発明は大がかりな装置を必要とするが、一度装置が出来れば、人であれ機械であれ、半径300km以内に近づいたものは悉く破壊してしまう事が出来る」
テスラのこの発言は明らかに今日の核抑止力による平和の達成を先どりしている。
テスラ兵器は核兵器の様に目的地につくまでの時間もかからないし、又レーザー砲よりも遥かに大きな威力を持っている。
それは将に究極の兵器なのである。
だが、テスラの平和の願いは果して今日、生かされているだろうか。
米ソ2大大国が歩み寄りを見せ、各方面における段階的な核兵器の削減が実現しようとしているが、それだけで戦争の勃発を抑える事は出来ない様に思われる。
事実、過去に於いては、ソ連軍部はテスラの理論に従った兵器の開発、実験に取組んでいたという噂もあったのである。
アメリカ空軍情報部長のジョージ・キーガンは、1977年にカナダで起った異常な嵐はソ連の素粒子ビーム兵器の実験によって引き起されたものだと報告している。
又カザフ共和国のセミパラチンスクでは、素粒子ビーム兵器の大がかりな実験が行われているという情報もある。
この様な素粒子ビーム兵器の大規模な実験の骨組は、恐らくテスラの理論と関係がある、と多くの軍事関係者が指摘している。
カナダの科学者のアンドリュー・ミクロウスキーに至っては、自信を持って次の様に断言している。
「ロシア人達がテスラのアイデアに基づいて実験を行っている事は極めて明白だ。この実験は世界の気候をも変えてしまう」
テスラが世界という花壇に蒔いた様々な種は、今のところ萌芽したばかりで、どんな実をつけるか未だ見当もつかない。
だが、この不世出の天才が着想した事の顛末が世界の自己崩壊を促す事であるとしたら、余りにも悲しい事である。
テスラが現代に託したものは何も兵器だけではない。前出のアンドリュー・ミクロウスキーは
「地球クリーン・活力協会」
の主宰者でもあるが、彼はテスラの理論と20世紀の神秘学者ルドルフ・シュタイナーの自然農法とを2本の柱として、今後における新しいエネルギーのあり方を考察している。
地球規模でエネルギー危機が叫ばれている今日、其処にどんな可能性が開かれているのか、我々には知る由もない。
只、テスラの次の言葉に、悲運の天才学者の未来の洞察を感じ取るのみである。
「私の計画は自然の法則(自然の法則と云うよりも、自然の法則を預っている霊界の守護霊によって統制されている。
今、現在は天上界は、スカラー波研究を真剣に行い、防衛の準備に整えるようにおっしゃっている!忍 )。
世界は未だ準備が整っていない。未だ早すぎるのである。だがこの法則も最後には浸透し、勝利をもたらすだろう」

宇宙と霊界と科学の接点
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20xx年の手紙
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パナ・ウェーブ研究所
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読者投稿ページ(超歴史研究)
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ガブリエル次期大王様が推薦する動作管理機
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テスラコーナー/ブライアントパーク




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2019年01月25日

『宮下文書』に記録された幻の富士南朝


幻の富士南朝-『宮下文書』-
富士古文書(『宮下文書』)とは
山梨県富士吉田市明見周辺にて発見された古文書群である。
なかでも宮下源兵衛氏の保管するものが最も多く、よって『宮下文書』ともいう。
数多い古文書のうち神代から太古史に至る部分は、
不老不死の秘薬を求めて富士に渡来・定着した徐福一行が子孫七代に渡って編纂したものであるという。
古文書は小室浅間神宮(阿祖山太神宮)の宝物として保管され、大宮司宮下氏が代々これを守ったという。
時間が経つとともに文書は逸散したという。
時間とともに腐朽するか、または時の権力者(足利尊氏も名を連ねている)の迫害に遭って焼却されたと伝える。
第六十七代大宮司宮下宗忠のとき、領主である秋元喬知の苛政を責めたため、大宮司職を剥奪され古文書の多くも失われたという。
以後、一族は残片を保護のみに徹したが、徳川幕府が消滅し文明開化を目の当たりにするに及び、明治十六年二月二十二日に再び公開したという。
小生が確認したのは富士古文書そのものではなく、これらをまとめた
『神皇記』
『富士史』
『長慶天皇紀略』
である。
ここでは、南北朝時代関連の記事のみ扱う。
有名な記事としては、
護良親王及び雛鶴姫に関する伝説
富士南朝に関する伝説
がある。
戦後に出現した自称天皇のうち、三浦天皇は富士南朝・三河南朝の末裔を称している。
最初に注記しておく。史実を期待してはいけない。
宮下文書著者の空想と民間伝承と軍記物語の結合体と見るべきである。

中世日本紀略
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/4402/fujinancho.html
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/4402/index.html




概要
1,後醍醐天皇時代
北条高時が執権となった当時、鎌倉幕府に往時の活力は無かった。
後醍醐天皇はこれを察知した。
倒幕の好機であると考えた天皇は、計画を実行するに十分な軍事力を得る為、各地の有力者に密使を派遣した。
富士十二郷には万里小路藤房が派遣され、大宮司宮下義高(三浦氏を称したという)に綸旨をもたらした。
義高は天皇の御志に賛同し、嫡男六左衛門義勝を藤房につけて楠木正成の館へと向かった。
これ以外にも、忠義の心篤き者が各地にて次々と名乗りを挙げた。
すなわち、
楠木正成・三浦義勝・井伊道政・児島範長・名和長重・河野道長・菊池武時・北畠親房
である。
かくして天皇の帷幕に集った八人を、
「二心なき八将」
という。八将は各自の分担を決め、己が意志を血判状に込めた。
分担の内訳は以下の通り。
なお、秘密中央裏大将の役割は、諜報活動にある。
軍勢を動かさず、諸国の状況を天皇方に知らしめ、場合によっては謀略を用いる。
元帥:後醍醐天皇
副元帥:尊雲法親王
副帥:万里小路藤房
西表大将:楠木左衛門尉正成
東表大将:北畠陸奥守親房
中央秘密裏大将:三浦六左衛門義勝
副将:井伊遠江介道政・児島備後守範長(高徳の父)・名和小太郎長重(長年の弟)・河野伊予介道長・菊池肥後守武時
また、表根拠地を河内金剛山に、裏根拠地を富士谷(宮下氏の根拠地)に定め、それぞれ軍事活動の中心・諜報活動の中心とした。
義勝らは更に味方を募り、二十七士がこれに応じた。
宮方は幾度とない敗北に耐え、ついに鎌倉幕府を滅ぼした。
新田義貞が分倍河原合戦に敗れた際、味方に加わって反撃の契機を与えた「三浦義勝」は、かの宮下義勝のことであるという。
また、義勝は義貞に献策した。
「請う、義貞自ら二万の精鋭を率いて稲村ケ崎に向かい、海岸の防塁を攻撃せよ。
予は干潮を見計らって裏山から奇襲をかけ、以て幕府軍を牽制す。」
義貞は策を採用し、鎌倉占領に成功したという。
天下は定まり、年号は建武と改められた。
天皇親政が進むなか、護良親王と足利尊氏の対立が表面化した。
親王は政争に敗れて捕らえられ、鎌倉にいる足利直義の監視下におかれた。
楠木正成は、親王の皇子である万寿王を保護し、義勝に依頼して富士谷宇津峰南城に潜伏させた。
万寿王は
「皇国を再興すべし」
という意を込めて興良親王と名乗り、常陸国平定にあたって陸良親王と改名したという。
中先代の乱が勃発するに及び、直義は淵辺伊賀守に命じて親王を暗殺した。
雛鶴姫は親王の首級を発見し、松木宗忠らがこれを捧持して富士谷に向かった。
残った二人の家来は、身重の姫を守護しつつ、富士谷を目指した。
津久井郡青山村で供養塔を建て、更に秋山嶺の麓に至ったが、無情野にて民家に泊まろうとして断られ、秋山嶺で皇子を出産して死亡した。
皇子は綴連王といい、大事に養育されたが、十二歳で亡くなった。親王の首級は富士神宮に納められた。
湊川の合戦において正成は戦死した。
このとき足利尊氏に届けられた首級は偽物で、本物は富士神宮にて秘匿されたという。
2,後村上天皇
正平七年閏二月十三日、義勝は関東八州に動員をかけ、新田義宗らとともに鎌倉を攻撃させた。
しかし、合戦は南軍の敗北に終わった。
正平十年六月二十八日、義勝は新田義宗・脇屋義治・宗良親王とともに兵を挙げ、再び鎌倉目指して進軍した。
尊氏は上野国にて敗れて武蔵国石濱に追い詰められ、基氏もまた鎌倉を放棄して上総に逃れた。
が、宮方に裏切り者相次ぎ、戦況は逆転した。
義勝は親王らを逃がした後、殿軍をつとめて踏みとどまり、自ら死地を求めるように戦死した。
義勝の首級は縁者の手によって密かに回収され、富士谷に送られた。
義勝の戦死とともに、尊氏は陰大将の存在を感知し、仁木頼章らに富士谷を捜索させた。
松木宗忠は護良親王の首級を朝日山(石船神社)に隠し、楠木正成の首級もまた上野国新田郷花見塚に移されたという。
宮下義高は幕府の追求を受けたが、義勝病死を噂として流布させてこれを逃れた。
3,長慶天皇
文中三年正月、長慶天皇は皇太弟に譲位した。後亀山天皇である。
(この章では、脇屋義隆・新田貞方らが霊山城に拠り奥州に転戦したことを記す。内容は『底倉之記』にほぼ同じ。)
天授三年、脇屋義治は富士谷にあったが、足利幕府の天下いよいよ定まり追求が厳しくなるに及び、伊予にいた新田義宗に救援を求めた。
義宗は義治ともども伊予で病死したかのように見せかけ、富士谷に向かった。
天授五年九月五日、長慶院は富士谷に遷幸した。
八月十五日、楠木正興・正光、和田正久らに警護されて出発し、摂津から伊勢、駿河まで海路をとった。
(この後、三浦義利に賜ったという院宣が引用されているのだが、言葉遣い・書式に疑問あり)
天授六年二月二十日、富士勝山谷東沢深山に御所を造営した。
長慶院はかつて紀伊国玉川宮に住んでいたことがあったので、御所も玉川宮と命名された。
この地を宮原と称するようになり、その前を流れる川を玉川と呼ぶようになった。
北条時行は、宗良親王が薨ぜられると、出家して法鏡禅師と名乗り、諸国を放浪した後、富士谷に落ち着いた。
元中九年、七十四歳にて死去。
元中七年、後亀山天皇は長慶院に対し、兄弟で皇統迭立することを提案した。
元中九年、両朝は合一したが、尹良親王など、幕府に屈せず吉野に残る者もいた。
応永十七年、長慶院崩御。
以下略。

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考証
一、史実との対比
:鎌倉攻めについて
宮下六郎左衛門義勝を三浦大多和義勝に附会し、倒幕計画の秘密陰大将(東表大将は北畠氏、西表大将は楠木氏だそうだ)として暗躍したとするが、どう考えても無理がある。『太平記』分倍河原にて新田義貞を勝利に導いたとする「三浦大多和六左衛門義勝」は、他の記録に見えない。『大多和家譜』によると「三浦大多和平六左衛門義行」または「彦六左衛門義勝」であり、新田勢に加わったとするが、『宮下文書』と符合する事跡も記されておらず他の記録にも見えない。 『大塚文書』では、五月二十二日葛西ヶ谷合戦に関連して「相模国御家人大多和太郎遠明」という名前が見えるので、これの同族かもしれない。
『天野文書』によると、新田軍が「稲村ケ崎の陣を駆け破って」鎌倉内部に進入したのは五月十八日で、一旦は撃退された。『和田文書』三木俊連の書状では、五月二十一日、新田氏義配下にあった三木勢が峰から駆け降り、霊山寺大門に拠る敵を追い落としたとする。『大塚文書』によると、同日鎌倉内部にて大館幸氏率いる軍勢が前浜付近浜鳥居脇にて合戦。義貞は、当初からこの攻略に力点を置いていた可能性もある。現在の稲村ケ崎は、地形が変化して道が消滅している。
雛鶴姫の伝説について
雛鶴姫は親王の首級を抱いていたとする伝承もある。『長慶天皇紀略』のこの部分には、何故か地元の正月の風習まで記されており、やたらと詳しい。
また、山梨県都留市秋山村付近一帯に伝えられる伝説と、護良親王首級および雛鶴姫の末路に関する記述がほぼ一致する。他所で述べた通り、同一人物に関する全く異なる伝説が各地にあるので、これは伝承と考えるべきである。
正平年間の鎌倉攻めについて
『長慶天皇紀略』『富士史』は、正平七年閏二月の南軍による鎌倉侵攻(『太平記』武蔵野合戦事)の後、正平十年六月二十八日にも再攻撃の敢行を記す。正平七年閏二月は前哨戦として扱われ、本格的な記述があるのは正平十年六月の合戦である。
ここでは『太平記』武蔵野合戦事と類似の記述(『長慶天皇紀略』では上野国合戦)が見られ、したがって原書と同じ間違いをおかしている。『太平記』では「南軍は武蔵野合戦にて北軍に勝利した後、鎌倉を占領した」という。が、『園太暦』三月四日条にあるように、まず尊氏は鎌倉を脱出して南軍の鋭鋒を避け、味方の集結を待ってから金井原・人見原で敵を破ったのである。
第一、正平十年六月二十八日の時点で宗良親王が鎌倉への進攻を企画していたのか。むしろ、越後・信濃の確保に重点を置いており、そのような余力は無かったものと見られる。
『三浦和田文書』(正平九年九月二十三日・翌十年四月七日付)
によって中越で転戦していることが知られ、
『園太暦』同年八月十七日条に
「宗良親王が信濃で挙兵したため国中が騒動し、「駒牽」のための馬が献上できなくなった
という記録がある。
駒牽というのは諸国(南北朝当時は信濃望月牧の馬のみ)の牧場から献上された馬を天皇にお披露目する儀式で、八月十五日頃に行われた。
信濃方面で決着がついたのは八月二十日の大合戦であり、南軍が大敗したことが『矢島文書』によって知られる。
いや、そもそも尊氏が鎌倉にいたのか。正平八年七月二十九日(『鶴岡社務録』)尊氏は鎌倉を出発し、九月に京都へ戻った。その後は正平十年三月十三日まで、南朝及びそれに与同する旧直義党と延々二年弱にわたる京都争奪戦を繰り広げたことは『太平記』にも記されている。
では、なぜ『宮下文書』は幻の正平十年六月の攻勢を記さなければならなかったのか。
それは、『太平記』鎌倉攻めにおける分倍河原合戦では義勝が活躍するものの(陰大将にあるまじきことだが)、正平七年の鎌倉侵攻には義勝が登場すらしないからであろう。読者が『太平記』を見たとき、不審に思うのは十分予想できる。これを避けるには、合戦そのものを創作するよりほかは無い。それも、正平十年三月まで尊氏が京都で合戦しているのは『太平記』にも記されていることなので、それ以降でなければならない。
期日の辻褄は合っている。しかし、正平十年以降、尊氏が関東に下向したという記録は『宮下文書』以外に無い。
二、種本について
『太平記』などの軍記物語であると思われる。公家・僧侶による記録を参考にした形跡はない。
奥州における脇屋義隆の戦いについて
応永三年六月三日、足利氏満が十万騎を率いて奥州新田軍を攻めた旨を記す。『底倉之記』と比較するに、兵数は全く同じ、人名もほぼ同じ、表現も酷似している。
『底倉之記』:「射違ふる矢は夕雨の軒端を過るより尚繁く、打ち違ふる太刀の鍔音矢叫びの音は百千の雷の一度に鳴り落ちるかと夥しく」
『長慶天皇紀略』:「流れ矢雨のごとく飛び下り、戦闘の声、百雷の一時に堕つるがごとし」
但し、戦の経過は異なる。例によって富士谷が絡むから。
南北朝統一以後の記述について
『十津川之記』を参考にした形跡あり。登場人物も、『十津川之記』に特有の(他文献に見えず、よって想像上のものと思われる)名前が見られる。戦況の描写までも酷似している。湯浅城の合戦など、最後まで生き残って戦うのが楠木正秀であることが異なる以外、『十津川之記』にほぼ同じ。 長禄の変の期日も『十津川之記』に同じで、やはり間違いを継承している。
本稿でいう「長禄の変」は、「南朝遺臣によって持ち去られた神器を、赤松遺臣が二回にわたる襲撃で奪回するまで」の一連の事件とする。
『上月記(上月文書)』 『経覚私要抄』『大乗院寺社雑事記』など当時の記録は、長禄元年十二月に南朝皇胤二人を討ち取り、翌二年四月に悪党を入れて盗み出し神器奪還に成功した旨を記す。『上月文書』は、実際に襲撃を行った人物が、二十年後に当時を思い出して記したものである。
が、問題は後年に成立した質の悪い文献で、『南方紀伝(長禄二年六月二十七日、一回のみ)』『十津川之記(長禄二年七月二十五日)』『桜雲記(長禄三年六月二十七日)』は期日を間違えている上に、二度にわたる襲撃を混同している。新井白石の『読史余論』も『南方紀伝』準拠のため同じく間違えている。
もし『宮下文書』が当事者によって記され室町時代から保存されているものであれば、主と仰ぐ南帝が暗殺された日と神器を奪還された日を混同して記述することはあり得ない。書写を経ているとしても、そう間違えるものでも無いだろう。それとも、「書写に際して他文献を参照した」と強弁するのであろうか。ならば、もっと信頼できる史料を選択すべきである。
以上、『底倉之記』『十津川之記』との類似及び間違いの継承を指摘した。両書の成立年代及び作者は不明であるが、文化六年成立の『南山巡狩録』に参考文献として挙げられている。少なくとも、文体から察して江戸時代のものと思われる。
問題は、これら江戸時代に作られた軍記物が先か、それとも『宮下文書』が先かということだ。これについては、『宮下文書』を引用した歴史書を見たことが無いので、不明であると言わねばならない。
確かに、私は原書を見たわけではない。しかし、三輪氏が『宮下文書』を要約するにあたって、信頼性に劣る他文献(『底倉之記』『十津川之記』)を混入させることは無いものと信じている。
『宮下文書』の南北朝関連記事に信頼性は期待できないが、現地の伝承を調べる際には有益な情報もあるだろう。
伝承が先か、『宮下文書』が先か、という問題は残るが。
当サイトは、
「たとえ信頼性の低い史料といえど、少しでも史実が含まれているかもしれない」
という立場にある。
が、『宮下文書』については、ここに要約を載せただけでも、かなりご都合主義が目立つ。
「噂を流したところ、世の人はすぐに信じた」
「死んだというのは実は身代わりで、本人は生きている」
などという辻褄合わせがあちこちに出てくる。流石に辛い。
機会があれば、三河南朝、というよりは長慶天皇にまつわる各地の伝説についても、ごく簡単に触れたい。
伝承間に連続性が無いため、深く追求するつもりは無い。

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追記
中村和裕氏からメールを頂いた。
『「古史古伝」論争』(新人物往来社)に偽史研究家として同姓同名の人物がいるけど、本人だろうか?
いくつかのやりとりの中で久しぶりに意欲が湧いてきたので、暇があったら
『神伝富士古文献大成』
でもあたってみる。
本文献の偽書性については、村田正志博士による論証があるため、当サイトでは「元ネタは何か」に重点を置くつもりだ。
『竹内文書』のアレは、全くのフィクションだと思うが。

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